経済の共同体から価値の共同体へ
― EU 統合における「世俗主義」―八 谷 まち子
は じ め に
本稿は,EU 統合プロジェクトは経済活動のための機能的な共同体として開 始され, 共同体加盟国の増加にともなって「EU の拡大」 が進行していき, 1993年を画期として共同体の価値を謳う「価値の共同体」になったという理解 に立つ。ここでいう「EU の拡大」とは,単なる加盟国の数の増加のみではな く,EU として関与する政策分野と権限の漸進的な拡大を意味しており,その ことは必然的に組織としての能力と期待における変容をもたらした。 設立当初の加盟国喫緊の課題であった経済の復興と発展に資するための,よ り機能的かつ効率的な制度構築とその障壁の削減という「経済の共同体」とし ての役割は,1986年の『単一欧州議定書』が目指した欧州単一市場が1992年に ひとまずの成立をみたことによって,一定の成果を挙げた。この間,ローマ条 約に基づく法的な権限においてはあくまでも経済の共同体であったものの,消 費者保護や労働者の権利保障など,経済活動の結果として生じる社会的な課題 に対処する権限の行使や,環境・エネルギーなどの新たな政策分野における権 限行使が展開していき,その結果,活動の成果としてのアキ・コミュノテール (EU 法の蓄積)が築かれていった。[中村(2015):25] 欧州単一市場の形成とほぼ同時期に起こったいわゆる冷戦体制の崩壊は,ヨーロッパを襲った政治的な激震だったといえよう。しかしそれは歓迎される激 震であった。共産主義から民主主義への体制の転換が可能となった中・東欧諸 国が一斉に EU 加盟の意思を表明することとなったのである。これらの新たな 加盟国を迎えることも前提にし,かつ,上記のような「経済の共同体」の実績 と現実として行使されている権限を条文として明記した『マーストリヒト条 約』が1993年に発効した。マーストリヒト条約は統合欧州の組織に「ユニオ ン」という新たな名称を与え,新たな権限を取り込み,組織構造の原理を示し, ユニオンの領域内で生活する人々を「ヨーロッパ市民」と定義して,国家に限 定されない「市民権」概念を明記した。さらに,機能と効率とに自己限定的で あった「経済の共同体」を脱して,「共通外交政策」という EU 域外地域との 外交政策に EU 共通の立場を表明することが条文として定められた。 経済にとどまらず政治分野の活動が法的に承認された組織上の変容は,ヨー ロッパ統合における明確な画期を記すできごとである。ただし,「ユニオン」 という呼称は1972年当時の加盟国であった6か国の首脳会議において,当時の フランス大統領ポンピドゥーが繰り返し使っており[Burgess (2000):90―92], また「共通外交政策」は,1973年のデンマーク,アイルランド,イギリスの3 か国が加盟した第一次拡大の年に出された加盟国9か国の外相の合意として 「外交政策における共通の立場」 が『ヨーロッパ・アイデンティティ文書』 [Bull. EC (1973)]に記録されている。即ち,マーストリヒト条約よりも20年も 以前の経済共同体の時代にすでに「ヨーロッパ・ユニオン」は討議され,用語 は明らかに承認されており,「共通外交政策」の実施は国家間合意としてデ・ ファクトの了解事項であったものの,条約には盛り込まれなかったのである。 このように長期間にわたってヨーロッパの主要諸国の指導者たちに現実であっ たと思われる政治協力が,1993年に設立条約に明記されたのであり,統合の進 展における画期となったのである。 しかしながら,EU 設立条約に「EU の価値」が条文明記されるまでには, マーストリヒト条約の改訂版である『アムステルダム条約』(1997年)に書き込
まれた「EU 共通の原則」を経て,『リスボン条約』(2009年)まで待たねばな らない1)。 「価値の共同体」と経済の共同体の最大の違いは正統性(legitimacy)の問題 ではないだろうか。即ち,計測可能な経済効果を追求する組織の在り方を主眼 とした共同体から,国家のような自己完結性には至っていないものの,EU と いう領域内で生活する人々の多様な側面に関わるようになった政体の正統性は どこに求められるかという問題である。これはほとんど全ての EU 研究者が一 度は取り組む課題であるが,筆者は,それは政策決定過程にあると考える。 欧州連合(EU)は,今日の国際関係の基本単位である国家を法的に拘束し うる権限を有する。もちろん,その権限は EU 加盟国に対して行使されるので あり,効力の適用分野は極めて限定的である。国家はかつて,そして今日の世 界においても未だ,ほぼ全ての分野で最終的意思決定機関であることに変わり はないし,EU 加盟国も例外ではない。しかし,そのような国家主権の一部が, EU 加盟国においては,地域統合体である EU へ移譲されているのである。こ うした地域統合体が,民主制の国家を束ねるべく超国家的権限を民主的に行使 するには,可能な限りの幅広い当事者の決定過程への参加と同意を可能にする 制度の工夫が求められるであろう。EU は,市民社会との連携によって,政策 形成過程に何らかの形で関与するアクターの範囲を拡げ,組織化し,幅広い意 見を取り込む枠組みを準備することで正統性を高めようとしてきた2)。EU 統合 の進展は,ある意味では決定過程における正統性の制度化の追求でもある。 2009年12月に発効した『リスボン条約』には,さらに新たなアクターに関す る条文がある。リスボン条約は「EU 設立条約」と「EU 運営条約」の二つか ら成るが,設立条約の前文3)と運営条約第17条4)は,それぞれ「宗教」に言及して いる。かつて,「EU はキリスト教クラブに過ぎない」という批判がもっとも らしくなされていたこともあるが,これまでの EU 設立条約のどこにも宗教に 言及した文言はなく,リスボン条約にして初めてそれが登場する。同条約にあ る「宗教」が意味するところは,しかし,微妙に異なるように思われる。
