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『無窮花通信』20号pdf番

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(1)

在日コリアン無年金福岡裁判を支援する会編 1500 円(会に在庫あり)

<目 次>

総会案内………2

2010 年度の活動を振り返る/事務局 ………4

(在日コリアン無年金福岡)控訴審裁判の勝利と

国会での立法化に向けて更なるご支援を/渡辺豊………7

(2)

特定非営利活動(NPO)法人

国際交流広場無窮花堂友好親善の会

2011 年度通常会員(社員)総会案内

日 時:2011 年 5 月 14 日(土)13:30~

会 場:飯塚労働会館 4 階

□ 第一部:NPO 法人第 4 回総会……(13:30~14:20)

総会成立のためには会員の 3 分の 1 以上の出席もしくは委任状が必要ですので、

出席できない方は是非、別紙の「委任状」を提出下さい。

□ 第二部:記念講演………(14:30~16:30)

宗憲

(カン・ジョンホン)

(韓国問題研究所所長・早稲田大学客員教授)

――朝鮮半島情勢と日本の平和――

※ 記念講演は会員以外にも門戸を開いています。友人知人、お誘い合わせの上、ご

参集ください。次頁に氏の「講演要約」のエッセンスを掲載しています。参照ください。

1.定足数確認

2.開会のことば

3.理事長挨拶

4.来賓挨拶・祝電披露

5.議長・議事署名人選出

6.議 事

第 1 号議案:2010 年度事業活動報告(案)承認の件

第 2 号議案:2010 年度収支計算書(案)承認・監査報告の件

第 3 号議案:2011 年度事業計画書(案)承認の件

第 4 号議案:2011 年度予算(案)承認の件

第 5 号議案:役員および事務局員紹介

第 6 号議案:その他

7.議長解任

8.閉会のことば

(3)

康宗憲氏講演:「朝鮮半島情勢と日朝関係の展望について」

2011 年 2 月 21 日 日朝市民連帯・大阪 5 周年のつどい)講演要約のエッセンス

◆ 延坪島砲撃戦と南北関係

昨年 11 月、朝鮮半島の西海にある延坪島(ヨンピョンド)で南北の砲撃戦が起こりま

した。多くの人が、朝鮮半島で再び戦争が起こるのではないかと、不安を抱きました。

延坪島付近には「北方限界線」というのがあります。この北方限界線は 1953 年、朝鮮

戦争が休戦状態になった直後に、米国(国連軍)が一方的に宣言したラインです。これ

は国際法に照らして見ると、効力のある境界線ではありません。朝鮮民主主義人民共和

国が主張している海上境界線も、南北双方が合意した線ではありません。

なぜ砲撃戦が起こってしまったのか。要因は大きく分けて、根本要因と直接要因の 2

つがあります。根本的な要因は、東北アジアにまだ冷戦が続いていることです。朝鮮戦

争がまだ終わっていない、休戦状態にあるということです。休戦状態は極めて不安定で

あり、海上では、南北双方が合意した境界線が設定されていません。ですから双方とも

自らが主張する境界線内の海域を「自分たちの領域だ。海域だ」と主張し合っているの

です。いくつかの国が領有権を主張するこのような海域を、

「紛争海域」と言います。

国際関係において「紛争地域(海域)では、相手を挑発する軍事行動や軍事演習をし

ない」ということが暗黙の了解になっています。ところが延坪島で砲撃戦が起きた直接

的な要因は、相手を挑発する軍事行動をしてはいけない地域で、米韓が合同軍事演習を

何度もしてきたからです。特に昨年 3 月、哨戒艦天安(チョンアン)号の沈没以降、韓

国側は「沈没事件は北側の魚雷攻撃によるもの」と一方的に断定し、報復措置として頻

繁に米国と軍事演習を実施してきました。

砲撃戦のあった数日前から韓国軍は「護国訓練」という大規模軍事演習を行い、北側

に向かって多数の砲弾を発射しました。これに対して朝鮮人民軍は「これ以上やったら

挑発行為と見なして反撃せざるを得ない」という警告を何度も発しました。砲撃戦のあ

った当日の午前中も北側は警告を発したのですが、韓国軍はこれを無視して、約三千発

の砲弾を発射したと言われています。そして北側は、警告どおり応戦をしました。その

結果、遺憾なことに人命被害が出たのです。

朝鮮半島問題を見るときに、私たちが常に念頭に置くべきことは「流れの中で事態を

見なければならない」ということです。砲撃戦のケースでいえば、朝鮮戦争の休戦から

50 年以上の流れで見る必要がある。少なくとも「砲撃戦の起こる 1 週間ほど前から、こ

の地域で何があったのか」という流れを見ないと「北側からの一方的な攻撃」というよ

うな一面的な見方をしてしまいます。

では、人命被害が出たのに、なぜ韓国は国連安保理に問題を持ち込まなかったのでし

ようか? 韓国は持ち込もうとしました。しかし、一連の流れの中で包括的に評価して、

所期の目的を達成できないと判断したのです。何故でしょうか? それは前述したよう

(4)

