Offshore Software Outsourcing in Japan
高橋 信弘(大阪市立大学商学部) 李 美多(京都大学大学院) 1 はじめに 2 日本におけるオフショア開発の拡大 3 日本の情報サービス産業とその企業にもたらす影響 4 日本のソフトウェア技術者にもたらす影響 5 終わりに 1 はじめに 新生銀行は2001 年に、インドのアイ・フレックス社が提供した基幹システムを導入し、 注目を集めた。これにより、日本では500 億円の費用と 3 年の期間が必要とされた銀行業 務システムの開発が、60 億円と 10 ヶ月で済んだ。また、日本で身近に使われている携帯電 話やMD プレイヤー、電子辞書といった電子機器のソフトウェアについても、インドの IT 技術者が開発に携わったものが少なくない。たとえば沖電気は2003 年に、そのソフトウェ ア開発の約50%を海外で行っており、その最大の委託先はインドである(小島、2004、236-7 ページ)。さらに、日本の情報サービス企業には、中国、インドなどに子会社を設立したり その地域の企業と提携したりして、プログラミングの委託を行うものが増えてきている。 こうしてソフトウェア開発の工程の一部分を海外へ委託することは、オフショア開発と 呼ばれる。これに加えて、コンピュータ・システムの開発を委託するだけでなく、完成後 もそのシステムを海外に置き、管理運営を外国企業に任せるという動きもある。収益を上 げる部分のみ自社に残し、残りの非収益部門(人事・経理・総務・コールセンターその他) を他社に任せてコストダウンを図ることはBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング) と呼ばれる1。 海外へのアウトソーシングが日本以上に進んでいる米国では、民間ばかりでなく、州政 府などの公的機関でも人事関連業務や給与計算などをインドなどの企業に委託してコスト を削減しようとする動きがある。例えばペンシルバニア州では、毎月一万件以上の問い合 せが寄せられる食料交換券の配布(フードスタンプ)に関する電話対応業務を、インドや メキシコへオフショアリングした結果、年当たり約100 万ドルのコスト削減を達成した2。 このように、情報サービス産業における海外へのアウトソーシングは、欧米ではかなり 普及し、日本でも拡大している。このことに関する社会科学の観点からの学術的研究は、 インドの現状やインドと日本の関係については久保 (2000)、大槻 (2001)、榊原 (2001)、 小島 (2004) などが、中国の現状や中国と日本の関係については許 (2005)、梅澤 (2005b)、 浅井 (2005) などがある。また、インドと中国の比較研究として澤田 (2005)、ロシアの現状について梅澤 (2005a) がある。そして、金 (2005) は中国の日系企業等への聞き取り調 査を行い、オフショア開発の成功の条件をまとめている。山崎 (2004-2005) は日本企業の 中国でのビジネス展開のあり方を説明している。さらに、武藤 (2004) は中国での聞き取り 調査を基に、オフショア開発をマネジメントの視点から分析している。 これらの先行研究の共通認識は、日本の情報サービス産業における海外へのアウトソー シングが増加しており、それが中国・インドなどのソフトウェア産業成長を促し、同地域 は国際分業関係の一端を担うことを通じて発展を享受することができるという点にある。 しかし、アウトソーシングを行う日本企業が、海外へのアウトソーシングをどう評価し ているのか、という視点からの研究は多くない。日本で個別企業へ聞き取り調査を行った ものとして日本情報処理開発協会 (2003) があるが、こうした個別企業への調査をさらに積 み重ねる必要があろう。なぜなら、日本企業のなかには、海外へのアウトソーシングを肯 定的にとらえていないものも存在するからである。第 3 節で示すように、筆者が聞き取り 調査を行った企業のなかには、現在オフショア開発を縮小させているものがある。その理 由として、海外への技術流出を危惧していることと、そのシステムを作った人でないとそ れを管理できないことが挙げられる。このように、海外へのアウトソーシングの拡大とい うマクロ的傾向の陰に隠れていた様々な問題点が、個別企業への調査によって明らかにな るのである。 そのため、海外へのアウトソーシングの拡大が、日本の情報サービス産業とその企業に 対してどのような影響を与えるかが論点となる。そのなかでも重要視されるのは日本の技 術空洞化であり、それを懸念する声が存在する。これに関して、日本情報処理開発協会 (2003) は、空洞化は現実のものにならないと論じている。その根拠として、日本語や日本 特有の業務プロセスなどがいわば非関税障壁になり、日本市場への参入は容易でないこと を挙げている。しかし、筆者が行った聞き取り調査では、外国の企業や技術者は日本語や 日本のビジネス慣行などを徐々に理解するようになってきているということがわかった。 つまり、日本への参入障壁は小さくなってきている。したがって、日本情報処理開発協会 (2003) の主張は、現時点では当てはまらないと言える。 海外へのアウトソーシングの拡大による影響は、技術空洞化にとどまらない。外国企業 の日本への参入障壁が小さくなるとともに、日本企業の持つ技術やノウハウが流出するこ とにより、外国の技術者が日本の技術者を代替する範囲が今後拡大していくと考えられる。 このことは日本の技術者へ大きな影響を与える。しかし、先行研究ではこれについてはほ とんど論じられていない。 以上の先行研究の検討を通じて明らかになった課題を次のようにまとめることができる。 ひとつは、日本の情報サービス企業に聞き取り調査を行い、個別の日本企業がオフショア 開発をどう評価しているのかを明らかにすることである。これにより、海外へのアウトソ ーシングの現状と問題点が浮かび上がる。そこから、海外へのアウトソーシングの拡大が、 日本の情報サービス産業とその企業に対してどのような影響を与えるかを考察する。もう
