アマゾンにおけるアヴィアtドと産業組合
西
藤
雅
夫
さきに︵本誌、七八号︶私は、アマゾニアの経済を支える特殊の取引制度アヴィアード︵四≦巴。︶が、採集産業に古くから ジユ ト 成りたち、それが農業部門で、黄麻︵真日︶の生産にも拡げられていることを述べた。そしてその際に、 いわば経済以前 の状態では、このアヴィアードは、アマゾニアの自然を、資本主義経済につなぐために必要であったとしても、それが進 んで、定着の農業にまで及ばざるを得なかったのは、いかにアマゾニアの自然が、広大できびしいものであるかの証左に ほかならぬことを、説いたのである。 ピメンタ ところが、このアヴィアードは、さらにもヶ一つの定着農業であり、しかも産業組合の形をとって経営される黒胡椒 ︵Oぎ①馨鈍飢。︻Φ曹。︶の生産にも、少くともその精神が行きわたっている。そのことについて、多少ふれはしたが、その詳 細侭わたっては、別の機会を期したのである。そこで本稿では、それをとり上げて、アマゾニア経済の本質をさらに明ら かにしながら、今後の開発の問題点の足がかりを得たいと思う。すでに述べたように、ブラジルにおけるピメンタの生産 は、トメ・アスー︵日。ヨ。﹀塩︶の日本人植民地で開始され、それが発展して、今日の産業組合の組織をとることとなっ た。そこで、しばらく、この植民地開設の歴史から、説き起さねばならなくなる。 .アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一三三 匹アマゾンにおけるアヴイア;ドと産業組合 二二四 二 さてトメ・アスー植民地の開設は、一九二九年に遡る。これよりさき、一九二六年、鐘淵紡績株式会社の出資により、 同社取締役福原八郎氏を団長とする、アマゾニア調査団が組織されたが、一九二八年、同社を背景とした南米拓植株式会 社が創設され、パラー︵男ρ。感︶州政府との間に結ばれた、アカラ︵︾8誌︶地方の五十万町歩と、 州内で選択し得る他地方 の三ヵ所、合計百万町歩の土地の開拓が行われることとなった。 新設されたこの南米拓植の定款によると、同社は、 ﹁海外において開拓事業を営むことを目的とし、これに関連した商 工業を営み、とくに日本内地よりの移住により、土地の売買・管理・経営を行う﹂こととせられている︵第一条︶。しかし その本体は、バラー州政府の提供にかかる、これらの地域を開拓することにあったのは、いうまでもない。かくして、首 都ベレーン︵bd巴似白︶からアカラ河を約一五〇キロ遡つたこのトメ・アスーを、植民地の本部とし、ここに港を構築したの である。 ここで注意すべきは、南米拓植が、直接に現地で仕事をしたのではない。すなわち同社は、.一九二九年、資本金四、○ ○○、○○○クルゼイロスのブラジル法人コンパニア。ニッポニカ・デ・プランタソーン・ド・ブラジル︵O。ヨ冨コ窪四 ㌶営ロ㎞B曾霊智富職。α○ゆ霧6を設立し、右の州政府との契約を、すべてこれに代行せしめた。そして、さきの百万町歩 については、アカラ河流域のみを選択する代りに、ここに六十万町歩の、そして別にアマゾン本流をベレーンから約六〇 〇キロ遡つた北岸の地、モンテ・アレグレ︵ζ。コ8≧ΦσqH①︶に四十万町歩の、それぞれ州有地の無償交付を受けることとし たのである。 さてトメ・アスー植民地は、開妬の苦難を、そ菜の栽培から始めた。もともとブラジル人は、そ菜を利用することが少
<、当時わずかに十数万の人口を擁したベレーンの他に、都市というべきものがなかったこの地方で、市場の開拓は決し て容易ではなかった。その仕事に、このトメ・アスーの移住者たちはとり組んだのである。 そこで、一九==年、野菜組合が設立された。この間、アマゾニアの風土のゆえに栽培不可能といわれた多くの種類の ぞ菜をつくり上げ、その消費をベレーン市民にひろめたが、その功績は決して小さいものではない。そして他方では、米 作と、永年作物としてのカカオの栽培とに主力を注いだのである。 コロヨノ この頃の開拓は、すべてコンパニア・ニッポニカの直接経営で行われ、移住者は、その雇用者︵ooδロ。︶であったが、作 物に適種を得ることがきわめて困難で、経営が破局に直面したため、ついに争議が起った。その結果は、植民地の自治経 営と、組合の強化という解決策で落ちついた。すなわち、さきの野菜組合は、産業組合として改組せられ、ニッポニカの 実際の経営は、組合による取引以外の商事に限定されることとなったのである。 ところで、一九四二年一月、対日国交断絶が宣せられると、トメ・アスーは、アマゾニア全域にわたる日独両国人の軟 禁地となった。そして、ニッポニカは、ブラジル政府によって没収され、パラー州政府の管理下に置かれ、産業組合はその まま州の経営、すなわちトメ・アスー州立植民地管理部、つまりいわゆるセッタ︵O.国・目.﹀.1⊥0。ぎげ国劇巴昌箪号門。琶ω ﹀窓︶による管理に移されることとなった。 これが、戦争終結に至るまでの、トメ・アスー植民地のおよその歴史である。そして、その前期は、ニッポニカと農民 雇用者との間の抗争の.暗黒時代であり、その後期は、セッタのもとにおける受難時代であったといえる。いずれにしても この両期を通じての十五年間は、言葉につくしがたい荊棘の連続であったが、雇用者たちは、この半期を﹁捕虜時代﹂と 呼んでいる。それぞれ異った意味で、その苦難は想像を超えるものがあったのである。 アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一三五
アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 ;⋮六 三 さて、戦争の終結を見ても、右のセッタによる管理は、依然つづけられた。とくに、生産物の販売と肥料その他必需品 の購買とが、セッタに握られたままでは、市場から遠いこの植民地の開拓は、きわめて不利な条件に置かれ、経営は全く 梗塞の状態にあった。その頃、ピメンタがようやく主要産物となって来たが、その価格はつねにベレーンの相場を大きく 下廻っており、これをいかに打開するかが、植民地経営の鍵であったのである。 そこで、一九四六年三月、アカラ農民同志会が結成せられ、その名をもって、セッタとの交渉が開始された。そして、 その第︸は、組合による船舶の所有に、その第二は、取引に関する権限を組合に返還せしめることに、それぞれ置かれた のである。 もともとこの植民地が接しているアカラ河は、主要産物であるそ菜やピメンタを、最寄りで最大の市場たるベレーンに 運ぶ唯一の通路であるが、その場合、植民地みずから船舶を所有することは、取引を円滑にし、市価を有利にするために 響くことができない。しかし、セッタの管理のもとでは、それが放置されており、公共の貧弱な船舶に頼るほかはなかっ た。そこで同志会は、まずこの船舶の建造に着手したのである。 それとともに、同志会は、州当局に対して、戦時中に没収せられた購買・販売の取引権を、組合に返還されることを求 めた。かくして、ベレーンに至る水運と、植民地内における﹁般運送は同志会の、そして、生産物の統↓販売・必需品の 仕入と配給とは組合の、それぞれの手で行うという﹁応の制度が、ここに整ったのである。 その後、同志会が、右の水・陸両運輸を組合に移管し、同時に組合は、公認の産業組合として改組せられた。一九五〇 年のことである。かくして、トメ・アスー植民地経営の↓元化について、産業組合主義が確立し、組合鳳、トメ.アスー
農業協同組合︵通称トメ・アスー産業組合︶︵O。。需巨霊﹀σqコ餌。訂罫ω欝αΦ日。ヨ①﹀息 O.諺・ζ日︸︶として改組せられた のである。 この頃、さきのピメンタの生産は、いよいよ増大して、アマゾニアの主要産業たる地位を確立したが、これは、一九五 二年頃から急騰した市価に幸いされたことも、見逃し得ない。いまやトメ・アスー植民地と、ピメンタの生産と、この産 業組合との三者は、全く切り離しがたい関係に結ばれることとなったのである。そこで、しばらく、ピメンタのことにつ いて、その過去をふり返ってみよう。 四 さてピメンタは、南印度海岸の原産とせられているが、これにいくつかの代用品があって、ベレーン付近の在来のもの は、その一つといわれる。それが、十余年の研究と苦難との後に改良せられたものが、今日のトメ・アスーのピメンタで あり、逆にベレーン近郊において、在来のものを駆逐したのである。 トメ・アスーにおけるピメンタの改良は、たまたま一九三三年、シンガポールから二十本の苗木が持ち込まれ、この地 の南米拓植の直営農場に植付けられたことから始まる。もっとも、本社の主脳者の中には、開拓当時からこれに着目して いた事実があるので、はからずも、それが実現されたわけである。しかし、この栽培は、結局成功を見ることなく、苗木. が活着したのは、せいぜい二、三本にすぎなかった。 その後、この直営農場が閉鎖されるや、その苗木の譲渡を相ついで受けた二人の篤農家の努力が、数年にわたって続け られた。しかし、一方では病害と、他方では技術の不十分とのため、見るべき成果がなく、またその他の移住者も、生活 にほとんど余裕がなかったので、将来におけるピメンタの有望に気づいていたにしても、その栽培にふみきることができ アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一三七
アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一三八 なかった。 もともとピメンタは、その管理について複雑な要素が作用し、科学的な原則が十分に見究められていない。そういう点 で、一般農業とは異って、むしろ園芸に近い性格をもつといわれる。管理の如何によっては、収量に数倍の開きを示すの である。トメ・アスー植民地では、その後多くの栽培者が、めいめいの経験にもとづいて、かなり高い収獲を挙げる段階 に至ったが、それでもまだ、技術の定説を見出すまでになっていない、ということである。 いずれにしても、初期における少数のひとびとの労苦の結果は、ピメンタの栽培について、一般の注意をひきつけるこ とになった。ときあたかも、戦後のインフレーションと、世界市場の好況とに刺戟されて、トメ・アスー植民地は、ほと んどピメンタの一色をもって塗りつぶされる勢いとなり、アマゾニアのみならず、ブラジルの産業界にも、いわば慧星的 存在を示すに至ったのである。 このような状況のもとで、トメ・アスー植民地への移住者は、次第に増加した。すなわち、戦後の移民再開以来、いっ たん他地方に入植した者までも、ここに定着の地を求める傾向が現われたのである。ピメンタの成功を見るまでに、退耕 者が相ついだこの植民地は、以前にもまさる入植者をもって、急激にふくれ上った。アマゾニアの日本人移住者が、まだ 十分な社会を形づくっていない中で、この植民地は、特異で大きな集団を形成することとなったのである。 ところで、この集団を支える組織は、いうまでもなく産業組合であるが、その組合の運営は、右のような急激な入植の もとでは、決して容易なわざではなかった。すなわち、増産を裏づけるべき資金の調達について、金融市場のせまいベレ ーンだけでは、いくたの障害にぶつかったし、販路の確保については、南伯︵サン.パゥロ市及びその近郊︶にこれを求め ざるを得なかったのである。 もともと、ピメンタの世界市場はきねめて広く、インド、インドネシア、ボルネオ、インド・シナ、サラワクなどが主
