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日蓮聖人の時間論 (日蓮聖人第七百遠忌特輯号)

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(1)

町 回 是

三 五 目 次 まえがき|問題の所在

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﹁ 時 ﹂ の 認 識 | 時 と 人

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﹁ 今 本 時 ﹂ の 意 味

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永遠の今

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六 回 二 ﹁ 教 え ﹂ に 生 き る

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殉教の如来使| ﹁ 時 ﹂ を 超 え る

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末法の超克| むすび

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﹁ 時 ﹂ を 生 き る

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一、まえがき

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問題の所在

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日蓮聖人の﹁時﹂の意識は、法華経の色読・弘教という実践との関わりのなかで受容されている。この事は、たと え. ば 天台云適時而巳等云云・仏法は時によるベし︵﹁関目紗﹂定遺六

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九 ﹀ 夫仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし︵﹁撰時抄﹂定遺一

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三 ︶ 正法を修して仏になる行は時によるベし︵﹁日妙聖人御書﹂定遺六四五﹀ お き ら か 門 1 v 等々の御文書の文意に徴しても明瞭である。法華経の行者・日蓮聖人にとって、 ﹁時﹂とは法華正法の流布の成否 と関わる重要な事として意識されていたのである。 このように、聖人は時と教法の流布とに対して深い省察をされたのであるが、しかし、 ﹃ 組 識 的 ︾ ︿ 時 ﹁ 時 ﹂ に 関 す る 体 系 的 な 思 回 避 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ﹀

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︵ 町 田 ﹀ 問 仏 画 ︾ ︽ 昭 和 定 本 日 建 恩 人 遺 文 金 問 巻 ︾ 索書は遣されてはいない。遺文全篇を渉猟しても時間論の番を見い出すことは困難である。 一 二 二 一 一 t − ニ 八 二 一 二 G O t − 二 五 三 こうした﹁時﹂に関する表現の方法に於て、日蓮聖人と略々時代を同じくして活動された道元禅師と比較した場 ︽ 普 勧 坐 縛 ・ 行 持 混 成 の 徹 底 的 な 現 実 主 義 V ︷ 2 v 合、きわめて対照的である。禅師は只管打坐・修証一如・弘法救済の実践に生涯を貫かれたが、叉沈潜思索の生涯で もあり、主著﹃正法限蔵﹄は独特の語法と独創的思想の展開に於て日本思想史上の白眉であり、その﹁有時の巻﹂に ハイデガ lの﹃存在と時間﹄を想起させられるものがある。 示 さ れ る 時 間 論 は 、 m 6 v このように、道元禅師の生涯は普勧坐禅と沈潜思索であったが、日蓮聖人の生涯は﹁法華経の行者﹂とか﹁殉教の 円 8 v 如来使﹂であったと表現されるように、法華正法の色読の信行論に特色がみられるのである。即ち聖人に於ける﹁時﹂ ﹂とは、自らの法華経の忍難色読と流布の成否に関わるものとして意識され、受容されたものである。 文永八年十月の﹃寺泊御書﹄の中で 勧持 n m 云 有 = 諸 無 智 人 一 悪 口 罵 皆 等 云 云 日 蓮 当 − 一 此 経 文 一 汝 等 何 不 レ

5K

経 文 一 及 加 万 杖 者 等 云 云 日 巡 読 一 = 此 経 文 一 ・ ・ た び た び 円 ︿ 9 v : ・ 数 数 見 積 出 数 々 者 度 々 也 日 蓮 摘 出 衆 度 流 罪 二 度 也 。 ( 52 ) と追懐され、末法悪世の三類の強敵から迫害を受けることが法華経行者の資格とされ、その文証として法華経を引 ︿

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用し、悪世末法に弘経を普った菩薩衆の代理として此事を宣明すると云っている。 あ か し 、 、 、 日巡聖人のこの忍難弘経の軌跡が、そのまま﹁時﹂を生き抜かれた 4誕であったのである。色読の軌跡は生きた時の 円 創 造 的 ︾ つ な が り い の ち 持 続 で あ り 、 主 体 的 に 意 識 さ れ た 時 の 連 続 で あ っ た 。 生 き た 時 ・ 息 吹 す る 時 ・ 生 命 の 連 環 し た 聖 人 の ﹁ 時 ﹂ と は 、 ﹁時﹂であったのである。それは思索のための時・沈潜する為の時ではなかった。

(3)

︹ 註 ︺ ハ 1 ﹀ ︵ 2 ﹀ 聖人の遺文中、弘教と時に係わる文書は多い。幾つかを摘出しておこう。﹁末法の今の時は一向本門の弘らせ給ベき時也﹂ 聖女御返事・定遺一七九八﹀。﹁所詮一家官成長一宮未熟故也

2

民主﹂︵法著書難事・定遺七九九﹀。 ﹁ 一 切 の 事 は 時 に よ る 事 に 候 か ﹂ ハ 上 野 股 御 返 事 ・ 定 遺 一 七 二 一 ﹀ 0 ﹁ 法 華 経 は 一 法 な れ ど も 機 に し た が い 時 に よ り て 其 行 鴎差なるべし﹂︵積極御振舞御告・定遺九六二。 懐 柴 編 ﹃ 正 法 眼 蔵 随 聞 記 ﹄ ハ 和 辻 哲 郎 校 訂 ・ 岩 波 文 庫 ﹀ o 河 村 孝 道 編 著 ﹃ 諸 本 対 校 、 水 平 開 山 道 元 禅 師 行 状 建 抑 記 ﹄ ハ 大 修 館 ・ 昭 和 五

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年 ﹀ 。 禅 師 の 伝 記 研 究 の 必 説 文 献 で あ る 。 衛藤即応校註﹃正法眼蔵﹄三巻︵岩波文庫・昭和一四年﹀。寺田透・水野弥穂子註﹃道元﹄上下︵日本思想大系ロ・日岩波 書 店 ﹀ 前掲寺田・水野註﹃道元﹄上巻・正法眼蔵第二十有時︿二五六 J 二 六 三 ﹀ 。 拙 著 ﹃ 道 元 の ﹁ 時 ﹂ の 観 念 ﹄ ハ 棲 神 日 号 所 収 ﹀ 。

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件 ︿ O ロ冨 ω 2 田 o 諸 問 。

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桑 木 務 訳 ﹁ 存 在 と 時 間 ﹂ 一 一 一 巻 ︿ 岩 波 文 庫 所 収 ﹀ 日 進 聖 人 は 自 ら ﹁ 日 蓮 是 法 華 経 行 者 也 ﹂ ︿ 型 人 知 三 世 事 ・ 定 遺 八 四 三 ﹀ 0 ﹁ 日 避 は 日 本 第 一 の 法 華 経 行 者 也 ﹂ ハ 南 条 兵 衛 七 郎 股 御 書 ・ 定 遺 三 ニ 七 ﹀ 0 ﹁ 日 蓮 は 日 本 第 一 の 法 華 経 の 行 者 な る 事 あ え て 疑 ひ な し ﹂ ハ 撰 時 抄 ・ 定 遺 −

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四 八 ︶ な ど と 宜 明 されているが、曾て姉崎正治博士﹃法華経の行者日蓮﹄︵博文館・大正五年﹀が公刊され、回避聖人を法華思想史上に位置 意義づけ、遺文中心に生涯を描写されて以来、博士の名戸ともあずかり﹁法華経の行者﹂の呼称が定着した。 ﹁殉教の如来使﹂︵仏使上行の自覚﹀は、閲目紗で一大開顕されたところであるが、その自覚は従地湖出品﹁是四菩薩・於 其 衆 中 ・ 最 為 上 首 ・ 唱 導 之 師 ﹂ の 四 菩 薩 上 首 の 涌 現 と 、 如 来 神 力 品 ﹁ 繭 時 仏 告 ・ 上 行 等 菩 麗 大 衆 ・ ・ : ﹂ の 妙 法 結 要 付 嘱 の 勧 奨などの教示を文証とされているが、殉教如来使の意識は、開目抄の他にも﹁法華取要抄﹂︵定逃八二一 J 八 一 五 ﹀ 0 ﹁ 骨 谷入道股許御番﹂︵定過九

