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ブロンテ書簡研究(2)

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(1)

ブロンテ書簡研究

(2)

上 は る 子 (四

)1836年

(5月

んヽら) シャーロッ トは1835年 7月 か ら

,ロ

ウ 。ヘ ッ ドにある母校のウラー塾で教壇 に立 っていた。報酬 の一部 をエ ミリの授業料 にあてるという契約 だったが

,エ

ミリは学校 にな じめず 3カ 月で帰宅 し, 10月か らはアンが代わ りに来ていた。 ロウ 。ヘ ッドではシャーロッ トは仕事 に追われていたが

,日

曜 にはバース トールの教会 に礼拝 に 出かけ

,そ

こでエレンやメア リに会 うことがで きた。彼女たちの住 むライデ ィングズや レッ ド・ ハ ウスの屋敷 に招かれ ることもしばしばあった。エ レンの兄 ジョージがハダーズフィール ドに商用で 出か けるときには

,途

中ロウ 。ヘ ッドに立 ち寄 って手紙や小包 を届 けるな どしていた。 また父親が ソー ン トンで牧師補 をしていた頃か らの知人 たち も近 くに住 んでお り

,休

暇な どには姉妹 を招待 し て くれた。外見的にはシャーロッ トは弧独 というよ り

,む

しろ多忙であつたように見 える。 だが教師 としての生活 は

,長

い拘束時間 と雑用 とプライヴァシーの欠如 によって

,シ

ャーロッ ト に精神的な緊張 を強いた。彼女 は単調で味気ない教師生活の不満 を「 ロウ 。ヘ ッド日記」 と呼ばれ る断章 に書 きつけている。現在

6編

の存在が確認 されている。 その最初 の もの と思われ る1836年 2

月 4日 付 けの`Well,here l am at Roe Head'で 始 まる断片 には

,夜

7時

をまわってようや く自分の 時間をもて,「この世 の惨 めな果 て しない洪水の うえに浮かんでいるわた しだけの箱船 に帰 り着 く」 という表現がある。教師の仕事や環境 になじめない ことを認めたあ と

,シ

ャーロッ トは続いて「わ たしは自分 の義務 はきちん と果 たしている。言 ってみれば一一一 た とえが不敬 にな らなければ一一 一神が火 のなかにも風 のなかに もおわさぬように

,こ

のわたしの心 も仕事や課題や運動 のなかには ないのだ」 と言い きる。教師 としての毎 日の生活 を く試練〉 と捉 え

,自

分 の心のよりどころを散文 的な 日常世界にではな く

,心

のなかの夢想の世界 に求 めるとい う二重 の生活 をシャーロッ トは生 き るようになった。 仕事 のあいまを縫 うようにしてエ レン・ ナ ッシに書 き送 った手紙 には

,シ

ャーロッ トが感 じてい る罪悪感や自己嫌悪が滲 みでている。だが彼女 はその悩みの原因については語 っていない。現在で はこの時期 にシャーロッ トが記 していた日記 の存在が明 らかにな り, また1829年か ら書 き続 けて き た初期作品の解明が進むにつれ

,

この時期 のシャーロッ トの精神的な葛藤 の背景が明確 にな りつつ ある。 シャーロッ トがみずか ら「地獄の世界」ぐAll this day l have been in a dream'で はじまる日 記,810.1836)と 呼んだアング リアの物語世界 に逃避 し,しだいにその官能 な世界 に陶酔 してい くこ

(2)

とに罪悪感 をつの らせ ていった過程 が見 えるので あ る。 28 (43)

ロウ。ヘッド 1836年

3月 ?〕 愛 す るエ レンーーー朝食 の席 で お手紙 をわ た され

,急

いで返事 を書 いてい ます。試練 が続 いてい る よ うですね。 きっ と神 さ まが それ を取 りのぞいて下 さるか

,そ

れ に耐 え られ る力 をお与 え下 さる も の と信 じてい ます。 お会 い して少 しで もお力 になれ た らと思 うのに

,そ

れ もま まな りませ ん。

Wの

こ と

,な

ん とお慰 め した らよいのかわか りませ んとち 嫌 味 にな って はい け ませ ん ので。病人 を抱 えた 家族 の気持 ち は

,他

人 に はわか らない もので すか ら。今 さ ら言 うまで もない と思 い ます し

,

もう き つ と くり返 し唱 えてお られ る こ とで しょう。「ネ申の成 し給 うことは

,な

べ て成就 す る もの」うと申 し ます。た とえ最悪 の事態 にな って も,またつ い に死 が希望 をうち砕 くか に見 えた として も

,エ

レン, どうか忘 れ ないで ほ しいのです。 すべ て はキ リス ト教徒 としてのあなたの堅 い信念 と慎 しい献 身 に 対 す る試練 で ある とい うことを。 けれ ども未 だその時で はな く

,お

兄 さ まがす っか りご快癒 な さる よ う切 に願 ってい ます。 自分 の身体 の ことな ど構 わ ないなんて

,悲

しいで す。 あなたの そばにい ら れ た ら

,せ

めて同情 す る こ とで

,降

りかか る重荷 をい くらかで も軽 くして さ しあげ られ るの に。 こ う した混乱 と苦難 のなかで

,わ

た しの こ とを忘れず に思 い出 して くだ さって

,心

か ら嬉 し く思 い ま す。苦 しい時 はえて して 自己本位 にな りが ちな ものです。わ た しの知 るか ぎ り

,あ

な た にそれ はあ て はま りませ ん。 いつ になった ら会 えるのか しら。 はっ き りした答 えを出せ ないので

,わ

た しの心 は沈 み ます。何がお ころう と

,

どんな成行 きにな ろう と

,あ

なたへ の気持 ち は変 わ りませ ん。 わ た したち はたが いのために祈 り

,た

が い の身 を案 じる ことがで きます。 た とえ身 は離れていて も

,た

が い を思 う気持 ちを封 じる ことはで きませ ん。 す ぐにお便 りを くだ さる とのお約束

,き

っ と守 って くだ さ るわね。

M9と

お母 さ まに よろし く。愛 と祝福 を。心か らお幸 せ を祈 ってい ます。ミ拠 生 もよ ろ し くとの ことです。 C・ ブ ロ ンテ

1)エ

レンの5番 目の兄William Nussey(18071838)は

,長

兄JOhn(17931862)と 同じように医学を修めクリーヴ ランド・ロウ(ロンドン)の兄 と同居していたが,1836年 2月 頃から鬱病になり実家に戻っていた。1838年6

月に死亡。兄によってその死因は隠されていたが,真相はテムズ川への投身自殺であった。

2)出

典不明

3)エレンの2番 目の姉Mary(18011886)の こと。少女の頃モラブィア派(聖書を唯―の規範とするキリス ト教の

一派)に傾倒し,マンチェスター近在のフェアフィール ドにあるSingle Sisters HOuseに入 り,Mercyと ぃぅ 名前をもらった。そのためMercy Maryあ るいはMary Mercy,またはたんにMecyと 呼ばれることもある。 29 (44) 最 愛 のエ レンーー こうしてい る今 も

,心

は少 しも落 ち着 きませ ん。 あなたが もしわ た しの こ とを考 えて い るな ら

,こ

の瞬間 に もわ た しを恩知 らず な薄情者 と思 ってい るだ ろう とわか るか らです。 い つ も変 わ らないあなたの優 しいお心遣 い を

,わ

た しが感謝 していないだなんて。先 日の思 いや りあ ふれ るお手紙

,

とて も嬉 しか ったです。「 で はなぜ返事 を くれないのか」とお っ しゃ るで し ょう。 ウ ラー先生 のお返事 を待 っていたのです。学校 が始 ま らない うちに

,あ

なた をハ ワー ス にお招 きす る 時 間が あ るか どうか

,先

生 に問い合 わせ た とい うわ けです。返事 が来 るな り呼 び戻 されて しまい, お知 らせす る時間 さえあ りませ んで した。許 していただ けるか しら?きっ と許 して くだ さるわね。 あなた は長 くは怒 ってい られ ない方 です もの。試 して ごらん にな る?わた しの身体 の ことを ご心配

