田
畑
博
敏
(昭和56年 5月22日 受理) 『序』 論理 は世界 を支配す る。何人 も,論
理の法網 を くぐり抜 けることはで きない。むろん,専
制君主 が民衆 を政治権力 によって支配す るという仕方 と同 じ仕方で,あ
るいは宗教的カ リスマが人の心 を 目に見 えない形で束縛す るとい う仕方 と同 じ仕方で,論
理が世界 を支配す るわけではない。論理 は しご く無あっさ りと",《あった りまえに"世
界 を支配す る。人 は言葉 を語 りつつ同時 に語 らない と い うことはで きない し,今ここに居てかつ居 ない とい うことはで きない(―一 当 り前ではないか/)。 また,改2+3=5"と
い う命題が真であると同時 に偽であるということもあ りえない(――当 り前 ではないか/)。 その通 りである,実
に当 り前の ことである。当 り前の ことを人 はわざわざ持 ち出さ ない。存在することさえ意識 しない。丁度われわれが,片
時 も忘れず,休
む ことな く呼吸 している のに,そ
の ことをほ とん ど意識 しないように。一― しか し,そ
の意識 しない とい うこと,当
り前で あるということ,そ
の ことがか えって論理の強い支配の傍証ではないか。意識 されないほ どに,当
り前であるほどに,論
理の支配 は世界 に浸透 し世界 を買いている。 しか し,一
― と人 は疑 うか もしれない。世界以外 に世界 に浸透 し世界 を貫 く論理 な どというもの があるのか,あ
った として もそれをとり出せ るのか, とり出 して どうするのか。世界 は世界で しか なぃ,世
界 か らとり出 された「論理」ではな くて世界 とい う「論理」が あるのではないか。た とえ ば,わ
れわれは日常,《彼 には彼の「論理」が ある"な
どとい う。無強者の「論理」"
《政治家の「論 理」"な
どとも使われている。 また物理学者 は素粒子の振舞 その もの を素粒子の「論理」 とみなし, 化学者 は化学現象その もの を分子の「論理」 と呼ぶか もしれない。であるが しか し,政
治家の「論 理」や素粒子の「論理Jも
世界 その ものの一部で はな く何 らかの言葉 による構成 を含 んでいるので はなか ろうか。政治家の「論理」 には嘘があ り真実がある。嘘か ら真実が出ることもある。 しか し (上述の)論理 には嘘 も真実 もない。素粒子の「論理」は,しか じかの場面で しか じかの理論(theOry) によって とらえられた素粒 子の姿であ り,そ
の姿の記述 においてすでに論理が前提 され,実
際上使 われている。少 な くとも,人
が言葉 を使 って世界の何事かを把握 し,描
写 しようとす るか ぎ り,論
理の支配 をまぬがれ えないのではないか。論理が世界 に浸透 してお り,世
界 を貫いているというの28 田 は
,ま
さにその意味 においてである。従 って,論
理 は世界の,つまりは事実の,基 底 に横 たわるもの であ り,あ
る意味ではそれは とり出せ るもので はない。つまり,論
理 自体 を考察 の対象 とするとき, 考察の手段である言葉 その ものが論理 を前提 としている,と いう意味 においてである。(°その ことは 承知の上 で,な
おわれわれは,言
語的活動の前提である論理 を考察 したい。《当 り前"である論理の 支配が,ど
うい う形で 《当 り前"で
あるのか確認 したいためであ る。Gottlob Fregeが 1879年に彼の最初の書物 である
&τ
笏 織ιttt(『
概念文字』)のを出 した とき,彼の念頭 には算術0を 基礎づけるために算術が前提 とする論理 を明示的に定式化するという課題があ った。『序』の冒頭で
,証
明を要す る真理 に二種類 あるとフレーゲは考 える。第一種の真理 は,純
論 理的な証明によって確立 され る。第二種 の真理 は,
これ と対照的に,経
験的事実によって支 え られ る証明 によって確立 され る。 フレエゲは,算
術の真理 は第一種の真理であるとい う信念 を抱いてい た。算術 はその基礎 となる論理 に還元 されなければな らない。ωその論理 とは,具
体的 には純粋 な思 考の法則 である。数の概念 を定義づけるためには,こ
れを《系列 における)贋序"の概念 として示 し, これ をさらに 無論理的な順序"の
概念 に還元せねばな らない。 そして,こ
の ように論理的な概念 に 還元 された算術の法則 を,直
観 の入 る余地のない,完
壁な推論の連鎖 によって少数の原理か ら導出 してみせなければならない。 フレーゲはここで,公
理体系 として組織 された論理体系 を考 えていた し,実
際 にそれ を創 り出 した。論理が このように公理体系 として提出で きるということは,今
日か ら見ればしごく《当 り前"の
ことであるが,当
り前の ことを初 めて明確 にすることはフレーゲの天 才のみにな しえたことである。 《 概念文字"の
構想 は,推
論の構造 をはっき りと示す という目的のために立 て られた。推論 を提 示す る際,使
われ る前提 はすべて明示 されねばな らない。 こっそ りと,別
の前提 を無断で忍び込 ま せ ることはゆるされない。 それ をゆるす と,推
論の連鎖にギャップが生 じるか らである。 また推論 が いかなるパ ターンによって進 んでい くか,そ
のパ ターン (すなわち推論規則)も
予め明示 される 必要がある。推論の際に最 も重要なのは,《概念内容"である。 これは客観的な概念の意味内容であ る[後に詳論 される]。 このような,推
論の明示 に対 しては,わ
れわれの 日常言語 よ り,あ
る種 の人 工的な形式言語 の方が役 に立つ。 フレーゲは自らの人工言語 を,純
粋恩考の表現のための形式言語 と考 えていた。 フレーゲは,日
常言語 と自らの人工言語の違 いを,肉
眼 と顕微鏡 との違 いの比喩 によって説明す る。肉眼 は視野が広 く,そ
の適用範囲 も,さ まざまの状況 に柔軟 に対処で きる点で大 きい。しか し, 顕微鏡 は日常の使用範囲では肉眼に劣 るものの,肉
眼 に見 えない微細 な ものを観察するという特殊 な使用の場合 には肉眼の機能 を上 まわ る。従 って,ふ
だんの生活で は肉眼で十分 であって顕微鏡の 必要 は感 じられないが,科
学的探究の場面 において特殊 な光学的性能が要求 され る段 になる と,肉
眼 は不十分 で顕微鏡が必要 となる。 これ と類比的な ことが,日
常言語 と概念文字(BegriffS Schrift) 敏との間 にも言える。 日常言語 はた しかに
,わ
れわれの生活上の要求 を満たす ものである。 しか し, 推論 とくに算術 のそれ を明示的に定式化するという仕事 においては概念文字が便利でかつ役 に立つ。 フレーゲは,ラ
イプニ ッツの普遍代数の構想 を音識 してお り,自
らの概念文字 は新 しい方法の創造 であると自負 していた。少な くとも,推
論や証明の正 しさ (妥当性)が
問題 となる場面で,概
念文 字 は十分用い られ る価値があるとみな していた。 さらに概念文字 は哲学者 によって も有効 に使われ うるとフレーゲは考 える。フレーゲ自身が,《哲 学の難問 は言語分析 によって解かれ うる"と
い うのちの分析派のテーゼを明確 に意識 したか は問題 である。 しか し,概
念文字 という人工言語 を使 って人間精神を言葉の就縛か ら解 き放つ とい うこと が,さ
まざまのヴァ リエーシ ョンとなって (例えばラッセルの記述の理論,前
期 ヴィ トゲンシュタ イン,カ
ルナ ップの形式的意味論 など)展
開 し,発
展することを思 えば,今
日の言語分析 とい う哲 学の常套手段がその起源 をフレーゲに持つ ことも理解で きる。0
フレーゲ自身,今
日の言語哲学の父 と目され ることは とうてい予想で きなかったであろうが,ま
