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2. 中途失聴 難聴者の立場 有川浩著書 レインツリーの国 ( 図 1) の帯に次のように書いてある あなたを想う気持ちに嘘はない でも 会う事はできません ごめんなさい きっかけは 忘れられない本 そこから始まったメールの交換 俺はあっという間に どうしても彼女に会いたいと思うようになっていた だ

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Academic year: 2021

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聴覚障害について 日時:2010.1.22 会場:附属図書館 多目的閲覧室 参加者:教職員2 名 聴覚しょうがい学生 3 名 支援学生 14 名

「きこえにくさ・ききとりにくさを感じる」

講師:大阪市立聴覚特別支援学校 中瀬 浩一氏 宮城教育大学には 1 学年の在学数は 370 人か?その内、特別支援教育専攻は 50 人くら い?私は母校の大阪教育大学で非常勤講師をしている。大阪教育大学には1 学年 1,000 人 くらいいて、特別支援教育の講座は1 学年 50 人弱。数字だけで比べると、かなり特別支援 教育、障害児教育に力点を置いている大学だと驚きがあった。 1.ろう(特別支援)学校の役割 現実的には聴覚・言語障害の専攻という形態になっていると思われるが、ろう学校への 教員の採用というのは全国的に狭き門になっていると思う。ただ、ろう学校を含めて特別 支援学校と名称が変わる中で、特別支援学校は、地域に対する様々なサービスや支援の担 い手としての役割が求められている。ろう学校としても学校の中の子どもだけでなく、近 隣の普通学校に通う聴覚障害の子どもたちに対しても果たせるものは何なのかという事も 非常に求められている。みなさんが卒業する時に、難聴学級や特別支援教育コーディネー ターのように、学校の中の障害児教育をリードする役割を担う可能性もない訳ではないと 思う。勿論、知的や盲などといった他の領域の特別支援学校の中で中心的に活躍されるこ ともあるかと思う。特に地域の障害児教育に関して素人の先生方に対して、障害理解を進 めていく方法を学んでいくための1 つの参考にしてもらいたい。 私の勤めている大阪市立聴覚特別支援学校は、幼稚部から専攻科まで0 歳から 20 歳の子 供たちが全部合わせて 200 名くらいいる。そういう学校は校内にうじゃうじゃきこえない 子どもがいる。小学部だけでも50 数名、来年度は 60 名になりそうだ。それ以上に地域の 小、中学校には様々な課題を抱えている人達がたくさんいる。課題を抱えている先生方、 保護者、子どもの支援をしていくことも、みなさん方の役割になる。その時に補聴器の事 やきこえの事について知っておかなければ、なかなか理解が先に進まない。

