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トーマス・マンの「大公殿下」について

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(1)

221

卜‐マス ●マ ンの「 大公殿下」につ いて

トーマス ●マ ンは大作「 ブデ ンブ ロィ ク家 の人 々」 の完結後 およそ10年 で

,彼

の新婚生活の最初 の芸術的結実 と して

,彼

自ら長篇小説 の形式 による喜劇 の試み

,あ

るいは理性 的 な

Marchenで

ぁ ると呼んだつ第二番 目の長篇「 大公殿下」を世 に送 った。 当時の ドイ ツの批評界 は

,前

者 の好評 と裏腹に

,

この作品に種 々の非難 を浴 びせ るとともに

,後

年 にな って もその内容を詳細 に論 じた評者 は少 ない。 しか し作者 自身 この作品の「安易過 ぎる」2)点 は認めなが らも

,折

あ る ごとに 不評 に 対 しC自己 弁護 を繰返 しているところか らも,筆者 は この作品をよ り仔細 に検討 してみ る必要 を感 じた。 また, この長篇 の底 が意外 に深 く

,彼

の作品系列 において重要 な位置を 占めていることに も気 づ くがため で ある。 この長篇 の筋 を要約すれば

,物

語 の舞台 は ドイツのある破産 に瀕 した貧乏公 国で ある。主人公 は この公 国の第二王子 で

,工

位継承者 の代理 と して

,装

飾 的象徴 的 な役割 を演 じてい る。 この工子 は や がて アメ リカ合衆国か らこの国へ舞 い降 りて きた大金持 の娘 と恋を し

,結

婚 す る。 そ こで

,

この 小 国はその娘 の父の もた らした大金 のお蔭で困難 な財政状態を脱す る。 この平凡 な筋 は「 ブデ ンブロー ク家 の人 々」 とい う偉大 な着想の後 だけに

,作

者 の問題 回避 と し て

,あ

ま りに も皮相 な娯楽小説 (事 実

,数

十年後 に娯楽映画化 された こともある

)で

あ り

,王

子 と 娘 との恋物語 も独創性 に欠 け

,

結未 は

happy endに

過 ぎるな ど

,

各種 の不評 を招 くこととな っ た。 作者 は 自作に向け られた非難 のなかで

,兄

Heinrichに

宛 てた手紙 で,

Uber≫

K〔6nigliChe〕 H〔oheit〕≪

habe ich seit Bahr nicht viel Ermutigendes zu

sehen bekominen, Das Buch、 vird von der Kritik entschieden nicht recht fir vo11,

nicht recht ernst genonHnen, und ich habe den Eindruck, da8 der Erfolg des

Deinen―

im hёheren Sinne――viel grb13er ist.3)

と嘆いている。

4)ThOmaS Mann: Gesammelte WVerke in zwblt Banden,s.Fischer verlag 1960,Bandメ

と, S.118。 以 下 同全 集 か らの引用 は, ロー マ数 字 で巻 数

,ア

ラ ビア数 字 で ペー ジ数 を示 す 。

2)

,S.118

5) ThOmas Mann/Heinrich Mann, Briefwechsel 1900-1949,S.Fischer verlag,1968,S.84

作 圭

(2)

しか し

,作

品 が外観上重厚 さに欠 けて見 え るのは

,ひ

とつ に彼が従来 の叙事 的 手 法 を 用 いなが ら

,物

語 を一般 的象徴 的表現 の領域 に置 き換 えてい るか らであ って

,

ここに実 は彼 の新 しい意 図,

つ ま り

Marchenへ

の志 向が認 め られ るので ある。

Ich verstehe, da13 die Detailinenge, die zu arrangieren ich mich nicht iverdrie13en lie13, da13 die Akribic eines Schriftstellers, der durch die naturalistische Schule ge‐

gangen ist, 色

ber die innere Natur des Buches tauschen konnte. Aber die Geschichte

des Xこ

leinen einsamen Prinzen, der auf so scherzhafte Art zum Ehemann und Volks‐

gliickeF gemacht wird, ist schlechterdings kein realistisches Sittenbild aus dem

Hofleben zu Anfang des z、 vanzlgsten Jahrhunderts, sodern ein lehrhaftes

ヽlar_

chen.

これ は作者 が この作品 についての小論 のなかで上 の点 に触れている箇所であるが

,作

品 が

Maト

Chenで

ある以上

,

例 えば

,Inge Diersenが

い うよ うな工侯 と大金持 との結合が国民 に幸福 を も た らす とい うイメー ジの古 さな どは

,そ

れ ほ ど問題 に しな くて もよい。 重要 な ことはマ ンの童話 的な ものへ の関心で ある。 これ は以後彼の伝説的

,神

話 的 な ものへ のそ れ に連 な って い くが

,彼

の作品に現れた顕著 な転 回で あ り

,マ

ンの作品系列 において この作品 の も つ重要 な意義のひとつであるといえよう。 作品 の中心 を なす王子 の恋物語 の周辺には

,Marchenの

小道具が 配置 されて

,そ

の効果 が高 め られて い る。例 えば

,旧

城 内の中庭 にひ と株 のバ ラが ある。 ところが このバ ラには薄気味悪 い特性 が あ って

,匂

わないので ある。香 りがないわけで はないが,そこか ら漂 いで る匂 いは「 カビの匂 い」 だ った。 やがてはいつか歓喜 の 日がおとずれて

,こ

のバ ラは 自然 な香 ぐわ しい香 りを放 ちは じめ る だ ろ うと

,巷

間で は伝 え られてい る。 これ と似た よ うな話 は旧城 の「 フクロウの間」 に もある。 ときどきその部屋 のなかで物音 や話 し 声 がす るのだが

,そ

の音 の根源をつ きとめ ることがで きない。 噂によれば

,

これは大公一族 に何 か 重大 な決定的事件が起 るのを警告 している らしい。 そ ういえば

,大

公 の臨終 が近 ず くや

,そ

の部屋 の あや しげな物音 は異様 に大 き くな って くるので ある。 ` また

,

これ と関連 して

,

ジプ シーの老婆 か ら出たあ る種 の怪 しげな予言 が昔 か ら言 い伝 え られて い る。 それによると

,「

片手 」 の殿様 が現 れて この国 に幸福 を もた らす とい うので ある。髪 ふ り乱 して この女 は言 う。

Er wird dem Land H

t einer Hand mehr geben,als andere l■

it zweien nicht ver・ m6chten.5) 物語 の結末 で,主人公 の結婚 を祝福す る民衆 の歓呼 の どよめきは

Marchenの

終 りにふ さわ しい。 570f。 47 作 I つ 9

(3)