た彼の論理学上の業績がいかに非凡 な ものであったか も,明
確 には自覚で きていなかったぶ しがあ る。[Bynum 1972]は,文
献上 に現われ る,フ
レーゲの論理学史上の革命的業績 とされ るもの を11 個 あげているが,161フ レーゲ自身 はもっ とひか えめに,3つ
を自らの新機軸 として掲 げてい るだ けで ある。 フレーゲは I概念文字"を
発明 しただけで も論理学 を進 めた ことになることを主張す る。 し か も,記
号の新奇 さに驚 くあまり,そ
の正 当な評価 まで放棄 しないで くれ と彼 は論理学者 に向 けて 訴 えている。二番 目の発明 は,「主語」「述語」 の概念 にかえて,「アーギュメン ト」「関数」の概念 を採用 した こと。内容 (判断の)を
アーギュメン トの関数 とみなす ことが,い
かに多大の実 りをも た らす ことになるのか,
この ことはフレーゲ も自覚 していた。二番 目の発明 としてフレーゲが考 え ているのは,い
わゆる論理結合子の定式化である。 いずれにせ よ,概
念文字 は算術 に応用 され,算
術 を基礎づけることに使われなければならなか った。 フレーゲはカン トと違い,算
術 の命題 も分析 的だ と考 えた。 しか し,そ
れは論理 に還元 され るとい う意味 において分析的なのであった。 それで は,フ レーゲが算術 をそれによって基礎づける論理 とはどのような ものか。以下,『概念文字』のI,H章
を順次,検
討 してい くことにする。2
記号お よび判断 (§ 1-§ 4) フレーゲは,以
後使われ る記号 を三種類 に区別 する (Sl)。 フレーゲによると,量
の一般理論で 使われ るのは,数
や関数 を不定的に表わ してい る文字 (変項)と
,十 ,一,V ,0,1,2の
ごとき 特定の意味 をもつ記号 (定項)と
であるが,こ
れ らを量の理論 よ りもっと一般的な純粋思考 の領域 において も使 うことにす るという。 フレーゲは,い
わゆる自由変項 に当るものを「文字」 と呼んで いる。文字 はさまざまの ものを不特定に表示する。これに対 して,十,0,1の
ような記号 は常 にあ30
田 る定 まった意味 をもつ。記号 は,記
号 に依って何事 かを表示す るとい う基本的機能 を担わ される。 ただ し,そ
の表示 とい う機能に二通 りある訳である。即 ち,あ
らゆる文脈 を通 じて特定の対象 ある いは事柄 を表示す る働 きと,文
脈 に応 じて文脈 に相対的に (その意味で不定的に)何
かを表示す る 働 きとの二つである。何か を不定的に表示する場合 も,あ
る文脈 (たとえば推論の際の仮定)が
与 えられた ら,同
じ記号が出現 している限 り,同
じ記号 は同 じものを表示 しているとみなされ る。 F(″ )∧G(υ) ∴F(2)
この推論 で上段 の《F(χ)"も下段 の(F(χ
)"も同 じもの を表示 し,上
段 の 《χ"も
下段 の 《χ" 同 じ もの を表示 す る。さ らに,不
定 的 に表示 す る とい う ことは,言
い方 を換 えるな らば,一
般性, 法則性 を表 現 す る こ とに通 ず る。文字式, (α tt b)c=α ctt b c は, a, b, cが
不定的に数 (たとえば実数)を
表示す ることによって,任
意の3実
数間 に成 り立 つ一般的法則 (分配律)を
表現することになる。 フレーゲはここで明示的に語 っていないが,変
項 の もう一つの機能,い
わゆる束縛変項 と今 日い われ るものについて も,こ
れ を導入 していた。(「一般性」の議論の際 に再度 とり上 げる)ま
た,ア
ーギュメン トの座やメタ変項 をギ リシア文字で示 し,文
字 (ラテン文字使用)の
自由変項 としての 使い方か ら区別 していることも特筆 に値する。 記号の種類 を見定 めた後,フ
レーゲは「判断」の議論 に移 ってい く。――半」断 とは何か?フ レー ゲの説明によれば,文
によって表現 された (判断可能 な)内
容 を真 と認 めることである。 いま К磁 石の両端極 は互 いに引 き合 う"と
いう文 を《A"と
略記すれば,事
実 無磁石の両端極 は互 いに引 き 合 う"と
い う半Jttは, 十 五 敏 と書 かれ る。半J断言己号,(7) 卜の短 い縦棒 は判断線 と呼ばれ
,水
平線 は内容線 と呼ばれ る。内容線 は,そ
の右側の記号,あ
るい は記号結合 をまとまった一つの内容 (文の意味内容)に
結合する働 きをする。 もちろん内容 にも判 断可能 な内容 とそうでない内容が ある。た とえば 徽馬"と
いう語 は,こ
れだけでは判断可能な内容 ではないか ら,本
来内容線 の右 には位置 しえない。判断記号(あるいは断定記号assertion sign)か ら判断線 を除いて,た
とえば,-4
なる表現 を考 えるとする。するとこれは,(A"を
先述の文の略記表現 とす ると,《磁石の両端極 は 互いに引 き合 う"と
いう判 断可能 な内容 を表現することになる。 判断 と判断内容 (判断可能 な意味内容)を区別 し,そ
の区別 を表現 しうる記号 を導入 した ことは,H.Slugaも
指摘するように,0フ
レーゲの重要な功績の一つであろう。 しか し,判
断内容 と区別 さ れる,い
わば判断その もの とは論理的にどのような身分の ものなのか?判断 はた しかにわれわれの ある行為であ り精神作用であるという側面 をもつ。 日常会話で も,わ
れわれは判断 (断定)す
る場 面に出会 う機会 はめず らしくない。旅行者 に 《久松公園は鳥取駅 の南側 にあ りますか?"と
聞かれ た ら,わ
れわれは 《いえ,久
松公園は鳥取駅の北側 にあ ります よ"と
答 えるであろう。 その場合, われわれ は「久松公園は鳥取駅の北側 にある」 と断定 している。旅行者 を困 らせてや ろうという意 地悪 な意図が ないか ぎり,通
常 は上の答 えが旅行者 に返 るであろうが,当
然の ことなが ら上述の答 (つまり文)の
内容 は真であるという意図の下 に答 えられ るのである。答 え手 は,「砥久松公園は鳥 取駅の北側 にある"と いう判断内容 は真です」などとは言わないであろう。 また,「久松公園は鳥取 駅の北側 にあると私は断定 します」 と答 えて,旅
行者に鳥取人 は堅回 しい ことを言 うという印象を 与 えることも,ま
ずあるまい。判断する,断
定す る,即
ち真なることを語 っているとの意 図の下で の説明 は,われわれの日常の慣用的な判断の用法である。0内容線 を伴 う表現 は,「・…とい う事態」, 「0中 という状況」「・いという思想」な どとパ ラフレーズで きるが,判
断記号 を伴 う表現 に対 して,「。中 と断定する」とか,「・“と私 は判断する」とパラフレーズはで きないのではないか。(Ю)というのは常 に,本
当に断定 したのか,本
当に判断 したのか,偽
ってあるいは誤 って断定 したので はないか,と
いうことが問い返 され うるか らである。 なぜな ら,「私 は…… と判断する」とい うこと自体が一つの 判断可能 な意味内容 となって しまうか らである。 そしては本 当に判断 したのか,そ
の ような精神的 な作用が事実あったか,
とい う心理的事実問題へ と問題が変質す る危険す らぁる。む しろ,判
断記 号 は,判
断 という行為 を遂行す ることを示 す遂行演算子 (perfOrmat e operator)([Bell 1979]p. 98の 言い方)で
あ り,(Wittgenstein流 の言い方 をすれば)「示 して」いるのであって述べているの ではない。 その場合 も,行
為 としてみ られた判断は,判
断者の主観的意図の内部 に閉 ざされた行為 ではな くて,対
話,あ
