たと述べているように,21)ミュール紡績機を製 造販売する業者もいなかった。また,当時,す でに大規模な水力紡績工場を所有し,かつ,1780 年のミュールの発明公開を受けたロバート・ピ ールですら,数多くの有能な機械工を要してい たにもかかわらず,1787年までミュール紡績業 に進出することができなかった。22) 発明直後の普及が遅れた原因は,直接的には ミュールそのものの構造上の欠陥にあったと いってよい。当時のミュール紡績機は,主とし て木製の枠組みによって構成された完全手動式 のものであり,その基本的な構造は完成されて いたとはいえ,様々な欠陥を持っていたことは 当時の紡績機械製造の第一人者であるジョン・ ケネディが認めている。23) しかし,ミュール紡績機は発明直後はその普 及が非常に緩慢であったが,1780年代末以降, 急速な普及を開始する。 ミュール紡績機の様々な欠陥も,ストーンズ を始めとした多くの者たちによって次第に克服 されていった。24)そうした中で,アークライト 紡績機の特許失効後には,ミュール紡績機を製 造販売する業者が遅くとも1780年代末頃には数 多く現れるようになった。事実,『マンチェス ター・マーキュリー』には,1788年恐慌以前に おいては見られなかったミュール紡績機の宣伝 広告を1789年以降の号に数多く見いだすことが できる。25) ロバート・オーウェンは,1788年恐慌後の時 期に,「ミュールという優れた機械で,綿紡績 業界の偉大で常識を越えた発明がマンチェスタ ーに導入され始めた」と述べているし,26)ウィ リアム・ラドクリフも,この時期にランカシャ ーの織布業で広汎にミュール糸が使用されるよ うになったと述べている。27) 表1によれば,1788年から1790年にかけての 2年間だけで,ミュールの紡錘数は4.5倍,あ るいは14倍に増大し,1790年の時点で,アーク ライト機の紡錘数の2倍以上にものぼり,これ に対してジェニー紡績機は減少,アークライト 機も微増に留まったことが分かる。しかし,全 体のシェアでは,ミュールが29%を占めてアー クライトの13%を越えたとはいえ,依然として ジェニーが58%も占めていたことも事実であ る。28)残念ながら,1790年代半ばにミュール紡 績機がどの程度の普及を遂げたかを示す数値は 存在しないが,1790年代には,ジェニー紡績機 とアークライト紡績機がすでに衰退或いは停滞 基調となったのに対して,ミュールがより普及 していったことだけは間違いない。 ただし,1790年代半ばまでに普及したミュー ル紡績機は,様々な改良が加えられたとはいえ, 依然としてクロンプトンのオリジナルと同じ完 全手動式であった。当時,マンチェスターの紡 表1 産業革命期の紡錘数 ミュール ジェニー アークライト 合計 1783 1,000 ― ― ― 1788a 49,500( 2.6) 1,605,600(82.7) 286,000(14.7) 1,941,100(100) 1788b 155,000 ― ― ― 1790 700,000(29.0) 1,400,000(58.1) 310,000(12.9) 2,410,000(100) 1804 1,515,500 ― ― ― 1811 4,209,570(90.0) 155,880( 3.3) 310,516( 6.6) 4,675,966(100)
[資料]Kennedy, Brief Memoir, p.15 ; Colughoun, An Important Crisis, p. 4 ; S.D. Chapman and Chassagne,
European Textile Printers, p.41 ; Case of the British Cotton Spinners, Appendix ; Aston, The Manchester
Guide, p.278 ; Daniels, ‘Samuel Crompton’s Census of the Cotton Industry in1811’, p.108.
