中国近代文学のなかの旧文学(下) : 胡風批判
8
0
0
全文
(2) . 第6 巻 第 2 号. 北 海 道 学 芸 大 学 紀 要 (第一部). 昭和30年12月. 中 国 近 代 文 学 の な か の 旧 文 学 (下) 風. --胡 杉. 批 正. 森. 判-- △ 爾共. 札幌分校国語国女学研究室. N[asaya sUG工A i i I Tradi IOR[: The C1 t Odern ca On in ~[ ass. Chinese Li t erature (m) i i i i ly Through Cr sms on Hu‐fong’s opini t c on- - 一一Espec al. 55年の中国文芸界最大の問題であり、 本年度前半期の中国言論界をあげてとり この小論では、 19 くんだ、 胡風氏およびその一派への批判をとりあげる。 すなわち、《五四以後の中国近代文学に対して、 旧交学も強い影響を与えている》 ことを全く 否 定し、そして、 中国民族の誇りである諸古典の伝統と歴史を軽蔑し(後述) 、《中国の古典で、 ために 代主義1 的文芸論を書 およびそれの根抵をなす近 こと という態度をとった なるものは何もない》 、 きまくってきたこと、 そしてそれをめぐって猛烈 な批判をうけ、 ついには反革命の罪にとわれるこ とになった由来について論及するのである。 2. 8年に日本へ来て、 5 年間ばかり滞留 した。 小林 92 1904年、 胡風氏は湖北省の地主の家に生れ、 1 多喜二の 「蟹工船」 、 蔵原惟人の 「芸術大衆化の問題」 、 徳永直の 「太陽のない町」(ともに1929年) 30年)などが相ついで出され、 日本 プロ レタリヤ文学はなやかなる一方、 九・一八 (満洲) 事変 19 ( が勃発した、 いわゆる暗階たる時期にあって、 当時の多くの中国の青年たちと同じように3 胡風氏 も、 厨川白村の 「苦悶の象徴」 から影響を受けたらしい。 この書のさわりは、 「内に燃ゆる生命の 4 とか、 「生命力が 」 力が個性として発揮せられるとき、 ……そこに本当 の創造創作の生活がある。 5 」 とか、 「文芸は生命力が絶 旺盛であればあるほ ど、 この衝突 この葛藤は激烈であらねばならぬ。 6 な どと い う と こ ろ で あ ろ う が、 こ れ と そ っ く り の 対 の 自 由 をも っ て 表 現 せ ら れ た 唯 一 の 場 合 だ。」. 口調で、 「生命力」 を頻りにもち出すのが、 胡風氏である。 3. :盟に参加したが、 このころ、 改造社版 上海にかえってから、 魯迅に師事して、 中国左翼作家聯 「大魯迅全集」 の選者となり、 あとがき などを書いている。 19 37年、 旗溝橋から抗日戦が勃発して以来、 胡風氏はずっと国民党統治下におり、 戦争が進展す るにつれて、 「前線主義」 に反対 して、 作家たちの従軍をはばむ論をかいたりした。 19 42年、 毛沢東氏の 『女芸講話』 が出て、 中国の文学に一つの決定的7 なものを うち出し、 中国 一 22 -.
