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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ : 「神話」の歴史性を検証するための試論的考察として

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平

 

序にかえ

(1 (   去る二〇〇九年八月、世界国際陸上選手権ベルリン大会が開催された。この時、なかなかメダルに手が届かなかっ た日本選手団の中で、閉幕間際になって、尾崎好美が女子マラソンで銀メダル、村上幸史がやり投げで銅メダルを獲 得し、メディアの熱い注目を浴びたことは記憶に新しい。とはいえ、これらの栄誉が有終の美というよりはあだ花に 見えた ほ ど、全般的な日本勢の不振は否めないものがあった。日本選手団のメダル総獲得数はこの二つにとどまり、 出場国中の二二位と低迷し た (( ( 。   対照的に、期待通り、否それ以上の実力を見せつけたのが、短距離走におけるジャマイカ勢であった。ジャマイカ は金メダル七個、銀メダル四個、同メダル二個、合計一三個を獲得し、総獲得数で米国(二二個)に次ぐ堂々二位を

「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ

川 

島 

浩 

─「神話」の歴史性を検証するための試論的考察として─

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 占めた。ジャマイカが人口二八〇万人程度の小国であることを考えれば、この実績には米国のそれを凌ぐ価値がある といってもいいかもしれない。とりわけ一〇〇 M 走においてウセイン・ ボ ルトが打ち立てた九秒五八の世界新記録は、 その名を運動競技史上に刻む快挙であったといえるだろう。   ジャマイカ勢の韋駄天ぶりを目の当たりにした日本人視聴者は、私的・準公的な言説空 間 (( ( において、その圧倒的強 さの原因をめぐって、活発に意見を交換した。そのなかにあって、ジャマイカ選手の運動能力を生み出す文化的、歴 史 的 要 因 を 究 明 し よ う と す る 一 部 の 努 力 を 圧 倒 す る か た ち で、 「 肌 の『 黒 い 』 人 = 黒 人 」 の 強 さ や 速 さ は 生 ま れ つ き の要因によるものではないかという、本質主義的な憶測が飛び交ったことは注目に値する。   そ し て こ れ は、 今 に 始 ま っ た こ と で は な い。 一 部 の 陸 上 競 技 種 目 に お け る 圧 倒 的 勝 利 の 光 景 が、 「 黒 人 」 の「 肌 の 『 白 い 』 人 = 白 人 」 や「 肌 の『 黄 色 い 』 人 = ア ジ ア 人 」 に 対 す る 本 質 的 な、 つ ま り 遺 伝 的・ 生 理 的 な 優 越 の 表 象 と し て広く浸透し、無批判に消費されてきたことは、海外でも国内でも、これまでたびたび指摘されてきたのであ る (( ( 。 ボ ルトの快走に象徴されるジャマイカ勢の強さは、こうした大衆社会に流通する表象の現実味を高めるごく最近の事例 であったに過ぎない。   こ こ で、 「 黒 人 」 と い う 呼 称 の 定 義 と、 こ の 呼 称 を 採 用 す る 理 由 に つ い て 若 干 の 説 明 を 施 し て お き た い。 本 論 は、 ア フ リ カ に 出 自 を 有 す る 人 お よ び そ の 子 孫 に 対 す る 呼 称 と し て、 英 語 の「 ブ ラ ッ ク( black )」 に 該 当 す る「 黒 人 」 を 採 用 す る。 「 黒 人 」 の 中 で も、 一 七 世 紀 か ら 一 九 世 紀 に か け て 全 盛 を 迎 え た 奴 隷 貿 易 に よ っ て ア フ リ カ 大 陸 か ら 南 北 アメリカ大陸へと強制的に移送されたアフリカ人の子孫には、一部のスポーツ競技種目において傑出した役割を果た し て き た も の が 少 な く な い。 歴 史 を 振 り 返 る な ら、 こ れ ら の 人 々 の 呼 称 と し て、 「 ネ グ ロ イ ド( Negroid ) (( ( 」、 「 ニ グ ロ ( Negro あるいは negro )」 、「有色人( person of color )」 、「アフリカ系アメリカ人( African American ) (( ( 」 など様々な

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平 表現が用いられてきたことが知られている。いずれも、時代の文脈の中で政治的、学術的、社会的に批判を受けた経 緯がある。   本 論 が 採 用 す る「 黒 人 」 も、 「 特 定 の 人 間 を そ の 個 性 や 差 異 を 無 視 し て、 一 つ の 色 に よ っ て 表 象 さ れ る 集 団 に 所 属 するかのごとく記述する」点で、問題なしとはいえない。主要メディアには、この語の使用を禁じる傾向も確認でき る (( ( 。しかし、 「黒人」なる集団の、アメリカ、そして他の地域における社会的リアリティ(現実性 ) (( ( 、 およびこれらの 地域におけるこの語の幅広い浸透度に鑑み、また、ここでいう社会的現実性を含意しうる表現が他に見出せないとい う事情を考慮し、以下「黒人」を呼称として採用し、 「  」をはずして使用するものとする。   さて、本論では上に述べた「本質主義的な憶測」あるいは「黒人の強さや速さは生まれつきの要因による」とする 言 説 を、 こ れ ま で の 拙 論 で 展 開 し た 議 論 に 基 づ い て「 黒 人 身 体 能 力 神 話 」 と 呼 ぶ も の と す る (( ( 。 こ の 神 話 は、 「 黒 人 は もともとスポーツがうまい」 、「生まれつき運動が得意」 、「天賦の運動能力や身体能力に恵まれている 」 ((( ( 、「天性のアス リートである」などの具体的な表現となって、一般人の日常的な会話や、ブログやメーリングリストなどインターネ ット上の準公的な対話の場で、現在でも流通している。その起源を求めるなら、日本においては過去約半世紀、国際 社会に舞台を広げるなら約四分の三世紀にまで遡ることが可能であ る ((( ( 。   黒人身体能力神話の浸透は、その起源であるアメリカ合衆国(以下アメリカと略す)だけでなく、ヨーロッパやア ジア各国でも見られる点で、国際的な視点から検討されるべき課題である。しかし、それがすぐれて日本的な現象で あることも看過できない。たとえばアメリカでは、人種主 義 ((( ( に対する警戒や統制ゆえに神話はタブーと化し、少なく とも公的な舞台で認知されることは皆無といってもよい。他方日本では、人種主義に対して比較的鈍感な文化的土壌 も手伝って、神話が一方的に承認されることはあっても、批判的観点から俎上に載せられることは滅多にない。実際

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 日本では、指導的立場にあるものでさえ、神話を前提として発言することが多い。たとえば、陸上短距離種目のコー チングでは、 「『黒人の天性』に対抗するには、日本人は『技能(スキル) 』を磨く以外にない」と教えられると聞 く ((( ( 。 「 黒 人 だ か ら 強 い 」 と い う 言 説 に 潜 む 人 種 主 義 を 指 摘 す る だ け で「 褒 め て な ぜ 悪 い 」、 「 事 実 だ か ら 仕 方 な い 」 と い っ た反論を受けることも少なくな い ((( ( 。   アメリカにおいて神話の肯定と否定が拮抗し、大きな争点を成してきたことが特徴的であるとするなら、日本にお いて争点の不在性に注意が喚起され、問題視されてきたことは特筆に値する。文献調査や意識調査は、相対的、絶対 的いずれの意味においても、きわめて高い割合の若者たちが「黒人」なる集団が固有の運動能力・身体能力を有する と信じていること、そして、その多くが、黒人の運動能力・身体能力に生得的、遺伝的な根拠があると信じているこ とを明らかにしてき た ((( ( 。   ここでは、以上を踏まえて、黒人身体能力神話を研究の対象とするにあたって、次の二つの立場を措定し得ること に注意を喚起したい。   第一は、神話の浸透を国際的な広がりをもつ現象として捉え、その起源と形成・普及の過程をグロー バ ルな視点か ら解明しようとする立場である。この時、スポーツ大国として、これまで多くの黒人アスリートを産出してきたアメ リカ合衆国の占める役割と位置は重要である。神話の歴史性を検証する作業では、特に一九三〇年代にその起源を求 める解釈が有力視されているが、こうした先行研究の成果を視野に入れつつ、さらに踏み込んだ分析が要請されてい る ((( ( 。   第二は、神話の浸透におけるすぐれて日本的な状況に注目する立場である。ここで問われるべきは、神話の歴史性 や 時 代 的 文 脈 に お け る そ の 性 質 で あ る と 同 時 に、 否 そ れ 以 上 に、 「 量 的 」 あ る い は「 比 率 的 」 な 展 開 の あ り か た で あ