るいは推論 とい う公共の場 に参加す る行為 と考 えられねばならない。推論 と32 田 畑 いう公共の場 によって
,判
断記号のメタ言語 としての役割 は支 えられ,す
でに前提 されているので ある。推論す るとき,わ
れわれは真 であるとみな して,前
提 をお くのである。 フレーゲは判断記号 は常に判断内容の左端 に置かれる,と
さ りげな く説明す る。判断記号が判断 内容の一部分 として登場することはない。 た とえば,《
証明可能"と
い う公理体系 についてのメタ 言語 は,メ タ論理 あるいはメタ数学の文脈 で,判
断可能な内容の一部 として十分登場 しうる。は論理 式Aは
証明可能であるが,論
理式Bは
証明不能 である"と
いう断定が,メ
タ論理で十分意味 を持つ か らである。判断その ものは,い
かに高次の《メタ"の議論 において も対象化 されることはない。判 断記号が内容 の左端 に置かれ ることの もう一つの効果 は,判
断 というものが内容全体 に関わ ってい るのであってその部分 に作用す ることはない とい うことである。Bellの例 を借用す ると(11七卜
P.・
.卜
σ。
かつ トー ∼ク
……①
は矛盾である。が, ト ーP⊃
c
かつ ト ー ∼ ρ……②
は矛盾でない。①で
《
p"は
断定されているが
,②
での “
ρ⊃
g"の
一部分である
《
p"は
断定さ
れていないか らである。 この ように,判
断が内容全体 にかかわ るわけは,内
容線がすでに「全体」 としての内容 を把握 し てい るか らである。では内容 とは何か。何 をもって同一の内容 といえるのか。 フレーゲは, 領 ギ リシア軍 はプ ラタエアでペル シア軍 を破 った" とい う文 と, 徽 ペルシア軍 はプラタエアでギ リシア軍に破 られた" という文 を比較する。 この二つの文 は,主
語・述語 を異 にし,微
妙 な意味の相違 を持つ ことは事実 である。 しか し,前
者 とい くつかの他の命題 とか ら導出 され る結論 と,後
者 とい くつかの同 じ他の 命題 とか ら導出 される結論 は同 じであろう。従 って,こ
れ ら二つの文 はある同 じ意味内容 を共有 し てい るとみなされる。 そしてその同 じ意味内容 を,そ
れぞれの文の内容 と呼ぶ。 フレーゲは,基
本 的に推論 とい う場面を考 えている。この場面 において実質的に働 く意味内容 のみを内容 とみ とめる。 即 ち,文
の内容 とは 《推論 によって同一 な結論 を導 く"と
いう関係 によって定 め られ る同値類 であ 博る。主語・述語か ら判断が成 り立 っているとい う伝統的判断論か らフレーゲは決定的に訣別す る。 主語・述語の異 同は判断内容 には
,従
って判断には直接 には無関係である。「アルキメデスはシラク サの (ローマによる)征
月民の ときに死んだ」 とい う判断は,判
断「アルキメデスのシサクラの (ロ ーマによる)征
服時の死 は事実である」 と同 じである。 ここで,通
常の意味での主語・ 述語の別 を 云々 して も無駄である。 あ らゆる文 を上の ように名詞化 して,「・…・・は事実である」を唯―の述語 と する言語体系 をつ くって もよい,
とフレーゲは言 う。彼の言い方で は,「概念文字」の言語体 系 もこ のような体系であ り,《 トー"は
すべての判断の共通述語 なのである。 伝統的論理学 (ア リス トテレスの論理学 とその中世の発展形態)は
,概
念→判断→推論 とい う形 で組織づ けられているといえる。ア リス トテレスの3at9goηαιで第一実体・第二実体の区別がなさ れ,判
断 (少な くとも三段論法 とい う推論 に現われ るか ぎりでは)は
第二実体間の包摂関係 とみな される (即ち概念間の包摂関係)。 そしてその包摂関係の正 しい法則が正 しい推論なのである (『分 析論前書』)。 言いかえれば,推
論 とは判断 と判断の関係でな く,概
念間の関係であった。 その意 味 で伝統的論理学 は名辞論理学 (あるいは概念論理学)で
あるl12j。 これに対 してフレーゲの論理学 は 判断が概念 に論理的に先行す る(131。 推論 は判断 と判断 との論理的関係であ り,概
念 は判断か らつ く られる・°。フレーゲ に とっては全称判断 と特称判断の違 いは判断自体 の相違ではな く,判 断 され る内 容の相違であ り,判
断はあ くまでただ一つである。肯定・ 否定 も判断の種類ではな く,判
断内容の 種類 である。「否定」は判断 を否定するのではない。肯定の形の内容 を否定 して「否定」とい う新 し い内容 をつ くるのである。「否定」 によって世界 の部分が分断されるのではない。「否定」 は思想 内 容の一部なのである(151。 われわれの 】τγ死冶S♂ル"で
は,上述の ように内容線の右に位置する記号 は判断可能な内容 を表現 す るものでな らなければな らなかった。ところが1891年以降,フ レーゲの思想の深化 に伴 って内容 線がある種 の「関数」 とみなされるようになる。論文 『意味 と指示対象 について」 (Uber sinn undBedeutung 1892))において
,意
味の二つの側面 (SinnとBedeutung)が
区別 され,こ
の区別 が文にも及ぶ ことが主張 され ることになる(嘲 。文の意味 (Sinn)とは文の意味内容すなわち文が表現す る思想
(Gedanke)で
あ り,文
の指示対象(Bedeuttlng)と は真理値であるといわれ る。 しか もこの 時期のフレーゲは,関数のアーギュメントの領域 を全対象領域 とみなしていた。それゆえ,&響
蛎鶴肋カサ では許 されなかった, 十一一ユ リウス・ シーザー とい うような表現が認 め られ るこ とになる。 そ して, ― ケ34 田 畑 という関数が考 えられ る。 アーギュメン トの座 《す
"に
真なる内容 (思想Gedanke)が
ァーギュメ ン トとして とられた とき,
この関数の値 は真 とな り,そ
うでないときこの関数の値 は偽 となる°分。 文がある意味で複合的な名であるという観点が『意味 と指示対象について』で開かれて以来,文
の 内容が対象 としてみ られ る傾 きが強 くなる。 これ は,判
断の内容 を一つの まとまった全体 として と らえ,概
念で はな く判断 を論理的 に先だ とす る考 え方の,当
然の帰結であろう。[Frege 1891]で み られ るような関数の考 え方の深化 とともに,判
断内容 (のちの思想Gedanke)そ
の ものが(《真"と いう対象 として)ア
ーギュメン トとみ られるわけである。 これは実質的に真理関数の考え方に到達 してい る。文 の表示的意味(Bedeutung)=真
理値 をアーギュメン トとし,同
じく真理値 を値 とする 関数の一つが,考
――"な
のであるか ら。 ヴィ トゲ ンシュタインの真理関数 と違 うのは,ア
ーギ ュメン トとして真理値以外の対象 も認めている点である。 判断が概念 に論理的に先行するというフレーゲの考 え方 は,以
上の ような真理関数の考 え方 に発 展 したが,最を笏 盈ι力γ力 において もすでにもとになる考 え方が述べ られている。ただ,】τttsι ″"
においては,推
論が半J断と判断の間の関係 としてお さえ られているゆえに,判
断の成立・ 不成立 と いう形で論理結合子が考 えられ る。次節でその ことを見てい くことにする。3
条件法 と否定 (§ 5-§ 7) 推論 という場面 を考 えてみよう。「Aな
らばBで
ある」,と ころで「Aで
ある」。従 って「Bで
ある」。 この推論 はむろん妥当な推論である。上の推論 において,(な
らば"とい う言葉 と《従 って"と いう 言葉が登場 している。 どちらも似た ような意味 をもつ と思われ るが,論