(3) . 中国近代文学のなかの旧文学 (下) の文芸の源泉は人民の生活にあり、 作家は人民すなわち労働者、 農民、兵とい う大衆の立場に立ち、 マルクス・レーニン主義世界観をもち、 工農兵大衆の生活に入りこん で、 かれらの思想、 感情を確 実につかまねばならぬというのが、 基本方針となった。 この延安文芸座談会に集った解放地区の女芸工作者のみな らず、 国民党統治下の作家たちも、 こ の流れにそっていったのであるが、 胡風氏およびそのグループは、 相かわらず これに反対 し、 文芸 の源泉は客観でなく、 「主観の燃焼」(後述) であって、 それが作品の決定的要素をなすものである と 主 張 した。. そもそも胡風氏は、 国民党治下の現実を、 たんに暗黒の 「泥沼」 としてとらえた。 師の魯迅が国 民党支配地区に住みながらも、 解放地区の作家たちと結びついていたのに、 弟子の胡風氏はそうは しなかった。 暗黒の中に萌出る芽を見ず、 未来への展望と関連においてとりあげる ことができず、 ただ密雲のたれこめた、 やりきれぬ時代としてしか受けとれなかった。 国民党支配地区の人民の解 放は、 高度な組織と指導による革命によってのみ可能であり、 それに服務するのが文学である、 と は考えない。 人々の 「自然生長性」 を袖手傍観するだけでよい、 「作家の任務は、 この自然生長性 を見出して、 これを文芸作品に反映させればよいのだ。 そうしてそれが、 そうすること以外に活路 8 とさえ云 」 をひらき得ない 『泥沼』 に、 不幸にして身をおいている作家の、 荘厳な任務である。 う。. ・. ●の態度について茅盾氏も、 「これは、 実際は小資産階級が、 長期の、 暗い、 苦 しい生活に堪え こ きれなくなったあらわれである。 現実生活のつらさにたえきれなくなり、 ……いらだたししこ追求の 心理となってあらわれたのである。 ……これは、 なんの積極的な貢献もすることができず、 ただ一 方的に消極的に 『主観』 を強調する」9 結果となってあらわれたものである、 と云っている。 これ はある程度まで暗い重慶のインテリの心を慰めることはできたであろうが、 それ以外になんの役に もたたず、 むろんこれは 『文芸講話』 の逆をゆくものであった。 1 945年以後は上海にうつり、 「彼岸」(解放区) にゆくな、 「きみの足もとに生活があるし、 生活 傍点繁背 ) があればそこに斗争もあるの だ( 」 から、 「わざわざ困苦を しのんで何を解放のたたかいにで かける必要があろうか」 と水をさした。 胡風氏は以上のような歴史と環境のなかで、 近代主義の泥沼にはまりこんでゆき、 反革命へと堕 落していったのである。 4. 胡風氏の女芸理論にはすっきりした体系がない、 むしろ複雑な感想といった方がよい。 その特徴 の 一つ は、 は じめ か ら今 日 に い た る ま で、 殆 ん ど発 展 も 脱 皮 も して い な い と い う こ と で あ る。 何 基. 芳氏も、 「わたしが胡風同志のずいぶん昔の議論を引用するのは、 そのなかにふくまれている誤り o か ら で あ る」 と 云 っ が、 その後もなお改められないばかりか、 かえって、 誤りをすすめている l ている。 この点が、 胡風氏が批判されるようになった一つの原因であろう。 5. かつては、 巴金らのように、 日本軍の侵略行為と国民党の反動政策に対する抵抗をば一切描こう とせず、 平凡な市民生活ばかりに目をむけていたいわば革命の殿軍の作家たちさえ、 眼前の変りつ つある現実に 「心をはげしくゆすぶられる」 ようになり、 人民の新らしいヒロイ ズムをうんと描き 1をはじめているし、 労農兵出身の新らしい作家たちの力がか たいと告白させ、 新らしい動き出し1 なり優勢になって きた今日、 胡風氏のように1 94 0年代以来の唯心論をくりかえしていたのでは、 い - 23 -.