要生産地であり、セイロン、ブラジル、タイが、これに次いでいるひこれら諸国の全生産量は、だいたい五∼九万トンの 間を往復しているが、そのうちブラジルは、五、○○○トンに満たない。しかもその大部分が、このトメ・アスー植民地 によって占められ、さらにその大部分は、産業組合の組合員の手にかかっている。 さて、専門家の意見によると、ピメンタの一国の生産量が、世界総生産量の六分の一を占める段階になると、その国の 生産が、世界市場を動かし得る勢力をもつことになるという。そうすると、ブラジル、具体的にいえばアマゾニア、そし てとくにこのトメ・アスーが、一万トンの生産を挙げることになれば、価格の操作や、栽培の計画について、かなりの見 とおしがっくことになる。いまのところ、産業組合は、この生産量に向ってすべての力を集中する、ということに置かれ ているのである。 このようにして発展したトメ・アスー植民地は、いまや完全にピメンタの生産によって支えられている。いま、過去十 余年のその推移を見ると、次の如くである。 第一表
年度
︷九四七 一九五〇 一九五三 一九五五 一九五六 一九五八 一九五九 トメ・アスー産業組合員生産高・売上高 組合員数 五八 五九 六五 七八 一〇三 一七六 一八六 。ヒメンタ生産宣里 屯 二一、〇六五 六九、三三八 四六五、○○○ 八○○、○○〇 一、一一〇〇、○○〇 二、三〇〇、○○〇 二、三〇〇、○○○ アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 ピメンタ売上高 クルゼイロス 五五、〇六六 一、四八四、六七八 二〇、三五〇、〇七八 二六、六一四、六七六 一〇七、六七二、五,七五 五七、二〇一、一四九 一五四、九七六、七八八 一三九 \ その他売上合計 クルゼイロス 四九五、七一七 二、九四一、〇一二 一二、〇五〇、〇五一 二六、六八一、九八六 一〇七、八〇七、一九四 五七、四八二、八三四 ︷五五、〇七七、七五二アマゾンにおけるアヴイアードと産業組A口 一九六〇 二〇九 二、八○○、○○○ 註 一九五八年度の売上高減少は、前年以来の相場暴落による。 なお、この数字に見合うべき組合員の営農状況は、次の如くである。 第二表 組合員営農状況 ︵一九六〇年︶ ︵永年作物︶ ピ メ ン タ
成 木
新 木
ウ ル ク ー カ カ オ カ フ ェ ーグァラナー
シザール麻
ミカン ・果樹 採 草 地 ︵短期作物︶ 陸 稲 トーモロコシ マンジォカ薯落 花 生
六四八
二八〇二
二八六一
2
天六_』二6 面
三五九三四一七〇
・ 。 ・ ・ ・ … 町○〇三八五五八○歩 積
本 数 本 五八二、八○八 三五五、九四八 四一、一〇〇 一七、五〇八 七一六 六九、三九〇 一、八○○ ︵牧穫︶ キログラム 三三三、四八〇 一八、五〇〇 一〇五、一〇〇 一四〇 金 額 備 クルゼイロス 四二八、二〇九、五〇〇 九三、○○〇 一五八、○○○ 二、○○○、八八○ ]四八、○○○ 八四〇、八○○ ︵CAMTA 発表による︶ 考 ︵市価低きため現在牧穫せず︶ ︵自家用︶ ︵ピメソタ園敷草用︶ ハCAMTA 発表による︶アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 第三表 組合員実態調査 ︵一九六〇年五月現在︶ 人 口 一、二四〇 ︵内、男六五四、 使用労働者
家畜類
農業機械類日 本 人
ブラジル人
牛 馬 豚 鶏 ト ラ ッ クトラクター
牽 引 車
耕 作 機﹁地ならし機
乾 燥 機
脱 粒 機
精 米 機
一七四 一、 七六 三〇 八 八六三 七、四九三 九二 一一五 一〇七 六四 五一 四三 九六 三三鉄 船
工所 舶
揚水設備 発電設備建築物
脱 穀 機 電 動 美 住 宅 倉 庫 車 庫 作 業 場 日本人雇用者住宅 ブラジル人雇用者住宅 個 人 組 合 三八 一六〇 五五 ⊥企 一八三 一五八 六六 ;二 一二九 四八四 二 三 一 ︵CAMTA発表による。前表と重複の部分を省く。︶ 一四一 女五八六︶ 五 右で、トメ・アスー産業組合のおよその現況を、説明した。そこで次には、噛この産業組合が、アマゾニア経済の本体た るアヴィアードといかに結びつくか、そのことの次第を考察したい。 さきに、組合に関する二、三の統計を示したので、ここで、もう一つ としよう。 二つの数字を掲げて、そこから論議を始めること資産
一、流 当 内 アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 第四表 トメ・アスi産業組合貸借対照表の部
共
一一一;
機建土
内
内耳
内当固 そ 流
∵両脚講:ll
定金定用金買 料品 金金金
品
(一 繻ワ九年末︶ 一九、九八九、三三五 一四、四三九、六四〇 九、〇四一、四六八 七二四、九四三 一、四三一、六四五 二、〇九一、八二四 五二、四三〇、三八九 三六、二四五、○○八 六、八○八、三五七 五、六八九、五五九 五三、一一九、二〇五 四六、五六九、四九五 一、一九六、四五四 二、三九一、五九五 七五〇、一二〇 八二六、五〇〇 一、三四二、七= 二一一、二九五、九七四 五一、八一三 五、七一〇、二七六 一、五五六、〇六三負
内’債
