自由・進歩・多様性 : プリーストリー『第一原理』における教育と宗教
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(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第71巻 第₁号 Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 71, No.1. 令 和 2 年 8 月 August, 2020. 自由・進歩・多様性* ― プリーストリー『第一原理』における教育と宗教 ―. 松 本 哲 人 北海道教育大学札幌校経済学研究室. Liberty, Progress and Diversity ― Education and Religion in Joseph Priestley’s First Principles ―. MATSUMOTO Akihito Department of Economics, Sapporo Campus, Hokkaido University of Education. 概 要 本稿の目的は,プリーストリーの主著である『政府の第一原理にかんする一論Essay of First Principles of Government』(1768年初版,1771年第二版,以下,『原理』と略記)の特徴 を自由論の観点から明らかにすることである。その最大の特徴は,知識を結合させるために政 府は必要なものであるが,政府は人々に自由を容認するために存在すべきものであり,個人の 活動に干渉してはならないという,徹底的に個人を中心とした社会観の貫徹にある。 本稿は,まずプリーストリーの「政府の第一原理」を明らかにし,次に,2つの自由概念で ある政治的自由と市民的自由の定義およびその特徴を考察し,その後,市民的自由の中でとり わけ重視された教育と宗教の問題をそれぞれ論じる。そして最後に,プリーストリー『原理』 がその後の経済学者たちに与えた影響を考察する。. *. 本論は『J. プリーストリーの社会経済思想』(2014年3月,兵庫県立大学学位請求論文)の第2章として執筆したものを大 幅に加筆,修正したものである。学位請求論文執筆時,プリーストリーの政府論を彼の神学的関心と切り離し,解釈しよう としたが,彼の思想全体を統一的に理解するためには,とりわけ科学史からのアプローチがそうであるように,これらの関 係性を切り離して理解することができないのではないかと考えるに至った。そのため,当時,執筆したものを加筆,修正し 公開する必要があると考えた。また,本稿は,経済学史学会北海道部会(2019年7月13日,於北星学園大学)で発表する機 会を得た。出席者からのコメントに対し感謝する。. 63.
(3) 松 本 哲 人. 1 問題の所在 本論の目的は,ジョセフ・プリーストリー(Joseph Priestley, 1733-1804)の主著である『政府の第一原 理 に か ん す る 一 論 』 の 自 由 論 に 着 目 し, 分 析 す る こ と で あ る。『 原 理 』 は 従 来, ベ ン サ ム(Jeremy Bentham, 1748-1832)につながる功利主義の前史をなす著作と見なされてきた1。プリーストリーの著作の中 に「最大多数の最大幸福」に繋がる表現があるとはいえ,そのような功利主義と結びつけた解釈では捉えき ることのできない部分がある。本稿では,そのプリーストリーの功利主義的解釈では見逃される傾向にあっ た自由の概念にとりわけ焦点を当てる。 『原理』の正式タイトルは, 『ブラウン博士の『教育法典』およびバルガイ博士の『教会権威に関する説教』 に関する見解を含む政府の第一原理および政治的,市民的,宗教的自由の性質に関する一論An Essay on the First Principles of Government, and on the Nature of Political, Civil, and Religious Liberty, Including Remarks on Dr. Brown’s Code of Education, and on Dr. Balguy’s Sermon on Church Authority』である。 このタイトルから,プリーストリーが以下の四つの点を論じていることが明らかである。すなわち,①政府 の第一原理について,②自由を政治的,市民的,宗教的自由の3つに分類し,考察すること,③ジョン・ブ ラウン(John Brown, 1715-1766)の『教育法典』に対する批評,④トマス・バルガイ(Thomas Balguy, 1716-1785)の説教に対する批判である。プリーストリーの『原理』を考察する際に,以上の四点に着目し, 論じることで彼の主張をもっとも理解することができる。しかしながら,これらの四点がどのような関係で 論じられているか,またこれらの中でもっとも重要な論点がどれであるかについてはタイトルからは判別で きない。それゆえ,本稿ではまず,政府の第一原理とは何かを明らかにする(第2節)。次に,プリーストリー の自由概念を考察し(第3節) ,プリーストリーが自由の中でとりわけ重視した市民的自由の構成要素の中 核をなす教育(ブラウンへの反論,第4節)と宗教(バルガイへの批判,第5節)をそれぞれ論じ,これら の特徴と関係性に焦点を当てる。 また,プリーストリーの『原理』は,その後のイングランドにおいてどのような影響を――とりわけ社会 科学の分野において――残したのかということも重要な問題である。なぜなら,ユニテリアン派は当時,非 常に大きな影響を持っており,その代表者であるプリーストリーの著作は非常に大きなインパクトを残し, 様々な人たちに影響を与えたからである。その顕著な影響の一つの例として,経済学説史上,穀物法論争と して知られる論争において極めて対照的に捉えられてきたリカードとマルサスを取り上げる。そして,本稿 では,プリーストリーの著作がどの程度影響を与えたのかを考察する(第6節)。このような試みは今まで のプリーストリー研究においてほとんど行われてこなかったのが実情である。それは,プリーストリーの研 究がとりわけ科学史や哲学史の研究者によって行われてきたためである。それゆえ,経済学をはじめとした 社会科学の分野においてどのようにプリーストリーの思想が後世に受取られたのかという視点を導入するこ とは極めて重要であるだろう。 本論の結論を先取りすれば以下のようになる。プリーストリーにとって,政府のもっとも基本的な原理と して「第一原理」がある。その「第一原理」とは,人々の知識を増進させ,人々の生活を豊かにすることで ある。そして,そのために政府が設立される。だが,その際,宗教的自由を含む市民的自由を政府が個人に. 1 Kramnick(1990)や杉山(1974)はそのような解釈をしている。しかしながら,筆者は,プリーストリーの功利主義的 な思想を「神学的功利主義」の一種とみなしている。プリーストリーの功利主義的な見解には,宗教的要素が多く含意され ている。他方,ベンサムの功利主義思想は,宗教的な要素をすべて排除したうえに成立する。この点においては,決定的な 違いがある。Matsumoto(2010)を参照。. 64.