(4) . 杉. 森. 正. 弥. かに弁舌巧みにマ・し主義を偽装 しようとしても、もはや附着しきれなくなった時が来たのではなか ろうか? 6. 一般に近代主義は、 現実に対する作家の主観的反応の表現を重視 して出発する。 胡風氏も、 主観をかぎりなく燃え上らせ、 自我をかぎりなくおし拡ろげてゆき、 そしてそれと混 然一体たる、 へだたりなき表現形式を追求する、 これがリアリズムであるという。 胡風氏によれば作家が表現形式をさがし求めようと骨身をけずり努力するときには、 「志賀 (直 - 哉 諌者註冊)のように、 大きな生活の荒波をへなくても、 かれの作品は高い芸術的真実に達すること ができる。 なぜなら、 作家がかれ自身の心の奥底に感ずるものと混然一体となった、 へ だたりのな い表現を追求するときには、 それは同時に人生を追求しているのであって、 この追求の結果、 作家 は 人 生 とと げ あ い、 同 時 に 人 生 と 芸 術 と が と げ あ う か ら で あ る。 … … こ れ が つ ま り、 真 の リ ア リ ズ. 1 2 の で あ る。 」 ムの方法であって、 作家の生活経験の不足と、 世界観の欠陥とを補うことができる。 4 こそが 「芸術創 3 であり、 作家の 「自我の拡張」1 そして 「作家の態度」 こそが 「創作の源泉」1 造」 と な る と主 張 す る の で あ る。. 1 5がはげしく燃焼すればするほ ど、 客観を排除し、 客観法則を排除し 」 言いかえれば、 「主観精神- てゆくのである。 このゆきかたは、 客観的方則を否定して、 各人の眼の前の有用性のみを重んじる 胡適氏のプラグマティ ズムと軌を一にするものといわねばならない。 そして客観よりも主観を、 生活経 験よりも創作態度を、 人民の生活よりも作家の心情を重要視す ま、 人民の 生活こそが文芸の 「唯一の源泉」 であり、 「これ以外に第 二の源泉はない」 と断 る観点も じる毛沢東路線、 つまり社会主義リアリズムへの逆行である。 7. むろん、 現実は、 作家の主観を通 してのみ、 作品の中に反 映されることはまちがいないが、 この 「主観」 は千差万別である。 たとえば、 小ブル ジョア的立場の主観と プロ レタリア的立場の作家の 主観とは、 どちらが現実をより正しく反映できるか?むろん、 現実 が正 しい方向に発展してゆくこ とを望み、 またその発展のにない手であるプロ レタリヤ的立場の主観の方であることはまちがいな い。 こ こ で 「主 観」 を 世 界 観 と よび か え て も よ い。. そこで、 この世界観については、 茅盾氏が 「文芸工作者が描写し、 表現する対象は、 社会の生き た人物と事物であるから、 女芸工作者はまた社会を学習しないわけにはゆかない。 社会を学習する ということは、 社会の各階級やそれらの相互関係と個別の状況、 かれらの顔かたちと、 かれらの心 理を研究しなければならないということであって、 これらの研究をふかめ、 また全面的なものにす 1 6と、 まとめている。 つま るには、 弁証法的唯物論と史的唯物論の観点をもたなければならない。」 り共産主義世界観をもつことは必然であり、 それの学習の発展 が、 中国革命戦線を統一させ、 勝利 させる導きの星であったわけである。 8. しかるに胡風氏は、 かかる世界観をもつことを窮屈に感じる、 さらに昂じては、 それが作者と読 者 と の頭 上 に つ き つ け ら れ た 刀 の よ う に、 こ わ い も の と して 感 じる。 そ して そ の よ う な も の を 五 つ 7 あ げ て、 5 本 の 刀 と 命 名 した。1 一 24 -.
(5) . 中国近代文学のなかの旧文学 (下) 9. さて、 「作家が創作実践に従事するためには、 先ず完全無欠な共産主義世界観をもたなければな らな い」 と 作 家 にむ か つ て 云 い つ け る の は 、 「作 家 を お ど して 黙 ら せ る」 刀 で あ る、.強 制 で あ る と. 1 7 この考えちがいについて 胡 風氏 は 云 う。. 産主義世界観を 『もたなければ人. 、 茅盾氏は胡 風氏に発問して「誰が 『まず完全無欠な』 共 創作に従事できないといったのであろうか?作家が共産主義世. 