ひとつは、そのことが、日本の技術者にどう影響を与えるかを検討することである。 これに対する本論文の結論は、第一に、海外へのアウトソーシングが拡大することによ り、ソフトウェア開発の単価が下落していく。その結果、日本企業は、技術流出によって 自分の競争相手を育てるにもかかわらず、当面の利潤追求のために海外へのアウトソーシ ングをさらに活用せざるを得ない。これは、価格競争をますます激化させる。そして、高 い技術を持たない中小のソフト企業は、外国企業を相手に厳しい生存競争に直面すること になる。日本から技術やノウハウが流出し、さらに技術空洞化の可能性がある中で、日本 企業はより高度な技術やノウハウを開発し続ける必要がある。 第二に、外国の技術者が日本の技術者を代替する範囲が今後拡大していくことにより、 日本のソフトウェア開発の分野では、より複雑で難しい案件に対応できる高度な能力を持 つ技術者と、通常の技術を使い低価格の仕事を厭わない技術者とに分化するであろう。そ の結果、技術者間の所得格差拡大と他の職種への移行が生じる。 近年、IT 化の進展が日本経済にとって望ましいことのように言われている。しかし、IT 化の進展はグローバリゼーションと結びついているため、私達は、グローバリゼーション の負の側面である空洞化や格差拡大ともいやおう無しに直面することとなるのである。 以下、第 2 節では、日本の情報サービス産業におけるオフショア開発が拡大している現 状と要因について説明する。第3 節では、筆者が行った日本企業 4 社への聞き取り調査を 通じて、マクロ的な傾向からは見えてこなかった、海外へのアウトソーシングの問題点を 明らかにする。そこから、日本の情報サービス産業とその企業にもたらす影響を検討する。 第 4 節では、米国の事例を通じて、海外へのアウトソーシングが日本のソフトウェア技術 者にもたらす影響を検討する。第5 節はまとめとする。 2 日本におけるオフショア開発の拡大 本節では、日本においてオフショア開発が拡大している現状とその要因を、日本および 中国、インドなどの実情を通じて説明する。 近年、日本の情報サービス産業は著しい成長を遂げている。2004 年の情報サービス産業 の売上げは14 兆 5271 億円であり、前年比 2.5%増、そして 1995 年の 2.3 倍に達した(経 済産業省、2005)。その中でも、システム開発の需要は急増しており、特に 2006 年は都市 銀行のシステム統合などの超大型システム案件が続出したためにエンジニア不足が発生し、 供給能力が需要に追いつかない状況が起きている。こうしたなか多くの日本企業が、イン ドや中国、その他に子会社を設立したり、そこの企業と提携したりすることで、オフショ ア開発や BPO を行っている。そればかりでなく、中国やインド、ベトナムなどの企業が、 日本に営業拠点を設立してそこでシステム開発の仕事を受注し、実際のプログラミングは その企業の本国で行うという事例も出てきている。 システム開発のプロセスは、1.要件定義 2.外部設計 3.詳細(内部)設計 4.プログラ ム設計 5.コーディング 6.単体テスト 7.統合テスト 8.システムテスト 9.保守・開発
である。このうち、2.外部設計や 3.詳細設計とは、システム設計を行いその仕様書を作成す ることであり、システムエンジニアによって行われる。また、5.コーディングとは、プログ ミングをすることであり、プログラマによって行われる。いわば、システムエンジニアは 建築士で、プログラマは大工である。ソフトウェア海外調達研究会 (2005) の定義によれば、 オフショア開発とは 4∼6、拡大オフショア開発とは 3∼7、開発アウトソーシングは 1∼9 を海外に委託することである。海外に委託する範囲が広いほど、コスト効果も高いが、反 面リスクも高くなる(ソフトウェア海外調達研究会 、2005、3 ページ)。 日本から海外へのアウトソーシングの総額を表すデータは、現時点では存在しない。そ こで、社団法人情報サービス産業協会などが行った調査からその動向を探ることにする。 表1 国・地域別アウトソーシング規模 2002 年 n=58 2003 年 n=58 2004 年 n=77 (単位:百万円) 調査対象年(暦年) 国・地域名 2002 年 2003 年 2004 年 2004 年 前年比 1 中国 9,833 26,280 33,241 126% 2 米国 3,260 4,988 5,147 103% 3 インド 1,908 6,312 4,255 67% 4 オーストラリア 0 2,626 3,133 119% 5 英国 20 1,827 2,126 116% 6 フィリピン 1,864 2,494 2,117 85% 7 韓国 1,952 1,871 1,415 76% 8 フランス 0 834 548 66% 9 カナダ 496 616 262 43% 10 ベトナム 30 30 216 720% その他 888 1,082 237 22% 計 20,251 48,960 52,697 108% 出所: 情報サービス産業協会他、2005、図表3(2)。 表1 にあるように、2004 年に、この調査に回答した 318 社のうちの 24%に当たる 77 社 が、直接的にあるいは他社を通じて間接的に外国へソフトウェア開発委託を行っていた。 その総額は527 億円であり、2 年前の 2.6 倍になっている。この調査は調査対象がその会員 企業に限られ、そして回答率も高くないことを考慮すると、日本全体のアウトソーシング 額は上記の数倍以上であると考えられる。 表1に関して注目すべきは、中国へのアウトソーシングが全体の 63%を占めることだけ
でなく、多くのアジア諸国が含まれるという点である。特に、ベトナムへのアウトソーシ ングは、額自体は小さいものの、前年比 7 倍も伸びている。ベトナムは、中国よりも人件 費が低くかつ優秀な技術者がいるため3、最近日本企業の注目を集めているとともに、ベト ナムのIT ベンダーによる日本進出も始まっている。 また、日本で働く外国人IT 技術者も増えている。たとえば、2003 年に、インド人 IT 技 術者は少なくとも2000∼2500 人いる。その中には、日本企業や日本に進出したインド企業 等で雇用されている人々に加えて、プロジェクトごとに来日している人が約1000 人いる(内 田、2004、資料 4)。なお、日本国内で働く外国人 IT 技術者には、オフショア開発のため に外国との橋渡し役になる人だけでなく、日本の顧客のオフィスへ出向いてその場でソフ トウェア開発をする技術者が含まれている。このように、顧客の立地する国内において外 国人技術者がソフトウェア開発をすることは、オンショア開発と呼ばれる。日本における オンショア開発は、オフショア開発の規模に比べてかなり小さいと思われる。 表2 日本と関係国の平均的な人月単価の比較 国・地域 日本 九州 韓国 インド 中国 ベトナム 人月単価(万円) 90∼100 70∼80 80 40∼50 25∼30 15∼20 出所:金 (2005)、図表5。 出典:富士通総研のヒアリングによる。 注: 人月単価とは、一人の技術者が一月かけてこなすことのできる仕事量の価格である。 