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身延の聲明 (宗祖六百五十遠忌紀念號)

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Academic year: 2021

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(1)

多紀氏は人も知る偽敬昔柴田介の第一人者で特に謄別の研究に於ては他人の漣施策縁をゆるさぬ大家で、天台宗魚山雄別の正嫡 波者であり、すでに良言、静土其他各山部の原則や研究し集大成し街界に功献せられれ。又昨年の貞松に於ける法要式講習舎に講師 として附議せられた事に端を俊し我日蓮宗務加の研究に本し‘身延山へ登山し、古老所俸の離別、古捧明本に就いて親し︿かつ熱 心に研究せムれた。その成岡市はさきに﹃ R 鶏 b m 採明博士﹄ ξ 銘して円鶏宗法要式研究令か p h 刊行せられその足鴻を得たる研究文と 西洋脅識に餓諜したる聾明博士とにより、靭師以後山内に惇へられたる身延整別は始めて良債を血中国介に照介されたのである。そ して今又我棲締の鴛めに御多忙中を執枕帯されてその研究の一端を御寄稿下されたことは我響にとってはまことに幸甚大で厚︿御 積山叩上げねばならないハ鰯斡者付託︾ かの観兵式に軍楽隊の吹奏する 9 ズムによって.鞍寓の軍隊が一件のもとに、 士気陽々と隊伍会整 へて行進する勇 3 、また﹁海ゆかば﹂の曲に粛然売る儀典は暴行され‘行軍−フツメに疲れを見

F

る 堂 々たる準軍、なほも戟標すべきは勝敗を決する最後の敵陣迫撃に軍楽によれる突進等軍楽が役は、何 身 延 σ〉 嘗 明 A 七

(2)

身 延 グ〉 聾 日 月 , 、 、 E

F , / 一 , , , 慮まで務めてゐるかを胡ふと共に、一旦円饗があらゆる方面仁参劃してゐる乙とを知らねばならぬ。宗敬 に於てもキ d y スト教が一背柴む唯一の武器としてゐる如く、仰敬も教義宣揚の上仁、健貨なる信念増長 の上に、まだ

A

I

− − 、 一 Z H饗を利用すぺきでは・なからうかと思ふ。 一音楽は枇曾組織の鑓ると共は、それ

A

I

I

襲った一音曲を趨所相聴に使用すぺきものである。紳祉に雅 雌末、遊里氏三味線三云った風に、ピヅジリ L ι 人口はなければ腕である。一背柴は思潮の表徴であって、軟 弱なと乙んには軟骨禦、 豪祉なところには豪守背興があって、 各々世界を遣って託主てゐるものであ る 。 な ほ ま た 、 乙の軟強の音楽は一品川礎自体世湖を動かすカを持ってゐる o 支那古事が岡政に鵡柴を重 じたのも故なきこごでないと思ふ。宗敢には宗教柴としての共泌性のものが生れ、側敢にもまた一の 共通なるものがある。偶数中にも償俗によって異り、宗振が異れば従って異る。宗況の中にち地理的 闘情によって決して一定のものでない。若し之が一定出来るとなれば、それは大きな事業と一五はねば ならぬ。日蓮宗憎界には一定せるけ運宗韓明がある。されどその中には身延聾明、光山麓明、本隆聾 明等幾多の流がある。そは前仁云ム宗風の異るものか、地問的の関係、惇燈の相違等が、かくも趣を 接へたのであらう。 乙れが淵源は、共に天台聾明から流縛したものと惇へられてゐるが、 どうして決 して天台車明そのものでない。それは別の立振な藤明となって成立してゐる、 乙れは日蓮宗の持つ擢

(3)

識であって隼むぺ主賜である。身延£先山と一致せないのも、そこには言ひ知れぬこつの世界が頴れ てゐるぎ見るぺきであらう。とれを統一することの是非はきて措き\一品川柴の上からも制度の上からも 不可能のことでない。統一の魚には一方の流が失はれるので遺憾には相違ないが、制度の上には止を 得ない。岡家が岡定語を東京語として、地方の語を慶してゐる。乙れは地方の語耕が別に賎しいと云 ふわりでな︿とも制度の上に起ったこご、思ム。 きれば日蓮宗に於ても、 一宗に幾つかの挫明ある乙 とは、繰てに煩しく何れかに一定する乙とは早晩来る問題であるまいかと思ふ o さ ら ば 、 乙れが淵源 が天台にあるとし、天台に朔る乙苫は自分を無くする乙止で、恰も川本語乞無くして支那や印度に求 めるさ等し。また同宗内の身延と光山なれば、雨者の善所を選んで唱へればよいと云ふ設も出るこミ であらうが、別に専門家の手によって作曲すればい

