職員研究の新たな視点
―研究活動報告として ―
A New Direction of Research on University Staff
Reviewing My Research Activities on Higher Education System
-山本 眞一
1.はじめに ~ 自身の経験と高等教育研究の変化 私が桜美林大学に赴任したのは、2012年4月である。以来7年間にわたり、学園執行部、 心理・教育学系の同僚諸氏、さらには大学院・大学アドミニストレーション研究科の教職 員の方々にお世話になりつつ、教育・研究活動を続けてきた。2018年度末で70歳の定年退 職を迎えるにあたり、この7年間の研究活動について、それ以前の40年間にわたる教育・ 研究・実務活動をも振り返りつつ、その報告と若干の所感を述べてみたい。 そもそも私が研究活動というものに初めて手を染めたのは、1977年に筑波大学大学院 経営・政策科学研究科(修士課程)に入学した時点からである。その5年前の1972年に某国 立大学法学部を卒業して当時の文部省に就職し、大学行政事務を2年、中学校教育行政事 務を2年、国際関係事務を1年経験したが、そこはまさに制度の世界であって、既知のもの を疑うという科学的研究に必要な前提とは無縁の世界であった。また、その国立大学で学 んだ法律学は、実定法の法文解釈を中心とした規範の学であり、また学部生にとっては教 授たちの大教室(600人収容)での講義をノートに一心不乱に写し取るという作業を通じ ての「学び」が中心で、研究という概念に接することは希であった。加えて、主要大学の法 学部では卒業論文を課してはおらず、またゼミも必修ではなかったので、教授たちとの接 触もほとんどなく、文部省に就職してから、審議会等で霞が関に来る母校の教授たちと始 めて会話を交わすという冗談のような経験をしたことを覚えている。 これに対して、筑波大学の大学院での活動は、政策科学という当時はまだ新しい学問領 域での教員と院生との濃密な協働と指導関係の中で行われていた。筑波大学はいわゆる「新 構想大学」であり、経営・政策科学研究科も他の修士課程研究科と同様、既存の学問領域に こだわらない学際的な発想で設置されたものである。既存の学問領域との関係で言えば、 経済学、システム工学、社会学、政治学、統計学などを活動のベースとするもので、法律学 しかも学部教育でしかこれを経験していなかった私にとっては新鮮な驚きであった。院生 の多くは社会人経験のある20代後半から30代始めまでの者で、さまざまな社会的・学問的 バックグランドを持っていた。私は、人事院からの派遣学生として、他省庁から来ていた およそ10名の院生と共に在学していたが、この新しくかつ学際領域の学問である政策科学 の研究活動に参画し得たことは、その後私が選んだ高等教育分野の教育活動と学究生活に 大きな影響を与えたものと信じている。この研究科で、私は「大学進学希望率規定要因の 分析」(山本 1979)という修士論文をまとめ、経済学修士の学位を得た。 その後、一旦文部省に戻り、放送大学の立ち上げ、家庭科の男女必修問題、臨時教育審議 会の事務局(生涯学習)、教育統計の整備などの行政事務に関わったが、1988年7月に米国 連邦政府の一機関であるNSF(全米科学財団)に一年間出向して、米国の研究大学におけ る研究資源の構造についての調査研究に従事し、また帰国後は埼玉大学助教授として同大 学大学院・政策科学研究科に出向し、科学技術政策論の講義を行った。なお、この研究科は その後大きく発展し、現在は東京六本木にある政策研究大学院大学という国立大学となっ
ている。もっとも、私が筑波大学で体感した政策科学の理想が実現されているかどうかは、 論評を差し控えたい。私が行政官としての身分を離れ、文部教官・筑波大学教育学系助教 授としてアカデミアの世界に移ったのは1992年4月のことである。 筑波大学では研究組織(教員組織)としての教育学系に所属する傍ら、第二学群人間学 類や大学院教育学研究科で授業を行い、また東京キャンパスにある大学研究センターで高 等教育研究に従事することになった。職務として高等教育研究に集中するようになったの はこの時からである。当時の高等教育を巡る状況は、臨時教育審議会最終答申(1987)後 の大きな大学改革が始まりつつある時期で、かつ具体的な改革政策が実行に移される前で あったので、高等教育研究の成果や高等教育研究者の活動への期待は、今よりも遥かに大 きかったように思う。