に「紛争地域で、してはいけない挑発行為をした」からです。対北制裁決議が採択され

る可能性はなかったのです。今回の事態で人命被害が出たことは極めて遺憾です。しか

し、韓国側の執拗なまでの軍事演習がなければ、このような犠牲はなかったということ

です。

◆ 米朝関係は進展するのか?

――以下、省略――

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

2010

2010

2010

2010 年

年度

度の

の活動

活動

活動

活動を

を振

振り

り返

返る

事務局

2010 年度の活動記録を書き込んでいて、

「3 月」の欄に差し掛かったところでキーボー

ドを叩いていた指先が突然止まってしまいました。予期せぬことでした。東日本大震災

をめぐる映像がいきなり脳裏によみがえってきたのです。しばらく厳粛な思いにかられ

ながら、作業を中断せざるを得ませんでした。

という次第で、

「3 月 11 日・東日本大震災発生」と書き加えさせていただきました。

2010

2010

2010

2010 年

年度

度活動記録一覧

活動記録一覧

活動記録一覧

活動記録一覧

(2010/4/1~2011/3/31)

※は連帯行動など、無印は本会の活動

7 水 事務局会議

16 金

※在日朝鮮人歴史・人権月間全国集会<福岡開催>

第一回地元実行委員会

1 人参加

2010/4

19 月 2009 年度会計監査(直方市労働会館)

20 火 理事会⇒事務局会議

22 木

※朝鮮学校に「高校無償化」を早急に求める筑豊地

区集会準備会

2 人参加

29 木 ※強制連行を考える会総会

3 人参加

1 土

証言集会準備小委員会(次回事務局会議議題の叩き

台作り。以後も 2、3 度開催)韓副理事長宅

5 人参加

5

6 木 事務局会議

7 金 『無窮花通信』17 号発送

6 人参加

12 水 ※朝鮮学校に「高校無償化」を早急に求める筑豊地 6 人参加

(5)

区集会(直方)

19 水 事務局会議

20 木

飯塚市営有料老人ホーム「愛生苑」より遺骨一柱(俗

名・姜永続)を引き取り、無窮花堂に納骨。

4 人同行

23 日

NPO 法人としての第 4 回総会。記念講演・李大洙氏。

終了後、交流会(梨花園)

27 木 事務局会議

4 金

KBC ラジオから証言者集会に向けたインタビュー

を受ける

1 人参加

5 土 事務局会議

6

16 水 事務局会議

19 金 証言者集会への協力を求めて韓国総領事館訪問

2 人参加

19 土 事務局会議

24 木 事務局会議/証言集会資料集作成

26 土

九州筑豊地域強制動員者証言集会(飯塚市立岩総合

会館)⇒懇親会(民団飯塚支部)

250 人超参加

27 日

九州筑豊地域強制動員者証言集会フィールドワーク

/無窮花堂・徳香追慕碑・日向墓地

約 50 人参加

7 20 火

九州筑豊地域強制動員者証言集会反省会(洪苑稲築

店)

8

2 月 事務局会議

7 土

第 20 回無縁墓地草刈法要(倶会一処・住友忠隈ボ

タ山下)/在日朝鮮人歴史・人権月間全国集会(福

岡開催)地元実行委員会。

25 水

26 木

27 金

「韓日100年平和市民ネットワーク」の招きで

「韓日市民平和キャンプ」

(華城(ファソン)市)に参

加。

7 人参加。25 日は移

動日で、行事参加な

し。

9 1 水 事務局会議

5 日

※在日コリアン無年金福岡裁判(飯塚地区)原告激

励会(洪苑穂波店)

8 水

※在日コリアン無年金福岡裁判判決、敗訴⇒報告集

18 土 ※在日朝鮮人歴史・人権月間全国集会(福岡市)⇒ 2 人参加

(6)

