NII-Electronic Library Service
デ
ザ
イ
ン
は
編集
で
あ
る
To
Design
is
toEdit
図A 「B亅のか たちの箱 をもっ書 物。
「Baarkowlaksforum book art 1995.
96」「
B」は.
書 物のイニシ ャル で あ り、
「bDok」であることも 強 烈 にアビー
ル する。
鈴 木一
誌 鈴 木一
誌 デ ザ イン事 務 所SUZUKI ,
Hitoshi
Suzuki Hitoshl Design1麟情 報を公 開 する技術 デ ザイン科の学 生にデ ザインは無理 なの ではないか
。
いさ さ かセ ン セー
ショナル に このごろ の実 感を書きだ せぼこうな る。
グラフィック・
デザインが、
デジタル技 術に よっ て大き な 曲がり角に立っていることに異 論は ないだ ろう。
で は、
デジ タル技 術によっ てグラフィック・
デ ザインのなに が 曲がり角に立っ た の か。
工程が変わっ たこともあるが、
安 く て早いプロセ スが追 求され るの はい つ の時 代に もあった。
工程の変 化に よって、
即座に デザイナー
の作 家 性 が 脅 かさ れ るわ けで はない。
在 来の技 術で で き た ことが新しい技 術 で で きな くな ることは まずない。
新しい技 術は、
規 制の技術 に ブラスアルファを加 え た うえでコストダウンを は かるもの で なけ れば、
前の技術 を乗 り越 えることは できないからだ。 グラフィック・
デ ザインは、
「情報を 公開 する技 術Jという原 点 に 立 ち返るように迫 られてい るの で はない か。
グラフ ィック・
デ ザ インが情報を 公開する技 術の ひとつであるという視 点 は、
さして新しくない。 ショー
ルー
ムや博覧会の展 示パネル な どを思い浮かべ るとわ かりや すい。
しか し、
わ た した ち が 見 知っ た展 示パ ネル は、 グラフィック・
デザイン の一
分 野とし ての展示パネル というジャン ル のデ ザ インで し か な かっ たの で はない か。
グラフィック・
デ ザインは、
時に は「情 報 を公 開 す る技術」をあつかうのではな く、
二十四時 間「情報を 公開 する技 術」だとす る視 点からの見 直 しが求められている の で はないだ ろうか。
「情報を 公開する技術 」であ ることは、
グラフィックに かぎらず、
プロダクト、
インダストリアル、
テ キスタイル、
ス ペー
スな どあら ゆ るデ ザイン の分 野に要 求され ているはずだ。
デザインは、
人 間にとっ て の環境だか らだ。
アフ ォー
ダン スという考 えが 参考になる。
N
,
h
1 アフォ
ー
ダンスとは、
「環 境が動 物に提 供 する(offerg.
〉もの、
良li
へ
h
いもの であれ悪いもの であれ
、
用 意しh
h
へ
s
N
li
li
li
たり備 えたりする(priVide・r fUmig
.
he)もの である」という意味だ そうだ(吽 態 学 的視覚論
ヒトの知 覚 世界 を嫁る』∫
、
∫.
ギ ブソ ン、
古 Ill奇敬・
古崎愛子・
辻敬一
郎・
村瀬 旻 訳、
1985年、
サ イエ ン ス禰。
「環境に存在 す る事 物の 弟=
串
匿 望 O ’ 鵬燭
=
O♪
図B ドアノブの写 真を写真を表紙に した スイス の出 版社の刊行目録。
ドアノブ は.
出 版 社への 入り口 である ことや、
建 築 関 係の書 物 を 扱って い る ことをイメー
ジさせる。
『価値 』や『意 味』が直 接 的に知 覚され:
る」のだか ら、
知 覚で き るものだ け が環1
..
