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冊子_H25-11D

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Academic year: 2021

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54.柴田淳一君の油彩 是枝 益彦

北海道旭川の柴田君が、ローマン派美術協会展に出品、上野の東京都美術館に 展示されました。 昔は一緒に上京することもあったのですが、何かと多忙な 彼は出品・引取り業者任せで暫く会っていません。 彼とは3 号同分隊で、 小野宗平(宇部市)・高田 忠(横須賀市)・松成博成(町田市)との5 名が健在です。 (右上) 写真何かお分かりですか、上野動物園の入り口近くにあった 郵便ポストです。 大瀑布(ナイアガラ・カナダ滝) by kouyou_room | 2013-11-23 17:35 | 写真 | Comments(4) Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-23 20:10 x 是枝慶のお陰でクラスにこんなに多くの画家がいることを知った。 素晴らしいことだ。小生さっぱりわからないが、見せてもらって素晴らしい、と感じる。 有り難う。 Commented by 小宮山 玄二 at 2013-11-24 10:53 x 上野に六本木にと・・・ クラス関連の芸術の紹介・・・ ご苦労様です・・・ 篤と拝見して居ります・・・ Commented by 堤 臣 at 2013-11-24 10:53 x 柴田君は、私が1号大原410分隊の時、隣の408 の伍長でした。 戦後大原408の分隊会に招待され、仙台秋保・松島を一緒に遊覧しました。 それ以降、彼の消息は注意深く見ております。 Commented by 高田 忠 at 2013-11-25 11:47 x 是枝兄投稿有難う。 20日(水)に小生も東京都美術館に行き、柴田兄の 「大瀑布」と隣の展示会場JAG展に國田公義兄出展の「東大寺の秋」・ 「麗峰石鎚山」(水墨)を拝見してきました。 共に素人目にも判る他を圧する 見事な労作でした。 撮影は出来ないだろうとカメラは持参せずレポートできなかった次第です。

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55.35 分隊箱根分隊会

幹事:

田口康雅

平成25.11.21、箱根宮ノ下のホテル箱根離宮において、花の 35 分隊会の 平成 20.5.30 解散後第 1 回分隊会(通算第 41 回分隊会)が開会された。 出席者1 号生徒池田武邦・久子、一号生徒 故中田隆保 妹中田富久、 2 号生徒直野次郎・長女野田京子、3 号生徒亀井陸雄、妹牧野喜代子、 北川智一・真千子、諏訪一鶴・滋子、田口康雅・千鶴子、,樋口坦・佳子以上15 名。 1700 頃幹事報告及び会食歓談に入り、1900 頃来年の再会を約して解散した。 翌日は、有志で旅館お勧め観光コース、桃源台、大涌谷,芦ノ湖を周遊して、 山の気を楽しんだ。 紅葉はいまひとつ。蒼い空に大きな富士山がくっきりと映えて美しい。 思い起こせば、5 年前の平成 20.5.30 当ホテルから遠くない箱根の「ホテル はつはな」における第40 回分隊会で分隊会の幕引き(解散)を決議し、 以後分隊会の会合を休んで来た。 ところがこの春頃、在京3 号を中心に分隊会の開催を望む声が湧き起こり, 今回の会となった。 時を一にして故小灘生徒を証言者の一人とする既刊の「特攻最後の証言」が, この度文芸春秋文庫本として出版され、小灘夫人から文庫本が会に贈られてきた。 690 円である。広く買われることを望んでやまない。 前列左から: 野田/直野/中田/池田/池田夫人/諏訪 後列左から: 田口/田口夫人/北川夫人/牧野/樋口夫人/

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樋口/亀井/諏訪夫人/北川 左から: 樋口夫人/樋口/田口/亀井/牧野/中田 by kouyou_room | 2013-11-24 13:48 | 記事 | Comments(4) Commented by 是枝益彦 at 2013-11-24 16:35 x 快晴に恵まれての復活分隊会お目出とう。伍長を迎え71 年前を思い浮かべるのに 最高の11 月下旬、そして見事な紅葉を愛で乍らのひと時羨ましい限り。 35分隊会益々の発展を。 Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-24 19:34 x 池田武邦先輩のお元気な姿を拝見し嬉しく思います。 35 分隊一同の益々のご健勝を祈ります。

