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日本産ネズミ類(野鼠)の分類学史的検討-香川大学学術情報リポジトリ

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日本産ネズミ額(野鼠)の分萄学史的検討

相見 満・金子之史(京大0三軍。動物) 最近,日本産ネズミ類を対象とした.分類学,形雑学.生態学的研究をみて感ずることけ,研究 者によって学名の扱ぃ方がいろいろと異なっているということである。和名では一致していても, 学名(種名∼属名まで)でけ異なるものがみうけられる。 しかし・このよう把一見混乱した状態にみえる学名の卑かばも,それぞれのもつ意味は異をって ぃるように思われる。一方でけ,もう過去の歴史的遺物としてしか意味のをいものから,他方でば まさに現在,分類学的に問題托されているものも含まれてしへる。 そこで−現在の学名の混乱け,どれが歴史的遺物であゎ.どれが現在分類学的匠問題にをってい るのかをtけっきカと論理立てて検討すれば,ある春慶解消することができるのではをいかと思わ れる。 我々が,このような日本産ネズミ類の分類学史的検討を試みたのは,上記の目的以外把∴1つに は,我々自身の勉強のためであゎ.もう1つ仁ては,そのよう夜歴史的検討のなかから,分類学的種 認識に関する傍を理解したぃと思ったからである。 そこで,以下の内容把は,日本産ネズミ類(野鼠)のうちの各種類打つぃて,学名の歴史的換封 を行をレ㍉トさらに,そこから浮びあがって来た各学者の種認識について,ふれてみたぃと思う。

学名の検討に際しての方法

我々の対象を.奄美。沖縄を除く野鼠把のみ限ったのは,家鼠および,奄莫0沖縄のネズミ類把 つしっては,文献的把も,知識の上でも,我々の手におえをいと思ったからである。これらの種類に ついて披.どなたか把今後問題忙しセ頂きたいと期待している。 引用文献は,一応いま号で分類学的に学名として記載されたものを,我々の知ってぃる範囲でと カ扱った。まだ我々がとか扱わなかった文帝もあると思われるので,その時は,御教示頂習たい。 各論における議論の方法は,いままで学名として記載されたものをリスト7ッブし,そのをかで, 前の時代から変更されたものを,とくに意識的に扱ったいその際,記述の仕方は,各ネズミについ て平等では凌い。それぞれの種類によって,hままでの議論の内容が異なっていることによる。ま た,各種類にまたがった内容は,1カ所でまとめて議論した。 哺乳類科学,第22号,1971年4月 − 10 −

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とくに,学名が変更された場合,どのような理由で変ったかを書き,群由が述べられてレゝない 時臥そ■ク)ことを明示した。また,ある程度理由告推測できるものについて鱒,傍証的に示した。 なお,各論の文章中で述べなかったもので,学名が記載されている書物。図鑑などは,一括し て,文献のところ把示しておぃた。 学名の混乱は・種の段階で整聾した。現段階では,それ以上立ち入れなかった。したがって, 亜稽名,島のもの把つぃては,ほとんど議論が省略されている。

分類学史から争た種認識

日永産ネズミ類を対象として,分類学がおこなわれるなかで,どのような種意識が具体的把可 能であったかを整理することは,非常に困難な作業である。 その試みとして,我々は⊥応2つの見方を設定してみた。 第1の見方は・学問の歴史が深まるにつれて,分類学的材料(を曾)が豊富になる。ま尤もの 00 と同時に・さ㌘とかかわカあう学者(哲を)も増大してくる。そのことによカ・さ90 がふえ,全体の把接が可能把なることによって・個々のもの把弔する認識が発展する基盤を提供 00 する,という見方である。 第2の見方は,ひとの対象に対するアプローチの仕方は,それぞれのひとに独自なものと考え 0000 て,アプローチのいろいろを角度把よって対象であるものに対する認識の変化が生せれてくる, 00 とぃう見方である。 この2つの見方は,現実の研究の過程では,重なカ合いとしてでてくるわけであるが.日本産 ネズミ類の研究把ついて,むカにこの2つの見方から眺めてみること忙した。 第1の立場からまず考えてみる。 も曾が豊富になること把よカ!認識の上で飛躍ができたと考えることができるのは・Hin七On (192る)であろう。属名のつけ方などは,具体的には,全体の見取図の中で決定されること がし畔しばである。彼は M土ero七土nae 全体の鳥撤図をえ,進化の方向性を理解しようと試 みた。そして Mlero七inae の中での,各種類の系統的位置づけを行なったわけである。した がって,類縁論が議論の前面把出てくることにをる。しかし,そのため ∫郡云まんよま.α几dβγ∫川豆, ”ま去タα≠α招,ふβd/押d去αe の位置づけが,全体から出て来た論理の中に埋没してしせうこと にも夜 上記の種類把ついて,H土n七On が誤カを導く原因となったのであろう。 つぎ把,了boⅡ那 を中心にしてなされた原記載以降,青木以後の学者は,それぞれの穫の もつ変異の特徴をつかむとぃう形で,もの。ことがらを増やしてぃった。しかし.その変異の扱 0 0 0 ● ○ ● −20 一

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い方は,同一種にするか,別荘にするのかという観ノ点から,ギャップの大小とぃうところ把焦点 が集まったきらぃがあると思われるゥその点か.ら考えると,種の認識の発展という内容は,引き 出すことができをいと思う。 第2の立場から。 日本産ネズミ類の分類わ㍉しハままで形態(大きさ,毛皮,頭骨,歯)による分蘭学であって, 染色体あるいけその他の観点からの分類学控最近少しずつやられ始めている段階である。したが って,現在の段階では.形態を中心とした分類学に.どのような観点のちがぃがあったのかとレゝ。 うところで考えてみる。 、T王10m8日 の分類方法は,1905年から1908年の過軍の中で変化してhると思われる。 彼の主要な着眼点は,模式標本とのくゎちがい把よって,蔑0亜種を定めている。しかし,1905 年a匠よって記載した・スミスネズミの模式標本のもつ特徴臥その後An8ers?n把よって採集 された標本のもつ特徴からずれをもってぃるごとが記されている(1905c)。このことは ?ho皿aS の程の像把も,変異をもった集団という考えがあったことを示唆してくれる。 また,Tbomas け,このようにして分禁宕された動物群から.それぞれのフォウナの由来を 考えるとぃう目的意識を,1905年cのはしがきから読みとることができる。 Tokuda(1941)は Tbo皿a8 の発想に近しつ。彼は.それせで自らが行なっていた亜種記 哉の方法を全面的に改め,地史的変遷を考慮した上で.日本の各島に卦ける種,卦よび魔の由来 を考えようとしている。 つぎに青木(1915)は,それまで把記載された各種ネズミ類の,地理的変異.成長過程で の変異の研究の必要性を唱え,具体的には台湾産ネズミ類でそれを行なった。現在でも日本のネ ズミ類の変異の研究け十分であると抒いえ覆いと思う。 日本産ネズミ類の研究に,はじめて統計らしきものを導入したのは,花岡(1957℃)であ

る。彼軋それまでの変異の記載方法ゝとして用いられていた,レンジによる表現法を改め,頭胴

長と尾長というプロポーシ い方として,新らしいものであったと思われる。 宝in七On ‖92占)は,それぞれの形態を、類縁。適応という観点から議論し鴨類縁打つ いては,個体発生後期(生後)の形態に注目する。彼は反復説の信奉者であゎ,白歯の暁合面の 初期形態は,先 復を現わしているものであるとする。このような形で,具体的には,エ ス ゾヤチネズミ ス ミ 発生の形態の同一性ということに,全的信頼をおしへたためと思われる。 00 戦後,阿部(19占8)は,大黒島と北海道本島のエゾヤチネズミの形態差を,成長過程で追 −21−

