井伏鱒二『さざなみ軍記』の装幀世界
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(2) 十年余をかけて完成するというのは単なる技術の問題」ではなく、. 一 井伏の著作の装幀. まず、井 伏 の 著作の装幀者 につ いて、 概 観して み たい 。. 「困難な時代をひたすら「成熟」を待つことで切り抜けよう、やり 過ごそうする井伏の対現実の姿勢があらわれている」との見解を示. 涌田佑編『井伏鱒二事典』 明治書院、平. (. ). もっとも多くの装幀を手がけているのは硲伊之助である。硲は日. ・8 に収録され. あるという認識をもち、自分の境遇を諦めざるをえないという考え. 本水彩画会研究所で学び、大正三年「女の習作」で二科賞。フラン. ・. す。. に至る。このような主人公の精神的成長を書くことができたのは、. スに留学後、昭和十一年二科会を退会して一水会を創立した。三彩. ている「書誌」の範囲に限ってみる。. 作者の休筆期間のもたらした結果であるという考え方は納得できる。. 亭と号し陶芸も手がけた。井伏の著作の装幀数は十四冊にのぼり、. ). ). (. などが知られている。. ). 、『駅. 30. (. ・. ・4・. さて作品から離れて井伏鱒二その人に話を戻すと、井伏は、福山. ・. 、『漂民宇三郎』 講談社、昭. 初期から戦後まで通して担当している。昭和六年八月一日に春陽堂. ・2・. 中学校を卒業すると写生旅行にでかけ、京都に一ヶ月ほど逗留し、. 版、 昭. から 刊 行 され た『 仕 事 部屋 』を は じ めとして 『か ん ざ し』 近代出. つまり「平家某の少年」が成長することによって、自己が敗者で. 12. 31 (. 硲に匹敵するのが吉岡堅二である。吉岡は野田九浦に師事し、大. 前旅館』 新潮社、昭. 10 (. ). ・ 6・. 45. (. 、鮮やか. ). (. ・. ・. な だ い だ い 色 や 赤 が 印 象 的 な ザ ク ロを あ し ら っ た 『 海 揚 り 』 新潮 社、昭. 20. ). など 十 二 冊を か ぞ え る 。. する。坪田譲治「童心の花」 「日本評論」8月号、昭. 美術学校で洋画をまなび、二科展出品の「夜の床」で樗牛賞を受賞. ついで野間仁根の七冊で、昭和十五年頃からである。野間は東京. 10. 本 稿 は 、 以 上 の よ う な 閲 歴 を も つ 井 伏 鱒 二 の 初 刊 『 さざ な み軍. 30. ). ・8 、井. 11. 記』が初の著者自装であることに注目し、装画の意味を読み解いて いこうとするものである。. 56. --18 - 18 -. 12. 日本画家橋本関雪(3)の門をたたいたことがあった。 井伏は「京都の画壇は東京の画壇より格が上」で「京都の画壇で 橋 本 関 雪 は 抜 群 の 新 鋭 画 家 で あ る 」(「 私 の 履 歴 書 」「 日 本 経 済 新 )と 考えてい た。しかし、井伏のもと に吉 報はと. 11. 正十五年帝展に初入選する。昭和十三年新美術人協会、二十三年創. ・. 32. どかず、関雪の弟子入りは叶えられなかった。それでも絵を描くこ. ・. 20. 造美術 現創画会 をおこし、日本画の革新運動を展開した。枝にと. 聞」昭. 24. とは生涯つづき昭和三十三年(一九五八)一月から自宅ちかくの新. 12. ま っ たカ ワ セ ミ を 描 い た 『 釣 人 』 新 潮 社 、 昭. 11. 本燦根画塾に六年ほど通ったこともある。. 45. (.
(3) (. 伏鱒二「花の街」 「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」昭 ~. ・8・. ). ・7 等の新聞小説の挿絵も描いた。井伏の著作の装幀として、. された井伏の『風貌・姿勢』は、作家名と題名だけで余計なものを. いっさい省いた装幀になっている。. ( (. (. その他には、青山二郎の『ジョン萬次郎漂流記』 国立書院 文学 ・4 ・. ). 、吉田貫三郎の『一路平安』 今日の問題社、. ・5・. ). ). (. ). (. (. ). 順を追ってみていくと、青山二郎(二冊)は装幀家であり美術評. などがある。. 絵をはじめ、大正三年「酒倉」で巽画会展入選。片岡鉄兵の「行け ( ). ). 等の新聞小 説 の挿 絵、ま. ・4・. 立準備にかかわった。文壇とも交流し「文学界」の表紙や中原中也. 論家である。陶器の鑑賞にすぐれ、大正十五年日本民芸美術館の設. ~ 8・. の 『 在 り し 日の 歌 』 創 元 社 、 昭. (. ). などの装幀も手がけた。. (. 吉田貫三郎(三冊)は、昭和七年横山隆一らの新漫画派集団に参加. (. ). (. ). (. ~7・6 久生十蘭「魔都」 「新青年」昭. (. 報」昭9・1・. ・. ). ). な ど が あ る 。 鈴 木 信 太 郎 ( 二冊 ) は 黒田 清 輝、 石 井 柏 亭. 10. する。そののち挿絵に転じ、怪奇推理小説から現代小説、時代小説. や 昭 和 四 年 九月 か ら 九 年 一 月 まで ア ルス. ・. 12. 栃折久美子は三冊である。筑摩書房の編集者をへて昭和四十二年. 粋な装画になっている。川上澄生(二冊)はカナダなどを放浪後、. (. ). リュール 製本工芸 をまなび、五十六年国際製本工芸家協会からマ イスターの称号を受ける。昭和四十二年十月五日に講談社から刊行. 四年渡仏しアカデミー‐コラロッシでまなぶ。昭和二十七年武蔵野. 開化調や南蛮趣味の作品を出品した。三雲祥之助(二冊)は大正十. 中学の英語教師をつとめるかたわら木版画家として活動した。文明. かごの中に赤いオウムを描いて、形式にこだわらないがそれなりに. に師事し、風景画を得意とした。『鸚鵡』は黄色い背景で軒先の鳥. ~. 11. 恩地孝四郎は四冊を手がけている。恩地は抽象木版画の先駆者で. ・ 白 日社、 大6 ・ 2・. 装幀では、昭和十四年十月二十日に金星堂から刊行された『オロシ. 10. ブックデザイナーとして独立、四十七年ベルギー国立美術学校でル. ヤ船』がある。. 13. ). 、. 15. 、三雲祥之助の『本. 15. 昭和二十六年四月三十日に改造社から刊行された『遥拝隊長』は、 界社 、昭. ・. 15. ・9・5 、鈴木信太郎の『鸚鵡』 河出書房、昭. ・. 12. 赤と灰色でざっくりと塗りつぶされた背景に、数種類の昆虫が描か 昭. 川上澄生の『侘助』 鎌倉文庫、昭. 21. ・6・. 20. や尾崎士郎の「人生. 日休診』 文藝春秋新社、昭. 25. れており印象深い。 中川一政は三冊を装幀しているが、そのうち、昭和七年十月二十. 10. 17. 日に江川書店から刊行された『川』が有名である。中川は独学で油. 22. 17. まで幅ひろく手がけ、代表作に吉川英治「大都の春」 「時事新. 四六倍判 の『日本文学全集』の装幀を手がけた。. 15. 21. 竹 久 夢 二 と 親交 が あ っ た 。 萩 原 朔 太 郎 の 『 月 に 吠え る 』 感情 詩社. 大判. 13. る人形」 「朝日新聞」昭3・6・7~7・ 劇場」 「都新聞」昭8・3・ 30. た火野葦平の兵隊三部作、叢文閣主人の足助素一の遺稿集、改造社. 18. か ら 刊 行 さ れ た 『 北 原 白 秋 全 集 』 の 装 幀 も 手が け た 。 井 伏 の 著 作 の. 15. --19 - 19 -. 15. 10.
