新しい資本主義 : 米国覇権体制後の始まり (古川
正紀教授退職記念号)
著者名(日)
古川 正紀
雑誌名
九州国際大学経営経済論集
巻
16
号
3
ページ
1-14
発行年
2010-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1265/00000166/
最 終 講 義
新しい資本主義
—米国覇権体制後の始まり—
古 川 正 紀
本日は、この冬一番の寒い中、私の最終講義にお集まりいただき誠にありが とうございました。私は、今学部長より紹介がありましたように、昭和48年、 1973年4月に九州国際大学の前身の八幡大学に専任講師として赴任してまいり ました。担当科目は、景気変動論と貨幣論でした。九大の大学院では『資本 論』の研究、特に第3巻の競争論の研究をしまして、修士論文も競争論すなわ ち価格論、利潤論に関するものでした。数年以上たってだとおもいますが、経 済原論を担当されていた長老の伏下先生が定年でおやめになったので、後任を 勤めることになり、それから10年以上経済原論と景気変動論を講義しました。 そして今から10年位前、当大学で大学院の企業政策研究科を設立することにな り、直前に出版した『管理資本主義と平成大不況』で日本経済研究担当者とし て文部省に認められ、以後日本経済論を担当し現在に至っております。 さて本日の講義は、「新しい資本主義」としておりますが、「新しい資本主義 が始まる」という趣旨です。 日本では、1990年に株式バブルが崩壊し、1991年に土地バブルが崩壊してか ら、「失われた10年」とか「失われた15年」とかいわれ閉塞感が漂っていまし た。2002年から貿易収支の大幅黒字を軸にして、これは2001年に中国がWTO に加盟し、対中貿易が大幅に拡大したことによるものですが、日本の景気は回 復してまいりました。2007年まで回復過程が続きましたが、成長率はせいぜい 1−2%程度でした。またその間、労働法の規制緩和などで格差社会が広が り、少子化が深刻になって閉塞感が抜けませんでした。一方、世界的にはアメリカは絶好調だったのですけれども、2007年の夏から これはフランスの最大規模の銀行と思いますが、BNPパリバ銀行が危機に陥 り、ヨーロッパ中央銀行が支援に入り、日銀もアメリカの中央銀行のFRBも 支援に入ったのですが、実はあのときから世界金融危機は始まっていたわけで す。2008年になると、次々にアメリカの大きな金融機関が危機に陥り、大手同 士で救済合併したり、公的金融機関は政府が救済をしていたんですが、9月に リーマン・ブラザーズは、結局政府の救済放棄で破綻したんですね。共和党政 権は、基本的に自己責任原則で救済しなかった。これをきっかけに、世界金融 危機が発生、私は翌年の1月くらいまで金融恐慌と考え、去年の東京での全国 学会でもそのような趣旨で報告しましたが、さらにリーマンショック後に世界 の株価は暴落し、世界同時不況になったわけです。10%を超えるマイナス成長 という意味では、日本が一番収縮したわけです。日本だけでなく世界中で閉塞 感が漂っていますが、あれからもう1年以上たつわけですが、世界的に閉塞感 が抜けない。しかしこのような時代は、変革の雰囲気が高まるともいえるんで はないでしょうか。アメリカでは、1年前に民主党のオバマ政権が誕生し、日 本でも去年の9月民主党を中心にした政権が誕生し、彼らは明治維新以来の出 来事といっています。彼らは社民党も入れて中立左派だと思いますが、亀井静 香のなんでしたか国民新党でしたか、も入っておりますが、非保守、それも本 格的な非保守政権の誕生という意味では、画期的なことだろうと思います。そ ういう意味で、閉塞感の中で新しい動きが生まれているわけです。 世界的にもG20、これは金融サミットといっておりますけれども、世界金融 危機直後の2008年11月に最初の集まりがアメリカで開かれ、2009年4月にもイ ギリスで開かれさらに9月アメリカで開かれましたが、この国際協調組織でこ れまでのG8を超える、一番重要な組織であると確認したわけです。それまで の先進国や大国だけのサミットから、グローバルなサミットへ大きく変わった わけです。またG2の時代に入ったともいわれております。ということは、世 界の金融センターであるアメリカと、世界の経済成長の先頭を走っている中国