つまり、同一量の仕事をするときの国別の費用を表す。 オフショア開発が行われる主な理由は、コスト削減や、日本国内にソフトウェア技術者 が不足していることである。そこで、どの程度のコスト削減ができるかについて見てみよ う。表 2 にあるようにインドや中国の人月単価は日本の半分以下であるが、オフショア開 発においては、日本の技術者を使うときには発生しなかった手間が発生する。例えば、日 本語でやり取りをするとしても、相手が日本側の言うことを完璧に理解してくれるとは限 らない。また文化や生活習慣も異なる。このため、外国とのコミュニケーションは容易で なく、そして様々なトラブルが発生する。また、外国人技術者は仕様書に書かれた最低限 の機能のものしか作らないときがあるので、それを日本側で顧客の期待したものへと作り 直さないといけないこともある。さらに、外国側が仕様書の内容を誤って理解している場 合もある。よって、意思疎通の手間や、外国側が製造したものを日本側で調整しテストを 行うなどの追加費用がかかる。これらをすべて考慮すると、オフショア開発によるコスト 削減効果は、プロジェクト全体のおよそ10∼30%である4。 ただし、プロジェクト自体が失敗し巨額の損失を被ることもある。例えば、2003 年、NEC ソフトは中国での販売物流システムの開発に失敗し、約20 億円の損失を出した。同社はそ
の開発プロジェクトが難航した原因について、「タイトなスケジュールのもと、開発基盤と なるフレームワークの整備やプログラム部品の活用に関する体制が整わないまま中国の提 携ソフト会社に外注した。結果、テスト時にパフォーマンスが極端に低いことが分かり、 日本の本社内で最初から作り直すことになってしまった」(広報)と説明している5。このた め、かつて海外でソフト開発を行おうとした日本企業には撤退したものも少なくない。現 在それに成功している企業は、試行錯誤を重ねる中でそれを乗り越えてきたのである。 日本からのオフショア開発を最も多く受注しているのは中国である。その主な理由は、 日本に比べ賃金が低いこと、日本に近いこと、そして、日本語ができる技術者が多いこと である。中国は、日本への留学生が多くまた日本語学習意欲が高いなどの理由で、他国に 比べて日本語が堪能な技術者が多い。また、漢字を使う国なので、日本語の文章を読むこ とは比較的容易である。筆者の行った聞き取り調査によると、中国人のプログラマは、数 年で日本語の仕様書が読めるようになる(後述のB 社)。そのため、日本のソフト会社が顧 客とともに作成した日本語の仕様書を、そのまま中国へ送ることができる。これは、仕様 書を英語に翻訳し、そして英語でコミュニケーションをとる場合に比べて、大きなコスト ダウンになっている6。さらに、中国でのオフショア開発が大連、瀋陽など中国東北地方で 盛んに行われるのは、優秀な人材や日本語のできる人材が多いというだけでなく、北京、 上海に比べ賃金が低いことも一つの理由である。 ただし、中国のオフショア開発の規模や成熟度は、インドと比べて10 年遅れていると言 われる。2004 年末までにインドで CMM7レベル5 を取得したのは 85 社だが、中国で CMM レベル5 または CMMI レベル 5 を取得したのは 17 社でしかなく、品質向上が必要である。 他にも、中国のソフトウェア企業は 2 年で全員が入れ替わるほど定着率が低く企業内に技 術やノウハウが蓄積されない、管理層での人材が不足している、インドのように 1 万人規 模の企業はなく数百人の会社が多いので大型案件の受注ができないといった欠点を持つ (S-open オフショア開発研究会、2004、48 ページ;中国軟件産業発展研究報告編委会編、 2005、邦訳 28 ページ;安田、2005、49 ページ)。 さらに、中国企業は「知的財産権に対する意識が低いため、設計書や重要な機密事項の 持ち出しが横行している、といった問題がある」(安田、2005、49 ページ)。中国のある調 査によると、調査対象の企業の90%がソフトウェアのコピー製品の購入や使用をしていた (中国軟件産業発展研究報告編委会編、2004、175 ページ)8。 その一方、日本のIT 業界には、中国でのオフショア開発によるノウハウ流出を懸念する 意見が存在する。後述のように、中国企業がビジネスの過程で日本企業からノウハウの移 転を受けることが、長期的には日本企業に大きな影響をもたらす可能性がある。
図1 中国とインドのソフトウェア産業の輸出額 0 50 100 150 200 (年度) (億米ドル) 中国 インド 中国 4 7.3 12 20 28 40 インド 62 86 74 95 130 172 2000 2001 2002 2003 2004 2005 出所:中国軟件産業協会の資料より筆者作成。 こうした問題点をはらみつつ、日本から中国へのオフショア開発委託は拡大してきた。 中国のソフトウェア産業の輸出額は2000 年からの 5 年間で 10 倍に伸びており(図 1)、2004 年時点ではその60%が日本向けである9。そして、日本から中国へのオフショア開発委託は、 今後も拡大するであろう。その理由として、コスト削減や人材不足といった日本側の要因 だけでなく、中国側の要因にも注目する必要がある。中国政府は現在、IT 産業振興を強力 に推進している。中国では、ソフトウェア関連の大卒者が毎年20 万人生まれている。これ は日本と比べてはるかに大きな数字である。また、中国政府は、国内に29 のソフトウェア パークを認定した。ここには中国企業だけでなく、外国企業も多数入居している。例えば 大連のソフトウェアパークには、松下通信、ソニー、オムロン、アルパイン、東芝、NEC、 日本造船、リコー、そして欧米企業が次々と進出し、オフショア開発を行っている。さら に、NTT データ、NEC、日立ソフトは大連のソフト大手企業に共同出資し、東芝は瀋陽の 東軟集団有限公司に対し資本参加している10。それに加えて、中国の地方政府も力を入れて おり、例えば北京市は2003 年に、「双千計画」、すなわち毎年 1000 人の日本語ができるシ ステムエンジニアを育成し、年間売上高1000 万ドルの企業を重点的に育てる、という目標 を掲げた(何徳、2005、33-4 ページ;S-open オフショア開発研究会、2004、47-52 ページ)。 そしてインドも、これまでオフショア開発のほとんどが欧米向けであったが、近年日本 市場攻略に力を入れている。たとえば、インドIT 企業のトップ 3 の一つであるウィプロは、 毎年20 人のエンジニアに 10 ヶ月間日本語研修を受けさせ、その間仕事はさせずに、日本 語や文化、生活習慣を朝から晩まで教え込む。その努力もあり、ウィプロ日本法人は2000 年からの4 年間で売り上げを 5 倍にした。インド企業の技術力は高く評価されており、1990 年代前半にインド企業にソフト開発を発注して失敗した経験のある富士通も、「インドは大 規模な IT 企業が育っており、技術的にも中国より明らかに進んでいる」(富士通ソフトウ ェア事業本部主席部長・池田敬昭氏)と述べている11。 こうして、日本から中国やインドなどへのオフショア開発は、試行錯誤を経て「そのプ ロセスが軌道に乗ってきた」ことにより「オフショア拠点に、大規模開発を任せられるだ けの実力がついてきた」(NEC グローバルソース管理部長・中尾宏幸氏)。このため、NEC12、