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訂している。これは.種は発生の諸過程の中で進化するという発想方法に対応していると思われる。 これらのことを整理すると, でhomas,でOkじdaの研究は,ヨーロッパあるいは東アジアの フオ ナの由来,あるいは特殊性を考えるという立場であった。この立場は,Thoma8 封よび加ku− da の置かれていた時代把おいて可能であゎ,現在の日本の状況では,そのせまの発展としては できないであろう。考えられるとする食らば,そのミニ了チュ了版として,本州と近隣の島々との 関係把ついて研究することは,その一つであろう。 寧た,青木に さら好一垂深めた研究が必要とされよう。 また,花岡.阿部のような考え方も,現在有効な見方であると思われる。

さら把,Hln七On の形態論−それは豊富な材料の上に立てられたものである−は,形

態把対する基本的見方として支持されよう。 以上,簡単把種認識のあか方把ついてまとめてみたやミ,総体的把みれば・hまずで宏されて来た 日本産ネズミ類を対象とする分離学は,分類学的種認識が深化してきたというよカ,命名学的な色 彩が強いという感を我々はもったのである。

各 論

1.7カネズミ 現在まで,本州0匹Ⅰ国。九州のアカネズミについて,同一種とすることに,異論が提出され七い ないので,まずそのことについて扱い,つぎ把,北海道のアカネズミについて論じることにする。

7カネズミは,Tem皿まnek e七 日cbユegel(1842−45)で,肌∫ 叩¢Ci∂∫払∫ と記載された。記載の全訳は,参考資料として末尾に記した。採集地は不明である。 Tβmm土nck らの ガ.叩βe壱β∫弘∫ の記載は, ガ.仇¢J8∫∫亘れ払∫,ガ.αγグ¢れまさ乱す・ ガ・′まαれ¢ヱ也m£,ガ・βγγまんγつれ∂孟払∫ととも把書かれている。‘これらの中で・身体の大きさ, 毛皮の赤さびた色、腹の白さなどの点から,日本では,現在われわれのさす了カネズミに等しいと 考えられる。また,頭骨,上顎骨頬骨弓基部の瞭筋の付着面(下限窟孔の外壁上部)の形態が.日 本産アカネズミとヒメネズミとで異なることを,今泉(1949)が記してぃる。そして,この特 徴は, ToⅡⅢ1inek らの頭骨図におやても確認されるb したがって,原記哉を Tomninclこ 臼七 Scb16gOユ に求めることは,妥当であると考えられる。

その後, Thoma8(門05e)は,And.er零Onによって採集された 本州0四国。九州の標本

を一括して,〟まer〃my∫ 叩¢?之0∫祉∫ とした。この時,夏毛の特徴(刺毛との関係),乳頭式 を記哉した。 TtlOmaS(1905 a)では,彪ieγ即花y∫ の中に,カヤネズミ(m宣言払ま払∫) −22 −

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が入ってレゝる。

Tho皿aS〔1908)は,屋久島産のアカネズミを,』p∂d¢取払∫ 叩¢e去∂∫乱∫と記哉してし1

る。この後,学名は,大部分これが踏襲され現在打至っている。しかし,これも上記と同様に− Thoma8 時代の み8d¢取払∫の属名と,現在のそれが,等値であるかどうか把?いては,論議 を必要とするであろう¢ E.& M.−S.‖951)のMtlrinao の現在の ノ卸od¢鶴∫属以外

の属で,ノ卸¢d¢取乱∫が用ぃられた例が出ていないので,・−一応,Tbomas の表わした ノ車βd省一 取乱∫ は,現在と等しい価値として良ぃと思われる。 今泉(1949,195ロ)のみは,本州。四国¢九州の7カ丸ズミを,.4牲加㈲帰∵ ∫サー ひα≠之c払∫ 叩¢eio∫祉∫ と,大陸の亜種としている。しかし,その理由は述べられていない。 d・∫γ∠γα≠ie弘∫け,Sou馳ern(ed・・)(19占4)によると,E・& B・も・g8ス占用鼎(2D個 体,range 81−927昭花),♀8ス7万打花(20個体, rang9 G5−947花・城;T.も.g877花m

(20個体,range 7ムー100?肌),♀85.4m・(28個体. rango7B−95珊カ;体_.!

♂1R占g(20個体,ran針∋14−25g)♀20.9g(20個軋rango−17−29g,胎

児を含む)であゎ,日本のアカネズミ乙て比して/J\さく,臼歯紋も異なる(特に.mZ の七5が ∫ツg童石i紬∫では顕著であるのに対して,叩βC去8∫払∫ では不明瞭である)。最近の Z土五皿er皿ann(19る2)の研究で技,この2者結亜属を異紅してぃる。今泉自身,19占0年に咤, J.・J‥・∴ い 二 ∴・・こ・‥ もしも類縁を考慮して,日本の固有種とするか,大陸の亜種とするかは,今後の初究を待たねば をらないであろう。 つぎ把,北海道のアカネズミも含めて議論してみる。 ′ 北海道の7カネズミを最初に記載したのは,Tboma∈ こ1905 t))で,本州。匹周。九州の

アカネズミに対し七・ガ去cγ∂彿y∫ 叩ee孟∂∫乱∫?よ几㍑ としている。その際,全体に 叩さe去−

8∫比∫ に似るが,後足が長く,頭勧三珊声い点で区別されるとある。これは笹Oma8(1907) 把も引き継がれている。

波江、(190

米 叩=品汀M最机と属名を変え,これは,Aoki(1915)・青木(19j5,…5)・

Ⅹuroda‖920),岸田 ‖925),Toklユda(1952), 黒田(194日,1∼】55a),

米 後足長では,本州のものと絶対的差はないが;平均におぃて,北海道のものが大きく.亜怒

にすべきだという。

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貿.& M∴−S.(195几 今泉(19占D)紆踏襲されてしっる。 ここで一応付記すれば・今泉(1949,1950)揉・」・∫y∠zJq≠ic… α£れ払 として高る が,これレこついては前記の理由説明でよいであろう。 一方,Tok坤a(1941)け・北海道のアカネズミを初めて,本州のものとは独立させ・樺太 0大陸のもの(』.αi几乱 P‘れ去”′∫彷Jαβ)に近づけt ノ卓・α言几祐 αi仇 とした。これけ・太 田(十95占),渡辺(19占2),田中(19占7)打よって用いちれてぃる。∫p¢e;∂∫仏∫ との差異は㌧ α;れ乱 の尾長が頭胴長よカ長ぃの把対して,叩¢eま8∫乱∫ では短い。せた切歯 孔後端の位置が,α£几礼 ではmlよカ前方にあるのに対して,叩βCま8∫弘∫ で蛙mlの前縁 灯それが達しているとぃう。

最乱 Hayata,工.0七 aユ.‖970)紆よって.北海道把,2種類の7カネズミがいる

と報告されているが,前述の研究がこの2種類を区別していないことから, d.∫之gまαe弘∫ を除ぃたアカネズミが,より本州に近い種類夜のか,それとも大陸。樺太に額縁があるのか打つ いては,今後の研究を必要としよう。 2.ヒメネズミ

まず最初に問題粧しなければをら覆いのは,加nminck e七 Scblegel(1β42−45)の

肋よ αr∫さ打と¢払∫ が現在のヒメネズミを準しているかどうかである。原記戟の全訳け仁末尾把

参考資料としてあげてぉいた。この記載をもと托し,ヒメネズミとアカネズミとの比戟を第1表鱒 示した。また.T6minck らの測定値を,今までの測定値(相見。金子,未発表)と比戟した ものを第1図把表わした。 まず,第1図から明らかなことは;アカネズミの頭胴長が異常把大きいことである。これは Te皿mlnek らの測定値が,生体標本ではなくて,ハク製標本把よるものであることを推測させる。 ヒメネズミ.について軋一応,頭胴長一尾長のrang8の拭おさまるまた.毛色,尾長, 大きさなどの項目咋ついて,第1表から明らか夜ように.一応,アカネズミとヒメネズミの特徴が 記載されていることがわかる。われわれの非常把乏しい毛皮標本でも,T白mmまnc女らの記戟の特 徴を裏づけることができた。

