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技術と経済体制(1)

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技術と経済体制(1)

福  田

敏  浩

工構成要素説  1 ゾムバルトのばあい  2 リッチュルのばあい 豆動的規定因説(以下次号) 皿体舗中立説 IV結びにかえて は じ め に  技術と経済体制とはどのような関係にあるか。本稿のテーマはこの問いに集 約しうる。そして以下の行論は,この問いに対して明確な解答を提出したと考 えられる諸学説を取り上げ,それらの個性を明らかにするという目的をもって 展開される。  従来,経済体制論の分野では技術の問題は種々の角度からさまざまの形で取 り上げられてきたが  もとよりその数は決して多くはないが一,いま先の問い の観点からこれまでの議論を整理してみると,次の三つのタイプを識別するこ とができる。第1のタイプは,立論にさいして技術を重視し,これを経済体制 の基本構成要素として位置づけようとするものである。このタイプの議論は, ゾムバルト(WSombart)とりッチュル(H. Ritschl)をもって代表される。周 知のようにかれらはドイツ語世界に属する経済学者であるが,いずれも経済体 制論史に大きな足跡を残した論者の列に加えることができる。  第2のタイプは技術の態様によって経済体制の型が規定されるとする議論で ある。立論にあたって技術的ファクターを重視するという限りでは第1のタイ プと同様であるが,しかしながらこの第2の議論は次の一点をもって第1のタ

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 42 彦根論叢 第226号 イブから区別される。すなわち,第2のタイプの議論にあっては技術が経済体 制の変型を促進する主因と考えられていることである。言い換えると,技術の 変化に伴って経済体制も一定の方向へ変化してゆくと考えられているのであ る。この意味で技術と経済体制との関係がいわぽ動的に捉えられているといっ てよい。われわれの理解では,このタイプの議論の代表的主唱者はティンバー ゲン(」.Tinbergen)である。後説のとおりかれは体制収敏説(convergence theory) を提唱したが,その中でこのような議論を展開している。最後に第3のタイプ は,上述の両タイプと違って,技術は経済体制の構成要素でもこれを特徴づけ るものでもなく,むしろ体制中立的(systemneutral)なファクター一であるとする 議論である。このタイプの議論の代表的主唱者はタール・・イム(KC, Thalheim) である。かれは現代の西ドイツを代表する体制論者のひとりであるが,後説の ように東西諸経済体制の比較研究を踏まえた上でこのような説を主張してい る。  われわれは,上の三つのタイプの議論をそれぞれ「構成要素説」,「動的規定 因説」ならびに「体制中立説」と呼ぶことにしよう。以下,先に名前を挙げた 論者たちの学説を中心にしてこれら三つの説の特徴を明らかにし,もって技術 と経済体制との関連を考える糸口としたい。

工 構成要素説

 1 ゾムバルトのばあい  (1)ウェルナー・ゾムバルトはドイツ語圏の経済学の歴史に輝やかしい足跡 を残した学者のひとりである。フォン・ウィーゼ(Lvon Wiese)およびシュー        エラ マッハー(H,Schumacher)の評によれば,ゾムバルトは学者としての素質ばか りでなく芸術家としての天分にも恵まれていた。そしてかれはこのような類ま !) L v Wiese, Werner Sombart zum 70 Geburtstage, in, Kb’rner Viertelj−ahrshefte fthr Soziologie, X[ Jg,, !932/33, S. 252., H Schumacher, Werner Sombart, Geden−  krede bei der Trauerfeier am 22. Mai 1941, in, ,Jahrbucher f’ttr AJationaltikonomie  und Statisttk, Bd, !54, 1941, S, !29

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       技術と経済体制 (1) 43 れな才能を遺憾なく発揮して経済学の分野で数多くの業績を挙げた。それば かりではない。ゾムバルトは経済学の枠を超えてさらに社会学および人類学 (Anthropologie)の領域にも歩を進め,これらの領域でも並々ならぬ力量を示し     ビ  たのである。  シューマッハーに依ってゾムバルトの生涯にわたる経済学の研究歴を画する       ヨラ と,次の三つの時期にこれを区別することができる。まず第1の時期は1896年 に公刊された『社会主義と社会運動』(Sozialismus und soziale Bewegung)をも って画される。この時期における若きゾムバルトがマルクス(K.・Marx)に近い 立場をとっていたことは夙に知られたところである。第2の時期は『近世資本 主義』(Der moderne Kap[talismus,1902−27年)の発刊をもって画することができ る。この時期におけるゾムバル】・の関心は資本主義の生成と発展を経験的に跡 づけ,このことを通して資本主義の歴史的個性を明らかにすることに向けられ た。また,かれはこのような歴史的研究をふまえて経済体制にかんするいわば 一般理論の定立にも力を注いだ。その努力の結晶が記念碑的労作ともいうべき 『経済生活の秩序』(D・eOrdnung des Wirtschaftslebens,1925年)の公刊であっ た。この書物は60ページ余の小著であるが,にもかかわらずその紙幅の中には ゾムバルトの多年にわたる予言の成果が凝縮されていて質的に高水準の豊かな 内容を誇るものとなっている。ゾムバルトの経済体制論をみるばあいに必読の 書といわねばならない。最後に第3の時期は『三つの経済学』(Die drei Natlo・ nalbkonomlen,!930年)の公刊をもって画されうる。この時期におけるゾムパルト の主要関心は自己の経済学方法論の定立および経済学の科学的地位の確定に向 けられた。かくてかれは,古今の諸経済学説の批判的検討を通して科学として の経済学の要求に耐えうるのは理解的経済学(verstehende Nationa16konomie)の ほかにはないという結論に到達したのである。  以下では主として第2の時期および第3の時期の論著に依りながらゾムバル 2)Schumacher, a a.0,S.132.シューマッハーによればソムパルトがこのような多  彩な研究をなしえたのはその芸術家的天分のゆえだという。 3) Schumacher, a a. O,S, 131.