富士通、日立製作所、野村総合研究所、NTT データといった日本の大手 IT ベンダーは、 2006 年度、オフショア開発を増加させる見込みである13。そして、情報サービス産業の中 堅企業には、中国への開発委託による低価格実現を前面に打ち出すものも増えてきている。 プログラミングだけでなく、その前後の工程のアウトソーシングも増えてくるであろう。 2006 年に NTT データは、次のように述べている。「これまでは、主に業務システムにおけ るソフトウェア製造工程を中国に委託していましたが、今後は製造工程中心ではなく、上 流工程の設計から試験工程までに拡大していきたいと考えています」14。 また、2005 年 1 月に行われたオフショア開発のためのイベント「ジェトロ IT ソフト・ アウトソーシング展」では、中国、インド、ベトナム、フィリピン、バングラディシュ、 スリランカ、パキスタン、ブラジル、ロシア、シンガポール、タイ、トルコの12 カ国の計 50 社の外国 IT ベンダーと、多くの日本企業が参加し、商談の成立見込み件数が約 300 件 に達した。これらの外国企業は、日本に営業事務所を設立準備中である(小平、2005)。さ らに、日本の地方自治体は現在、地域活性化の手段として、外国のIT 会社を誘致すること に力を入れている15。こうした支援もあって、今後、オフショア開発のために外国企業が、 日本に営業拠点を設立することが増えてくると予想される。そのため、日本語を話す外国 人システムエンジニアが増えるだろう。後述の聞き取り調査のD 社も、外国人でも日本語 ができる人は基本設計の業務ができるだろうと述べている。将来は、日本で活躍する外国 人技術者が珍しくなくなると思われる。 日本のオフショア開発は今後、上述のように様々な形で拡大すると予測される。そして 現在、海外へのBPO やコールセンター設立も進んでおり16、今後拡大するであろう。 3 日本の情報サービス産業とその企業にもたらす影響 前節では、日本企業による海外へのアウトソーシングは、問題がありながらも拡大傾向 にあると総括的に述べてきた。では、実際にそのことを各企業はどう受け止めているのか。 これは非常に興味深いことである。それを知るために、筆者は、海外へのアウトソーシン グを行っている4 つの企業に聞き取り調査を行った。以下、その結果をまとめるとともに、 そこから浮かび上がる事実を明らかにする。 4 企業はいずれも、他社からシステム開発の仕事を受注し設計を行うが、プログラミング 等については、自社でやる場合と他社に任せる場合がある。聞き取り調査の時期はいずれ も2006 年 8 月であり、場所は、A 社、D 社が東京都、B 社が大阪府、C 社が千葉県である。 A 社 この会社は大手IT ベンダーの一つである。顧客からシステム開発を受注し、その設計を 行う。プログラミングは自社でせず、子会社か他社に委託する。この会社がプログラミン グを外国へ発注する直接的なオフショア開発のほか、この会社からプログラミングを受注 した企業がその仕事の一部分を外国へ委託する間接的なオフショア開発も行われている。
この会社がオフショア開発を本格的に始めたのは2003 年くらいからであるが、それ以前 からも行っていた。現在、中国にプログラミングの子会社を持つ。また、インド企業に資 本参加しBPO を行っているほか、インドでミドルソフトおよび ERP 開発を行っている。 さらに、韓国とベトナムでもソフトウェア開発を行っているが、その規模は中国・インド に比べるとかなり小さい。オフショア開発を行う主な理由は、コスト要因である。中国に 関しては、日本語でコミュニケーションを取れる利点もある。 この会社が受注した仕事量(人月単位で測った)のうち海外で行われるものの比率は、 直接・間接的に発注されるものを合わせて、約六分の一である。 もともとこの会社は、オフショア開発に対しそれほど積極的ではなかったが、ライバル 企業がそれを進めているため、競争上この会社もそれを進めざるを得ない。この会社の方 針は、今後、オフショア開発を拡大していくことである。 仕事のうちどの部分を海外に発注するかに関しては、そのシステムをバージョンアップ する際、日本側の人がよく理解できないと困る部分は日本で製造するが、比較的簡単なこ とや後で他人が見てもその仕組みがすぐに分かるものは海外へ発注する。 オフショア開発では、かつては様々なトラブルがあったが、現在では、日本側・海外側 がともに学習し、海外の企業や技術者も日本の文化やビジネス慣行などを理解するように なってきている。このため、赤字を出すような失敗は減ってきている。 海外のプログラマの技術的レベルについて、それが低くて問題になることはない。それ よりも、意思疎通や仕事の進め方などで問題が生じることがある。 この会社は、中国への設計書等の流出を危惧している。こういったリスクを考えると、 インド企業の方がビジネスをし易い。 近年、この会社が受注するシステム開発の単価は下がっていない。ただし、40 万円/人 月といった価格を顧客が希望するときは、日本では不可能なので海外へ委託する。 現在は需要が多過ぎて、技術者を確保できないために仕事を断っている状態にある。 B 社 この会社は、大手IT ベンダーの子会社であり、従業員数 20 名余りの中小企業である。 ソフトウェア開発の受注のほとんどは、直接顧客から来るのではなく、B 社の親会社か、そ の親会社の持つ別の子会社経由で来る。B 社は、その社内でプログラミングをする一方で、 8 年前に中国東北地方にプログラミングの子会社を設立し、そこでオフショア開発を行って いる。中国東北地方の子会社は、社員15 名、うち技術者 13 名である。その中には日本語 ができる技術者がいるので、B 社はこの子会社と日本語でやり取りし、その技術者を通じて 他の技術者に指示を出す。中国人のプログラマは、数年で日本語の仕様書が読めるように なる。また彼らは、日本の新人プログラマよりもはるかに高い技術を持っている。なお、 社内の技術者のうち、優秀な者が3∼4人いて、他の技術者をまとめている。 中国の人件費は日本より低いが、中国側は仕様書に書いてあることしかしないので、日