レセプション

19 日

上記全国集会フィールドワーク(無窮花堂・倶会一

処・住友忠隈ボタ山下墓地)

来飯 18 人+当方 5

23 木 『無窮花通信』18 号発送

5 人従事

10

3 日 事務局会議

11 月 第 15 回秋季追悼式

約 60 人参列

18 月

浄土真宗本願寺派九州ブロック専従職員研修・筑豊

地区強制連行フィールドワーク/無窮花堂、倶会一

処、住友忠隈ボタ山下墓地、徳香追慕碑)

来飯 35 人+当方8

29 金 事務局会議⇒慰労会(呑龍)

6 土

在日外国人問題啓発研究部会(箕面市人権啓発推進

協議会に所属)が筑豊地区強制連行跡地フィールド

ワーク。①無窮花堂、②倶会一処、③住友忠隈ボタ

山下墓地、④徳香追慕碑。終了後、

「呑龍」で交流会。

フィールドワーク=

来飯 8 人+当方 5 人。

交流会、計 17 人。

11

13 土

在日韓人歴史資料館開設 5 周年記念・福岡特別展(福

岡市博物館)打合せ(韓副理事長宅)

23 火 福岡特別展開幕(12/5 まで)

24 水 事務局会議

12 10 金 事務局会議⇒忘年会(梨花園)

12 日

※第 25 回サラム交流会(主催・強制連行を考える

会)

7 人参加

16 木 ※福岡県日朝友好の集い記念講演会・交流会

3 人参加

20 月

※狭山事件を考える飯塚市住民の会チラシ配布行動

(JR 新飯塚駅前)

2011/1

7 金 韓国より無窮花堂参詣(岡田氏他 11 名)・交流会

8 土 事務局会議 18:00~

15 土 『無窮花通信』19 号発行

29 土

※在日コリアン無年金福岡裁判・高裁勝利へ向けた

決起集会(福岡市中央市民センター)

30 日 ※嘉飯地区平和憲法の会総会

2

6 日

※飯塚市人権同和問題講演会(足利事件冤罪被害

者・菅家利和氏を招いて)

(7)

15 火 事務局会議 18:30~

21 月 ※在日コリアン無年金福岡裁判・高裁第一回裁判

26 土 無窮花堂清掃作業 9:00~

3

3木 事務局会議 18:00~

11 金 ※東日本大震災発生

21

※日韓の明日を語る会(講師・姜尚中)福岡市中央

区「都久志会館」

4 人参加

29 火

※朝鮮学校への「無償化即時適用・学ぶ権利と機会

平等」集会 都久志会館

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

NPO法人国際交流広場無窮花堂友好親善の会 会員の皆さまへ 2011年4月10日 在日コリアン無年金福岡裁判を支援する会 文責: 事務局長 渡辺 豊

控訴審裁判の勝利と国会での立法化に向けて更なるご支援を

=支援する会としての報告と今後の展望について=

これまで無窮花の会・会員の皆さんには、裁判支援や国や県への請願署名等大変お世話になっ て来ました。今次、定期総会を迎えられるにあたり、改めてお礼申し上げます。 今回、これまでの取りくみを若干の総括点も含めて報告させてもらいます。 1.運動的観点から述べる前に、在日コリアンの形成過程や法的処遇の経緯について (復習的になるかもしれないが、昨年12月に弁護団の山本弁護士の提起を参考にする) (1) 在日コリアンの形成 (注:山本弁護士は日本に居住する韓国籍、朝鮮籍の人々を総称して在日韓国人とよ び提起されている。このまとめでは在日コリアンとした。) 1910年の韓国併合前は1000人未満だった在日コリアン。その後の植民地支配 と強制動員を経て200万人近くとなり、戦後の帰郷を経て1947年ころには約60 万人が定住者として日本に残ることになった。在日コリアンの存在は韓国併合により生 み出された。 (2) 戦前の在日コリアンの法的地位 戦前、厳しい社会的差別と貧困に苦しんでいたが、法的には押し付けられたものとは

(8)

