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東北復興に向けての編集後記

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Academic year: 2021

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(1)東北復興に向けての編集後記. Editor’s Postscript for the Touhoku Revival 清水泰博. 特集号編集委員長. KIYOMIZU Yasuhiro Special Issue Editor. この特集号は最初の部分で述べたように「南三陸町防災対策. 宮城大学の三橋氏の寄稿は被災遺構に関しての新たな観光. 庁舎」の保存活動から始まっています。東北の震災遺構は気仙. 資源の創造についてのものであり、被災施設を今後の防災教. 沼の市街地に打ち上げられた共徳丸、女川の横倒しになった建. 育、観光資源として活用することを述べられています。ダーク. 築、雄勝の屋上にバスが載ってしまった公民館、遺構ではあり. ツーリズム・ジャパンという雑誌が創刊されたりする現代に. ませんが陸前高田の奇跡の一本松など様々なものがあります。. とって、このような視点も重要だと思われます。また「石碑プ. それらを見た上で、やはりこれは絶対残すべきなのかと思った. ロジェクト」は鎮魂と慰霊、そして後世へ伝える意味を持った. のが南三陸町防災対策庁舎でした。それは他の遺構とは違っ. ものですが、石碑設置の過程での問題点などが指摘されていま. た、本当に伝えるべきことがこの遺構に凝縮されてあったよう. す。震災復興のカジノ構想についてはかなり大胆な構想ではあ. に思ったからです。. りますが、マイナスの災害を逆にプラスにしようという発想の. この特集号は、そのようなことから始まった ED 部会(環境. ようです。. デザイン部会)の、この4年程の活動の記録です。ここに掲載. 仙台高等専門学校の小地沢氏からの寄稿「地域力を足掛かり. していますのはその一部であって、ED 部会の部会誌 ED-Place. にしたつながりの復興」では3つの事例が述べられています。. などには多くの原稿が載せられました。今回の特集号はその中. 一つは相馬市の盆踊り復活に向けた活動の記録で、物質的なも. から編集委員会で選ばせて頂き、そこに新たに加筆して頂いた. のではない、このような人同士の関わりによる復興の重要さが. もの、また新たに執筆して頂いたものなどで構成されています。. 指摘されています。二つ目は名取市での震災慰霊碑除幕式での 空間演出についてのもので、新たに生まれてしまった人口ゼロ. 第1章は『残すべきものとは』というテーマの元に行われた. の街でのことが記されています。そしてもう一つの「事前防. オーガナイズド・セッションの記録を中心に、そのセッション. 災」については、普段のまちづくりで地域内での繋がりを生み. に至った経緯を述べた上で、環境デザイン部会の有志によって. 出しておくことの重要性について書かれています。どれもハー. 2012年12月に南三陸町に提出された「南三陸町の防災対策庁. ドではなく、ソフトな防災や復興の重要性を述べた視点です。. 舎の保存に関する提言書」の全文も掲載しています。. 私自身による原稿は、ほぼ3年間のいわきでの防災緑地づく. 水野氏による「大津波の記憶を伝える遺構」は震災直後から. りのことについてです。ここでは2014年度までの経緯をまと. 被災地調査を行われていた水野氏の調査内容で、特に南三陸町. めたもので、より実際的な動きになっている今年度からのこと. のことに言及して頂いたものになっています。. は書かれておりません。この防災緑地計画で感ずるのは、行政. 平松氏による「震災遺構の経緯と状況」は遺構として残っ. は復興事業であることから安全を確保することを第一義とし、. たものがその後にどのようになっていったかを探ったものであ. 日常の使われ方はあまり想定していないこと。住民は安全は大. り、震災から今までの遺構の経緯をより解り易くしたものです。. 事だけれど、行政が進める、海が見えなくなることへの不安が. 2013年、筑波大学で行われた日本デザイン学会春季大会で. あり、もっと良い整備が出来るのではないかと思っているこ. のオーガナイズド・セッションの記録である「震災後の環境デ. と。そしてその間に入っている我々は同じ莫大な費用をかける. ザイン∼残すべきものとは」は、南三陸町防災対策庁舎を残す. のであれば、少しのデザイン的な工夫で魅力的な場所に出来る. 為に何をすべきなのかを考えるために、災害遺構のあり方を議. のではといった思いです。そしてそろそろ着地点が定まる時期. 論したセッションの記録です。. に入ってきているのが2015年8月の現状です。 筑波大学の山本氏からの寄稿「多領域と芸術による創造的復. 第2章の『復興に向けて』ではその後の部会員や間接的に復. 興」は、総合大学である筑波大学が震災を契機にスタートさせ. 興に関わる人々の活動、また地元の人々の思いについて記して. た教育プログラムの紹介です。ここに書かれているように、多. 頂いています。. 領域の学生と教員が協働して、被災地において問題発見から解 決までの一連の活動を行い、それによって「繋ぐ力」「情報発 デザイン学研究特集号 Special Issue of Japanese Society for the Science of Design Vol.23-1 No.89 2015. 67.

