目 次
目
次
第 1章リ
ン
ク
を離
れ
て
わ
か
っ
た
こ
と
1 現 役 を 引 退 し て か ら は 学 び と 反 省 の 日 々 / 氷 の 上 に は そ の 人 の 人 生 が 映 し 出 さ れ る / 仕 事 と し て の フ ィ ギ ュ ア ス ケ ー ト / チ ャ ン ス は い ろ い ろ な と こ ろ に 転 が っ て い る / 努 力 は 必 ず し も 報 わ れ る わ け で は な い が …… / 一 歩 踏 み 出 す 勇 気 を持って仕事をする 第 2章私
を支
え
て
く
れ
た
言葉
21 「で き な か っ た ら、人 よ り 倍 練 習 し て み た ら?」 /「必 ず で き る。俺 が 教 え て い る ん だ ぞ」 /「ち ょ っ と だ け あ る 伸 び し ろ を 信 じ て や れ る か」 / 先 生 に 名 前 を 覚 え て も ら う た め に「う ま く な ろ う」 / 怖 が り で 慎 重 な 私 を 理 解 し て く れ た 先 生 / ソ目 次 チ オ リ ン ピ ッ ク の 1年 前 に 引 退 を 決 意 /「た っ た 6分 間 で、 こ れ ま で の 練 習 を ム ダ に す る の か」 / 4年 後 の こ と を 考 え ず、 1年 1年 が ん ば ろ う / た っ た ひ と つ の ミ ス で 現 役 を 続 け る こ と に / 期 限 を 決 め た ら 人 間 は が ん ば れ る!/ 最 後 ま で 続 い た 長 久 保 先 生 と の 葛 藤 /「あ な た は フ ィ ギ ュ ア ス ケ ー ト で 何 を 伝 え た い の?」 / 長 久 保 先 生 が 厳 し い 言 葉 を か け 続 け た 理由 第 3章
は
じ
め
の
一歩
57 「デ ー ト の と き、滑 れ た ほ う が い い」 /「普 通」じ ゃ な か っ た 小 学 生 時 代 / 恩 師 と の 初 対 面 /「あ れ? 跳 べ る よ う に な っ て る ……」 / 世 界 を 見 据 え 仙 台 へ の「拠 点 変 更」を 決 断 / 大 学 入 学 か ら わ ず か 1カ 月 で 体 重 8キ ロ 減 / 精 神 科 医 の 言 葉 に 目 の 前 が 真 っ 暗 に /「生 き て い く た め に 薬 を 飲 む」生 活 / 復 帰 を 直 訴 / ク シ で 髪 を と い た ら 大 量 に 毛 が 抜 け 落 ち た / ガ リ ガ リ の 体 で イ ン カ レ に 出 場 / 骨 と 皮 だ け の 体 に 筋 肉 を つ け て い っ た / 競 技 継 続 が 困 難 と 考 え て い た 頃、就 職 先 が 見つかる目 次 第 4章
ラ
ス
ト
ダ
ン
ス
89 2時 間 の「リ ン ク 独 占 」/ オ リ ン ピ ッ ク の 1年 前、バ ン ク ー バ ー で 惨 敗 / フ ィ ギ ュ ア の フ リ ー プ ロ グ ラ ム の 作 り 方 / わ ず か 15秒 の 振 付 の た め に 2日 間 を 費 や す / フ ィ ギ ュ ア 選 手 の 等 級 と ス ケ ー ト 靴 の 秘 密 /“フ ィ ギ ュ ア の 怖 さ〟を 思 い 知 ら さ れ た 重 大 ミ ス /「ア イ ス シ ョ ー」の 難 し さ / 奇 跡 だ っ た 全 日 本 選 手 権 の 優 勝 / ソ チ オ リ ン ピ ッ ク 団 体 戦 前 に 感 じ た “温 度 差 〟/ 羽 生 選 手 の ア ド バ イ ス / 気 持 ち を 切 り 替 え て ア ル メ ニ ア へ / 恩 師 の 怒 声 に キ レ か け た / シ ョ ー ト プ ロ グ ラ ム 本 番 直 前 に 母 に 電 話 / 浅 田 選 手 が 泣 き な が ら 語 っ た 言 葉 /村上選手のひと言/髙橋大輔選手にメールで引退の相談 第 5章今
を
が
ん
ば
る
こ
と
で
未来
が
生
ま
れ
る