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第46巻 第

2号

(1995) いただいたようですが

,お

か げで もうすっか り良 くな りました。それほど悪かったわけで はないの です。傘 に添 えられていたお便 り

,胸

に染 みました。わた しの悩 みに対 して

,ど

なたか らも期待で きないほどのお心づかいをいただ きました。わたしは正 しき者 を装 うことはで きません。 あなたの 優 しい ご質問にも

,お

望みのような答 えをするわ けにはいかないのです。 どうかわた しに も善 い と ころがあるか もしれないなんて

,ご

自分 を欺 いた りしないで ください。 もしわたしがあなたな ら, シオ ン1)を 目指 していたか もしれ ません。で も輝か しい神殿 も偏見や誤解 のために,霧にかすんで と きお り見失 ったで しょうけれ ど。あなたの一途 さも

,

ときには問題です。 けれ どわた しはあなたで はあ りません。もしわたしが胸 の内に秘 めていることを,わた しがのめ りこんでいる夢想 の ことを, ときお りわたしを陶酔 させ

,日

々の生活 を惨 めなほ ど退屈 に感 じさせ る恐 ろしい夢想の世界 の こと を知 った ら

,あ

なたはわた しを憐れみ

,そ

して軽蔑 なさることで しょう2ち けれ どエ レン

,わ

た しは 聖書の宝 を知 っています。命 の泉が はっきりとこの目に見 えるのです。 ところが澄み きったその水 を飲 もうと身 をかがめると

,水

は唇 か ら退 いていって しまうのです。 まるでタンタロスです。馬鹿 な こ とを書 いて しまい ました。 お姉 さ まによろし く。 さよ うな ら。 シ ャー ロ ッ ト ロ ウ・ ヘ ッ ド ーーー 1836年 5月10日 早 く来 て欲 しい で す 。 ど うか

,頭

が お か し くな っ た な ん て 思 わ な い で ね。 馬鹿 げた お便 りに な って し まい ま した。 1)エルサレムの古い別称。後に祖国を追われたユダヤ人たちにとって,シオンはパレスティナヘの帰還 と民族国 家再興の夢 と希望 とを指す言葉 とな り,19世紀末のシオニズム運動 を生んだ。

2)シ

ャーロットはロウ・ヘ ッドにいる間もアングリアの構想を練っていた。`Well,here l am at Roe Head'で

まる日記(1836年2月 4日 付け)には,ア シャンティー族長クォーシャがザモーナ王妃メアリの寝室を汚す官能 的な場面 を描いている。 30 (45) ロウ 。ヘ ッ ド (1836年) 愛するエ レンーーー お手紙 を読んで

,興

奮のあまり震 えが とま りません。 こんなお便 りをいただい たのは初 めてです。 そこには優 しく濃やかな思いがあぶれていました。人間の思惑に左右 されるこ とな く

,神

ご自身 のお導 きになる真情が伝わって きました。わたしはとて もそんな貴い慈愛 を受 け るには値 い しない人間です。エレン

,あ

なたは信仰 によってご自分 を磨 きあげられ ました。 ご親切 に心か ら感謝いたします。 もうおたずねに怯んだ りはしないつ もりです。わたしは今ある自分 よ り ましな人間であ りたい と切望 し

,時

にそうなれ るよう熱心 に祈 ります。す ると胸が痛み

J晦

恨 にか られ一―一かつて知 らない聖 なる姿がかいま見 えるのです。やがてすべてがか き消 え

,暗

黒 の 間のなか に とり残 され ます。 これが真 に福音 の もた らされ る夜明けであるなら

,真

昼 にいたるまで 照 らし給 えと慈悲深い神 に祈 ります。エ レン

,ど

うか誤解 しないで下 さい。わたしの ことを善 い人 なんて思 ってはいけません。 そうあ りたい と願 っているだけです し

,今

までの自分の軽薄 さと傲慢 さを恥 じるばか りなのですか ら。ああ

,何

とい うことで しょう。わた しは少 しも善 い人間 にな どな ってい ません。恐 ろしい不安 の影 におびえてい ます。 た とえこの瞬間に年老いて白髪 にかわ り

,楽

しみ多い青春の 日々 を奪われ

,墓

地の縁 を歩む ことになって も厭 い ません。 もしそれで神 のひ とり 子の恩寵 によって神 に許 され

,救

いへの道が開かれ るものな らば。 これ まで も関心がなかったわ け ではあ りません。 けれ どいつ も漠然 とした反発 を感 じなが ら過 ごしていました。そして今

,あ

ろう ことか

,雲

が低 く厚 く垂れ こめて心 を重 くす るのです。エ レン

,あ

なたの励 ましに

,一

,ほ

んの

(4)

一瞬ですが

,あ

なたをお姉 さまと呼びたい気持 ちにか られ ました。 けれ ど興奮 もさめ

,ふ

たたび希 望 を失 って惨 めな気持 ちに閉 ざされています。今夜 こそ言われたように,お祈 りをす るつ もりです。 どうか全能の神が憐れみ深 くお聞 き届 け下 さい ます ようにI謙虚な気持 ちで神のお慈悲 を信 じます ―一一わたしの汚れた願 いが

,あ

なたの汚れないお祈 りによって清 められ るのですか ら。 まわ りは 大変な騒 ぎです。生徒 さんたちが算数 の問題や課題 を もって詰 めかけてい ます。 ウラー先生 はラウ ズ。ミルリにおいでです。今週 は毎 日のように

,エ

レンは来 ないのか しらと言 つてお られ ました。私 の ことを思って くれ るな ら

,ど

うかお願 いです

,金

曜 日においで ください。お来 しになるのを

,じ

つ と待 ってい ます。来ない とわかった ら

,泣

きだ して しまうで しょう。食堂 の窓辺 にたたずんでい た ら

,ジ

ョージお兄 さまが さっ と近づいて来 て

,塀

越 しにあなたか らのかわいい小包 を投 げて くれ ました。 どんなに歓 びにふ るえたか

,わ

かって もらえるか しら。 もうこれいじょう書 き続 ける勇気 はあ りません。仕事 をなおざ りにしているのですか ら。お母 さま

,お

姉 さまによろしくお伝 え くだ さい。 もう一度 あなたのご親切 に心か ら感謝 申 し上 げます。 さような ら

,清

らかなるエ レンヘ。 1)ROuse Mill ミス・ウラーの両親が住んでいた。父親が1836年頃から病気がちで,'その世話のために出かける ことが多かった。 31 (46) ロウ・ヘ ッ ド (1836年) 有望な生徒 たちが稀 にみる愚か さを露呈 した一 日の苦役 に疲れ はて

,わ

た しはいま愛するエ レンに あて

,慌

ただ し く数行 を書 き送 ろうと机 に向かってい ます。つ まらない ことばか り書いて も許 して ください。心が重 く暗 く沈 んでいるのですか ら。嵐 のような夕暮れで

,風

は止み間な くうな り声 を あげ

,ひ

ど く滅入 らせ ます。エ レン

,こ

んな気分 の時 は

,静

かにもの思いに耽 けつて心 を落 ち着 け るようにしてい ます。気持 ちが安 らぐには

,あ

なたの面影 を思い浮かべ るのです。黒 い ドレスに身 を包み雪 白のスカーフをまとったあなたが居ず まいをただ し

,純

白の大理石 の彫刻のような顔 に優 しい穏やかな微笑 を浮かべてい ます一一一 まるで うつ し身か と思 うほどに。話 しかけて下 さつた ら。 わたしたちはたがいにひ き離 され一一一遠 く別れわかれ に暮 らし

,こ

の先ふたたび会 えない運命 な らば一―一年老 いてか ら若 き日々 をふ り返 って

,旧

友エ レン・ ナ ッシを思い出 しなが ら悲 し くも心 たのしい時間 をもつ ことで しょう。わたしは人 を好 きになると

,そ

の ことを告げないで はい られな い性分です。 あなたの虚栄心 を くす ぐることになるとは思い ません。 あなたの魅力 は信仰 に由来す るものです。 あなたがいつの日まで も変わることな く清 らかで慎 み深 く

,心

優 しく慈悲 を施 され ま す ように。 そんなあなたに比べて

,こ

のわた しはいったい何 なので しょうか。あなたの ことを思 う たびに

,わ

た しは自分 の無価値 なことを思い知 らされ ます。エ レン

,わ

た しは下品で凡庸で惨 めた らしい人間 にす ぎません。わた しには自分 を恥ずか し く思わせ るだけの特性があるのです。 それ は あなたの預か り知 らない感情です し