(4) 美 術学 校 教授 とな り、 おお く の 美 術家を そ だて た。 代表 作 に 「裸 婦」の連作がある。 (. ・. 一 冊 だ け の も のを 挙 げ る と 、 塩 出英 雄 は 『 黒い 雨 』 新潮 社、 昭 ・. ). の み だ が 、 ど く だ みを 描 い た 絵 が 印 象 深 い 。 塩 出 は 奥. 25. 実業 之日 本 社 、 昭. ). (. 二 『さざなみ軍記』 の装画の評価と解釈. 装幀というものに、究極の役割があるとすれば、一番重要な. ことは、いわゆる人の目をとめさせるということですね。. のことば. である。さらに菊地は装幀する際に重要な要素として素材、書体、. これは菊地信義 『装幀談義』筑摩書房、平2・4・. ). ). を 、 ま た 現 代 日 本画 壇. (. ~9 ・. ・5・3 を手がけた小磯良平は『井伏鱒二作 ・3・ 20. (. ~. ・. ・. をそれぞれ担当している。. ). (. ・1・. (. ). (. ). ) ・4・5 、 11. 以降三冊ほど この他文庫六冊 がある。 (. ・8 ・. 井伏の自装幀や題字は、『肩車』 野田 書房、昭 三 笠 書房、 昭. (. ってはじめての自装幀本である『さざなみ軍記』を考察する。. まず絵の評価、自装幀にいたるまでの経緯を確認したあと、装画. ( ). 前町田市立国際版画美術館館長の青木茂は、平成六年、福山市で. に関して描かれた題材と使用された色彩について述べる。. 、『さざなみ軍 記』 河出書 ・6・. 開かれた「井伏鱒二の世界」展の図録から、竹久夢二風ではあるが. ). (. 、『風俗』 モダン日本社、昭 (. ). (. 〟と サインし た少年. ・6・. の絵」『井伏鱒. i h s u b I . M. 」筑摩書房、平. 「. i h s u b I . M 6 1 9 1. 二全 集』第十四 巻 「月 報. 像を 見出して 、 次 のよう に 述べて い る. 独 自 の 色 彩を 使 っ た女 性 像 と 〝. 、それ. ). ・4・. 『静夜思』 房、 昭. 15. に『井 伏 鱒二自選全 集 』 同 前 の 題 字 が あ る 。. 15. 11. なお、井伏の題字をあしらった『肩車』『静夜思』 『 風俗』はす. 17. 福武書店、昭 20. 以下では、この素材、書体、図像、構成という観点から井伏にと. 図像、構成の四点をあげている。これらは「テキストにつくという. 15. の最高峰に位置し、かさね塗りで非常に微妙な色加減に成功した作. ・ 20. ことによって取り出」せる要素であるというのである。. ・ 10. 現 代 の 装 幀 者 と して 定 評 のあ る 菊 池信義 に は『 さざ なみ軍 記 』. 61 58 21. べて随筆集であるが、題字と装画と両方を井伏自身が手がけたのは、. ). 。. 20. 10. 『さざなみ軍記』だけである。. 10. 写したものであろうか。しかし、一九一七という年記のある数. 年はあの頃の『中学世界』などによくある岡野栄の石版口絵を. 少年像は中学五年時の作で野辺の墓に花を手向ける脚絆の少. 20. 10. 品 が特 徴 の 奥村 土 牛は 『 井 伏 鱒 二 自選 全 集 』十 三 巻 新潮 社、 昭 和. 品 集 』 五 巻 創元 社 、 昭. 16. 村 土 牛に師事 し、 院展で 活 躍し た 。ま た、 太宰 治の『 東京八 景』. 10 13. --20 - 20 -. 28. 24. 41 60.
(5) 題された作品は、足許の緑の山と遠景の青い山、その間に広が. 作としてはなかなかの才能を思わせる。とくに「郷土風景」と. 点の水彩画は、中学を出たばかりのさしたる師伝もない少年の. 用する。. て の自装本『さざなみ軍記 』」を載せて いる。その全文を以下に引. いっぽう井伏は、昭和三十九年二月九日の「読売新聞」に「はじめ. ゆく山川の構造を正確に感覚的に知らないと出来ないわざであ. 小部分の再現写生とは違って、全体として左の方向へ傾斜して. 表 紙 は 凸版 刷 り の 単 彩 画 。. 記」という。昭和十三年河出書房から出した。箱は雲母刷り、. 私 の 著 書で 著 者 自 装 のも の が 一 冊 あ る。 題 は 「 さざ な み軍. る黄色の畠をひとつの世界としてしっかり捉えている。これは. る。知っていても天成の手が動かないとできないわざである。. このように青木は井伏少年の絵をみて「中学を出たばかりのさし. とは覚えている。毛筆画に単彩を施すため、チューブ入りの水. い。しかし表紙の装画を描く前に、風俗史や参考書を調べたこ. --21 - 21 -. この本を出すについて、なぜ自分で装丁したか理由は覚えな. たる師伝もない少年の作としてはなかなかの才能」を感じている。. 彩 絵 の 具 を 買 い に 行 っ た こ と も覚 え て い る 。. 装画は源平時代における狩り場または陣営の外景である。い. 井伏の絵の素養の豊かさが伝わってこよう。 『さざなみ軍記』の装画については、上林暁が「多甚古村」を収 ・. ま、その本を取り出してみると、表紙から裏表紙にかけて板屋 ・. )の「後. める『井伏鱒二選集』第五巻(筑摩書房、昭. 根 の 仮 小 屋 が 何 軒 か V 字 型 に 並 び 、 右 手 に も 左 手に も 高 い 山 が. っかい山」と記し、その山の斜面のところに「一の谷」と記し. 記」で次のように述べている。. 「さざなみ軍記」の初版は、昭和十三年四月、河出書房から出. てある。その方面から二頭のシカが逃げ出して仮小屋の裏手へ. ある。絵として何派に属するか知らないが、右手の山には「て. てゐる。この本の表紙は、井伏氏の自装に成り、一の谷、鉄拐. かつた。それで源氏方のもので間に合わした。. 私の持っていた参考書では、平家方の家紋を知ることができな. 家の仮陣屋のつもりだが、定紋は当時の源氏方の家紋である。. 向けて走っている。仮小屋にはみんな幔幕を張りめぐらして、. 上 林 が 述 べ る と お り 『 さ ざ な み 軍 記 』 の 装 画 は 風 景 画 で あ る。. 興味が深い。. 山などの峯々を後景に、福原の陣屋を描き、二匹の黒い鹿が陣. 15. それぞれ大きく定紋を染めてある。これは一の谷に陣営する平. 12. 屋に駆け込むのをあしらつてゐる。井伏氏の絵心を示してゐて、. 23.
(6) いま思い出したが、もう一冊「肩車」という随筆集も私の自 装本で ある。. 冒頭にも述べたように、井伏は二十代の頃、画家をこころざし、. 面性 がう かがえ る 。. その表紙のシカは小さいが、はっきりした黒で非常に目立つ。で. はなぜシカが登場する場面を選び装画にしたのだろうか。作中にシ. どこすため、チューブ入りの水彩絵の具を買いに行ったことも覚え. に、 風俗 史や 参 考 書を 調 べ たこ と は 覚えて い る。 毛 筆 画に単 彩 を ほ. えない」という本人の談を 尊重するとして 、「表紙の装画を描く前. ぶるひした。それを私たちの徒卒たちが生捕にしようとして追. その仔鹿は壕から這ひあがり、掘り返された土の上に立つて身. ちの仔鹿は一頭、崖を滑り降りて壕のなかに落ちた。間もなく. 崖の上には数頭の鹿が山から逃げ出して来てゐたが、そのう. カが 登場するのは、本文中の二月七日の条である。. ている。」とその過程を明確に覚えているのは、描画自体に強く惹. ひかけると、仔鹿は夢野の陣所の方角に逃げ去つた。. 京都の橋本関雪の門をたたいたことがあった。自装した理由は「覚. かれていること示すものにほかならない。. えがき、赤で着色した単彩画である。扉も同じ手法で、竹を編んで. 小屋の裏手へ向けて走っている」というものである。灰色で輪郭を. 「一の谷」とかいてあり、そちらから「二頭のシカが逃げ出して仮. 字型に並び、左手にも右手にも高い山」がある。右手の山の斜面に. たは陣営の外景」で 、「表紙から裏表 紙にかけて仮小屋が何軒かV. い。. 画に描いたのであろうか。シカとはどのような動物かを考えてみた. 面を表紙にしたとは考えにくい。だとすれば、なぜシカを表紙の装. 生捕にしようとおいかける徒卒たちは見当たらない。やはりこの場. 「二匹の黒い鹿が陣屋に駆け込む」と評した装画とが合致するが、. 「仔鹿は夢野の陣屋 の方角に逃げ去っ た」という記 述と、上林が. 装画は、井伏の言葉を借りていえば「源平時代における狩り場ま. つくった扉をつけた外を透かし見ることができる簾戸門が描かれて. て、井伏自身は「二頭のシカが逃げ出して仮小屋の裏手へ向けて走. 上林は「二匹の黒い鹿が陣屋に駆け込む」と読みとったのに対し. 認してみよう 。『平家物語』はいうまでもな く軍 記物語で、作者は. シカについて 、「さざなみ軍記」の典拠である『平家物語』で 確. のように神社の境内で飼われている。霊力のあるシカを神鹿という。. 古来よりシカは神の使者と考えられており、奈良の春日大社の鹿. っている」と解説している。見ようと思えばどちらのようにも見え. 信濃前司行長はじめ諸説あるが未詳である。平清盛を中心とする平. い る。. る。それぞれ見方の違う解釈をもたらしている点に、この装画の多. --22 - 22 -.
