連載
工藤 友哉
アジ研ワールド・トレンド No.253(2016. 11)
42
第 10 回
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P
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Econometrica
, 82 (1), 2014, pp. 229-269.
二〇一四年四月、ナイジェリア北東部の公立
中高等学校で、
二七六名の女子生徒が、
(西洋的)
女子教育を否定するイスラム過激派により誘拐
された事件は、記憶に新しい。また、二〇一四
年にノーベル平和賞を受賞したパキスタン出身
の女性、マララ・ユスフザイ氏は、二〇一二年
一〇月、スクールバスで下校途中、女子の教育
権
を
認
め
な
い
イ
ス
ラ
ム
過
激
派
に
よ
り
銃
撃
さ
れ、
重傷を負った。このような事件は、イスラム主
義的政策により女子の教育機会が制限されると
いう懸念を多くの人々に抱かせる。真実か否か、
この問いに対するひとつの答えを見てみよう。
●因果的効果測定の難しさ
イスラム主義的政策が女子の教育参加に与え
る
因
果
的
効
果
の
測
定
に
は、
二
つ
の
困
難
が
あ
る。
まず、世俗主義(政教分離主義)を採用する多
くの国においては、政策の場に、宗教による影
響がもちこまれる機会が少ない。次に、女子教
育に否定的な選好をもつ人々が、仮に親イスラ
ム政党を支持する傾向がある場合、親イスラム
政党の影響力が大きい地域で女子の教育機会が
制限されていたとしても、これがイスラム主義
的政策の結果なのか、住民の選好によるものな
のか、区別できない。
●トルコと福祉党(
Refah Party
)
一点目の困難を克服するため、本論文は、世
俗主義を採用しながらも、親イスラム政党が政
治的に重要な影響力を有したことのあるトルコ
の経験に着目する。具体的には、一九九四年に
実施された地方選挙において、親イスラム政党
である福祉党は、イスタンブールやアンカラと
いった主要都市を含む全国市長ポストの一二%
を獲得した。また、一九九五年の国政選挙では、
同
党
は、
初
め
て
議
会
第
一
党、
一
九
九
六
年
に
は、
連立ながら政権与党となる。政治の場における
過度なイスラム主義の採用を禁ずる憲法裁判所
の判決により、福祉党は非合法化され、一九九
八年一月に解散となるが、一九九四~九八年ま
で(実質的には、福祉党党首であったネジメッ
ティン・エルバカン氏が首相職を辞す一九九七
年
六
月
頃
ま
で
)、
ト
ル
コ
で
は、
政
治
の
場
に
顕
著
なイスラム的影響がもちこまれた。
●回帰不連続デザイン
本論文は、回帰不連続デザインという手法を
前記トルコの文脈に用いて、二点目の問題を克
服
す
る。
以
下、
詳
細
で
あ
る。
ま
ず、
本
論
文
は、
一九九四年の地方選挙があった二七一〇都市ご
とに、最大の得票数を獲得した親イスラム政党
(
多
く
は、
福
祉
党
)
の
得
票
率
と、
最
大
の
得
票
数
を獲得した世俗政党の得票率との差を計算する。
次に、その得票率差が、零(閾値)よりわずか
に大きい都市と、わずかに小さい都市に住む女
子のその後の教育水準を比較する。閾値上下に
分布する都市間では、一九九四年選挙における
親イスラム政党の得票率および候補政党数、選
挙時点での人口、男女比、高齢および若年人口
割合、世帯人数において、統計学的に有意な違
いは観察されない。特に、閾値周辺の都市間で、
イ
ス
ラ
ム
政
党
の
得
票
率
自
体
に
違
い
が
な
い
点
は、
注目に値する。なぜならば、この点は、得票率
差が閾値上下に分布する都市間で、イスラム的
イスラム主義的教育政策は女性差別的か?