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平 る。 す な わ ち、 グ ロ ー バ ル な 水 準 に 照 ら し、 「 な ぜ 日 本 に お い て、 か く も 無 批 判 に『 神 話 』 が 受 容 さ れ る の か 」 で あ る ((( ( 。   本論を敢えて位置づけるなら、第一の立場からの検証作業を始めるための舞台を整備し、その意義を明確に提示す る役割を担うものとでもいえよう。神話の起源を歴史学的に調査する必要性を確認するために、神話が神話に過ぎな いことをいくつかの角度から検証したい。つまり、黒人の身体能力とされる性質や現象が歴史的に変容してきた過程 に お け る「 過 日 」 の 黒 人 身 体 の 経 験 を 照 射 し な が ら「 今 日 」 の そ れ と の 差 異 を 浮 き 上 が ら せ た り、 あ る い は「 本 質 的」 、「遺伝的」とみなされている性質や現象に実証的なメスをいれることで、その虚構性を暴いたりする作業を通じ て、 「 本 質 主 義 的 な 憶 測 」 や「 黒 人 の 強 さ や 速 さ は 生 ま れ つ き に 要 因 に よ る 」 と す る 言 説 の 根 拠 を 覆 す 試 み を 展 開 し てみたい。換言するなら、本論は、日本でとかく普遍的・不変的で、生物学的・遺伝的な根拠を有するものとみなさ れがちな性質・現象を批判的に考察し、歴史学的な再検討の必要性に注意を喚起することを目的とす る ((( ( 。   以下において、こうした試みの一環として、まず水泳(競技)における黒人の位置と役割に関する歴史的な転換の 可 能 性 を 論 じ( 第 一 節 )、 次 に 陸 上 競 技 に お け る そ の 優 越 に 関 す る 実 証 的 な 分 析 と 比 較 文 化 研 究 の 有 効 性 に 目 を 向 け (第二節) 、現代のアメリカにおける黒人アスリートが置かれた状況と表象を考察した後(第三節) 、原点に立ち戻り、 第一の立場から検証作業を行う意義を再確認することで本論を結ぶものとする。

 

Ⅰ 

黒人と水泳(競技)

  日本人が人種的な運動能力があるとの前提のもとに、その能力がもたらす差異を意識するきっかけとなるスポーツ

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 競技の最たるものの一つに水泳がある。統計的なデータによる裏付けはさておき、経験則でみても、人種が水泳の能 力や演技のレベルに影響を与え、さらにはそれを決定すると考えている日本人は少なくない。その主たる根拠は、世 界選手権やオリンピックのようなハイレベルの国際大会の選手層に、黒人が相対的に不在であることと深く関連して いるように思われる。たしかに、次にみる陸上競技種目や、日本人に人気があるベース ボ ール、フット ボ ー ル ((( ( 、 バ ス ケット ボ ールなど主要なプロ球技スポーツにおける黒人選手の存在感に比べると、水泳が黒人に疎遠にみえるスポー ツであることはまちがいない。   特定の運動競技種目において、黒人が人口比率からみて著しい劣位に甘んじている場合、あるいはその逆に、著し く秀でている場合、その説明を遺伝学や生理学といった個人に本来的に備わっているとみなされる性質を扱う学問の 立場から行おうとする努力や傾向が生じることは、これまでにも指摘されてき た ((( ( 。この場合の前者が本節で扱う水泳 であり、後者が次節で取り上げる陸上競技であるといってよいであろう。要するに、あまりにも顕著な実力や実績上 の差異は、努力や訓練を越えた領域に属する与件によって定められているにちがいないとする思考が働くというわけ である。   もちろん、オリンピックに出場する黒人選手が全く存在しなかったというわけではない。しかし、かつてその存在 が、 「 黒 人 は 泳 げ な い 」 と い う ス テ レ オ タ イ プ を 強 化 す る と い う 皮 肉 を 招 い た 出 来 事 も あ っ た。 二 〇 〇 〇 年 の シ ド ニ ー五輪に赤道ギニアの代表として一〇〇 M 自由形を泳いだエリック・ムサンバ ーニの場合がこれにあたる。三名から なる予選に出場したムサン バ ーニは、他二名がフライングで失格したため、一〇〇メートルを一人で泳ぎ、結果的に 同予選の勝者となった。しかしそのタイムたるや一分五二秒七二という、出場選手の平均タイムの二倍を優に上回る 珍 ・ 記録であった。その上彼の泳力や泳法は、特にレースの後半、疲労も手伝ってか、オリンピック代表選手のものと

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平 は思えないような素人レベルに落ち込んだため、全世界の視聴者の同情的な失笑を買う結果となったのであ る ((( ( 。通称 「 う な ぎ の エ リ ッ ク 」 の 泳 ぎ ぶ り は、 そ の 後 度 々 バ ラ エ テ ィ 番 組 な ど に 登 場 し た。 そ の 画 像 が、 は か ら ず も「 泳 げ な い黒人」という印象を強化したことは想像に難くない。   ムサン バ ーニの経歴とその後を少し調べれば、彼が水泳を習い始めてわずか八カ月しか経っていなかったこと、四 年後のアテネ五輪までに自己記録を大幅に短縮し五七秒を切るまでになったことなど、彼の泳者としての逸材ぶりを 示 す 証 拠 を 入 手 す る こ と も で き た で あ ろ う ( ビ ザ 問 題 で 結 局 ア テ ネ 五 輪 に は 不 出 場 )。 し か し、 数 限 り な い 視 聴 者 の うち、その労を厭わなかったものは ほ んの一握りだったのではなかろうか。   もっとも「黒人は泳げない」というステレオタイプは、日本起源のものではなく、それが通俗的人種言説として深 い根をおろしていたアメリカから伝播したとみなすべきかもしれない。黒人と水泳の関係に関するアメリカ人の考え を窺わせるエピソードの一つに、いまは亡きアフリカ系女優ネル・カーターが、七万人の大観衆に向けて放ったジョ ークがある。時は一九九〇年六月三〇日、場所はロサンゼルスのメモリアル・コロシアムでのこと、南アフリカで釈 放されたばかりのネルソン・マンデラの講演を聴きに集まった、大半がアフリカ系アメリカ人からなる観衆に向かっ て、 カ ー タ ー は こ う 言 っ た。 「 水 泳 は『 非 黒 人 的( un-black )』 な 競 技 で あ る。 な ぜ な ら、 も し 黒 人 が 泳 ぎ を 知 っ て い たなら、奴隷として酷使された祖先たちがアフリカに泳ぎ去ってしまい、この国にアフリカ系アメリカ人が残ってい る は ず も な い か ら … … ((( ( 。」 ジ ョ ー ク の 出 来 の 良 否 は さ て お き、 こ こ で は そ れ が 大 観 衆 に 受 け た と い う こ と が 肝 要 で あ る。受けたということは、 「水泳=非黒人的」という了解が成立していたことを示唆する。   ロサンゼルス・ドジャースのゼネラル・マネージャーであったアル・カンパニスは、カーターが「非黒人的」とい う婉曲な表現で ほ のめかした、黒人に優れた泳者が少ない理由を、もっとぶしつけな物言いで説明しようとしたため