蝶篤1嬉
払勘
。㌔債
金金金定金金.金形
二三
合勘
り未払
受 本組合員出資金
利益剰余金
当期剰余金
一四二 ︵単位クルゼイロ︶ 一〇七、四六一、五一九 二、九七七、三九五 二、六〇七、三五穴 八、三六八、 一一五 二六七、 一五五 八、四九五、四六五 六三、七六八、六九八 五、二四八、一七八 一五、○〇五、一三八 四七七、八二八 二五、八二三、六八九 一五、九三三、九〇〇 三四三、四六〇 九、五四六、三二九 ノ、 器車:船
計具
備
品輔舶
11
合 =三二、
合計 二二三、二八五、二〇八
﹁︵CAMTA発表による。いずれも主要項目のみを掲げた。クルゼイロ以下四捨五入︶ さてブラジルには、産業組含と称するものが、大小さまざまおよそ三、○○○以上もあろう。そのうちで、南伯では後 に述べるコチア︵O。8①寛ぎ﹀σq﹁§冨冨一鋒﹄①9g O.﹀曾ρ︶が、そして北風つまりアマゾニアではトメ・アスーが、そ れぞれ代表的なものと考えられる。したがって、アマゾニアに、おける産業組合を論ずるときには、当然に、コチアと対 比して考察を進めねばならないであろう。 ﹁アマゾンはブラジルでない。﹂という考え方があることは、すでに述べたが︵本誌、前掲︶、それほどにアマゾニアはへ いろいろの点で南伯と異ったものを持っている。そしてそのことは、トメ・アスー産業組合にも、明らかに見られるので ある。それは、後進性という言葉で冷やかに片づけられるかもしれない。それならば、その後進性は、南伯にも多分に存 在する。問題は、その後進性が、アマゾニアでは、具体的にアヴィアードの形で存在する、という点にあることは、すで に述べたとおりである︵本誌、前掲︶。 さて、トメ・アスーへの入植現状を見ると、総数約三〇〇家族のうち、その三分の二までが組合員となっている。非組 コロ ノ 合員は、小規模の自営農を除けば、その大部分が、これら組合員の雇用者である。 このような構成は、 コチアの場合で も変りがない。そこに、問題がひそんでいるのである。 さて一九五四年、この植民地開拓二十五年記念祭が催された。そのときの記事をひもとくと、 ﹁三十蓮台のトラクター を先頭に、トラックや乗用車の一大行進が、来会者を瞠目させた。しというのが見える。 当時の組合員は約七十にすぎな アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一四三 一二五、六三〇 九二〇、六九四 九五一、四七九 二八五、二〇八アマゾンにおげるアヴイアードと産業組合 一四四 かったが、その数二百に及んでいる今日、再びこの催しが行われるとすれば、その盛大は、おそらく想像を絶するであろ う。 バトローン ところが、それらの多くは、有力な組合員、つまり大農場主たる大親方︵冨↓茜。︶ のものであることに注意しなければ ならない。小さな組学理、つまり独、立後日の浅い自営者は、まだそこに至らないのである。いきおい彼らは、かつてのバ トローンの好意に頼って、これを利用するほかはない。 同様のことは、他の施設一般についてもいえる。大農場では、すでに多くの作業、たとえば脱粒や乾燥などが機械化さ れ、生産能率を高めている。これらの施設は、もっぱらみずからの営農にあてられ、共同の利用に向けられていない。し たがって、それが実際に用いられる期間は、年間を通じてわずかである。つまり、組合員全体としては、無駄な重複投資 が行われていることになる。 私がこの地を訪れたとき、ここの指導者平賀練吉氏から、一日にわたって、くまなく案内を受けた。その時の私の不審の第一は、ここの施設が、なぜ 共同利用化されぬでのあろうか、という点にあった。さきに第三表に示された、かなりの量の農業機械や器具は、組合員の所有にかかるものであって、 組合自体のものではない。 これに対する同氏の答えは、﹁目下のバト三二ンたちの認識は、その段階にまで行っていません。そこまで進んでくれるとよいのですが⋮⋮。﹂とい う、.まことにしみじみとしたものであった。そのことに気づいてはいても、どうにもならぬ何かがあるのであろうかQそういうことを考えさされたので ある。 この植民地では、倉庫・鉄工所・船舶のほかの施設は、ほとんどすべて、組合員個人の所有にかかっている。おどろく べきことに、河口から三十キロの奥にまで拡がっている広大な植民地に、公共の交.通機関らしいものは、ほとんどないと いってよい。もしコローノが、何かのいきさつでバトローンから離れこの地を去る場合には、他のバトローンの好意がな ければ、荷物をかついで、河港まで歩かねばならぬことになる。
このような事例は、今日まで決してないわけではない。そのバトローンへの気がねから、他のバトローンたちは、 を、自然に差控えるという。 コローノに便宜を与えるようなこと 占 IN 右のことに関連して、われわれは、次の事実に着目しなければならない。そして、それはさきの第四表にすでに示され ているのである。 この組合では、組合員の組合への預金は、おどろくべく少ない。年間の売上高が二〇〇、000、○○○クルゼイロス ︵当時の邦貨四億円︶に達するのに対して、 預金は八、三六八、○00クルゼイロス︵邦貨﹁、六七〇万円︶にとどまってい る︵一九五九年度︶。コチア産業組合では、売上高九、五九二、000、○00クルゼイロス︵邦貨一九二億円︶に対して、 預金五四八、OOO、000クルゼイロス︵邦貨︷○億円︶2九五九年度、cAc発表︶とくらべると、この間の事情が窺わ れるであろう︵この数字と、次に掲げる第五表の数字と一致しない理由は、いま明らかでない。︶。 