いえ日本国籍を有した。日本に居住する限りは選挙権・被選挙権を有した。 社会保障としては貧弱なものであるが、被用者健康保険(1922年~)、生活保護法 (1929年~)、国民健康保険(1939年~)、厚生年金法(1944年~)等は在 日コリアンにも当然適用された。 (3) 戦後の法的地位 1945年に在日コリアンの選挙権は「当分の内、之を停止す」となる。1947年 の外国人登録令では、日本国籍を有したまま外国人登録義務、登録証常時携帯義務を負 わされ、退去強制もありうることとなった。 文部省は1948年には民族学校を否認する方針をだした。 これらにより、在日コリアンの法的地位は「権利においては外国人、義務においては 日本人」となり、戦前より後退した。 (4) 日本国籍喪失と公的差別 1952年サンフランシスコ平和条約発効に際し、在日コリアンは自己の意思に関わ りなく日本国籍を失った。 1960年代日本の高度経済成長の過程で、社会保障制度等が整備された。ところが、 そのほとんどに国籍条項を設け、運用上在日コリアンを排除した。 自営業を営もうにも公的融資は受けられず、国民年金には加入できず、公営住宅にも 入居できず、国民健康保険にも加入できなかった。病気になれば破綻した。戦争に動員 された者もすべて援護法の対象外とされた。 (5) 現在の公的差別 その後1981年の難民条約批准を契機に「戦争被害者援護法」を除く多くの 社会保障法の国籍条項は撤廃された。現在も残る公的差別を三分類すると ① 参政権・公務就任権 地方・国政選挙権―被選挙権 公務就任権(管理職公務員、裁判所調停委員等) ② 戦没者・戦傷者援護法 一部例外はあるが、恩給法をはじめとする13の援護法すべてに国籍要件。 シベリア特措法にも国籍要件。 ③ 国民年金 現在85歳以上の在日コリアンは老齢年金を受給できない。 それに続く世代もきわめて少額の年金しか受給できない。 1982年以前に障害者となった在日コリアンは障害者年金を受給できない。 * 新たな問題として、高校無償化からの民族学校除外がある。 以上、山本弁護士の提起を簡略化して振り返ってみたが、福岡の在日コリアン無年金裁判は、 現在の公的差別の③国民年金の問題である。 2.福岡における無年金高齢者裁判を始める前

(9)

在日コリアン無年金福岡裁判を支援する会(長い呼称なので、以下、支援する会という)の 結成は、2006年の春である。それ以前に「多文化共生ちくし」での学習会が何度か持たれ、 支援する会結成の準備会をつくり、その後支援する会の結成となったものである。久留米での 支援する会の結成時には、ムグンファ堂の建設に尽力され理事長もされた故ペ・レソンさんや、 ペさんと同志的関係にあり昨年12月に亡くなられた故チョン・テチョルさんが参加された。 支援する会のスタート時は、同じ日本社会に住みながら日本国籍で無いということで、無年 金というのはおかしい、というものであった。まだ原告も決まったわけではなく裁判としてど のように進むのかもわからなかった。山本弁護士にも参加してもらい裁判として進めるという ことについての示唆を受けた。 そして、ペ・レソンさんを先頭にして飯塚での原告予定者が組織され、初めての聞き取りが 2006年の8月である。民団飯塚支部を借りて行った。その後、無年金者の聞き取りを総連 福岡支部で行い、総連門司支部の会館を借りて門司でも行った。福岡や門司での聞き取りを行 う時期になると李博盛弁護士や柳教日弁護士等々も加わってもらい弁護士よりの聞き取りが出 来るようになった。 翌2007年の提訴前には、原告団9名、弁護団9名となる。その年の初めころからは弁護 団での訴状準備が始まり原告の聞き取りをもとに検討が開始された。 全国的には障害者無年金裁判が先行して闘われており、高齢者裁判では大阪裁判は高裁まで いっており、京都裁判は地裁の最終段階ではなかっただろうか。当時、支援する会から京都裁 判へ傍聴者を派遣したこともあった。裁判とは別に京都の運動を学んだこともあった。 経過的には概略、上に述べたが、内容としては次のようなものであった。 1959年に国民年金法ができた時から在日コリアンは日本国籍でないということで加入で きなかった。現在も無年金であるということは日本政府の責任である。「国民年金に加入したく ても、加入できなかった」。そして無年金者となり今日まで何の救済策もなされていない。こう いう事は許されない。全国には約4万人もいるという。日本社会に住み、納税も義務づけられ ており、日本人と平等にされるべきである。司法的解決が必要であり、裁判に訴えてでも、損 害回復と年金受け取りのため、正義の声をあげていこう。 そのような内容で、2007年9月17日(福岡地裁への提訴前日)に決起集会を、田中宏 先生を講師として招いて行うに至ったのである。 それより前、福岡地裁に提訴という方向性を決めた頃には、支援する会のメイン・スローガ ンである「在日コリアンへの年金差別を許すな」を決め、会員の強化・拡大をはかった。 3.福岡地裁での裁判の経過と内容について (1) 経過としては、次の通りである。 ① 2007年9月18日 福岡地裁に提訴。 訴状は、前日の決起集会参加者全員に配布したが、改めて読んでみて欲しい。 憲法14条(法の下の平等)違反を前面におし立てて、1959年の当初法(旧法)

