アジ研ワールド・トレンド No.250(2016. 8)
18
●
「
黄
金
の
一
〇
年
」
の
剥
落
二〇〇九年一〇月二日、デンマ
ー
ク・
コ
ペ
ン
ハ
ー
ゲ
ン
市
で
の
第
一二一次IOC総会で、南米大陸
初となる五輪開催がリオデジャネ
イロ市に決定した。その当時の世
界の経済状況を振り返れば、前年
のリーマンショックにともない先
進国の景気後退が顕著となるなか、
ブラジルをはじめとした新興国へ
の
影
響
は
相
対
的
に
軽
微
に
留
ま
り、
むしろ世界経済を支える存在とし
て期待が高まった。ブラジルにお
ける二〇〇九年の実質GDP成長
率は前年の五
・
一%増から〇
・
一%
減
へ
と
低
下
し
た
も
の
の、
翌
二
〇
一
〇
年
に
は
七
・
五
%
増
と、
一九八〇年代以来の高成長率を記
録した。二〇〇九年一一月に発行
さ
れ
た
イ
ギ
リ
ス
の
経
済
誌
The
Economist
は
表
紙
に、
ロ
ケ
ッ
ト
の
ご
と
く
天
に
昇
る
リ
オ
の
シ
ン
ボ
ル、
コルコバードの丘にあるキリスト
像
の
写
真
を
掲
載
し、
〝
Brazil
takes
off
〟
(
離
陸
す
る
ブ
ラ
ジ
ル
)
と、
ブ
ラジルの時代を迎えたことを伝え
た。
日
本
企
業
関
係
者
の
間
で
は、
二〇一二年頃からブラジルの「黄
金の一〇年」というフレーズが使
わ
れ
る
よ
う
に
な
る。
こ
れ
は
二〇一二年六月の国連持続可能な
開発会議(リオ+
20)を皮切りに、
一四年のサッカーW杯、一六年の
リオ五輪、二〇年のサンパウロで
の万博開催(二〇一三年一一月に
落
選
決
定
)、
二
二
年
の
ブ
ラ
ジ
ル
独
立二〇〇周年を指したものだ。リ
ーマンショック以降の経済成長は
政府の景気対策が大きな支えとな
る一方で自立的な経済回復の遅れ
が指摘されていたが、ブラジル経
済の先行きに期待感が勝っていた
ことがうかがえる。しかしその後、
目の当たりにした現実は期待と異
なる様相をみせた。
まず表出したのは、全国規模に
発展した二〇一三年六月以降の抗
議デモである。最初はサンパウロ
市でバスや電車の運賃引き上げに
反対するデモであったが、徐々に
医療や教育など公共サービスの質
に対する蓄積した不満が国民の間
で噴出し、デモが大規模化した。
さらに二〇一四年三月に国営石
油会社ペトロブラスを取り巻く汚
職疑惑が表面化し、検察はカーウ
ォッシュ
(
Lava Jato
)
作戦と称し、
有
力
政
治
家、
ゼ
ネ
コ
ン
関
係
者
を
次々と拘束した。これにより政治
家への国民の視線は一層厳しいも
のとなる。そこに原油価格の下落
が重なり、これまで石油関連産業
をけん引してきたペトロブラスの
経営を直撃した。
二
宮
康
史
●
経
済
減
速
の
直
接
的
要
因
ブラジル地理統計院
(IBGE)
によれば、二〇一五年の実質GD
P
成
長
率
は
前
年
比
三
・
八
%
減
と
大
幅なマイナス成長を記録した。こ
れは一九九六年に現統計を開始し
て以来の減少幅だ。需要要素別で
み
る
と、
個
人
消
費
が
前
年
比
四
・
〇
%減に、さらに総固定資本形成の
G
D
P
は
前
年
比
一
四
・
一
%
減
と
な
った。個人消費が暦年でマイナス
になるのはルーラ政権が発足した
二〇〇三年以来であり、総固定資
本形成のマイナス幅はブラジルが
通貨切り下げに直面した一九九九
年(八
・
九%減)を上回る水準だ。
近年まれにみる大幅な経済減速
につながった要因を探ると、個人
消
費
の
マ
イ
ナ
ス
成
長
は
物
価
上
昇、
雇用情勢悪化、消費者向けローン
の貸し出し停滞などが浮かび上が
る。二〇一五年の広範囲消費者物
価
指
数(
I
P
C
A
)
は
一
〇
・
七
%
と
中
銀
の
イ
ン
フ
レ
目
標
上
限
六
・
五
%を大幅に超えた。ブラジルでは
インフレターゲット政策を金融政
策の柱としているが、目標未達は
経済混乱の末にルーラ政権が発足
した二〇〇三年以来だ。雇用情勢
を
み
る
と
失
業
率
は
二
年
前
の
二
〇
一
四
年
第
1
四
半
期
に
七
・
二
%
五輪開催直前
に
み
た
﹁黄金
の一
〇年﹂
へ
の
期待
と
現実
南米初の五輪を開催する
ブラジル
―五輪開催と国の発展―
特 集
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アジ研ワールド・トレンド No.250(2016. 8)
であったが二〇一六年第1四半期
に
は
一
〇
・
九
%
に
上
昇
し
て
い
る。
これまで消費増加を下支えしてき
た個人向け融資額も、名目伸び率
は
二
〇
一
四
年
に
前
年
比
一
〇
・
九
%
増
で
あ
