認知症予防を目的とした運動の効果 341 認知症予防の重要性 我が国の人口構造は,今後数十年の間に,高齢者数の急増と 生産人口の減少によって大きな変化を迎える。団塊世代が 75 歳以上となる 2025 年には 4 人に 1 人が高齢者と推定され,特 に都市部における後期高齢者の急増が大きな問題となる。加齢 に伴って認知症の有病率は向上するため(図 1),今後の認知 症対策はさらに重要性を増してくる。特にアジアは今後急速に 高齢者人口が増加するため,認知症予防に対する緊急の対策が 必要となっている。平成 26 年 11 月に,前年行われた G8 認知 症サミットの後継イベントとして,日本で「新たな認知症ケア と予防のモデル」をテーマとした会合が開かれ,認知症は予防 可能であり,そのための戦略を科学的に証明する必要があるこ とが強調された。 認知症の関連因子 認知症を予防するためには,危険因子と保護因子を明らかに して,個人の状態に沿った対応が求められる。認知症の保護因 子には,高等教育,服薬管理,健康的な食事や運動,活動的な ライフスタイルの確立が挙げられる(図 2)。特にアルツハイ マー病の発症と強く関連する因子として,運動不足が挙げられ ており,運動習慣の獲得は認知症予防の面からも重要であるこ とが示唆されている(図 3)1)。運動がアルツハイマー病予防 に有効であるメカニズムはいくつかの仮説が存在し,心血管系 のメカニズム,神経栄養因子,脳機能や構造の変化などが明ら かにされてきた2)。近年では,人においても運動の実施により 脳容量の増大が確認されており3),運動によって過剰分泌す る脳由来神経栄養因子(brain-derived neurotrophic factor: BDNF)と脳容量との関連が明らかにされ,認知症予防のため の運動療法の重要性が認識されるようになった(図 4)4)。 認知症予防のターゲット 我々は,地域において認知症予防を達成するための枠組みづ くりを研究してきたが,その中で 1)早期に自己の状態を正し く認識し,2)活動的なライフスタイルを構築することが重要 であると考えている。アルツハイマー病では,徐々に脳の萎縮 が進行し,記憶等の認知機能が低下しはじめ,日常生活に支障 をきたすまでに悪化して認知症と診断される。認知症ではない が,同年代の人と比較して認知機能が低下した状態を軽度認知 障害(mild cognitive impairment:以下,MCI)と呼ぶ。現在, 日本の認知症患者は約 460 万人(全高齢者の 15%),MCI の状 態の高齢者は 400 万人(全高齢者の 13.5%)いると推定されて おり,MCI の状態から認知症に移行することを防ぐ戦略を考 理学療法学 第 42 巻第 4 号 341 ∼ 342 頁(2015 年)
認知症予防を目的とした運動の効果
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島 田 裕 之
**大会テーマ
*Eff ects of Exercise for Preventing Dementia **
国立長寿医療研究センター
(〒 474‒8511 愛知県大府市森岡町源吾 35)
Hiroyuki Shimada, PT, PhD: National Institute for Geriatrics and Gerontology
キーワード:予防,認知機能,高齢者
図 1 年代別にみた認知症有病率
図 2 認知症の危険因子と保護因子
Japanese Physical Therapy Association
理学療法学 第 42 巻第 4 号 342 えなければならない。なぜなら,MCI は認知症に移行する可 能性が高い反面,正常に回復する可能性を有しており,集中し た取り組みによって認知症を予防,あるいは遅延することがで きるかもしれない(図 5)。 MCI 高齢者に対する運動の効果 MCI 高齢者に対する運動の効果を検証したランダム化比較 試験がいくつか実施され,限定的ではあるが認知機能に対する 効果を認めている。たとえば,ワシントン大学において実施さ れた試験では,33 名の MCI を有する成人(55 ∼ 85 歳)を対 象として有酸素運動の効果を検証した結果,多様な実行機能検 査において有酸素運動群がストレッチ群と比較して有意な認知 機能向上効果を示した5)。我々の研究グループは,MCI 高齢 者 308 名を対象として,有酸素運動,筋力トレーニング,記憶 と思考を賦活しながらの運動課題といった複合的なプログラム を 10 ヵ月間実施した。