界観をもつように、 われわれが提唱していることはたしかにそうである なぜなら この世界観を 。 、 もてば、 客観世界をよ り正しく認識できるし 真に社会主義精神をもって人民を教育できるからで 、 ある。 胡風氏の樫造以外、 誰も共産主義世界観が何冊かの本を読んだだけで 一夜づけで もつこ 、 、 とができるものとはいわない。 われわれはむ しろ たえず こうした一面的なまちがった見方を警 、 、 戒しており、 理論学習と生活 実践 (創作実践をふくめて) が反復されつつ しだいに高まってゆく 、 1 は た ら き の重 要 性 を 強 調 して い る の で ある 」 8 と 批 判 して い る 。 。 lo. 胡風氏のいやがる五本の刀のうち、 第四番目の刀は、 民族形式である 民族形式が 重要なのは 。 、 その民族的形式が、 その民族の人民大衆の心の琴線にふれやすく その民族の人民大衆をとらえ 、 、 これを教育し、 動員するうえで、 重要な要素をなしているからであり その真の価値は 民族の団 、 、 結、 民族の解放・発展 ・進歩に役だちうるからである。 これがすなわち社会主義リアリズムの重要 な特色である。 毛沢東氏も 『新民主主義論』 で 「民族的な形式、 新民主主義的な内容」 をいってい る。. たとえば藩陽の医科大学学長王 斌氏は 「農民たちのまえで精神上のなぐさめを与えるにすぎない 封建医学である」 漢方医学を消滅させなくてはならない と主張した1 9が これはかれの主観にも 、 、 とづいて、独断的に民族遺産を否定 している。 すなわち 祖国のすぐれた女化遺産の一律抹殺という 、 誤りをおか しているわけである。 これと軌を一にして 胡風氏も 古典はすべて封建女学である 、 、 、 受けつげるものは何もないという民族的虚無思想に陥った。 これは胡適氏の 「私どもの光栄な文化 は、 過去にはない、 将来にある。 先祖の罪劫を浄めてから、 新につくり出される文化」 は 「全面 、 的に西洋化を計る」 ことによ って、 それができるという主張 つまり欧米近代女化への全面的屈服 、. --近代主義とも相通 じるのである。. 1ように 中国の古典は 人民性 民族的風格に富んでいる そして種々 橋雪峯氏の指摘している2 、 、 、 。 2 基本的に は その時代の現実の諸矛盾を 極めて非妥協的に大胆にえが の制約を受けながらも2 、 、 、 いている古典リアリズム--たとえば、 大まかにいって、 「離騒」 は売国奴を憎み 国を憂える正 、 義の土のうた、 杜甫の詩は、 貴族の搾取、 堕落に対照させて人民の貧困、 流浪の対立を鋭くつき 、 『西陶記』 には極めて大胆な反礼教的態度があり、 『水瀞伝』 は農民の叛逆戦争の歴 史 『紅楼 夢』 、 は官僚階級や家庭生活の矛盾、 危機を見事に描いている。 ところが胡風氏は、 『水瀞伝』 からは 「叛逆の声をきくことができない」2 3 、 たんに古くさい民族 形式は、 作家にとっては、 重荷となるにすぎぬ、 それゆえ、 いまの中国と社会基礎の類 似した 近 、 代西欧の民族の形式や方法を移入するよりほかに仕方がないという立場をとる したがって 外国 、 、 のブルジョア文芸の形式に拝脆することになる。 かかる胡風氏のコスモ ポリタニズムは、 西欧近代への無条件肯定となり、 ひいては自国の同胞を 「……虫けらであり、 いなご、 蟻」のように哀れなるもので 指導者やその思想にあやつられてきた 、 人形のようなもの だと蔑視する。 一 25 -.
(6) . 杉. 正. 森. 弥. この態度については、 茅盾氏は、 「民族形式があるために、ひとつの民族の女芸をその他の民族の 文化と区別させるとともに、 全人類の進歩的女芸を豊富にさ せることができるのだ」 と云い、 毛沢 東氏も新段階論で 「マルクス主義は必らず民族形式を通 じてこそ表現 できるのである。 抽象的な空 虚なマルクス主義はない。 中国の人民がよろこんできき、 たのしんでみる中国的風格と中国的気分 をもったものを尊重せねばならぬ」 と云っている。 何千年来の中国の人民たちは、 やはり歴史のにない手として、 革命のっみあげ手として黙々と歩 ん で き て い る の で あ る。 