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アジアの動向 タイ 1967

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(1)

アジアの動向 タイ 1967

著者

アジア経済研究所

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

シリーズタイトル

アジア動向年報

雑誌名

アジアの動向1967年版

発行年

1967

出版者

アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00052019

(2)

アジアの動向

巧 d h 五 U QY 1 i 4 1 1 l j p − − − − − − − − − − − − − − − − a ’ 副 副 副 副 副 田 町 田 町 駅 川山側聞剛附附

n u

8

川 川 川 山 川 00 剛 山 間 剛 山 削 聞 m

a 守 山 山 川 田 山 田 剛 刷 F 3 川川山川川川川内 M Z − − − − − − − − − − E

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

削 山 町 山 町 引 山 町 引 4 1 U 引 引 山 町 山 町 引 a 1

. . . . . . . . . . . . . .

. . . . .

、 ー却一一一 一一− " →→一一 ア ジ ア 経 済 研 究 所

(3)

J

Y

この「アジアの動向

J

<国別シリーズ) 1967

年は,月刊「アジ

アの動向」を各国別にまとめ,総目:次, 1

9

6

7

年の回顧,年表を

追録したものです。

アジア諸国の政治・経済の動きを適確に把握する基礎資料と

して,月刊「アジアの動向

J

とあわせて利用ください。

(4)

目 次

1967年の回顧...( i ) 年 表 (1967年)......................................................折込 〔月間概況〕 1 ・2月の動向....・・・・・・・・・・ ...・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 3月の動向........................・・・・・・・・e・...・ .・- ...31: 米はどこに? ( 3月) ... 37 4月の動向...47 農業問題と政策転換の芽( 4月) ...•... 55 対日警告の背景( 5月) ... . ・・- ... ,69 転換するタイの内外政策(6月) ...•...

s

i

“苦しい自主外交への道”(8月) ... ・-... ・-...•... ; . . . 117, 10月の動向...・・・・・.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 147 〔主要事項〕 武力闘争によってのみ祖国の独立が可能,タイ愛国戦線代表,創立・2周 年で強調( 1・2月) .............................宅・・..・・・・.・・・・・・・・・・・・・・ 3 南ベトナムへの派兵にかんする正式発表(1・2月) ...4 タイにおける米軍の活動( 1・2月) ... 5 憲法発布をめぐる動きく1・2月) ... . ・・- ...5 反共対策の強化(1・2月〉 ... ・・・・・・ .. ・・・・・・ ...・・・・・・・・・・・ 7 ウボン県レオン・ノク・タ郡の実状( 1・2月) ... 8 -タイ政府,開発計画の資金調達に3方法を考慮(1・2月) ...9 経済開発6ヵ年計画の成果(1・2月) ...9 投資奨励法( 1・2月〉 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・...12 米価問題(9月) ... 145 “タイでは所得はどのように使われるか”(10月) ...・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 163 ' “タイ 1967年上半期の経済情勢…パシコク銀行…”(10月) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ... 164 ゴムの輸出税および営業税の減免(11月) ... 171 ポンド切下げの影響(11月) ... 172 - 1ー

(5)

目 次 〔 資 料 〕 アスパック会議共同コミュニケ全文( 7月) , ・ • • • • ・,.• • • ・,•• • • •••••••.•..••. 112 日本・タイ共同声明( 9月) ・ • • • • ・ • • • • ・ ・ • • • • • • • •• • • • • • •• • • ••.•••••..•••• 147 北方国境地方の事情と国府軍残存部隊の動静(11月) • ・ • • • • .• • ・ •••••••••••••• 183 最近のタィ・米貿易(12月) ••••...••••••.•..•••••••.•••.••.••. 195 - 2ー

(6)

1967

年 の 回 顧

I

ベトナム戦争とタイ国の立場 1967年はタイ国が反共防衛の決意を新たにして,ベトナム戦争に積極的に 参加しはじめた年であった。同時に,また,タイ国の自主独立性を明確にし ようと努力した年であったともいえる。 まず,

l

6

日,かねてから懸案になっていた戦闘部隊のベトナム派兵を 決定した。次いで国内の米軍基地へのB52の移駐が問題となり,若干の章子余 曲折の後,これも正式に認めた。同時にこれまで正式に認めようとしなかっ た,タイ園内基地からのベトナム爆撃用米機の出撃を認めた。そして4月10 日には早くもB52, 3機がウタパオ空軍基地に到着した。 9月21日にはアメ リカら装備と訓練を受けた最初の戦闘部隊“女主のコブラ連隊” 1200名がサ イゴンに向けて出発,対べトコン作戦に従事することになったo秋

1

0

月には 訪米中のタナット外相,ポット開発相とジョンソン大統領の問、で会談が行な われ,ベトナム増兵の問題が議題にのぼった。そして11月13日には, 1億ド ルの軍事援助〈地対空ミサイルの供与を含む〉と引換えに

1

個師団の増派が 正式に決定された。 すでに,タイ国内にはいくつかの米国基地が建設され,駐留米軍も 66年末 には

3

5

千人に達していた。ベトナム戦争が拡大するにつれて,これらの 基地が北爆のために使用されていたことは公然の秘密となっていたが,タイ 国政府は公式の責任を回避してこれまでこれを認めようとしなかった。しか し,国内基地の北爆使用とベトナムへの戦闘部隊の派遣の決定により,タイ 国は“タイの防衛のため直接戦う”という立場をはじめて明確にしたわけで あるo 67年になってタイ国がこうした立場をはっきりさせたことには,アメリカ の強い要請があったことはいうまでもないが,東北タイ方面からの共産主義 の浸透が武装闘争の形をとっているといわれるまで強まって来た現在,ベト - 59ー 一 周 1 』 叩

(7)

タ イ ナムにおいて“共産主義が勝利を得れば,次の目標はタイ国である”という 危機感が急速に高まってきたためとみられる。 B52の移駐を認め,ベトナムへの派兵を行なったことにより,タイ国は直 接敵の報復攻撃の危険にさらされることになった。そのためタイ閣は益々自 国の防衛力を強める必要があり, B52の移駐を認めた 4月19日にタナット外 相は“その危機の増大に対して地対空ミサイルの供与”を求めている。そし て,この地対空ミサイルの供与を受けるためには1個師団の増派を決定せざ るを得なかった。 とのようにタイ国のベトナム戦争に対する直接介入の決意は,次から次へ と連鎖反応的に介入の度合を強めて行かざるを得ない性格のものであった。 「B52の進駐は戦闘部隊派遣を決定した以上問題ではないjというプラパー ト内相の言葉がその事情を端的に物語っている。 さて,このようにアメリカとの関係を密接にしていく一方では,タイ国の 自主性ということがヒステリッ究に強調されはじめている。これはタ千国が アメリカの従属国とか植民地であるとかいった見方をされるのを,きわめて 嫌悪しているからである。タイ国は,あくまでも自国の防衛のために闘って いるのだということを強調している。そして,アジアを共産主義の侵略から 守るという点においてのみ,アメリカとの軍事協力を進めて行くという立場 を表明している。タノム首相も「外国軍隊の駐留はベトナム戦争が終り次第 終らせたい」と注目すべき発言をしている。したがって,タイ国の主権国家 の立場を傷つけるような発言や論評がなされるとき,タイ国は国をあげての 反発を示すことになる。ベトナムへの増兵決定に際して,アメリカの一新聞 に“ミサイルと引換えの雇兵”という論評が載ったとき,また,ニュ}ズウ ィーク誌に国王の態度を皮肉った記事が掲載されたとき,タイ国の示したあ の激怒はそのことを知実に物語っている。また,タイ東北部を米機が爆撃し たというニュースがアメリカから流されたとき,タイ国は懸命になってこれ を打ち消した。それはタイ国内の治安対策はタイ国が行なっているのであっ て,アメリカは単に武器の供与や技術協力を行なっているのである,決し て,アメリカがタイ圏内の治安対策に直接関与しているのではないことを強 調したかったからに他ならない。 - 60ー