(10)

制定時からの違憲性を全面的に主張する。 また、社会保障法の理念にも反する。つまり同じ社会構成員は等しく社会保障(年金) を受ける権利がある。 ② 2008年2月6日 第1回無年金裁判~ ③ 2010年5月19日 第12回無年金裁判(結審) 12回の裁判を経て、9月8日の判決となった。(提訴以来3年間を経る) ④ 2010年9月8日 第13回無年金裁判(判決) ⑤ 2011年 2 月21日 高裁控訴審第 1 回裁判 この過程で、原告のペ・レソンさん、チョン・テチョルさん二人を失うことになった。 裁判としては継承される。高齢だからこそ一刻も早く勝利しなければならない。 (2) 裁判の内容について ① 原告による「在日コリアンへの年金差別を許すな」という思いで、不平等による生活 苦や歴史的半生や現在の想いが、意見陳述として述べられた。 これらの陳述をマトメて、支援者の思いと共有化できないかという声があり、まだ出 来てないので課題として残っている。とりあえずは昨年8月に出版した「無年金」本を 参照して欲しい。 ② 弁護団の非常な努力に感謝したい。 2010年3月末段階で、52回の弁護団会議が開催されている。その回数の多さは、 訴状の内容を立証するためである。できるだけ傍聴者にも配布してもらったが、裁判所 に出す「準備書面」、弁護士自身による法廷での意見陳述、原告との打ち合わせ等々無 年金裁判に勝利すべく大変な努力をしてもらった。 この努力内容が支援者と共通のものとなるように、私たちも奮闘しなければならない。 ③ 学者証人として二人を申請したが、結果として採用されなかった。 歴史的経緯より無年金高齢者の問題を述べた元龍谷大学教授である田中宏先生の意 見書、および社会保障法の観点から述べた久留米大学教授である阿部和光先生の意見書 は裁判傍聴者には全員配ったが、この 2 つの意見書は是非読んでもらいたい。 4.9月8日の不当な福岡地裁判決 法廷での裁判長のひとこと。「原告の請求をいずれも棄却する」というものだった。 判決理由も述べず、法廷外へと消えた。先行する大阪、京都の高齢者裁判では国側の主張を 認めており、福岡地裁判決も最高裁判例等を引き合いに出しながらの差別判決であった。附 言も何もないものであった。 私たち支援者は、原告等の立場(特に歴史や生活実態)を理解するという裁判官の良心に 一筋の希望を持っていたが、結果は「棄却する」ということだけだった。 判決は、「立法府に広範な裁量権がある」と何度も述べ、財政事情により自国民を優先し ても許されるなどと述べて、無年金問題を司法として解決するという責務を完全に放棄した ものであった。

(11)

この判決に対し、原告・弁護団は福岡高裁に即日控訴した。 5.控訴理由書を提出 控訴理由書は原判決の不当性を述べたものであり全会員に郵送しているが、会員外で渡っ てない人もいるので、<第1 はじめに>と<第5 最後に>より抜粋する。 第1 はじめに (無年金またはきわめて少額の年金状態は)国内外の批判を浴びており、国連人権規 約委員会総括所見や日弁連が、厚生労働大臣などに対して、在日外国人無年金高齢者が 差別なく年金の支給が受けられるように、救済措置を速やかに講じるように勧告しまし た。 しかし、立法・行政はこの問題を放置し、在日コリアン高齢者の苦しみは今日も続い ています。 この問題を解決できるのは裁判所しかありません。 しかしながら、原審裁判所はその責務全く果たしませんでした。 第5 最後に 原判決は控訴人らによって提起された様々な争点について判断を回避しつつ「広範 な立法裁量」というマジックワードを用いて控訴人らの請求を退けました。それは控訴 人らに生存をあきらめさせる裁量権を立法・行政に与えたに等しいものです。 6.地裁での不当判決についてや、高裁での闘いについては、中原昌孝弁護士が4月10日の支 援する会総会での記念講演で述べられる。 ・ 高裁で早期に打ち切らせないために、新たな証拠の提出。 ・ 新たな証人の採用申請を行う。 ・ 求釈明の申し立てをする。 ・ 「自国民優先論」の誤りを提起する。 ・ 国際人権規約について展開する。 等々について展望を持つものとして講演される予定である。 この講演については、10日に参加できない人には、また紹介する機会があると思うので、 以下に運動的な観点から総括的に述べたい。 (1) 支援する会は2010年度の活動として、どのように区切りをもって活動したか。 ① 一段階として、9月の判決まで ・判決に集中できるように、各種の会議開催をした。 ・8月「無年金」本出版した。 ・9月判決直前には「原告激励会」を行う。(於:飯塚) 福岡、門司は、判決後個別に訪問した。 この時期(判決後も含めて)、原告の声を裁判での陳述だけでなく、「無年金」本を通し て、より理解を深めることは出来た。それをもって社会的に拡大し、社会問題化するには 及ばなかった。この点は、高裁での闘いや立法化に向けての国会議員対策で問われること