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 に辞職に追い込まれるという憂き目にあった。一九八七年、黒人初のメジャーリーガーとされるジャッキー・ロビン ソンのデビュー四〇周年の年、テッド・コッペルがキャスターを務める人気ニュース番組「ナイトライン」に出演し た際に、カンパニスは臆することもなく、黒人が水泳に向いていない理由は、その身体が「浮力」を欠いているから だと断言したのであ る ((( ( 。ジャッキー・ロビンソンがモントリオール・ロイヤルスというドジャースの二軍チームの選 手だった時代のチームメートであり、その後も黒人選手のよき理解者として定評のあった球団管理職の口をついて出 た言葉は、コッペルを仰天させ、当人がおそらく予想さえしなかった批判の嵐を視聴者の間に巻き起こした。二日後 に解雇された彼は、汚名をそそぐ機会を与えられることもなく、その一一年後に生涯を閉じることになる。   黒人は水泳が苦手との印象を補強するかの発言が、著名な黒人アスリートからたびたびなされてきたことも、神話 の形成と浸透に一役買ったのではないかと思われる。スポーツ界の英雄による証言の影響力は、当人の運動能力が高 ければ高い ほ ど、カリスマ性が強ければ強い ほ ど大きかったにちがいない。一九三〇年代から四〇年代にかけて ボ ク シングヘビー級界に君臨したジョー・ルイスも極端な水嫌いで知られる が ((( ( 、最近の例として、一九九二年五月に『プ レイ ボ ーイ』誌が掲載した、 バ スケット ボ ールの寵児マイケル・ジョーダンとのインタビューを見ておこう。   ジョーダンは当時、シカ ゴ ・ブルズでの初優勝、 バ ルセロナ五輪出場の決定を経て、人気の絶頂に到達しつつあっ た。インタビューは、彼の公人、私人としての生活の様々な側面を掘り起こしながら、話題を水泳へと切り替える。 そこで読者は、 「俺は泳げない。水に触るのもやだ( I can't swim and I ain't messing with the water )」 、「だれにだ って弱みはある、俺にとってそれは水だ( Everybody's got a phobia for something. I do not mess with water )」な ど、かなり強い語調の言葉を目にすることになるのである。インタビューをきちんと読むなら、ジョーダンの水嫌い が、幼少期に友人が溺死するという不幸な事件に巻き込まれたことよるものであることがわか る ((( ( 。しかし、一九九〇

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平 年代を通じて、彼が黒人身体能力の「権化」として祭り上げられるにつれて、彼の「弱み」が個人の性質以上の一般 性を帯びることになったとしても不思議ではない。   では、水泳競技のトップ選手層に黒人が相対的に不在である理由について、いかなる実証的な説明がなされてきた のか。黒人コミュニティにおける、とりわけ児童・学童に対する水泳のための機会・施設の相対的欠如、その結果と しての泳力の相対的未発達、根底にある原因としての人種主義(水を通じて異人種と肌を触れ合うことに対する嫌悪 感等)など、スポーツ社会学の教科書におなじみの解説は、改めて繰り返すまでもないだろう。また、最近の社会学 研究に注目すべき成果も少なくない が ((( ( 、ここでは、神話の歴史性を検証することの意義に注意を喚起するという本論 のねらいに則して、歴史学的立場からの再検討を試みたい。なかでも、水泳と潜水を事例として、特定の人種・民族 集団があるスポーツ的な活動に抜きんでた実力を発揮する場合の歴史的文脈の重要性を説いた、ケビン・ドーソンの 近著は特筆に値する。   ドーソンは、近著の冒頭でこう切り出している。 西アフリカ海岸地域あるいは内陸部の人間がまだ一人たりとも、奴隷にされたり、海外に強制輸送されたり、新 大陸の空の下で強制労働に就かされたりしていなかったころ、アフリカ人の多く は熟達した泳者そして潜水夫で あった。……やがてアメリカ大陸に輸送された奴隷たちは、アフリカで培ったこの技能を持ちこみ、その後数世 代に渡って仕事や余暇の時間に、それを大いに活用したのである。大航海の時代から一九世紀を通じて、アフリ カ系の人々の水泳と潜水の能力は、ヨーロッパ系の人々のそれをはるかに凌ぐものだっ た ((( ( 。

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号   続いてドーソンは、史料に基づき、水泳を不得手とする黒人表象に曇らされた目には斬新で挑発的にさえ映る、水 泳の過去に関する事実を次々と明るみに出していく。近現代のヨーロッパ人、とくに女性が、そして水夫でさえ水泳 を不得手としたこ と ((( ( 。大航海の時代以後、オランダ、フランス、そしてスコットランドの探検家がガーナ、セネガル、 ガ ボ ンなどの地で目撃した、アフリカ人の驚異的な泳力、泳法、肺活量につい て ((( ( 。新大陸の植民地で奴隷たちが見せ た超人的な水泳と潜水の能力につい て ((( ( 。そして主人の命を受け、あるいは自発的に、ジョージア、カロライナ、西イ ンド諸島の海や河川で 鱏 、鮫、鰐などと闘ってこれを容易く射止めた奴隷たちについて等 々 ((( ( 。   ドーソンの歴史研究は、こうして「過日」の水泳と潜水の世界が「今日」のそれと大きく趣を異にし、現在の「劣 等者」が過去の「優越者」であった様子を、実証的かつ写実的に描き出すのである。そこで黒人は、白人よりも上手 で早い泳者であり、より深く、より長く水中に留まることのできる潜水夫であった。ここに見られる、水泳し、潜水 する人々の過去と現在における逆転の構図は、今日一つの人種・民族集団が苦手であるとみなされている身体技法に おいて、かつて同じ集団が他者に抜きんでて勝り、その実力を遺憾なく発揮し、人種や階級の壁を越えて他者から惜 しみない称賛や報奨を受けていたことを伝える。ここから私たちは、特定の身体的な技法や演技(パフォーマンス) が「人種化」される際に、 歴史的、文化的、環境的要因が いかに重要であるかを読み取るべきである。   一九世紀以後、水泳と潜水の世界にいかなる変化が起きたのかは、歴史学的かつ社会学的課題である。実際の検証 は今後の研究を待たなければならないが、およその筋書きを予想することはそう困難ではない。一言で述べるなら、 水泳と潜水の「再人種化」が起り、黒人の身体技法が白人のそれへと転換したのである。その背景に、中産階級の出 現と余暇の発見、水泳、日光浴、海水浴のレジャー化、肌の露出に関するタブーの解除、新しい身体観、美観、習慣、 マナー、そして女性観の構築、水泳の競技化と国際大会の開催、そして人種主義的社会の構造と秩序の中での海岸、

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平 湖岸、プールなどからの黒人の締め出しなど、多様で広範囲に及ぶ社会的かつ文化的な条件の成立がみられたことは いうまでもない。

 

Ⅱ 

黒人と陸上競技

  陸上競技は、本節で取り上げる長距離・短距離種目いずれの場合も、一九世紀以降、水泳とは正反対ともいえる道 筋をたどってきた。水泳において、往年の黒人身体技法が白人化したのであるとしたら、陸上競技においては、往年 の白人競技が黒人化したといっても、史実をさ ほ ど単純化したことにはならないであろう。こうした変容の事実その ものが、人種・民族集団とスポーツ競技との相性が歴史的に構築されること示唆している。長距離種目では、私たち はケニアとエチオピアを代表格とする東アフリカ勢の優越を見慣れている。他方短距離種目では、西アフリカ諸国の 代表とは限らないが、西アフリカを出自とする人々の勝利を当然視するまでになっている。しかし、今日の陸上界で 黒人選手の不在を想像するのが難しいくらい、一世紀前の陸上界で黒人選手の存在を想像することは困難だった。   往年の白人競技が黒人化する歴史的変化のプロセスを、もう少し詳しく見てみたい。一九世紀末の近代オリンピッ ク誕生の時代において、陸上競技は、近代スポーツの諸々の種目のなかで際立って、人間の身体そのものの優劣を競 う場としての象徴的な役割を担わされていた。欧米諸国の人々は代表選手に「白人(アーリア人)の優越」の証明と なる勝利を期待し、選手はこれに応えた。その結果、初期五輪大会の陸上競技は白人男児の独壇場という観を呈し た ((( ( 。 し か し 一 九 二 〇 年 代 に な る と、 「 ア ー リ ア 人 の 優 越 」 を 脅 か す 存 在 が、 短 距 離 種 目 を 中 心 に 登 場 し 始 め た。 黒 人 オ リ ン ピ ア ン の 黎 明 期 で あ り、 身 体 能 力 神 話 形 成 の 前 夜 で あ る。 こ の こ ろ か ら 徐 々 に、 こ う し た、 「 白 人 男 児 の 聖 域 」 へ