(8)

一国の自主性を失った南ベトナムがたどっている悲惨な道は,タイ国として はなんとしてでも避けなければならないし,長年保ってきた独立国としての 自尊心もこれを許すわけにはいかない。自らを防衛し独立を死守すること, これを失なえば「これまでの全ての経済発展も烏有に帰してしまう」このこ とはタイ政府首脳の頭に深くきざみ込まれている。アメリカのベトナムにお’ ける戦争が共産主義への対決であるかぎり,アメリカへの協力は自国の利益 2 につながってくる。それはまた現政権の安定を意味する。しかし,アメリカ との協力が自国の独立性を侵害する恐れがあるときは,いつでもこれを破棄 する。この姿勢は今後ともますますはっきりとしてくるであろう。 1967年はアメリカに対する基地の提供,ベトナム参戦などによって選択も 後退もゆるされない道に追い込まれたタイ国が,自国の独立のために共産主 義の侵略に対して闘うという態度を明確にするということによって,米国と の協力関係に最後の一線を引いた年であった。

E

圏 内 政 治 し 憲 法 発 布 の 延 期 今年も憲法発布の公約は実現されなかった。 1963年末,サリット首相の突 然の死によってタノム首相が政権の座について以来,憲法発布,民政移管は タノム首相の公約の一つであった。事実,それまで審議が進められているか }どうかさえも分らなかった憲法起案はタノム首相のお声がかりによって,に わかにスピードアップされた。そして, 64年の11月には全文の起草を終了し た。 65年になって,草案は第1読会にかけられ, 6月 3日には第 1読会を通 過, 66年の6月にはタノム首相は「67年の1月 1日までには発布出来よう

J

との見解を発表した。しかし,ベトナムや国内の治安状況が悪化するにつれ て,憲法発布,民政移管の時期を延期せよとの声が現政府首脳の内からも出 はじめ,憲法発布の手続きは大幅に遅れはじめた。そして67年の4月になっ て,やっと制憲議会の第 2読会に上程されるに到った。草案の審議の進展か ら見て,年内もしくは68年初頭に憲法が発布されるという見込みが強く,タ ノム首相は12月 5日に公布すると明言した。憲法審議委員会委員長ワン殿 下,ポット開発相も年内公布を発表した。またこれまで,憲法の早期発布に - 61ー

(9)

タ イ 批判的であったプラパート内相も,特別の情勢の変化がない限り年内に公布 されるだろうとの見解を明らかにした。しかし,第 2読会での憲法草案の審 議に手開どり,結局,年内公布は空手形に終ってしまった。 憲法発布がこのように大幅に遅れているのは,新憲法において現暫定憲法

1

7

条のような規定をおくかどうか,出版の自由を認めるかどうか上院の法 案提出権を認めるかどうかといった,幾つかの間題の議論に時間を費やした ことは事実であるが,基本的な理由は現政権の実力者に新憲法発布を急ぐ意 志がないことである。とくに,現在の経済情勢は建国以来のブームにわいて おり,新聞などに新憲法発布を望む声が出されても,それが国民全体の要求 として現政府をおびやかすには到らない。 しかし,新憲法制定の手続きはこの4年間遅々ではあるがとにかく進行し てきた。第

2

読会を全条が通過する日も間近いものと思われる。もし,第

2

読会を通過すれば,あとは形式的な第 3読会によって採否を決めるだけであ る。その意味からすれば現政府はあらためて新憲法発布の決断にせまられて いるといえる。

2

.

1

0

年ぶりに行なわれた市町村議会選挙 ヱ

2

月2

3

日バンコク・トンブリをのぞく,全国

l

1

8

の市町村議会の選挙が

1

0

年ぶりに行なわれた。 この市町村議会の選挙を評価する前に,タイ国の市町村(テーサパーン〉 と呼ばれるものの性格について簡単に説明しておこう。 タイ国が,近代国家としての地方行政組織の整備を始めたのはラーマ 5

{1868-1910

)の時代であった。この時,全国をモントン(州〉,ムアン,の ちのチャンワット(県〉,アンプー(郡〉,タンポン(村〉, ムーパーン(部 落〉に分け,これを内務省の管轄下において,中央集権の強化をはかった。

1

9

3

2

年の立憲革命の後,地方行政に対してもかなり思い切った改革が行なわ れた。それは,あまりにも強大であった中央の権限を弱めて地方の自治をす すめようとするものであった。 まず,各県と郡に評議会を置き,その地方の行政上の責任をとらせた。ま た,県および郡議会を置き,評議会に対してアドバイスを行なわせしめた。 このために知事の権限は従来より大幅に低下した。 〈のち,

1

9

5

2

年に知事が v ワ H a u

(10)

地方行政の責任者に復活し,評議会は知事のアドパイザーの地位に下る〉同 時に各地方にテーサパーンと呼ばれる地方自治体の育成をはかった。このテ ーサパーンは,人口数と人口密度により,テーサパーン・ナコン(市〉,テー サパーン・ムアン(町〉テーサパーン・タンポン〈村〉に分けられている。 これら市町村は議会とその議員から選ばれた行政委員会があり,その地方 自治体の立法と行政の責任にあたった。市町村議会は当初,任命議員と選出 議員からなっていたが,その後1956年に選出議員のみに改正された。 これら市町村の活動の範囲はきわめて制限されている。テーサパーン・タ ンポンの場合,水陸路の整備,伝染病の予防,消火,教育等に関するものだ けであるし,ムアンやナコンになっても,それに電気,水道等の事業が加わ るに過ぎない。活動の範囲がこのような地域内の問題に眼られているので, 国の政治などに関する大きな問題は議論することを許されていない。さらに 地方自治体とはいえ,中央官庁特に,内務省の監督権限がきわめて強い。た とえば内務大臣は市長の解任権を持っているし,議会を解散して市町村を内 務大臣の直轄下におくことも出来る(現在ノ号ンコク, トンブリ市は内務大臣 の甚轄下にある〉。 このように,各市町村はきわめてかぎられた自治権しか有していないし全 国市町村の数も限られているので,今回の選挙自体の国内政治にもつ意味は それほど大きくない。ただ長い間中止されていた選挙がこの時点で復活され 4 たことは見逃すことの出来ない点であろう。 政府は今回の選挙をもって,デモクラシーが国民の間にどれだけ広まった か判断する材料にしたいと発表している。今回の選挙は10年ぷりということ で住民の関心を呼び,投票率も 70

BO%

に達したと伝えられている。その意 味では大成功であったといえよう。一方,選挙のための越境やその他買収, 饗応,殺人などこれまでの選挙にありがちであった幾多の事件も付随して起 っており,これまでの選挙の水準を一歩もふみ出していないというきびしい 評価もなされている。 しかし,今回は人口 200万人のパンコク・トンブリの 2大都市の選挙が行なわれていないので,より正確な評価を下すことはその 時までのばさなくてはなるまい。 そうした選挙自体の評価はともかくとして,政府が市町村議会の選挙を実 内 o a u ーー可ーー

(11)

タ イ 施したことは,憲法発布の大幅な遅れに対する国民の不満を解消するため, また自己弁護のために,政府が憲法発布,民政移管への具体的な第一歩,も しくはそのジェスチャーを示さざるを得ない立場に追い込まれたものとして 注目に催しよう。 憲法の審議状況から見て,今回の選挙実施は憲法発布が一応時間表にのせ られたことを意味している。特別な事情のない限り,特に憲法発布を延期さ せる理由はますます少なくなりつつある。もし,憲法発布が今年もだらだら と引き延ばされるようなことになれば,タノム首相は,民政移管の公約の前 にきわめて苦しい立場に立たされる。しかし,もし民政移管を行なうときは 現在の国内外の情勢からみて,再びクーデターによって軍事政権が成立する 可能性が大いに考えられる。いずれにせよ,