(7) カとのかかわりから、とくに平氏と源氏の信仰に注目したい。. 家一 門の興亡に即して 歴史 の激 動を とらえ て い る作品であ るが、シ. 願文は表紙に金銀泥のススキ、見返しに草をはむ鹿が描かれている。. その美しさは装飾経の最高傑作と評される。この清盛直筆とされる. 厳島明神を信仰していた。その経緯は、清盛が高野山の奥の院で弘. れている。このことから、慶長期には厳島と鹿が関連付けられてい. 琳派の作風の基礎をつくった俵屋宗達が描きくわえたものと伝えら. だが、これらの絵は慶長七年(一六〇二)におこなわれた修復の際、. 法大師の化身にあい、胎蔵界の垂迹たる厳島が荒れ果てていること. たことがわかり、ひとまず、平氏‐厳島神社‐シカの連関がなりた. 平氏の信仰を象徴する『平家納経』で有名なように、平氏一門は. をなげかれたことから始まる。清盛は社殿を造替し、修理が終った. つものとすることができる。. 社は源氏の氏社である。 『平家物語研究事典』(明治書院、昭. ・3. 先に春日大社の神鹿に触れたが、さらに詳しくみていくと春日大. 通夜の夢に宝殿のうちから鬢を 結った天童 が出現、「大明神の御使 也 。 汝こ の剣を も って 一天 四海 を し ず め、 朝 家 の御 まぼ り た る べ し。」と銀の蛭巻の小長刀を さずけられ、悪行あれば子孫は繁栄し. )において徳江元正は『源平盛衰記』に「昔称徳天皇御宇、神. た。治承三年(一一七九)二月には同社をもって二十三社にくわえ、. つかったことは事実で、しだいに平氏の氏社的な性格を強めていっ. 此の大和の国三笠山の本宮に垂迹し給 」(二十五・春日垂跡事)う. に五色の雲靡き、雲の上に五所の神鏡と顕て、常陸国鹿島郡より、. 護慶雲二年戊申に、白き鹿に鞍を置き、鞍の上に榊をのせ、榊の上. ・. 同年三月には清盛が厳島の舞妓を西八条邸に召して、法皇が御幸に. たとあることを指摘している。. 春日大社には藤原氏公卿ばかりではなく、一条帝の永祚元年(九. 八九)三月以来皇族の行幸・御幸もしばしばあり、天皇譲位後の諸. 社御幸はじめには、八幡・賀茂・春日がえらばれたという。以上か. 盛の奉納願文をくわえた三十三巻で構成される。各巻とも金銀の砂. 朗党にいたるまで男性のみ三十二人を集結し、製作されたもので清. 五所の神鏡があらわれ、茨城県の鹿島から奈良県の三笠山の本宮に. 記』にみる白い鹿の鞍のうえに榊をのせると五色の雲がたなびき、. 『平家納経』の意匠からうかがえ る平氏とシカの連関 、『源平盛衰. ら源氏‐春日大社‐シカというつながりがあったことが認められる。. 子・野毛・切箔をちらした表紙や、水晶・銅をもちいて五輪塔など. 垂迹したという由来のある春日大社および源氏とシカのつながり、. 国宝『平家納経』は、長寛二年(一一六四)、平清盛以下一門・. 『平家納経』を見てみる。. 以上が厳島明神と平氏の関係である。次に厳島神社に奉納された. だ い に 大き くな っ て い っ た 。. なるなど同社の存在は清盛の権力増大とともに、中央においてもし. ないであろうとのおつげがあった。清盛のみならず一門の信仰もあ. 53. をかたどった軸首など、当時の工芸技術のかぎりをつくしており、. --23 - 23 -. 25.
(8) こ れ ら か ら 見え る シ カ の イ メ ー ジ は 、 高 貴 で あ り な が ら ど こ か 身 近. 激しく攻撃的な感情を象徴する色とされている。また、生命をつか. は、情熱や怒り、力、革命などを連想させるといわれ、その多くは. さどる「血」の色でもあり、生命を象徴すると同時に、死の苦しみ. な神の使いのすがたである。 次は色彩に注目して、シカが黒で描かれた理由を検討してみたい。. や恐怖を意味するともいわれている。. は薄いので攻撃性は感じられず、むしろ、はかない印象をあたえる。. このようなイメージのある赤であるが、表紙や扉に使用された赤. 黒は、恐怖心をつのらせる、光のない暗闇の色として、古今東西 をとわず不吉・絶望・罪など忌むべき事象を象徴するとされてきた。 その最たるものが「死」のイメージであった。. 井伏は装画にシカを描いた。このシカは神鹿として厳島神社‐平. 絵として見たときに、その色によって全体をひきしめるものである。. 人公のモデルと想定される平知章は一の谷で死んでいるが、井伏は. 赤が暗示しているのである。また赤は、平家の旗の色でもある。主. 合戦による血の生々しさよりも、それを回避していくようすを薄い. 「さざなみ軍記」の軍記とは名ばかりで、内容は逃げていく記録だ。. 氏、春日大社‐源氏というように、平氏とも源氏とも関係づけられ. 彼を生きているものとして書きすすめていくので、その設定を尊重. 黒いシカは、戦の恐怖や死を連想させるとともに、表紙を一枚の. る。帝位や政権などを得ようとして争うという意味の慣用句に「鹿. では、扉の簾戸門にはどのような意味があるのか。簾戸門は開け. すれば生きつづけていく「命」として感じることもできよう。. る黒で描かれていることもあり、平氏の誰か、もしくは滅亡してい. はなたれている。門は、いま存在している世界と別世界との境であ. を逐う」という表現があるが、逃げていくシカは、死をイメージす. く平氏一門の運命を象徴化したものではないかと考えられるのであ. る。この門は主人公たちの逃亡のスタート地点であると同時にまた、. 初刊『さざなみ軍記』 の装幀. 装幀画・ 題字井伏鱒二。作品は、「自序」と「さざなみ軍 記」のみ. された。定価、壱円参拾銭。B6判、二二八ページ、函入である。. 『さざなみ軍記』は昭和十三年四月二十一日、河出書房より刊行. 三. 読者にむけた物語世界の入口を表象しているともいえる。. る。 さらに、表紙は赤と灰色と黒、扉は赤と灰色が用いられている。 赤は、山や仮小屋の屋根など全体にわたって塗られているが、モノ ク ロ コ ピ ー を と る と 白 く な っ て し まう ほ ど 薄 い 。 灰 色 の線 は 、 息 の ながい肥痩線である。黒いシカがぼんやりした空気を引きしめてい る。扉の簾戸門は、赤の濃淡により立体感があたえられている。井 伏は 赤で 何を 表現 し よ う と し た の か 。 『色のイメージ事典 』(同朋舎出版、平3・4・2)によれば赤. --24 - 24 -.