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Commented by 小宮山 玄二 at 2013-11-24 22:29 x "分隊会の復活"・・・ 良い事をされました・・・ 此れからも続けるとの事・・・ いいですね・・・ かって静岡での35 分隊会に参加した思い出を、 懐かしく思い出して居ります・・・ Commented by 三上博康 at 2013-11-25 20:15 x 素晴らしいおめでとう。 我が47分隊は残念ながら一度だけでした。 35分隊の団結の強さ特に3号生徒の温かく堅い団結の賜物と感服この上なく、 顧みて我が及ばざる事を恥じます。 御健勝での御継続を祈ります。

56.B−

29 と武蔵野市 是枝 益彦

69 年前の今日 11 月 24 日、武蔵野市はBー29 による本土初空襲を受けました。 80 機とも 100 機とも言われている編隊は、中島飛行機武蔵製作所を 爆撃したのです。 民家は避けたと聞いていましたが、その後の公開資料で 疑問を持ちました。 (武蔵野市ではこの日を「平和の日」として記念しています) B29 はそれから 9 ゕ月余の間に出撃回数 353 回 延べ 34,790 機 投下爆弾 16 万トン 3 月 10 日の東京下町空襲 334 機 1665 トン 5 月 24 日朝 東京山の手 562 機 3645 トン 5 月 25 日夜 東京山の手 502 機 3258 トン 連日の如く全国至るところに無差別爆撃 そして、8 月 6 日 広島原爆投下 終戦を早めるなら 1 発で良いものを、 ウランで成功しプラトリウムは8 月 9 日北九州工業地帯の予定が天候悪く 長崎になり実験成功と。 by kouyou_room | 2013-11-24 17:16 | Comments(6) Commented by kouyou_room at 2013-11-24 21:07 111 月 24 日は荻窪上空で空中戦という記事が翌日の新聞に載った日で、 中島飛行機の工場をねらったものの、全ての爆弾が民間の住宅に落下。 この日から東京西郊の人々の疎開がはじまりました。 田口千鶴子 Commented by 是枝 追伸 at 2013-11-24 21:30 x 田口康雅夫人の千鶴子さんは、当時荻窪の天沼に住んでいて、武蔵高等女学校の 可愛い2 年生、怖かった思いは忘れられないとのことでした。 コンピューター時代の今と違って、このとき高度1 万メートルから爆弾を落としても、

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命中率7%では荻窪界隈も爆弾落下したはずです。 Commented by 小宮山 玄二 at 2013-11-24 22:35 x 改めて"もの凄さ"、"はかなさ"を・・・ 思い知りました・・・ Commented by 田口千鶴子 at 2013-11-24 22:44 x 追伸 B29 の爆音 爆弾落下の瞬間の地響きを思い出しました。 まだ女学校1 年で、小学校時代の友達が身近な存在でしたから 1 人が亡くなり、 一人が生き埋めになった事を知らされた時母に抱きついてわあ-と泣いたのを 覚えて居ます。 幸い生き埋めになった愛子ちゃんは、一番早く掘り出されて 居たことが判り、ほっとしたことでした。 彼女とは今も仲良くしています。戦後、爆撃の資料を調べる機会があり、 アメリカ軍の空爆後の精密な空中写真を見ました。 彼らは緻密に計画を立て爆撃後はその成果を検証をしていた事を知りました。 Commented by 三上博康 at 2013-11-25 20:37 x 田口夫人是枝兄のレポートで爆撃の凄さが実感されます。 二発目のピカドンと云い、サムライ精神とは違いますねー。 スラバヤ沖での敵兵救助とは格が違います。 Commented by 木下啓次郎 at 2013-11-25 21:58 x この爆撃の時我々は兵学校にいたので、戦後こういう記録を見て如何に民間の 人たちがひどい目にあつたか、米軍はこの後次第に無差別の爆撃をやるように なったようです。 人種差別もあって沈没して泳いでいる日本兵は機銃掃射で殺せ、 という命令が出ていたのは事実です。 日本では上村将軍の故事にならって紳士的でしたが、内地の航空隊におられた 73 期の先輩は、昭和 20 年 5 月本土爆撃に来て撃墜された敵機の操縦士が、 関東東部海上に浮遊しているのを「銃撃せよ」という命令がはじめて下り、隊機を 率いて目的を達した、という体験記があります。 おそらく米軍に救出されれは 再び来襲しては同胞の為にならぬとの意図でしょう。

