• 検索結果がありません。

失われた日常を求めて 「パンデミック」におけるコミュニケーション指向のビデオゲーム

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "失われた日常を求めて 「パンデミック」におけるコミュニケーション指向のビデオゲーム"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

1.はじめに

 2020年は新型コロナウイルス(COVID-19)を中心に社会が動いた年であった。 だが,現在(1),欧米諸国と日本とでは感染者数や死者数に大きな違いがある。医師 で医療社会学者の美馬達哉は,M. フーコーの枠組を応用しつつ,近代的なコン タギオ説(病因論)の限界を指摘し,古代ギリシア的なミアスマ説と呼応するコ ンスティテューション,つまり社会的な構成体として感染症を捉えることを主張 している(美馬 2020(2))。  こうした見方に則るならば,いま問われるべきはまさに感染症「社会」の問題 であるが,さらにそれは,社会を構成する「メディア」を問うことにつながるだ ろう。日本社会においては,ウイルスによる感染症自体の被害もさることながら, マスメディアの報道やソーシャルメディアによる呟きによって構築された「パン デミック」表象による問題もまた目立っていた。例えば,自殺者が増加している という調査結果がある(3)。その原因の検討には慎重を要するが,「パンデミック」 がもたらす「ステイホーム疲れ」や「コロナ鬱」とも言われる精神的な状態が作 用しているかもしれない。  以上のような社会状況のなか開催された2020年度日本マス・コミュニケーショ ン学会秋季大会では,「パンデミックをめぐるメディアと社会を考える糸口とな

松 井 広 志

(愛知淑徳大学) 

失われた日常を求めて

  「パンデミック」におけるコミュニケーション

  指向のビデオゲーム

(2)

ること」を目的とするシンポジウムが企画された。このシンポジウムでの問題設 定を受けて,本稿では,ビデオゲームという対象から「パンデミック」における メディア文化のあり方を歴史的・理論的に考察することとしたい。  本論文の構成は,下記の通りである。まず,ビデオゲームをめぐる現状を確認 する。次にゲームスタディーズとその関連研究の流れをふまえたうえで,そこに コミュニケーション指向のゲームを位置づける。最後にそこで得られた知見を敷 衍して,「パンデミック」のなかでの,メディア文化による「遊び」のあり方を 提示していく。

2.「パンデミック」におけるビデオゲーム

2−1 コミュニケーションゲームとしての『あつまれ どうぶつの森』  コロナ禍での「ステイホーム」では外出を伴うメディア文化を楽しむことは難 しかった。そのため,家のなかでビデオゲームをプレイした人も多かっただろう。  例えば,家庭用ゲーム企業の大手である任天堂に関しては,外出の「自粛」期 間と重なる4〜6月における売上高・営業利益が非常に高かった(4)。その内実にハ ードウェア Nintendo Switch(以下,Switch)の販売台数増加があり,ハード購入 の重要な要因となったのが,累計販売本数2000万本以上を記録した Switch 用ゲ ームソフト『あつまれ どうぶつの森』(以下,『あつ森』)(5)だ。  『あつ森』は,自分の作成したアバターで無人島に移住し,木の実を採取したり, 魚釣りをしたり,同じ島に住むどうぶつたちと会話したり,友人たちに贈り物を したりと,そこでの生活を楽しむゲームである。今作の「何もないから,なんで もできる」というキャッチコピーが体現するように,その自由さが特徴だ。ジャ ンルとしては「コミュニケーションゲーム」に分類されることが多い(6)。  とはいえ,こうした自由なコミュニケーションゲームは,2001年発売の初代『ど うぶつの森』以降のシリーズ作に共通するものだ。開発者による座談会では,当 初は RPG(ロールプレイングゲーム)として構想されていた同作だが,「勇者にな って遊ぶ」従来型の RPG に対して,「プレイヤーが非力」で「自分にできないこ とはどうぶつの力を借りて解決する」ような,現在のようなゲームシステムにな ったと語られている(7)。  しかし,過去のシリーズ作と近作との差異もある。これまで「村」や「街」で あった舞台設定が「無人島」になったこと以上に,メディア論の視点から考察す

(3)