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 の 新 参 者 に 対 す る 形 容 辞 と し て、 「 ス ピ ー ド が あ っ て も ス タ ミ ナ は な い 」 と す る 言 説 が 重 宝 さ れ る よ う に な っ た。 こ の 表 現 に は、 「 野 獣 の よ う な 」 瞬 発 性 や 爆 発 力 を 有 し て い て も、 「 持 続 的 な 時 間 枠 の 中で、駆け引きに勝るための戦略を講じるだけの知的能力に足りな い」という判断や期待も込められてい た ((( ( 。ところが一九五〇年代に なると、人種主義的解釈は再び修正を受けることになる。スタミナ を兼ね備えて長距離種目で勝るアフリカ系の選手が出現すると、そ れまでに巷で囁かれていた「黒人は生まれつき身体能力に勝る」と の説がもてはやされ、身体能力神話が全盛期を迎えるのであ る ((( ( 。   かつての白人競技が黒人化するプロセスの詳細な検討は、別の機 会に譲るものとするが、現在、この変容が完遂されたとみなしうる 状況にあることは指摘しておきたい。データは、陸上競技主要十三 種目(最短の一〇〇 M から最長のマラソンまで、走行距離と障害物 の有無によって規定される十三の種目、表参照)における二〇一〇 年一月時点での世界記録保持者とする。王者たちは、短距離五種目 ( 一 〇 〇 M 、 一 一 〇 M ハ ー ド ル、 二 〇 〇 M 、 四 〇 〇 M 、 四 〇 〇 M ハ ードル)ではいずれも西アフリカ出自(ジャマイカの U ・ ボ ルト、 キ ュ ー バ の D ・ ロ ブ レ ス、 ア メ リ カ の M ・ ジ ョ ン ソ ン と K ・ ヤ ン 表:陸上各競技種目世界記録保持者((010 年 1 月 1( 日現在)

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平 グ )、 中 距 離 五 種 目( 八 〇 〇 M か ら 三 〇 〇 〇 M ま で ) で は 東・ 北 ア フ リ カ 出 自( ケ ニ ア の W ・ キ プ ケ テ ル、 N ・ ゲ ニ ー と D ・ コ ー メ ン、 モ ロ ッ コ の E ・ エ ル ゲ ル ー ジ )、 長 距 離 三 種 目( 五 〇 〇 〇 M か ら マ ラ ソ ン ま で ) で は 東 ア フ リ カ 出自(エチオピアの K ・ベケレと H ・ゲブルシラシエ)であ る ((( ( 。短距離が西アフリカ出自に、長距離が東アフリカ出 自に集まるなど興味深い偏りが見られるにせよ、記録保持者全員がアフリカ出自であるとみなせることを確認できる。   前節で述べたように、こうした集中現象の解釈に、人々は水泳の場合と同様、好んで遺伝・生理学的な本質主義論 を採用しようとしてきた。日本人の場合、特にその傾向が顕著であるといってよい。オリンピック、世界陸上など、 多民族・多人種の代表が集う速さの限界への挑戦の舞台にこそ、黒人身体能力神話の原点の一つがある。日本のロー カルな文脈をみるなら、お正月恒例の箱根駅伝が果たす役割も見落とせない。日本人走者をごぼう抜きするアフリカ 人留学生の快走が、お屠蘇気分のお茶の間に与えるインパクトもまた、神話を浸透させる原動力の一つであ る ((( ( 。   では、黒人の陸上競技種目における優越を歴史的、文化的に分析するには、どうしたらいいのか。まず、長距離走 の場合を検討しよう。スポーツ地理学者 J ・ベイルや運動生理学者 Y ・ピツィラディスらは、異なる角度から、東ア フリカ勢が長距離走力で優位に立つ原因を分析している。しかしいずれも、選手たちを生んだ歴史的経緯や文化的背 景を重視する点で共通している。二人は、ドーソンが水泳を事例として取り組んだ身体技法への文化・歴史的なアプ ローチを、長距離走行を対象として実践してきたといえるだろう。いずれも、本質主義の誤謬を告発し、実証的な手 段によって強さの原因を探る必要性を訴えている。強引な一般化やステレオタイプを避け、選手たちの生い立ちや経 験を具体的に精査することによってのみ、正しい理解が得られると説くのである。ここでは、ベイルとピツィラディ スの論点のうち、次の二点に絞って考察する。   第一は、主としてベイルの説によるものである。それは、優秀な選手の属性をどのレベルで捉えるかという問題と

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 関わっている。三〇〇〇 M の覇者コーメンや五〇〇〇 M の覇者ベケレは、黒人として、ケニア人あるいはエチオピア 人として、他の人種や国民に勝る人間として表象され、それゆえ人種的、国家的な優位が含意されてきた。しかし人 種にせよ国家にせよ、これらは便宜的あるいは政治的に構築されたカテ ゴ リーであり、その中に包含される人間の性 質を統一的に規定するものでないことは自明である。こうした人為的なカテ ゴ リーの中に、多くのエスニック集団が 存在し、さらに、一つのエスニック集団の中に、言語、住環境、生活習慣などの共有によって細分化される人々がい る。こうして細かく分割した人間集団を単位として検討することで、はじめて長距離走での勝利を可能にする原因が 明らかにな る ((( ( 。   ケニア人の場合、国際級トップレベルの長距離走者一九七名中の一四一名(一九九二年)は、リフトヴァレーと呼 ばれる高原地方に居住するカレンジンというエスニック集団の出身者である。そして、カレンジンの中でもナンディ という下位集団が、トップランナーの圧倒的多数を占めてい る ((( ( 。換言すれば、国際級のトップランナーは、ケニア人 であっても人口の多いナイロビ地方や、北東地方、海岸地方の出身者からは一人も輩出されず、カレンジンであって も、ケリチョーやキシーなどの地区に居住する下位集団とは ほ とんど縁がない。結局のところケニアの強さは、概ね ナンディの走力によるものであるということになる。   ナンディの優越を説明するには、この集団が有する文化的な特質と、同集団を育んできた歴史的条件に目を向けな け れ ば な ら な い。 ま ず 文 化 的 な 特 質 と し て 注 目 す べ き は、 ナ ン デ ィ の 誇 り 高 さ で あ る。 「 わ れ わ れ は ナ ン デ ィ な り、 他の人間は無に等しい」 、「ナンディは、あらゆる非ナンディなるものに優越する」という意識が同集団にみなぎり、 人々の強い自意識と気位の高さを象徴している。また、かくも強固な自尊心が、ケニアの民族集団でもっとも長期に 渡るイギリス帝国とのゲリラ戦を持続させたともいわれる。

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平   誇りと自尊心が長距離走に必要な精神力の源泉だとするなら、長距離を疾走し続けるための頑健な身体と強靭な脚 力を作り上げたものは、このナンディに特有の社会的な構造と秩序であるといわれる。なかでも民族集団を経済的に 存続させるために不可欠な資源としての牛を、他の民族集団から強奪する仕組みが果たした役割が重視されてきた。   ナンディによる強奪行為は、内密性とスピードを旨とする。二〇人かそれより少数の男性からなる強奪団は、夜間 に目指す牛の群れを求めて一〇〇マイル以上も移動し、牛を獲得すると速やかに、追手に気づかれる前に、牛を追い たてながらの帰路につかなければならない。家で待つ人々は、強奪を完遂した男児たちを称え、英雄として迎え入れ る。危険とストレスにあふれた往復の行程を走破するには、人並みはずれた走力と持久力が不可欠である。強い脚力 と心肺機能を有する若者 ほ ど、成功する確率が高かったことはいうまでもない。強奪による経済行為の幾世代に及ぶ 歴史が、長距離走で勝つために必要な資質を有する若者を多数抱くエスニック集団に、ナンディを仕立て上げたとい えるかもしれな い ((( ( 。   それでは、優れた長距離走者を育むための歴史的、文化的な条件に恵まれたナンディたちの中で、いかなる要因が 特定の個人を、陸上競技の世界大会で栄冠をつかむ地位に押し上げたのであろうか。第二の論点は、ピツィラディス らの調査に由来するもので、この問いに答える上で多くの示唆に富むものである。この調査は、経験の蓄積に、つま り幼少期に積んだ走行訓練の量に大きな意義を見出してい る ((( ( 。   調査はケニア人走者の人口統計的な比較を目的とし、アンケートによって四〇四人の中・長距離種目(八〇〇 M か らマラソンまで)のトップレベルの選手と、八七名の対照群から、出生地、言語、通学手段と通学距離に関する情報 を集めている。選手は、実力や実績の差異によって、国内(相対的下位)レベルと国際(相対的上位)レベルの二つ に区別される。その結果は次の通りである。多くの回答者(対照群二二 % 、国内レベル七三 % 、国際レベル八一 % )

