Japanese Physical Therapy Association
Japanese Physioal Therapy Assooiation理 学 療 法 学 第41巻 第2 号 ll2
〜
125頁 (2014年 〉『
特
別
寄稿
』
日
本
に
お け
る
理
学
療法半
世
紀
の
歩
み
と
未
来
*果
て し な
く夢
を追
い,
今
に
生
き
て
未来
を
読
め
奈 良
勲
1
)2
)3
〕は じ め に
日 本 に 理
学 療 法
十 が 誕 生 し たの は,
「
理学 療 法
士及
び 作 業療
法 上 法 」 〔法律
137
)
が制 定
さ れ た1965
(
昭 和
40
) 年
と す れ ば,
半 世 紀 が 経 過 し たこ とになる。
そ して 翌年
の1966
年
に第
1
回
理学 療 法
士・
作 業 療 法
十国 家 試
験 が 実 施 さ れ た、
その年
の7
月
17
円〈
理学 療 法
の 日 ; 理 学療
法 週 間〉
に は 国 家 試 験に合格
さ れ た183
人のう
ちllO
人の有志
(学 卒 者
は15
人 )
に よっ て 日本 理 学 療
法
士協 会 (
以下
,
本 会 )
が創
立さ
れ た。図
1
は,
本 会創
立 時の総 会で 田 口順子 氏
が経 緯
を説
明さ れ てい る場 而で あ る。
以 来
,
本 会 は 凵本
に お け る 埋学 療 法
に関連
し た諸
々 の 発 展に資
す る た めに活 動 してき た、
、
現 在では,
会員
数が10
万 人 を 超 え る 大 き な 組織
に な り,
社 会 的
にも学 術 的
にも
,
その存 在 価
値 が 徐々に 国民
に認
知 さ れ,
かつ国 民
の保 健
・
医療
・
福
祉 領 域において重 要 な役 割
を 担 う専
門 職の ひ とつ に 至っ ているこ と は,
これま
で.
囗本
の理 学
療 法 (学 )の 進 化 に か か わっ て き た 理学療 法
i
;は も と より
.
関係 各 位
の協 力
,
支 援によ る もの であると確 信
する、
筆 者は
1964
(昭 和39
)年
鹿 児島
大学
教育 学 部 保 健 体
育 学 科 を卒 業
し た後
,
東 京
の本 郷高
校 で1
年
6
か 月 間 教員 を務
め た。
し か し,
口本
で立
ち 遅 れてい た 理 学療
法・
リハ ビリテー
シ ョ ンを学
ぶ た め に1967
〔昭 和
42
>年
に渡
米 し.
Loma
Linda
大 学 で 理学 療 法 学
を専 攻
し た。
当
時
のH
本
の大 学で は 入 学後
の1 年 6
か 月 は一
般 教養 科
目(最 近 で は 共 通 教
育 科
目 ) を履 修
し,
必要 科
目 と単 位
を修 得
し な け れ ば.
専 門 課 程 に 進 め ない制 度 に なっ てい 図1 本 会 創 立総 会 た.
Loma
Linda
大 学
で は鹿 児 島大 学
で修 得
し た一
般 教
養 科 目
の単位
を ほ とん ど認 定
してく
れ たの で,
専 門 課
程
か ら の 入学
が 冂∫能
とな
っ た。卒 業 後
に はLos
Angeles
で1
年
6
か 月
ほど臨 床
に携
わった
、、
ア メリカ滞 在
は合 計
5
年 間
であ
っ た が,
29
歳
の1971
年
に帰 国
し,
その年
か ら本 会
の会 員
になっ てい る。
その
後
,
19
ア3〜
1988
年
の16
年 間
は理 事
,
1989
〜
2003
年
の14
年 間
は会
長 を務
め た。
その後
,
現 在
に至 る まで 本 会の相 談 役 を 務 めて い る。
その よ う な経 緯
か ら,
本論
では,
『
日本
におけ
る 理学 療 法
剛
卜世紀
の歩
み と未 来 』
に関
連 して,
筆 者
の個
人 お よ び 理学 療 法
上 と して の公 私
にわ たる体
験・
思索
・
実践
な どにつ い て与
え ら れ た紙 面
の範 囲
で記 述
し た。
本 論
が未 来
の理 学 療 法
の構 築
に役
立 てば幸
い であ る。
S匸eps ofJapanese Physical Thcrapy in 50 Years a【ユd Its Future
D 金城大掌 医療 健 康 科 学部
1〒921
−
8511 石 川 県广1[「1[11
笠 間 町 1200〕Isao Nara
.
PT,
PhD:Kinjo t.
nixlersity2} 公 並法人 日 本 理 学 療法十協会 相 談役
Japanese
Physical Therapy Association3’ 広島大学 名 誉教 授 Hiroshima University キ
ー
ワー
ド:日本の埋学 療 法,
十 世 紀,
未 来青 春 時 代
の
エネ
ルギ
ー
と
進 路 選 択
1
.
棒 高 跳 びに熱 中 し保
健体 育
教 員 を志 向
し た 時 代筆 者
は,
前 記
し た よう
に,
鹿児 島
大学 教 育 学 部
で保 健
体 育
を学
び,
競 技スポー
ツと し て は,
高 校 時代
か ら は じ め た 棒 高 跳 び を 続 け た。
保 健 体 育
の教師
に な れ ば,
好
きH
本 に お け る 理 学療 法L
卜世紀の歩み と未来113
図2
青春 時 代 を棒 高 跳びに傾 注 (背 景は桜 島) なス ポー
ツに関与
しな
が ら飯 が食
える職 業
の ひとつ であり
,
かつ実 践 学
である こ と が その理 由であっ た。
当 時の棒 高 跳
びで使 用 す
るポー
ルはスチー
ル製
であっ た が.