57.静岡だより

25-11: 05[奇しき思い出つづき] 小宮山

((小生冒頭に述べた様に・・・ 『事件』の 2 年後の昭和 40 年 8 月・・・ ワシントンの「アーリントン墓地(ぼち)」内に有る・・・ 『ケネディー大統領の墓』を・・・ 訪ねまして・・・ その時撮った写真が 有りましたので・・・ 掲げて見ます)) 「アーリントン墓地」は・・・ 「リンカーン記念堂」から真直ぐにポトマック河を 渡った丘に・・・ 在りまして・・・ 其の橋を含めて・・・ 横からの眺めは・・・

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次の如くでした・・・ (左) 「墓地」へは・・・ 此の様な門(裏門とのこと)から・・・ 入り・・・ 数多の純白の墓石が・・・ 整然と並ぶ墓域を通り・・・ (右) やがて開けた丘の中ほどに・・・ "かなりの人だかり"が見え・・・ 其れが・・・ 『ケネディー大統領の墓所』で・・・ 有りました・・・ 『墓』には・・・ 陸、海、空軍、海兵隊の制帽などが・・・ 添えられ・・・ 中心に・・・ ジャクリーヌ夫人の手で灯された『永遠の炎』が・・・ 燃え続けて・・・ 居りました・・・

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改めて・・・ 見下ろした其の先には・・・ 遥かに・・・ 白堊のリンスーン記念堂が・・・ 眺められました・・・ by kouyou_room | 2013-11-25 00:07 | 写真 | Comments(4) Commented by 是枝益彦 at 2013-11-25 17:16 x 真夜中の掲載有難う。半世紀前の写真良く見つけました。 朝から見ているのですが誰もコメント入れてくれません。 それでも良いと思って います。 誰か見ているのは事実です。クラスも見ていますが、皆無精になって いるのです当然です平均年齢88 才。 孤独と自由を愛する者しかもヤルこと 無い者がーーー。 話は変りますが: 67 期の川上大一教官ご存知ですか。74 機から 77 期までの 教官だそうですが、小生全然記憶ないのですが亡くなられました。 死亡日 平成25 年 11 月 23 日 告別式 平成25 年 11 月 27 日 場 所 きりはら心斎館(電話0926−242−6622) 長野県高井郡小布施町小布施上町895 喪 主 川上 元(はじめ)様(ご長男) 以上ご連絡します。 Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-25 19:43 x さすがアメリカ、墓地でも其の規模の大きさに驚かされる。 めったに見られない光景を見せていただき有り難う。 ケネディ大使も「江鷹会の応接室」を見ていたらおそらく感激されることと思う。 Commented by 小宮山 玄二 at 2013-11-25 20:03 x 是枝兄 コメント有難う・・・ 川上大一教官に就いては、小生記憶が有りませんが・・・ 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 今回掲げた写真は、何れも「ステレオ(立体視)カラースライド」(:2 画面同時撮影) の片側を 、 デシカメで複写した物で・・・ 中々上手く行かず、苦労して仕上げたものです・・・ ( 此のスライドを専用の装置で 眺めると、"見事な立体画像(3D)"が見えるのですが・・・ 残念です)・・・