境といっ てもよい のだろ う。
知 覚できるも の な か に だけ情報があ る。
ア フォー
ダン ス は、
デ ザ インが人 間ば かりで はな く動物や植物、
あ るいは環 境にも応 用 範 囲 が広がっ て いくことを示 唆 している。
そ れはひ とつ の希 望で ある。
ドア のノブ は、
瞥 した だけで引 くのか押す の か が わ か らな ければ ならない はずだ。PULL
やPUSH と書い てあっても、
急い で いるときには逆に押 した り引いたりして しまっ た経験 がある だ ろう。
オー
ディオ・
ヴィジュ アル装 置の前 面パ ネルに 並 んで いるスイッチ や ボタンも、
文字の助 け を借 りずに、
ボ タンやスイッチの形 状 や 配 置によって、
どう操 作 す れ ば どの ような効 果が得られ る か一
凵瞭 然で あるべ きだろう。
物 体 と して の ドア ノブ、
スイッチ や ボタンそ れにダイアルな ど は、
環 境 として の意味を人に発信しなければな らない。
自動 車のデ ザ インも情 報 を担ってい る。
車 内のダッシュ ボー
ドは オー
ディオ装 置の 前 面パ ネル とおなじ課 題 を もっ てい るc 外 観はどうか。
見るものに、
そ れ が自動車で ある ことを認 知させ ないとな らない。
デ ザイン に斬 新さは求められ る が、
それが 自動 車であるとは わ か らないほ ど斬 新であってはなら ない。
その物体が自動 車であることが わ か らな ければ、
現 在 の社会で はやっかい だろう。
路上 に放 置されている物 体は、
単 なる妨 害 物 なの か駐車しているのか。
自動車であ ることを 知っている か ら左右に急に曲が ることが予 測で き る。
歩 行 者は直前 まで接 近に気づ か ないか もしれ ない。
自動 車であ ることが わ か るか たちで な ければか な りの人間が買 うのを や めるの で はない か。
現 在の四角い箱に ゴ ム の車輪が 四箇 所につ き運 転 手は腰 掛 けて運 転 するという基本形だ け が、
走るとい う機 能を保 証 す るもので はない はず だ。
さらに、
車 格とジャン ル、
大 型 なのか小 型なのか、
社 長が 社 用で 乗る の か、買い 物用に家庭で使 うのか、
町 中 を走るのか 山 野 を 走るのか。 そして、
製 造会社らし さやブランドといっ た膨 大 な 情 報を 公開しつ っ自動 車は走ってい る。
「デ ザインとは意味で あ 」り、
「製 品とは自分が どんな意 志 をも っ て いるのか、
私は何 者であるの か、
という重要な意味を伝デザ イン学研 究特 集 号 SPECIAL iSSUE OF JSSD Vol
.
6 No.
1 199815磁 軅 行 鰤
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3
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ペ ペペ
ペペ
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ペペ ー
ジ
ペ 図C どこ で改行 するか 語の要 素で改 行 (≒ 八イフネー
ショ ン) 字で改 行 え るのがCI
なの ではない。 ことばに置 換さ れ ろ形象を日常 生 活の隅 々に張 りめ ぐらす ことが目指さ れ てい る。 ブランドはことば な のだ。 白動車のデザインが、
ことば と無縁に おこな わ れ るとは思 えない。
コン セプ トは文 字イ匕さ れ 文 書 化 され、
途 中の過 程ではことぼに よ っ て討議が な され るだろう。
車の デ ザ イン がひとりで は できないから、
ことぼが必要な の ではない。
デザインは、
ほ か の大 量 生 産 えるもの である」と、BMW
社のデザイン・
デでレク ター
が語っ ている(『自動 車デ ザ インの語るも の』石渡 邦 和、
NHK ブックス.