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﹀ 。 ﹁ 顕 仏 未 来 記 ﹂ ︿ 定 遺 七 三 九 ﹀ 0 ﹁ 法 華 行 者 値 難 事 ﹂ ︵ 定 遺 七 九 八 ﹀ 。 等 そ の 他 に 於 て そ の 内 証 が 示 さ れ る 。 立 正 大 学 教 授 渡 辺 宝 陽 氏 は 、 日 蓮 聖 人 の 宗 教 は ﹁ 五 字 七 字 の 題 目 の 受 持 と 立 正 安 国 の 願 行 に ﹁ 信 ﹂ と ﹁ 行 ﹂ と を 集 約 し た : ・ その願行が中核をなす﹂︿﹁日蓮宗信行論の研究﹂・平楽寺書店・五頁﹀とする。筆者は同書から稗益される所が大きかっ た 。 尚 駄 足 な が ら 、 日 蓮 聖 人 は ﹁ 観 心 本 尊 抄 ﹂ 三 十 三 字 段 で ﹁ 自 然 − 一 彼 ノ 因 果 ノ 功 徳 ヲ 譲 リ 与 ヘ タ マ ウ ﹂ ︵ 自 然 譲 与 ﹀ と 一 五 いながら、何故に信行を勧奨されるのかという、聞に対しては、その自然譲与の冠頭に﹁我等此ノ五字ヲ受持スレバ﹂とあ 日 蓮 型 人 の 時 間 論 ︵ 町 田 ﹀ (53 ) ︵ 3 ﹀ ︵ 4 ︶ ︵ 5 ﹀ ︵ 6 ﹀ ︿ 7 ︶ ハ 8 ﹀

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︿ 町 田 ︶ っ て 、 受 持 信 行 が 強 く 要 請 さ れ て い る こ と 、 及 び 寿 量 品 の ﹁ 我 本 行 菩 醸 道 ・ 所 成 寿 命 ﹂ と の 要 文 に 徴 し て も 菩 産 道 こ そ 法 華 経 行 者 の 在 る べ き 姿 の 説 示 で あ っ た こ と 。 こ の 信 行 に よ っ て 修 証 現 成 す る こ と を 学 び 得 た い も の で あ る 。 定 遺 五 一 四 寺 泊 御 書 ・ 定 遺 五 一 五 ︵9 ︶ ︵ 叩 ︶

﹁ 教 え ﹂ に生きる!殉教の如来使

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﹁教え﹂に生きるとは、法師品の中に﹁薬玉今告汝、我所説諸経、而於此経中、法誠一・最第ごとある、その﹃法華 企 画 か し 0 0 経﹄を如説修行することである。日蓮聖人は﹁教え﹂に生きる証しとして、日輪と蓮華とに象徴される﹁日蓮﹂の名 号のなかに、法華経行者の理想と、人間として生きる理想とを祈りこめたのであ勺 v 然し、その﹃法華経﹄を色読す 日蓮聖人はいかなる発心をもって、 ︽

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﹁今度強磁の菩提心ををこして退転せじと願しぬ﹂と、 ( 54) ることは難事のなかの難事である。 ﹁ 教 え ﹂ に 生 き る 普 願 を立てられたのであろうか。聖人は立教の誓願を立てる時の心境を次のように追懐している。 ﹁日蓮は流罪死罪となるべしとしりて候しかども、仏いましめて云、此事を知ながら身命ををしみて一切衆生にか ズ ヲ V たらずば、我が敵たるのみならず、一切衆生の怨敵なり、必阿鼻大城に堕べしと記給へり。此に日蓮進退わず 円 M V らいて、此事を申ならば我身いかにもなるべし。我身はさておきぬ。 また﹃清澄寺大衆中﹄に於て ズ チ 此を申さば必日蓮が命となるべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために、建長五年四月二十 八日、安房国東条清澄寺道善之房持仏堂の南面にして:::少々大衆にこれを申しはじめて其後二十余年が間退転

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ス ︽ 路 ︾ な く 申 。 色 白 田 の 命 − p v a o と申し送っているが、先の﹃高橋入道殿御返事﹄の文意と同様に、聖人の発心が文脈からあふれ出ている。普願す ることで生命に及ぶ迫害を覚悟された心境が述懐されている。 日蓮聖人は﹁日蓮進退わずらいて、此事を申ならば我身いかにもなるべし。我身はさておきぬ﹂と、追懐されてい ︹ 箆 ろ う か V るが、この感慨は立教誓願の生々しい心境の吐露であろう。即ち﹁進退わずらいて﹂とは、この法華正法を発言すベ ︽ 懸 る ま い か ︾ きか否、黙すべきか、という二者択一の岐路に立つ思いである。立正安国を誓願することで旧師道普房と挟を分ち、 両親とは今生の別れを告げ故郷を追放される身であれば、惜別断腸の切々たる思いであったであろう。 ﹁ 進 退 わ ず ら い﹂て思い惑うのが当然であったろう。二者択一の厳しい思いは﹃関目紗﹄︵五五六 J 五 五 七 ︶ に も 開 陳 さ れ て い る 。 しかし﹁教え﹂に生きることが、棄恩入無為・真実報恩の道であるならば、 ﹁ 我 が 身 は さ て お き ﹂ 、 ( 55 ) ﹁ 日 蓮 が 命 と A ち 内 り 成るべしと存知せしかども﹂、御思を報ぜんがために我不愛身命の忍難の道を選びとり、但惜無上道の如来使の道程 ︽ 決 意 ︾ を 抵 回 顧 し た の で あ る 。 日蓮聖人の﹁教え﹂に生きる番願、それは法華経見宝塔口問中の﹁三簡の鳳詔﹂によって勧奨された事は周知の所で ある。即ち﹃関目紗﹄に於て 法 華 経 の 第 四 宝 塔 日 間 云 : : : 誰 能 於 コ 此 裟 婆 国 土 − 広 説 = 妙 法 華 経 − 今 正 是 時 如 来 不 レ 久 当 レ 入 = 浬 繋 − 。 仏 欲 τ エ 此 妙 V テ n ’ u v , p y b g − F 法 華 経 − 付 属 有 効 在 等 云 云 。 第 一 の 教 室 な り 。 : : : 以 コ 是 方 便 − 令 − 一 法 久 住 一 。 告 − − 諸 大 衆 一 我 減 度 後 誰 能 護 = 持 Y れ シ 読 = 議 此 経 − 。 今 於 − 一 仏 前 − 自 説 − − 替 言 一 。 第 二 の 鳳 詔 也 。 : : : 若 仏 滅 後 於 コ 悪 世 中 − 能 説 = 此 経 一 。 是 則 為 難 : : : 我 誠 度 − ﹄ − a − Y J T Z 後 若 持 ニ 此 経 一 為 − 二 人 一 説 。 是 則 為 難 。 諸 善 男 子 於 − − 我 誠 後 − 誰 能 護 − 一 持 読 = 諦 此 経 一 。 今 於 = 仏 前 − 自 説 ニ 替 言 一 等 云 云 。 日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︿ 町 田 ﹀

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︵ 町 田 ︶ 第一一家勅也。第四第五の二筒の諌暁、提婆品にあ U W ︾ と述べられている。三筒の鳳詔とは﹁付嘱有在﹂・﹁令法久住﹂・ ﹁六難九易﹂の三つの諌勅である。この三簡の 告勅の受持信行は難事の中の難事である。本仏は地涌の菩薩を召喚して滅後の弘法を付嘱することに本意があった。 い か に 難 事 で あ ろ う と も 、 滅後に正法を ﹁ 令 法 久 住 ﹂ せ し め ん と さ れ た の は 、 本仏の大慈悲の発露であったのであ る。だからこそ﹁六難九易﹂を克服して、滅後末法に於ける弘法の使命を果させようと勧奨したのである。日蓮聖人 は当にコニ箇の胤部﹂を読みとり、読み続けることを不退転の決意をもって哲願されたのである。 弘長二年、伊豆諸居中に執筆された﹃四恩紗﹄に於て ヤ ノ ヲ ヤ ト ヒ み 乙 と ば 法華経云如来現在猶多ニ怨嫉−況滅度後云云。始に此文を見候し時はさしもやと思候しに、今こそ仏の御言は違 はざりけるものかなと殊に身に当て思ひ知れて候へ:::法華経の故にかかる身となりて候えば、行住坐臥に法華 経を読み行ずるにてこそ候へ。 み ち の ’ と述べられ、迫害忍受の苦難の道程に踏み出した心境、滅後末法の多怨難信の只中に身を投ずる使命感、迫りくる ( 56) 法難を身に当て読む行者の意識があふれでいる。 小松原法難の直後に南条兵衛七郎に宛てた消息の中で きれば日本国の持経者はいまだ此経文にはあわせ給はず。唯日蓮一人こそよみはベれ。我不愛身命・但惜無上道 内