トーマス ●マンの「大公殿下」!につて

この長篇に続 く第二の長篇「魔の山」においても

,マ

ンは童話的要素があることを認めて

Zudem 46nnte es sein, da8 die unsrige ttlit de騨

larchen auch sonst, inrer inneren

Natur nach, das eine und andre zu schaffen hat.6)

、 と述 べてい る。 また

,

彼 は この作 品 に結婚直前 の体験 を数多 く投影 して いるが

,彼

が未来 の妻

Katja宛

ての手 紙 で

,彼

女 を王 女

,

自 らを一種 の王 子 とみ な してい る7)と ぃ ぅ意味の ことを述 べているのは

,彼

Marchen作

家 と して の面 目を示 した ものであろ うか。 作者 の息子

Goloは

「 父 の思 い 出」 と題 して 4964年 にバ イエル ン放送局 を通 じてお こな った講 演 のなかで

,次

の よ うに述 べて

,

彼 の父 を

Marchenerzahlerと

呼んで いるが

,以

上 の点 につ い て は これで十分で あろ う。

Im Grunde fuhlte er sich mehr als Marchenerzahler denn als Realist oder gar

Naturalist. Es war eine andere, dichterische Welt, die er aufbaute, nicht die wirkli_ che Welt, die er fotografierte.

長篇「大公殿下」 が一種 の

Marchenで

ぁるとい うことは上 に見 た通 りで あるが

,そ

の色調 はま ず ペ シ ミス テ ィックなそれ とな って現われている。著者 自身 この辺 の事情を

Aber obgleich entstanden in heiterer Lebenszeit und heiter in sich selbst, hat

von Anfang an ein eigentu■

1lich beschattetes, fast melancholisches, ich mδ chte

geni vernaChlassigtes Dasein gefuhrto zuweilen、 var es rlir leid um sie.8)

と説明 しているが

,

これは10年 前の大作「 ブデ ンブローク家の人 々」 と共通 の基調音を暗示 してい る。 ある家族 の没落 が

,

ここで も

,似

た よ うな調子

,同

じよ うな視角で

,イ

ローニ ッシュにいささ か冗長 に語 られ

,す

べ てが絶望の淵へ沈 んでい くよ うに見 える。

主人公 の兄

Albrechtは

死 との共感 にとりつかれていて

,生

活意欲 の きわめて うすい病弱な少年

Hanno BuddenbrOokと

共通 してい る。 ス ラブの血 を引 く大公妃

Dorotheaは ,ォ

ランダ生れの

芸 術家肌 の美人

Gerda Buddenbrookと

親類 で

,

幽霊 の よ うに宮殿 を徘徊す る。 高 齢 の 大 会 」oれ

ann Albrechtは

ぁる恐 ろ しい病 に罹 って 亡 く なるが

,

ほん とう は

,「

時代 に 合 わない男」

(der Unzeitgemane)ThOmas Buddenbrookの

よ うに

,人

生へ の絶望 の故 に死んだのである。 身分 に合わぬ結婚 を して零落 してい る大公 の弟

Lambert公

,

似 た よ うな経緯で家族 に不名誉 を もた らす

Gotthold Buddenbr∞

kに

相応 して い る。

作者 は後年 この長篇が「 ブデ ンブローク家 の人 々」 の「 後継者」の であると述 べてい るが

,

これ

II, S. 10

Thomas Mann: Briere 1889-1936. S,Fischer Verlag, Frankturt am Main 1962, S. 56

xI, S. 573 , S. 573 ・ le     a の つ 0 の

(4)

