労働力の価値 と 「
貧 困」
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The Value of Labour Power and Poverty
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Developed Capitalist Society―
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Naoyoshi Karakama
前号 と本号 との内容上のつなが りを示すために、 全体の構成を再掲す る。は じめ に
Ⅰ
労働 と貧困 1.私的労働 と社会的労働 -その矛盾 と 「均衡 」-2.労働 と貧困 (1)恐慌時の労働 と貧困一大量失業-(2)不況期の労働 と貧困一労働の 「 分割」-(3)好況期の労働 と貧困一熟練の陳腐化-(4)小括一貧困 と労働力価値- (以上、二号) 3.経済循環 と貧困 (以下、本号) (1)労働力再生産の視点か ら貧困を把握す る意 味 (2)貧困の経済的 ・社会的意味Ⅶ
貧困 と福祉 1.労働力商品 と労働力一般一福祉の対象者-2.貧困 と福祉一福祉の対象-(1)労働力再生産の不安定に対応す る福祉 一社 会保険制度 とその限界-(2)貧 困に対応す る福祉一公的扶助制度 とその 他救的性格-3.労働と福祉-まとめにかえて-1
労 働 と貧 困3.
経 済 循環 と貧 困 (1)労働力再生産の視点から貧困を把撞する意味 前号 までの諭稿において、貧困を 「労働力の再 生産が不可能にされている状態」 として把捉 して きた。その意味す るところを概括的にまとめてみ ると、次の ように示 され る。 第-に、 「労働力」を問題に していることから、 貧困の状態におかれている主体を、 「労働力の所 有者」
-働いている人びとと捉えている。前節で は、説明を簡単化 して趣 旨を明確なものに しよう としたために、 「商品化」 された労働力-労働者 階級について中心的に考察 したが、本来は 「働い ている人び と」一般を考察の対象 としている。「労 働力商品」に関 して検討 してきた ところの貧困発 現の メカニズムは、次章において示 され る今 日的 な諸理由によ り、 「社会的分業を担 う人々」全体 にあてはまると考える。 なお、 「社会的平均的労働遂行能力」を保持 し ないとみなされ ることか ら、雇用磯会を剥奪 され ている (商品労働力たることか ら疎外 されている) 障害者等については、当然に 「労働力の保有者」
と把握 され るべ きである。 「障害者」 とい う概念 は社会的 ・歴史的概念であ って、何を以 って 「障 害者」 と規定するかほ、その社会のあ り方に深 く かかわ っている。生産力の発展は、本来、人間労 働の労苦 (アダム ・スミスの言 う`toilandtrouble') を軽減 し、 より多 くの障害者 とみなされてきた人 びとを社会的労働の枠 内に組み入れ るはずの もの であるが、必ず しもそ うならないのは、生産力の 発展が特定の社会的 目的に充用 されているか らで ある。 第二に、 「労働力の再生産」は、資本の再生産 -循環 と対置 され る概念であ り、資本主義社会の 再生産を構成 している一方の要素 と捉えられる。その意味で、労働力再生産は 「経済の循環」に位 置づけ られて、考察 されなければな らない。 第三に、 「労働力の再生産の不可能
」
-貧困 と は、歴史的に発展す る資本主義的生産の内部にお いて、生産力の発展が労働力に対 して要請す る歴 史的 ・社会的な労働力水準の保全(
-最低限水準 の保持) を、労働力の所有者が欠落せ しめ られて いる状態 と捉え られ る。歴史貫通的なひ とつの絶 対的水準が労働力再生産 の可能 ・不可能を判定す る基準ではない。それは、資本の再生産において、 獲得 されて よ り大 きな規模の生産のための資本 と なる利潤の社会的水準 (平均利潤)が、産業資本 主義段階 と独占資本主義段階 とで格段に異なるの と同 じである。 第四に、以上の ことか ら、 「貧困」は社会の発 展につれて、その内容や形態が (したが って水準 が) 「発展」す るものである。
「労働力の再生産」-
「生活」が経済の循環を構成する一要素 として 位置づけ られ るとい うことは、社会的な生産力水 準の発展段階に規定 されているところの 「社会の 再生産」のパ ターソに生活が依存 していることを 意味 している。特に、 このパ ターンが急激な経済 成長な どの原因に よって変転走 りない ときには、 「生活」は時 々のパターンとの対応を確保 で きず、 「不安定」化を余儀な くされ る(.n 労働力再生産の視点か ら貧困にアプローチす る ことには、以上の ような方法的特徴がある。 ところで、 このアプローチの方法に対 して、「貧 困」を把握す るとい う目的 自体に相違があるので はないが、別のアプ ローチの方法がある。 明 らか に しよ うとす る 「貧 困」の内容の違 いに規定 され て、 アプローチの方法が異な って くると考え られ るが、単に 「着眼点の相違」 とか 「専門性の違い」 とかに解消できない側面 もあ る.そのアプ ローチ の方法には大 き く分けて2つの方法がある。ひ と つは労働過程分析を方法 とす るもので、労働現場 (生産点)での労働強化 ・搾取強化や資本支配の 拡大に、今 日の 「貧 困」の所在を認め よ うとす る 議論である(02)もうひ とつは地域経済分析を方法 と す るもので、地域 「住民」の生活環境悪化や社会 資本整備の不足に、現代の 「貧困」の所在を認め ようとす る議論である(.3) この2つのアプローチは、戦後 日本の高度経済 - 2 -成長の過程 で、新たな問題性を もちなが ら発現 し た 「貧困」を把捉す るものであ ったが、他方、高 度経済成長が もた らした 「所得倍増」
-賃金上昇、 「労働力不足」
-労働力流動化 とい う二大基調の もとで、労働力再生産の視点か らの貧 困把握を乗 り越 える意図を もって登場 した理論的方法であ っ た。 その乗 り越 え方は、労働力再生産論の継承 と 発展の延長線上に位置づけ られ るもの とはいえな い。労働力再生産視点 との非継承性は、地域経済 分析 アプローチの代表的論者 自らが、その研究対 象を 「新 しい貧 困」
「現代的貧困」 と称 した こと に象徴的に示 されてい る。労働力再生産視点か ら の研究対象は、地域経済分析 の立場か らは 「古い 貧困」