した綿紡績工場が52工場も操業していたことを 議会で証言している。46)さらに,当時,紡績工 として働いていた者が,ボルトンでも1790年代 末に手動ミュールから動力補助ミュールへの転 換が見られたことを工場法委員会で証言してい る。47)このように,短期間のうちに手動ミュー ルは姿を消し,動力補助ミュールが支配的に なった。 表2によれば,1790年から1811年にかけての 時期において,ミュール紡績機が劇的な普及を 遂げたのに対して,アークライト紡績機の普及 は依然として伸びず,主として家内工業で使用 されていたジェニー紡績機に至っては急速に衰 退していったことが明らかである。48) このように,1790年代末から1800年代初頭に かけての十年にも満たない短期間のうちに,動 力補助ミュールは急激に普及し,イギリス綿工 業の支配的な機械体系となった。その後も,動 力補助ミュールは,自動ミュールの開発までの 1830年頃までに更なる普及を続けたことは,表 2が示す19世紀イギリス綿工業における紡錘数 によって明らかである。つまり,動力補助ミュ ールの出現によって,初めて,ミュール紡績機 はアークライト機やジェニー機に代わって19世 紀イギリス綿工業の支配的な機械の地位を獲得 できた。49) 以上のように,産業革命期には,最初は手動 ミュールが普及し,続いて半自動化された動力 補助ミュールが劇的な普及を遂げ,旧来の技術 に取って代わった。しかも,手動ミュールも動 力補助ミュールも,10年にも満たない短期間で 急激に普及を遂げたことが明らかである。それ では,続いて,19世紀中期の代表的な新技術で あった自動ミュールと力織機はどのように開発 され,普及を遂げたのであろうか。
3.自動ミュール
1790年のケリーによる自動ミュールの発明後, 実用的な自動ミュールの開発が様々に試みられ たが,いずれも失敗に終わった。しかし,マン チェスターの機械製造業者シャープ&ロバーツ 社のロバート・ロバーツは,1825年に初めて実 用可能な自動ミュールの開発に初めて成功して 最初の特許を取り,その後,彼はさらに改良を 加え,1830年には本格的な自動ミュールを完成 し,再び特許を取った。50) シャープ&ロバーツ社は,彼らが開発した自 表2 イギリス綿工業の紡錘数 総 計 スロッスル ミュール 自動 動力 (アークライト) 全体 ミュール ミュール 1788 1.94 0.29 0.05/0.16 0 0 1811 4.68 0.31 4.21 0 4.21 1817 6.65 0.67 5.98 0 5.98 1832 9. 0.9 8.1 ― ― 1834 12.4 1.24 (11.16) 0.32 10.48 1841 15.7 1.57 14.13 ― ― 1845 17.5 1.75 15.75 ― ― 1850 20.4 2.04 18.36 7.36 11.04 1861 30.3 3.03 27.27 ― ― 1870 37.3 3.73 (33.57) 30.16 7.46[資料]Fowler and Wyke, Barefoot Aristocrats, p.249.本論文,表1.
思えよう。 しかし,当時のイギリスでは,力織機の存在 の他方に,家内工業制のもとで働く膨大な数の 手織工が存在した。つまり,力織機の普及によっ て,手織工がどのように減少したか,言いかえ れば,新技術の普及によって,旧来の伝統的な 家内工業制が劇的に衰退したかどうかという点 を検討する必要がある。 この点については,古典的な研究は力織機の 普及とともに手織工が急激に減少したことを主 張してきた。しかし,近年の多くの研究は,こ うした見解に否定的である。 もちろん,この点については,手織工数につ いての信頼できる統計値が存在すれば,一目瞭 然であろう。しかし,残念ながら,そうした統 計は存在しない。そこで,これまでの研究が依 拠してきた同時代資料による手織工数の推定値 と近年の研究による推計値をあげたものが表4 である。 同時代人による産業革命初期についての推計 値がどこまで信頼できるかという問題はあると しても,少なくとも,1790年代には,ランカシャ ー地方を中心に,綿織物業が広汎に家内工業と して発展を遂げ,現在では,少なくとも,推定 8万人前後の手織工が存在したと考えられてい る。67) その後の綿紡績業の急激な成長にともない, 手織工数は1820年代まで増大し続け,多くの研 究が認めているが,手織工数は,1820年代の半 ば,あるいは1830年代前半にピークを迎えた。 表4によれば,1820年代から1833年にかけての ピーク時の手織工数は,同時代人による記録で は24―5万人から36万人にものぼり,エリソン の研究では24万人から22万5千人,ウッドの研 究では24万人となっている。また,ビゼルは, 手織工数は1820年代半ばにピークを迎え,ピー ク時の数としては20万人から25万人が妥当であ ると主張した。68) このように,1820年代から1830年代前半にか けての時期ですら,力織機が最初の本格的な普 及を遂げたとはいえ,他方では手織工が未だ衰 退することなく,その数はピークを迎えていた。 しかも,ウッドによれば,紡績労働者をも含め た綿工業全体の工場労働者が手織工を数のうえ で上回るのは1834年のことであった。69)1830年 代前半までのイギリス綿工業では,工場労働者 表3 力織機普及台数と年成長率 年次 力織機台数 期間 成長率% 1813 2,400 1813―1820 28.8 1820 14,150 1820―1830 18.9 1829 55,500 1830―1835 6.2 1830 80,000 1835―1850 5.7 1833 80,000 1850―1870 2.9 1833 100,000 1835 108,189 1845 225,000 1850 249,627 1856 298,847 1861 400,000 1867 379,000 1870 441,000