る本稿にとって重要なのは,「コミュニケーション」の内実が変化していることだ。 それは,低年齢の女児向けであった「どうぶつの森」シリーズ(8)が,プレイヤー層 を拡大してきたこととも重なる。  初代『どうぶつの森』では,上述した開発者の座談会において,「コミュニケ ーションのキッカケになるような仕組みをまず考えたんですね。お父さん『何と かしてよ』と頼めるように(9)」と例示されているように,家庭内,あるいは身近な 友人とのコミュニケーションが主眼であった。これは同作がニンテンドー64とい う据え置き型の家庭用ゲーム機用に作られたことによるだろう。  その後,携帯用ゲーム機であるニンテンドー DS で2005年に出された『おいで よ どうぶつの森』では,DS の Wi-Fi 機能によってインターネットを介した他者 とのコミュニケーションが可能になった。この連続線上に,2017年に配信が開始 されたスマートフォン(iOS/Android)版の『どうぶつの森 ポケットキャンプ』 がある。ここでコミュニケーションの相手となるのは,物理空間での友人だけで なく,スマホに同アプリをインストールしているグローバルな範囲の人々である。 これは,社会学やメディア論の概念でいう「インティメイト・ストレンジャー」 (富田 2009)にほかならない。  この延長線上に,SNS で他のプレイヤーを見つけて,招待コードを伝えても らい,ゲーム内でコミュニケーションするという『あつ森』のプレイスタイルが ある。ここまでの議論をふまえると,コミュニケーションゲームとしての『あつ 森』の性質は,“広い範囲の(性別,年齢を問わない)プレイヤーが家族・友人, さらには見知らぬ他者との(インターネットを介して)コミュニケーションを行う” とまとめられよう。 2−2 コロナ禍のソーシャルゲーム  だが,「パンデミック」においてプレイされたゲームは『あつ森』だけではない。 KADOKAWA Game Linkage の調査によれば,「エンターテイメントに費やした 時間」で最も増加していたのが「家庭用ゲーム機によるゲーム」の44.7%である(10)。 これはもちろん『あつ森』の効果も大きいと考えられるが,そのほかのゲームの 影響もあっての結果でもあるだろう。また,スマートフォン,タブレットなどの 携帯端末によるゲームに費やす時間も約28.7%増えた。これらは iOS や Android をプラットフォームとするゲームだ。日本ではその多くの部分をいわゆる「ソー シャルゲーム」が占めている。そもそも市場規模を比べた場合,コロナ以前に,

(4)

家庭用ゲーム機が横ばいである一方で,オンラインプラットフォームでのゲーム は2010年代に拡大し続けていた(11)。  ソーシャルゲームという言葉はもともと Facebook がはじめたサービスに由来 するが(12),日本ではいわゆる「ガラケー」と呼ばれる携帯電話を舞台として独自の 発達をみせた。ガラケーによるインターネット接続サービスは,NTT ドコモが 1999年にはじめた i モードを皮切りとして他社にも広がった。それに伴いゲーム サービスも提供され出したが,本格的に普及したのは2000年代なかばに「GREE」 (2004〜)や「モバゲータウン」(DeNA 2006〜,2011〜 Mobage に名称変更)など の SNS のプラットフォームが設立されてからだった。GREE とモバゲーが2000 年代後半に急成長する一方で,「コンプガチャ(13)」をめぐる社会問題も生じた(小 山 2016:第15章)。  その後の2010年代でも,スマートフォンやパソコンでのオンラインゲームがゲ ーム依存症として医療化されたり,デジタルゲーム全般に関して自治体でゲーム 規制条例が制定されたりするような,ゲームを社会問題化する見方がある。そう したまなざしが生成した理由のひとつに,コンプガチャに見られる課金型のビジ ネスモデルがあるだろう(14)。  何より2010年代にはスマートフォンが普及したことで,ガラケーと密接に関わ っていた GREE やモバゲータウンは,ソーシャルゲームの支配的なプラットフ ォーマーではなくなった。しかし,プラットフォームを iOS や Android に移し てからも,そのネガティブ・イメージにもかかわらず,実際にはソーシャルゲー ムの人気は継続している(15)。さらにコロナ禍のもとでは,上述した通りプレイ時間 が増加した。  こうしたことを考慮すると,「パンデミック」のメディア文化についてビデオ ゲームから考えるときには,『あつ森』のようなコンシュマー機によるゲームだ けでなく,ソーシャルゲームについても,一般的なネガティブ・イメージを相対 化して,ひとつのメディア文化として,その「遊び」のあり方を再検討しなけれ ばならない。

3.ゲームスタディーズと関連研究

3−1 ゲームスタディーズの動向とカジュアル革命  では,そうした問いを考えるための枠組として,ビデオゲームが近年,学術的

(5)

