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寡占的国際経済体制と変動相場制 : ゲームの理論的アプローチ

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長野大学紀要 第13巻第4号 322-332頁 1992

寡 占的国際経済体制 と変動相場制

The Oligopolistic International Economical System and

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1.問題 の所在 1973年初めの変動相場制への移行に先立 って、 多 くの経済学者が変動相場制の機能について論争 した。その論争は、大別 すると、変動相場制の支 持論 と批判論 とであ る。支持論のい くつかの論点 の うちで、内外均衡同時達成論 とインフレの国際 的波及遮断論は、変動相場制への移行 を推進す る 強力な論拠であった。 すなわち、変動相場制 は、第

1

に、名 目為替相 場の変動によって輸出入財 ・サー ビスの相対価格 を変化 させ て、経常収支 の不均衡 を迅速に調整す るとい う 「経常収支 の調整効果」がある、 とい う 主張であった。そのため に、第

2

として、各国は 特に金融政策 を対外均衡達成のために政策割当て す る必要がな く、国内均衡達成 (物価 と雇用の安 定)のためにのみ割当て ることがで きるとい う「金 融政策の 自立性」が主張 された。そして第3に、 ある国の物価上昇は名 目為替相場の変動によって 吸収 され るので、他の国-波及す ることがない と (2) い う 「インフレの国際的波及の遮断効果」である。 これ らの主張は多 くの批判 を浴びなが らも、変動 相場制-の移行 にあたっては大 いに期待 された効 果であった。 ところが、変動相場制 に移行 して丸19年 を経過 してみて、現実の変動相場制下で、経常収支の 自 動的 な調整効果は薄 く、金融政策の 自立性や イン フレの国際的波及の遮 断効果 も必ず しも確保 され ていないように思 われ る。すなわち、期待 された 変動相場制下では、各 国間のマ クロ経済政策調整 は必要 としないかの よ うな幻想 を与 えたが、現実 の変動相場制下では、 む しろ頻繁 なマ クロ経済政

寿

Toshio Kurashina

策調整が要請 され るのが実態であろう。 そこで、本稿では、期待に反 して、なぜ現行の 変動相場制下において頻繁 なマ クロ経済政策調整 が必要 とされるのか。そ して、その調整は どのよ うな方法でなされて きたのか。 これ らの問題点 を ゲームの理論 を用いて述べてみ るこ とに しよう。 そのためには、 まず現行の変動相場制下の世界経 済 を寡 占的世界経済体制 と位 置づ け る必要がある であろう。 2.戦 後 の世界経 済体 制 戦後の世界経済体制 を旧

IMF

・ブレ トンウッ ズ体制下の固定相場制時代 と、1973年の総 フロー ト制移行後の変動相場制時代 とに大別 しようoそ して、固定相場制時代の世界経済 を独 占的世界経 済体制、変動相場制時代の世界経済 を寡 占的世界 経済体制 とそれぞれ位置づ け るこ とに しよう。そ の理由は、次の とお りである。 (1)固定相場制時代一一一独 占的世界経済体制 旧

IMF

・ブレ トンウッズ体制 に よる固定相場 制の特徴は、同協定第

4

条によって象徴的に明示 されている。 その内容 を要約すれば、加盟国の為 替平価は金 または1944年7月 1日現在のアメ リカ ・ドルで表示 され、為替相場 はその上下

1%

以内 の変動幅 を維持す るように義務づ け られた。 そし て、平価の変更は基礎的不均衡 を是正 しようとす る場合以外は認め られなか った。 しか も、金 との 交換性 を維持 してい るア メリカは、為替市場への 介入義務 を免除されていた。 これ らのことか ら、旧

IMF

・ブ レ トンウッズ 体制下の固定相場制は、次の ようなシステムであ

(2)

倉科寿男 寡 占的E]際経済体制 と変動相場制- ゲームの理論的アプ ローチ

3

2

3

った と指摘す るこ とができるであろう。第

1

に、 基軸通貨国アメ ))カの役割は金平価 (金

1

オンス

-35

ドル) を維持す ることであって、 そのための 国内均衡 を政策 E]標 とす る一方で、国際均衡 とし(3) ての政策 目標は もたな くて もよかったのである。 すなわち、アメ リカは金平価 を維持で きる範囲で 自国の経済政策 を運営す るこ とがで き、対外不均 衡是正のためのマ クロ経済政策 を発動す る必要性 はなか ったのである。 これに対 して、第2に、ア メ リカ以外の非基軸 通貨国の役割は対 ドル平価 を維持す ることであっ て、 そのために、必要に応 じて為替市場 に介入す る義務があった。 また、同時に、非基軸通貨国は 金融政策 を対 ドル平価 を維持す るために振 り向け(4) なければな らなか った。 このことは、ア メ リカ以 外の非基軸通貨国は国際収支の大幅 な不均衡 に陥 らないようにマ クロ経済政策 を運営す ることを要 求 されていたこ とを意味す るであろう。換言すれ ば、アメ リカのE]際収支不均衡はアメ ))カ以外の 国の国際収支不均衡の結果であって、ア メ リカは 自らの不均衡、た とえば国際収支の赤字期 におい ては引締めのマ クロ経済政策によって、黒字期 に おいては緩和のマ クロ経済政策によって、それぞ れの不均衡 を是正す ることが要求 されなかったの であ る。 このように、旧

