Ratnakarasanti の ﹃ ア ビ サ マ ヤ ﹄ 注 解 書 ( 小 林) Ratnakarasanti の
﹃
ア
ビ
サ
マ
ヤ
﹄
注
解
書
小
林
守
R a tnakarasanti (R) は、 Abhisamayalamkara (AA) の 注 解 書 と し て ﹃ 二 万 五 千 頚 (p) ﹄ と 相 応 さ せ た Suddhimati (Sm; D. N o. 3801, P. N o. 5199) と、 ﹃ 八 千 頗 ﹄ と 相 応 さ せ た Saratama (St; D. No. 3803, P. N o. 5200) の 二 書 を 著 わ し て い る。 蔵 訳 に の み 現 存 す る Sm 所 引 のAA とSt の 梵 本 (TSWS., X V II I) を 照 合 し て み る と、R の 依 用 し たAA の テ キ ス ト が H sribhadra (H) の そ れ と は 元 来 異 っ て い た の で は な い か と 思 わ れ る 偶 と し て 六 偶 (I. 18 ( 1) 61, II. 14, V III. 1, 7, 27) を 確 実 に 指 摘 し 得 る。 こ れ ら の 相 違 は 弥 勒 造 のAA 本 来 の 偶 を 確 定 す る た め に も 無 視 で き な い。 I. 61a: ( 第 七 遠 行 地 に お い て 遠 離 さ れ る べ き 二 十 法 の 中 の 第 十 九) 国 の Aloka (A; U. W ogihara ed.) に は と あ り、 こ れ をH は ﹁ 空 性 の 論 争 ( su n y s ta-vivada) に 取 著 す る こ と を 離 れ る ﹂ (p. 10212-18) と 説 明 す る。 一 方、R はI. 61 a を と し て 引 用 し、 v i sada ( y id gsod p a) を k heda (skyo ba) と 説 明 す る。 と こ ろ で、 こ の I. 61a に 相 当 す るPは、 梵 本 (N. D u t t e d.) に は sunya d harma iti v i vadah ( p. 2 1618)、 蔵 訳 ( D. N o. h g y ur ba (D. G a 238b2, P. Ga 269b9)、 ﹃ 大 般 若 経 第 二 会 ﹄ に は ﹁厭 怖 空 性 ﹂ ( 大 正 七、 八 三 中) と あ つ て、 一 致 し な い。 こ の 中 sh u m pa と ﹁ 厭 怖 ﹂ は v ivada で は な く v isada の 訳 語 と み な し 得 る か ら、R が 引 用 す る I. 61a はPの 蔵 訳 に 根 拠 を も つ。 V III. 27d: ( 八 十 種 好 の 第 四 十 八) A に は こ う あ る。 ( 2) 八 十 種 好 の 内 容 は 経 典 に よ っ て 異 同 が 少 な く な い が、 寓 の い う ﹁唇 が ビ ン バ 果 の よ う に 赤 い ﹂ は、 ﹃ 大 般 若 二 会 ﹄ の ﹁如 来 唇 色 光 潤 丹 暉。 如 頻 婆 果 上 下 相 称 ﹂ ( 大 正 七、 三 七 七 中)、 ﹃ 大 品 般 若 ﹄ の ﹁ 唇 赤 如 頻 婆 果 色﹂ ( 大 正 八、 三 九 六 上)、 ﹃ 一 万 八 千 碩 ﹄ の 梵 本 (E. Conze e d.) の h im h ostha ( p. 531) に 符 合 す る。 一 方、 図 が 示 す は、AA に 直 接 的 な 関 係 を 持 つ、 の shal g z u gs k y i g z u gs hrnan sn a n h a y in ( D. c a 245a7, P. C a 283a7-8) に 内 容 的 な 一 致 を 見、 ( 3) ﹁ 満 月 の 影 像 の よ う に 顔 が 丸 い ﹂ を 意 味 す る。 