フィンランドの音楽世界と教育
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(2) . 7巻 第2号 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4. ,. 7 l i fEduca i t i t i t i doUn onIC) Vo lo fHokka on (Sec Journa v er s .4 ‐2 yo ,No. 平成 9年2月 997 February,1. フィ ンラン ドの音楽世界と教育 The ・nusical circunQstances and educatlon in Finland. 中. 村. 隆. 夫. は じめ に. 1 970年代の初め, 現在はフィ ンラン ドの長老格に位置するある作曲家が, 初めて独自の作風を確立した と自負する交響曲を発表したとき, 他国の評論家から 「まるでシベリウスの作品のようだ」 と評されで樗然 と した, とい う 逸 話 が 残 っ て い る. 957) は, フィ ンラ ン ドで は音 楽家 と しての みな らず 国民 的 ius,1865 - 1 ヤ ン ・ シ ベ リ ウ ス (Jean sibel. 英雄として讃えられている. 彼の7曲の交響曲をはじめとする優れた作品の数々は, 辺境の地にある北欧の -小国に活力と自信を与え, 音楽の後進国から脱却する原動力を生みだしたといっていい. だが皮肉なこと に, シベリウスに続く世代の作曲家たちにとって彼の存在はあまりにも大きく, しばらくは後継者たちがそ 0年代後半から新しい世代の作 97 の影からなかなか抜け出すことができない時代が続いた. しかしその後1 曲家たちが頭角を顕わし始め, 同時に演奏面も急成長を遂げてその実績が世界に知られるようになりつつあ る‐. 996年初頭のひと月 間, 大学間学術交流協定に基 づいてヘルシンキに滞在し, フィ ンラン ドにおけ 私は1. る音楽教育と音楽活動の実情視察に携わる機会を得た. 北欧随一の規模と水準を誇るこの音楽院が豊かな教 育内容をもち, 質の高い学生を擁していることはひと目で分かったが, さらにそれを支える下部の教育機関 1月に 995年1 でも, 予想を上回る優れた音楽教育が行なわれていることに驚異を覚えた‐ 最近でいえば, 1 行 なわ れ た第 7 回 国 際 シ ベ リ ウ ス・ バ イ オ リ ン・ コ ンク ー ルの結 果 が その例 であ る‐ 地 元フィ ンラ ン ドか ら i to) が 第 1 位 を獲 得 したが, 内 4名ま で s は8名 が 参加 し, そ の 中 か ら ペ ッ カ ・ク ー シ ス ト (Pekka Kuus. が東ヘルシンキ音楽学校 (後述) の出身であるという‐ (因みに日本からは参加国で2番目に多い7名が参 加し, 旭川出身の佐藤まどかが第3位に入賞している). 自国で開催という地の利も考慮しなければならな いが, 彼の最高位獲得には幼い頃からの優れた教育と, 国を挙げての文化政策が背景にあるのだ‐ フィ ンラ ン ド人 の 気 質 を ひと言 で いえ ば勤 勉 で 控え 目‐ 日本 を知 る フィ ンラ ン ド人 に いわ せ る と, 両 国の. 国民性は驚くほ ど似ているという‐ 事実音楽の面でもフィ ンラン ド人の演奏から感じたのは, 日本人と同じ く情熱よりは矢廿性, 興奮よりは節度を重んじる傾向で, 表現の仕方にも共通項が多くみられる‐ また長らく フィ ンランドに住み, 活動の本拠地を日本とフィ ンランドの両方に置く ピアニスト舘野 泉氏 (一時期シベ リウス音楽院教授を務めた) について, 現地の人の多くが 「彼はフィ ンランド人以上にフィ ンランドの魂を 表現できる人だ」, と評しているのも興味深い‐ これ らの こと に 接 して私 は, どち らか とい う と これま で 目立 たない 国で あ っ たフィ ンラ ン ドが, どのよう. にして中央ヨーロッパに比肩する音楽文化を育ませたのか非常に興味をそそられた‐ また今なおそれを発展 させている現状を見ると, それを支える教育との関係にも特別な関心が湧いてくる‐ 彼らの感性がわれわれ に近いとすれば, また未だ歴史や伝統が十分とはいえない国がここまで急成長できるのなら, どこか似た状 況にある日本の音楽教育にとっても, 学ぶことが多いに違いないと思われるのである‐ 317.
(3) . 中. 村. 隆. 夫. 1‐ ヘルシンキの音楽事情 初めにフィ ンランドの概要を紹介しよう‐ 国土面積は3 38 ,000癒 (日本全土から四国を引いた面積) で, ヨー ロ ッ パ で7 番 目 に広 い. イ ギリ スの244 ,000 嘘, イ タ リ ー の 301 ,000 嘘 に 比べ れ ば, おお よ その 広さ が. 想像できるだろう. 国土の67%は森林に被われ, 18 8 0%に相当する. また ,000にのぼる湖沼は面積の約1 3%が湿地, 荒野または砂地である‐ 国全体の人口が約50 1 0万人. ヘルシンキ市街部 にはその1割にあた る約5 0万人が居住し, 人口密度はlk mあたり2 9人である. 因みに国全体の人 口密度は1 6 ,68 .6人 (日本 330 人)で地 域 差が 大 き い‐ 国 民の 言 語 はフィ ンラ ン ド語 93 .1 % ス ウ ェ ー デ ン語 5 ‐8 % で, どち らも公用 語 とな っ て い る‐ (他 に 国の 北部 にあ るラ ッ プ ラ ン ドに は サ ーメ 語を 話す ラ ッ プ 人 が約 1 700人 住ん でい る) , , ‐. ヘルシンキ市内にはオペラ劇場 (最新の国立オペラ劇場, および老朽したアレキサンダー劇場の2つ) を 0前後の劇場があり, ここで上演されるオペラの回数は年間約23 含む1 5回にのぼる. 職業オーケストラは フィ ンラン ド放送交響楽団, ヘルシンキ・フィ ルハーモニー管弦楽団, オペラ劇場管弦楽団 (オペラ以外の 活 動 は行 な っ て い な い) の 3 つ だ が, 人 口50 万 人 で 3つ ものオ ー ケ ス トラ を も つ 町 はヨ ー ロ ッ パ で も珍 し い‐ この他 に もノ ン・ プ ロ フ ェ ッ シ ョ ナ ルな 団体 や, 把 握 しきれ ない ほ ど多く の ア マ チ ュ ア 団体 があ る ま ‐. た, フィ ンランド全土にもかなりの数のオーケストラがあり, 人口に対するその比率は他のどの国にも増し て高く, 活動も活発だという‐ 他の国と同様, フィ ンラン ドでも合唱活動に占めるアマチュアの比重は大きく, レベルの高い合唱団が無 数 に あ る (プ ロ の 合 唱 団 と して は, 唯 一 1962 年 創 設 の フ ィ ンラ ン ド放 送 室 内 合 唱 団 -Radi on kamari…. kuoro-があるのみ)‐ わが国に親しまれている団体としてはヘルシンキ大学合唱団 (男声) とタビオラ合 唱団 (児童合唱. ヘルシンキの郊外にあるエスポーが所在地) が有名だが, 他にもコンサート活動やレコー ド録音, 国外への演奏旅行等を通してその名を知られる団体が多数ある. 楽 譜 出版 で はフ ァ ツ ェ ル (Fazer Music工nc ) が 最 大 手 で, ジ ャ ンル はク ラ シ ッ ク か ら ロ ッ ク ま で, 時 ‐. 代も古典から現代に亘って広いレパートリーを網羅している. 注目すべきことは, クラシック部門の現代作 品 の 出版が多 い こと だ. フ ァ ツ ェ ルで はこの 他 にFinlandiaと いう レーベ ル名 で レコ ー ド出版 も行な い 特 ,. に自国の作曲家の作品や演奏団体の紹介に積極的だ. 現代音楽の普及について, フィ ンランドは特に熱心であるという印象を受けた. 国際音楽情報センター協. 会 (ThelnternationaI ASS0ciation of Music工nformation Centres) の 一員 であ る フィ ンラ ン ド音 楽 情 報 セ ン タ ー(Suomalaisen Musi ikin Ti )で は, 8名 の スタ ッ フ で楽 譜, 書 籍, 雑 誌, レコ ー tuskeskus edo. ド等の収集・管理, 情報誌の発行, 特殊出版物の発行援助, 外部への情報提供等を行なっているが とりわ , け現代の作曲家の紹介や 作品出版への援助にはかなりの労力を割いている‐ 国全体の音楽活動や教育の場で 現代作品を取り上げる比率の高さに驚いたが, このような背景に同センターが果たしている役割は大きい‐ 2. シベリウス音楽院の教育と活動. ( 1 ) 歴史と沿革 シベリウス音楽院はフィ ンラン ド唯一, かつスカンジナビア諸国最大規模の音楽大学である. 学生数は現 在約1 ,700名‐ 設置分野はソロ (声楽・器楽・指揮), オペラ, 作曲・理論, 音楽教育, 教会音楽, ジャ ズ, 民俗音楽等, 多岐にわたっている. ) (He 創 設 は1882 年, 初 め はヘ ル シ ンキ音 楽 学 校1 l ingin Mus i ikkiopi to) と して 発 足 した‐ 因 み に シ s s ベ リ ウ ス も 1885 年 か ら1889 年ま で, こ こ で 作 曲 と バ イ オ リ ンを 学 ん で い る 1939 年 名 称 を シ ベ リ ウ ス . , 318.