1

9

6

8

年はタイ国の園内政治にと って重要な意味を持つであろう。

E

経 済

L

2

次経済開発計画

1

9

6

1

年に,この国で始めて実施された総合的な経済開発計画は,

1

9

6

6

9

月をもって終了した。道路計画,配電計画など若干の面で遅れを出したが, この計画期間に年平均

7.3%

の国民総生産の伸びがあって, 当初目標

6%

を 上回り,一応の成果をあげたと公表されている。この 6ヵ年計画を引き継い で,第

2

5

ヵ年計画が

1

9

6

7

年財政年度より開始された。最終案は,

1

9

6

7

年 3月 8日付の官報で発表されているが,これをもとに第 2次 5ヵ年計画の概 h要と特長を見ょう。 第

2

次計画においても,第

1

次計画の基本方針であった政府投資を社会資 本にふりむけ,経済活動は民聞にまかせていくという姿勢は変っていない。 第

2

次計画では,経済目標として

9

項目があげられており,その主なもの をあげると次の通りである。 (1)より公平な所得の分配と社会的利益に重点を置いて,経済成長率をより 高める努力をする。(2)所得の不平等など地域聞の発展格差の是正をはかるた め,地方農民の所得増進を図り農村開発に重点を置く。(3)雇用機会の増大を 図り人的資源の質を改善するために,この計画では社会経済的需要に応える 一 −Vl - - 64ー

(12)

ベく労鋤者の技術向上を強調する。(

4

)民間産業への投資を促進するために,

私企業が活動しやすい健全な環境と,必要な諸経済部門を整備する。政府の

役割は,私企業と競合したり,妨げることのないような形でそれを援助する

等である。

このような基本目標以外に,第

2

次計画では,次の

4

点が新たに重視され

f

ることになっている。(

l}

社会経済的な変化と調和を保たせるべく,社会開発ノ

i

に重点を置くこと,(

2

)人的資源に対する国家的要請に対し,教育と訓練を目\

的として人的資源開発計画の立案を検討する,(

3

)民間部門の役割,特に,

Z

業,貿易,サービス業の発展に重点を置く,(

4

)農村および遠隔地の開発を急

速に行なうべく,地域開発に重要な考慮を払う等である。

これらの

4

点は,第

1

次計画で取り残されまた不充分であった諸点であり

2

次計画でそれを是正するために重視されていると見てよいだろう。

このような第

1次計画の調整をも含めた第 2次計画は,年平均成長目標を..

8.5%

1

次計画期聞における実績

7.3%

)に置き,第

1

次計画に比ベて計

l

商規模が拡大している。第

1

次計画では開発支出が

326

億パ}ツであったの、

に対し,第

2

次計画では

575

2000

万・パーツとなっている。部門別支出内訳日

から見ると,第

1

次計画と比較して農業および協同組合,農村開発,教育

1

門の開発支出額が著し〈増えていることが分る。このことは上記の

4点が重

視されている結果である。これらはまた活発化しつつある共産主義漫透に対

抗して,治安を確保するため早急に開発しなければならない部門でもある。

1

次および第

2

次鐙済計画の資金源

〈単位

100

万パーツ〉

cf95ヵ1

66)

% |新(fg6カ7

7

1

l

%

J内

金|

74.31 41,9.却 72.94

借 款 4,840 17.17 10,600 18.37 援 助 2,400 ・ 8.69 5,000 8.僧

28,180 100.00 57,520 100;00

〈出所〉

Government Gazette; Volume 84 P町t24, 8th March 1967. -65

ー−

(13)

vu-タ イ 官 軍 門 別 開 喬 支 出 内 訳 〈単位 100万パーツ〉 部 門

I

6カ年計画

|新5カ年計画|

%

農業および協同組合 3,900 13.85 11,310 19.74 鉱

業 2,340 8.30 915 1.59

運 輸

通 信 7,360 26.12 17,100 29咽.73

4,700 16.82 4,970 8.63 商 業 180 0.31 村

開 発 5,5的 19.73 10,幻O 17.84 ze;噌’ 衆 衛 生 I,価O 3.76 2,570 4.49 教 育 2,佃O 7.38 6,回5 11.47 、予 1,140 4.04 3,550 6.20

却,180

l

ふ。ートーム

l

100.0

(尚所〉

白vernmentGazette, Volume 84Part 24, 8 th March 1鮪7. 額計画期間中の国内総生産の成長目標と前計画期間中の国内総生産実績 (単位 100万パーツ〉ー 1960年 1971年 1957,..;

7長1

年 GDP

f

%

GDP

l

%

GDP

I%

量 島 業 20,9槌

.

a

36.7 27,540.8 31.6 4.6 34,031.7 26.0 4.3

業 1,039.3 1.8 1,927A 2.2 10.9 2,659,6 2.0 6.6

造 業 5,948.S 10.4 10,483.5 12.2 10.2 17,799.8 13.6 10.9 建 設 2,2却.7 3.9 4,415.0 5.1 12;3 7,577.7 5.8 11.4

憶 力 ・ 水 道

259.4 0.5 697.5 0.8 18.2 1,595.6 1.2 18.0 輸 ・ 通 信 3,997 0 7. . .0 6,666.0 7.7 9.0 11,217.4 8.6 11.0 商 業 10,193.4 17.8 16,167.8 18.6 8.0 24,154.8 18.6 8.4 金融・、保険不動産 1,372.1 2.4 3,433.5 3.9 16.6 7,527.7 5.7 17.0

宅 2,872.2 5.0 3,563.7 4.1 3.7 4,548.3 3.5 5.0 国 防 ・ 公 共 行 政 2,911.5 .5.1 4,392.6 5.1 7.2 7,741.2 5.9 12.0 サ

ピ ス 5,361.0 9.4 7,597.6 8.7 6.0 11,960.4 9.1 9,5

国 内 総 生 産 合 計 ド 日 比

1

1

山信;叫山雨;

3

l

m

s

1

.

4

雨耐

8.5

(出頭〉白抑rnmentGau帆, Volume84Part, 8 th March 1967.

(14)

575

2

0

0

0

万ノξーツと第

1

次計画に比べて約

2

倍近く増えた開発支出のた めの資金源は,園内調達が

4

1

9

2

0

0

0

万パーツ,国外調達が

1

5

5

億ノξーツとな っている。両者の比率は,第 1次計画と比べて,国外調達分が若干増えてい る。国内調達分は比率では減っているが絶対額では,計画規模が拡大し

τ

い るため,第

1

次計画の倍近い

4

1

9

億ノξーツとなっている。第

2

次計画の成否 は,この資金調達が順調に行ないうるかにかかっている。従来,援助の大半 はアメリカ援助で占められているが,最近のドル防衛から,アメリカにそれ ほど大きな期待を持ちえなくなっているし,また, 国家予算規模が

1

4

4

億ノξ ーツ(

1

9

6

6

年当初予算)程度の現状で,

5

ヵ年で約

4

2

0

億ノξーツというのは 年平均

8

4

億ノミ}ツを意味し,辺境地域の共産主義浸透をかかえて防衛費も増 える可能性が考えられる折から,これだけのものを開発のためにさきうるか どうか疑問である。 2. 物 価 問 題