米相見。金子(未発表)の測定値の頭胴長は鼻先から肛門中央まで,尾長は肛門中央から尾端の毛

を除いた部分づでを測定したものである。これと,加皿mlnc】£ らの測定方法が同一であるか どうかについては確認できない。第り習から明らかなように,測定値の少しのずれでアカネズミ 把入ることはあカうる。 − 24 −

(7)

○ ト¢ ケ 鞭 喝〕 邑 庄邑 馨 臣 b 逗 奥 儀一・ ⇒ b 1ミ G G 亭e ●■ ヤヽ キn c, b 喜. 田 G さ 恵 ヽ、ゝ ロ くづ せ− 岬 甲 さ U ∬ CD 祥[ エ. b b ヽJ 軒 き 8 等量

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(8)

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望」富

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以上のことから,記戟を見る限ぅでけ,Te皿出1nck ◎七 SehユegelのMu日 argen七日t18 け,ほぼ現在のヒメネズミを指しているよう好思われるのである。同樟孜ことを,青木(1915),

今泉(1949)も述べてし1る。ところが,Thomar日(1905 a,e)け.直援 Tommlnekらの

標本を検討し,この標本は7カネズミの小さくて刺毛のなぃ(Splneless)ものであると、し,新 た打ヒメネズミに対し.ガ壱cγd彿γ∫ g右左∫んα と命名したのである。その巧由として.セem一 皿土nck らの標本の測定値の中で,後足長 22ガ動眼寮中隔幅4.9抑,切歯孔長 5.8況許など軋 ヒメネズミに比し大きを倍であると述べてぃる。この際,Tho皿a.Sが標本番号を明示しをかった 点は論議の客観性を欠いたといえる。 その後,青木(1915、)け でhomas 把従レ㍉ ヒメネズミを.中ロd¢取乱∫ ∫ei∫んαとし,

αγタ¢几とe乱∫ を問題の程として残してぃる。黒田(1940),Tokuda(1941),今泉

‖949)などはすべて青木t1915)把従ってぃる。

戦後,E■ &M.■−S.(1951)け,でhomas(1905 a)のあげた αrタe¶一ま葛び∫の頭骨の計 測値が誤っているとし,タβ壱∫んα をαrタ¢丸吉¢了ム∫ のシノ主ムとした。その理由は, BarretモーHamlユセOn(190〇)の調べたB・M.no.88・鼠 25・7 が αγタ¢.7んま¢乎∫ であカ, その頭骨の計測値は ∫β盲∫んα の普通の標本に見られるものであるからという。 しかし薇がら Barreモモ一斑amll七On(1900)の調べた標本は,pryer が日本から採集し

た標本であれ Te皿m土nckらの採集標本では覆ぃ。この標本軋 ワbo皿a這(1905。)によ

米 少,タ¢去∫如と同定されたものである。

らのことから 飢 & M・−S.‖951)は でe皿mlnek らの標本と

rhomas の記載の 標本とを比べて,αrタ¢れ亡¢祉∫ と ∫8i∫見α の関係を論ずべきであったの把, Pryer の 標本と比解しているので.Thoma占′(1905 a,C)の反論打孜ウてい凌いことがわかる。 工皿a土zu皿土(195る)は丑.& M.−S・‖951)紆同意し,また今泉(19る8)では, αγ∫g花王∂乱∫ は原記戟を見れば,如ネズミを指していることは間違い凌レ、としてぃる。この際 やけカ でhoma包〔19日5車)の反論が提示されてぃ恵いことは問題が残る。 以上を整理すれば.問題は最終的には,了ゝT鋸nmlnc女 らの標本を再検討し,ヒメネズミかど うかを同定する必要があろう。

米Thomas(1905a)で・鮎r∂mγ∫∫y∠γα才乙c叫凱叩∂ご£0∫祐∫,肌m云7も払如

一肌my∫.王αe去几㍑∫一 劇㌧ αgγ抑乞冊,肌 んαr亡i,吼 タgi∫ゑα をあげている。このう

ち日本牽のものは,∫.p8e壱β化∫, 訊去Tl祝≠マム∫巨 ∫¢乙∫′∼α であ少,彼は励∫ と彪㌧er¢−

my∫ とを区別してぃるので,これらう種の区別が明確であれば同定が可能でぁることになる。

(10)

この際,標本が保存されてぃる場合拓け,この長かった議論に決着をつけることができるが, 標本が夜h場合には.根拠のある反論を出せをh限ク ワhomas(1905 a)把従わざるを得な ぃであろう。 目下の所,Bri・ヒi8b Mu8e11皿にTenmlnekらの標本につぃて問い合わせているので,現 在の所こ この種名匠ついて保留しておきたい。 もしも標本が夜い場合紆は,われわれは、Thoma日(1905 a)把従わざるを碍ないと考え, ヒメネズミの学名を 4pod8m払∫ タβZ∫んα Thoma81905 とするのが妥当であると考えてい る。 つぎに,ヒメネズミの類縁把関する問題にふれてみよう。 BarroモモーHam土ユセOn t1908)け.ヒメネズミを ∫γJγαf宣ご批∫ 把類縁があるとしているが・ この ∫γJひαfまc彷∫には,現在/∠αγ去¢β〃i∫,・αタrαγ主従∫とされているものまで含めた形 で使われている。したがって類縁については再検討を必要としよう。 つづいて E.&M.−S.‖951)払ヒメネズミを,∫y∠了7α∠盲e弘∫ の亜種としたこと・から見 て明らかに,∫y∠むα£乞c払∫ に類縁を求めていることがわかる。 工mai2じmi(195る)け,ヒメネズミを E.& M.一S・‖951)・のように ∫プJぴα≠壱− e弘∫、αγg¢れ′さ¢祉∫ とすること把対し,頭骨の形態,乳頭数などが異なることをもって反対し, 独立種として位置づけたが.類縁については明確把述べてい夜h。

Zi血mOrmann(19占2)は,dp8d¢m払∫全体を5亜属−

』クOd8m乱∫,5yJγα¢m乱∫・ ∫∴=・・、.・‥・  ̄・・.∴∴・…∴ −・−巨ニ リ・・‥l∴‥‥・′・,′−い−・∫′∫ご・・・一日、・・一∴・−‥ タ址γた鳥α,かαe8,gβ之∫ん¢ を位置づけている。 せた.太田(1970)は, Barreてt一助mil七On ‖900)の説に根拠があるとし, ∫yJひαま壱e弘∫ との間で類縁を論じているが,前述したような問題にはふれていない○ 以上,類縁に関する説を概観すると,まだノ矩∂d8m7ム∫ 属の個々の種の研究が不十分であるこ とがわか少.類縁については,その上に立って議論する必要があると思われる。 5. カ ヤ ネ ズ ミ

日本産カヤネズミは,And・erSOn の四国。九州や採集標本に基づき でboma白(1905 e) 把よカ,戯。γ。m.う.∫耽立花払如再。7もi… と初めて記哉されたその際,他のγα…

米 でOmminelこ ○七 Se‡11egel(1842−45)では,彪五∫ 爪Z几乱吉甘∫ が日本把いると述 べられてぃる。

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(極東のpまタmα8乱ぎ 乱∫∫弘ri。がの標本け欠除)よカ,頭骨が厚く頑丈であると述

ヽ べている。そして 乱∫∫払γ乞e払∫ の白歯列が,2∴8椚盈であるの把対して,よ少長い(模式標本 では5・1取乱)と暑いている。この時の属名ガieγβ硯y∫ 把勘定メネズミ,7カネズミが含せれて いる。 この後・対馬で採集された標本を でhoma日(1908)け.4”dem弘∫ 祝言祐也≠弘∫ と記載 し,上記の ノ叩川ie乱∫ と 祐∫∫比γまe払∫ の中間型であると述べてぃる。この際,ヒメネ ズミ,7カネズシも.勾拍d”机け と浸っている。 政江(1909),ノAoki(1915)け,本州。四国。九州把カヤネズミが産するとし.」.硯i一 札祉王払∫ ノ叩拍乞ぐ弘∫ としてぃるが,属名は Thomas(1908)を踏襲したものと思われる. 青木(1915)は.四国。九州 のカヤネズミ一昔木自身は標本にあたってレ巧がハ∵−−− を, ガまeγ∂mγ∫?iれ弘如ノαク8ル去c渡轢とし∴対馬のもの打ついては・?homa8(1988)と同 様把.標本が少をいがゆえに, 〟.最湖〟∽・乱用叩.として.分類学上,当分疑問の亜種と してとどめた。 Xuroda(1922)け,頭胴長が尾長よ力も短いことと,毛皮の特徴によカ.対馬産カヤネズミ を ∬.硯iれ祐f払∫ αβたi孟 と新亜種をつくった。 米米米米