初期
に は物 干
しさお にも使 用
さ れ る陰 干
し さ れ た真 竹
が使
わ れ て おり
,
ス ポー
ツ店
で販売
さ れてい た。
弾 力 性のあ る グ ラス ファ イバー
〔
ア メリ カ製
) が使
川 さ れ は じ め た の は1966
(
昭和
41
)年
の東 京
オ リ ンピック の 数年
前
で あっ た。
筆 者 も東 京
オ リ ンピッ ク出場
をひそ かに狙っ て い た が,
ス チー
ルとグ ラ ス フ ァ イバー
との記 録
の格
差 が 大 きか っ た ことも あ り
,
ス チー
ル製
を 用いてい た筆
者に それ は実 現
し な かっ た,
t そ れ と は 別に,
M
時の着 地 は 砂場
であ
っ たことや ポー
ルが跳 躍 中
に 折 れて落 下 す るこ と などもあ り
,
腰 痛
症 をかか え な が ら も青 春
を棒 高
跳 び に注
いでき
た(
ち なみ に,
女チ 棒
高 跳 び が 正 式 競 技 種 凵 にな
った
の は1955
(
昭 和
30
)年 頃
で現 在
の世 界記 録
保 持 者は ロ シ アの イ シ ンバエ ワ である)
。
当
時 はスポー
ツ損傷
の治療
は外 科
,
整 形外 科
も し く は 医 療 類 似 行 為 業 と し て鍼 灸
・
マ ッ サー
ジ・
柔
道 整復
であ り,
現 在の よ う に 理学 療 法
を含
めスポー
ッ損 傷の予防
と治 療
に特 化
し た専
門 職 は 存 在 して いな かっ た。
筆 者
は一
度
整 形外 科
医の 診察
を受
け,
腰椎
の単 純
X
線 検
査の結 果
,
腰椎
のヘ ル ニ ァ と診 断
さ れ,
棒 高跳 び を
止 めるよ うに勧 告 さ れ た。
だ が,
筆 者 に はヘ ルニ アにつ い て の医学
的 知 識 も な かっ た た め か,
深 刻 に感
じ るこ と も な く鹿 児島
大 学 卒 業 まで棒 高
跳 びを続
け た(
図2
).後 日
,
腰 痛 を か か え な が ら なぜ こ こまで棒高
跳び に傾 注 し て き たの か を 振 り返 る と,
陸F.
‘P
水泳
競技
な ど は,
選手
の能力
が 記録
と して 客観
的 に 現 れ る もので あ り,
自
己の競 技 能 力 評 価 が 順位
に関係
な く 認 知で きるか らであ ろう
。
つ ま り,
あ る 大会
で優 勝 す
る と か予 選 落
ち しても
自 己の 能 力 が 明確
に 示 さ れ るこ と が,
他の多 くの スポー
ツ競 技
と 異 な る特 徴
で あ る。
筆 者 も
優 勝 や 予 選落
ち を体
験 し た が.
自 己新 記 録
を 出 せ た時
が もっ と も満
足で き た。
こ れ は.
自
己の限界
へ の挑
戦 だっ たのだ ろ う。
この体
験 が留 学 中
や仕 事
な どで放 棄
し たく
なる課
題 を 克服
する際
の糧
にな
っ てい る の で はな
いか と感
じ たこと があ
る。 だ とす
れ ば,
今
では腰 椎
の椎 間板
が磨 耗 化
して し まっ てい る こ とへ の心 理 的 合 理化
か も 知 れ ない が,
人 生の 草創
期
において,
対 象
が な んであ
れ,
己の青 春 時 代
の エ ネル ギー
を傾 注
で き る事 柄
を 見 出 すこ との意味
は,
その後 の人 生のいか なる時 期
におい て も有
益になる と 思 え る。
よっ て,
理 学 療 法 を志 向 し
てい る学
生 やす
で に若
い世代
の理 学 療 法
一
L
とし
て活 躍 し
てい る方
々 に期 待
し たい こと は,
理 学療 法
につ い て はも
とより己
がエ ネル ギー
を傾 注
でき
る事 柄 を見 出
して究
め る こ とは,
ひ とり
の「
味
わい深
い人 間
理学 療 法 士 」
とし
て成 熟 す
る糧
にな
るだろう
cその た め に は
.
人 間の特 性
であ
る,
ホ モ・
サ ピエ ン ス〔
理性
の 人)
.
ホモ・
フ ァー
ブル(
創 造
の人 )
,
ホモ・
ルー
デ ン ス(
遊戯
の 人)
など
の要 素 を最 大 限 活 性 化
して,
ひ と りの 人 間 理 学 療 法 士 と し ての可 能 性 と能力
とを発 揮 す
る こ と が 使命
で あ り,
自
己責 任
でも
あ ると
いえ
る。2.
な ぜ,
理 学 療 法 (学 ) に進
路変
更 した の か筆
者
は.
前記
し た よう
に進路 選択
とし
て高 校
の保 健 体
育
の教
員を選
び,
その仕 事
に は興 味 もあ り
1
年
6
か月 間
楽 し く勤 務 し た。
で は,
なぜ,
理学療 法 (
学 )
に進 路 変
更 し たのだ ろう
か ?その
背 景
の ひと
つ は,
筆 者 自身
が棒 高 跳
びで腰 椎 椎 間
板 を 傷め,
スポー
ツ損 傷
に関心
をも
つ よう
になっ たこ とも
あ る。
しか し,
最 大
の理 山
は.