理的 にはこれ らははっきり 区別 されねばならない。 この ことを理解 し,公
理 と推論規則 をはっきり区別 した最初の人 もフレー ゲであった。9。 通常「な らば」とい う言葉 は「そ して」「 または」などとともに論理結合詞 と呼 ばれ , 真理関数 として説明 され る。 フレーゲはこれを肯定・ 否定の制断の一つ として説明す る。 まず「B
な らばA」 とい う (肯定形の)判
断 は,A
β と記号化 され る。 ここで,A,Bは
ともに判 断可能 な内容 を表現 す る文 で あ る。A,Bは
肯定 され てい るか否定 されてい るか,に
よって以下の4つの場 合 が生 じる。(1)Aが
肯定, Bが
肯定(2)Aが
肯定, Bが
否定(O Aが
否定, Bが
肯定 敏 博伽
)Aが
否 定, Bが
否定 判断 :「Bな
らばA」 が主張 す るの は(3)が生 じない とい う こ とで あ る。裏 を返 せ ば,工
:
の否定 は(働が生 じる とい う内容 であ る。 フレーゲは条件法 「Bな
らばA」 を質料合意 (mate al implication)と して とらえている。 日常語の「な らば」はさまざまな関連 を意味 しうる一一 た とえ ば因果的な結びつ き (causal connection)一 ―が,質
料合意 は「ならば」の最大公約数的な意味を もつ,ご
く弱い結びつきの表現で しかない。 Slugaも 指摘するように(19,(1)∼は)の肯定・否定 は,真
・偽 とほぼ同 じ意味 を もつ。真理関数 とし ての「 ならば」'を定義す るには真理値 を用いねばならぬが,判断 として定義す る場合はこの ような形 になるであろう。 この場合,先
述のように,肯
定・否定 は断定 。否断定で はない。肯定 とい う内容, 否定 という内容 を断定 (判断)す
るのである。内容線,そ
の他の定義 も生 きている。即 ち,Pゼ
:
R T
に お い て, と理解 され る。 さて,先
ほ どの「従 って」 に当た る言葉 はフレーゲの概念文字 の中には含 まれていない。 その代 わ り,た
だ一つの推論のパ ター ンに従 ってすべての推論が進行す るとい う,そ
の推論の形態 その も のの中に「示 されて」↓ゝる。 そのただ一つの推論のパタエ ンとは,い
わゆるMOdus Ponenざ20の推 論規則 である。(実際には代入規則 も明示 さるべ きであるが,フ レーゲは明示 してお らず,暗
黙の う ちに承認 して実際に使 っている)フ
レーゲは,命
題論理の論理法則が この推論規則 だけか ら推論 さ れることを自負 している。 ア リス トテレスは有限個の妥当な推論規則 をかかげたが,有
限個で止め る理 由はな く無現に多 くかかげて もよい,わ
れわれは《見通 しの よさ"を考慮 して一つに限定する, とフレーゲは述べている。 フレーゲにおいては「否定」も内容の一部であるか ら,「Aで
ない」とい う否定の形の内容 を表わ す記号 も必要 となる。「Aで
ない」 とい う内容 は,QR
PQ
RT
GS
条件線 条件法全体の内容線Bの
内容線Aの
内容線36
田畑
1 4
と表現で きる。 これを分解す ると,P Q_S4
¬
■ となる。短 い縦棒QRが
否定線であ り,QSが
Aの
内容線,PQが
「Aで
ない」(という否定)の内容線 である。・
l A"は
あ くまで",「Aで
ない」という否定内容 にす ぎない。「(事実)Aで
ないのであ る」と断定 しているのでな く
,た
だ「Aで
ない」という観念 を呼びお こす否定内容 にす ぎない。 条件法 と否定 とによって連言(Aか
つB)と
選言 (AまたはB)も
表現で きる。 なぜな ら,条
件 法が元来質料合意 として定義 されてお り,「Bな
らばA」 は「Bで
あ りかつAで
ない ことはない」と 表現で きるか らである。従 って,「Bか
つA」 は「Bな
らばAで
ないことはない」 となる。 また「B
またはAも
同様 に「Bで
ないな らばA」 と表現で きる。 ブールが,連
言 と選言 と否定 とを使 ったの に対 し,フ
レーゲが条件法 と否定 を使 ったのは,前
者が論理 をある種 の代数 とみな したのに対 し, フレーゲが推論 を論理が生 きる基本的な場 と考えたせいであるか もしれない91七 ともか く,フ
レー ゲは条件法 と否定 とで,公
理体 系としての命題論理 を展開する最初 の人 となる。 フレーゲは また,日 常の用法 と概念文字 に出て くる言葉の用法 との相違に留意 している。例 えば, 「 しか し」 とい う語 は「対立」,「意外 さ」 という言葉 を,い
わば話者の気持の反映 として,意
味の 一部 に含 んでいるであろう。その点で,「そ して」とい う言葉 と全 く同 じ意味 を もつ とは言いがたい し,全
く同 じような文脈 で使 われ るので もない。 しか し,『概念文字』 に登場 するとき,「そ して」 も「 しか し」 も論理的に同 じ働 きをす る点 で同 じ論理的意味をもつ とみなされる。推論 という場で は,「しか し」も「そ して」も同一 の働 きをす るか らである。「 または」について も,exclusive orで はな く,hcユusive orの働 きをこれに与 えるのは,推
論の場面で こち らが都合が良 いか らである。 以上で,命
題論理 を展開するための準備 は整 った。 しか し,尚
,述
語論理 を展開す るには不十分 である。次節で、 そのための,《同一"《関数"《一般性"に
ついての検討 を試み る。4
同一,関
数,一
般 性 (§ 8∼§13) ここで フレーゲのい う「同一」 とは「内容の同一」 ということである。フレーゲの概念文字 はす べてある意味内容 を持つ。記号 (概念文字)に
は,そ
れが表示する意味内容が あるが,別
の記号が 敏同一の内容 を表示す ることも起 こ りうる。丁度
,同
一人物が本名以外の別名 (ペンネームや芸名や あざなやあだ名・ ニ ックネーム)で
も呼ばれるように。するとその とき,名
Aと
名Bと は同一物 を 表示するという判断がなされることになる。 この判断は通常の判断 と異 な り,内
容 その ものについ ての判断ではな く,内 容 を表示す る記号 についての判断 ということになる。判断「記号Aと
記号Bと は同一内容 を表示する」を表現す るために,新
たに必要 とされるのが,「内容 の同一」を表わす記号 《≡"で
ある。そうすると,判
断 , トー(4=動
に登場す る記号 は内容 を表示す るのではな く,記
号 を表示す ることになる。「A」 と「B」は記号A,
記号Bを
表示 し,「=」 は記号のふ るまい。記号間の関係(同一内容 を表示す るとい う記号間の関係) を表示す ることになる。今 までの記号 はすべて,記
号 に対応す る言語外の意味内容 を表示 した。 こ こで,意
味内容ではな くて記号 その ものを表示す る,新
しい記号の使 い方 を導入 した ことによって, 記号の「意味」 に分裂が生 じた ともい える。 フレーゲ もその ことは承知 していた。 しか しこの こと が,わ
れわれの関心が内容ではな く表現 その ものにあることを合意す る訳 ではない ことを,フ
レー ゲは強調する。 「内容の同一」の記号 を導入す るにはそれ相当の理由がある。 フレーゲは幾何学か ら例 を引いて いる。下図 ([Bynum 1972]p.125よ り)で
,点
Aは
円周上の一点,ABは
直径 を含 む半直線 で,固
定 された
Aを
中心 に矢印方向に回転す る。 この回転 により,半
直線 と円周 との交点Bは
連続的に位 置 を変 える。換言すると,半
直線 の位置が確定 された ときは じめて,名
「半直線 と円周 との交点B」 は確定 した点 を表示す る。今,名
「半直線が点Aを
