東北復興に向けての編集後記
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(2) 信力」「突破力」を身につけた人材を輩出するという教育プロ. これからどうやってこの大自然の中で立場をわきまえながら、. グラムであると同時に、具体的に支援することも考えられてい. 地形と呼応しながら生きてゆくのかを問うているようです」と. るようです。昨今、世間で話題になっている「いわきノート」. 述べられています。自然の声を聞き、その中で人はどうあるべ. もこのプログラムから生まれたことを私ははじめて知りまし. きかを考えるべきであると。そして新たに作られる堤防によっ. た。ここではデザインがモノづくりからコミュニケーションづ. て海が見えなくなることへの不安感がとても感じられます。. くりへとその裾野を広げていく視点が指摘されているように思 います。. 地元の南三陸町観光協会の及川さんは、お父様を津波の際に 南三陸町防災対策庁舎で亡くされた方です。この方のお話しは. 山形県庄内町の奥山副町長のお話及び資料は、奥山副町長の. 平松氏にインタビューして頂きました。ここで及川さんから述. お話しを水野氏が記録され、それを平松氏に編集して頂いたも. べられていることは、南三陸町もようやく少し冷静に考えられ. のですが、震災後1ヶ月の庄内町の南三陸町への支援対応の様. るようになってきていること、マスコミでよく報ぜられるよう. 子が時系列をもって、現実的な緊張感をもって解ります。この. に遺族が全て遺構の保存に反対ではないこと、防災対策庁舎に. ようなことが出来たのも事前に「友好町盟約書」を交わし、ま. ついては20年という期間に縛られなくてもいいのではないか. た「庄内町と南三陸町との災害時における相互応援に関する協. などのご意見を頂きました。また今後の南三陸町のあり方につ. 定書」を締結していたことが大きいわけですが、いずれかの町. いては、将来的に自身の街でも起こるかもしれないことを知っ. に大規模な災害があった場合には災害を受けてない町が協力、. てもらい、その意識を持ち帰ってもらえる町にしたいこと、ま. 応援を行うという、非常に稀な約束が行われていたことに驚か. た南三陸町の魅力を前面に打ち出して、積極的に模索していく. されます。それがどれだけ機能したかがこの報告で解ります。. べきであるとの力強いコメントも頂きました。. またこの文中にある「支援物資は南三陸町に渡し町が配るので はなく、庄内町から南三陸町の人に配るという形が良かったと. この数年間は、我々環境デザイン部会のメンバーも何が出来. 思う」と述べられているように、支援物資の配送の現実への疑. るのかといろいろ考えた日々だったように思います。そして今. 問も指摘されています。また避難所のコミュニティの場のあり. 後も考えていくことになると思います。この特集号に関しては. 方についてのコメントも今後参考にしなければならないことで. もっと多くの提案や考察などがあったのですが、編集の都合. す。. 上、その一部がここに記録される形となりました。多くのご意. 部会員ではない亀井氏の「サポサポ プロジェクト」は「支 援する人を支援する」という独自の活動の記録です。このプロ. 最後になりましたが、南三陸町の視察会などを通じて、我々. ジェクトは東京藝術大学の卒業生たちが自然に始めたもので、. 環境デザイン部会と被災地の南三陸町を結び付けて頂き、また. 自分たちの得意分野、出来ることで間接的に東北を支援しよう. 地元の方々からの声を届けていただくなど、部会活動に多大な. ということです(自分たちの作品を売って、支援する人を支援. ご支援をいただいた、部会員でもある宮城大学の伊藤真市先生. するお金にする)。その後「イクサポ」というプロジェクトも. の御尽力がとても大きかったことを感じています。そのおかげ. 始め、アートやデザインでも現地で出来ることがあると感じ始. で我々は南三陸町とその周辺の状況をより多く知ることが出来. めたそうです。東北に行くことによって「多くの方と出会い、. ました。ここに宮城大学、並びに同大学の伊藤先生に心より感. 多くの経験をすることが出来た。何より、東北が身近に感じら. 謝を申し上げる次第です。. れるようになった」と書かれています。実際の売り上げ(=支 援金)もイベントの回を重ねる毎に高まり、相当な額になった ことが解ります。ここではこのような形の支援もあることを教 えてくれます。 「地形と呼応したまちづくりをかなえるために」は、南三陸 町への2度目の部会での調査の折にお話をお聞きした工藤さん が ED-Place(環境デザイン部会の会報)へ寄稿して下さった ものを、ここに再度掲載させて頂きました。この文章には、地 元の人が感じていることが込められています。 「海に戻りたがっ ている場所は海に戻ればいいのではないか」 、これは海の恩恵 の元に海のそばで生きていこうとする地元の人ならではの言葉 です。工藤さんは「大津波であらわになった地形は、私たちに、. 68. 見を頂いた部会員の方々に御礼申し上げます。. デザイン学研究特集号 Special Issue of Japanese Society for the Science of Design Vol.23-1 No.89 2015.
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