1998イD。
公 開 されたものだけが意 味を発信する。
デ ザインが関与 する もの に は情報がつ いて まわ る。 あ らゆ るデ ザ インは 「 情 報 を 公開す る技術」という視 角から見 直され なけれ ば な らない。
2瀞デザインはことばに よ7 丁志 向 され る デ ザ インを、
別の角 度か ら定 義す れぼ、
「大量 生 産さ れ るも の に視覚的な秩序 を 与 える作 業」ともいえる。
「情 報を 公開 する技術」というときの 「公 開」とは、
発信者を 入 れ て ふ たり以 上の複 数の受 信 者が情 報を共有することだろう。 「大 量 生 産 」 と「公開 」は 同 じことのふたつ の側 面だ。
大 量生産は、
二部 以 上の複 製 だ ということにな る。
展 示パ ネルを ふ た たびイ メー
ジして みよう。 グラフィック・
デ ザイナー
の手になる展 示パネル には、
文字に頼らないで伝 達 しようという意気込み が感じられ る。
だが、
文 字によるコミ ュ ニ ケー
ショ ンに対 して の ビジュァル なコ ミュ ニケー
ションと いう図 式に陥 穽があっ た と思 わ れ る。
文 字に よ るコミュ ニケー
ションとビジュアル なコミュ ニ ケー
シ ョンは対 立 しているの で はない。
デザインはまずことばを伝 達 する。
ドアノブの優 秀な デザインは、
見た瞬 間に「引 く 」とい うことばを手 渡してい るのだ。
触っ て み たい、
あ るいは引き や すいといっ た要 素は、
「引 く」ということばの伝達を土台とし ている。
あらゆるデザインは「情 報を公開する技 術 」で ある と い う発 想の転 回は、
同時に「文字によるコミュ ニ ケー
ション対 ビ ジュ アルなコミュ ニ ケー
ション」という図 式からの脱 却 を う な が している。 あらゆ る情 報は、
まずことぼ なのだ。
絵 文 字 やピクトグラ ムは、
そ れ が すぐれ た出来映 えであれ ば ある ほ ど、
目撃する人 間の内 部で端 的に ことばに置 換され る。
非常口、女性 用 トイレというふうに であ る。
CI は、
定 義さ れて いない形象を あ る 組 織の名 称にいか に等号で結 びつけるか とい う運 動 だ。
か たち を見て、
企業 の名 前 を即 座に思い浮かべ る。
企業の名を形象に置き換 され るものとの差異を 求 め られ ている。
差 異は ことばであり、
差 異の体 系はことばによって保 証されて いる。
他の製品 との ちがいは、
「明 るく 」「若々 しく」といった ことばに よって、
昆 虫標 本のように意味のマ トリクス上に貼 りつ けられて いる。
ひとり で黙ってデ ザ インをする場合で も、
差異を追い 求めれ ばこ とばに包 囲され る。
デ ザインは、ことばによって思 考され実 現され る。
具現化さ れたデザインは、
志 向され たことば と同じで はない。
作者は、
実 現さ れ たデ ザ インを完 全に は ことば に置 き換え ることは で きないし、
その必 要 もない。
デザインが実現され た とたんに、 送 り手の ことば は受け 手の ことばへ と反 転せ ざるを えないか らだ。
作 品は、
制 作 者の手 元 を離 れ、
受信 者がデ ザインを 享 受 す る。
製 品 や 商 品を使い鑑賞する体験を、こ んどは受 け 手 がことばに す る。
臼動 車 雑 誌は、A
という車とB
という車の差異につ いてことば で述べる。
ユー
ザー
も、
自分の愛 車につ いてその魅 力 をこと ばで友 人に語るほ かない。
写 真は、
ことば を補強 す る。
新 聞 紙面の写真の ほ とん どが、
ことぼ をな ぞってい る。
「ス カー
トの裾を翻す春 番 」や「連 休で人 通 りが絶え たオフィス 街」といっ たぐあい で、
写 真は そ れ 以 上 で も 以下でもない。
写真は、
あ らか じめヴィジュ アル であるわ けで はない。
繰 りかえすが、A
という車の写 真は、
A
という車につ いての言 説 とイコー
ル で はない。
ことばからは み出し、ずれ るもの が あ る。
だ が、
写 真 本 来の魅 力であるそれ ら溢 れるものにつ い て考 えるな ら、
やはりことば に包囲され る こ とになる。 ある 雑 誌に掲 載されたA
車の写真に魅 力につ い て語るには、
別 の写 真 家による別のA車の写 真とをくらべ ないわ け に はいか ない。
差 異の網 日から自由に な るわ け に はいか ない。
あら ゆ るデ ザインを「情報を公 開 する技 術 」という視 角から見 直 す、情 報は ことぼであ り、
ことば は平面に定着され るときま ず文字にな る。
工弛 トリア ル・
デ ザインや ブック・
デ ザインを は じめ とするグラフィック・
デ ザインは、
文字をあつ かうことを 中 心に考える ことにおい て他の分野 のデ ザインに対して特 別 障.