「古典的貧困」 と称 されたのであ ったA4) ところで、 この2つの新 しいアプローチを、先 に示 した労働力再生産論の方法的諸特徴 と対比 し てみ ると、両者の断絶性の意味が、多少 とも浮彫 りに され ると思 う。 第一に、労働過程分析アプローチは、貧困を 「労 働」 とのつなが りにおいて捉えている点に、労働 力再生産視点 との共通基盤が認め られ る。 しか し、 そこにおけ る 「貧困」は、飽 くまで も「労働過程 」 とい う厳密な労働概念に限定 された局面において 把握 されているにす ぎない。 「生活過程 」との統 一が果た されていないのである。貧困 とは労働者 の生活を通 して具体的に発現す るものであろ うか ら、労働過程におけ る 「搾取の強化」「支配の拡 大 」は、生活過程におけ る自己回復の喪失 ・再生 産の阻害- と投射 され ざるを得 ないであろ う。最 近の過労死問題はその先鋭な発現形態 であ り、「生 存」とい う最 も重い意味での労働力再生産の否定 にはかならないが、そ うした極限状態が出現す る 以前 に、 よ り潜在的、長期的なかたちでの労働力 再生産の阻害が存在 していることに気づかなけれ ばな らない。 またこの 「貧困 」の片面的理解は、 生活過程 との統一を欠 くことに よ り、 「貧困 」を 経済 の循環に位置づけて捉えることを不可能にす るだ ろ う。個別資本 との対決がひ ときわ鮮 明化 さ れ るよ うになる。 ここか らは職場闘争 (個別的問 題解決)の重要性は導 き出 されて も、貧困に対す る福祉 (広義の社会保障-全体的問題解決)の必 要性は導 き出されないのではなか ろ うか。 第二 に、地域経済分析 アプローチは、労働過程分析 アプローチと対照的である。高度成長下の新 しい経済循環の局面-私的企業に よる 「地域 」の 独占的掌握 と財政活動に媒介 された社会資本投資 の活発化に着 日しなが ら、それ との関連において 「貧困 」を把握 した点に、再生産-循環視点の存 在が認め られ る。 しか しなが ら、 「貧困 」を体現 す る主体は、 「地域 」に住む 「住民 」とい う新 し い概念において把握 された ものであった。 この概 念は 「労働 」お よび 「労働力 」概念 と何 ら関係の ない ものである。社会を維持す る うえで最 も基礎 的なファクターであるところの 「労働
」-
「生産 」 概念を介 して 「貧困 」が把握 されたのではな く、 全 く新 しいファクターであるところの国お よび地 方 自治体の経済活動の分析を通 して 「貧困 」が把 握 されたのであ った。 「住民 」概念はこの点に リ ンクされた ものであろ う。 ところで、 「地域 」を分析の フィール ドとす る 場合でも、一方に私的独 占と地方 自治体 ・国家が あ り、他方に 「地域住民生活 」 (消費生活)があ って、両者が 「労働 」 (生産)の媒介な しに直接 結びつけ られたならば、両者は 「新 しい貧困 」を め ぐって対立す る関係 として しか把握 されないだ ろ う。生産 と生活が対立 し合 うもの として理解 さ れることになる。こうして 「住民運動 」の側で 「も の とり主義 」が高言 され、 「もの とり」が一定程 度成功 した後は、 「対立 」とい う関係は次-の展 開を望みえない 「解消 」とい う末路を歩んだかの ように思われ る。 しか し、生産 と生活が本来 「対 立 」す るものであっては、経済の循環は成 り立た ない。 したが って、 この地域経済分析 アプ ローチ において も、生産 と生活の対立的理解は必然的に 改め られ ざるを得なか った と思われる。その行 き ついた結論が 「地場産業 」の擁護 と提唱であった のだろ う(.5)しか し、 この結論において も「労働 」 概念の媒介は、現実の経済の循環に照 らしてなお 不完全であ り、 フォル クロア的 メル- ンと誤解 さ れ る余地を残 しているように思われ る。生産 と生 活の関係は、 「労働 」を媒介 とす ることに よって、 「対立 」ではない 「矛盾 」とい う把握を可能にさ れ るものではなかろ うか。 この意味か らすれば、 地域経済分析 アプローチにおけ る再生産-循環 と い う視点は、財政活動に限定 された部分的なもの であるといえるか も知れない。 しか しなが ら、上の2つのアプローチに対する 論評は、労働力再生産視点か らの貧困把蛙の優位 性を物語 っているわけではない。 この視点が、現 代の貧困を歴史的発展を ともなわないある種の絶 対的水準で把握 し、その存在を極 く局限された例 外的な事象 として しか捉えなか った としたならは (B ・S・ラウソ トリーの第 3回 ヨーク調査のよ うに)、これ もまた貧困を現代の経済の循環の一 局面において捉えたにす ぎないことになるであろ う。そ して、 この限界か ら「新 しい貧困 」-のア プローチが生 まれたのであるな らば、それはむ し ろ当然の経緯 といえよう。だが、労働力再生産視 点は、実際には実態調査を通 して貧困の社会的水 準把握を推 し進め、貧困概念の発展を労働力再生 産の視角から果た してきた。貧困を何 らかの絶対 的水準以下の もの として捉え、その結果が社会の 変化 ・発展に対応 しないとして、別の新 しい貧困 把握の方法に向 った流れのなかにこそ、貧困のス テ ロタイプ的理解が息づいていた といえるのでほ ないか。高度成長下での労働力再生産視点か らの 貧困把櫨の過程は、絶えざる生活分析枠組の再構 成の過程であった と思われ る。そのことは、 「社 会的固定費 目」とか 「社会的強要費 目」といった 新 しい家計分析概念の成立 と、それにもとづ く「社 会的孤立 」問題の把握のなかに一端が示 されてい る(06) 労働力再生産視点に対置 され るこれ ら2つの貧 困分析 アプローチは、わが国の高度成長下の新 し い社会問題に積極的に対応 した。労働過程におけ る資本支配の強 ま りや公害 ・生活環境破壊 とい う 資本に よる社会的収奪を、 「貧困化 」や 「新 しい 貧困 」の名の もとに把握 した。 しか し、これ らの 各々の 「貧困 」が、 日々働いて生活す る人々の具 体的な姿に どの ように体現 されているか、 とい う ことは必ず しも明らかにされなか った。む しろ、 具体的な生活場面において貧困を検証す ることに 接触 しないできた とい って よい。生活 と切 り離 さ れた労働過程での 「貧困 」。労働 とも切 り離 され、 しか も「住民 」とい う生活の全過程か らも切 り取 られた部分における「貧困 」。 これ らの 「貧困 」 は労働力の再生産 とい うひ とつの循環を部分的に しか構成 しない点で、 「貧困現象 」の把握にとど まると思われる(07)貧困は常 に、資本主義社会 の再生産-循環のな かに位置づけ られて捉えられ る必要がある。貧困 を体現す る存在であるところの国民諸階層は、一 方において 「労働-生産 」を通 じて経済の循環に 位置づけ られてい るのであるか ら、何 よ りも「働 いている人間 」として、 「社会的分業 を担 う人間 」 として、把握 されなければならない。 そ して また、 他方、 「生活-消費 」を通 じて も経済の循環に位 置づけ られてい るのだか ら、 「生活 している人間 」 として、 「生産物の価値を実現す る人間 」として 把握 されなければならない。 この両者の統合が 「労 働力再生産 」とい うことであ り、そ こにおけ る貧 困の検証を通 じて、貧困の社会的 ・経済的意味が 明 らかになると考え られるのである(.8) (2)貧困の経済的 ・社会的意味 ここで、 この節の締め くくりとして、 「資本 」 の再生産-循環 とい う視点か ら「貧困 」にアプロ ーチ しているも うひ とつの理論的方法について言 及 しようと思 う。 塩 田庄兵衛氏は戦前 日本の 「貧困 」研究の書 と して、山田盛太郎 F日本資本主義分析 』をあげて いa(3)筆者の通読によれば、この有名な著作に 「貧 困 」の概念は直接的には明示 されていない。それ に もかかわ らず、 この著作が貧困研究の書である とい う評価は、 どこか ら導 き出せ るのであろ うか。 もちろん塩 田氏の指摘の ように、戦前 日本の労働 者の 「イ ソ ド以下的 」と言われた低賃金 と高率小 作料の徴収に よる農民の生活の窮乏が、 F分析 』 の基礎にあることは言 うまで もない。 しか し、貧 困研究であることの意味は、 こ うした戦前 日本の 労働者や農民の窮状がふ まえ られている点にある だけでな く、それ らの貧困が 「経済の循環 」vTL位 置づけ られて把捉 されている点 にあ ると筆者 は考 える。解説的になるが、 『分析 』の要蹄を述べ る と、以下の とお りになるだろ う。 (むわが国戦前 (正確には産業資本主義の確立期) の労働者の低賃金労働 (「半隷奴的労役 」) と小 作農の高率小作料納入