,そ

れが解 る人 はほ とん どいないで しょう。 自分が変わってい ることを自慢 したいので はあ りません。で きるだけ抑 えようとす るのですが, ときにほ とば しり出 て,それ を目にした人 たちはわた しを蔑すみ,それか ら幾 日もわた しは自己嫌悪 にか られ るのです。 これか らお祈 りの時間です。ですか らもう くだ らない ことを書いている暇 はあ りません。で もこれ が本当の ところなのです。 もっ とましな手紙が書 けない以上

,こ

れ をお出 しするしかあ りません。 何 を書いた らよいのかわか りません。お手紙 と贈 り物

,い

ただ きました。 なぜお姉 さまたちがわた しな どにご親切 にして くださるのかわか りません。感謝 しているとお伝 え ください。エ レン

,お

便 りと贈 り物 をほん とうにあ りが とう。お便 りは嬉 し く

,贈

り物 はなにか しらもの悲 しかったわ。お

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第 46巻 第

2号

(1995) 姉 さま方によろし く。 あ りが とう。いただいた帽子 はわたしには可愛 いす ぎるようです。 もうこれ 以上

,書

き続 ける勇気 はあ りません。次 にお会いで きるのはいつの日の ことで しょうか。 32 (47) ロウ・ ヘ ッ ド (1836年5月28日) 愛 す るエ レンーーー ご親切 なお招 き

,で

もこうし ょっち ゅうで は困 って しまい ます。 なん とい って お断 りした ものや ら

,

とい ってお受 け したので はか えって面倒 な こ とになって しまうで し ょう。 と にか く今週 は行 け ませ ん。 こち らは暗唱 の真 っ最 中で

,お

手紙 が届 いた ときに も

,す

さ まじい ばか りの第

5節

を聞か されていた ところです。なの にウラー先生 は,金曜 日に ゴマ ソール1)を訪 問す るよ うにお っ しゃるのです。わ た しのために聖霊降臨際りにお約束 したか らと。都 合 がつ けば 日曜 の朝 に 教会 でお会 い して,月曜 の朝 まで ライデ ィングズ0に 滞在で きるで しょう。この提案 はお金 もかか ら ない し

,簡

単 で し ょ。 ウラー先 生 の強 いお勧 め に よる ものです。先生 はほっ とけない性格 だか らと お っ しゃって │お 母 さまの具合 が よ くなか った との こと

,心

配 です。で も もう良 くおな りで しょう。 またお家 の皆 さまもお元気 の こ とと思 い ます。 日曜 に教会 で ミス・ テイ ラー に会 った ら

,同

封 して あ る手紙 を渡 していただ けないか しら。 エ レン

,お

よそ人 間 の手 にな る最悪 の文字 を

,ど

うか許 し てね。 お母 さま

,お

姉 さ また ち に よ ろ し く。友 よ り。 シ ャー ロ ッ ト

1)原

注:メアリとマーサ・テイラー姉妹はゴマソールのThe Red Houseに 住んでいた。

2)Whit Sunday 精霊降臨際(キリス トの復活後50日目に精霊が使徒の上に降臨したのを記念する日。復活祭後 の第7日曜日。) 3)エレン・ナッシの家族は,エレンが 9歳 の時に父親が死亡していらい,父の弟Richard Nusseyが バース トール に所有するRydingsの 屋敷で10年間いっしょに住んでいた。叔父の死後,一家は1836年9月 にブルックロイドに 転居する。 33 (48) [ロウ・ ヘ ッ ド

,1836]

エ レン

,あ

なたへのお便 りはどれ もみな走 り書 きです。今 も機会 をとらえて一一― J・ ウラー さん が こち らにお見 えなのをよい ことに

,彼

か らミス・

EoWに

,そ

こか らヘ ンリヘ

,そ

してあなたに 渡 していただこうとい う寸法です。おいで くださらないのを責 めた りはしません。 きっ とやむを得 ない事情があっての ことで しょう。で も会 いた くてたまりません。 ほんの一時で も

,な

ん とか早 く 願いがかなわない ものか しら。何事 もなければ来週 の金曜 にゴマ ソールに出か けます。 日曜 日には ちらりとですが

,お

会 いで きるか と思います。毎週 あなたの来 ることだけを楽 しみにし

,毎

,そ

の希望 を打 ち くだかれ ました。先 日のお便 りに書いた こと

,悔

やんで はい ません。お礼 の言いよう もないほどの思いや りに心 うたれ

,告

白せずにはい られなかったのです。不思議 な精神状態のなか にあって まだ気分 は沈んでい ますが

,絶

望 してはいません。善 を行 ない悪 しき心 をお さえ

,誤

った 考 えを捨てようと努力 してい ます。 それなのに一一― なお一一一正 しい道か ら反れそうになる自分 にたえず気づかされ ます。やや もすれば自分 よりずっ と立派な人 たちを軽蔑 しそうにな ります。 自 分 もある種の人たちの仲間入 りになって しまうので は

,日

をすべ らせればたちまちパ リサイ人 に成 りさがって独善家 の列 に加 えられて しまうので は

,そ

んな恐れが頭 を離れ ません。 こうしてお便 り している今 も

,回

先 だけでお祈 りの文旬 を唱 えることに

,ど

うしようもな く反発 を覚 えます。わた しは自分 を恐れ憎みます。 もしもカルヴィン派の教義が正 しければ

,わ

た しはすでにして神 に見放 された ものなのです1ち わた しが どんなに反抗的で

,ど

んなに救いがたい感情 を抱いてい るか,あな

(6)

たには想像 もで きないで しょう。 この問題 について考 えはじめると

,ほ

とん ど冒漬的 にな り無神論 的な気分 にす らな ります。 どうかわた しを見捨てないで

,わ

た しのことを恐が らないで ください。 わた しが どのような人間か はおわか りで しょう一一一愛 しいあなたにお会 い したいです。熱 く消え ることのない愛 を惜 しみな くあなたに捧 げて きました一一一冷 淡 にされたな ら一―― もうお しまい です。お母 さま

,お

姉 さまたちによろし く。 1)あらかじめ予定 された者だけが地獄の火を逃れることができ,他の者たちはいかに努力 して も天国に行 くこと はできないというカルヴィン派の運命予定説に,シャーロットもアンも強い影響 を受け,自 分たちは救われな いのではという宗教的憂鬱に陥った。

34(49)

フランクス夫人

,ハ

ダー ズ フ ィール ド1) 拝復――一 ご親切 なお招 きに

,お

返事 を申 し上 げ るのが遅 くなって しまい ま した。 いつお受 けで き るか決 ってか らと思 い ましたので。今朝 ようや くウラー先生が終業 日を決 め られ ま した。体 暇 は今 月17日 の金曜 日か らとい うこ とです。当 日

,何

事 もな けれ ばア ンリとぶ た りで

,喜

んでハ ダーズ フ ィ ール ドにお伺 い したい と存 じます。 お力日減 がい くらか良 くな られ た と聞 いて

,ふ

た りともとて も喜 んで い ます。 この ところの好 天気 で

,す

っか り落 ち着 かれ る とよろしいのですが。最後 にお じゃま して以来

,お

宅 で も変化 が あ った ことで しょう。 ジ ョン も今 で はさぞ立派 な男 の子 になってい るで し ょう。 また可愛 いヘ ン リとエ リザベ ス もだいぶ しっか りして きた こ とで し ょう。 ミス・ ウース ウ ェイ ト9の お怪我 の こ とを聞 いて,とて も驚 きました。で も丈夫 な方 ですか ら

,す

ぐに治癒 され る と 思 い ます。その回復 ぶ りをぜ ひ聞かせ ていただ きたいです。金曜 日の年後

4時

5時

の馬車 で参 り, 月曜 の早朝 の馬草 で発 ちたい と考 えてい ます。一 日も早 く帰宅 す るよう父が望 む と思 い ますので。 だい じなお友 だちをお訪 ね してい る ことは承知 してい るはずなのですが。急 ぎ認 め ましたので

,何

か誤 りが あった らお許 し くだ さい。 お優 しいお便 りに返事 が遅 れ ました こ と

,

どうかわ た しの落度 とお思 いにな らないで くだ さい ませ。仕方が なか ったのです。ふ た りか ら愛 を こめて。 C・ ブ ロ ンテ ロ ウ・ ヘ ッ ド