NII-Electronic Library Service な位 置 を 占め る。
3
欝送り手の ことば か ら 受け手の ことばへ いつ の間にかデ ザインは、
こと ばに よ るコミュ ニ ケー
ション と 対 立 するもの として イ メー
ジ さ れてき た。
ブックデ ザインを例 に取れぼ、
文 芸書の本文 組は 無 色 透 明 な ものが よいとされ、 四十三字 詰めの行が十 七 行 か ら十 九 行の組 版が ほ とん ど を占める画一
的 な 視 角 世 界が で きあがっ た。
それと平 行 して、
装 幀へ の 異様な肩入 れ が 現象として起 き た。 本文は著者と編集 者のものであり、
装 幀 とい う書 物の外 装だけがデ ザイナー
のもの という棲み分 けが固 定 された。
し か し読者は、
書 物 丸ご とを 読み、
見るのではないか。
四.
卜 三字 詰 め 十 七 行 という組版が無 色透明 なわけではない。
少 なくとも凡 庸 な文 芸書 だ というメッセー
ジを発している。
写 真や絵が、
一
行、
一
単 語のキャプシ ョンもな く、 鑑賞にさ らされ ることはまず ない。
何の ことば もな け れば不安でたま ら ない。
せ めて作 者の姓 名 くらい知 りたい。 っ いで に、
い つ ころ どういう事 情の もとで制作さ れ たの か も知りたい。
わ た し た ちの旅行の多くが、
名 所・
旧跡 ということば をめぐるもの であることはいうま で もない。
いっ ぽうでは、
登 山の途 中で 何気 ない風 景に感 動 することがある。 これ もま た、
ことば に 包 囲されているのだろうか。
登 山という行 為そのものが、
こと ば によっ て構 築 され た身 振 りの体 系で あ るだろうし、
「何 気 な い風 景」とい うとき、
あるいは眼 前の光 と色の拡がりを「風景」 とい う単 位で捕 捉 した瞬問に、
目撃者はことばの海に足 を 浸 けて いる。
デザインをことばに よるコミュ ニケー
ションと対 立 するものとし てイメー
ジ してきたか らこそ、
デ ザインは、
感 覚とセ ン ス でか た ちを 創 造す る作 業と思われ るようになっ た。
ことぼになら ない側 面だけが強 調され た。
作者で あるデザイナー
自身 も、
ことぼにすることを恥じた。
結 果、
なに が お き た か。
批評の 不 在である。
わ たしに は、
現在のわ が国にデ ザイン の批 評 が存在しているとは思 えない。
ある文章はデザインの紹介で あ り、
ある言 説は商品 として の分 析だ し、
ある記 述は歴 史の なかで の位 置づけでしか ない。
ひ とりの人間が、
デザインを 体験す る。
い ち ど し かないその体 験 をことばに し、 そ れ で も ことばにならない感 触を さ らにことば に よって問いつ めて いく ような 文 章に出 会っ た記 憶が最 近 ない。
アイディァ として のデザインが具 現 化 され た とき、
即 座にデ ザ イン は受 け 手の ことばの渦のな か に 滑落してい く。
「 人量 生 産さ れ る ものに視覚的 な 秩 序 を与 える作 業」というときの 「視 覚 的 な 秩 序」は、
受け手のことぼに よっ てし か語 られ ない。
環 境のな かで しか「視覚的 な秩 序 」は出 現しない。
デザイン に正 解はない。
不 変で一
定の環境はないからだ。
現 実 化 されたデザ インを受 け手が どう読み とるか し か ない。
作 者が 受け 手であ ることもで きる。
具 体 的 なか たちをたずさえたデ ザインを享 受 し、
それ をい か に批 評的ことぼに置き換えるか という別の格闘が求められる。
新 聞 紙 面に掲 載さ れ る写真を 選 ぶ とす る。
新 聞というメディ ァ の性格上、
まっ たくことばに置 き換 わ らない 写 真を選ぶこ とは で きないだろう。
そ れでも、
写 真 な らではのもの、
ことば にな らないものが写っている写真を選 びたい。
ある漢字を 見つ めてい ると、
なぜこ のか たちがある意 味と音 を従 属させ ているか が わ か らな くなる一
瞬がある。
ある人物の後ろ姿 を 眺 め な が ら、
な ぜこ の人 が○ ○さん で なけ ればな ら ないの かとの疑 問にとらえ られ、
さら に は なぜ自分は自分 なのだ ろ うという謎に魅 人 られる ひとときがある ように、
写ってい る も のを宙吊りに す る力が写 真に はあるはず だ。
キャプションや 解説によって絵 画の土壌を 理解した としても、
マ チエー
ル の 濃 密さが すべ て の知 識を忘 れさせるはず だ。
ことば とた たかうため に、ことばを受け人 れ る。
ノイズの力 を 解き放つた めに、
ことばによる秩 序 を定 立させ る。
そ れ が今 必 要 とされている発 想の転換だ ろう。
体験はことば に は置 き 換えられ ないという断 念に支 えられ てい るか らこそ、
批評は 不 断の挑戦 としてあ る。
デ ザ インは、
ことばに行 き着 く.