しかし、2000年前後から具体的な大学改革政策が順次実行され始め、 とりわけ2004年に国立大学の法人化、すべての大学・短大等を対象とする認証評価制度が 創られ、2005年の中教審答申が大学の多様化を推進する姿勢を表明した頃から、大学を巡 る諸環境は大きく変わり、高等教育研究は現実の先を行く理念追究型であるべきか、現実 の大学改革政策の説明や実効性の分析など現実後追い型であるべきか、研究者の間でも大 きく意見は割れ、かつ多くの関係者が大学経営やその中での教学経営に利害と関心を有す るようになってきて、いよいよ今後の高等教育研究のあり方そのものが問われるような状 況に差し掛かりつつある。 2.大学事務職員論の高まり 大学経営や教学経営への関心が高まる中で、2000年頃から大学を経営するには質の高 い人材が必要であるとの認識が、関係者の間で共有されるようになった。それまでにも、 私学事業団に勤務していた高橋真義氏(現・桜美林大学名誉教授)が主宰する「FMICS(高 等教育問題研究会)」が1980年代から大学事務職員のあり方を実践面から考える場を提供 していたが、1997年に設立された大学行政管理学会は、その人材の中でもとくに大学事務 職員の地位向上と役割増大を目指すもので、その後の大学事務職員論の進展に大きな役割 を果たしている。その設立の趣旨を同学会は次のように述べている。要所を抜粋して記す こととしたい。 我が国の大学組織においても「職員」が本来果たすべき役割は極めて大きいはずで す。しかし現実は残念ながら、大学内外を問わず「職員」の役割についての認知は未だ に十分確立されているとはいいがたく、また、「職員」自体の自覚と意欲に関しても、 また、それを担うに必要な資質・能力の点でも、問題なしとするには程遠いといわな ければなりません。 このような理念と現状の認識の上に立って、プロフェッショナルとしての大学行政 管理職員の確立を目指して、まずは「大学行政・管理」の多様な領域を理論的かつ実践
的に研究することを通して、全国の大学横断的な「職員」相互の啓発と研鑚を深める ための専門組織として、このたび「大学行政管理学会」を発足させる運びとなりました。 (大学行政管理学会 1996) 同時にこの頃から、高等教育研究の中で大学職員に関わる問題を研究対象とする研究者 や研究に関心の高い実務家が増え始め、既存の日本教育社会学会や日本教育行政学会での 研究発表に加えて、1997年には日本高等教育学会が設立され、学術研究の立場からする高 等教育研究に画期をもたらした。加えて、2000年には筑波大学大学研究センターが「大学 経営人材養成のための短期集中公開研究会」を開始したところ、私立大学の職員を中心に 多数の受講者が集るなど、職員問題への関心が急速に高まり始めた。この公開研究会はそ の後も形を変えて発展を続けている。桜美林大学大学院において、大学アドミニストレー ション専攻(通学制)が立ち上がった2001年は、まさにこのような時期であった。この大 学院プログラム(修士課程)の目的は、桜美林大学大学院学則では以下のように規定され ている。 大学アドミニストレーション専攻修士課程は、大学の行政・管理・運営にわたる専 門的知識・能力を有する大学アドミニストレーター(大学経営の専門家)の養成等を 目的として、教育研究を行う。(桜美林大学大学院学則第3条の2 第5号) 大学アドミニストレーション専攻は、2004年に通信教育課程を追加し、以来今日までの 間に約500名にわたる修了者を出し、多くの大学で働く職員にとって、貴重なネットワー クとして成長を続けていることは、まことに喜ばしいことである。私にとって、この専攻 の発足時である2001年は、筑波大学大学研究センター教授としてその前年度から開始した 「大学経営人材養成のための短期集中公開研究会」を通じて、大学職員研究を本格的に開始 し桜美林大学のこの専攻にも非常勤講師として参加した年である。その後、広島大学に移っ た2007年度からは桜美林大学の客員教授となり、高等教育研究開発センター長を最後に、 広島大学を定年退職した2012年からは、桜美林大学の専任教授となり、以来7年間にわたっ て大学アドミニストレーションの教育と研究に携わってきたのである。 3.大学職員の現状を巡るいくつかの論点 さて、職員研究のことである。2016年に制度化(大学に実施義務を課す)されたSDは、 Staff Developmentのことであるが、Staffという概念の中に、米国では教員(Faculties)が含 まれない一方、英国では教員も含めて理解されている。このような事実も背景にあり、か つ大学ではいわゆる教職協働が必要であるという政策的な意図もあって、大学職員の中に は事務職員だけではなく、教員や技術職員も含まれるということが、文科省からの通知の
