接続詞「だから」をめぐって : 「しかしだから」「だからこそ」「だからか」「だからといって」
15
0
0
全文
(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第67巻 第1号 Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 67, No.1. 平 成 28 年 8 月 August, 2016. 接続詞「だから」をめぐって ―「しかしだから」 「だからこそ」 「だからか」 「だからといって」―. 馬 場 俊 臣 北海道教育大学札幌校日本語学研究室. On the Japanese Conjunction “Dakara” : “Shikashi Dakara”, “Dakara-koso”, “Dakara-ka” and “Dakara-to-itte”. BABA Toshiomi Department of Japanese Linguistics, Sapporo Campus, Hokkaido University of Education. 概 要 「だから」について,劉怡伶(2006)は,逆接の接続詞が直前に現れ得ること, 「だからこそ」 「だからか」「だからといって」という表現があることを根拠として,「話し手は「だから」を 用いる時,自分の中にある知識「P→Q」が聞き手の中に成立していない(または成立しない) と仮定する場合がある」「「だから」が引用の形を取った時,或いは後件の一部をなしている時 は,聞き手の中に成立している可能性があると話し手が仮定している知識「P→Q」を否定す る用法になる」と主張している。しかし,この主張には,①「しかしだから」は自然さが低い, ②「だからこそ」「だからか」「だからといって」の特徴を「だから」の特徴と同一視すること はできない,③因果関係以外の他の接続詞へ一般化することができない,④「ですから」を意 味用法上「だから」と異なるとする根拠は妥当ではないという問題がある。これらの問題が十 分に説明されない限り,劉怡伶(2006)の主張は受け入れがたい。. 1.はじめに 本稿では, 接続詞「だから」に関して,特に「しかしだから1」 「だからこそ」 「だからか」 「だからといって」 を考察対象とする。それぞれの用例を(1) ~ (5)に示す。 (1) イプセン『我々はみな真理のために闘っている。だから孤独なのだ。寂しいのだ。しかし,だか 1 「しかし」以外の「でも」などの逆接の接続詞も含む。代表として「しかし」を示している。. 1.
(3) 馬 場 俊 臣 2 ら強くなれるのだ。』(http://www.a-inquiry.com/ijin/339.html)(2016.3.7閲覧). (2) 親が子どもにしてあげられることは,意外にわずかなものだ。 しかし,だからこそ生後しばら くの親と子の深い関係性は,重要だともいえる。(LBs5_00058) (3) 目まぐるしくものごとが変化する現代社会では,「頭を空っぽにする」にも,相当な努力を要す るようです。だからこそ,誕生して五千年を経た今も,ヨガが求められているのかもしれません。 (LBq4_00055) (4) 日本では夫のほうが年長の場合が多いので,老妻が高齢の夫を看るのが一般的です。そして夫を 見送ってしばらく独居の後,施設入所となる場合も少なくありません。だからか,老人ホームの入 所者は七割前後が女性です。(PB24_00062) (5) 人間関係は狭いより広いに越したことはない。一つが閉ざされても,他の何かが残っていれば, そこに心の平安を求められる。それこそ,一番断ち切ることが出来ない親子関係からも,避難でき る場を持っていれば,人は救われることもあるのだ。だからと言って闇雲に広ければ良いというわ けではない。(PB59_00088) 「しかしだから」は,逆接の接続詞「しかし」が先行し順接の接続詞「だから」が後続する「接続詞の二 3 である。 重使用」. 「だからこそ」は,「逆説的な原因・理由」「原因・理由の強調」を表す。前田直子(2009)では接続助詞 「から」に「こそ」の付いた「からこそ」の機能を(6)のように述べている。「だからこそ」も同様の機能 を持つ。 (6) 「XからこそY」の場合,最も典型的な意味関係は,原因である前件に望ましくない事態が起こ り,そこからは同じく望ましくない事態が予測されるが,実際には逆で望ましい事態が発生するこ とを後件で述べるというものである。(中略)以上のように,後件に望ましい事態が来ることが典 型的であるが,そうでない場合もあり,その場合は,前件が後件の原因・理由であることを強調し, 後件の原因・理由となっているのは他でもない前件であるということを述べる。(前田直子2009: 179) 「だからか」は,接続助詞「から」に「か」が付いた「からか」と同じく,「因果関係の不確定表示」(安 達太郎1995) , 「主張回避形式」(野田尚史2007)である。安達太郎(1995)では「からか」について(7)の ように述べている。また,野田尚史(2007)では,文の一部だけを対象としてその対象部分が話し手の主張 ではないことを表す形式を「主張回避形式」と呼び,連用成分の「主張回避形式」の一つとして「不定系」 の「からか」を挙げている。 (7) つまり,原因理由節に「カ」が付加されたものは,従属節と主節が因果関係という関係で結び付 けられるということを不確定的に表示する表現であり(後略)(安達太郎1995:250) 「だからといって」は, 「推論の否定」を表す。藤田保幸(2000)では,接続助詞的機能を持つ「といって」. 2 用例の出典を( )内に示す。Web上の用例はURLを示すとともに閲覧日も示す。また, 「LB……」 「PB……」等の記号で 出典を示した用例は「現代日本語書き言葉均衡コーパス」 (BCCWJ)の用例( 「中納言 2.1.1」 (https://chunagon.ninjal. ac.jp/)利用)であり,サンプルIDを示している。なお,用例中の句読点は「, 。 」に変えている。 3 馬場俊臣(2003)(2013a)(2013b)(2014)参照。なお, 「農水省も従来の生産者寄りから,消費者寄りへと政策の軸足を移 すと宣言した。 消費者の期待が膨らみ,生産者の不安が広がる。 しかし,だからどうなるのだという疑問が浮かんでく る。 (PB26_00045)」の「しかし,だから」は,「だからどうなるのだ」が一まとまりの引用句相当となっており「しかし」 と「だから」の接続機能が及ぶ後件が異なるため, 「接続詞の二重使用」には含まれない。馬場俊臣(2003)(2013a)で「接 続詞の二重使用」ではなくて「包摂」としたタイプである。. 2.