(2) 信力」「突破力」を身につけた人材を輩出するという教育プロ. これからどうやってこの大自然の中で立場をわきまえながら、. グラムであると同時に、具体的に支援することも考えられてい. 地形と呼応しながら生きてゆくのかを問うているようです」と. るようです。昨今、世間で話題になっている「いわきノート」. 述べられています。自然の声を聞き、その中で人はどうあるべ. もこのプログラムから生まれたことを私ははじめて知りまし. きかを考えるべきであると。そして新たに作られる堤防によっ. た。ここではデザインがモノづくりからコミュニケーションづ. て海が見えなくなることへの不安感がとても感じられます。. くりへとその裾野を広げていく視点が指摘されているように思 います。. 地元の南三陸町観光協会の及川さんは、お父様を津波の際に 南三陸町防災対策庁舎で亡くされた方です。この方のお話しは. 山形県庄内町の奥山副町長のお話及び資料は、奥山副町長の. 平松氏にインタビューして頂きました。ここで及川さんから述. お話しを水野氏が記録され、それを平松氏に編集して頂いたも. べられていることは、南三陸町もようやく少し冷静に考えられ. のですが、震災後1ヶ月の庄内町の南三陸町への支援対応の様. るようになってきていること、マスコミでよく報ぜられるよう. 子が時系列をもって、現実的な緊張感をもって解ります。この. に遺族が全て遺構の保存に反対ではないこと、防災対策庁舎に. ようなことが出来たのも事前に「友好町盟約書」を交わし、ま. ついては20年という期間に縛られなくてもいいのではないか. た「庄内町と南三陸町との災害時における相互応援に関する協. などのご意見を頂きました。また今後の南三陸町のあり方につ. 定書」を締結していたことが大きいわけですが、いずれかの町. いては、将来的に自身の街でも起こるかもしれないことを知っ. に大規模な災害があった場合には災害を受けてない町が協力、. てもらい、その意識を持ち帰ってもらえる町にしたいこと、ま. 応援を行うという、非常に稀な約束が行われていたことに驚か. た南三陸町の魅力を前面に打ち出して、積極的に模索していく. されます。それがどれだけ機能したかがこの報告で解ります。. べきであるとの力強いコメントも頂きました。. またこの文中にある「支援物資は南三陸町に渡し町が配るので はなく、庄内町から南三陸町の人に配るという形が良かったと. この数年間は、我々環境デザイン部会のメンバーも何が出来. 思う」と述べられているように、支援物資の配送の現実への疑. るのかといろいろ考えた日々だったように思います。そして今. 問も指摘されています。また避難所のコミュニティの場のあり. 後も考えていくことになると思います。この特集号に関しては. 方についてのコメントも今後参考にしなければならないことで. もっと多くの提案や考察などがあったのですが、編集の都合. す。. 上、その一部がここに記録される形となりました。多くのご意. 部会員ではない亀井氏の「サポサポ プロジェクト」は「支 援する人を支援する」という独自の活動の記録です。このプロ. 最後になりましたが、南三陸町の視察会などを通じて、我々. ジェクトは東京藝術大学の卒業生たちが自然に始めたもので、. 環境デザイン部会と被災地の南三陸町を結び付けて頂き、また. 自分たちの得意分野、出来ることで間接的に東北を支援しよう. 地元の方々からの声を届けていただくなど、部会活動に多大な. ということです(自分たちの作品を売って、支援する人を支援. ご支援をいただいた、部会員でもある宮城大学の伊藤真市先生. するお金にする)。その後「イクサポ」というプロジェクトも. の御尽力がとても大きかったことを感じています。そのおかげ. 始め、アートやデザインでも現地で出来ることがあると感じ始. で我々は南三陸町とその周辺の状況をより多く知ることが出来. めたそうです。東北に行くことによって「多くの方と出会い、. ました。ここに宮城大学、並びに同大学の伊藤先生に心より感. 多くの経験をすることが出来た。何より、東北が身近に感じら. 謝を申し上げる次第です。. れるようになった」と書かれています。実際の売り上げ(=支 援金)もイベントの回を重ねる毎に高まり、相当な額になった ことが解ります。ここではこのような形の支援もあることを教 えてくれます。 「地形と呼応したまちづくりをかなえるために」は、南三陸 町への2度目の部会での調査の折にお話をお聞きした工藤さん が ED-Place(環境デザイン部会の会報)へ寄稿して下さった ものを、ここに再度掲載させて頂きました。この文章には、地 元の人が感じていることが込められています。 「海に戻りたがっ ている場所は海に戻ればいいのではないか」 、これは海の恩恵 の元に海のそばで生きていこうとする地元の人ならではの言葉 です。工藤さんは「大津波であらわになった地形は、私たちに、. 68. 見を頂いた部会員の方々に御礼申し上げます。. デザイン学研究特集号 Special Issue of Japanese Society for the Science of Design Vol.23-1 No.89 2015.

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