含 む直径 と直交す るときの半直線 と円周 との交 点B」 は何 を表示するか といえば,こ
れは点Aに
ほかならない。するとここで,同
一の点が二通 り の仕方で特定 された ことになる。感覚 によ り直接的に「A」 と名づけることによる特定 と,「・いなる 交点B」 という特定 と,で
ある。 この異 なる三通 りの特 定の仕方に応 じて,そ
れ を表現す る名 (言己号)も 異 なる。 異なる二つの名によってある同一 の ものが表示 され うる とい うことには,そ
の異 なる名 に応 じる異なる特定の仕 方が存在することが合意 され る。われわれは同一の意味 内容 をさまざまの表現手段 によって表現 しうるというこ と,
この ことはわれわれの認識の問題 にも関わ ることで ある。 あるものを特定 (あるいは同定)す
るとき,必
ず しも一通 りのではな く,多
数の認識ルー トによってその ものに到達で きるのである。\\
\
\
く
38 田 この
,特
定の意味内容(=特
定 された もの)と,そ
の特定の仕方 とい う観点 は,
のちに言葉の「指 示対象」(Bedeutung)と「意味」 (Sinn)の 区別―一言葉の「いみ」の二つの側面一― という形で,フ
レーゲ自身の思想の中で深化 される ([Frege 1892(1涸 )。 はか らず も,こ
の ときの論文 『意味 と指 示対象 について』は,同一性 を表現する命題の意義の考察か ら始 まっている。(ただ し,ここでフレーゲは 「同一性」というものを記号 と記号の間の (同一対象 を名指す とい う)い
わばメタの関係 としてでは な く,記
号 によって名指 され るもの同志の関係 として考 え直 している。)名は,固
有名 に しろ,確
定 記述 によるものにしろ,名指すべ き対象 をもつ とともに名指 しの仕方を自らに伴 っている。その名指 しの仕方が意味(Sinn)である。『概念文字』の段階で は
,意
味 (Sinn)と 指示対象 (Bedeutung)の 区別 という観点 は。り
,明
確 な形 においては未だない。 しか しその萌芽が,「内容」と内容の「特定の仕 方」 という形で見 えてい る,と
いえる。 フレーゲの「内容」 はのちの「指示対象」や「対象」の概念に発展するものであるが,い
ずれに しろそれ自身で独立 した,完
結 した論理的存在 (10gical entity)で あることが,根
本 的特徴 といえ る。 これに対 して「関数」 はその ようなものではない。 フレーゲの「関数」の説明 は,そ
の導入的 部分 においては,sylttactic(構文論的)な ものであるが,実
はそれ以上の意義 をもつ もの といえる。 まず,関
数 は文か らつ くられ る。文, 「水素 は二酸化炭素 よ り軽 い」 「酸素 は二酸化炭素 よ り軽 い」 「窒素 は二酸化炭素 よ り軽 い」 において,「水素」「酸素」「窒素」 は置 き換 えられ うる部分,「二酸化炭素 よ り軽 い」 は置 き換 えら れない部分 とみなしうる。つ ま り,文
という完結 した論理的存在が置 き換 え可能 な部分 (アーギ ュ メン トと呼ばれる)と
,置
き換 え不可能な部分 (関数 と呼 ばれる)と
に分節化 され うること,そ
し て文がアーギュメン トの関数 とみなさるとい うこと,
これが フレーゲの基本的発想であった。 むろ ん,こ
の分節的見方は,各
文 において一意的に決 まっている訳ではない。上述の① において,「二酸 化炭素」をアーギュメン トとみな し,「水素 は一― よ り軽 い」を関数 とみなす こともで きる。基本的 な こ とは,ア
ー ギ ュメン トは完結 的 な もの (対象)で
あ るが,関
数 は空 白部分 を もつ不飽和 な (unSaturated)も のであるとい うことである。 フレーゲ 自身 も強調 してい るようにい七 主語・述語 の区別 に替 えてアーギュメン ト・ 関数の区別 を基本 とした こと,こ
れがフレーゲの,ク
ラス論理, 関係論理 を含 む述語論理の一般的展開を可能 に した発想であった。 ここで注意 しなければならないのは,内
容(I alt,content)を アーギュメン トの関数 とみるので あって,その逆ではない ということである。その逆 ではないとはつ まり,概念 と対象が先 にあって,それ らか ら判断がつ くられるのではないということである。むろん,判断 とは対象が概念 に属す るか否か 敏 博の判断であ り
,対
象が他の対象 といかなる関係 にあるかの判断であるが,概
念が判断に先立つ訳で はない。「概念か ら判断をつ くる」ので はな く反対 に,「判断か ら分析 によって概念 に達す る」 とい うのが フレーゲの行 き方なのである94宅 この ことは十分 に強調 さるべ きことであると思われ る。推 論 はなによりも判断 と判断 との関係であって,概念 と概念 との関係ではない。判断 と判断の間の関係 が 整理 されて(命題論理),それ以後 に対象 と概念 とい う分節化が行なわれす概念 あるいは関係 同志の 関係 (これ らも判断 と判断の関係 を基本 にしている)へ
と進みゆ く(述語論理),一
― この ことによ って,初
めて,少
な くとも数学的理論の十分 な表現が可能 になったのである。 フレーゲの「関数」概念 はのちに12r。 発 展 し,関
数表現 に対 して もある種 の「指示対象」が考 え ら れる文脈 が存在するようになる°°。 また『概念文字』 と1891年以降の諸著作 とで「関数」の概念が どう変わったかについて も解釈者たちの間で不一致が ある9° 。 しか しともか く,文
を,置
き換 えら れ うる部分 と置 き換 えられない部分 とに分節化することによって,文
の内容がアーギ ュメン トの関 数 とみなされた こと,
これが 〈『概念文字』においてなされていることは確認 されねばな らない。 ま たさらに,関
数 自身が不定的に表現 される記法 も考 え られていることが注意 され るべ きである。た とえば,0(4)
T(4,B) ,
′ とい った表現 は各々,Aを
アー ギ ュメン トとして もつ関数,及
び,A,Bを
アー ギ ュメン トとして もつ関数 を不定 的 に表示 してい る。・従 って例 えば,判
断, 卜0(4)
トーーーtF(4,】)は各々,《
Aは
性質 φ をもつ",《Bは Aと
ψ とい う関係 にある"あるいはBは
対象Aに
ψ なる手続 きをほ どこした結果である,と
読 める。 ここで通常の関数 をアーギュメン トとして とる高次の関数 概念が考 えられている。(これは『概念文字』の第二章 の「系列」の一般理論 に関連 して くるが,小
論の考察外 にあるので注意す るに とどめる) 関数 とアーギュメン トという道具立 ては,一
般性 を表わす文(general sentence)を表現す ること を可能 にした。 フレーゲ も述べ るように, 「20は 4つの数の平方の和 として表現で きる」 「すべての正 の整数 は4つの数の平方の和 として表現で きる」40 日日 畑 なる文 において,「20」と「すべての正の整数」が ともにアーギュメン トとみなせ る訳ではない。「20」 という語 と「すべての正の整数」という語 は同 じレベルの言葉ではない。「20」はある特定の存在(entity) を表示す る単称名 (固有名
)で
あって,
これはアーギュメン トにな りうる。 しか し,「すべての正の 整数」 とい う言葉 は,こ
れだけでは何 も意味 しない。上の文全体の中の一部分 として出現 してはじ めて意味 をもつ99。 われわれはある特定の ものについて,そ
れがある性質 をもつ とい うことを述べ るとともに,任
意‐ の もの,あ
るいはすべての ものについてそれがある性質 をもつ ことを述べ る場合がある。すなわち 一般性 を表わす文 を表現する必要のある場合がある。その場合,た とえば φ(a)という文があればこの 《