129 道 し る べ が な い な ら 自 分 で つ く れ ば い い / プ ロ フ ィ ギ ュ ア ス ケ ー タ ー と し て の 悩 み / 仕 事 に は 順 位 も 採 点 も な い か ら 難 し い /「こ の 選 手 の 何 が い い の か」を 考 え る / そ の 人 が い つ 成 長 す る か は 誰 に も わ か ら な い /「が ん ば っ た 先 に 何 が あ る か」を イ メ ー ジ さ せ る / 教 え る と き に も「そ の 人 の 人 生目 次 が 出 る」 / 足 首 と 膝 と 股 関 節 が う ま く 使 え る か / フ ィ ギ ュ ア は コ ツ コ ツ 努 力 す る 子 が 勝 つ ス ポ ー ツ / 大 切 な の は、諦 め な い で が ん ば る こ と。ず っ と 続 け る こ と / が ん ば っ て き た 選手には最後に後悔してほしくない あとがき 163 写真提供 カバー・章扉 田中宣明/ Shutterz Inc. 99、 119頁 朝日新聞社 33頁 森田正美 ※それ以外は著者からの提供
現役を引退してからは学びと反省の日々
現役
を引退
し
て
か
ら
は学
び
と反省
の
日
々
フィギュアスケート日本代表の鈴木明子は、 2 0 1 4年 3月にさいたまスーパーアリーナで 行われた世界選手権を最後に引退しました。多くの方に祝福と拍手で送られたあの日、私のス ケート人生は幕を閉じました。 2 0 1 4年 3月 28日。 29歳の誕生日から新しい人生がスタートしたのです。 とはいっても、まったくリンクから離れてしまったわけではありません。幸運なことに、プ ロフィギュアスケーターとしてアイスショーで滑る機会をいただいています。 時間がある限り氷の上で練習しますし、可能な限りはアイスショーに出演させていただくつ もりでいます。 引退してから大きく変わったのは、講演やテレビ、ラジオ出演などで多くの方の前でお話し するようになったこと。新聞や雑誌の取材を受ける機会も増えました。 選 手 時 代 は、表 現 す る の は 氷 の 上 だ け。 「普 段 の 生 活 の 結 果 が す べ て 氷 の 上 で 出 る」と 考 え ていました。ストイックといえばストイックだったかもしれません。自宅やホテルと練習場の第 1 章 リンクを離れてわかったこと 往復だけ、会話を交わすのはコーチやスタッフといったスケート関係者ばかりでした。 極端にいえば、選手時代には、言葉はいりませんでした。まわりは私のことをよく知ってく れている「仲間」ばかり。フィギュアスケートでは体を使って表現する以外に方法はありませ ん。 言葉を使って自分の思いを伝えること、相手の気持ちを受け止めること ―― 2 0 1 4年 4月 からは学びの連続でした。 テレビやラジオでお話ししたことについて感想を言ってくれる方も大勢いました。新聞や雑 誌の記事を読んで声をかけてくれる方も増えました。この 1年あまりは、体よりも言葉を通じ て多くのものを吸収できた貴重な時間でした。 まだまだ未熟なので、講演の途中で自分が何を言っているのかわからなくなったり、テレビ で見当はずれの返答をしてみたり……現役時代と同じように、失敗することも多かった。特に、 テ レ ビ の 生 放 送 の 後 に は、 「言 葉 の 使 い 方 を 間 違 っ た か な」 「違 う 言 い 方 を す れ ば よ か っ た の に」と名古屋までの帰りの新幹線で落ち込むこともあります。毎日毎日、反省の日々です。 それでも私の言葉を聞いてくださる方がいるのは、これまでフィギュアスケートでいろいろ なことを経験したからです。氷の上で思ったこと、考えたこと、うれしかったことや悔しかっ たことがすごく役に立っていると感じます。改めて、鈴木明子が多くの方に支えられ、育てら
現役を引退してからは学びと反省の日々 れてきたことに感謝しています。 ソ チ オ リ ン ピ ッ ク の 1年 前、 「今 季 限 り で の 引 退」を 宣 言 し ま し た。ソ チ オ リ ン ピ ッ ク に 出 場できるか・できないかにかかわらず。引退した次の日からお仕事ができるように、オリンピ ックの前の時点でまわりの人たちがいろいろと動いてくれていたので、引退後は少しも休むこ となく全国各地を飛び回りました。 埼玉での世界選手権が終わってから 1カ月半、家に帰ることができませんでした。大きなト ランクをガラガラ引きながら、 5月中旬まで全国を渡り歩いていたので、引退した寂しさを感 じる暇がありませんでした。季節が変わっても衣替えできず、服が足りなくなって困ったほど。 立ち止まることなく忙しい日々を過ごしていました。 半 年 後、新 し い シ ー ズ ン が 始 ま っ た と き に、ほ か の 選 手 た ち が 試 合 に 出 て い る の を 見 て、 「も う 一 回 試 合 に 出 た い な ぁ」と 思 う の か な と 考 え て い た の で す が、少 し も そ ん な 感 情 は 湧 い てきませんでした。それは、選手時代にすべてをやりきったからでしょう。 23年の競技生活は 長 か っ た し、人 よ り 長 く 続 け た 分、経 験 も た く さ ん し た の で、 「お 腹 い っ ぱ い」の 状 態 で す。 競技生活について、まったく未練はありません。