にはどのように議論されてきたかを確認していきたい。「ゲームスタディーズ」 (Game Studies)は,J. ホイジンガや R. カイヨワ由来の「遊び」研究(ルドロジー) を基礎としつつ,人文学の諸領域の知見を導入するかたちで2000年代のはじめに 欧米で制度化が進んだ(16)。2010年代には,そのほかの学問領域との架橋も進み,学 際的な研究潮流としてのゲームスタディーズはさらに広がりを見せている。  実際,代表的な教科書(必携論集)である Routledge Companion シリーズのゲ ームスタディーズの巻(Wolf & Perron ed. 2014)では「技術的側面」の部からは じまり,「形式的側面」や「哲学的側面」といった哲学や美学,映画研究などに 由来する人文学的なアプローチの多くを占めつつも,「ジャンル的側面」「文化的 側面」「社会学的側面」といった,社会学や社会心理学の知見に基づくパートも 設定されている。  そうしたゲームスタディーズにおける代表的研究者のひとりが J. ユールである。 ユールは,2000年代にビデオゲームで「カジュアル革命」が起こったという (Juul 2010)。そもそもゲーマーのなかでは,この時期にカジュアルゲームとハー ドコアゲームの区別が生じていた。ハードコアプレイヤーは膨大な時間と資源を 投資し,難易度の高いゲームを楽しむ。それに対し,カジュアルプレイヤーは楽 観的で愉快なフィクション作品を好み,多くの時間と資源を費やすことなく,難 しいゲームを嫌う。  この背景には,1990年代後半まで,複雑化するゲーム操作と長い時間,多くの 労力を投入するゲームが多くなったことによる,ビデオゲーム産業のある種の行 き詰まりがあった。それに対して,2000年代に出てきたのは,①プレイヤーが自 らの身体を動かし,時に画面内のキャラクターの動作と連動する「擬態的なイン ターフェイス」をもつゲームと,②短い時間で気軽に遊ぶことができ,プレイの ために多くの知識を必要としないタイプのダウンロード可能なゲーム,というふ たつのタイプのゲーム群である。ユールはその例として,アーケードで人気を博 した音楽ゲーム『Dance Dance Revolution』(コナミ 1998)や「リモコン」型コ ントローラが特徴の家庭用ゲーム機 Wii(任天堂 2006),PC のブラウザ用ゲーム として配信されたパズル『Bejeweled』(PopCapGame 2001)などを挙げている。 それによりビデオゲームは,一部のハードコアプレイヤー以外の広範なカジュア ルプレイヤーを取り込むことに成功した。これがカジュアル革命の概要だ。  では,こうした枠組からは,前節までで確認した「パンデミック」におけるゲ ームをどのように捉えられるだろうか。まず“コロナ禍ではじめて,広範なプレ

(6)

ーヤーを獲得した”といった語りが,あまりに近視眼的なことがわかる。2000年 代のカジュアル革命の時点で,ビデオゲームのプレイヤーには,欧米だけでなく 日本でも,女性や高齢者も含めた広い範囲の人々が加わっていた。  さらに,本稿としては,すでに述べたように2001年からの「どうぶつの森」シ リーズをカジュアル革命の流れに加えておきたい。これらは,擬態的なインター フェイスが多くは用いられていないが,それを特徴とする Wii や DS といったハ ードで出たソフトである。また,この時点ではダウンロードよりパッケージがメ インだったとはいえ,短時間で気軽に遊べ,日常を舞台とした世界観であること も相まって,プレイのハードルは極めて低い(17)。  しかし,逆に『あつ森』のようなゲームが,ユールが示した典型的なカジュア ルゲームと異なっている部分もある。それは「短い時間で気軽に遊ぶことができ る」という点だ。むしろ「パンデミック」のもとでは,かなりの長い時間プレイ されていた。これは,スマホによるソーシャルゲームも同様になる。  つまり,敷居が低く多くの人々がプレイする点ではカジュアルゲーム的だが, 多くの時間的資源を費やす意味ではハードコアゲーム的である。それが「パンデ ミック」における『あつ森』のようなコミュニケーションゲームであり,スマホ のソーシャルゲームだったと考えることができる。 3−2 日本のビデオゲーム史とコミュニケーション指向  他方,日本では,ゲームスタディーズの影響からの研究に加えて,独自の批評 の文脈を受けたゲーム論が存在している。そのなかでカジュアル革命前後に対応 する,近年の日本ビデオゲーム史に関する知見を確認したい。  1990年代後半,ハードコアなゲームが多くなっているなかで,GB 版の初代『ポ ケットモンスター 赤/緑』(任天堂 1996)が,子どもを中心として広範な層に大 ヒットした。同作はその後,カードゲームやテレビアニメ,映画,玩具などに展 開され,近年ではスマホの位置情報を使った『Pokémon GO』に至る「ポケモン」 メディアミックスのはじまりとなった作品である(小池 2018)。  その初代『ポケモン』がヒットした理由として,当時開発会社に所属していた クリエーターは「コミュニケーション・ツールとして正しく機能していたから」 と指摘していた。また,それに続けて「クリエーターがユーザーへ向けて情報を 提供する一方通行のもの」である「メディア」ではなく,ゲームを「遊びのため の道具」や「遊びの環境」として捉える必要を提起している(とみさわ 2000:

(7)

117)。  この文脈における「メディア」という言葉はやや限定された意味合いである。 これをメディア論の概念で言い直すと「マスメディア」に当たるだろう。ここで の指摘は,送り手から受け手へのマス・コミュニケーションのモデルではゲーム はうまくいかない,ということである。双方向的なコミュニケーションを媒介す る,ソーシャルメディア的とも言える「遊び」のメディアが目指されているのだ。  そうした点について,批評家のさやわかは,『ポケモン』の「交換」機能や, 2000年代半ばに出たプレイステーションポータブル用ソフト『モンスターハンタ ーポータブル』(カプコン 2005)の人気の高さに注目しつつ,ゲーム内容よりも ゲームの外部にある「人間同士の関係」すなわち「コミュニケーション」重視と なっていったと述べている(さやわか 2012:第7章,第9章)。また,カイヨワや 見田宗介の議論を独自に応用しつつビデオゲーム史を記述した中川大地は,1980 年代後半までの〈虚構の時代〉から,1990年代の〈仮想現実の時代〉を経て, 2000年代以降の〈拡張現実の時代〉という図式で,同様の流れを説明している(中 川 2016)。  このように,日本のゲーム史では,1990年代から,特に2000年代以降に「コン テンツからコミュニケーションへ」あるいは「作品(work)からサービスへ」と でもいうべき動向があったことがわかる。これは,前項で述べた「カジュアル革 命」と呼応する時期になる(18)。そして,前節までに論じてきた『あつ森』のような ゲームやスマホのソーシャルゲームも,基本的にはこの延長線上にあると考えら れる。  こうした議論をふまえて,やや広い概念にはなるが「ゲームの内容(コンテンツ) より,それをめぐる人間関係(コミュニケーション)が重視されるビデオゲーム」 を仮に「コミュニケーション指向のビデオゲーム」と呼びたい。なお,これは, 2節で述べたゲームジャンルとしての「コミュニケーションゲーム」より広い概 念である。「コミュニケーション指向」という視座から捉えると,「パンデミック」 におけるゲームに関して示唆的な知見が得られる。それをソーシャルゲームを事 例に見てみたい。  例えば,iOS/Android 向けのソーシャルゲームである『逆転オセロニア』(以下, 『オセロニア』)(DeNA 2016〜(19))は,一時期プレイヤーが離れていたが,その後回 復した。これは,次々と新作がリリースされるため,人気が低下すると復帰させ ることが難しいソーシャルゲームでは異例のことである。この理由としてプロデ

(8)

ューサーである香城卓は,ユーザーの意見を聞いた(細やかな)ゲームシステム 調整や,リアルな場でのイベント開催といった「共創」のプロセスまでがコンテ ンツ化したことを挙げている(香城 2020)。  もちろん,こうした「共創」のプロセスは広義の「コンテンツ」と言えるだろ うが,通常の意味でゲームのルールや世界観といった「中身」をコンテンツ,そ の外部をコミュニケーションとして捉えた場合,まさに送り手と受け手の「コミ ュニケーション」を組み込むことに成功した事例と言えるだろう。もともと『オ セロニア』はプレイヤー同士が「オセロニアン」と呼ぶような,受け手同士のコ ミュニケーションが豊富なことで知られているが,それに加えて運営側とプレイ ヤーとの関係も含めたコミュニケーションが指向されているのである。  上記は新型コロナウィルスが広がる以前の話だが,さらにその後の『オセロニ ア』をめぐる動向を筆者の参与観察に基づいて述べると(20),さまざまな試みがあっ た。具体的には,一般参加型のリアルイベント(大会)が難しくなったことによ るオンラインでの代替イベントの積極的な開催や(21),有名プレイヤーらによる対戦 動画(「ゲーム実況」と呼ばれる動画形式)の配信,プロデューサーが一プレイヤー としてもゲームを楽しんでいることの積極的発信など,上記の流れが継続してい るように見える。  このように,『オセロニア』の事例からは,そもそも2010年代のソーシャルゲ ームにおいて,プレイヤー同士,および送り手と受け手のコミュニケーション指 向があり,2020年のコロナ禍においてそれが強まっていることが示唆される。こ こまで,ビデオゲームのカジュアル化とコミュニケーション指向について検討し てきた。では,そこから「パンデミック」におけるメディア文化のあり方をどの ように考察できるだろうか。