224

三 枝 は言葉通 り受取 ってよかろ う。 また

Gybrgy Lukacsは

この作品をマ ンの前 の大作 と同様 に没落 の叙事詩 であると してい るが

,そ

の当否 は別 と して

,

この作品が「 ブデ ンプ ロエ ク家 の人 々」 の延 長 上 にあることはまちがいない。

Christoph Geiserに

よれ ば,1の マ ン は「人公殿下」 の 主眼を

,作

り 上 げた もの に

,つ

ま り, 「 徹頭徹 尾 こ しらえ られた書 物

,一

寸一角 まで計 算 しつ くした」1つ 点 において い るが,「 ブデ ンブ コ ーク家 の人 々」にお いては

,問

題 の生成 に主眼をおいてぅ両者 を区別 してい ると してい る。 これを先 の

Lukacsに

よ って補足すれば

,次

の よ うになる。 「 つま り第一作 の壮大 さは

,後

か らつ け くわえ られてい った ものであ り

,そ

こか ら次第 に成長 してゆ き

,そ

の附加部分 の豊か さによ ってふ くれあが ってい ったので あると この計画 されたわけではない もの

,望

まれ たわ けで はないも の が

,彼

の第一 の長篇小説 に

,

きわめて深 い典型性

,同

時代 のすべて の作 品 にぬ きんで る普遍性 を あ たえてい るので ある。」12) 第

2作

の方 は どうか。 同 じ く

Lukhcsの

説 に耳 を傾 けよ う。 「 マ ンは ここで は

, 7年

前 の ときよ り

,

も っと短篇作家的にみてい る。状況 とぶつか り合 いを よ り抽象 的に設定す ることによ って

,よ

り鋭 く

,よ

り集中的にみてい る

,

と。 だか らこの小説 の対象 は

,あ

る家族 の歴史 なのではあるが

,そ

れを と りま く世界 とのつなが りは

,か

ってのそれ に くらべ て はるかにゆ る くな ってい る。 そ して

,

こうした典型 は

,た

ん に理論 的な ものにす ぎず

,わ

れ われ と して は

,そ

れが典型 的で あ り

,

どこかには こう.した例 もあるだろ うと しるよ り以上 のものではな い。 とはいえ

,私

はまた

,当

,次

のよ うにもいえるだろ う。 それはある君主 の家族をあつか って い るのであ り

,ま

さにそ うした社会学的位置 によ って

,彼

らは通常の共同体 か らはじかれ

,そ

の こ と によ って

,彼

らの生 活 は

,空

想 的 に

,非

合理 的 に

,<興

味 あ る

>も

の とな る。彼 らがその中で生 きてゆかねばな らぬ人 間共 同体 との大 きなへだた りによ って

,接

触や

,出

あい のすべて の体験 が, ま った く理論的に典型 的 に

,事

件へ と

,短

篇小説 的 に凝縮 され る

,

と。つ ま り

,

この長篇 は

,最

初 の長篇 に くらべて

,よ

り集約的に描かれてい るので ある。一例をあげてみ よ う。前 の作品で は

,四

つ の世代 が とりあげ られてい るのにたい して

,

この作品では

,二

つ の世代 があつかわれてい るにす ぎ ない。 この作品では

,作

品 の中心 とな る寓話 は

,よ

り単純 に

,よ

り単線 的 にな ってい るにもかか わ らず

,個

々のエ ピソー ドはよ・り強 く独立性 を もっている。人物 たちの相違 はよ り鋭 くな り

,そ

の 雰 囲気 は彼 らの存在 と うま くに じみあ って いない。 そ して こうした強調 のなか には

,

さ らに

,あ

る 種 のかす かなわ ざと ら しさ

,個

々の特徴 の誇張 された鋭 さ

,象

徴 的な気分 的手 法 のあま りにひん ぱ ん な

,あ

ま りにあか らさまな使用な どが

,あ

らわれて い るど といって も

,

これはほんのわずかな箇

10 ChriStOph Ceiser:Naturalismus und Symbonsmus in Fruhwerk ThOmas Manns,A Francke

AC Verlag,Bern 1971,S.58

11) ,S・ 96

1の ジ ェル ジ 。ル カー チ 片 岡啓 治訳「 ロマ ンの魔 術 師」立風 書 房 1971年

,お

ペ ー ジ

・1

(5)

トーマス ●マンの│「大公殿下」にって 所のことであって

,基

本的感情は

,そ

れのふ くらみと

,よ

り強い集約性の感情である。」13) 冗長を厭わずあえて引用 したのは

,

この部分が共通の基盤 に立脚 した両作品の違いを見事に説切 しているか らである。 このす ぐ後で

Lukacsが

,

前者ではあの生の衰退はわれわれの眼前で進展 し

,そ

れ とともに

,諸

人物はごく自然 の成 りゆきとして

,彼

らが以前あったところのものの代表者 となってゆ くのであるが

,後

者の場合には

,そ

の衰退そのものが

,そ

もそもの始め

,出

発点 となっ ているという意味のことを述べている14)ょぅに

,

この作品の主人公 をはじめ登場人物 は前者 の後 裔 として冒頭か ら危険な深淵に臨んでいる。 主人公の若 き王子

Klaus Hcinrichは

,生

,象

徴的

,代

表的役割を演ず るべ く運命づけられ てい る。彼は特別 の勉強を しないで大学 に入学 し

,軍

籍にも身を置 くが

,

この士官の軍事 に関す る 知識は皆無である。また

,彼

は部下の作 った草稿そのままに演説を しなければな らない。つま り,

彼tよ

Dr.も

rbeinが

ぃぅょぅに

,「

象徴的な存在」

(Sinnbildliche Existenz),換

言 す れ

,「

形式的な存在」

(fOrmale E

stenz)で

ある。従 って

,彼

の使命は「べつに身ぶ りがな く

てもすむ ことを

,

ことさらに美 しい身ぶ りでや ってのけることだけ

,ま

,人

間のもろもろの事柄

に荘重な気分をあたえることだけ」iS)である。 それは彼の兄が見抜いているように

,

自分の合図で

列車が出発す るものと錯覚 している頭のおか しい人物

Fimmelgottliebの

役 とあま り変 り は な

い。

Ob ihm ein Gru13 gelang,cin gnadiges wort,cine gewinnende und doch wiirdevo■

e

Handbewegung,、

var wichtig und entscheidend.16)

また

,

このような「 ひとつの化身

,一

種の理想」

(eine Art ldeal,ein Gefa8)と

も言えるエ

侯的存在は

,生

への「直接的な親密 さ」

(unmittelbare Vertraulichkeit)と

相容れないとDr.

Uberbeinは

このことを弟子に次のように言 う。

Aber Form und unlnittelbarkeit,― i、visSёn Sin noch nicht, daS sich das ausschlie13t? Es schlie13t Sich aust Sie haben kein Recht auf unHlittelbare Vertraulichkeit.17)

形式のための奉仕を義務づけられている王子は

,生

の世界に所属 している直 接 性 と は無縁であ り

,高

貴の代償 として直接性の放棄を要求 されているのである。それ故

,彼

にとって

,生

活 の享楽 は許 されない。詩人

Martiniが

言 うよ うに

,生

活は「禁断の花園」に外な らない。 このよ うな生 の直接性の喪失

,禁

欲的理想生活か ら生ず るものは

,疲

,憂

,

俗怠

,

不毛であ り

, Klaus

inrichを

はじめ,ヽ 王家のすべてのタ ンバーに重苦 しくの しかかって くるのである

d彼

らは生の 1の ジェルジ・ ルカーチ 片岡啓治訳「 ロマンの魔術師」立風書房 1971年 ,69/70ペ ージ 1つ 同上,70ポ

=ジ

19同

上,70ぺニジ

ー 1の 工

,S,171

1つ 亜

,S.84

(6)

余計者として生から締め出され

,活

力を失いながらも

,ま

じめなしつけや義務感に支えられて

,痛

ましく孤独にかろうじて生きている。

トーマス ●マ ンは1905年12月 5日 付 の

Walter Opitz宛

の書簡 で「大公殿下」 の構 想 について 触 れて い るが

,そ

のなかに次 のよ うな一節がある。

Man fuhrt, m6chte ich sagen,ein symbolisches,ein reprasentatives Dasein,ahnlich

einem Fursten,__und,sehen Siel in diesem Pathos liegt der Keiln zu einer ganz wun‐

derlichen sache, die ich einttal zu schreiben gedenke; einer Fiirsten・ Novelle, einem l

Gegenstuck zu

≫Tonio Krδger《, das den Titel ftihren son: K6nigliche Hoheit≪ .18)

また

,彼

は小論「『大公殿下』 について」 のなかで

,

この作品の内容 につ いて こう言 って い る。 Der Ftirst, den ich eigentlich il■ Sinne hatte, ist der,vOn dem Schiller seinen Karl

VII, sagen l五st i ≫

DruHl soll der Sanger.lit dem Kδ

nig gehen, sie beide wOhnen

auf deF MenSChheit H6hen.《

Die attsplelunge4工

Che Analyse des fursthchen Daseins

als eines formalen, unsachlichen,libersachlichen, Elit einem WOrte artistischen Da‐

seins und die Erlbsung der Hoheit durch die Liebe: Das ist der lnhalt meines Ro‐

mansl19)