が、これからしばらく世界をリードするだろうと考えられているわけです。私 はこのような新しい動き、変革の動きを新しい資本主義が生まれようとしてい ると理解したわけです。しかし、この事態を根本から理解するには、資本主義 とはそもそもどういうものか、考えなければと思います。 交換経済というのは、太古の昔からあるわけです。日本の神話、古事記だっ たか、日本書紀だったか忘れましたが、海幸彦と山幸彦の話、海の特産物と山 の特産物を交換し合う話に象徴的に表れているように、市場の始まりである交 換行為は、古代からあるわけです。数千年前から、人類が集落を作ったり、村 を作ったり、最終的には国を作り共同体を形成するようになって、異なった共 同体の間で交換経済が存在した、これが市場経済の始まりだと考えられている わけです。もちろん、人類学者の間では、集落の間の物の交換は、市場経済と はまったく違うという意見もありますが、自給自足ではない、お互いに足りな いものを共同体の間で交換し消費するということは、交換経済=市場経済の始 まりであり現在に至っていると考えてよいと思います。(経済理論的に考えれ ば、自然的・地理的分業が社会的分業の始まりと考えられます)。交換の繰り 返し、交換の拡大の中からある特定の物が貨幣の役割をするようになった、一 般的には、共同体間で共通の生活手段、すなわち、日本では、米や布が使用さ れた。たとえば黒田55万石といいますが、米の量で、藩の経済力をはかった。 また交換の繰り返しの中から普遍的共通の交換手段が、共同体の間で承認され 貨幣となり、このことによって交換がスムーズに行き拡大したと考えられま す。さらに、交換のくり返し、その拡大の中で、一定の貨幣が蓄積された。貨 幣の蓄積は、金貸しや地域間で異なった貨幣の交換、日本では両替といいます が、金融の原型が生まれました。また貨幣の蓄積は、生産者の直接交換ではな く、貨幣で生産者から生産物を買い集め、消費者に売りさばく商人(商業)も 生み出しました。一定の貨幣の蓄積が、商業、金融業を生み出したが、これが 資本の始まりであり、資本の本質は、貨幣による貨幣の増加です。たとえば 100の貨幣を120に増やすとか200に増やすとか、増加するように貨幣を使用す
ること、そのように使用される貨幣が資本の本質だと思います。さらにこのよ うに貨幣を使用することを目的意識的に広げること(そして広がること)を資 本主義といって良いと思います。経済史では、15世紀、1400年代ですけれど、 大航海時代ですね、ポルトガルのガマによる南アフリカ経由のインドへの航 路、アフリカ南端の喜望峰経由でインド洋に出てインドに至る新しい航路を発 見した。皆さんのご存知のようにベニスのマルコ・ポーロが陸路を通って中国 へ至る道は、11,12世紀でしたか良く知られていたわけですし、日本の奈良時 代に正倉院にすでにペルシャとか西の宝物とかが運ばれている。交換というよ りお土産とかだと思いますが、中には天皇家が買ったものもあるかもしれませ ん。昔からけっこう広く交換が行われていたけれども、航路でインドに行ける となると時間的にずいぶん早くなると思います。船、帆掛け舟、帆船ですけれ ども操縦もそう簡単にはいかないと思いますが、風の吹くほうへも進むことが できる、追い風にも向かい風にも前進することができる、まあ私は詳しいこと は知りませんけれども、操縦技術の進歩があったと思います。