(4) 接続詞「だから」をめぐって. は,接続助詞「から」に「といって」が付いた「からといって」の形でも用いられるとし,その機能につい て(8)のように述べている。「だからといって」も同様の機能を持つ。 (8) つまり,「トイッテ」「トイッテモ」は,ある事柄をとり上げる前件句を形成し,その事柄からそ れを根拠として出てくるであろう推論を見越して,それを否認する後件句を導く助辞的形式なので ある。 (藤田保幸2000:421) 以上のように,「だから」は逆接の接続詞が直前に現れたり,「こそ」「か」「といって」が直後に付いたり することができる。こうした使い方はどの接続詞でも可能であるというわけではなく,「だから」に特徴的 である。 劉怡伶(2006)(以下,「劉論文」と呼ぶ)では,「だから」のこのような諸特徴を根拠にして,「話し手は 「だから」を用いる時,自分の中にある知識「P→Q」が聞き手の中に成立していない(または成立しない) と仮定する場合がある」 , 「 「だから」が引用の形を取った時,或いは後件の一部をなしている時は,聞き手 の中に成立している可能性があると話し手が仮定している知識「P→Q」を否定する用法になる」と主張し ている。 しかし,劉論文の主張にはいくつかの問題がある。第一に「しかしだから」という表現は自然であると言 えるのかという問題である。第二に「だからこそ」「だからか」「だからといって」全体の特徴を「だから」 単独の特徴と同一視しているのではないかという問題である。第三に劉論文の主張は因果関係以外の他の連 接類型の接続詞にも一般化できるのかという問題である。第四に劉論文では「ですから」を意味用法上「だ から」と異なるとしているがその根拠は妥当であるのかという問題である。 本稿は,劉論文の主張に対するこれらの問題を提示することを目的とする。2節で劉論文の主張を概観し たあと,3~6節で上記の問題を順に検討し,7節でまとめを行う。. 2.劉怡伶(2006)の概要 劉論文は, 「前件と後件に因果関係が認められる「だから」の意味・用法を記述することを目的とするもの」 (p.125)である。分析考察では, 「 「だから」の直前と直後にどんな表現が現れ得るかはこの語の持つ意味 的な特徴によって制限されると考えられる」(p.126)ということを前提とし,「だから」の「直前と直後に 共起し得る表現」 「言語事実」 (p.126) ((9)(10)参照)を根拠として,「だから」の意味・用法を(11)のよ うにまとめている。(11)②~④は「だから」の「基底にある因果関係の知識の成立に対する話し手の認識・ 認定の特徴」 (p.131)であり,⑤は「「だから」の特殊な用法」(p.133)である。 (9) 「だから」の直前に逆接の接続語4「しかし,でも」が現れることがある。(劉怡伶2006:126) 5 」をつけ, 「だからこそ」「だからか」「だか (10) 「だから」の直後に「こそ」「か」「といって(って). らといって(だからって)」の形で前件と後件を連接することがある。(劉怡伶2006:126) (11) ① 「だから」の前件と後件の基底には必然的に知識「P→Q」がある6。 ② 話し手は「だから」を用いる時,自分の中にある知識「P→Q」が聞き手の中に成立してい ない(または成立しない)と仮定する場合がある。 ③ 「だから」の後に「こそ」を付け加えることにより,前件と後件の基底に知識「P→Q」が. 4 劉怡伶(2006)では「接続語」という用語を用いているが,本稿では「接続詞」の用語を用いる。 5 本稿では「って」「だからって」も含めて「といって」 「だからといって」と表記する。 6 本稿では「「だから」の前件と後件の基底には必然的に知識「P→Q」がある」という主張の妥当性は議論しない。. 3.
(5) 馬 場 俊 臣. 成立していることを聞き手により一層強く訴えることができる。 ④ 「だから」の直後に「か」を付け加えることにより,当該の知識「P→Q」が成立する可能 性があることを聞き手に伝えることができる。 ⑤ 但し,「だから」が引用の形を取った時,或いは後件の一部をなしている時は,聞き手の中 に成立している可能性があると話し手が仮定している知識「P→Q」を否定する用法になる。 (劉怡伶2006:136) 劉論文は,因果関係を表す「それゆえ(に)」「したがって」「そのため」「その結果」と「だから」との違 いを明示的にすることが意図されている。 「それゆえ(に)」「したがって」は劉怡伶(2004)で詳しく分析 「だから」 「したがって」 「それゆえ(に)」 されている。劉論文では, 「本稿の考察結果と劉(2004a)7に基づき, の意味・用法の違い」(p.136)を(12)の表のように示している。 (12) 表1(劉怡伶2006:136) 「だから」. 「それゆえ(に)」 「したがって」. 前件と後件の基底に知識「P→Q」がある。. ○. ○. ○. 話し手は当該の接続語を用いる時,自分の中に 働いている因果関係の知識が聞き手の中に成立 していない(または成立しない)と仮定する場合 がある。. ○. ○. ×. 聞き手の中に成立している可能性があると話し 手が仮定している因果関係の知識を否定する用 ママ 法がある. ○. ×. ×. 表1の「前件と後件の基底に知識「P→Q」がある」は, 「そのため」 「その結果」との大きな違いである。 「だから」 「それゆえ(に)」「したがって」の「知識「P→Q」」とは「一つの条件からただ一つの帰結が導 かれる知識」 (p.127)のことである。「そのため」 「その結果」の基底にある因果関係の知識はそれぞれ「P’ /P’’ /P’’’...→Q」「P→Q’ /Q’’ /Q’’’...」(p.128)であるとしている。 表1の「話し手は当該の接続語を用いる時,自分の中に働いている因果関係の知識が聞き手の中に成立し ていない(または成立しない)と仮定する場合がある」は「したがって」が該当しない。(9)の「言語事実」 及び(10)の「言語事実」の一部がその根拠となっている。すなわち, 「しかしだから」 「しかしそれゆえ(に)」 のように「だから」「それゆえ(に)」は直前に逆接の接続詞が現れることがあるのに対して,「*しかしした 8 は不自然であり「したがって」は直前に逆接の接続詞が現れることはないとしている。さらに, 「だ がって」. からこそ」 「だからか」 「それゆえ(に)こそ」「それゆえ(に)か」のように「だから」「それゆえ(に)」 は「こそ」 「か」のいずれも直後に付けることができるのに対して,「したがって」は「こそ」「か」のいず れも直後に付けることができないとしている。 劉怡伶(2004)では,「したがって」について(13)のように述べている9。. 7 本稿では劉怡伶(2004)。 8 「*」はその表現が不自然であることを示す。 9 劉論文には次の注記がある。「話し手の中に働いている知識が聞き手の中に成立しているというのは発話時点において問題 となる知識が聞き手の中に存在しているということである。また話し手の中に働いている知識が聞き手の中に成立するとい うのは,発話時点において聞き手の中に存在していない知識が,話し手によって説明され,聞き手に受け入れてもらえると いうことである。」(劉怡伶2006:131) 要は「だから」で表される因果関係の知識は「聞き手の中に存在していない」又 は「聞き手に受け入れてもらえない」ことがあるが, 「したがって」で表される因果関係の知識は必ず「聞き手の中に存在. 4.