さらに、このことは、次の事実にも当然に関連する。組合が、みずからの活動のための資金は、出資金や積立金などの 自己資金や、組合員の右の預金が乏しいとすると、これを銀行その他の外部の金融機閣に求めねばならなくなる。トメ・ アスーの組合では、営農のための組合員への貸付や、組合の肥料購入にあてるための外部負債が、多からざるを得ない。 ただこの組合では、目下事業の拡張がさかんであり、とくに第二植民地の設定に力が注がれているので、移住振興株式会 社︵本社東京、自営農の設定・植民地の土地購入資金の貸付などを目的とする。その現地土入は、ジャミックー旨﹀ζHOlと呼ばれる。︶ からの借入金が多くなっている。そのことは、右の第四表からも明らかである。 いまこれを、コチア産業組合と比較すると、明らかであろう。ここでは、すでに自己資金は豊富であるから、外部から アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一四五
」
合 資 の
外組内∵_内lll ・・塞
計雛糠雛樗
定定品 金 物物輌産
め アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 きわめて少い。それだけに、組合自体の金融操作は容易となる。 (一 繻ワ九年三月︶ 五四五、二六九、二二五 三二六、六=二、 一二〇 八二、〇六二、二九三 四六、二一二、〇二四 四五、一七三、五八七 八五、四〇四、八]〇 七二、七六七、四一〇 一、 一三一、六〇二、四〇一 三四一、五九三、一五四 六〇三、八二二、○八二 一七九、一〇二、九五六 一、 オ六四、一九二、六〇八 一四六 この事情は、次の表で示される。 ︵単位クルゼィμ︶負
当 流諸出
山B銀内廷積 債
剰・ 資の
三蔵麗軍部
唐自暴
釜金
四六五、四四〇、三二八 一一六、五八五、一二七 一、 齠八、一〇九、九〇五 三六九、三九六、二四三 三五、四五七、二五六 四三、九六六、一七〇 五四、〇五七、一五八 さて、トメ・アスー植民地では、この数年来のピメンタの好況は、 多額の資金が注がれるにしても、すでに大をなしたバトローンたちは、 の大部分は、実は、組合への預金としてではなく、直接に、 いるという。つまり、組合の内部では、資金の還流が行われていないのである。 植属地を一巡しても判るように、御殿と称せられる大バトローソ允ちの邸宅は、アマゾ一一アの一角にあることを忘れさせるほどに大きく、立派である。 合 計 一、七六四、一九二、六〇八 ︵CAC発表による。クルゼイロ以下四捨五入︶ 相当の利益をもたらしている。たとい耕地の拡張に なお巨額の手許資金を残していると思われる。そ 土地・建物のほか、また銀行預金としても南伯に向けられて〆 そういうものが、いくつか作られるほどの資力がありながら、組合への預金が少く、それがまた、組合の金融操作に妨げとなっているのは、首肯できぬ ことである。 すでに述べたように、ピメソタの栽培は、むしろ園芸的性格をもっており、管理のため巨額で多種類の肥料を必要とする。そして、これらの肥料は、 アマゾニアでは入手が容易でなく、また高価である。 そこで、組合の購買部が、この肥料を買付ける場合には、たとい何十日かの手形で支払われるとしても、組合員に対して、一年一回の牧穫で決済され るまでの間、長期の金融をつけねばならない。これに役立つべき組合の資金は、決して多くない。こ.の事情は、それぞれ攻穫期を異にする多くの種類の 産物を取扱うコチアの場合と、根本的に異る。 ところで、この点について、組合の理事者たちは、あまり関心を示していない。その必要がないという顔付である。なぜ必要がないのであろうか。彼 らも、やはり大バトローソである、という結論にならざるを得ぬであろう。 七 ド このように見てくると、トメ・アスー産業組合の性格は、おのずから明かである。あえていえば、それは産業組合の実 体をもっていない。けだし産業組合は、もともと販売・購買・利用・信用の四つの柱を具えているべきであるが、その二 つまでを、この組合は欠いているか、少くともきわめて不十分である。コチアが、この四部門でいちじるしい活躍を示し ているのと、明らかに対比せられよう。 コチア産業組合では、この他に、技術の指導についてとくに一部門を設け、かなり完備した研究設備で、その実を挙げているのは、注目せられる。し かるにトメ・アスーでは、このことは全く見られない。もっとも、最近では、一部の青年移住者の間で技術上の研究がなされているが、組合としての関 心は、まだ十分に高まっていない。 いきおい、改良は、ひとりびとりの経験にもとづいて、いわぽ手さぐりでなされている。トメ・アスーの産物がピメソタに集中し、モノ・カルチュア の性格がとくに顕著であることから、国際市場からの影響をさけるためにも、管理に関する研究の必要性は、むしろコチアの場合よりも大きいといえる。 この点について、一部の指導者によって、採草園の設定が提唱せられ、これを試みる農園が次第に増加している。これは、不況時において、なお生産費 を補うに足る肥料の確保のため、注目せられる.べきことである︵第二表参照﹀。 アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 、 一四七