もう一つの大き な出来事は、スペインの王家の支援によるコロンブスの新大陸、いわゆるアメ リカの発見があります。これらは王政国家の財政ですが、王家、たとえばチュー ダー朝とか,ウインザー朝とかあるわけですが、王政国家の財政は王家の個人 財産でもあったわけですよね。これらの保護・支援によって商人資本が16世 紀、17世紀に地球規模で、いいかえればグローバルに、すなわち人類にとって 究極的な広がりの市場の枠組みが形成されたわけですが、これを指して資本主 義経済の始まりと考えられます。造船技術の革新、数百人の人が数年間にわ たって航海できる巨大な帆船を作る技術の革新があったと思いますが、大量の 金、資金を使ったことによって実現できたと思います。これをあえて言えば商 人資本による第1次グローバル資本主義の成立と呼ぶことができるだろうと思 います。 次に、工業資本の発展と植民地帝国主義の話に移ります。16世紀には、神聖 ローマ帝国広い意味のドイツ、当時スペインも同じハプスブルグ家だったよう
で、だいたいヨーロッパの王家は親類同士だといわれていますが、スペインか ら分離・独立したオランダの大商人達が、蓄積した貨幣を資本として生産過程 に投資したわけです。羊毛、糸や布を手工業でいわゆるマニファクチャーで生 産して世界、といっても当時はヨーロッパが中心だったと思いますが世界規模 で輸出し世界一の先進国、富裕国になる。日本は1600年でしたか関が原の戦い の後、徳川幕府ができ鎖国になるわけですが、オランダとは国交を開いた。つ いでに申しますと、1500年代半ばころポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えたし、 その後スペインのザビエルが大分県に滞在しています。日本は、その時代時代 の覇権国、最先進国と交流があったわけです。オランダは、工業を広げてさら に資本を蓄積し、またインドネシアなど世界中に植民地をひろげていった、東 インド会社の設立が有名ですが、アメリカでもニューヨークは、初めはオラン ダが開発したのでニューアムステルダムといっていたんですね。それを後から 来たイギリスがオランダを駆逐した。オランダの羊毛工業の発展は工業の自立 の始まりだといえると思いますが、資本的には商人資本に従属していたわけで す。当時イギリスは、オランダにとって羊毛の生産地、原料の供給地だった、 いわゆるエンクロージャーという形で羊の牧場を拡大したわけです。 17世紀から話は飛びますが、18世紀半ばにイギリスで産業革命がおこります。 すなわち1765年にワットが蒸気機関、スチーム・エンジンですね、これを発見 した。またそれを船に利用したフルトンですとか、さらに蒸気機関車、スチー ブンソンでしたか作ります。また機械を導入して糸を作ったり布を作ったりす ることを自動化していく。大商人資本家が資金を投じるだけではなく、銀行貸 付や証券市場、株式や債券などの証券から資金を調達して工業資本家が綿工 業・鉄工業を発展させたわけです。鉄工業は、蒸気機関車、鉄道を発展させ世 界に広げていって世界の工場、世界の工業に発展し、さらにそのための資金の 提供によってイギリスの銀行は世界の銀行に発展しました。原料である綿花の 供給地、綿糸・綿布の市場としてユニオン・ジャックをはためかした海軍力に よって世界中殖民地にしていった。といっても簡単に殖民地を拡大できたわけ