(6) 接続詞「だから」をめぐって. (13) 話し手は「したがって」を用いる時,自分の中にある論理が聞き手の中にも成立している(また は成立する)と仮定していると考えられる。(劉怡伶2004:47) 表1の「因果関係の知識が聞き手の中に成立していない(または成立しない)と仮定する場合がある」の 「仮定する場合がある」というのは「仮定しない場合もある」と解釈することができる。劉論文では(14)の ようにも述べており, 「自分の中にある論理が聞き手の中にも成立している(または成立する)と仮定して いる」場合には, 「したがって」だけでなく「だから」も用いられる可能性があると解釈することができる。 (14) 話し手は,前件からの聞き手の予想に反する後件を導き得るという特徴を持つ「だから」を用い て後件を示す時に,自分の中に働いている因果関係の知識が聞き手の中にも成立している(または 成立する)かどうかを問題にしていないと考えられる。(劉怡伶2006:131) 表1の「聞き手の中に成立している可能性があると話し手が仮定している因果関係の知識を否定する用法 がある」は「それゆえ(に)」「したがって」が該当しない。(10)の「言語事実」の一部がその根拠となって いる。すなわち, 「だからといって」のように「だから」は「といって」を直後に付けることができるのに 対して, 「それゆえ(に)」 「したがって」は「といって」を直後に付けることができないとしている。さらに, 「引用の形をとらなくても,聞き手の中に成立している可能性があると話し手が仮定している因果関係の知 「それゆえ(に)」 「したがって」 識を否定するものとして用いられる」 (p.134)用法10が「だから」にはあるが, にはないとしている。 以上が,劉論文の主張の概要である。. 3.「しかしだから」の自然さについて 「しかしだから」のように, 「だから」の直前に逆接の接続詞が現れることに関して,劉論文では(15)の ように述べている。 (15) 逆接の接続語は前件からの聞き手の予想に反する後件を導くものである。従って,逆接の接続語 と共起し得ることから, 「だから」は前件からの聞き手の予想に反する後件を導き得るものである と言える。 我々は言葉を使って話を展開している時に常に聞き手の中の情報に配慮している。次の発話内容 が聞き手の予想に反するものであると予測する時,話し手は逆接の接続語でその発話を示す。前述 のように, 「だから」を用いる時には話し手の中に知識「P→Q」が働いている。従って,話し手は, 前件からの聞き手の予想に反する後件を導き得るという特徴を持つ「だから」を用いて後件を示す 時に,自分の中に働いている因果関係の知識が聞き手の中にも成立している(または成立する)かど うかを問題にしていないと考えられる。言い換えれば,「だから」を用いる時,話し手は自分の中 している」又は「聞き手に受け入れてもらえる」ものであると主張していると言える。 10 次の用例を挙げている。「(21) PKO自体は有意義で重要なものだ。しかし,だから自衛隊を出すという論理には飛躍 がある。 (毎日新聞 92.6.20)」 「(22) 国の安定した財源がかなり必要なのは確かで, 消費税と福祉は分けて論じられません。 しかし,だから即,税率引き上げかは別です。(毎日新聞 94.5.13)」(劉怡伶2006:134) これらの用例は「だから自衛隊 を出す」「だから即,税率引き上げ」の部分が引用句相当となっており,脚注3に挙げた用例と同じく, 「接続詞の二重使用」 ではなくて「包摂」タイプの用例である。なお,(21)(22)の「しかし」は補足の「ただし」に置き換えることもできる。劉 論文では,(21)(22)の特徴の一つとして「「だから」が必ず逆接の接続語と共起している」(劉怡伶2006:135)ことを挙げ ているが必ずしもそうとは言えない。(21)(22)と同じ構造の「ただしだから」の実例を次に挙げておく。 「おそらくは,毒 になる親の親も,毒になる親なのでしょう。そういう意味では,毒になる親もまた,被害者なのです。ただし,だから赦せ というのも,違う。」(http://starpalatina.sakura.ne.jp/toxic_parents/01.html) (2016.3.29閲覧). 5.