以 上 は、 Rの 理 解 がPの 蔵 訳 に 適 つ て い る 二 例。 V III. 7: ( 無 漏 法 の 中 の 無 謬 母 a n 鋤) 無 諄 三 昧 は ﹁ 有 情 に 煩 悩 を 生 起 さ せ な い 三 昧 ﹂ を 意 味 し、 こ れ は、 ( D. Ca 238b1-2, P. Ca ( 4) 275a-4-6) に お い て も 同 様 で あ る。AA は 声 聞 ・ 仏 の 無 謬 の 二 種 を 区 別 す る が、 そ の 中、 声 聞 の 無 諄 を 説 く V III. 7ahは 以 下 の 如 し。-132-両 者 はnrとna 餌 が 異 な る が、 注 釈 に よ っ て 言 葉 を 補 え ば、 各 々 A: 声 聞 の 無 諄 は、 ︹私 を ︺ 見 る こ と に よ つ て 人 々 に 煩 悩 ︹ が 生 ず る こ と ︺ を 遮 止 す る。 St, Sm: 聞 声 の 無 謬 は、 ︹ 人 々 が 煩 悩 を 起 こ す 原 因 と な る、 私 を ︺ 見 る こ と を 遮 止 す る が、 ︹直 接 的 に 人 々 の ︺ 煩 悩 を 遮 止 す る の で は な い。 と 訳 出 で き る か ら、 両 者 の 理 解 の 間 に 違 い は な い。 こ の よ う な、 山 とSt, Sm に ﹁引 用 さ れ るAAの 語 句 が 異 っ て い て も、 内 容 的 な 相 違 の 認 め ら れ な い 例 と し て、 他 に 二 偶 が あ る。 即 ち、 II. 14 の 場 合、 A ( p. 19921) の praptr が、St (p. 2910) と 旨 ( D. 129b8, P. 150a4) に は v yaptir ( k yab p a)、 V III. 1 の 場 合、A (p. 91423) の muneh が、St (p. 172222) と Sm (D. 193a5, P. 228a3) に は m atah ( hshed) と あ る が、 こ れ はAA の 内 容 に 係 わ る 相 違 で は な く、 ま たP の 経 文 に そ の 根 拠 を 求 め る こ と も で き な い。 以 上、A 所 引 の 偶 と 相 違 を 示 す 五 偶 は、 蔵 訳 で 見 る 限 り、AA の 諸 注 釈 書 中R の も の に の み 認 め ら れ る。 と こ ろ で、 曾 の 梵 本 校 訂 者 ジ ャ イ ニ 氏 が 指 摘 し て い る よ う に、 曾 は ﹃ 八 千 頽 ﹄ の 本 文 に 則 し てAA の 偶 文 を 改 変 す る。 で は、 男 は、 著 作 順 序 と し てSt に 先 行 す るSm に お い て もAA の 偶 文 を 改 変 の た の か。 し か し、 R はSt で はAA の 偶 を 改 変 す る 旨 を 明 確 に 述 べ る が、Sm に は そ う し た 記 述 は な い。 今 こ の 問 題 を 考 え る 場 合、 第 八 法 身 現 等 覚 を 略 説 し たI. 17 は 一 つ の 示 唆 を 与 え て く れ る。 こ のI. 17b が、H 以 前 の 人 B h a d ananta-Vimuktaseua の Varttika ( D. No. 3788, P. N o. 5186) に s prul pa dan ni d e l tar gsum ( D. 4 a6, P. 5a3)、 ま た 幻 以 後 の 人 A h h a ya k ara の Marmakaumudi ( D. N o. 3805, P. N o. 5202)
に sprul pa shes dan
rnam gsum dan ( D. 197a6, P. 221b5) と あ り、 団 よ り も む し ろ 男 の 示 す 偶 ( 5) に 近 似 し た 形 を も つ の は 注 意 し て よ い。 今、 こ のI. 17 の 相 違 が、