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 44 彦根論叢 第226号 トにおける技術と経済体制の問題を尋卜していくことにしたい。  (2)われわれは最初にまず,ゾムバルトにおける技術(Techmk)とは何か, という問題からみていくことにしよう。  ゾムバルトにあっては技術は広狭二様の意味を有している。最広義には技術       4) は,一定の目的の達成に適した一定の方法または手段の体系と規定される。よ り狭義には技術は手段の種類に応じて「器官技術」(Organtechmk)と「用具技        5) 術」(lnstrumentaltechnik)とに区別される。前者は一口でいうと人体の内部にあ る力や能力の錬磨を通して形成されるものである。歌唱術,話術ならびにピア ノ演奏術などがその好例である。これに対して後者は一定の物体,つまり道具 にほかならない。この用具技術はさらに二つのものに区別される。そのひとつ は,一定の目的のために完成された物体を利用する技術である。たとえば,手 術術,飛行術ならびに交戦術などがこれにあたる。残りのひとつは,一定の物 体を生産するための技術である。ゾムバルトはこれを「生産技術」(Produktio・          6) nstechnik)と呼んでいる。  以上の各種の技術の中でゾムバルトが最重視するのは生産技術である。かれ        7) によればこれは本源的な第一次的技術(prlmare Technik)だからである。その 意味するところは,生産技術が他のすべての用具技術の構造を決定するという ことにある。しかるに生産技術以外の用具技術は第2次的,第3次的等々にラ ンクづけられることとなる。たとえば,交戦術や飛行術が利用する道具は特定 の生産技術のみがこれを提供しうる。つまり,大砲の作製,無煙火薬の製造, 4) W. Sombart, Technik und Kultur, in, Archiw fabr Sozialzvzssenschaft und So2− iaJPolitik, Bd, 33, Heft 2, 1941, S 307., W. Sombart, Dentscher Soxtalismus, Berlin  1934,難波田春夫訳「ドイツ社会主義』難波田春夫著f乍集ユ0,早稲田大学出版部,昭  和57年8月,304ペーーシ。 5) ゾムバルトJ『ドイツ社会主義』,304−305ページ。 6)Sombart, Techn・k, a. a O., S 308,『ドイツ社会主義』,305ページ。ちなみに,  このような物を製作する技術とその製作晶を使う技術との区別は,すでにアリストテ  レスにみられる。アリストテレス(村川竪太郎訳),『経済学』(『アリストテレス全  集』第15巻,1969年,岩波書店,所収),427ページ。 7)Sombart, Technik, a. a. O., S.308,『ドイツ社会主義』,305ページ。

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      技術と経済体制 (1) 45 軍艦の建造,爆発式のモーターの発明ならびにアルミニュームのような軽金属 や特殊な絹織物の製造が,ある形式の戦争を可能ならしめたり,貨物を空輸す        きう る可能性を創り出したのである。  また,以上のような生産技術は「経済的技術」(6konomische Technik)でも  の ある。というのは,ゾムバルトによると生産技術において技術現象と経済現象 が交叉するからである。すなわち,経済の根本事実は人間の諸欲求の充足のた めに必要な物財を調達することにあるが,この目的と生産技術の目的はいくつ       ユの かの重要な点で一致するからである。  こうしてゾムバルトのばあい生産技術こそが本心的にして本来的な技術だか らして,その時代の技術状態はこの生産技術によって規定されることとなる。 ところで,ある時代の技術を問題にするさいにはその時代に使用される技術的 方法の総体(とくに生産技術)ぽかりでなく,これらの背後にある一般原則,つ まりこれらを生み出したその時代に固有の特殊な精神にも注意を払わねばなら ない。近代技術を例にとると,これを生み出し,かつ支えてきたのは「有機的 自然の制約からの解放」(Emant・pation von den Schranken der organlschen Natur)       ユ  をめざす合理的精神であった。  さて,われわれの解釈によると経済および経済体制と技術との関連が問題と されるぼあい,ゾムバルトが念頭に置いていたのは明らかに生産技術であっ た。そこで以下では技術という言葉はもつぼらこの生産技術の意味に限定して 使っていくことにする。  (3)次にわれおれは,技術と経済体制との関連を問うに先立って,ゾムバル トにおける経済とは何かという点を明らかにしておかねばならない。       エコ   ゾムバルトによれば経済はひとつの文化領域である。ここに文化領域とは人  8) Sombart, Technik, a a O., S.308,  g) Sombart, Technik, a a. O., S.308. 10) Sombart, Technik, a. a. O., S 308, 11) Sombart, Technlk, a a.0,S.309. !2)W.Sombart, Die drei Nationα1δkonomien, Geschihite und Systenz der Lehre von  der Wtrtschαft, Berlin 1930, S.207.