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是也。されば回避は日本第一の法華経行者也。 と云っている。滅後末法世の中で唯一人、法華経を色読した行者の自覚が宣明されている。勧持品の﹁有諸無智人 £ T A n v ・窓口罵雷等、及加万杖者﹂の未来記が、小松原に於て﹁頭にきずをかほり左の手を打ちをらる﹂と、直接に身に当

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て読んだとき、法華経行者の意識と弘法の使命感はより一層に昂揚されたのである。 文永八年九月、竜ノロ法難の前夜、埋不尽にも捕縛されたとき、曽ての弟子少輔房によって法華経第五ノ巻をもっ て 打 擁 さ れ た 事 に つ い て 、 うつ杖も第五巻うたるべしと云経文も五巻、不思議なる未来記の経文也:::かくの如く思ひつづけ候へば感涙を ︽

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さ へ が た し 。 チ 法華経の第五巻をもて、日蓮が面を数箇度打たりしは、日蓮は何とも思ず、うれしくぞ待りし。不軽口聞の如く身 ? の 掛 ︾ を責め、勧持品の如く身に当て貴し貴し。 と追懐して法悦の一課をながされている。松葉谷焼打・伊豆配流・小松原万杖難・そして竜口断頭の坐に赴むくと き、迫害忍受の未来おたる勧持口聞によって打郷された事は、当に色心二法に体現したのであり、法華経行者の自覚は 確 固 と な っ た 。 聖人は﹃寺泊御書﹄に於て 勧 持 品 云 有 − − 諸 無 智 人 − 窓 口 罵 号 云 云 。 日 蓮 当 一 此 経 丸 − 。 汝 等 何 匹 入 = 此 経 丸 一 。 及 加 万 杖 者 気 云 云 。 日 遊 歩 − 此 経 文 − 。 汝 等 何 不 レ 読 − 一 此 経 文 − 常 在 大 衆 中 欲 致 我 等 過 等 云 云 。 向 国 王 大 臣 婆 羅 門 居 士 等 云 云 。 悪 口 而 袈 盛 数 数 見 按 た び た び 出。数々者度々也。日蓮損出衆度。流罪二度也。法華経三世説法儀式也。過去不軽品今勧持品。今勧持品過去不 た る H H y h ︽ 窃 ︾ 軽 品 也 。 今 勧 持 品 未 来 可 レ 為 = 不 軽 口 問 − 。 其 時 日 蓮 即 可 レ 為 = 不 軽 菩 薩 − と述べているが、この迫真正溢の消息は越後寺泊より富木氏に宛てられたものである。勧持品二十行備の﹁皆当忍 受 之 ﹂ ﹁当著忍辱鎧﹂の迫害忍受の未来記と、不軽菩醸の忍難の礼拝行の二つの説示が、いまや聖人の色読と一体と 日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ﹀

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︵ 町 田 ︶ なったのである。勧持品二十行偏を﹁日蓮当=此経文こ ハ メ リ ’ 門 街 V ﹁ 日 蓮 読 − − 此 経 文 こ と な し 、 常 不 軽 菩 薩 の 我 深 敬 汝 等 の 二 十 四文字の忍難の行軌を﹁身ニ当テ﹂ ﹁ 身 − 一 読 メ リ ﹂ と さ れ 、 此 処 に 殉 教 の 法 華 経 行 者 の 自 覚 が 鮮 烈 に 表 現 さ れ る に い た る 。 日蓮聖人は佐渡一谷に流罪諦居の身となる。 ﹁北国の習なれば冬は殊に風はげしく、雪ふかし。衣薄く食ともし。 あ た ’ チ ︽ 明 む ・:野中の御三味ばらにおちゃぶれたる草堂の上は雨もり壁は風もたまらぬ傍に:・現身に餓鬼道を経、寒地獄堕ぬ﹂と ︽

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いう、寂箕荒審たる有様であった。と同時に暫時の内省の機会ともなった。聖人みずから﹁此事日蓮当身大事也﹂と 文 永 − 0 ・ 四 ・ 二 五 ・ 文 永 一 0 ・ 玄 ・ 一 一 文 永 ニ ・ E ・ 一 回 ・ された﹃観心本尊抄﹄また﹃顕仏未来記﹄・﹁法華行者値難事﹄等の重要文書が撰述され、法華経行者の色読内証が 文 永 九 ・ こ ・ 宣明されるが、とくに﹃関目抄﹄に於て仏使上行の自覚殉教如来使の自覚が開顕される。 ︽ 曲 a v 我身法華経の行者にあらざるか。此の疑は此書肝心一期の大事﹂ ( 58 ) 聖人にとって﹃開目紗﹄の撰述は、 とある如く、色読内証の成否に関わる重要事であった。内外・大小・権実・本迩・教観の五重相対判の独自の教判 ︽ 却 ︾ の展開はもとより、﹁法華経の行者﹂の呼称を二十六回も使用して殉教の如来使の内証を開顕される。そして忍障の ︽ 混 ︾ 鎧を身にまとい、附吟して悲一波をあふれさせた忍難慈勝の色読は、三大替願となって開花し、﹁当世日本国に第一に ︽ お ︾ 富者日蓮なるべし﹂と、法悦の境地に身を置くのである。古来、関目妙は人関顕の番とされるが、此処で改めて﹁今 ︻ U V 度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ﹂の普願をかみしめ、 ﹁教え﹂に生きられた軌跡を鍍仰しなければなら ないであろう。本仏と地涌菩薩等の代表となって、泥まみれ、血まみれ、汗にまみれて、菩薩道を只ひたすらに生き られ英姿であったのである。

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︹ 註 ︺ ハ U ﹀ ︵ ロ ﹀ ハ 日 ﹀ ハ M ﹀ ハ 時 ﹀ ︿ 時 ﹀ ハ ロ ︶ ︿ 羽 ﹀ ︵ 四 ︶ ︵ 却 ︶ ︵ 幻 ﹀ ハ 沼 ﹀ ハ お ﹀ ︿ 倒 的 ﹀ ハ お ﹀ ハ お ﹀ 怨 法 閲 観 法 ず 注 定 妙 上 聖 南 定 前 前 注 定 定 高 閲 と 四 坂 族 華 目 心 蓮 。 ハ 遺 密 野 人 条 遺 同 同 ( 遺 遺 橋 目 名 条 本 、 経 紗 本 語 況 25五 上 臨 御 兵 二 法 法 11五 一 入 妙 く 金 況 行 ・ 尊 ・ 余 三 一 人 御 難 衛 三 華 華 〉 八 一 道 ・ 。 吾 岩 滅 者 定 妙 定 人 四 御 返 事 七 五 経 経 「 二 三 股 定 日 女 本 震 の 遺 副 遣 を ま | 消 事 ・ 郎

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ﹀ ハ 担 ﹀ と体現したことである。@勧拝品二十行偏の迫害忍受の未来記を体現したという事である。@常不軽菩薩品の﹁我深敬汝 等﹂等々二十四文字が示す忍難の但行礼拝行を末法弘教者の行軌なりと受けとめる事が出来たか否かと云うことである。@ 薬王菩麗本事品の﹁我減度後、後五百歳中、広宣流布、於闘浮提﹂の教示を、末法弘教者に対する勧奨として受けとめるこ と が 出 来 た か 否 か と い う 事 で あ る 。 @ 従 地 涌 出 品 の ﹁ 是 菩 蕗 衆 中 、 有 四 導 師 ・ : ﹂ と あ る 本 化 の 菩 蕗 の 涌 現 と 、 如 来 神 力 品 の ﹁ 爾 時 仏 告 、 上 行 等 菩 薩 大 衆 : ・ ﹂ 以 下 の 妙 法 結 要 別 付 嘱 の 説 示 を 、 末 法 の 行 者 と し て 体 現 で き た か 否 か と い う 事 で あ る 。 @ 見宝塔品のコニ箇の鳳詔﹂の勧奨を末法行者の行軌とうけとめ、﹁立正安国﹂を普顕した信行の内省である。|そして閲目 抄の処々に於て﹁恐怖感世中の金言のあふゆへに但日蓮一人これをよめり﹂︵定五六