だか らといって、
卑屈になる 必要は ない。
ことばを恐 れ ないた めに、
デ ザインはことば としデ ザ イ ン学研 究特集号 SPECIAL ISSVE OF JSSD Vol
.
6 No.
7 199S17 N工 工一
Eleotronio Library1≡1 ■≡1 騒 1ヨ圏 字詰 めの五つのモ
ー
ド て志向され、
ふ た たび 受け手の ことぼによって受 容 される現 実を見つ め ることか らはじめよう。
デ ザ インは、
ことば として志 向され、
完 成され、
ふ た た び受け 手 に よって受 容され る。
デ ザインされ た ひとつ ひとつ のものは、
環 境 としての情 報だ。
4蠡ことば と文 字の網 目 デザ イン全 般でいえば、
触 覚 や 味 覚、
嗅 覚のデザインもある か ら、
デ ザイン の定 義を「大 量生産され るもの に知覚 的 な秩 序を与え る作 業」と言い換えて おい た ほうが よいかもしれ な いが、
ことグラ フィック・
デザイン におい ては「視覚的な秩序を 与え る」として まち がいは ない 。 ことばの視覚 的 なす が た が 文 字であり、文章である。
グラフ ィック・
デ ザインは、
文 字を ど うあっ かうか を その作業の基本としてい るが、
話し言葉が置 き換えられ たもの が必 ず しも文 字ではない。
『 康 煕 字 典』に も、
どう読 むのか がわからないものや、
意 味の分か らない漢 字が多くふ くまれている。
「、 。・
◎」といっ た約 物 や 記 号の ように本 来 読みあげ られ ない ものや、
「ぐs 々 」といっ た繰 り 返 し記 号のように読 みが固 定できない ものや、
「¶ : 」の よう に文書の制 作 過 程に し か現わ れない キャラクタもある。
文 字 や 記号は、
ことばの副 次 的 な 代替物では ないが、
あ らゆ る文字と記 号は ことばに よっ て定義で き るはずであり、
そ の 意味でことぼ を志 向 している。
文字だけが単独で視覚 的に表示さ れ ることはない。
漢 字一
文字を アイキャ ッチに したポスター
にしても、
その一
文 字はタ イトルや 文 章の引 用で あ るだ ろうか ら、一
文字は 文脈のな か にあることになる。
辞典のように、
文字が単独で記 されてい るに しても、
並 び 方はルー
ルに沿っ ている。
文 字は文 章 や 語 句 を構 成 す る単 位であ るが、
字義の単純な加 算が文章 であ る わ け で は ない。
文 字につ いて語ることは文 章につ い て論 究 することと同 じで はない。
ことば と文字のあいだ に はずれ がある。
ことばと文字のあい だ のずれ を ていねい に見ていけば さらにさまざまな疑 問が わい てくる。
なにげな く使っ ている文字の な か にもさまざまな 階層が見えてくる。 字体 と字 形はどうちが うのか。
グ リフと字 形はどうちがい、
グ リフという概 念 装 置が 必要なのは な ぜ か。
フ ォ ントとは何か。
フ ォ ントとタイプフェイスはどうちが うのか。
コー
ドと外 字の関 係はどうなっ ているのか。
外 字 と異 体 字、
さらには俗 字、
誤 字は どのようにグルー
プ化さ れ るのか。
正 字、
新字、
旧 字 相 互の関 係はどん な ものか。
包 摂 するとはど んな操作なのか。
レター
とキャラクター
は どう使い分 けたら よいのか。
表 示 と表 記の差。
文字は、
書 風 をどう保存するの か.