ではなくて、北アメリカでは、フランス、オランダを駆逐しなければならな かったし、インドでは、最近確認したんですが18世紀半ばフランスの後を追う ように進出して、フランスと戦いながらムガール帝国を追い詰めていく。約 100年後の1858年にやっとムガール帝国を滅ぼし直接統治に入っている。19世 紀後半、日本は1868年に明治維新で日本帝国を設立しますし、実はドイツの統 一は結構遅くて、明治維新の3年後に北のプロシアが統一してプロシア王がド イツ帝国を創設し皇帝になりました。こうして19世紀後半に現在のG8からカ ナダを除いた現在のG7とまったく同じの工業諸国が列強として、帝国主義的 に世界を分割支配しました。といっても、人口的には半分以上は農業だったわ けです。日本でも農業人口は第2次大戦直後でも半分位で数%になるのは高度 経済成長以後です。それはともかく、イギリスが、生産力でも殖民地の数でも 圧倒的でしたし、列強諸国の金本位制を自動的にたばねた国際金本位制を土台 に、ロンドンが世界金融システムのセンターになるポンド体制を形成しまし た。金本位制は第1次世界大戦の時に停止されます。金本位制の下では財政的 に戦費を調達できないわけです。金の制約を離れて、国家の債務(国債)を印 刷し、中央銀行がそれを引き受け(購入)する形でお札を印刷して政府に渡す わけです。 さて帝国主義の定義は難しいのですが、私も九大の大学院の試験を受ける 時、英語とドイツ語が必須だったので友人と二人でレーニンの帝国主義をドイ ツ語で読みましたが、当時九大の先生はほとんどマル経でしたので。帝国主義 の概念は重要ですが難しい、自由貿易帝国主義という言葉もありますし、近世 以降ではポルトガルはじめ軍事力と財力で殖民地を作り他民族を支配する状態 がありますが、古代からローマ帝国を初め様々な帝国が世界には生まれている わけです。それはともかく近代では、19世紀後半から20世紀初頭にかけて少な くとも列強諸国では、巨大企業が独占資本として成立し、機械製大工業の生産 する大量の工業製品の販売市場と原料市場を求める経済圧力がかってない強力 な政治圧力にもなり国論を強力な軍事力による対外膨張・対外進出、すなわち
近代型の帝国主義に導いたと思います。こうして商人資本による市場の地球規 模の拡大、大航海に始まる第1次グローバル資本主義とは異なる、工業資本に よる市場の地球規模の拡大、18世紀に本格的に始まり20世紀初頭には終了した 世界の帝国主義的分割=植民地体制、すなわち第2次グローバル資本主義を達 成したと言えるのではないかと思います。しかし、かってトルコ帝国、オスマ ン帝国が支配していた地域、そこでの諸民族が領土未確定であったバルカン地 域を勢力圏にしようとしたドイツ・オーストリア連合帝国とロシア帝国の対立 が戦争へ発展し、ドイツの急激な経済大国化、近代帝国化に反発し警戒してい た英・仏がロシア帝国側につき戦争は全ヨーロッパに広がり、さらに自国の船 がドイツ海軍に沈没されたアメリカ、ドイツのアジアにおける植民地支配を奪 おうとした日本を巻き込んで第1次世界大戦になりました。 4年後の1918年世界戦争は終結しましたが、ロシア帝政は1917年11月に革命 が興りソ連になり、ドイツ帝政はワイマールという世界で最も民主主義の進ん だ共和国になりました。その中からヒットラーも出てくるわけですけど金融資 本論で有名な社会民主党のヒルファーディングなどが財務大臣として活躍しま した。崩壊していた国際金本位制は、1920年代に再建されました。最後に再建 されたのは日本で、1930年1月の金解禁です。国際金本位制が再建されたとは いいますが中央銀行の金準備はほとんど金塊、インゴットですね、国内のお札 の金兌換ではなくて、海外自由輸出入の金のための準備だった。しかし1929年 のNY株式市場のバブルの崩壊によるアメリカの金融恐慌から世界恐慌に広 がっていったのですが、まず経済が一番弱いドイツが恐慌に巻き込まれた。敗 戦で天文学的な賠償金を英・仏へ支払っていたからです。一方、金本位制は31 年にはイギリス、日本、33年になってやっとアメリカ、というように次々に停 止しました。アメリカは、共和党政権、フーバー大統領の均衡財政主義優先で 大恐慌が進行していたにもかかわらず赤字財政による財政出動をしなかったの ですが、1933年選挙に勝った民主党のルーズベルト大統領が国内金本位制を停 止するとともに、対外金輸出入の金価格を1オンス20ドル台から35ドルへいっ