中で明らかにされている。しかしながら、教員に関する研究は、有本章氏らのグループに よる教授職に関する数々の比較研究(有本 2016など)もあるように、その実態はかなり解 明されつつあるのに対し、教員以外の職員その中でも半数近くを占める事務職員について は、1990年代以前はほとんど明らかにされることはなかった。その理由としては、大学事 務職員の仕事は大学の諸般にわたる事務処理であり、その深層にはさまざまな問題が隠れ ているにも関わらず、タテマエとしての役割には疑いの目を向ける余地がなかったこと、 またこのような研究を担うべき高等教育研究者は、大学にまつわる実務法制をあまり知ら ず、そのため制度と現実を詳細に照合しつつ実態を解明するという作業に対する興味関心 がわかなかったことがあるだろう。僅かにIDEの論稿に中に、教員独占の大学運営への強 い批判(尾崎 1979)や、逆に大学事務職員の社会的地位の低さを嘆くもの(後藤 1990)な どが散見され、それ自体は日常的な大学運営の一つの問題として興味をそそるものではあ るが、如何せん、我が国の大学事務職員の全体の実態については必ずしも明らかにはされ てはこなかった。 このため、大学職員に関する基本的な情報は、私自身が明らかにしなければならないと 考え、数回にわたる科研費研究の一環として各大学の関係者の協力を得つつ、数度の全 国調査を行った。その結果は末尾に記載する文献リストにある通りである。(山本 2002, 2006, 2008, 2009, 2012-a, 2012-b)その結果分かったことの概要は以下のようなことである。 詳細はこれらの文献を直接参照されたい。 (1) 大学事務職員の実態は、国立、公立、私立という三つの場合によって大きく異なる。た とえば、国立大学の職員は、課長以上の幹部と課長補佐以下大学で長期にわたって支 援業務を行う職員とでは、そのキャリアパスに大きな違いがある。前者は文部本省勤 務を含めて全国異動型であるのに対し、後者の多くは自分の勤務校で定年まで勤める。 ただし、これは法人化後にかなりの変化を遂げてきている。 公立の場合は、生え抜きの職員は少数で、多くは設置者である自治体職員の出向で あることから、経験の蓄積、専門性の向上に難がある。ただし、これも法人化後は徐々 に生え抜き職員の割合が増してきている。 私立大学は、大学によって異なるが、大手大学を含めて自校卒業者が職員になる割 合が国公立に比べて格段に高く、私の2011年の調査(山本 2012-a)によれば職員の3 割以上が自校卒業者である。また、企業等からの中途採用者も国立に比べると格段に 多い。さらに国立大学の事務局長クラスには、総務や財務など管理系の仕事をこなし てきた人材が多いが、私立の場合は、教務や学生系の仕事を経験した者が最高幹部に なる場合も多い。 (2) 職員の学歴については、概して私立大学の方が高い。国立大学では今なお管理職の3 割程度は高卒者であるのに対し、私立大学は大多数が大卒者である。これは国立大学 では国家公務員試験三種が予定している学歴が高卒であることとも関係し、また私立
大学で大卒者が多いのは、自校出身者や中途入職者が多いためであるともいえよう。 しかし、大学教育の普及に伴い事態は急速に変化し、やがて国立大学でも職員の学歴 の大多数は大卒者になるものと思われる。 (3) 大学事務職員に期待されることは、着実な事務処理能力が第一ではあるが、同時に企 画力やある分野の専門的業務処理能力も求められている。これらについて、事務職員 自身が学び能力を向上させたいとの意欲も高い。この高い意欲をどのようにして能力 向上に結びつけるかが、国の政策や大学の人事管理の枢要ではないかと考えられる。 (4) 教職協働に対する意欲も高い。但し、教員と職員の双方に聞いてみると、教員は大学 の総務や財務、職員は教務や学生支援について相手側の理解と協力を求める傾向が見 出され、その意味で教職協働は単に理念としての協働ではなく、互いに相手の仕事や 立場を理解し合うところから始めなければならない。 (5) 職員の少なからぬ数が、教員の日頃の大学業務に対する姿勢に批判的な意見を持って いる。教授会中心の大学運営に対する不満だけではなく、個人としての教員の振る舞 いにも批判的な目を向けている者がおり、その意味でも大学運営には双方の理解の向 上が必要である。また、このことと関連して、職員の専門性については、職員自身がこ れを教員の場合と同じように狭く解する傾向がある。しかし、大学運営は複雑で予測 不可能な事態が起きたときの対応が迅速に求められるところから、かつ我が国の大学 はたとえば米国の大学に比べて少ない職員数でまわしていくことが必要なので、専門 性を広い意味すなわち大学運営事務の専門家という形でとらえることが望ましいので はないか。これを私は、「ジェネラリスト」、「スペシャリスト」という概念に止まらず、 大学運営の「プロフェッショナル」として位置づけるべきと主張し続けている。 