,36年

6月 2日

1)Mrs Fl・anks(旧姓Elizabeth Firth,17971837)ソ ーントン時代(18151820)か らのブロンテ家の友人。ブラン ウェルの名づけ親で,彼がロンドンの工立美術院へ入学する計画が立てられたとき,必要な資金を提供した。 またシャーロットがロウ・ヘッドに入学した際にも財政的援助を申し出た。「ブロンテ書簡研究(1)」 (鳥取大 学教養部紀要第27巻

,平

成 5年11月)p.230注 3参 照。

2)原

注:アンは1836年 1月 (1835年10月が正しい)から,エミリに代わってロウ・ヘッドで学んでいた。 3)Mitt Outhwaite,Fannie(FranceOソ ーントン時代からの友人。アンの名づけ親。同上

,p230

注 4参 照。

35(50)

フランクス夫人

,ハ

ダー ズ フ ィール ド ブラ ッ ドフォー ド近在 ハ ワース ヨー クシャー

,1836年

6月 3日1) 拝啓一一一 ご親切 に もシャー ロ ッ トとア ンを一週 間 ほ どご招待 いただいた 由

,娘

か ら聞 きました。 ところが何 とも気 の早 い こ とに

,せ

っか くのお招 きを数 日に したい と申 し上 げた よ うです。娘 たち に は考 え直す ように

,手

紙 で言 ってや りま した。光 栄 に も娘 た ちが しば ら くお宅 でお世 話 になれ る な ら

,必

ずやふ た りに とって有益 な ことを見 聞で きる もの と思 い ます。 あなたの こ とは昔か ら存 じ

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 46巻 第

2号

(1995) 193

上 げてい ます し

,ご

主人 の人 とな りについて も確 か な筋 か らよ く伺 ってお ります。 その うえで決 め た こ とです。 この 旨

,シ

ャー ロ ッ トとア ンに は書 き送 りましたが

,な

にぶ ん に も (人づ て のため) 間 に合 わ ないか もしれ ませ ん。娘 たちに はあなたか らお伝 え願 えれ ばあ りが たいのですが。 お宅 ヘ 伺 うに はギ グ を まわ します。場合 によって はその ままロウ・ ヘ ッ ドに帰 って も

,私

ど もは構 い ませ ん。 ミス・ プラ ンウェル もおな じ気持 ちです。彼 女 か らも

,お

ふ た りに くれ ぐれ もよ ろし くとの こ とです。もしお会 い にな るような ことが あれ ば,ア トキ ンス ン ご夫妻 に もよろし くお伝 え くだ さい。 ブラ ッ ドフォー ドの知人 たち とはだいぶ御無沙汰 です。 しか し懐 か しい ミス・ ウース ウェイ トが腕 を骨折 した と聞 いて

,先

日お見舞 い にでか けま した。多 くの人達 に会 って,「 懐 か しい昔」の思 い出 の数々が鮮 やか に蘇 りました。 何人 か の

,い

えお そ ら く誰 の うえに も

,時

は変化 を もた らして い ました。 それで もす ぐにわか ら なか った の は

,わ

ず か一人 だ けで した。皆 さん総 じて気 を遣 って くだ さ り

,若

返 った な ど と言 われ ました。 それ も心優 しいひい き日 とい うもので し ょうが。 ご健康 とご多幸 を心 よ り祈 ってい ます ― いつ まで も変 わ らぬ心で

,友

よ り。 P・ プ ロ ンテ

1)父

ブロンテ師の手紙。彼は妻の死後まもなく,当時はまだ独身であったエリザベスに再婚を申しこんだ。彼女 はブロンテ師より20歳ほど年下であり,また一人娘でソーントンの名家キッピング・ハウスに住み

,経

済的に も恵まれていた。彼女は彼の求婚を断ったが,それから3年 ほど後にハダーズフイールドのJames Franks牧 師 と結婚した。その後もブロンテ家とは付き合いがあった。 36 (51)

ハワース,1836年

7月

親愛なるエレンーーー この

2週

,毎

日あなたのお便 りを待 ち詫 びました。 けれ ど―向に連絡がな いので不安 になって きた ところです。いつになった ら来ていただけるのか しら。 まだ

3週

間 ほど残 っているので

,ぎ

りぎりまで先送 りす るお考 えのようですね。 どうか 自分がいなければ家 で はどう にもな らないなんて思いませんように。あなたがいな くて も

,少

しのあいだ くらい何 とかなるわ よ。 それ よ リエレン

,ほ

ん とうにもう怒 ってな どいないで しょうね。す ぐに手紙 を ください。 そ してわ たしの不安 を取 りのぞいて ください。そうでなければ

,じ

りじりとたまらない気分です。 ハダーズフィール ドでだれに会 ったかわかるか しら。なん とア ミー リア・ウォーカーうなのよ。金 曜に牧師館 に着いてみると

,そ

こに彼女 とお姉 さん

,弟

さん

,そ

れにご両親がおそろいだったので す。皆 さんやけに丁重で

,ア

ミー リア ときた ら大 げさに友情 を示 しました I以 前 より背が伸 びてす らりとして

,色

白で優雅 になったようで した一――相 変わ らず とて もきれいで淑女 らし くて

,垢

抜 けた感 じで したが

,あ

んまり気 どっているものですか ら台なしです。お姉 さんを見習 った らいい と 思 うわ一一― ほん とうにお手本 にしたいような人で

,物

腰 といい性格 といい気 どらず好感が もて, とりたてて美形でな くて も人 を惹 きつ けます。火曜 日はラッセルズ・ホール劾で過 ごし

,

とて も楽 し い一 日で した。ア ミー リアはころころと気分が変わ り

,甘

ったるい感傷 にぶけっていたか と思 うと, 傍若無人 にお しゃべ りす るといった ぐあいで した。時 には「わた くしって済 ましていた方が

,き

れ いに見 えるか しら」といったか と思 うと

,今

度 は「親 しみやすい方が

,わ

た くしには似合 うか しら」 なんて きくのです。 また昔の級友の ことをたずねてい る振 りをしてたのが

,つ

ぎには社交界 の人 た ちの逸話 をこと細 かに話 しはじめるのです。 とうとうわたしはうんざ りして

,弟

な らましか と思 っ て話 しかけてみました。 ところが ウィリアム・ウォーカー は図体だけは一人前だけれ ど一一一大男,

(8)

総 身 に知 恵 が 回 りか ね

,

とい うわ けで

,そ

の 口か らは ま ともな言葉 ひ とつ聞かれ ませ んで した。 お 父 さ ま

,伯

母 さ ま

,み

ん なか らよろし くとの ことです。お母 さま とお姉 さまに くれ ぐれ もよろ し く。 お母 さ まはす っか り良 くな られた ことと思 い ます。す ぐにお便 り下 さい

,そ

して 日程 を決 めて欲 し いです。 か し こ シ ャー ロ ッ ト 1)Amelia Walker シャーロットの名づけ親ア トキンソン夫人の姪。ロウ・ヘッドでシャーロットと同級生だっ た。「書簡研究(1)」 p.244注36参照。なおアミーリアは未完に終わった最後の初期作品`Ashworth'(1839年 から1840年初めにかけて執筆)に,Amelia De Capellと して登場 している。 2)原注:アトキンソン師はブロンテ師のソーントンの前任者で,ま たハーツヘッドの後任者でもあった。ハダー ズフィールドの名家ラッセルズ・ホールのFl・ances Walkerと 結婚した。 37 (52) (ロウ ヘ ッ ド

,1836年

) 先週土曜 日の年後

,感

傷的な気分で手紙 を書 きました。 その内容 はわた しとおなじように頭 のおか しいM・ テイラーにこそぶ さわ しい もので

,今

日それ を読 み返 してみて

,冷

静なあなたが読 めば き っと果れて しまうに違いない と思い

,あ

らためて書 き直す ことにした次第です。エ レン

,あ

なたに ついて思 うところ感 じる ところを何 もか もお話す るつ もりはあ りません。日をつ ぐんでいればこそ, どうにか これ まで通 り分別 ある者 と思 っていただけるで しょうか ら。 そうでなかった ら