1

9

6

6

年に引き続き一般諸物価は上昇している。バンコク・トンブリ地区のF 消費者物価指数は,

1

9

6

0

年∼

6

5

年の

5

年間に年平均

1.5%

程度の上昇であっ たのに対し,

1

9

6

6

1

年間に

4.5%,

さらに

1

9

6

7

年に入っては,

1

8

月間 だけですでに

4.3%

の上昇になっている。特に高騰の著しいのは,食料品お よび建築資材である。

1

9

6

7

年も,前年と引き続いて,この物価問題をめぐる論議が,現地紙の経 済欄を賑わした。

1

9

6

6

年以来の物価高騰の原因は,一時的なものはともかく として,ニつの原因にしぼられたようである。(1)ベトナム関連特需,ベトナ ム帰休兵の持込みによって, ドノレが流入し,流通通貨量が増加したこと,さ らにパンコク・トンプリ地域の繁栄が農村人口の流入を招き都市人口が膨張 し,一方,米軍を中心とする在留外国人が急増したことなどが原因となっ,て虫 食糧をはじめとして諸物資の需要を増大させたこと,(2)世界的な米不足によ る世界市場での米価高騰が国内米価を高騰させ,それが諸物価に影響したこ と等である。 流通通貨量は,

1

9

6

5

年末,約

8

1

億ノξ}ツであったのが,

1

9

6

6

年末には約

94

億パーツになって,それまでに見られなかった

16%

という増加率を示した。

1

9

6

7

年に入ってもこの傾向は引き続いている。タイ国で最も貨幣需要の高い 一 部tー x

(15)

タ イ 農産物の買付けと旧正月が重なる

2

月をとって,前年と比較して見ると,

8

9

鰭パーツが

1

0

5

億ノミーツになって,

1

6

億ノξーツ,

18%

の増加となっている。そ の他の月をとって見ても,若干の差異があるが,

1

6

17%

程度の増となって いるo 一方,昨年 4月以来,高騰をつづけた米価は,本年に入っても高騰してい る。例年ならば,

1

2

月∼

3

月の収穫期後は値下りし,

8

月頃の端境期になっ て値上りするが,

1

9

6

7

年は収穫期後も下ることなく値上りをつづけている。 本年

9

月,

100%

米トン当り卸売価格は

2

9

9

2

パーツで,昨年同期より約

6

0

0

パ ーツの値上りとなっている。 米価が高騰している原因は,海外需要の増大にともなう国際米価の高騰が 直接原因であるが,

1

9

6

7

年における異常な値上りは,それに加えて,国内市 場への出回り量の減少があったからである。

1

9

6

6

/

6

7

穀物年度の米の生産は 1185万トンと,ここ

1

0

数年来の豊作であった。また,

1

9

6

6

年の米輸出は前年 と比べて

3

8

万トン減の

1

5

1

万トンに過ぎず,持越米の不足も考えられない状 態であった。それにもかかわらず国内市場への出回り量が減少し,国内の米 不足を招いているのである。その原因としては,一般的には,農民が今後の 値上りを見越して売り控えているためといわれているo一部地方では,政府 の米価規制が行なわれ,値下りするのではないかとの見通しから精米所が買 い控えていることが原因だとされている。さらに近隣諸国への密輸も見落せ ないようである。

1

9

6

7

年末,政府がラオス,マレーシアへの米の密輸取締り を強化すると発言していることからうかがわれるように,密輸米に大きく依 存しているラオス,国内米価がタイ圏内米価の 2倍になっているといわれる ’マレ}シアへは,かなりの量のタイ米が密輸されていると推測されるからで ある。 こうした食糧品を中心とした物価高騰,流通通貨量の増大に対して,

1

2

2

8

日スーム蔵相は,記者会見で,インフレーションではないと否定している。 それを証明するように,

1

9

6

7

年中には新たな金融,財政措置が講じられてい ない。対策は園内米価の高騰を抑えることに集中している。

1

月,米の輸出プレミアム〈一種の輸出税で,国際米価の影響をやわらげ る手段とされている〉の従量制から従価税への変更, 3月,政府保有米の放 ー− X -

(16)

-68-出, 9月,米輸出量の削減などの対策がとられた6 これらの諸対策も,あま り効果をあげることができなかったようで,

1

9

6

7

1

2

月末の

100%

白米トン 当り卸売価格は,依然として,年初よりも

6

0

0

パーツ以上の高値となってい る。 ベトナム戦争の激化,国内のゲリラ活動の活発化などから, ドノレ流入は続 くであろうし,また米価を中心とした食糧品の値上りも続くことが予想され る。現在,インフレーションではないと政府は否定してはいるが,その傾向 は今後強まりそうである。 タイ国が,第

1

次開発計画を終了した時点で,

8 %

以上の経済成長率を示 して順調な発展を見せて来たのは,一貫して政府が,とって来た超健全な保 守的金融,財政政策によって,物価,通貨を安定させて来たことにあずかる ところが大きい。しかし,今後,現在のような物価高騰,流通通貨量の増大 を放任しておけば,悪性インフレーションを招く可能性は充分考えられ,タ イ国の経済発展に重大な影響を与える恐れがある。

3

.

農業生産と産業投資

1

9

6

7

年の農業生産状況は,現時点では正確に把えることは出来ないが,現 地紙上で発表されたものをまとめて見ると,近年にない不作の年になりそう である。 米は

8

月末現在,収穫可能面積は

2

6

.

8

4

万ライで,総水田面積

4

7

0

2

万8000ラ イの

57%

と発表されている。

1

9

6

5

年,

1

9

6

6

年の

70%, 85%

と比べると大幅な 減少である。これは全国的に成熟期に雨量が少なかったためである。 とうもろこしは種播期に雨不足に見舞われたため,前年より

2

0

3

0

万トン の減産が予想され,

1

0

0

万トンを下回ると発表されている。ジュ}トは!国 際価格の大幅な低落,雨不足が重なって,前年より

50%

近い減産で,

40

万ト ンぐらいと見込まれている。タピオカもジュートと同様,国際価格の低落と 雨不足が重なって大幅な減産が予想されている。 ジュートは,

1

9

6

6

6

月の卸売価格トン当り

3

9

5

8

パーツをピークとして, 低下の一途をたどり,

1

9

6

7

9

月には

1

7

2

6

パーツと半値以下に落ちている。, タピオカも

1

9

6

6

8

月を境にして下落し,

1

9

6

7

2

月には卸売価格トン当り

1

7

2

8

パーツと

8

月に比べで,

5

4

0

パーツの安値となっている。

- 6

9

m

(17)

タ イ 輸出商品のほとんどは減産が予想されているが,この原因は雨量不足と国 際価格の低落にある。天水への依存度が高いタイ農業にとって雨量不足は決 定的な不作要因ではあるが,国際価格の低落が生産に直接影響するという事 態は,現在の工業助成措置によって緩和しうる問題ではなかろうか。特に, ‘金輸出額の16%を占めるまでに拾頭してきたジュート,タピオカの生産が, このような理由から落ちているのを知る時,その感が強い。 パンコク銀行の1967年上半期経済状勢報告も「本年上半期の貿易で注目さ れるのは,国際市場の不安定さと対決をしいられてたことであり,国際価格 Aが急落し,園内生産がその影響を受けていることである」と指摘しているロ とれは,産業投資奨励法によって,工業化が進展し,工業生産が,年平均