[資料]Baines, History, pp. 235,237 ; Ellison, The Cotton Trade, pp. 69,73; Bythell, Handloom
Weaver, p. 88 ; P. P., 1833(450), xx, First Report of Factory Inquiry Commission, D2, p. 36.
よりも家内工業に従事する手織工の方が多数派 であった。 さらに,古典的な研究やそれを支持するビゼ ルの研究は,1830年以降,手織工は急激に減少 したことを主張してきた。表4にあるエリソン やウッドの研究が示す手織工数は,1830年代初 頭から1840年代にかけての時期に急激な減少を 示している。彼らの研究に従えば,1830年代後 半から1840年代前半にかけての10年前後の短期 間のうちに,手織工が急激に衰退したことにな る。ビゼルの研究も,基本的にはエリソンとウッ ドに依拠し,同時代人の多くは手織工の悲惨な 状態を強調するために,19世紀中期の手織工数 を過大評価する傾向があったと批判し,1820年 代から1830年代にかけての十数年間の短期間の あいだに,力織機の急速な普及とともに手織工 は一気に減少したと主張した。70) とはいえ,エリソンやウッドの主張と違い,19 世紀中期のイギリス各地には,多数の手織工が 依然として存在したことを示す一次資料は数多 い。そして,ハバカク,ファーニー,ライオン ズなどは,ビゼルの主張とは違い,手織工の衰 退が,10数年間の短期間のうちに生じたのでは なく,1830年代から1860年代までにかけての30 年間から40年間にも及ぶ長期に渡って生じたと 主張してきた。71) こうしたなかで,最近のティミンズの研究は, センサス調査や教区簿冊の詳細な調査をもとに, 手織工数に関する新たな推計値を提出し,手織 工の衰退過程が非常に緩慢なものであったこと を明らかにした。表4にあげたティミンズの推 計値によれば,手織工数は1830年代半ばまで減 少せず,ピーク時の手織工数は,ランカシャー だけでも約16万5千人から17万人にものぼって いる。その後の力織機の普及によって手織工数 は減少したとはいえ,1851年で5万人から6万 人,1871年でさえ1万人も生き残っていたこと が一次資料に基づいて明らかにされている。72) 当然,スコットランドの手織工を加えれば,そ の数はより大きくなり,手織工の衰退が今まで 考えられてきた以上に緩慢なものであったこと を示している。 このように,力織機は,1820年代以降,その 普及が本格化したにもかかわらず,手織工を完 全に駆逐するのに40年から50年もの歳月がかか り,その普及は非常に緩慢であった。このよう に,最 近 の 研 究 は,古 典 的 な 主 張 と は 異 な り,1820年代以降における力織機の普及と手織 工の衰退は半世紀近くにも渡る長期間に及ぶも ので,非常に緩慢にしか進展しなかったことを 明らかにしている。つまり,イギリス綿工業に おける新技術の普及と旧技術の衰退は,産業革 命期の綿紡績業では急激に進展したのに対して, 19世紀中期の綿工業では,自動ミュールだけで 表4 手織工数 同時代文献 エリソン ウッド ティミンズ 1788 240 1820 240 1820 240 1821 165―170 1790 250 1830 225 1831 240 1830年代 165 1808 200 1845 60 1835 188 1851 55― 60 1820a 240 1860 5―10 1839 135 1861 30 1820b 360 1847 53 1871 10 1833a 250 1850 40 1833b 200 1856 23 1833c 200 1860 3
[資料]Coulqoune, Important Crisis, pp.4―5 ; Case of the British Cotton Spinners, Appendix ; Baines, History pp.235―8 ; P. P., 1833(690), vi, Reprot on Manufacfures, Commerce and Shipping, pp.566,608 ; Ellison, The Cotton Trade, pp.65―6 ; Wood, History of Wages, p. 125 ; Timmins, The Last Shift, pp.111,185.