即ち,設立条約の前文は,[ヨーロッパの文化的,宗教的かつ人道的な継承 から着想を受けて,不可侵にして譲渡されることができない人間の権利,自由, 民主主義,平等および法の統治という普遍的な価値を生んだ…]と謳っており, 今日の普遍的価値の起源をヨーロッパの伝統のなかに求め,その幅広い伝統の 一部として宗教を明記している。一方,運営条約第17条第一項は,[…加盟国 内の教会および宗教的団体や共同体…]を尊重し,定期的な対話を維持するこ とを謳っており,加盟国によってさまざまに異なる宗教団体や教会の位置づけ を考慮し,宗教に対する中立性を保ち,世俗の市民社会の一部としての宗教団 体等との対話の一層の促進を明記したものと理解できる。このことは,宗教的 課題があたかも不在であるかのような当初の統合の在り方から,「多様性のな かの統合」として多文化主義へと舵を切り,宗教さえも多様であるという視点 が読み取れる。 先進国社会における世俗化の進展はつとに指摘されているところであり, EU 加盟国においてはことさらにそうである。そうした時代に「宗教」が設立 条約に登場することの意味と,統合体である EU における「世俗主義」の在り 方を「価値の共同体」の観点から考察してみたい。
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.統合の進展と価値
いわゆるローマ条約(1957年)と称される欧州統合の始動時期の条約は,欧 州原子力共同体(EAEC)と欧州経済共同体(EEC)という異なる分野の二つの 共同体設立のための条約である。特に後者は,構成国6か国による共同市場の 設立を目標として[de Teyssie, Baudier (2005):62]経済活動の自由化を促進し, 第二次世界大戦で疲弊したヨーロッパ大陸諸国の経済的復興をもたらした。さ らに言えば,両条約は,戦後復興に苦しんでいた構成国にとって新たな産業で ある原子力5)と経済政策とが強く結びついたものであった[Monnet (1975):616―これら二つの条約は,それに先立つ欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC,1951年)と 同様に,政治目的を明確に持ちながらも,目的達成の手段としての機能的な経 済政策分野のみを規定したものであると広く理解されている。そこには目指す べき最終の政治形態に関する条項は存在しない。しかし,J. H. H. ワイラー(J. H. H. Weiler)は,「欧州統合とは,到達されるべき最終形態へ向かう深遠な政 治的プロジェクトであり,その目指す最終形態の基盤は欧州統合の始まりから 内包されている《価値のセット》に基づいている」と述べる(Weiler (2016): 94)。さらにワイラーは,《価値のセット》には2通りがあり,統合の始動期は 「平和・繁栄・超国家性」であり,時代が下ると「民主主義・人権・法治」が とって代わったとする。 そして,「価値」 とはヨーロッパの自己認識の核心 (the core)であり,とりもなおさず「価値の共同体」を構築する核心であると 記す[Weiler (2016):100]。本論は,このワイラーによる2組の三位一体の価 値に沿って考察をすすめたい。 ワイラーが第一世代の《価値のセット》とする3要素はもちろん時代性を反 映したものであり,EU は「平和のプロジェクト」として始動したという理解 を支える。経済的な統合プロジェクトは西側ヨーロッパの大陸諸国6か国から なる共同体によって担われたのであり,これらの共同体加盟国の間では,プロ ジェクトの目標と共同体の基盤としての価値は共有されていたと言える。即ち, 共同体は「平和」と「繁栄」を再建するために設立されたのであり,そのため の有効な手段である経済活動の統合には,超国家性なくしては実施困難であっ ただろう。同時に注目すべきは,この機能重視の経済共同体ではプロジェクト の推進は上からのイニシアティヴで進められたが,市民社会が置き去りにされ てはいない。ローマ条約は既に多元的な視点を有し,市民社会に立脚する諮問 機関として欧州経済社会評議会(EESC)を設立した6)。 次いで,統合の新世代の《価値のセット》は,冷戦体制が崩壊しモスクワの 影響圏にあった国々が一斉に西側回帰へ向かい,EU 加盟を表明するという歴 史の新たな幕開けの時代性を反映したものである。この時代性は EU において
は『マーストリヒト条約』として具体的に見ることができる。 マーストリヒト条約は欧州における統合の新たな時代の始まりを記している。 統合プロジェクトの創設から40年余,経済共同体プロジェクト開始から36年後 に批准に至るまでには多くの議論を呼びながらも,政治分野における共通政策 を初めて条項として取り込んだ「ユニオン」という新たな政体への扉を開いた。 そして,ユニオンには欧州市民(European citizens)が想定され,欧州市民権 (European citizenship)が条約に明記された7)。この新しい市民権は,東西冷戦体 制が崩壊し,分断ではなく統合が世界中で歓迎された時代精神の賜物であるだ ろう。そして,統合プロジェクトの領域分野が市場(経済活動)から社会(生活 場面)へと広がったと理解できる。 マーストリヒト条約においてさらに特記すべきは, ヨーロッパユニオン (EU)の統治原理として「補完性原則8)」が導入され,EU の政策決定に関わる 権限分担の原則を明確にしたことであろう。もちろん,補完性原則が EU 統治 の現実的な問題を見事に解決できることにはならず,用語のなじみのなさと概 念の多面性の故に,当原則に関する論考は にあふれた。補完性概念はヨーロ ッパ思想史に脈々と流れる多元的アプローチであり[遠藤(2013):293―323], 何より,ヨーロッパ中世末期のカトリック神学において示された秩序認識に立 った,現代的解釈による権限の棲み分けを仕切る考え方である。 「EU 政策はその活動の目的が EU レベルにおいて最も効果的に達成できる 場合にのみ EU レベルにおいて実行される」とする当該原則の導入は,ワイラ ーのいうところの第二世代の価値の要素である「民主主義」に沿った制度規 範9)であると言える。それは,組織の多元性を宣言するのであり,公的には上か らの統合を進めてきた経済の共同体の変容である。単一市場という経済効率を 目的とした組織のひとまずの到達を成し終えて,その先にあるべき組織を探求 しつつ展開する歴史的実験とされるプロジェクトへの進展でもある。その意味 においてヨーロッパ統合の画期をなすマーストリヒト条約ではあるが,統合を 推進する基盤としての価値はここでは明示されてはいない。