a"に
ついてのみならず他のものについてもそれが φであるということを表現したいわ↓
ォであ
る。言 い換 えれ ば φ(a)とい う文 の《a"をアーギ ュメ ン トとみ て,φ( )を関 数 とみ て,そ
の上 で, tア ー ギュメ ン トとして何 を とろう ともそれ は φ であ る"と 主張 したいのであ る。 これ を表現 す る フ レーゲの概念文字 は, │―じ―。
(a) であ る。この記法 は,判
断 トーーー0(α) か らつ くられ るが,ア
ー ギ ュメ ン トとみ な した 《a"を
ドイ ツ文字 《α"に
替 え,さ
らに内容線 の 真 中 に《くばみ"(concavity)を つ くりその くばみの中 に ドイ ツ文字 《α"を入 れ る こ とに よって出 来 る。 これ で,「 すべ ての もの は φ で あ る」と読 む。文 法的 な主語「すべての もの」を,
これだ け取 り出 して も無駄 なの であ る。 これだ けで は何 の内容 も表示 しない。一般性 の表現 は,こ
の よ うに, 関数 の アーギ ュメ ン トとみ られ た文 の一部分 への代入可能性 を主張 す る文 として表現 され る とき初 めて正確 に表現 され る。 む ろん,判
断 トーー Φ働) の 壁φ"が
アーギュメン トとみ られ ることもで きるか ら,患
欲 の
即ち
は
いかなる性質ををとっても
aは
それをもつ
"と
いう判断も表現できる。
敏一般性 を表わす文 に関 して
,フ
レーゲは,金
称除去の推論99が正 しい こと,ま
た 《くぼみ"が
ド イツ文字の束縛範囲 (SCOpe)を 示す ことを説明 し,束縛変項改名規則 を述べている。さらに二つの全 称化の推論00を正 しい推論 としてあげている。全称の束縛変項 を ドイツ文字で示 し,東
縛 され る自 由変項 と自由変項 をラテン文字で示 して,フ
レーゲは束縛変項 をはっきり区別 している。 これで述 語論理 を展開するには十分である。存在 (あるいは特称)はフレーゲの記号では,静
3rス
(a) で表わ され,特
別 に他 の記 号 を要 しない。全称 肯定判断《すべ てのXは
Pで
あ る"は
,比
呈
沼
と表現で き,全
称否定判断《いかなる ψ もPで
はない",特
称肯定判断《あ るMは
Pで
ある",特
称 否定判断《あるAは
Pで
ない", もそれぞれ以下の ように表現で きる:卜雉認
叱 加
│ これ らの判 断の内容 の曲 引よ次 の図 の ような関係 が あ 税 陥 雉;沼
。 くら
T匠三
長
溜
(全称肯定)a _P(a)
対一――
¬υ
[三
x(a)
/(全
称
否
a
力 ―― ―― ―― 反相工 長円
1/」
hl (特称肯定) 大 /1ヽ醐―一 士
岳
溜
(特称否定) 図2 /」ヽ42 田 畑 伝統的論理学の対当表 と違い
,反
対関係 にある全称肯定 と全称否定は,と
もに真でもともに偽でも あ りうるし,小反対関係にある特称肯定 と特称否定 も同じくともに真でも,と もに偽でもあ りうる。ま た大小関係の間に含意の関係はない。フレーゲの全称肯定にはいわゆる存在合意(e stential import) がないからである°1ち5
命題論理の展開 (§13-S19) フレーゲは第二章 (S13∼§22)で
,命
題論理 と等号 を もつ述語論理 を公理体系 として展開す る。 そ こで,ま
ず命題論理か ら検討 を加 えてい こう。 フレーゲは,「純粋思考の判断」と彼が呼ぶ論理法則 を少数の中核 となる命題(公理)から導 き出そう とす る。 この ような公理体系 をつ くる意義 は,一
つ一つの論理法則 の論理的正 しさを知 るだけでな くそれ らの相互関係 を知 ることにある。論理法則 は無数にあるであろう。無数 にあるもの をすべて 書 き並べることはで きない。 そ こで公理体系 をつ くり、少数の論理法則か ら他のすべての ものを導 出で きることを示す ことによって,可能的にわれわれはすべての論理法則 を手 に入 れ ることになる。 もちろん公理体系のつ くり方は唯一つ とは限 らない。 フレーゲ もそれは承知 していた。 ただ,こ
の ようにしてつ くられ る公理体系はで きれば可能的にすべての論理法則 を導出で きるものであってほ しい。 その意味で完全であってほしい。 フレーゲはこの完全性 (すべての トー トロジーが導出可能 であ ること)が
彼 自身の体系に備わっていることを暗黙の うちに前提 しているようであ り,そ
れを 改 めて証明 しようとはしていない。彼 は命題論理の範囲で51個の命題 を「純粋思者の判断」 として 提示するが,
この ように多数の命題が導かれ ることによって彼の公理体系が完全であることは当然 の ことと考 えたのであろう。 フレーゲ自身 は公理体系の シンタックスを明示 していないが,明
示す るとすればこうなる。 命題変項:a, b, C, d, c…
(これ らは判断内容 を表現 している) 判断の形成規則 : (i)αが命題変項 の とき,卜__α
は判断である。 価 溢,Bが
判断か 判 断 を取 り除いた残 りの表現である と乱 卜[と
,卜 「 望 は判断である。 実 は上の形成規則 はまだ不十分である。判断が判断線以外に内容線 という連続な ものを含 むゆえ に,[Frege 1893]s6で
述べ られているように,内 容線 を左 に もつ二つの判断内容表現か ら新 しい判 断 をつ くるために内容線同志の融合(Verschmelzung,amalttamatiOn)が許 されなければな らない。 いま,Aを
一a,Bを
一 bと す るとき,内
容線の融合 によって 敏て ゴ
て
;
となるのである。『概念文字』では内容線の融合のことは,内
容線の説明のうちに含 まれているとみ てか,明
示的には述べ られていない。 さて次に,壁少数の核 となる判断"(RFち 公理)とは次の6個
である。(左の番号はフレーゲがつけ た通 し番号である。) は, 9)在 与
α C b C a b b α α ⋮ 0 わ ︺耳 与
14け生
を
O d b α b Jこのうち
(1几12),0は
条件法の記号のみを含み
,90,00,90は
条件
1法と否定とをともに含む。
見ての通 り,フ
レーゲの記号は二次元的な広が りをもつ。 このため,こ
の記法にt_Hれると推論の 進み方,個
々の命題の内部構造が見てとりやすい。しかし,多
くのスペースを取るのが欠点である。 記号法 としては,数
学の大部分においてそうであるような線型のものが好 まれるためか,フ
レィゲ のものは今 日使―われなくなった。(線型のものにな らなかったら,Hilbent,Godel,Tarskiら のメタ 論理的研究は発達 しなかったろう,と いうSIugaの 意見C32)はフレーゲには酷 というものだ。)今 日の 流儀で書けば,上
記の公理は次のように書ける。(断定記号は省 く)44田
畑 博 敏(1)α
⊃(b⊃α)(2)(C⊃
(b⊃α》⊃ 《
c⊃b)D(c⊃
α》
(8)(d⊃
(b⊃α》⊃
(b⊃ (α⊃α》
90(b⊃
α
)⊃ (∼α⊃∼
b)eD
∼∼α⊃α
樅D
αD∼
∼ α 今 日の記 法 は,資
源節約 に は適 うが,複
雑 な式 で か っ こが多 くな る とフレーゲの もの よ り読 み と り に くい (その こ とは後 に実例 で示 され るこ とにな る)。′ 推 論規則 は
,モ
ドゥス・ ポネ ンス°9と (同時代 入 を許 す)代
入規則 で あ る。第二節 で述べ た よ う に代 入規則 は明示 されていないが,実
際 に使 われ て い る。 フ レー ゲが掲 げてい る「純粋 思考 の判 断」 を今 日流 の記法 で全部書 いてみ る と,こ
うな る。(1)α
D(b⊃