4.教員/職員比率の違いをどう克服するか これからの大学職員のあり方を考える際に、近年気づいたことの一つに、我が国の高等 教育政策の中で参考にし続けてきた米国の高等教育、例えばシラバス、アドミッション、 単位制などとともに、大学のガバナンスについても理事会、学長・副学長制など縦のライ ンの強力なリーダーシップを手本として考える傾向が強まっている。但し、あまり学んで いないと考えられるのが職員の実態である。結論から言うと、米国の大学における教員/職 員比は1対2であり、日本のそれがおよそ1対1、米国と比較可能なように病院職員を除けば、 2対1と米国と逆転するような構造が見られることである。 図表を見ると明らかなように、米国の大学全体で教員数はおよそ80万人、対する我が国 ではおよそ20万人である。これに比べ、職員(あるいは非教員)の数は米国ではおよそ160 万人、我が国は大きく丸めると20万人である。米国における教員・職員比率は1対2である が我が国では1対1と見ることができるだろう。しかもその相対的に少ない職員の過半数 は附属病院の看護師その他の医療関係職員である。これに対して米国では、網掛けした部
分の職員が我が国でいう事務職員のカテゴリーに対応していると思うが、その数が非常に 多く、しかも経営管理や財務運営の欄の職員あるいはコンピュータや法務・広報欄の職員 が中・上層の職員を多く含むと思われるのに対し、彼らを支える職員も事務・管理支援関 係だけでも我が国の4倍以上に及んでいることが分かる。 我が国には「少数精鋭」という言葉があり、数が少ない部分を質で補おうという発想が 強い。それはすばらしいことではあるが、精神主義に陥って何でもできるかのような錯覚 の中で、種々雑多な仕事に振り回されて、能力開発も事務処理も中途半端に終わり、結局 何も変わらないということにならないであろうか。これを防ぐには、上級レベルの事務職 員もまた、支援系の職員によって支えられなければならないのである。ところが、我が国 では少ない職員数をさらに減らすことが、経営改革の一歩であるという意識が強い。しか し、それを推し進めていけば、やがて教員・職員比率は現在の高等学校に近づき、それを超 えて小中学校のレベルにまで至れば、未来の大学という学校では、教員が事務作業を含め て全ての業務をこなさなければならないことになり、逆に事務職員の立場がなくなってし まうのではないかと危惧するものである。このあたりの現実に、格別の考慮が必要ではな いだろうか(山本 2018)。 5.職員研究の新たな視点 ~ 結論に代えて 最後に、これからの大学職員研究のあり方である。これについては、以前に取りまとめ た論稿(山本 2013)があるので、これを元に現時点までの状況変化を取り入れて、結論と したい。 第一に、職員の立場、役割とは何かということである。これは大学だけではなく広く組 織の運営のあり方の本質に触れる問題で、組織論、法律学、経営学、心理学等々さまざまな 領域を総合するような研究が求められる。教育学をバックグランドとする者が多い高等教 育研究者の手には余るものであるかも知れないが、大学という職場における事務職員のあ りようを他の組織にも通じるような理屈で語らなければ、到底説得力のある職員論は成り 立たないであろう。最近の大学改革の一環で、職員の役割を従来よりも重要にみるような 制度改正も行われてきている。これは、従来からの職員論が職員の能力開発とともにその 地位の向上を目指すものであり続けてきたことから考えれば、理念としては望ましい傾向 だといえる。しかし、グローバル社会の中で世界を見渡せば、命令者と実施者の上下関係 や役割分担がより厳しい現実にあることも事実である。他の組織における事務職員の役割 にも観察や分析の目を注ぎ、統一性のある職員論を構築することが必要である。 第二に、職員と教員との協働のあり方にさらに考察の目を注ぐことである。大学という ところは、これまで教員は教員の世界を作り、職員もそれに対抗して職員だけのコミュニ ティーを作る傾向があった。これを戒め、教育・研究を通じて世の中に貢献するという大 学全体の目標を効率的に達成するには、教員と職員が目標を共有しつつお互いに協力しあ