4.「日常」のコミュニケーションを代替するメディア

 現代のビデオゲームにコミュニケーション指向の強まりが見られるとして,「パ ンデミック」という文脈を考えると,そこで指向される「コミュニケーション」 はどのような性質をもつだろうか。  まずは,これまでも検討してきた『あつ森』に関して,そのプレイヤーたちが 感じる「魅力」について見てみよう(22)。例えば,声優の紡木吏佐は「現実世界を忘 れられる所」が魅力だと述べている。「ゲームではありますが,現実と同じ時間

(9)

が過ぎて,天気も変わり,住民のどうぶつたちがいて。世間では自粛期間が続き, なかなかお仕事も減る一方でしたが,そんな時に『あつ森』と出会えて本当に幸 せでした」と振り返る(23)。また,アイドルの秋元真夏は「なかなか家から出ること ができない時期には,『あつ森』の中では外に出て楽しむことができて,いっぱ いお世話になっています(24)」という表現で魅力を語っている。  これらの語りに共通するのは,コロナ禍の「自粛」や「ステイホーム」期間と, ゲームの虚構世界との並置あるいは対比である。ここには“現実と同じ時間が流 れているが,現実を忘れられる”という逆説がある。  もちろんそれは,時間的な同期や他のプレイヤーとの通信機能といった技術面 によって成立しているものではある。しかし,そうした機能がコロナ禍の「現実」 とミックスすることで,もともとの予想を超えた媒介性を発揮したのではないだ ろうか。  こうした内容と関連して,感性学の立場からゲーム研究を行う吉田寛が興味深 い指摘を行なっている。すなわち,現実のモニター越しの遠隔操作で完結するよ うなロックダウンの生活が「非現実的」で「嘘っぽい虚構(フィクション)」であ るのに対して,借金まみれの単純労働生活をする『あつ森』の世界が「現実世界 の代替物」を提供している,という(25)(ボゴスト・吉田 2020:119-120)。  この指摘を考慮に入れると,『あつ森』のようなコミュニケーションゲームは, 「パンデミック」となってしまった日常ではない「もうひとつの日常」を形成す るメディアであったと言える。これらは,現実逃避,つまり脱「パンデミック」 として理解することも可能かもしれない。しかし,パンデミックという非日常の なかの日常であることを重視すると,「脱」より「非」という表現の方が適切と 考えられる。  実際,先に見たプレイヤー目線からの感想のなかにも,そうした点にふれた声 もある。例えば,漫画家の大童澄瞳は『あつ森』の魅力を「非日常となってしま った日常に日常を取り戻す日常的ゲーム(26)」と鋭く指摘している。非「パンデミッ ク」の日常。これがコロナ禍で求められた世界だろう。  では,ソーシャルゲームにおいてはどうだろうか。文化社会学者の木島由晶は, モバイルゲームについて,プレイヤーへのインタビューの分析から,ゲームをや り込むための反復とそれに伴う退屈とが日常となる特性を指摘している(木 島 2019:64)。すなわち,上述した「日常」を形成するような性質は,コロナ禍 以前から,モバイルゲームやソーシャルゲームに備わっていたわけだ。

(10)

 そして,この特性が「パンデミック」という非日常的になった現実のなかで, 失われた「日常」としての役割を奇しくも果たすことになったと考えられる。こ うした前提のもとでこそ,前節の『オセロニア』に見られたような,コロナ禍で のコミュニケーション指向のよりいっそうの強まりも理解できよう。  ここまでの議論を総合すると,2000年代からのビデオゲームで蓄積されてきた 「コミュニケーション指向」の新たな面が見えてくる。そこでの何気ない4 4 4 4(「競争」 や「承認」を伴う)コミュニケーション4 4 4 4 4 4 4 4 4こそ,コロナ禍で失われたものであった。 社会的な構成体としての「パンデミック」のなかにあって,「日常」のコミュニ ケーションを代替する。ビデオゲームを対象とした本稿の考察で見えてきたのは, こうしたメディア文化のあり方である。