また,黒田(1951alは,本州にもカヤネズミを産することを報告し. Kuroda(195

では,本州産のものが,四匡巨九州産のものに比し,尾が頭洞長よ力もけるかに長い.後足長が大 きい.耳が長レ㍉腹面の毛ばいずれも基部まで白い,頭骨が大きぃという特徴で新亜種 肌 miれ弘f払∫ んβ乃de乱立∫ をつくった。

Tokじda(1941)は.日本産カヤネズミを 劇㌧.′叩川ic乱∫ と,日本固有種として位置づ

け,大陸の 〟.硯i几弘ご払∫ との形態的相違を,口蓋韓の起点と,仇2の前縁との位置関係把求め ている。そして四匡巨九州産のカヤネズミを,肌ノ叩川ie祉∫ノ叩摘去e礼∫(尾長く頭胴長). 米− E.&,M.−S.=9・51)によると,Moup土n,SgQeh−1an,China妃分布する。 米・米 軋 &M.−S.(1951)によると, 甘βSnr土,South−Ea日七ern Slt)eriaに分布する。 米※米 比lller(1912)は,.4川右澗M とガieγβ仇γ∫ とを,尾。耳の形状,切歯孔の長 さ.吻部の大きさなどから区別した。青木はこの考えにしたがって,カヤネズミの属を j才ieγ∂my∫ にしたと思われる。M土118r のあげた特徴は,現在も支持されている し今泉,19る0参照)。 米米案・米 未参照。 ー 29 −

(12)

本州産カヤネズミを机ノ専別品制卜 最適摘心(尾長>讃胴長),対馬産カヤネズミを,

ガ.ノ叩川去e払∫ αeぁま去(尾長幸頭胴長)とし牽。

今泉(1949)机 To加離し ㌣941)の口毒清と耽2との位置関係が,大陸のものとは異

在る点は認めをがら卜、〟・珊よれ払ま払∫ の亜種として,日本産カヤネズミを位置づけている。

白石(19占4)た㌻.雄45頭一雌50頭の標本と既往の文献の計測値を統計的舵検討して,九

州産野生雄と,本州産雄の問では,尾長が頭胴長よカ長ぃとか短いとか,靡部の毛色の相違・とか

を・亜種的差異の特徴とするのけ,姦当でをぃと述べている。豪お㌧白石は でOktl丘a(1941)

の特徴を認めている。 以上をまとめてみれば,To】∈ud・a(1941)の特徴は,日本産カヤネズミに認められるが.

その特徴打よカ・大陸の m去几比f罷∫と,種としての差異とするか士あるいは.大陸の亜種と考

えるかということに売ろ′う。 ここで,青木‖915)の述べたことばを,もう一度かみしめてみる必要があるのではをいだ ろうか?

「前記の著書を綜合し,是把対馬産の標本を比較して,遂に何物かを得たる;でbomaβ が,

単に・財・耽わはわり とをし,標本少きを理由とし放置せしは理恵カと云う可し。肌 m去几弘一

≠礼∫は・英膏利よ少・仏蘭西,独逸,伊大利,露西亜を経て西比里軋朝軌日本及支部に分布

し・区域の広大なるにも拘らず・著しき差夜く,今把至るも1種を以て示され.只各地方妃依れ

亜種として区別さる。是等の亜種の特徴として論述せらるるもの甚だ明確を欠き.或は夏毛と冬

毛と混同し−或は記載不完全托して其要を尽さず,或は材料不足把して副定把信を置く能わざる

等; 果しセ如何をる点を示標として分つ可きか・殆ど草里霧中にあるの観あれ余軋是等の

亜種を他の穫の亜葦と同価値に置くは,幾分不当をらずヤとの見解を有す。而も材料を世界中に

検せず,且対馬産の標本も・其数把於て甚だ少き以上之を実現するけ不合理と信じ,当分其俵

とし仁対馬産を疑問の亜種として存立せしむる事とせれ」 4.エゾヤチネズミ 北海道のエゾヤチネズミは,1904年 血且9rSOnによって新篠津で採集きれたものを Tbomas(つ905 b)が,新種 gひβま6仇γ∫ 方¢d′クγd去α¢ と記載したのが初めての報告で ある8そこでは,大きさi毛及・頸骨は・スカンソナビアの 茸・γ払′βご紺祐∫に似るが,尾は よカ長く,鱗環は毛でかくれてぃ凌い¢背中の毛色は g・、〆αγ占∂/な。∫ に似る。臼歯は広く韓 大で,歯紋は γ吋叩…附陀似る。硯3の後端は単純型であると記されてぃる。Tboma日

(1905 e)および And▼erSOn の第2回目の北海道探索にもとづく Thonas(19ロ7)の

(13)

論文では,それぞれ動。呵∫(Cγ。∫云。mプ∫ 明。rd宣α¢,Cγα∫β。仇γ∫呵。、γ− よ宣α¢ と夜ってぃる0?bomas掟ここで属名の変更把つレ、て理由を述べてぃをレ囲これは M土110r ‖900)が gぴ∂f8mγ∫ を γ払≠よ/払∫群と γ乱′oeα几祉∫ 欝に分け,前者を狭義の gひ〃董βmy∫,後者を亜属 Crα∫さク硯γ∫として分離したことに起因すると考えられるが.Tbo皿a8 ー ポ (1907)め新属を設けた理由につぃては不詳である。 その臥青木(1915)けこれらの記載把関して 取払11er(1912)がCγα∫¢0鵜γ∫ を放棄 したことに従って.属〃8まβ彿y∫ 属を2つに分割し覆い説をとってぃる。 Hin七On(192る)は,それまで独立種として記載されていた日本産ヤチネズミ4種∴ 飢小舟聖∫(別働甘川〃JJ閥日加木I飢朝舟・γ∫(Cγα∫¢8仇タ∫)約d8γ∫¢7む王, Cr定∫β∂硯γ∫ ムβd′押d去α¢, Cγα∫β8硯タ∫ 几五豆gαまαβ冊 は年令の異をったものに対し て名付けられたものであるとし,これらを全て 飢β土β硯γ∫ γぴ′ccα几払∫ ∫仇立吉見去Zとして統合 しす紬ち,各々をy。ung皿aユ。,1arge a。。1e。。en七,a山ユセan。s。m8 0Ven 01且,adole8Cen七として考えた。 その後,黒田(19511⊃)は丘βd′押d立αe を独立亜種と認めながらも,H土n七On(192占) の意見把従い γ弘′のeα几弘∫ の下把おいた。 。これに続ぃて・?okはda(1952)は初めて 飢β≠占糀γ∫ の代わ少打,C/¢£鳥γ立川ロー

仇y∫で主1e。iu。185を用い,エゾヤチネズミを。柚γよ。笹。鵜γ∫γ罷′。…祝∫ ム8d′¢γd乙αβ としてぃる。この際 βひβまomプ∫がC/β≠鳥γ去∂花0糀γ∫「とシノニムであるこ と把ついてはふれていをh。Tokuda(1941)もこれを踏襲しているが、その際 C.γ乱′8− eα花弘∫

が S七rongcr and一 九組Vier である点を後者の特徴としている。そして基亜種でけm∂ の 複雑塾の出現率が高く,本亜種では単純型が多いとぃう表が付記されてぃるが,文2 検定では有意 差は認められ凌い。 j