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 46 彦根論叢 第226号 間(より正確には人間精神)の営為によって創造された領域の謂であり,しかる に「意味」を賦与された領域にほかならない。それは意味を有することをもっ ていわゆる自然から区別される。ゾムバルトはこのような文化領域をさらに次        おう の二つのものに区別する。精神的文化(geistige Kultur)と制度的文化(1nstitut・ ionelle Kultur)がこれである。前者に属するのは観念 価値観科学,芸術な らびに意向などである。これに対して後者は「ある国民が使用しうる秩序,制        ユの 度および組織形態」と規定される。これには次の四つのものが属する。すなわ       ユの ち国家,教会,慣習そして何よりも経済である。制度的文化としての経済の本 質は人間の営む生計配慮(Unterhaltsfdrs・rge)に,すなわち人間が自然との交渉        ユの の中でその生命を保持すべく行なうところの物財の調達にある。この生計配慮 こそが経済をして経済たらしめる本来の意味なのであり,したがって経済をし て他の文化諸領域から区別せしめる基本理念(ゾムパルトはこれを応急の理念」        Idee der Wirtschaftと呼ぶ)なのである。ゾムバルトにあってはこのような経済 の理念は時と所とを問わず一切の経済に妥当する普遍的な理念であると考えら れている。ゾムバルトによればこの経済の理念は次の三つの構成要素から成 エ う る。「経済意向」(Wirtschaftsgesinnung,または主観的精神sub」ekt・ver Geist),「秩 序」(Ordnung)ならびに「技術」がこれである。まず経済意向とは経済活動を 規定する目標設定,動機ならびに行動ルールの総体を意味する。経済活動はこ のような一定の意向もしくは精神によって導かれる理i生的活動なのであり,し かるに主観的にはつねに計画にもとづいて行なわれるのであるが,しかしこの !3) Sombart, Technik, a. a. O,, S. 310. 14) Sombart, Technik, a. a. O., S. 310. ls) W. Sombart, Die Elemente des Wirtschaftslebens, in, Archiw fthr So2ialwissen−  schaft und SozialPolitik, Bd, 37, 1913, S. 43. 16) W. Sombart, Die Ordnung des Wirtschaftslebens, Berlin 1925’,S, !, Sombart,  Die dreiム「ationalδkonomien, a。 a.0., S,207, Sombart, Die Elemente, a. a.0., S.3, 17) Sombart, Die drei Nationalbkonomien, a, a, O,S. 215. ls) Sombart, Die Ordnung, a. a. O,, S. 1, Sombart, Die drei Nationalbkonontie7z, a.  a. o., S. 21s.

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       技術と経済体制 (1) 47 ような活動が社会において行なわれるばあいには主観的計画は客観化を必要と する。人びとの経済活動の方向指示器ともいうべき「客観化された計画」がこ こにいう秩序にほかならない。ゾムバルトによればこの秩序は経済生活の形式 (Form)を成す。最後に技術であるが,これは物財の調達にかかわる方法,す なわち自然の事物を人間の欲求に即した形で加工する方法を意味する。先述の ところがら知られるように,ここにいう技術が生産技術であることは明らかで ある。そしてこのような意味での技術は経済過程の素材(St・ff)を成すと考え     ゴ う られている。  以上から明らかなように,経済の理念ぱ要するに精神,秩序ならびに技術の 三つの柱から成るのであるが,精神的要因の強調とともに技術が生計配慮を特 徴づける人間に固有の物言加工の方法として,したがってこの意味で経済に不 可欠の本質的要素として位置づけられている点がゾムバルトの学説の一大特色 となっているのである。ではなぜ,純経済的ファクターだけを問題とする弘通 の経済学の見地からすれば非経済的要素とみられる技術が経済の理念に含めら れたのであろうか。これを解く鍵はゾムバルトの経済の把握の仕方に求められ ねばならない。それば一口でいうと,経済をばいわゆる非経済的諸要素をも含 む多様の要素から構成される生活現実として全体的に把握しようとするもので ある。ワイペルト(GWe・ppert)の言葉を借りれば経済を「現実的実在」(Rea一        の lwirkhchkeit)として捉えるものである。これに対して弘通の経済学の立場では 経済を他の生活諸領域から区別された固有の領域(ワイペルトのいう「理念的実           在」Idealwirklichkeit)と考えるのがふつうである。  (4)われわれは次にゾムバル1・における「経済体制」(Wirtschaftssystem)を 問題にすることにしよう。経済体制の概念はゾムバルト経済学のキイ・ワード lg) Sombart, Die Ordnztng, a, a O., S 1, Sombart, Dte drei Arationalt;kono”zien,  S, 216, 20) G. Weippert, Werner Sombarts Gestaltidee des IVirtschaftssystems, G6ttingen  1953, S. 32. 21) Weippert, a, a, O., S, 32.

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 48 彦根論叢第226号 のひとつと思われるので,以下ゾムバルトの論述に即しつつこの概念を丁寧に みていくことにしたい。        ラ  先にみたように経済の理念は「時空を超えた理性概念」(raum−und zeitloser Vernunftbegriff)であり,したがって各時代のどの経済にも無差別に妥当する普 遍的理念である。ところが,現実の経済生活はつねに時間と空間に制約されて 存在する。この意味で「一切の経済は,現実的であるとすれば歴史なのであ  う る」。ししかるに,経済の理念は現実にはいつでも一定の歴史的現象のうちに具 体化されて存在するのである。  経済学の主要課題はなによりもこのような具体的経済生活をその歴史的個性 において把握することにある。そのためには(もっぱら経済を他の文化諸領域から 区別する役割を演じる)経済の理念だけでは不十分であって,いまひとつ別の理 念がどうしても必要となる。その理念は種々の具体的な経済事象をいわばひと つの統一的体系へとくくりあげるものでなければならない。ゾムバルトはこの        の ような機能を果す理念を「形成理念」(Gestaltidee)と呼ぶ。  ゾムバルトによれば,この形成理念は「直接,経済それ自体の理念から導出         のされねばならない」。かくてそれは,経済の本質的軽微(つまり基本構成要素)を すべて内包するのでなけれぽならない。そればかりでなく形成理念は同時に具 体的な歴史的状況の中で個々の本質的特徴をばひとつの統一体へとまとめあげ るのでなければならない。ゾムバルトによればこれら二つの要求を満たす形成 理念はひとつしかない。「経済体制の理念」(ldee des Wirtschaftssystem)がこれ    う である。  ここにおいて経済体制の概念内容が明らかとなる。すな:わちそれは「経済史 22) Sombart, Die drei Nationalokonomien, a. a, O., S, 183. 23) Sombart, Die drei Nationalbkonomien, a. a O, S. 183. 24) Sornbart, Die drei Nationalokonomien, a. a, O,, S. 183. 25) Sombart, Die O’・dnzang, a. a.0,S.14, Sombart, Die drei NαオfoπαZδ々。刀。加en,  a. a, O,, S. 184. 26) Sombart, Die Ordnung, a. a. O., S. 14, Sombart, Die drei Ncttional konomien,  a. a O., S, 184.