及による生産性の普及はそれほど大きくなかっ たといえよう。こうした結果は,産業革命期に おける新技術の普及に関しての古典的な研究の 主張を支持するとともに,S・D・チャップマ ンのような近年の研究,すなわち,新技術の普 及は,産業革命期には比較的遅く,19世紀中期 により進展したという見解を否定するものであ る。少なくとも,産業革命期の技術普及につい ては,古典的な産業革命観の方が妥当性が高い とともに,「世界の工場」としての地位を確立 した19世紀中期のイギリス綿工業では,新技術 の急激な普及は見られなかったことに注意すべ きだろう。73) 注
1) T. S. Ashton, The Industrial Revolution,1760―1830
(London, 1948,中 川 敬 一 郎 訳『産 業 革 命』岩 波 文 庫,1973年); N. J. Smelser, Social Change in the
In-dustrial Revolution(London, 1959); W. W. Rostow,
The Stages of Economic Growth(London, 1960,木村 健康・久保まち子・村上泰亮訳 『経済成長の諸段階』 ダイヤモンド社,1974年); E. J. Hobsbaum, Industry
and Empire(Harmondsworth, 1969,浜林正夫・神武 庸四郎・和田一夫『産業と帝国』未来社,1984年); D. S. Landes, The Unbounded Prometheus(Cambridge, 1969,石坂昭雄・富岡庄一訳 『西ヨーロッパ工業史』
I―II,みす ず 書 房,1980―2年);P. Deane and W.A. Cole, British Economic Growth, 1688―1959( Cam-bridge, 1962); D. N. McCloskey, ’The Industrial Revolution1780―1860’, in R. C. Floud and D. N. McCloskey, eds., The Economic History of Britain
since1700, I(Cambridge,1981),pp.103―127. 2)E. Baines, History of the Cotton Manufacture in Great
Britain(London,1835); A. Ure, The Cotton
Manufac-ture of Great Britain, 2vols.(London, 1836); G. J. French, Life and Times of Samuel Crompton (Man-chester, 1860); T. Ellison, The Cotton Trade of Great
Britain(London, 1886); S. J. Chapman, The
Lanca-shire Cotton Industry(Manchester,1904).
3)S. D. Chapman, The Early Factory Masters(Newton Abbot, 1967); idem, The Cotton Industry in the
Indus-trial Revolution, 2nd ed., in L. Clarkson ed., The
In-dustrial Revolution : A Compendium (Houndsmills,
1990), pp. 19―20(佐村明知訳『産業革命のなかの綿 工業』晃洋書房,1990年,37―40頁); J. Butt and S. D. Chapman, ‘The Cotton Industry’, in C.H. Feinstein and S. Pollard eds., Studies in Capital Formation in
the United Kingdom,1750―1920(Oxford, 1988), pp. 105―125.
4)S. D. Chapman, The Cotton Industry, pp. 16―7(訳 31―4頁); Butt and S. D. Chapman, ‘The Cotton In-dustry’, p. 110.こうした見解は,ある意味では,クラ フツやハーリーの見解に通じるともいえよう.周知 のように,彼らは産業革命期におけるイギリス経済 全体の経済成長率と総要素生産性成長の緩慢さを指 摘し,あわせて,19世紀中期における経済成長と総 要素生産性成長の加速を主張しているが,S・D・ チャップマンの綿工業における紡績技術の開発と普 及についての見解と共鳴するといえよう。
5)G. Timmins, ‘Technical Change’, in M. B. Rose ed.,
The Lancashire Cotton Industry : A History Since1700
(Preston, 1996), pp. 29―62 ; G. Timmins, Made in
Lancashire : A History of Regional Industrialization
(Manchester,1998).