(4) . フィ ンラ ン ドの音楽世界と教育. ius-Akat 音 楽 院 (Sibe l emia) と改 め, 現在ま で この名 称 が 続 い てい る.. 0年, それまで私立であっ たシベリウス音楽院は国家の提唱で国立に移管され, 内容も高等専門学校 198 から大学へと昇格する‐ 現在校舎は, ①旧音楽院以来の校舎 (主に指揮専攻, オーケストラ用‐ 小ホール併 設), ②主にソロ・ レッスン用 (図書館および書店併設), ③音楽教育・民俗音楽・ジャ ズコース用 (音響 )がヘルシンキ市内に分散 しており, その他にも 機器, パイ プオルガン設置), ④本部・事務部門, の4つ2 オペラの指導の一部には旧オ ペラ座 (アレキサンダー劇場) も使用している‐ この状況は国立移管以後, 教 育条件の急速な改正・拡大にともなっ て施設が不足し, 市内の各所に建物を新・改築して急場をしのいでき た結果だが, このため学生は受講科目毎に市内を移動する, という不便をかこつことになった‐ 現在これを 02年に完成の予定という‐ 解消すべく全部を一ヵ所にまとめた校舎を計画中で, 20 現在の同音楽院学則には, 「演奏と音楽創造のより高度な教育を目指し, 併せて将来の音楽指導者の育成 に寄与する」 と記され, さらに 「音楽研究を深め, 学生による定期的な公開演奏を企画運営し, あらゆる機 )とうたわれている 国立移管されたのち, シベ 3 会をとらえてフィ ンラン ドの音楽芸術の発展を援助する」 ‐ リウス音楽院は音楽総合大学としての体裁を短期間で整えることを求められ, 今なお急 ピッチで整備が行な われているが, 改革の出発点はこの学則の精神にある. またその背景には音楽教育に対する国家および国民 の理解があり, さらにはそれを基盤にした雄大な理念も伺われる. このことを端的に示すのは同音楽院への 国家予算からの全面的な財政援助と学生負担の免除, および諸外国との学術交流の推進である. とりわけ学 術交流 (および外国人学生の受け入れ) について は, 他の国の機関には見られないほど積極的な姿勢で望ん でいるのが特徴的である‐ 同音楽院が多くの外国人学生を受け入れるのは, より多くの若者に音楽教育の機 会を与え, あわせて自国の音楽文化を高めようという理念に他ならない. 00 O1 9 9 4年度総会計額はFIMI その中身をさらに詳しく見てみると,財政面ではシベリウス音楽院の1 ,294 ,0 ) 授業料は (他のヨーロッパ諸国にも (邦貨にしておよそ25億円)‐ 内95%は国家予算で賄われている4 ‐ その例が見られるが, フィ ンランドでも同様に) 国籍を問わず学生全員が免除される (昨今どの国でも財政 難から外国籍学生に授業料を課す, あるいは自国学生にも少額ながら授業料を課す機関が増えつつある中で, 同音楽院では現在のところ授業料不徴収を保持している). シベリウス音楽院では対外的な案内書・パ ンフ レッ ト (英文) を多数発行し, その中で運営o組織o財政・研究・教育概要および諸外国の音楽教育機関と )現在学術交流協定 (研究者・学生の交換, 研究交流など) を結 の連携等を紹介しているが, それによれば5 ん でい るの が 6 ヵ国7機関 (内, わが国は東京芸術大学および北海道教育大学札幌校), 北欧圏に限った特 別交流連携組織が4ヵ 国22 機 関, ほか に世 界 の 25 機 関 と1CP-networkで 結 び, 積 極 的 に他 の 国々 との交. 990年度の学生総数は 流を図っ ている‐ 外国人学生の受け入れについては, たとえばシベリウス音楽院の1 993年度には総数 2名 ( 4 1 6人, これに対 して外国人学生は7 61 .5%) とな っ て おり, これが3年後の1 994年には国家支出予算一割削減のために- 6 6名 ( 17 59人に対し外国人学生11 .6%) と急増している. 1 6 6名 ( 9名に削減するが, それでも外国人学生は10 旦総数を166 .4%) を保ち, 今のところこれを縮小しよ うという動きは見られない. 因みに日本からはここ数年, 2~4名が留学生として在学中である. ( 2 ) 教育 この項では, シベリウス音楽院の特色が最も強く感じられるオーケストラ と合唱, および音楽教育専攻を 中心にその教育内容に触れよう‐ a‐ オ ーケ ス トラ とオ ーケ ス トラ指 揮 専攻. 私が初めてシベリウス音楽院の活動を観察したのは, オペラのオーケス トラ・リハーサルであった. 約 319.
(5) . 中. 村. 隆. 夫. 50名 の 学生 で編 成 した オ ー ケ ス トラ を, 指 揮 科 教 授ヨ ル マ ・ パ ヌ ラ (Jorma panula) と指 揮 科 マ スタ ー. ・コースの学生とが交替で指揮をしており, 曲目はプッチーニ 「ラ・ボエーム」. 高度な演奏技能を求めら れる作品だが, オーケストラ奏者一人ひとりの技術レベルはかなり高く, 指揮者の要求に即座に答える力を もっている. とりわけ弦楽器群の能力が高い. この活動は1週間の授業計画 に組み込まれる常設のものでは なく, 音楽院主催オペラ公演のために臨時に構成されたものである. オペラ公演は有料で場所は旧オ ペラ座 (客席数約500)‐ 公演は2週間の期間に計8回. 歌い手はオペラ専攻学生の中からオーディ ショ ン (中心 的な役柄はダブルキャスト) で選ばれるが, オーケストラは希望者を募っ て申し込み順に受け付け, 定員に なり次第締切にするという方式をとっている. 前述の学生指揮者もマスター・コースの修了を控え, 実際の 公演を何回か指揮する機会を与えられている. 練習の間は教授を補佐しつつ指導法を学び, 公演の場を踏む ことで プロの指揮者になるためのノウハウを身につけるという仕組みだ. リハーサルを見学した2週間後に 実際の公演を観たが, 学生オペラとしてはまずまずの出来栄え‐ 一般聴衆を楽しませるに十分な水準に達し てい た‐ オ ペ ラ 公演 は年 に4 ~ 5 回行 なわ れ るの が通例 との こと で, 次 の演 目 はす で にモ ー ツ ァ ル ト 「フィ. ガロの結婚」 が3ヵ月後に予定されていた. 他にオーケストラが関係する授業では, やはりパヌラ教授が指導する指揮専攻生のための授業を見学した. 普段の指揮のレッスンは, バ トン・テクニック修得を主な目的としてピアノ演奏を相手に行なわれるが, こ のときはオーケストラ相手の, より本格的な訓練である. さすがに受講生の全ての曲に対してオリジナルな 編成を組むのは困難らしく, 室内アンサンブルの形にピアノを補う編成とし, それを相手に指揮をさせてい た‐ 正味4時間で8人の学生がそれぞれシベリウスの交響曲からのひと楽章と, 任意に選んだ曲の計2曲を 交互に指揮し, 自分の指揮の様子は各自持参のビデオテープに録画する‐ シベリウスの作品を必ず含ませる, と い う の が フィ ンラ ン ドな らで はであ る. 任 意 の 曲 はモ ー ツ ァ ル ト 「交 響 曲第 41 番」 第 2 楽 章 ベ ー トー ‐ ヴ ェ ン 「交 響 曲第 1番」 第 1楽 章‐ ウ ェ ー バ ー 「魔 弾の 射手」 序 曲. メ ンデルス ゾー ン 「真 夏 の夜 の夢」 序. 曲等, 古典派, ロマン派の曲が多く, レパートリーとしても演奏技術の上でも ごく基本的な内容である‐ こ れは恐らく, オーケストラ演奏に伴う難点--楽譜・演奏者の手配, 曲の難易度, 各種準備の煩雑さ--を も考慮してのことだろう. 指揮の指導には複数の教官があたり, 学生は曲毎に, あるいは同じ曲を週3回異なる教官から指導を受け ている.あ る 女子 学 生の バ トンテク ニ ッ ク の 1 時 間で は,パ ヌ ラ教 授 自 身が ピアノ を 弾き な が ら ドビュ ッ ソ ー. 「牧神の午後への前奏曲」 を指導していた. 指導の内容はごくオーソ ドックスなもので わが国の実態とそ , う違うものではないが, 技法はそれぞれの個性に任せ, 学生毎に指揮の仕方が様々なのが日本と大いに違う ところだ. また自分の指揮している姿を収めた ビデオは, これを見る時間が他に設けられている‐ 指導教官 3名と学生達がAV室に集まっ て, 各自の指揮に対する意見交換を行なうのだ‐ この授業に限らずシベリウ ス音楽院では教育に最新の器材を活用し, 様々な工夫を凝らしているのが印象的であった. またそれを行な えるだけの財政基盤があるということも言うまでもない‐ 他の演奏分野と違い人間を相手にする指揮の分野は, 経験を積む場が少ないだけに能力の蓄積が難しい‐ それだけに教育機関がこの問題にどこまで責任をもつかが問われるのだが, カリキュラム構成や教育内容か ら見ると, シベリウス音楽院では指揮者の養成に特に力を注ぎ, 意欲的に人材を育てようとしている様子が 見 て と れる. そ の 成 果 と し てエ サ = ペ ッ カ ・サ ロネ ン (Esa-Pekka Salonen) や ユ ッ カ = ペ ッ カ ・ サラ ス. テ (Jukka-Pekka saraste) の よう な 国 際 的俊 英指 揮 者 が 育 っ てゆ き, さ らにそ のあ と に 続く 若 手指 揮 者 の活動も世界から注目を集めつつある. それからすると, 今研鍛を積んでいる彼らの中からも世界的な指揮 者や地方都市の音楽的リーダーが生まれるかもしれない‐ 320.