これ らは いず れ も芸術 家 の存 在 形式 と王 侯 のそれ との同一 性 を述 べ た もので

, Tonio Krδ ger

Klaus Heinfichと

の共 通性 を表 明 して い るので あ る。 つ ま り

,王

子 の「 高 位 の職 」

(hOher

Beruf)と ,TOttioの

それ との類 似 の認識 に基 くもので あ る。 この点 につ いて は

,

マ ンは「 トニ オ・ ク レーゲ ル」 のな かで も

,TOttioに

は っき りと次 の よ うに言 わせ て い る。

Einen Ktinstler,einen wirklichen,nicht einOn,dessen btirgerlicher Beruf die Kunst

ist, sondern einen vorbestixnmten und verdammten,ersehen Sie F

t geringem Scharf‐

blick aus einer Menschenmasse. Das Gefuhl der separation und unzugehbrigkeit,

des EFkannt―

und Beobachtetseins, etwas zugleich Kbnigliches und Verlegenes ist

in seinern Gesicht. In den Ztigen eines Fursten, der in Zivil durch eine Volksmenge

schreitet, kann man et、vas Ahnliches beobachten。 20)

また

,形

式 的 な存 在 で あ る

Klaus Hcinrichに

,詩

Martiniが

指 摘 す るよ うに

,

一 切 の 個 人 的存 在 が 否定 され て い る。

Der LebensgentlS ist, uns ver、vehrt streng ver、

vehrt, wir machen uns kein Hehl

daraus,一―

und zwar ist dabei unter Lebensgenu8 nicht nur das C1lick, sondern auch

die Sorge, auch die Leidenschaft, kurz jede ernsthaftere Verbindung mit dem Leben

Thomas Man■ : Briere 1889-1936. S, XE, St 570 1111, S. 297 作 圭 枝 の 分 0

(7)

トーマス ●マンの「大公殿下」につて

zu verstehen.21) .

それ故

,形

式 のため に死 んで いなけれ ばな らない

Klaus Heinrichは ,

倉」作 のために死んで い な ければな らない2つ

)Tonio Kr6gerに

対応 して いるも こうして

Klaus Heintichの

存在 は芸術 家 のアナ ローグ とな るので あ る。 とい うことは

,「

大公 殿下 」 が「 ブデ ンブローク家 の人 々」 のみ な らず

,「

トニオ・ クレーゲ ル」 の延長線上 にもあることを示 してい るのである。

.

以上 のよ うに1「大 公殿下」 の基調 には

,マ

ンの初期 の長 ,短篇 の主題 が色濃 く投影 されている。 しか し

,彼

は この作品で重要 な転 回を とげてお り

,童

話 的 な ものへ の傾斜 がそれで あることはすで に述 ぶたが

,更

に顕著 な彼 の

Umorientierungは

教養小説 の要素 の導入で あ り

,政

治参与 の姿勢 で あろ う。 これまで のマ ンの諸作 においては

,前

者 につ いて は「 トニオ・ ク レーゲ ル」 の主人公 の 愛 の生長 に僅 かに認 め られ るが

,後

者 につ いて はほ とん ど認 め られ ない。 作者 は この長篇 の完成後数年 に して政治的論争を開始 し

,そ

の後 はつねに政治を問題 に し続 ける が

,こ

のようなマ ンの社会的関心が この作品を通 して理解 され る。 しか し

,

この問題 は小説全体か ら見れば

,や

はり傍流であろう。従 って

,本

論では教養小説の要素 の方に焦点を合せて

,主

人公の 発展を中心に

,更

に作品の検討を続 けたい。 周知のように

,Blldungな

る語 の意味が従来 さまざ まに解釈 されるとしても

,教

養小説はゲーテの「 ブ イルヘル ム・ マイスターの徒弟時代」に代表 さ れ るように

,ひ

とりの主人公が彼をとりま く人間的

,文

化的環境 との相克のうちに自己を発見 し内 面形成を遂げるにいたる過程を描 く小説形式である。23 そのためには

,そ

の主人公 はある程度素朴 であり

,精

神的な柔軟性 の持主でなければならない。 その点で

,Klais Heinrichは ,

教養小説 の主人公 としての資質を備えているといえよう。だか らこそ,Dr。 も

berbeinの

さわやかな弁舌が 王子の考え方や感 じ方 に

,恐

らく必要以上の影響を及ぼすのである。

. , i

Der Prinz war damals funfzehn, sechzehn Jahre alt und also recht wohl fう

hig, solcherlei ldeen―

wean auch nicht wirklich aufzufassen, doch nach ihrem Wesensge・

halt gleichsa■ l aufzusaugen。24)

Klaus Heinrichは

長篇第二作「魔の山」の「 単純な」青年

Hans castorpを

思わせ るものが

ある。

i

そこで

, Klaus Heinrichは

彼の目標に達 してい く過程 において

,

無数の影響の下に

,

教育 さ

れ,・形成 されてい くのである。 そ して

,

その際

,

彼の前 に意識的に現れる最大 の教育者 は Dr.

Uberbeinで

ぁり

,

長篇「魔 の山」に登場する教育者

Naphtaゃ

Settembriniの

先人の役を果 している。

24)工

,S.178

22) , S, 292

20日

本独文学会編「 ドイツ文学辞典」河 出書房 昭和51年 180ペー ジ 2つ ■,S,88f。

(8)