(9) ここで河出書房のあゆみについて確認したい。この出版社は、現. の刊行を開始し、昭和初期を代表する文芸作品を、世に送り出して. さらに後年、河出書房のお家芸となる「書き下ろし長編小説叢書」. っぽうで、岩波文庫のむこうを張る「名著研究文庫」も刊行した。. 在名称を変え河出書房新社となっている。河出書房の前身は、明治 いった。. を 収 める 。. 十九年 一八八六 の春、河出静一郎によって、日本橋材木町に店開. 心であった。井伏が明治三十一年 一八九八 の生まれであるから、. きした成美堂であった。当初は数学、理学、地理学などの出版が中. な現実と人間の理想との間のポケットを埋める文化的役割」を果た. ある。雑誌「知性」と同年に刊行された『さざなみ軍記』は「異常. 以上が『さざなみ軍記』が出版されるまでの河出書房のあゆみで. ). 当時としては名の知れた出版社であったことであろう。この成美堂. すこ ともでき ただろ う 。. (. が、店主の姓に改められるのは昭和八年 一九三三 だった。社名変. ともに、文芸書路線に方向を転換したのである。文芸書は出版をこ. のある考えによるものであった。彼は成美堂を河出書房にかえると. 更には、創業者の長女静の婿となって、二代目を継承した河出孝雄. 寧に書くのではなく、絵筆で一息に書いたような字である。しかし、. ある字である。書道でつかう筆のように毛先をそろえて一画一画丁. 背表 紙 の 題字と 著 者 名 の書 体は 、 必 ずし も 達 筆で は な い が 味 わい の. つづいて、装幀の重要な要素のひとつである書体をみてみたい。. ). ころざす者の渇望する分野であった。しかし、文学書は実理書にく. よく見ると「ざ」の三画目や「な」の四画目は太さが不自然で、一. ). らべて売れ行きの計算はたてがたく、もっとも難しいとされていた。. 度書いたも のを 上からなぞったようにも 思える。「ざ」の三画目は. (. そこで河出孝雄は作家の豊島與志雄に相談し、まず『バルザック全. 短かったも のを 書き たすことで 長くし、「な」はつぶれてしまった. (. 集』全十六巻を刊行した。つづいてモー・パッサン、メリメ、ボー. 四画目に丸味をもたせている。. が鋭い。また、「伏」の「犬」の左はらい、右はらいもすっきりし. 文字一つひとつは丸いのだが、「記」の「己」は筆の入りやはね. ドレール、スタンダールとフランス文学の邦訳決定版を出し、米川 正夫のひとり訳による『ドストエフスキー全集』を刊行することに よって〝文芸書河出〟の基礎を固めたのである。 (. ). に、文化雑誌「知性」を創刊した。日中戦争に入っていた非常時体. るべきものはしっかりと見ていて、全体のバランスを考える」とい. このように字を見ていると、井伏は「おおらかでありながら、見. ている。. 制に「異常な現実と人間の理想との間のポケットを埋める文化的役. う性格だったのではないかと思われてくる。. 昭和十三年 一九三八 、豊島與志雄、三木清、中島健蔵らを顧問. 割を果たしたい」という二代目河出孝雄の考えからだった。そのい. --25 - 25 -.
(10) もういちど全体を見直してみると、この装画の構成の特徴として、 表 題 、 著 者 名 共 に 背 表 紙 に し か な い と いう こ と に 気 が つ く 。 つ ま り 、. ンの一部といったほうが適切ではないか。. (. 表 紙だけ 見て い て は 誰 の 何と い う 本 か わ か ら ない ので あ る. 者 が 手 に と っ て 物 語 の 中 へ 入 っ て い く た め の 仕 掛 け で あ る と い って. すのは、表紙を単なる風景画で終わらせないための工夫であり、読. すなわち『さざなみ軍記』の装画に地名や登場人物の名前をしる. 『さざなみ軍記』は函入りだが、ここでは函を取った状態を想定し よい。. 初刊. て い る 。 た い が い 表 題 や 著 者 名 は 表 紙 に 堂 々 と あ る べ き も ので あ. 次は、料紙に焦点を移してみたい。. ). る。それが図像のみというのは、たいへん人目につきやすい。読者. 井伏が本や装幀について述べた文章は必ずしも多くはないがその. な か に 、「 紙 や 表 紙 の こ と 」(「 本 」 2 号 、 江 川 書 房 、 昭 8 ・ 6 ・. の関心を集め、手に取ってもらうための工夫である。 もうひとつ特徴をあげるなら、題字等はなくても、陣屋の周囲や. )や「理想の造本 」 (「本」3号、昭8・9・4)がある。これら. 名で、表には画面奥から 「泉寺 のかくたん」「みやち の小たろ う」. き、重要であるため、まず「紙や表紙のこと」の全文を左に引用し. は、井伏が本や装幀についてどのように考えていたか知ることがで. 山の横にうすく小さく文字が書いてあることである。字体は変体仮. 「丹 のすえなり」とあり、裏には「てつかい山」「一の谷」と書い. たい。. 大きな百科大辞典を売つてやらうと小脇に抱へた人があるだら. ゐる。その日の電車賃にもこと欠いたとき、惜しくてならない. つたこともある。重量といふものは本来から品物には備はつて. れても、じつくりとしたその重みで気持ちが助かりさうだと思. たとき、たとへば私は空気銃の散弾をひとにぎりポケットに入. 感じにどことなく潤ほひがない。しばしば心持ちが空虚になつ. 悪で張子細工の玩具かと思はれるほど軽く、手に持つたときの. 重みのあるのがいい。聖書なども教会でくれるものは紙質も粗. 私の好みからいへば、書物はツカや判の大きさにしたがつて. てある。表の三つは登場人物の名前で、それぞれ泉寺の覚丹、宮地 小太郎、丹の季成である。泉寺の覚丹は僧兵時代から大薙刀を愛用 し、「寿永記」を 書いている。宮地小太郎は因島を領有していた土 着の豪族である。丹の季成は、崖の上の松にとまった鷲を一矢で射 とめることができる強弓である。主人公を支える彼らの名前を表紙 に書いたのは人物紹介 のようである。こ のように山や仮小屋、シカ を描いたものに文字をくわえたのは、絵を見ている読者にむけて、 井伏がどのような話を書き、何を描いたのか説明するためではない だろうかと考えられるが、しかし、その文字は、特に表の仮小屋の ちかくに書かれている文字は、誰もが一目みて判読できるものでは なく、説明の意味をなしているとは言いがたい。むしろ装幀デザイ. --26 - 26 -. 30.
(11) う?. 一貫目もあらうと思はれるこの書物の重みは、必ず私た. ところ を ルネ ツサン ス 時 代 の 様 式で 古風 に加工して あ る。. つので私は気にくはない。よほど上手に考案して、調和のある. はどうしても親しめない。アートは、恰も三等光線の光沢を放. 毛ば立つて手を触れるとむづ痒いやうに感じられる手ざはりに. の作品を印刷するにはおかまひなしである。けれどコツトンの、. は八十年もたてば綿に変化するといふので、出来の悪い私たち. はないが、アートとコツトン紙だけは特に好まない。コツトン. たいてい私はどういふ紙質の紙でもこれで十分だと思ふこと. 心酔してゐるせゐである。私は佐々木氏の翻訳に驚嘆してゐる。. な勝手な好みを言ふのは佐々木直次郎(6)氏のポオの翻訳に. 列に緊密性があるとは思はれない。けれど私がこの書物にこん. は日本紙であつた。この対照といふか調和といふか、二つの配. のがつちりした好みを感じた。しかし中味の紙質は素人の目に. 思ひだしたりするかもしれない。私はエドガア・アラン・ポオ. 生活を思ひ出したり、ベルトをとりかへたときの工場の内幕を. ゾチツクな感懐をそそる。人によつては、その革の匂ひで軍隊. そして表紙や背に用ひてある革の匂ひは、すくなからずエキ. 装幀を持つて来なくては失敗であらう。手に持つたときの重み. 英 文 学 者 や語 学者 たち にも 見せてや り たい 。. ちに絶望するなと耳うちしてくれる。. といふ点においては、アートも相当なもののやうだが、アート. 質に抵触しない風貌を出してゐるものでなくては調和しない。. の日本紙か、それとも堅い表紙にすれば装幀によつて中味の紙. を持つて来るのは不調和である。表紙はやはり中味と同じ系統. どは別としても、乾燥した薄い日本紙に外国製の厚い紙の表紙. このごろ日本紙を使用する好みが採用されてゐるが、局紙な. 故、私はこれまで刊行した自分の極くすくない書物についても、. ん装幀者に依頼したが最後、運命に任すよりほかはない。それ. てゐたつもりでも、おかしな書物が出来上ることもある。一た. 7 ことがあるので経験で知つてゐるが、幾ら石版屋を監督し. ことがある。十年前、私は或る有名でない出版所に勤めてゐた. 計画しないのに案外にもすてきな出来栄えの書物が出来あがる. 書物の出来栄えは、決して経常費に支配されるものではない。. あくまでも表紙を頑丈にして人目につきやすいやうにするつも. 出来 の 悪 い の は運 命と あき ら め ること にして ゐ る 。誤植 が な く. の重みはぎすぎすしてゐて不自然な感じである。. りならば、派手な絵を描いた帙に入れたらどうであらう。 こ のごろ最 も 感心して読 んだポオ の 「小 説全集 」(4)も、. 「仕事部屋」といふ短篇集を出したときにも、風変りな目次の. て奥附がついてゐれば、購買者に迷惑はかからないのである。. ). その装幀と中味の紙質との調和が私にはのみ込めない。装幀の. 組み かたや小 さい扉 の体験など 、私の へたく そな発案にな るも. (. 工合ひは、デカメロンの初版本(5)とでもいふやうに背革の. --27 - 27 -.
