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なぜタイはコメ輸出規制をしなかったのか (特集 途上国の穀類輸出 -- その現状と課題)

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なぜタイはコメ輸出規制をしなかったのか (特集

途上国の穀類輸出 -- その現状と課題)

著者

重冨 真一

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

175

ページ

4-7

発行年

2010-04

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004524

(2)

特集

  二〇〇八年前半のコメ国際価格急 騰は、最大のコメ輸出国タイの国内 米価にも直ちに反映し、バンコクの 白米小売価格は二倍に跳ね上がっ た。しかしタイでは、消費者の買い だめや転売狙いの隠匿も起きず、ま してや都市部でのデモ、暴動などそ の気配すらなかった。政府は白米市 場への介入にはきわめて消極的で あったどころか、逆に籾の価格支持 すらおこなった。農家庭先価格が五 月頃から下降に転じ、それを不満と する農民デモが起き始めたからであ る。   こうしたタイ政府の対応は、他の 主要コメ輸出国とは対照的であっ た。インドとベトナムは輸出を制限 して国内価格の高騰を押さえ込もう とした。なぜタイが国際価格の暴騰 時にも輸出制限をせずに済んだの か。 逆に籾価格の支持に動いたのか。 こうした対応の背景となったタイ米 生産と流通の実態を紹介しよう。

●抜きん出たタイのコメ輸出力

  タイは世界の中でコメ輸出国とし て抜きん出た地位を占めている。現 在その輸出量は世界の貿易量の三 〇 % を占め、第二位につけるインド やベトナムなどを大きく引き離して いる。またタイ米は今や世界のどこ でも売られている。アジアはもちろ ん、最大のコメ市場となったアフリ カ 、 そして欧米 、ラテンアメリカ 、 オセアニアなどにもかなりの量が輸 出される。品揃えも豊富で、ジャス ミンの香りするホームマリ米から普 通の白米、パーボイルドライス︵あ らかじめ蒸してから精米したお米 で、アフリカ、中東で好まれる︶の いずれもあるし、あらゆるグレード のお米をそろえることができる。さ らに特筆すべきは、生産量の約半分 を輸出に回すことができるという高 い輸出余力だろう。これはインドや ベトナムと大きく違う点である。   二〇〇八年の国際米価高騰時に も、国内への供給不安がおきなかっ たのは、まずこの輸出余力があった からである 。少々輸出が増えても 、 国内供給が不足するような事態には ならないだろうとの読みが、政府に はあった。米価が高騰しつつあった 時期は、ちょうど乾季作米が出荷さ れる時期であり、政府はその量も計 算に入れることができた。しかも政 府在庫が二一〇万トン︵年間消費量 の約五分の一︶あった。国内価格は 上昇するだろうが、十分な量のコメ が国民に回るはずである。

コメ輸出力はどうしてできたのか   こうしたタイの輸出力ができたの は 、ここ二〇年ほどのことである 。 タイは戦前からのコメ輸出国であっ たが、一九七〇年代までは、他の主 要輸出国︵時代によりビ ルマ、中国、アメリカな ど︶の後塵を拝すること が多かった。それが一九 八〇年代に入り、アメリ カを追い越し、その後は 他を寄せ付けることがな い。   こうした輸出力の伸び をもたらしたのは、まず 生産量の増大である。タ イは一九八〇年代半ばま で 農 地 面 積 自 体 が 拡 大 し、それにともなって水 田面積も増大した。さす がにその後は農地の絶対 的面積は横ばいないし減 少傾向だが、その頃から 乾季作が拡大し作付面積 は増え続けた。その拡大ペースは一 九九〇年代に入ってさらに上昇して いる。これは年間三回作付けする農 家が増えてきたためと推測される 。 タイ農家のコメ生産意欲は、衰える ところを知らない。   一方単収はというと、タイでは一 九五〇年代まではむしろ減少する傾 向すら見られた。その後水田が整備 されるにともなって、上向くように なり、一九七〇年代には緑の革命が 始まる。国際稲研究所との共同研究 によって高収量品種が開発され、一 般農家への普及が始まった。この高