っ
た
も
の
が
二
〇
一
五
年
は
〇
・
四
%
増
と
実
質
で
マ
イ
ナ
ス
を
記
録した。
総固定資本形成の不振の要因は、
財政収支の悪化にともなう公共投
資の停滞や原油価格の低迷とペト
ロブラス汚職問題に端を発する資
源関連投資の減少、さらには消費
市場の停滞を背景とした民間部門
の投資意欲の減退などが挙げられ
る。
総
固
定
資
本
形
成
の
五
五
・
五
%
を
占
め
る
建
設
分
野
が
前
年
比
八
・
五
%
減、
三
〇
・
五
%
を
占
め
る
機
械・
装
置
分
野
が
同
二
六
・
五
%
減
と
な
っ
ている。IBGEの鉱工業生産指
数
を
み
て
も
二
〇
一
五
年
は
八
・
三
%
減、特に製造業では自動車や電気
電子など主要産業分野の落ち込み
が二桁台と大きく、投資意欲は冷
え込んだ状態にある。
●
期
待
に
応
え
よ
う
と
し
た
が
故
の
「
故
障
」
このように、ブラジルの「黄金
の一〇年」における中心的イベン
トになるはずの二〇一六年リオ五
輪を目前に、経済は内外の期待を
大きく裏切る結果になった。しか
し今から振り返ると、ブラジルへ
の期待値に対する実態経済のかい
離
は、
「
黄
金
の
一
〇
年
」
と
呼
ば
れ
始めた二〇一二年頃から皮肉にも
明らかになってきたようにみえる。
事実、二〇一二年の経済成長率は、
政府が数々の景気対策を実施した
にもかかわらず、当初予想されて
い
た
三
%
台
を
下
回
る
一
・
九
%
に
低
迷
し
た
⑴
。
当
時
の
政
府
は
景
気
悪
化
を食い止めるため、消費喚起を目
的に自動車や家電製品などに対し
て減税策を実施、供給サイドの産
業テコ入れを図るため、国内産業
保護の色彩の濃い産業政策「ブラ
ジ
ル
拡
大
計
画
」(
二
〇
一
一
年
八
月
に発表)を始めた。また投資振興
を図るため中低所得者向け住宅整
備
政
策
(
M
in
ha
C
as
a
M
in
ha
Vida
)
を
導
入
し、
さ
ら
に
金
融
政
策では利下げする一方、物価上昇
を抑えるため電気料金の半ば強制
的な引き下げ、基礎食料・生活用
品の減税を行った。これらは少し
でも経済の減速を抑えマクロ経済
の安定を維持しようと政府が試み
たものである。しかし結果として
問題を包み隠す短期的な効果しか
なく、さらにこれらの対応が財政
収支悪化や現状の高いインフレ率
につながり深刻な事態を招いた。
そもそも景気変動の波を考えれ
ば上昇期の後には下降期を迎える
ものだ。特に設備投資のサイクル
とされるジュグラー循環に照らせ
ば、二〇〇〇年代前半からおよそ
一〇年の歴史的な景気上昇サイク
ルの後の下降は、ある意味で自然
な結果と捉えることもできる。一
方でブラジルは以前より複雑で過
重な税制や硬直的な労働法、イン
フ
ラ
不
足
な
ど「
ブ
ラ
ジ
ル
コ
ス
ト
」
と
称
さ
れ
る
構
造
的
な
問
題
を
抱
え、
経済成長を阻む一因に指摘されて
きた。これらを踏まえれば、今の
経済を深刻化させた根本的な要因
は、政府が構造的な問題にメスを
入れないまま景気の下降期を迎え、
そこで短期的な対応、つまり過度
な経済介入や景気対策に終始して
しまったことにあるのではないか。
これを好意的に捉えれば、ルセフ
政権は空に飛び立つリオのキリス
ト像のイメージや
「黄金の一〇年」
に象徴される、国内外のブラジル
に対する期待に応えようとしたの
かもしれない。
本稿のテーマである五輪にちな
んでスポーツ選手で例えると、期
待に応えようとすれば選手は試合
までに自分のコンディションを調
整し日々のトレーニングを積むこ
とで目標の実現を目指す。同じこ
とをブラジル経済でもいえるので
はないか。国内外の高い期待に応
えようとすれば、地道に構造的な
問題の解決に努めるべきで、カン
フル剤的な景気対策だけに頼って
いては自立的な経済回復は望めな
い。つまり政府は適切な対応を欠
いたが故に、ブラジル経済を試合
直前に「故障」させてしまったの
ではないか。
この筆者の例えはやや飛躍しす
ぎかもしれない。しかし五輪開催
年にあたる二〇一六年の経済成長
率も前年と同程度のマイナス成長
が見込まれており、ブラジル経済
が「故障」状態にあるのは確かだ。
せめて実際の五輪競技におけるブ
ラジル選手には、経済状況とは対
照的な活躍を期待したい。
(
に
の
み
や
や
す
し
/
日
本
貿
易
振
興機構サンパウロ事務所次長)
《注》
⑴
IBGEは二〇一五年三月にG
DP統計の計算方法を改定して
お
り、
二
〇
一
二
年
の
数
値
は
〇・
九
%
か
ら
一
・
九
%
に
修
正
さ
れ
て
いる。
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