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﹀ ﹁ 日 蓮 な く ば 此 一 偏 の 未 来 記 妄 語 となりぬ﹂︿定五五九﹀﹁経文に我が身普合せり﹂︵定五六

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﹀ と 、 色 読 の 内 証 を 宜 明 さ れ る 。 色 説 と 内 証 と を 極 文 と 照 合 して述べられたものに﹃顕仏未来記﹄ハ定七三八・七四

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・ 七 四 二 ﹀ が あ る 。 併 せ 参 照 さ れ た い 。 関 目 紗 に ﹁ さ れ ば 目 指 碍 か 法 華 経 の 智 解 は 天 台 伝 教 に は 千 万 が 一 分 も 及 フ 事 な け れ ど も 、 難 を 砂 び 慈 悲 す ぐ れ た る 乳 を そ れ を も い だ き ぬ ベ し ﹂ ︵ 定 五 五 九 ﹀ と あ る 。 関目紗中、あまりにも有名な条であるので引文は略す。定遺六

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一 参 照 。 開 目 紗 ・ 定 遺 五 八 九 註 ︵ 日 ﹀ 参 。 ( 60〉・ ハ 幻 ﹀ ハ お ﹀ ︵”の﹀

﹁ 時

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時と人

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﹁教え﹂に生きると云うことは、法華経を身﹁−一当テ﹂ は ざ ま ﹁身ニ読ム﹂ことである。それは生と死の限界状況の間を 生き披くことであった。日蓮聖人は﹃日妙聖人御書﹄等に於て A お ︾ 正法を修して仏になる行は時によるベし。夫仏を学せん法は必ず先づ時をならうべし σ と述べて、菩提の覚智を求めて﹁修する行者﹂ ︿人﹀と、その歴劫修行の菩薩道は﹁時による﹂ ﹁ 時 を 習 う ベ し ﹂

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となし、時と人との深い相関について興味ある示唆をされている。 日蓮聖人の﹁時﹂の認識とは、理性とか悟性という知性の対象としての﹁時﹂ではなかった。法華経の行者にとっ て﹁時﹂の認識とは、智の領域を越えた信の世界に関わる問題であった。 ﹃ 報 恩 抄 ﹄ の 中 に 日蓮が慈悲畷大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるベし。日本国の一切衆生の盲目をひらける 功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此功徳は伝教天台にも超え、龍樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行 え ど J は積土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法一時に劣るか。是はひとへに日蓮が智のかしこきにはあら 内 部 V ず。時のしからしむる耳。 とあり、また﹃四条金吾殿御返事中﹄に於ても ヲ キ エ 身の智分をば且く置ぬ。法華経の方人として難を忍び庇を蒙る事は漢土の天台大師にも越、 ︽明刷︾ 勝たり。是は時の然らしむる故なり。 日域の伝教大師にも と 述 べ て い る 。 ﹁ 日 蓮 が 智 の 賢 き に は 非 ず ﹂ と 云 い 、 ﹁智分をば且く置きぬ﹂として、末法の法華経の行者の資格 は智慧︵機根﹀にあるのではなく、 ﹁ 時 の 然 ら し む る 故 な り ﹂ と さ れ る 。 ﹁然らしむる﹂とは、国語的解釈からして も﹁そのような結果に至らせる。そうさせる﹂ことであるから、法華経行者の資格は﹁時﹂と深く関わっているので る 事 は 云 う ま で も な い 。 ﹁智分は且く置く﹂と申されてはいるが、法華経行者にとって﹁時の然らしむ﹂事を知ることが真の智解であ 同 調 ︾ ﹁日本第一の智者となし給え﹂との祈願は此の事であろう。 あ る 。 日蓮聖人が正法弘通との関わりに於て﹁時﹂について強い関心を寄せ、深い洞察を加えられたことは云うまでもな 日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ﹀

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ︶ し、

﹃ 教 機 時 国 妙 ﹄ に 於 て 時 者 、 弘 = 仏 教 − 人 必 可 レ 知 レ 時 : : : 不 レ 知 レ 時 弘 レ 法 無 レ 益 上 選 堕 − − 悪 道 一 也 : : : 当 世 入 − 一 末 法 二 一 百 一 十 余 年 也 。 権 経 念

n 謁 ︾ 仏 等 時 鍬 。 法 華 経 時 欺 。 能 能 可 レ 勘 = 時 刻 一 也 。 と 述 べ 、 ﹃ 撰 時 抄 ﹄ の 一 文 に も 何に況や、仏法を修行せんに時を糾ざるぺしゃ:::機の熟不熟はさておきぬ。時の至れるゆえなり。経云今正是

L Y テ 舟 Y ヲ テ , 其時決定説−一大乗一等云云:::問云いかなる時にか小乗権経をとき、いかなる時にか法華経を説くべきや 0 ・ ’ ’ ︽ 叫 ぜ 答云仏限をかつて時機をかんがへよ。 と あ る 。 先 の ﹃ 教 機 時 国 紗 ﹄ の 中 の ﹁ 能 能 可 レ 勘 = 時 刻 一 也 ﹂ と か 、 ﹃ 撰 時 抄 ﹄ の ﹁ 仏 限 を か つ て 時 機 を か ん が え よ ﹂ ( 62 ) との教示は、法華経の弘通に於ける﹁時﹂の見究め、 ﹁時﹂の選択について仏眼︵智慧︶を開かねばならぬことの教 示である。こうした﹁時﹂の選択について、﹃妙一女御返事﹄には 法 華 経 の 弘 ま ら せ 給 ベ き 時 有 = 二 度 一 。 所 調 在 世 興 = 末 法 − 也 。 修 行 叉 有 − 三 意 − 。 仏 世 は 純 同 一 突 、 滅 後 末 法 の 今 の キ 時は一向本門の弘らせ給ベき時也。迩門の弘らせ給ベき時は己に過て二百余年になり、天台伝教こそ其能弘の人 にてましまし候しかども、それもはや入滅し給ぬ。日蓮は今、時を得たり。堂此所嘱の本門を弘めざらんや。 と あ っ て 、 ﹁ 日 迷 は 今 、 時 を 得 た り ﹂ と述べているが、その ﹁ 時 を 得 た り ﹂ と は 、 方 便 口 問 ・ 響 喰 品 ・ 宝 塔 品 等 に ﹁ 今 正 是 其 時 ﹂ 又 は ﹁ 今 正 是 時 ﹂ と教示される勧奨そのものを容け入れ、 忍 難 色 読 に よ る 如 来 使 の 自 覚 が 、 末 法 の ﹁今の時﹂を選び択らせたものである。こうした﹁時機﹂に対する認識に関して、

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たとえば﹃富木入道殿御返事﹄には 設ずる処は天台と伝教とは内には盟給といへども、 中 ︵ 必 ﹀ に入ぬ。地涌出現して弘通有ベき事なり。 一には時来らず、二機なし、三譲られ結はざる故也。今末法 と見え、また﹃四菩薩造立鈴﹄に 今末法に入れば尤仏金言の如きんば、造るべき時なれば本仏本脇士造り奉るべき時也。当時は其時に相当れば、 地涌の菩麓やがて息。せ給はんずらん o 先虻程町菩薩を建立し奉るベし。丸も今は然るべき時・喝 き 時 ﹂ で あ り 、 と述べられ、法華経行者の資格と法華経流布の有無は、仏使上行等の涌現の付嘱にあるとされ、今が正に﹁然るベ ﹁ 妙 法 蓮 華 経 広 宣 流 布 之 時 刻 也 。 是 知 レ 時 向 一 切 と さ れ て い る o 聖 人 の ﹁ 時 ﹂ の 認 識 は 、 法華経の忍難 色読との関わりのなかで、正法流布の﹁時﹂を選択する仏限をもつことであった。 我々が時を認識するという事は、主体的に生きたと云う自覚の構造として把揮されることである。本来、人聞は生 向 回 目 。 司 z n v 骨 4 0 a e o N S 曲 S 明 老病死の時間衝撃からの逃避を願っている。老の衰えを苦悩し、死の恐怖に襖悩する衆苦充満の時間衝撃からの離脱 ︵超克﹀を志向している。時に対する認識が深まれば深まる程に、時の衝撃からの逃避・超克を強く志向するであろ ぅ。この超克の理念を樹立する所に宗教の存在する意味がある。 鎌倉新仏教の興起と展開は、有為転変・末法当初を意識するなかでなされたのである。法然・栄西・親驚・道元等 n m w v の開祖、そして日連盟人は末法を克服することを共通の課題として抱き、死身弘法の活動であった。鎌倉新仏教は時 に対する深い洞察と認識のなかから新生した事は確しかな事である。 日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︿ 町 田 ﹀