なぜタイはコメ輸出規制を

しなかったのか

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(出所) Food and Agriculture Organization, . (http://faostat.fao.org)のCommodity Balances, Crops Primary Equivalentデータより筆者作成。

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収量品種は乾季作の普及と共に広が り、その効果が一九八〇年代にはっ きり現れる。   こうして生産量が増えていく一方 で 、国内のコメ消費量は頭打ちに なっていった。一九六〇年頃のコメ 生産量は五〇〇万トンほどで、その うちの七割が国内で消費されてい た 。生産量は増加傾向にあったが 、 消費も増えていったから、当時の研 究者は将来コメを輸出に回せなくな ると悲観的な予想をしていたぐらい である。ところが一九八〇年代に入 り、生産量と国内消費量のギャップ が広がり、それがそのまま輸出余力 となっていった ︵図 1︶。国内消費 量の停滞・減少は、一人当たりコメ 消費量が一九八〇年代前半から減少 に転じたことによる。加えて人口の 伸び率も低下して、一九八〇年代前 半は一九六〇年代の半分にまで下 がっていた。

民間輸出商による輸出市場の開拓   一九八〇年代というのは、世界的 に見るとコメの輸入量があまり増え なかった時期である。非常に悪いタ イミングで、タイは輸出余力を高め たのだった。ところが当時の最大の ライバル、アメリカがこの頃補助金 付きコメ輸出の財政負担に耐えられ なくなって減反を始めたため、その 市場にタイが割り込むことができ た 。 またアジア市場は縮小したが 、 逆にアフリカや中東市場は拡大して おり、後者の市場にタイ米が入って いったのである。   そうした市場開拓の裏には、コメ 輸出商の世代交代があった。かつて タイ米の輸出はバンコクに立地する 精米所や地方精米所から白米を買い 付ける大手卸売商が担っていた。彼 らはシンガポールや香港など、主に アジア市場に、華人のネットワーク を生かしながらコメを売っていた 。 これに対して 、アフリカや中東と いった新興市場が現れたとき、そこ にいち早く売り込みをかけたのは一 九七〇年代に台頭した新しい企業で あった。たとえばスンフアセン社は もともと地方の精米所に過ぎなかっ たが 、一九七〇年代に輸出を始め 、 一九八〇年代には最大手の輸出商と なった。この企業は一九八〇年代に はパリ、ロメ︵西アフリカ、トーゴ 共和国の首都︶ 、ドゥバイ ︵ アラブ 首長国連邦の首都︶に支店を置き 、 コメを積んだ大型船をアフリカ沖に 停泊させて、アフリカの買い手が資 金繰りのついたときにすぐコメを渡 したことすらあったという。

価格抑制的であった政府の介入   民間の華々しい活躍に比べると 、 政府の影は薄い。いやむしろ、一九 七〇年代半ばまで、政府はコメの輸 出に課税することで輸出を抑制して いたのである。タイ米の輸出にはラ イスプレミアムという従量税がかけ られた。政府はコメの国際市場価格 が高くなるとライスプレミアムの額 を高くして、 国内の価格を抑制した。   国内価格を抑制するという意味で は、このライスプレミアムという仕 組みはじつに良く機能した。しかし 農家からすれば、籾の価格が抑えら れということである。つまりこの税 金は︵全部ではないにせよ︶農家に 転嫁されたのだった。一九七〇年代 初めまで、ライスプレミアムの収入 は政府の一般歳入に組み込まれてい た。   逆にライスプレミアムから利益を 得たのは都市の消費者である。 当 時、 政府は国内白米価格を統制するため に、ライスプレミアム以外にも輸出 制限をかけたり輸出商に在庫を強制 したりしていた。政府にとって都市 住民に不満が高まることの方が恐ろ しかったのである。実際、一九七六 年に政府が農民向けの米価支持を 行ったときには、白米価格の上昇に 怒った労働者が抗議行動を行った 。 当時の政府は、すぐさまこの価格支 持政策を引っ込めた。