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 は走って通学したと答え、レベルの高いアスリート ほ ど走って通学したものが占める割合が大きい。また、レベルの 高いアスリート ほ ど通学距離が一〇キロメートル以上であるとするものが占める割合が大き い ((( ( 。以上から、ケニア人 の長距離走での勝利は、神秘的な天性の才能の賜物などではなく、学童期に長い距離を走って通学したという、後天 的な鍛錬と努力の成果である可能性が高いとの結論を導くことが可能となる。   短距離種目において西アフリカ出自の選手が好成績を収め、世界ランキングの上位層を独占していることはすでに みたとおりである。ベルリン大会でのジャマイカ勢の活躍は、黒い肌のアスリートの優越を私たちが最近目撃した ほ んの一例であるにすぎない。四年間のうち三年は、夏場になると五輪大会か世界陸上で「世界一速い人間」をめざす 黒人走者の競い合いが行われ、お茶の間の日本人はその光景を見せつけられる。その時に単純明快で直観的に受け入 れやすい、遺伝的、生理的な先天的差異を人種間に想定する本質主義的な解釈を、私たちが選択したくなるのも無理 からぬことであ る ((( ( 。さもないと、世界のトップランナーに日本代表選手が敗北を喫し続ける理由が、練習や訓練の不 足にあることになりかねなくなる。しかしそう考えることを望む視聴者は ほ とんどいないであろう。   それ以外に、環境要因によって、あるいは文化的、歴史的な観点から、黒人短距離走者の優位を説明できるだろう か。残念なことに、長距離走者に関する研究に見られるような成果の蓄積を、短距離走者に関して期待することはで きない。黒人スプリンターの強さ、速さの原因を解明しようとする努力は、まだ端緒についたばかりであるか ら ((( ( 。   しかし、有効なアプローチの方向性を示唆することは可能である。たとえば、スポーツ文化の比較研究は、ある国 家の選手が特定の競技種目に抜群の成績を収め得る原因を、相対的、複眼的に捉える視座を提供してくれる点できわ めて有効である。ジャマイカとドミニカ共和国を例にとって検討してみよ う ((( ( 。これら二国家は、ヨーロッパの植民地 支配からそれぞれ長い闘争を経て独立し、今日スポーツが主要産業の一つとして経済を支える ほ どのスポーツ大国と

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平 して発展してきた点で、またカリブ海に浮かぶ島国として比較的隣接している点で、歴史的、政治・経済的、地理的 に少なくない共通性を有している。最も長い期間宗主国であったのは、ジャマイカはイギリス、ドミニカ共和国はス ペインであり、それゆえ母語は英語とスペイン語であるなど、重要な相違点も存在する。とはいえ、民族的な構成に 注目すると、安易な比較は許されないとはいえ、いずれも国民の九割近くがアフリカ系の血を受け継いでいるとの調 査もあり、その意味での類似性を認めることもできる。   だが、こうした共通性や類似性にもかかわらず、それぞれの国が得意とする競技種目は明らかに異なっている。ジ ャマイカは陸上短距離王国であり、ドミニカ共和国はベース ボ ール大国である。ジャマイカの最近にして最大の英雄 はウセイン・ ボ ルトであるが、もちろん、ジャマイカの強さは ボ ルト一人によるものではない。五輪メダル記録を紐 解けば、ジャマイカが、陸上競技だけで通算金メダル一三個、銀メダル二四個、銅メダル一五個を獲得してきたこと がわかる。人口わずか二八〇万の国家にとって、見事な記録である。ドミニカ共和国は、対照的に、すべての競技種 目を合わせても通算で金メダル二個、銀メダル一個、銅メダル一個を勝ち取ったにとどまる。その理由の一つは、ド ミニカ共和国が運動の才能をベース ボ ールに注ぎ込んできたからである。同国は、アメリカに次ぐメジャーリーガー の輩出国として名高い。 M ・ラミレス、 D ・オルテス、 V ・ゲラーロ、 P ・マルティネスなど、今日もっとも輝いて いる現役選手にドミニカ出身者は少なくない。   今仮に、日本を代表する短距離走者がドミニカ共和国に、同じレベルの野球選手がジャマイカに移籍したと仮定し てみよう。それぞれの国では、黒人選手をはるかに凌ぐ「黄色い」肌の短距離選手と野球選手の出現が話題を呼ぶこ と に な る だ ろ う。 そ こ に 果 た し て、 黒 人 身 体 能 力 神 話 が 存 続 す る 余 地 が あ る だ ろ う か。 「 黄 色 人 」 身 体 能 力 神 話 が こ れに代わって流通するであろうか。ここから先は想像に任せるしかないが、ある国家という文脈において、黒人であ

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 ることがスポーツにおける優越の必要条件でないことは明らかである。   ジャマイカとドミニカ共和国のスポーツの経験は、それぞれイギリスとアメリカの強い文化的影響の下に蓄積され て き た。 二 つ の 国 家 の ス ポ ー ツ 文 化 の 形 成 と 運 動 能 力 の 発 現 は、 本 質 主 義 に よ っ て で は な く、 本 論 が 重 視 す る 文 化 的・歴史的アプローチによってのみ説明が可能であることはいうまでもない。   ジャマイカとドミニカ共和国は、それぞれに特有な歴史的環境のなかで形成されたスポーツ文化のなかで、運動選 手の才能を育成してきた。スポーツ文化を支える制度的な柱は、家庭・家族であり、学校であり、地域社会である。 これらの制度を通じてそれぞれの国民が児童や学童を教育し、スポーツに勧誘し、優秀者を奨励し、報酬を与えてき た、その仕組みと方法を精査しない限り、ジャマイカ短距離選手の強さやドミニカ野球選手の活躍の秘密を明らかに することは不可能である。

 

Ⅲ 

岐路に立つアフリカ系アメリカ人アスリー

((( (   スポーツの技能や実践における人種的優越を歴史的、文化的観点から解明しようとする立場から、現在のアメリカ ス ポ ー ツ 界 を 観 察 す る な ら、 「 黒 人 ア ス リ ー ト 黄 金 時 代 」 が「 終 焉 」 す る か も し れ な い と い う、 多 く の 人 に と っ て 予 想外と思われる可能性も見えてくる。   まず、大学スポーツ界の今日の動向を、アフリカ人・アフリカ系泳者の往年の栄光や、ケニア・エチオピア代表選 手の長距離種目およびジャマイカ代表選手の短距離種目おける今日の成功、あるいはドミニカ共和国出身のメジャー リーガーの卓越を考察してきたのと同じ観点から捉えてみたい。つまりそれは、アフリカ系アメリカ人アスリートの

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平 今日(あるいは過日)における優位や有力さとみられてきた現象を、歴史的な変容の一過程として読むことである。 実際、二〇世紀を黒人アスリートの台頭と全盛の時代とするなら、二一世紀はその衰退期であるのかもしれない。社 会学者 H ・エドワーズが、かつて警鐘を鳴らしたのは、まさしくこの「危機」に対してであっ た ((( ( 。   そ れ は、 次 の よ う な も の で あ る。 ま ず エ ド ワ ー ズ は こ う 指 摘 す る。 「 大 学 レ ベ ル で の ス ポ ー ツ の 動 向 を 見 よ う。 一 般には提案四八号と呼ばれる、正式には全米大学体育協会( NC AA )規則一四条三項によって、黒人アスリートは 苦境に追い込まれている。制定後の二年間(一九八四年─一九八六年)に、同規則によって学力面で大学への入学が 不 適 格 と 判 定 さ れ た バ ス ケ ッ ト ボ ー ル 選 手 の 九 二 % と、 フ ッ ト ボ ー ル 選 手 の 八 四 % は 黒 人 だ っ た。 」 さ ら に 彼 は こ う 続ける。 「もちろん、同規則によってもたらされた改善の意義を否定するつもりはない。しかし、こうした改善点は、 深刻な悪影響からみればとるに足らないものである。なかでも、もっとも憂うるべきは黒人高校生が失った教育の機 会であり、アスリートとしての将来を夢見ていた若者に『提案四八号の犠牲者』という汚名を着せてしまったことで あ る。 」 ま た「 統 計 は、 大 学 バ ス ケ ッ ト ボ ー ル 一 部 リ ー グ の ほ と ん ど す べ て の 技 能 レ ベ ル が 低 下 し て い る こ と を 示 し ている。 」以上からエドワーズはこう結論する。 「スポーツ界と社会における現在の傾向を逆転させるべく対策が講じ られない限り、後になって黒人スポーツ参加の全盛期として振り返ることになるかもしれない時代の終焉を、私たち は目撃していることになるだろう。 」   アメリカ大学スポーツ界への外国人留学生の流入は、エドワーズの危機感を別の角度から裏付ける兆候である。大 学教育界の広報誌として名高い『高等教育クロニクル』は、最近、大学スポーツ界で外国人留学生が果たす役割が高 まっていると報告する。曰く、