(
「半隷農的年貢徴収 」) との相関に より、わが国資本主義の再生産-循環 は国内市場 (個 人消費需要)に基礎づけ られ る部 分が極めて少なか った とい うこと (「狭陰なる再 生産軌道 」)0 1 4 -②そのため、外国市場を再生産 の大 きな支柱 に据 えて、そ こでの商品価値実現を図 らなければな ら なか った とい うこと(
「植民地圏確保 」)0 ③それ とともに、軍事機構 と軍事生産の早期の確 立が必然化 した とい うこと(
「わが国早期の帝国 主義的設備 」)(lob この骨子を貧困研究 とい う視角か ら捉え直 して み ると、直接的に明確であるのは①に示 した とこ ろの低賃金労働 と高率小作料納入に規定 された労 働者 ・農民の貧困である。それは 「女工哀史」
「結 核工女 」とい う事実に よって示 されて きた。 しか し、筆者が よ り重要であると思 うF分析 』の内容 は、貧困の指摘 よりも、む しろ貧 困に規定 されて、 わが国の資本主義 としての再生産軌道が狭陰な も のにな らざるをえなか った とい う指摘の方 にある と考 える。山田氏は、資本主義の再生産-循環が 国内市場の規模 ・充実度に本来的には依存 してい ることを、 「狭陰なる再生産軌道 」の必至性の う ちに示そ うとしたのではないだ ろ うか。本来、一 国資本主義のなかで実現 され るべ き再生産-循環 が、戦前のわが国においては、後発の資本主義国 であ るとい う歴史的な事情の下に、対外的要因に よって不可能 とされていたのであ った。 山田氏は、 そ うした国際的環境の もとで 「狭陰な る再生産軌 道 」に もとづ き 「植民地圏確保 」に向 うわが国の 経 済構造を 「転倒性」
(または 「軒倒的矛盾」)
と呼んだ。 この 「顛倒 」しているとい う把握の基 礎に、労働者 ・農民の 「貧困 」が位置づけ られて いた と思 うのである。 この意味で F分析 』がす ぐ れて貧困研究 の書であるとい う評価が下せ るので はなかろ うか。 『分析 』は再生産表式論の 日本資本主義-の適 用 といわれ るように、経済の循環-再生産 をその 方法 としている。 この方法的特徴に限 ってみ るな らば、それは労働力再生産論の方法 とあ る面 で共 通性があると思われ る。資本主義経済 の循環は、 資本の再生産 と労働力の再生産をふたつなが ら含 みつつ成立 している。そ して後者の阻害-
「貧困 」 は、戦前 のわが国資本主義の循環を 「狭 隆 」な も のに、 「軒倒」 した ものに構成 したのであ った。 現代の 日本について、今 日の貧困が経済循環に ど の よ うに位置づけ られ るかは、筆者の考察力の及 ぶ ところではない。 しか し、 自国の農業生産を犠牡 に して まで、工 業 製 品 の輸 出拡 大 を維 持 しなけ れ ば な らな いわ が 国の資 本は、 そ の再 生 産 の支柱 と して 、 今後 い よい よ外 国市 場 - の依存 を強 め る の で あ ろ うか。 それ と も資産 格 差 、 消費格 差 の是 正 を福祉 政 策 を通 じて図 りつつ 、 国 内市 場 の 陸全 な成 長 に再生 産 の支柱 を求め るので あ ろ うか。 そ ノ寸 ルプ れ と も さ らに、泡 沫経 済 の よ うな腐朽 的 な資 本 の 再 生 産 を再 び 出現 させ るの で あろ うか。経 済 循 環 の なか に今 日的 な意 味 での貧 困 を位 置 づ け る こ と の 必要 性 が 、今 も問わ れ てい る と思 うの であ る。 荏(1)龍山京氏と江 口英一氏は、高度経済成長下のわが 国の貧困の特質を生活の 「不安定」 として抱腹 さ れた。 龍山京 「経済成長下の労働者生活
」(
『 日本労働 協会雑誌』133号、 1970年4月) 江 口英一 「貧困研究の視角」(
『大河内一男教授 退官記念論文集(1)』有斐閣、 1966年) 荏(2)高木督夫 「現代資本主義と貧困化法則」(
『新マ ル クス経済学講座4』有斐閣、 1973年)と くにそ の「
1貧困化法則の経済的諸問題」参風っ 荏(3)宮本憲一 「貧困化論をめ ぐる理論的諸問題」
(
『新 マル クス経済学講座6』有斐閣、 1976年)と くに その「
1貧困の多様化と現代的貧困」参照。 荏(4)宮本憲一、前掲論文参照。 「現代的」貧困と 「古典的」貧困の区別的理解に ついて論 じた ものに次の論文がある。 小谷義次 「現代の貧困について-アメリカ合衆国 にみる-
」(
『社会保障研究 』9(4)1974年3月) 荏(5)官本憲一 「地域開発の現実と課題」 (宮本憲一編 『大都市とコンビナー ト・大阪 』筑摩書房、1977 年)と くにその「
2
地域開発論の理論的検討」参 照。 荏(6)江 口英一『現代 の低所得層 (中)』
(未来社、 1980年)「第6章 も貧乏線d以下生活の構造」 415ページ参照。 荏(7)地域経済分析 アプロ-チが労働問題研究に与えた 影響 もある。相沢与-氏は 「新 しい貧困」 の問題 を 「労働の社会化」という概念のもとに、労働問 題研究の枠組.みのなかに積極的に取 り入れ ようと された。 相沢与- 「現代の貧困化と労働運動 (上)」 (『現 代と思想 』ND.27、青木書店、 1977年) 注(8)大熊信行『生命再生産の理論一人間中心の思想 』 (上 ・下、東洋経済新報社、 1974年) 大熊氏は、経済学的把握 とい う意味で、人間を 「労働力」 として しか把握 しない 「労働力再生産 論」を批判 されなが ら、それに対抗するものとし て 「生命再生産の理論」を主張 している。
「消費」 とい う経済学の把握のなかに 「生命の再生産」と い う意義があることを強調 している。 しか し、こ の批判は、社会の維持における労働の意味を、社 会の維持における生活の意味と同 じ重 さにおいて 把握 しない点で、 「社会の再生産」を理論上、構 成 しないことになると思 う。大熊氏の生命等垂思 想 ・平和思想の 「科学化」 とい う姿勢は高 く評価 されなければな らないが、上記のような問題点が なお残 されていると思われ る。氏の著作は近代経 済学批判、マルクス経済学批判、社会主義経済批 判に及ぶ遠大なもので、安易な論評をさしはさむ ことを拒んでいる。別の機会において、その意義 を考察 したい。尚、大愚氏の考え方について論評 した ものに次の論文がある。 井上敏夫 「国民生活の再生産理論一大熊信行『生 命再生産の理論 』の系譜的位置-
」(
「国民生活 研究」第15巻第4号 1976年3月) 注(9)塩田庄兵衛 「貧困 ・生活不安の解決にむけて」
(,J、 倉裏二 ・真田是編『貧困 ・生活不安 と社会保障 』 法律文化社、 1979年)286- 289ページ参照。 注(10)山田盛太郎『 日本資本主義分析 』(岩波書店、 1934年)160- 161ページ参照。Ⅱ
貧困と福祉 Ⅰにお いて、社会 的労働 と私 的 労働 の矛盾 とい う観 点 に、 今 日的 な意 味 での 「貧 困 」を位置 づけ て考 察 して きた。