(4) 自由・進歩・多様性. 対して保証することがとりわけ重要である。その自由の中で教育と宗教の役割をプリーストリーは強調する。 個々人の多様な個性は,教育と宗教の国家管理から生じない。国家が市民的自由の領域への干渉を避けるこ とによって多様性は担保される。彼の議論は,人間がいかにして豊かとなり,進歩することができるかを主 眼に置いている。それゆえ,リカードやマルサスといった経済学者たちにも容易に受け入れられやすい素地 があったと言えるのである。. 2 「政府の第一原理」とはなにか プリーストリーの考察は,ロックの自然権論を継承し2,政府のない自然状態を仮設することから始まる。 自然状態において,人間の能力は十分に発揮されないとプリーストリーは考えている。プリーストリーによ れば,人間は経験により知識を獲得し,それを過去,現在,未来のいずれかに生かすことができるよう熟慮 することができる。知識が蓄積されてくれば,改良しようという意欲が生じる。それゆえ,以前の時代に生 きていた人々よりも,後に生きた人々のほうが優れているのは当然である。動物との違いはその点にある。 「現在の馬が,昔の時代の他のあらゆる馬よりも優れた点を持っているようには思われない」(Priestley 1768, 83)と彼は論じ,人間と動物との違いを強調している。しかしながら,個々人が何も考えずに好き勝手 に行動すると,今まで蓄積された知識はうまく利用されない。だから,改良はなされないか,非常にゆっく りとした速度になる。プリーストリーはその例を北アメリカやグリーンランドに見出している(9)。 それゆえ, 「社会とその結果としての政府」(9)が設立される必要がある。自然状態において人々は自分 の振り向ける対象があまりにも多様なものとなり,社会的な分業が生じる余地がない。他方,社会状態へ入っ たとき,人間が注意を向ける対象は,適切に「配分」ないし「分配」され,社会的分業が生じるようになる。 それにより, 「人は他者と結合し,他者に貢献するようになる」(9)のである。そこでは獲得された様々な 知識が蓄積していき,人々の中で交換されるようになる。したがって,「すべての知識は再分され,拡大し ていく」ようになる。プリーストリーは,政府を社会の進歩が引き起こされる分業を促進するための「偉大 な道具great instrument」(9)とみなしたのであった。 プリーストリーにとって,知識は,自然を支配し,生活の便利さをもたらすためにも必要であった。プリー ストリーはベーコンを引き合いにだし,次のように述べる。 「知識は,ベーコン卿が観察したように,力であるので,人間の能力は,実際に,〔その力を用いること によって〕大きくなるであろう。物質と法則を含む自然を,今以上に,私たちの指揮下に置くことができる だろう。 〔そして,〕人は,現世での自分たちの状況をより容易かつ快適にするだろう。」(9) このような状況が際限なく続くとプリーストリーは考えていた。それゆえに,知識が無限に増え,自然の すべてを人が理解し,あらゆる自然を支配することができたときに楽園状態が到達するとプリーストリーは 論じるのである。. 2 プリーストリーがロックの政治思想を展開した思想史的背景についてはDickinson(1977,特に第7章)において詳細に 展開されている。 3 引用後の( )は以下,引用のページ数を示す。なお,同じ著作から引用が連続する場合,ページ数のみを記している。 また,引用内〔 〕は松本による追加を意味する。. 65.
(5) 松 本 哲 人. 「この世界の始まりがどのようなものであろうとも,その終局は,私たちの創造力が今,思いつくことが できるもの以上に輝かしく,楽園的であるだろう。」(9) 政府は,そのような輝かしい状態へと到るための手段である。このような進歩を前進させる政府が良い政 府であり,後退させる政府が悪い政府である。現在の人類の幸福だけでなく,将来の人類の幸福をより増加 させ,楽園状態へと近づけていくことこそが,プリーストリーが言う政府の第一原理であったのである4。. 3 二つの自由 それでは,政府はどのように設立されるのか。プリーストリーは政府が社会契約によって生み出されると 考えていた。 「これらの〔社会状態に入ろうとしている〕人々は……自発的に彼らの自然的自由のある部分を放棄し, 自分たちの行為を共同体の指揮に付託しなければならない」。(10) このような「譲歩concessions」がなければ,政府は設立されないのである。この「譲歩」はより具体的 には報復の自由を社会ないし共同体に付託することを意味する。もし,報復が自由に容認されれば,共同体 ないし社会の秩序を維持することは困難になる。この点において,プリーストリーは,社会状態に入るとき 自然権に含まれる報復権の放棄を主張したロックを正当に継承しているということができるのである。また, プリーストリーの言う「自然的自由」は,後に論じるように,市民的自由と同義の言葉である。 生命・自由・財産といった自然権は,すべての人々が享受することができ,放棄してはならない権利であ り, 「全般的善general good」を達成するために必要不可欠である。絶対的な人間の権利である自然権を基 盤とし,その上に,自分たちや国家の行為を規制するためにプリーストリーは2つの自由概念があると考え たのである。 プリーストリーは自由を政治的自由political libertyと市民的自由civil libertyの二つに分類する。政治的自 由とは, 「行政職に関する権利」のことであり,参政権を意味する。彼によれば,「政治的自由は,国家の構 成員たちが自分に保有しているか,公の事務官につくか,ないしは,それらの職に就く人々を任命するため の投票を行う力」 (11)のことである。彼の民主的な傾向はここから明らかである。プリーストリーにとって, 政治的自由が最も完全な形態の国家は, 「あらゆる構成員が上級の官職に就き,その結果,共同体すべての 強さと感情を指揮する平等な力を享受している」,すなわち,すべての人々が国家の指導者となるような国 家であった。 プリーストリーの政治的自由は, 「政府における形態と力の拡大」すなわち,どの程度,人々が政府に対 して影響力を行使することができるのか,と関係している。人々が政府を構成する代理人を投票により選び, その代理人が人々の善や幸福を導くような政策を実施し,もしその政策が善や幸福に背くものであるならば, 人々はその政府に対して抵抗権を行使することができる。 個人および社会の進歩をもたらすために,人々は政府を設立し,社会状態へと入る。それゆえ,政府が正 当であるかどうかは,知識の蓄積に伴う善や幸福の達成がなされるかどうかによって判断される。すべての. 4 Forbes( [1954]1984. 276-278)はこの点からプリーストリーの進歩史観があまりにも楽観的であると論じ,スミスの進 歩史観との違いを強調した。. 66.