(6) . フィ ンラ ン ドの音楽世界と教育. b‐ 合唱と合唱指揮専攻 次に観察したのが合唱指揮の時間である‐ フィ ンラン ドの合唱レベルが高いことはすでに述べたが, この 時間でもそれを再認識することになった‐ 指導はヘ ルシンキ大学合唱団と, 国立オペラ劇場所属の合唱団指 ) 教 授. 編 成 は 各 パ ー ト4 人, 計 16 人 か らな る 混 i Hyokki t t 揮 者 を 兼 務 す る マ ッ テ ィ ・ ヒ ュ ヨ ッ キ (Ma. 0分ずつ指揮をする. 演奏を聴いてまず印象づけられたのが, 歌い手 声合唱で, それを相手に学生が1人3 一人ひとりのソルフェージュ能力の高さ だ. 誰もが複雑なリ ズム, 歌いにくい音程をほとんど初見で苦もな く歌うことができる‐ 指揮者の要求にも即座に応え, ときには合唱団の方が完成度では勝っているとの印象 さえ受ける‐ ただしこの合唱団は一般学生の授業の編成ではなく, 年度初め (9月) に募集 しオーディ ショ ンを通った者によって編成さ れるもので, 音楽院全体のなかの合唱としては別格である. 扱う作品は現代作 品 の 比 率が圧 倒 的 に高く, ラ ウタ ヴァ ーラ (Binojuhani Rautavaara) , ベ ル イ マ ン (Eric Bergman) ,. など, 自国および北欧の現存作曲家の 作品が次々と歌われる. 指揮技術を研くと同時に, 未知の作品を開拓することも合わせて目指しているのだ ろう‐ それ以外では, バッハ 「ヨハネ受難曲」 のような合唱の中心を成す主要作品や, フランスの近代世俗 エ ドル ン ド (Lars Edlund) , コ. kkonen) ッ コ ネ ン (Joonas Ko. 曲等 も扱 っ てい た が, そ の 中 で とり わ け興 味を ひい たの が ビー トル ズの 作 品 「ミ シ ェ ル」 の演 奏 であ っ た.. 学生の能力を測る例としてその内容を紹介 しよう‐ はじめは見た目にも易しそうで単純な楽譜をみて, これを指揮する女子学生が初心者かと思っ たが, そう ではなかった. まず演奏上の要点を細かに指示してからひととおり歌わせ, それからリ ズム, 音色, 表情, バランスに手を加えることを何度か繰り返 した‐ 演奏が完成に近づいてくると指揮者は腰を振り, ステッ プ を踏んで次第にポピュラー音楽のムー ドへと全体を導いてゆく‐ 歌う側も首を振り, 身体を揺すりながらリ ズムをスウィ ングさせ, 甘い声や填れ声, ときにはため息まで交えて ビートルズの音楽にして行く. 特筆す べき はテノ ー ル・ ソ ロ で, メ ロ ディ ー をイ ン プ ロ ヴ ァ イ ズ し, しか も歌う ごと にその節 回 しを 変え る本物 の イ ン プ ロ ヴィ ゼー シ ョ ンであ る‐ そ の 驚 異 的な 能力 に は唖然 とす る 思 い であ っ た‐ この よう な 曲 も扱う こ と. についてヒュヨッキ教授は, 「彼らは様々な分野で活動することになるので, そのために多様な様式に触れ させる」 といっていたが, わが国の保守的な教材観や教育内容を考えると, フィ ンランドの斬新な教育方針 に大 い に考 えさ せ られ, 学ぶ と ころ が 大き か っ た. この こ と は初 等 ・ 中等 教 育 のな か で も感 じる こと とな る が, そ れ につ い てむ滋後 述 しよ う.. 因みにこの女性指揮学生もテノール・ソロを担当した学生も, 勉学と平行して合唱指揮者として活動を行 なっ ているという. シベリウス音楽院の学生の中には, 同時に大学などの高等教育機関の教官であるという 例も珍しく なく, 社会人教育がかなり手厚く行なわれていることが伺える. このことは同音楽院の要項の中 でも触れられ, それには社会人教育の重要性とこれを推進する理念とが誇らしく記されている. 興味深かったのは, このモデル合唱団も前述のオペラ・オーケストラ, 指揮者訓練用オーケストラも, 演 奏者には手当てが支払われるという点だ‐ よい条件で効率のよい教育を図るというのは分からないでもない が, 日本の実情では考えにくいこの方法には多少の戸惑いを覚えた‐ c‐ 音楽教育専攻 93年度までは35名であったが, 学生の質 音楽教育専攻学科の構成は, ひと学年の学生定員が25名 (19 00名という態勢である. 学生の実態 0名, 非常勤教官がおよそ1 を維持するため削減した), 常勤教官が1 や教育内容等, 色々な点でわが国の教育学部音楽学科に似ているが, 建物が大きく住環境が整っていること, 教育機器・器材が充実していること, 指導にあたる教官の層が厚いこと等, 総合的な態勢ではわが国よりも 321.