Raoul Uberbein一

一彼の言説には

Nietzscheを

思わせるものがあるが

,

その名前

9D響

きも

NietzschOの

bermensch及

Nietzsche

の伝記作者

Raoul Richterへ

のイメニジに連な

る一一は

Klaus Heinrichが

過 した寄宿制工室神学校の助教師として

,

王子の家庭教師として

,

あるいは大学生 Klaus Heinrich 9D宿 の社話係として

,文

字通 り若き公子の教育者である。

彼の生いたちは暗く

,み

じめな幼年時代を送 り

,や

がては天涯孤独の身となる。惨めな青春。孤

独。 この生来の不運児は

,幸

福や

,恵

まれた逸楽からは締め出されて

,出

世一途のきびしい生活に

明け暮れ

iガ

能だけを頼みの綱に

,ひ

たす ら他人を 飛び起える。そして「働 く必要 がなく」て

, 「 毎朝ゆっくり葉巻に火をつける」連中への軽蔵をむき出しにしなが ら

,努

力をかさね

,破

格 の出 世をす るのである。 宮廷劇場で上演 された「魔笛」を見物 しての帰途

,Dr,も

berbeinは

歌手 の「彼は王子です。彼 はそれ以上です。彼は人間です」 といぅ台詞をそっくり真似て皆を笑わせるが

,そ

の翌 日の王子 と

の個人教授の際に彼は

,再

びこの台詞に触れてから

,そ

こに合まれるヒューマニズムをはげしく攻

撃 して次のように言う。

Es gibt Paradoxe, die so lange auf dem Kopfe gestanden haben, da13 man sie auf

die F 13e stemen mu13, unュ wieder etwas leidlich Ver、

vegenes daraus zu machen. >Er

ist ttin A4ensch… ,Er ist mehr alも das<,― 一das ist nachgerade kuhner,es ist schδ

ner,es

ist sogar'wahreit.Das Umgekehrte istも 10se Humanitht, aber ich bin von Herzen

nicht sehr fiir Huttanitれ, ich rede H

t dem grb13ten Vergntigen wegverfend davon.

A/ran mutt in irgendeinё

tt sinne zu denen gehbren, von welchen das Volk spricht:

>Es sind schlie13HI五

auch Menschen25)<

彼はここで人間の単純な平等主義は感傷 に しか適 ぎないとしてきっぱ りと否定 し

,更

に続 けて,

Klaus HoinriChに

人間の代表 としてのけわ しい君主の道

,王

侯の課題を弁舌 さわやかに 説 き示

・す。

Denn der Geist, Klaus Heinrich, der Geist ist der Hofmeister, der unerbittlich auf

urde dri五

t, ia die tturde erst eigentlich schafft,er ist der Erzfeind und、

orneh‐

me Gegner aller humanen Gemintlichkeit. >Mehr als das?< Neinl Reprasentieren,

ftir viele dtehe五, indeni man sich darstellt, der erhδ

hte und zuchtvolle Ausdruck

einer ヽlengё sein,―Reprasentieren ist selbstverstandlich mehr und hδ her als einfach

Sein, Klaus Heinrich, __darum nennt inan Sie hheit¨

・26)

Dr.む berbeinは

「 広 い世間を渡 り歩 いて きた 男 の 優越感」 にあふ れて

,

しゃべ り ま くるが , 「 その快 活 な精神 は対象を 明確 に と らえて

,

かた ときも見失わなか った」 ので

,Klaus Heinrich

作 88 88 Ⅱ 工

(9)

トーマス ●マンの「大公殿下」につて

は師の言葉 に真剣 に耳を傾 ける。

Dr,も

berbeinは

更 に

au8erordentlichな

もの

, einmaligな

ものへ の愛 について次 のよ うに述 べ る。

Ich liebe das Ungewbhnliche in ieder Gestalt und in iedem Sinne,ich liebe die■

lit

der WViirde der Ausnahme im Herzen, die Gezeichneten, die als Fremdlinge Kenntli‐

chen, all die, bei deren Anblick das Volk dumme Gesichter macht.27)

つ ま り

,彼

は この愛 によ って

,Klaus Heinrichに

平均 的で従順 な人間へ の軽蔑を引 き出そ うと す るのである。 そ して彼 は言 う。

Abgeschlossenheit,Etikette,Verpfhchtung,Strammheit,Haltung,Form,一

wer darin

lebt, sonte kein Recht auf Verachtung habenP Er sollte sich auf A/renschlichkeit und Gemutlichkeit verweisen lassen?28)

このよ うな Dr。も

berbeinの

教育 によ って

,Klaus Heinrichは

「 高貴 との共 感」を獲 得 し

,形

式 的な存在 に徹底 す る ことによ って

,た

とえ無 内容であれ

,そ

の職業を果 す ことに没頭 しな ければ な らない ことに気ず く。従 って

,当

,彼

は個人的な生 活 とのかかわ り合 いを放棄す る。 彼 は 自分 の立場 の孤独 を必要 なもの として受入れ

,「

距 離」 が存在 しなければな らない とい うことを容認す る。彼の心 は師 に対す る「 名状 しがたい感謝」 の気持 で満 され

,彼

が得 た知識 は

,彼

を師 に対 して 「未 長 く」結 びつ けたのであ る。 続 いて登場す るのは生 の詩人

Axel Martiniで

,彼

ein begeistertes Loblied auf die Lebenslust oder viel=nehr ein iiberaus stiirmischer

Ausbruch der Lebenslust selbst, ein hinrei13ender Hymnus auf des Lebens Sch6nheit

und Furchtbarkeit20)

を うた うが

,

このよ うな生 の讃歌 を生み出す ためには

,彼

も生 の享楽を断念 しなければな らない。 彼 はその詩 の世界 とは全 く逆の世界 に住んでい るので ある。 そ こで

,彼

Klaus Hcinrichに

こ の ことを次のよ うに述べている。

Es ist eine weit verbreitete Anschauung, dar3 die Entbehrung der Wirklichkeit fiir meinesgleichen der Nahrboden alles Talentes, die Quelle aller Begeisterung, ja recht

eigentlich unser einflusternder Genius ist,Der Lebensgenu13 ist uns verwehrt,streng

verwehrt,

vir machen uns kein Hehl daraus,一

und zwar ist dabei unter Lebensgenur3

nicht nur das Gliick, sondern auch dis Sorge, auch die die Leidenschaft, kurz jede

ernsthaftere Verbindung■

lit dem Leben zu verstehen.eO)

これは同時に

Klausの

内面 を も雄弁 に説 明 してい る。 ェ

,S.86

,S,86

,S.173

Ⅱ,S,177f. 効 劾 効 ④

(10)

250

Martiniは

生 の イデ ーを代表 し

, Klaus Heinrichは

国民 を代 表 す る とい う違 いは あ って も,

ともに同 じ形式 に属 してお り

;生

へ の憧憬 を断念 して職務 を果 してい るとい う点 では

,両

者 は同 じ ツぐター ンの人 間で

,同

じ危院 に直面 しているといえよ う。

MaFtiniは Dr.芭 berbeinと

同 じ側か ら

,Klaus Heinrichに

生 の イデ ーを補足す るのであるが

,王

子 は この貧相 な詩人 よ りは

,

自信 に 満 ち

,毅

然 と して

, Aristokratismusを

説 くDr。 も

berbeinに

よ り共感を覚 え:る の で あ る。

Klaus Heinrichは

不健 康 な容貌 で「 うるわ しき人生」を うた うか と思 うと

,十

時 には床 につ き, 衛 生上 の理 由か ら生活 に「 距離」をお くくせ に

,百

姓 娘 と田舎 を疾走す る青年 を羨望す るこの詩人 の判断 に とま どう。 それ故

,Klaus Heinrichは

この詩人 との会見 の もよ うを妹 の

Ditlindeに

話 す とき

,次

のよ うな感想を述 べ るのである。

Aber ich wei13 doch nicht, ob ich■

lich freuen kann, ihn kennengelernt zu haben,

denn er hat et、

vas Abschreckendes, Ditlinde, ia, er ist bei all dem entschieden ein

bi8chen widerlch.31)