(6) 自由・進歩・多様性. 人々が集まり,意見を交わすような国家においては,そのような進歩を引き出すような政策に人々が直接関 与することが可能である。しかし,すべての人々が一堂に会することができないような社会においてはそう はいかない。それゆえ,政府は社会を構成している大多数の人々が善と幸福を達成することができるように 配慮する必要がある。プリーストリーは言う。 「構成員の善や幸福,すなわち,国家の構成員の大多数は,偉大な基準であり,それにより国家に関する あらゆるものが最終的には決定されなければならない。」(13) 政府はそのような進歩の速度を遅らせるものであってはならないし,進歩によって得られる善や幸福を達 成することができない政府は悪い政府である。人間の精神は,知識の蓄積とともに,改良する動機を持つよ うになる。もし悪政が存在した場合に,そのような人々は既存の政府を転覆させ,新たな政府を作り上げよ うとするであろう。それゆえ,社会契約を行う時点で,人々に対しては政府に対する抵抗権が与えられるの である。 政府を構成している人々は,あくまでも「人々の代理人」である。だから,進歩を停滞させるような政策 を行うことは権力の乱用であり,そのような権力の乱用に対しては,抵抗権が行使されるべきである。プリー ストリーは次のように論じる。 「もし政府の乱用が,いかなるときでも重大かつ明白であるならば,もし人々の代理人が,主人〔である 人民〕や主人〔である人民〕の利益を無視し,自分たちのそれぞれの利益を追求するならば,もし彼らが人々 のために彼らがいると考えるのではなく,彼らのために人々がいると考えるならば,もし権利の抑圧や侵害 が重大で,目に余るものであり,例外なく憤慨されるものであれば,もし専制的な統治者が同胞市民の力を 長期間食い物にし,自分たちの利益が政府と無関係になるだろうときにはいつでも政府を見捨てるつもりで あるだろう数人の追従者以外の友人を持っていないのであれば,もしこれらの状況の結果,革命が試みられ るであろう危険性(risque)が取るに足らないものであったり,それから懸念される悪が現実の,そして日々 増大する苦しみよりもはるかに少ないものであったりすることが明らかであるならば,私は創造主の名にお いて尋ねる。傷つけられ,侮辱された人民が自然権を主張することを制限したり,人民の代理人でありなが ら人民の信託を乱用している統治者を変更するか,処罰さえすることを制限すべき原理とはいったい何であ ろうか。すなわち,もしそれが,それほどの悪用しやすい構造であるならば,政府のすべての形態を改める ことを制限している原理とはいったい何であろうか。」(18-19) このような抵抗権の表明は,悪政に対する人々の最終手段として論じられている。これが書かれた1768年 には,アメリカ植民地問題が非常に大きな関心を集めていた。このようなプリーストリーの言及は,アメリ カ植民地の本国ブリテンに対する抵抗ないし反乱の理論的支柱として読まれたのである。 プリーストリーが要求した政治的自由は,非常に実践的な概念であった。一方では,財産に基づく選挙権 の付与であり,他方では,国家の役割を限定することである。先に論じたように,政治的自由が完全に保証 されている国家では,全ての人々に対して選挙権は与えられるべきとプリーストリーは考えていた。しかし ながら,そのような考えはあくまでも理想的な希望にすぎなかった。 プリーストリーは,民主的な傾向を持っていたが,実際には普遍的にあらゆる人物に対して選挙権を付与 することには反対であった。うまく教育された人物が参政権を獲得することこそが適切であり,財産を個人 が持てば持つほど「国家の運命」にさらなる関心を持つに違いないと考えていた。しかしながら,過度の財. 67.
(7) 松 本 哲 人. 産の所有は,国家に対する関心を失う。だから,プリーストリーは非常に裕福な人物よりもむしろ「適度な moderate財産」を持つ人物に参政権を付与するのが良いと考えていた。そのような人々は「うまく教育さ れているだろうし,結果的により精神を拡大しているし,すべての点において,非常に裕福な家庭で生まれ た人物よりも真に独立している」からである。これはプリーストリーの中産階級に対する積極的な評価を示 している。プリーストリーは中産階級が国家全体の利益のためにその役割を演じると信じて疑わなかった。 しかしながら, プリーストリーはたとえ選挙であったとしても君主制を支持することはなかった。君主制は, 「徒党, 混乱, 苦難の脅威」にさらされる可能性が極めて高いので不安定であると考えていたからであった。 他方,プリーストリーは国家の役割を小さくすることを要求した。それは政治的自由よりも市民的自由を 優先する彼の立場の表明でもある。ここで,プリーストリーは政府を不信の目で見ていた同時代の急進主義 者の思想と一致する。例えば,トマス・ペイン(Thomas Paine, 1737-1809)は『コモン・センスCommon Sense』で以下のように論じている。 「社会はどんな状態においてもありがたいものであるが,政府はたと え最上の状態においてもやむをえない悪に過ぎない。そして,最悪の状態には耐え難いものとなる(Paine 1776, 69 / 訳17)。」また,ペインは『人間の権利The Rights of Man』第二部で,「文明は完全になればなる ほど,政府を必要としなくなる(Paine 1792, 408 / 訳215)」と論じている。それゆえに,プリーストリーが 国家よりも市民社会を重要視し,政治的自由よりも市民的自由を重要視したとしても,当時の急進主義者の 中では,一般的なことであった5。プリーストリーにとって,政治的自由は市民的自由の「重要な防護物 the chief guard」であり,社会状態において本質的かつ不可欠なものであると考えていたのであった。「完成へ 向かっての人類のこの進歩についての,神の摂理における偉大な手段は,社会であり,その結果としての政 府である(Priestley 1768, 8-9)」とプリーストリーが論じたのはそのためであった。 プリーストリーは,市民的自由を政治的自由とはまったく異なり,「自分たちの行為を超えた力であり, 国家の構成員たちが自分たちに保有し,事務官たちが侵害してはならない力」(11)と定義する。そして, 「本 源的には, 〔それを行使するだけの〕十分な力」を人々はもっているけれども,「社会状態に入るときに,人 はそれを犠牲にする」と論じている。先に論じたように,プリーストリーは別のところで「〔社会状態に入 ろうとしている〕人々は,……自発的に彼らの自然的自由のある部分を放棄し,自分たちの行為を共同体の 指揮に付託しなければならない(10)」とも論じている。この両者の意味内容はほぼ同じである。それゆえ, 「自然的自由」は市民的自由と同義に用いられていると言ってよい。また,「全般的善」を達成するための 基盤である自然権をどの程度確保できるかは市民的自由に依存しているとプリーストリーは論じている (29) 。 政府が人々に対して権力を行使することは最低限に抑えられなければならない。このようなプリースト リーの言明は,個々人それぞれが自らの利益を追求することを許されなければならないということの裏返し である。 「どの程度,この立法府の力が拡大されるかを経験だけが決定することができる」とプリーストリー は論じる。だが,立法府は生命,自由,財産といった自然権にだけは絶対に手出しをしてはならない。プリー ストリーは次のように警告している。 「非常に大きな注意なしに,直接的に共同体の構成員の生命,自由,財産に影響を与えない事物において, 可能なかぎり手中におさめず,決して干渉しないことは,為政者の英知である。」(33). 5 だから,プリーストリーはペインの『人間の権利』を後に非常に高く評価している。 「それ〔人間の権利〕は,もっとも 素晴らしく,私が今まで見てきたもっとも大胆な出版物である。 (Priestley 1892, 106-107) 」彼らには,杉山(1974, 69)や 松本(2015)が論じるように,宗教的な対立――プリーストリーはペインを無神論者として非難している(Priestley 1794 参照)――があったけれども,政治原理においては必ずしも対立していたというわけではない。. 68.