(7) . 中. 村. 隆. 夫. 遥かに充実度が高い. 校舎に一歩足を踏み入れれば, 投入している予算がわが国に比べて桁外れに多いこと は一目瞭然である. 最短修業年限は5年半 (これは他の専攻分野も同じ) だが, 実際はほとんどの学生が6 ~7年かけて修了するという.. 1) 特徴ある必修科目 ここで痛感したのは, 教育内容を時代感覚に即応させているということである‐ 各学生は日本と同様 ピア ノ, 声 楽 な ど, ゆるい専 攻 を も っ て いるが, 必修 科 目に はキ ー ボー ド・ハ ー モ ニー 打楽 器 民俗 音楽 コ , , ,. ンピュータ操作, 音響機器操作が含まれ, フィ ンランドで行なわれている幼・少年教育の今日的内容に歩調 を合わせている. これらの科目は少人数 (時には1対1) で行なわれ, しかも複数年履修である. 教育専攻 学 科主 任 エ サ ・ヘ ラ ス ヴオ (Esa He lasvuo) 教授 の 話 で は, 教員 に な っ た とき の多 様 な ニ ー ズ に応え られ. るよう, 特にこれらを重視しているという‐ それらの授業のいくつ かを参観したが, わが国ではあまり目にしない授業風景が興味深かった. たとえば 打 楽器 の レ ッ ス ンで は, イ ヤリ ングに ジー ン ズ の上 下と いう, い かに もポ ッ プ ス系の ラ フ な 身な り を した講. 師が, 学生と1対1で ドラムスの指導をしていたが, 擾さばきやリズムの乗りを細やかに指導している様子 を 見 てい る と, 一 瞬 ここが 大 学の 教 育課程 であ る こ とを忘 れ て しま いそ う に な る ま たキ ー ボー ド・ハ ーモ . ニ ー の レ ッ ス ンで は,既知 のメ ロ ディ ー にま ずオ ー ソ ドッ ク スな和 声 とリ ズム を 付 けさ せ,次 に これ を フ ォ ー ク 風, ジ ャ ズ 風, ロ ッ ク 風 と いうよう に様々 な衣 装 をま とわせ る, とい う こ と も してい る‐ これ らの 応用 と し て小編 成 バ ン ドの 指 導 もあり, 私の 観 た1 時 間 で は ピアノ, リ ー ドギタ ー, ベ ー ス ギタ ー ドラ ム ス 等の ,. 7人編成でロック調の曲を練習していた‐ 指導には講師が2人つき, 必要に応じて指使いやインプロ ビゼー ソ ョ ンの仕 方, ハ ー モ ニー な どを指 導 してい る. 最近 はわ が 国 で も, 「旧来 の 教 育 はク ラ シ ッ ク 音 楽偏 重で あ っ た」 とい う 反省 に基 づ き, ジ ャ ズや ポ ッ プ ス にま で ジ ャ ンル を広 げ つつ あ る が, 大 学の 教員 養 成の 場 で. ここまで踏み込んだ指導をしているところはまだないのではないだろうか. 最近はどの国の音楽教育でも, 世界の民俗音楽について広く学ばせる傾向にあるが, フィ ンランドでも自 国を初め各国の民俗音楽に触れることを重視している. 音楽教育学科と同じ建物のなかには民俗音楽専攻学 科も置かれていて, 何室かある民俗音楽用の部屋にはカンテレ (指で弾く擾弦楽器‐ 5~20弦まで各種), 縦笛, 横笛などがあり, 教育専攻の学生にもここでこれらの楽器に親しませている. 驚いたことに, アフリ カや東南ア ジアの楽器に交じって, 日本の峯も2面用意されていた.. 2) 教育実習 教育実習はわが国に比べて期間が長く, 回数も多い‐ 最短修業年限である5年半の間に, 各学年1 0回以 上の授業実習と15回以上の授業観察をヘルシンキ市内で行ない, さらに4年生のときには, 同じような内 容で他都市で2週間行なうことが義務付けられている. 修了年度には最終試験として複数の審査員の前で行 なう授業が1 2回あり, その間に40回の授業参観があって, それについてのレポー トも成績判定に含まれて い る.. 3) 合唱指揮の授業 合唱に関係する時間 (合唱指揮および合唱) は音楽院全体で, ①合唱指揮専攻 (前述), ②音楽教育専攻, ③教会音楽専攻の3つにあるが, いずれの専攻も 「合唱指揮」 の方が必修 (3単位) で, 受講生自身が歌う ことで受講する 「合唱」 は選択 (1単位) となっているところが興味をひく. (この項では教育専攻の合唱 322.
(8) . フィ ンラ ン ドの音楽世 界と教育. 指揮の時間に触れよう). 受講年度 (5年半の課程の中で3回) は任意に選択できることになっているため, クラスによっ ては受講生が少なすぎ (1コマ2~10数人), ときには理想的な合唱の編成から程遠いとい う状況も生じて指導者にとっ て頭の痛い問題 になっている. 私が参観した授業でも, 10人の受講生のうち 女子学生ばかり4人が欠席のため, 不完全な合唱形態を指揮せざるを得ないという時間があった. その内の 0分の授業時間の導入としてはじめの15分は学生によるウォーミング・アップ (い 1時間を紹介すると, 6 わゆる発声練習) の模擬指導. 当日の担当となった学生が創意をこらした方法で, 柔軟体操, 音階練習等を 指導し, 講師がそれに論評を加える. 将来教師になったときの実践的合唱指導力を身につ けるのがねらいだ ろう‐ 合唱の演習として扱う曲はルネッサンス, 古典, 民謡の編曲等 (ほとんどがア・カペラ), 学校音楽. 教育に 、さわしい基本的な作品が中心である‐ 受講生はあらかじめ与えられた曲を予習しておき, 交互に他 の受講生を相手にその曲を指揮する‐ 学生の歌唱能力はまちまちで, 難しい曲を初見で歌える者から読譜の 覚束ない者までやや幅がある. それでも基本的な合唱技術--互いに聴き合う, 和音を把握 して響きを整え る, 等-■の点ではわが国より遥かに上である‐ 指揮の能力も, 将来音楽担当教師になるためには十分な水 準に達している. 因みにこの時間の合唱受講生8人に希望進路を聞いてみると, 全員が教員志望であった‐ ( ) コンサートおよ びその他の活動 3 前述のオ ペラもそのひとつだが, シベリウス音楽院主催のコンサートも年間に多数開かれている. その数 6 ) は どの 組 織 や 団 体 によ る もの に も勝 る とい い, しか もそ の ほとん どが 学 生 によ る 演奏 で あ る . コ ンサ ー ト. は音楽院ホールおよび市内各所のホールで行なわれ, 有料 (一般FIM 50 = 1 ,250 円, 学 生FIM 20 = 500 円‐ 音楽院学生は無料) ではあるがその額は到底運営を賄えるようなものではなく, 開催に必要とされる宮 伝費, 印刷費, 会場経費, 人件費等は, すべてシベリウス音楽院の予算で賄われている‐ このように学生に は実践の場を, 市民には芸術鑑賞の機会提供を, という姿勢はやはり学則の精神に基づくものだ. 私 が 聴 い た シ ベ リ ウ ス 音 楽 院 ホ ー ル で の コ ン サ ー ト は, ①Susanna Malkkiチ ェ ロ ・ リ サ イ タ ル, i laピ アノ ・ リ サイ タ ル の t ② 「1920 一 30 年 代 の ベ ルリ ン」 と題 した ドイ ツ近 代 作 品の夕 べ, ⑧Laura At 3つ‐ ① は同 音楽 院 出 身 で 1994 年 ト ゥ ルク 国 際チ ェ ロ ・ コ ンク ー ル優 勝の 経 歴 を もち, 現 在イ エ ー テ ボリ. 交響楽団首席の女性チェリスト‐ さすがに国際コンクールの優勝者だけあって見事な演奏である. 幼年期に no は後述する東ヘ ルシンキ音楽院でチ ャ バ ・シル ヴァイ に学んで いる. ピアノ 伴奏は同音楽院教授Ei inonen.② は 在 学 生 に よ る ヴ ァ イ ル, アイ ス ラ ー, ヒ ン デミ ッ トの 歌 曲, ピ アノ, 室 内 ア ン サ ン ブル 作 He. 品のコンサート‐ わが国では稀にしか聴くことのない意欲的なプロ グラムである‐ 技術的には十分な水準に 達しているが, 成熟度という点ではやはり学生の演奏であるという感は拭えない. 中では歌曲を歌った学生 の一 人 が 見 事であ っ た が, ドイ ツ 語の 発 音 はい か に もフィ ンラ ン ド風 であ る‐ ③ はマ スタ ー・ コ ース在 学 中 の 女 子学 生 によ る ディ プ ロマ (修 了) コ ンサー ト‐ シ ュ ー ベ ル ト, ブラー ム ス, シ ョ パ ンの 作品を演奏 した. が, 技術的にも音楽的にも未だ学生の域を越えておらず, 有料であること自体に難を感じたほどであった‐ いずれにしてもこれらのコンサートを通して, 卒業生の活動実績や学生の実力が伺え, 大変興味深いものが あった‐ コンサートは音楽院の美麗なパ ンフレッ トや一般情報誌で広く宣伝されている‐ 3. 幼少年教育 ( 1 ) 東ヘルシンキ音楽学校 ヘルシンキの町を歩いていると, 楽器のケースを手に した子どもや若者に数多く行き合う. 今回の視察で はフィ ンラ ン ドの地 方 都 市 の 実情 に触 れ る こ と はできな か っ たが, 少 なく と もヘ ル シ ンキ で はヨ ーロ ッ パ の 323.