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会社の雑談って、けっこう重要な情報収集の場でしょう?でも私、そこに入れないです。 雑談って多対多のコミだから。だから、そこで社員の冠婚葬祭の話題が出てたりしても、 後で誰かが教えてくれないとわからないんです。でも、私は孤立しているからあんまり 教えてくれる人がいないし、結局不義理になっちゃったり、「あの人耳が悪いから」っ て最初から話に入れてもらえなかったり、割り切っちゃえば楽なんだろうけど、なかな か割り切れないから。 (参照1:『レインツリーの国』著 有川浩から抜粋) 2.中途失聴・難聴者の立場 ◆有川浩著書『レインツリーの国』(図1)の帯に次のように書いてある。 「あなたを想う気持ちに嘘はない。でも、会う事はできません。ごめんな さい。きっかけは『忘れられない本』そこから始まったメールの交換。俺 はあっという間に、どうしても彼女に会いたいと思うようになっていた。 だが、意を決して出したメールの返事はつれないもの。かたくなに会うの を拒む彼女には、そうせざるを得ないある理由があった。恋愛小説に新た なスタンダードが誕生」 この女性は難聴者。メールをする分には障害は見えてこない。しかし、実際に会った時 に難聴である自分をどのように思うだろうか、だから会う事ができないというあたりから 話はスタートする。主人公は、ひとみという名の難聴の成人。設定上は中途失聴のような 感じ。小説の一節にある、ひとみの会話を紹介する。 (参照1)ろう学校を卒業した子どもたちも同じような話をする。大事な仕事上の話は 入ってくるが、プライベートの話が入ってこないという事で非常に辛い思いをする。 ひとみもこのような経験から、その後に出てくる「なかなか人に会いたくないなあ」とい う言葉に繋がる。 この筆者は、いろいろと調べており、普通の恋愛小説の中で「中途失聴」「難聴」「聾唖」 について記述している。「聾」については、100%当たっているとは言い切れない部分もあ ると思うし、だからといって100%違うというのでもないかもしれない。かなりそれなりに リサーチしたうえでこの本を書いている。 そして(話せるのに聞こえない)という点において健聴者から理解されにくいのは中途失 聴者や難聴者である。 訓練で補聴器によるヒヤリングや読唇(読話)をこなす者も多いので、「聞こえない振りを しているだけなのではないのか」という誤解を持たれやすいのもこのグループだ。「自分の 都合で聞こえ方を演じ分けているのじゃないか」などと言われる人も多い。そんな演じ分 けをするより全部聞こえて受け答える方がよほど楽というのに。中途失聴者や中途難聴者 は、残存聴力をフル活用して健聴者の中に紛れて存在しているようなもので、それゆえ障 害を他人に隠しおおせることも可能だが、そのことによるデメリットも多く受ける。 (参照2:『レインツリーの国』著 有川浩から抜粋) 図 1:「レインツリ ー」

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今私は、午前中は幼稚部の教員として対応し、その後は地域の子どもの相談の対応をし ている。3 日に 2 人くらいの子どもがいろんな地域からたくさん来ている。幼稚部卒業生も いるし、大阪の他のろう学校の卒業生もいる。難聴幼児通園施設の卒業生、どこにもかか っていなかった子ども、途中できこえなくなった子どもが相談に来る。その子ども達、ま た保護者の様子を見ていても中途失聴者や難聴者の方が課題は大きいと感じている。 残念ながら一般の市民は、相手から発信されたコミュニケーションモードで返そうとする。 相手が喋ってきたら喋って返そうとする。難聴者はある程度きこえるので、話ができる。 きこえなくても明瞭な発話で喋ると喋って返されるので、上手く通じずとても寂しい思い をしている。なぜそんな状態になってしまうのかということを体験してもらいたい。 3.きこえない、きこえにくい人の気持ちを理解するために (1)きこえない、きこえにくいと、どのような気持ちになるのか? ①ゲーム“フルーツバスケット”を通してきこえの体験。(ゲーム終了後の感想) <支援学生> きこえず孤独感があった。みんなが笑っているのにわからなくて淋しかった。とり残さ れた感じ。後から「あぁー」と気付く。説明されてもわからない時があった。自分 1 人だ けが座ったままだったのでみんなから笑われて嫌だった。周りの状況がわからなかったの で教えて欲しいと思った。他の人が話し始めると緊張した。きこえた、わかったと思って も自信がもてず動けなかった。 <聴覚障害学生> 小学校の時を思い出してしまった。フルーツバスケットが凄く嫌いだった。たまにわか る時もあったが、わかった時との差が…。口形で何となくわかったような気はするが、本 当にそうなのか、自信がなく不安になった。周りの人は意識していないだろうが、きこえ ない人にとっては、ヘッドホンを着けている人が軽いいじめを受けているように見えた。 寂しい感じになった。「朝ごはんがパンか米か?」という質問なら動かなくても済むので、 質問内容がわかっているように振舞えるが、今、着ている服の色のことを言われたらわか らないから答えられない。「何で動かないの?」と聞かれ困った体験があった。 デシベルと難聴の分け方 デシベルに関しては次のことを概論として覚えていると便利である。 ・1mくらい離れた、普通の人の会話は大体 60 デシベルくらい。 ・大声大会をするくらいの大声は90 デシベルくらい。 ・1mくらい離れた、ささやき声は30 デシベルくらい。 聴力レベルと難聴の分け方については、残念ながら日本では決められたものはないが、よ く使われているものを紹介する。90 デシベル以上が重度難聴。70~90 デシベルが高度難聴。 50~70 が中等度難聴。50 デシベル未満、25 デシベルくらいが軽度難聴。身体障害者手帳