IMF

・ブ レ トンウッズ体制下 での固定相場制においてアメ リカ以外の非基軸通 貨国がマ クロ的整合性 を確保す るように機能 しえ(5) たのは、世界経済においてアメ リカが絶対的優位 にあったか らである。すなわち、旧

IMF

・ブ レ トンウッズ体制下の固定相場制 は、アメ リカによ る独 占的世 界経済体制の もとで維持 ・運営す るこ とが可能であった と考 えられ る。 当時、アメ リカ が世 界経済においていかに絶対的優位 を占めてい たか は、表

1

で も明 らかであろう。 表1は、 自由経済圏におけ る主要5か国の貿易 シェアを、 固定相場制時代 と変動相場制時代 とに 分 けて示 した ものである。固定相場制時代の主要 5か国の動 向についてみ ると、次のような諸点が 指摘 で きるであろう。 第1に、1950年代 の貿易 シェアはア メ リカが 16.5% と圧倒的で、次いでイギ リスの10.5% とな っている。 しか し、両国の大 きな相違は、アメ リ カが出超国 としての優位 な立場 にあったのに対 し て、 イギ リスは逆に入超Blとしての劣位の立場に あったことである。第2に、 こうした50年代のア メ リカの圧倒的優位は60年代 に入 って、出超国 と しての旧西 ドイツのめ ざましい経済発展によって 崩れつつあった。すなわち、50年代のア メ リカの 貿易 シェアは旧西 ドイツの2.4倍 であったが、60年 代 に入 ってその比率 は

1.

5

倍 に狭 まった。 とはい え、第3に、固定相場制時代全般 を通 じてのアメ リカの貿易 シェアは、同 じ出超国である旧西 ドイ ツの

1.

9

倍、 日本の

4.

1

倍 であって、旧

IMF

・ブ レ トンウッズ体制による固定相場制時代 は、概ね アメ リカの支配による独 占的世界経済体制下にあ った といえるであろう。 (2)変動相場制時代- 寡 占的世界経済体制 ところが、出超国 としてのア メリカの圧倒的優 位 は60年代後半か ら次第に凋落 し始め、表

1

で示 す ように、変動相場制時代には入超国 としての劣 位 の地位に転落 した。ア メリカに代 わって、出超 国 としての優位 な立場に立つ ようになったのが旧 西 ドイツ と日本 であった。 とりわけ80年代 におい ては、 自由経済圏に占め るアメ リカの輸入 シェア が急速 に高 まったの とは逆に、 旧西 ドイツ と日本 の輸出シェアが上昇 した。 この ことは、アメ リカの国内経済が少 な くとも 経常取引 きにおいて、旧西 ドイツや 日本 などの諸 外国か らの経済的影響 を無視 で きな くな ったこと を意味す るであろう。す なわち、独 占的世界経済 体制下 にあったアメ リカ経済は他の諸外 国か ら受 ける影響力は きわめて小 さ く、為替市場や 国際収 支の動向 を無視 して 自国の経済政策 目標 を追及す るこ とがで きたが、その後、旧西 ドイツや 日本な どの諸外国か らの経済的影響力 を無視 しえな くな った とい うことである。アメ リカも旧西 ドイツや 日本 と同様 に、経済的利害の相互依存関係 を深め て きたのである。 こうした世界経済の実 態は、寡 占的世界経済体制 と呼んで もさしつかえないであ(6) ろう。 寡 占的世界経済体制の もとでは、旧

IMF

・ブ レ トンウッズ体制によるような固定相場制 は もは や維持 で きず、変動相場制に移行せ ざる をえなか った といえるだろ う。 いずれにせ よ、寡 占的世界 経済体制の もとで1973年に移行 した現行 の変動相

(3)

324 長野大学紀要 第13巻 第4号 1992 表1 自由圏に占め るG5の貿易シェア 順 走相場制時代 と変動相場制時代) 固定相場制時代 (195ト 69年 ) (%) 平均 国別 1951-54年 55-59年 5平 均0年代 60-64年 65-69年 6平 均0年代 50-6平 0年代均 ア メ リ カ eim ;X ㍑ 16.9 壬39:2)16.1 16.5

27:;)14.8 壬36:喜巨 9 14.9 15.9 西 ドイツ(旧)eimX ≡:言) 5.4 冒

:

巨 2 6.8 1;

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3) 9.8 1;Ii)10,4 10.1 8.5 日 本 eimX …二…巨 3 ≡:;巨 1 2.7 芸:3巨 3 55:47)5.6 5.0 3.9 イ ギ リ ス eim 1X 29:討 10-8 1㍑ 10.1 10ー5 ;:…巨 3 87:呈) 7.9 8.6 9.6 変動相場制時代 (1975-89年 ) (%) 平均 1975-79年 80-84年 85-89年 80年代 75-89年 国別 平 均 平 均 ア メ リ カ eim 1X 1…:65)13.6 壬…:距 2 三吉