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Commented by 是枝 追伸 at 2013-11-26 08:30 x 渡辺君の云う通りケネディ大使に見せたい写真ですね。 川上大一教官の事は 堀江君も知らないとのことで、74 期には関係無かったようです。

58.晩秋の信州松本に行きました

木下 啓次郎

私事で恐縮ですが、昭和24 年新入社員として松本市で 1 年間実習をしたことが ありました。 当時全国で大流行の社交ダンスの波にとりつかれ、そこで知り合った 女性とともに城山公園の上から眺めた松本盆地に接して連なる北アルプスの 展望は、64 年経った今まで頭に残って忘れられませんてした。 そこで生あるうちに今一度見ておきたいという家内公認の一人旅でしたが、 北アルプスの山頂に少し雲があって、槍や穂高の頭は残念ながら見えませんでした 以下スポット的な写真記録です。 (左) 『往きの車窓から眺めた八ヶ岳連邦』 (右) 『城山公園から眺めた北アルプス連峰(右連峰の背後の白い峰は立山連峰)』 (左) 『城山公園から眺めた北アルプス連峰(左半分の雲がなければ 常念、槍、穂高の姿が見える)』 (右) 『城山公園からアルブスと反対側(東方)の美ケ原、王ケ鼻の絶壁、 茶臼山など』

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(左) 『国宝松本城』 (右) 『新幹線での帰路珍しく全容を見せた富士』 by kouyou_room | 2013-11-25 23:51 | 記事 | Comments(4) Commented by 是枝益彦 at 2013-11-26 08:38 x 素晴らしい旅行をされました。 適当に雲があって素晴らしい写真です。 然し独り旅とは淋しいですね。 孤独と自由を楽しんでいますが、独り旅は 小生の性に合いません。 一人での夕食ほど味気ないものはありません。 このときだけは昔の悪行の報いと諦めてはいますが。 罪滅ぼしに精出しています。 Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-26 09:34 x 晩秋の松本と言う所でしょうか、松本城素晴らしいですね。 雪の富士山の全容写真、雄大さを感じます。 元気で動くことは健康維持に大切なこと。益々のご健勝を祈ります。 Commented by 小宮山 玄二 at 2013-11-26 09:51 x 良い事(旅とレポート)をして呉れました・・・ 小生にも見覚えの有る光景・・・ 懐かしいです・・・ Commented by 三上博康 at 2013-11-26 18:09 x 青春回想旅行とは乙で良いねー!総て清らかで気宇壮大にして希望に満ち 満ちている。 2号からⅠ号の気分か?名城松本城が事の他荘厳に覚える。 三十数年前今は亡き妻と三女でさらに西に足を伸ばして木曽路で夜明けを迎え、 踵を北に返し飛騨高山の朝市で頂いた桃の超新鮮な甘さが蘇ってくる。 貴兄の素晴らしい旅日記に触発されてか往事が痛烈に回想される。予断陳謝。

59.江鷹会 瀬戸内周遊印象集

17[呉・大和 その一 ]

小宮山

(( 大和ミュウジアム」は・・・ 二度目の訪問になり・・・ 観点を絞って・・・ 見学 致し ました ・・・ ))・・・ とあって・・・ 先ずは・・・

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"女性的な美しさ"を与えられた・・・ 『水線下の艦体部分』・・・ by kouyou_room | 2013-11-26 21:28 | 写真 | Comments(2) Commented by 是枝益彦 at 2013-11-27 08:21 x 大和ミュウジアムは初めての訪問、江田島と尾道と共に今回の旅の目玉でした。 こうして細部まで再度見つめられ感謝しています。 Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-27 11:21 x 昭和20 年 3 月中旬卒業前に内火艇に分乗し、呉軍港に停泊中の戦艦大和の

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周りを一周した記憶が甦ってきた。 当時の印象はとてつもなく大きくて、正面から 見ると大きなたらいと一寸法師というイメージだった。 この写真から受ける印象は スマートである。