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       技術と経済体制 (D  49         的記述の補助手段」(H,M611er)としての役割を演じるのであるが,しかしそれ 自体は決して思惟構成物ではなく実在的概念なのである。つまり,経済体制 は,先にみた経済の三つの基本構成要素がそのときどきの歴史状況の中で具体 的に統合化されたものな:のである。したがって経済体制の形状は時代ごとに異 ならざるをえず,この意味でそれは歴史的概念だともいえよう。かくてゾム バルトは経済体制を次のように定義する。 「経済体制は,1. 一一定の経済意向に よって支配され,2.一定の秩序および組織をもち,3. 一一定の技術を使用する,       28) 精神的統一体として把握される経済方式である」,と。ちなみに精神的統一体 (geistige Emheit)はまた「意味統一体」(sinnvolle Einheiのとも呼ばれている。  (5) ゾムバルトは経済体制の各基本構成要素の具体的な諸形態を歴史現実の 観察から収集し,これを「形成可能性」(Gestaltungsm6ghchkeiten)と呼んでい         る。そしてこの形成可能性として次の12対のものを確定している。  A精神(==経済意向)

  工欲求充当原則一獲得原則

  豆伝統主義  合理主義

  皿連帯主義一個人主義

 B形態(秩序および組織)

  1拘束一自由

  ∬私的経済一共同経済

  皿民主主義一貴族主義

  IV閉鎖一一開放

  V欲求充当経済一流通経済

27)H.M611er, Wirtschaftsordnung Wirtschaftssystem und Wlrtschaftssti1, Ein  Vergleich der Auffassungen von W. Eucken, W. Sombart und A. Spiethoff, in,  Schmo99ers Jahrbuch fUr Gesetxgebung, Verwaltung und VolkSTviア’tscnr aft irtZ Debt−  tschen Retche,64 J9.,∬Halbband,1940, S.91. 28) Sombart, Dze Ordnung, a. a. O,S. 14. 29)  Sombart, Die Ordnung, a a. O. S.20, Sornbart,1)ie drei Nattonalbkonomiefz,  a.a. O., S.206−207.

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 50 彦根論叢 第226号   VI個人的経営一社会的経営  C技術(方法)

  1経験的一科学的

  :n:静態的一革命的   皿有機的  無機的  以上の形成可能性のすべてについてここに触れる余裕はない。その一部につ いてはのちにリッチュル説との関連で取り上げることとし,ここでは当面の問 題たる技術の三対ほどの形成可能性にかんして若干の説明を加えておくにとど めたい。  (6>如上の技術の形成可能性は,経済生活の素材(Stoff)の形成の可能性を, 具体的にいうと財の生産および輸送にかんする可能性を示すものである。まず 第1の経験的一科学的の対は,技術の基礎づけの面からする区別である。す なわち,使われる技術はもっぱら経験を拠り所とするか,それとも科学的認識 (法則知)を基礎とするか,である。第皿の静態的一革命的は,技術の運動 面からみた区別である。静態的とは,ある技術の変化がかなりの長い時問(た とえば一世代)を要するばあいをさす。これに対して革命的とは,使用される技 術がひんぱんに変化し,しかもその変化が根本的であるばあいを示している。 最後に第盃の有機的一無機的の対は,技術の使用の面からする区別である。 技術がその目的実現のために生きた有機体(植物,動物,人間)ならびに有機的 な自然の運動プロセス(たとえば水力や風力)を使用するというのが有機的の謂 である。これに対して無機的とは,技術がその目的のために機械および無機物 (鉄鉱石,石炭,蒸気,電力など)を使用するばあいをさしている。  (7)各時代の経済体制は如上の形成可能性の結合から成ることは上述したと おりである。しかしながら,ここで注意すべきことはその結合の仕方である。 先の経済体制の定義にみられるようにポイントになるのは意味的統一一.・L体であ る。つまり,ゾムパルトによれぽ結合はつねに意味あるものでなければならな い。逆にいうと,意味的に両立しえない,互いに排除しあうような諸形成可能 性の結合から成る経済体制は「ウトピー」(Utopie)であってそもそも存在の可