F

知らず、木に竹を接﹁如きは血の遁ふものでな ぃ。近くは先年滞土宗が、増長寺の縁山流と知恩院応事頂流とを統一すぺく、東西よ

b

委員を選んで 宗定韓明を制定したが、現に一宗根

3b

亙って唱へ様としてわない。 之れは所謂木竹式聾明であって 若しもとれが盛に行はれ、ば寧ゐ轄明の堕落でゐる。議合の妥協と同一視することは、余 b に恐にし だととであるoたとへ乙れらの問題が、起るにせよ起ら

5

るにせよ、自己の持つ盤明を鮮明にして出 ︿之とは肝要な之と、、思はれる o 宗内に二つ以上の持明があるにしても、共通的に須ふるととの出来 身 1re 17) B事 切j 入 九

(4)

身 延 の 重警 ~j 九 0 る 一つなるべき膳切のある之とは、 これまた大川選宗の建設ではゐるまいか。今回身延聾明を研究 して曲節の中に、開気にも自分の察する日運上人の人格、乃並は J 運宗風の件然として緊張せるとと に 驚 か さ れ た 。 つ ぎ に 、 と れ が 研 究 に 営 ・ 9 多くの問題に過ったことを、憶面な︿談るととに許しを得たい。それは 惇承し下された各々方の、資際前唱が様。であるとごである、たとへ調子は極ってわないにしても、 節が一致してゐない。・次には古典耕仁示されたる節ハ音階︶と相違してゐるとごである。これ等は日 蓮宗に限らず、天台ご云はず帯土ど一五はず、何れの宗も殆ど充様である o 今川の頭で、その宗に生々 してゐる聾明を得んと企てるには、どうせ恕まえ﹂るべきである。古人も墨譜に五一耳目を附して、砂らず 苦心を抑はれたこごであらう。しかし昔の動きの基礎たる甘階の依滋に就いて問題がある o 之の官時 は 一 音 の 働

BZ

云へば、凡て雅柴に支配されて居った、 乙れが根本に於りる説

b

でなからうかご思ム。 雅襲仁基けば、それは雅柴であって聾明でなレのである。啓明は啓明自身が立つべ

3

で、雅奨にも何 柴にも悲るべ

3

必用はなレ o 乙の震に古典に一不す五一昔は、高低を示されたる妻考の秤に見る乙と、し た 0 ・ 次 に 基 礎 一 昔 の 決 定 で あ る が 、 古 典 は 五 一 耳 目 訟 の 、 徴 は ユ リ な り 商 は ソ Y なりの定義と、五一昔とは萱 平双黄盤なりま云ふ説ぞ格言三し、 これを動す乙とは、一音楽︵捧明︶をな主ないご云ふ信念に基いて

(5)

居られる様である

o

z

れは甚だ狭い考へ方でゐって. 乙の意味にはこっ以上の一音楽が生れ得ず、不都 人口極まる乙とになるのである。されば五一背中の宮は、何所にゐるかである。これは昔の動

3

によって 定 め る も の で 、 一貫した幹線を認めて徴に針する差等を測って決定して行︿ O この乙とは今も昔も竣 らないにしても、現に古典の営時ご相違してゐるのであるから、容赦な︿進む乙ごにした。共には古 典に示す譜と相承の譜と、過不足がある之とである。 乙れは古譜乞貰じ、相俸の足ら

5

る と 乙 ろ は 、 古詩によって補ムこごにした。叉上げるべきと乙ろを下げ、下げるぺ主に下らないさ云った三乙ろが 少くなかった、これ等も古典に基いて、ちっとでも復古に努めた。次に一つの節を二三種の差った唱 へ方に聞くことがある。何れも完成されたる節であって、何れを取るかは決し難いが、これは四度五 度短三長三と云った最善の美一品目に亘ること、し、言ひ憎い一昔へは避ける乙と、した。大排に於壬斯様の 方針に依った。今一つ難事に考へられるのは、和讃の如

3

余 b 使用せない曲は、句切にて一音程の位置 が屡々動いた、即ち基礎一音が移動してゐる之と、なる。無論轄調︵鑓一音︶の柏崎に動くこともあるが、 この場合は古典墨譜の骨格に示