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:

)14.6 14.4 14.1 西 ドイツ(旧)eim 1X 三:3)10.6 13:喜) 9.61;:Z)10,4 10.0 10.2 日 本 eimX 言:≡) 7.2 87::) 8 .0 ≡:≡) 8.2 8ー1 7.8 イ ギ リ ス eimX 56:≡) 5.9_≡:…巨 8 56:…) 5.9 5.9 -5.9 場 制 は、独 占的世 界経 済体 制 の も とで維持 され た 固定相 場制 の よ うなマ クロ的整合性 を確保 す るシ(7) ステム を持 ち合 わせ て い ない。 その理 由 として、 次 の諸点 を指摘す るこ とが で きるで あ ろ う。 第 1に、変動相 場制 では、為 替相 場 は基本 的 に は為 替 市場 におけ る為 替 の需給 に よって 自由に上 下 変動 す るが、現行 の変動相 場 制 は各 国の通 貨 当 局 が為 替市場 に介 入す る 「管理 フ ロー ト制」 であ る。 管理 フロー ト制 を合 法化 した第二次

IMF

協 定 改正 は、各加盟 国が長期 的 に市場圧 力 に逆 ら う よ うな市場介 入や 、競 争 的 な為 替切下 げの ため の 市場 介 入 な どを行 って いないか ど うか を監視 す る(8) 義務 を

IMF

に課 した。 そ して、具 体 的 に このサ ーベ イランスは、毎 年

1

、 IMF

が加 盟 国の経 済政 策 の遂行状 況 につ いて その 国の 当局 と意見交(9) 換 す るこ とと した。 しか し、 それ で為 替相場 の水 準 をめ ぐる各 国間 の対 立 が解 消 す るはず もな く、 (資料) 日本銀行統計局 r国際比較統計Jよ り作成。 引 き続 き経 済大 国間の争 いの種 に な ってい る。 第

2

に、管理 フ ロー ト制下 での 国際収支 不均 衡 の調 整 は、原則 的 には各 国 の通 貨 当局 に よ る為 替 市場へ の介 入 の程 度 に よ るであ ろ う。 しか し、現 実 に は、 国際収支 の不均 衡 は為 替 相 場 の変動 のみ に よって解 消 され る もの では な く、各 国のマ クロ 経 済政策 の影響 を受 け て変動 して い る。 しか も、 現行 の変動 相場 制 の も とで は、 国 際収支 の不均 衡 が発 生 した場合 、黒字 国 と赤字 国 の うち、 どち ら の国が どの よ うに して その不均 衡 を調整 す るか と い うマ クロ的整合 性 の シス テムが 存在 して いない。 この よ うに、 マ クロ的整合 性 を保 障 して いない 現行 の変動相場 制 下 にお いて、 国 際経 済秩 序 をか ろ う じて確保 して い るの は、 「国際協 調 」の名 の も とに頻繁 に開催 され る国際金 融経 済会 議 であ ろ う。 そ こでの 「協 議 的」 マ クロ経 済政 策調整 は、 ゲー ム の理 論 が教示 す るよ うな意 思決 定 に よってで あ

(4)

倉科寿男 寡 占的国際経済体制 と変動相場制- ゲームの理論的アプ ロ- チ 325 ると考 えられ る。

3

.寡 占的世界経済体 制 とゲ ームの理 論 (1)ゲームの理論の有効性 ゲームの理論は 「囚人のデ イレンマ」に代表 さ れ、その基本的状況は経済現象のなかで も広 くみ( られ る。すなわち、経済は経済主体間の相互依存 関係によって動 いているが、そのさいの各経済主 体 の行動 は、他の経済主体の行動 を無視 して行動 す ることはで きないであろ う。た とえば、他の経 済主体が どの ような行動 をとるのか、それが 自分 の経済的利害に どのような影響 を及ぼすのか。 ま た、 自分の とった行動が他の経済主体 にどの よう な影響 を及ぼすのか、その影響が 自分に どのよ う にはね返 って くるのか、 とい う ぐあいにである。 このように、ゲームの理論 は経済主体間の相互 依存関係にかかわる問題 を分析す るのに広 く有効 であるといわれて きた。 その場合、完全独 占市場 経済や完全競争市場経済の もとでは、経済的利害 の相互依存関係が一方的ない し希薄であるために、 経済的利害の相互依存関係の問題は回避 され、ゲ ームの理論の有効性 は低 い と考 えられ る。その点、 寡 占市場経済は経済的利害の相互依存関係が著 し く強 く、 したがって、ゲームの理論は、寡 占市場 経済における経済活動分析にその有効性 をよ り発 揮す ることができるといえるだろう。 こうした考 え方 を国際経済に適用す るために、 われわれは前述 したように、現在の世界経済体制 を 日米独 (日米欧)の三極体制による寡 占的世 界 経済体制 と位置づ け、その寡 占的世界経済体制下 で実施 されている変動相場制の もとでのマ クロ姪 済政策調整問題 も、ゲームの理論による意思決定ul) 問題 として とらえることがで きると考 える。 (2)ゲームの理論的分析の前提 そこで以下では、変動相場制下におけ るマ 2.ロ 経済政策調整の検証に先立 って、次のような前提 をお くことに しよう。 第1に、ゲームの参加国は 日米独 (日米欧) と す る。 これは、現行の変動相場制が寡 占的世界経 済体制下にあるとい う意味で、本稿のゲームの理 論的分析の大前提 となるであろ う。 第2に、 日米独のマ クロ経済政策調整上の意思 決定におけ るゲームの選択肢 は、国際均衡 (国際 収支 の均衡) と国内均衡 (物価安定 ・完全雇用) とす る。 第3に、国際均衡 と国内均衡 とい う二つの政策 目標 を達成す るための各国の政策手段は、為替政 莱 (為替市場への介入) と金利政策 (公定歩合の 変更) とす る。 第