図表 大学教職員数の日米比較(2014) 米 国 日 本 教員総計 791,391 教員総計 187,300 学長 962 副学長 1,158 教授 181,530 教授 71,910 准教授 155,095 准教授 44,759 助教授 166,045 講師 22,107 講師 136,032 助教 40,143 その他 152,686 助手 6,261 職員総計 1,681,056 職員総計 227,476 図書 37,666 教務・教育サービス 100,110 教務系 4,589 経営管理 244,848 財務運営 178,561 コンピュータ・技術・科学 210,155 技術技能系 9,394 地域貢献・法務・広報等 135,174 医療業務・技能 94,854 医療系 124,804 各種サービス 200,353 営業関係 12,503 事務・管理支援 379,996 事務系 84,745 営繕 70,692 製作・運転・運搬 16,144 その他 3,945 (出典)米国:Digest of Education Statistics, 日本:学校基本調査
(注) 日本では講師・助教はAssistant Professorと英語表記されることが多いが、米国内にお ける教員の序列を考慮して、米国のそれは意図的に「助教授」と表記。
いながら仕事をしなければならない。これが教職協働である。決して役割分担のみが大事 なのではなく、目標共有が必要なのである。 第三に、大学の役割は教育・研究およびこれらを通じた社会貢献である。大学経営はこ のための手段であって目的ではない。そういうこともあって、大学経営や支援事務に飽き 足らない事務職員の中には、職員も教育者であるべきとの論が意外に多く見られる。しか し、教育・研究の本筋は教員の仕事であり、職員には職員としての仕事が別にあると私は 考えている。教員に準じた立場に固執すれば、せっかく職員の立ち位置が確立しつつある 中で、これに逆行の恐れがある。職員は大学経営という別個の立場から教育・研究に関与 すべきである。結果としてそれが教育・研究の充実や学生サービスの向上につながればよ い。教員としてではなく、しかも教育・研究に貢献するにはどのような仕掛けが必要か、こ れも今後の職員論の課題のひとつであろう。 第四に、職員は職員のままで経営者の役割を担ってはならない。経営の責任は理事長や 学長、副学長など経営者すなわち役員の責任である。職員は教育・研究面で教員と協働し、 あるいはこれを支えるのと同様に、経営面では役員を支えることはもちろんであるが、同 時に職員の中から将来の役員を育てなければならない。私立大学ではもともと少なからぬ 人数が、職員から役員への昇進を遂げているし、国立大学でも法人化後は旧来の事務局長 を理事や副学長など役員あるいは役員待遇の職員に据える事例が増えてきている。問題は、 その役職にふさわしい能力を養えているかどうかである。旧来の国立大学事務局幹部は、 公務員制度のヒエラルキーに支えられて、それなりの権限があり、これによってジェネラ リストとしての務めを果たしてきた。しかし法人化によって、大学の自主・自律が求めら れる時代にあっては、公務員時代の地位は必ずしも新たな役割にふさわしい能力の保証に はならない。スタッフ・ディベロップメントは、職員の資質・能力の向上がこれまで議論の 中心部分を占めてきたが、今後は急いで「役員」クラスの人材の教育訓練にも視野を広げ る必要がある。私学を含め、職員と役員とでは能力養成の観点が異なるのは当然のことで あるからである。 (参考文献) 有本 章 2016「大学教育再生とは何か~大学教授職の日米比較」東信堂 尾崎盛光 1979「教育と事務のあいだ」IDE202号、pp.83-86 後藤英夫 1990「国立大学の事務局」IDE311号、pp.21-27 大学行政管理学会 1996「大学行政管理学会開設趣旨の説明と参加の呼びかけ」 (http://juam.jp/wp/im/juam/establishment/ 2018.9.22) 山本眞一 1974「大学進学希望率規定要因の分析」教育社会学研究第34集、pp.93-103 山本眞一 2002「大学の組織・経営とそれを支える人材」『高等教育研究第5集』pp.87-108 山本眞一 2006「大学事務職員のための高等教育システム論」文葉社 山本眞一 2008「これからの大学職員」『IDE現代の高等教育499号』pp.4-15
山本眞一 2009「変容する大学とこれからの職員」『高等教育研究第9集』pp.95-112 山本眞一 2012-a「教職協働時代の大学経営人材に関する考察:役員・教員・職員へのアンケート調査結 果を踏まえつつ」『大学論集第43集』pp.271-284 山本眞一 2012-b「大学事務職員のための高等教育システム論(新版)」東信堂 山本眞一 2012-c「高等教育研究と私~これまでの研究生活を振り返って」大学論集第43集pp.34-44 山本眞一 2013 「大学職員論のこれまでとこれから」大学職員論叢第1号、pp.5-14 山本眞一 2018「職員の能力・役割を高めるために~日米比較からの含意」文部科学教育通信428号, pp,38-39