アマゾンにおげるアヴイアードと産業組合 一四八 トメ・アスー産業組合が、産業組合の実体を具えていないということは、他の面からもいい得られる。何よりも、ここ では、協同体精神が十分でない。もともと協同体精神は、単に理念上の問題ではなく、現実に、経済的な機構を伴ってい なければならないが、それが、ここでは十分とはいいがたい。 この組合が、今日この状態にとどまっていることには、もとより、それだけの歴史的な理由があろう。したがって、そ れを明らかにすることが、実は次の間馬でなければならない。おそらく、そこには、アマゾニアが一般にもっている特異 な性格がひそんでいると思われる。いわば、トメ・アスー産業組合は、アマゾニアが生んだ歴史的産物にほかならぬので ある。 さて、トメ・アスーのバトローンたちの生涯は、ひとつひとつ苦難にみちていた。その救いの神は、ピメンタという高 価な国際商品であったが、それはむしろ僥幸のたまものであった、といえる。彼らの人生が、数回ないし十数回、土地を かえ職をうつした南伯の人たちと、もし異るところありとすれば、それはトメ・アスーが陸の孤島であって、そこから容 易に逃げ出し得なかったという、地理的事情によったと見て、差支えはない。それだけに、さいわい大をなした今日、過 去を守ろうとする本能的な意欲は、⋮層強いと想像されるのである。 そういう経験は、彼らに二つのことを教えたであろう。その一は、すでに大宅壮一氏が下士官根性と名づけたものであ るが、その二は、組合の組織のうちにひそむ大バトローンたちの考え方である。このうち下士官根性は、必ずしもトメ・ アスーに限られておらず、もとよりコチアにも見られるし、一般のバトローンにひろく共通している。つまり、コローノ との人商関係である。 さきに、大バトローソたちの邸宅のことについて述べた。ここにも、後進国に通有のデモンストレーション効果の一つがあるといってよい。しかし、 彼らの資力が、同時に機械、化に向けられたことも事実である。 ところが、ここに考えねばならぬことがひそんでいる。もし彼らの目的が、純粋に生産性を高めることにあるならば、同じ経歴と環境とにある他のパ
トμiソたちとの闘に単共周利用の園庭が結ばれるであろう。それが、資本の教える智慧であり、同時に、協同体叢生である。しかし、彼らはそれをし なかった。 このことは、実は、↓つのことを示している。それは、自己を.誇示しようとする人間性そのものである。経済は、ある 意味では、誇示の競争であるにしても、資本主義社会では、それが、洗練された合理主義をとらざるを得ない。協同体精 .神も、また、その合理主義の一つの現われにほかならぬ.のである。隔 しかし、トメ・アスーの場合では、協同体精神は、合理化されてもいなければ、洗練されてもいない。いきおい、産業 組合の実体を具えないものとなったといえる。そこに、アマゾニアの社会、とくにトメ・アスーの自然環境が育てた、彼 らの生活が窺われる。トメ・アスー産業組合の機構は、そこにおける入間性を離れては理解できないのである。 そこで、下士官根性という表現にならって、いま大名根性と呼ぶことができようか。大大名たるバトローンたちは、み ずからの地位を守りながら、しかもみずからを誇示するために、小大名たる組合員、つまりバトローンたるにまだ十分の 資力をもたぬ自営者との間に、一定の間隔を保つことが必要であろう。これを産業組合の機構からいえば、現在のように 朱成熟であるのが、むしろ好都合といえる。協同体精神にはほど遠い、.と見るほかはない。 序でながら、下士官根性に対して、新兵根性という言葉が、現地で使われ出した。いまのところ、それが指している実体は明らかでないが、古いバト ローンたちとかなりのずれを示している、新移住者の感覚が、少しつつ勢力を占めつつある傾向.を、大まかに示しているようである。いずれにしても、 産業組合の今後にとって、興味ある問題たるを失わない。 八 さて、アマゾニア経済の実体は、それを支える社会構構、さらに進んでいえば、 解することによってのみ、正しく捉えられることは、すでに述べた︵本誌、前掲︶。 アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 ひとびとの生活の中にある考え方を理 そこで、バトローン一般について、も 一四九
アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一五〇 う一度別の問題.をとり上げて、そのことを確かめたい。 バトローンというのは、その言葉が示しているように庇護者であり、春立で.ある。それには、.生活の面倒を見るという 入関間係がひそんでいる。それが転じて、単なる雇用主となり、農園や工場の所有.主となる。 ブラジル語の辞典をひいてみ.ると、バトローソの訳語に小型船長の意味というのが出てくるのは、ひとしく生命の危険にさらされた間柄という気持 が、そこにひそんでいるように思われる。 ところで、さきに述べたアヴィアードの制度では、バトローツとその相手方との関係は、単に取引としてではなく、人 間の結びつきとして考えられている。したがって、もし経済的な面からのみいえば、この取引は、ある形の収奪にちがい ない。しかしその収奪は、まことは、もっと人間的な結びつきに支えられているのである。 もっとも、このことは、アマゾニアに限られていない。後進社会ではすべてそうであって、買弁︵8日冒p・仙9︶は中国 で、チェティー︵。訂豊Φm︶は東南アジアでというように、本質は同じでありながら、姿.は少しつつ異・る。ただアマゾニア では、バトローンは、アヴィアードの制度の中で、それにふさわしい形をとっているのである。 さて日本人移住者の社会では、バトローンはどうであろうか。いまのところ、移.住はすべて呼寄せにてよる。形式はど うあろうと、実質的な呼寄せ者は農園の持.主であり、産業組合の場合では、大きな組合員である。 そして、これらの移住者は、コローノとして、バトローンのもとで働く。雇用期間や豊浦の契約については、いまは問 わない。ともかくコローノは、生活の面倒をバト二日ンに見てもらって、その間に各般に習熟する建前である。その場 含、彼らの賃銀はきわめて低いが、、それは、バトローンとして当然のことにちがいない。 バトローンが、日本人移住者に期待するのは、単に労働力ではない。労働力の点では、現住民︵op。げoo巳。︶にはるかに及ばぬであろう。バトローγ が求めるのは、カボクロに対する日本人コローノの指揮能力である。 しかし他方で、新移住者たちは、将来の自営を目指している。当面には低賃銀で満足するにしても、それは永続きしない。バトローソとコローノとの