4

に、「囚人のデ イレンマ」の例で示す よう に、相互に意思疎通 を図 らなければ 「協調」 を実 現す るこ とは困錐であ り、 また国内経済活動での 「協調」は独 占禁止法に触れることになるが、本 稿 におけ るマ クロ経済政策調整の EI的は変動相場 制下 での 「国際政策協調」 を模索す ることであっ て、それ を実現す るためには、各国間でマ クロ経 済政策調整上の意思疎通 を図る必要があ ると考 え る。 それは、具体的には頻繁で継続的な国際金融 経済会議の開催 を意味す る。 第

5

に、各国間でマ クロ的経済政策 目標 (国際 均衡 ・国内均衡) とそれ を達成す るためのマ クロ 的経済政策手段 (為替政策 ・金利政策) とが調整 で きた場合 を、われわれは 「協調的 (合意的)ゲ ームによるマ クロ経済政策調整」 と呼ぶ ことにす る。 この場合、各国の政策 目標および政策手段が 必ず しも同一方向になるとは限 らないが、 どちら か といえば、各国は国際均衡 を優先政策 目標 とし、 そのための政策手段 を選択す るケースであると考 える。 第

6

に、逆に、各国間でマ クロ的経済政策 目標 とそれ を達成す るためのマ クロ的経済政策手段 と の調整がつかず、各国 とも独 自の政策 目標および 政策手段 をとる場合 を、われわれは「非協調的 (競 争的)ゲームによるマ クロ経済政策調整」 と呼ぶ ことにす る。 この場合には、 どちらか といえば、 各国それぞれ経済的パフォーマンスの違 いか ら国 内均衡 を優先政策 目標 とし、そのための政策手段 を選択す るケースであると考 えるo 第7に、「協調的ゲームによるマ クロ経済政策調 整」 と 「非協調的ゲームによるマ クロ経済政策調 整」 とは、対極的な関係 にあるのではな く、状況 次第では、後者の非協調的政策調整の継続的なゲL] ームが前者の協調的政策調整、すなわ ち、国際政 策協調 を生み出す こともあれば、緊急の場合には、 当初か ら前者の協調的政策調整 を念豆i削こおいたゲ)Ltl ームが展開され ることもあるであろう。 - 10

(5)

1-326 長野大学紀要 第13巻第4号 1992 以上 あげたい くつかの前提に立 ちなが ら、特に 1973年以降の変動相場制下において実際に行 われ て きたマ クロ経済政策調整 を検証 してみ ることに しよう。