多 くの疑 問が あ る。
デ ザ インを「情 報 を公 開 す る技 術」ととらえる限 り、
グラフ ィッ ク・
デザイン の基 本は文字だ という断定は崩れ ない。
グラ フ ィック・
デザインが、
文字を どうあつ か うか をその作 業の基 本 にす えるな らば、
これ らの疑 問の前を素通 りはで きない。
グ ラフィ ック・
デザイ ナー
の養成 をめざ す 教育が、 どのくらい文 字についての知識 を 若い人たちに伝えて いるか。
これらの問いかけは、
専門的 す ぎるというかもしれない。
あ るいは、
社会人になって から調べれ ば よいと思 わ れるか もし れ ない。 だ が 現 在、
これ らの問題 意 識 な くしては日本 語を誌 面に組む 現場が 立 ち ゆ か ない ことも事 実だ。
少なくとも、
こ うした問 題があることだ けは若い人に伝 わっていて ほしい。
5鬱 動機に よる タイポ グ ラフィ ことぼ と文 字 とのあいだ に はずれがある。
た とえば、
口 に出 して読 み あげてしま えばお な じ「ペー
ジ ネー
ショ ンを考 える 人になりたい 。」という一
文 も、
図Cのように改 行の可 能 性は 九 通 りもある。
九通 りの改行の 可能性は、
紙上で そ れぞ れ 別の イメー
ジを喚起 するはず だ。 意 味 を損 な わ ずに、
改 行 の仕 方 を考 える だけで九 種 類のち がっ た表 現ができ る。
さ らに、
書体や文字の大き さ を選べ ぼ、
「ペー
ジ ネー
ションを 考える人にな りたい。
」という一
文は、
意 味 を損 な わずに無 限 に近い表 現の可 能 性に満 ちているという予 想がつく。
「ペー
ジ ネー
シ ョ ンを考え る人にな りたい。
」という・
文の九 通 りの改行の可 能 性は、
ちがう印象を読 者に与え る。
ここに タイポグラフィの可能 性がある。
タイポ グラフィは、文字と意 味 のあい だにくさびを打 ち込む。
なぜこ のか たちの連 な りがあ る意 味 と音 を従 属さ せ ている か が わ か ら なくなる一
瞬を計 画することなのだ。
タイポグラ フィは、意 味 を現 実 化さ せる行 為だろう。
符 号を 紙面に印刷し ディスプレイ に表示し、
意味を受け手に享 受 させ る。 手書き でもよい。 だ が、
文 字 や 約 物 な どの意 味 を 盛る器とそのなかに盛られ た 意味とは、
か な らずしも.
一・
体で は ない。
すき間がある。
そ の1
鯖 たりに運 動 を起こすのが タイ ポグラフィなの で はないだろうか。
た とえば「わた し 」という文 字とそれが意 味 するもの の距離は、
タイポグラフィによって近 づ け られ たり遠 ざけられたりする。
「 わ・
た・
し」と表 記したりか す れ させ たり書体 を変えたりと、
さまざ まな方法でずれ が演 出される。
ずれ があることか ら出発するべ きだろう。「わたし」 がになっている意 味 を効 果 的に現 実 化させ ようとするな ら、
日常 的 な「わ た し 」という符 号とそ の意味の関係を 結 果 的にNII-Electronic Library Service 意 味 に よ る 改 行 の 結 果 生 ま れ た 余 自 ぺ
「
ジ
ネ
ー
シ
ョン
を
考
え
る
人
に
な
り
た
メ カ ニ ッ ク な 改 行 の 締 果 生 ま れ た 余 白 ぺ「
ジ
ネ
ーシ
ヨン
を
考
え
る
人
に
な
り
た
隗
1
7 オ ー マ ッ ト に よ っ て つ く ら れ た れ た 余 自 図G 余 自に も階眉が あ る レ す。
O
す でで
雪
流 しこ み の結果生 ま れ た 余 臼 図F ふ たつの余 臼 疑 うことに な るはずだ。
タイ ポグラ フィは、
意 味を伝え ようとする点で は創 造 的で あり、
伝達の馴 れ あいに疑 い を もっ点で は破 壊 的で ある。
タイポグ ラフィは、