●農家保護政策への転換

  しかし一九八〇年代に入ると、コ メ政策は消費者保護のためではな く、農民の所得政策を目的として行 われるようになった。米価について 言うならば、高騰よりも下落時に政 策介入をするようになった。そのう ちもっとも多く使われたのは質入れ プログラムである。このプログラム では、農家が精米所等に籾を預ける と、その代価を政府系金融機関から 融資の形で受け取ることができる 。 もし価格が上向かなければ農民は預 けた籾を﹁質流し﹂することで、受 けた融資をそのまま籾の販売代金と することができる。融資時の価格を 政府が市価より高めに設定すること で、 農家への補助とするものである。 二〇〇〇年代に入ると、質入れプロ グラムによる籾の買い付け量の比率 は、総生産量の一〇数 % から二〇 % 刈取り直前の水田と播種直前の水田が隣り合う(2009年5月、スパン ブリー県にて筆者撮影)

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特集

にも上った。   こうした価格補助政策は、農家の 生産行動にかなりの影響を及ぼして いる。筆者が輸出米の生産地スパン ブリー県で聞き取ったところによる と、過去一〇年ほどで、農家はコメ の生産意欲を高め、二期作を三期作 に変える一方、肥料や農薬の投入量 も増やしている。栽培期間が短くな り、しかも刈り取り後すぐに次の作 付け準備に入るため、機械化も進ん だ︵写真 1︶。農作業のほとんどが、 委託に出される状況になった。今や 農家は、農民というよりも経営者で ある、とスパンブリーの農業普及員 は言う 。こうして二〇〇〇年代に 入って、タイ米の生産量はさらに増 大した。過去一〇年で、タイのコメ 生産量は一 ・ 四 倍にもなったのであ る。

●農業補助金の政治

  稲作経営が販売向けとして営ま れ、またインプットの額が大きくな ると、籾価格の下落は農家にとって 死活問題になる。米価が下がったと きには政府が質入れ政策で買い支え してくれるという安心感があって初 めて、インプットができるというも のだ︵写真 2︶   そうなると収穫の時期になって価 格が下落ないし低迷しようものなら ば、農家は黙っていない。タイでは 一九九〇年代以降、環境問題や政治 問題でしばしば住民や市民が街頭行 動を行い、政府や政治家にその意思 を伝えることに成功してきたから 、 農民だって同じことをするのは当た り前である。地方の国道などは数百 人の農民で、簡単に塞ぐことができ る。政府の担当者とマスコミがすぐ に飛んできて、農民の訴えを聞いて くれるであろう。なにせ農民は都市 中間層に比べ貧しいのであるから 、 そのやり方が少々乱暴でも、一方的 に押さえつけるわけにはいかない。   さらに二〇〇一年、タクシン・チ ナワットは農村住民が裨益する政策 マニフェストを掲げて選挙で大勝 し、強力な政権を作り上げた。その ときタイの政治家は、農村票が︵金 ではなく︶ ﹁ 政策﹂で集められるこ とを知ったのである。ならば質入れ プログラムも使わない手はない。二 〇〇〇年代に入ると、このプログラ ムは政治的なタイミングを見計らっ て実施されるようになった。市価よ りもかなり高く質入れ価格が設定さ れた時は、タクシンがポピュリズム 政策をしきりに実施して足場を固め ようとしていた二〇〇一∼〇二年 、 タクシンが都市部住民の厳しい批判 にさらされていた二〇〇六年、そし て親タクシンの政党が政権にあって 反タクシン派と激しい政治闘争をし ていた二〇〇八年である。とりわけ 最後の二〇〇八年は格別だった。コ メの国際価格が前代未聞の水準に跳 ね上がり、籾価もトン当たり一万二 〇〇〇バーツと六ヶ月前の二倍で あったその時に、政府は一万四〇〇 〇バーツというとんでもない質入れ 価格を決めたのだ。   この質入れプログラムを実施する と 、﹁質流れ﹂となったコメは政府 の在庫になる。毎年のように雨季も 乾季も質入れをするから、どんどん 在庫は貯まる。こうして貯まった在 庫が、あの食料危機の時に政府を慌 てさせなかった要因のひとつになっ たのだから、何が幸いするかわから ないものだ。   なおこの政府在庫は入札によって 輸出商に販売することになってい る。しかし輸出商は政府の足もとを 見ているから、落札価格は買い付け 価格どころか、市場価格以下になる こともしばしばである。たとえば二 〇〇八年に一万四〇〇〇バーツで買 い付けた籾は、白米にするとトン当 たり二万二〇〇〇バーツぐらいにな るが、最近行われた入札では、最高 でも一万六二〇〇バーツの提示額 だったそうだ。ちなみに市場価格は 一万七二〇〇バーツの時である。つ まり政府は、輸出商に市場価格以下 でコメを売り渡すことによって、輸 出商に対しても補助金を出している ことになる。こうして政府から買い 付けたコメを輸出して急成長を遂げ た新興輸出商もある。