きに切り下げ、それを根拠にFRBに大量のドル紙幣を印刷させアメリカ中の 銀行へ輸送=貸付させ、これを見た大衆が安心して取り付けさわぎが終わり3 次にわたった深刻な銀行恐慌を終わらせることができました。アメリカはすで に世界最大の経済大国で、1920年代には、フォードによって大衆車が開発され、 大衆が買える安い自動車、また高い賃金、そして信用制度というのはもともと 商人資本家や産業資本家の道具だったのですが、個人へ拡大し個人への貸付、 クレジットで車を買うという考えを広めていきました。それにルーズベルト大 統領が大恐慌による、大量失業、貧困から救済するために始めた社会保障制度 があいまって、社会に大きな需要を作り出し、大恐慌をおわらせるとともに、 戦後の西側諸国へ経済成長のモデルを提供したのです。いわゆるフォーディズ ムといわれています。ルーズベルトは、ニューヨークのオランダ系の金持ちの 子供でしたが、小児麻痺で弱者の気持ちがわかったのか、単に不況対策、恐慌 対策を本格的に始めただけでなく、弱者救済、社会保障を確立した人です。民 主党は伝統的には農業地主など南部が地盤で、共和党が北部の商業・工業資本 家が地盤で、南北戦争の黒人奴隷解放を指導した北部地盤のリンカーンも共和 党だったのですが、ルーズベルト以来民主党は、黒人やユダヤ人,女性、労働 者など少数民族や弱者が支持基盤となり、中道で、中道左派とはいえません が、共和党の保守に比べて革新的、リベラルというイメージが定着しました。 時間も迫ってきましたので先を急ぎますが、これ以後、世界資本主義は第2 次世界大戦後の1946年のIMF=固定為替相場体制とGATT=自由貿易体制 確立まで、世界の金融・貿易は列強ごとに分裂し15年ほどですがブロック経済 を形成し、ブロックごとに隔離してブロック間の自由な貿易や資本移動が極端 に減少した自給自足的な世界体制であり、世界市場、世界資本主義というより いわゆるアウタルキー的世界経済になりました。 1944年、米英を中心にした資本主義諸国は、日・独・伊の敗北を前提に、戦 後体制の構築をするために、米国の観光地でニューハンプシャー州の小さな町 ブレトンウッズに集まり私が管理資本主義と呼んでいる体制を決めました。決
定地にちなんでブレトンウッズ体制とも言われます。実質的にイギリス代表で あったケインズと、アメリカ代表ホワイトの協議で決めたのですが、結局、1 オンス35ドルでの対外金交換と国際収支赤字国への資金援助のための基金の創 設というホワイト案が決まった。各国の国際収支の均衡を、基金、IMFと各 国の為替管理で維持し、各国の為替レートをドルに固定する、いいかえれば金 融・貨幣制度を、金=ドルを基軸にした国際的な固定為替相場体制、IMF体 制を土台にするということです。ルーズベルト体制、ニューディール体制、す なわち資本主義管理体制が、戦後の国際体制構築にも生かされたといえると思 います。ホワイトはその後間もなくマッカーシーイズムによって共産主義者と 指弾され自殺しています。対ソ対決の中で極端な自由主義が一時的に復活した 犠牲でした。ケインズは、終戦の翌年46年に病死しています。IMFの土台に なっている純金1オンス=35ドルというドルの価値は、1933年ルーズベルトが 政権について直後に決めたもので、その後1971年のニクソンショックによるド ルの金交換停止まで続いているんですね。すごいことだと思います。一方、円 は明治政府が創設した時の価値基準は1円=1ドルでした。1952年占領から独 立しIMF加盟が認められた時の円の価値は1ドル=360円でした。日本が50 年ほどの間に、日清・日露を始め戦争を繰り返し財政赤字を作りだし、インフ レーションを生み出した、特に1931年に金本位制を再度停止した後、中国との 15年戦争、アメリカとの太平洋戦争、戦後の混乱期に莫大な財政赤字を作り出 したこと、戦後の混乱期には、現在の北朝鮮政府が最近実施した新札切り替え までしたことが思い出されます。