」 立腸は、最初から平行線をたどったまま、移住者が迎えられているのである。 しかし、この考え方は、むしろバトローンの側であって、コロレノのためとばいえない。雇用条件の改善は望みがたい し、たとい自立しても、実質的にバトローンの庇護を必要とするからである。そういう主従関係が、バトローンの経営を 根本的に支えている。この点では、コチアの場合でも異らない。さきに設備の共同利用の欠如を指摘したが、かりに一部 の共同利用があるとしても、この主従関係の限りにおいてのみ見られることである。 このことを指して、徒弟制度と呼ぶことができるかもしれない。バトローンの利益のためには、このような関係が、む しろ必要であろう。下士官根性というのは、それをついた表現である。その点で、すべてのバトローンは、たがいに共通 の利害をもっているといえる。 ヴエンダ このことを、もう少し具体的にながめよう。広いこの植民地では、生活必需品の売店︵︿㊦巳⇔︶が数ヵ所に散在してい る。その中央のものは、組合の直営とせられ、他はニッポニカの経営にかかる。このニッポニカは、戦前のそれが改組さ れた別のもので、ペレーンを中心として一般商事を営んでいるが、その株主は、産業組合の組合員であり、しかも主脳者 は、すべて有力なバトローンたちである。 中央のヴェンダは、大バトローソにとって、まことに重宝である。彼らは、自動車を駆って、そこに行くことができる。しかし、組合員でないコロー ノは、バトローシを通じなければ、これを利用し得ない。いきお.い、最寄りの、ニッポニカ経営のヴェンダに赴くほかはないことになる。しかも、この ヴェンダが生み出す利潤は、結局バトローソの手に入るであろう。組合員であっても、自立後日浅くて、自動車を持つに至ら.ぬ者にとっては、同じこと である。 バトぼーソたちは、新しく自立したかつてのコローノを、そ.の従属の関係に結びつけながら、たがいに牽制しあっているつ植民地内でのデモンストレ ーション効果は、そういう形をとって現われるのである。大名根性といわれるものは、そこに生.れる自然の成り行きといえる。 アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一五一
アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一五二 九 このことを、さらに別の問題から見よう。さきに少しふれたように、目下第二植民地の建設が進められている。これ は、現在の植民地の奥に向って数十キロ、三万町歩にわたる開拓である。これによって、ピメンタの生産は倍加するであ ろうし、世界市場でのトメ・アスーの地位は、強くなるにちがいない。すでに大をなしたバトローンたちにとっても、こ の建設のための資金の調達能力に、必ずしも不足しないと思われる。 しかし、彼らは、みずからの資力で、この計画を進めようとはいない。彼らは、さきのジャミックにそれを求めようと する。すなわち、ジャミックがここに植民地を設定して、バトローンたちは、旧来のいわゆる第一植民地の延長として、 新しい移住者を迎えて、これを経営しようというのである。 したがってこの第二植民地は、第一植民地と全く別個のものではない。その点で、バト恥毛ンたちにとって、新しい移 住者をコローノとして彼らに引きつけておく必要は、むしろ大きいであろう。もし別のものという立場からすれば、市場 への交通は、別の港によっても差支えないし、また事実、その建設は、地理的にも困難でない。わざわざ数十キロの廻り 道をして、第一植民地を通ってまで、.現在の港に出る必要はないことになる。 しかし、トメ・アスーのバトローンたちは、全くこのことを考えていない。そこに、彼らのアヴィアード的な精神がひ そんでいると見られる。彼らは、すでに確立した地位を失ってはならぬし、新移住者をコローノとして引きつけておくこ とが、何よりも必要である。そのためには、第二植民地は、第一植民地の延長でなければならなくなる。つまり、第二植 民地は、バトローンの利益保護の体制を必要とし、その限りで産業組合の機構も、依然として変らぬことが望ましいので ある。