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︵ お ﹀ ︵ お ﹀ ︿ 幻 ﹀ ︿ 羽 ﹀ ︿ 鈎 ﹀ ︿州制︶ ︿ H U ﹀ ︿ 位 ﹀ 日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ﹀ 日 妙 聖 人 御 脅 ・ 定 遺 六 四 五 。 撰 時 抄 ・ 定 遺 一

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三 。 定 遺 一 二 四 九 。 定 遺 一 八

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善無畏三蔵紗・定遺四七三 o 清澄寺大衆中・定遺一三三三破良観等御番・定遺一二八三。 定 遺 二 四 二 。 撰 時 抄 ・ 定 遺 一

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五 。 定 遺 一 七 九 八 定 遺 一 五 一 九 o 注

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妙一女御返事の﹁委ず親龍樹内鑑冷然等云云 o 天 台 大 師 云 答 百 歳 、 長 − 一 妙 道 一 。 伝 教 大 師 云

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, 義 弘 何 以 伊 知 F , 安 楽 行 口 弘 会 世 法 滅 時 云 云 ﹂ 0 も 併 せ 参 照 。 定 遺 一 六 四 人 。 定 遺 二 四 四 。 辻 善 之 助 ﹁ 日 本 仏 教 史 ﹂ 中 世 篇 之 一 ・ 岩 波 書 店 刊 一

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六 。 ( 64) ︿ n w ﹀ ハ “ ﹀ ︿ 必 ﹀ 日本仏教学会年報拠号|鎌倉仏教形成の問題

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昭 和 四 四 年 刊 。

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末法の超克

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日蓮聖人は末法当初の時にこそ正法の流布される﹁今正是其時﹂と受けとめた。云うまでもなく、その受容意識は 法華経の忍難色読による自覚でもある。 さ て 、 日蓮聖人が﹁時﹂を受容された意識は、単に国語的解釈による﹁受け入れる﹂と云う意味だけではなく、 台、 えって其を克服へと止揚する理念をとりこんだ意味を含んでいるのではないか。それどころか、法華経の行者日蓮聖 人にとって、積土を改めて浄土を実現することは絶対の使命と受けとめていたのである。即ち裟婆即寂光の具現は絶 対の使命であったのである。

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宮 回 目 白 V R ぬ

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﹁時﹂を超える|末法の超克ーと云う理念が樹立されることは容易な事ではない。﹁超える﹂と云う事は限界を越 えることであるから、その越える為のエネルギーが必要である。我々の日常的な時空の次元を超えて、永遠の世界を 想定するためには、そこに思考の変革、倒錯の論理とも云うべき思惟がなければならない。 聖人は﹃種種御振舞御番﹄のなかで 仏滅度後二千二百余年が問、恐は天台相官者大師も一切世間多怨難信の経文をば行じ給はず。数数見損出の明文は 但日蓮一人也。一同一偏我与授記は我也。阿縛多羅三貌三菩提は疑なし。相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ 提婆達多よ。念仏者は樫伽利尊者、持斉等は普星比丘。在世は今にあり、今は在世なり o

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と述べて、仏在世と減度後を対照されている。そして機根︵能力﹀の熟・不熱、信の篤い薄い、と云う事は時とは 円 八 代 戦 悩 ・ 時 宗 ︸ 関係がない。仏の在世でも悪提婆の如き誘法者も居れば、滅後末法であっても相模守の如き有徳者も居るのである。 即ち正法を受持する機根は、正像末の三時の流れとは関わりがないとするのである。 ( 65 ) 聖 人 は 此 処 で 語 調 を 整 え て 、 ﹁在世は今にあり、今は在世なり﹂とされる。若し文字通り素直に訳読すれば、 ー園、 仏 の在世は末法当初となり、末法はそのまま仏在世となる﹂となろう。この教示によれば、 ︽ 続 念 M という、時間も空間も全く異なる次元の世界を、同時に同質のものとして容認しようとする論理思考である。然し、 ﹁ 仏 在 世 ﹂ と ﹁ 末 法 当 初 ﹂ 次元の異なる世界を同じ時点で認めようとする思惟は、明らかに二律背反の論理であり、矛循した論理だと指摘をせ ざ る を え な い 。 日蓮聖人はそれでも﹁在世は今なり。今は在世なり﹂とされるのである。聖人の教示が成り立つ為には、時間倒錯 の論理思考が導き入れられねばならない。即ち、宗教的に昇華された純粋時間と、思索の領域を超えた空間とが想定 日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ︶

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回 避 聖 人 の 時 間 論 ︵ 町 田 ﹀ されなければならない。聖人が﹁在世﹂を﹁末法の今﹂に比定されるのは、末法衆生の救済を本願とする大慈悲の現 わ れ で あ る 。 日蓮聖人は在世正法の時よりも、むしろ末法の時に宗教的意義を見い出そうとされている。此処で﹁日蓮当身ノ大 事﹂とされた﹃観心本尊抄﹄の教示を鍛仰してみよう。 y テ 迩 門 十 四 品 正 宗 八 品 一 往 見 レ 之 以 三 一 乗 一 為 レ 正 以 = 菩 薩 凡 夫 − 為 レ 傍 。 再 往 勘 レ 之 以 − − 凡 夫 正 像 末 一 為 ν正。正像末三時 之 島 − 妥 結 , 一 為 一 一 長 E J o 間町畏証如何 o 昏 以 法 師 品 昌 一 民 雨 量 ハ 者 如 来 現 泰 弘 一 怨 嫉 一 丸 減 反 保 宝 沼 町 長 − −

V テ セ 法 久 住 − 乃 至 所 レ 来 化 仏 当 い 紙 一 此 意 − 等 。 勧 持 安 楽 等 可 レ 目 れ 之 。 迩 門 如 レ 是 。 以 − 一 本 門 − 論 レ , 之 一 向 以 来 法 之 初 一 丸 二 重 。 所 執 一 色 之 時 以 − 久 ま − 下 智 大 通 前 回 味 迩 安 全 −

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。 再 往 払 い と 不 ν − 一 迩 凡 一 o 本 円 一 序 正 流 通 倶 区 一 末 法 之 仇 − 仇 詮 。 在 世 志 向 凶 末 法 之 机 一 凡 純 門 的 氏自主党仏削試紅説

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r 分 別 功 徳 ロ 肌 一 民 感 世 末 路 o 薬玉昼食五百 T , レ ト モ ル − − ナ ヲ モ = 品 キ カ 歳 於 − − 閤 浮 提 一 広 宣 流 布 。 浬 襲 経 云 警 如 下 七 子 。 父 母 非 レ 不 = 平 等 − 然 於 − 一 病 者 一 心 則 偏 重 ム 等 云 云 。 以 = 己 前 明 鏡 − 推 ニ ノ F A 唱 、 加勺仏意 J 仏 出 世 、 非 ν 一 一 霊 山 八 年 諸 人 − 為 コ 正 像 末 人 J 也 。 叉 非 い 為 一 − 正 像 二 千 余 人 J 末 法 府 警 仇 一 予 者 一 喝 ﹂ ( 66 ) ま た ﹃ 法 華 取 要 抄 ﹄ に 於 て 、 テ F H 守ヂノ 岡 田 法 華 経 為 = 誰 人 一 説 レ 之 手 。 答 日 自 − 一 方 便 口 問 一 至 − − 子 人 記 口 問 一 八 品 有 = 二 意 − 。 自 レ 上 向 レ 下 次 第 読 レ 之 第 一 菩 薩 第 一 一 一 一 乗 第 三 凡 夫 也 。 自 − − 安 楽 行 一 勧 持 提 婆 宝 塔 法 師 逆 次 読 レ 之 以 = 滅 後 衆 生 占 為 レ 本 。 在 世 衆 生 傍 也 。 以 = 滅 後 − 論 レ 之 正 法