文字の意 味 内容に対していつも反抗 的 な わ けで はない。
そ の文 章がもっ ている イメー
ジを 強調 することもタイポ グラフィ の大事な役 割 だ。
ことばが誌面 に定 着 され るとき、
必 ず 解 釈 が 入 る。
その解釈する ことが、
グラフィックデ ザインの役 割 なので はないか。しか し、
その役 目を ほ か の業 種の人 間に任せ てい るのが実 状では ないの か。 解 釈という動機をデ ザイ ナー
の 手元に取 り戻したい 。 「ペー
ジネー
ショ ンを 考 え る人になりたい。」という一
文の九 通 りの改 行の可 能 性を考え ることは、
デ ザインが編集ときわ めて近い作業で あ ることを示 して いる。
デザ インはことば を地盤に している。
グラフィック・
デザインは、
ことば をなんらか の面に文字 として定着する仕 事だ。 だ が、
それは文 字に従属することでは ない。
ことば と視 覚 的 な文字 のあいだに は必ず ずれ がある。
そのずれこそ が視 覚的 なコ ミュ ニケー
ショ ンの核 心でな けれ ぼな らない。 ことば と文 字のあいだのずれ に意 識 的で あることが、
グラフ ィック・
デザイナー
の資 格であ るならば、
ことば と文 字に つ い て注意 深 く観 察 す るべ きだろう。 図C
の一
番 下の行の 「字で 改 行」とはどんなとき に可能 なのか。
文 字を組む とき、一
行 の長さを決め る。
文 字が流し込まれ、
そ の行 がいっ ぱいに なると自動 的に改行さ れ る。 そのときに、
文字ご とに改行さ れ る。
自動 的に改行 されるの で、
こ の改 行 方 式 を「メカニ ッ クな改 行」と呼んでお く。
図Cの、
「字で改 行」以外の八通りの 改 行は、
意味を ともなって改 行 されて いるの で、 「意 味による 改行」と呼ぶ ことにする。
では、
意味に よる改 行はど ん な とき に おこなわ れるのか。
活字や写植の シ ステムで書 物 や雑誌をっくった 人は、
本 文 とタイトル周 りを別の 工程でつくっ たことが あ るはず だ。
本 文 は、
活字や電 算 写 植で組んで置き、
タイトル周 りは活字の清 刷や 手 動 写 植 を詰め組みした ものを写 凸 や版 下で別 途 貼 りこむ。
なぜ、
本文とタイトル周 りが、
別の 工程で進められた の か。 構 造 明 示 子という概念 を知っておきたい。
構造明 示 子という概念にっ いて『読み書きの技法』(小 河原 誠 ち くま新書、
ユ996年)の記 述にそって説 明して みよう。
書 物は、
セ ンテン ス (文 )だ け か ら構 成されているの ではない。
た とえば タイトルや 目次は、
「 脳の進化」や「自我論」のように句であり、
主語と述 語 を 兼 ね備え たセンテン ス で は ない ことが多い。
だ が、
書物に おいて「セ ンテン ス で はない もの」はきわめて重 要な 役 割 を果たして いる。
そ れ は、
書 物の構造を明示する という役割である。
タイトルはこれから読 まれる文書の主 題 をあらわ し、
目次はその本が どのような構 成になっ て いるか を明らかにしている。
見 出しも同 様 だ。
これ らの書 物に おい て構 造 を 明 示す る句を構 造 明 示 子と呼ぶ。
本文とタイ トル が別工程で進め られ た組 版の習慣は、
は から ず もセ ン テ ン スからなる本 文 とそうで ない構造 明 示 子 とを分 けて考えてきた ということだ。
こ のふ たつ の分 類は、
さまざま な作業にちがいをもた ら寅 センテン スか らな る本文に は「メ カニ ック な 改行」が、
構 造 明 示 子に は「意 味による改 行」が適 用される。
字 詰め にも関係してくる。 「メカニ ックな 改行 」に は 全 角 均 等送 りが、
「意 味による改 行」に は詰め組が親 和 性をデ ザ イン学 研究特 集号 SPECtAL tSSUE OF JSSD Vo1
.