その臥日本の研究者の尚では,北海道本島のエゾヤチネズミを q∠β≠んγi用。鵜γ∫ γ㍑′。−

米 Cγα∫88mプ∫ の特徴は,′仇2,鵜3 の歯根部が包まれている(申nCap8ulat◎且)こと把あ る。 米案 この議論打ついては,本州産ヤチネズミ群の項で詳しく扱う。 米案米 屋むCま〇ガムγ∫がぐJ¢まÅr主用8仇γ∫のシノニムであることを指摘したのは アal皿ar (1928)であカ,これがその後も引きつがれてぃる。 ー 51−

(14)

cαm乱∫ ムβd′押d乙α¢ とすること把対して異論はないが・○抑0V(195日)や凱&M・ ̄S・ ‖951)け H土n七On(192占)の意見好従っている。 一方.北海道属島のヤ手ネズミの学名把ついては異論が多い。

Tokuda(1955)け,南千島色丹島で採集されたヤチネズミを,長いレミング様の毛をした,

頭骨が強大で高く,頬骨の張っていることによカ,これを新属新種 ルβクα∫亡ん乙zβ仇γ∫ ∫iたか一 丈約¢几’∫之∫ として発表した。しかしその後・C・γ・ム8d/βrd之αβのa加rran七insu ̄ 1ar 董−ormであるとし. c.∫iたd王αれgれ∫i∫ として記載している(?okuda・1941)。

戦後,今泉(1949)は厚岸大黒島のヤチネズミの中に.やや小形ではあるが,∫盲点β孟αれβ聾− ∫去∫ と思われるものがあるとして,これを了ッケシムクゲネズミ ガ8βα∫eんizク耽y∫ ∫£烏∂ ̄ 土α花β花∫£∫ αたゑg∫ん言£と命名した。この特徴は′j、形で,足と頭骨が短く,寝室は/j、さく,歯も せた小さくなっているという。

これ把対して太田(195占)は,徳田(」954),今泉(1949)の陰茎亀頭の特徴.

外部形態,頭骨の測定値から,色丹島。大黒島産のものを全てエゾヤチネズミ C/β孟んγiβ几∂一 冊y∫ γ払′∂eαn罷∫ ∂¢d/8γdよαβ であるとしている。 今泉(19占8)は,利尻島の標本1つを上記の分類に加え,大黒島産のものを別亜種と認め 汲ノ ることは困難であるとし,C.∫i克8まα汀…i∫という Toknda =941)の曳をとった。・9 これが属島産のものに関する分類の現状で,大黒島と本島のエゾヤチネズミの成長過程での比 較(阿部,19占B.)という仕事がある。最近.大雪山でエゾヤチネズミの変わった形のものが発 見され(北大。農。阿部永氏よカの私信打よる),工ゾヤチネズミの変異の検討の必要性が出て きてぃる。 5.本州産ヤチネズミ群 分類学的に初めて問題碓したのは Tbomas(1905 t〉)である。記載の標本は,岩手県繋お よぴ,青森県馬門から採集された計2個体である。gt′β土8mプ∫ ムed′βγdまα8に類似Lている が,尾が長く,繊弓弛歯をしていることから 飢′∂fβmy∫ α打d¢γ∫用孟 と記哉された。歯根 はをく,ガ の後端部が ム¢d′8γd去αβ よう複雑である夜どの特敏も記されている(Thoma8 1905 e)。 ′ つづぃて,加d・er80n(190?)は新潟県赤倉と,青森県鳥門から琵集されたものに対し・ 米 Crα…況γ∫ ni之タαfα¢ と命名した○ と・αれdβr…主 に最も類似・してぃるが・毛色・ 米」恥“川里 とCγα∫¢∂mγ∫との関係把ついて軋エブヤチネズミの項を参深さ九たぃo 一 52 −

(15)

′j、さな低.長い尾によって区別できるとした。せた,北海道産の C.ム¢dメロγd乙αβ よ力も小 さくトある点灯おいて控 gひβ吏∂m少∫ げんα払/β耽γ∫)∫椛ま才ん王立と比較されるべきものかも しれ夜しへと述べている。この記載の際紆, mOmaS(1905 t〉,e)が, α汀d¢γ∫川乙 とした 2個体の標本のうちの属門のもの打つぃては理由を述べないで 花王iタα王αe としている。 青木(1915)では,これらの尿記載がそのまま記されているだけである。

っぎ打,酎n七On い92占)はMiertinaeの分類学的検討を試みたモノグラフを出した。

「分類学更からみた種認識」の項でも述べたよう匠.彼は反復説の信奉者であ少.個体発生過程

の変化に準目した。方法として,既把記哉された上記2種と・北海道産の 吉〃¢fβmγ∫ 丘¢d′8γ ̄

diαe,本州0四国¢九州産の ど.∫仇よ孟ゐよiを頭蓋基底長に基づいて相対的令査定をまず

行覆った。その結果,g.γ罷′∂ごα陀仏∫ γ払′∂叩繊∫一 旦・γひ′ocα打払∫ ∫んαn・∫¢ま祉∫・

飢 r払′8e銅乱∫ γ¢g払/払∫ の各々の ひβJ¢ 打おいて見られる現象と,全く平行的充現象 00

一頭墓基底長の各グループ把つぃて,老令把なる灯したがh,無根歯把変化することが対応

する,等々− が見られた。そのことから, ∫mi孟Å孟ま, 汀iも∫α≠αβ, α几d¢r∫川i,

ム8d′eγd去αβ の特徴は,全く年令的なものであるとして−これらを一括して・g・r払′β−

。α祢よ∫ ∫取去亡んi去 とした。

黒田(19511⊃)は,新た把長野県槍ヶ岳産の標本1個体をもと忙して, Hまn七On(192る)

の結果を再検討し,彼とは異覆る結論を下した。すなわち,れ主立タα孟α¢ は尾が長いこと,白

歯の角が円hこと,北海道以北に ∫潤ま≠ん;i,α汀dβγ∫摘ま および 作主意∫α≠α8 に全く一

致する標本がえられてぃ率ぃこと,ム¢d∫∂γd去αβ に全く一致する個体が本州以南から知られ

てぃないことをあげた。そして,少夜くとも ム8d′8rdiαβとnま;gαまα¢ とは区別できると

し,長野県産のものを,g.γ祉′むごα打払∫ れZi∫α孟αe とした。

ひきつづいて花岡t1957b)は,Anderson =909)と Hln七On‖92占)の結果

について,形態と分布の側面から検討した。それによると,長野県八ケ宙産の標本12個体は,

外形では全く 托ii∫αまα¢に一致するか,頭骨では 符′i乙タ¢吉αβに一致するものと・α几d¢γ−

∫川i把一致するものとに分かれる。そこで,これらの標本は,一地方の同なじような所で採集

された,外形上同じ特徴をもったもののうちの2つであるから,これらの間に見られる差異は,

全く成長の差異によるものとし,α汀dゼγ∫β花iと 汀之i∫αまαg の模式標本把見られる形態的

差異も,成長の差と考えねば覆らないとしてぃる。以上のことから でho王DaB(1905 も)の記

戟した αれdβγ∫。汀iの模式標本は,偶然に・れ壱まタαまαe の尾の短い個体把よってたてられた

ものであるとして,几王立∫α孟αβをαれd¢γ∫βn去 のシノニム灯し,両者を一括してCJβ≠ん−

ー 55 −

(16)

米 γ£、8れ〃∽γ∫ ア・弘/β∂α血∫ α托dβγ・∫摘まとした。 つぎ把.α几dβr∫川ま. 鳥¢d.′βγdiα8. 川i亡ん去乞の差把ついて検討している。方 法として,ほほ同じ東宝基底長をもつ頭骨。臼歯紋を比戟した。結果として5者把明らか夜形態