,

とうの昔 にフランスかぶれの狂人つと言われていた ことで しょう。あなたの優 しい心遣いのおかげで

,人

に笑 われずにすみ ました。 これ まで は惨 めな傷 つ きやすい性格か ら

,人

の嘲笑 を灼 きごてを当て られた かのように感 じた もので した。だれ も気 にもとめないような ことで も

,わ

たしの心 には毒液 の よう に染み こむのです。 こんな風 に感 じるなんてばかげていると思い

,さ

りげな くふるまお うとす ると いっそ う深 く刺 され るのです。なんて馬鹿 なので しょう! 先週 の 日曜 日

,ジ

ョージお兄 さまがマーフィール ド教会 にい らした と聞 きました。 もち ろんお会 いで きませんで したが

,咳

ぶ く声で (近眼のせいか耳 は聡 いのです

)わ

か りました。 ミス・ ワイツ 〔P〕 が

,お

兄 さまがい らしていると言 うと

,み

んなす っか り夢 中になって

,そ

の晩 はお兄 さまの 話で もちきりで した。 ミス・エライザリはお兄 さまの月叉装 を

,さ

らには連れの方のようす まで も呆れ るほど事細 かに話 して くれました。 まるで絵 に描 いたみたいで

,お

なかを抱 えて笑 い ました。 あな た も聞いていた らきっ と我慢で きなかったで しょう。 エレン

,い

つ もあなた と一緒 にい られたな ら

,

これ まで以上 にあなたに夢中になって しまいそう です。 自分たちのご く小 さな家 とささやかな資産があれば

,あ

れ これ気兼ねす ることな く死 を迎 え るまで

,愛

しあって幸せ に暮 らしていけるで しょうに。わた しの愛 しいエレンヘ (ロウ 。ヘ ッド9月26日

,1886年

)

1)初

期作品`Albion and Marina'(lo.1830)と こおいて,主人公マリーナ (こ とメアリアン・ ヒューム

)対

抗する

ゼルジア (こ とゼノビア・ エル リン トン)のことをFrenchified ttvalと呼んでいる。

2)Mる

s Eliza ミス・ ウラーの末の妹。姉の学校を手伝っていた。

38(53)

ブル ックロイ ドけ

肝心のバ ッグをお送 りす るのを忘れ るなんて一一一 日につ くように と丸一週間 も化粧室 に下 げてお いたのに一―― いよいよ頭がおか しくなった思われ るで しょうね。使いの子を出す前 に

,立

ったま

(9)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 46巻 第

2号

(1995) ま10分も考 えていたのに。本 のほかにも何か持 たせ るものがあったような気 はしていたのです。 こ うした記憶力の低下 に

,

もはや若 くはない ことを思い知 らされ ます。 こちらの怠慢であなたに不都合がなければよいのですが。明 日ジョージお兄 さまがハダーズフィ ール ドにいらっしゃる途 中で

,立

ち寄 られ るか どうか待 ってみます。 もし来 られなければ

,人

を雇 ってブル ックロイ ドまで届 けさせ るつ もりです。不注意 と思われ るので はないか

,

とて も悲 しいで す。で もこれは一時的な物忘れの発作 のような もので

,ど

うしようもなかったのです。 クリスマス 以前 に何 とか会いたいですが

,そ

れ は難 しいで しょう。で も

3週

間 もしない うちに

,静

かな懐か し の我家 にわたしの精霊 をお招 きで きるもの と思います。いつ もあなた といっしょで

,毎

日ふた りで 聖書 を読み

,慈

悲の泉か ら澄み切 った水 をともに口にで きたな ら

,い

つの 日かわたしはよ り善 き人 間になれ るか もしれ ません。邪悪 な思い と堕落 した心 を宿 し

,精

神的な ものを顧 みず肉体 に対 して 熱い思いを抱いている今 のわた しよりも追かに善い人間に。ふた りが送 るであろう幸福 な生活 をと きお り思い描いています。かつて聖人 たちが究 めた といわれ る崇高で光輝 く献身

,あ

の自己否定 に 到達で きるよう互 いに励 ましあ うのです。 そうした未来への希望 に彩 られた至福 の状態 と

,現

在 の 自分のおかれている陰鬱なあ りさまとを,ヒベて

,わ

た しの日は涙 に濡れ ます。 はた して真 の悔い改 めをしているか不安です。身 も心 もあて どな くさまよい

,わ

た しには とうてい到達 しえない清浄な 世界 にひたす ら憧れ るばか りです。時 に

***の

言 うおぞましいカルヴィン派の教 えは真実なので はと恐怖 にとらわれ

,精

神的死 の影 に暗 く閉 ざされ ます。救われ るためには全 きキ リス ト教徒でな ければな らないのな ら

,わ

た しな どけっして救われ ることはないで しょう。わた しの心 は邪悪な思 いを生みだす熱 き温床であ り

,実

践 については

,い

ざ行動 をと思 うときには救い主のお導 きを仰 ぐ ことを忘れてしまうのです。 どのように祈 つた ら良いのかわか りません。善 を成す という立派 な目的 と

,自

分の人生 とを結び つけることがで きないのです。たえず快楽 を求め

,欲

望 を満 たして くれ るものを追 い続 けています。 神 を忘れて しまうわた しの ことな ど

,神

が はた してお忘れにな らない もので しょうか。 そうした一 方で私 はエホバ の偉大 なることを知 ってお り

,彼

の真実なること

,彼

の言葉 の正 しきことを信 じて 疑 いません。純粋 なキ リス ト教 を信仰 しているのです。わた しは理論 において正 しく

,行

ないにお いてひどく足 を踏 み外 しているのです。 一一― さような ら

,エ

レン で きるな らまたお返事 をだだ きたいです。あなたのお便 りはわた しには何 よりの楽 しみです。皆 さ まによろし くお伝 え ください。マーシーの具合が よ くなるよう祈 ってい ます。 月曜 日・ 朝 ロウ・ ヘ ッド(1836年 12月 6日) 一晩で もブル ックロイ ドに伺 えた らと思いますが,ウラー先生 にお願 いす るのははばか られ ます。 先生 は今 デューズベ リー・ ムーアにお出か けで

,火

曜の夜11時にな ろうとす る今

,わ

た しは一人 ぼ っちです。あなたが ここにいて くれた ら。皆が床 についている中で

,わ

た しひ とりが寝 もや らで最 愛のあなたのことを思 ってお ります。 バ ッグが届いたか否か確認 したいので

,ほ

んの走 り書 きでけっこうですか ら

,使

いの者 にお渡 し ください。今 日の午後

,通

りでジ ョージお兄 さまを見か けました。通 り過 ぎてか らアンにいわれて 気がつ きました。挨拶 もせず

,さ

ぞか し気 の きかない女 と思われた ことで しょう。是非 もあ りませ ん。 1)エレンー家は叔父Richard Nusseyと ライディングズに10年近く住んでいたが彼が死亡し,その遺言によって屋

(10)

敷は売 りに出された。エレンの長兄ジョンが買い取 ったが,そ こには義母Mary Walkerの 家族が住むことにな り,エレンたちは1836年9月 か ら故 リチャー ド叔父の所有であったブルックロイ ドに転居 していた。 39 (54)

ロウ。ヘッド,1836年

12月 14日 P〕 親愛 なるエレンーーー優 しいお便 りにたい してひ どくお粗未な返事 しか書 けませんが

,許

していた だけるもの と思います。手紙 が届いた時 にも

,そ

して こうして走 り書 きしているあいだ も

,家

中で 帰 り支度 に大騒 ぎしているか らです。今 日みないっせいに家 に帰 るのです。 わた しの欠点 を優 し くかばって くださいましたが

,そ

れを真実 と思 うわ けにはい きません。あな たのように寛大 に見て くれ る人 はそう多 くはないのですか ら。いたわ りをこめた思いや りあふれる ご忠告 をひ とり静かに読 む とき

,き

っ と心慰 め られ るもの と思います。 けれ ど今のように気ぜわ し く落 ち着かない状態で は

,そ

こに書かれた清 らかな聖書 の精神 に入 ってい くことがで きません。他 の ことに注意 を奪われ集中で きないので

,こ

の話題 を続 けるのは適切でないように思い ます。ハ ワ ース訪間について

,な

にも触 れてい ませんね。お家の方々 にご相談なさったか しら。お許 しを得 ら れ ましたか一一一帰 りしだい またお便 りします。先週 の金曜か らずっ と

,半

期 の授業 の仕上 げで猛 烈な忙 しさで した。地理 の問題で悪戦苦闘 し (ミス 。

Mや

ミス・

Lに

説明す るのを想像 してみてち ょうだい

),は

てはミス・E・

Lの

洋服 の繕 いで ようや く終 った とい う次第 です1ち 可愛いそうに

*

**が

また具合が良 くない と聞いて

,

とて も悲 しいです。 よろしく伝 えて ください。 ウラー先生が お呼びです―――わた しの生徒 のナイ ト・ キャップが どうか した らしいです。それで はじきに会い ましょう。