そ して この 古 い も の の 中 か ら 新 ら しい も の を 出 し、 百 花 ひ と しく ひ ら く -. 推陳出新、 百花斉放-こととなったのであって、 この考え方が毛沢東氏の文芸路線である。 11. 胡風氏は題材を重んじることを、 作家に対する第 五の刀-強制物-としてあげている。 つまり、 題材が作品の価値を決定するということに反対である。 また労農兵の生活を重ん じることにも反対 である(第二の刀)。 そして《題材は、 また必らず明るいものでなければならぬ、 革命が勝利 してか ・…・落伍や暗黒もあってはならぬと らは、 新旧の斗争があっては ならぬ……人を死なせてはならぬ・ いうやり方は、 作家をして何でも描くということをさせないようにし、 描くものは当然、 全部 「明 るいもの」 であるか、 全部 虚偽のものであるかに限定してしまい、 ……作家をして完全に政治から はなれさせ、 人民からはなれさせて了う……》から、 《暗黒面を誇張描写 してもよい。 》これを禁 じられると、 「……青年作家たちは、 こんなことを描いてはいけないのではないかと懐疑的となり、 5 と主張する。 これはある程度までは正し 現実に対する感動を失い、 現実を熟視 しなくなる……」2 いが、 では具体的に胡風氏の主張するよき作品の例とは どんなものかを見よう。 胡風グループの中 6『衛皮的女 人』 をひきあいに出そう。 月 の美 羽氏の作品2 つと評価されていた路令 で、 高い力量をも・ しいクリークに、 ーそうの舟が浮んでおり、 その中に若者(王子和)が、 若い女(張小猫)に結婚を申 し こ む と い う く だ り で あ る。. ”…・彼はかつてこの女 と二人きりになったことはなかった。 彼は心の底からそれを望んで いながら、 そうするこ とに嫌悪を感じていた。 彼はしばらく口がきけなかった。 竹標にもた ・彼女をみつめていた。 れたまま月の光の下でぼんやりと <王子和!冗談しないでよ、 ねえ!>彼女はいった。 王子和はくあそぶだけあそんでおさ ら ば と す る か > と も考 え た の で あ る。 彼 の あ た ま は 狂 っ た よ う だっ た。 く ね え、俺 た ち い っ しょ に な ろ う じや ね え か。> 彼はかすかにふるえるような声でいった。. 張小猫は立上るとしばらくは黙っていた。 <それ、 ほ んとなの?それとも冗談?>彼女がきいた。 王 子 和 は、 か つ て 彼 女 か ら、 こ ん な き ま じめ な ロ の き き かた を、 き い た こと が な か った の で、 どう 考 え た も の か と と ま ど っ た。 実 の と こ ろ、 彼 は こ ん な 場 面 を ず っ と 夢 みて い た の で あ る が、 さ て い ま と な る と、 彼 は ほ ん と う の こ とを い え る か ど う か 自 分 でも う け あ い か ね た。 と い う の は、 彼 は この と き 幻 想 か ら さ め て、 現 実 に 近 よ っ て い た か ら で あ る。 彼 の 心 は 乱 れ た。 … …. このように、 心理のあや、 会話のやりとり、 こまか}二 みがきのかかった恋愛心理を極めて銚舌 にかく。 そして読者を煙にまいてしまうだけで、 なぜ二人の恋愛がけつきよくは実を結 ばなかった か を 考 え さ せ よ う と しな い の で あ る。. これに対 して茅 盾氏も 「女芸が、 正しく、 われわれの時代のすがたを反映しようとするならば、 (上に述 べたような)恋愛心理の、 こまかいあやも全然必要ないわけではないが、 重要なものは、 社 - 26 -.