P 一 千 年 像 法 一 千 年 傍 也 。 以 = 末 法 − 為 レ 正 。 末 法 中 以 = 日 蓮 − 為 ν正也。問日其証拠如何。答日況滅度後文是也。疑云 日蓮為レ正正文如何。答云有諸無智人悪口罵雷等及加万杖者等云云。問云自讃如何。答日喜余 ν 身故難レ堪自讃

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也 。 右に引用参借した御文書は、聖人の宗教理念とされる﹁末法為正﹂を示唆したものとして知られている。即ち﹁凡 夫正像末ヲ以テ正ト為ス﹂。 ﹁正像末ノ三時ノ中ユモ末法ノ始ヲ以テ正ガ中ノ正ト為ス﹂。 ﹁ 末 法 ノ 初 ヲ 以 テ 正 機 ト 為 ス ﹂ 。 ﹁在世ノ本門ト末法ノ初ハ一同ュ純円ナリ﹂。 ﹁逆次ニコレヲ読メパ滅後ノ衆生ヲ以テ本ト為ス﹂。 ﹁ 滅 後 ヲ以テコレヲ論ズレパ正法一千年、像法一千年ハ傍ナリ。末法ヲ以テ正ト為ス﹂等々と、表現されるのは、先の﹃種 種御振舞御書﹄の﹁在世は今にあり、今は在世なり﹂との意を更に積極的に表現されたものである。種種御振舞書の 表現は、拝読する者に柔軟な感を与え、観心・取要両抄の表現は直識的な感を抱かしめる。ともかくも、﹁末法為正﹂ ︽ 衆 生 ・ 国 土 ︾ と主張されるのは、法華経は滅後末法の救済を目的としている、否それどころか末法に強い意義を求められた回避聖 人の独自の法華経観である。 く67) ところで﹁末法為正﹂の﹁正﹂は、 ﹁ 証 ﹂ ︵証悟・証道・証智︶と同義に解する事も可能である。在世の﹁証﹂は そのまま末法の﹁証﹂と云う事になる。末法を超えて在世の本門と同調する思惟である。本尊抄の﹁在世ノ本門ト末 法ノ初ハ一同ニ純円ナリ﹂との教示は、久遠本時と末法当今は当に同調していると把鑑され、法華一仏乗は悉く末法 の時・末法の機の為めのものと主張されたのである。 謂 う ま で も な く 、 ﹁末法為正﹂の宗教理念が主張される為には、法華経の忍難色読によって裏打されていると云う 事 で あ る 。 ﹃法華取要抄﹄の中で所調、順読法華・逆読法華の二つの法華経観が示されるが、 ﹁ 末 法 為 正 ﹂ の 精 神 を 自己の胸奥に抱きしめる為には、 円

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スいという逆次に色読することで、法華経の末法流通の心を把揮しなければならない。法華経は独り日蓮聖人の為の ﹁安楽行ヨリ勧持・提婆・宝塔・法師ト逆次回一コレヲ読メバ滅後ノ衆生ヲ本ト為 日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︿ 町 田 ︶

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︵ 町 田 ﹀ 未来記ではなかった。滅後の衆生すべての為に﹁是好良薬・今留在此﹂され、 ︽ 大 良 策 M − − − − − − −

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の尊い未来記を日連聖人が代表となられて、逆次に忍難色読されて、在世の﹁今﹂を末法の﹁今﹂へとたぐり寄せら ﹁ 遺 使 選 告 ﹂ さ れ た 未 来 記 で あ る 。 こ れ た の で あ る 。 門 註 ︺ ︵ 必 ︶ 種 種 御 振 舞 御 脅 ・ 定 過 九 七 一 。 ︿ C V 観 心 本 尊 抄 ・ 定 遺 七 一 四 ・ 七 一 五 。 ︿ 必 ﹀ 前 向 ・ 七 一 八 ・ 七 一 九 。 ︵ 川 叩 ︶ 法 華 取 要 抄 ・ 定 遺 八 一 三 。 ︿ 印 ﹀ 前 同 ・ 八 二 ニ 。 ︿日﹀﹁法華経を代表となって色説した﹂との表現は、﹁法華経の殉教の如来使﹂と云うことである o 偶々、筆者は一九七九年西 ドイツの﹁聖オッティリ品ン大修道院﹂に日蓮宗徒でありながら唯一人滞在を許されたが、厳しい修道生活の問、十数回に 亘り修道院長ノトケル・ポルフ師ハ神学・哲学博士︶と研究討議の機会を得たが、院長は﹁イエズスの十字架上の犠牲﹂ と 題 す る 講 義 の 中 で 、 ﹁ ﹄

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は 人 類 の 代 表 と な っ て カ ル ヴ ア リ オ 丘 の 十 字 架 上 の 犠 牲 向 日

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は殉教・犠牲によって深い愛を示された﹂︿こうした神秘的 事柄は思索によっては理解できない﹀と o 筆者はその講義を聴きながら、日蓮聖人の忍難慈勝︵回避は泣かねども涙ひまな し 。 五 字 ノ 内 ユ 此 珠 ヲ ツ ツ ミ 末 代 幼 稚 ノ 顕 − − 懸 サ ジ メ タ マ ウ ﹀ の 悲 涙 の 生 涯 に 想 い を 馳 せ 、 ま た 三 大 普 願 を 背 に 負 う た 殉 教 の如来使ハ一切衆生の代表となって法華経を色読﹀の英姿を想起し、ヨーロッパの空の下で改めて立正安国の普願の意味を 考 え る 縁 と な っ た 。 ( 68)

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の意味

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永遠の今| ﹁今本時﹂とは、﹃観心本尊抄﹄の所謂、﹁四十五字法体﹂の冒頭にみえる語句である。その﹁四十五字法体﹂は、 仏陀釈尊の久遠成道︵本地﹀の時を説き明したものとされてきている。 今 本 時 裟 婆 世 界 離 − − 三 災 一 出 − − 四 劫 − 常 住 浄 土 。 仏 既 過 去 不 レ 滅 未 来 不 レ 生 。 所 化 以 肉 体 。 此 即 己 心 三 千 具 足 三 種 世 間 也 。 見 し で も 、 この﹁今本時﹂の語句は日蓮聖人の遺文中、唯一度の出自であり、幾種類かの仏教学並に日蓮宗学関係の辞典を披 門 田 v ﹁今本時﹂の項目を見ることは無いむがしかし、 ﹁本時﹂の項目は全辞典類に収録されている。ちなみに 辞典類の解説を要約してみると、ー本時とは、法華経寿量品に於ける開近顕遠・開迩顕本によって寿量文底の久遠本 ( 69) 仏が関顕され、その久遠本仏の時空を超えた宗教的絶対世界ーまた

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法華経寿量ロ聞に開顕された本源的な時、即ち我 此土安穏天人常住満と語られる次元を指すとみられる!とされている。 このように﹁本時﹂について解説をされてみて、寿量本仏の無始無終の絶対世界であるとするならば、 ﹁ 本 時 ﹂ の 頭に冠せられている﹁今﹂とは、 一体何であろうか。単に﹁本時﹂の意味を強めるために冠せられた接頭語でない事 は確しかである。宗教的な意味がこめられた﹁今﹂であることは云うまでもなかろう。 ﹁今﹂を、素直に国語的に解 釈して、現在・過去と未来の境としての瞬間・自己が立っている時点・末法の現在などに解すべきであろうが、 本 時﹂に冠せられている事と併せ考えれば、その﹁今﹂は何か概念化されたり、抽象化された思弁の産物であると受け とめではならない。明らかに宗教的悟道の表現、 つまり寿量久遠本仏の時と深く関わる﹁今﹂であることが理解され 回 避 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ﹀