廿では 労働 と貧 困 のつ なが りを よ り現 実 に近づ け て考 察 し直 しなが ら、 「貧 困 」 と福祉 の関係 を把 握 して い きた い と思 う。 そ こか ら広 い意 味 での福祉 (よ り政 策 的概 念 と して は社 会 保 障)tl♭対 象 と対 象者 が、 本 来 的 には何 であ り 誰 で あ るべ きか、 とい う現実 的 な課題 に多少 な り と も接 近 した い。 Ⅰで は 「貧 困 」を狭 い資 本-賃 労働 関係 か ら生 ず る もの と して は、直接 に は捉 え なか った。資 本 主 義経 済 の循 環 (再 生産) を念 頭 に お きなが ら、 循 環 の各局 面 ご とに私 的 労働 と社 会 的 労働 の矛盾の発現のあ り方 を考察 し、そこに貧困発生の経済 的根拠を見出そ うとした。 もちろん 「どんな労働 者で も労働者である以上、搾取 されているのだか ら貧 困だ 」とい うよ うな短絡的で画一的な理解が、 資本-賃労働関係視点か らの貧困理解の真髄であ るとは決 して思わないが、貧困を搾取-剰余価値 生産の確認 に終わ らせて しま うことだけは避けた か ったのである。資本主義 とい う歴史の舞台にお いては、私的労働 と社会的労働の矛盾 の歴史的に 具体的な姿が、資本-賃労働関係に映 し出され る ものであ る、 と理解すべ きであろ う。筆者の 「貧 困 」の理論的検討 も、労働力 「商品 」の媒介な く しては語れなか った。 しか し労働力 「商品 」の位 置は 「貧困 」を媒介するものであって、労働力 「商 品
」
-貧困ではない。 この相違が 「私的労働 と社 会的労働の矛盾 」とい う把握に拘泥 した結果なの である。 ところで、 「貧困 」の理論的検証の方法を 「私 的労働 と社会的労働の矛盾 」に求めた ことは、初 めか ら「福祉 」を考察対象 とす るとい うことを予 定 していたか らで もある。今 日、福祉 の対象者は 階級 としての労働者だけではない。 いまなお就業 人口の重要 な部分を占める農漁民、 自営業者 など を も含んでいる。 ここで仮 りに、 「福祉 」が何 ら か 「貧困 」に対処す るものであると考 えたな らば、 労働力 「商品」
-貧困 とい う理解は、 これ らの商 品化 していない労働力の所有者の 「貧 困 」か ら限 をそ らす ことになるであろ う。 「社会的労働 」と い う枠 で 「貧困 」を、 したが って 「福祉 」を考え なければな らない と思 ったのは、 このためである。 しか しなが ら、 「福祉 」の対象者が実際に どの ような存在 であ るか、 とい うことを考 えることは、 「福祉 」の 目的を何 と捉えるべ きか、 とい うこと と深 く結 びついている。 「福祉 」は 「貧 困 」に対 処す るものなのか。 「貧困 」であるとして も、 ど のような性格の 「貧困 」に対処するのか。 また 「福 祉 」は 「貧困 」とは関係のない特定の 「ニー ド」 に対処す るものか。 「ニー ド」と 「貧困 」は本当 に関係づけ られないものか、等 々。実際には整理 す ることのむずか しい問題が山 と帯 まれている。 この 廿では、 これ らの困難な諸問題に対 して、 Ⅰでの 「貧 困 」把握の視点に尊びかれなが ら、「福 祉 」の本質把握の糸 口を捉えたい と思 う。 6-1
,
労働 力商品 と労働 力一 般 一福祉 の対 象者 -しば -しば社会保障は 「労働者の権利 」といわれ る。 この ことは、資本主義社会におけ る労働者の 経済的特質を代弁 しているとい う意味で、真理で あ る と思われ る。資 本主義社会 において労働者 は、生産手段の私的所有か ら切 り離 された無産老 (prol昌tariat)で あ り、 そ の た め に賃 金 労 働 者 (salariat)として 日々自らの労働力を販売す るこ とを通 じて しか、本人とその家族の再生産を果た す ことはできない。 もし労働力の販売に関 して障 害が 出現 したな らば、 この労働力の販売に代わ る 何 ものかが存在 しない と、その再生産は不可能に なる。現代の社会保障制度の起源のひ とつは、熟 練労働者の友愛組織におけ る共済活動に求め るこ とがで きる。 この よ うに生活上発生す るさまざま な起伏 (疾病 ・障害 ・失業 ・死亡 な どの社会的事 敬)に対す る保障の必要性は、労働者の経済的 ・ 社会的特性に依拠 しているであろ う。 この意味か らす るな らば、経済的範噂 としての農民-小農や 自営業者-小企業家は、各 々の生活上発生す る起 伏に対 して、本来、社会的な 「福祉 」とは別種の 何か (農地 とか種 々の労働手段 とか資本など)に、 生活の保障を託す ことができる存在 なのであろ う。 この点 を強調 して捉 え ると、 農民や 自営業者は 「福祉 」に頼 らず ともや っていけ る`
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の存在 であるとい うことが、その本質的な姿 なの だ といえ るか も知れない。その点に中間階級の労 働者に対す る経済的優位が示 され るのであろ う。 しか しなが ら、今 日 (とい うよりもかな り以前 か ら) 、福祉が対象 とす る国民諸階層 は、労働者 を中心 としなが らもそれに限定 されず、 これ ら中 間層を包含 している。 このことは経済学的にみて、 何を意味す るであろ うか。以下、 この福祉 の対象 者 とい う点を、 しば ら く「貧困 」を離れて、考察 す ることに したい。 「商品化 」した労働力の所有者だけに とどまら ない福祉 の対象者の拡大は、何 を経済的な根拠 と しているだろ うか。それは、 ごく端的に言 うと、 労働者以外の人々に対す る資本の法則の貫徹 とそ れに伴 う労働力価値の社会的評価の この分野での 成立 であろ う。 この経緯を農民に代表 させて説明 す ると次の如 くである。 (農民-小農は本来、 自 家生産 ・自家消費を行 うとい う意味で、商品経済に巻 き込 まれ る度合いが最 も少な く、また遅 い。 したが って資本の法則の作用 も他の分野 よ り遅れ て侵透す る。 この理由か ら、農民を代表 として選 んだ。 ) そ もそ も小農的農業生産において、農産物価格
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2
) はC+V
で決 まる。 しか し小農に とってⅤ (自家 労賃)範噂 の成立は二重の意味で不確定的である。 第一の理由。小農の 自己の再生産費は、農産物 の販売価格か ら生産費 (C部分-種子代 ・肥料代 ・農器具の減価償却分な ど)を差 し引いた残 りの 全てであ る。 もし販売価格が市況の変化に よって 低落 した として も、農産物の販売 (出荷)はC部 分を回収 できる限 り、その水準に下が るまで継続 され る。 Ⅴ部分の完全な実現は意 図 されない。そ の理 由は、小農が食料の 自家生産 ・自家消費を行 い うるか らである。 この点が資本主義的に生産 さ れ る商品 (その価値構成はC+Ⅴ+孤)
との相異 であ る。商品の所有者た る資本家は、た とえ どん なに市況が悪化 して も、生産を継続す るためには, 自分に とっての経費 たるC+V