本側では、仕様書には書いていない顧客の要望を考慮して改良しなければならない。また、 中国側が仕様書の内容を勘違いしていることもあるため、日本でその製品をテストしバグ を改良するなどの作業が必要となる。つまり、中国側で8 割作らせて、あとの 2 割は日本 側で作る。よって、大幅なコストダウンになるわけではない。 子会社設立当初は、仕様書に書いてないがこんなことを分かるだろう、と思ったことが 中国側で分かっていなかった。たとえば、数字の 3 桁ごとにカンマをつけることや、数字 を右寄せにすることなどである。今でもよくけんかするが、互いに慣れてきた。こうした やり取りを通じて、日本側も中国側も、お互いの考え方をよく理解するようになった。 子会社の資本金は2000 万円余りである。会社設立の際に必要だったのは、パソコン購入、 電話、ファクス、インターネット開設であり、高額な機器導入の必要はない。 顧客の持つコンピュータ設備を中国の子会社が持っていない場合には、それと同じ設備 を中国で作るのに費用がかかるので、その仕事は日本で行う。 日本全体でのシステム開発の仕事は増えているが、単価は下がってきている。 C 社 この会社は、年間売り上げが1000 億円をはるかに超える通信関連大手企業であり、自社 製品のためのソフトウェア開発を大規模に行っている。また、自社製品以外のソフトウェ ア開発もしており、その場合、この企業が所属する企業グループからの仕事が多い。この 会社は、その社内でプログラミングをする一方で、他社に委託することもある。 オフショア開発については、外国企業と契約し仕事を委託する場合と、外国企業が設立 した日本の子会社に委託する場合とがある。現在は中国とスリランカへ発注している。以 前はインドへも発注していたが、価格的な理由でやめた(時給は、中国が1500∼1800 円、 スリランカが2000 円、インドが 3000 円程度である)。中国人エンジニアの能力は、日本と 比べてあまり変わらない。 中国とは日本語で、スリランカとは英語でやり取りする。ただし、日本語でやるといっ ても、コミュニケーションにはかなり苦労している。その上、フェイスツーフェイスでな いとうまく伝えられないことがあるので、日本人エンジニアを使ったほうが仕事をし易い。 かつてはオフショア開発を拡大していたが、数年前から会社の方針が変わり、現在は縮 小している。その理由は、技術流出を危惧していることと、自分で作っていないものを管 理できないことである。 この会社では、仕事量が増えても社員数を同率で増やすことはできないため、派遣会社 を通じてプログラマを調達することが増えている。 近年、ソフトウェア開発の仕事の単価は下がってきている。 D 社 この会社は、世界各地に拠点を持ち経営コンサルティングおよびテクノロジー・サービ
スを行う米国系多国籍企業の日本法人である。この多国籍企業は、2003 年に中国東北地方 に新たな拠点を設立した。その拠点は、D 社がオフショア開発を委託するけでなく、D 社 の顧客の経理、人事、総務等のアウトソーシングを行うBPO の機能も果たしている。 D 社と中国拠点とは、日本語あるいは英語でやり取りを行う。他国と比べた中国拠点の 強みは、日本語で対応できるため、D 社の顧客と直接会話が出来る点にある。 中国側が作ったものを D 社が作り直すことはあまりない。その理由は、この多国籍企業 は各国間で考え方を共有しており、日本側の要求を中国側がよく理解しているからである。 中国の技術者は、新技術に弱いが、基本的なコンピュータ言語の習熟度は日本を上回る。 しかし、中国人技術者の問題点としては、納品の期日が迫っても定時で帰る、自分の担当 箇所の品質は高いが他人の担当箇所やシステム全体での整合性は考慮しない、ということ が挙げられる。 オフショア開発により、システム開発費用の30∼60%削減が見込める。よって、従来よ りも低価格でサービスを顧客に提供している。 インタビューを受けた方の個人的意見であるが、日本語が出来れば中国人でも基本設計 を出来るだろう(D 社では実施していない)。 以上の聞き取り調査から、重要なことが明からとなった。第一に、オフショア開発の委 託先の企業は、日本企業の子会社か提携先かを問わず、日本語で対応し、日本語の仕様書 を理解し、そして日本企業と意思疎通を巧みに行うようになってきている。そして、外国 人技術者の技術レベルは、日本と比べて低くない。第二に、各企業は技術流出に対し不安 を持っている。C 社は、それが理由でオフショア開発を縮小している。A 社も、中国への設 計書等の流出を危惧している。第三に、4 社のうち 3 社が、ソフトウェア開発の単価が低下 していると答えている。 第一の点から、日本語や日本の文化そしてビジネス慣行といった外国企業への参入障壁 が、徐々に小さくなってきているということがわかった。これに関して、かつて日本情報 処理開発協会 (2003) は、次のように論じていた。「外国人技術者あるいは企業にとっては 日本語、あいまいな仕様書、日本の組織に特有の業務プロセス、日本文化などの日本的業 務環境が言わば非関税障壁となり、日本市場への参入が容易ではない。したがって中国へ の委託が日本のソフトウェア産業の大勢を占めるには至らないであろう」(日本情報処理開 発協会、2003、第 6 章)。しかし、中国への委託が今後日本のソフトウェア産業の大勢を占 めるかどうかは別にして、現在では、日本への参入障壁は小さくなってきているのである。 第二の技術流出の危惧に関する問題は、前節で述べたように、中国において知的財産権 保護の認識が甘いことに起因する。その一方で、中国企業は、ビジネスの過程で日本企業 から技術やノウハウの移転を受ける。裏を返せば、日本企業は、高い成果を得るために技 術移転を行って中国企業の技術を向上させる必要がある。このように、中国企業は、オフ ショア開発を繰り返すうちに、合法・非合法の様々な形での技術流出によって技術力を向