(7) 馬 場 俊 臣. の因果関係の知識が聞き手の中に成立していない(または成立しない)と仮定する場合があると言え る。 (劉怡伶2006:131) 「逆接の接続語は前件からの聞き手の予想に反する後件を導く」,「次の発話内容が聞き手の予想に反する ものであると予測する時,話し手は逆接の接続語でその発話を示す」ということは確かにその通りであ る11。 ここで問題とするのは,「だから」の直前に逆接の接続詞が使われる際は,「しかしだから」のように「だ から」単独ではなく, 「しかしだからこそ」のように「だからこそ」の形の方がより自然であるということ である12。 劉論文では,「だから」の直前に逆接の接続詞が現れる用例として,(16)(17)を挙げている。 (16) (つらい体験をしたので)私は人間の正義は信じていません。でも,だから,夫のような誠実な 人がいることがうれしいんです。(毎日新聞 96.8.18)(劉怡伶2006:126) (17) 日本自身が閉そく感に取り巻かれ,見通しが不透明な時代ではある。しかし,だからこそ,内向 き志向に陥るのではなく,潜在的に高い成長力と可能性を持つASEANとの協力強化が重要だ。 (毎日新聞 97.12.24)(劉怡伶2006:126) (17)は「しかし,だからこそ」のように「だからこそ」の形になっている。(18)のように「しかし,だか らこそ」ではなく「しかし,だから」の用例もあるが,「だからこそ」の形の方がより自然である。 (18) イプセン『我々はみな真理のために闘っている。だから孤独なのだ。寂しいのだ。しかし,だか ら強くなれるのだ。』(http://www.a-inquiry.com/ijin/339.html)(2016.3.7閲覧)(本稿(1)再掲) 馬場俊臣(2013b)では,接続詞の二重使用の「逆接型+順接型」の用例の多くは「「こそ」が付いた「だ からこそ」が後続する用例」 (p.7)であり,「だから」が後続する用例も「「だからこそ」に置き換えること ができる」 (p.7)としている。また,野田尚史(2003)では, 「現代語では, 「こそ」はあまり使われなくなる」 (p.20)ことを指摘しており,接続助詞「から」に「こそ」が付いた「からこそ」についても(19)のよう な「 「からこそ」でもよいところに「こそ」がない「から」が使われている」(p.17)用例を挙げている。 (19) 現在高齢な人は,長寿条件が残っていた頃に生きていて,しかも現代医学によって「生かされ続 けている」から長命なのだというのが西丸氏の解説である。(森清『選び取る「停年」』)(野田尚史 2003:17) 以上のように,「だから」の直前に逆接の接続詞が現れる用例では,「しかしだからこそ」のように「だか らこそ」の形の方がより自然である。「だからこそ」は1節で示したように「逆説的な原因・理由」「原因・ 理由の強調」を表すため,前文の内容と逆接の関係で結び付けられることが多い。馬場俊臣(2013a:222223)では, 「しかしだからこそ」の「文連接上の特徴」として,「「だから」は「だからこそ」の形で用いら れており,前件から一般的に予想される内容を覆し,特に前件が後件の理由になることを示している」とし ている。直前に逆接の接続詞が現れるのは,「だから」ではなく「だからこそ」の機能が関わっていると見. 11 「聞き手の予想」は,話し手自身が持つ異なる予想や一般的に想定される予想なども含まれると考えられるが,本稿では この点は議論しない。以下の「聞き手」の定義・範囲についても同様に議論しない。 12 「だから」「だからこそ」「だからといって」各50例をBCCWJから無作為に抽出し直前に逆接の接続詞及び接続助詞が現れ ている用例数を調べた結果, 「だから」0例, 「だからこそ」5例(接続詞1例,接続助詞4例) , 「だからといって」21例(接 続詞8例,接続助詞13例)であった。「だからといって」は全体で逆接相当の意味を表し「しかし」と共通性を持つ。劉論 文では「だからといって」の直前に逆接の接続詞が現れることがあることについては特に扱われていないため,これ以上の 言及はしない。. 6.
(8) 接続詞「だから」をめぐって. るべきである13。 ちなみに, 「したがって」の直前に逆接の接続詞が現れる「しかししたがって」は(20)(21)のような実例 をWeb上で見つけることができる。しかし,いずれも技巧的な印象を受け,「しかしだからこそ」に置き換 えて解釈しないと理解しづらい。確かに実例はあるが,「したがって」はやはり直前に逆接の接続詞が現れ ないと見るべきである。 (20) ドストエフスキーは「もし神が存在しないとしたら,全てが許されるだろう」と書いた。しかし, したがって人間は孤独なのであり,不安定な存在であるのだ。 そうした思想や良心が空洞化した最中にあっても現に世界は動く。それでも世界は回る。そして 世界は経済によって支えられている。(http://curlcord.jugem.jp/?eid=141)(2016.3.10閲覧) (21) 池田真朗『民法はおもしろい』を読む。 「民法」についてとりわけて学んだことはないのだが,新書をいくつか見てよさそうなものが本 書だったので読んでみた。タイトル通り,民法のおもしろさをよく伝えている本である。著者の人 生は民法一筋で「民法への愛は誰にも負けない」そうである。どんな分野であれ理解したければ, おもしろがっている本人に話をきくのがいちばん早い。(中略) 「刑法」と違って「民法」の特徴は,罰則規定がないことにある。つまり,民法によって逮捕さ れることはない。これは大前提である。しかし,したがって,「民法は守る必要がない」という。 どういうことか。(http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150712/1436662800) (2016.3.10閲覧). 4.「だからこそ」 「だからか」 「だからといって」の特徴について 本節では, 「だからこそ」 「だからか」 「だからといって」全体の特徴を「だから」単独の特徴と同一視す るのは問題があるということを見ていく。 まず「だからこそ」 「だからか」を扱う。劉論文では,「だから」の直後に「こそ」「か」を付けることが できることについて,(22)のように述べている。 (22) 助詞「こそ」は排他的な意味を持っているもの(中略)。また,助詞「か」は不確かなことを表 すものである。話し手が自分の中に働いている因果関係の知識が必ず聞き手の中にも成立している (または成立する)と仮定しているならば,「だから」の直後に排他的な意味を持つ「こそ」をつ. 13 なお,指示語系接続詞(「それゆえに,それで」など)の場合は直前に逆接の接続詞が現れても「こそ」の付かない用例 も自然である。馬場(2003)では,添加型・転換型・同列型の接続詞が先行し順接型の接続詞が後続する接続詞の二重使用 では,後続する順接型の接続詞は「そのため,その結果,それで」などの指示語系接続詞が現れやすいとしている。指示語 系接続詞は,前件の内容を指示語で持ち込むことができるため,そのままの形で用いることができると思われる。自然さは 低いながらも「こそ」の付かない「だから」単独の用例があるのは「だから」の「だ」が指示語同様の機能を果たし得るか らであるという説明も可能かもしれない。「だから」は「それだから」の形から移行して多用されるようになったこと(矢 島正浩2013)や,「しかしだから」では「だから」の「だ」に強勢が置かれやすいことなども関連があると思われるが,本 稿では可能性のみを指摘しておく。「しかしそれゆえに」 「しかしそれで」の用例を次に示しておく。 「桂小五郎すなわち明 治の木戸孝允もじつによく泣いた。木戸が泣くのは,彼の志士的な純粋性からであり,悲憤・慷慨の志士的表現だったから である。しかしそれゆえに,木戸の人気は,悲憤・慷慨を抑制し功業に走る醒めた大久保利通よりも,はるかに高い人気を ほこっているのである。」(LBo2_00057),「時折りフッと正気に戻るときがあり,罪悪感が起きて,ちょっと返事を書いた りはする。しかしまたすぐ,ビデオ撮りした時代劇をボンヤリと「眺め」たり―見るほどの力がない―,うたたねしたり, 庭にやってくる鳥たちにパン屑をやったりしてしまう。楽しいという実感すらない。夢遊の一日である。しかしそれで,昨 日までのクタクタ,ムシャクシャをみんな,きれいさっぱり忘れてしまう。 」 (LBi3_00076). 7.