4

.変動 相 場制 下のマ ク ロ経 済政 策調整 の 検 証 検証にあたって本稿 では、前述 した 「協調的ゲ ームによるマ クロ経済政策調整」のケー ス として プ ラザ合意前後 をとりあげ、「非協調的ゲームによ るマ クロ経済政策調整」のケース としてルーブル 合意以後 を とりあげることに しよう。 もちろん、 それ以前に も変動相場制下でのマ クロ経済政策調 整はあった。 た とえば、二度の石油 ショック後に 生 じた世界的不況期 におけ る 「機関車論」や 「ド ル防衛論」 にみ られたマ クロ経済政策調整、 さら にさかのぼれば、ニ クソン ・ショック後の暫定的 変動相場制末期 にみ られた多角的通貨調整 (ス ミ ソニア合意)な どがある。 これ らはわれわれのマ クロ経済政策調整形態に照 らせ ば、「協調的ゲーム によるマ クロ経済政策調整」であった といえるで あろう。 これ らの検証については別稿において論Il:AJ じた。 (1)協調的ゲームによるケース 1985年のプ ラザ合意前後に 日米独 を軸 として展 開 されたマ クロ経済政策調整は、われわれが呼ぶ ところの 「協調的ゲームによるマ クロ経済政策調 整」の典型であった といって もさしつかえないで あろう。そこで まず、プラザ合意前夜において 日 米独3か国間で展開されたゲーム とその結果、お よびその背景について概説 してお くことに しよう。 プラザ合意に先立つ81年のア メ リカの対外純資 産残高は、1,409億 ドルであった。それは同年のイ ギ リスの555億 ドル、旧西 ドイツの262億 ドル、日 本の109億 ドル をは るかに凌 ぐ額であって、まさに 世界最大の債権 国であった。 ところが、その後わ ずか 4年た らずで、アメ リカは自国の対外資産 を 食いつぶ し、85年 には対外純債務 残高がつ い に 1,114億 ドル とな り、88年には5,325億 ドルにのぼ った。この額 は同年のブラジルの1,146億 ドル、メ キシコの1,016億 ドルの対外純債務 残高 をは るか に上回るもので、ア メリカは世 界最大の債務 国に 転落 したのである。 これは、アメ リカが経常収支、 とりわけ貿易収 支の赤字 を年々拡大す る過程のなかで発生 した。 すなわち、図1で も明 らかなように、81年のアメ リカの経常収支は69億 ドルの黒字であったが、85 年には1,223億 ドルの赤字に達 した。 これに対 し て、 日本の経常収支は、80年に第二次石油 ショッ クの影響 で赤字 を計上 した ものの、翌年か らは早 くも黒字 とな り、83年か らは黒字が大幅に急増 し たo こうして、 日米間の貿易不均衡が著 しく突出 し たことによって、ア メ リカの対 日批判が一挙 に高 ま り、 日本は85年7月に市場開放のためのア クシ ョン ・プログラム を発表 した。 しか し、アメ リカ 側はそれで も不十分 であるとして、 日本に内需拡 大 を要請 して きた。 ところが、内需拡大す るのに あたって足かせ となったのがアメ リカの高金利で あ り、それを引下 げ るためには、 ドル高 を押 さえ 込むことが先決であった。なぜ ならば、 ドル高の 原因 となっていたアメ リカへの資金の大量流入 を くい止め るためには、アメ ])カ と諸外国 との間の 金利差 を上回 る為替差損 を生み出す必要があった か らである。 こうした状況は、 旧西 ドイツを中心 とした西欧 諸国 も日本 と同 じであったか ら、 日欧は協調 して アメ リカに ドル高 と高金利 を是正す るように強 く 要請 した。 そ して、先進主要国は協調 して積極的 に ドル売 り市場介入 を始め、為替相場 を ドル安-と導いた (図2参照)。 その結果、金利差では、依 然 として ドル資金の保有が有利であって も、元利 の回収にあたっては為替差損が生 じたために、ア メ リカ-の資金流入にブレー キがかか り、 ドル安 が実現 したのである。 これは、85年 9月に開催 さ れた 日米独英仏の先進

5

か国蔵相 ・中央銀行総裁 会議

(

G5)

で合意 した、協調的市場介入によるマ クロ経済政策調整の成果であった。 ドル高の是正 は、 それ まで為替相場に縛 られて いた各国の金融政策 を解放 し、金利引下げへの道 を開 き、各国はいっせ いに金利引下 げを始めた。 その協調的な金利引下げの足並みは下げ幅 といい、 タイ ミングの よさといい、みごとなまでに揃 って いた。特 に下げ幅は、各国 とも戦後最低の水準に まで達 した (図

3

参照)。 このような金融上のマ クロ経済政策調整が可能

(6)

倉科寿男 寡 占的国際経済体制 と変動相場制- ゲームの理論的アプローチ 図1 日米独の国際収支変動 -2000 ー 500 一500 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 年 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 年 西 ドイツ(旧) [:::コ 経常収 支 【≡≡1貿易収支 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 年 327 (資料 ) International Financial Statistics よ り作成.

(7)

328 長野大学紀要 第13巻 第4号 1992 36912 36912 36912 36912 36912 36912 36912 36912 36912 36912 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989午 (資料) 東京 銀行調査部 r東京銀行 月軌 よ り作成。 図3 日米独の公定歩合の推移 ㈲ 22 20 18 16 14 12 10 8 6 4 2 0 1980年 81 82 83 84 85 86 87 88 89 (資料) 日本 銀行調査統計局 rE]際比較統計) よ り作成 。

(8)

倉科寿男 寡占的国際経済体制と変動相場制- ゲームの理言釦勺アプローチ

3

2

9

になったのは、 日米独 (日米欧)間に次のような ゲームの理論的背景があったか らであると思われ る。すなわち、 日本 と旧西 ドイツなど西欧諸国の 場合には、金利 を引下げてア メ リカ との金利差が 拡大 したとして も、為替相場の先行 きが ドル安 で ある限 り、それ以上の ドル資産への資金活動 は起 こらないだろうとい う見通 しがあったか らである。 他方、アメ リカの場合には、再 び ドル高に戻 らな いようにす るために、金利 を引下げて諸外国 との 金利差 を縮小 されてお く必要があったか らである。 この ように して成立 したプ ラザ合意 とそれに基 づ く各国の市場介入 と金利引下げ とい う協調的ゲ ームによるマ クロ経済政策調整は、マ クロ的整合 システムをもたない変動相場制下においては、 ま さに意義ある画期的な出来事 であった といえるで あろ う。