鹿 児 島 大 学
生時 代
の教
育 実
習の時
に,
自力
で歩 行 可 能 な 肢 体 不 自由 児
の中学
生 ク ラスで彼
・
彼 女
ら に接 す
る機 会
があっ たことで ある。
筆
者
に は な に が起
因 し て肢 体 不 自由
にな
っ たのか を知
る余
地も
な かっ た が,
素 人 な り
に彼
・
彼 女
らの動 き
や歩 行
を 観 察 して いて,
それ相応
に ス ポー
ツも遂 行
で きると感
じ,
探 索
して み ると,
矯
正体 育
が存 在 す
ること が わ かっ た。し
かし
,
そ
の専攻 分 野
は 日本
の大学
に設 置
さ れてお らず
,
ア メ リ カ の 大学
に行
かない と 勉強
で き ない こと も わ かっ た、
、
囗
本
は太 平 洋 戦 争
で ア メ リ カ に敗 戦 (
1945
(
昭 和
20
)
年 )
した国である。
筆 者
の 父も兵
上 とし て参 戦
した が 生 還 し た、
,
敗 戦
の時
に筆 者
は3
歳
で,
ア メ リ カ のB29
爆
撃 機
が一
ヒ空 を飛 来 し
てく
る と,
空襲 警 報
が響 き
,
その度
に防
空壕
に避難
し た体
験がある。
だが,
その後
,
映 画やJapanese Physical Therapy Association
Japanese Physioal Therapy Assooiation114 理 学療法学 第
41
巻第2
号限 ら
れ た情 報
で知
るアメ リカ の実 態
に は興
味
を惹
か れ る事 柄
が多 く
,
矯 正 体 育 を
ア メ リ カ で勉
強 し て み たい と夢
を 抱
い てい た。
その過程
で「
理学
療 法
・
リハ ビリテー
シ ョ ン」
という
分 野 がア メリカに はあ
る と聞
き,
そ れに つ い ても
さ ら に知
りたい と感
じ てい た。
さ て
.
筆 者
が東 京
の高 校
で勤 務
し たい と 思っ たのは,
近年
のIT
時 代
と は異
なり
,
国 内外
の情 報
は東 京
に集 中
し ていた た め,
留 学
に関 す
るア メ リ カの大学
の情 報
も 入手
し やす
いと考 え
た か らであ る。
東京
滞
在
中,
時 間
を割
いて都 内
のおも
な病 院
t小 児 施 設
,
国
立身 障 者
セン ター
な ど を見 学
さ せて も らっ た。当 時
は 理学 療 法 従 事 者 (
医
療
類似
行為 者)
が勤 務
さ れてい た が,
筆 者
は本 来
の理学
療 法 (
士)
の存 在 す
ら知
らな
かっ た時
であ
る。書 店
に出
かけ
ても
,
矯
正体 育
,
理学療 法
・
リ
ハ ビリ
テー
シ ョ ン に関 す
る書 籍
は皆 無
であ
っ た。筆 者
は1963
(
昭 和
38
) 年
に設 立 され
た国 立 療 養 所 東
京 病 院 附属 リ
ハ ビリ
テー
ショ ン学 院 (
東 京都 清 瀬 市
:通
称
;清 瀬 ) も訪 問
し た。学 科
は理学 療 法
と作 業 療 法
であ
っ たが
,
双 方
の専 門 科 目
の授 業 担 当 者
は海外
から招 聘
され た教 員
のみ であ
った
。まだ
,
日本
に は理 学療 法 士
・
作 業療 法
士 が存 在
し ていな かっ た か ら で あ る。
当
然とは いえ
,
双 方
の専
門科
目 の授 業
は英 語
で行
わ れ,
教 材 も英
文
で書
か れ たも
の であっ た。
な おt草創 期
の理学
療
法 学
教 育施
設(
九 州 リハ ビリ テー
ショ ン大 学 校t
高 知 リハ ビ リ テー
ショ ン学 院
,
都 立 府 中
リハ ビ リ テー
ショ ン学 院
な ど)
でも外 国 人教 員 を採 用 し
ていた時 期 が あ
る。清 瀬
の リハ ビ リ テー
シ ョ ン学 院 を訪 問
して,
ア メリカ に おけ
る理 学 療 法
・
作 業 療 法
・
リハ ビ リ テー
シ ョ ン の実
情 を聴 く
と,
これ ら
の予 備 知 識
の希 薄 な筆 者
に とっ て想
像 を超 え
るほ どの発 展 を遂 げ
てい ることを感
じ た。
そこ で.
筆 者
は 理学療 法
が 己の描
い てき
た矯 正 体 育
に近
いと
思 え
た ため理 学 療 法 (
学 ) を志 向 す
ることを決 意 し
た。3.
留 学 実 現 ま
で の経 緯
と卒 業
・
資格 試験 ま
で の難 関
筆 者
はア メリ
カで の留 学 を決 意 し
た が,
そ
れ を可 能
にす
る幾
らか の前 提 条 件
をク リ アす
る必 要
があ
っ た。先
立 つも
のと し
ての留 学 経 費
,
英 語 能 力
t
入 学 を許 可 し
てく
れ る大 学
の選 択 な ど
が おも な事 項 だ
った
。当時
の1
ド
ル は360
円であ り,
相 当
な経 費 を親
に頼
る ことは でき な
い こと を認 識
し てい た。幸
いt
これ につ いて は筆 者
が キ リ スト教 徒
であ
っ たこ とか ら
,
東 京
で出会
っ たア メリカ の宣 教 師
が,
その経 費 を本 部 教 団
か ら捻 出
してい た だく
こと
にな
った
。実 は
,
筆 者 が 鹿 児 島大 学 生
の時
に神
の存 在
の有 無
にも
関 心 を 抱 き,
別の アメ リカ の宣 教 師
が夕 刻
に開
いて い た無 料
の英語
に よ るバ イ ブル ク ラスに毎 週
1
回
,
4
年 間
通っ ていたこ と か ら,
キ リス ト教 を介 し
た宗 教 観
と最 低
限 度の英 会 話ス キルを 習得
してい た ことが,
留 学 実 現
の 可能
性
に繋
がっ た と思
え る。アメ リ カの
大 学 入 学