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F       技術と経済体制 (1) 51 能性のないものなのである。「意味ある経済生活の形成可能性があるほどの経         ラ 済体制が存在する」というゾムバルトの発言はこのことを意味しているのであ る。かくしてゾムバルトは意味適合性を基準にして歴史的事実のうちに次の三 つの経済体制を確定した。すなわち,「自給経済」(Elgenwirtschaft),「手工業」       ラ (Handwerk)および「資本主義」(Kapitalismus)がこれである。ここでは紙幅に 限りがあるのでゾムバルトがとくに精力的に取り組んだ資本主義についてだけ その意味的統一のほどを,われわれなりに整理し直して簡単に示しておくと,        きき  次のごとくである。  A精神 工(経済活動の目的)獲得原則,豆(手段選択の態度)合理主義,盃   (経済生活における人びと相互の行動態度)個人主義  B形態 1(経済秩序)自由,]:(受配的な経済主体)私的経済,皿(意思決定   主体の数)貴族主義,IV(社会的分業の度合)開放, V(資源配分方式)流通経   済,VI(経営形態)社会的経営

 c技術 工科学的,五革命的,Ilr無機的

 (8)以上でわれわれは,ゾムバルトのばあい技術が経済体制の基本構成要素 のひとつとなっていることを確定しえたと考える。ただ最後に次の一点をここ に付言しておかねばならない。それは精神と技術との関連の問題である。上述 のとおり,経済体制は精神・形態・技術という基本構成要素の諸形成可能性が 嵐、・わば意味適合的にワンセットとなって体系化されたものであった。そのさい 諸形成可能性をばひとつの統一体へとくくりあげるのは何か,が当然問題とさ れねばならないであろう。ゾムバルトはこの問いに対して明確な解答を与えて いないが,かれの学説を仔細に検討したワイペルトの解釈に従うならば次のよ うにいうことができるであろう。経済体制の統合化原理は精神である,と。こ 30)  Sombart, Die Ordnung, a. a.0., S.!5 31)Sornbart, Die Ordnung, a. a. O. S.21−30.ちなみに自給経済はさらに原始経済,   村落経済(古代ギリシアおよび古代ローマ),オイコス経済ならびに荘園経済に区別   されている。 32) Sombart, Die Ordnung, a a. O., S.,27−3!,

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 52 彦根論叢 第226号 こに精神とはむろん先の三対のものをさすのだが,そのさいこれらは単なる人        きヨ  間の主観的精神ではないことに注意しておかねばならない。ワイペルトによる と,それらは「ある時代の雰囲気を形づくる精神,すな:わち『歴史的精神』,       コ ロ コ     ラ 『共同精神』したがって『客観的』精神」なのである。かくて時代ごとに人び とによって共有されるこれらの客観的精神(つまりは時代精神)こそが「技術」 の形成可能性を,そしてまた「形態」の形成可能性を一定の経済体制へと統合 化するのである。経済体制が精神的統一体といわれるゆえんである。かくてゾ ムバルトにあっては経済体制を根本的に規定するのは(客観的)精神であって 技術でないと考えられているのである。そのときどきにいかなる技術が選択さ れるかはその時代に支配的な客観的精神にかかっているといってよい。では, 具体的には精神と技術はどうかかわるのか。これについてゾムバルトは明言し ていないが,その論述を解釈すると次のようにいえるであろう。つまり,先に みた三対の精神のうち第豆の伝統主義  合理主義の対が技術に直接関連する と考えられる。というのはこの対は手段の使用・選択にかんする行動原則を表 わしているからである。伝統主義のばあいは手段の選択が因襲的であるのに対 し,合理主義のばあいはそれが合目的的であることを示している(ちなみにリッ チュルはこの対の精神を「技術の精神」と解釈し,これを自説の構築に活用しようとして いる。この点については後説する)。かくて伝統主義の精神が支配する時代(たとえ ば自給経済,手工業)には一般に経験的・静態的・有機的な技術が使用される。 これに対して合理主義の精神が支配する近代の資本主義が成立すると,科学 的・革命的・無機的な技術が使用されるところとな:る。 2リッチュルのばあい 学説史的に振り返ってみると, ゾムバルトの学説はその後数多くの論者の思 33) この点についてワイペルトは次のように述べている。「かくてわれわれは,経済意  向の中で主観的精神としての経済意向と客観的精神としての経済意向を区別しなけれ  ばならない。後者のみが経済様式および経済体制に刻印を与えるのである1。Weip・  pert, a. a. O., S. 84. 34) Weippert, a. a. O., S. 83.

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       技術と経済体制 (1> 53 想形成に直接,間接大きな影響を与えた。なかでもここに取り上げるリッチュ ルはゾムバルトからもっとも強い影響を受けた論者のひとりであり,したがっ て当然のことながらその学説は基本的にゾムバルト説を継承するところとなっ ている。以下,技術と経済体制の角度からこのリッチュルの学説に検討を加え ていくことにしたい。  (1)ハンス・リッチュルは新社会主義(Neosozial・smus)の思想系譜に連なる 経済学者として知られる。西ドイツの新社会主義はこの国の戦後の思想界を指 導してきた社会経済思潮であるが,これはまたSPD(ドイツ社会民主党)とも 結んでこの国の政策実践にも多大な影響力を行使してきた。この新社会主義の アヵデミヅクな拠点となっているのはハンブルク大学であるが,リッチュルも この大学の教授としての経歴をもっている。  (2)ところでリッチュルはもともと財政学の出ではあるが,早くから経済体 制問題にも関心を示して1931年にはすでに画期的労作ともいうべき『共同経済 と資本主義市場経済』(Gemeinwirtschaft und kapitalistische Mark亡wirtschaft)を 著わしている。これ以後かれは体制問題への関心をいっそう深め,ことに戦後 はこの方面の研究に精力的に取り組むこととなった。リッチュルの経済体制研 究のテーマは多岐にわたるが,これを整理すると次の三つに集約することが できる。  第1は混合体制の原理的基礎づけである。これにかんする議論はすでに先の !931年の著書で展開されている。この中でリッチュルはどの経済秩序も共同経 済と市場経済とから成る混合秩序であるという見解を披歴している。かれはそ の後このような考えに彫琢を加えてゆぎ,やがて人間の存在性から混合体制を 根拠づけるという独得の方法を編み出した。すなわち,かれは人間の存在特性 をば個人的存在であると同時に社会的存在であることのうちに見出し,このニ       ヨらう 重の存在性から市場経済と共同経済の混合化の必然性を根拠づけたのである。 リッチュルはこのような混合体制論をみずから「原理的二元論」(grundsatzlicher 35) H Ritschl, Die Grun.dlagen der Wirtschaftsordnung, Tinbingen 1954, S. /47−  148.