価値が明確な文言として条約本体に記されたのは『リスボン条約』の設立条 約第2条10)においてである。第2条は,価値のリストともいえるような項目を列 記し,続いて,リスボン条約第3条第一項において「ユニオンの目的は,平和, その価値およびその人々の安寧を促進することである」とする。これらの条文 によって「価値の共同体」としての EU が宣言されたと言えるであろう。 「経済の共同体」から「価値の共同体」への展開は,共同体の正統性が経済 活動の効率性から,そこで暮らす個々人の尊厳と安寧の確保へと幅を広げたこ とを意味する。そうしたなかで,宗教もしくはその関連組織の役割が統合の進 展との観点から論じられることは稀であった。特に日本においてはこれまでほ とんど議論の対象とされなかった。これは,一般的な言説として,ヨーロッパ では顕著に世俗主義もしくは政教分離の考え方が広がり,公的空間において宗 教は後景に退いていると理解されてきたためでもあろう。しかしながら,価値 が明記された EU の基本条約において「宗教」という語が初めて条文として登 場したのである。その含意を考察するために,宗教あるいは世俗主義が「価値 の共同体」においてはどのような位置づけがなされているかをまず検討してみ たい。
2
.EU 政策形成における宗教の位置づけ
EU が加盟国と絶対的に異なることは,EU 自体には宗教的伝統を見出すこ とはできないことであろう。組織構成原理である補完性の概念は汎ヨーロッパ 文明の枠において初めて捕捉できるものであるし,仮に「EU の宗教は何か」 という問いを立てたとすれば,必然的に各加盟国における状況の説明になるで あろう。また,近代的政教分離による世俗主義が社会に広く浸透し,市場主義 の効率的運営が追及された「経済の共同体」においては,宗教が公的役割を担 う余地は当然なかったであろう11)。 しかしながら,キリスト教のネットワークはヨーロッパ統合の発足と遂行において看過できないアクターのひとつであったし[Kaiser (2007)],2010年以降 はテロや難民の流入がイスラム教と単純に結び付けられてポピュリズム言説を るなど,多様な宗教が混在する現実に EU として適切に対峙することも求め られている。したがって,EU 統合においてあたかも宗教が不在であったかの ごとく看過し続けるのは,EU をクリスチャンクラブと言い切ってしまうのと 同様に,誤解を生むことになるだろう。 本節では,今日の市民社会における宗教界の EU へ向けた活動を概観し,さ らに,F. フォレ(F. Foret)の研究成果に依拠しながら,EU が 間で評された ような「キリスト教のクラブ」であり得るか否かを検討する。そこから得られ る知見は,「価値の共同体」としての EU の在り方へ接近する一助となるであ ろう。 EU は1970年にローマ法王庁と外交関係を樹立したが,これは EU と宗教組 織との公的関係唯一の例外であり,他のいかなる宗教組織とも公式な関係を樹 立していなかった。それから20年以上も時代がくだった1992年に,当時の EU 委員長 J. ドロール(J. Delors)の主導による「ヨーロッパの魂 A Soul for Eu-rope」という対話フォーラムに,キリスト教に限定されない幅広い宗教界の 指導者たちが集合した。ドロールの意図は,新たな時代に入ったヨーロッパ統 合の構築へ精神的かつ倫理的な側面を与えることであり,同時に(統合推進の ための EU の)制度と市民との間の溝を埋めることにあった[CES (2009):49]。 こうして始められたこの宗教間対話の試みは活発とは言えないものの継続され ており,1997年のアムステルダム条約付属の「宣言第11号」として公式のもの となり,2005年からは EU 委員長,2006年に EP 議長,2007年に閣僚理事会輪 番議長も参加する年次行事となった12)。 まがりなりにも宗教に関する公式行事が EU の活動に含まれるのは,EU の リーダーシップと並行して,私的空間における EU 域内の宗教界の活動に負う ところが大である。 例えば,すでに1950年代末から1960年代初頭にかけてキリスト教会諸派の合
同事務局がブリュッセルに開設されており,1964年には,同じくブリュッセル に主にプロテスタントと正教によって「ヨーロッパ教会および社会の統一委員 会 European Ecumenical Commission for Church and Society(EECCS)」が 創設された。EECCS は,1959年にジュネーブに創設されていたヨーロッパ教 会会議(the Conference of European Churches(CEC13))と密接な協力関係を築き, 建設的解散とも呼べる形で1998年にその活動を中止して,翌1999年に「教会と 社会委員会(the Church and Society Commission(CSC)」として CEC の内部組 織となった。新たに設置された CSC は,CEC を代表して EU を含む欧州の政 治機関との連絡窓口の役割を負っている。CEC は,ヨーロッパの非カトリッ ク系の114の教会をメンバーとするアンブレラ組織として人権専門家を養成す るなどの独自のプログラムを企画・運営し,さらに,「EU 政策・立法」を含 む9つのテーマ別グループが組織されており,教会統合(エキュメニカル)団体 として独自の意見表明なども積極的に行っている[CEC (2015):5]。また,今 日的課題にも積極的な取り組みを展開しており,近年では難民支援強化を EU と加盟国へアピールしているし,NGO として実際の支援活動も行っている。 プロテスタント系教会にやや遅れてではあるが,カトリック教会についても 同様の活動がある。前出の EECCS の組織的な対話相手として,1980年に「欧 州カトリック司教会議委員会(the Commission of the Catholic Bishops