(8) 自由・進歩・多様性. プリーストリーは,個人の自由が社会の全ての領域にとって本質であると信じた。そうでなければ知識は 増えず,進歩も達成されないと考えていたのである。その中でもとりわけプリーストリーが重要視したのは 教育と宗教である。プリーストリーは教育や宗教が国家からではなく,諸個人の活動によって行われたより 大きな利益を引き出すことができると考えていた。「私たちがそれら〔教育や宗教〕から引き出す利益は, それらが国家によってよりも諸個人によって導き出されたとき,より効果的に確保されるだろう(40)」と プリーストリーは論じている。. 4 市民的自由と教育 知識の進歩のためには,国家の干渉が最低限でなければならない。プリーストリーは,当時の制度では, 「市民の力は変化するものではないし,全ての種類の議論と説得に耳を傾けない。その結果,真実はそれが 普及する好機を持っていない」(Priestley 1770, 406)と不満を漏らしている。それゆえに教育は国家により 管理されるわけにはいかないとプリーストリーは考えたのであった。そのような考えに至った一つの契機は, ブラウンによる著書の出版であった。有徳な市民を作り出す最良の方法として画一的なスパルタ式の国家教 育をブラウンは推奨した。他方,プリーストリーは,教育機関ないし教育を受ける学校の選択およびその結 果生じる個人の多様性を擁護した。彼の応答は,最終的に『原理』において具体化された。 プリーストリーに従えば,ブラウンは「国家における内紛を防ぎ,聖職者や市民という私たちの素晴らし い制度の普及を守る唯一の効果的な方法として,立法者によって作り上げられた教育計画を懇願している」 (Priestley 1768, 43)のである。その具体的な方法としてブラウンは,スパルタでの教育制度を取り上げる。 「父親は,彼自身の好みと気まぐれによって子どもたちを教育する権利を持っていない。彼らは,早い時 期に作法mannersや金言,職務や刻苦,言い換えれば,国家の特質と一致するすべての精神的,肉体的知識 や習慣を教え込むために公共の事務官たちに引き渡される。家族的結合は受け入れられない。」(42) 教育により, 「作法」や行動規範に対して影響を与えるという点ではプリーストリーはブラウンに同意し ているし,それにより「市民の論争や内紛を防ぐ」効果はあるだろうとプリーストリーは認めている。 プリーストリーは教育を「賢明で有徳な人々の形成」のために行われるべきであると主張した。だが,ブ ラウンの主張はただ「国家の平穏」のためになされるものである。言い換えれば,プリーストリーが主体的・ 自律的な人間の形成を主眼に置いた一方,ブラウンは受動的・他律的な人間の形成を目指していたのであっ た。 「賢明で有徳な人々」は,国家に対して非常に重要な役割を果たす。それは,最終的には抵抗権につなが るようなプリーストリーの改良の思想をよくあらわしている。 「もし国制が良いものであれば,そのような人は〔その国制の〕偉大な防衛者となるだろう。もしそれが 悪いものであれば,彼らはもっとも有能で,進んでその改良へと貢献するようになるだろう。」(44) このように教育の効果をプリーストリーは強調する。しかし,これはブラウンの主張を受けた消極的な理 由である。プリーストリーの教育の国家管理批判がより積極的な形で現れるのは,知識の増加ないし彼の学 問論(とでも言うべきもの)および家族的結合と非常に関係が深い。 第一に,教育の国家干渉と学問との関係に対してプリーストリーはどのように考えていたのだろうか。. 69.