6 No,
1 199B191詛 1≡1 騒 1≡1 図1 メディア と 字 詰め
、
余自由度の相 関図 もっ。
活字と写植に よ る組版 歴 史からその ことを学ぶ。
6靆 階層と切断 改 行は、文章を切断す るこ とである。
文書や書物に は さまざ まな 強 度の切 断がある。
改 段 や 改ペー
ジ、段 落 や章立て で ある。
「メカニ ックな改行 」と「意味に よる改行」との対立は、
波 紋 が 水 面 を伝 わるように切 断の諸階層 を横断してい く。 そ れ を図 示したのが、
図Dである。
「メ カニ ックな 改 行 」と「意味に よ る改行」に関連して、
全角均 等 送 りと詰め組 という二種 類の字 詰め の方 法が あると書い た。
し か し、
さらに仕 事に即 して見ていくならぼ、
字 詰めを五 段1
偕の モー
ドに分け ることが で き る(図E>。
「メ カニ ックな 改行」と「意 味による改 行」は、
それ ぞれ が 別の 余 白を生みだ す(図F)。
その余 白もまた階層をもっている(図G)。
書 物を、
装 幀 だけ す ればよい オブ ジェ ととらえ るので はな くことばの構 築物として とらえ、
地 図の縮 尺 を変 える ように近 づい たり遠 ざかっ たり して文字を観 察 するならぼ、
さまざ まな 切 断 面と階層 との重 な りが見 えてくる。
同じ文字の連なりに も、
セ ン テ ン スとそう でないもの の役 割のちがいも眼前に現 われ てくる。 改行や 改 段、
改ペー
ジ な どの切断の方 法によって、
余 自の 演 出の され か た が変 化する。
作 業の過程でどのく らい余 自を自中に牛みだせ る かを、
余 自 自由 度は び、
余 白自由度の大 小と、
「メ カニ ックな改 行」と「意 味による改 行」をタテ軸ヨ コ軸に置いて み る と、
グラ フ ィック・
デザインがあつ かうさまざ まなメディアが、
そ の座標に配置され る(図H)。
さ らに、
その余 白自由 度の図H
は、
さきほ どの字 詰 めの五 段 階のモー
ドの 図E
と重 ね ることができる(図1)。
「 メカニ ックな改 行」は、一
行 がい っぱい になれば 自 動 的に次の行へ とあ らた められ る。
だが、
行 末に 「、 。……
」や かっ こ類、
ルビ な ど が きた ら どうす るのか。
「 メカニ ックな 改 行」を維 持 するため に 組 版ルー
ルが存在す る。
「メ カニ ックな改 行 」に見せ るた め に は人の意 志が必要な の だ。
組版ルー
ル は 不変ではない。
テキストに ふ さわ しい組 版ルー
ルと 禁則処 琿がある はずだ。
組 版ルー
ルの適 用は タイ ポグラフィ でもある。 テキストに ふ さわしい文宇と組 版のた たずまいを考え ることは、
広い意 味で の編集 作 業 だ。
デ ザインは編 集でなくて はな らない。
日本 製の製 品 を買っ てくる。
マ ニュ アルや 取 扱 説 明 書の組版 は もち ろ ん ひ どい。
製舶 に貼ってあるシー
ルや 背 面の注 意 書 きが さらに見 苦 しい。
ファミリー
という概念を尊 重して文 字が配 置 されているものはまず な い。
アルファ ベットと数 字だ け な らま だ ご まか しが き くが、
凵本 語が入 ると見 られたもの ではない。
「メ カニ ック な改 行 」と「意味に よる改行」に意識 的 な 文字組 はまず ないだ ろう。 アルファベ ットと数字だけ でも、た とえ ば 英米語組版の バ イブル といわ れ る略 称『シカゴ・
マニ ュアル』(Th
・
enicag・ Manu.
a!・f Style>の水準で見 直した ら、合格す るものは ほ とん どないはずだ
、
ど んなに製 品のか たちがよくても、 文字組が見るに耐え ないな らその製品の価 値は下がるだろ う。
文 字 組の晶 質の低さを 許 容 するな ら、
ふ た たび、
文字 によるコミュ ニ ケー
ション対ビ ジュ アル なコ ミュ ニ ケー
ション とい う図式に陥ることに な る。
「家 電 」とよばれ る商品 群の魅 力が薄 れたのは、
製 品 中の文 字 組のず さん さにも一
因が あ るの で は ないか。
デ ザ インされたものが受け手に発 する意 味を、
「情 報を 公開 す る技術」という観点から見 直したい。
文字をどうあつかうか の原 点に立 ち返ることが、 ちゃらちゃらしたデ ザインの代表 だ と思われて いるグラフィック・
デ ザ インを賦 活 させ るただひ とつ の道で あ ると思う。
そ れ が成功するなら、
グラフィック・
デ ザ インはことば を具 現 化させ ることに おいて、 デ ザイン全体を リー
ドでき るだ ろう。
20SPECIAL ISSUE OF JSSD VoL