Confer-ence of the European Community(COMECE)」が組織されている。COMECE は,
本部事務局をブリュッセルに置き,28加盟国(2017年現在)のカトリック教会 の代表をメンバーとして,EU 政策分野のうちで教会に関わる利益と判断され る課題の進展をモニターすることを活動の目的としており,8項目を掲げて独 自の調査や意見の発信,公刊物の配布を行うなど CEC と同様の活動を行って いる14)。EU 域内のキリスト教系教会を代表するこれら2団体とも,EU 域内で 活動する NGO としての登録(Transparency Register15))を行っている。
それに対して,EU 委員会内にリスボン条約17条の主旨に沿って,同条文が 定める教会等の諸団体との対話のための専任コーディネーターが指名されてい
る16)。 また,CEC も COMECE もその事務局は, ブリュッセル市内でも EU 委 員会の建物が集まる地域の中心地にそれぞれ位置しており,委員会との頻繁な 接触が伺えて興味深い。 これらの事から明らかなように,EU の政策形成や少なくともその過程にお いては,宗教は不在ではない。他分野の多くのロビー団体同様に,キリスト教 系の宗教団体によるロビー活動もあれば,EU 政策の実施を担う NGO のひと つの組織として,EU 補助金による活動に参加することもある17)。 このような市民社会における宗教団体への「中立」な制度的対応と機会の提 供の一方で,政策決定者の認識と活動はどのようなものであろうか。フォレは 欧州議会議員(MEPs)を対象に貴重な調査を実施している。調査の主要部分 は二通りがあり,一つは欧州議会(EP)の直接選挙が導入された1979年から 2009年までに EP に議席を有した全ての政党が発行したマニフェストに記され た「伝統的価値」,即ち宗教の重視,の頻度であり,あとの一つは2009年選挙 の前後に出された EP 内の政治グループによるプレスリリースが表明している そ れ ぞ れ の グ ル ー プ の 政 治 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィー の 分 析 で あ る[Foret (2015):80―107]。結論を急ぐと,「伝統的道徳」への言及は決して主要論点で はないが,加盟国国内における文化,経済状況,政治への信頼,その他の多様 な要素が関係する論点であるために二次的な事項としての重要度が認められる ようである。また,時代によって具体的な争点が変化することも考慮しなけれ ばならないが,総体的に「伝統的価値」への言及は25%(1979年)から37.34% (2009年)へと漸増傾向が指摘されている。興味深いことに,単一市場が完成し た後の1994年は頻度が下降しており,その後少しずつ上昇に転じている。1994 年は世界構造の歴史的変容を経験し,EU への新規加盟国の増大が明確な現実 となりつつあった時期であり,「伝統的道徳」よりも目前に展開されつつある 近い将来に関わる争点により多くの関心が引き付けられていたと考えられる。 次に,EP 政治グループの主張に宗教が含まれることはどのグループにおい ても稀であるが,取り上げられる場合は,そのグループとして際立った理念
(リベラルにとっての信教の自由,社民にとっての平等,キリスト教民主主義にとって の宗教の尊重など)を明示することになる。そして多くの場合,政治的起業家と も言われるような極めて少数の専門的メンバーに主導されているという。そも そも宗教的争点が持ち出されるのは EU 域外の問題に関わる場合が大半であり, EU 内に起因する争点とするには各国の伝統,習慣の相違が大きく,複数の加 盟国出身の議員で構成される EP 政治グループのまとまりを危うくすることに もなりかねないという。 フォレはその他にも,EP 議員による文章や質問による明確な「宗教」の言 及の記録や代表的論客のディスコースの追跡なども調査しているが,そこで得 られた知見は,宗教は政治的コミットメントを呼び込むような争点ではなく, また,その要因となることもできないというものであった。さらに,宗教の管 理は EU に授与された権限分野でもないために,EP での論争にも限界がある とする。即ち,宗教は,リスボン条約の前文18)が記すように,今日の「普遍的価 値」の発展に息を吹き込む要因であったし,その痕跡は文化,慣習として明ら かではあるものの,EU においては,制度的にも政策的にも力強い動員力を発 揮するようなアジェンダにはなり得ないのである。
3
.EU における「世俗主義」と「法による統治」