(9) 松 本 哲 人. プリーストリーは教育を「技芸arts」と見なしている。代表的なものは,具体的には,「農業,建築学, 造船業」だが, 「科学に基づいて作り上げられた」体系を「技芸」とプリーストリーは呼んでいる。これら の「技芸」は, まだ「揺籃期」にあるために, 「速やかに壮年期へと前進することが望まれている」のである。 「技芸」をより学問的に発展させるためには,政府の干渉は不必要であり,個々人が能力を発揮することが できれば,学問は発展するとプリーストリーは考えていたのであった。 プリーストリーはまた,学問的な側面だけでなく,「技芸」に対する干渉がなくなれば,経済活動がより 活発になると考えていた。「製造業者や数種類の技芸者は,以前の議会の無思慮な行為によって,彼らの技 芸に投げかけられている妨害に不満を言っている」(45)とプリーストリーは主張し,政府の干渉が経済進 歩のスピードを緩慢にしていると認識していたのである。 そのようなデメリットだけでなく,政府の教育に対する干渉は,均一的な人間を創造することになりかね ない。それゆえ, 「技芸」においても,なんら創造的活動はなされず,進歩しないことになる。独創性や逸 脱は「技芸」の進歩に極めて重要であるとプリーストリーは論じる。 「もし花屋や庭師が栽培過程で監禁されている〔つまり,自由を奪われている〕とすれば,それどころか, もし彼らが技芸の鍛錬において品種改良という最大のきままさを認められていなければ,私たちの今の庭や 果樹園が示しているもっとも濃い色,もっともよい香り,もっとも優雅な味は,決して知られないだろう。 多数の近代造園術のもっとも立派な成果は,たまたまの経験,おそらく作り上げられた規則から意図的では ない逸脱の結果である。同様の観察が畜牛の繁殖やあらゆる動物の鍛練の方法にもなされているだろう。な ぜ創造という合理的な部分が,動植物の世界が享受しているそれ自身の多様性や改良のかの機会を奪われな ければならないのか。」(46) プリーストリーはまた,個人の多様性が必要であり,野獣との違いをその点に見た。均一性を野獣の特徴 とプリーストリーはみなした。「あらゆる種類の鳥は,同じ材料,同じ形態で巣を作る」(47)のであり,個 体によって独創的な材料で巣作りを行ったりはしない。確かに,人間は動物であるので,幼児期においては, 均一的な性格を持ち合わせるけれども,拘束や制限がなければ,主体的に個性を形成し,独創的な活動を行 うことができるようになるとプリーストリーは考えたのであった。 第二に,プリーストリーは教育の国家管理が家族関係にどのように影響すると考えていたのだろうか。 プリーストリーは, 「人間生活における幸福と享楽のすべての起源の中で,家庭内の関係がもっとも永続 的で豊富である」と論じる。生涯の大部分を家族と過ごすし,友情関係は,密接な家族との結合に比べれば 弱いものである。友人とならば, 「利害や野望」といった観点で結びつくことがあるかもしれないが,家族 とはそのような関係ではなく「愛情」で結びつくのである。家族との生活を通して「すべての楽しみは,二 倍になる」だろうし,家族の「献身や勤勉」といったものは, 「慰め」を与え, 「生涯のすべての困難や不安」 を取り除くであろう。 「このもっとも喜ばしい交流に起因する楽しみに対して,すべての時代におけるすべての人類は,あらゆ るものを犠牲にする準備があった。この交流の妨害に対して,人によってどのようなことがなされようとも 埋め合わせはできない。」(48) このように,プリーストリーは家族関係の重要性を論じる。そして,家族関係に対して国家が介入するこ とを批判するのである。 「幸福に対する真の分別を持っている人物に対して,妻の選択や子どもの教育が彼. 70.
(10) 自由・進歩・多様性. らの特別な知識ないし彼らに対する特別な愛情を持っていない人物の指揮のもとにある」ということは非常 に危険である。とりわけ子どもの教育を国家で管理することは残酷ですらあるとプリーストリーは論じる。 「私は世界に(強力な親としての愛情の感覚を宗教の感覚に結び付けている)父はいないと信じている。 自然は,少なくとも生涯の最初の期間,両親と子どもとのそのような強力な結合を作り上げたように思われ る。彼らの実の保護者の施設所から彼らを引き離し,公教育の場所へと彼らを無理強いし,彼らの両親の判 断や選択に反する宗教的感情を教え込むことは,市民行政官に対して,人々に非常に大きな個人的犠牲を払 うよう―それは,良心の犠牲でさえあるだろう―義務付けるのとおなじくらい残酷であるだろう。」(49) このような(とりわけ子どもに対する)感情は,自然的なものであり,「自然Natureは,一般的に,自分 自身よりも子どもたちを自分にとって貴重にしている」(48)のである。それゆえに(親である)人は,子 どもに対して自ら教育を与える自然的な権利を持っているのである。 「私たちは,子どもたちの現在や未来の福利にとって非常に重要であると判断するような原理に基づいて 彼らを教え, 彼らをそのような方法へと生じさせ,彼らに思考と行為のそのような習慣を与えるだろう。」 (49) ブラウンは幼少期に子どもを親から引き離し,教育することを提案した。だが,そのようなことが行われ なくても教育を子どもたちに与えることは可能であるし,家族関係を破壊するような行為はすべきでない。 また,親が子どもに教育を授けることに対して国家が干渉することは,自然的権利の侵害であるとプリース トリーは考えたのであった。 このようにプリーストリーは教育が「決して行政官の手中に取り込まれるべきでない市民的自由の一つの 枝葉であり,それ〔教育〕を行う権利は,個人に不可侵に保護されるべきであると社会の最良の利益が要求 している」 (54)と論じるのである。. 5 市民的自由と宗教 プリーストリーにとって,宗教において獲得される知識は,他のあらゆる知識と同様,進歩にとって極め て重要な要素の一つであった。プリーストリーは,「イングランドにおいては,寛容は私たちの誇らしい自 由にも関わらず,完全には程遠い(96) 」という現状認識に立ちながら,そのような弊害が,国教会制度に より引き起こされていると見なしたのである。 「信仰告白,つまりイングランド教会の署名の強要は恐ろしい害悪を生み出している。このことは,宗教 に関するすべての自由な研究を不可能にし,代々,〔宗教から生じる〕あらゆる間違いと〔宗教から引き出 される知識の〕乱用を引き起こしている。だから暴力や流血なしに改良が生じることはほとんどない。」 (101-102) このような弊害は,10分の1税からも生じる。10分の1税は,国教会牧師の生活を守るための既得権益と なっているのである。10分の1税は「人々と霊的な導き手〔聖職者ないし牧師〕とのお決まりの利害対立を 引き起こしている」(102)とプリーストリーは批判するのである。そして,その矛先はバルガイの著作へと 向けられるのである。. 71.