●競争する輸出向けと国内向け

  このように現在のタイ政府は、籾 の価格形成に積極的に関与している のだが、それ以外の流通局面は市場 メカニズムに任せる、という基本姿 勢を堅持している。図 2はコメの流 通経路を描いたものである。外国市 場にコメを売る輸出商は、そこでの 値動きに応じて国内での白米調達の 量や価格を決める。それは中国語で ヨンと呼ばれるブローカーにより地 方の精米所に伝えられる。   その一方で、バンコクなどの国内 市場向けには、コメ小売商に白米を 売る卸売商がいる。この卸売商もヨ 「質入れで良い価格。農民には確かな所得。」との横断幕を掲げる精米所 (2009年5月、スパンブリー県にて筆者撮影)

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ンを使って地方精米所に買い付け条 件を提示する。ヨンを通じて輸出商 と卸売商から価格を提示された精米 所は、中間商人を使ったりしながら 籾を買い集める。最近は地方に籾の 集散市場ができてきたので、そうし たところも利用する。精米所にして みれば輸出商であろうと卸売商であ ろうと、良い条件を提示した方に売 るし、籾の売り手にもよりよい条件 を提示するであろう 。 このように 、 国際市場への売り手と国内市場への 売り手は、地方での買い付けにおい て 同 じ 土 俵 で 競 争 して いるので あ る 。   輸出向 け が 生 産量 の 半 分 を 占 め る までに な っ た 現 在 、 輸 出 商 の 提 示 す る価 格は地 方 市 場 で の 価 格 形 成 に強 い影 響 力 を も つ 。 卸 売 商 も そ の 価 格 と競 争 で き る だ け の条 件 を 提 示 し て 白米 を 集 め よ う と す る だ ろ う 。 こ う して 国 際 価 格 の 上 昇 は 、 バ ン コ クの 消 費者米価上 昇 に 跳 ね 返 っ て く る の だ が、 こ れ は 卸 売 商 が 輸 出 商 に 負 け な い価 格 を 提 示 す れ ば 、 ち ゃ んと コ メ が集 ま る と い う こ と で も あ る 。 実 際 、 二 〇 〇 八 年 の 国際価格暴騰時 、 バ ン コクの 白 米 価 格 は 二 倍 に な っ た が 、 店 頭か ら コ メが消え る こ と は な か っ た 。

●豊かになった都市消費者

  コメは消えなかったにしても、価 格が瞬く間に二倍になったのだか ら、都市部で混乱が起きても不思議 ではない。ところが冒頭に述べたよ うに、 消 費者はきわめて冷静で、 スー パー等での買いだめも起きた様子は なかった。   それは都 市 の 消 費 者 が 豊か にな っ たこ との 表 れ で あ る 。 一 九 七 〇 年 代 から 加 速 された 工 業 化 に よ っ て 都 市 部 門 経 済 が発 展し 、 都 市 の 消 費 者 の 所得 は 実 質的 に も 、 ま た 農村住 民 と 比べ ても 増 加 し て い っ た 。 す で に見 たよ うに 、 コ メ の 一 人 当 た り 消 費 量 が減 少し始め た 。 ま た バ ン コ ク 市 民 の食 費 に 占め る穀 物 支 出 の 割 合は 、 一 九 七 五 年 で 一 七 % 以 上 あ っ た が 、 二 〇 〇 四 年 になると五 % にも 満 た な く なった 。 そ の 八 割 ほ ど が コ メへの 支 出で ある 。 コ メ の 値 上 がり が 、 バ ン コク 市 民 の 生 活 を 直 ち に 脅 か す よ う な状 況 で は な くな っ て い た の で あ る 。