5.おわりに

 最後に,上記の議論を敷衍する可能性について述べておきたい。本稿では,コ ミュニケーション指向のゲームの内実を検討してきたが,時期も対象も限定され た議論だ。これをビデオゲーム一般,ましてやメディア文化全般にすぐさま適用 できるわけではない。  しかし,そこに「遊び」という視点を加味するならば,新たな可能性も見えて くる。J. ホイジンガ以来の遊びの研究を批判的に継承した M.A. シカールによれば, 遊びは,撹乱的・創造的な性質をもつ(Sicart 2014=2019(27))。すなわち,私たちは 遊びを利用して正常な事態を撹乱させるゆえに,単に楽しむこと以上のことがで きる(ibid:34)。また,遊びはテクノロジーや文脈,事物を含んだ「世界」と創 造的に関わる行為である(ibid:38)。  ここで重要なことは,シカールのいう遊びは「さまざまなモノ・人・場所のネ ットワーク」からなる,より広い概念である点だ(28)。そして,本稿でゲームにおい て論じてきた「日常のコミュニケーションを代替する」あり方は,こうした遊び 観と呼応するように思われる。それは,現実との二分法で認識されるヴァーチャ ル空間,あるいは逆に,リアルな空間にヴァーチャルな情報が重畳されている「セ カンドオフライン」(富田 2016)とはまた異なった,メディアに媒介されたリア リティを提起する。  すなわち,ここで示すことができるのは“非日常的な(厳しい)現実のなかに あって,日常を代替するような「遊び」を生成する”,そうしたメディア文化の(新

(11)

たな)あり方である。アフターコロナのメディア研究では,こうしたメディア文 化や遊びを,その価値を損なうことなく捉えていく必要があるだろう。 (1) 2020年11月時点の情報に基づく。 (2) 例えば,気候などの環境,地域の人間関係や清潔さの文化,政治経済状況,さ らに新型ウイルス発生地に近い東アジアでは(類似したコロナウィルスがすでに存 在しており)自然免疫が獲得されていた可能性など,複数の要因が指摘されている。 (3) 厚生労働大臣指定法人いのち支える自殺対策推進センター(2020)「コロナ禍 における自殺の動向に関する分析(緊急レポート)」 (4) 売上高は前年同期比108.1%増,営業利益に至っては427.7%増となっている(任 天堂「2021年3月期第1四半期 決算説明資料」3)。 (5) 同上,10-11 (6) ゲーム関係の雑誌や web サイトでジャンル名が表記される際は,かなりの頻 度でこの語が採用されている。 (7) 「社長が訊く ゲームセミナー2008:『どうぶつの森』ができるまで」https:// www.nintendo.co.jp/etc/seminar2008/doubutsu(2020年10月28日閲覧) (8) それは,女児向けゲーム雑誌の記事数・特集で「どうぶつの森」シリーズが圧 倒的な割合を占めてきたこと(秦 2017)からも傍証される。 (9) 上記「社長が訊く ゲームセミナー2008」

(10) 『ファミ通ゲーム白書2020』(KADOKAWA Game Linkage マーケティング 部 2020)34ページより。なお,同項目は「「Blu-ray/DVD・ネット配信など(アニ メ・特撮)」「Blu-ray/DVD・ネット配信など(アニメ・特撮以外)」「Youtube など の動画共有サイト」と続き,5位に「スマートフォン,タブレットなどによるゲー ム」が来ている。これらはいずれも30%以上の増加であるため,大幅に受容時間が 増えたメディア文化と言えそうだ。 (11) 上述『ファミ通ゲーム白書2020』36 (12) 2007年に「Facebook Platform」が公開されたことを受け,ゲームがリリース されたが,そこでソーシャル・ネットワーク上でプレイするゲームとして「ソーシ ャルゲーム」という言葉が用いられたという(平林 2017)。 (13) ソーシャルゲームでは,間口を広げるためにダウンロード・基本プレイは無料 の代わりに,アイテムなどが当たる「ガチャ」と呼ばれるくじ引きで収益をあげる ビジネスモデルが採用された。これ自体は合法だったが,ガチャによるアイテムの うち特定のものを全部揃えないと手に入れられない「コンプリートガチャ」と呼ば れるシステムが「絵合わせ」に当たるとして規制されることになった(消費者 庁 2012→2016「オンラインゲームの『コンプガチャ』と景品表示法の景品規制に ついて」)。 (14) ソーシャルゲームの課金について,小山友介は“Pay to Win”から“Free to Play”へというビジネスモデルの変化を指摘している(小山 2016:第15章)。また,