第 1 章 リンクを離れてわかったこと
氷
の
上
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人
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人生
が
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さ
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現役時代には、ファンの方と接する時間も限られていましたし、質疑応答の機会はほとんど ありませんでしたが、最近は直接顔を見ていろいろなことを質問されることが増えました。 例 え ば、 「あ れ だ け 回 転 し て い る の に 目 は 回 ら な い の で す か?」と か「オ リ ン ピ ッ ク や 世 界 選手権といった大きな大会で緊張しないのですか?」など。 はじめの質問についてですが、詳しい方に聞くと、どんな人でも目は回っているそうです。 ただし、私の場合、回転した後に焦点を合わせるのが早いのでしょう。みんな、訓練によって そうなるのです。回転するたびに目を回していたら、競技の時間はすぐに過ぎてしまいますか ら。 ふたつ目の「緊張しないのですか?」という質問について。 私は競技生活を 23年間続けましたが、そのなかで緊張しなかったことは一度もありません。 常に緊張との闘いでした。 テレビや会場でフィギュアスケートをご覧になったことのある方はおわかりでしょうが、あ の広い氷の中にひとりで立たされ、扉をバタンと閉められた瞬間に逃げ場はなくなります。も氷の上にはその人の人生が映し出される う逃げ出すことはできないのです。実際に逃げ出したことはありませんが、いつも逃げ出した い気持ちでいっぱいでした。でも、逃げる勇気はありません。リンクに立ったらやるしかない。 いつも、そう覚悟を決めました。 私が初めてオリンピックに出場したバンクーバー大会のフリー演技では、競技を始めるポー ズを取った瞬間に、手が震えていることに気がつきました。 どんな小さな大会でも、オリンピックへの出場権や大きなタイトルがかかった試合でも同じ です。覚悟を決めないと、あの氷の上に立つことはできません。 自分で、緊張していることを受け入れるしかありません。 怖 く て も、逃 げ 出 し た く て も、 「も う や る し か な い」と 覚 悟 を 決 め る こ と が で き た の は、 日 々 の 練 習 が あ っ た か ら で す。練 習 で 培 っ た こ と が 自 分 の 自 信 と な っ て、あ の 広 い 氷 の 上 で 「腹をくくる」ことができたのだと思います。 もし、きちんとした練習をしていなかったとしたら、私は本当にあの場から逃げ出していた かもしれません。 コ ー チ に い く ら 励 ま さ れ て も、ス タ ッ フ に 元 気 づ け ら れ て も、 「し っ か り 練 習 で き た か ど う か」は 自 分 が 一 番 よ く わ か っ て い ま す。自 分 の 中 に「あ れ が で き な か っ た な あ」 「も う 少 し 真 剣にやっておけば……」という思いや不安があれば、それは氷の上で出てくるのです。
第 1 章 リンクを離れてわかったこと 氷の上にはその人の人生が映し出される。 私は心の底からそう信じて、演技を続けてきました。氷の上の綻びは、テクニックや技で繕 うことはできないのです。少なくとも私には、できませんでした。 自信がないのに強がってみても、不安なのに堂々とふるまおうとしても、自分の弱さを感じ ているときには「弱い演技」しかできません。それがそのまま、観客に伝わってしまいます。 だから私は、練習に一生懸命に取り組んで、 「自分はこれだけやった」という自信を持って、 自分を信じることでオリンピックや世界選手権という大きな舞台を乗り越えることができたの です。 しかし、私は順風満帆なスケート人生を歩んできたわけではありません。 全日本選手権優勝、オリンピック 2大会連続入賞、世界選手権で銅メダルを獲得 ―― 実績だ けピックアップすると「すごい」と思われるかもしれません。ところが、平坦な道ばかりでは ありませんでした。むしろ、山あり谷あり、道を踏み外したり、崖から滑り落ちたり……いろ いろな壁にぶつかり跳ね返され、つまずき、うずくまり、やっと立ち上がってきた 23年間でし た。 まだ 10代の頃は、同じ愛知県に浅田真央選手、安藤美姫さん、中野友加里さんといった実力 者がたくさんいました。同世代で、力と華を兼ね備えた若い選手が頭角を現していました。フ