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︿ 町 田 ﹀ ト J R A

日蓮聖人の﹁今本時﹂の意味を思索するとき、それに触発されて

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恋意的ではあるが

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想起させられる語句 ゅ う じ し き ん ︽ 制 ︸ に、道元禅師が﹃正法限蔵﹄︿﹁有時の巻﹂﹀で特徴的に使われる﹁有時の而今﹂があるσ う じ に ζ ん み う じ し き ん 道元禅師が特徴的に用いる﹁有時の而今﹂・﹁有時﹂・﹁而今﹂等の語句は、﹃正法眼蔵﹄の全巻の中でも殊に難 V キ ン ・ に と ん ・ ﹁而今﹂とは﹁即今﹂とも云い、現在の事・いまの事であるが、禅師は さ て 、 解且つ深い思索の意味をもっとされている。 これに宗教的意味を持たせて、過去を担い未来を苧む時である今、叉は仏道の行持を現成する今、真理そのものの突 現する今であると、表現されているのである。 此処で禅師が示した﹁有時而今﹂を手掛りとして、 日蓮聖人の﹁今本時﹂の意味について考えてみたい。まず﹁今 本 時 ﹂ の 読 み 方 で あ る が 、 ﹁ 今 が 本 時 と な る ﹂ と 読 む の か 、 ﹁今がそのまま本時である﹂と読むのか。先の道元禅師 ( 70 ) の﹁有時而今﹂に徴するとき、明らかに﹁今即本時﹂ ﹁本時即今﹂と読むべきであるう。端的に云えば、我々の立 っている時点がそのまま本時なのである。この事について、道元禅師は次のように見事に示される。 門 部 ︾ われに時あるべし。われすでにあり。時さるべからず。彼方にあるににたれども而今なり。 あ る と き 即ち、有時している而今を思念することが重要だと云う。その﹁有時﹂とは、時聞がそのまま存在、存在がみな時 聞である事を示している。 一切の世界はすべて時であり、それらは自己の内にあるのであるから、自己が発心、修行、 現 成 す れ ば 、 一切の世界と同時に発心、修行、成道することであり、自己と同心一体の﹁時﹂がはじまるとするので あ る 。 さて、日蓮聖人が逆読法華の帰結として、 ﹁末法為正﹂と主張してやまないのは、法華経の色読を媒体として、本

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︽ 永 遠 の 世 界 V 仏の世界と感応道交して﹁本時﹂の中に生きられたからである。随って﹁今本時﹂と云うは、時間の長短・空間の広 狭を超えた世界の中に生かされている事である。 日蓮聖人は次のように示される。 ︹ 弱 v 法華経を一字一点も信じ行ぜば本時同居の安楽世界に往生すベし。 とあり、また﹃御義口伝﹄には釈して次のように見える。 時者感応末法時也 0 ・ : 時 者 本 時 裟 婆 世 界 時 也 。 ・ : 時 者 末 法 第 五 時 也 。 今 日 蓮 等 之 類 奉 レ 唱 − − 南 無 妙 法 蓮 華 経 一 者 住 7 P A U V 所 説 也 。 即ち衆苦充満の裟婆世界であろうとも、法華経色読者の住する処はそのままコニ災ヲ離レ四劫ヲ出タル常住﹂の本 時なり、﹁仏既ュ過去減セズ未来ニモ生ゼザル﹂本時となるのである。﹁過去ユモ滅セズ﹂﹁未来−一そ生セズ﹂とは、 小 氷 遣 の 泌 去 ︾ ︽ 無 限 の 未 来 ︾ ︽ 時 安 の 限 り 無 い ﹀ 無 一 一 の 昔 ー か ら 無 終 の 未 来 に い た る 無 量 無 辺 の 本 仏 の 世 界 の 事 で あ る 。 日 蓮 聖 人 が 志 向 さ れ た 本 仏 の 永 遠 の 世 界 と は 、 ︽ 永 遠 下 ハ ト フ

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も と の ま ま ﹁久遠者ハタラカザズックロハズモトノ儲云義﹂とあるように、無作・無縁であり、時空を超越した本有の世界であ (71) っ た の で あ る 。 此処で﹁久遠本仏﹂とか﹁寿量本仏﹂と呼称される性格について整理し理解しておく必要がある。即ち、回避聖人 の 御 書 中 に 表 現 さ れ る 仏 身 観 に は 、 ﹁ 無 始 古 仏 ﹂ と 、 ﹁ 無 始 無 作 三 身 ﹂ ︵無始本覚三身﹀と云う二種が観られるので あ る 。 法華経を所依の経典とされた日蓮聖人は、法華以前の諸大乗経典にみられる仏身と、法華経の就中、本門寿量品で 開顕された仏身との相異を明確に示し、そこに法華経の特異性を認められている。 日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︿ 町 田 ︶

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︿ 町 田 ﹀ ﹃ 関 目 捗 ﹄ に 於 て 爾前のみならず迩門十四口町一同に爾前に同ず。本門十四品も涌出・寿量の二品を除ては皆始成を存せり。双林最 後大浬襲経四十巻・其外の法華前後の諸大経に一宇一句もなく、法身の無始無終はとけども応身報身の顕本はと 白 凶 ︾ か れ ず σ ︿ 本 来 の 績 地 ・ 本 体 V と述べて法華経繭前の諸大乗経は法身仏を本地としたが、法華経に至って応身と報身の顕本が説示されたとなして いる。そして寿量品に於て顕現された本地は無始の古仏であるとする。即ち﹃観心本尊尊抄﹂に於て、 カ ノ ハ J Z ’ テ J ︽ 割 引 ︾ 我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也。 と明快に示されている。ちなみに寿量品にには次のように説示される。 如是我成仏己来、甚大久遠、寿命無量、阿僧祇劫、常住不滅、諸善男子、我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、 復倍上数、然今非実滅度、而便唱言、当取滅時︾ い の ち 即 ち 、 本 仏 の 寿 命 と は 、 (72) ︽ 悠 還 ︸ 伽耶始成の釈迦︿応身﹀の寿命が久速であると云うのではない。仏陀となったその世界 ︿限りない時間と笠岡︾︽計算する能力を旬、えた天文学的釣他﹀ ︵報身﹀が久遠だと云うのである。寿量品で説示される本仏の﹁無量無辺﹂とは、﹁五百千万億那由佑劫﹂という、 ♀引算することの不可飽︾︽思考する銅械も矧蝕している︾ ﹁非算数所知﹂であり、﹁亦非心力所及﹂なのであり、 無始の古仏の性格を平易に且つ見事に語っている。 ﹁五百塵点﹂﹂とか﹁百千万億劫﹂と天文学的数量をもって示されても、それが有限の数値であり、 J 円 位 ﹀ ﹁復倍上数﹂と積み重ねても結局は有限であることには変りはない。日蓮聖人も﹁五百塵点乃至所顕=一身﹂とか﹁五 ノ ︽ 臼 V A 臼 ︾ 百塵点劫成仏﹂、また﹁五百座点三身相即無始の古仏﹂のように、寿量ロ聞の数値をもって無始古仏の悠遠性を示そう 然 し な が ら 、 としている。法華経にみられるドラマチックな表現また御文書にも見られる﹁五百塵点劫﹂という表現は、天文学的

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数値を諮りて有限の世界から無限の世界を誘う為のものである。五百盛点幼の有限の数値をもって、無始舵禁容 い の ち の生命を顕現しようとしたのである。 内 如 来 の 所 説 は 真 実 で あ り 偽 り は な い ︾ 寿量品に﹁諸所言説、皆実不虚﹂と前置きして、 所以者何、如来如実知見、三界之相、無有生死、若退若出、亦無在世、及滅度者、非実非虚、非如非異、不如三 円 筒 ﹀ 界、見於三界、如斯之事、如来明見、無有錯謬 C ︽ 録 限 伎 ︾ ︽ 永 遺 怯 ︾ とある。この説示は久遠の古仏の本性を見事に説き明したものである。本仏の常住と不滅についての美事な表現で ある。天文学的数値を以って本仏の寿命を説示したドラマチックの表現が敷街されて、常住不滅の無始古仏︿﹁法身 仏﹂﹀の仏身観が明らかにされている。 次に、日蓮聖人の御遺文中には﹁無作三身﹂とか﹁本覚無作﹂と表現される仏身観がみられる。たとえば﹃授職種 ( 73 ) 項 抄 ﹄ に は 、 ナ リ ト F 7 J ’ ナ H ぬ 閲 ﹀ 明 − − 釈 尊 無 作 三 身 − 欲 レ 令 レ 増 − − 進 弟 子 三 身 − ・ : : 此 三 身 者 難 = 無 始 本 覚 三 身 − 且 立 = 五 百 麗 点 劫 成 仏 ニ = 身 即 三 世 常 住 。 とあり、寿量文底の本仏は五百塵点劫本覚無作の三身であるとされる。また﹃今此三界合文﹄には、 ’ こ の か た M Y テ V ハ m 山 ︾ 釈 伽 如 来 是 三 千 世 間 総 体 従 = 無 始 − 来 本 来 自 証 無 作 三 身 法 法 皆 具 足 無 レ 有 − 一 関 減 、 と あ り 、 ﹁本来自証﹂の三身と見え、本覚無作の性格が示されている。そして﹃御義口伝﹄によれば 丹市制︾ 無死退減無作報身也。有生出在応身也。如来如実無作法身也。 と示され、無作の法身仏を明らかにしている。 さて、日蓮聖人の仏身観は本論論、成仏論、己心論とも深く関わる宗学上の重要問題であるから、本拙論で疎略に 回 避 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ﹀