(12) のだらうといつて或る尊敬してゐる先輩に筆誅を加へられた. 鉱物性の白色顔料と接着剤をまぜた塗料をぬり、光沢機にかけて滑. ). 8 こ と があ る。 それ は私の 発 案で はなくて、 私 は そ の校 正さ. らかで緻密な紙面にした洋紙。再現性がよく写真版印刷などにひろ. (. へも見なかつたのである。そして書物が出来上つてからも、私 く 用いる 。. 「アート」とは、アート紙のことをいい、印刷用紙の一種である。. はあまり見ないやうにつとめてゐる。どちらにしても失敗した. 多く書籍に用いる。以前は木綿や木材を原料としたが、現在は化学. いっぽう「コットン紙」とは、軽くてかさのある表面のあらい紙。. けれど装幀には、これまでのところ私は運がいい。硲伊之助. パルプなどによって作るという。井伏は大正十三年十一月から十五. 作品は、もう二度と取りかへしがつかないのである。. 氏には大胆に明るい絵の装幀(9)をつくつてもらつたし、中. 紙については詳しかったのである。. 年五月まで聚芳閣という出版社に断続して勤めていたこともあり、. ) さ うだ が、 ど う いふ 事. )を描いてもらつた。最近. 川一政氏には含蓄のある牛の絵( 硲伊之助氏は、春陽会を脱退した(. また、「理想の造本」(「本」3号、昭8・9・4)では次のよう に述べている。. 普通の大きさの判で普通の活字で、誰が見てもこれは普通だ. ・. と思ふやうな本が私の好みであります。しかし純粋に普通な本. は、なかなか見つかりません。. 「2. さら に、「装幀について の諸家意向 」(「書窓」2巻1号、昭. 御著の装本について の色の御好み 」、. 既. --28 - 28 -. 情か私は気がかりである。新聞に出てゐるだけのところでは硲 氏の方に私は肩を持つ。 余計なことを言つて恐縮である。. 井伏は、書物は製本したときの本の厚みや判の大きさにしたがっ て重みのあるものを好む。料紙はアートとコットン紙は手触りや重 みが不自然に感じるため好まない。表紙は中味と同じ系統の日本紙 か、かたい表紙にしたうえで装幀によって中味の紙質にさしさわら. ) で 「1. 刊 御 自 著 中 、 装 幀 の お 気 に 入 っ た 本 」 と い う 設 問 に た い し て、. ・. ている。また井伏は料紙について「たいてい私はどういふ紙質の紙. 当時の井伏は、昭和二年に「歪なる図案」を「不同調」に発表し. 「1」について は「特に好きな色はありません 。」とし たうえで、. トン紙」について補足したい。. でもこれで十分だと思ふことはないが、アートとコツトン紙だけは. ない風貌のものがよい。そして装幀と中味の紙質との調和を重視し. 10. 「2」については回答していない。. 10. 10. 特に好ま ない。」と強調して 述べて いる。こ の「アート」と「コツ. 10. 11.
(13) ものではなかったはずである。そう考えれば、自著のなかで装幀の. も一様に統一されていたので、かならずしも井伏の趣味嗜好にあう. ているものの、これは《新興芸術派叢書》の内の一冊であり、装画. なかった。昭和五年四月、新潮社から『夜ふけと梅の花』を刊行し. いった時期で、井伏鱒二の名前で単行本を出すまでにはいたってい. て原稿料をもらったのを皮切りに、小説を発表する機会を増やして. のだったのだろう。. わらかい質感の中質紙は、表紙の図像、内容にもっとも調和するも. 識したうえで、用紙にも心を配っていたのである。和紙のようなや. 材をとった歴史小説であるから、井伏は日本の歴史や文化を十分意. もっていたことがうかがえ る。『さざなみ軍 記』は『平家物語』に. るもので なくて は調和しない 。」との言葉からも、紙にこだわりを. 表紙にすれば装幀によつて中味の紙質に抵触しない風貌を出してゐ. 昭和十三年刊行の他作家の刊本との比較. さて昭和十三年の刊本の特徴について 、『さざなみ軍 記』 が刊行. 四. 気に入った本がないというのも仕方のないことであろう。そのぶん、 『さざなみ軍記』の装幀にかける思いも並々ではなかったにちがい ない。. 子大学光葉博物館館長)にうかがったところ、中質紙であることが. された四月の他作家の刊本、河出書房の刊本、外地定価の付いた刊. ・4・. )、山本有三『戦争. ) 、阿部知二『北京』(第一書房、昭. ・ 4・. 本紙を使用する好みが採用されてゐるが、局紙などは別としても、. 要するに井伏は先に引用した「紙や表紙のこと」で「このごろ日. あるのに対し 、『戦争と二人の婦人』は現在 の書店で付けられるブ. 画で 中国らしい色遣いで ある。『春園』は紺地に菊花模様の布装で. たかも翻訳小 説のような装幀であり 、『北京』は黄色の紙に赤い線. --29 - 29 -. 料紙については、和紙研究の専門家である増田勝彦氏(前昭和女. 判明した。中質紙は、悪質パルプを少しふくみ、わざと光沢をつけ. 本、刊本の装画の有無という視点から見てみよう。. ・4・. )、横光利一『 春園 』(創元社、昭. 田書 房、 昭. 『さざなみ軍 記』が刊行された四月には堀辰雄『風立ちぬ 』(野. ず、和紙のようなやわらかい感じにするといった特徴がある。中質 ・1・7)によると「砕. % 未 満 の 印 刷用 紙 C 、 グ ラ ビ ア 用 紙 な ど の 総 称 」. %以内、残りは化学パルプの印刷用紙B、化学. 紙は、『印刷事典』(印刷学会出版部、平. %以上. 木パルプ(GP) パ ルプ. ) など が 刊行 され た。そ. 乾燥した薄い日本紙に外国製の厚い紙の表紙を持つて来るのは不調. 30. ックカバーのように灰色の紙で巻かれただけの簡易な装幀である。. ・ 4・. 13 と二人の婦人』(岩波書店、昭. 25. 10. という。また、増田氏は本の印象として「昭和十三年ならば、もっ. 13. 13. 14. れぞれの刊本の特 徴をあげ ると 、『風立ちぬ』は見切りがあってあ. 20. 30. と良い質で出来ただろうに。」とおっしゃっていた。. 70. 和である。表紙はやはり中味と同じ系統の日本紙か、それとも堅い. 13. 40.