6)G. N. von Tunzelman, Steam Power and British
In-dustrialization to1860(Oxford,1978).
7)W. Lazonick, ‘Industrial Relations and Technical Change : the Case of the Self-Acting mule’,
Cam-bridge Journal of Economics, 3(1979), pp. 231―262 ; idem, ‘Production Relations, Labor Productivity, and Choice of Technique : British and U.S. Cotton Indus-try’, Journal of Economic History, XLI(1981), pp. 491 ―516 ; I. Cohen, American Management and British
Labor : A Comparative Study of the Cotton Spinning Industry(New York,1990).
8)Timmins, ‘Technical Change’, pp.55―6.
9)D. Bythell, The Handloom Weavers : A Study in the
Cotton Industry during the Industrial
Revolution(Cam-bridge,1969).
10)S. D. Chapman, The Cotton Industry in the Industrial
Revolution, 2nd ed.,(『産業革命のなかの綿工業』). 11)S. J. Chapman, The Lancashire Cotton
Industry(Man-chester, 1904); H.J. Habakkuk, American and British
Technology in the Nineteenth Century ( Cambridge,
Work-ing Class(Harmondworth, 1963); R. Samuel, ‘Work-shop of the World : Steam Power and Hand Technol-ogy in Mid-Victorian Britain’, History Workshop
Jour-nal, 3(1977),pp. 6―72 ; A. E. Musson, The Growth
of British Industry(London,1978).
12)G. N. von Tunzelman, Steam Power and British
In-dustrialization to1860(Oxford, 1978); D. A. Farnie,
The English Cotton Industry and the World Market,
1815―1896(Oxford, 1979) ; J. S. Lyons, ‘Power Loom Profitability and Steam Power Costs : Britain in the1830s’, Exploration in Economic History, 24 (1987), pp. 392―408 ; idem, ’Family Response to Economic Decline : Handloom Weavers in Early Nineteenth-Century Lancashire’, Research in Economic
History,12(1989),pp.45―91.
13)G. Timmins, The Last Shift : the Decline of
Hand-loom Weaving in Nineteenth-century
Lancashire(Man-chester, 1993); idem, Made in Lancashire : a
His-tory of Regional Industrialization(Manchester,1998); idem, ‘Technological Change’, in M. B. Rose ed., The
Lancashire Cotton Industry(Preston,1996), pp.29―62. 14)Baines, History, pp. 197―219, 227 ; Ellison, The
Cotton Trade, pp. 18―33 ; S. J. Chapman, The
Lanca-shire Cotton Industry, pp.53―61.
15)H. Catling, The Spinning Mule ( Newton Abbot,
1970), pp. 37―8. なお,ジェニーは30番手,アークラ イトは50番手までの太糸しか生産できなかったのに 対して,ミュールは,1792年の時点で,すでに最高 278番手までの生産が可能であった。C. Aspin, James
Hargreaves and the Spinning Jenny(Helmshore,1964), p. 44 ; J. Montgomery, The Carding and Spinning
Master’s Assistant : or the Theory and Practice of Cot-ton Spinning(Glasgow,1832), p.152 ; Edinburgh
Re-view, XCI(1827), p. 15. ち な み に,イ ギ リ ス 式 で は,840ヤードの長さの糸を1ハンクといい,1重量 ポンドの糸の長さをハンクで表した数値が糸の番手 となり,高ければ高いほど細くなる。
16)French, Samuel Crompton, p. 76 ; Smelser, Social
Change, p.110. 17)表1に示したように,チャップマンは,1788年の ミュールの紡錘数について,カフーンの推計値とは 別に,他の資料からの異なった推計値を提出してい るが,その数値によってもミュール紡績機は急速に 普 及 す る こ と は な か っ た。S. D. Chapman and S.