的差異が認められるので.冥土nton(192占)と倣カ;各々の脚欲捻く,この5脚速

さカ項をってレ痘パ即ち,∫仇£まん;iけαmd¢γ∫川£よカ,即′d8γ∫ク花去はββd_fβγd去α¢ よカ,頭 骨がまだ小さいの打,すで打成体把なってぃるとぃうこと)と 立した亜種と認め,C■.γ祉′∂Pαれ祐∫ αndβγ∫ロ几i,C・γひ′∂ごα打払∫ ∂“げ∂rdまαβ, C,γ弘′βe机払∫ ∫椛iまム・五iとした。 さらに分布把も注意し,C・r比.f8eα花払∫ αれd¢γ∫川孟 と C・γ弘.fβeα乃・≠∫ ∫取去≠鳥五言 把ついて.それまでの採集記轟から,水平的分布の遠いを指摘し,垂直分布の相違把つ高ても推測 をした。 Tokud・a(1941)は.花岡=957J℃)把賛成したが,C・γ乱/βeα槻∫ αれdβr∫紺£ を C.α几dβγ∫珊ま と独立種として記哉している。この際∴理由は述べられていなぃが, C.γ眈′βeα几弘∫ カβd/押d去α¢よカ,椛3において複雑型の出現頻度の多いことを示してい る。 今泉‖9占0)は.Tbomas(19ロ5 e)の記載把ある α払d¢γ∫摘;の臼歯が無根であるこ とを再評価し.さらに乳頭が4対あることから一本州産ヤチネズミは d∫亡んiz¢mγ∫ 属把入る ものとした。また,尾長・頭骨の大きさ。臼歯の特徴把よカ,独立した2種 d.α几d¢r∫叩i, d・れi去gαまαβ として記哉している。孜お,和歌山県で d∫eんizβ鵜ツ∫ 把属するものの採集 が付記されている。 まず“¢吉見γ壱瑚仇γ∫(血んiz。ふ を記裁し,新たに紀伊半島産のもの(2個 Jameson(1?占1)蛙,今泉(19占0)と同様灯. に αん。βγ…£.。.(叫ん云z。鵜n£i∫α≠αβ 体)を. C.i鵜αまz彷彿よi と記戟してぃる。つづいて.類縁を形態。分布および外部寄生虫 の側面から論じている。それによると 射扉レγ∫鋸M と 住まi∫αまα8は,白歯が角ばセ,分布が 米 属名の変更については,エゾヤチネズざの項を参照されたい。 米米JamosOn(19占1)が,』1Teん去zβ鵜γ∫ 告C/β£んγま川凸仇γ∫の亜属にしたのは, ル孟iタα吉αβ の標本の中把.有根歯のものがあったからという。これにつぃては∴まだ崇 間として残ろう。 ー54 −

(17)

針葉樹郎結びつき,ノミは 叫叩。iα¢のものと共通するも鳴るとし,観を

C/g孟んγブd花¢恥y∫ r礼′¢eαn払∫ と結びつけてぃる。 一方i仇α去z払m去Z とてついては,白歯の角が円く,分布け低山帯の照葉樹林と結びついてしハる とし,類縁を帽のⅤ。と結びつけている。 今泉(19占8)は,それまでの分類方法が,少数の標本把基づいた類型分類であるとしている。 そして,計155頭の標本を検討し,差異のあらわれた尾塞,上顎白歯列長.上顎第5臼歯長.聴 胞長径の形質把ついて,差異係数(C.つ.)を用い.」∫亡んizβ仇タ∫ α几der∫叩iと』. 几iiタαfα¢を分けた。さらに.分布の面から,この論の裏づけをおこなった。 相見=9占7)は,花岡(1957 t}),Tokuda(1941)の論拠の上把二・わM㍍z狛晰=二抒つ いて論じ,Jam蔦SOn(19る1)とは異衆力, C.α托d¢γ∫川i去仇αiz払硯iよ と記哉して いる。それによると, 宣J花α去z比況Z去の形態的特徴は,中部産のヤチネズミの変異の晴陀入ると し,また.Jam8日On ♂ヽ南方由来に対し,・レリックとして現在の分布を説明しようとした。 以上を整理すると.本州産ヤチネズミ群につレ、ての問題点け,以下の5点灯まとめられよう。 1) H土n七On(う92占)の結果は,花岡(19571〕)によカ否定され,それ以後も肯定するよ うな資料は皆無であるばかカか,否定するよう夜資料しかない。 2) 本州産ヤチネズミ控,う穏であるとするものと,5荏に分けるべきであるとするものが あカ,その論拠捺さまざまである。 5)類縁について軋訂ふ両川甥甘m.rβCαれひ∫であるとするものと.、d∫e丘iz叩γ∫ とするも一のとがある。 る.スミスネズミ スミスネズミを初めて記載したのは,Tbom〇・S(1905 a)である。標本け1頭の谷で,神

戸から採集されたものである。特徴縁っしへては,其の ガリロ≠βmγ∫ のようを円味をもった頭骨・

円昧をもった白歯,外形をしてぃるが.7花2 とm。の基部は袋の中把入ってhて(8nCapSula− t◎d),Cγα∫βのmタ∫,血まg“cmy∫,やふつうの vo16のようである。また・臼歯の塑ヤそ 米 阪口(19占7)によると,これらのノミ(CαとαJJα.ダ乙α ∫亡γ宣αfα,ガβタαるロまんri∫ ∫β ̄ ・・.∴.・,Jト∴=.‥.・‥、‥一・・′∴・、・ノ・.ごご・∴二.・∫∫・・‥.、.、 ∴・・−・、・●!′】r− d乙αg に共通するものではない。また,同氏の私信によれば,これらのノミけネズ ミの類縁 を論じるの把は不適当な種類であるという。 米米 これは,JaJne∈On に明示されていないが, gβ亡んβ汀8机γ∫と考えられる。 − 55 −

(18)

の暗が狭い点は特異的であゎ,乳頭数はd個であるとしてぃる。その結果・飢∂孟β仇γ∫伊鳥α沈 ̄

/ロmy∫)∫mまZんi去 と記載しでいる云

Hln七On =92占)は飢β£βmγ∫ γ払/βeαれ払∫ ∫耽ままん妄言として ∫仇iまん主よ・ム¢d′dγdiα¢・

米 れ£iタαfαβ.αndβγ∫∂払iを一括している。 渡辺(1957)はぐJβ亡んγ乙川口仇γ∫ ∫m£吉良iiとして− ∫取去≠ん妄i,…dβ…用言, n£孟タαまα¢ を一括して記載しているが・その根拠は・黒田(1951b)に賛成したことと,便 宜上の要請の2つから成れ立っている。 花岡(1957 b)け・Thomas〔1905a)の∫m£才んi孟を C/β≠んγi∂nβ仇γ∫ ∫鱒i亡んまiとしてぃる。 Tokuda(う941)は,C.∫取去≠んii として記載し,体形,頭骨から見てC/¢≠んγまβ払¢一 硯γ∫ γ払と乞J弘∫ 把非常把近縁夜看であろうとしている。 今泉(1949)け.臼歯が無根であること.乳頭数が4個であ為ことなどにより,飢≠んβ托β一 仇γ∫(晦′。糀γ∫).,mま孟んiZとして記載し,中国産のC。γy。mと近縁のものであろ うと述べている。

Toknda(1955)招∴■スミスネズミを C/βfんγ主用β仇γ∫ から分碓させることにつぃては今

泉‖949)に賛成したが,属8≠んβ如恥γ∫よカム王β/iG仇γ∫打・よカ近縁であるとし・

血蜜8/iβmγ∫ ∫仇ま子方乙立 と命名した。その理由として・飢±鳥β那仇y∫ と」加イ¢J孟β恥y∫ の相違悼前後肢の掌面の既球の問把 Smalユ 加b言relβSがあるかなぃかであゎ,前者にはそ れが見られをいが,後者およびスミスネズミにはそれが見られるとしてぃる。 工maizu皿土(1?57)は,乳頭数が占個のものと4個のものとがあることを知力,それぞれ 米 詳しくは本州産ヤチネズミ群の項を見よ。 来米 Hin七On(192る)は.Cαγγ8仇y∫は,βγロ≠β鵜γ∫ γ払′∂ごα几払∫ ∫んα几∫¢立てん∫の若 い個体打つけられたものであり.同様のことが ∬.r.∫取去王ん去iでも見られていると