(12)

渋谷明子らは,プレイヤーの調査に基づく計量分析によって,期間限定のガチャに ふれたプレイヤーは後により多くのお金を使う可能性があるが,通常のガチャに関 してはギャンブルを好むプレイヤーでその可能性があることを明らかにしている (Shibuya, Teramoto, Shoun and Akiyama 2019)。こうした研究結果を考慮に入れ ると,課金システムは場合によってはもちろん問題であるが,ソーシャルゲームの 別の機能を検討する必要もあると言える。 (15) このことを傍証するデータは多いが,例として以下のふたつを挙げておく。ア プリのダウンロード数については,世界的に約半分をモバイルゲームが継続して占 めてきた(『平成28年度版 情報通信白書』89)。また,ソーシャルゲームの市場規 模に関して,2000年代末から2010年代初めにかけて20倍以上(約200億円から約 4000億円)になり,その後も維持されている(『2015 CESA ゲーム白書』157)。 (16) 学問の制度化は,学会の設立,大学での講座設置,教科書の出版が指標になる。 ゲームスタディーズの制度化については,ゲームデザインや広い意味でのゲーム研 究との対比も含めて,文化庁のメディア芸術事業の成果である松永(2017)が詳しい。 また,ゲームスタディーズとメディア論や社会学との関係を述べたものとして,松 井・井口・大石・秦(2019)がある。近年では,日本語での入門書も出版されてい る(小林 2020)。 (17) もともと女児をターゲットにしている作品であるので,この性質をもつのは当 然かもしれない。 (18) もちろん欧米と日本では,同じゲームの「外部」でも,そのあり方は異なるだ ろう。例えば,井口貴紀によるゲームのユーザー研究では,アメリカと日本の調査 結果を比較して,日本では「競争」より「承認」が重視されると述べている(井 口 2019)。とはいえ,本稿は比較文化的なテーマではないので,あえて「競争」や 「承認」も含めた「コミュニケーション指向」という広い概念でゲームのあり方を 考える。 (19) 『オセロニア』は,その名の通り「オセロ」をアレンジしたゲームである。オ セロの黒白の石=駒に体力(HP)や攻撃力といった能力や特殊なスキルをもつキ ャラクターが付されている。基本的にはオセロのルールに沿って黒白交互に駒を打 つかたちで展開されるが,その際に攻撃やスキルに応じた効果が発動する。それに より,相手の HP をゼロにした方が勝ちとなる。このため,高い能力をもつ駒(キ ャラクター)を入手した方が有利となるが,それはゲーム内のイベントや「ガチャ」 で入手する。その点では,カードゲームタイプの多くのソーシャルゲームと同様に, 課金型ソーシャルゲームの典型といえるシステムである。 (20) その内容をここで詳述しないが,2018年より(どうしても難しい日を除き)ほ ぼ毎日1時間ほどプレイしており,気づいたことについて適宜フィールドノートを 書いている。なお,ゲーム内で記録される「ログイン日数」は論文執筆時(11月5 日時点)で658日,「公式戦歴」(他のプレイヤーとの対戦勝利数)3,828勝となって いる。 (21) 一般のプレイヤーが参加できる「2020 1st SEASON チャンピオンシップ」(2020 年7月)や「オセロニアンダブルス 2020」(2020年10月)といった大会がオンライ

(13)