上させていくのである17。まさに、オフショア開発は、中国企業に成長するチャンスを与え ている。言い換えれば、日本企業は自分の競争相手を育てていることになる。 以上の分析から、外国の技術者が日本の技術者を代替する範囲が今後拡大していくと考 えられる。このため、日本の技術空洞化は現実のものにならないという日本情報処理開発 協会 (2003) の主張は、現時点では当てはまらないと言える。 第三の点である単価下落に関して、日立ソフトウェアエンジニアリングは、顧客からの 値引き要請により「10%程度、単価が下落する」と述べており(『日本経済新聞』2005 年 1 月 27 日)、また別な調査でも単価が低下しているという結果が得られている(情報サービ ス産業協会、2006、277 ページ)。単価下落の原因は、顧客が費用対効果など開発案件の選 別を強めていること、顧客が発注総額を下げようとしていること、IT ベンダー間の受注競 争が激しいことなど多様であるが18、オフショア開発がこれらの傾向を加速させると考えら れる。つまり、一方で、オフショア開発によって従来よりも低価格で実現する案件が増え るにつれて、顧客の低価格志向が強まる。他方で、多くのIT ベンダーがオフショア開発を 活用して価格を引き下げるので、価格競争が激しくなる。こうしたことから、オフショア 開発が現在の単価下落の一要因となっていると言える。 したがって今後、海外へのアウトソーシングが拡大することにより単価がさらに下落し ていくであろう。その結果、まさに A 社が述べていたように、多くの日本企業にとって、 ライバル企業がオフショア開発を進めているため競争上自社もそれを進めざるを得ない状 況が生じている。このため、日本企業は、技術流出によって自分の競争相手を育てるにも かかわらず、当面の利潤追求のために海外へのアウトソーシングをさらに活用せざるを得 ないのである。これは、価格競争をますます激化させることになる。 さらに、日本の情報サービス産業には巨大な下請け構造が存在しており、システム開発 の大規模プロジェクトでは6次請け業者さえも存在する。こうしたピラミッド構造の下位 に位置するソフトハウスには、高い技術を持たないが、単価が低いという理由でそのピラ ミッド構造の上位にある企業から仕事を受注しているところが少なくない。将来これらの 企業は、外国企業を相手に厳しい生存競争に直面することになろう。 技術やノウハウが流出する中で日本企業に求められるのは、より高度な技術やノウハウ を開発し続けることである。すなわち、「国際競争力強化、国内の技術空洞化を避けるため にも、高度情報通信人材の育成は必要」である(文部科学省研究振興局、2005、4 ページ)。 このため、「コスト競争の激化と中国・インドなどのアジア圏の企業の台頭によるソフトウ ェア技術空洞化」という課題に対処することを目的の一つにして、2004 年、経済産業省の 主導のもと独立行政法人情報処理推進機構内にソフトウェア・エンジニアリング・センタ ーが設立された(情報サービス産業協会、2005、49 ページ)。日本の企業および政府は、 技術やノウハウの向上のための取り組みを、今後さらに強化する必要があろう。 以上をまとめると、海外へのアウトソーシングが拡大することにより、ソフトウェア開 発の単価が下落していく。その結果、日本企業は、技術流出によって自分の競争相手を育
てるにもかかわらず、当面の利潤追求のために海外へのアウトソーシングをさらに活用せ ざるを得ない。これは、価格競争をますます激化させる。そして、高い技術を持たない中 小のソフト企業は、外国企業を相手に厳しい生存競争に直面することになる。日本から技 術やノウハウが流出し、さらに技術空洞化の可能性がある中で、日本企業はより高度な技 術やノウハウを開発し続ける必要がある。 4 日本のソフトウェア技術者にもたらす影響 前節で論じたように、海外へのアウトソーシングの拡大に伴い、外国の技術者が日本の 技術者を代替する範囲が今後拡大していくと考えられる。この問題を考える際には、日本 の企業への影響だけでなく、技術者自身に及ぼす影響も検討しなければならない。よって 以下では、IT 技術者の大量失業が発生した米国の事例を通じて、海外へのアウトソーシン グの拡大が国内の技術者にどう影響するのかについて論じてみたい。 米国では、2001 年に景気後退が起き、そして IT 産業も強い打撃を受けた。このとき IT 産業における雇用数が減少したが、これは、1990 年代後半の IT バブル期に過剰に雇用さ れた労働者が削減されたとの見方が一般的である。2003 年に IT 産業の景気回復が起こっ ても、その雇用数は伸び悩んでいる。 景気後退は、企業経営において、選択と集中が求められる傾向を強めた。このため、各 産業においてIT 関連のアウトソーシングが拡大し、IT 関連支出のうち海外へアウトソーシ ングされるものが、2000 年の 12%から 2003 年の 28%へと急速に拡大した19。それが原因 でIT 技術者が解雇されたという話は珍しくなく、失業者が政治家に圧力をかけようとする 動きさえ起きている20。このように、海外へのアウトソーシングは、IT 関連の雇用数増加 を妨げる要因となっている(小島・小島、2005、57-68 ページ)。 この問題をより詳しく検証するために、IT 産業の動向が特に顕著に表れるシリコンバレ ーに焦点を当てる。シリコンバレーでは、その失業率が2000 年の 3%から 2003 年の 8% へと上昇した。全米の失業率は同期間に4%から 6%へと上昇しているので、2003 年ご ろシリコンバレーの失業率は全米平均を急速に追い抜いたのである。その後2005 年に は、全米、シリコンバレーともに失業率が5%へと低下した。この間の平均賃金と雇用 者数の動きを見てみよう。
表3 シリコンバレーにおける各業種の平均年間賃金、2005 年度 (ドル) ソフトウェア 141,972 コンピュータ・通信のハードウェア製造業 131,941 半導体・半導体装置製造業 123,401 クリエイティブ+イノベーション・サービス* 96,966 生物医学 96,371 電子部品製造業 75,414
出所:Joint Venture Silicon Valley Network (2006), p.24. 出典:California Employment Development Department.
*R&D、技術的コンサルティング、デザインなどのアウトソーシングを引き受ける業種。 図2 シリコンバレーにおける各業種の雇用数と平均賃金の変化、2002−2005 年度 電子部品製造業 生物医学 コンピュータ・通信のハード ウェア製造業 半導体・半導体装置製造業 全体 ソフトウェア クリエイティブ+イノベーショ ン・サービス -30 -25 -20 -15 -10 -5 0 5 10 15 20 雇用数の変化 平均賃金の変化 (%)
出所:Joint Venture Silicon Valley Network (2006), Figure 1. 出典:California Employment Development Department.