Chassagne, European Textile Printers in the Eighteenth
Century : A Study of Peel and Oberkamph(London,
1981), p.41.
18)Aspin, James Hargreaves, p. 64 ; Cyclopedia or an
Universal Dictionary of Arts and Sciences (London,
1786).
19)French, Samuel Crompton, pp. 68―72 ; Daniels,
The Early English Cotton Industry, pp.168―9. 20)French, Samuel Crompton, pp.72,89―90.
21)W. Fairbairn, A Brief Memoir of the Late John
Kennedy(Manchester,1860), p.3.
22)French, Samuel Crompton, pp. 79, 267 ; S. D. Chapman, ‘The Peels in the Early English Cotton In-dustry’, Business History, XI(1969),p.85.
23)J. Kenndy, Brief Memoir of Samuel Crompton(Man-chester,1830),p.14.
24)Kennedy, Brief Memoir, pp.17―9.
25)当時のマンチェスターの代表的な新聞である『マ ンチェスター・マーキュリ』にミュールに関する記 事を最初に見いだせるのは1789年1
2月である。Man-chester Mercury,29December1789.
26)R. Owen, The Life of Robert Owen, I(London,1857), p. 22(五島茂訳『オウエン自叙伝』岩波文庫,1961 年,50頁).
27)W. Radcliffe, Origin of the New System of
Manufac-ture(Stockport,1828), p.65. 28)奇妙なことに,S・D・チャップマンは,他の所で は1790年の匿名パンフレットを利用しているにもか かわらず,18世紀末の紡錘数に言及する時には利用 していない。だからこそ,彼は,1788年から1790年 の2年間だけでも,手動ミュールの紡錘数がアーク ライト機の2倍以上になったことを看過し,1780年 代末から1790年代半ばにかけて,手動ミュールが急 激な普及を遂げたことを認めることができなかった といえよう。Case of the British Cotton Spinners and
Manufacturers(London,1790), Appendix.
29)P. P., 1816(397), iii, Report on Children in Manu-factories, p.234.
30)P. P., 1833(519), xxi, Second Report of Factories Inquiry Commissions, p. 36. なお,エバートについて は,A. E. Musson and E. Robinson, Science and
Tech-nology in the Industrial Revolution(Manchester,1969), p.441.
Trade, pp. 31―2 ; S. J. Chapman, The Lancashire
Cot-ton Industry, pp. 54―5, 69. 長年,手動ミュールを人工 力によって動かすことが特別困難ではなかったと考 えられてきたが,実際には,ミュールへの人工力の 適用には機械構造上の様々な問題が存在した。R. L. Hills, Power in the Industrial Revolution(Manchester, 1970), p.126.
32)当時の紡績工は,完全手動式のミュールと区別し て,蒸気力によって作業工程の半分が稼働するミュ ー ル の こ と を「動 力 補 助 ミ ュ ー ル power assisted mule」あるいは「動力ミュール power mule」と呼ん でいたことから,ここでは,手動ミュールと区別す るために動力ミュールあるいは動力補助ミュールと 呼ぶこととする。L. S. P., 1819, cx, Evidence on Chil-dren in Cotton Manufactories, p. 341 ; S. D. Chap-man, The Cotton Industry, p. 10(訳17頁) ; Timmins, ‘Technological Change’, p.55.
33)J. Kennedy, Observations on the Rise and Progress of
the Cotton Trade in Great Britain(Manchester, 1818), p.17 ; idem, Brief Memoir, p. 22 ; Letter from Kelly to Kennedy, in Baines, History, p.206.
34)これまでのほとんどの研究は,動力補助ミュール の開発について,特別に言及することはなかった。 また,動力ミュールの開発についてふれた数少ない 研究である S・D・チャップマンやティミンズの研究 では,その発明者がライトであることは無視されて きた。S. D. Chapman, The Cotton Industry, p. 13(訳 25頁); Timmins, ‘Technological Change’, p.43. 35)Kennedy, Brief Memoir, p. 22. なお,次の2つの同
時代資料は,動力補助ミュールの発明者がライトで あり,1812年にクロンプトンと同じように,議会か ら500ポンドの褒賞金がライトに与えられたことを記 している。J. Wheeler, Manchester, Its Political, Social
and Commercial History, Ancient and
Modern(Man-chester, 1836), p. 160 ; R. Burn, Statistics of the
Cot-ton Trade(London, 1847), p. 30. だが,褒賞金の支 払いについては,Journal of House of Commons(1812) には,該当する記録を残念ながら見いだすことがで きない。
36)Universal British Directory, III(London,1794). 37)Kennedy, Brief Memoir, p. 22 ; Manchester
Mer-cury, 5November1793.