破産 に瀕 した公 国にアメ リカか ら大金持 ちの父娘 が移住 して来 ると

,

小説 の雰 囲気 は今 までの暗 い調子 とうつて変 って 粥るい 色調 を 帯 びて くる。 それ と 同時に

,Klaus Heinrichは

師 のDr. む

berbeinの

説 の

Nietzscheの

英 雄 的

Ethikか

ら次第 に離反 し始 め るが

,

その際

,

王子 の 転 向 へ 決定的な影響を与えるのが

,

この大金持 の娘

Imma Spoelmannで

ぁる。 彼女 は人を ち ょっび り皮 肉る傾向のある数学専攻の愛 らしい女子学生 であるが

,

彼女 も

Klaus

Hcinttchと

同 じよ うに孤独で形式 的な存在形式 に悩んでい る。 なぜ な ら

,彼

女 は工侯 のいわゆ る 見世物 的生 活 にあたる ,,fOr shOw“ の生活を送 っているのみな らず

,

工侯 がその職務 によ って人 生 か ら疎外 されて いるの と同様 に

,父

の富の故 に人生 に対 して「 距離」をおか ざるを得 ないか らで あ る。 そ こで

Immaは

王子 に 自分 の悩みを打 ち明けて言 う。

・…

und was FliCh betrifft, so war ich von ieher ein

venig allein und abgesondert

gewesen und vollstandig ununterrichtet gebheben,、

venn ich von meinen Universit』 ts‐ studien absehe…,3り

これ に対 して

,彼

Nicht、vahr, Sie waren von ieher ein wenig allein und abgesondert!33)

と 共感 の 喜 びを述 べ るが

,

後 にな って 彼女を正式 に 「 かわいい妹」 と呼ぶ ことがで きるのであ る。 しか し

,

なん とい っても

Immaは

市民 の出で あるだ けに王 子 よ りはよ り多 く人生へ の関係 を 所 有 して い る。それ故

,彼

女 は工侯 の品位以外 には関心 を持 てないでいる

Klaus Heinrichに

現 作 ・8. 255 255 工 Ⅱ 工

(11)

トーマス ●マンの「大公殿下」につて

実へ の関心を呼 びさます資格 があるのである。

Immaの

教育 によ って

,Klaus Heinrichは

幸福 に敵意 を抱 いて い る

Dr.Uberbeinか

ら次第

に離れてい くのを感 じる。

Aber in letzter Zeit habe ich Oftmals iiber ihn nachgedacht, und als Sie damals so

uber ihn geurteilt hatten, da habe ich■

lich mehrere Stunden langュ

ェit lhren■ Urteil

beschaftigt und mu13te lhnen recht geben. Denn ich、

vill lhnen sagen, I■ 1lna, welche

Bewandtnis es■

lit Doktor Uberbein hat, El lebt in Feindschaft mit dё

m Gldcke,一

das ist es,34)

こうして彼 は「魔 の山」 の

Hans Castorpの

よ うに一歩一歩生 のなかへ はい って行 くが

,Dr.

Uberbeinの

影響 は

Immaに

よ って最終 的に取 り除かれ る。 そ して

,一

切 の救済を拒否す るこの エーチェ主義者 は

,結

局 自殺 して果 て る。

Der fried10se und ungemitliche Mann, der niemals ani StaHHntisch ein Mensch

unter A/1enschen gewesen war, der hochmitig alle Vertraulichkeiτ

verschmaht, sein

Leben kalt und ausschlie81ich auf die Leistung gestellt und gewahnt hatte, da13 er

darum ane Welt vぅterlich behandeln durfe, _da lag er denn nun, das erstbeste

Ungemach, dic erste Mi13wende auf dem Felde der Leistung hatte ihn elend zu Falle,

gebracht.35) この必然的 な最後 に彼 の大 作 「 フ ァウス トゥス博士」 の

Adrian Leberk

hnの

面 影 を 認 め る36)のは

,

あなが ち見 当違 いではあるまい。

Immaは

市民 的能力を装飾 的形式 よ りも高 く評価 し

,真

Menschlichkeitは

「 貴族 的で 憂欝 な」個人 主義 とは相容れない とす る。 彼女 は王子 を真 の

Menscnichkeitへ

向わせ るが

,彼

が人 間的な暖か さを増す につれて

,二

人 の間には意志の疎通が可能 にな り

,お

互 の孤独 が克服 され

,愛

情 が芽生 え

,幸

福 が与 え られ るので ある。

Paul Altenbergは

IInmaに

,「

魔 の山」 に登場す る マダ ム

Chauchatの

前芽 を見 て とり

,Immaの

MenscHichkeitの

モ チーフが

,

そ こで

,更

に 詳細 に展開 されてい るとい うことを強調 してい るが,37)当 を得 てい ると思 われ る。

二人 の主役

Klaus Heinrichと

Imma Spoelmannと

が真 の意味での幸福 に到達す るために

,更

,国

務大 臣 と外務大 臣 ,そ の うえ ,大 公家の内大臣 も兼 ねてい る老

Knobelsdorff卿

の導 きが必要である。 マ ンは彼 が登場 して くる くだ りを次 のよ うに描写 してい る。

Das Verdienst, die Dinge auf den BOden der Wirklichkeit gestellt, den Geschehnis…

っの ェ, S. 304

5D亜

,S,352

56)Eike hriddell: Thomas ⅢIann, versuch einer Einだ dhrung in Leben und lVerk, Verlag Phi―

lipp Reclam jun.LeiPzig,s.87

5つ Paul Altenberg:Die Romane Thomas Man■ s.Hermann Gentner Verlag,Bad ttOmburg vor der Hёhe 1961, S, 37

(12)

sen die Richtung z■

eineni gluckseligen Ausgang gegeben zu haben, wird iinmer

dem hochgestellten WIanne zugesprochen werden missen, der bis dahin eine weise

Zurdckhaltung beobachtet hatte, iln richtigen Augenblick aber H

t behutsam fester

Hand in die Ereignisse eingriff。38)