その結果,全般的な認知機能の低下抑 制,記憶力の向上や,脳萎縮の進行抑制効果が運動によって認 められ,運動による認知症予防の可能性を明らかにした。 今後の課題 認知症を予防するために,運動習慣の獲得は有効である可能 性が多くの研究によって示唆されている。ただし,現段階にお いては運動が MCI 高齢者の認知機能に対して真に効果的かど うかは明確ではなく6),認知症の発症遅延を証明した根拠は存 在しないため,過剰な期待はすべきでない。しかし,運動の実 施は認知症予防だけではなく,多彩な疾病の抑制効果,体力の 保持,ストレス解消等の効果があるため,高齢期の健康保持の ために推奨できる。認知症にならず健康で高齢期を過ごすため には,毎日少しずつでも運動することが重要であろう。しかし, 積極的に運動することを避けている人や,適切に運動を実施で きていない人も多く存在する。今後は,地域の運動施設,運動 の指導者,および地域住民と行政とが協力体制を築いて,多く の高齢者が運動を実施することが可能な環境を創ることが必要 となる。また,個人の興味に合うように多彩なプログラムを用 意することが,健康サービス提供者にとっての課題であろう。 文 献
1) Barnes DE, Yaff e K: The projected eff ect of risk factor reduction on Alzheimer’s disease prevalence. Lancet Neurol. 2011; 10: 819‒ 828.
2) Kirk-Sanchez NJ, McGough EL: Physical exercise and cognitive performance in the elderly: current perspectives. Clin Interv Aging. 2014; 9: 51‒62.
3) Erickson KI, Voss MW, et al.: Exercise training increases size of hippocampus and improves memory. Proc Natl Acad Sci U S A. 2011; 108: 3017‒3022.
4) Shimada H, Makizako H, et al.: A large, cross-sectional observational study of serum BDNF, cognitive function, and mild cognitive impairment in the elderly. Front Aging Neurosci. 2014; 6: 69.
5) Baker LD, Frank LL, et al.: Eff ects of aerobic exercise on mild cognitive impairment: a controlled trial. Arch Neurol. 2010; 67: 71‒79.
6) Gates N, Fiatarone Singh MA, et al.: The effect of exercise training on cognitive function in older adults with mild cognitive impairment: a meta-analysis of randomized controlled trials. Am J Geriatr Psychiatry. 2013; 21: 1086‒1097.
図 3 アルツハイマー病の危険因子の影響度
図 5 MCI 高齢者の認知症の移行リスクと正常への回復
aMCI single:健忘型 MCI(単一の機能低下),naMCI single: 非健忘型 MCI(単一の機能低下),aMCI multiple:健忘型 MCI(複数の機能低下),naMCI multiple:非健忘型 MCI(複 数の機能低下) 70 ∼ 90 歳の高齢者を対象(n=437)に 2 年間の追跡調査によ る認知症移行率と正常な認知機能への回復率を示した.aMCI は認知症への移行率が高く,naMCI でも複数の機能が低下す ると移行率は高まる.一方,単一の機能低下であれば正常に 回復する率が高い. 図 4 BDNF と脳萎縮 海馬周囲の脳容量と血清 BDNF とは有意な相関関係を示し, BDNF が低い対象者では萎縮状態が大きかった(左図).右の MRI は,上段が BDNF の低下していない対象者の脳,下段は BDNF が低下した対象者の脳萎縮状態の例を示した.BDNF の低下した下段の対象者では海馬周囲の萎縮が認められる.
Japanese Physical Therapy Association