60.時の流れ 渡辺 浩

私のマンションから毎日眺めていたNTT の電波塔に変化が生じた。 紅白に塗られ、空高く聳えていた電波塔が解体されているのだ。 折角の美しい景観だったのに。 9 月になって電波塔に網がかぶせられたので、 赤白塗装の塗り替えかと思って見ていたら、上の方から徐々に削られ其の姿が 消えていくではないか。 そこで NTT に電話して聞いてみた。 そうすると、最近は 通信方法が光になったり衛星を使ったりでこの電波塔も役目を終えたので、 そのままにすると腐食し危険が出るので解体している。 と言う返事だった。 世の中は刻一刻と変っていく。役目を終えたものは消えていく。 世の定めか。 (左) ありし日の電波塔 (右) 網をかぶせられた電波塔・・・化粧直しかと思った。(9 月 17 日投稿) 解体開始 もう少しで姿が消える

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by kouyou_room | 2013-11-27 12:31 | 写真 | Comments(2) Commented by 是枝益彦 at 2013-11-27 16:24 x そうですか。電波塔が無くなりましたか。 今まであったものが無くなるということは、 何となく淋しいですね。 然も強制的とは可哀そう。 明日は我が身?簡単には消えませんぞ。 Commented by 小宮山 玄二 at 2013-11-27 19:10 x "解体"てしたか・・・ "まさか"の事態でしたね・・・ でも・・・ 元気の有る企業は、 やる事が"きびきび"して居ますね・・・

61.江鷹会 瀬戸内周遊印象集

18[呉・大和 その二]

小宮山

次に着目したのは・・・ 重層して装備された・・・ 多数の・・・ 『対空火器』で 有りました・・・ 見れば見る程に・・・ "是はと思われる処"には・・・ "よくぞと思うばかり"に・・・ 設置されて居たので・・・ 有りました・・・ "尽きること無く襲い来た敵機群"に・・・ 立ち向かい・・・ 遂に・・・ " 衆寡敵するを得ず"して・・・ 征途半ばに潰えた(ついえた)・・・ 『巨艦大和』・・・ で有りましたが・・・ 敵機にとっては・・・ 決して"見くびったもの"では無かった・・・ と・・・ 信ずる者で有ります・・・

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by kouyou_room | 2013-11-27 22:27 | 写真 | Comments(3) Commented by 木下啓次郎 at 2013-11-28 00:10 x 卒業を控えた昭和20 年 2 月艦船班では、呉在泊の空母天城葛城の見学が 行われた。 学校からの往復は、艦載水雷艇に分乗しての移動であったが、 見学を終えての帰路、教官の指示があってかたまたま呉に在泊中の戦艦大和の 外舷の真下を、艇が一周してくれた。 そのとき初めて間近に仰いだ大和の勇姿は、 いまだに目に焼き付いています。 上甲板から一人の士官がわれわれ生徒を 見おろしていたこと、後部の短艇格納筒の中が真っ暗で作業燈がついていたこと、 外舷塗装を終えたばかりか大和の色は美しかったことなど、いまも目に焼きついて います。 このミュージアムの模型を私も見ましたが、当時を思い出したついでに モデラーの一人としては、短艇格納筒に蓋をせず、穴のあいた状態に して欲しかったと思います。 Commented by 是枝益彦 at 2013-11-28 08:25 x アメリカ空軍によって、沖縄まで行けず無念の思いで海底深く沈んでいる 戦艦大和。 68 年経った今、沖縄の尖閣上空は戦雲急となり日米両軍に よって確り守られている。 Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-28 11:08 x 大和の特徴をよく捉えましたね。 貴兄の観察力、写真撮影の技術力に感心して見ています。

62.3 人のクラス会 是枝 益彦

渡辺弘巳君がその後どうしているか、島地君の招きで押しかけ彼と会いました。 渡辺君がご覧のとおり元気そうなので愉快な一時でした。 それでも 4 ケ月前突然 奥様に先立たれたショックは、推察の域を出ませんが、4 人の子供さんや 6 人の お孫さんに恵まれ、長男夫婦との2 所帯住宅での生活は、先見の明があっての