●タイの課題

  なぜタイがコメ国際価格暴騰時に 輸出規制をせず、むしろ米価支持政 策すら実施したのか。その答えを簡 潔に述べるならば、 次のようになる。   タイ は生 産 量 の半 分 を 輸 出 に 回 せ るだ け の 輸 出 余 力 が あ っ た 。 二 〇〇 八年 の 価 格高騰時 に は 乾季作が ま も なく 出回る と こ ろ であり 、 し か も 相 当な政 府 在 庫 が あ っ た 。 こ う し た輸 出余力 は 一 九 八 〇 年代 以降 、 と り わ け二〇 〇 〇 年 代 に 入 っ て か ら の 価 格 支持政策 に よ っ て も た ら さ れ た 部分 が大 き い 。 農 家は生産 を刺 激さ れ て 年に 三 回 も 稲 を 植 え 、 政 府 は価 格 支 持で 引 き 受 け た コ メ を 在 庫 した 。市 場 メ カ ニ ズ ム に 依 拠 し た 流通制度 ゆ えに 、 輸 出 価 格 が 上 が る と 白 米 の 国 内価格 も 上 が る が 、 逆 に コ メ が 店頭 から 消 え る こ ともなか っ た 。 そ し て 都市消費者 は 、 コ メ 価 格が 二 倍 に な っ て も 落 ち 着 いてい ら れ る ほ ど 豊 か に なっ て い た 。 政 府 に と っ て は 、 農 民 に不 満 が たま る 方 が 怖 い 。 そ こ で 米 価が 最高値 か ら ち ょ っ と 下 が っ て 農 民デ モ が 起 き 始 め た と た ん に 、 質 入 れプ ロ グ ラ ム を 実 施 し た の で あ る 。   食料危機 の 時 に 輸 出規制 を し た イ ンド や ベ ト ナ ムは 、 国 際 社 会の 批 判 を 浴 び た 。 逆に タイ の自 由 貿 易 主 義 は 賞賛 さ れ た が 、 よ く 見 る と 政府 の 補 助 金政 策 が そ の 背 後 に あ る 。 政 府 の 補 助が あ っ た か ら 農 家 は 生 産 を 刺 激 さ れ、 世 界 の コ メ 需 要 増 加 に 対 応 で き る だけ の輸 出 力 を 作 る こ と が できた 。   しかしこうした補助政策は、農家 の生産性向上につながっていない 。 籾のトン当たり生産費は一九九〇年 代半ばから現在まで、実質値でみて ほとんど変わっていないのである 。 タイ米の生産費は、ベトナムやイン ドよりも高く、輸出商などはその国 際競争力に不安感を抱いている。こ れまでは世界のコメ需要が拡大して きたからよかったが、 今後、 拡大ペー スが緩んだり、アジアの大手輸入国 ︵フィリピンやインドネシア︶が自 給率を上げたり、さらにミャンマー やカンボジアなどの新規参入が増え ると、タイ米の生産性向上が現実的 な課題となるであろう。 ︵しげとみ   しんいち/アジア経済研 究所東南アジア Ⅰ 研究グループ︶ ࢥ࣓ࡢὶࢀ ౯᱁᝟ሗࡢὶࢀ ᅜෆᕷሙ㻌 䝤䝻䞊䜹䞊 䠄䝶䞁䠅㻔㻞㻕 እᅜᕷሙ㻌 䝤䝻䞊䜹䞊 䠄䝶䞁䠅㻔㻞㻕 ᆅ᪉⢭⡿ᡤ㻌 ༺኎ၟ㻌 ㍺ฟၟ㻌 ᑠ኎ၟ㻌 ୰㛫ၟே䜔ᆅ᪉⢄ᕷሙ㻔㻝㻕 㻌 ㎰ᐙ㻌 図2 タイ国内のコメ流通経路 (出所)筆者作成 (注)(1)籾の売り手と買い手が相対で取引する場を提供する。 (2) 輸出商や卸売商と精米所の取引を仲介する。もっぱら輸出 向けを扱うものと国内向けを扱うものに分かれる。ヨンを 通さず輸出商・卸売商と精米所が取引する場合もある。

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