ワイラーによるヨーロッパ統合の新世代の価値のセットである「民主主義, 人権,法治」は,リスボン設立条約の前文が謳うように文化や宗教に息を吹き 込まれた価値であったとしても,世俗主義19)との親和性が高いと考えられる。こ こでいう「世俗主義」とは,神の采配から脱して,人間が人間世界の統治を担 うという意味であり,ヨーロッパ近代の社会的理解として広まった考え方を指 す20)。EU 加盟国には国教を定めている国21)もあるが,それが信教の自由を阻むこ とはなく,全ての加盟国は政治(国家)と宗教(教会)との分離を制度とする 「世俗主義」をとる。国教が定められている場合の教会の役割は,王室関連行事を執り行うことに限定されており,教会は全ての国民に開放されている。 EU 加盟国においてはキリスト教が最大宗教ではあるが,カトリック系,プ ロテスタント系,正教(オーソドックス)系と様々であり,宗派はさらに細分化 される。加えて,EU 全域ではイスラム教信者の数がキリスト教に次いで多く, EU 第二の宗教は明らかにイスラム教である22)。 多様な宗教が国内に混在する EU 加盟国では,世俗主義の政教分離により,宗教は私的空間に押し込められ ているが,一方で,公的空間においてどのように,かつどこまで宗教を統制す るかは,法制度,教育制度も含めて国による違いは非常に大きい。たとえばフ ランスは憲法に書き込まれたライシテ(laïcité)に基づく政教分離の厳格な実 行を,信仰する宗教や宗派に関わらず求めることで知られるが,多文化主義を 尊重するイギリスやオランダでは,政教分離が求められる生活場面は限定的で, たとえば宗教上のシンボルを身に着けることにおいてもより寛容である
[Korte-weg and Yurdakul (2014)]。まさしく宗教こそが EU の多様性が如実に顕れる
分野であり,しかもそれは,ヨーロッパの歴史が数百年にわたって刻み込んだ 幾多の宗教戦争を経てたどり着いた「信教の自由」という基本的人権と結びつ く,非常にセンシティブな扱いを要求する事項である。
そうした状況にあって,EU は欧州審議会(Council of Europe)に倣った宗教 への「中立性」をとる[Doe (2011):240]。中立性とは,いかなる宗教も「法 的に」同等に扱われることであり,法に則った政教分離が基本原則であるとい える。 即ち, 条文として明示こそされていないが,EU においても「世俗主 義」が貫かれており,それは「法による統治」という価値に埋め込まれている と言える。 EU 設立条約においてはリスボン条約で初めて宗教が言及されたことは確認 したが,ドウ(Doe)は,宗教の多様性とそれに対する EU の中立性は,既に いくつかの EU 指令23)や決定24)に表明されていることを指摘している。そして,何 よりも象徴的な中立アプローチは,難民指令25)が規定する難民認定の基準として 「自国においてはっきりとした(well-founded)宗教的迫害の脅威がある第三国
国籍保持者」があげられていることであるとする。ここでいう「宗教的迫害」 とはいかなる宗教であるかは問わないことは言を俟たない。彼はまた,難民指 令に見られる宗教への中立性は,EU 加盟国国内法においても同様であること を確認している。 ここでドウは,EU における宗教事項の取り扱いを補完性の原則の観点から 説得力のある解説をしている。例えば,非 EU 加盟国における宗教関連事項は EU 対外関係にとって直接的な利害を持ちうる場合もありうるが,その様な場 合は補完性の原則に従えば,あくまでも当該国の内政事項とならざるを得ない。 なぜならば,EU には宗教事項に関する権限は授与されていないからである [Doe (2011):243―4]。したがって,EU が取りうる対応は,宗教に対する中立 性と信教の自由を保障する「価値」に照らした声明をだすことに限られるであ ろう。その例を中東諸国との関係に見ることができる。 2010年末のチュニジアでの出来事がきっかけで,2011年には中東アラブ諸国 に「アラブの春」と呼ばれた体制批判の大々的な動きが起こった。その初期の 段階では,ムスリム市民による下からの民主化運動の様相を呈していたが,そ こで吹き上がった市民のエネルギーに対して EU がいかに無策であったかは未 だに記憶に新しい[Peters (ed.), (2012)]。それは,予期されていなかったイス ラーム世界の内発的民主化要求であり,「EU の価値」に照らせば歓迎され, 強力な支援が提供されるべき変動であった。ところが,権威主義的宗教国家を 容認していた EU にとって,宗教上のセクト間対立の様相をはらみ始めた展開 に対して全く準備がなく,存在感を示す対応はできなかった。 また,トルコの EU 加盟交渉は10年を超える年月を数えるが,トルコ国内は 憂慮すべき状況に陥っている。2015年の総選挙で,クルド人を中心とした政 党26)が初めて議席を獲得して,少数者集団の政治参加が実現し,より民主的な社 会への一歩が垣間見えたが,その後の大統領の恣意的な先導により大きく後退 させられ,市民の自由権抑制やジャーナリストの拘束など多くの憂慮するべき 状況が展開され,遂に2016年7月のクーデター未遂事件以降は,膨大な数の公
務員,大学教員,野党政治家,そして裁判官にいたるまで拘束され,さらに公 職追放に至っている27)。 公共の空間において自由な言論が厳しく制限されるというトルコ国内政治の 民主化の後退に対して,EU は積極的な対応をとるには至っていない。トルコ の EU 加盟の基本となる『加盟のためのパートナーシップ協定』にある《…… トルコ政府は,宗教や信条による一切の差別なく,人権と自由の享受を法と実 施において保障する……》という条件は,ほとんど効力を失っている。もちろ ん,トルコとの加盟交渉の停滞は,EU とトルコの二者間関係のみに関わる問 題ではなく,シリア内戦に由来するねじれた国際関係の当事者的立場にあるト ルコの複雑な外交関係も大いに関係している。そして,シリア内戦によって生 じた前例なきほどの数の難民が保護を求めて EU へ押し寄せたがために,EU は,この膨大な人の移動の管理にトルコの協力を取り付けることを最優先して いる事情もある28)。