(9) . 中. 村. 隆. 夫. 他の大都市よりもずっと多くの若者が音楽に親しんでいるように思える. それもとくに器楽の音楽が盛んな ようだ. これには卓抜な教育理念の器楽教育機関と優秀な指導者の存在が大きく与っている‐ ヘルシンキの中心部から東に7如の新興住宅地に, 日本でいえば生徒数300人規模の小学校に相当する大 きさの3階建て校舎があり, 中からフルートやバイオリンの音が聞こえてくる‐ これが東ヘルシンキ音楽学 校 (l ta-Helsingin Mus i ikkiopi to) であ る‐ こ こ は音 楽 専 門 学 校 な の で, 子 どもた ち は昼 す ぎま で普 通 s. の学校に通い, それが退けてからここへ平均週4時間 (幼年者は1~2時間) の指導を受けに2~3回通っ てくる. 年令構成は3才児から高校3年生ま で, 生徒数は約2 00人, 講師の数はおよそ1 00人 (常勤30, ,1 非常勤7 0) だが, この他に幼稚園も併設しており, 全体の数は把握しきれない‐ 楽器別ではピアノ, バイ オリン, チェロが圧倒的に多く, それにコントラバスや各種木管楽器, ギターなどが少数加わる‐ 学校の年間総予算はF工M1 2 00 00 (邦貨にして約3億円‐ 建物の規模からは想像 できない高額であ ,0 ,0 る). 内, 政府からの援助が35%, ヘルシンキ市からが35%, 授業料が25%といい, ここにも芸術に対 する国家と国民の意識の高さが反映されている. a. ヘ ル シ ンキ・ ジ ュ ニ ア ・ ス トリ ン グス. 東ヘルシンキ音楽学校を一躍有名にしたのは, ここに学ぶ子どもたち及び卒業生で編成さ ている 「ヘルシ ンキ ・ ジ ュ ニ ア ・ ス トリ ン グ ス」 (He l ingin Junior i ) の活 動 が 注 目さ れ て か らで, 以 来 こ の 学 校 t jouse s の教育 は同種 の機 関と し て はフィ ンラ ン ド最 高 という 評価 を 受 け るよ う にな っ た‐ ジ ュ ニ ア・ ス トリ ン グス. はチ ャ バ, ゲー ザ・ シ ル ヴ ァ イ (Csaba & G6za Szi l vay) 兄 弟 (ハ ン ガリ ー 人) によ っ て 1972 年 に結 成 された1 0~20才の子どもたちをメ ンバーとする弦楽オーケストラで, 幼い子どもたちが奏でる流麗な演奏 は人々を驚嘆させ, やがて国の内外に名を知られるようになるが, 同時にそのような成果を生んだ卓越した 指 導法 に も関 心が 集ま るよう にな っ た‐ 兄の チ ャ バ が チ ェ ロ, 弟の ゲー ザ は バ イ オ リ ンが 専 門 だが, ふ たり. ともそれぞれの楽器の指導と合わせて指揮を担当し, 2人3脚でこの団体を育ててきた. ジュニア・ストリングス発足の動機は, 「子どもたちの音楽教育には個人指導とともにグルー プ活動も必 要」 という観点からといい, その根幹には 「狭い専門に閉じ込めず, 幼いうちから総合的に音楽に触れさせ る」 という理念がある‐ 各セクショ ンのトッ プには年長者 (主にここのOBであるシベリウス音楽院学生) が座り, 後ろにいくにしたがって年令が若くなる‐ トップ奏者たちは音楽的にもかなり成熟しているので, 幼 いメ ン バ ー たち は彼 らの演 奏 に倣 いつ つ, 技 術 を身 につ け, ア ンサ ン ブルを 楽 しむ こ とを 覚え て ゆく. ま た この ジ ュ ニ ア・ ス トリ ングス に は, この下 にさ らに2つ の ア ンサ ン ブルがあ る. ごく 小さ な 子 どもたち に. よるものと, ちょうど中間の年令と技術の子どもたちによるものだが, その子たちの中からも上手な子はど んどん上のアンサ ンブルに加わらせてゆく‐ その場合は一人ひとりの能力を見極め, 指導にアンサンブルの 素地となる内容を含めつつ慎重に授業プロ グラムを組む, という方法を取っている‐ b. ア ンサ ン ブル の指 導. 生徒のなかにヘイニという名のチェロの演奏に秀でた11才の女の子がいた. 母親によると姉と同時にバ イオリンを習わせたが, 本人のたっての希望でチェロに転向したという. 自らの意志で選択したせいか上達 の度合いは姉に勝り, 将来は演奏家を目指しているとのことだ‐ 母親もバイオリニストで 「専門ではない」 といいつつ, 娘の演奏の ピアノ伴奏を音楽的にこなせるだけの力がある. ヘイニに限らずここに学ぶ子ども たちの家庭環境は, 音楽的に整っている場合が多い. このヘイニという子を例に, 東ヘルシンキ音楽学校での個人指導とグループ指導の割合を見てみよう. 彼 女が1週間のうちに受ける授業は,①単独レッスン,②伴奏つきレッスン, ③チャバによる グループ指導 (ア 3 24.
(10) . フィ ンラ ン ドの音楽 世界 と教育. ンサ ン ブル 曲の パ ー ト練習), ④ ゲー ザ に よ る ア ンサ ン ブル, そ して ⑤ ソ ルフ ェ ー ジ ュ の授業, と5 つ あ る.. ①では伴奏なしで指導を受け, ②ではすでに出来上がった曲を, ピアノ の先生 (生徒のこともある) の伴奏 つきで受ける. ③④はチェロを学ぶ他の子たちとの集団 レッスン. このレッスンは同じ楽器を学ぶ者同士の 交流の場ともなる‐ こうしてみると, 全体的に個人指導よりは集団指導の比率が高いことが分かる‐ 東ヘル シンキ音楽学校も一種のコンセールバ トワールだが, 一般にコンセールバ トワールは個人指導が中心で, 教 育法も全体を有機的に組み立てるような体系をもたないことが多い‐ ここの教育 が高い評価を受けるように なったのは, このような点に特別な配慮を払い, アンサンブル中心の総合教育を目指したところに最大の要 因があるといっていいだろう. シル ヴァイ兄弟は, 「技術を身につけることも大切だが, 子どもが一生音楽 とともに人生を歩むことの方がより重要だ‐ そのためには早くからアンサンブルに親しませ, 音楽の楽しさ に気づかせたい」 といい, その言葉に沿った実践が行なわれている. ア ンサ ン ブル の 様 子 を, チ ャ バ の指 導 によ る チ ェ ロの グルー プ・ レ ッ ス ンを例 に, もう少 し詳 しく 見 て み. よう‐ まずごく幼い子どもたちの場合には, 第1段階として同 じ曲を皆で一緒に弾くということから始めら れる‐ たとえば8小節からなる曲を, ①通して一斉に弾く. ②グルー プを4つに分け, 2小節ずつ弾きつ な ぐ‐ ③同じことを 「うた」 と 「楽器演奏」 交互に演奏する, などソルフェージュ的な扱いを交えて色々 に練 習する. また演奏の合間には, 作品の理解を深めるために, 曲の構造を子どもに相応しい方法で分析させた 0 り(A -A - B - A をア ンナー ア ンナ ー象 -ア ンナ,等), 同 じ曲を 完全 5 移 調 して (つ ま り 同 じポ ジ シ ョ. ンのまま移弦して) 弾いたり, さらにはまるで違う指使いとなる調へ挑戦させたり (この場合は聴覚が手が か り に な る) と, 多 様な 方 法 が 含ま れ てい る. こ こ に はハ ン ガリ ー の コ ダーイ ・メ ソ ッ ドや, 世 界 的 に有名. になった日本の鈴木メソッ ドからの応用が感じられる. 事実シル ヴァイ兄弟は早くからコダーイの音楽教育 理念に明るく, 後で触れる彼ら独自の指導法にもここから多く を援用している‐ 少 し年 令 が 上 にな る と,オ ー ケ ス トラ の 作品 の 分 奏 に な る‐私 が 見学 したとき に は, ヴィ ヴ ァ ル ディ の チ ェ. 0人程が半円状に並び, 特に上手な子はソロ・パートを, それ以外の子たちは ロ協奏曲を練習していた‐ 1 リ ピエーノ。パートを担当し, フレー ズ毎に丁寧に練習 してゆく‐ 技術的に難しい箇所や, 表情豊かに表現 すべき所などは繰り返し演奏させ, より音楽的な演奏へと近づけてゆく‐ 要求内容の音楽的水準は子 どもの 年令を考えるとかなり高い‐ ここでの細やかな指導が後の全体合奏のときに生かされてくる‐ c‐ カ ラ ー o ス トリ ングス ・メ ソ ッ ド. シ ル ヴ ァ イ 兄 弟 は, 子 どもの 音 楽 教 育 の 導 入 と して カ ラ ー ・ ス トリ ン グス ・メ ソ ッ ド(Colour Strings. Me thod) を考案し, 独自の教育 プロ グラムを作成している. ひとことでいえば, 子どもが無理なく5線譜 が読めるようになるための, 段階的教育 プロ グラムである. 従来の多くの器楽教育では, 楽器の如何を問わ ず, 楽譜に記された音が楽器のどの発音場所と整合するかを教え込むことから指導が始まった‐ しかし初め て楽譜に接する子 どもの目に5線譜の読解は難 しく, これが器楽指導の大きな障害となってきた (事実, 5 線譜の重圧に耐えかねて音楽をあきらめてしまう子どもの例は少なくない). その障害を取りのぞき, 子ど もを抵抗なく音楽の世界に導き入れよう, と考案されたのがこのメソッ ドである. 細部にわたっての説明は 避けるが, この指導法がコ ダーイの教育理念や鈴木メソッ ドなどから多くのヒントを得ていることには注意 を喚起しておきたい. 因みに名前の由来は, バイオリンの4本の弦に色と呼び名をつけ, 低い弦からG=緑 (くまさん), D=青 (おとうさん), A=赤 (おかあさん), Eキ黄 (ことりさん) としたことからきて い る. (この 方 法 は, バ イ オ リ ン以タ の楽器にも同様に適用さ れる). このメソッ ドと関わって, ゲーザのバイオリン指導の様子にも少 し触れておこう. 私が見学したのは7才 の女の子のレッスン‐ ほとんどのレッスンがそうだが, 幼い子の場合は母親が同席 し, 指導内容を書き留め 325.