このように見てくると、下士官根性は、大名根性と一体となって、すでに抜きがたいといえる。そして、その一体とな ったものが、たまたま産業組合の形をとっているのである。それは、協同体精神には程遠いし、近代的な合理精神を欠い ている。 ここで大きくふり返ってみよう。アヴィアードのことについては、すでに詳細に述べた︵本誌、前掲︶。それは、経済関 係であるとともに、人間関係でもある。そして、その人間関係は、従属的であり、徒弟的である。そこでの生活は、全面 的にバトローンによって支えられるとともに、逆にこれによって束縛される。しかもこれを離れては、経済関係は成立し ないのである。 ところで、アヴィアードのこのような性格が、自然的な地理的関係によって与えられていることに、注意しなければな らない。アマゾニアの経済は、いわば点と線とにとどまって、面をもたないが、その線は、このアヴィアードに最も明ら かである。末端の原始経済は、他端の資本主義経済を支えながら、逆に、これによって支えられている。その両端を結.ぶ 糸が、いくつかの毅階のバトローンを通して、アマゾニアの自然を縫いあわせる大小の河川である。 このようにして、アヴィアードは、経済と入間と自然との三つの関係が重なりあって、一体となったものということが できる。アマゾニアの自然は、その祉会をつくり、その社会はその経済を生むが、そこに育てられるのは、明らかに収奪 である。それの是非をいま論じているのではない。もし封建的とか植民地的とかの表現が当るとすれば、その意味におい てのみ正しい。 そうすると、ここで一つのイメージが生れるであろう。それは、トメ。アスー産業組合が、たまたま組合の形をとって はいるが、実はアヴィアードの変形ではないか、ということである。たしかにアヴィアードは、地理的に長い線をなして いるし、トメ・アスーは、一廓のまとまりを示す。別の面からいえば、アヴィアードは社会的連繋であるにとどまり、ト アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一五三
アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 メ・アスーは祉会集団をなしている。しかし、この集団は、 もともと同じといえぬであろうか。 一五四 この連繋のいわば仮りの姿であり、その本体をなすものは、 それをいま、卑近にたとえることができよう。アヴィアードをクルクルと丸めて、圧し固めると、それがトメ・アスーになる。アヴィアードをうどん と見ると、トメ・アスーは煎餅である。二つながら、原料はメリケン粉であることに変りはない。この煎餅の型が、たまたま産業組合にすぎぬと、考え られるのである。 大名根性や下士官根性はム産業組合の本質たる近代的な協同体精神とは、似てもっかぬ別ものである。近代精神は、も ともと合理精神にほかならぬが、この場合の合理性は、個入的であるとともに、社会的でもある。協同体というのは、そ こに成りたつ機構を指す。トメ・アスーには、多少の機械化があるにしても、そういう近代的な性格は、いまのところ見 出しがたい。 その意味からいえば、トメ・アスー産業組合は、アヴィアードの地域的・社会集団的機械化にすぎない。これによって も、ア.マゾニアにいかにアヴィアードがしみこんでいるかを、改めて知り得るとともに、トメ・アスーの経済も、またア マゾニアを離れてあり得ない、ということになる。 すなわち、ここにトメ・アスー植民地という、陸の孤島的な地域社会がある。そこで、アヴィアードの人間関係に支え られながら、バト戸ーンたちが組立てる機構が、実は産業組合にほかならぬのである。 アマゾニアでしばしば耳にした言葉は、新移住者に開拓者精神が乏しい、ということであった。しかし、その言葉は、実は、バトローγたちによって のみ発せられたもので、その根底に、アヴィアードの精神が流れていることを、否定しがたい。それは、いわば経済以前の段僧に成りたち得る精神で、 近代的な合理性とは異質のものである。そして、それが成りたつ限り、たとい産業組合の形をとっても、その組織には、下士官根性や大名根性が生きて いる。 このことは、本質的には、コチアにおいても否定しかたいであろう。しかし、すでにコチアでは、少くとも理事者たちは、これから脱皮しようとして
いる。彼らの中にば、コ改むべきば新移住者でばなくト角い六トローンたちであるひしという認識が㌔次第に拡がりつつみるαいまその具体的な一働とし て、次のことを述べておこう。 この組合では、最近、新移住者の独立の道を、組合員たるバトローンによってではなく、組合自体の手によって与えようという試みを、まず養鶏業か ら始めた。すなわち、サン・パウロ郊外アチバイア︵﹀二σ巴。︶に、四〇〇アルケール︵約一七〇町歩︶の土地を選定し、四〇家族を牧醸して、 一家族 あたり約四、○○○羽の飼育を目標としている。 この計画は、三年で一応完成される予定であるが、組合は、土地のほか、住宅・鶏舎・倉庫などを用意した。それらは、一定の年賦償還で貸与せられ るはずで、とりあえず独身青年一〇名が、入植したのである。 もとよりこの計画は、コチアの現状から見れば、まことに微々たるものであり、これが一般的傾向となるには、多少の年月を必要としよう。それにも かかわらず、コチアがこれにふみ切らざるを得なかったについては、およそ二つのことが考えられる。 その第一は、南伯の経済・社会が、すでに近代化の段階に入り、農業が、これから取残され得ないということであり、その第二は理事者たちが、進ん だ教育を受け、社会的刺戟のもとで、比較的に広い視野をもっているということである。産業組合が、組織の面でも、人間関係の面でも、社会から受け る鍛錬が徐々に強くなりつつあるのは、否定できない。 しかるに、トメ・アスーでは、まだ、これらの二点で遠く及ばない。そこに、アマゾニアのすぐれて後進的な経済と社会とがあり、アヴィアードの精 神が余命を保っているのである。したがって、経済開発の理論も、この事実を無視しては、意味をもたぬことになる。このことについては、また別の機 会に論じたいと思う。 アマゾンにおけるアヴイアードと産業組合 一五五