(11) 松 本 哲 人. バルガイの主張は,以下のようにまとめられる。国教会制の維持は社会の安定に寄与する。それゆえ,教 会組織は一人ないし少数の人間によって統治され,礼拝方法は統一される必要がある(102; 104-105; 108109) 。もしそうでなかったならば,国教制は維持できなくなるとバルガイは考えた。「もし個々人が自分た ちのために判断し,行為する完全な自由を保持することができたならば,国教制における市民的および聖職 的権力の結合は無駄である(111) 。 」様々な教派の乱立によって,国教会の地位は貶められ,イングランド の平和は脅かされる。 「多様な教派は,公共の宗教の影響力を弱め,公共の平和に不安を与えるという自然 的傾向を持っているのである(112) 。 」このようにバルガイは,多様性ではなく,宗教の均一性,ひいては 社会の均一性を要求する主張をおこなっているのである。 プリーストリーはこのような均一性が社会の安定やひいては進歩に寄与するというバルガイの主張に真っ 向から反対した。つまり,彼は社会における多様性の存在こそが社会を前進させる原動力となると考えてい たのである。 「私たちは実際に害よりも善が非国教徒の集団における多様性から生じていることを知っている。それら は,非常に宗教的知識の前進に好都合であり,キリスト教の公平さや慈善の鍛錬に対して素晴らしい機会を 作り出している。――バルガイ博士がそう呼ぶであろう――完全で完璧な国教制では,そのような可能性が 締め出されてしまうだろう。」(103) プリーストリーは様々な宗教的教派および多様な個人が織り成す社会を理想としていたのであった6。それ ゆえ,彼の議論は宗教的寛容に深く関係することとなる。 プリーストリーの寛容の議論は,ロックから非常に大きな影響を受けていた。つまり,教会と国家の分離 である。ロックは, 「人々の市民的利益にのみ関係している市民政府の権力は,この世界の物事の配慮に限 定され,来るべき世界との関係性をもっていない(Locke 1689, 28 / 訳356)」と明確に論じている。「あら ゆる国家における最高の権力たる立法〔府〕」は,「各個人の私有財産の安全と全国民の平和,富,公共の福 祉とさらにできるかぎり外敵の侵入に対する国内の力の増強(Locke 1689, 48 / 訳 386-387)」がその目的で ある。続けてロックは,宗教は国家ないし政府に属するものではないので,政府は宗教に関与すべきでない と論じている。 「各個人の魂と天上のことについての配慮は,国家に属するものでも,国家に服従せしめうるものでもな く,まったく各個人に委ねられているものである。最高の為政者〔つまり,神〕と国民の間には,地上では いかなる裁定者もありはしない。」(Locke 1689, 49 / 訳 388) プリーストリーは,カトリックの迫害を例にし,教会に対する国家の介入が国家の繁栄や進歩を妨げてい ると非難した。プリーストリーは「為政者がもっとも宗教に干渉していなかった社会は,最上の幸福を享受 し,他の事情が同じならば最も繁栄した国家であった(Priestley 1768, 55)」と論じたのであった。 プリーストリーは,また,全ての宗教が良き行為と「社会の良き秩序」を導くと信じていた。完全な寛容 において, 全ての宗教は,最良の為政者である人民から支持や名誉を得るために競争するようになるだろう。. 6 このように宗教と世俗の分割は,それら両方がそれぞれに進歩することができるという確信を作り出した。Spadafora (1990, 132)によれば,プリーストリーはその代表的論者であり,その後の技芸や科学の進歩の土台を作り出したと非常に 高く評価されている。. 72.
(12) 自由・進歩・多様性. 宗教は,為政者によって特権を与えられるものではなく,平等で公平な競争の機会を与えられなければなら ない。バルガイは,国教会と国家の結びつきを擁護したけれども,そのような結合は不必要であるだろう。 全ての宗教は,国家から独立しており,平等に存在しなければならない。宗教は犯罪的なものと見なされる べきではないし,あらゆる宗教的意見や見解は,法によってその表明の機会を奪われるべきではないのであ る。 このようにプリーストリーが非国教徒に与えた助言は,党派的なものではなく,全ての人々に対して向け られていた。 「もし,以下の金言が全ての構成員によって受け入れられたならば,全ての国家に対して無限の利点とな るであろう。すなわち,自由に考えること,遠慮なく話したり,書いたりすること,我慢しながら良い原因 に苦しむこと,活力旺盛に進むだけでなく,注意しながら行為を始めることである。」(Priestley 1773, 455) 教会と国家の分離に関するプリーストリーのこのような信念は,彼のキリスト教に対する宗教的態度に よって強化される。真のキリスト教およびキリスト教徒は国家の助けを必要としていない。「自分の宗教に 対して正当に配慮している人や――キリストが自分を自由にしたものである――自由は,絶えず,市民的な 力に依存しているとは認められない(Priestley 1768, 85)。」このような彼の視点は,「有用な知識を促進す る (74) 」 という彼の幅広い関心から作り上げられた。また,彼自身が国教会に属していない非国教徒であり, ユニテリアンであったことが,宗教的自由を容認するように求める大きなインセンティブとなったことも間 違いない。それゆえ,宗教的自由は,プリーストリーにとって主要な関心事であったけれども,国家に対す る彼の要求においてより具体化される。国家は,市民が望むように自らの考えを自由に展開することができ るようにしておかなければならず,キリスト教徒だけでなく,非キリスト教徒や無神論者を含む人々に思想 や出版,表現の自由は容認されなければならない。だから,プリーストリーは,非国教徒(カトリック教徒 は含まれない)に対する宗教刑罰法の廃止を要求していた非国教徒に次のように忠告した。キリスト教徒と してではなく人間としての立場に立ち, 「意見の問題を尊重している全ての宗教刑罰法の撤廃をただちに求 める,すなわち,人間の一般的権利を要求する(Priestley 1773, 442-443)」よう忠告した。プリーストリー は宗教や信条に関係なく,全ての人物にこのように訴えかけようと意図した。プリーストリーは,普遍的な 寛容がキリスト教にふさわしいと考えていただけでなく,不寛容や迫害がキリスト教の原理を破っていたと も信じた。 「他人がわれわれに行うべきように,われわれも他人に対して行うべきである。(Priestley 1780, 514) 」プリーストリーはこのように論じるのであった。. 6 プリーストリー『第一原理』の後世への影響――ホランド・ハウス,リカードおよびマルサス このようなプリーストリーの考えは,Bonwick(1977, 17)に従えば,「広く受け入れられ」,第三のカテ ゴリーとして「宗教的自由religious freedom」が独立して論じられるようになった。その影響が非常に色濃 く現れるのは,リカードとマルサスにおいてである。彼らは対立した経済学者として描かれる傾向にある。 例えば,穀物法論争においてリカードは穀物の自由貿易を主張し,他方,マルサスは農業保護主義を主張し た。また,価値論においては,リカードは投下労働価値説を,マルサスは支配労働価値説を支持した。経済 学方法論をめぐっては,リカードは演繹法,マルサスは帰納法を採用した。これらの対立は両者のコントラ ストを浮き彫りにするには最適である。しかしながら,両者は,理論的に対立している部分がありながらも, プリーストリーの思想と共鳴している部分をそれぞれに持っている。つまり,リカードは宗教的寛容を,マ. 73.