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 54 彦根論叢第226号       ラ Dualismus)と名づけている。  第2は経済秩序にかんする形態論的装置の構築である。リッチ=ルは「具体       ラ 的な諸経済秩序を分析しうる道具を開発する」という意図をもって包括的な形 態論的装置を樹立した。その概要についてはのちに譲ることにして,ここでは さしあたりこのような装置を生み出したりッチュルの方法論について一言して おかねばならない。かれは自分自身の理論を「構造分析的理論」(strukturanaly一         tische Theorie)と呼んでいるが,これは要するに歴史的経験的な理論にほかな らない。かれによればこの理論は類型化的方法(typisierende Methode)をもっ て特徴づけられる。これは,経済世界における同種の多数の形態,事象なら びに経過に共通してみられる特微を「経済型」(Wirtschaftstypus)として構成し ようとするものである。この経済型は現実の模写でないという意味で観念的 (idee11)であるが,しかしフィクションではなく同種類のi数多くの具体的事例         にかかわるという意味で現実的(rea1)である。のちにみる精神ならびに形成 形態にかかわる諸形態はこのような意味での経済型である。  第3は経済体制の変動の問題である。ここに経済体制の変動とは,ある体制 から他の体制への移行,つまり体制問変動をさしている。こうした体制問変動 の問題を扱うにさいしてポイントになるのは,体制の移行をもたらす動因は何 か,である。これについてリッチュルは独得の答えを提出した。すなわち,人 間精神がこれである。かれによれば,人間精神の特質は現状に満足することな くたえずこれを超克していこうとするところにある。言い換えると,「否定か 36) Ritschl, Die Grundlagen, a. a. O., S. 148., H. Ritschl, Wandlungen im Objekt  und in den Methoden der Volkswirtschaftslehre, in, Sehmollers J読rろuch fur  Gesetzgebung, Verzvaltung ornd Volksxvirtschaft im Deutschen Reiche, 67 Jg., I  Halbband, Heft 6, 1943, S一 9, 37)H.Ritschl, Wirtschaftsordnung, in,魚ノz幽∂rterろ励der So2ialxvi∬召ノz56肋.伽箆,  Bd. 12, 1965, S. !93. 38) Ritschl, Die Grzandla.ffen, a. a, O., S. !46. 39) H. Ritschl, Theoretische Yolksxvirtschaftslehre, Erster Band, Grztndlagen und  Ordnungen der Volkswirtschaft, Tiibingen 1947, S. 108−109,

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       技術と経済体制 (1) 55     の ら否定へ」(von Antithese zu Antithese)創造的に突き進んでいくところに人間 精神の人間精神たるゆえんがあるのである。かくて人聞精神と現存の社会経済 秩序ならびにこれを支える支配的理念との創造的緊張関係から次の時代を担う 新しい理念が生まれ出て,これによって新しい社会経済秩序が創造されること になるのである。以上よりしてもりッチュルはことのほか精神的ファクターを 重視していることが知られるであろう。  上述の三つのテーマは互いに密接に関連していることはいうまでもないが, 以下では第2の形態論的装置の構築に焦点を絞ってリッチュルにおける技術と 経済体制との関連を究明していくことにしたい。  ⑧ そこでわれわれはまず,リッチュルの学説のキイ・ワードたる「経済秩 序」(W・rtschaftsordnung)の概念内容を明確化する作業から始めることとしよ う。  経済秩序にかんするリッチュルの論述を仔細に検討すると,かれはゾムバル トと同じく経済を「現実的実在」として,つまり多様な諸要因から成る生活現 実の全体として把握していることが分かる。しかも注目すべきは,リッチュル がこのような経済生活の全体を秩序あるものと考えていることである。この秩 序ある経済生活の全体こそがまさしく経済秩序なのである。リッチュルの表現 を移せば,経済秩序は「経済の絶対的カテゴリーではなく」,「時代ごとに,ま た国ごとにさまざまの形で形成され,したがって歴史的にさまざまに形づくら  41) れる」。この意味で経済秩序はまずなによりも歴史的かつ実質的な概念なので ある。そしてその経済秩序は,そのときどきに支配する主観的精神が客観化さ れ具体化される人間生活の一部分領域であり,さまざまの基本形態ならびに諸         要素が意味的に統一された「意味構成体」(Sinngefuge)である,と定義されて いる。この定義からしてリッチュルの経済秩序は結局はゾムバルトの経済体制 40) Ritschl, Die Grzandlagen, a. a. O,S. 99−100. 41) Ritschl, Wirtschaftsordnung, a. a. O,, S. 190. 42) Ritschl, Die Grundlagen, a a, O,, S. 146, Ritschl, Wirtschaftsordnung, a. a O.,  S. !92.