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ことでしょう。 又 堪能な英語を駆使して外国人(フランス人や韓国人等)に 日本語を教える仕事は15 年にもなるそうで、現在も継続中とのことでした。 絵描きの腕抜群の両君は話も弾み、島地夫人これ又多芸で、最近は書道に 凝っておられる模様。 その合間にゴルフにピアノ。 東京も急に寒くなり紅葉も始まったようで、帰りに井之頭公園に寄る予定が、 次から次のご馳走に長居してしまい、公園の紅葉見物は明日出直すことに しています。 出がけに寫した我が家の紅葉ならぬ粗末な黄葉です。 恥ずかしくて横向き失礼お許しを。 by kouyou_room | 2013-11-28 20:19 | 写真 | Comments(2) Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-29 10:09 x クラスに渡辺姓は8 人いたが今や 3 人になった。 渡辺弘己兄の元気な姿を見て頼もしい。健康に留意し頑張ろう。 Commented by 中村 慶典 at 2013-11-29 10:19 x 渡辺弘巳君とは同分隊。19 分隊には美術家はいないようですね。 彼はどこに行ってもスケッチブックに景色をとり、帰宅後整理しているようですね。 19 分隊鬼の 1 号生徒の飛行服を着た彼の描く油絵を、愛知県滑川市の片山家に 届けられ、長押に即飾られました。 往事茫茫です。

63.江鷹会 瀬戸内周遊印象集

19[呉・大和その三 ]

小宮山

「大和ミュージアム」に・・・ 「零戦」が展示されて居りまして・・・ 其れが・・・ 何と、珍しくも・・・ 「六二型」で有りました・・・ ((旧海軍では・・・ 軍用機の型名に二桁の数字を当て・・・ 始めの数字は「機体」の改造歴、後の数字は「エンジン」の 改造歴を・・・ 示す様にして居り・・・ 戦中後半に活躍したのは専ら「五二型」でした・・・

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そうしたなかで・・・ 非力化した「艦爆」の補強として・・・ 25 番(250Kg) 爆弾を搭載し得る様・・・ 改造したのが・・・ 「六二型」です)) ((更に・・・ 奇とする処は・・・ 此の機体其の物が・・・ 終戦間際に、73 期の 吾妻常雄中尉が搭乗して居て、エンジン故障で琵琶湖に不時着水没し・・・ 戦後に回収されたもの・・・ と聞いて居ります)) 左は・・・ 搭載して居た機銃で・・・ 前方は・・・ 20mm(両翼に一挺づつ 計二挺装備) 手前は・・・ 13mm(胴体及び両翼に一挺づつ、計三挺) 右は・・・ 射爆照準器 by kouyou_room | 2013-11-28 22:00 | 写真 | Comments(2) Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-29 10:32 x 零戦の写真いいですね。調べたら六十二型の零戦は日本では此処に 展示されている一機のみということですね。

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貴重な写真解説付きでよくわかりました。 有り難う。 Commented by 是枝益彦 at 2013-11-29 15:35 x 零戦を見れば腕が鳴り身が引き締まる。 と云えば大げさかも分からないが、 68 年前、確かに零戦の操縦やっていた。 今でも思い出すのは、互乗訓練で 後席に乗っていたクラス(氏名不詳)が、着陸の時「危ない危ない落下する危ない」 と大声で喚いたことである。 練習機赤トンボと違って、着陸時エンジンを絞れば、 機体は急速に沈み落下する様な錯覚に落ちるのである。 ああ懐かしい。

64.紅葉を求めて(№1) 是枝 益彦

(左) 今朝は一番の寒さ。それでも予定通り井之頭公園へ紅葉を 探しに出掛けました。 (右) 可愛い園児はモミジに関心なくワイワイがやがや。引率者は? ここまで我が家から650m。公園東の入り口付近です。