の回収は最低限確 保 しなければな らない。 また資本家が 自らの再生 産のために必要な最小限のm (利潤) も確保 しな ければな らない。 第二の理 由。今度は農業労働に眼を転 じてみ よ う。農業労働は、 「商品化 」した労働 力の労働 と 異な り、時間で区切 られて販売 される とい う性格 を もたない。農民は農業労働をお こな う「労働主 体 」であ ると同時 に、生産-耕作の 自主的な主導 権を もつ 「経営主体 」で もあ る。 この2つの性格 を一身に具有す る小商品生産者 である。 したが っ て、農産物価格(
C+Ⅴ)
が一定であ るとした場 合、土地耕作面積に余裕があるために生産量をふ やせ るか、 または労働密度を高め ることで生産量 をふやせ るか、その どちらかが可能であるな らば、 農民 は自己の労働投入を強めて、そこか らよ り多 い収入を獲得 しようとす る。 この点か らみて もⅤ 範噂 の成立はむずか しいのであ る。 小農的農業生産におけ る労働の特質は以上の と お りであ る。 しか しなが らこの特質は資本主義の 成立以来、資本の法則の農業分野-の侵透 ととも に徐 々に崩れ始め る。その侵透は2つの経路を通 じて進む。ひ とつは農村 ・農家-の商品経済の侵 透であ り、 もうひ とつは農家労働力の 「商品化 」 であ る。本源的蓄積期に進行 した二重の意味で自 由な労働力の創出を除外 して考 えると、 2つの経 路の うち相対的に早 くか ら進行す るのは前者-商 品経済の侵透である。 この商品経済の侵透 も2つ の局面を もって進む。ひ とつは、農民が 自己の再 生産のために 日常的に消費す る食料 ・衣服を、 自 家生産 ・自家消費方式に よらず、商品購入に よ っ て調達す るよ うになる、 とい うことであ る。いま ひ とつは、農民が生産上必要 とす る労働手段 (肥 料 ・農薬 ・農業資材 ・農業機械 な ど)を農業労働 の便利化 ・省力化のために、市場か らます ます多 く商品 として購入す るよ うになる、 とい うことで ある。 これ らの商品経済の侵透は一面において生 活の 「近代化 」、生産の 「合理化 」であろ うが、 他面、農家家計におけ る商品購入部分の増大を通 じて、農家労働力の再生産が商品 とい う社会的価 値の規定を よ り強 く受け ることを意味す る。いわ ば、他 人の労働が投入 された ものを購入すること に よって、 自分の労働の社会的価値を農民が意識 す るに至 るのである (Ⅴ範噂の反射的形成)0 商品経済の侵透は農民の自律的な生活体系を漸 次崩壊 させ、その限 りで 「商品化 」していない農 業労働について も社会的な価値の基準を近似的に 成立 させ るだろ うが、それは相対的にみて緩慢な、 長期的な作用であるだろ う。 これに比べて、農家 労働力の 「商品化 」は よ り直接的に作用す る。 農家労働力の 「商品化 」は農民層の分解を通 じ て進行す る。わが国においては、戦前は農家過剰 労働力のいわゆ る家計補充的農外就労がみ られた が、 これは家計補充であ った点で、不完全な 「半 商品化 」にす ぎなか った と考 え られ る。戦後の農 民層分解は 「全般的落層化 」傾 向の下で急激に進 んだ。それはいわゆ る兼業化 とい う形を とって進 行 した。 この兼業化 とい う労働力商品化の意味に っいては諸説があ り、評価 もさまざまであるがミ3' この点を捨象 して もなお言い うることは、農業労 働は兼業化を通 じて、その社会的な価値の評価を 近似的に もせ よ受け と りつつあ るとい うことであ る。そ して また、 この社会的価値の評価 ・決定は 兼業化のほかに農業生産 それ 自体の内部において も、請負耕作、受委託生産の形態 を と りつつ進行 してい る。 ここでは請負 「労賃 」や 「受託料 」の かたちを と りなが らⅤ範噂が成立 しつつある。 さらに上記の流れ に規定 されて、農産物価格 の決定 に もVの観念が強 まって きている。今 日わが国で は、米 ・豆 ・甘味資源 (サ トウキ ビとテ ンサイ) を代表 とす る農産物の一部は、その価格 が市場に よらないで、政策的に決定 されている。政府の農 産物価格支持政策 といわれ るものがそれ であ る。 これ らの農産物 の価格は、政府 に よって 「生産費 補償 方式 」が とられてい るが、農民は この方式の なかで、 「都市労働者 (中小企業労働者)並み
」
の 自家労働評価が実現 され ることを要求 している。 この よ うに本来 「商品化 」していない と考 え ら れ る農業労働 について も、 「労働 力 」としての社 会的 な価値 の基準が近似 的なが ら決定 されつつあ るといえ る。今 日の福祉 (社会保障)の対象者が 労働者 に限定 されず、農民や 自営業者 に まで拡大 されてい ることの最 も抽象的 ・根源的 な経済的理 由は、以上 の よ うに考 え られ る。資本の法則の発 展は、次第 に労働者以外の勤労諸階層 の生活枠組 みを、労働者のそれに接近せ しめてい る(.4)今や年 金や医療 に守 られない農民 ・自営業者 の生活は考 え られ ない と言 って よい。 ところで、以上の説 明は、冒頭 に示 した 「福祉 は労働者 の権利 」とい う把握を前提 としてい る。 すなわ ち、資本主義社会 におけ る労働者の経済的 特質が福祉 をその必要物た らしめる、 とい う理解 である。 そ して福祉の対象者が農民や 自営業者 に まで拡大 して きた ことの理 由は、 これ らの中間層 の生活-再生産枠組みが、資 本の法則の侵透に よ って次第 に労働者のそれに近 づいて きた ことに求 め られ る。 この意味か らす るな らば、 「福祉 は労 働者の権利 」とい う把握は、今 日の福祉 の対象者 の広が りか らみ て狭 い把握 であ ると理解 され るよ りも、む しろ現実の本質的把握 と理解 され るべ き であろ う。 しか しなが ら、福祉 が労働者の経済的特質のゆ えに必要 とな るとい う位置づけは、福祉成立 の経 済的可能性にす ぎないO福祉 が現実に必要 となる のは、労働者がその労働生活上 の起伏 において、 実際に福祉 を必要 とす る状態に陥 るか らであ る。 この点は節 を改めて考察す ることに したい。 荏(1)「福祉」とくに社会福祉を,経済的保障としての 社会保険や公的扶助と区別して、社会サービスの 提供に限定 して用いられることがあるが、ここで はその最 も広い意味において、社会保障を経済学 的に捉えた概念として用いることにする。 注(2)上原信博F農業政策論 』(有斐閣、 1985年)34 ページ参照。 注(3)大内力F 日本における農民層の分解 』(東大出版 会、 1969年)寡-、五章参照O 注(4)福祉の対象者が農民 ・自営業者にまで拡大 したこ との経済的理由は本文で考察した如 くであるが、 経済外的な理由というものもまた存在することに 注目しなければならない。福祉は社会政策の一部 を構成する意味において 「譲歩」の産物であるが、 その内容と水準によっては形だけの福祉 としてマ イナスの譲歩を本質とすることさえある。わが国 の国民健康保険制度は1938(昭和 13)年に制定 された。この時期は準戦時体制にあった時期であ り、この制度はいわゆる戦時社会政策の一環 とし て、戦時財政を補足するために、または戦時動員 を円滑化するために、上か ら作られたものであっ た。坂寄俊雄氏はこのことを 「戦争のためのバタ ー」と称 している。このような戦争遂行という経 済外的理由から福祉の対象者が拡大するという事 実も存在する。 坂寄俊雄F社会保障 』(第二版、岩波書店、1974 年)148- 150ページ参照。2.