その結果として,EU 加盟の前提となる「価値」は,両者ど ちらからもほぼ顧みられることなく,加盟候補国であるトルコ国内における多 数の拘留者や逮捕者も言論の自由の抑圧も,「EU は自分の頭のハエを追え」 という大統領の一言で片づけられているのが現状である。こうしてトルコにお いては,EU に共通の価値に基づいた制度の構築は,むしろ遠のいている。 これらの事は何を意味するのであろうか,EU にとっての「価値の共同体」 は,対外的には未だ説得力を持ち得る段階には達していないということか。ワ イラーは,政体として歴史的に育んだ民族性や宗教などの「有機的」な自己認 識が未だ出来上がっていない EU において,「経済の共同体」からさらに歩を 進めた新たな世代の統合は,規範的に受け入れ可能な根源的「価値の共同体」 として EU を了承することによって構築される,と主張する。彼が論じるのは, アメリカ独立宣言やフランス革命の後の,すべての人々(国民)が一体となっ て目指したであろう「価値の共同体」である[Weiler (2016):138]。そして, EU がそのような共同体となりうるためには,「人権」こそが最も通用性のあ る価値であると続ける。したがって,「価値の共同体」が「経済の共同体」に
匹敵するほどの活力を有するには,核心である価値のなかでも「人権」の保障 を力強く実施することが必要となる。 しかし,EU の重大な問題は,「人権」 政策が施行されるのに必要な道具立て,即ち,人権担当委員,人権総局,その 予算や部局横断的な行動計画などが っていないことだと指摘する。EU 市民 は EU 域内においては,それぞれの国内法で人権を保護されているし,今や 『EU 人権憲章』も成立している。しかし,価値の実践を保障し,価値の侵害 の責任をとるべき公的権限が不在であると訴える。トルコの加盟交渉の停滞や 「アラブの春」に際しての無策ぶりは,EU 域外の「価値」の問題には権限が ないのみならず,実効をうむ道具立ても未完成であることが明らかにされたと 言える。 さらには EU 域内においても, ハンガリーとポーランドによって 「EU の価値」は揺さぶられている[山本(2015),小森田(2016)]。しばしば指 摘されてきた EU に対する期待と能力,即ち理念と現実,との溝がここでも顕 著である。
まとめに代えて
ローマ条約が構築した機能重視のプロジェクトは,マーストリヒト条約によ って「価値」を核心とした新たな共同体の構築へと船出した。この新世代の統 合は未だ構築途上であり,着地点も明らかであるとは言えない。「価値」は, 生活を営む人々の暮らしのなかから有機的に発達した文化や慣習と強く結びつ いており,そのような有機性に欠ける EU が「価値の共同体」として効力を有 するには,今日の「EU 市民」が営々と築き上げてきた加盟国それぞれの地域 性や伝統,慣習と切り離すことは現実的ではないであろう。こうした観点にた てば,設立条約に宗教に言及した条文が明記されたことは新世代の共同体の息 吹であると言えるであろう。しかし,これは,宗教組織が他と同等の市民社会 の団体として世俗的に位置づけられたのであり,信仰の共同体の時代へもどる ことではない。。開放的でリベラルな「経済の共同体」の実績を踏襲して,「価値の共同体」においても,開放的でリベラルな政策の実績を重ねていくことに よってのみ,EU の価値に依拠する「多様性のなかの統合」の実態が形を成し ていくと考えられるが,それは EU の法衣をまとった EU の世俗主義とも呼べ るような在り方になるのかもしれない。 [付記] 本稿は日本 EU 学会第37回研究大会における全体報告に基づいている。報告 に際しては会場から多数の質問を頂き論旨の再検証に重要な手がかりを頂いた。さら に,匿名査読者からは非常に貴重かつ丁寧なコメントを頂き深く感謝している。 1) 「価値 values」という用語は,ローマ条約の時代に作成された(当時の)EC 公式文書にも 使われている。例えば,デンマーク,アイルランド,イギリスの三カ国が加盟した1973年12月 に当時の EC9カ国外相会議による「政治協力声明」がある。本文で紹介した『ヨーロッパ・ アイデンティティ文書』の I 章(The Unity of the Nine Member Countries of the Commu-nity)第3項において以下のように記している。[共通のヨーロッパ文化枠組み内における文 化の多様性,共通の価値と原則への傾倒,高まっていく生活様式の収斂,共通の特定利益の認 識,そして統合ヨーロッパ構築に参加することの決意,これらの全ての事柄がヨーロッパ・ア イデンティティのオリジナリティと独自のダイナミズムを与えるのである。]European Politi-cal Cooperation Statement of the Foreign Ministers and other Documents, 1973 in
― また,1980年の ギリシアの EC 加盟を報じるプレスリリースは,以下のように記している。[ギリシャ加盟に より,共同体は真にヨーロッパとなる。ギリシアは共同体に息吹を与えるヨーロッパ文明の母 である。古代以来の我々の共通の祖先である民主主義と文化の価値を厳守してきたおかげで 我々は発展をしてきた。 こうした理由で共同体はギリシアの人々を喜びをもって迎える。] , (強調は筆者による。) 両文書ともに新規加盟国を迎えるに際して出されたものであり,「ヨーロッパに共通の価値」 への言及がある。なお,時間と能力の制限によりマーストリヒト条約以前のすべての政治協力 関連文書の渉猟はできていない。 2) 例えば,コミトロジー委員会の設置や,EU 政策の加盟国レベルでの経験や情報の共有を意 図した OMC(Open Method of Coordination)がある。
3) Consolidated Version of the Treaty on European Union, PREAMBLE :
