DOI: http://doi.org/10.14947/psychono.37.19 117 西田: 新学術領域研究「多元質感知」
新学術領域研究「多元質感知」
西 田 眞 也
日本電信電話株式会社NTTコミュニケーション科学基礎研究所Innovative SHITSUKAN Science and Technology
Shin’
ya Nishida
NTT Communication Science Laboratories, Nippon Telegraph and Telephone Corporation
私が領域代表を務めている多元質感知について紹介す る。2015–2019年度新学術領域「多様な質感認識の科学 的解明と革新的質感技術の創出」というのが正式名称で ある。2010–2014年度新学術領域「質感脳情報学(質感 認知の脳神経メカニズムと高度質感情報処理技術の融合 研研究,領域代表: 小松英彦)」の後継プロジェクトと して始まった。多元質感知のミッションは,人間の質感 認識の仕組みを科学的に解明し,その成果を革新的な技 術開発に活かすことである。プロジェクトの詳細はホー ムページや別稿に譲り,ここでは現場の雰囲気をお伝え したい。 領域のメインイベントは班会議である。年に2回,各 回3日間の日程で行われる。12の計画班,25の公募班す べてが口頭発表とポスター発表を行うので,初日の昼か ら3日目の昼まで,休憩時間もろくにとれないほどの過 密スケジュールである。にもかかわらず,運営側の印象 ではあるが,参加メンバーには十分満足していただけて いると思う。何より私自身が,楽しませてもらってい る。 新学術領域の複合領域ということで,御多分に漏れず 我々の領域も,神経科学,心理物理,情報工学を融合す る学際研究を目指している。工学分野の中にも,コン ピュータビジョン(CV),コンピュータグラフィックス (CG),デジタルファブリケーション,仮想現実(VR)・ 拡張現実(AR),感性工学,など,日頃あまり相互交流 が無い研究者が集まっている。神経科学も,fMRIや電 気生理学だけでなく,サルの DREADDや遺伝子改変マ ウスの研究がある。感覚モダリティに関しても,視覚の みならず,触覚や聴覚,嗅覚や味覚の質感を研究してい る。そういった多種多様な研究の最新の成果を,国内 トップレベルの研究者から聞かせてもらえるのだから, 班会議が楽しくないわけがない。細分化が進んだ学会で はなかなか実現できない貴重な空間である。 学際研究プロジェクトでは当然分野の違う研究者が集 まる。テーマが関連していても,話している言語や話の 前提が違っていて,相互理解が難しくなるときがある。 実際,質感脳情報学が立ちあがった当初は,メンバー間 にコミュニケーションギャップがあったように思う。テー マとなる「質感」概念の定義が曖昧なことも,状況を難 しくした。しかし,8年以上経過した現在では,我々の 領域が対象とする質感についてのコンセンサスが得られ るようになった。また,メンバーの他分野に対するリテ ラシーが上がって,議論がかみ合うようになっている。 学際研究プロジェクトが単なる野合から真の融合の場 となるためには,メンバー個人が学際化する必要があ る,というのが私の信念である。とくに,これといった 独自の武器を持たない心理学者は,他分野の最新の知見 を貪欲に吸収していかないと,生ぬるい現状を打破でき ないし,未来はない。私のラボでも,この領域での交流 をきっかけに,心理研究に CGやCVをあたりまえのよ うに使うようになったし,視覚心理のノウハウを活かし たメディア技術開発などにも積極的にかかわるように なった。 多元質感知のコアミッションである質感認識の科学的 理解において,近年の情報科学の進歩が大きな影響を与 えている。大規模データベースを使った深層学習が機械 による物体認識のパフォーマンスを劇的に向上させ,人 間に匹敵するまでになった,さらに,そのような人工 ニューラルネットが,人間の脳の物体認識ネットワーク とも類似していることが指摘されている。多元質感知の
The Japanese Journal of Psychonomic Science
2018, Vol. 37, No. 1, 117–118
報 告
Copyright 2018. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. Corresponding address: NTT Communication Science
Lab-oratories, Nippon Telegraph and Telephone Corporation, 3–1 Morinosato Wakamiya, Atsugi 243–0198, Japan. E-mail: shinyanishida@mac.com
118 基礎心理学研究 第37巻 第1号 神谷班は,学習済の人工ニューラルネットを利用して, 脳の活動から視覚体験を効率的にデコードすることに成 功し,岡谷班は,物体認識ネットワークをファインチュー ンすることで,質感認識の能力を人間に匹敵するレベル にまで引き上げた。そういう研究に刺激を受け,領域内 のほかの神経科学や心理学のチームも,物体や質感を認 識する人工ニューラルネットから,人間の認識の在り方 を理解しようという試みに熱中するようになった。脳を 理解して人間に匹敵する機械を造るという今までの考え 方に加えて,人間に匹敵する機械を分析して人間を理解 するという新しい脳・人間科学の新しいパラダイムが生 まれつつある。 多元質感知も来年最終年を迎えるが,ここで育まれた 学際研究のうねりが,様々な形で発展して行ってくれる ことを願っている。