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 全米大学体育協会一部リーグに所属する大学チームは、海外から才能あるアスリートを受け入れることによって、 その実力を高めている。……同リーグの選手に占める外国人選手の割合は、この一〇年間で二倍になった。…… コーチたちは、自分たちは海外に頼らざるを得ないと主張する。その理由は、優れた選手がもう国内には見当た らないからである。コーチのなかには、海外に直接足を運んだり、スカウトを派遣したりするものもいる。キャ ンパスのオフィスと海外を結ぶ、インターネットに頼るのはもちろんのことである。スポーツアカデミー産業の 急成長によって、幼少期からアメリカで訓練を積むアスリートの卵も増え、その中から選手をリクルートするコ ーチもいる。だが、こうした動向を憂えるコーチもいる。外国人に頼りすぎると、アメリカ人の若者に奨学金を 与えられず、大学教育への道を閉ざしてしまうことになりかねないからであ る ((( ( 。   エドワーズが「危機」とみなす現象は、大学スポーツ界に限られたわけではない。プロスポーツにおいても、たと えば、かつて「黒人スポーツの華」とされた バ スケット ボ ールにおいてさえ、カナダ、ヨーロッパ諸国、そしてアジ アからの外国人選手の存在が目立つようになった。一時期、日本人選手田臥勇太の NB A (全米プロ・ バ スケット ボ ールリーグ)入りが話題になったが、彼の挑戦もまた、こうした変化の一端を担っていたのである。むろん日本から の 有 力 選 手 の 流 出 は、 バ ス ケ ッ ト ボ ー ル 界 に 限 ら れ た わ け で は な い。 む し ろ ベ ー ス ボ ー ル に お い て、 最 有 力 選 手 が 次々とメジャー入りに名乗りを上げてきたことは、周知の通りであ る ((( ( 。反対に、黒人メジャーリーガーは減少の一途 をたどり、その比率は、かつて四人に一人といわれたのが、今では一〇 % を切るところまで落ち込んでい る ((( ( 。 ボ クシ ング世界ヘビー級王者の勢力図の塗り替えも、過去二〇年間に劇的に進行した。二〇世紀初頭以来、ジャック・ジョ ンソン、ジョー・ルイス、モハメド・アリ、マイク・タイソンら伝説的王者が名を連ね、武勇伝に事欠かなかったこ

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平 の競技種目においてさえ、今日アフリカ系アメリカ人は、舞台を降りてしまったかの観さえある。一九九〇年前後に、 ボ クシング主要四組織である W BO 、 W B A 、 W BC , IBF のヘビー級王者はすべてアメリカ人でかつ黒人だった。 二〇一〇年一月現在、そのすべては非アメリカ人であり、かつそのうちの過半数が非黒人であ る ((( ( 。   黒人の身体に与えられる文化的意味づけが変容する可能性を示唆する舞台は、アマやプロの現実のスポーツ界に限 られていたわけではない。ハリウッド映画における表象と言説もまた、そこに投射された黒人身体の解釈や意味づけ がここ二〇年間に大きく揺れ動き、変化したとみられる領域として興味深い。ここでいう変化とは、衰退や消滅とい った一方向に還元されるような単純な変化ではない。そうではなく、黒人の身体性や知的能力が、それまで主流であ ったイメージや概念と順接や逆接、あるいは補完など多様な関係性のなかに、再構築されるという現象がみられたの である。   より具体的に述べてみたい。最近のハリウッド映画に見られる黒人の身体性に関する言説や表象は、身体能力神話 を一辺倒に補強するのではなく、むしろ、脱神話をめざす方向で、アフリカ系アメリカ人のより現実的で、複雑な能 力のあり方とその発現形態を反映させようとする、制作側のなんらかの意図に裏打ちされてきているように思われる。 その具体的な方法は、第一に、身体性と知性を共存あるいは融合させることによって、そして第二に、黒人の知力、 指導力、あるいはクラシック音楽のような芸術分野の才能そのものに力点を置くことによっ て ((( ( 。   第 一 の 分 野、 つ ま り 身 体 性 と 知 性 と の 共 存・ 融 合 へ の 指 向 や 方 向 性 を 有 す る 作 品 と し て は、 旧 い 順 に、 『 ザ・ ダ イ バ ー( Men of Honor )』 ( 二 〇 〇 〇 年 )、 『 小 説 家 を み つ け た ら( Finding Forrester )』 ( 二 〇 〇 二 年 )、 『 コ ー チ・ カ ー タ ー( Coach Carter )』 ( 二 〇 〇 五 年 ) な ど が あ る。 『 ザ・ ダ イ バ ー』 は、 海 軍 潜 水 夫 長( マ ス タ ー・ ダ イ バ ー) を め ざす若い黒人青年とその教官の対立と相互理解をテーマとする作品である。黒人青年は優れた身体力(幼少期からの

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 抜群の水泳力や、息を止める競争で同期生や遂には教官さえ負かす ほ どの心肺能力として表象される)と知力(貧困 による就学不足のハンディを克服して、成績で同期生を上回る学力として表象される)を兼ね備えた人物として描か れ て い る。 『 小 説 家 を 見 つ け た ら 』 は、 あ る バ ス ケ ッ ト ボ ー ル の 天 才 少 年 に 隠 さ れ た も う 一 つ の 才 能( 文 才 ) を、 ブ ロンクスに蟄居するピューリツアー賞作家が見つけ出し、体力ではなく知力を生かすことのできる作家としての進路 を 歩 む 決 心 を さ せ る ま で の 物 語 で あ る。 『 コ ー チ・ カ ー タ ー』 は、 あ る 高 校 バ ス ケ ッ ト ボ ー ル チ ー ム の コ ー チ が、 落 ちこぼれの選手たちに、勉強することの意義を教え、大学進学への道を切り開かせるという実話に基づいた作品であ る。いずれも、黒人を主人公や主たる登場人物として設定し、各人の知的能力の発達と成熟を描き出すことによって、 黒人身体能力神話に挑戦しているといえるだろう。   第二の分野に該当する作品としては、若い白人 ゴ ルファーを導く黒人キャディーを主人公とする『 バ ガー・ヴァン ス の 伝 説( Legend of Bagger Vance )』 ( 二 〇 〇 〇 年 )、 高 校 ア メ フ ト チ ー ム を 優 勝 に 導 く 優 れ た 指 導 者 を 描 く『 タ イ タンズを忘れない』 (二〇〇〇年) 、精神障害を患いながら路上生活をする黒人の、チェロ奏者としての才能に焦点を あてた『路上のソリスト( The Soloist )』 (二〇〇九年)などがある。   以上のような映画作品は、現実のスポーツ界の動きと連動するかのように、ハリウッドのスポーツシネマにも、黒 人身体能力とみなされてきた性質や現象の再解釈を迫るような配役の転換や、性格描写における力点の移動などが起 きつつあることを示唆する。映像による表象と現実との関係性は、慎重に検討すべき課題である。とはいえ、現代社 会における身体能力神話を考察する際に、映像表象の意義と影響力を過小評価することは不可能である。

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平

 