(2

)非協調的ゲームによるケース プ ラザ合意に基づ くマ クロ経済政策調整によっ て、 ドル高は大幅に是正 されたが、アメ リカの経 常収支赤字 と日本の経常収支黒字 はいっこうに縮 小 しないばか りか、む しろ拡大傾 向を示 した (図

1

参照)。しか し、これ以上の ドル安 は各国の経済 成長 を損な うとの認識か ら

、8

7

2

、G5

にイ タ リア とカナダを加 えたG7は、プラザ合意の ド ル高是正 ・ドル安進行 に一応の終止符 を打つ こと を確認 した (ルーブル合意)。そ して、 このルー ブル合意において、為替相場 を 「当面の周辺の水 準」に安定 させ るために、赤字国による財政赤字 の削減 と金融引締め、黒字Elによる内需拡大 と金 融緩和 とい うマ クロ経済政策調整の必要性が うた われた。 ところが、輸入インフレの懸念が高 まった旧西 ドイツは、翌

8

8

7

月か ら

8

9

1

0

月までの問に、

6

回にわたって

0.

5%

ずつ累計

3.

0%

の公定歩合 の引上げを行 った。 また 日本 も同様に

、8

7

2

月 以降続いていた戦後最低水準の公定歩合に終止符 を打 ち

、8

9

年3月か ら同年

1

2

月までの間に3回に わた って累計

1.

7

5

%

の公定歩合 の引上 げ を行 っ た。この間、アメ リカは

8

8

8

月 と

8

9

2

月にそ れぞれ

0.

5%

ずつ公定歩合 を引上 げ

、 7%

とした (図3参照)。 このように、ルーフサル合意後の 日独の金利引上 げはその合意内容 に反 していた し、 またプ ラザ合 意後の協調的利下げパ ター ン とも異な り、各国の 利上 げ幅 とそのタイ ミングに足並みの乱れがみ ら れ た。 こうした金融上のマ クロ経済政策調整の乱 れは、 日米独の経済パフォーマンスの格差か ら生 じた非協調的ゲームの結果であると考 え られ る。 た とえば、図

4

で示す物価上昇率 につ いてみ る と

、8

5

年 (プ ラザ合意時)の消費者物価上昇率 は、 ア メ リカ

3.

5%

、日本

2.

0%

、旧西 ドイツ

2.

1

%

で あ る、翌

8

6

年にはアメ リカ

1.

9%

、日本

0.

6%

、旧 西 ドイツー

0.

2%

と下落 し

、3

か国 ともきわめて低 い水準にあった。 ところが、ルーブル合意後の

8

8

年の消費者物価上昇率 は、ア メ リカ

4.

1

%

、 日本

0.

7

%

、旧西 ドイツ

1.

1

%

であったが、翌

8

9

年には アメ リカ

4.

8%

、日本

2.

3%

、旧西 ドイツ

2.

8

%

と いずれ も上昇 し、 とりわけアメ リカの物価上昇率 は 日独 に輸入 インフレに対す る懸念 を高めた。 また、図5で示す実質経済成長率 につ いてみ る と

、8

5

年は 日米独 とも前年度の成長率 (アメリカ

6.

8%

、 日本

5.

1

%

、旧西 ドイツ

3.

3%)

を大幅に 下 回って、アメ リカ

3.

4

%

、日本

4.

9

%

、旧西 ドイ ツ

1.

9%

であ り、翌

8

6

年にはアメ リカ

2.

8

%

、日本

2.

5

%

、旧西 ドイツ

2.

3%

とさらに下落 し

、3

か国 とも低水準にあった。 ところが

、8

8

年の実質経済 成長率 は回復 し、アメ リカ

3.

9%

、日本

5.

7

%

、旧 西 ドイツ

3.

4%

、翌

8

9

年にはアメ リカ

3.

5

%

、日本

4.

9

%

、旧西 ドイツ

4.

0

%

と、アメ リカに比較 して 日独 の成長率が高 く、両国の通貨当局 はそれまで の金融政策が拡張的す ぎた と感 じていた。 このように、ルーブル合意後 をプラザ合意後 と 比較 してみ ると、前者は後者のように3か国が国 際均衡 を共通のマ クロ経済政策 目標 とすべ き国際 経済情勢に乏 しいことが指摘 できるであろう。す なわち、プラザ合意に基づ く協調的な為 替市場介 入 と金利引下げが可能になったのは、依 然 として 世界経済のなかで もっ とも影響力が強 く、依然 と して ドルが事実上の国際準備通貨であ るアメリカ の巨額 な経常収支赤字 を致済す ることが 日欧に と って有益 であったか らである。 このこ とに加 えて、 3か国の物価は ともに安定 してお り、経 済成長率 は低落傾向にあった とい う共通の国内経 済背景が、 こうした協調的ゲームに よるマ クロ経済政策調整 を可能に した といえるであろ う。 それがルーブル合意後においては、ア メ リカが