しかしこの莫大な財政赤字、戦後の超インフ レによって金融資産の価値が暴落し、金融資産家を没落させ、経済的に平等な 社会を作り出しました。 ブレトン・ウッズ体制は、アメリカの対外当局に対する固定価格でのドルの 金交換の約束を基礎に、アメリカ以外のIMF加盟国の貨幣価値をドルに固定 する国際的固定為替相場体制であり、そういう国際通貨体制でした。また産 業・貿易体制は、自由貿易を目標にした一般協定を守るというGATT、すな
わち貿易と関税に関する協定を守り拡大するための国際組織でした。ソ連圏を 除く国際経済は、こういうIMFとGATTという2本柱の国際組織の枠組み の下で運営されました。一方、ソ連圏を除く世界をパクス・アメリカーナとも いいます。これは、アメリカによる世界の平和・安定維持という意味ですが、 19世紀後半から20世紀初頭にかけての世界をポンド体制とイギリスの軍事的優 位による世界の安定・平和維持をパクス・ブリタニカと呼んだことになぞらえ て呼ばれるようになったと思います。パクス・ブリタニカも、古代の地中海を 中心にした広い地域がローマ帝国によって安定を保たれていたことをパクス・ ロマーナと呼ばれたことになぞらえていた。パクス・アメリカーナは、経済的 に圧倒的に優位な立場からアメリカがルーズベルト的管理体制を国際経済に対 してIMF・GATT体制として構築しただけでなく、戦後の米ソ対決の事態 に対処するためにルーズベルトの死後大統領に昇格したトルーマンによって構 築されたアメリカの世界軍事戦略・軍事体制も含みます。 ブレトン・ウッズ体制、パクス・アメリカーナの下で先進資本主義諸国は、 資本主義の黄金時代と呼ばれる高度経済成長を実現します。この高度経済成長 は、当時すでにアメリカが実現していた耐久消費財を基礎にした物質的に豊か な大衆消費社会を自分たちも実現したいという強力なインセンティブが基本的 な推進力になったと考えますが、それを確実に、かつ急速に実現できたのは、 パクス・アメリカーナに基づくアメリカの対ソ覇権の実現、すなわちアメリカ の巨大な経済援助による西欧や日本の戦後復興、ソ連封じ込めのための軍事的 に巨大なドル支出があったからだといえます。最初の巨大な軍事的ドル支出 は、1950年から3年間続いた朝鮮戦争でした。この戦争によって、特に日本は、 特需を得ることができ超インフレを正常化しようとしたドッジによる厳しい引 き締め政策によって陥っていた不況から脱出できたと同時に戦後復興を終了さ せることができました。60年代のベトナム戦争では、アメリカは10年を越える 戦争を続け、第二次世界大戦以上の戦費を費やしたといわれ、その結果として インフレを加速させ、1オンス=35ドルの固定相場での金交換が出来なくなり
1971年のニクソン声明=金ドル交換の停止によってブレトン・ウッズ体制の崩 壊に至ったのです。 その結果始まった変動為替相場は、厳しく管理されていた国際資本移動を自 由にし、二つの側面で世界経済に大きな影響を与えました。一つは、先進工業 諸国の資本すなわち工業、金融業、商業の企業を多国籍企業にし、また1970年 代の新興工業諸国NICS,その後NIESといわれましたが、その勃興を生 み出し、さらに1980年代の中国の改革・開放政策への転換による工業化を生み 出しました。今ひとつは、金融の自由化であり、特にアメリカにおいて、1980 年代後半から、90年代、2000年代の金融主導型資本主義経済への変化をもたら し、バブルと金融危機を伴いながら、停滞基調に入った先進資本主義国の中 で、イギリスとともに中成長を実現しました。