(9) 馬 場 俊 臣. けることにより,聞き手の中にある因果関係の知識を排除する必要はなかろう。言い換えれば,話 し手は「だからこそ」を用いることにより,自分の中の因果関係の知識の成立を主張し,聞き手の 中に存在していると仮定している,自分のと異なる因果関係の知識を排除しようとしていると言え る。 一方,話し手が問題となる因果関係の知識が成立するかどうかに対し自分でさえ確信していない 場合に,同じ因果関係の知識が聞き手の中にも成立している(または成立する)と仮定するとは不 自然である。従って,「こそ」「か」と共起し得る特徴は,「だから」を用いる時,話し手が自分の 中の因果関係の知識が聞き手の中に成立していない(または成立しない)と仮定する場合があるこ とを裏付けるものと言える。(劉怡伶2006:132) 「だからこそ」は, 「聞き手の中」に「自分の中の因果関係の知識」と「異なる因果関係の知識」が「存 在していると仮定している」場合に使われ,したがって, 「だから」は「話し手は当該の接続語を用いる時, 自分の中に働いている因果関係の知識が聞き手の中に成立していない(または成立しない)と仮定する場合 がある」ということである。 「だからか」は, 「話し手が問題となる因果関係の知識が成立するかどうかに対し自分でさえ確信してい ない場合」に使われるため, 「同じ因果関係の知識が聞き手の中にも成立している(または成立する)と仮 定するとは不自然」であり,したがって, 「だから」は「話し手は当該の接続語を用いる時,自分の中に働 いている因果関係の知識が聞き手の中に成立していない(または成立しない)と仮定する場合がある」とい うことである。 「だからこそ」 「だからか」が使用される場合の説明自体は問題はない。しかし,それはあくまでも「だ からこそ」 「だからか」全体の特徴であり,それがそのまま「だから」単独の特徴に基づいているというこ とは言えないであろう。 「こそ」 「か」は「だから」以外にも,他の品詞や節などに付けて用いることができる。(23)のように副 詞「ゆっくり」の直後に「こそ」を付けた「ゆっくりこそ」は自然であるが,(24)のように同じく副詞「あ たかも」の直後に「こそ」を付けた「*あたかもこそ」は不自然である14。また,(25)のように条件節「~ば」 の直後に「こそ」を付けた「~ばこそ」は自然であるが,(26)のように同じく条件節「~と」の直後に「こ そ」を付けた「~とこそ」は不自然である15。さらに,(27)のように原因・理由節「~せい」の直後に「か」 を付けた「~せいか」は自然であるが,(28)のように同じく原因・理由節「~ので」の直後に「か」を付け た「~のでこそ」は不自然である16。 (23) そして,私もニュージーランドについてようやく初めてのフリータイムをゲットし,たまってい る用事がたくさんあるので,ゆっくりこそできないものの,それでもかなり有意義な時間を過ごす ことができました。(http://ameblo.jp/megria24/entry-11106870718.html)(2016.3.14閲覧) 「家」というパンドラの箱のふたが突然あいてしまったような状 (24) {あたかも/ *あたかもこそ} 況である。(LBo3_00076)(原文「あたかも」). 14 日本語記述文法研究会(2009:77)は,「「こそ」は時を表す副詞的成分をとりたてる。 (中略)そのほかの副詞的成分の とりたてはほとんど行われないが,どちらかといえば逆接条件節や等位節中の方が行われやすい。 ・清水焼の花びんを うっかり落とした。粉々にこそならなかったが,かなり損傷してしまった。 (結果を表す副詞的成分) 」としている。 15 前田直子(2008:158)に指摘されている。 16 安達太郎(1995:260-261)は,「~ので」の直後に「か」が付かない理由について,「本稿では,これは意味的な現象で はなく,形態論的な制限であると見なしている。」と述べている。また,服部匡(1992:63)は, 「~ので」に「か」が付か ないことは「「~のでだ」の形が許容されないことと対応している」と述べている。. 8.