1

0

%以上の成長を見せていながら,一方で国際価格の変動が生産に直接影響す る不安定な経済構造が,依然として存在することを物語っているとともに, それは今後の経済発展に一つの課題を提出しているといえよう。 1962年に大幅な改正で外資に対する優遇幅を広げた産業投資奨励法は,外 資導入に役立つてきた。 1967年に入って申請件数,認可件数が著増し,工業 記のテンポは早まっている0 1967年 7月現在, 647件の申請が投資委員会よ り承認され, そのうち432件が助成適用許可証を受けている。 これら助成企 業の総投資額は37億ノミ}ツを越え, 6万人以上のタイ人雇用をつくりだして いるo しかし,これらの企業には,鉱業,農業,畜産業,漁業,運輸業,ホテル 業も含まれ,さらに,輸入原材料による包装,加工,組立工業も数多く,い わゆる製造工業と呼ぴうる工業は少ない。また,原材料の輸入税に減免措置 がとられているため,国内原料を使用する製造工業は少なく,農業生産との 関連は非常に少ない。 このような工業助成の在り方,あるいは工業化のパターンは,第 1次産品 輸出に大きく依存するという,従来の不安定な経済構造の変革にはさして役 立っていないといえよう。 1967年のジュ}ト,タピオカといった,工業用原料としても充分使用しう る農産物が,国際価格の変動で生産が直接影響を受けているという事実を知 るとき,今後タイ経済が安定した発展を見せるためには,工業化をより一歩 ー−X U - -70ー

(18)

進めて,包装,加工,組立から付加価値をより高める圏内原料を使用する真 の意味の製造工業を育成することの必要が痛感される。また,それによって 農業生産の安定と,農民の所得向上への道が聞けるのではなかろうか。 産 業 投 資 奨 励 実 績 (1959年 4月13日∼1967年7月31日〉 /1

1

1

4

1

1

9

6

5

,

19

1967 (1月M 合計 7月) 1) 講認者可受数領した申 5,

a

,

日市 ti5 82 69 61 90 1郎 617 2)

f

g

韓欝

23

o

,

3' '3 飽 59 56 '5 70 臨 2 通)のり内訳は下記の

A

タ イ 企 業 数 9 1ft 21 15 初 17 26 18 S6 180 外 国 企 業 数 2 1 2 5 2 2 初 合 弁 企 業 数 12 20 12 26 37

a

,

30 23 鑓 都 、

B

企 業 創 設 数 16 25 23 28 (6

o

,

u ω

63 E鈍 企 業 拡 張 数 『 15 11 15 16 19 9 .5

l

f

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1 3 2 自 23 13 13

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17 9(

C B

業種企業数 1 『 2 6 2 s お

C

業種企業数 22 35 31 28 舗

a

,

,s 羽 50 315 D 全(100登万録パー資ツ本)、212., '21.18初5.66 368.02 担3.75 (91.63 m.2 脇

.

u

68U 3,717 タ (1帥万イパ資}ツ本) 138.58 35U6 165. 77 2'8.'5 S28.5 251.79 153.28 S52;S 5U.S7 2,537 外 (100万国パ資ーツ本) 73.82 73.02 39.89 119'57 195.笥 239.8( 87.鑓 211.11 UD.33 1,180 E 活(100動万パ資ーツ本) U9.7 8田.631,020.(3 1,106.73 1,583.78 1鈎,5.(6597.19 1,8117.73 Z飽1,.34U,雌 F 機(100万パーツ)械 270.29 '6UB節

r

n

槌1.72 9'2.( 1,070側. 邸飼 1,1測.561,5H.53 S総,5 G タイ人労働者数 ,,237 12.(0f 3,926 5,'27 9,9(9 5,619 8,223 ,鑓

.

t

s

〈出所) Board of Investment -71ー ’−

(19)
(20)

Xlll-タ イ

1

6

日,ついにタイ政府は戦闘部隊の南ベトナム派遣決定を

f

正式

j

に 発表した。決定に至るまで,相当の論議があったのであろう。 「正式

J

発表 までの経過は甚だ、すっきりせず,混乱し,互いに矛盾する報道が多かった。 結局, 「正式発表」によれば, 2月16日までに志願者を募集,それ以後 3ヵ 月以内に2300人を派遣するという。派兵には決したものの,ベトナムの戦況 に鑑みれば,極めて緩慢な足どりではある。 1月中旬,ホイラー米統合参謀本部長,ブラウン空軍長官らがタイを訪問,

B-52

大型爆撃隊のウタパオ基地移駐がほぼ最終的に決定をみたようである。

B-52

は本来,核戦略攻撃用であって,そのタイ基地への移駐のもつ政治的 な意味は大きい。したがって,例によってタイ府政の公式的態度はいまだに 暖昧である。 タイ政府はこれまで自国のベトナム戦への参加にかんし極力回避的な姿勢に をとり続けてきた。しかし事態はこうした回避を許さず,ついに戦闘部隊派 遣の決定,

B-52

のタイ進駐受諾に至った訳である。 これとともに,若干の 徴候によれば,これまでタイ側の回避的な姿勢に表面上“付き合って”きた 米国側は,タイのベトナム戦への参加を公然たるものにする決意を固めた。 1月18日,マーチン米駐タイ大使はタイ駐留米軍は 3

6000人以上であると 発表,さらにタイの七つの空軍基地を南北ベトナム爆撃に使用していること を暗に認めた。 このようなタイ,米側の動きに対し,共産側はほぼ確実に「愛国戦線」の 活動を活発化させるであろう。政府は昨年末にひき続き「乾季攻勢

J

を実擁 するほか, A警察力の増強,特殊部隊22個隊および「村落自衛隊」の創設など の対策を急いでいる。さらに反共法の改訂・強化を検討中であるが,新法は 当局に住民の強制疎開,任意拘禁などの権限を与える厳しいものとなる模様 である。 一方, 1月 3日,閣議は経済・社会開発

5

ヵ年計画(1967

1971)を承認, -117ー 一( 1 )ー

(21)

タ イ (1

2月〉

6

6

1

0

月に遡って実施することになった。新計画に予定される事業は総額

576

億ノ号ーッ, 従って新計画実施の最大の問題点は資金調達であるo一般行 政費,治安・軍事費の節約はもちろん,商業ベースによる外資の流入にも多 くを頼らねばならない。しかし,当局の対策にかかわらず, 「愛国戦線」が その活動を活発化するのに成功すれば,こうした資金調達は全く不可能とな ろう。この点タイの将来には非常な不安がある。ベトナム戦への参加の件に つき,最近とみに慎重になったプラパート内相は, 2月19日, 「北ベトナム が和平交渉に応ずるよう,米国は決定的な行動をとるべきである。」と述べた 恥が,これは上のような不安から来る,ベトナム戦早期終結への焦慮を表明し たものと解釈できょう。 九繍発計画の実施について今ひとつ問題となるのは,タイの経済が「特需」 、の刺激によってすでにインフレ傾向をおびてきていることである。タイラン ド銀行は

1

3

日付告示で,商業銀行の貸出最高限度額が従来

1

企業当り資 本金の

40%

相当額であったのを%に引き下げ,

7

1

日以降実施すると発表 した。外資導入促進,および企業の自己資本充実の狙いもあろうが,主な目 的は大口の民間投資抑制によるインフレ対策とみられる。 ;昨年以来,問題となっている消費物価の高騰についても解決のきざしはな 匂九消費物価の動向をつねに主導する米価も,新年度出廻り期にかかわらず, 期待された程下らず,むしろ漸騰傾向を示しているo政府は

1

月中旬に輸出 来プレミアムの徴収を従量制から従価制に改め,かっ輸出許可の枠をむしろ F控えめの月間

1

5

万トンとするなどの措置をとってきた。また,今年度の収穫 も農林省の予想、によれば1190万トン(籾)と,豊作の部なのであるが,新籾の 出題号、が予期した程伸びていない。政府当局によれば,地方精米所や仲買人が 中央市場の先高を見越して籾を保蔵し,農民もまた籾を売り急がなくなって いることなどがその原因とみられる。出廻りを促進すると同時に一般消費者 を苦しめる程の高値を招ねかないような,巧妙な対策が要請される訳である。

66

年中,

f

特需

J

をあてこんでサービス業への旺盛な投資が行なわれたが ホテル業への投資はすでに過剰となり,ホテノレ業界は

6

7

年に入ってから苦境 に立っているという。基地経済化したタイの経済の将来を暗示するものとし て,注目に値する事件であるo 一( 2 )ー -118ー

(22)