貧 困 と福 祉 一福 祉 の 対 象 一 前項においてみた よ うに、資 本主義の発展 は本 来、資本-賃労働関係に属 していない人々の労働 力再生産枠組みを も労働者のそれ に接近せ しめ る。 非資本主義的セ クターの漸次的な衰退 のなかで不 完全 な労働力の 「商品化 」を余儀 な くされた 人々 に とって、失業は今や労働者 に とって と同様 の重 みを もって迫 ることになる。兼業 農民 を例に とっ てみ るな らば、失業 (或いは退職) したの ちに片 々た る零細所有地を耕作 し、 そ こか ら飯米を確保 しえたに して も、それだけで労働力の再生産が保 障 され るわけではない。 労働力の 「商品化 」に よ って土地への投下か らひ とたび引 き上 げ られて し ま った労働力は、失業 したか らとい って もはや 農 業労働-の復帰を許 され ることはない。 労働力の 商品化 に よって形成 された生活 の枠組みは元には 戻 りえないのであ る。 また老齢 に よる退職 につい 8-てみて も、同様の事態が指摘 できる。以前に就労 していた非資 本主義的セ クターに戻 ることで、老 後の生活が安定す るわけではない。資本主義の発 展 は、非資本主義的領域を直接 ・間接に馬区遂す る ことを通 じて達成 され るか らである。農民の労働 老化
-
「半 プ。化 J'1;L こ うした経済的変動の過 程で促 されて きた現象にはかな らない。 こ うして、 一方で土地 その他の生産手段に しがみつ きなが ら、 他方で不完全 な労働力の商品化を促 されて きた非 資本主義的 セ クターの 「労働者 」に とって、失業 や老齢に よる退職はほ とんど労働者に とってのそ れ と同 じ重 さを もって受け とられ るようになる。 労働者 と同様 に、 「福祉 」が これ らの人々の要求 となる。 ところで、前項で述べた よ うに、労働者 (労働 力商品) に とって福祉 とい う社会的な保障が必要 であ ることは、ひ とつにはその 「無産 」的性格に 負 っている。労働者は基本的に労働力を 日々販売 す る以外に 自己 とその家族の再生産を維持す る方 法を持たないか ら、万が一、労働力の販売が何 ら かの理 由に よって中断 ・阻害 された とき、それに 代わ るべ きもの として社会的な生活保障の体系-福祉を必要 とす る。 も うひ とつの経済的根拠は、 資本主義的生産の歴史的性格である。景気循環に 伴 う失業の発生や利潤優先に よって惹 き起 こされ る疾病 ・労働災害 ・死亡などがそれに該当す る。 これ らは個 人にその責任を求め ることができない とい う意味で 「社会的事故 」と呼ばれ ることがあ る よ うに、社会的 な原 因性 を もってい る。 この 「社会的事故 」が労働力の販売 (実現) の機会を 阻害 し、労働力再生産を不可能な らしめ る最大の 原因 といえる。 この よ うに、生産 あるいは労働 に おいて常に 「社会的事故 」に遭遇す る危険 と隣 り あわせにいなが ら、なおかつ万が一の ときの生活 保障の経済基盤を持たない (或いは薄弱な基盤 し か持たない) とい うところに労働者の経済的特質 が描 き出せ る。 この特質 を一言に して表現す るな らば、労働力再生産の 「不安定性 」と言いあ らわ せ るであろ う。福祉は この労働者の不安定性 (い まや社会的分業を担 う勤労者全体の不安定性)に 対処す るべ く資本主義の歴史のなかか ら経験的に 積み上げ られ、つ くり上げ られて きた措置 ・施策 であ る。 しか しなが ら、私は、上でみて きた ところの労 働者 (あるいは勤労者全体)の 「不安定性 」一般 か らだけ、福祉の必要性が生 じて きた とは理解 し ていない。その理由は、 「不安定性 」が働 く人々 全てに均一 な量 と質の もの として作用 していると は考えないか らである。個 々の労働者の受け とる 賃金 (あるいは所得)の大 きさ、それを規定 して いる雇用 (就業)の安定度、労働条件の良否 とい った外か ら加え られ る要因。 また個 々の労働者が 扶養す る家族の数や有無、家族におけ る子供や高 齢者の数、住居の条件、社会生活の範囲 とい った 労働力再生産上の内発的要因。 これ らの諸要因の 複雑な組み合わせいかんに よって、社会的分業の 一端 をその持 ち場 ごとに受け持 ってい る人々の相 対的な 「不安定度 」 (逆 に言えは相対的な 「安定 度 」)が決 って くるか らである。 失業を例に と りあげてみ ると、 この社会的事故 は、 どの ように激 しい不況においてであろ うとも、 失業者群 と現役労働者 として とどまれ る部分 とを 分離 させなが ら発生 ・進行す る。失業者が どの範 囲にまで及ぶかに よって、不況の深刻 さが測定 さ れ るのであるが、 この ことは裏か らながめると、 どれほ どに深刻な不況に見舞われ ようとも、失業 しな くて済む労働者が一定量存在す るとい うこと を意味 してい る。不況期においてま っ先に解雇 さ れ るのは、いわゆ る臨時工 ・社外工 とかパー トタ イマーと呼ばれ る雇用上の身分の不安定 な労働者 であ る。資本主義的生産は、
Ⅰの2でみた ように、 好況期におけ る労働力需給の逼迫 とい う条件の下 で も労働力を一方的に吸引す るばか りでな く、生 産過程 の合理化 を通 してその反按を強める。 こう して反摸 された労働者は以前 よ りも不利な雇用条 件の下での就労を余儀な くされ る。 そ して恐慌か ら不況-至 る過程 で決定的な切 り捨てを被 りなが ら、 よ り一層の不熟練労働分野-の就労を再度余 儀 な くされ る。 この ように経済循環の各局面 ごと に常 に労働者 としての不安定性を色濃 く体現す る 一群 とい うものが創 出 ・温存せ しめ られている。 労働災害について も、最近の紙面を賑わ してい る内容か ら うかがい知れ ることは、労災に よる死 傷者の多 くが出稼 ぎ労働者 であ った り、再下請企 業の従業員であ った りす ることである。 同 じ石炭 採掘に携わ る労働者であ って も、死傷の危険度に差がある。 よ り危険でつ らい作業を担当す ること に よって、臨時採用か ら木工-の途が拓けるとい うような労務管理方式が とられている状況の下で は、い きおい労災の被災率は臨時雇い労働者にお いて高 まるようにシワ寄せ され ざるをえないであ ろ う。 以上、失業 と労働災害を例 として趣 く簡単にみ た よ うに、労働力再生産の 「不安定性」 とい うも のは どの労働者に も、 また どの社会的労働の担当 者に も均一の水準で作用 してい るとはいえない。 この点 を 「不安定階層」 として把握 されたのが江 口英一氏の 「生活 と労働」研究 (社会調査研究) である
(
.2)
い うなれば、総体 としての不安定性にお ける 「安定度 (不安定度)」 とい うものが 「福祉」 の必要性を考 えるにあたって導入 されなければな らない。私は労働力再生産の不安定性において、 ある一定水準 (社会的水準)以上 に不安定 である 状態 (あるいは 「階層」)を 「貧困」 と考 えるの であるが、 この水準は労働力の再生産が短期的 ま たは長期的に阻害 され ることを以 って測定 され う るだろ う。そ して労働力再生産の阻害 (不可能) は、絶対的な歴史的に不動の水準で測 られ るので はな く、生産力の発展を根拠 とす る歴史的 ・社会 的な水準で測 られるものであろ う。 この ことはⅠ