(10) 接続詞「だから」をめぐって. (25) 結婚をしようとする場合,一緒になってからの夢があればこそ,意欲がかき立てられる。(中略) (朝日新聞社説 1986.5.18)(前田直子2008:161) (26) 結婚をしようとする場合,一緒になってからの夢が{あると/ *あるとこそ}意欲がかき立てら れる。 (27) 朦朧とした意識の中でやり取りをしたせいか,要らぬことまで喋ってしまった。(LBt9_00046) (28) 朦朧とした意識の中でやり取りをした{ので/ *のでか},要らぬことまで喋ってしまった。 以上の言語事実に基づいて, 「ゆっくり」 「~ば」「~せい」は「話し手は当該の語を用いる時,自分の中 に働いている何らかの知識が聞き手の中に成立していない(または成立しない)と仮定する場合がある」と いう特徴を持つのに対し, 「あたかも」 「~なら」「~ので」はそうした特徴を持たないと主張することは難 しいであろう。劉論文の主張を維持するためには, 「だからこそ」「だからか」の場合に,なぜ「だからこそ」 「だからか」全体の特徴が「だから」単独の特徴となるのかについて説明が必要である。 次に「だからといって」を扱う。劉論文では,「だから」の直後に「といって」を付けることができるこ とについて,(29)のように述べている。 (29) 4.では, 「だから」が,これまでに見た話し手の中の因果関係の知識を示す用法以外に,聞き 手の中に成立している可能性があると話し手が仮定している因果関係の知識を否定する用法も持っ ていることを明らかにする。 「だから」は引用の形,つまり「だからといって(だからって)」 例(6)と(20)17に示しているように, の形をとって前件と後件を連接することもある。(中略)(6)(20)は次のような意味を有していると 考えられる。即ち,話し手は,聞き手がそれぞれの前件から帰結「生活保護の適用を緩和するのに 賛成する」,「何かする」を推論する可能性があると予測しているが,その推論の成立を否定してい るということである。(中略)但し,今までに見た「だから」と異なり,ここでの「だから」が表 しているのは,話し手の中にある因果関係の知識ではなく,聞き手の中に成立している可能性があ ると話し手が仮定している因果関係の知識である。「だから」が引用の形をとっているのはこのた めであると言える。また,後件が必ず否定の意味を伴っていることから,引用の形をとった「だか ら」は,聞き手の中に成立していると話し手が仮定している因果関係の知識を否定するために用い られるものであると考えられる。(劉怡伶2006:133-134) 「だからといって」は「聞き手の中に成立している可能性があると話し手が仮定している因果関係」すな わち「推論」の「成立を否定している」のであり,したがって,「だから」は「聞き手の中に成立している 可能性があると話し手が仮定している因果関係の知識を否定する用法も持っている」ということである。 「だからといって」が使用される場合の説明自体は問題はない。しかし,「だからこそ」「だからか」と同 じく,それはあくまでも「だからといって」全体の特徴であり,それがそのまま「だから」単独の特徴に基 づいているということは言えないであろう。 藤田保幸(2000)は,(30)の「からといって」の「から」を削っても(31)のように「不自然ということは ない」 「 「推論の否認」ということを核として関係構成がなされていることも,変わらない」(p.421)として いる。同様に, 「だからといって」についても,(32)の「だからといって」も(33)の「といって」もともに 推論の否定を表している。すなわち, 「といって」単独又は「だからといって」全体が「聞き手の中に成立. 17 「(6) この老婦人にはお気の毒だと思います。しかし,だからといって,生活保護の適用を緩和するのにはいちがいに賛 成はできません。(毎日新聞 94.9.10)」(劉怡伶2006:126) 。 「(20) 今日は兄の誕生日だった。だからって何をするでもな いけど。 http://www.aa.alpha-net.ne.jp/shesama/0006-7.html」 (劉怡伶2006:133) 。. 9.
(11) 馬 場 俊 臣. している可能性があると話し手が仮定している因果関係の知識を否定する用法」を持っていると見るべきで あろう。劉論文の主張を維持するためには,なぜ「だからといって」全体の特徴が「だから」単独の特徴と なるのかについて説明が必要である。 (30) (5)―a ガンだからといって(も),助からないとは限らない。(藤田保幸2000:420) (31) (5)―c ガンだといって,助からないとは限らない。(藤田保幸2000:421) (32) 真実を言えば人が傷つく。だからといって嘘をつけば自分が傷つく。 (33) 真実を言えば人が傷つく。といって嘘をつけば自分が傷つく。(LBr9_00212) また,劉論文では,(34)の例文を挙げ,「「だから」は引用の形をとらなくても,聞き手の中に成立してい る可能性があると話し手が仮定している因果関係の知識を否定するものとして用いられる場合がある」とし, 「聞き手の中に成立している可能性があると話し手が仮定している因果関係の知識を否定している点で引用 「だから」を「それゆえ(に)」に置 の形をとった「だから」と同じである」(p.134)としている18。そして, き換えた(35)の例文は不自然であるとして, 「「それゆえ(に)」は「聞き手の中に成立している可能性があ ると話し手が仮定している因果関係の知識を否定する用法を持っていない」(p.135)としている。しかし, (36)のように「引用の形」をとっていない「それゆえ(に)」の用例を見付けることができる。仮に(35)の 引用中の「(21)′ 」が不自然であるとしてもそれは文体的な問題が原因であり,文体的な不自然さを考慮し なければ用いることができると思われる。 (34) (21) PKO自体は有意義で重要なものだ。しかし,だから自衛隊を出すという論理には飛躍が ある。(毎日新聞 92.6.20) (22) 国の安定した財源がかなり必要なのは確かで,消費税と福祉は分けて論じられません。し かし,だから即,税率引き上げかは別です。(毎日新聞 94.5.13)(劉怡伶2006:134) (35) (6)′この老婦人にはお気の毒だと思います。しかし,*それゆえ(に)といって,生活保護の適 用を緩和するのにはいちがいに賛成はできません。(中略) (21)′PKO自体は有意義で重要なものだ。しかし,*それゆえ(に)自衛隊を出すという論理 には飛躍がある。(劉怡伶2006:135) (36) さて,名刺やタバコ,あるいはパルテノン神殿が黄金比で構成されていることはわかりました。 しかし,それゆえ美しいというのは感性の問題であって,どうにも理解できません。(http:// pyuadora.com/column/column630.htm)(2016.3.25閲覧) 以上,本節では, 「だからこそ」 「だからか」「だからといって」全体の特徴を「だから」単独の特徴と同 一視するのは問題があり,劉論文の主張はさらに説明を補わない限り維持できないことを述べた。. 5.因果関係以外の他の連接類型の接続詞について 劉論文の主張は「だから」などの因果関係を表す接続詞に限定した主張ではあろうが,本節では,劉論文 の主張は因果関係以外の他の連接類型の接続詞にも一般化できるのかということを検討する。 劉論文では, 「話し手は「だから」を用いる時,自分の中にある知識「P→Q」が聞き手の中に成立して いない(または成立しない)と仮定する場合がある」という主張を「裏付けるもの」(p.132)として,逆接 の接続詞との共起,「だからこそ」「だからか」の形式の存在を挙げている。 因果関係を表す接続詞を用いる際の「自分の中にある知識「P→Q」」は,他の連接類型の接続詞の場合 18 脚注10も参照。. 10.