や就 職
に際
して,
推 薦 状
を添 付 す
る こ と は 重要
な条 件
であ
る。
筆 者
の場 合
,
Loma
Linda
大 学
で作 業 療 法 学
を専 攻
さ れ,
卒 業 後
に東 京 衛
生病 院
で勤 務
さ れて いた元
日本 作 業 療 法
士協 会 長
の矢 谷 令 子 氏
に推 薦
状 を書
い て いた だい たこ と も,
Loma
Linda
大 学
へ の入 学 許 可
を得
た大 きな要 因
のひ とつ であ
っ た といえ
る。
筆 者
が本 郷 高 校
を年 度 途 中
で辞
め たのは,
ア メリ カ の新 学 期
は9
月 開始
のた めであっ た。
渡 米 手 段
は貨 物 船
で の旅
で横 浜 か ら
シアト
ルま
で2
週
間
を要
し た。渡 航 費
は東 京
に組 織
があ
っ たア メリ
カ婦 人
会
の英 語 面 接
を受 け
,
そ
れに合 格
して得
た。飛 行 機
でも
船
でも
よ い との こと だっ たが
,
ゆっ たり
とし
た旅 も体 験
し
た かっ たの で船 旅 を選 択 し
た とこ ろ,
2
段
ベ ッドも設
備
され てい る貨 物 船
だっ た。 しか し,
上記
の婦 人 会
か ら渡 航 費 を得 た
5
人
の留 学 生 も
一
緒 だ
った
の で楽
しい船 旅
にな
っ た。 ともか く
,
シアト
ルに着 き
ロサ
ンゼル ス でホ ス トフ ァ ミリー
宅
に滞 在
した後
,
そこか らメキシコ国境
方 面
に約
100
キロ の距 離
に所 在 す
るLoma
Linda
大 学
に到 着
し,
入 学 式 も な く簡 単 な
オ リエ ンテー
シ ョ ンだ け
で 授業
が は じ まっ た。
ところ が,
専
門 用語
につ い ては な にも知
識 が ない ので,
授 業
に は な か な かつ い て ゆ けず
,
卒
業
は不
可能
と感
じた が,
クラ ス メー
トや周
囲の方
々 の支
援 を 受 け て,
なん とか 学 士 を 取 得 し,
日本 人と して は じ め て 理学 療 法 士 資 格 試 験
に合 格
でき
たこと
は,
今
でも信
じ ら
れな
い ことであ
る。火 事 場
の馬 鹿 力
と か奇 跡 的 現 象
とか は人
生の過 程
で起
こりう
る ことがあ
る ら しいが,
筆
者
の場 合
,
己
の能 力 も顧
みず な
んと
かな
る だ ろう
との賭
け
だっ た に違
いな
い。筆 者
の理学 療 法 士 免 許
は,
カリフ ォ ルニ ア州
で取 得
し たも
のであ
る が,
自動 車
の運 転 免 許 と 同様
日本
で はそ
れを国 際 免 許 (
登 録 番 号 外
1
号 )
とし
て認
め られ たのは幸
い であ
っ た。も
し日本
で国 家 試 験
を受 験 す
る必要 性
があ
っ た とし
た ら日本 語
の専 門用 語
を勉 強
し ない と合 格
でき な
かっ た と思
え る。日
本
に
お け る理 学 療 法 半 世 紀
の
歩 み
こ こ
ま
で,
私 的 な背 景
につ い て記 述
してき た。 そ れ は,
筆 者
が本 会
を含
め 日本
の理学 療 法 界
に自
ず
と深
く か か わ る ことにな
っ た過 程
を理 解
してい た だく
のに,
欠
か せ な い と感
じ た か らであ
る。
さて
,
半 世 紀
の本 会
・
理学
療法
界
の歩
みを
コ ンパ ク ト に記 述 す
るのは たいへ ん難
しい が,
「
職能
・
社 会
→ △」
,
「
学 術
・
教 育
→● 」
,
「
理学
療法 学
教 育
の変 遷
→■ 」
の3
項
目につ い て便
宜
上,
三段
跳び
の ホップ
・
ステ ッ プ・
ジャ ンプの3
段 階
に分 け
て おも
な事
項
につ い て年代 順
に記
述す
る。
日本にお ける理学 療 法 半世 紀の歩み と未 来
115
ホップ 段 階(
1966〜 1983
年 )
「
は じ め に」
の項
で触
れ た よう
に,
本
会
は110
人の有
志
に よっ て創
立さ
れ た。当 初
は 理学 療 法 学 教 育 施 設
の卒
業
生
は通 称
;清 瀬
のみであ り
,
会 員
の大 多 数
は「
特 例 措
置 」
に基
づき
,
理 学 療 法 従 事 者
とし
て最 低
5
年 以
上の実
務 経 験 が あ り
.
300
時 間
の講 習 会
を受 講
し た方
々に国家
試 験 受 験 資 格
が与 え
ら れ た。 こ の措 置
は1974
年
で終 了
し た。筆 者 が 帰 国 し
た時
には,
本 会
が創
立 さ れて5
年
が経 過 し
ていた た め,
そ
の間
の本 会
の様 子
は実 体 験
し てい ない が,
本 会 記 念 史
上の記 録 な
ど を参 照
して記 述 す
る。 ■国 立 療 養 所 東 京 病 院 附属
リハ ビ リ テー
シ ョ ン学 院 設
立(
1963
年)
△理学 療 法 士 及 び 作 業 療 法 士 法
の枠 組
み と裁 量 権 な
ど(
1965
年 )
すべ て の
専
門職
の法 律
に共 通 す
る の は,
特 定
の専 門 職
の定
義
職
域
裁 量 権 な ど
が規 定
さ れ てい ること
であ
る。 よっ て,
「
法 律
は専
門職
の核 」 とな
ること
から な
に より
も重 大 な事 項
であ
る。
特
定
の専
門職
(
理学
療 法
士)
が存
在
し ない際
に その新
しい法
律
が制
定
さ れ る時
に は,
当
然 な が ら その法
律
の策
定 内容
に 関与
す ること は 不 可能
であ
り
,
関 係 省 庁
の官 僚
や学 識 者
に よ る委
員 会
で審 議
さ れ る。
し か し.