1)「 ロウ・^、ッド日言己」`All his day l have been in a

Miss Marriot,Ellcn Cookの 名前が見 られる。 40 (55)

C・ ブ ロ ンテ

dream'(14,10.1836)で 始 まる断章には,MiSS Ltter,

18364F12ナ]29日 親愛なるエレンーーー約束 の手紙 をもっ と早 く出さないで

,さ

ぞ怠 け者 と思 っているで しょうね。 で も悲 しい きちん とした訳があるのです。家 に帰 って数 日後の ことですが,タ ビー1)がlXi我をして し まったのです。村 に用事が あって急坂 を下 りて行 った ところ

,道

が凍 つていて足 を滑 らしたのです。 暗かった こともあって見ていた人 もな く

,よ

うや く通 りかかった人が うめ き声 に気づいて くれたの です。近 くの薬局 にかつ ぎ込 まれ診て もらった ところ

,脚

が完全 に脱 臼 し折れていることがわか り ました。運の悪い ことに医者がつか まらな くて

,手

当てが済んだのはもう翌朝 の

6時

になっていま した。今 は家で寝 てい ますが

,予

断 を許 さない状態です。みんな事 の次第 にひ どく胸 を痛 めていま す。 というの もタビー は家族 の一員のような ものですか ら。事故 い らい手がな くて一一一時 どき立 ち寄 って片づ けをして くれ る人 はいますが

,ま

だ きちん としたお手伝い は雇 つてい ません。ですか らタビーの看病 に加 えて

,家

事一切がわたしたちの肩 にかかって くるとい うわ けなのです。 こんな 状況で はとて もお招 きす るわ けにはい きません。少 な くともタビーの容態が落 ち着 くまで は。あま りに身勝手 というもので しょう。伯母 さまはもっ と早 くお知 らせ しては という意見で したが

,お

父 さまや他の者たちはもう少 し目鼻がつ くまで待 って欲 しい といったのです。わたし自身 は一 日延 ば しにしていた というわけです。 こんなに長いあいだ楽 しみにしていた ことなので

,な

かなかあ きら めがつかなかった ものですか ら。で もあなたが言 っていた ことを思いだ しました。すなわち自分 よ り高い ものに決定 をゆだね,それがいかなるものであれ甘 んじて受 けるとい うことばです2ち ゎたし

(11)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第 46巻 第

2号

(1995) 197 も黙 って従 うのが 自分 の義務 だ と考 えます。 それが最善の道なのか もしれません。 この厳 しい天候 のなか をい らして も

,な

に もよい ことはないで しょう。荒野 は雪で閉ざされているので

,外

出 もま まな らなかったで しょう。 こんなに落胆 した後 なので

,つ

ぎに楽 しみを繋 ぐ気 にもなれ ません。わ た したちのあいだには運命 のような ものが立 ちふ さが っているような気が します。わたしはあなた には値 しません。 だか らあなたは

,あ

まりわたしと親 しくなって汚れてはな らないのです。 それで もわた しは来て欲 しい と思い一―一せがみ

,ね

だることで しょう一一一 けれ ど胸 をよぎるのは

,あ

なたの滞在中にタビーの身 にもしもの ことがあった ら

,わ

た しは決 して自分 を許す ことがで きない だろうという思いです。 そんな事 は断 じてあってはな りません。それを思 うとわたしは心乱れ挫 け てしまうのです。がっか りしているのはわた しだけで はあ りません。家中であなたの来 るのをほん とうに心待 ちにしていたのです。お父 さまはあなた とのおつ き合いをとて もよいことだ といい

,

こ れか らもずっと続 けるよう望んでい ます。お姉 さんは良 くなられたことでしょう。 また皆 さまもお 変わ りあ りませんように。お兄 さまお姉 さまによろしく。心沈む友 より。 か しこ C・ ブロンテ す ぐにお便 りを くれない と

,む

しゃ くしゃした今 の気分で は捨て られた もの と思 うで しょう。 1) Tabitha AykrOid(17701855)1824年 から死亡する1855年までブロンテ家の召使いとして仕えた。骨折 したと き父 と伯母 はタビーを村にいる妹にひきとらせることを主張 したが,エミリーが中心となって 3人 でハンガー・ ス トライキをしてタビーを牧師館で世話することが許 された。 モラブィア派にはDecision by LOtと ぃぅ,く じ引 きによって運命を決めるという習慣がある。もとはボヘ ミア に生 まれた聖書にのみ基づ く信仰 と実践を強調するモラブィア派は,18世紀半ばにはイギ リス北部 を中心に広 まった。1755年いらいゴマツールにも教会ができ,ナッシ家やテイラー家 はその信者であった。エレンと姉た ちやテイラー姉妹 もロウ・ヘッドに入る前に

,教

団の運営するLadies'Academyで 学んでいた。 (五

)1837年

か ら

1838年

まで 1886年末か ら37年初頭 のクリスマス休暇 の間 に

,シ

ャーロッ トとブランウェル は将来 の職業 とし て作家 になることを考 え

,具

体的な行動 にの りだ した。 ブランウェル は1835年秋 にロン ドンの王立美術院 に入学が果たせず

,画

家 になる夢 は断 たれたか に見 えた。彼がハ ワースに戻 るとまもな く

,エ

ミリがロウ 。ヘ ッ ドか ら帰 って きた。ふた りともハ ワースか ら外 に出て

,打

ちひしがれて故郷 に帰 って きた者 どうしだった。その後

2年

,プ

ランウ ェル はハ ワースの牧師館 に留まることになる。ブランウェルは自分のほんとうの仕事 は画家で はな く作家であると思いなお し

,幼

い頃か ら読み親 しんで きた『ブラックウッズ・マガジン』の編集部 あてに1835年 12月に手紙 を書いた。だが返事 は来 なかった。 プランウェル はアング リアに没頭 した。アング リアはロウ 。ヘ ッドのシャーロットにとって も精 神的な支 えになっていた。 ブランウェル とエ ミリの不成功 によって

,シ

ャーロッ トが「義務 と必要」 (1835年7月 2日

,エ

レンあて)に仕 えるべ き理 由はな くなっていた。かれ らを献身的 に援助す ると いう目的がな くなった今

,学

校 の仕事 はいっそう耐 えがたい ものに感 じられてきた。冬休 みに帰省 すると

,シ

ャーロッ トとブランウェル はそれぞれ詩人 のワーズワース とサゥジーに自作 の詩 を送 っ て評価 を仰 ぐことにした。 シャーロッ トがサ ウジーに最初 に送 った手紙 は残存 していないが

,サ

(12)

ジーか らの返事 と

,そ

れに対す るシャーロッ トの礼状 は残 っている。いっぼうブランウェルが ワー ズワースに送 った手紙 は残存 しているが

,彼

が返事 をもらった形跡 はない。 シャーロッ トは返事 を もらった ものの

,そ

の内容 は期待 した もので はなかった。そこに書かれていたのは

,作

家 にな ると い う野望 は捨 てるように とい う助言であつた。 1837年夏

,

ミス・ ウラー は寄宿学校 をそれ までのマーフィール ドのロウ・ヘ ッドか ら

,デ

ューズ ベ リ・ ムーアに移転 した。病気の父親の看病 とそれにつづ く死去のために

,

ミス・ ウラー は学校 を 留守 にす ることが多 く

,シ

ャーロッ トは休暇中の ところを呼び もどされた り

,仕

事 をまか され るこ とが多 くなった。いっぽうエ レンは1837年 2月 か らロン ドンの長兄 ジ ョンの家 に滞在 してお り

,そ

の後 も

3番

目の兄 ジョシュアの家族が住むバースイース トン(バース近在)を行 き来す るな どして, ブル ックロイ ドには不在であつた。 さらに夏休 みが終わった ころか ら体調 を崩 していたアンの扱いについて