(14) 『白い朝』(七月 )、室生犀星『作家の手記 』(九月)などが刊行さ. と こ ろ で 、 河 出 書 房 か ら は 『 さ ざ な み軍 記 』 以 外 に 豊 島 與 志 雄. の『枯菊抄』(七月二十五日)の二冊の装幀は、いずれも装画は無. ら刊行された真船豊の『遁 走譜』(五月二十五日)と久保田万太郎. によって装幀に用いられる素材が変化した例もみられる。双雅房か. らの刊本は装画の代わりに出版社のロゴが付いている場合が多い。. れた。豊島の『白い朝』の装幀は猪子斗示夫が手がけ、白とグリー. く、題名と著者名が背表紙にあり、裏表紙に双雅房の「雅」が篆書. したがって『さざなみ軍記』が井伏の自装幀であるから、四月の刊. ンによるさわやかで題名にふさわしい装画である。犀星の『作家の. 体で型押しされたロゴがある。異なっているのは、装幀の素材が真. また同じ出版社から刊行され装幀デザインも同一であるが、刊行月. 手記』は山﨑斌の装幀で、畦地梅太郎によって刻まれた題字が力強. 船豊の『遁走譜』が布であるのに対し、久保田万太郎の『枯菊抄』. 本の装幀は個性派ぞろいといえよう。. い印象をあたえている。このように河出書房の刊行物は、作品のも. が紙であるという点である。二冊とも双雅房から刊行され同じデザ. 装幀・大月源二) 、火野葦平『麦と兵隊』(改造社、昭. いっぽう、装画がある刊本は、久保栄『火山灰地 』(新潮社、昭. 素材が布から紙へと変化している。. インの装幀でありながら、五月から七月という二ヶ月の間に装幀の. つ世界観を見事に表現した装幀になっている。. (. ). (. ). (. ). (. ). 20. うな装画のある刊本という二種類が並存しているということである。. 河出書房からは「異常な現実と人間の理想との間のポケットを埋. --30 - 30 -. 「さざなみ軍記」が作品として完成をみた昭和十三年という年に は、戦争のため、刊行物には定価の他に外地定価も併記するものが 見 受 け ら れ るよ う に な っ た 。 『さざなみ軍記』は一円四十銭であり、. ・7・4. 装幀・中川一政)が挙げられる。久保栄『火山灰地』. の装画は、木を担いで鼻の下口元までマントを被った男の上半身が. ・9・. 藤整『石を投げる女』 一円五十四銭 である。外地定価は定価にお. 描かれて いる。ま た、井伏の『川』も 手がけた中川 は 、火野葦平. よそ. )、久保. が確認できる。つまり、いわゆる「お国のために」質素倹約を主と ・ 2・ 13. )、真船豊『遁走譜』(双雅房、昭. ・5・. 装画の有無で区別すると、装画がない刊本は、石川達三『あんど. 装画の有無を比較してみると、日中戦争下の出版界に起きた現象. 『麦と兵隊』に煙草の火を分け合う二人の兵士を描いている。. %上乗せした金額である。当時日本の進出していた満州、朝. 19. そ の他 に 、 たと え ば阿部 知 二『 北京 』 一円三十二銭 、横光 利一 『春園』 二円二十銭 、豊島與志雄『白い朝』 一円六十五銭 、伊. 13 13. し、装画を無くした極めて簡素な装幀の刊本と、国民を鼓舞するよ. ・3 ・. )が 挙 げ られる。こ れ. 25. れの母』(版画荘、昭 昭. ・ 7・. 25. 20. 田万太郎『枯菊抄 』(双雅房、昭. 13. 13. )、林芙美子『氷河』(竹村書房、. ある。. 鮮、台湾、樺太などの外地の邦人がこれらの作品を読んでいたので. 10 13.
(15) める文化的役割」を果たすような豊島與志雄『白い朝』などが刊行. 二〇〇三年六月、静岡の特殊製紙総合研究所. で「. K O O B. G I S E D. 3 0 0 2. 出版・装丁・紙の今をみつめる」という展覧会がひ. m a P. された。しかし戦時下の影響で阿部知二『北京』など定価と外地定. N. W O N. K O O B. N G I S E D. W O N. 3 0 0 2. イラストレーターや挿画家をふくむ一五三人の作家による二〇〇〇. 』には、. ただし四月の刊本は、著者自装の『さざなみ軍記』はじめ、堀辰. 年以降に創作された近作から一冊ずつ、カラー写真、コメント、略. ら か れ た 。こ の作 品 展 の図 録『. 雄『風立ちぬ』の翻訳小説のような装幀や、横光利一『春園』の布. 歴がおさめられて いる。前田は「「作家」自 身が 装丁/ブックデザ. 価を併記した奥付のある刊本が少なくない。. 装といった個性的な装幀が多い。すなわち『さざなみ軍記』は外地. )を参考にして昭和期に限っても〈さざなみ軍記〉を. 号、 平. ・9・1所収) 15. 考察の参考にしていく。. る際のひとつの基準になると考え、以下の『さざなみ軍記』諸本の. こ の 前 田 に よ る 作 家 の 造 本 に 対 す る「 思 い 」 の 分 類 は 、 装 幀 を み. 告白」であるとした。. 出したいが逃げられない共同作業者との人間環境への悩みの素直な. くりの現場のさまざまな対立」から生じる「鬱屈した思いは、逃げ. 第三は 、 「著者や編集者への鬱屈した(?)思い」とした。「本づ. のを「〝カバーは顔だ、ポスター派〟」と名付けた。. だいだという考え」であり「どちらかといえば自信を持って」いる. 第二は、「読者が手にとるとらないを 決めるのも本の外まわりし. う考え」で「〝遠慮深い第二ヴァイオリン派〟」と名付けた。. たデザイナーは著者に対して、それぞれ〝控えめ〟であるべきとい. 第一は、「デザインはテクスト(本文、タイトル)に対して 、ま. メントを三つに分類した。. インをどう捉えているか」という観点から、この本に収められたコ. )た. 定価も示すことで外地の邦人に配置するものの、装画は、作品中で 主人公が戦地にいながら絶えず脱走することを望んでいる(. ・5・. 本節では、昭和十年代から昭和六十年代に刊行された『さざなみ 軍記』の諸版について、当時の出版状況をふまえながらその装幀の 様態を 考 察して み る 。. 巻. 装幀を考えるにあたって、前田年昭が「装丁/ブックデザイン/ 書物はだれのものか」 (「ユリイカ」. 12. で考案されている分類法を用いてみたい。. 35. --31 - 31 -. めに、国民を鼓舞するような装画ではない。. 五 『さざなみ軍記』 刊本の歴史 昭和十三年に単行本として出版されたのちにも『さざなみ軍記』. 12. の刊行はつづき 、永田龍太郎編『井伏鱒二文学書誌 』(永田書房、 昭 30. タイトルにした書籍は初刊をふくめても七冊ある。. 60.
(16) 1.昭和十六年刊『さざなみ軍記. 附ジョン萬次郎漂流記』. 昭和十六年、紙が割当制になり出版の生命をおびやかされた大新. は、この生命力あふれる植物画に圧倒されたにちがいない。. ト執筆者の原稿争奪に奔命せざるを得なかった。発行部数のアップ. 界は用紙の値上がりと、購買力の低下で不況感は強かった。その危. 朝鮮戦争の影響で、日本の経済は特需景気に湧いていたが、出版. 2.昭和二十六年刊『集金旅行・さざなみ軍記』. は可能となったが、読者は官製原稿でうめられた雑誌や出版物には. 機を脱するために考えられたのは、版型を小さくした廉価本で読者. 聞社や大手出版社は、生き延びるために競って現役軍人やファシス. 手を出さなかった。そのなかで吉川英治の『新書太閤記』は、中国. の購買意欲をそそる文庫本の刊行だった。. 価、七〇円。文庫判、一九四ページである。収録作品は、「集金旅. ら刊行された。文庫本に収められるのは、これが初めてである。定. 『集金旅行・さざなみ軍記』は昭和二十六年十月一日、創元社か. 大陸から南方へと戦争が拡大されていく時代に、朝鮮半島から支那. 附ジョン萬次郎漂流記』は昭和十六年一月二十. 大陸への侵略を夢見た秀吉の生涯が重ね合わされて、ベストセラー となった。 『さざなみ軍記. ページ、函入である。装画として表紙全体に花や植物の絵が描かれ. ンプルな意匠である。分類すれば第一の控えめな「〝遠慮深い第二. 装幀は、当然ではあるが、どの作家のどの作品にも合うようなシ. 行」「さざなみ軍記」 、臼井 吉 見 に よ る 解 説 が ついて い る 。. ているが、誰が描いたのか不明である。収録作品は、タイトルにあ. ヴァイオリン派〟」である。ほかの創元文庫の装幀も確認したとこ. 日、河出書房から刊行された。定価、一円八拾銭。B6判、二六八. る よ う に 「 さ ざ な み 軍 記 」「 ジ ョ ン 萬 次 郎 漂 流 記 」 で あ る 。 初 刊. ろ、表紙上部の帯のようなデザインが似ており、表題、著者名の配. 「さざなみ軍記」が文庫本に収められるということは、当然なが. 『さざなみ軍記』が刊行されてから、わずか三年であらたに刊行さ. していることから井伏の読者の確実な増加が推測できる。ちなみに. ら、広い読者への普及を意味する。しかし昭和二十六年から七年に. 置も大方同じである。シリーズ共通のデザインである。. 三年で再録刊行されるというのは井伏の刊本においてはもっとも短. かけて一般教養むけの文庫が約三十種、児童、学生、専門、全集の. れて い る 点、ま た、直木賞 受賞作品 「ジョン 萬次 郎漂 流記 」を 収録. いスパンである。源平合戦を描いた「さざなみ軍記」は戦争という. 文 庫 も ほ ぼ 同 数 と 、 総 計 六 十 種 あ まり の 文 庫 が 輩 出 し た 背 景 を ふ ま. たようである。さらに、臼井の解説がついたことによって、井伏鱒. えると『集金旅行・さざなみ軍記』もその大きな流れのひとつだっ. 時代と呼応して刊行されたのである。 この装幀はかなりインパクトがある。前田の分類で言えば第二の、 「〝カバーは顔だ、ポスター派〟」である。函から取り出した読者. --32 - 32 -.