そ して

,Knobelsdorffが

次 の よ うに

Klaus Heinrichに

語 る言 葉 は

,

彼 の王 子 に施 した教 育 の 方 向 を要 約 して い る と思 わ れ る。

nigllche Hoheit sind durch lhre erhabene Bestilnmung deHl rauhen Getriebe der

Virklichkeit entruckt, durch schbne Vorkehrungen davon geschieden. Ich werde nicht

vergessen, da13 dieses Getriebe nicht一

oder doch nur

■littelbar一―

Euerer Kbniglichen

Hoheit Sache ist. Dennoch scheint mir der Augenblick geko■

llnen,Eurer Kも niglichen

Hoheit wenigstens ein ge、

visses Gebiet dieser rauhen Welt, ganz um seiner selbst

willen, zu unrlittelbarer Anschauung und Einsicht nahezubringen.99)

Knobelsdorffは

この公国 の苦 しい経 済状 勢 を あ りの まま に説 明す る。

Und nun erfolgte,anknipfend an dieヽ

li13helligkeiten rlit der Budget― Kbnllnission,

jener Vortrag, jene klare, grindliche und ungesch■ linkte, H t Ziffern und eingescho‐

benen Erl占

uterungen der Grundverh』 ltnisse und Fachausdrucke wOhlausgestattete

Belehrung und unterrichtsstunde tiber die wirtschaftliche Lage des Landes, des

Staates, die dem Prinze4 unser ganzes Leidwesen in unerbittlicher Deutlichkeit vor

Augen rtickte,40)

彼 の このよ うな教育 の結果

,王

子 は 自発 的に経済学 を研 究す る。やがて

,

それは

Immaと

の共 同 研 究 にまで発展す るが

,王

子 の現実へ の関心 は

,マ

ンの 主人公 に とっては

,画

期 的 な 新 事 実 で あ

,す

で に触れたよ うに

,

この長篇 の持つ重要 な意義 のひとつ もここにあ ったので ある。

か くて

,Klaus Heinrichは

彼 と大金持 の娘 との結婚 を

, Knobelsdorffが

言 うよ うに

,個

人 的 な結 びつ きであると同時に民族 と国家 との「 大局的 な全体 の立場」か ら

,つ

ま り

,経

済 的 な問題 性 もふ まえて理解 しなけれ ばな らない とい うことを 自覚 す る。 この条件 の充足 の下 において のみ結 婚 が可能 で あ るとい うことに彼 は気 づ く。

KIaus Heinrichが

没頭 した実学 は

,彼

が そ こに生 き, 代 表 しな けれ ばな らない ところの広範 囲 の生 の現実 を認識 させ る。 そ して

,そ

れ が

,彼

に傾 きなが らも

,「

いずれ とも心を決 しかね る不安

,冷

たい嘲笑 的な 自分 の世界 を捨 てて

,彼

の も とへ走 るの を ため らうこの気持 に」 どうして も打 ち勝 てないでい る

Immaの

信頼 を よび起 す ので あ る。 その 決 定 的 な箇 所 で王 子 と

Immaの

会話 は次 のよ うに行 なわれ る。

"Aber nur tLnter einer Bedingung darf ich es,attHllich, daS wir nicht in eigennint‐

作 工 工 工 ④ の O

(13)

トーマス 。マ ンの「大公殿下」について

ziger und unbedeutender Weise nur auf unser eigenes Gliick Bedacht nehmen, son‐

dern alles aus dem Gesichtspunkt des Gro8en, Ganzen betrachten.Denn die 6ffentli‐

che Wohlfahrt, sehen Sie, und unser Gliick, die bedingen sich gegenseitig。

"Wohl

gesprochen, Prinz. Denn ohne unsere Studien iber die bffentliche

Vohlfahrt wirde

ich Hlich schwerlich zum Vertrauen zu lhnen entschlossen haben``.41)

こぅして

,Klaus Heinrichの

教育 は完成 し

,小

説 は しあわせ な結未 を迎 え る。彼 の結婚 は公 国 を 破産 か ら救 い

,新

婚 の二 人 は新 しい生 を確実 な ものにす るので あ る。 物語 の結未 で

,わ

れわれが認識 す るこの物語 の意 味は

,個

人 が人 間 に奉仕す るとい う意志 によ っ て

,無

気 力 と諦念 とか ら救済 され

,行

動 のエ ネルギ ーが与 え られ るとい うことである。 ここにおい て

,

トーマス ●マ ンは没落 の

Humanitatに

かわ る新 しい行動 のそれを予感 してい る。 つ ま り, 「 デ カダ ンスの詩人」 はデ カダ ンス克服 の表 現者 とな ったので あ る。 とい うことは

,Alois Hofmanが

指摘 す るよ うに

,

著者 が

,

ここで も「 トニオ・ クレーゲル」 と同 じ主題 を繰返 してい るよ うに見 える。 しか し決 してそ うで はない。 こ の 点 に つ い て は,

Hermann Jo Weigandが

その「 大公殿下」論 の中で見事 に説 明 してい るので

,少

しそれ を引用 し て み よ う。 「 この長篇小説 は

,

トーマス ●マ ンがすでに『 トニオ クレーゲル』で非常 に詳 しく取扱 った同 じ 主 題 の変転 であ って

,繰

返 しではない。 なぜ な ら,『 トニオ・ ク レーゲ ル』 とい う作品 とクラウス・ ハ イ ン リッヒをめ ぐる作品の精神的容貌 は青年 と大人 の容貌 ほど異 ってい るか らだ。 したが って ト ー ニオ・ クレーゲルは