(12)

である。 ② 境目としての地裁判決、特に傍聴者の動員について 裁判の全過程を通して傍聴者は50名を下ることはなかった。多いときは定数の 100 名近くいった時もあった。これは成果だといってよいだろう。 その上で、どうしても民団や総連の動員に頼らざるを得ず、支援する会としては、なか なか日本人の支援者の拡大が出来ず、今後の課題として残った。 しかし、課題として残すものの、時代も社会的状況もことなるが、70年代の孫振斗さ んの裁判時より前進していることは間違いない。 1988年当時、伊藤ルイさんは次のように書いている。(「部落解放史ふくおか」第5 1・52号1988年12月 頁215) 70年代の初めごろから約八年間「朝鮮人被爆者孫振斗さんに治療と在留を」 という運動にかかわったが、初期のころ東京集会で数百人、福岡でも百人近 い参加者があったにもかかわらず、第4回公判からは弁護士三人に傍聴者は 牧師と私の二人であったり、私一人であったりした。・・・ このことと比べて私たちが安穏としてよいわけではなく、少なくとも人権意識として は変わっているのだから、現在においてはもっと会員の拡大・組織化をしなければなら ないのである。 ③ 立法化について前進できたか。 これについては、少しずつ進んではいるが、まだまだこれからの課題であり大胆な展開 が求められるところである。 弁護団と協同の「無年金パンフレット」を活用して、国会議員にあたらなければなら ない。 ④ 次にくぎりとしては、2011年の1.29決起集会である。関西学院大学の島村先生 と弁護団の金弁護士を講師にお願いして、高裁での逆転勝利を勝ち取る意思統一をした。 ただ参加者が予定より少なく講演内容が広く伝わらずに終わった。集会の宣伝は結構丁寧 にしたが、どこにその原因があるか解明しなければならない。 ⑤ 弁護団や原告との連携・団結についてであるが、この点については前の2009年度よ り進んだといってよいだろう。 (2) 次に運動の展望を切り開くための方針についてである。 ① 直面することとしては、第二回控訴審裁判の傍聴態勢をしっかりと組むことである。 ・期日 5月9日(月)午後3時から ・報告集会は福岡市立中央市民センター ② 東京・国会行動については、引き続き強化してとりくむことである。 ③ 支援する会の財政力の強化である。 年会費個人2000円、団体1万円の完全納入を、目指さなくてはならない。

(13)

④「無年金」本の完売を目指さなくてはならない。 原告の裵来善前理事長から聞き取り調査をする渡辺豊さん(2006 年 8 月 4 日、民団飯塚支部) 2010 年 9 月 8 日、12 回裁判報告集会

2010 年 9 月 8 日、12 回公判原告入廷行動 発行者/特定非営利活動法人国際交流広場無窮花堂友好親善の会(NPO 法人無窮花の会) 理 事 長:吉栁順一(きりゅう・じゅんいち) 事 務 局:〒820-0005 飯塚市新飯塚 24-3 労働会館 3 階

Tel:090-9561-6737(事務局長携帯) Fax:0948-24-5255 e-mail:[email protected] URL:http://1st.geocities.jp/mugunfajp/ 郵 便 振 替:01740-2-56122/無窮花堂友好親善の会 正 会 費:2 千円(個人)/1 万円(団体) 賛助会費:2 千円(個人)/1 万円(団体)

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