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足元の花はこの程度。 こpの公園花が無い少ないのです。▲ あと6 枚 次回にまわします。 by kouyou_room | 2013-11-29 15:52 | 写真 | Comments(3) Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-29 19:28 x 綺麗ですね。急に寒さが深まったので紅葉の色づきも深みを増してきました。 この色を見ると晩秋と言う感じがします。 今日福岡は雪も降り一段と寒さが深まりました。お互い健康に注意しましょう。 Commented by 高山 道子 at 2013-11-29 20:06 x まぁ どこかの観光地と思いきや井の頭公園の紅葉、綺麗ですね。 東京の紅葉も捨てたものではありませんね。 陽だまりの子供たちの可愛いこと。 福岡の雪のニュースにも驚きました! Commented by 小宮山 玄二 at 2013-11-29 20:19 x 福岡にもう「雪」ですか・・・ 何やかや云っても「気候」の方は勝手に 変わるのだから・・・ しょうが無いですね・・・ 此方の方で気を付けて、 大事に往きましょう・・・ 処で「井之頭公園」の「紅葉」・・・ 見事に染まってねー・・・ 何は無くとも、有る物を堪能して、"佳し"としましょう・・・

65.江鷹会

瀬戸内周遊印象集

20[呉・大和その四]

小宮山

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「六二型零戦」を眺めた『大型資料展示室』では・・・ "彼の戦時"を想い起こさせる・・・ 『数々の品』に・・・ 巡り逢いました・・・ (左) 3F まで上がり・・・ 其処で見た・・・ 『大和』の全容は・・・ やはり・・・ "雄大"で有りました・・・ (右) 同じ 3F のテラスからは・・・ 陸上に上げられた・・・ 「潜水艦」の・・・ "珍しい姿"を眺め・・・ 見学を・・・ 締め括りました・・・ by kouyou_room | 2013-11-29 21:49 | 写真 | Comments(4) Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-30 09:23 x 潜水艦を見ると卒業前の訓練で小生は潜水艦に乗り潜行したことを思い出す。 潜望鏡をのぞくと海上の軍艦の様子がはっきりわかる。 魚雷は艦首にあり、狙いを定めて発射と言うことか。 思い出すなぁ潜水艦での訓練の様子を。 小生卒業後は藤沢航空隊で航空電探を 学び、その後佐伯航空隊で終戦となった。 Commented by 是枝益彦 at 2013-11-30 15:51 x 特潜蛟龍は江田島にあったのと同じで、開戦時に真珠湾に突っ込んだ二人乗り。 回天が一人乗り、海竜は4 人 5 人?潜水艦の事は今になっても良く知りません。 今 応接室に写真掲載しようとしたら、写真の所だけ白紙又にします。

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Commented by 小宮山 玄二 at 2013-11-30 20:41 x 小生も航空班で、霞空へ移動する直前に・・・ "半日の潜水艦実習"で、 「潜航」「浮上」を経験し、「潜望鏡」を覗いた記憶は有るが・・・ 何が見えたかは、 覚えが有りませんね・・・ なお、手許の「資料」(福井静夫著「写真集日本の軍艦」) に依ると・・・ 真珠湾を攻撃した特潜(甲標的(甲))は乗員 2 名 「蛟竜」(甲標的(丁型))は乗員 名、「海竜」(SS 金物)は乗員 2 名・・・・ と 有ります。 Commented by 松本春久 at 2013-12-01 08:39 x 九軍神に憧れ平民から士族に変身したような嬉しさ一杯で学生服から軍装に 着替えた71年前の今日、12月1日が思い出されます。

66.井上洋一君の水彩画 (是枝 益彦

井上君が「新平成美術展」に出展しているとのことで、上野の東京都美術館に 行きました。 国田・柴田両君の絵を見に来たのは 8 日前でしたが、 一昨日からの寒波で銀杏もすっかり黄葉していました。 [那須高原のホテル] 土曜日で大勢の人出でしたが、この前の金曜日もこの位居たと思います。