しかし、アメリカ・イギリス主 導の新自由主義は、一方で情報通信革命をもたらしましたが、その究極の姿で ある金融主導型資本主義は、2007年夏から世界金融危機を引き起こし、2008年 9月のリーマン・ブラザーズの破綻から2009年1月位まで一時的金融恐慌を引 き起こしたと私は考えていまして、去年11月東京であった経済理論学会の全国 大会でもそのように発表しましたが、更にほぼ同時的に世界同時不況をもたら しました。世界金融危機、世界同時不況の総本山であるアメリカにデリバテイ ブ・債権の証券化商品・不動産等の価格暴落による、すなわちバブル崩壊によ る莫大な不良債権をFRB初め各種銀行、機関投資家等にもたらしています。 その最終処理の困難さは、日本の平成バブル崩壊後の「失われた10年」を髣髴 とさせるものがあります。 経済とともにアメリカの覇権体制、パクス・アメリカーナをささえていた軍 事体制も、ソ連との軍拡競争には勝ちましが、1990年の湾岸戦争以降、一国で は実行できづにいます。またイラク戦争、さらにアフガン戦争も泥沼化に陥 り、そのことはアメリカの財政赤字によるドルを世界にばら撒き景気刺激には なりましたが、このことは今回の金融危機とその対策として支出され、これか らも支出が予想される財政赤字による過剰なドル支出とあいまってドル安・ド
ル不安を現実のものとさせています。一方、財政赤字、日本・中国等による米 ドル国債購入も限界に近づいており、軍事予算の縮小をせまられていますが、 アフガニスタンでは短期的とはいえ更なる軍事支出を予定せざるをえない最悪 の状況です。それでもアメリカは、経済的にも軍事的にも突出したナンバーワ ン国ではありますが、ドル本位制論に象徴されるようなオンリーワン国ではな くなったといえます。当面、ここ10年から20年位か、あるいは5年から10年か もしれませんが、G2すなわち米・中体制が続くことが予想されます。 1989年のベルリンの壁崩壊によって象徴されますが、東ドイツでの選挙結果 による東西ドイツ統一、さらに1991年ソ連邦の崩壊と13の独立国家共同体の創 設を契機とする東側諸国の独裁体制から民主主義体制への政治改革と市場経済 への移行によって、1917年のソ連の成立以来分裂していた世界資本主義は、新 たに復活しました。これを第3次グローバル資本主義と呼んでいいのではない かと思います。1990年から2008年の世界金融危機まで、特に1995年のドル高政 策への転換以降、世界はドル本位制、すなわちドル金融帝国システム、これは 三菱証券の幹部でありアナリストである水野和夫氏の命名ですが、の下で2000 年から2001年のITバブル破綻不況をはさみながら、長期の好景気を謳歌し、 グリーンスパン神話を生み出しました。しかし、グリーンスパン議長のFRB を軸にしたアメリカ政府主導型、金融資本主導型による世界資本主義の繁栄 は、2008年の世界金融危機でくずれ去りました。このことは、第二次世界大戦 後長らく、1945年から2008年までとして63年間続いたアメリカ覇権体制、すな わちパクス・アメリカーナの終わりに向けての始まりであると、わたしは理解 しています。 これからのグローバル資本主義をひっぱっていくのは、中国を初めとする新 興工業諸国であり、アメリカは世界の金融市場の中心を維持しながらオバマ大 統領のリードでグリーンニューデイール、すなわち1980年のレーガン大統領以 来の新自由主義に変わって新しい政府主導主義、グリーンニューディールを中 心に、産業の新しい発展をめざして巻き返しを図っていくと考えられます。し