,彼

が奉仕 し愛 してい る両方 の世界 のいずれ に も本来安住す る ことのない, 引 き裂 かれ た もので あ り

,結

末 にな って よ うや く

,

自分 の存在 の矛盾 の解決 がおば ろげにわか って くるので あ る。 それ に反 しクラウス・ ハ イ ン リヒの場合 には

,形

式 的業 績 の持つ倫理的性格 があ ら か じめは るか に強調 されてお り

,詩

人 と

,詩

人 の職業 に代表的威厳 を与 える共 同社会 との結合 の思 想 が

,

この作品の全構造 を支 え る土台である。」

42)し

か も

TOniOは

自力で解決 を予感す るが,

Klaus Heinrichは

教育 によ って この思 想を獲得 す る。

Klaus Heinrichの

「 きび しい幸福」 は

, TOniO Krtterの

それ よ りも人間的な決 然 と した理 想 の表現である。 マ ンが婚約者

Katiaへ

宛 てた手紙 の一 節 で

,TOnioが

抱 いた愛 とは異 な る愛を 告 白 して い るのは この ことを裏 づ け るもので あろ う。

T〔OniO〕 K〔rδger〕

hatte das

≫Leben≪

geliebt, die blauagige Gewohnlichkeit,

wehmuthig,spbttisch und hoffnungslos.Und nunP Ein Wesen,su8 wie die Welt―

und

gut, und ungemein, und fdhig (Wean auch vielleicht nicht willens),

■lir ■lit Geist

,S,337

トーマス 。マ ン全 集 別巻 新潮社 19724 207/208ペ ー ジ

(14)

und Ghte entgegenzuko■

lrneni etwas absolut und unglaublich NeuesI Diese Liebe,

tiberhaupt die starkste, ist in diesem Betracht, was da ko■ llnen mδ

ge, meine erste

und einzige gliickliche Liebe… ・43)

「 人公殿下」 にお いて

,

デ カダ ンスの分析 に始 ま リデ カダ ンスの克服を試み る著者 は

, TOniO

Kr6gerが

夢見 るだ けに 終 った 目標 に 到達す る ために「 診断」

(Diagnose)か

ら「 治療」 (The―

rapie)に

移 って い るとす る

Roman Karstの

指適 は,44)問題 の核心 に触れた もの といえよ う。

彼 はまた

,「

大公 殿下」 がマ ンの 初 期 の 時代 と 成熟期 のそれ とを 結 び つ け る「 連結 リンク」

(ZWiSchenglied)つ

ま り,「ブデ ンブローク家 の人 々」 と「 魔 の山」 との間 の橋 で あ る と言 って

いるが

,マ

ン自身 も 自作 についての一文 の中で

,同

様 の意 味の ことを説 明 して次 のよ うに述 べて い る。

Welches auch immer das spezifische Eigenge、

vicht der Prinzengeschichte seinィ n6ge,

一in dem Leben ihres Verfassers steht sie an ihrem not、

vendigen Platz, und er mu13

wunschen, das Vergntigen, das sie dem Leser etwa ge、

vうhrt, m6chte durch die biog‐

raphische Einsicht vertieft werden, da13 ohne sie weder der >Zauberberg< noch

>JOSeph und Seine Brdder< 2u denken sind.45)

この見地 か ら「大公殿下」を見 ると

,す

でに見 たよ うに

,後

の大 作で

,深

ま り変転す る主題 の略 図が描 かれてお り

,

この主題 の先取 りは主人公をは じめ とす る登場人物 の性格づ けにおいて特 に顕 著 に認め られ るのであ る。

最後にもう一東

lマ

ンの自作についての見解を聞いてみよう。彼は機を見 るに敏なオポチュニス

トでは決 してないが

,根

元的な命題 に立脚 して

,そ

の変転を押 し進めてい くタィプの作家で ある。

Ich zweifle nicht,da13 ich de■ 1ヽ

Vunsch des deutschen Bdrgertums anl besten gendgt

hatte, wenn ich mein Leben lang lauter >Buddenbrooks< geschrieben hatte. Eben

das aber war nicht tteine Sache und genillgte den Ansprichen nicht, die ich an■ lich

selber stellte.Novaru■

l rerum cupidus zu sein, darin schien■

lir inlmer die Ehre des

Kむ

nstlers zu bestehen, ich suchte nach neuen Wegen, hatte sie in den Novellen, die

zundchst auf >BuadenbrOoke< folgten, langst gesucht und ging sie in>恥

nigliche

Hoheit<weiter.46)

「大公殿 下」 の欠点 につ いて は

,陰

影 に富む深刻な前半 と

,い

か にも平板 な色調 の後半 とのア ン バ ランス

,ま

,Henry HatFieldが

指摘 しているごとき諸種 の くい違 い,47)問題 堀 り下げの不足

45J ThOmas Mann:BrieFe

4つ

Roman Karst:Thomas

1889-1986。 S.TiSCher verlag,Frankfurt am Main 1962,S.53

Mann, Verlag Fritz h41olden, Vien―Miinchen― Ztirich 1970, S. 65

45J

,S.574

4の ,S.573f。

4つ Herry Hatfieldi Londo■ 1951, p.60

(15)

トーマス 。マンの「 大公殿下」について

255

か ら くる 中途 半 端 な 印 象 な ど につ い て 列 挙 す る こ と が で き る。 しか し

,

これ ら多 くの欠 陥 を も ち な が らも

,

この 作 品 は 次 の 諸 作 の「 前 奏 曲」 と して

,

こ こで は ま だ 不 協 和 音 を 伴 い な が ら

,偉

大 な 可 能 性 に満 ち た メ ロデ ィー を 奏 して い る こ と が こ の 作 品 の もつ 最 大 の意 義 と な って い る こ と につ い て 本 論 で 追 究 した 。 参 考 文 献

Hans Eichner: Thornas hCann. Eine Einfihrung in sein Werk. Franke Verlag, Bern 1953 1nge Diersen:Untersuchungen zll Thomas lanno Rutten 8c Loening, Berlin 1959

Eike Middeh Thomas hlann. ヽアersuch einer Ein£ilhrung in Leben und れヽ「erk. ヽ「erlag Philipp

Redam iun.Leipzig

Henry Hatfield: Thomas Mann. A4 1ntrOduction to his Fiction, Peter Owen Limited,

London 1951

Romam Karst: Thomas Man4.

`「erlag Fritz hlolden, Wien―hIEiinchen―ZuFiCh 1970 Christoph Ceiseri Naturalismus und Symbolislmus in Friihwerk Thomas Mannso A.Francke

AG Verlag,Bern 1971

Hans M.

Volf: Thomas Manno A. FTancke AGo Verlag, BeFn 1957

Pauユ Altenberg: Die Romane Thomas Manns. Hermann Centner Verlag, Bad Hombyrg vOr

der Hδhe 1961

Jilrgen ScharFschwerdt: Thomas Mann und deutsche Bildungsroman. Kohユ hammer, Stuttgart

1967

Araold Bauer: Thomas Manno Colloquium Verlag, Berlin 1960

Alois Hofman: Thomas Mann und die Welt der r■ ssischen Literatur. Akademie― Verlag,

Berlin 1967

佐藤晃一 「 トーマス ●マ ンの世界」 大修館書店 昭和57年

(16)

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