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ︵ 町 田 ﹀ 扱うことは許されないであろうが、しかし聖人が自ら﹁日蓮当身ノ大事﹂とされた﹃観心本尊抄﹄に於て、

J ハ J S V テ J a ︾ 我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也。 ︽ 無 始 無 終 ︾ と、明らかにされる限り、寿量文底の本仏は﹁無始の古仏﹂とせねばならないであろう。従前、この﹁無始の古仏﹂ ︽ 袋 本 行 苔 道 ・ 所 成 問 河 畠 叩 ︾ と﹁本覚無作﹂とを混同してきた為に日蓮聖人の仏身観に錯綜が生じたのではないか。無始無終の実成的性格と、本 有無作という本覚的性格を一緒にして、久遠実成本覚無作三身と称しても、本仏の性格が揮然融和された事にはなら ない。寿量品所顕の本仏とは、久遠実成の無始古仏とすべきである。久遠の背から永遠の未来に生きつづける本因本 果を具足した本仏であると領解すべきである。 ︽ 決 申 完 成 仏 巳 来 、 無 量 無 辺 、 百 千 万 低 務 自 他 劫 ︾ な が れ 寿量品開顕の本仏は最初から時間を超えている。随って﹁無量無辺﹂という性格は、単に無限の時阪の経過を指す の で は な く 、 ﹁永遠の今﹂を志向している存在である。久遠本仏は﹁今、此処に﹂ ・﹁何処に﹂でも存在するのであ ( 74) る

﹁本時﹂とは無始古仏、久遠本仏の世界のことである。 ﹁今本時﹂とは、﹁永遠の今﹂という事になる。久遠本仏の生命の中に包みこまれた﹁今﹂ということである。﹁今 本時﹂の﹁今﹂は永遠の相下に観られた﹁今﹂であり、仏既ニ過去ニモ滅セズ未来−一モ生ゼザル﹁今﹂である。この ︽ 久 遠 ︾ ﹁ 今 ﹂ の 永 遠 の 相 を 示 さ れ た も の で あ る 。 ﹁今﹂が本時と云われるのは 久遠というのは時間の無限の流れとか、 ︽ 永 遣 の 無 終 ︾ い。それは過去を担った今であり、未来を苧んだ今であり、現在的な今であったのである。 日 蓮 聖 人 に と っ て 、 時間の限りない持続という所調﹁永久﹂ の 事 で は な ﹁ 本 時 ﹂ が そ の ま ま ﹁ 無 始 の 今 ﹂ で あ り 、 ﹁ 無 終 の 今 ﹂ で あ っ た の で あ る 。

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︹ 註 ︺ ハ 招 ﹀ 観心本尊抄・定遺七二一。尚﹃法華宗内証仏法血脈﹄のなかに﹁末法今時、法華経所坐之処、 上 下 所 住 之 所 、 併 皆 是 夜 光 也 。 所 居 既 浄 土 也 ﹂ と の 文 も 見 え る 。 ︵日﹀﹁今本時﹂を項目として扱い、それを論じたものに、望月歓厚﹃日蓮教学の研究﹄︵平楽寺密店・一二二三茂回井教亨﹃日 蓮 教 学 の 根 本 問 題 ﹄ ハ 平 楽 寺 書 店 ・ 二 ハ 四 ﹀ な ど が あ り 、 ま た 、 ﹃ 日 蓮 宗 事 典 ﹄ ハ 二 四 頁 ﹀ に ﹁ 今 本 時 ﹂ の 項 が 設 け ら れ て い る 。

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﹃正法眼蔵﹄︵有時のきに於て﹁われに時あるべし o われすでにあり o 時さるべからず o 時もし秦の相にあらずは、 − YH ・ 申 ザ y a a γ d γ M v a 宥 白 す き ’ 隠 ’ E ん LS ん 上山の時は有時の而今なり。時もし去来の相を保任せば、われに有時の而今ある o こ れ 有 時 な り o ﹂また﹁大悟の巻﹂でも ﹁ 令 我 念 過 去 未 来 現 在 い く 千 万 な り と も 、 今 時 な り 而 今 な り 、 人 々 の 分 上 は か な ら ず 今 時 也 ﹂ 0 ︵ 寺 田 透 ・ 水 野 弥 穂 子 校 注 ﹁ 道 元 ﹂ 上 ・ 日 本 思 想 大 系 ロ ・ 岩 波 書 店 ・ 二 五 七 ・ 二 一 二 ﹀ 。 ︵ 弱 ﹀ 注 ︵ 臼 ﹀ 同 番 二 五 八 参 。 ハ 日 ﹀ 女 人 往 生 紗 ・ 定 遺 三 四 七 。 ︿ 貯 ﹀ 御 義 口 伝 ・ 定 遺 二 六 六 八 。 ︿ 鴎 ﹀ 前 向 二 六 七 一 。 ハ 弱 ︶ 関 目 紗 ・ 定 遺 五 五 三 。 ハ 的 ︶ 観 心 本 尊 紗 ・ 定 過 七 一 ニ 。 ハ

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坂本・岩本訳注﹁法華経﹂下巻・岩波文庫二

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。 ︵ 臼 ﹀ 注 ハ 印 ﹀ ︵ 邸 ﹀ 授 職 潅 頂 口 伝 ・ 定 遺 八

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一 ハ 臼 ︶ 真 言 宗 私 見 聞 ・ 定 遺 ニ

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七 五 。 ハ 邸 ︶ 注 ハ 時 ﹀ 一 八 。 ︿ 筋 ﹀ 注 ハ 臼 ﹀ 八

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一 。 ハ 釘 ︶ 今 此 三 界 合 文 ・ 定 遺 二 二 九 二 。 ハ 邸 ﹀ 御 義 口 伝 ・ 定 遺 二 六 六 回 。 ハ

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﹀注ハ

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︶ 七 一 二 。 行者所住之処、道俗男女貴賎 日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ︶

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日 蓮 聖 人 の 時 間 論 ハ 町 田 ﹀ 六、むすび|﹁時﹂を生きる| い ま 我 々 が 生 き て い る 現 在 は 、 い つ 反 省 し て も 、 い つ 考 え て も 、 い つ 確 め て も 、 常 に ﹁ 今 ﹂ で あ る 。 な が れ る う つ り か わ る ﹁ 時 ﹂ は 経 過 と か 無 常 と 云 わ れ る が 、 ﹁ 過 ぎ た ﹂ と 思 わ れ る も の も 、 我々の記憶の中には ﹁ こ の 今 ﹂ が 残 像 と し て 残 っ て い る 。 然、 し とは流れない現在、永遠の今の事ではなかろうか。 ﹁この今﹂は常に我々の内に在って流れないのである。これを﹁永遠の今﹂と表現してもよいのではないか。﹁久遠﹂ い の ち ﹁久遠本仏﹂とは、永遠の昔から無限の未来に生き統ける生命の 事であろう。だとすれば、永遠の生命は常に我々の﹁今﹂と同時同居しているのである。 ︽ 永 遠 の 今 ︾ 日蓮聖人は﹁今本時﹂の中に、久遠の今を思念した。 ﹁末法為正﹂の中に時を超える理念を樹立された。そして大 事 な こ と は 、 ﹁今本時﹂も﹁末法為正﹂も、すべて忍難慈勝、逆説法華の殉教如来使の哲願が折りこめられているこ い の ち とである。本年、昭和五十六年は日蓮聖人七百遠忌正当である。末法の時を生き抜かれた日蓮聖人の生命は、七百年 (16 ) の時間を超えて、今ここに生きている。これは確しかな﹁今本時﹂なのである。 日蓮聖人七百遠忌正当会−一此ノ一篇ヲ草シ以テ報恩ニ擬シ奉ル︵昭和郎−

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・ 臼 ﹀

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