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が交付される障害の程度は、両側、両耳が70 デシベル以上。ろう学校の就学基準は概ね 60 デシベル以上だからもう少し聴力の軽い人も入学可能となっている。 (2)きこえない本人はどのようにしてもらいたいと思っているのだろうか。 ①70 デシベル以上の人の場合(参照 3) 大きな声や普通の会話がききづらいというよう な人には、フルーツバスケットのようなきこえる人 向けのルールでゲームに参加するのは、一人とり残 された気分になる。また 、人の話に集中しなくては いけないので非常に疲れる。本来はとても楽しいも のでも難聴者や聴覚障害者にとって、とても嫌な思 いしか残らない辛いゲームになっているという事。 このようなゲームは導入としてはとてもいいが、 だからこそ余計に難聴者には辛い状況になる。少し でもこのような視点が持てるかどうかということ が大事と思う。 大阪にユニバーサルスタジオジャパンという所がある。きこえる人にとっては盛り上が り、その場との一体感を得られ楽しさが倍増する効果がある。しかし、きこえにくい人に とっては全くわからない。難聴者にとって楽しめるパビリオンは限られるだろう。だから 遠足や修学旅行や社会見学の下見の時には、きこえない人が楽しめる場所か、わかる内容 かというような視点でみて欲しい。 ②軽度難聴、中度難聴くらい30 デシベル程度の人の場合 おそらく補聴器を使って1 対 1 や静かな所であれば殆ど聞きとれるだろう。しかし、少 し騒がしくなってきたり、人数が増えて周りがうるさくなってくると、途端に聞きとりが 悪くなってしまう。この体験が実は難しい。難しさをどのように体験してもらおうかと考 えた。ヘッドホンを着用し、邪魔な音を混ぜた物語を聞き取る。これが30 デシベル程度の きこえとイメージできる。 障害部位による分類 基本的にヘッドホンをつけても、雑音が流れたとしても音は小さくきこえてくる。こう いうのは、どちらかというと伝音難聴に近いと言われている。音が小さくきこえるからわ からない。ろう学校や難聴学級の子どもたちの多くは、伝音難聴ではなく感音難聴が多い。 私が勤めているろう学校の9 割 5 分は感音難聴である。伝音難聴と感音難聴の両方とも合 わせ持っているのを混合難聴と呼んでいる。 参照:3 デシベル表

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③補聴器体験 パワーの出る重度難聴用の補聴器と、あまりパワーの出ない高度難聴用補聴器の 2 つを 準備したので試してほしい。 イヤーモールド(耳栓)を耳にギュッと入れスイッチを入れる。ダイヤルのボリューム が1 になっているので上げていく。(手をたたく)大きな音を出した場合どのようにきこえる か。また、私の声と周りの音がきこえるかどうか。例えばプロジェクタークターのファン の音や、物の音がきこえるかどうか一度試聴してみよう。 こんな誤解をしていないだろうか?●補聴器をつけると、“音がきこえるようになる”● 聴覚障害というのはきこえるか、きこえないかの二者択一(何にもきこえないか、よくき こえるかのどちらか)。●補聴器をつけないときこえない。補聴器をつけるときこえる。 だから、話されていることが全てわかると思っている。 補聴器は静かな場所での会話や、1 対 1 の 1mほどの距離での声をきくように調整してあ るので、そのような場所では効果が発揮しやすい。しかし、音の問題だけではない部分で もかなり影響を及ぼしている。補聴器をつければ何とかなるという話ではない。会話の内 容が想像しやすく、手掛かりがあって、ゆっくりとそして表情がわかるような会話を心が けて欲しい。 知ってほしいこと(補聴器の誤解) 1.きこえにくさは様々。 2.きこえるか、きこえないかの二者択一ではない。 3.補聴器をつけた時のきこえ方も様々。 4.補聴器が役立つ場面と役立ちにくい場面がある。 5.横や後ろから言われたらわからない。読話ができない。 6.うるさいところではわからない。 7.離れたところで言われてもわからない。 8.急に話されたり、話が想像できないとわからない。 9.大声だと言葉がひずんでわからない。 10.だらだら話されるとわからない。 補聴器の仕組みと機能(参照4) 補聴器にはポケット型、耳かけ型、耳穴型と様々なタイ プがある。 補聴器は簡単に言えば拡声マイクと同じで、小さな音が 入ってきた時に、ただ音を大きくするだけである。しかし、 最近ではデジタルの機能を使って複雑にしている。 (3)きこえにくい状態は様々 参照4:補聴器のしくみ