[DRAWING INSPIRATION from the cultural, religious and humanist inheritance of Europe, from which have developed the universal values of the inviolable and inalienable
rights of the human person, freedom, democracy, equality and the rule of law, RECALL-ING …]
4) TITLE II. PROVISIONS HAVING GENERAL APPLICATION 17
1 .The Union respects and does not prejudice the status under national law of churches and religious associations or communities in the Member States.
2 .The Union equally respects the status under national law of philosophical and-non-confessional organisations.
3 .Recognising their identity and their specific contribution, the Union shall maintain an open, transparent and regular dialogue with these churches and organisations. 5) 1956年7月26日,エジプトは突如としてスエズ運河の国有化を宣言した。このことは,当時 必要なエネルギーの2割を中東から輸入していた西ヨーロッパにとって,将来の安定的石油供 給に対する不安を掻き立てた。このような予期されなかった状況を受けて,それまでは EEC と EAEC の両条約の交渉の過程において,条約準備委員会の意見の違いが明らかであったが, 同委員会は9月19日に,世界のエネルギー需要の均衡と安定のために6カ国が共同で原子力エ ネルギーを開発することとする,という声明を発表した。[Monnet:622] 6) 設立条約第13条第四項。EESC は,雇用者団体,労働者団体,及び農業界,消費者などから なる利益団体という三部門を設定し,各部門の代表により構成される。幅広い見地からの意見 を表明する役割を担い,政策提案を準備する EU 委員会は EESC の諮問を受けることが義務 付けられている。設立当初は,求められた諮問事項に対してのみの意見表明であったが,現在 は独自の意見(own opinion)も提出する。 7) 運営条約第20条。もっとも,欧州市民および市民権の概念はすでにローマ条約の前文に認め られるし, 欧州市民権への言及は1975年の『ティンデマンス報告』 が最初である。[森井 (2012):194] 8) リスボン条約では,設立条約第5条に規定された。 9) 筆者は規範(norms)と価値(values)を次のように区別して使用している。まず,規範と は具体的な行為を伴うもので,ある政策やプロジェクトを実施する際に依拠するべき基準を提 供する。EU においては,EU 加盟条件である「コペンハーゲン基準」の4項目が典型であり, さらに,欧州裁判所(ECJ)判決は,規範の法典化だと考える。臼井は「EU の規範的実体が, まさにこのアキ・コミュノテールである[臼井(2015):15]と述べる。一方で,価値とは規 範を生み出す世界観もしくは信念であり,個人的でもあり社会的でもあり得る。 10)
The Union is founded on the values of respect for human dignity, freedom, democracy, equality, the rule of law and respect for human rights, including the rights of persons belonging to minorities. These values are common to the Member States in a society in which pluralism, non-discrimination, tolerance, justice, solidarity and equality between women and men prevail.
具体的かつ詳細に加筆して,リスボン条約に引き継がれている[鷲江(2009):60]。 11) たとえば「プロテスタントの倫理観が単一市場にいかなる含意を持ったか」などは興味深い
課題に思えるが,本稿の主旨とは位相を異にする更なる課題である。
12) 2017年は,6月27日に開催されている。そのプレス・リリースには「Soul for Europe」と いう表現も使われている。CEC Press Release No : 17/27,
Dialogue with the EU Institutions, English, News, June 28, 2017, Brussels.
さらに,11月7日には,第13回 EU―CEC ハイレベル会議が,EU 委員会第一副委員長 F. テ ィンママンスおよび欧州議会第一副議長 M. マクギネスの共催により, The Future of Eu-rope : a value-based and effective Union のタイトルで開催されている。会議の招待参加者 は,EU 域内からのキリスト教,ユダヤ教,ヒンドゥー教,モルモン教の高僧11名である。 CEC Press Release No : 17/40, 7 November 2017, Brussels.