かし経済成長は、GDPの増大は、新興工業国にはかなわず、ドル基軸通貨体 制は衰退の道をたどり、代わってユーロや新興工業国通貨が、世界貿易の媒介 通貨、各国準備通貨の地位を徐々に拡大していくと考えられます。現在でも、 すでにEUに統一通貨であるユーロが創設されてから、ドルは世界の準備通貨 の60%台に減少していましたが、ドル本位制の下でヨーロッパ地域を除いて、 特に世界金融取引部面ではドルはオンリーワン的存在であったことから考えま すと、これからの国際通貨、世界基軸通貨の変化は画期的になることが予想さ れます。といっても、一国通貨でドルに変わりうる通貨は、ユーロも含めて、 存在しませんから、IMFで使用されているSDRのような,すなわち変動為 替相場を前提に、例えばG20の20カ国の通貨価値の一定期間の加重平均値によ る想像上の通貨、一つのバスケットに複数の通貨を放り込んで成立する一つの 通貨、バスケット通貨、を創設するようになるのではないかと予想されます。 現在のIMFのSDRは、加盟185カ国の政府機関だけしか使用できませんの で、それを民間にも使用できるように拡大するという方法も考えられます。 ちなみに、ドル体制の前に19世紀後半から20世紀初頭を支配したポンド体制 は、1914年の国際金本位制停止、1930年前半の再建国際金本位制の停止を経て、 最終的に国際通貨の地位を終了したのは、1967年の固定為替相場体制の下での ポンド危機、すなわち恒常的国際収支赤字によるポンドの対ドル大幅切下げで あり、その間約50年かかっています。ドルが世界基軸通貨=国際通貨の地位を 失うのには、そこまでかからないだろうと思われます。早ければ、10年以内に 主要国通貨価値、またはG20の通貨価値の加重平均の価値を持つバスケット通 貨が、世界基軸通貨になる合意が成立する可能性は高いと思われます。 時間も迫ってきたので、後は皆さんにお配りしてあるレジメを読み上げるよ うな形になりますがご了承ください。さて現在の地球環境危機、世界的財政危 機の下で、その制約下での先進諸国、たとえばOECD加盟諸国のゼロ近辺ま たはマイナス成長と新興国・発展途上国の一定の成長を前提して、世界経済、 すなわち第3次グローバル資本主義における持続可能な経済水準=生活水準
は、両者の中間のどこかにあると考えます。すなわち、先進国はある程度現在 の生活水準を下げなければならず、具体的には個人住居面積や自動車体積の上 限の設定など、一方、新興国・途上国の生活水準の向上も同じレベルまでに限 られる。先進国の人口減少にともなうGDPの絶対額の減少、一方で、新興 国・途上国におけるGDPの絶対額の増大、結果的に、一人当たりのGDPが 平均に近似して安定し経済規模、生活水準は世界的に定常状態になる、これが これから30年あるいは50年後に予想される地球の人類の経済的姿ではないか。 とはいっても、一つの姿の推測でしかありません。 資本主義が終わるのは、世界規模で、世界のどこに投資しても利益・剰余が 生まれない状態になったときでしょう。いいかえれば、グローバル資本主義 が、全体として成長を停止し、定常状態になったときである。ところで人類 は、歴史上近似した世界を経験しています。中世です。日本で言えば、鎌倉幕 府の成立から江戸時代の終末までの約600年間。経済的には主に農業(牧畜を 含む)・漁業であり、政治的には分権社会でありました。しかし、この定常社 会は必ずしも安定社会とは言えず鎌倉幕府の成立からほぼ100年単位で南北朝 抗争時代、応仁の乱から戦国時代という混乱社会を発生させています。これら の社会混乱を引き起こした基本要因は、分権社会が、諸国家の分立によって構 成されていたことによる他国への侵略の可能性、さらに身分社会で厳しい階級 社会ゆえの硬直性が考えられます。1970年代より始まった先進工業諸国の低成 長化、21世紀の数十年後には予測可能な新興・発展途上国の低成長化、そして グローバルな定常社会化の下で、中世のような社会の混乱を防ぐにはどうすれ ばいいか。地方分権化と国境の希薄化、グローバル社会化、そして人権(民主 主義)の徹底が必要だろうと思います。 最後は,時間の制約もあって、十分に説明することが出来ませんでしたが、 これで終わらせていただきます。本日は、私の最終講義にお集まりいただきあ りがとうございました。