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 56  彦根論叢 第226号 に等しいことが知られるであろう。  ちなみにリッチュルは経済秩序とともに「経済体制」(Wirtschaftssystem)という概念 をも多用している。が,結論をいうと,その内容は経済秩序に等しいといわねばならな い。というのは,経済体制は第1に対象それ自体の中に存在しており,したがってそれは 発明されるのではなくて発見されるべき実質的体制(materiales System)であること, 第2に「意味統一体」であること(これはゾムバルトの定義と全く同じである)をもって       43) 特徴づけられるからである。しかしながら,概念の広狭という観点からみると,経済秩序 と経済体制は全体と部分の関係に立つばあいがありうる。リッチュルは経済体制を「共同 経済」と「市場経済」に区別する。前者は経済生活がひとつの統一的な意思によって指導 される「目的構成体」(Zweckgebilde)をもって,後者は複数の個別経済が分業と交通に       44) よって互いに結合された「作用構成体」(Wirkungsgebilde)をもって特微づけられる。 リッチュルによれば,共産主義の全体的共同経済のごとき一元的秩序が支配する特殊なヶ       45) 一スに限って経済秩序と経済体制は一致する。しかしこれ以外のばあいにはすべて経済秩 序は共同経済と市場経済とから構成される。すなわち,このような通常のばあいには経済 秩序:と経済体制とは全体と部分の関係に立つのである。  (4)われわれは次に,経済秩序の構成を問題にしなければならない。リッチ ュルは先述の類型化的方法をもって現実から構成要素を拾い上げているが,そ れらはおびただしく多数かつ多様である。紙数に限りがあるのでここではその        46) アウトラインだけを示しておくにとどめたい。

 A原理

  ①社会の精神……社会的意識の原則社会的意思の原則 43) Ritschl, Theoretische Volfeswirtschaftslehre, a, a. O., S. 114, Ritschl, Wirtschaft−  sordnung, a. a O., S. 189. 44) H. Ritschl, Die Prinzipien der Genieinwirtschaft, in, W. Weddigen (Hrsg.),  Untersuchttngen xitr soxicelen Gestagtztng der ;」[firtscJtaftsorclnztng, Berlin 1950, S 2 45) Ritschl, Dte Grorndlagen, a. a, O,, S. 148, Ritschl, Wirtschaftsordnung, a a. O,,  S.igO リッチュルによれば現実には共産圏諸国においても純粋かつ完全な共産主義  体制は存在していない,という。 46) Ritschl, Wirtschaftsordnung, a a O, S, 193−196.

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       技術と経済体制 (1> 57   ②技術の精神……経験的∼科学的,伝統的一実験的   ③経済の精神……経済動機,経済倫理,経済原動

 B形成形態

  ①社会の形成形態……結合の形態集団形成の形態   ②技術の形成形態……担い手による類別,使用原料による類別,動力による類別   ③経済の形成形態……経済の秩序構成体計画形態分業形態,所有形態,経営    形態および労働形態,物的および人的交通形態通信形態,企業形態,団体形態,    市場形態,価格形態,貨幣形態,通貨制度,信用形態銀行形態.取引形態,保    険形態,対外貿易形態,所得形態,公経済の形成形態  この形態論的装置を一見しただけで容易に知られるように,リッチュルは基 本的にゾムバルトの学説を踏襲しているといえよう。そればなによりも「原 理」に端的に反映されている。すなわち,リッチュルの「原理」はゾムバルト の「精神」にほかならないのである。ゾムバルトは先のように「精神」として 三対のものを呈示したが,リッチュルはこれらの意味をとって,ゾムバルトの A−1を「経済の精神」(Ge:st der Wirtschaft), A  皿を「技術の精神」 (Gelst der Technik)およびA一亜を「社会の精神」(Geist der Gesellschaft)と しているのである。一方,リッチュルの「形成形態」(Gestaltungsformen)はこ        るの れらの精神が具体化され一定の形をとって実現されたものと考えられている。 そしてまたこの形成形態も結局のところゾムバルトの「形態」および「技術」 に対応するものなのである。以上よりして,り.チュルぱゾムバルトと同様精 神的ファクターをことのほか重視していることが知られるであろう。  (5)リッチュルにあっては技術が経済秩序の構成要素であることは如上の形 態論的装置から明らかであり,この点についてこれ以上論じる必要はあるま い。むしろわれわれのテーマからしてここで問題とすべきFは「技術の精神」な らびに「技術の形成形態」の内容である。  が,この点に立ち入る前に次の一点をここに指摘しておかねばならない。そ れは,リッチュルにはそもそも技術とは何かという問い掛けが欠如しているこ 47)Ritsch1, Wirtschaftsordnung, a a O,S193

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 58  彦根論叢 第226号 とである。つまり,われわれの知るかぎりかれにはゾムバルトと違って技術そ れ自体にかんする論述が見当らないのである。したがって,当然のことながら リッチュルが技術そのものをどのように捉えているかは直接知ることはできな い。だが,ゾムバルト説との文脈からしてリッチュルはゾムバルトと同様の技 術観あるいは少なくともこれに近い考えを抱いていると解するのが自然であろ う。したがって,われわれはりヅチュルのばあいにもゾムバルトの意味での生 産技術が問題とされているとみたい。  さて,「技術の精神」についていうと,そのなかの経験的  科学的の区別 はゾムバルトの「技術」の1.経験的一半学的に対応することは明らかであ る。いまひとつの伝統的一実験的の区別についてリヅチュルは何も説明して はいないが,その意味を解釈するとそれはゾムバルトの「精神」の]1.伝統主 義一合理主義に相当すると考えられる。なお,ゾムバルトの「技術」には1[II. 静態的一革命的の対があったが,リッチュルはこの区別を不適当としてその 「技術の精神」および「技術の形成形態」から除外している。というのは,か れによれば静態的というのはある状態をいうのであって技術にかんする「原 理」でも「形成形態」でもないし,また技術はその本性からしていわゆる自然        うと同じく(自然は飛躍せず♪「進化的」(evolutionar)だからである。  一方「技術の形成形態」についていうと,如上の形態論的装置にみられるよ うに,これはさらに「担い手」,「使用原料」,「動力」ならびに「労働手段」に 従って細分類されている。そのうちまず「担い手」による分類はリッチュルも        明言しているとおりゴヅトル(Fv. Gottl−Ottlillenfeld)に由来する。また,わ れわれのみるところでは「使用原料」および「原動力」に従った類別の視点は        ヨの ゾムバルトにもあるといわねばならない。形成形態の細分類について簡単に述        ちの べておくと,次のごとくである。 48) Ritschl, Die Grzandla.cre7i, a a O,S 153, Anm, 126. 49) Ritschl, Die Grwzdlagen, a a, O,S. 153 50) ゾムバルト,『ドイツ社会主義』,310ページ。 5!) Ritschl, Wirtschaftsordnung, a, a. O,S !93−194.