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「音」を漢字で表した。小さな「音」(参 照5)は、ヘッドホンをつけた状態。「音が小さ くきこえるだけ」というのは大きな誤解。音がぼやっとした音になったり、半分くらいで 後はぼやっとしていたり、所々が欠けていたり、一部ハッキリしなかったりと様々(参照6)。 「音」そのものが小さくなるだけでなく、きいた感じもきこえている人とは異なる。 音は、大きさと高さで構成されている(参照7)。難聴者の事を考えていく際に、最低限、 この大きさと高さの尺度を持っていてほしい。例えば、大学に入ってから初めて難聴者に 会ったとする。その難聴者が補聴器をつけていたら、全てきこえるのだと思ってしまう人 が多い。発音がわかりやすく明瞭度が高いと、きこえていると思ってしまう。しかし、そ うではなく、音が全くきこえないのか、わずかにきこえるのか、少しきこえるのか、また は時々だけきこえない時があるのか、きこえ方はさまざまである。 老人性難聴 老人性難聴の特徴として、高い音が聞きとりにくいため電子音での合図がわかりにくい。 早口で言われるとわかりにくい。テレビの音を大きくする。言葉を聞き間違えたり、早合 点したり、都合良く、ある いは都合悪く解釈する時がある。老人性難聴は感音難聴なので、 私たちもろう学校の子どもたちとほとんど同じ感音難聴のようになっていく。 子音が聞きとれないとどうきこえるのか?(参照8) 参照5:小さな「音」のイメージ 参照6:きこえ方のイメージ 参照7:「音」の大きさと高さ 参照8:子音が聴き取れないと

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仮に、「さかな」/sa ka na/の子音が全て聞きとれなかったとすると、「aaa」ときこえる。/ba na na/も/ka ta na/も、子音がきこえないと「aaa」ときこえるようになってしまう。つまり、 全て「あああ」ときこえてしまう場合があるということ。 難聴者のきこえ方 (参照9)を見てなんと読むか?良識的に読めば「マ ッカナ アサヒ」。しかし、2 行目の「マ」は 1 行目と 同じ文字だから「マッカナ マサヒ」とも読める。こ の字は「ま」とも「あ」とも読める。ただ、「まっか な まさひ」という言葉はないので、良識ある大人は 文脈から「まっかな あさひ」と読み分ける。 これを、補聴器を使用している難聴の子どもがきく と、「あっああ ああい」ときこえる。 「あ」なのか、「ま」なのか聞き分けられないが、「まっかな あさひ」なんだと理解して いるということ。補聴器をつけても「まっかな あさひ」とはきこえないのだ。 難聴の子どもたちに対して聞きとり検査というものを行っている。私の発音やCDの発 音を聴きとって復唱したり、絵カードをポインティングしたり、指文字や手話で表したり 様々な方法で応答してもらっている。その逆バージョンをする。 音声は、高い音を極端にきこえない状態にパソコンで加工している。みんなには極端に 高い音がきこえない難聴者になってもらう。音声を流すので、何てきこえたかを書いても らう。今まで20 問やって正解は最高 5 問くらい。ただし、音は私がパソコンで作ったもの であって、全ての聴覚障害者がこのような音声できいているというわけではない。 ④“きこえかたのシミュレーション”(1 番から 20 番まで音を流すので、何といっているか 紙に書く。重度な聴覚障害者のきこえを想定して作った) 「からす りんご ひこーき めがね ぽすと さかな じどうしゃ うさぎ えんぴつ とけい はさみ つくえ ねずみ バナナ ぼうし ライオン ピアノ でんわ すずめ テレビ」 子どもに補聴器をつけて「きこえる?」と尋ねると「きこえる」と言う。きかれれば確 かにきこえるけれど、言葉として、日本語の音声としてはきこえない。 多くの子どもは補聴器をつけている。最近は人工内耳というのをつけている子どももい るが、要するに、聴覚障害の子どもたちは、音はきこえるが何を言っているかわからない 状態になっている。 1. 小さくきこえて、わからない。⇒2 回目の体験場面 2. 雑音と一緒にきこえて、わからない。⇒1 回目の体験場面 参照9:「マッカナアサヒ」