(11) . 中. 村. 隆. 夫. たり, 家での練習について指示を受けたりしている. レッスンはまずゲーザが自ら著わし, 出版した教本を 使っての音階練習から始まった. 機械的に弾かせるのでなく, ボーイ ング, 音量, 音質, 姿勢を正しながら, より自然に, より音楽的に, と繰り返し弾かせ, ときにはゲーザ自身が子どものバイオリンを手にとって手 本を示す‐ 子ども用の楽器であっても模範となるよう性能の限界ま で鳴らしてみせ, まだまだ良い音がだせ る余地のあることを示していた. その次は分散和音に移り, 宿題となっていた調の1とWの和音を弾かせる. 長調のときは問題がなかった が,短調に移るとWの和音がどうしても長3和音になっ てしまう‐そこでゲーザは楽器を下ろさせ 階名 (移 , 動 ド) で 「ラ ー レー フ ァ」 (W の第2 転 回形) と歌 わせ た. しか しそ の場 合 もや はり 「フ ァ」 が 「フィ」 に. なりがちだ‐ その様子をみてゲーザは歌わせることを中断し, 音階と分散和音をグラフにしたものを取り出 して和音の仕組みを説明し, それから再度歌うことと弾く ことを求めた. ゲーザの妥協を許さない要求に子 どもがやがて耐えられなくなるのではと心配したが, この子の場合には大丈夫なようだ‐ これを終えてから バイオリン曲集を教材にしての指導に移り, 古典派とロマン派の作品から各1曲にとりかかっ た 表現を練 . りあげ, 技術を細部に亘って仕上げ, 指導は基本的なことから高度な ものまで広く行き渡って止まることが ない. その内容はほぼ大学生対象の指導と同じといっていい‐ このような内容でレッスンは休みなしに1時 間にわ た っ た.. チャ バにしてもゲーザにしても, まず自らが音楽家としての高い能力と豊かな教養をもっているというこ とに重要な鍵がある‐ 子どもの教育に於いて, 指導者が音楽史や音楽理論に通じ, 優れた技術と卓越した音 楽性をもち, 加えて教育についての見識と能力があるということは, 理想ではあってもなかなか現実となり にくい. しかしここ東ヘルシンキ音楽学校では, この二人を初め多くの優れた教師がチームワークを組みな がら総合的な教育を展開させていることを実感した‐ ここを巣立った子どもたちはその多くが後に音楽家と しての人生を歩んでいるというが, このことはここでの教育が卓越したものであることを如実に証明してい ると い っ て いい だろ う‐ d- レ パ ー ト リ ー. 東ヘ ル シ ンキ音 楽 学校 で も (ジ ュ ニ ア ス ・ ス トリ ングス も含 め て) レパ ー トリ ーの な か に現 代 作品 の 占め. る比率がかなり高い. その多くは作曲家への依嘱だが, 作曲家もまた子どもの感性に相応しい優れた作品を 書いていることが特筆すべきことである‐ これはまたその作品を演奏できる対象 (演奏者) が存在すること とも無関係ではない.その点ではわが国の音楽教育は,レパートリーが保守的であると痛感せざるを得なかっ た‐ わ が 国だ け で はな い, ほか の どの 国で も教 育の な か で -- あ る い はコ ンサー トの場 で も -- フィ ンラ ン ドほ ど現代 作 品と 日常 的 に触 れ合 っ てい る 国 はない の で はな い だろう か‐ ア ンサ ンブルの レ パ ー トリ ー にも, モ ー ツ ァ ル トや ドボ ル ジ ャ ー ク と と も にコ ッ コネ ン, ソ ンニネ ン (Sonninen . 同校 の 前 校 長 で もあ る),. ラウタ ヴァーラなど現代フィ ンランドを代表する作曲家の作品 (いずれも民俗性の高いものが多い) が同列 に取り上げられ, 無調性の音楽や複雑なリズムの作品など, 現代特有の書法にごく自然に接している. 幼い うちから現代作品に親しむことがどれほど大きな意味をもつ かは言うま でもないが, それ以上にわれわれは, 自らが生きる時代の作品に疎遠なまま でいることの不十分さをもっ と自覚すべきだろう. 彼らの レパー ト リーに接して, これからはより革新的な態度 で作品を開拓する必要を痛感した. ( 2 ) 夕 ビオラ合唱団 タ ピオラ合唱団がフィ ンランドの合唱界に与えた影響は, 計り知れないものがある. さらには合唱の枠を 越えて, 音楽すべてにわたって子 どもたちが秘めている可能性の豊かさを示し, 新たなフィ ンランド音楽の 326.