(13) 松 本 哲 人. ルサスは教育の重視をまるでプリーストリーから引用したような形で展開しているのである。 彼らはともにホランド・ハウスに出入りをしていた。ホランド・ハウスは,第三代ホランド卿とその妻が ケンジントンの自宅でウィッグ派の政治家や作家などを集め,1797年から1845年まで続けた政治サークルで ある。叔父チャールズ・ジェイムズ・フォックスから強く影響を受けたホランドは,1806年のフォックスの 死後,彼の政敵であったウィリアム・ピットの台頭により,政治的野党へと転落した。ホランドは,政治経 験の空白を埋めるためにこのサークルを活用した(川分 1993, 20-21)。 フォックスとホランドはそれぞれ1783年と1806年に入閣し,外務大臣などを歴任したが,ジョージ3世の 介入によって,内閣が崩壊する様を目の当たりにした。そこでこのサークルを拠点に,王権拡大に対抗する 論陣が張られたのである。ホランドは,人々の代表者から構成される下院を重要視した。しかしながら,彼 は,全ての人々に選挙権を容認したわけではない。プリーストリーと同じようにホランドは十分な資源(教 育環境・財産・時間)を持つ者に合理的な政治判断が可能であり,それゆえ有産階級が政治参加すべきだと 考えた(川分 1993, 21-24)。全ての人々に選挙権を与えるという――ジョン・カートライトのような――急 進的な議会改革案とは異なり,彼は,非常に穏健な改革を求めていたのである。また,フォックスやホラン ドは,生得的な自然権を個人が保持していると考え,奴隷制や奴隷貿易に反対し,非国教徒やカトリックの 宗教的自由(信仰の自由)を主張し,個人の権利を擁護しようとした(Mitchell 1980, 88-122)。 彼らのこのような主張は,ロンドンの急進的な政治・文学クラブでの合理的非国教徒Rational Dissenters との出会いから豊饒化された。合理的非国教徒とは,原罪という教義を否定したキリスト教の一派である。 彼らは聖書を合理的に解釈し,自己改善や敬虔は,原罪を償うためではなく,神との約束であり,それによ り来世に到達することができると考えた。その中心的な教派はユニテリアンであり,中心的人物がプリース トリーであった(Haakonssen 1996, 10-11)。彼らは宗教的にも政治的にも考えが近かった。上で論じたよ うに自然権および個人の自由(とりわけ信仰の自由)を重視し,反体制側の主張を展開する彼らは,密接な 関係を築いた(川分 1993, 26-31)。政治家であったフォックスやホランドは,合理的非国教徒たちからの支 援を期待し,彼らは自分たちの主張が議会で取り上げられることをホランドに期待したのであった。実際, フォックスやホランドは,彼らの支援により,選挙戦を有利に戦うこともできた(Seed 1996, 147)。 世論が反動化し,改革が忌避されたフランス革命後の1790年代から1810年代までに,改革の思想を継承し, 次世代に伝えたことが,ホランド・ハウスおよび彼らと結びついた合理的非国教徒の存在意義であった(川 分 1993, 34-35) 。そして,その象徴的存在としてリカードやマルサスを挙げることができるのである。 リカードはユダヤ教徒であり,結婚の際に,ユニテリアンに改宗し,ユニテリアンの日曜学校Sunday Schoolなどにも出席をしていたことはよく知られている。リカードは,政治家として1823年3月26日の演説 において,宗教的寛容について論じている。リカードの現状認識はプリーストリーに近い。また,リカード の要求もまたプリーストリーと極めて親近性を持っている。 その演説において,リカードは国家と宗教の結びつきを否定する。個人がどのような宗教を信じようとも, 国家は干渉することができない。個人がどのような宗教を信じようともそれは自由なのである。また,様々 な宗教的見解が出されたとしても,宗教的見解をめぐる自由な議論が保証されていれば,国家の干渉なしに, どれほど極端な意見であっても穏当な意見に着地点を見出すはずである。リカードは,1823年3月26日に議 会で以下のように述べている。 「すべての宗教的意見は,どれほど不合理で突飛であっても,個々人によって,自覚的に信じられてよい だろう。……すべての宗教的話題に関しては,公正で自由な議論が許されるべきである。もしそれら〔宗教 的な話題〕に対してすすめられた議論が不適当で不敬であるならば,必ずや,その議論は,〔国家からの〕. 74.
(14) 自由・進歩・多様性. 強制力や罰なしに,健全な議論や良き推論によって着地点を見出されるであろう7。」(Ricardo 1823, 280) このようなリカードの主張は上で論じたようなプリーストリーの議論と非常によく似ている。リカードは ユニテリアンの牧師であったトマス・ベルシャム(Thomas Belsham, 1750-1829)と非常に深い親交があっ た。このベルシャムこそプリーストリーなきイングランドにおいて,プリーストリーのユニテリアン思想を 継承した第一人者であった。それゆえ,リカードにはベルシャムを介してプリーストリーの思想が流れ込ん でいたと考えることは自然であるだろう8。 他方,マルサスは,プリーストリーと同じように「自由」概念を政治的自由と市民的自由に分割する。市 民的自由は, 「物事を考慮する習慣を発生させる原因の中で最も根本的な原因」であり,「自由に活動する機 会を持つことを許されること」や法による財産権のすべての人に対する保障を指している。そして,「経験 でわかっていることであるが,市民的自由は政治的自由を抜きにしては永久に確保されない」のである。マ ルサス自身は政治的自由を明確に定義してはいないが,法律の制定の必要性を訴えているので,参政権を意 味しているのであろう。ここでマルサスはプリーストリーと「自由」をめぐって非常に大きな共通点をもっ ていることがわかる。そして,その「自由」を守るための手段としてマルサスは教育を取り上げるのである。 それゆえ,政治的自由や市民的自由が保障され,教育が適切に機能している国家において,為政者は「立派, 有徳および幸福となる手段を彼ら〔下層階級〕や彼らの子どもたちから」奪わないような政策を実行するで あろうと論じるのである。そして,これら二つの自由や教育は, 「期待されるべき好都合な結果」である個々 人の生活水準の向上に寄与することができるのであるとマルサスは論じている(Malthus 1826, 226-227 / 訳 16-17) 。 マルサス自身はその論述を下層階級に限定してしまっているが,「自由に活動する機会」が平等に与えら れるということは,教育の機会もすべての人に対して平等に確保されることを意味する。マルサスにとって 教育は市民的自由を適切に確保するための手段である。マルサスにとっては,教育もまたプリーストリーと 同様に市民的自由の極めて重要な一構成要素であったのである。 しかしながら,マルサスは,実際にどのように多様性を認めるのかという議論を非常に巧妙に避けている。 また,彼自身の立場であるイングランド国教会牧師としての立場からの宗教および宗教的自由に関する議論 は,このなかでは触れられない。だが,マルサス自身,ケンブリッジ大学入学前に非国教徒アカデミーで教 (William 育を受けた9。また,ケンブリッジ大学入学後は,チューターがユニテリアンのウィリアム・フレンド Frend, 1757-1841)であった。マルサスの(教育をはじめとした)様々な意見の多様性を認める議論の背景 としてプリーストリーの市民的自由の議論を敷衍した議論があったのである。. 7 このようなリカードの宗教的態度に関して,真実(1989)は,リカードがユニテリアンであったことを強調しながら, 「最 もラディカルな形での宗教的寛容ないし宗教上の自由討議を主張した」 (115)と評価している。 8 Cremaschi and Dascal(2002)はすでにプリーストリー―ベルシャム―リカードの科学への接近方法および科学的方法 論の類似性を指摘している点で重要である。 9 マルサスは1782年,16歳のとき,プリーストリーが1761年から67年まで教えたウォリントン・アカデミーに入学した。 当時の彼の指導者は,ユニテリアン派の指導的立場にあったギルバート・ウェイクフィールド(Gilbert Wakefield, 17561801)であった。当時のケンブリッジ大学のカリキュラムが古典と数学に偏っており,――後に考察するように――非国教 徒アカデミーでの教育にはすでに経済学に結び付く教育が行われていたことを考えれば,マルサスを経済学へと導いた素地 は,すでにアカデミーの段階に培われていたと考えることが自然であるだろう。. 75.