仕事としてのフィギュアスケート ィギュアスケートが新しい時代を迎えつつある、そんな時代でした。 私たちが幼い頃は、今のようにゴールデンタイムにフィギュアスケートがテレビ放映される ことはあまりありませんでした。全日本選手権でさえ、なかなか見る機会がありませんでした。 オリンピックのときには話題になりましたが、試合会場はガラガラで、本当に好きなファンし かいませんでした。 しかし、今ではグランプリファイナルがゴールデンタイムに放映されるようになり、さいた まスーパーアリーナで行われた世界選手権には 1万 8 0 0 0人ものお客さまが入りました。私 がジュニアの頃には想像できませんでした。 だから当時の私は、プロフィギュアスケーターになることなど、まったく考えていませんで した。
仕事
と
し
て
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ギ
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「どうして名古屋からすばらしいフィギュアスケート選手が生まれるのですか?」 よくこの質問をされます。第 1 章 リンクを離れてわかったこと これまで、伊藤みどりさん、浅田選手、安藤さん、中野さんなど名古屋出身の選手がオリン ピックや世界選手権で数多く活躍しました。私は豊橋市の出身ですが、名古屋のスケートリン クで育ちました。 土地柄ということもあるのでしょうか。わが子に熱心に習い事をさせる親御さんがたくさん いて、習い事のひとつとしてスケートを始める女の子が多いようです。もちろん、伊藤みどり さんの活躍や、先生方の熱心な指導の成果も大きかったと思います。 私もフィギュアスケートだけでなく、習字もピアノも習っていました。結果的に 23年間もど っぷりとこの世界にハマったのですが、 29歳までスケーターを続けることも、プロフィギュア スケーターとして仕事をすることになることも想像できませんでした。 両親も、フィギュアスケートが職業になると思ったことはなかったはずです。それでも長く 続けることができたのは、親が寛大だったからだと思います。 今でこそ、さまざまなところでアイスショーに出させていただき、リンクの外でもいろいろ なお仕事をいただいていますが、私が幼い頃にはそんなことは考えられませんでした。 当時、フィギュアスケートはあくまで習い事でしたから、男子選手は多くありませんでした。 私が所属していたクラブには女子 30人に対して男子はひとりくらい。でも今は、髙橋大輔さん や羽生結弦選手などの活躍によって、男の子が増えています。以前は「フィギュアスケートは
仕事としてのフィギュアスケート 女 子 が や る も の」と い う イ メ ー ジ が 強 か っ た の で す が、 「う ち の 息 子 を 羽 生 く ん み た い に し た い」というお母さんがたくさんいるそうです。本当に喜ばしいことです。 後の章で詳しく触れますが、私がフィギュアスケートを始めたのは 6歳のときでした。いく つかやっていた習い事をやめフィギュアスケートにシフトしていったので、一度も「親からや らされている」という感覚を持ったことがありません。あくまで、自分の意志でフィギュアス ケートを選んだのです。むしろ、ずっと「やらせてもらっている」と感謝の気持ちを持ち続け ていました。 ご存じの通り、習い事にしてはフィギュアスケートにはお金がかかります。だから親からは、 「好 き だ っ た ら や っ て い い け ど、や め た い ん だ っ た ら 早 く 言 っ て」と 言 わ れ て い ま し た。子 ど も な が ら に 親 に 金 銭 的 な 負 担 を か け て い る こ と を わ か っ て い ま し た が、 「絶 対 に や め な い」と 思っていました。 もしフィギュアスケートを「やらされて」いたらどうなったでしょうか。親のためにリンク に立っていたら、こんなにも長く競技を続けることはできなかったでしょう。 「フィギュアスケートが好き」 「フィギュアスケートを続けたい」 そんな思いがなければ、 18歳で壁にぶち当たったときに、フィギュアスケートを諦めていた