(12) . フィ ンラ ン ドの 音楽世 界と教育. la) の 類 あり 方 を示 唆 した とい っ て もいい‐ そ の功 績 は合 唱 団 の創 立者 エ ル ッ キ・ ポ ヒ ョ ラ (Brkkipohjo. い稀な人間性と音楽観, そして尽きることのない情熱があって初めて成 し得たものである. )においてポヒョラは タ ビオ ラ合唱団で目指 した演奏には理念の 94年3月来日の折, 札幌での講演7 19 , 上で他の合唱団と大きく違うところがあることを述べた‐ 彼は合唱の一般的概念では当然とされる同質な声, 正確無比な音程, 一糸乱れぬアンサンブル等に腐心することを避け, 子どもの自発性から生まれる, より自 由で喜びと輝きに満ち, 個性の自然な発露に溢れる音楽を一貫して目指したという‐ このような基盤があっ たからこそ, ほかのどの合唱団とも違う味わいと表現力をもち, 比類のない合唱団に育ったのだろう. 「1 963年に夕 ビオラ合唱団の活動を始めたとき, この合唱団がやがて国際的な活動を繰り広げる団体に )」 な る と は少 しも予 想 して い な か っ た8 , と ポ ヒ ョ ラ は述 懐 して い る. 活 動 の 背 景 に は子 どもたち の 父 母,. 学校, 地域の理解があり, やがては市や文化団体および国家から物心両面の援助を受けるようになって, 夕 ビオラ合唱団は大きく発展してきた‐ 東ヘルシンキ音楽学校の場合もそうだが, 優れた指導者も団体も, 周 囲の支えがあって初めて本来の力を発揮することができる. この2つの例をみてもフィ ンラン ドには芸術を 愛好し, なお一層高めようとする特別な国民性があるという印象が強まる. それらの支援の下にこれまで世 界の合唱コンクールにしばしば優勝を飾り, テレビ出演, レコー ド録音 (CDはすでに22枚を数える), 国外への演奏旅行 (日本へは過去5回) と, 輝かしい活動を続けている‐ 団員がみな何かひとつ は楽器を演奏できるということも, 夕 ビオラ合唱団の特色のひとつ だ‐ ポヒョラの 卓越しているところは, それをただあるがままにしておくのではなく, 自分たちの演奏に積極的に生かし, 歌うことと弾くことが相互に補完しあうように活動を深めたことにある‐ またその目的を達成するために多 くの優れた作曲家にア・カペラおよ びアンサンブルつきの作品を依頼し, 合唱団独自のレパートリーを広げ ていった‐ そしてその演奏のす ばらしさに触発されて, やがては作曲家の方からも積極的に作品が提供され るようになったのである‐ このような活動の結果, 児童合唱がもつ秘められた芸術性を人々に気付かせ, 新 たな 児 童合 唱用 レパ ー トリ ー が 次々 と生ま れ て い っ た‐ これ らの 作品 の 中 に は, 世 界 的な合 唱 レパ ー トリ ー に な っ た もの も数多 い‐. タ ビオラ合唱団を巣立って音楽家になった人の数もかなりにのぼり, 実際にかつてメ ンバーであったこと を何人もの人からヘルシンキ滞在中に聞いている. 作曲家, 指揮者, 管弦楽器のソリスト, オーケストラ奏 者, ピアニス ト, 音楽教師等々, それぞれの専門分野も多彩だ‐ 興味深いのは歌手になった者はほとんどお らず, どちらかというと器楽奏者になるということだ‐ ポヒョラの指導が歌うことに固執したものではない ということを示すとともに, 合唱を通して子どもたちの音楽の世界が一層豊かになったであろうことを思わ さ れる‐ か つ てメ ン バ ー の一 人 だ っ た シ ベ リ ウ ス 音 楽 院の 教育 専攻 学 生, サ ンナ ・ ヴ ァ ル ヴ ァ ンネ か らポ ヒ ョ ラ の. 練習の様子を聞くことができた‐ 彼女の話では, ポヒョラは決 して指揮の技術は巧みでなかっ たが, 子ども たちに迫ってくる迫力は物凄く, 手よりはむしろ激しく変わる顔の表情で音楽をリー ドしていたとのことだ. ま た 彼 女 がメ ン バ ー だ っ た 間ず っ と, ポ ヒ ョ ラ は自 分 に と っ て とて も恐 い存 在 だ っ た と いう 述懐 は, ポヒ ョ i ラ の 音 楽 に対 す る 厳 しい 姿勢 を 物 語 っ て い る. ポ ヒ ョ ラ は1994年 に指 揮 をカ リ ・ ア ラ = ペ ッ ラネ ン (Kar. に譲ってこの合唱団を退き, 今なお精力的に音楽教育活動と啓蒙運動に取り組んでいる. アラ=ペッラネンの指導によるリハーサルを, エスポー市にある練習会場で一度だけ見学することができ. A1a-P61 1ane. た‐ この時は通常の練習とは異なり, ひと月後に国外旅行を控えて年少メ ンバーから誰を参加させるかを決 めるオーディ ショ ンであった‐ 途中ポヒョラも少しだけ顔を出しメ ンバーとも言葉を交していたが, 多忙と 見えてすぐに退席した‐ オーディ ショ ンは既習曲から1~2曲を選んで重唱の形態で行なわれる. 受験者が 自分のパートを歌い, 年長の団員が他のパートを受け持つという方法である. 団員の能力は技術的にいって 327.
(13) . 中. 村. 隆. 夫. 図抜けて高いとは思えなかったが, 如何にも子どもらしい素直な音楽が身についていることは確かである. 指導がアラ=ペッラネンに代わってま だ日が浅いので, 今は活動の内容も移行期だという.. 3 ) 学校教育 ( ここでタ ビオラ合唱団のそもそもの母体となった, エスポー市 (ヘルシンキに隣接する衛星都市) のタ ビ オラ中・高等学校を例に, 初等・中等教育の音楽に少し触れよう. フィ ンランドの学校教育制度は日本と同 じく6・3・3制で, 初めの9年間が義務教育となっているのも 同じだ‐ その中に特別に音楽を重視した 「音楽コース」 があり, 第3グレー ド (小学3年生に相当する‐ 以 下同) から第9グレー ド (中3) までの間, 希望者はここに学ぶことができる (この先の教育には, 音楽高 校 や 音楽 コース を もつ 高 校 もあ る) .この コー ス はハ ンガリ ーの 教育 制 度を モ デルに発 足 した もので, ポ ヒ ョ. ラ等が中心となって検討を行ない, 19 60年代後半 (この時すでに夕 ビオラ合唱団は活動を開始していた) に制度化されたものである‐ 音楽の授業が週3~4時間 (普通コースは週1時間) あり, 早くから音楽の技 術や専門的知識に習熟するよう, カリキュラムが組まれている. フィ ンランドでは音楽をはじめ芸術系の科 目が割合優遇され, 時間数や教員数, その他の環境もわが国よりはずっと整っている‐ 音楽コース希望者は第2グレー ド (小2) 修了時に選抜試験を受け, これに通った者がこのコースの選択 を許される‐ 希望者の数は多いが全部を満たすことができず, またこれ以後音楽コース選択は不可能なため にこの選 抜 制度 は多 少 問題 とな っ て い る. 教 育の 内容 はハ ン ガ リ ーの コ ダーイ ・メ ソ ッ ド, ドイ ツの シ ュ タ. イナー学校教育, オルフ・システム等から多くを取り入れているが, 近年器楽教育についてはオルフ楽器に 代わってカンテレ等フィ ンランドの民俗楽器を活用する方向に変わりつつある. 教科書は音楽コース用のも のが複数の出版社から出版されている. 出版社が異なっ ていても内容にあまり差はないが, どの教科書も歌 唱教材のうちポ ピュラー系の曲が約60%とかなりの比率を占めているのが目につく. さて夕 ビオラ中学校の場合だが, 学級編成はひと学年8クラス, 内2クラ スが音楽コー スで生徒数は各 22 ~24 人 であ る. 滞 在 中少 ない 時 間で はあ っ た が, ①音 楽 コ ース 第 7 グ レー ド, ②普 通 コ ー ス第 8 グ レー. ド (芸術教科から音楽を選択), ③同第9グレー ド (同) の授業を各1時間参観できた‐ 授業者はいずれも エイヤ・クーッ ピネン教諭. 3つの授業内容にはあまり大きな違いがないのでまとめてその様子を示そう. ①②クラスの授業はいずれも発声練習から始められた‐ 素材はドレミファソファミレドの反復, 和音 (長 3和音, 増3和音等) の分散唱など. 生徒たちの授業を受ける態度はかなりリラックスしている‐ 続いて当 日 の 中心 教 材 (① E‐プ レスリ ー:Loveis allaround, ② H. ベ ラ フ ォ ン テ :ェslandin the sunを い ず れ も. 英語で) の歌唱に移り, ピアノ伴奏つきでまず 「ル」 で ボカリーズ唱, 続いて歌詞唱. 生徒はあまり気乗り のしない様子で, 授業の雰囲気も日本の中学校とあまり変わりがない. その後①のクラスは全体をキーボー ド, パ ーカ ッ シ ョ ン, 歌唱の 3 グルー プ に分 けて合 奏, ② のク ラ ス はオ ス ティ ナ ー ト・リ ズム を 3 とおり 使. いながら歌と合わせて演奏, というあらましだが授業内容に特にこれといった特徴はない. 強いていえば① は音楽コースなので楽器演奏が加わり, ③にはそれがないということくらいだろうか‐ ⑧のクラスは複数学級からの編成である. 各自何らかの楽器が演奏でき, 授業の初めに ピアノを勉強して いる女子生徒の一人が, 先生に促されて私のためにシューマン 「子供の情景」 から数曲を演奏してく れた. 演奏はなかなかの出来栄えで, 聞いてみるとシベリウス音楽院のジュニア・コースを受講しているとのこと だ‐ その後生徒の能力をみるために時間を少し割いてもらい, コダーイ・メソッ ドに基づく課題で私がソル フェージュを指導してみた. その方面の訓練は日常的には成されていないようだったが, どの生徒も初めて の課題に敏感に反応でき, 幼年期からの教育でかなりの基礎能力が身につ いていることは確認できた. しか しなが らハ ン ガリ ー に 比べ れ ば, フィ ンラ ン ドの 「音 楽 コ ース」 は十 分 組 織 的・ 体系 的 に整理さ れ て 328.