の2で考察 した とお りである。 (1)労働力再生産の不安定に対応する福祉 一社会 保険制度 とその膿界 -労働者の 日々の生活枠組みをその最 も基礎的な ところで規定 している 「不安定性 」は、それを除 去す るための諸施策-福祉の成立を必然的な もの とした。 このつなが りにおいて把握 され る福祉は 具体的には、労働者の友愛組織(friendly society) による共済活動を端初的形態 とする。 この共済活動 はイギ リスでは18世紀末葉か らすでに実施 され始 めた とたろの労働者の相互扶助制度(mutualaid system)に求めることができる(.3)この制度は産業 革命を経てなお機械の採用が労働者の熟練を解体 す るには至 らなか った一時期において、相対的に 高い階層に所属 した熟練労働者(skilledlabourer) を母体 とす る自発的制度であ った。高額の共済費 の徴収を基礎 として、 これ ら熟練労働者間の不安 定に対処す る相対的に高い水準の福祉 を実施 した。 - 10-具体的には、組合員お よびその家族の疾病 ・障害 ・老齢に対す る金銭的援助や仕事の都合で移動す る場合の旅費などを支給 した。 しか しなが ら、 こ の制度は熟練労働者だけに加入を限定 されていた 制度であ った点において、労働者の全般的な不安 定性に対処す るものではなか った。労働者全体の 不安定性に対応す る福祉が成立 したのは、歴史的 にほ よ り後期において、労働者 の強制加入制を要 件 とした ビスマル クの社会保険が世界最初である と言われている(04) ところで、相互扶助制度や社会保険制度におい て示 され るところの労働力再生産上の不安定に対 処す る 「福祉 」は、その最大の特徴 として基本的 に保険原理 (あるいは保険数理)の上 に成立 して いる。 よ り平易に言 うな らば、危険分散 もしくは 危険共有(risksharing)を行ない うる 「不安定性 」 である限 りにおいて、保険 とい う制度にのせ られ るものである。イギ リスにおけ る友愛組合の共済 活動が相対的に生活の安定 した熟練労働者だけを 対象に してつ くられた ものであ った とい うこと. また ドイツの世界最初の国家保 険制度が労働者の 強制加入をその要件 とした こと。 これ らの事実は、 保険原理の成立をその ときどきの歴史的 ・社会的 事情の下で可能 にす るために必要な措置であった と考 え られ る。 18世紀末のイギ リスで、貧欲 な資 本の搾取 (大河内一男氏の言われ る 「原生的労働 関係) にさらされて貧苦に陥 っていた不熟練労働 者を共済活動の対象に含め ることは、即、共済活 動 自体の運営を不可能に したであろ う。 また19世 紀 末 の ドイ ツで、労働者階級 全体 の不 安 定に備 え る社会保険が成立 した際、相 対的 に 自立性を もって自らの不安定に対処す ることので きる上層 労働者 の稼得 力 と低 い危険発生率 とを強制的に (compulsoly)社会保険に組み入れ なか ったならば、 この制度はいたず らに国家の費用負担を増大 させ たであろ う(喜) 危険分散 とい う保険原理は、その意味す るとこ ろを検討 してみ ると、保険 とい う「福祉 」の対象 とな る特定の不安 定 (事故) が あ る一 定 の限度 (発生率)内で起 こるものであることを予測 しな ければな らない とい うことであ る。そ してその予 測 された限度内での危険発生に対 し、それを保障 し うるだけの基金が必要になるとい うことである。さらに、その基金を準備す るために保険加入者に 対 して一定の方式で拠出金 (保険料contribution) を割 り当てなければな らない とい うことであ る。 保険 とい う制度は、 この ように保険原理 (保険数 理)にのせ ることができるか ど うかをひ とつの基 準 として、その対象 となる不安定-保険事 由を吟 味す る。 また保険料の割 り当てを通 じて、その負 担に耐え られ るか ど うか、お よび危険発生率が高 くないか どうか、保険加入者の 「資格 」を も吟味 す る。 どの よ うにす ぐれた保険制度であれ、福祉 の対象者の 「資格 」吟味-選別は どこかに入 り込 んで くる。 さもなければ、社会保険制度にのせ る ことがで きない事情 を別の対応に より除去 しなけ ればな らない。少な くとも、保険料を支払 うこと ができない よ うな低賃金労働者の存在をな くす努 力が必要になるであろ う.かの 「ペ グァ リジ ・レ ポー ト」は社会保険を中心 とす る社会保障計画で あ った。その計画のなかでW・ペ グァリジは完全 雇用(fullemployment)の達成 とい うことに非常 な力点を置いている(.6)その保険料は、水準の高低 は ともか くして定額(flatrate、収入の多寡 に関係 な く同一金額であること)の ものであ るだけに、 下層の労働者 ・市民に対す る配慮が必要であ り、 それが対象者の選別を放棄 したかあ りに、完全雇 用の実現 とい う形で吐露 されたのではないか と考 える。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 本来、労働者の 「不安定 」に対処すべ き福祉 と ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ して出発 した社会保険が、ある範囲内であれ労働ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 者の 「安定 」を前提 としてい るとい うことはひ とヽヽヽヽヽヽヽ つの矛盾 であ る。 この矛盾 の生 じる基盤 は、社会 保険の特性 として、労働者の不安定性をその一般 性 ・蓋然性において捉えていることにあるといえ よう。 「福祉 」の必要性の根拠が具体的な 「不安 定 」として、す なわち 「貧困 」として捉え られ な ければな らない と思 う理 由はここにあ る。 ここで誤解を避け るために一言 してお きたい。 上で考察 して きた ことは、労働力再生産の 「不安 定 」に対処す るもの としての社会保険の役割 りを 否定 してい るのではない。社会保険 とい う公的な 危険分散 ・所得再分配の方法な くして、効率的 ・ 合理的な 「福祉 」の実現はあ りえない。 ただ主張 した く思 うことは、社会保険制度だけで労働者の 不安定に対す る措置は完全には果た しえない とい うことである。 (2)「貧困 」に対応する福祉 一公的扶助制度 とそ の他救的性格 一 労働力再生産上の 「不安定性 」は労働者生活を 一般に特徴づけ るものである. それは 「事故 」と い うかたちで表面的には偶然性を装 っているが、 内実は資本主義経済の必然の産物 である。その こ とを歴史の教訓か ら学 び体得 した労働者たちは、 資本家や国家の拠 出を求めつつ、保険原理を応用 した対策を以 って、不安定性か ら生 じる貧困に対 処 しようとした。 