- 1

0

(9)

5-330 長野大学紀要 第13巻 第4号 1992 図4 日米独の消 費者物価上昇率 (対前年比) 5 0 日H H H 上 昇 率 (

%

) 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989年 ア メ リカ 一一一一一 日 本 一・-・一西 ドイツ(旧) 午 国 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 ア メ リ カ Cp 10.3 6.2 3.2 4.3 3.5 1.9 3_6 4.1 4.8 日 本 Cp 4.9 2.8 1.8 2.3 2.0 0.6 0.1 0.7 2.3 (資料 ) 日本銀行統計局 r国際比較統計J よ り作成。 図5 日米 独の実質経済成長率 (対前年比) 7 6 5 4 3 2 1 0 1 2 3 一 一 一 成 長 率 ( % ) 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989年 ア メ リカ 一一ーーー 日 本 -・-・_西 ドイツ(旧) 午 田 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 ア メ リ カ 2.5 -2.1 3.7 6.8 3.4 2.8 3.4 3.9 3.5 日 本 4.0 3.3 3.4 5.1 4.9 2ー5 4.5 5.7 4.9 (資料 ) E]本紙行統計局 rEl際比較統計J よ り作成。

(10)

倉科寿男 寡占的国際経済休制と変動相場制- ゲームの理論的アプローチ 331 危機的 な経常収支 の赤字か ら脱 したこ とか ら、各 国の世 界経済に対す る危機感が薄れ、各国は国際 均衡 を共通のマ クロ経済政策 肖標 とすべ き背景 を 失 ったのであ る。 む しろ、各国経済のパ フォーマ ンスに格差が生 じ、各国は国内均衡 を優先す る必 要 があったのである。 とはいって も、国際準備通 貨国ア メ リカを無視 した国内均衡優先 の政策運営 はあ りえないであろ うO この場合 のマ クロ経済政 策調整は、 まさにゲームの理論 におけ る選択肢 と その利得の移動構造が教示す るようなゲー ムの理O7) 論的掛 け引 きに よって行 われた といえるであろ う。 多 くの場合、 こ うした非協調的ゲームによるマ ク ロ経済政策調整が一般的である と考 えられ る。

5

.結語 以上 の論点か ら、次の ように要約 して結 び とし よ う。 第1に、世 界経済におけ るア メ リカの相対的地 位 の低下 と日独 (欧)の台豆削こよる寡 占的世界経 済体制下での変動相場制 は、 旧

IMF

・ブ レ トン ウ ッズ体制 による固定相場制の ようなマ クロ的整 合性 を確保す るシステム を内蔵 していない、 と考 える。 第2に、 そのために、変動相場制下 でのマ クロ 経済政策調整 は、寡 占的世 界経済体制 を構成 して い るメンバ一国間のゲームの理論的掛け引 きに よ って行 われ る。 その掛け引 きは、現行 の変動相場 制 が さ しあた り大過 な く機能 してい ると認識 され る限 り、非協調的ゲームによるマ クロ経済政策調 整 の繰 り返 しであ る、 と考 え られ る。 第3に、 しか し、ア メ リカが依然 として世 界経 済のなかで もっ とも影響力の強い国であ り、ア メ リカ ・ドルが依然 として事実上の国際準備通貨 と して機能 してい る限 り、す なわち、ブ レ トンウッ ズ体制下の ドル本位制 を内蔵 している現行 の変動 相場制 であ る限 り、協調的ゲー ムによるマ クロ経 済政策調整 は、ア メ リカの危機的状況、 た とえば、 ア メ リカの巨額 な国際収支不均衡や ドル相場 の異 常 な水準 を包み隠す ような仕方 でマ クロ経済政策 調整が成立す る、 と考 え られ る。 第

4

に、 この ように、 旧

IMF

・ブ レ トンウッ ズ体制 による ドル本位制の性格 を保有 している現 行 の変動相場制 の もとでは、変動相場制で期待 さ れた 「経常収支 の調整効果」や 「金融政策の 自立 性」や 「インフレの国際的波及の遮断効果」 をあ てにす るこ とはで きない、 と考 えられるOす なわ ち、現行 の変動相場制 では、暗黙に依然 として

n

- 1問題」が存続 しているか らであ る。 第

5

に、 そこで、現行 の変動相場制 は

n

-1

問題」 をかか えて、 それ をゲームの理論 的掛け引 きに よるマ クロ経済政策調整に よって解決 してい る、 といえるであろ う。 したが って、現行 の変動 相場制の もとでのマ クロ経済政策調整はか な りの 貯余 曲折が伴 うこ とにな り、変動相場制 の もとで の