半
世紀
を経
過 し た現
在
で も,
「
理 学療 法
士及
び作 業 療 法
士法
」
の改
正 は指定
規
則 や一
部の条 文
のみ であ り
,
抜 本 的改
正 は行
わ れてい ない。
「
理学 療 法
士 お よ び作 業 療 法
士」
第
二条
に よ れ ば,
{
「
理学 療 法 」
と は,
体
に障 害
のあ
る者
に対
し主 と してそ の基
本 動 作 能 力
の回復
をSCる た め治
、
操その 他の 運
動
を行
な わ せび 電
気 刺 激
マ ッサ
ー
ジ温 熱
そ の他
の物
理 的手段
を加 え
るこ とを
い’
と
なっ てい る。
こ の定 義
は半 世紀
が経
過 し た現
在
の 理学療法
の実 態
に そぐ
わ ない 旧態依
然 と し た内 谷
で あり
,
早 急
な改
正 が 望 ま れ る。
そこ で,
国際 生 活 機 能 分 類 (
ICF
)
に準
じ た私 案
の定 義
は,
{
「
理学療 法 」
と は,
心の
・
造 に
変
調のあ る者
に 対 しそ れ らの回
復
を 目 的 に し て運
動
治療 体 操 徒 手 的 治 療
お よび 電 気 温 熱 な ど
の物 理 的介
入 を 適 用 し1
動 と 生活 機 能
の向
上 を 図 る と共
に健 康
を高 度 な 医療 関連 専 門 職
とし て の理学 療 法
士の裁
量権
が そ れ相 応
に承 認
さ れる時 期
であ
ろう
。「
理学療法
士
作 業療 法
士
学
校 養 成 施 設 指 定 規 則 」
(
厚
令
3
)
の第
二条
二 に は,
修 業年
限 は3
年
以 上 と なっ てい る。1989
(
平 成 元 )年
に掲 げ
た本 会
マ ス ター
プランに は,
4
年 制 大 学
の実 現 化
が含
ま れ て お り,
現 在
,
教育 施
設の1/
3
は4
年
制 大 学,1
/3
は4
年 制 専 修 学 校 に なっ てい る こ と か ら も,
す
でに修 業 年
限 を4
年
以 上 に し て も よい時
期
であ
る。
さ ら に,
未
来
に は一
部
の先
進
国並
み に修業年
限
を6
年
以 上に して実 務 的 修
士・
博
士課 程
も しく
は学 術
的修 士 課 程
に編 成 す
れ ば理 学 療 法 (
学 )
の水 準
は格 段
と高 ま
るに違
いな
い 。「教 育
は国家 百
の計 」
で はな
いが,
「
教 育
は理学 療 法 界
100
年
の計 」
であ
っ て ほ しい。
日本
の医 療
を含
む世 界
の地 域
・
国
のあ
ら ゆ る 歴史
・
文
化
に は特 殊 性
があ
る。日本
に おい ては現 在
の理学 療 法
に類 似
し た職 種
は存 続
してい る。
日本
で は 戦後
ま も なく
し て,
そ れ ら
の一
部
の職 種
の方
々が 理 学 療 法 従 事 者
とし
て機 能 し
てお り
,
今
でも特 定
の理 学 療 法 診 療 報 酬 を 請 求
で き る制 度
であ
る。
し か し,
現実 的
には理 学 療 法
(
士 )
に 関連
した法 改 正 を
待
つ しか ないと思 え
る が,
これ は末永
い課 題
の ひと
つと な
ろう
。
増 進
し社 会 参 加 を支 援 す
ること を
い’
で
あ
る。第
二条
3
に は,
この法 律
で「
理 学 療 法 」 と
は厚 生 労 働
大 臣の免 許
を受
けて,
理学 療 法
の名 称 を
用いて医
師
の指 示
の 下 に理 学療 法 を行 う
こと を業 とす
る者 を
いう
,
と
あ
る。
つま り
,
医 療 類 似 行 為 者 な
どの絡
み から
ほとんど の諸外 国
の ご とく業 務独 占
になっ て いない。
ま た,
諸 外
国
,
特
に欧 米
では開 業 し
てい る理 学 療 法
士の診 療
にお
い て は,
医 師
の処 方
を 必要
と し ない州
や国 も あ
る(
direct
access)
。 チー
ム医 療
の重要 性
を考 え
る と,
医 療 現 場
で’
は 医 師
の指示
より も処 方 を受 け
て理 学 療 法 を行 う
こと
は重 要
であ
るが
,
刻
々 と変 化 す
る患 者
の容 態
に応 じ
てい る △第
1
回 理学 療 法 士
・
作 業 療 法 士 国家 試 験
(
1966
年 )
▲遠 藤 文 雄 氏
が初 代 会 長
に就 任 (
1966
年 )
● 第
1
回 日本
理学
療
法
士学 会 開 催
(
東京
1966
年
,
学 会
長 :遠
藤 文
雄
氏)
●第
1
回全
国 研修 会 開催
(
東
京
1966
年
,
研修 会 長
:駒
沢 治
夫
氏)
▲協 会
ニ ュー
ス創 刊 号 発 刊 (
1966
年
)
▲最 初
の士 会 と
し て兵 庫 県 士 会
が設 立 (
1967
年 )
▲松
村
秩 氏
が会 長 就 任
(
1969
年
)
▲野本
卓
氏
が会 長
に就 任
(
1971
年
)
▲任 意 団 体
から社 団法 人 格 団体 と
しての組 織
へ(
1972
年 )
1972
年
に本 会
は厚
生
労
働 省
(
当 時
の厚
生 省
)
か ら社
団法
人格
の認 可 を受
け た。 これ は,
「
本 会
の 目的
が公 益
に資 す
る活 動 を遂 行 す
ることを 国 民
に誓 う」
との意 味
に解 釈
さ れ る。
し か し,
職 能
団体
と し ての基 盤 を築 く
こ とな く
,
国 民
の要 請
に応 え
ること
は困 難
であ
ること
か ら,
profession
と
し ての理 学 療 法 士
の社 会 的 立 場 を 築 く
こと
も重
要であ る。
よっ て,
基 本 的 に 個 人 は自
己 中 心 的 で あ る が,
組 織 と
し て は,
そ れを超 越
し な け れ ば,
公益
に資
す
る組 織
と し ての人格 を形 成 す
ること
は でき
ない。
● 第
1
回・
第
2
回現 職 者 講 習会 開催 (
東 京
1972
年 )
こ
れ
は会 員
の卒 後 教 育
とし
ての一
環
で テー
マ ごと
に少
人 数
で開 催 さ
れ た(
当初
の委 員 長
:奈 良 )
。最 近
では理
学 療 法
士講 習 会
と して踏 襲
さ れてい る。
▲矢 郷 弥 太 郎 氏
が会 長
に就任
さ れ た が,
任 期途
中
で他 界
さ れ
鈴 木 昌彦 氏
が代 行 (
1973
年
)
Japanese Physical Therapy Association
Japanese Physioal Therapy Assooiationll6
理学 療 法 学 第41
巻 第2
号▲● 世 界 理 学 療 法 連 盟
(
World
Confederation
for
Physi
−
cal
Therapy
;以 下,
WCPT
)
に加
盟(
1974
)
本
会
は創
立 以 来,
世界
水準
の理 学 療 法 に 到 達 す ること も 視 野 に 入 れ て き た が,
1974
年 にWCPT
に 加 盟 し た。
これ は.