している。しかし,Hov㊤11(1929)は,Hln七On(192占)の考えに反対し,再び

肌。γ。≠払∫ の亜屠として位置づけ,この説は,Allon=940)庶も戦力入れられ.新 たに,ガロまんβ住用γ∫ の亜属として位置づけられている。それによると,毛の質や,白 歯紋.乳頭数把よカ区別できるとしている。 ー 5る −

(19)

g射いh川一望 げ施加ゎト抽∴ 属.げ8云ん…”乙プ∫)たαg¢払∫として記載して いる。ぜた.上記2竃は乳頭数の他に,地学約分私問頭頂骨,頬骨弓後部の角臥陰茎骨の形把 も差が見られるとしてぃる。類縁打開しては.烏α.9e祉∫を Tok11da=955)とけ異夜力

血8∠i。仇γ∫と。αrγ。乃乙y∫の中間雌置づけてぃ誉

その後,今泉(19占0)は,工maizu皿i(1957)同棲収■ セ\∫扇鳥か と且.た叩卓也∫ に分けてぃるが,系統関係打ついては C′β£んri…乱タ∫ ∫iたロ王α几¢n∫去∫⊥d∫亡ん£ヱの椛γ∫ n孟孟gαまαβ− 』.α几dβγ∫βni一郎亡んさル8仇γ∫ たαタβ比∫ の序列が,一系統の進 化の各段階を示すと述べ. To】亡uda(1955)の説把反対しでぃる。 JamβSOn(19る1)け,工ma土zl皿i(1957)の分類把賛成しでけいるものの.今後の研究紆 よカ た叩g弘∫ は ∫爪立fんiの亜種把位置づけられるであろうと述べてぃる。その理由け,頬骨 弓後部の角度け, 工皿a土庄一皿i(1957)の資料でけ比戟できなぃこと,陰茎骨の形態的差異は 個体変異把帰することをあげている。さらに由来について軋 ∫取去≠んiと 鬼αダ6ひ∫ け単一 の祖先からの子孫であれその祖先は,朝鮮からシベり了の海岸解そって少しずつ分化していた。 したがって,九州と北海道打蛙それぞれ異夜った亜種が入ってきたと思われるとしでいる。 宮尾ほか(19占4)け,八ヶ岳産の標本のうち把乳頭数が占偶のものと4個のものとを認め. たα∫β払∫ を ∫取去まんiのシノニムとした。その後,さら把持ト一地域で,乳頭数が4個とる個,‖同と

8偶の標本が混在することを認め,スミスネズミ\では乳頭数け4対から次第把2対へと減少する退

化傾向があゎ,それは本州中部地方で特に著しいとし, 工malguml(1957)の区分収反対して いる(宮尾十19占 以上を整理すると 1)工maiz皿=1957)の たαタβ弘∫ について軋その形態的特徴は ∫乱立まえiと重をカ 合うと思われる。 ・・− 2)・Jame8。n(つ9年1)のち叩直 結北海道経由で本州に入ったとする説は根拠が不明 瞭である。 5) 類縁打ついては, 月払fg/iロ吋ざ e弘∫孟β∫紅近いとするものと,血f8Ji8mタ∫ とは別系統であるとするものとがある8 米 ○βgOOd=952)が飢Zんβ几8仇γ∫と血fgJ孟β仇γ∫ 告それぞれ£G吉んβれG椛y∫の重昂に したこと拓従って使っている。 米米 三ma・土Z皿土(1957)は,飢まん¢汀β鵜タ∫を少をくとも4亜属匠分けている。す竜わち ∴・′く・−■、・I こ・・/−・・・・I・●・・・・‥バ,ハ・ご ∴・・= − ‥・、 − 57 −

(20)

最後打/,窟小名の問題灯ふれてみる。現在,牒ノJ、名として Smlヒhllと sml他1の両方が使 われて」る。この間題け明らか打文法上の問題である。Smithけ英名であるので.これをラテ ン化すると 蝕j.七hiu臼 杵をる。これの属格け Smit】ユま1である。したがって群小名け sm土tb土土 が妥当である。 7 ミカドネズミ Thomas(1905 b)打よって,飢βまロmγ∫ 仇乙鳥αdβ としてI初めて記載された。特徴 は,g.〆αγ¢β/払∫ と非常によく似た色をしてぃるが,、よわ赤褐色であるとされた占 Thom乙s(1907)では, g.α硯んγβ。′∫;∫ と比戟し,非常灯よく似たものであるが,g. 仇乙たαd。は,肩の部分が胴の部分の色よれ,せれ忙しか明るくない。また脳函部は,miたαdo の方が煽が狭く,長くなってい為とした。 青木‖て=5)は,一般に g・αmひr¢れ∫i∫ αm乱γβ几∫去∫ 紆よく似ているが,領背の色帯カモ 狭小でないという差があるので.g.αれ払rβ柁■∫i∫ の亜種 g.α取乱γ¢几∫i∫ 取去丘αd8 とした。

Hln七On=92占)は

は大きく,頬骨弓は少しふくらみ方が少貴く,眼窟中隔部と脳函部が狭く,白歯∴歯隙.鼻骨が 短h点から,再び, g.仇;烏αdβ とした。 米 黒田(195?)け,青木(1915)把同意し・CJ¢とんγiβれβ鵜γ∫ α鵜払γβ作∫i∫ 粧五庵αd∂ とした。

Ei。b血(195は,大別」黒番匿お小て採集したもの(傾)を,白歯がα仇γ…去∫

把似て 仇乙たαdβ と異なるということで C.㌢紺≠肌Ⅷ緑川山 とした。 Toklユda(1941)は, α鵜弘γβれ∫i∫ を γ仏土£J払∫ のシノニムにし,ミカドネズミを C. γ乱まよJ祐∫ 仇ま烏αd∂ とした。その理由綻,一般的な形は基種と佗ぼ一致するが.毛色は体側で 明瞭把別れ凌い;尾長が基亜種では頭胴長の1/5 であるが, 仇立たαdβは 2/5 である; 尾は毛深く孜い;頭骨は少し大きく,脳函部が大きくをり,眼寓が前後に短く孜っているが,こ グ、差は明瞭ではない;聴胞はむしろ′トさい;臼歯は明らかな差畢のある特徴をもたなレ㍉ こと があげられてぃる。 う陪 席名の変更打ついてけ.エゾヤチネズミの‡貢を参照のこと。 ※米 未参照。記述け,黒田(194日)による。 − 58 ∼

(21)

また,C・γ8∫β那花≠α花α∫打ついて軋 C・γ払子之/祉∫ mi烏αdd と同一種とみなした。 それ以降け,ミカドネズミの分類学上の問題は提出きれていそい。 8.ハタネ_ズミ ハクネズミはt M.G.ds Mont的8110 紆よって富士山で採集され,Mユ1ne−Ed_∇ard8 (187把よって血孟。β′…。れ亡8ムβ′′立 と恥て記載馳た。記載把際しセは、。.