38)Manchester Mercury,17 December 1793 ; Kennedy,
Brief Memoir, pp. 27―8. なお,ケネディは,ライトの
ダブル・ミュールによって,紡錘数は4倍になった と証言している。Kennedy, Brief Memoir, pp.22―3. 39)ライト&ホワイト社は1794年1月7日に倒産し, その後,遅くとも1795年初頭には,今度はライト一 人で「機械製造業者・綿紡績業者」として独立し, マンチェスターで仕事を再開している。火災保険会 社ロイヤル・エクスチェンジ社の登録台帳によれば, ライト社は1795年6月24日付で「機械製造業者・梳 綿業者・紡績業者」として登録され,その火災保険 評価額は総額1,750ポンドとなっている。そのライト 社が1795年春に売り出していた機械は,当時最新の ダブル・ミュールではなく,旧式のジェニー紡績機 や梳綿機であったことがライト社自身の広告によっ て分かる。1800年代に入ってからは,ライトは機械 製造業の仕事はやめ,綿紡績業に専念するようになっ たが,1820年代以降,マンチェスターの産業界から は そ の 姿 を 消 し た。Manchester Mercury, 1 January 1794, 31March1795, 7April 1795 ; Universal British
Directory, III ; London Guildhall Library, Royal Ex-change Assurance Co. MSS., Registers, 2nd ser., vol. 30, no.145969. なお,ライトについては,A. E. Musson and E. Robinson, Science and Technology in the
Indus-trial Revolution(Manchester, 1969), pp. 435,443.を も参照.
40)Fairbairn, A Brief Memoir, p. 4 ; Kennedy, Brief
Memoir, pp.25―7. 41)ケネディが彼のダブル・スピード・ミュールの開 発に成功した直後,当時,バンク・トップ工場の経 営者であった,後の社会主義者ロバート・オーウェ ンが1793年にケネディを訪ね,彼の工場への動力補 助ミュール導入の計画を告げたという。しかし,そ の実際の導入は,オーウェンがドリンクウォーター 社を去った後,彼のあとにバンク・トップ工場の経 営者となったロバート・ハンフリーズの時になされ たことをケネディ自身が記録している。オーウェン がドリンクウォーターのもとを去り,後継のハンフ リーズが着任したのが1795年頃のことであることか ら,ケネディのダブル・スピード・ミュールが最初 にマンチェスターの綿工業で実用化されたのは,1795 年のことであるといってよいだろう。Kennedy, Brief
Memoir, pp. 27―8 ; W. H. Chaloner,’Robert Owen, Peter Drinkwater and the Early Factory System in Manchester, 1788―1800’, Bulletin of the John Rylands
42)Manchester Mercury,26May1795.
43)B. P. Dobson, The Story of the Evolution of the
Spin-ning Machine(Manchester,1911), pp.110―2. 44)John Rylands Library, M’Connel and Kennedy MSS.,
Letter to R. Buchanan, 24 July 1799, Letter to J. Thornton, 1 May1802.
45)J. Aston, Manchester Guide(Manchester, 1804), p. 278.
46)P. P., 1816(379), iii, Report on Children in Manu-factories, p.234.