日本
の夜 明
け と もいう
べ き明 治 維 新 後
のす
べて の事
柄
につ いて も 同様
で あっ た とい え る。
数年前
か ら,
本 会
の会員 数
は 世界
1
位
になり
,
加
盟国
の会 員 数
に応 じ てWCPT
会 費
を支 払 う
た め,
WCPT
の財 政 面
へ の貢 献
度
は もっ とも高
い。
第
13
回横 浜 大 会
以降
,
WCPT
学 術
大 会におけ
る 目本
人の一
般演
題報 告
数の比率
は もっ と も高
い。
● 本 会
の機 関 紙
と して「臨 床
理学 療 法 」 創 刊 号 発 刊
(
1974
年 )
医 学 書 院
の協 力
で準 機 関 紙
とし
て「
理 学 療 法
・
作 業 療
法 」 が発 刊 され
ていた が
,
独 自
の編 集体 制
で本 会
の機 関
紙 を発 刊
さ れた(
編 集 委 員 長
1松 澤 博 氏
,
奈 良
は編 集
員
の1
人)
。
▲松 村 秩 氏
が会 長
に再 就 任 (
1975
年 )
● 第
1
回 理学療 法 士
・
作 業療 法士 養 成 施 設 等 長期 講
習会
開
催 (
東 京
1975
年 )
教 員
や臨床 実 習 指 導 者
の育 成 を
目的
に厚 生 労働 省
の補
助 金
・
後 援
を得
て,
現
在
で も 踏 襲 さ れている。
現
在
,
補助 金
は廃
止 さ れ てい る が,
い わ ゆ る「
長期 講
習会 」 を 立 ち
上げ
た。
▲ 本会
十年 史
発 刊(
1975
年 〉
● 「臨 床 実 習
の手 引 き 」 発 刊 (
1977
年
,
委 員 長
:田 口順 子 氏 )
▲倫
理 規定
⇒倫
理 規程
の制 定 (
1978
年 〉
い か な る
専
門職 組 織 も
,
professionalism
の条 件
のひと
つと
し て,
倫 理 規 定 も
しく
は倫 理 要 綱 を掲 げ
る必 要
が ある。
本 会
で はそ れに向
けて1977
年
に倫
理規 定 委 員 会
(
委 員 長
:奈 良 ) を発 足
し,
1978
年
に倫 理 規 定
と して制
定
さ れ た。
そ
の後
,
1997
年
に倫 理 規 程
とし
て1
部 改
正 さ れ 現在
に至っ ている。
▲群 馬 県
が最 後
の士 会 設 立 (
1979
年 )
▲本 会 事 務 局 専 従
の雇 用 実 現 (
1979
年 )
→事 務 所
の購 入
(
1987
年)
当初 本 会
の事務 局 業 務
は.
事 務 局 長
の職 場 を事 務 所
とし
て ス タ ッ フのボラ ン テ ィア で行
っ てき
た経 緯
があ
る。
予算
に多 少
のゆ とり
が で き た時 点
で理事 会
も開
け ない ほ どの事 務 所 を借 り専 従 事 務 員
を雇 用
し た。 その後
1987
年
に江 東 区 東 陽 町
の理 事 会 も開 催
でき
る中 古
マ ン ショ ン を購
入 し,
同時
に事 務 局 長 を補 佐 す
る次 長
を雇 用
し た。
ち な み に,
現 在
の事 務
局常 勤 職 員 数
は30
人 (
理学 療 法
士ll
人,
一
般 事 務 職 員
19
人 )
であ
る。
本 会
の予 算 額
か ら して も,
事
務 局 機 能
は 飛 躍 的 に充 実
し てい る。 ● ■ 教育
規定 委
員会
設置 (
1979
年 )
1979
年
に は金 沢 大 学 医療 技 術 短 期 大 学 部 (
3
年 制
)
が 設 立 さ れ,
理 学 療 法 学の大 学 教 育の草 分 け 期であっ た。
筆 者
は初 代
理学 療 法
十教 授
と し て その大 学
に 赴任
し た。
しか し,
こ の 頃 か ら 理 学療
法 士の需 要 が 増 え,
そ れ に伴
い教 育 施 設 が 急 激 に 増 加 し て き た。
これ に 対 し て 本会
と しての教育
規定
を定
め る 必要 性
を 感 じ,
筆
者 を委 員
長と し て お も に 理学 療 法
学 教育 施
設 お よ び 教 員資格
な ど に 関す
る規定
を定
め た。
こ の時 代
までは 教育
施 設 を 設 立 す る際
には各都 道 府 県
士会
の承 認
が必 要 条 件
のひ とつ であ
っ た が,
あ
ら ゆ る面
で規制 緩 和
が 進 め ら れ ていた背 景
も あり
,
そ れ が歯
止 めの力
にな ら な く なっ た。
本 会の教 育 規定 自体
も教 育 施 設
を設
立す
る母 体
や本 会 会 員
に も順守
さ れ る こ と も なく
,1985
年
に は 廃 止 さ れ た。
本
会 は 教育
施 設
の第
3
者 機 関
に よる評 価 シ ス テ ム を 検 討 してい るが
,
最 近
,
全 国
リハ ビリ
テー
シ ョ ン学 校 協 会
がそ
れ を遂
行 す
ると理 解 し
てい る。▲
●
アジア 理学 療 法 連 盟 (
Asian
Confederation