(12) 接続詞「だから」をめぐって. であれば,前件と後件との関係(添加,補足など)の知識となる。仮に,前件と後件との関係Rを表す接続 詞「X」について,逆接の接続詞と共起していれば,「話し手は接続詞「X」を用いる時,自分の中にある 知識Rが聞き手の中に成立していない(または成立しない)と仮定する場合がある」と言えるのであろうか。 また,逆接の接続詞との共起,「こそ」の付加,「か」の付加は連動するのであろうか。 例えば,添加の接続詞「また」は,(37)のように,直前に逆接の接続詞が現れることがある。しかし,直 後に「こそ」 「か」を付けた「*またこそ,*またか19」という形にすることはできない。馬場俊臣(2013a: 222)では, 「しかしまた」の「文連接上の特徴」として「「しかしまた」(逆接型+添加型)は「しかし」に よって逆接という論理的関係を表すだけでなく,前件及び後件ともに言わば同じ比重で並列することが「ま た」によって明示されている」としている。「しかし」と「また」はそれぞれ別々に前件と後件との関係を 明示しているのであり, 「また」の使用に関する何らかの仮定が「しかし」の使用に関係しているとは思わ れない。逆接の接続詞が「また」の直前に現れることがあるということを根拠にして「また」が表す「添加」 の関係が「聞き手の中に成立していない(または成立しない)と仮定する場合がある」とは言えないであろ う。 (37) たしかに「強がり」は生物あるいは人間の本性というものなのかもしれない。しかしまた,「弱 がり」というものもある。(PB51_00101) 「こそ」と「か」の付加についても,例えば,添加の接続詞「そして」は,(38)(39)のように直後に「こ そ」を付けた「そしてこそ」という形にすることはできる20が,直後に「か」を付けた「*そしてか」とい う形にすることはできない。「こそ」の付加と「か」の付加は必ずしも連動するわけではなく,「自分の中に ある知識Rが聞き手の中に成立していない(または成立しない)と仮定する場合がある」ということの根拠 にすることはできない。 (38) 中心にある桜の木は曲がりくねってはいるものの,後ろから「人」という文字で支えられている 構図にしました。無理にまっすぐするのではなく,患者様をはじめ様々な考え方の人をまずはその まま受け入れて理解する―ここに医療の原点があります。 そ し て こ そ, 立 派 な 花 が 咲 く の で は な い か と い う 思 い を 込 め ま し た。(http://www.med. u-toyama.ac.jp/human/logo.html)(ロゴマーク解説 - 富山大学 医学部)(2016.3.15閲覧) (39) とめどのなく危険なものであり,そして持ちようによっては,生涯かけてさまざまな憂い時には 憂い曲,喜びの時には喜びの曲をと,長い人生を通してかなでてゆくもの--そしてこそ,ほんとう の性だと思うんです。(吉川英治「親鸞聖人について」21) 以上のように,逆接の接続詞の共起に関する劉論文の主張は,因果関係以外の他の連接類型の接続詞に一 般化することはできず,また,逆接の接続詞との共起,「こそ」の付加,「か」の付加は必ずしも連動するわ けではない。劉論文の主張が「だから」などの因果関係を表す接続詞に限定される理由を説明する必要があ ると思われる。. 6.「ですから」の扱いについて 劉論文では「だから」と「ですから」を区別して扱っているが,本節では,「ですから」を区別すること. 19 副詞「また」は除く。 20 筆者の言語感覚としては「そうしてこそ」の方がより自然であるが,Web検索等で用例を多く見付けることができる。 21 「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)を利用した。. 11.
(13) 馬 場 俊 臣. に関しても問題が残るということを補足的に指摘する。 劉論文では, 「ですから」の扱いに関して(40)のように述べ, 「だから」と「ですから」は「意味・用法上」 異なるとして区別している。しかし,用例の自然さの判定には疑問があり,必ずしも「ですから」を別に扱 う根拠とはなっていないと考えられる。 (40) なお,多くの先行研究(中略)では,「だから」と「ですから」は文体的特徴という点だけで区 別されている。しかし, 「ですから」は「*{しかし/でも},ですから」,「??ですからこそ」,「*で すからか」 , 「*ですからといって(*ですからって)」の形で前件と後件を連接することが不自然な ことから,意味・用法上「だから」と異なるものであると考えられる。そこで,ここでは「だから」 と「ですから」を区別し,「ですから」を考察対象から除外する。(劉怡伶2006:126-127) (41)のように「ですからこそ」の直前に逆接の接続詞が現れる用例を見付けることができる。また,(41) ~ (44)のように「ですから」の直後に「こそ」「か」「といって」が付いている用例もある。稀な例かもし 「ですから」を意味用法上「だから」と異なるとする根 れないが,不自然とは言い切れない22。このように, 拠は妥当であるとは思われない。 (41) 人は家族はじめ周りの人の役に立ってこそ初めて人と成り得るのです。周りの人の役に立つとは, 周りの人を支える事ですから,つらい目や悲しい目に遭うことも多いのです。しかし,ですからこ そ 人 に 幸 せ に し て も ら え る の で す。(http://takuyaaizawa.seesaa.net/article/393484428.html) (2016.3.8閲覧) (42) 「我等は俗人とは違います…あなたが持って生まれたそのお力,我等の前で隠される必要などご ざいません。いずれは我等が同志となっていただけるものと信じております…ですからこそ,その お子を我等が不当に引き取るわけではないのだと,ご理解いただきたいのですよ」(LBp9_00163) (前田珠子『呼ぶ声が聞こえる』) (43) 紅茶専門店,ですが,英国寄りではなく,大巾に産地(セイロンことスリランカ)寄りのお店で す。 ですからか,天井は高いんですが,アジアン雑貨etc等ですこし雑多な雰囲気になってまして, ゆったりはしてません。 (http://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140104/14000125/dtlrvwlst/4241243/) (2016.3.24閲覧) (44) しかしながら,米の過剰という一つの現象から,やはり水田利用再編対策,その中での転作作物 となりますと,やはりこれまで作付してまいりました麦に対する希望が非常に強いものでございま すから,麦作の奨励をしてまいったわけでございます。ところが,最近に至りまして,麦の価格の 問題というものがいろいろ国際的にも考えなければならない状況にだんだん置かれてきているのは 事実なんでございます。 ですからといって,直ちにそれを,いま国際価格に対応できる価格をつくりなさいといっても, それはなかなかむずかしいと思いますけれども,私は,麦作が一定の奨励の段階を超えたときには, やはり価格問題というものは大きな課題になろうと思いますので,そういう点は十分いまから念頭 に置きながら考えていかなければならない問題だと思うのでございます。(http://kokkai.ndl.go.jp/ cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=17099&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TO TAL=0&SRV_ID=5&DOC_ID=5513&DPAGE=1&DTOTAL=5&DPOS=3&SORT_DIR=1&SO RT_TYPE=0&MODE=1&DMY=19057)(国会会議録)(2016.3.24閲覧). 22 「ですからか」は不自然さが残るが,これは「意味・用法上」の違いではなく, 「です」による相手意識と「か」による自 問のニュアンスとが相容れないために生じるものと思われる。. 12.