シリコンバレーにおける各業種の技術者の平均賃金は、一般的な職業の平均賃金21よりも はるかに高い。表3 と図 2 からわかるように、ソフトウェア技術者の年収は特に高く、1500 万円を超えている。そして、各業種の平均賃金が上昇傾向にある一方で、クリエイティブ +イノベーション・サービス以外は雇用数が減っている。 ここで特に注目したいのは、海外へのアウトソーシングが最も進んでいると思われる 電子部品製造業やコンピュータ・通信のハードウェア製造業において、雇用数減少率が 最も大きいことである。これを裏付けるように、シリコンバレーの中心部に位置するサ ンノゼ市の経済発展局は2003 年 8 月に、「年収 4 万∼8 万ドルの技術職は、今後 5 年
で、シリコンバレーにおいて『絶滅種』になるだろう」と警告した(
The San Jose
Mercury News
, August 26, 2003)。つまり、年収 500∼1000 万円の技術者の仕事が海技術者に雇用が集中することによって、平均賃金が上昇しているのである。 このように、高所得の優秀な技術者が存在する一方で、通常の技術しか持たない技術者 は職を失うこととなる22。彼らが職を得ようとして他の業種につけば、その賃金が下がるこ とが多い。また、シリコンバレーのIT 技術者の 3 人に一人はインド人と言われるが、外国 人技術者の中には帰国した人も少なくなく、そしてグリーンカードや米国市民権を得るた めに従来の半分の賃金で働き続ける人もいる。このことは、シリコンバレーにおける技術 者間の所得格差を拡大させることとなる。米国における所得格差拡大は1970 年代末から始 まっているが(Katz and Autor, 1999)、このようなシリコンバレーの動きは、その傾向を さらに悪化させるであろう。 米国の事例を参考にして、海外へのアウトソーシングが日本のソフトウェア技術者23にも たらす影響を考えてみよう。現在の日本では、米国ほど海外へのアウトソーシングが進ん でいないが、前述のように今後拡大すると予想される。日本と米国では雇用慣行が異なる とはいえ、その拡大が日本の技術者に少なからぬ影響を及ぼすと考えられる。 日本にはシステムエンジニアおよびプログラマが計85 万人存在しており、そのうちフリ ーランスの技術者は数万人に上る。現在はシステム開発が超過需要状態であり技術者が不 足しているので、海外へのアウトソーシングは、日本におけるシステム開発の超過需要状 態を緩和するとともに、日本の情報サービス産業における人的資源配分を効率化する役割 を果たしている。 しかし、前節で確認したように、外国の技術者が日本の技術者を代替する範囲が今後拡 大していく。これにより、将来超過需要が解消されて技術者が余るとともに、人月単価が さらに低下する事態が発生するであろう。その際、日本のソフトウェア技術者には、より 複雑で難しい案件に対応できる能力が求められる。そうなると、高度な技術を持つ人であ れば、活躍の場が広がる。反面、通常の技術しか持たないなら、低い人月単価を甘受せざ るを得ない。それだけでなく、企業は技術者の雇用数を減らすとともに、一部の技術者を 営業職かコンサルティング、保守・運用などの業務へ移すことになる。日本の企業で正社 員として働く技術者であれば、その企業で働き続ける限りは、賃金が急激に下がることは 比較的起きにくいと思われる。しかし、フリーランスの技術者や、再就職をしようとする 技術者は、通常の技術しか持たないのであれば、その所得が下がることが多い。または、 ソフトウェア技術者として職を得られなかったために他の職種へ移る人も出てくるが、彼 らが新たに職探しをする際には所得が下がることが多い。こうして、技術者間の所得格差 拡大と他の職種への移行が生じるのである。 5 終わりに ポール・クルグマンが述べているように、「グローバリゼーションの進行が加速すること によって、より多くの勝者とともに、より多くの敗者が生じる。中国の工場やインドのコ ールセンターに仕事を奪われると労働者が不安に思うことは、不合理なことではない」
(Krugman, 2004)。こうしたグローバリゼーションの影響を、ソフトウェア産業は製造業以 上に受けやすい。なぜなら、大規模な設備投資や特別高度な技術は必要なく、優秀な技術 者さえいればビジネスができるため、参入障壁が低いからである。それゆえ、本文中で述 べたように、インド、中国などの企業は、先行研究が論じているような国際分業の一端を 担う役割から、米国、日本など先進国の企業の競争相手へと立場をシフトしつつある。 その具体的プロセスして、海外へのアウトソーシングが拡大することにより、ソフトウ ェア開発の単価が下落していく。そのため、日本企業は、技術流出によって自分の競争相 手を育てるにもかかわらず、当面の利潤追求のために海外へのアウトソーシングをさらに 活用せざるを得ない。こうして外国の技術者が日本の技術者を代替する範囲が今後拡大し ていくことにより、日本のソフトウェア開発の分野では、より複雑で難しい案件に対応で きる高度な能力を持つ技術者と、通常の技術を使い低い人月単価を甘受する技術者とに分 化するであろう。その結果、技術者間の所得格差拡大と他の職種への移行が生じるのであ る。 海外へのアウトソーシングは、上述のようにいくつもの問題点を抱える。しかしながら、 海外へのアウトソーシングは、IT 技術者の所得格差拡大や失業と引き換えに、国全体での 雇用拡大をもたらしたという点も看過されてはならない。米国におけるオフショアリング による大幅な経費削減は、IT や他の分野への新たな投資を生み出し、さまざまな産業が利 益を享受するという連関効果を生み出した。ある試算によれば、2003 年に、オフショアリ ングによって米国内で失われた雇用が10 万 4000 人、生まれた雇用が 19 万 4000 人である ため、9 万人の純増であった。さらに、2003 年から 2008 年までオフショアリングが年率 26%増加すれば、約 32 万人の雇用の純増が生じると予測される。こうしたオフショアリン グの間接的効果は、主に建設業、卸売業・小売業・運輸その他公益事業、教育・保健サー ビス業、プロフェッショナル・ビジネス・サービス業などにメリットを及ぼす(小島・小 島、2005、70 ページ)。ここから分かるように、海外へのアウトソーシングは、国全体の 雇用拡大に貢献する可能性もある。日本おけるこの効果を具体的に検証する必要があるが、 それは本論文のテーマを越えているので、今後の研究課題としたい。 参考文献 浅井知子 (2005)「中国ソフトウェアパークの現状と動向 −ソフトウェア市場におけるイ ンド・ベトナム・フィリピンとの比較を通じて−」『JISA 会報』10 月号。 内 田 敏 弘 (2004) 「 内 田 敏 弘 の CAREER EXPRESS 」 第 5 回 、 http://shushoku.withwes.org/2007/contents/consult/uchida/05.html。 梅澤隆 (2005a)「ロシアの情報サービス産業におけるオフショア開発の現状と課題 −モス クワの事例を中心として−」『政経論叢』(国士館大学)平成17 年第 2 号。 梅澤隆 (2005b)「中国情報サービス産業におけるオフショア開発と人的資源管理 −北京市