α)(2)(cD(b⊃
α》⊃《
c⊃ b)⊃(cDα 》
(3)(b⊃
α
)⊃《
c⊃ (b⊃α》⊃《
cDb)⊃
(c Da lll(4)((b⊃
α
)⊃ (c⊃(b⊃α
))}⊃ ((b⊃α
)⊃《
c⊃ b)⊃ (c⊃α》
}(5)(b⊃
α)D《
cDb)⊃
(c⊃α》
(6)(c⊃
(b⊃α》⊃
(c⊃《
0⊃ b)⊃ (α⊃α
Jll(7)(b⊃
α
)⊃《J⊃
(c⊃ b》⊃
(ご⊃
(c⊃a lll(8)(」 ⊃
(b⊃α》⊃
(b⊃ (0⊃α》
(9) (cDb)⊃
《
b⊃α
)D(cDα
》
住
0((9D(0⊃
b》⊃α
}⊃ ((α⊃
(9⊃う》⊃α
}租
け 《
cDb)⊃
α
)⊃ (b⊃α
)住
D(0⊃
(c⊃ (b⊃α》
}⊃ (,⊃(b⊃(cDα
》
}住
0 (α ⊃
(c⊃ (b⊃α》
}⊃ (b⊃ (α⊃
(c⊃α》
}租
0(9⊃
(J⊃(cD(b⊃
α
lll}⊃ (9⊃(b⊃ (d⊃ (c⊃α
lll} 住0 (9⊃
(d⊃ (c⊃ (b D αllll⊃ (b⊃ (9⊃(0⊃ (c D α llll 住0 19⊃
(α ⊃ (c⊃ (b⊃α lll}⊃ (9⊃(ご⊃(b⊃ (c⊃α lll}は
り
(α⊃
(c⊃(b⊃α》
)⊃(cD(b⊃
(α⊃
a lll仕
0 (cD(b⊃
α》⊃イ
(α⊃
c)⊃ (b⊃(α⊃α》
}住
9(ご
⊃
(cDb》
⊃
((b⊃α)D(α ⊃
(c⊃α》
}20 (9⊃
(ご⊃
(c⊃blll⊃ {(b⊃α
)⊃(9D(0⊃
(c⊃α》
}911《
0う
■
)⊃α
)⊃((,Dc)⊃
ぐど⊃
b)⊃α
)}9a lrD(9⊃
(J⊃ (C⊃ (b⊃c》
│⊃十ノう (θ⊃(ED(b⊃
(CDOJlll}¢
0 (α ⊃
(cう (b⊃α》
}⊃ t(θ⊃α
)D(cD(b⊃
(a⊃α
Jlll941(cDα
)⊃ (c⊃ (う⊃α》
90(ご
⊃
(c⊃α》⊃
(崩⊃
(c⊃ (b⊃万
11190(b⊃
(れ⊃
c》¢
り
o⊃
o
9811(b⊃ o)⊃
(∼α⊃―
∼
b)99(c⊃
(b⊃o)D(c⊃
(∼C⊃∼
b》eO(DD(c⊃
の う
(cD(∼
αつ∼
b》ep
∼∼
c⊃。
eD((∼
b⊃α
)⊃ (tα⊃∼∼
b)│⊃《∼bう o)つ
(∼α⊃
b》00 (∼
b⊃α
)⊃(∼α⊃
b)00 (C⊃
.(∼b⊃α》⊃
(cD(t,⊃
b》e9(CD(∼
b⊃α》
D(■
o⊃ (c⊃b》00
α⊃
(γαう
b) 8り《∼
c⊃ b)⊃α
)⊃(cDの
1381 ∼ αう(αうbl09(∼
,Dα )D(∼
oDb)
は
0
∼
b⊃《∼α⊃α
)⊃o〉は
け
oつ
∼∼。
“
9
∼∼
lc⊃α
)“
) (∼
α⊃
o)D―α―
住
0 (∼
oDo)⊃
《
cDO)⊃
0)
1451 i(∼ c⊃
α
)⊃ (∼o⊃
c)│⊃│(∼c⊃ 。
)⊃《
o⊃o)⊃ α
),位
D (∼
c⊃a)0(j⊃
α)⊃o) 140 (∼ c⊃ b)うI(b⊃α
)⊃《
cDa)⊃
α
)│ 1481(σ⊃
(∼cう
b》⊇
│(b⊃α
)⊃《
GDα
)⊃ (o⊃o》│ 1491(―cDう
)う1(cD O)D(bDa)⊃
α)│60 (c⊃
α
)つt(b⊃ c)⊃《
∼
0⊃ b)⊃α
)│60 (,D(cDo)⊃
I(bつα
)う (α⊃《∼
C⊃ b)⊃
α》
│40 日
この
51個の論理法則がどのように結びついているか――
,次の記法を導入する。数字は
1上述の論理法則の番号を示し
,ば [31]――は
,そ
の番号をもつ論理法則の代入例である。
て
[α]が
,か
ら推論されるとき
,これをわかりやす く図示するために
,かぎかつこで囲まれた番号――たとえ
([31]は31の代入例
)代
入規則によっ
敏T閲
と表わし,β が,と
α ⊃βとからモ ドゥス・ ポネンスによって推論されるとき , 写 または∵ と表わす。 また αが βと同じ式であることを,T:β
と表わすとこの約束のもとで
,まず
(3)∼17)の論理法則がどのように公駅
1),(りから導出さ
│れるかは
,下図のようになる。
図
3さらに,こ れらの論理法則をも使いながら公理
(8)から
,法
則
199∼1271は図
4のように導出される。
(一度導
―
出された論理法則は証明なしに使 う
) 9りまでは
│「否定」が出て来ないが④,9,,“ゆは
,否
定 と条件法に関する公理である。これらから
他の論理法則がどう導出されるかは図5か らわか る。
8
5[8]:5⊃
9 [8]⊃ 10 [1]⊃11[1]16[5卜
16⊃ 22 22[18][22]:[18]⊃
23 19 23 [19]:[9]⊃21[9]
21生
団
一 9一山
ll 1012[5]:12⊃
16 16[8][16]:[18]⊃
17 17 [16]:[5]⊃18[5]
189 [18卜
9⊃ 19 [18]:19⊃20 19
20 16 12 [12卜 [1]⊃24[1] 24[5]:24⊃25 25 81[8]:1⊃
26 261[26]:1⊃
27 27 図 4 さて,「否定」と「条件法」だけか らなる,こ
のフレーゲの命題論理体系について,い
くつかのメ タ論理的考察 を試みよう。 まず,こ
の公理系 は無矛盾である°4ち むろんフレーゲは古典二値論理の立場であるか ら,通
常の 真理関数の解釈 に従 って「否定」 と「条件法」 を解釈すれば, 6つ
の公理 はいずれ も トー トロジー である。 そして代入規則 と推論規則 はこの トー トロジー性 を保存す る。即 ち,2が
トー トロジーで あれば,α の代入例S(2)が
トー トロジーであるし,ま
た2と
2Dβ
が トー トロジーであれが β も トー トロジーである。 この ことか ら,フ
レーゲが提示 している論理法則 は もちろん,
この公理系 で導出されるすべての論理法則 は トー トロジーである。即 ち この体系 は健全 (sound)で ある。 とこ ろでa⊃
bと い う式 は トー トロジーでないか ら,こ
の体系か ら導出で きない。従 って,こ
の体系 に よって導 けない式が少 な くとも一つ存在するか ら,こ
の体系 は無矛盾である。 次 に,こ
の公理系は意味論的に完全である。即 ち,意
味論的 に解釈 された妥当な式 (ト ー トロジ ー)の
すべてが この公理系の定理 として導出できるとい う意味で完全である。証明は,留 0が導出さ れてい るか らカルマール式でで きる。5ち (詳細 は略す) 5]:[8]⊃1248 田 敏
34[12]:34⊃
35 35[9]:[36]D37
[36]36 [18]:50⊃51 50
[12]: 47⊃49 47
[17]:49D50 49
38[2]:38⊃
3944[5]:44⊃
45[33]45:[33]⊃
46 [21]:46⊃47 46
[23]:47⊃48 47
48 公理(1)に代 入 公理(2)に代 入 51 図 5 最後 に独立性 であ るが, 6個
の公理 の うち(8)は独 立 で な い。 この ことを最初 に指摘 したの はル カ シェ ヴィ ッチで あ る。0。 これ をわか りやす く整理 し、たのがニール であ る。つ。 ル カ シェヴ ィッチの証 明 は,比較 的短 いが,か な り工夫 され てい る。筆者が試 みたの は,長いが工夫 が い らず。0,公理(lX2)の みか ら偲)が導か れた こ とを印象づ け る ものであ る。以下 に筆者 の証明 を今 日流の記法で書 く。9。1.(cD(b⊃
α》⊃
lb⊃ (c⊃ (b⊃α》
│2.(c⊃
(b⊃α》⊃《
cDb)D(c⊃
α》
3。│(cD(b⊃ α》D《
cDb)⊃
(c⊃α》
│⊃
[(cD(b⊃
α》
DI(cD(b⊃
α》⊃《
c⊃ b)⊃ (c⊃α》
│]公理
(1)に代入
4.(cD(b⊃
α》⊃
│(cD(b⊃
α》⊃《
c⊃ b)⊃(cDα
》1 2,31こ
M.P.