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3. 不明瞭にきこえてわからない。⇒3 回目の体験場面 それをもう少し体験してもらう。音が小さくてわからないから、短絡的に補聴器で音を 大きくしようとする。そうすると、ききたい音もききたくない音もみんな大きくしてしま う。補聴器は、残念ながら複数の音声からききたい音だけを聞き分ける事はできない。高 価な補聴器でも、耳に掛けた時に上部にくるマイクがいろんな音を全部捉えてしまう。い ろんな音が同時に1 つのマイクに入ってくるので、聞き分けにくくなる。 私たちは、沢山の人がいる中でも、特定の人の声をききたい時には、その人の方にずっと 耳をそばだてていると声がきこえてくる。それを「カクテルパーティ効果」という。耳は、 パラボラアンテナのような役割をして雑音の中でも聞き分けられる能力を持っている。 これを体験するにはどんな方法がいいのかを考えた。3 人の先生に並んでもらい単語を同 時に言ってもらう。それを録音して1 つのスピーカーから出し聞き分ける。これが難しい。 ⑤“疑似体験 いろんな声が同時にきこえたら” 3 人に同時に言われたら絶対にわかる言葉も、1 つのスピーカーから出すとわからなくな ってしまう。それは補聴器を着けた耳と同じ状態で、3 人で話している言葉がわからない。 一般の学校に行っている聴力が60 デシベルくらいのある女の子は、音声言語も使いなが ら1 対1だったら難聴とも思わないほど発音の明瞭度が高い。しかし、「これはわかる。こ れとこれはわかる。これと、これと、これの時にはわかりにくくなる。」と言う。 3 人がいる場面で、自分以外の 2 人が話し始めるとわからない。自分に対する 1 対 1 のキャ ッチボールの時はわかるけど、自分以外の2 人のキャッチボールはわからない。4 人いたら お手上げ。でも1 対 1 だったら殆ど難聴だとわからないくらいに聞きとりができる。 聴力に障害のない学生でも、複数の事を同時に言われるとわからなくなる。また、周り がうるさいときこえないという経験はよくある。一般的に難聴者は、周りに雑音があると とても聞きとりにくくなると言われているので、周りの雑音よりもききたい人の声が大き くきこえることがよい。では、どれくらいの大きさがいいのか?研究データーを見てみる と、最低15 デシベル~20 デシベルくらい言葉の方がいいと言われている。その状況をきこ えている人が体験するために、全く反対の状況にする。今からきくのは言葉よりも雑音が 15~20 大きい音でできている。 ⑥“体験 周りの雑音による聞きとり困難な状況体験Ⅰ” ・雑音が21 デシベル大きく、言葉が 21 デシベル小さい音で作られた単語をきく。 ・言葉が18 デシベル小さい音で作られた単語をきく。 ・言葉と雑音が同じ大きさで作られた単語をきく。 一般的に言葉と雑音が同じ大きさの状態は、難聴者の言葉の方が21 デシベル小さい音の 状態に近いと言われている。言葉と雑音が同じ大きさの状態は、きこえる人には何を言っ