むすびにかえて

  本論は、日米両国において、程度の差があるとはいえ、黒人身体能力神話が社会に浸透してきたことを随所で示唆 してきた。イギリス人社会学者ケビン・ヒルトンの次の指摘は、神話が、イギリスでも広範に影響を及ぼしている現 状を物語るものである。 我々がスポーツで発揮する才能と実力は、身体的あるいは精神的な意味で「自然的な」差異として頻繁に記述さ れる。その結果、運動能力が得手・不得手という言説が創られ、こうした言説は、結局のところ、一つの経路を たどって「害のない」人種的差異へ還元される。アフリカ系アメリカ人の四〇〇メートル走者 M ・ジョンソンや、 ジャマイカ人の元サッカー選手の G ・クルークスらは、テレビ番組で気のきいた知的な発言をする。バ ルバ ドス 人で障害馬術競技の名手 O ・スキート、イン ド人の現代ダン ス演出家 D ・ S ・ビューラー、 T ・ウッ ズ、跳躍力 に 優 れ た す べ て の 白 人 男 性、 映 画『 ベ ッ カ ム に 恋 し て( Bend It Like Beckham )』 の 主 役 た ち に よ う に サ ッ カ ー がうまいすべ てのインド系イギリス人女性たち、こうした人々は、広い社会にみられる多様性がもたらす現実を 伝え、ステレオタイプとの矛盾を提示する。にもかかわら ず、スポーツの人種化された社会的構造は、我々が自 己と他者のアイデンティティを形成し経験する上で大きな影響を及ぼし続けてい る ((( ( 。   しかし、ヒルトンの慧眼に敬意を払いつつも、私たちは悲観主義に陥らないよう留意する必要がある。むしろ今こ そ、将来にむけて建設的な努力を開始しなければならない。スポーツの社会的構造が人種化されているとはいえ、本

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 論 が 示 し て き た よ う に、 そ れ は 固 定 的 で も 普 遍 的 で も な く、 む し ろ 柔 軟 で 可 変 的 で あ る。 「 序 に か え て 」 で 定 義 し た 第二の立場からの研究調査は、歴史的文脈が異なれば、身体性や運動能力に関する人種化の性質や程度が大きく異な ることを明らかにしている。第三節が指摘した、最近のアメリカスポーツ界にみられる「脱黒人化」およびスポーツ シネマにおける言説や表象の変容と、別の調査が明らかにしてきた、多くのアメリカ人学生がみせる神話に対する旺 盛なまでの批判力との間に因果関係があるとするなら、黒人身体能力の受容にみられる日本人のナイーブなまでの従 順さも、教育の政策や報道の方針次第で、制限され、修正され得るだろう。   本論がこの可能性を現実に近づけるための、ささやかな一歩を刻むものとなることを期待したい。 (注) ( 1) 本 論 冒 頭 に 位 置 す る 本 節 に 限 っ て、 執 筆 の 時 期 を 同 じ く し た『 京 都 大 学 人 文 学 報 』 に 発 表 予 定 の 拙 論「 日 本 社 会 に お け る『 黒 人 身 体 能 力 神 話 』 の 受 容 ─『 人 種 』 /『 黒 人 』 と い う 言 葉・ 概 念 と の 遭 遇 と そ の 習 得 を 中 心 に ─ 」 と 重 複 す る 記 述 が 少 な く な い こ と を 断 わ っ て お く。 立 論 の た め の 舞 台 設 定 の 役 割 を 果 た す 序 論 的 な 節 と し て、 二 つ の 拙 論 が 多 く の 論 点 を 共 有 す る こ と が そ の 理 由 で あ る。 後 節 の 内 容 が 全 く 異 な る も の で あることはいうまでもない。 ( () ベ ル リ ン 大 会 の 公 式 記 録 は、 次 に み る ジ ャ マ イ カ 勢 の 場 合 も 同 様、 T B S 放 送 の ホ ー ム ペ ー ジ を 参 照、 [ http://www.tbs.co.jp/seriku / ] (二〇一〇年一月一八日現在) 。 ( () 公 的 な 言 説 空 間 に も「 神 話 」 は 浸 透 し て い る。 例 え ば、 拙 稿「 『 黒 人 身 体 能 力 神 話 』 浸 透 度 の 文 化 的 格 差 を さ ぐ る ─ 概 念 規 定 と 方 法 論 を 中 心 に ─ 」『 武 蔵 大 学 人 文 学 会 雑 誌 』 第 四 〇 巻 第 四 号( 二 〇 〇 九 年 三 月 ) の、 特 に 第 四 節 で 紹 介 す る 主 要 新 聞 記 事 か ら の 引 用 な ど を 参 照 の こ と。 し か し マ ス メ デ ィ ア の 一 部、 と く に N H K テ レ ビ 放 送 な ど は、 人 種 主 義 に 対 し て 強 く 警 戒 す る 姿 勢 を 取 っ て お り、 こ こ で は 敢 え て「 公 的 」 と は 言 わ な い こ と す る。 日 本 人 の こ の 問 題 に 関 す る「 本 音 」( 私 的、 準 公 的 空 間 で の 意 見 ) は、 イ ン タ ー ネ ッ ト の 検 索 エ ン ジ ン で「 黒 人 身 体 能 力 」 を キーワードに検索してヒットする多数のサイトから知ることができる。 ( () 国 内 に お け る 本 質 主 義 的 な 憶 測 の 横 行 に つ い て は、 本 論 の 注 で 言 及 す る 拙 稿 な ど で 詳 し く 論 じ て い る。 海 外 の 事 情 に つ い て の 調 査 や 報 告 は 非 常 に 多 い が、 た と え ば ア メ リ カ 合 衆 国 に 関 し て は、 以 下 を 参 照。 David K. Wiggins, “‘Great Speed But Little Stamina ’: The Historical Debate

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「黒人身体能力」と水泳、陸上競技、アメリカンスポーツ 川島浩平 Over Black Athletic Superiority, ” Journal of Sport History 1( Summer 1((( ): 1(( -1 (( ; Patrick B. Miller, “The Anatomy of Scientific Racism: R ac iali st R es po ns es to B lac k A th let ic A ch iev em en t,” Jo ur na l o f S po rt H ist or y (( Sp rin g 1( (( ): 11 (-1( 1; M ar k D yr es on , “ A m er ica n Id ea s about Race and Olympic Races from the 1(( 0s to the 1(( 0s: Shattering Myths or Reinforcing Scientific Racism? ” Journal of Sport History (( ( Summer (001 ) : 1 (( -( 1( . こ れ ら『 ス ポ ー ツ 史 研 究 』 掲 載 の 論 文 は、 い ず れ も 無 料 で オ ン ラ イ ン 講 読 が 可 能 で あ る。 [http://www. la (( foundation.org/ (va/history_frmst.htm ](二〇一〇年一月一八日現在) 。 ( () Jo ha nn F rie dr ich B lu m en ba ch , D e ge ne ris h um an i v ar iet ate n ati va O n th e N atu ra l V ar iet ies o f M an kin d ) , M D th es is at U niv er sit y of Göttingen, 1 ((( . ( () こ れ ら の い ず れ の 呼 称 を 採 用 す る か は、 ア メ リ カ 人 の 間 に お い て も 合 意 が み ら れ な い よ う で あ る。 筆 者 は 北 米 ス ポ ー ツ 社 会 学 会( North American Society for the Sociology of Sport, NASSS )で発表者の採用する呼称に注目してみたところ、 “African American ” が最も多かったが、 “people of color ” や “black ( s ) ” も 少 な か ら ず 用 い ら れ て い た。 教 室 な ど 公 の 場 で は African American を 用 い る の が 一 般 的 だ が、 私 的 な 場 で は black ( s )が好んで用いられる傾向がある。 ( () バ ラ ク・ オ バ マ が 大 統 領 選 挙 に 勝 利 し た 直 後、 日 本 の 新 聞 報 道 の 見 出 し に は「 黒 人 初 の 大 統 領 」 と の 形 容 辞 が 頻 出 し た。 し か し 一 週 間 も す る と、 「 黒 人 」 と い う 語 句 は、 オ バ マ 関 連 記 事 か ら 急 速 に 姿 を 消 す よ う に な っ た。 例 え ば 日 経 新 聞 の オ ン ラ イ ン 検 索 エ ン ジ ン で あ る「 日 経 テ レ コ ン 二 一 」 で 検 索 す る と、 オ バ マ と「 黒 人 」 と い う 表 現 を 両 方 用 い て い る 記 事 が、 当 選 が 決 定 し た 二 〇 〇 八 年 一 一 月 五 日 か ら 六 日 に 集 中 し て 掲 載 され、その後急激に減少する傾向を確認することができる。 ( ()「 現 実 」 や「 現 実 の 」 と い う 日 本 語 よ り も、 主 体 で あ る 個 人 が「 現 実 的 で あ る と 感 じ て い る 」 と い う 主 観 性 を 強 く 含 意 す る 言 葉 と し て「 リ ア リ テ ィ」 「 リ ア ル な 」 を 用 い る。 こ の ニ ュ ア ン ス を 伴 う 英 語 の “real ” を う ま く 表 現 す る 日 本 語 が 見 当 た ら な い の で、 少 々 ぎ こ ち な く な る と の 批 判を覚悟の上で「リアリティ」 「リアルな」と表記する。 ( () 拙 稿「 『 黒 人 身 体 能 力 神 話 』 浸 透 度 の 文 化 的 格 差 を さ ぐ る 」、 「 黒 い 肌 の『 異 人 種 』 と の 遭 遇 ─『 黒 人 身 体 能 力 神 話 』 浸 透 度 の 文 化 的 格 差 を さ ぐ る た め の 序 論 的 考 察 と し て ─ 」『 武 蔵 大 学 総 合 研 究 所 紀 要 』 第 一 八 号( 二 〇 〇 九 年 六 月 )、 「 人 種 表 象 と し て の『 黒 人 身 体 能 力 』 ─ 現 代 ア メ リ カ 社 会 に お け る そ の 意 義・ 役 割 と 変 容 を め ぐ っ て 」 竹 沢 泰 子 編『 人 種 の 表 象 と 社 会 的 リ ア リ テ ィ』 第 一 一 章、 岩 波 書 店( 二 〇 〇 九 年 )、 お よ び 注一で言及した出版予定の『京都大学人文学報』などを参照。 ( 10)「 運 動 能 力 」 と「 身 体 能 力 」 と い う 二 つ の 概 念 は ど う 区 別 さ れ る べ き だ ろ う か。 運 動 能 力 を、 ス ポ ー ツ( 運 動 競 技 ) を お こ な う 能 力 を 意 味 す る も っ と も 一 般 的 な 概 念 で あ る と す る な ら、 身 体 能 力 は、 「 フ ィ ジ カ ル な 力 」 な ど と も 言 い 換 え ら れ、 ス ポ ー ツ を 行 う 能 力 の う ち の 身 体 に 直 接 関 連、 ま た は 由 来 す る 部 分 を 強 調 し た 概 念 で あ る。 も う 一 歩 踏 み 込 ん で い え ば、 運 動 能 力 が ス ポ ー ツ を 実 践 す る 能 力 の 文 化 的、 環 境 的 要 因 に 由