5. │(cD(b⊃
α》⊃《
c⊃ b)⊃(cDα 》
│⊃[b⊃
│(c⊃ (b⊃α》⊃《
c⊃ b)⊃ (c⊃α》
│] 公理(1)に代 入6.(5)⊃
│(cD(b⊃
α》⊃
(5)1
公理
(1)に代入
7.(cD(b⊃
α》⊃
[│(cD(bDα
》⊃《
c⊃ b)⊃ (c⊃α》
│ヽ
D[b⊃
│(c⊃ (b⊃α》⊃《
c⊃ b)⊃ (c⊃α》
│]]5,6に
M.P.
8.(7)⊃
│(4)⊃[(cD(b⊃
α》⊃[b⊃I(c⊃
(b⊃α》⊃《
cDb)⊃
(cDα 》
│]]│28[5]128⊃
29 [10]:29⊃30 29
31公理
(2)に代入
9.(4)⊃
[(cD(b⊃
α》⊃[b⊃
│(cD(b⊃
α》⊃《
CDb)⊃
(c⊃α》
│]]7,8にM.P.
10。 (c⊃ (b⊃α》⊃
[b⊃│(c⊃ (b⊃α》⊃ (c⊃
b)⊃ (c⊃α》
│]4,9にM.P.
11.[b⊃
│(CD(b⊃
α》⊃《
c⊃b)D(c⊃
α》
│]⊃
[lb⊃(cD(b⊃
α》
│⊃lb⊃《
c⊃ b)⊃ (c⊃α》│]公理
(2)に代入
12.住け⊃
│(cD(b⊃
α》⊃側
1
公理
(1)に代入
13。 (C⊃ (b⊃α》⊃
[[b⊃
│(c⊃ (b⊃α》⊃《
c⊃ b)⊃ (c⊃α》│]D[lb⊃
(c⊃ (b⊃α》
│⊃lb D《c⊃ b)⊃(cDα
》
│]]11,121こ
M.R
14.住OD[(10⊃[(cD(bDα
》⊃‖
b⊃ (c⊃ (b⊃α》
│⊃lb⊃《
c⊃ b)⊃(cDα
》‖
]] 公理(2)に代 入 15.住 9⊃[(cD(bDa》
⊃‖
bD(c⊃
(b⊃α》
│⊃lb⊃《
c⊃ b)⊃ (c⊃α》
1旧]13,14に
M,P
16。 (c⊃(bDα
》⊃‖
b⊃(cD(b⊃
α》
│⊃lb⊃《
cDb)⊃
(c⊃a》‖
10,15にM.R
17.住0⊃[(1)⊃│(c⊃ (b⊃α》⊃
lb⊃《
c⊃b)D(c⊃
α》‖
]公
理
(2)に代入
18。 (1)⊃ │(c⊃(b⊃α》
Dib⊃
《
cDb)⊃
(c⊃α》
│116,17にM.P.
19,(c⊃
(bDα 》⊃
ib⊃《
c⊃ b)⊃ (c⊃α》
1 1,18に
M.P,
20.lb⊃
((cDb)D(c⊃
α
))│⊃│(b⊃(cDb》
⊃
(b⊃(cDα
))1公
理
(2)に代入
21.90⊃
│(cD(b⊃
α》⊃
991
公理
(1)に代入
22.(c⊃
(b⊃α》
D9①20,211こ
M.P。23.│(c⊃
(b⊃α》⊃
991⊃[│(cD(b⊃
α》⊃
(b⊃《
c⊃ b)⊃ (c Dα
llll⊃
│(c⊃ (b⊃α》⊃《
b⊃ (c⊃ b》⊃
(b⊃ (c Dα llll]公理
(2)に代入
24.[(cD(b⊃
α》⊃
ib⊃《
c⊃ b)⊃ (c D alll]D[(c⊃
(b⊃α》⊃
(b⊃(cDb》
⊃
(b⊃ (c⊃α
lll]22,23にM.P.
25。(cD(bDα
》⊃
│(b⊃ (c⊃ b》⊃
(bD(cDα
》119,24に
M.P.
26.20⊃
[│(cD(bDα
》⊃
(b⊃ (c⊃ b》│⊃│(c⊃(b⊃α》
D(b⊃
(c⊃α》
│] 公理(2)に代 入27.│(cD(b⊃
α》⊃(bD(cDb》
IDI(c⊃
(b⊃α》⊃(b⊃ (c⊃α》125,26にM.P,
28.b⊃
(c⊃b)
公理(1)に代 入 29。 (b⊃ (c⊃ b》⊃
│(cD(b⊃
α》⊃
(b⊃ (c⊃ b》1
公理
(1)に代入
30。(cD(b⊃
α》
D(b⊃
(c⊃b》28,29に
M.P.
31.(c⊃
(b⊃a》⊃
(b⊃ (c⊃α》
27,30に
M.P.
32.(α ⊃
(b⊃α》⊃
(b⊃ (α⊃α》
31に
代入
50 田 畑 これで(8)力Xl指 (2)から代入規則 とモ ドゥス・ ポネンスによって導出 されることが示 された。 それ では残 る五つの公理 は独立であるか ?た しかに独立である。 これは3値モデル
,及
び2値
での「否 定」の解釈の変更 によって証明 され る・°。 まず3値
モデルで調べ る。統一的に調べ るために真理値 集合(1, 2, 0}に
真理値束の構造 を与 え,条
件法 と否定 を)買序 と補元で解釈す る “ Iち する と, 条件法 と否定 はそれぞれ表1,表
2で
与 えられ る(χl, χ2,χ3, ノは0か
2)。 そ して χl, χ2, χ3, 夕の とり方が,表
3,表
4で
与 え られる。 a91 a'2 とι3 敏 博,Dσ
1 2 0
1″1″2 11″ 3 1 1 1 2 2 2 0 0 2 0 0 2 2 2 0 0 2 0 0 表 3 2 9 , ハ Z 9 ? ︵ U ∩ ︶ ^ U ∩ ﹀①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
③
ρl i
表 ユ④
200
表 4 これ らを組 み合わせて,条
件法 と否定の解釈の対 をつ くり,(1)(2)98X3Deりの公理が恒真か否か を調べると表
5のようになる。(Oは 恒真,Xは 非恒真を示す
)①②③④⑤⑥⑦③
(1)α ⊃
(b⊃α
)…
…… ………・
・
oooo×
×××
(2)(c⊃
(b⊃α》⊃
(cDb)⊃
(cDa》
××
XO×
××○
[①②③④⑤⑥⑦③
]十④
90(b⊃
a)⊃ (∼α⊃∼
b)…
…………
o× o×
×○ ×
o
‐
141)0⊃
∼ ∼ α90(b⊃
α
)⊃ (∼9⊃
∼
b) 9ゆ∼∼α⊃α
1411 α⊃ ∼ ∼ α ○OOOOOoo
EO②
③ ④ ⑤ ③ ⑦ ③ ュ■o
OOXOOOXO
X― ×X× X× Xx
OOOOOOOO
表 5 そして,①
∼③ と④ とを組み合わせた,い
ずれの解釈の場合 も,モ
ドウス・ポネンス と代入規則 は 恒真性を保持する。従 って,こ
のことと表5よ り, 公壇1)の独立性 は③ と④の解釈の組で,公
4121の独立性は①と④
,③
と④の解釈の組で
,公理
1281の独立性は④と④の解釈の組で
,公理
9Dの独立性は④と①の解釈の組で
,示せる
.。しかし
,公
理
aゆの独立性は真理値東とみた3値 モデルでは証明できない。そこで
,真
1理値
束でない解釈
,たとえ―
ば
,表 6の解釈をつ
'に与えると
,これと否定についての
Oの
解釈とによって
,独立性が示される。
表 752 日日