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ているのか殆どわかるが、難聴者にはかなり聞きとりにくくなる。小学校の40 人制のクラ スで授業を受けるということは大変なこと。だから、私たちが大丈夫かと思われる雑音は、 難聴者、とりわけ聴覚を優先して使っている人の場合には過酷な状況だという事を知って いて欲しい。 ⑦“体験 周りの雑音による聞きとり困難な状況体験Ⅱ” 「天気予報の話」に関する歪んだ音声をきいてもらう。大体どの辺りの話しなのか想定 が出来ると、それらしくきこえてくる。しかし、どんな天気でどの地方の話なのか肝心な ところまではわかりにくい。では次に良く似た2 つの単語をきいてもらう。 ⑧“体験 周りの雑音による聞きとり困難な状況体験Ⅲ” 元の音声は「ほうそうしつ(放送室)」と「こうちょうしつ(校長室)」だが、高い音を 削ると「しつ」の「し」や「つ」の子音はきこえなくなる。「ほうそうしつ」と「こうちょ うしつ」は母音が同じ。母音が同じで口形が同じものは視覚的に見てもわからないことが あるので、読話も誤りやすくなる。例えば、数字の1 と 2 の口形は「い」なので判断がつ かない。聴覚障害の人にとって読話がしにくいものは、音が似ているものなので違う方法 が必要になる。 (4)周りはどのようにしていけばいいのか。 ①『視覚は騙される・・・!?』(参照 10-1) 串があって団子が左右に振られているような感じがする。これは串が斜めになっている だけで団子はまっすぐ。文字が書いてあるが何という文字か(参照10-2)?「LIFE」であ る。 ②『聴覚は騙される?』(補える言葉と補えない言葉) きこえる人たちを対象に試してもらうが、何と言っているのか考えてほしい。肝心なと 参照10-1:視覚は騙される 参照10-2: 視覚は騙される

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ころはきこえないようにしてあるので良くきいてほしい。 ◆試聴その①「テレビをいつまでも[…雑音…]たらダメよ」→雑音を取ると、「テレビをい つまでも たらダメよ」 「みて」という言葉をわざと取っている。「みて」と言ってはいないが、推測して勝手に 補っている。 ◆試聴その②「食べたら[…雑音…]を台所に持っていってね」→雑音を取ると、「食べたら を台所に持って行ってね」 「食器」とは言っていない。聴覚は、脳の働きで欠落した情報を補っている。だから、 ハッキリきこえなくても言葉がわかったり、コミュニ ケーションが成立する。では、実際に隠されたことば を推測してきいてみよう。 ◆視聴その③「テレビをドラマに[…雑音…]て」 元の音声は「テレビをドラマに回して」 以前は「回す」という言い方は一般的だったが、今の 時代は「回す」とは使わないから「変えて」と補うだ ろう。つまり、聞き慣れていない、若しくは生活環境 が違う言葉(表現)は、頭の中で補えないということが わかる。 ◆試聴その④「大きな自転車が自動車を[…雑音…]た」 元の音声は「大きな自転車が自動車をはねた」 私たちの生活環境ではあり得ないものは補えない。だから、補えないことばと補えること ばがある。つまり、きこえている人であっても、前後関係、文脈、状況から推測してコミ ュニケーションをとっている。 ③推測を助ける手立て(手話、指文字、実物の提示、指さしなど) 補聴器を使っている難聴者が推測しながらコミュニケーションするとしたら、推測しや すい状況にあるかないかが、聞きとりが上手くいくかどうかの大きなわかれ道になる。 推測しやすくするためには、手話や指文字、実物の提示、指さしなどがあるとわかりやす い。しかし、実際の日常生活はもっと過酷である。今まで試聴してもらったものは音声を 加工していないが、難聴 者は加工されている音声、かつ、雑音が入ったものをきいている。 ホールのような所では反響する音をきいている。 「言葉を推測する」 ◆体験その① 加工した音声を推測する(高い音を削って反響させている音。高い音を削 って反響なしの音) 元の音声は、「パンにバターを塗って!」であるが、世の中の人たちはろう学生さんと接 参照11:隠されたことば