for
Phys
−
ical
Therapy
;以 下,
ACPT
) 創 立 ) (
1980
年)
1980
年
に ア ジア地 域
の理 学 療 法
の発 展
を目 的
にACPT
が創
立 さ れ,
そ れ 以来 数 年 毎
に総 会
と学 術 集 会
が 開催
さ れ てい る。 日本
で は過 去
2
回総 会
と学 術 集 会
を 開催
してい る。
▲WCPT
理事
国 に 選出
1982
年
の第
9
同WCPT
総 会
に おい て本 会
は理 事 国
に選 出
さ れ,
代 表 者
と して1991
年 ま
で森 永 敏博 氏
が務
めた。 ▲本 会
のニ ュー
ス発 刊
,
通 算
100
号
と なる(
1983
年 )
本 会
ニ ュー
ス の創 刊 号
は本 会 創
立時
に創 刊 号
が発 刊
さ れ,
1983
年
に100
号
が発 刊 さ
れ,
287
号 (
2014
年
2
月
現在 〉
に至っ てい る。 ステ ッ プ段 階 (
1984
〜
2000
年 )
三
段 跳
びで ス テ ッ プは中 継 ぎ段 階
であ
るが,
腰 砕 け
にな
る こともあ りそ れ 自体 大 切
であ
る。● 「臨床
理学 療 法 」
→
「
理学療 法 学 」
へ と名称 変
更(
1984
年)
臨 床水 準
は,
教 育
・
研 究
な どの成果
が 反 映 さ れ る もの で,
かつ対 象 者
に最 善
の理学 療 法
を提 供 す
る場
面で あり
,
も
っ とも重 要
なことであ
る、
し か し,
科 学
も し く は学 問 体 系 化
さ れ た 理学 療 法 学
と して,
臨 床・
教 育・
研 究 の3
領 域
を集 約 す
る 必要 性
が あ る と し て,
本会
の機
関誌
の名 称
を「
理学療 法
学」
に改 名
し,
現在
に至
っ てい る。 ▲本 会 お よ び 日本 作 業 療 法 士協 会
合 同の創
立20
周 年 記
念
式
典開
催(
東 京
1986
年 )
▲本 会 臨 時
総 会開 催
(
1986
年
)
こ の臨
時
総 会 は,
いわ ゆ る 「B
案 」 と呼
ば れ,
理学 療
法 士
で はな
い理 学 療 法 従 事 者 あ
るい は医 療
類 似行 為 業 者
を准
理学 療 法
士 も し く は 正 規 の助 手
と して認
可 して ほ し』
い旨
の政 治 的 圧 力 が 関 係 団 体 か ら も ち上が り,
本 会
は こ れ に対
して会 員 か らの 署名 活 動
を含
め,
懸命
に反 対 運 動 を 展 開 し,
その結 果
,
「
B
案 」
は阻
止 さ れ た。
し か し,
日本にお ける理 学 療 法 半 世 紀の歩 みと未 来
117
圧力 団 体
は 政治
連 盟 を備
えて お り,
当 時,
理事
で あっ た筆 者
は,
本 会
は「丸 腰
で戦 う
侍
」
で あ る と 感 じ てい た。本 会
の役 員
や会 員
の中
か ら も,
本 会
を 援護
し て く れ る「
政治
連 盟」
を備
え るべ し との意 見 が だ さ れ た が,
法人 格
の組 織 内
にそ
の設
立 は違 法
であ
ることか ら見
送 ら れ た。 し か し,
2004
年
に有
志 に よっ て 日本
理学 療 法
士 連盟
が設
立 さ れ,
本 会
の援 護 活 動
を展 開
している。
▲本 会
20
年 史発 刊
(
1987
年 )
▲理 学 療 法 士 業 務 指 針 検 討 委 員 会 設 置 (
1988
年
,
委 員
長
:菊 地 延
子氏 )
表 記
の指
針
は1991
年
の総 会
に提 案 され
一
部 修
正のう
え活 用 され
てい る。
▲奈
良
勲
が会 長
に就 任 (
1989
年
:平 成 元 年 )
本 会
の役 員
の任 期
は2
年
であ り
,
そ
の都 度役 員 選 挙 が
行
わ れ る。
こ の年
に第
18
回総 会 (
盛 岡 )
が開 催 さ
れ,
役 員 改 選
の結 果
,
奈 良
(
当 時
47
歳)
が会 長
に選
出 さ れ た。
副 会 長
に は,
中
屋久 長
・
黒 川幸
雄
両 氏 を指名
し て承
認 さ れ,
14
年 間
そ れ ぞ れの役 職
を務
める ことになっ た。
▲● ■ 本 会 会 長
の交 代
と事 業
運営
をマ ス ター
プランに準
じて
展 開
(
1989
年 )
筆 者
は16
年 間
理事
を務
め,
お もに学 術・
教育
関 係の役 目 を担
っ てき
た。当 時
は理事
が部 長 や 委 員 長
を兼
ねて い る時代
であ
っ た た めであ
る。そ
の後
今 後
の人材 育 成
を見 据 え
て部 長
,
委 員 長 な
どは理事
が担 当す
る の では なく
,
各 部
門を 管 轄
し大 局 的
に機 能 す
るこ と にシ フト し
た
。 これ によっ て本 部
の層 が厚 くな り
,
同時
に効 率 的
に なっ た と 思え
る.