タ イ (1

2月〉

φ

武力闘争によってのみ祖国の独立が可能,タイ愛国戦線代表,創立 2周年で強調 北京 1月 1日発新華社= A NS電は次のように報じた。 タイ愛国戦線国外常駐代表 部は1日夜,同戦線創立2周年の祝賀レセプションを聞いた。 これには麿承志中国ア ジア・アフリカ連帯委員会主任,米国の有名な黒人指導者ロパート・ウィリアム氏, チャン・トウ・ピン中国駐在ベトナム民主共和国大使, レ・タン・ソン・南ベトナム 解放民族戦線中国常駐代表団員,北京在住の日本平和活動家西園寺公一氏らが出席し た。席上同戦線の国外常駐代表ノξァヨム・チュラノント氏と摩承志中国A A連帯委員 会主任があいさつし,それぞれ次のようにのべた。 0パァヨム・チュラノント代表 タイ愛国戦線は創立以来の 2年間に,国の独立と民主主義のために奮闘し,米軍 と侵略勢力をタイから追い出すこと,米帝国主義の手先ファシスト独裁政権を打倒 することというこつの政策を進めてきたが,その結果タイ東北部と南部には闘争の 烈火が燃え上がった。これら両地区の小さな火花は,近い将来革命のあらしによゥ て全国に広まるるであろう。武力によってわれわれのもっとも愛する祖国を占領し 植民地としている米帝国主義,これを武力によって追い出すこと,米帝国主義から 武器を受け取り,人民を気ちがいのように惨殺し,弾圧しているタノム=フ。ラパー 卜一味,これを武力によってくつがえすこと,これらによってこそ,われわれは国 家の独立と人民の民主的な権利を得ることができ,平和,中立の政策をとることが でき,われわれの祖国を富み栄えた国に築き上げることができるのである。 米帝国主義は,全世界人民が立ち上がって反対し,ベトナム人民が人民戦争によ って手ひどく打ちまかしたため,進退きわまった状態にある。これは,米帝国主義 とその共犯者ソ連現代修正主義に断固として反対するため,全世界の革命的人民が 国際統一戦線を結成するのにきわめて有益である。タイ人民はみずからの武装闘 争,人民戦争,米帝国主義反対,ソ連修正主義反対の闘争を全世界の被抑庄人民の 、闘争への支持の一部分とみなしており,同一の戦場で凶悪な敵と向き合っているベ トナム人民,ラオス人民,マラヤ人民,カンボジア人民,中国人民と肩を並べて戦 うであろう。勝利は必ず人民のものであり,滅亡と失敗は帝国主義のものであるo 世界の革命的人民の偉大なとりでとしての中国は,偉大な毛沢東思想、の指導のも とに,プロレタリア文化大革命で大きな勝利を収め, 4目前には新たな核実験を成 功のうちに行なった。これは,米帝国主義をはじめとする帝国主義の侵略およびそ -119ー 一( 3 )ー

(23)

タ イ (1

2月〉 の共犯者ソ連現代修

E

主義グループ,一切の反動派に打ち勝つ世界人民の確信と勇 気をいっそう強めた。 0摩承志氏 1967年は,タイ人民が米帝国主義とその手先タノム=フ。ラパート一味に反対する 闘争でいっそう大きな勝利を得る年であり,米国をはじめとする帝国主義,ソ共指 導部を中心とする現代修正主義および一切の反動派に反対する世界各国人民の闘争 がいっそう大きな勝利を得る年である。新しい年に,中国人民はマルクス・レーニ ン主義,毛沢東思想の偉大な赤旗をいっそう高くかかげ,米帝国主義とソ連現代修 正主義に反対する闘争でいっそう大きく貢献し,世界各国人民の革命闘争をさらに 断固として支持する決意である。

φ

南ベ/トナムへの派兵にかんする正式発表 1967年 1月6日,タノム首相は総理府に特別記者会見を招集,次のように述ベた。 (1) タイが南ベトナムに戦闘部隊を派遣する件につき,さまざまの報道が行なわ れているがこれらは非常に混乱しており,互いに矛盾撞着しているので,ここに正 式の発表を行なう。タイ政府はこの件につきあらゆる段階で,すなわち国防委員会, 国家安全保障委員会,閣議などで,徹底的な審議をつくした。その結果,政府は早 急に南ベトナムに戦闘部隊を派遣することが適切であるとの結論に達した。現時点 では,南ベトナムで戦うことは,即ちタイの防衛のため直接的に戦うことをいみす る。共産主議者らがかの地で勝利すればタイが次の目標になるだろうからである。 (2)派遣軍は歩兵,砲兵,装甲,医療,補給部隊よりなる混成部隊とし,他の連 合軍部隊の指揮下に入ることなく,独立のー単位として戦えるものとする。部隊の 装備については米軍の援助をうける。派遣する兵力の大きさ,派遣時期については 検討中である。兵力は大体 1千人以上となろう。派遣軍の扱いは,かつて韓国へ派 遣したタイ軍のそれと同じとする。 (3) 派遣軍の費用については,すでに予算措置を講じたが,費用の大部分は米国 の軍事援助により賄われることになろう。

μ

)南ベトナムに軍隊を派遣することにより,タイの国防につく兵力が削減され るようなことはない。派遣軍は志願兵から編成する予定である。韓国へ派遣する国 連軍も志願兵から編成したが,志願者の数はあり余る程であった。今度の場合もそ うなるであろうと予想している。ただし兵役の経験のないものの訓練は大変なので 予備役にあり,かつジャングル戦の訓練をうけたもののみを採用する予定である。 一( 4 )ー -120ー

(24)

タ イ (1

2月〉 多数の応募者 以上の決定にもとづき,国防省は10日付で南ベトナム派遣軍志願兵募集要項を発表, 16日より応募の受付けを開始したが, 第 1日だけで計2309人が応募してきたという。 2309人のうちには,将校15,下士官570人,僧侶30人が含まれている。 (B.P.1.17) 応募締切の 2月15日まででは応募者は約 2万8千に達した。また, l月23日,タノ J ム首相が明かにしたところによれば南ベトナム派遣兵力は2295人で, 採用決定後,約 90日の訓練を経て派遣される。 (B.W. 1. 24) (注〕 募集要項は次の通り。 1. 応募資格。タイ国籍を有する 18∼35才の男子。健 康で軍務に耐え得るもの。兵役または予備役にあるもの。兵器その他装備の操作 に心得のあるもの。士官あるいは下士官として応募するものは歩,騎,重砲,幡重, または医療部隊に現在勤務中のもののみに限る。 2. 期間。 1月16日より 2月15 日。 (B.

w

.