3

れてゐる。いまはその乙とがなく狂

λ

の で あ る 。 三れ等は後に精算 して一定に纏めることにした。和讃の惇承そ非常に難事としてゐたのは、恐らく乙の某礎昔の動いた ことにあったであらうと思ふ。なほ本邦人個性の韓黙となれる持明を、洋奨一間有線に一不すのであるか 身 Mi の 喜 華 J]JJ 九

(6)

身 延 の 車車 日 『j 九 ら、そこには何れの一音と本決し難い中間の一背がある

f

﹂れらも研究し T ・ 定 む ぺ 1 3 であるが、専門の研究 に侯つこと、し‘この埼人口は美的戚想の上仁十二作の何れかに定める乙之、した。きれば、完全のも でないと云ム議

b

を免る、之とは出来ないが、それは刷の問題とすぺ

3

で ゐ っ て 、 いまはその様な使 命を果す考へでもなかったからである。平均率の今日.克己へ邦柴十二律と雌もこの昨あることは菟 れないのである。洋訴と邦訴の比較は︵融市説本被見守何としても洋礎が邦楽よりも遁に勝れてゐる。 併し洋楽譜であるから、 ピアノ、ォ戸ガシに奏レて韓別の戚じが出ないご言はれては困る。 乙れは採 錨 聞 の 拙 な る 罪 ご 云 ふ よ b は 、 楽 器 り 駅 弁 で ピ ア ノ 、 オ 町 F ガンは韓明の如主曲を奏く錦のもので・ない、何 方かと云ふと.グァイオリン の方がよからうと思ム。接明は純雄楽であって伴奏ものでない。されば 洋 楽 譜 に ・ な つ で ゐ る と し て も . オ u y d N ン等の訴で−ないと云ふ乙とを誤解なく願って置主党い。総てを ア調にして G を基礎とした乙れは相悼の時の剖あって、決して総封のものでない、しかし練習にして も一般の式典として唱へるに趨嘗な調子であらうと思ム。要は、一背階の比率を狂はヨない乙とにゐるロ 只匂頭者の責に任せて、同一音に踏み外しな

3

訓子に唱へられ、ば、それ以上の乙とはない。 身 延 聾 明 の 一 背 階 は ハ 整 合 参 照 ﹀ 、 譜本仁委し︿述べた乙とによって知られたい、併し古典と相違する 点と天台韓明との相違に就いて左に園示して見ると.

(7)

i

1~I互|互:7

~~t!j互

萱|回 伽 陀 等 向 等

ρ 呂律混合 一 背 階 と し て は 単 純 で あ る が 、 乙れが動

3

が相違してゐる。そ之江身延聾明の持徴があると見るのであ 乙。これらは他の一音曲吉見較べれば明白な之と、思ふ。なかにも著しき一二砂・皐げれば 持 、 司 ・ 肌 昨 時

=

=

乙れ等の特徴は唯一つの﹁嘗句﹂にあらうと思ム、 天台の弛み

ω

節が﹁営 b ﹂に種化してゐると見ら れる。何れも修飾から戒免盤梅であって、譜の骨体に於いて天台ご差して襲ってわない。 ﹁ 封 揚 ﹂ の ゅの﹁敢主﹂の節も滞士の﹁香偶﹂の中の﹁香櫨﹂と、余

b

強った行主方てないが﹁営

b

﹂の鴻に非 身 延 の 車事 IJIJ 九

(8)

身 延 の S事 j 川 叫 J 九 凶 常に趣を具にしてゐる。 乙れ等は H 蓮よ b 浄土へ博へたか、乃至は博士ょ・ 0 日連が博へたか、或は他 から移入したか永遠に問題として残る乙ごであらう。 日蓮宗聾明が侵すべから

F

る特徴を持ってゐる乙とは、前節の如︿日蓮宗なる宗風の産物であって そこに所謂、日蓮宗と云ひ身延と一五ム生命が流れてゐる?と見るぺ

3

である。余はかつて﹁野守鏡﹄に ﹁ 働 法 減 せ

λ

ごする時は啓明菩薩先づ掠る﹂と一五久句乞見て甚

r

面白く戚じた。若し乙の身延聾明仁 蝉を来して乱れ、或は衰微して失せんごする主主は、それは日蓮宗の一大事と云ムベ︿、余はどこま でも韓明の曲 L ﹂宗命とを離して見る乙之が出来ないのでゐる o

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