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武蔵大学人文学会雑誌 第 41 巻第 3・4 号 来する側面も包含するのに対し、身体能力はその本性的、生得的側面を特化させる概念であるともいえよう。 ( 11) 日 本 に お い て 一 九 六 四 年 に 開 催 さ れ た 東 京 五 輪 が 神 話 形 成 の 一 つ の 契 機 で あ っ た こ と を 示 唆 す る 証 拠 は 少 な く な い。 国 際 社 会 に お い て は、 以 下に述べるように一九三〇年代に黒人表象の劇的な変容があったとする解釈が今日主流になりつつある。 ( 1()「 人 種 」 と い う 概 念 の 実 在 性 が、 各 方 面 か ら 批 判 的 に 検 討 さ れ て き た こ と は 周 知 の 通 り で あ る。 し か し 英 語 で “race ” や “racism ” が 普 通 名 詞 と して用いられている現状に鑑み、本論も「   」をはずして記述するものとする。 ( 1() 筆 者 が 筑 波 大 学 大 学 院 や 東 海 大 学 に 学 ん だ 元 短 距 離 ス プ リ ン タ ー か ら 聞 い た 話 で は、 ト レ ー ニ ン グ の 現 場 で は、 黒 人 ア ス リ ー ト に 天 性 の 才 能 が あ る こ と は む し ろ 当 然 視 さ れ、 こ の 点 を 疑 問 視 す る 風 潮 は 皆 無 で あ る と い う。 末 続 慎 吾 が 二 〇 〇 三 年 に パ リ で 開 催 さ れ た 世 界 陸 上 選 手 権 で 銅 メ ダ ル を 獲 得 し た 当 時 は、 彼 の 走 り が 日 本 古 来 の ナ ン バ 走 法 の 応 用 で あ る と さ れ、 日 本 人 の 技 能 が 黒 人 の 天 性 に 勝 る 日 が 近 づ い た 証 拠 と し て も てはやされた。 ( 1() 大 学 の 授 業 で た び た び「 黒 人 は 天 性 の ア ス リ ー ト で あ る 」 と の 発 言 に 潜 む 人 種 主 義 の 可 能 性 を 指 摘 し た こ と が あ る が、 当 惑 し、 反 感 さ え 抱 く 学生が少なくない。そのような学生が口にする反論としてもっとも多いのがここに紹介したものである。 ( 1() 黒 人 に 固 有 の 運 動 能 力 が あ る と の 想 定 が 言 説 空 間 に 存 在 す る 点 で 共 通 し て い る と は い え、 日 本 人 は そ れ を ほ ぼ 無 批 判 に 受 け 入 れ て い る の に 対 し、 ア メ リ カ 人 は 争 点 と し て 俎 上 に 載 せ て い る と い う 点 に 差 異 が あ る こ と に、 今 一 度 注 意 を 促 し た い。 こ れ は、 黒 人 と い う「 人 種 」 の 表 象 が、 文 化 的 文 脈 に 応 じ て、 異 な る か た ち で 受 け 入 れ ら れ て い る こ と を 意 味 す る。 つ ま り 逆 に い え ば、 「 人 種 」 概 念 を 支 え る 言 説 と 表 象 が、 文 化 的 に 規 定 さ れ、 構 築 さ れ て い る と い う こ と で あ る。 こ う し た 論 点 ゆ え、 本 研 究 は、 人 種 概 念 の 社 会 的 構 築 性 を 検 証 す る 作 業 と し て 位 置 づ け る こ と が 可 能 で あ る。 人 種 概 念 の 社 会 的 構 築 性 を 検 証 す る 作 業 の 代 表 例 に、 京 都 大 学 人 文 科 学 研 究 所 を 拠 点 と す る「 人 種 の 表 象 と 表 現 を め ぐ る 学 際 的 研 究 」( 代 表 竹 沢 泰 子 ) が あ る。 そ の 業 績 に、 竹 沢 泰 子 編 著『 人 種 概 念 の 普 遍 性 を 問 う : 西 洋 的 パ ラ ダ イ ム を 超 え て 』 人 文 書 院( 二 〇 〇 五 年 ) お よび『人種の表象と社会的リアリティ』などがある。 ( 1() こ の 立 場 に 立 つ 研 究 と し て 筆 者 は、 科 学 研 究 費 補 助 金 に よ る 基 盤 研 究 C 「 ア メ リ カ 合 衆 国 に お け る 黒 人 身 体 能 力 神 話 お よ び ス ポ ー ツ へ の 固 執 と 対 抗 言 説・ 戦 略 」 お よ び 武 蔵 大 学 総 合 研 究 所 助 成 プ ロ ジ ェ ク ト A ( 研 究 テ ー マ : ア メ リ カ 合 衆 国 に お け る 運 動 能 力・ 身 体 能 力 の 人 種 間 格 差 に 関 す る 言 説・ 表 象 と そ の 社 会 的 影 響 ) に 取 り 組 ん で い る。 後 者 が 日 本 に お け る 神 話 の 受 容 を 踏 ま え た 上 で、 ア メ リ カ に お け る 受 容 と 批 判 の 拮 抗 関 係 が 及 ぼ す 社 会 的 影 響 に 焦 点 を 当 て る の に 対 し、 前 者 は ア メ リ カ に お け る 批 判 側 の 対 抗 言 説・ 戦 略 が、 神 話 を い か に 覆 そ う と し て い る か を 分 析することをねらいとしている。 ( 1() 拙 稿「 『 黒 人 身 体 能 力 神 話 』 浸 透 度 の 文 化 的 格 差 を さ ぐ る 」、 「 黒 い 肌 の『 異 人 種 』 と の 遭 遇 ─『 黒 人 身 体 能 力 神 話 』 浸 透 度 の 文 化 的 格 差 を さ ぐ る た め の 序 論 的 考 察 と し て ─ 」「 日 本 社 会 に お け る『 黒 人 身 体 能 力 神 話 』 の 受 容 ─『 人 種』 /『 黒 人 』 と い う 言 葉・ 概 念 と の 遭 遇 と そ の 習 得 を 中 心

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