(7) . 中国近代文学のなかの旧交学 (下). 会を前進させてゆく本質的な力をあらわすことではないか!そうすれば進歩的な英雄人物 すなわ 、 ち積極的な人物をどう しても描かねばならなくなるのは当然 ではないか !」と 批 判 して い る よ う に 、 このような認識の基礎の上に、生活の中から題材をえらんで ゆくのが 社会主義リアリズムである 、 。 12. 以上みてきたように、胡風氏の女芸に対する考えは ブル ジョア唯心論の立場であり それを拡大 、 、 してゆくことは、 客観的なものを第二義的なものとし、更にあいまいにしてゆくという点で 今日の 、 中国文芸の背景をなす社会主義リアリ ズムと相容れぬばかりか その基調となっているマ・ し主義 、 を否定し、 マ・し主義を基本とする中華人民共和国をも 意識するとしないとに拘らず 否定する 、 、 こ とに な り、 反 革命、 反 人民 へ と展 開 して ゆ く こ と に な る 。. しかも、 一見、 人民の側に立つマ・ し主義を装っていた胡 風氏の二 面性に 中国の文芸界は欺か 、 れ、 屡々批判しつつも、 胡風氏一派を19 4 0年代から1 0数年にわたって文芸界に活躍することを許 し て いた。. 955年に入って、 徹底的に打倒されるに至った背景を われわれは 次のように見るべき それが1 、 、 で あ ろう。. 胡風氏のブルジョア唯心論文芸思想の批判は、 黄薬眠氏による 「ヨシフの外套を論ず」( 19 54年) や、 何基芳氏 の批判論文 ( 19 54年) を契機としてはじまったが 胡風氏の銃舌の巧みさ 例のマ・ 、 、 し主 義 的 偽 装 は、 1947 ,8 年 頃 に は ま だ、. 彼 を して 反 駁 せ しめ る 余 地 を も た せ て い た。 そ して 更 に. 1 51年からの文芸界整風運動につらなる 翌年の毛沢東氏 「女芸講話」1 9 0周年記念の学習運動のな 、 かで、 胡風集団のなかでも 有力な理論家であった箭蕪氏が マルクス主義陣営の側に転回し その 、 、 とき書いた自己批判や、 「路令 19 52年) な どで、 彼等一派の誤りをつき その反省 尋 ラヘの公開状」 ( 、 をもとめたが、 胡風氏はやはり、 自説を曲げなかった そのいっぽぅ胡風氏は 1 52年末から5 3年 。 、 9 にかけての自分に寄せられた批判--とくに林黙酒氏 何基芳氏 のそれに反駁 した論 文 を 書 き 、 、 1 9 54年7月、 中国共産党中央に 「文芸問題に関する意見」 として提出 したが これは作家協会主 、 、 席団により、 「文芸報」19 55年 1 ,2合併号の附録として、 全国読者の討論に供された。 こう して胡 風女芸思想の本質が、 大衆のなかで討論されるという状態に直面 し 悲観した気持の・ なかで、 胡風 、 氏は195 5年1月 「わたしの自己批判」 を書いたが それを 1 9 5 5 5 年 月の、 僻蕪氏による 「胡風 、 、 の反党集団にかんする材料」 (胡風氏の循蕪氏にあてた手紙) とを対照されるに及び 胡風氏の偽 、 装、 すなわち、 彼の具体的な反党・反革命行為が明るみに出され 更に 「第二の材料」 「第三の材 、 料」 が発表 されて、 胡風氏とその集団は全くの反動分 子であることが明らかにされ 問題は反革命 、 事件と してあつかわれるこ とになった。 誰の眼にも胡風氏とその集団の反革命的本質が明らかにさ れたのである。 そして、 それは、 この生産の主体である人間の意識の改造が計画的に行われてきた結果 人民大 、 衆の意識が急速に目覚め、 彼らの自覚がたかまり、 胡風氏的考 え方を徹底的に批判できる状態にな っていたこと、 その女芸的形態と しての、 社会主義リアリズム の路線は 全人民を社会主義建設へ 、 みちびく一つの大きな力である、 という認識へ一歩をふみしめたことによ り 胡風氏のおしやベリ 、 の巧みさ--二面性、 魯迅の弟子だったことへの権威盲従の利用 胡風的思想への郷愁などの諸 危 、 険を着実に克服 して、 ついに徹底的批判を加えられ、 打倒し去られたのであると 。 註 1 その国の文学の方向を、 まったく直線的に、 く西欧的近代>とくにその十九世紀的な充実と完成度 のうちに求めようとする、 いわば見果てぬ夢を追うにひと しい態度。 前近代的社会に 近代を外か 、 ら持ちこんだ場合に発生する意識現象。 その克服によって真の近代化が実現される (竹内好 『国 。 一 27 -.