(14) . フィ ンラ ン ドの 音楽世界と教育. いるとはいえないようだ‐ 授業内容は教師の裁量に任され, ハンガリーのように 「何年生には何を教える」 という枠がない. それだけ自由であるともいえるが反面全体的見通しや計画は必ずしも万全ではない‐ また 教科書はじめ各種教材の内容, 教師たちの話, シベリウス音楽院教育学科での話を総合してみると, 子ども たちの音楽能力の基盤は, 学校教育よりはむしろ各自が受けている器楽の個人指導に多くを負っており, ノ、 ンガリ-の歌を中心とする, しかも学校教育を基 盤にしたものとは幾分方向を異にしている‐ 尤も国情や環 境が違えば手本とした教育理念を寸分違わず適用することの是非はまた別問題であり, フィ ンランドの行き 方を否定しようというのではない. そのような例は他の国にもしばしば見られるところでもある. 放課後には生徒が企画するミュージカルの生徒自身によるオーディ ショ ンがあり, 先生もこれにア ドバイ ザーとして加わっ ていた. オー ディ ショ ンを受けたのが5人‐ 一人5分程度の時間で課題曲を1曲歌い, 台 詞のやりとりをする‐ ひと月後に校内の行事として発表されるものだという. また高校の音楽の時間を少しだけ見せてもらったが, その時は生徒たちが演奏する小さなオーケストラを伴 奏にダンスの練習が行なわれている最中だった. その1週間後に高校生活の最後を飾るダンスパーティ ーがあ り, 父母や教 師たち に披露す るための練習である‐ オーケス トラの編 成は バイ オリ ン6,チ ェ ロ 2,コ ン トラ バ ス 1,フ ルー ト3,オ ー ボエ1,ク ラリネ ッ ト3,フ ァ ゴ ッ ト1,それ に ギター が数人.おそ らく 生徒 そ れぞれが得. 意とする楽器を中心に教師が編曲したものであろう. 演奏していたのは軽音楽調の親しみやすい音楽である‐ たまたまこの時期がそうだっ たのかもしれないが, 私の見学した授業もその他の活動も, どちらかといえ ば肩の凝らない音楽ばかりであった‐ 前述した教科書のなかの曲種の比率も示すとおり, 夕 ビオラ中・高等 学校 だ けで はなく フィ ンラ ン ドで は, 学年 が進 む につ れ て ポ ピュ ラ ー 系の 音 楽 の割 合 が多く な る, という の. が全体的傾向だ‐ 中学校からはギターや ドラムスが加わるというのもその一環で, その辺りの事情は日本と も似ているところだ. まず音楽に親しませ, 楽しく音楽に接することを第一にしているのだろう‐ まとめ. 1) 音楽教育と国民意識 今回のフィ ンランド音楽事情の視察から, 日本の現状に照らして様々のことを考えさせられた. まず第1 に, 思いもかけなかったフィ ンランドの音楽と音楽教育水準の高さである‐ 短期間のうちに他の国を凌ごう とする音楽文化を築き上げた原動力は, いったいどこからくるのだろう‐ 思うに北辺の地に住む彼らにとっ て, 中央ヨーロッパ は常に超えがたい目標であった‐ 産業・経済然り, 芸術・文化然り, 何においても彼ら は立ち遅れを意識し, 如何にして歴史と伝統の国々と肩を並べるかが-大関心事であった‐ その意識が国民 の気持ちを高め, 国を挙げての文化政策に結びついたといっ ていいだろう. その一例が文化人に対する年金 支給制度だ. 古くはシベリウスがその例だが, 優れた業績を上げた芸術家には若い年齢であっても年金が支 給される. 支給額は業績内容にもよるが, 生活に追われることなく本来の活動に専念できるようにというの } 適用される分野も広い が本来の趣旨だ‐ しかもその対象は自国民に限らず9 ‐ , また音楽界をリー ドする優れた人材が期を一にして現われたことも幸いしている‐ たとえばシルヴァイ兄 弟やポヒョラの存在を考えてみよう‐ もし彼らがいなければフィ ンラン ドの幼少年期の弦楽教育や合唱活動 はこれほどに発展できただろうか‐ また彼らの活動が単に自ら優れた教育・演奏活動を行なうにとどまらず, マス・メディ アの活用や教育行政との連携など, 総合的に社会に働き掛けたことにも大きな意味がある‐ 彼 らがいずれもコ ダーイの教育思想から多くを学んでいることも看過できない‐ 音楽を人類すべてにとっての 最上の宝と考え, 音楽とともに生き, 音楽をもって人間性を高めるということを理論と実践の双方から追究 し, しかもそれを専門教育に結 びつけた功績は称賛に値する. 329.
(15) . 中. 村. 隆. 夫. 2) 問題点と将来の展望 しかしながらすべてが理想的かといえば必ずしもそうとばかりはいえない. 最も気掛かりなのは学校教育 における音楽のあり方だ. どの国にも見られる状況だが, フィ ンランドの音楽教育でも音楽の素材が子ども の 今 日 的状 況に擦 り 寄 っ て い る 傾 向がある. 耳あ たり の よ いメ ロ ディ ー,ハ ー モニ ー,す ぐに飛 びつ き そ して. 飽きられてしまう消費音楽が,授業に大きな割合を占めているというのはどういうものだろう.フォーク,ロッ クの類の音楽が, いくら子どもたちが親しみやすいからといって, 音楽教育の中核になり得るのだろうか. かつて私はある教育研究の場で他の分野の人から質問を受けたことがある‐ 日く, 「ある音楽の授業でコ マーシャルソングを教材に扱い, それを子どもたちがとても楽しそうに歌っていた. すべからく授業ではそ のような素材を扱うのが効果的ではないか」‐ それに対して私は, 「それも結構かも知れないが, それなら 国語教育の文学もすべて漫画にして教えたらどうなるで しょう」 と答えた. 質問者は私の答えを理解し納得 してく れたが, 何の教科といわず授業は, 子どもが単に喜んで接するだけではなく, 人間性が高められ, よ り広い視野が養われるものでなく てはならない. それなくして本当の教育はありえない‐ また授業の軽音楽 偏重の傾向について, ロック演奏家の 「もともとクラシック音楽による教育しか受けていない指導者が, た かだか大学の教育課程でジャ ズやロックを摘み食いした程度では, 所詮まがい物の域を越えられない」, と いう言葉にも耳を傾けるべきだろう. やはり教育音楽と商業音楽との間には一線が画されるべきだ. どちら も芸術であることは否定しないが, その果たすべき役割は自ずと異なるのだ‐ 英才教育についても複雑な思いが残る. ひたむきに練習に励む十代の子どもたちの姿は, 健気であると同 時に 「音楽にこのように接することが, 本人にとって最善なのだろうか」 という疑問を抱かせる‐ 英才教育 を受けられるのは限られた階層の子どもたちである‐ 金銭的にはもちろん, 親子の精神的・実際的負担は相 当なものでどの家庭にでも可能なものではない.熱心な親(その多くは自身も音楽家である) は子どものレッ ス ンに付き 添 い, 多 い とき は週 に3 日も車で送迎している (中には6 0k mの遠方から通っている例もある)‐. 子どもの上達に伴い, 楽器の買い替えやその他の出費もかなりの額に達するが, 一部の親はそのような負担 を誇らしく思っている節さえある‐ 確かにこのような教育がフィ ンランドの音楽レベルを一挙に押 し上げた のは否めない‐ しかしハンガリーではコダーイの思想に基づき, 専門教育よりは学校の授業に重きをおいた 音楽教育を行なって優れた成果を挙げてきた‐ その第一の目的は人間性豊かな国民の育成であり, 専門家の 養成ではない‐ それに比べるとフィ ンランドの場合は, 教育内容がどちらかといえば職業音楽家の育成に傾 いて いる, とい え る か も しれ な い‐. これに関連して, フィ ンランド在住で演奏活動や各種音楽祭活動に関わり, 日フィ ン両国の音楽興隆に大 いに貢献しているバイオリニスト新井淑子氏と意見を交す機会を得た. 新井氏は今後の音楽教育について, 「これまでフィ ンランドは熟達した演奏家を育てることに心血を注いできたが, すでにその数は飽和状態に なりつつある. これからはよりよいアマチュアを育てる教育に転換するべきだろう」 という意見だ. 私もこ の意見には全面的に賛成である. 現在のヘルシンキでのコンサート活動は, 他の国の中心都市ほど豊かとはいえない. もちろん人口50万 という町の規模も関係しているだろうが, 今の状態は教育の成果が形になるのを待つ雌伏期間のように思わ れる. フィ ンランドでも将来を嘱望される若手音楽家は, 活動の場とキャリアを求めてどんどん外国に進出 している. 小さな国ではどうしても活動の場が限られることと, 「預言者は故郷では認められない」 の誓え のごとく, 外国での業績があって初めて実力を認められるという実情があるからだ‐ フィ ンランドの教育が ますます発展を遂げ, 新しい世代が音楽界の中核を担う頃には, ヘルシンキやその他の町が世界でも有数の 音楽都市になっているかもしれない‐ 今フィ ンランドは, そのような期待を抱かせるに十分な音楽教育国で あ る. 330.
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