(17) 二評価の指標が与えられたといってよい。. 3.昭和三十一年刊『名作歴史文学選集. さざなみ軍記』. 『経済白書』で「もはや戦後ではない」と宣言した昭和三十一年、 石原慎太郎が『太陽の季節』で第三十四回芥川賞を受賞する。この ころから芥川賞や直木賞が文壇内から社会的話題になり、受賞作品 が ベ ストセラー の動きを な すよう になっ た。 『 さざなみ軍 記』は昭和三十一年五月十日、〈名作歴史文学選集. 風俗現象を生んだ。そのいっぽうで『名作歴史文学選集. さざ な み. 軍 記』は、『太陽の季節』を読んで 度肝をぬかれ苦々しさを 感じた. 守旧派読者を癒したにちがいない。. 4.昭和四十三年刊『さざなみ軍記』. 『さざなみ軍記』は昭和四十三年十月二十五日、新学社から刊行. された。定価、一七〇円。新書判、二〇一ページ、カバー付となっ. ている。装幀、岡村 夫二 。扉版画・棟方志功. ). (. ). 。内容は、河盛好蔵「井伏文学の愛読者」、「屋根の上のサワ. 。 挿絵 ・ 柳井 愛. (. 子. 装幀は、画面の上半分にある正方形の四辺の外側に半円が二個ず. ン 」「山椒魚 」「さざなみ軍 記 」、解説として 石森延男「井伏鱒二の. 装幀は、いびつな横縞を背景にして中央には蕪の絵が描かれてい. つ連なり独特の空間をつくりだして、そのなかに題名と著者名など. 五五ページ、カバー付。収録作品は、「さざなみ軍記」「ジョン萬次. る。第二の「〝カバーは顔だ、ポスター派〟」に分類されよう。大. が横書きされている。下には細い横線が一本引いてあり、そのやや. 人と作品 」、小寺政太郎「読書のしかた―「さざなみ軍記」などの. 胆で、目をひく装幀である。ほかの〈名作歴史文学選集〉とくらべ. 上 に 若 葉 マ ー ク の よ う な も の が 描 い て あ る 。 分 類 す れ ば 第 二 の、. 郎漂流記」「侘助」「開墾村の與作」「お島の存念書」。中村光夫によ. たところ、一定の規則はあるものの、多小、差異化をはかったよう. 「〝カバーは顔だ、ポスター派〟」になる。岡村夫二は昭和期の装. 読解と鑑賞」、「年譜」となっている。. なデザインである。太めの平筆もしくは小型のはけで、あまり水で. 幀家で、井伏の「ハンダ先生」が収録された『日本の文学. ). の装幀も 担 当して いる。 棟方 志. 小学三. とか して い な い絵 の具を つ けてひ い た よ う な 横線か ら な る 縞 模 様 と. 年生』 あかね書房、昭. 30. (. 容と関係しているとはいいがたいものの、やはり、この扉版画が本. 棟方志功の版画はカラスとウサギ の図で 、「さざなみ軍記 」の内. ・6・. いうのが同一である。表題、著者名の配置も同様である。異なって. 功の扉版画や柳井愛子の挿絵があり豪華な一冊である。. る解説がある。. 〉として、彰考書院から刊行された。定価、二〇〇円。B6判、二. 13. いるのは表紙中央の蕪などの野菜図だけである。だが、表紙になぜ 蕪なのかわかりかねる。 『太陽の季節』は欲望のままに生きる若い世代を描いて、新しい. 32. --33 - 33 -. 14.
(18) の目玉であろう。柳井愛子の挿絵の線は肥痩線で、絵柄は女性が描. 装幀、菊地信義。収録作品は、自序、「さざなみ軍記」 、 跋、安 岡 章. 定価、一二〇〇円。四六判、二一二ページ、カバー装となっている。. 井伏鱒二の文章と歴史」となっている。. 体を引き締めている。. 羽のようなものが浮遊する図像に、帯の黒地に白抜きの文字が全. 「〝カバーは顔だ、ポスター派〟」に分類される。. さら には井 伏の顔写 真つき の帯がついて いる。ま さしく第 二 の. 太郎「解説. くにはめずらしい骨太の絵であり、棟方志功の作風と似ている。 昭和四十三年の売上ベストテンに弁護士作家・佐賀潜の民法、刑 法、労働法、道路交通法の各入門書が入るなか、北杜夫の『どくと るマンボウ青春記』がベストセラーのトップを占める。北杜夫の〈 マンボウ〉ものは、ほのぼのとしたユーモアのなかに、彼の青春の 日々を語って読者に安らぎをあたえていた。青春期の苦しみ、悩み を客観視してかいた『青春記』にはいつの時代にもある悩みにこた. 北杜夫にも負けないユーモアがある井伏の代表作品「屋根の上の. を独占しつづけていたのは、赤川次郎が次々に書き下ろすライト・. 昭和五十五年から六十年代にかけて小説部門のベストセラー上位. 6.昭和六十一年刊『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』. サワン」「山椒魚」 、いつの時代の悩みにもこたえうる歴史小説「さ. ミステリー群〝赤川本〟であった。作品の内容が現代感覚に富んで. (. ). ). (. 」 昭和三十九年、彩色・紙本・屏風. (. 右 下 に 落 款、. --34 - 34 -. える普遍的なひろさがあり、いまも高校生に読みつがれている。. ざなみ軍記」をならべ、棟方志功の扉版画とあれば、手にとる人も. いて、読みやすいというのが売れる理由であった。. に 対 抗 す べ く 新 学 社 が 力を 注 いで い る こ と. 『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』は昭和六十一年九月二十. 増えたにちがいない。当時ベストセラーを生み出していた光文社の カッパ・ブック ス. 五日、新潮社から新潮文庫として刊行された。ここでは初版が手に. 入らなかったため、平成二十二年五月二十日発売の十六刷のものを. 用いる。定価、四〇〇円。二八四ページ。装幀は中村正義の「源平 第一図 紅白吐霓. 二曲一隻 一 六 〇 ・ 五 × 二 二 四 ・ 五 セ ン チメ ー ト ル. 海戦絵巻. ていけず非行に走るこどもが後を絶たず、親子の確執、教師と教え. 印章. 分 類 す るな ら ば 、 第 二 の 「 〝 カ バ ー は 顔 だ 、 ポ ス タ ー 派 〟 」 に な. 東京国立近代美術館蔵)である。日本画家の絵を用いた歴史. 子の断絶が問われている時代に穂積隆信の『積木くずし』が出版さ. 小説にふさわしい装幀である。. なみ軍記』は昭和五十八年一月二十日、福武書店から刊行された。. れ、話題となった。そのような殺伐とした世の中であったが『さざ. 昭和五十八年は、このころ受験一辺倒の詰め込み主義教育につい. 5.昭和五十八年刊『さざなみ軍記』. がわかる。. 15.
(19) て いる。 中村 は夏 目太 果や 中村 岳陵にま な び、 昭和 二十 五年 「渓. ろう。使用している色も黒、白、赤、金と四色で品よくまとめられ. 仮 小 屋 の 裏 手 へ 向 け て 走 っ て い る 。」(. に「一の谷」と記してある。その方面から二頭のシカが逃げ出して. いが、右手の山には「てっかい山」と記し、その山の斜面のところ. ) と 述 べ て い る よ う に、. 泉」で日展特選となる。病気とたたかいながら現代の不安をえがい. 「一の谷」からシカが「逃げ出」すという説明によって、戦場から. ある。そしてシカは、逃げることで生きられるという主人公の憧れ. た。また映画用絵画や舞台美術でも活躍した。. こうして、めまぐるしく変化する昭和期に刊行されつづけた『さ. の象徴でもある。戦に恐怖して、絶えず逃亡を望む主人公は平氏の. 逃れ西へと下る主人公たちの姿を表象していると読み取れるからで. ざなみ軍記』であったが、初刊以降の刊本は、作品本文を引き立て. 一少年であり、平氏が信仰していたのは厳島神社であった。源氏の. 関わる信仰上の関係はないが、「平家納経」にシカが描かれている. る控えめな装幀よりも、それぞれの装幀自体に主張があって購読者. また、他の作品と一緒に収録されている場合、その収録順序をみ. ように、平氏‐厳島神社‐シカには、一連の関係が認められる。表. 氏社であった春日大社の場合とちがって、厳島神社とシカは教義に. る と 「 さ ざ な み 軍 記 」 は 最 初 も し く は 最 後 で あ り 、「 さ ざ な み 軍. 紙に描かれた二頭の黒いシカは、戦の恐怖や死を連想させ、滅亡し. の心理を刺激するような装幀が多いことが認められた。. 記」が井伏の重要作品として受けとめられていたことが判る。. いけばいくほど、本人の意思よりも、時代の動向を反映した装幀の. れていく「さざなみ軍記」の姿である。井伏が作家として自立して. きすすめていくという設定を尊重すれば、その赤は生き続けていく. ルと想定される平知章を一の谷で死なせず生きているものとして書. 一方で、扉の簾戸門は生命を象徴する赤で描かれ、主人公のモデ. ていく平氏一門の運命を象徴している。. 書物が誕生していくのである。おそらく、今後もこの刊本の傾向は. 「命」と感じることもできる。. 刊行の歴史からうかがえるのは、一時の流行ではなくて読み継が. 継続していくであろう。. さて、この装画の構成の特徴は二点あり、第一は表題や著者名が. 背表紙のみにあるという点、第二は表紙に題字等はなくても、風景. 第一の特徴である、題名、著者名が背表紙のみに存在するという. 画のなかに地名や人物名が書いてある点である。 も し 、『 さ ざ な み 軍 記 』 の 装 画 に 、 題 名 を つ け る の な ら ば 「 逃. のは、初刊『さざなみ軍記』が刊行された昭和十三年の他作家の刊. おわりに. 亡」であろう。それは井伏自身が「絵として何派に属するか知らな. --35 - 35 -. 16.