(15) 松 本 哲 人. 7 まとめ プリーストリーは,人々の進歩と繁栄のために政府が設立されたとして,政府の必要性を認めている。し かしながら, 政府の役割は極めて限定的であるべきであり,多様な個人から構成される社会の形成こそプリー ストリーが目指したものであった。多様な個人を支えるものは教育と宗教であり,プリーストリーは多様な 個性を作り出すために教育と宗教を極めて重視していた。それゆえ,教育や宗教に対する,国家の介入を拒 否し,すべての人々に対する寛容(とりわけ宗教的寛容)を要求したのであった。 プリーストリーのこのような視点は,後の経済学者たちにも引き継がれた。リカードは,宗教的寛容をプ リーストリーから間接的であったとしても学んでいる。また,マルサスは教育の重要性をプリーストリーが 大きな貢献をなした非国教徒アカデミーでの経験から認識していた。彼らの思想を知る上で両者の思想的基 盤の一端がプリーストリーに見え隠れしていることは明らかである。. 引用文献 Bonwick, Colin 1977. English Radicals and the American Revolution, The University Carolina Press. Cremaschi, Sergio and Dascal, Marcelo 2002.‘The Unitarian Connection and Ricardo’s Scientific Style’, History of Political Economy 34 (2): 505-508. Dickinson, Harry T. 1977. Liberty and Property: Political Ideology in Eighteenth-century Britain, Methuen. 田中秀夫監訳, 中澤信彦他訳『自由と所有――英国の自由な国制はいかにして創出されたか』ナカニシヤ出版,2006年。 Forbes, Duncan[1954]1984. “‘Scientific’ Whiggism: Adam Smith and John Millar”, Cambridge Journal, vol.7, reprinted in: Adam Smith Critical Assessments, vol.1, ed. by J. C. Wood, London and Canberra, 1984. Haakonssen, Knud 1996. “Introduction”, in Enlightenment and Religion: Rational Dissent in Eighteenth-Century Britain, ed. by Knud Haakonssen, Cambridge University Press. Kramnick, Issac 1990. Republicanism and Bourgeois Radicalism: Political Ideology in Late Eighteenth-Century England and America, Cornel University Press. Locke, John 1689. A Letter Concerning Toleration, ed. by James H. Tully, Indianapolis: Hackett Publishing Company, 1983. 生松敬三訳「寛容についての書簡」『世界の名著 ロック ヒューム』所収,中央公論社,1968年。 Malthus, T. Robert 1826. An Essay on the Principle of Population: the sixth edition (1826) with variant readings from the second edition (1803), ed., by E.A. Wrigley and David Souden, London : W. Pickering, 1986, The Pickering masters, The works of Thomas Robert Malthus:v. 2-3. 吉田秀夫訳『人口論:各版対照』春秋社,1948-49年,全四巻。 Matsumoto, Akihito 2010. “Happiness and Religion: Joseph Priestley’s ‘Theological Utilitarianism’”, Kyoto Economic Review 79 ⑵. Mitchell, Leslie 1980. Holland House, Gerald Duckworth&Co. Ltd.. Paine, Thomas 1776. Common Sense, in The Writings of Thomas Paine, Collected and Edited by M. D. Conway, New York: G.P. Putnam’s Sons, 1894, vol. 1. 小松春雄訳『コモン・センス』岩波文庫,1976年。 ―― 1792. Right of Man, Part Second, Combining Principle and Practice, in Ibid, vol.2. 西川正身訳『人間の権利』岩波文庫, 1971年。 Priestley, Joseph 1768. An Essay on the First Principles of Government;, 2nd ed.1771, Theological and Miscellaneous Works of Joseph Priestley, ed. with notes by Rutt. J. T, Bristol, 1999, vol.22. ――. 1770. Letters to the Author of “Remark on Several Late Publictions Relative to the Dissenters, in a Letter to Dr. Priestley,” in Ibid, vol. 22. ――. 1773. A Letter of Advice to those Dissenters who Conduct the Application to Parliament for Relief from Certain Penal Laws, in Ibid, vol.22. ――. 1780. A Free Address to Those who have Petitioned for the Repeal of the Late Act of Parliament in Favour of the Roman Catholics, in Ibid, vol.22. ――. 1794. A continuation of the Letters to the Philosophers and Politicians of France on the Subject of Religion; and of the. 76.
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