1. 11)

φ

タイにおける米軍の活動 1月四日, マーチン米駐タイ大使は米国商工会議所で毎年の恒例である演説を行な い,そのなかでベトナム戦に対するタイの協力につき,次のように述べた。 タイがSEATOの諸目的を強く支持していること,南ベトナム,米,その他連合 軍の活動に対し多大の協力をしてくれていることを高く評価する。タイはコーラー ト,ウボン,ナコーンパノム,ウドン,タクリ,ウタパオなどの空軍基地を米軍の 利用に提供しているが,これによって何千という南ベトナムにいる連合軍兵士の生 命が救われている。タイはまたSEATO条約地域防衛の便宜のため,その国土に近 代的かっ大規模な兵結施設網を建設することを許した。 1月5日現在,タイにいる 米軍の数は 3万5283人,うち約8000人は兵枯・通信・運輸施設の建設・維持にあた っている。米国はまたタイ軍の訓練・装備を援助しているが,これは 16年前に始め られた計画の続行である。タイにはたしかに米軍特殊部隊がいるが,.これは訓練の ためであり,いかなる米軍部隊も,またタイ当局に一時的に貸与されているヘリコ プタ− 1台といえども,タイの叛乱分子に対する鎮圧行動には参加していない。こ れはタイの防衛にはタイ軍が責任を負うという,タイ側の主張による。 (B.W. 1. 19,B.P.1. 19) 争憲法発布をめぐる動き 66年12月∼67年 2月のタイ諸紙の報道を総合すると,憲法発布をめぐってタイ政界 には次のような動きがあるようである。 -121ー 一( 5 )ー

(25)

タ イ (1

2月〉 憲法草案の準備状況 フ。ラバート内相によると,憲法草案調査委は3月までに草案の検討を終え, 5月に 改訂案とともに制憲議会第 2読会に提出する。第 2,第 3読会は,年内には草案の検 討,採決を終える予定である。選挙法,政党法もほぼ原案はでき上っている模様であ る。 憲法発布の時期について 憲法発布の時期については,現在のところ制憲議会内に大体三つのグループがある。 第1はいそぎ憲法を発布すべきであるとするグルーフ。であり,このグループの構 成員はそのほとんどが技術関係者,法律専門家,現在何らの官職をえていない政治 家である。彼らは「政府は国内情勢を掌握している以上,憲法発布に何ら危険な点 はなく,むしろ民選政府は国民のすぐれた才能を発揮させる故に現在の政府より有 .能であることになろう。また現政府は非民主主義的であるという共産主義者の非難 に答える強力な政治的武器を得ることになるj旨を主張している。現政府の有力者 のひとりであるポット開発相はこのグループに傾いているとみられる。彼は記者会 見でたびたび,憲法発布に障害となるような事情は現在のところ何もないという見 解を表明しているからである。また人望ある在野の政治家,クアン・アパイウォン らがグループの代表者格である。 第 2のグループは現在高位にある軍人,官吏よりなっており,憲法発布に反対で ある。その理由は,①現情勢にはいまだ危険な要素が多分にあり,現政府がそれを 完全に掌握しているとはいえない。②現政府は成功裡に行政の任にあたり,順調に 国の経済開発をすすめている。憲法発布が現体制以上に国民の福祉に貢献するとは 思えず,むしろ政界の一部の憤激を買うことになろう。というものである。 第3のグループは第1と第2のグループの中聞に位置し,憲法は発布すべきであ るが,発布後総選挙実施までの施行期間については現政府の自由裁量に任せるか, 原草案の定める 180日より,たとえば240, 270日に延期すべきであるとする。また 憲法発布後90日を経て政党法・選挙法を公布し, 180日を経て総選挙を実施する, などの案も出ている。また,国民の民政または自治への要求を満すと同時に,国民 をまず民主中義に慣らすため,当初はまず,市議会,県議会など地方政府の民選か ら着手するにとどめ,総選挙の実施はその後にするという案もあるようである。こ のグループ可こ属する現政府の有力者には憲法調査委員長ワンワイ殿下があり,タノ ム首相もその発言からみてこのグループに入れてよいようである。フ。ラパート内相 は地方政府の民選移行と施行期間の自由裁量を主張する分派の代表格とみられる。 一( 6 )ー

(26)

-122-タ イ (1

2月〉 政党結成の準備 次の三つの政党が結成を準備中であると噂されている。 (1) 国家民主党(仮称〉 現政府予党である革命団のメンバーにより結成準備が 進んでおり,その主たる推進者はポット開発相で,党首としてタノム首相を迎える 意向であるという。ただしタノム首相はポット開発相が現与党たる革命団の依頼を うけて新党結成の準備をしているのだとの説を否定し,彼には政党制度の円滑なる 運営について研究を依頼したにすぎぬ,と語っている。またこのグループはもと東 北地方選出の国会議員など,東北の有力者に働きかけを強め,彼らの支持を得るべ く努力しているとの説もある。 (2)民主党 クアン・アパイウォン氏を指導者とする,もと民主党員により再建 がはかられているという。新党首にはクアンの老齢の故をもってタイ宇有名新聞の 論説委ククリット・プラモート氏を迎えようとする動きもある。もと民主党員の有 力者は今でも月l回,

5

人以下の集りを持ち〈戒厳令で5人以上の政治集会は禁止 されている〉,その結束には根強いものがあると言われる。 (3) Seri Mananggasila党 ピブン政権時代の与党であるが,同じく再建の動き が噂されている。 調葺委で問題とされている憲法・政党法・選挙法草案の条項 0施行期間について種々の意見のあることは上述の通り。 0選挙権。教育年限により制隈する案は否定されたようである。現在のところ,選 挙権の行使を国民の義務と規定すべきか,権利と規定すべきかにつき検討がなされて いる。 0上院(任命制〉にも立法動議権を与えるべしとの改正案, および内閣不信任動議 につき下院と合同で討議し投票する権限を与えるべしとの改訂案があって意見がわれ ている。現政府有力者の多くはこれらの改訂案に賛成である。 0土地収用にかんする条項の解釈をめぐって異議が出され,検討されている模様で あるが,討議の内容は明かではない。

φ

反共対策の強化 最近タイ政府は反共対策強化のため次のような措置を講じている。 (1)内務省は東北部および南部のジャングル内における戦闘で共産ゲリラと戦う 特殊警察軍22個部隊を組織中である。タイ駐在USOMがこれに軽ヘリコプター, 通信設備,武器などを供給している。隊員はジャングル戦のために特別に訓練され -123ー 一( 7 )ー

(27)

タ イ (1

2月〉 たもので,民間人,警察,軍人で構成された地上軍を援助するため,ジャングル内 のゲリラの隠れ場とみられるところに空輸・配置される。今のところ,いつでも出 動可能なように,東北部要地に待機する予定である。また,昨年以来,各村に合計 1700台の無線機を配布する計画が米国の援助のもとにすすめられており,特殊部隊 の組織とともに鎮圧当局の機動力を大いにたかめるものとして期待されている。 (2) 各村に村長を長とし,志願者計 5名による“自衛団”をつくる計画は現在の ところ試験的に69ヵ村で実施され,志願者500人が各種訓練をうけている。将来は 東北全体で2万人の自衛隊を設置する予定である。また,これまで郡庁所在地の みであった警察哨所を東北250ヵ村にも設置する予定で,すでに50ヵ村に哨所が設 置された。 (3) 地方警察を計3万2000人に増員,国境ノミトロール警察詮6500人に増員した。 (4) タイ政府はまもなく制憲議会に共産主義活動防止条例の強化修正案を提出す る予定である。これは内務大臣に“共産主義者浸透地区”を宣言する権利を与え, その地区内での効果的対策をとるため,役人を任命できる権利を与えるというもの である。これによれば“共産主義者浸透地区”宣言は 1年以内にこれを解除されな い限り 1年間有効である。内務大臣は共産主義活動防止局長官を任命することがで き,長官は次のような権利を持つ。 a.武装命令を発する,屋外に武器を携行することを禁ずる,居住区域を設定 する,夜間外出禁止令を出す,住民を当局に出頭させる。 b. “共産主義者浸透地区”宣言のため民間の居住が禁止された地区に住んで いた者は他に移される。 c. これらの命令に違反したもの,また武器,化学薬品,食糧など携行禁止地 区でこれらを携行していたものは,相当の罰金刑を受ける。 d. “共産主義者浸透地区”宣言を受けた地区の担当警察官あるいは政府役人 は,逮捕令状あるいは捜索令状なしに疑わしい人物を逮捕または捜索できる。

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ウポン県レオン・ノク・

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郡の実状 ポスト紙記者 DerekMaiclandは次のように報じた。 ごく最近に至るまで,レオン・ノク・タ郡は共産主義者幹部約 100人のちょうり ょうする所となっており,郡住民の約40%は彼らのシンパであり,レオン・ノク・ タ町東北 8kmの地点にある Banclan村のごとく,村全体が“赤”となり警察によ り踊離されねばならなかった例もある程である。ここでは,共産主義者に対する戦 -( 8 )ー