なお,「Soul for Europe」という名称は,現在は,主に文化的活動を実施している全く別の 市民団体の名称として使用されている。
13) 発足当初は冷戦構造の時代であり,東西のキリスト教会の橋渡しの役割を目的として英国国 教会,正教会,およびプロテスタント諸派の三つの非カトリックキリスト教会から構成された。 14) http:www.comece.eu/(2017年10月18日検索)
15) COMECE の登録団体名は,Commission of the Episcopates of the European Community 16) http://www.comece.eu/article-17-eu-commission-appoints-new-dialogue-coordinator(2017
年10月18日検索)
17) EU は,一連の政策形成から実施までの過程で,EU 職員以外の多くの「専門家(experts)」 を活用している。「専門家」とは個人の資格であったり団体であったりして,また,就任期間 も一定ではない。全ての「専門家」は Transparency Register としてリストに掲載され公開 されている。http://ec.europa.eu/transparency/regexpert/index.cfm 18) 前掲注2)。 19) 英語で secularism という用語は, 日本語では一般的に「世俗主義」 もしくは「政教分離」 のどちらかの訳語があてられることが多く,意味上の区別なく使われる場合がほとんどである。 しかし,厳密には,後者は前者の制度上の在り方の一つの例にすぎず,さらにその「政教分 離」の在り方も国により様々な違いがある。 20) こうした近代の理解にたてば,社会の「近代化」と宗教の衰退は軌を一にするというテーゼ が広く受入れられている。しかし,そのような理解には J.カサノバが強く反論している。彼 は,世俗化には①宗教的制度や規範から世俗的領域が分離分化していく,②宗教的信仰が衰退 していく,③宗教が私事の分野に周縁化されていく,という3つのパラダイムがあり,宗教が 私事と分化した公的領域で果たす役割の重要性を主張し,そのような宗教の在り方を「公共宗 教」と呼んだ。[中島(2014):24―27][Casanova (1994)] 21) 統一的で明確な国教を憲法で定め,教会が全面的に国家の管理下にあるのは,EU 28カ国の なかでデンマーク(福音ルーテル教会)のみである。[Robbers (ed.), (2005)]ギリシア,フ ィンランド,イギリス連合王国も国教として国家との関係が規定されているが,その制度はそ
れぞれの国で大きく異なっており,教会の自由度も高い。[Doe (2011):30―33]
22) ピューリサーチセンターの調査によれば,2010年時点でのヨーロッパにおける宗教の信者数 は,キリスト教徒(74.5%),ムスリム(5.9%),ユダヤ教徒,ヒンドゥー教徒,仏教徒(各 0.2%),その他(0.1%)となっている。実際の第二番目には,特になし(Unaffiliated, 18.8 %) がある。Pew Research Center, http://www.pewforum.org/ 2015/04/02/europe/150b/(2017年10月31日検索)
23) Directive (EC) 2006/123, Preamble [Doe (2011): 238 footnote 11] Directive (EEC) 77/388 [Doe (2011): 238 footnote 12]
24) Decision (EC) 2306/320, OJ L118/9, 13 [Doe (2011): 239 footnote 17] 25) Directive (EC) 2004/83, Act 10(b).
26) 人民民主党(HDP)が,クルド系政党として初めて10%条項をクリアして国民会議に議席 を獲得した。 January, April, Oc-tober 2016. 27) 正確な数字の把握は極めて困難であるが,パージされた人の総計は10万人を超えるという見 方で一致している。 January, 2017, p. 4. 28) 2016年3月18日に,EU は,シリア難民の第一次受入れ国としてのトルコと難民の管理につ いての協力体制の合意を発表した。この合意によりトルコの加盟交渉にも弾みがつくかと期待 されたが,トルコ国民の EU への入国査証の免除を求める要求は未だ解決されておらず,トル コ側の不満は強い。[European Council (2016), EU-Turkey Statement of 18 March, Press Release] 参考文献 臼井陽一郎(2015)『EU の規範政治』ナカニシヤ出版。 宇野重規,伊達聖伸,高山裕二編著(2011)『社会的統合と宗教的なもの』白水社。 遠藤乾編(2008)『ヨーロッパ統合史』名古屋大学出版会。 遠藤乾・板橋拓己編著(2011)『複数のヨーロッパ』北海道大学出版会。 小森田秋夫(2016)「欧州を驚かすポーランドの政変」『ロシア・ユーラシアの経済と社会』No. 1002 所収,25―43頁,ユーラシア研究所。 佐々木毅(2012)『宗教と権力の政治:「哲学と政治」講義Ⅱ』講談社。 ジャン = ドミニック・ジュリアーニ著,本多力訳(2008)『拡大ヨーロッパ』白水社。 ジャン = フランソワ・シリネッリ著,川嶋周一訳(2014)『第五共和制』白水社。 中村民雄(2015)『EU とは何か―国家ではない未来の形―』信山社。 中島岳士(2014)『ナショナリズムと宗教』文藝春秋。 八谷まち子(2012)「トルコの EU 加盟の新たな課題―「アラブの春」,そして……」『法政研究』 第79巻第3号,九州大学法政研究会。 羽場久美子(2016)『ヨーロッパの分断と統合』中央公論社。 森井祐一編(2012)『ヨーロッパの政治経済・入門』有斐閣。 鷲江義勝編(2009)『リスボン条約による欧州統合の新展開― EU の基本条約』ミネルヴァ書房。
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