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アジ研ワールド・トレンド No.253(2016. 11)
政治に対する住民の支持選好には、大きな違い
がないことを意味するからである。これらの結
果から、得票率差が閾値上下に分布する都市群
は、親イスラム政党の市長が誕生したか(得票
率差が零より大きいか)否かという点を除けば、
平均的に同質であると考えられる。結果、得票
率
差
が
閾
値
よ
り
わ
ず
か
に
大
き
い
都
市
に
お
い
て、
小さい都市よりも、女子の教育水準が一九九四
年の地方選挙後上昇したとすれば、それはイス
ラム主義的政策の影響とみなすことができる。
●分析結果
女子の教育水準を分析するにあたって、本論
文は、一九九〇年、二〇〇〇年に行われた国勢
調査データを用いる。前記閾値近辺の都市のみ
を抽出して分析すると、一九九四年の地方選挙
時に親イスラム政党の市長が誕生した都市にお
いて、そうでない都市よりも、二〇〇〇年時点
の
女
子
の
就
学
率
お
よ
び
教
育
課
程
修
了
率
は
高
い。
また、一九九〇年時点、つまり、親イスラム政
党の市長が誕生する以前の女子の教育水準につ
いては、閾値近辺の都市間で統計学的に有意な
違いはみられない。さらに、男子の教育水準に
ついても、一九九〇年、二〇〇〇年とも閾値近
辺の都市間で統計学的に有意な違いは存在しな
い。これらの結果から、親イスラム市長の誕生
に
よ
り、
つ
ま
り、
イ
ス
ラ
ム
主
義
的
政
策
に
よ
り、
女子の教育水準のみが引き上げられたと解釈で
きる。なお、この女子教育促進効果は、義務的
初等教育ではなく、自発的な進学意思が求めら
れる中高等レベルにおいて観察される。
●メカニズム
なぜ、このような効果が生じたのであろうか。
女児の進学を考える敬虔なイスラム教徒の保護
者にとって、校内から宗教的要素を排除する当
時の世俗主義的教育制度は、心理的に受け入れ
が
た
い
も
の
で
あ
り、
親
イ
ス
ラ
ム
政
党
の
市
長
は、
そのような障害を取り除いた、というのが本論
文の主張である。
た
と
え
ば、
敬
虔
な
イ
ス
ラ
ム
教
徒
の
保
護
者
は、
女児がイスラム教的標章であるヘッドスカーフ
を校内で着用することを好んだが、当時の法律
は、これを禁じていた。一方で、福祉党は、こ
の法令を支持しない意思を表明しており、親イ
スラム政党の市長が、女子生徒によるヘッドス
カーフの着用を容認するよう教育機関に圧力を
か
け
た
可
能
性
が
あ
る。
ま
た、
ト
ル
コ
社
会
で
は、
イ
ス
ラ
ム
教
的
信
条
を
も
つ
ワ
ク
フ
(vakif)
と
よ
ば
れる非営利組織が、寄進された財産を用いて公
共サービスを提供する伝統がある。親イスラム
市長は、ワクフから資金援助を得て、奨学金の
給付、学生用寄宿舎や教育施設の建設等、積極
的な教育投資を行っており、また、新たに建設
された教育施設では、女子によるヘッドスカー
フの着用、祈祷室の利用、地元のイスラム教指
導
者
と
の
交
流、
(
課
外
活
動
と
し
て
の
)
イ
ス
ラ
ム
教的科目の履修などが容認されていた。
なお、親イスラム市長が誕生した都市におけ
る、女子の教育課程修了率の上昇は、伝統的に
世俗主義的教育方針を強く採用していた学校に
おいて、より顕著に観察される。イスラム主義
的教育政策実施以前は、このような学校への女
児の進学ほど、敬虔なイスラム教徒である保護
者が、その決断を躊躇する傾向は強かったと予
想される。とすれば、世俗主義的伝統のある学
校でイスラム主義的教育政策を実施することの
女子教育促進効果は、その他の学校で実施する
場合よりも、大きかったと推測される。前記分
析結果は、この推測と整合する。
●文化と開発経済学
女子教育に保守的とみなされる親イスラム政
党が、女子教育を推進する政策を実施したとい
う興味深い発見に加え、本論文は、世俗主義的
教育制度のもとでの女子の就学に、宗教心理的
理由から二の足を踏む敬虔なイスラム教徒が多
数存在すること、ひいては、宗教的価値観が社
会の実体的側面に及ぼす影響の強さを示唆する。
近年、価値観や信念といった文化に関する経
済
学
研
究
が
急
増
し
て
い
る(
参
考
文
献
①
)。
価
値
観や信念はどのように形成され、変化するのか。
経済活動への影響、そして、その背後にあるメ
カニズムは何か。価値観や信念が、社会変化に
どのような異質性をもたらし、経済発展経路を
特徴づけるのか。経済発展の理解には、文化に
関する理解が不可欠であり、この必要性は、文
化的な社会慣習が人々の生活に大きな影響を与
える発展途上国ほど高いと考えられる。文化に
ついての経済学的理解を深めるためには、
地域
・
歴史研究、人類学、心理学といった他分野から
得られる知見を参考にする必要があり、開発経
済学における他の社会科学との距離は縮まりつ
つある。
(
く
ど
う
ゆ
う
や
/
ア
ジ
ア
経
済
研
究
所
ミ
ク
ロ
経済分析研究グループ)
《参考文献》
①
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ic
Literature
, 53 (4), 2015, pp. 898-944.
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