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-124-タ イ (1

2月〉 いで連合軍が協力している。すなわち,米軍の巨大なウボン基地はその存在でもっ てゲリラを威嚇し,オーストラリア空軍の F-86型戦闘機中隊(1962年より SEATO 条約にもとづきウボン基地に駐在〉はつねに県上空をパトロールし,タイ人パイロ ットの養成に当っている。英軍第34野戦工兵大隊は,このほど飛行場(滑走路延長 6千フィート〉の建設を終り,全天候道路を建設してパンコクとラオス国境をつな ぐ仕事に従事している。同大隊は3年前にボノレネオのマレーシアニインドネシア国 境より移駐してきたものである。また郡には住民の安全を守るためタイ軍が配置さ れているが,この他当局は各村に志願者 6人よりなる“自衛団”をつくらせた。自 衛団長は疑わしい人物を拘束し,尋問し,射殺する権利を与えられている。 争うZイ政府,開発計画の資金調達に3方法を考慮 (B.P. 1.25) 信頼筋が24日語ったところによると, タイ政府は将来の開発計画の資金源として次 の三つの方法を利用する予定である。 (1) 港湾拡張,第2国際空港建設,多目的ダム建設,幹線道路の建設などの主要 計画には世銀などの国際機関から借款を受け,入札は全世界各国から公募する。 (2)援助協定にしたがい,低利子,長期支払いの条件で米国,日本,西独から借 款を受け,これらの借款を用いて行なわれる計画に対する入札はこれらの国の会社 からに限る。 (3) 入札に勝った会社の国からクレジットを受け,この場合利子は通常の利率で 前述2例よりも高くてもよいとする。 なお2月に世銀ミッションが派遣され,経済計画を検討し勧告をおこなう予定。 や経済開発 6ヵ年計画の成果一一ブンチャナ開発省次官談。 (K.P.2. 10) (1) 経済の総体的拡大と安定 1961∼66年の 6年間に国家経済は満足すべき率で拡大した。国民総生産の伸びは, 1960年の 557億1700万パーツから, 66年には 869億8000万パーツになった。 G NPの 伸び率は年平均 7.2%, この間の人口の増加は年率 3.2%であるから国民 1人当りの 所得の伸びは 4 %となる。 1960年の2056パーツから, 66年には2620パーツに増加して いる。 G NPのこの伸びは,政府・民間を通しての投資の伸びによるものである。国 家の投資額は, G NPの20%に当る。 G NPの伸びに伴って,投資額も 1960年の81鰭 e、 5000方ノξーツから66年の 193億パーツへと増加した。消費物資への投資も増加したが, 園内の物価水準は僅かしか上昇していない。一部商品の輸入も増えているが,外貨準 -125ー 一( 9 )ー

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タ イ (1

2月〉 備高は依然として潤沢である。 主要産業の生産 農業の生産状況は満足すべきものである。生産量の伸びは年率 5 %,特にメイズ,ジュート,カッサパの伸び、が著しい。工業生産の伸びは,年間10.5 %。麻袋,精米,セメントのような在来の産業も急速な伸びを示したが,精油,自動 車タイヤ・錫精練,製紙,ガラス製造,紡績,織布,製薬,建設機械等,新しい工業 の発展も目ざましかった。 1965年末現在の登録工場数は 3万 8393件で 1960年の 1万 6005件に比べ倍増している。 鉱業の面では錫の生産が著しく伸び,他の鉱産物も下表のように伸びている。 錫 リグナイト 鉄 膏 1960年 1966年 16,757トン 107,783II 11,475II 13,00QII 27,100トン 153,100 " 701,QQQII 34,QOQII 石 貿 易 開発計画期間中の輸出量は, 年平均9.0%で伸び, 1960年の86億1400 万パーツから66年の152億1900万パーツに増加した。全輸出額中食糧の占める割合は 1960年に 45.4%だったものが1965年には57.9%となり,新しい重要輸出品目として は,メイズ,ジュート,カッサパ,マイロなどがある。輸入品目の大部分は消費物資, あるいは機械,建設資材で,資本財の輸入は1960年には全輸入額中24.8%であったも のが, 65年には31.7%となっている。 1963年の貿易収支の赤字は 31.27億パーツと記 嶋鰻的であったがその後減少を示している。 財政,通貨,金融 財政規模は過去6ヵ年に 2倍に膨張した。即ち, 1960年の66

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印O万パーツから1966年には144億4000万パーツ,この間増税は行なわず, もっぱ ら対外借款と国内借入にその財源を求めた。従って, 政府の負債は次第に増大した。 園 内 借 入 対 外 借 款 1960年 1966年 63億2000万ノξーツ 21億5300万 n 122億5600万パ}ツ 50億3400万 F 政府は通貨の安定をはかり,開発途上国一般にみられるインフレ問題はない。通貨 量は, 60年末の 100龍パーツから66年末149億パーツへと緩徐な率で増加している。 また,市中銀行の機能が改善され,預金額は, 1960年の46億4300万パーツから66年に

163億

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∞万パーツへと増加している。 (2) 第1次経済開発計画の成果 第1次経済開発計画の使用資金総額は 281億8000万ノξーツで, その部門別配分なら 一( 10)ー -126ー

(30)

びに事業の概要は次の通りである。 農業および協同組合 3,900(万パーツ) 13.85(%) 工 業 2,340 8.30 通信・運輸 7,360 26.12 エネルギー 4,740 16.82 社会開発と公共施設 5,560 19.73 公衆衛生 1,060 3.76 教 育 2,080 7.38 そ の 他 1,140 4.04 計 28,180 100.00 a. 農業および協同組合 ①濯j降計画,濯概地域を190万ライ増加させた。 1961年の980万ライから 1966年に は1170万ライになっている。③農業研究と振興,地方農業出張所2ヵ所,ゴム研究セ ンター1ヵ所を新設したほか農業局,米穀局,漁業局,畜産局な

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の研究所や試験所 の機能の効率を高めた。 1966年末現在これちの研究所,試験所の数は135ヵ所である。 ⑨農業振興,農民協会を60県内に1千団体(会員4万世帯)設置,④ゴム樹の植えか え面積約15方 8千ライ,⑤西独との協力事業として水産業およひ嘗産業振興機関の設 置を目指し、準備をすすめた。⑥森林保護機関30ヵ所の設置,約 7千ライ?とゴム植樹, ⑦134方5418km2土質検査と分類,⑧土地協同組合(487組合,組合員2方8300世帯,耕 作面積73万8900ライ〉の活動強化と幾つかの商業協同組合の内容改善,⑨農業協同組 合銀行(本店,パンコク,支店5ヵ所〉の設立。 b.工 鉱 業 ①投資奨励委員会の設置,⑨産業投資会社が19件, 1億6250方パ}ツの融資を行な った,⑨中小企業振興政策に沿って, 中小企業C)O件へ1900万パーツの融資,

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浦部, 北部,メコン荷流域の重点的な鉱脈調査。 c. エネルギー ①発電能力を2倍に,すなわち28万8700kwから55方2600kwに増強し,②ヤンヒーに 北部,中部,東北部の23県へ肥送電するための施設を建設, クラピープランでは8県 へ送電。 d.通信と運輸 ①東北部,東部に通信所を設置。北部,南部に建設中,②電話拡張8万7部0個を架 設。うち主都圏5万5000,県庁所在地3万2850個,③ノ、ィウェイ延長, 1961年の8500 -127ー

参照

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( (再輸出貨物の用途外使用等の届出) )の規定による届出又は同令第 38 条( (再輸 出免税貨物の亡失又は滅却の場合の準用規定)

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