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       技術と経済体制 (1) 59  まず「担い手」によって類別されているのは,原始技術(Urtechnik),部族 技術(Stammestechnik),手工業技術(Handwerks亡echnik)ならびに近代職業技術 (moderne Berufstechnik)である。次に「使用原料」に従って類別されているの は,有機的原料,無機的原料(これらはゾムバルトの「技術」の皿有機的一無機 的の対に合致する)ならびに合成的(synthetisch)原料である。  さらに「動力」を視点にして人力,畜獣力,風力,水力,重力,蒸気力,電 力,爆発力ならびに原子力が分類されている。これらのうちのいくつかはすで にゾムバルトも指摘したとおりである。最後にリッチュルは「労働手段」に応 じて原動機および全自動化装置なしの,ならびにそれらの付いた工具および工 作機械を区別している。  ⑥ 再三にわたって指摘したようにリッチュルの学説は一口でいうと精神重 視をもって特徴づけられるが,そのさいこの精神は一リッチュルは主観的精神 (sub」ekter Gelst)という用語を使っているが  ,そのときどきに支配する時代精 神の謂であり,したがってゾムパルトのいう客観的精神に等しいといわねばな らない。このような精神として「社会の精神」,「技術の精神」ならびに「経済 の精神」が考えられたことは上にみたとおりであるが,そのうちリッチュルが もっとも重視するのは「社会の精神」である。これは.ヒ述のとおり「社会的意 識の原則」と「社会的意思の原則」とに二分されている。前者は各人がみずか らを個人として自覚するか(個人主義)それとも社会全体の部分と意識するか (社会主義)にかかわる原則であり,一方後者は社会経済的意思決定の主体が 1濁虫か(中央機関)それとも多数か(諸集団および個別経済)にかかわる原則であ ドお  る。これらを通して問題とされているのは要するに,個の原理が優位するかそ れとも全体の原理が優位するかなのである。前者のばあいセこは市場経済が,後 者のばあいには共同経済が前面に出てくる。このような意味で「社会の精神」 がそのときどぎの経済秩序の態様を根本から規定するのである。  このようにみてくると,リッチュルにあっては「技術の精神」はなるほど経 済秩序の主要な構成要素ではあるが,しかし「社会の精神」ほど重:視されては 52)Ritsch1, Wirtschaftsordnung, a. a. O., S,193.

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 60 彦根論叢 第226号 いないことが明らかになる。ちなみにこの点にかんしてリッチュルは次のよう な刮目すべき発言を行なっている。すなわち,現代では「東西における経済秩 序の構造には大きな開きがあるにもかかわらず,両秩序内での生産技術の状態 はほとんど同じである。そして今日もなお,近代的職業技術は『遍在する』と        お  いうフォン・ゴットルの命題は妥当している」と。この引用文よりしてリッチ ュルにあっては技術は現代の諸経済秩序間に差異をもたらすファクターではな いと考えられていることは明白であろう。このような見解はのちにみるタール ハイムのそれに通ずるものがある。  (7)以上ゾムバルトとリッチュルを中心にして構成要素説をみてきたが,こ れはかれらに限られるのではなく,これら両名のほかにもこの説を唱えている 論者がいないわけではない。一例を挙げるとシュピートホフ(A.Sp・ethoff)が そうである。かれもりッチュルと同様ゾムバルト説の線上に立って「経済様式」 (Wirtschaftssti1)にかんする包括的な学説を展開している。シュピートホフに よれば経済様式は多様な要因から構成される。いまその結論だけをごく簡単に        らの 示しておくと次のごとくである。1.経済精神(Wirtschaftsgeist),2.自然的お よび技術的基礎(naturllche und technische Grundlagen),3,社会体制(Gese】1sc・ haftsverfassung),4.経済体制(Wlrtschaftsverfassung),5.経済経過(Wirtscha・ ftslaut)。これらから明らかなとおりシュピートホフのばあいにも技術が経済様 式(これはゾム・ミルトの経済秩序に等しし・)の構成要素として位置づけられている が,その技術についてかれが指摘しているのはゾムバルト流の有機的一無機 的の区別だけである。 53) Ritschl, Wirtschaftsordnung, a a O, S, 200. 54) A Spiethoff, Die allgememe Volkswirtschafts!ehre als geschichtliche Theorie,  in,5’chmollers Jahrbuch fz彦r Gesetzgebung, Verwaltztng und Volfeszvii−tschaノ}躍  Deertsclten Reiche, ll Halbband, 1932, S 76ff

参照

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