(8) . 杉. 森. 正. 弥/. 3年 p.19) 5 民文学論』 厚女社、19 55年、 の日本版の序女附記。 2 王珠著・ 実藤恵秀氏ら訳 『女学革命から革命女学へ』 河出書房、19 3 当時、 中国の書店の棚 に 「苦悶的象徴」 という翻訳本が頻りに並 べられていたのが印象に残ってい る。. 33年 p.209 4 改造文庫 『苦悶の象徴』19 この考え方は中国研究所』中国資料月報』 No .90『中国における思想のたたかい』 にならった。 5 同上 p .214 6 同 上 p.272. 7 京都大学・『中国文学報』 No .3 .162 ,p 8 1 朝風氏の 『為了明夫』 これは 『胡風文芸思想批判論文集集ニ集』 のなかの 『現実主義的路、 還是反 2年12月11日在胡風文芸思想討論会上的発言--』 という何基芳氏の論文か 現実主義的路? --195 ら孫引。 邦訳は、 『新中国の創作理論』 中国文学芸術会訳、 未来社刊、 のなかの 『リアリ ズムの路 か、 それとも反リアリズムの路か』 63 より孫引。 9 茅盾氏 第一回交代大会の報告、 7 の p .1 10 8 から 54年9月。 11 桧山久雄 『中国新文学の新 らしい動き出 し』 『文学』19 ー2 8 から孫引 「……郡蜜、即便他像志賀似的没有経過犬的生活波涛、他底作品也能移達到高度的芸術的 真実。因為、作者苦心孤詣地追求着利自己底身心底感応融然無間的表現的時候、同時也就是追求人生、. 這追求的結果是作者和人生擁合、同時也就是人生和芸術的擁和了。……部就是真実的現実主義的創作 方法、 能,鯵補足作家的生活経験上納不足和世界観上的鉄陥。」(密雲期風習小記九九~-00頁。). 13 8 から 14 8 か ら 1955年5月) 15 「主観燃焼、 主観精神、 主観戦斗精神はみな同義である」『我的自己批判』(. 1955年6月号) から孫引。 195 2年) ミ北斗ミ ( 6 茅盾 『三大文献と創作方法』( 1 55年1月 の文芸報の附録から抜牽して、 『談胡風先生的 「五把 17 「胡風の文芸問題に関する意見」19 1955年2月 号) この一部分の邦訳が 竹内実氏 『中国経済年報』の 刀子」』 黄秋雲氏 『文芸学習』( No.11 』 18 『徹底的全面的に朝風文芸思想にたいする批判を展開しなければな らない。 p.36 か ら 19 17の p.21 から. 中国経済年報. No .li. 建築学者渠思成氏が、 民族の遺産であるからというので、 何 でもかでも、 中国の古い建築様式をや たらに ‐受けつい だのと逆であるが、 その考え方がともに非マルクス的であると批判された。. 20 19 4 )p .39. 3年 No.67 9 5 21 『文芸報』i ,73 連載。 宮崎ひる し訳、 未来社刊 『新中国のリアリズム論』 ,70 ,72 ,68 22 たとえば、 紅楼夢において、 重要人物の性格をえがくのに、 ありあわせの古い詩句をちぎってきて はめこむ手法は、 非近代的である。 巴人 『女学初歩』 23 『女芸者朝 i954年 No .22 24 19 の p.46 から孫引。 25 17 か ら. 2 26 菊池三 郎 『現代中国文学史』 p ,39 27 以下は中国研究所、 『中国資料月報』 No ,90『中国における思想のたたかい』 に負うところ多大で あ る。. この小論 は1955年10月30 ,31日現代中国学会第5回大会 (於東京教育大学) において、 学会北海道支部の分 ぶ 十争--初適・朝風の批判をめ ぐって--》 の報告と関連深きもので 《社会主義建設と思想 部門 担 した文化 ・. あ る。. ・. (このテーマをめぐる共同研究者は 翼五十嵐敏夫、 ※泉山繁樹、英池田澄子、 太田正太郎、※鬼頭夏江、 琴南頼孝 ÷戸? ÷ 召礼二、 △前田正徳、 ※ 三井稔期、葵 山田 治、 坂戸経子、 真田暁子、 △考老木邦夫、 鈴木勤介、 宗元幸子、 △ △ 茨 参加者 印は この原稿整理者 太郎 であり、 印は、 大会に出席した討論 、 。 。 ) なお、※斎藤秋男、 飯塚朗両先生がわれわれの共同研究を直接指導した。. - 28 -.
(9)
関連したドキュメント
「教育とは,発達しつつある個人のなかに 主観的な文化を展開させようとする文化活動
(採択) 」と「先生が励ましの声をかけてくれなかった(削除) 」 )と判断した項目を削除すること で計 83
目標を、子どもと教師のオリエンテーションでいくつかの文節に分け」、学習課題としている。例
であり、 今日 までの日 本の 民族精神 の形 成におい て大
手動のレバーを押して津波がどのようにして起きるかを観察 することができます。シミュレーターの前には、 「地図で見る日本
排除 (vy¯avr.tti) と排除されたもの (vy¯avr.tta) を分離して,排除 (vy¯avr.tti)
その目的は,洛中各所にある寺社,武家,公家などの土地所有権を調査したうえ
「フロン排出抑制法の 改正で、フロンが使え なくなるので、フロン から別のガスに入れ替 えたほうがいい」と偽