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する時のようなスピードでは話していない。早口が多いし、なおかつ高い音がきこえなく て雑音があるという状況。 ◆体験その② 加工した音声を推測する(早口で、なおかつ高い音がきこえなくて雑音が ある音。早口で、なおかつ高い音がきこえない音) 元の音声は「青いラクダが男と走った」であるが、早口な上にあり得ないような言葉な ので、想像できない話を急に早口でされると、難聴の子どもたちや難聴者は全くわからな い状態になってしまう。 きこえるか、きこえないかの二者択一で捉えるのは大きな間違い。きこえるというのは、 ききとれているとか、意味がわかるということとは全然違う。今回は、パソコンで音を加 工して作っても、きこえる人がきくと意外とわかるので、かなりシビアな話題をわざわざ 作ってきた。きこえる人は脳で補いながらきいているので案外わかってしまう。 ◆体験その③ これは、実は英語である。もし、聴覚障害者が何の配慮もなしに英検を受けた場合、こ のようになるかもしれない。前もって、英語であることを言われていれば、それらしくき こえてくるかもしれないが、何も言われなければ、想像しにくい。 (5)今回の体験で知ってほしかったこと ①音が「きこえるか」「きこえないか」の二者択一ではない ②「聴者」のようにきこえてこない音を様々な方法を駆使して聴覚障害者は理解しようと している。それは聴覚もあるし、視覚もある。いろいろな方法を使っている。 ③彼らの苦労を軽減する方法はある。文字情報も手話もある。文字情報だけで足りるので あれば手話通訳は要らないし、手話通訳だけで足りるのであれば文字情報は要らない。 補聴器だけで足りるのであれば両方とも要らない。 ④しかし、全てに通じる万能な策はない。だからこうやって手話通訳もあり、文字情報も ありとしている。それは対象者、年齢、講演の内容によっても変わってくる。 理解と協力と工夫が、聴覚障害者を取り巻く多くのきこえている人たちには必要であ る。聴覚障害者自身も、自分たちがどのような方法だったらわかりやすいのか訴えられ るようになってほしい。だから、ろう学校ではそのような指導に力を入れている。 補聴器をつけている聴覚障害者はたくさんいる。補聴器をつけることによって全ての 音がきこえる訳ではないけれども、様々な状況の中で自分に合ったきき方、活かし方を している。「きく」ということは、聴能の力、聴・脳の力、変な語呂合わせですが、“超 能力”かもしれない。したがって、聴覚と併せて視覚からの情報保障が必要だというこ とが言える。 ⑤「きこえにくい」ということ。音が小さくきこえてしまう。音の高さによってきこえ方 が異なるという事だけでなく、小さい音はきこえず、逆に大きな音はうるさいと感じる場 合もある。早口はわからないけれど、ゆっくりだとわかりやすくなるという場合は多い。

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同時に話されたらわからないので、話し手は 1 人ずつにする。話し手が下手だと、きこえ る人がきいてもわからない。話し手の後ろがまぶしいと読話ができない。※ポイントを絞 った話し方が大切。 4.私も含めたきこえる人たちへ 先天性の中等度以上の聴覚障害児の出生率は1000 人に 1~2 人。聴覚障害の出生率は高 い。500 人規模の小学校であれば、1 人くらい難聴の子がいてもおかしくない。高齢化社会 がますます進むなか、今きこえている人たちも、数十年後には「老人性難聴」になる。き こえない・きこえにくい人たちの生活を考えてみることは、全ての人の生活を考えること にもつながる。 しかし、他人の「きこえ方」を正しく知る、理解することはできない。シミュレーショ ンはしてみたが、実際に難聴者のきこえを正しく理解することはできない。 しかし、様々な場面で「これじゃ、きこえにくい人には、わからないなあ」と気づけるか どうかが大切。最新の機器などのハード面の充実とともに、周囲の心配りといったソフト 面が充実しないとバリアは解消されないと思う。

参照

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