鵜β∠α往?gα∫≠βrとの比戟がをされてい許その後,。Sasaki(190幣扁Milne一

万池Wards とは独立匠,茨城県から採集した標本で』.丘α亡αれβZ払取去宣 とした。 〆 (L

Tho幣(1905 c)は− Andorson が採集してきた標本を・紬8aklのr叩reSOn七a一

七ive 臼Ⅹa皿plOS と比敬し,両者が一致することを述べている。また同時に一 往.Milユβr が,Milne−Edwar舶 の記載した標本をパリで調査し,その後 蝕sakiの標本,および G・Smlth 打よって送られた三崎の標本から,これらのものが,ただ一種把属するという結論 に達し,それ疫っぃて Thoma・S 自身異論がなぃと述べてぃる。 Thoma白 け,この時,前革者が記載した属名』γ〃去cロ∠α から,属名 肌クr8亡祐∫ 把変え

てぃるが・その理由打ついては述べてぃなh。 ワbon乳S は,189占生 〝加ゎn七iaの

genera 打つぃて〝 を書き,そこで属名ガ去打β王弘∫ Scbrank‖798)の中把JγむまcβJα (1801)を,同属異名として〔 〕の中におさめている。また 丑.&M.−S.(1951)か ら,Tbomas が記載した MIcro七土nae 匠属する属名を調べてみると1907毎の論文匿おい て∴現在扱われてぃる狭義の』↑▲む去eβ/α を肌eγ8≠払∫ と記戟している。このことから, でbomaBU905 C)の ガ去ごγβ王乱∫ m…王¢ムβJJま の属名は.狭義の ガieγβ≠払∫ と dγひまeβJα の両方を含めたものと考えることができよう。 つぎの波江(19n9)の記戟にある 艮オ主eγ8硯y∫ m叩′£多ム¢//ま け.青木こり915)が書いて

いるように,肌pγ0ま乱∫ の誤植ゼあろ.う。

1915毎の青木の著作では.ハタネズミを罵 脆eγ口舌祐∫ 中の亜属 ガ去cγβf址∫ に入れて ぃる。そして青木は Miユユ6r(1912)が,その習性。統球数占個をもって属名 A=㍍c飢㍍ を設けているのに反対して, jγひie∂Jα を亜国 対去cγわ古仏∫ 把含めてぃる。したがって−こ の段階でも,ハタネズミ把用いられていた属名 肌ごγわれ∫ は,狭義の dγぴicnJα, 来・ZoolOg土Caユ Roeord 1872年による。 米米互.&軋−S.=951)によると,Eotbenomys m?1a.nOga8加r とされている。 米案米 未参照 − 59 −

(22)

肌eγβま也∫ を含んでいたこと把なる。 その後,Hj.nton =92る)が,』γひよe∂Jα,ガ壱eγの≠址ざ をそれぞれ独立の属にしたが, そのこと打控ふれられ孜レバ巨ま,巨本の学者たちによってハクネズミの属名は ガまerβ紬∫ と して踏襲されてぃ そこで,ノ、クネズミの属名として.狭義の 損亡γ∂ま址∫ かdγ〃ie8Jα か打ついて論をつく しておこう。 Hin七On(192占)は,gen8ra の類縁の葦で.以下のような記載をしている。 肌eγ8ま払∫ のmlは,前環と後環の間匠5つの閉じた三角形をもつ。あるものでは5番目の三角形が前環と 合一したカ(閉じた三角形: 4),またあるものでは前項が複雑把なカ,閉じた三角形が占∼ 8まで変化する。それに対して,dγひiedJαけ,5つの閉じた三角形しかなぃという。 手許打あるハタネズミの標本(雄184個俺)把つりて,閉じた三角形の数を調べてみると.一 般匠5個であカ.5個のものは見られ孜レ㌔ したがって,ハクネズミの学名は,現在のところ,肌eγβ享%∫ 仇摘まgム8JH Milno一 組ward81872 が妥当であると考えられる。 ノ、クネズミの類縁把ついては,レ1吏までのところ議論が不十分であるので,ここでは述〈こなゎ こと把する。 ま と め 1.アカネズ ミ a)本州。四国。九州産のものを ノ卸βd8取乱∫ 叩¢e去β∫乱∫ とすることについて異論はない。 ℃)北海道産のもの把ついては,4〉Od.β勅∫ 叩βeiβ∫払∫ αi打払 とするものと 』.

α去れん とするものとがある。 C) 類縁打ついては,今後の問題として残る。 2.ヒメネズミ a)学名として 』タ8d8批∫ タ8ま∫んα と d・αγg…一ま8弘∫ の2通力のものが使われてぃ る。 b) 類縁については諸説がある。

米 To】∈uaa(1941)では.狭義の drp;eβJαは, ガ乙eγβf乱∫の同属異名のリストに含

まれてい凌いので,除外したと推察される。

(23)

5. カヤネズミ a)学名打つぃてけt 肌eγβ訊γ∫ m立花払子払∫ の亜種とするものと.独立種ガ. ノ叩。− m去ご払∫ とする2説がある。 4. エゾヤチネズミ a)北海道本島産のものの学名を CJg孟鳥γi川8仇γ∫ γ乱′βごα打払∫ ムβd_fけd壱αβ とする こと把対して異論は見られ夜h。 も) 原島のもの把つぃては諸説がある。 5.本州産ヤチネズミ群 a)1種とするとぃう説と,5種とするという説がある。 b) 霹打つぃて C/e亡んγ去β几∂仇タ∫ に含める説と Arc丘izβ仇y∫ に含める説がある。 占.スミスネズミ群 a)1種とする説と,2程とする説がある。 b)類綬確つぃては,如上8∠ま8紳仇y∫ に近縁であるとするものと,それとは別系統であると するものとがある。 ヱ ミカドネズミ

a・) 学名を C/β±んriβn∂仇y∫ γ払Zi∠乱∫ m立たαd∂ とすること打対して異論は出されてぃ 薇h。

8.ハクネズ ミ

a)学名を 肌er8£弘∫ m¢花王;去¢JJiとすることに対して異論は出されてぃをい。

も) 類縁把つぃては,まだ議論が不十分である。

参 考 資 料

′ Rat 工)i8七ingue (脇∫ ∫ア¢eiの∫弘∫)

この ra七 は,一種の気持のよい目立った色どカをした.はっき少と区別のつく種であると患 われる。日本では,ほとんど知られていなぃ。数少ない標本が,我々のところに Ti−n6Zuml

という名で送られてきてぃる。しかし,はっきりとした採集地や生息状況にうぃての説明はない。

(24)

かっこうと.身体の諸部分の大きさは,我々の ratとヨーロッパのハツカネズミの中間に位 置づけられる。尻宅ば身体よカヤや長く.目のふちの後端打適する。その耳は普通の大きさで, 大きく円い。尻尾捺数少をh強く短い毛で被われている。最小ひげは白味がかってぃる。 鎖hさびた赤色で身体と頭部の上部全面がおおわれでぃる。しかし,背中けわずか把碍色をし, 横腹揉.明るい赤色をしている。鼻面.眉.首の下面,胸,四肢,四肢の下部,腹と胴体の全部 は純白色をしている。 全長け9ブス,そのうち尻尾け5ブス占リーニュを占める。 ヨーロッパの我々のノ「ツカネズミのうちで最も小さい,勃ん∫ m;れ払≠祉∫ は.日本でもみら れ.人々けそれを粘土の畑で発見する。そのネズミはそこでけ Hai∈ka−neZumlという名で よばれている。 Ra七 ArgBn七e(肋∫ αγタβれ≠β罷∫) かっこうは,我々の 〟乱∫ 硯仏∫e乱J弘∫ であゎ,革もまた大きく裸である。尻尾は,身体と 頭部と′よカより長く,なめらかであるが,先端の方妨わずか把毛がをる。身体の上部は全て,横 腹と首のわきの中央線まで,東金色をした茶色っぼい褐色を呈している。頭部は茶色味を帯び, 長ぃあごひげは.灰色がかった茶色をしている。下部全面の白色部は,横贋と首のわきの中央線 までのびでぃる。四肢けまた純白色をしている。 全長ムブス占∼7り−ニュ。そのうち尻尾は5ブス占リーニュを占める。最も大きh個体でも, 全長が7ブスを越えることけない。 この種は日本では yama−neZu皿iあるいは Ⅳ0−ne2unlとぃう名で知られておわ,それ は山あるぃは畑の ra七を意味している。一この種は山岳地方把住んでお力,茸の硬や殻物を食べ てぃる。 文 献 (米印は未参照のもの,○印は直接引用しなかったもの) 阿部 永(19d8)ヤチネズミ2塑の生長と発育.1.外部形質,体重,性成熟および行動.北海 道林業試験場報告,ノ拡占:占9−89. 相見 満(19占7)紀伊半島産ヤチネズミと本州中部以北蕗ヤチネズミの類縁性把つぃて.劫雑. 7占Z 44−49.

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参照

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