,シ

ャーロ ッ トはウラー 先生 と意見が対立 し

,12月

にはアンは学校 をやめて帰宅す ることになった。いっしょに帰 ったシャ ーロッ トは年が明 けて1838年 1月 末 には学校 に戻 った ものの

,ア

ンが去 リエレンもロン ドンの兄 の 家 に滞在 中で話 し相手 もな く

,孤

独 のなかで神経衰弱 に陥った。 5月 には医者の忠告で帰宅す るこ とになった。久々に牧師館 にブロンテ姉弟妹が全員 そろうことになったかに見 えたが

,ブ

ランウェ ル は伯母や父の友人たちの資金協力 をえて 6月 か らブラッ ドフォー ドにスタジオを構 え

,肖

像画家 として再 スター トした。

41(56)

「 ブラックウッズ・ マガジン」編集者ヘ 1837年 1月 9日 手元 にち ょっ とした作品のございます ことは

,以

前の手紙でそれ とな く申し上 げました1ち 出来 ば えはさてお き

,そ

の構想 についてはこれまでの『ブラックウッズ・ マガジン』 に掲載 されたいずれ の作品に勝 るとも劣 りません。 とはいえとうぜ ん散文で書かれ

,し

か も相当な長 さがあ り

,そ

の う えかな り風変 りな作品であるため

,手

紙で は意 を尽 くせ ません。それゆえお目もじかない陽の目を 見 られ るものな らば

,300マ

イルの旅 も厭 い ません。 つ きまして は会見 をご了承 いただ き

,た

とえ30分で もお会 い くださるとの返事 をいただけるよう お願 いす る次第です。お許 しなさって後悔す るような ことがあれば

,非

はひ とえに当方 にござい ま す。 間違いな く人助 けとな り

,ま

たご自身 に とって もお為 になるとわかっていなが ら

,な

おわずか一 行 をしたためる労 をもお厭 いなさるので しょうか。 なにを退 けだれ を拒 んでいるか もご存 じない ま まに

,煩

わ しい とい うことのみで一言のお言葉 も下 さらないお積 もりなので しょうか。 あなたの雑 誌が非 の うち処 な くて

,も

はや何 を付 け加 える必要 もな く

,ま

た付 け加 えようもない とお考 えなの で しょうか。いったいあなたを動か しているものはプライ ドーーー それ とも習慣一一一 さもな くば 偏見 なので しょうか。 どうか男 らし く

,そ

んな ものには日もくれず

,お

返事 を下 さい。訪間 を待 つ とお書 きくだされば

,喜

んでお受 けいたします。 これが うま くいけば双方にとって益す ることで し ょう。仮 にうま くゆかず とも

,な

お利 はござい ます。 なん となれば成功 の見込みな きことを

,本

人 が納得いたすか らであ ります。 (ブランウェル・ プロンテ)

1)ブ

ランウェルは数回にわたって『ブラックウッズ・マガジン』編集部に手紙を送っている。保存されていた1835 年12月(7日)付けの手紙には,そ れ以前にも2通書いたことが記されている。翌36年4月 8日には,自 作の詩

(13)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第46巻 第

2号

(1995) を送っている。(「ブロンテ書簡研究 (1)」 pp 255-257参 照。)

42(57)

ウィ リアム・ ワーズ ワースヘ ヨー クシャ

,ブ

ラ ッ ドフォー ド近在ハ ワース 1837年 1月19日 拝啓一一一お便 り致 しました もの につ き

,ぜ

ひ ご一読 いただ き

,

ご意見 をお伺 い致 した くお願 い申 し上 げます。 この世 に生 を受 けて より

,19歳

〔20歳 ?〕 になろうとす る今 日まで

,人

里離れた山あ いに暮 らし

,自

分がいか ほ どの者であ り

,何

を成 しうるか判 じかねてお ります。飲食す るの と同 じ つ もりで書物 に親 しんで参 りました。それが真 に自然な欲求であったか らです。書 くことも話すの と変わ らぬ気持 ちで一一一気 の向 くまま感 じるままに一一一筆 をとりました。止 めようもあ りませ ん

,沸

き上がるものを抑 えることがで きなかったのです

,た

だそれだけです。 自惚れ とい う点 につ いては

,人

か らお世辞 を言われて得意 になった覚 えはあ りません。なぜな ら今 日まで

,わ

たしが一 行で もものを書 くことを知 っている人間 は

,こ

の世 に

5,6人

とはござい ませんか ら。 しか し今

,ひ

とつの変化が生 じました。私 も何かをしなければな らない年齢 となったのです。明 確な目的のために

,

もて る力 を駆使 しなければな りません。その力が どのような ものであるか

,自

分で はわか りかね ますので,他人 にその価値 を見極 めていただかなけれ ばな らない とい うわけです。 ところが当地 にはそれ に答 えられ る人がいないのです。仮 にその力が取 るに足 らない ものな らば, これ以上 だいじな時間 をむだにす るわけにはい きません。 わが国の文学 において もその作品 をもっ とも敬愛 し

,ま

た神 にも等 しき知性の持主 と仰 ぎみるそ のお方にたいして

,

こうして大胆 に もお便 りしたのみな らず

,愚

作 のひ とつ を送 りつけ批評 をあお ぐ非礼 をお許 し ください。 どなたかその人 の判決 に対 しては何 の控訴 もで きないような方の前 に, 私 は我身 をゆだねなければな りません。 その方 は詩 を創作す るに留 まらず詩論 をも展開 し

,そ

のい ずれ もが これか ら一千年 に もわたって人々の心のなかに生 き続 けることであ りましょう。 わが意 とするところは世 に出ることであ ります。そのためには詩 だけで は心許 な くお もいます。 詩 によって船 を漕 ぎ出す ことは叶 つて も

,帆

を進 めることはで きませ ん。知的で論理的な散文

,そ

れを自分 の得手 として研鑽 をつんで参 りましたが

,そ

れによって世間の注 目をさらに引 くことが出 来 ましょう。そして また詩 はさらに輝 きをまし

,そ

の名 を栄光で包 んで くれ ることで しょうが

,そ

れ もこれ も手段 な くして は始 ま りません。なにも持たない私 はあ らゆる方法 を講 じてそれを獲得 し なければな りません。 そして今 日のようにろ くな詩人が見 あた らない以上

,よ

りましな人間が進出 で きるよう門戸 は解放 され るべ きであ ります。 お送 り致 しました もの は

,ず

っ と長い作品の序文 の‐部であ ります。 そ こで は激 しい情熱 と脆 い 道徳心が

,進

かな想像力 と鋭敏 な感情 と葛藤す るさま

,そ

して年 を経 るにつれて若 さもかた くな と な り

,放

蕩 も浅い愉 しみ もいつ しか肉体 と気力 の衰 えの中で惨 めに失われてい くさまを描 こうとし た ものです。。ご覧 になるものは,想像力 の強い子供の作文 という以上 の見せかけはいた してお りま せん。 しか しなが ら

,ご

一読 くださいます ように。闇のなかをさまよう者 に光 をさしの伸べ るよう に一―一 ご自身のお心の優 しさを重んじるように一―― どうかお返事 を ください動。たとえ一言でも, 創作 を続 けるべ きか否か をお教 え ください。つい感情的になって しまいました。お許 し ください。 この点についてはどうに も冷静で はい られないのです。心か ら尊敬申 し上 げてお ります。あなたの 忠実な僕 よ り。 P・ B・ プロンテ

(14)

1) ジェランは

,ブ

ランウェルがワーズワースに送 った詩 は`Still and bright,in twilight ttining'(88。 1836)で るとしている。(GOrin,Bttηη¢〃B℃ ″z p 126)手 紙の文面から判断して,それはアレグザンダー・パーシー を主人公 とした叙事詩の序文 と考 えられる。 ワーズワースは返事を出さなかった。後 日

,彼

はブランウェルの手紙について「見え透いたお世辞 と,ほかの 詩人に対する椰楡だらけ」であったとサウジーに語っている。 43 (58) ロ ウ・ ヘ ッ ド1837年 2月20日 手紙 を読みなが ら心が萎 えてい く気が します。エ レンーーー あなたなしで私 になにがで きるで しょ うかつ。なぜわたしたちの交際 はこれほ どまでに阻 まれなければな らないので しょう。信 じられぬ運 命 といえます。あなたにお逢 いしたい。 あなた とともに過 ごす数 日間