(14) 接続詞「だから」をめぐって. 7.まとめ 本稿は,劉論文の主張に対する4つの問題を提示した。 第一に「しかしだから」という表現は自然さが低いという問題である。第二に「だからこそ」 「だからか」 「だからといって」全体の特徴を「だから」単独の特徴と同一視することはできないという問題である。第 三に因果関係以外の他の連接類型の接続詞には一般化できないという問題である。第四に「ですから」を意 味用法上「だから」と異なるとする根拠は妥当ではないという問題である。 劉論文の主張を維持するためには,それぞれの問題に対して適切な説明がなされる必要がある。しかし, 困難が予想される。 では,劉論文で提示された(45)(46)の「だから」の特徴はどのように説明すべきなのであろうか。 (45) 「だから」の直前に逆接の接続語「しかし,でも」が現れることがある。(劉怡伶2006:126)(本 稿(9)再掲) (46) 「だから」の直後に「こそ」「か」「といって(って)」をつけ,「だからこそ」「だからか」「だか らといって(だからって)」の形で前件と後件を連接することがある。(劉怡伶2006:126) (本稿(10) 再掲) 「だから」の直前に逆接の接続詞が現れる理由については,既に3節で指摘したように,一般的な因果関 係に反する「逆説的な原因・理由」 「原因・理由の強調」を表すという「だからこそ」の意味が関係してい ると考えられる。 また「だからこそ」「だからか」「だからといって」の形が可能なのは接続助詞「から」の形態論的特徴を そのまま引き継いでいるからと考えられる。接続助詞「から」は(47) ~ (49)のように, 「こそ」 「か」 「といっ て」を付けることができる。 (47) メンテナンスが容易にできないからこそ,メンテナンスをすることなく数十年で建物を取り壊し てしまうのです。(PB35_00013) (48) 土地がちがうからか,ブルーベルやヒースが根付かない。(PB29_00461) (49) 祖父の顔は平生でも気難しくて有名なので,憤ったからといって特別怖く見えるわけではなかっ た。 (LBan_00012) 接続助詞「から」が上記のような形態論的特徴を持つ理由について現時点では十分に説明できる用意はな いが,それぞれの成立や意味用法に基づいて個別に説明する必要があると思われる。. 文 献 安達太郎(1995) 「 「カ」による従属節の不確定性の表示について」仁田義雄(編)『複文の研究(上)』くろしお出版, pp.247-263. 日本語記述文法研究会(2009)『現代日本語文法5 第9部 とりたて 第10部 主題』くろしお出版. 野田尚史(2003)「現代語の特立のとりたて」沼田善子,野田尚史(編) 『日本語のとりたて―現代語と歴史的変化・地理的変 異―』くろしお出版,pp.3-22. 野田尚史(2007) 「現代日本語の主張回避形式――「若いから か/だろう/と, 断られた」の「か」 「だろう」 「と」――」 『日 本語文法』7(1),日本語文法学会,pp.36-51. 服部匡(1992) 「現代語における「~か」のある種の用法について」『徳島大学国語国文学』(5),徳島大学国語国文学会, pp.57-65. 馬場俊臣(2003)「接続詞の二重使用の分析―用例と各接続類型の特徴―」『北海道教育大学紀要 人文科学・社会科学編』 53(2),北海道教育大学,pp.1-17.(馬場俊臣(2006) 『日本語の文連接表現―指示・接続・反復―』おうふう 所収). 13.
(15) 馬 場 俊 臣. 馬場俊臣(2013a)「接続詞の連続使用・二重使用――複合接続詞的使用も含めて――」藤田保幸(編) 『形式語研究論集』和泉 書院,pp.205-232. 馬場俊臣(2013b)「接続詞の二重使用の承接順序について―『現代日本語書き言葉均衡コーパス』を用いた再検討―」『語学 文学』(52),北海道教育大学語学文学会,pp.1-23. 馬場俊臣(2014)「接続詞の二重使用の承接順序及び文体差―『現代日本語書き言葉均衡コーパス』全ジャンルによる追加調査 ―」『北海道教育大学紀要 人文科学・社会科学編』65(1),北海道教育大学,pp.1-17. 藤田保幸(2000)『国語引用構文の研究』和泉書院. 前田直子(2008) 「「こそ」でとりたてられた従属節について――「からこそ」「ばこそ」「てこそ」――」『日本語文法学会第 9回大会発表予稿集』日本語文法学会,pp.158-165. 前田直子(2009)『日本語の複文――条件文と原因・理由文の記述的研究――』くろしお出版. 矢島正浩(2013)『上方・大阪語における条件表現の史的展開』笠間書院. 劉怡伶(2004)「接続語「したがって」と「それゆえ(に)」の意味・用法」『日本語教育』(120),日本語教育学会,pp.4352. 劉怡伶(2006)「接続語「だから」の意味・用法――前件と後件に因果関係が認められる「だから」を中心に――」 『日本語教 育論集 世界の日本語教育』(16),国際交流基金,pp.125-137.. 付 記 本研究は,JSPS科研費(基盤研究(B)「日本語の多様な表現性を支える複合辞などの「形式語」に関 する総合研究」課題番号26284064)による成果の一部である。 (札幌校教授). 14.
(16)
関連したドキュメント
わからない その他 がん検診を受けても見落としがあると思っているから がん検診そのものを知らないから
「兵庫県災害救援ボランティア活動支 援関係団体連絡会議」が、南海トラフ
はありますが、これまでの 40 人から 35
帰ってから “Crossing the Mississippi” を読み返してみると,「ミ
【こだわり】 ある わからない ない 留意点 道順にこだわる.
ファミリーホームとは家庭に問題がある子ど
人の生涯を助ける。だからすべてこれを「貨物」という。また貨幣というのは、三種類の銭があ
番号 団体名称 (市町名) 目標 取組内容 計画期間 計画に参画する住民等. 13 根上校下婦人会 (能美市)