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by kouyou_room | 2013-11-30 16:39 | Comments(4) Commented by 三上博康 at 2013-11-30 19:33 x 絵も又人を表すか!井上兄の優しくひた向きな心そのものですねー。 水彩画は描けば画くほど黒ずんできた小生とは大違い、旅日記共々有難う。 Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-30 20:07 x おとなしい感じのする絵ですね。 寒空に厚手のコートを着た人々の往来と紅葉、黄葉、絵になる光景ですね。 Commented by 井上洋一 at 2013-11-30 20:40 x 授賞式懇親会が上野グリ一ンパ一クで14時から行われましたので 出席しました。 私は入賞しましたが特別賞はありません。 102点の出展の中 F4で最少なので次は少なくともF6で描きたいと思います。 Commented by 松本春久 at 2013-12-01 08:54 x 三上君の言うとおり井上君の爽やかな人柄が溢れて見事です。 入賞おめでとう。

67.紅葉を求めて(

№2) 是枝 益彦

吉祥寺に住んで41 年、井之頭公園の紅葉をこんなに撮りまくったのは初めてで、 最初で最後になるでしょう。変り映えしませんが見てやってください。

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今年の5 月、放火されたお稲荷さんンも、正月が来るというのにまだこの程度。 by kouyou_room | 2013-11-30 17:02 | Comments(4) Commented by 三上博康 at 2013-11-30 19:21 x 紅葉巡り有難う。気候のなせる業か冬に急ぐ紅葉と思うのは、こちとらの健康の 衰えの所為に違いない。 しかし吉祥寺はヨカ所でごわすのー。 Commented by 渡辺 浩 at 2013-11-30 20:14 x 自然は美しい。晩秋の井の頭公園、池の水面に映える紅葉の美しさ。 立体的なカメラ撮影の素晴らしさ、晩秋の井の頭公園がこんなに美しいとは。 貴兄の美術に対する感性の素晴らしさがもたらしたものと思われる。素晴らしい。! Commented by 小宮山 玄二 at 2013-11-30 20:51 x 諸兄と同感です・・・ Commented by 松本春久 at 2013-12-01 09:05 x 春は桜を見せてもらってからはや幾月、晩秋の紅葉を有難う。 次は新春の雪景色を期待しています。

68江鷹会

瀬戸内周遊印象 21[音戸を抜けて] (小宮山

「大和ミュージアム」を見学して居る間に・・・ 雨は激しくなり・・・ 視界は思わしくなくなりましたが・・・ 「音戸の瀬戸」へと向かう艇から・・・ 港の周辺の眺めを・・・ 拾ってみました・・・

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(左) 此の"白い小山"は・・・ ガラスの原料にする・・・ 「硅石(けいせき)」と聞いた・・・ 記憶が有ります・・・ (右) 立派な橋が掛けられた今も・・・ 働いて居るらしい・・・ 「音戸の渡し船」・・・ (左) 「音戸」を跨ぐ・・・ 「立派な橋 ・・・ 無事・・・ 「瀬戸」を抜け・・・ 三津を目指した・・・ ので有りますが・・・ (右) この先・・・ 雨は一層激しさを増し・・・ 彼の『情島』の姿を・・・ 求めさせては・・・ 呉れませんでした・・・ by kouyou_room | 2013-11-30 23:15 | 写真 | Comments(2) Commented by 是枝益彦 at 2013-12-01 17:25 x 小宮山君有り難う。 12 月 1 日にならないようにぎりぎりでの投稿感謝.11 月 30 日とは大違いです。 偶然にそうなったかどうでも良いのですが兎に角有り難う。 Commented by 渡辺 浩 at 2013-12-01 19:53 x 普段は陸からの眺めだが、こうして海から陸を見るのも乙なものですね。 音戸の瀬戸にかかる橋の美しさ。素晴らしい。

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