マ ス タ
ー
プ ラン(
表
1
)
の構 想
は,
筆 者
が会 長 選 挙
に 立候 補 す
る前
に,
こ れ まで の理事
と して の体
験 か ら本
会 の事 業 運営
を分 析
・
統 合
し,
近未 来
・
未 来
を視
野に入 れ て作 成 し
,
そ
の年 度
の最 初
の理 事 会
で提 案
し た。 そのキ
ー
ワー
ド
は「
プロフェ ッ シ ョ ン(
profession
)
の構 築 」
であ
っ た(図
3
)
。Profession
とは profess,
誓 う
という
意 味
で,
各専 門 職
に与 え
ら れ た 公務
を果
たす
こと を宣 言
す
ることであ
る。
当時
は本 会
の会 員 数
も少
なく
,
その到
達 課 題 を 共 有 して組 織の 結束 力
を高
め るう え
で有 効
であ
っ た と 思 え る。
近年
,
会社
や大 学
あ るいは国家
に して も 中 長期 計
画 を 掲 げ てPDCA
(
Plan−Do−Check−Act
)
サ イ クルを実 施
し てい る。
その
後
マ ス ター
プ ランは役
員の2
年
間の任 期毎
に改
訂 し て実 践
さ れ てき
た。 その1
例
と し て,
1991
(
平 成
3
)
年 と
1992
(
平 成
4
) 年
のも
のを供 覧 す
る。
この中
の中期
に は,
WCPT
国際 学 術 大 会
の開催
,
そし て長期
に は本
会 代 表 と
し て国 政
に 関与 す
る議 員
の実
現 など
が含 ま
れ て いた
。
前 者
は1999
年
に第
13
回大 会
と し て実 現
し,
後 者
は2013
(
平 成
25
) 年
の参 議 院 選挙
で 山囗和 之 氏
が当選
し て実 現
した
。 これで中 長 期
の到 達 課 題
は ほと
んど実
現 し たことにな
るが,
理 学療 法
士及
び作 業 療 法
士法
の抜 本
的改
正 が残
っ ている。一
般 的
に法 改
正はその内 容
に応
じ て議
員 立法 も
しく
は行 政
立法
で施 行
さ れてい るが.
特 定
の 職種
の抜 本 的 法 改 正
につ い て は関 連 職 種
団体
の政 治 力
の影 響 な ど が多
大であ るこ とか ら,
至極
困難
である。
だ が,
法律
に しても
,
社 会 情 勢
が変 遷 す
る過 程
で見 直
さ れ る 必 要性
のあ るも
の は多 く
,
事 実
その大 小 を問
わず 改 正
は 行 わ れている。
よっ て,
本 会 が さ ら にパ ワー
を高
め て イニ シァ テ ィブ を取
っ て法 改
正 に参
画 す
るこ と を強 く期
待
し たい。
▲本 会
ニ ュー
ス に「
会
長 か らの報 告
とメ ッセー
ジ 」 を 連続 掲 載 (
1989
〜
2003
年 )
筆 者
が会 長
に就 任
し た年
か ら本 会
のニ ュー
ス に報
告 とメ ッセー
ジ と を 連続 掲 載 (
No
.
1
〜
No
.
95
)
して き た。報 告
では会 長 職
と して行 動
し た おも な 内 容
を記 録
し
,
メ ッセー
ジで はお も
に理 学 療 法
に関 連 し
た テー
マ につ い て 時論 風
に 記 述 し,
時
に本 会
の重 点 事 業
へ の理解
を求
め る内 容
で,
テー
マ に よっ て写 真 を添 付 す
ること も
あっ た。
リー
ダー
の重 大
な責 任
の ひと
つ は,
会 員
に対
し て常
にメ ッセー
ジを 発信
す るこ と であ る。
つ ま り,
本 会
が未
来 を 視 野 に 入 れ て歩
む特 定
の方 向性
と そ れ ら に 関す
る論 説
や哲 学 的
思考
な どを提 言 す
ること
であ
ろう
。
掲 載
したメ ッセー
ジ は,
「
奈 良
勲
元
協 会
長
メ ッセー
ジ集
」
(
1989〜2003
年 )
と題
して,
本 会
か ら発 刊
さ れ各
士会
に数 冊
配布
さ れてい る。
その1
例 と してNo
.
80 (
表 2 )
を供 覧 す
る。● 本 会
日本 学 術 会 議 法
に基づく 「
学 術 研 究 団体 」
に承 認
(
1990
年 )
本 会
は原 則 的
に職 能 団 体 (
通常
の名 称
は ○○ 協 会
: association)
と し て創
立 さ れ た が,
そ れ と 並行
し て 学 術・
教育 活 動
に も力
を注
い で き た。
よっ て,
筆
者
は学 術 研 究 団 体 (通 常
の名 称
は学 会
:society ofO
O ,
academic society ofO
O
な
ど)
と して の性 格 も十 分
に有
して いる と考
え,
日本 学
術 会議
に申請
し た とこ ろ見 事 承
認
さ れ た。
こ の報 告
を知
っ た時
に筆 者
は飛
び跳
ねて歓 喜
し た。
こ れ は後
にWCPT
学
術 大 会 を開
催 し た時
に 大 き な効 力
と なっ た。
▲高 知 県
理学 療 法
士会
が 初の法
人化
(
1990
年 )
本 会
と は 別 に,
各
士会
の法
人 化 を推 進
す るこ と は,
各
都 道 府 県
での理 学 療 法 (
士 )
へ の認知 度
や発 言 権
,
さ ら に 地 元へ の貢献
度 を高
め るこ とに な ると し て,
本 会 はこ れを推 進
し てき
た。 日本 国家
は明治 維 新
以降
中央 集 権 的
にな り
,
近 年
にな り地 方
の時代 と叫 ば
れ てき
た が,
その権 力 志 向
は未
だ根
強 く続
いている。
よっ て,
本会
は,
そ の よう
な慣
例を是
正す
べく
,
マ ス ター
プ ランに も掲 げ
て士 会 法 人 化 を推 進
し てき
た。
社 会
や組 織
な ど は,
個
々の 人 間 や会 員
で構 成
さ れてお り,
地 域 や専
門 分 野毎
に組織
化 あ
るい は分 類
さ れ てい る。確
か にこれ ら を束
ね て統 治
す
る ことは重 要
であ
る が,
権 力 主 義
による支
配体 制
は 民Japanese Physical Therapy Association
Japanese Physioal Therapy Assooiationll8 理 学 療 法 学 第