「n

- 1問題」 をどう解決す るかが、現行 の変 動相場制 を運営 してい くうえで大 きな課題 とな る であろ う。 (付記 :本稿は、1991年10月11日∼12日に名古屋国 際会議場で開催 された国際経済学会第50回全国 大会報告におけるフル ・ペーパーを加筆 したもの である。) (くらしな としお 非常勤講師) (1991.12.20受理) 証 (1)当時の変動相場制論争については、拙稿 「変動為 替相場制論 とその展望 (上 ・下)

F世界経済評論j 1974年7-8月号で詳 しく述べた。 (2)固定相場制 と変動相場制のインフレの国際的波 及問題に関する比較研究は、土屋六郎 との共著 F世 界インフレーション』新評論、1978年、および拙著 『世界インフレ論J中央大学出版部、1982年で詳 し く述べた。 (3)このことは、基軸通貨国アメリカが過度に拡張的 な金融政策 を採用 してインフレを引 き起 こすこと ができないことを意味していた。 (4) このことは、非基軸通貨Elに対 しても金融節度を 課 した。 しかし、裏返せば、金融政策の 自立性の喪 失でもあった。 (5) 河合正弘助教授は、旧

IMF

・ブレ トンウッズ体 制はアメリカを

n

番 目の国」として位 置づけるこ とによって、国際収支 と為替相場の面で

n

-1問 題」を整合的に解決することのできたシステムであ った、 と述べている。河合正弘 F国際金融 と開放マ クロ経済学1東洋経済新報社、1986年、および河合 正弘他 「国際政策協調の経済学

『経済セ ミナ

ーj

1988年5月号∼89年5月号。 (6) ジェ トロは、「日米欧の協調で世 界経済の発展を

- 10

(11)

7-332 長野大学紀要 第13巻第4号 1992 とい う副題の1991年度版の 『自書』を発表 した。 そ の なかで、冷戦終結後の世 界経済 での 日米欧による 三極の協 調の重要性 を指摘 し、世 界経済の現状 を寡 占的世 界経済体制 と位置づ け る表現 をしている。 (7) ∫.Williamsonは、為 替相場 の変更のための国際 的手続 きや経常収支調整 の ため の国際的 ルー ルが 存在 しない とい う意味で、現行の変動相場制 を 「ノ ンシステム」 と呼んだ。Williamson,j.,HTheBene -fitsandCostsofanlntemationalMonetary Non・sy

s

tem",inEdwardM.Bernsteinetal., "Reflec

t

ionsonJamai

c

a",Essaysinlntemational

_

Finance,Na15(April1976),Internatl.OnalFinance

S∝tion,PrincetonUniversitypp.54-59. (8) 1976年1月、ジャマ イカのキングス トンで開催 さ れ たIM F暫定委員会 で変動相場制 を正 式承 認す るな ど、第二次IMF協定の改正が行 われた (キン グス トン合意)0 (9) 1985年6月、東京での10か国蔵相会議開催 に先立 ち、同代理会議が1年半検討 を重ねて提 出 した報告 書 『国際通貨制度の機能に関す る報告 (The Fun-ctioningofthelntemationalMonetarySystem)j

は、(D変動相場制 に代 わ るような為替相場制は現在 ない こ と、(参IM Fの行 うサーベ イ ランスの ほか に、経済大国の動 きを多角的に監視す る必要があ る こ と (多角 的サーベ イランス)、③ 国際流動性 の運 営、佳)IMFの役割、 な どを内容 としてい るQ qO伊藤元重 F入門経済学』 日本評論社、1988年 お よ び 「ゲー ムの理論

F経済セ ミナー』1991年1月号. 今井春雄 「ゲームの理論 と経 済学

『経済セ ミナ

ー』

1991年4月号。 (ll)わが国 にお いてゲー ムの理 論 を国際経済学 の分 野に応用 した研究 としては、 た とえば河合正 弘 『前 掲書』、河合正弘他 「前掲論文」、石井菜穂子 F政策 協調 の経 済学j 日本 経 済新 聞社、1990年 な どが あ る。 (12)ゲー ムの理論では、 これは 「繰 り返 しゲー ム」 と して分析 され、一度 限 りのゲーム とは意味合 いが大 いに異なるであろ う。 (13)この点につ いては、拙稿 「変動相場制 と国際金融 政策協調」中央大学経済研究所編F日本の国際経済 政策』中央大学 出版部、1992年において詳細に論述 してい る。 (14)プ ラザ合 意前後 の 日米 間のゲー ムの理論 的掛 け 引 きについては、J.A.フランケル,C.F.バー グステ ン著、高橋由人訳 『円 ・ドル合意後の金融市場』東 洋経済新報社、1985年お よび石井菜穂子 F前掲書』 第1-3章 に詳 しい。 (15)この点については、拙稿 「変動相場制下の国際協 調

『長野大学紀要』第12巻 第1号、1990年で詳 し く 論述 した。 (16)ルーブル合意については、石井菜穂子 F前掲書j 第4章 に詳 しい。 (17) この点に関す る一連の 「囚人のデ ィレンマ」的 な 図解 は、拙稿「変動相場制 と国際金融政策協調」(前 出) で試みてい る。

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