(20) 本 にも 見 受け ら れ る特 徴で あ る 。 たとえ ば 藤 森 成 吉 『 江 戸 城 明 渡. ことは興味深い。いいかえると井伏は出版社に勤めていた経験もあ. て、装幀に再び「源平海戦絵巻」という風景画が用いられたという. ・ 2・. 装幀・小穴隆一 、堀辰雄『風立ち. し』 改造社、昭. ったため、作品の内容に合った「本を作る」という編集者の感覚が. ( (. ). ). ). 装 幀 ・ 佐 野 繁 次 郎 、 中 山 義 秀 『厚 物 咲 』. ・4・. ・9・. ( (. 装幀 者 不 明 、 宇野千代 『月夜』 中央. ). ・. ( (. のに対し、作品には色彩があふれているため、絵画性という視点も. もっとも装画と作品について言えば、初刊の装画が単彩画である. 装幀者不明 、村松梢風『残菊物語』 中央. 得られよう。この色彩に注目して河盛好蔵( )は井伏から聞いた. ). 話として、. 装幀・小村雪岱 、 徳田 秋 聲 『 假装人物 』. ). ・. 初刊『さざなみ軍記』から垣間見える。. 装幀者不明 、横光利一『春園』. ・4・. ぬ』 野田 書 房、 昭 創元社、昭 小 山 書店 、 昭 ・. ・ ). 装幀・硲伊之助 がある。背表紙だけ. (. 作者はまた、この軍記を書く前に「平家物語」を読んだこと、. ・. では情報が少ないが、『残菊物語』の小村雪岱の装画のように見事. あのなかの合戦記が好きなこと、子供のときから武者絵が好き. 人物の紹介を兼ねていると言えそうである。だが、文字は判読しづ. 第二の特徴の装画に文字を書き入れるということは、表紙が登場. の時から作者の頭に焼きついたさまざまの武者絵のイマージュ. 士 たち の戦 装束が みな 絵で 書 い たよ う に 鮮や かな のは、幼少. ) は 文 章 に お け る 絵 画 性 に つ いて 詩. を用いている。著者自装の初刊の装幀が風景画であり、数十年を経. 刊行され、カバーの装幀は、日本画家中村正義の「源平海戦絵巻」. う刊本が多かった。特に、昭和六十一年の刊本は、新潮文庫として. から離れて、時代の変遷とともに変わりつづけ、出版社の意向に沿. いくつかの描写が結合したものの一つ一つが、絵画的といわれ、. 心に残るという、そういう描写の一つ一つ、あるいはそういう. に、その言葉よりも対象の方が鮮やかな印象としてわれわれの. 詩人がその対象をわれわれにはっきりと感覚的に描き出すため. 人の場合を例につぎのように述べる。. い。たとえば、レッシング(. 品に色彩が散見されるだけでは作品に絵画性を認めることはできな. と述べている。たしかに色彩は絵画の一翼を担うものであるが、作. の働きかも知れない。. 文字を書き入れるという工夫が施された装幀であった。それに対し、. 『さざなみ軍記』刊行の歴史を振り返ってみると、初刊は装画に. いように施された井伏独特の工夫である。. らいため、あくまで意匠の一部にとどまっている。人目につきやす. (ママ ). に作品世界を表現している例もあり、表の表紙に題名著者名を記さ. 17. 公論社、昭 公論社、昭. 10. であったことをいつか私に話されたことがあるが、登場する武. ・. 19 21. ないことは、本にとって必ずしもマイナスにはならない。. 中央公論社、昭. 25. 昭和期に刊行された『さざなみ軍記』の流布本の装幀は、井伏の手. 18. --36 - 36 -. 10. 13. 13 13 12 11. 13 12 21 18. 13 13 13.
(21) 絵といわれるものなのである。なぜなら、そういう詩は、実際 註 (. ). ・6. の絵の特技とされているところの、また実際の絵からまず最初. 号、昭. 1 大 越 嘉 七 「 井 伏 鱒 二 「 さ ざ な み軍 記 」 ― 井 伏 鱒 二 の 認 識 構 造. ―」 「研究と評論」 法政二高. ). (. ). (. (. (. ). ). ). 「絵画は、並存する行為、あるいは、その配置やポーズによって行. 間の経過とともに起るために絵画の対象とはなり得ない。ところが. 「文学は目に見える継起的な行為」であって、さまざまな事象は時. の美術に通じるひろい学識をおさめ、格調のたかい画風を展開. たび訪問するいっぽう、ヨーロッパ各地を歴訪して、古今東西. もよくし、豪放華麗な独自の南画表現を創出した。中国をたび. 条派の絵画をまなび、また、中国古典への造詣もふかく、南画. (. 為を推測させるような単なる物の姿を描くことで満足しなければな. 正・昭和の日本画壇をリードした。. 4 昭和六年九月十七日、第一書房より刊行される。装幀者は不明。. ). で主人公たちを二頭のシカになぞらえて逃亡する一瞬を描き、作品. B6判。角と背は革、表紙は青色。背には「バンド」がほどこ. (. には直接描かれない逃亡の場面を作りあげた。その場面は、主人公. されている純粋な洋装本で、「 1 E O P. ラザ ラして い る。. 」と箔押しになっている。見返しは水色。紙は非常にザ. N A L L A A R G D E F O S K R O W E T E R P M O C. 立てるものは、主人公たちが逃亡してゆく過程を継続的に示す作品 である。したがって著者自装の刊本において、井伏は敗者として自. ・. ). 1 )。角と背 は革、表 紙はミントグリ ーンの布地に植物柄のプ. (. げたと同時に、敗者であっても生き続けることができるという望み. リントになっている。そのデザインはウィリアム・モリスの壁. ボッカチオ作森田草平訳『デカメロン』(新潮社、昭6・. を装画として描き出した。装画は作品と相互に作用することで読解. 紙のようでシンプルなパターンをくりかえすことで生みだされ. 分の境遇を諦められるようになる精神的成長を物語る作品を書きあ. 5. が望みながら叶えられずにいる逃亡の瞬間である。その瞬間を引き. この言葉を参考にすれば、著者自装の『さざなみ軍記』は、装画. した。「東の大観、西の関雪」と称 され、横山大観とともに大. 橋 本 関 雪 ( 一 八 八三 ― 一 九 四 五 ) は 、 竹内 栖 鳳 に師 事 し て 四. ・3・. 「井伏鱒二『さざなみ軍記』論」『軍記物語とその 周 辺 』 早 稲 田 大 学出 版 部 、 昭. 2 東郷克美. 39. にしてそして最も容易に抽出されるところの、絵画的幻想の近 くまでわれわれをつれてゆくからである。 レッシングは読者に対象を感覚的に理解させるのは、言葉より印 象に残るような描写の一つ一つ、もしくはそういった描写が結合し 3. 20. らない」と述べる。. た も の の 一 つ 一 つ で あ り 、 そ れ ら が 絵 画 的 だ と 述 べ る 。 さ ら に、. 11. を完成させる手引きであったといえる。. 11. --37 - 37 -. 44.
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