,数

週間が

,少

し前か らわた しのなかで育 まれつつある思いをか ぎりな く高 めて くれ るような気がす るのです。 あなたが指 し示 して くれた道 を

,わ

た しはおずおず と歩 みはじめようとしてい ました。 なのにあなたがいない今, わた しはたったひ とりで途方 に くれなが らた どるしかないのです。 どうしてわた したちは引 き裂かれなければな らないので しょうか。エ レン

,こ

れ はきっ とわたし たちがたがいの愛 を深 めるあ まり下

の造 り給い しものを敬愛す るあま り

,造

り主の神 をない が しろにする

2)___ぉ

それがあるか らにちがいあ りません。 はじめの うちは「ネ申の御心のなされん ことを」0などと唱 える気 にはとて もな りませんで した。抗お うとす ら思い ましたが

,そ

れ は過ちで あった ことが今のわた しにはわか ります。今朝

,ひ

とりで神 の御心のすべてに従 えます ように一一 一 それ は今 まで とは比べ ものにな らないほどの痛みを受 けることになるで しょうが一一一 と祈 りま した。 それい らい前 よ り心静かに謙虚 に一―― そして幸福 を感 じるようにな りました。先週 の日曜 日

,す

っか り落 ちこんだ まま聖書 を読 みはじめたのです。す るとむか し感 じたように

,感

動 に震 え ました一―一 まだ幼 い少女 だった夏の日曜の夕暮れ どきの こと

,開

け放 った窓辺で初期 の殉教者い らい と讃 えられた

,清

純 にして気高 く神聖なフランス人貴族 の伝記 を読 んでいた ときに訪れた

,あ

の心なごませ る平安が巡 って きたのです。わた しは大切 なエ レンの ことを思い ました一一―彼 女が 側 にいたなら

,わ

た しが どんなに幸せを感 じていたか

,神

の御言葉 の記 されたページがなん と輝 い て見 えたかをお話 しで きたのに と。で も「兆 し」 は掻 き消 され

,現

実 と罪が戻 って きたのです。エ レン

,あ

なたが発つ前 にぜひ ともお会い しなければな りません。 あなたが こち らへ来 られないのな

,ご

出発の時刻 をお知 らせ くだされば

,ブ

ル ックロイ ドまで歩 いてで も参 ります。イースターに お帰 りにな らないのな ら

,お

母 さまやお姉 さまのお招 きもお受 けで きないか もしれ ません。 あなた のいないブル ックロイ ドで は

,わ

たしは惨 めなだけです。 けれ ど数 日はむ りとして も

,数

時間だけ な らおたずね したい と思 っています。 あなたがいるか らこそ彼女たちに親 しみを感 じるのです。 こ の手紙 は思いつ くままに書 きつけました。いつお手元 に届 くのか見婆 もつ きませんが

,準

備不足で せっか くの機会 を逸 さない こと

,

と心 に決めてお りますので。それで はごきげんよう。神 のお恵み があ ります ように。愛 しい友ヘーーー さような ら。おそらく夏至 の ころまでにはお帰 りで しょうね。 なん とかな らない もので しょうか。わた しが どんなにふ さいでいるか ジ ョンお兄 さまがお知 りにな った ら

,た

ぶん憐れんで くださることで しょう。 1)エレンはロン ドンの兄 ジ ョンの妻が2月24日に男児 を出産 したため

,姪

たちの世話 に半年 ほ ど滞在す ることに なった。

2)「ローマ書」第1章第25節 朝んrshipped and served the creature more than the creatoゴ か ら。 なお『ジェイ

(15)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第 46巻 第

2号

(1995) 3)「 マタイによる福音書」第 6章第10節

44(59)

シ ャー ロ ッ ト・ プ ロ ンテヘ ケズウィック

,1837年

3月 り 拝復―――おそ ら く12月 29日付 けのお便 りへの返事 は

,も

うお諦 めの ことであ りましょう。手紙 を お書 きの頃

,小

生 はコー ンウォールのはずれにお り

, 2週

間ほ どしてか らニューハ ンプシャーのわ が手 もとに届いた次第です。その後 も随所 をまわ り,さ らにロン ドンにて

3週

間ほど多忙 をきわめ, 返事 を差 し上 げようにも暇が ござい ませんで した。 ようや く我が家 に帰 りつ くと

,留

守 の間に仕事 がたまり

,そ

の後かたづ けに追われ

,お

手紙 は書類 のいちばん下 にあって返事 を書かない ままにな ってい ました。 それがつ まらないか らとか

,な

おざ りにしようい う気持 ちか らで はな く

,じ

つを申 せば返事 の難 しい ことであ り

,ま

た血気盛 んな若者 の夢 に水 をさすのは愉快 なことで はないか らな のです。 どのような方か は

,た

だお手紙か ら推察す るばか りです。 それは真剣 に書かれた もの とお 見受 けしました。偽名 をお使 いのようですが。 その ことはともか くとして

,手

紙 にも詩 に も共通 の 特徴が窺われ

,そ

の気持 ちのあ りようは十分 に感 じとることがで きました。わた しの ことはお手 に なさった拙著な どか らお知 りにな られたので しょう。 たまたまわた しを一 目ご覧 になるな り

,い

く らかで も面識があつたな ら

,あ

なた も興 ざめ した ことで しょう。晩年 にさしかかった老詩人 の姿 を 目にしたな らば

,そ

して夢 も憧れ も歳月の前 にいかに脆 い ものか をご覧になったな ら

,あ

なたの情 熱 もい くらか醒 めた ことで しょうに。とはいえわた しは失意 の人な どで はあ りません。「いっさい空 な り」りな どとい う文旬 について

,わ

た しの口か ら意気消沈 させ られ るような説教 は聞いた ことはな いはずであ ります。 あなたの素質 について

,わ

た しが求め られているのは助言で はな くして意見 とい うことで ござい ます。 しか しなが ら意見 などはどうで もよい ことで

,助

言のほうが はるかに有益か と考 えます。 あ なたには明 らか に

,し

か も少なか らざる程度 にワーズワースのい う「詩才」が見 られ ます。 これ は 昨今 さほど珍 し くはない と申して も

,軽

ん じているわ けで はあ りません。毎年た くさんの詩集が出 され ますが

,読

者か らは顧 み られず にお ります。 そのいずれ もが半世紀前 に世 に出ていたな らば, 大いなる名声 を勝 ち得 たに違いない と思わせ るものばか りです。つまりこのようにして名 を揚 げよ うと思 うものは

,誰

かれな くこうした失望 を覚悟せ ざるを得 ない ということなのです。 ご自分 の幸せ を考 えるな ら

,才

能 に磨 きをか けるのは名声 を当てにしての ものであって はな りま せん。文学 を業 とし

,そ

れに人生 を捧 げ

,そ

うした選択 を一瞬た りとも悔 いた ことのない私で はあ りますが

,そ

れで もなおわが義務 として感 じていることがあ ります。 それ は私 に励 ましや口添 えを 求めて くる文学志望 の若者たちに対 して

,こ

うした危険な道 を取 ることのないように警告 を発す る ことであ ります。女性 にはその要 はない

,危

険 はあ りえないのだか らと仰 るで しょう。 ある意味で は確かにその とお りです。 しか し哀心か ら警告申 し上 げたい危険が一つございます。 あなたが 日頃 浸 ってお られ る白昼夢 は

,不

健全 な精神状態 を引 き起 こしかね ません。 日常の些事が何か ら何 まで 退屈で無益 に見 えて くるにつれ

,ほ

かに向いた仕事 も見いだせないままに

,そ

れ らの仕事 に不向 き になって しまうことで しょう。文学 は女子一生の仕事 とはな りえませんし

,ま

たなるべ きで もあ り ません。女性 の本来の務 めに励 むな ら

,た

しなみであれ楽 しみであれ

,文

学 にいそしむ暇 な どな く なるはずであ ります。 あなたはまだそうした義務 について はお られ ませんが

,時

至れ ば名声 を求 め る気持 ちな ど薄 らいでい くことで しょう。想像 の世界で興奮 を求 めることもな くなることで しょう。 そうした ものは

,あ

なたが これか らどのような状況 に身 をお くことになるにせ よ, この世 の浮 き沈

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