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1 Click and Duening (2005) は BPO をマネジメントの観点から分析している。
2 労働政策研究・研修機構、http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2004_6/america_01.htm。 3 ベトナムの FPT ソフトウェア内に開発センタを設立した日立ソフトの小倉正孝センタ長 は「プログラミングのレベルでは、日本の技術者とほとんど同じです」と述べている(梅 澤、2005c、94 ページ)。 4 「中国でのソフト開発成功法 開発現場の“常識”を細かく伝える」『日経システムプロ バイダ』2002 年 3 月 1 日号、40 ページ。 5 ITPro, http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NC/NEWS/20031024/135886/。 6 ただし、中国企業と英語でコミュニケーションをとっている日本企業もある。
7 CMM (Capability Maturity Model) は、ソフトウェア開発の成熟度を測る指標である。
レベル5 が最高。オフショアサービスを行うには、レベル 3 が最低限必要とされる。現在 は改定され、CMMI (Capability Maturity Model Integrated) となっている。
8 中国企業のなかには、顧客企業の情報の管理に細心の注意を払っているものもある(「こ こまできた!中国ソフト開発」『日経コンピュータ』2002 年 6 月 3 日号、59 ページ)。また、 近年中国は知的財産権保護の取り組みを強化しており、2004 年、政府はソフトウェア正規 化活動を強く推進するとともに、最高人民裁判所および最高人民検察院は共同で、「知的財 産権侵害刑事事件の処理に関する司法解釈」を発布した。 9 中国軟件産業協会の資料による。
10 ITPro, http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20020609/1/。 11 『週刊東洋経済』2005 年 4 月 23 日、93-5 ページ。 12 NEC は、2003 年に中国とインドに約 3000 人のソフトウェア開発要員を抱えており、3 ∼4 年でこれを 4000 人にする予定である。また NEC ソフトは、2006 年にベトナムでソフ ト開発のための子会社を設立した。 13 「オフショア開発、大型案件に浸透中 “今欲しい”技術者確保に向けて発注量は前年 度比2割増へ」『日経コンピュータ』2006 年 7 月 10 日号、18 ページ。 14 「NTT データのオフショア開発の取り組み」『ビジネスコミュニケーション』2006 年、 Vol.43, No.1、95 ページ。 15 福岡市や岡山県、神奈川県など、官民協力でインド IT 企業誘致を狙う地方自治体が増え ている(「インド、自治体の国際交流先に急浮上」『日経グローカル』2006 年 4 月 17 日号、 20-23 ページ)。また、筆者が 2006 年 6 月に中国・上海で行った聞き取り調査によれば、 日本に進出しようとする中国のIT ベンダーに対し、日本の地方自治体間で激しい誘致競争 が起きている。 16 現在大連に設立されている IBM、HP、アクセンチュア、GE の拠点は、主に日本や韓国 市場向けのソフトオフショア開発、BPO、コールセンター等の機能も備えている(金、2005、 7 ページ)。また NEC は 2006 年、顧客の情報システムを中国にある NEC の関連会社が代 行運用するアウトソーシング・サービスを始める。 17 ある日系ソフト会社の中国人社長は「中国人技術者は、日本企業のおかげで高い給与を 貰いながら技術力や業務ノウハウを習得できる」と述べている(ITPro, http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20020609/1/)。 18 「止まらぬ価格破壊」『日経コンピュータ』2005 年 6 月 27 日号、52-3 ページ。 19 Internetnews.com, March 19, 2003, http://www.internetnews.com/ent-news/article.php/2118191. 20 「IT 技術者の失業で揺れる海外アウトソーシング」『日経情報ストラテジー』2005 年 10 月号、157-9 ページ。 21 2002 年の全米において、IT 技術者の平均年間賃金は 68,330 ドル、民間企業労働者のそ れは36,520 ドルである。その動向については、IT 生産業の労働者の平均賃金は前年より低 下し、IT 関連業の労働者のそれは微増である。ただし、高度の熟練を要する一部の業種は、 高い上昇を示している(U.S. Department of Commerce, 2003, pp.23-7)。
22 こうした状況を具体的に説明する一つのエピソードがある。2003 年頃の話であるが、 シリコンバレーにある社員10 人くらいのベンチャー2 社が、いわゆる「スターエンジ ニア」と呼ばれる優れた技術者を募集しているが、なかなか雇うことが出来ない。彼ら いわく、ぴかぴかの人は引く手あまたであり、既に何度か成功している経験者はファウ ンダー並みのストックオプションでも与えなければ来てくれない。一方で、失業中の人 は山のようにいるので、採用情報を出すと莫大に応募が来てしまうが、スターエンジニ アの絶対数は限られているので、応募数が二倍になったからスターエンジニアの応募も 二倍になるわけではない。(On Off and Beyond, Sep 9, 2003,
http://www.chikawatanabe.com/blog/2003/09/silicon_valley.html.) 23 情報サービス産業協会 (2003) によると、管理職も含めた日本の IT エンジニアの平均年 収は、55 歳以上の人で 993 万円、40∼44 歳で 769 万円である(情報サービス産業協会、 2003、図表 3−41)。また、ある転職支援会社の資料によると、2006 年時点で、40 歳での 平均年収はプログラマ485 万円、システムエンジニア 636 万円、システムコンサルタント (顧客に対しIT 関連の経営戦略を立案する)816 万円である。