ンで開催された。 (22) ここで資料として用いたのは,『SWICH』2020年7月号の『あつ森』特集である。 ここでは,著名人を含む多くのプレイヤーへの「プレイして感じる『あつまれ ど うぶつの森』の魅力とは?」という質問の回答が掲載されている。 (23) 『SWICH』2020年7月号 40 (24) 同上 49 (25) 哲学者でゲームデザイナーである I. ボゴストとの対談における吉田の発言。また, この対談のなかでボゴストも,パンデミックの真っ只中での『あつ森』について「構 造化された正常な暮らしの代替物」という表現で,同様の内容を述べている。 (26) 『SWICH』2020年7月号 18 (27) なお,シカールはこのふたつ以外にも,遊びが文脈に依存することや,カーニ バル的,流用的,自己目的的,個人的,という特徴を挙げている。 (28) こうした言い方から分かる通り,シカールの遊び論における「文脈」概念は, B. ラトゥールのアクターネットワーク理論の影響を受けている(Sicart 2014= 2019:165)。 引用・参考文献 井口貴紀(2019)「大学生のゲームの利用と満足―ユーザー視点の研究」松井広志・ 井口貴紀・大石真澄・秦美香子編『多元化するゲーム文化と社会』ニューゲームズ オーダー 秦美香子(2017)「女児とゲームの創造/想像的関わり―『女の子のためだけのゲー ム雑誌』『ぴこぷり』」吉光正絵・池田太臣・西原麻里編『ポスト〈カワイイ〉の文 化社会学―女子たちの「新たな楽しみ」を探る』ミネルヴァ書房 平林久和(2017)「2017年,モバイルゲーム市場の現状と展望」『ファミ通モバイルゲ ーム白書2017』カドカワ

Juul, J.(2010) A Casual Revolution: Reinventing Video Games and Their Players, The MIT Press.

木島由晶(2019)「携帯する『ゲーム=遊び』の変容―オンラインゲームの大衆化を めぐって」前掲『多元化するゲーム文化と社会』 香城卓(2020)「2700万 DL !『逆転オセロニア』はなぜ5年目で V 字回復したのか ―“運営”がコンテンツ化する時代へ」『現代ビジネス』2020年3月30日付, https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71242(2020年9月30日閲覧) 小林信重編(2020)『デジタルゲーム研究入門―レポート作成から論文執筆まで』ミ ネルヴァ書房 小池隆太(2018)「ポケモンコンテンツの系譜―その終着点としてのポケモン GO」神 田孝治・遠藤英樹・松本健太郎編『ポケモン GO からの問い―拡張される世界のリ アリティ』新曜社 小山友介(2016)『日本デジタルゲーム産業史―ファミコン以前からスマホゲームまで』 人文書院 ボゴスト・イアン,吉田寛(2020)「『説得的ゲーム』と『あつまれ どうぶつの森』」

(14)

『美術手帖』2020年8月号 松井広志・井口貴紀・大石真澄・秦美香子(2019)「多元化するゲーム文化と社会」 前掲『多元化するゲーム文化と社会』 松永伸司(2017)「ゲーム研究の手引き」細井浩一監修,松永伸司編『平成28年度メ ディア芸術連携促進事業 ゲーム研究の手引き』文化庁 美馬達哉(2020)『感染症社会―アフターコロナの生政治』人文書院 中川大地(2016)『現代ゲーム全史』早川書房

Shibuya, A., Teramoto, M., Shoun, A. and Akiyama, K. (2019) “Long-Term Effects of In-Game Purchases and Event Game Mechanics on Young Mobile Social Game Players in Japan,” Simulation & Gaming, 50⑴.

Sicart, M. A. (2014=2019), Play Matters, The MIT Press.(松永伸司訳『プレイ・マ ターズ』フィルムアート社) とみさわ昭仁(2000)『ゲームフリーク―遊びの世界標準を塗り替えるクリエイティ ブ集団』メディアファクトリー 富田英典(2009)『インティメイト・ストレンジャー―「匿名性」と「親密性」をめ ぐる文化社会学的考察』関西大学出版部 富田英典(2016)「メディア状況の概観とセカンドオフライン―モバイル社会の現在」 『ポスト・モバイル社会―セカンドオフラインの時代へ』世界思想社

Wolf, M. and Perron, B. ed. (2014) The Routledge Companion to Video Game Stud-ies, Routledge.

参照

関連したドキュメント

て当期の損金の額に算入することができるか否かなどが争われた事件におい

であり、 今日 までの日 本の 民族精神 の形 成におい て大

今回の SSLRT において、1 日目の授業を受けた受講者が日常生活でゲートキーパーの役割を実

駐車場  平日  昼間  少ない  平日の昼間、車輌の入れ替わりは少ないが、常に車輌が駐車している

対象期間を越えて行われる同一事業についても申請することができます。た

私たちは、私たちの先人たちにより幾世代 にわたって、受け継ぎ、伝え残されてきた伝

❸今年も『エコノフォーラム 21』第 23 号が発行されました。つまり 23 年 間の長きにわって、みなさん方の多く

子どもたちが自由に遊ぶことのでき るエリア。UNOICHIを通して、大人 だけでなく子どもにも宇野港の魅力