しか しなが ら、労働力再生産の 不安定性は、他方において、各労働者階層 ごとに 異なる度合いを示す ものである。 したが って、た だ単に画一的な社会保険制度のみを以 って しては 真の意味で不安定性に対応す ることはで きない。 資本主義社会で 日々労働 し生活す る労働者に と って、 「不安定 」とは絶 えず浮 き沈みを くり返す とい う意味の 「不安定 」ではない。芥川龍之介の 「杜子春 」に登場す る主 人公の ような栄華 と没落 のい くたびかの交替は、一般の勤労者の生涯を特 色づけ るものではない。働 く者 に とっての 「不安 定 」とは、失業や疾病を契機 として、それ まで一 定の水準を保ちえた生活ができな くなること-「転 落 」を意味 している(.7)もちろん労働者間競争が有 効に組織 されてい る今 日の社会であるか ら、競争 の結果敗退せ しめ られてい く労働者 もいれば、上 罪(socialclimbing)してい く労働者 も少数い るで あろ う。それが繁栄す る資本主義社会の光 と影を かたちづ くっている。 しか し多 くは敗退 して下層 への移動を余儀な くされ る。 この常に労働者に作 用 している下降圧力に対 し、保険原理に もとづ く 対策はかな りの程度有効に これを押 しとどめ る。 疾病保険は労働者の病気に対 し、治療費や治療中 の生活費を支給す ることで、職場復帰を保障す る。 また失業保険は失業中の生活費を支給す ることに よ り、直接 に失業中の労働力再生産を保障す ると ともに、労働力の窮迫販売を防止す ることに よっ て現役労働者の賃金水準の低下を も防止す る(.8)こ の ように社会保険には下降圧力に抵抗す る作用が 認め られ る。だが、次に掲げ る点が社会保険の限 界 であると思 うのだが、疾病や失業 に対す る保障 は一種の平均原理に もとづいて行 なわれ る。平均
的な水準の治療 ・平均的な期間の支給 は、保険で ある以上止むを得ないことである。無制限治療 ・ 無期限支給が行なわれては、保険財源は恒常的に 維持 されな くなるか らである(.9)ここで、 もしある 労働者の疾病が社会保険の平均原理にの りえない 性質の ものであ ったならば、い ったい ど うなるで あろ うか。病気は回復 しないままに治療半ばで給 付が打ち切 られて しま うであろ う。 また失業につ いて も、保険受給期間中に新 しい仕事先が見つか らない場合には、労働者は結局の ところ、 自分に とって適職(suitablework)と考える レベルを下 げて窮迫的な労働力の販売を行わ ざるをえな くな るであろ う。 こ うして社会保険の限界が平均原理 を超えるケースに関 して露呈 され るに至 る。 ここ において、 この限界を補 うべ き別の 「福祉 」とい うものが、労働者の不安定性に対処す るもの とし て提供 されなければな らな くなる。あ らゆ る偶然 と運命を媒介 として不断に作用す る 「貧困 」への 下方移動は、ある段階で阻止 されなければならな い。阻止す るための手段が創 出されなければなら ない。 貧困-の下方移動は、対策が全 く行なわれない ならば、その最下の行 きどま りにおいて労働力再 生産の停止-死に逢着す るであろ う。 また死に至 らな くて も、それに絶えず脅か され続け る状態-被救他的窮民の ような生活をつ くり出す であろ う。 資本主義発達の歴史は現にこ うした状態を、本源 的蓄積期以来絶 えずつ くり出 してきた。そ してま た、 こ うした状態に対す る措置-福祉 も資本主義 の歴史 と同 じ長 さの歴史を もっている。た とえば、 イギ リスにおいては1601年 に制定 されたエ リザベ ス救貧法以来の流れがある(tO)ゎが国で も明治7年 (1874年)施行の他救規則か ら昭和4年 (1929 午)制定の救護法に至 る流れがある。 イギ 1)スの 救貧法 とわが国の他救規則 とは内容 ・性格を異に す るul.I)ィギ リス救貧法それ 自体 も350年の歴史 のなかで内容 ・性格がい くたびか変遷 して きた。 しか し、その本質的な性格は 「貧民対策 」と捉え ることができよ う。 しか も貧 困化を防止す るので はな く、 「貧民」(pauper)とい う境涯に陥 った人 間を 「救済 」す る性格の ものであ った。 この意味 で勤労者 の不安定性に対処す るものではな く、絶 対的な 「窮
乏
」(destitution)に対処す るにす ぎな - 12-い ものであ った。 この ような性格を もつ貧民対策 とい う福祉 は何 を根拠 として成立す るに至 ったのであろ うか。貧 民対策はその対象を資本主義社会最下の被救他的 窮民 としていることで、その福祉水準は極めて低 く押えつけ られてきた。 その低水準性 の経済的理 由は、 これ らの被敷地的窮民 に属す る人々が 「経 済秩序外的存在 ]カまたは 「社会構造か らの脱落者 」 とい う位置づけにおいて捉え られてきたか らに他 な らない。すなわち、 これ らの人々は社会を維持 す る うえで必要な労働の量 と構成-社会的労働の 一環に組み入れ られてお らず、ただ一方的に社会 的労働の成果に依存 し続けている存在であるとい う認識か ら、その福祉水準は時 に肉体的能率の維 持す ら不可能になるような低い水準に固定 されて いた と考 えられ る (劣等処遇原則leSSeligibility)0 権利 とい うものは常に義務の履行を伴 うものであ る。被敷地的窮民に属す る人々は社会的分業の一 端を担い得 ない とい う義務の不履行の認識 に よっ て、 人並みの生活水準の保持 とい う福祉 の権利性 を欠 くもの として捉え られて きた。 したが って、 本来、社会的にはこれ らの人々に対す る福祉の提 供は、客観的理 由を もたない、いわれのないもの として公的に無視 され ることも可能 とな りえてい た。当初、 これ らの人々-の福祉 の提供は、宗教 的博愛精神や道義心 とい う経 済外的理 由に よって 行なわれていたにす ぎない。 これはマル クスが、 シスモ ンデ ィを援用 して述べてい るところの資本 主義の 「空費」 (faux fraiS)に当た る。 しか しなが ら、資本主義的生産の発展はその反 社会的性格に由来す る諸矛盾 を累積 させた。被敷 地的窮民の発生す る原因を次第に明白な もの とす るに至 った。過酷な労働条件 のために結核などの 重い病気にな った人々。不変資本充岡上の節約に よって労働災害に見舞われ障害 の身 とな った人々。 またその疾病や労働災害に よって扶養義務者を奪 われた孤児たち。老後の貯え も形成で きぬ ままに 身寄 りを失 くした老 人。 これ ら被救地層 と呼ばれ る人々の貧窮は、偶然や運命に よって もた られた のではな く、資本主義の生産活動の諸結果である とい うことが次第に明らかにな った。 ここに至 っ て、国家はこれ らの人々の生活をある程度保障 し、 それを通 じて現役労働者の不安 と労働意欲 の減退をお さえ、生産の順調な継続を確保す るべ く、貧 民対策 とい う福祉 に手を染め るに至 ったのである。 こ うして被救他層 に対す る公的な対策が成立す ることにな ったのだが、それで もなお被救他的窮