47)P. P., 1834(167), xix, Supplementary Report of Fac-tories Inquiry Commissions, Pt. 1, D. 1, pp.168―9. 48)なお,ティミンズは,産業革命期イギリス綿紡績 業における新技術の普及の急激さと工場制生産の支 配性を指摘しながら,他方では,19世紀中期におい ても,ジェニー紡績機が残存し,手工業技術が紡績 部門でも完全に消滅したわけではないことを示唆し ている。しかし,ジェニー紡績機がもっとも使用さ れていたストックポートにおいても,ジェニー紡績 工の数は,1818年で約800人であり,1833年には約120 人まで減少していることから,紡績部門における手 工業技術の残存は過度に強調されてはならないとい えよう。Timmins, ‘Technological Change’, pp.55,62 ;
P. P., 1824, v, Fifth Report on Artizan and Machinery, p.412 ; P. P., 1833(690), vi, Report on Manufactures, Commerce and Shipping, p.622.
49)なお,アークライト紡績機は衰退していったが,19 世紀に入って,それはスロッスル紡績機と呼ばれる ものに改良され,その後,ある一定程度,普及を遂 げた。スロッスル紡績機のイギリス綿工業全体に占 める割合を示す統計値は存在しないが,常に10%程 度であったと言われている。A. Fowler and T. Wyke eds., The Barefoot Aristocrats(Littleborough, 1987), p. 249.
50)Baines, History, pp. 207―8 ; Catling, Spinning
Mule,pp.55―65.
51)Ure, The Cotton Manufacture, II, pp.199―200. 52)A. Ure, The Philosophy of Manufactures (London,
1835), pp.23,368 ; K. Marx, Das Kapital , I, in
Marx-Engels Werke, Bd. 23, S. 460―1(『マルクスエンゲル ス全集』23巻,第1分冊,大月書店,1965年,571―2 頁).なお,この時期のミュール紡績工組合の運動と その戦闘性については以下の論文ですでに明らかに しているので参照されたい。田中章喜「イギリス綿 紡績工組合と労働者文化,1792―1810年」『社会経済 史学』第57巻(1992年),同「産業革命と労働組合―― イギリス綿紡績工組合の変質,1810年―1830年」『専 修大学経済学論集』第39巻(2005年)。
53)P. P., 1833(690), vi, Report on Manufactures, Com-merce and Shipping, pp.323―4,648,685.
54)Baines, History, p. 207 ; Ure, The Cotton
Manufac-ture, II, p.198 ; Tunzelman, Steam Power, p.187. 55)S. J. Chapman, The Lancashire Cotton Industry, p.
69―70 ; Tunzelman, Steam Power, p. 187―8 ; La-zonick, ’Industrial Relations’, p.237.
56)Flower and Wyke eds., The Barefoot Aristocrats, p. 249.
57)S. Andrew,50Years’ Cotton Trade(Oldham, 1887), pp.2,5.
58)S. J. Chapman, The Lancashire Cotton Industry, p. 70.
59)Catling, Spinning Mule, p. 116 ; J. A. Mann, The
Cotton Trade of Great Britain(London, 1860), p. 26 ; D. A. Farnie, The English Cotton Industry, p.153. 60)Kennedy, Observations, p. 22 ; Tunzelman, Steam
Power, p.184―5. 61)先に指摘したように,オルダムでも自動ミュール の普及が遅れ,1850年代まで動力補助ミュールが広 汎に使用され続けたが,オルダムは,イギリス綿工 業のなかでも最も低番手生産に専業化していた地域 の一つであった。19世紀半ばのオルダムで生産され ていた平均番手は32番手であったにもかかわらず, 自動ミュールの普及は1860年代以降を待たねばなら なかったのである。Andrew,50Years’ Cotton Trade, p.6.
62)Baines, History, pp. 228―235 ; Ure, The Cotton
Manufacture, II, pp. 287―9 ; Ellison, The Cotton
Trade, pp.35―6.
63)Kennedy, Observations, p.19. 64)Ellison, The Cotton Trade, p.36.
65) Ure, The Cotton Manufacture, pp. 307―316 ; Bythell, The Handloom Weavers, pp. 77―9 ; Farnie,
The English Cotton Industry, p.281.
66) Ure, The Cotton Manufacture, pp. 317―323 ; Bythell, The Handloom Weavers, p. 78 ; Farnie, The
English Cotton Industry, pp.281―2.
り,織布工の数は不明である。P. Colquhoun, An
Im-portant Crisis in the Calico and Muslin Manufactory in Great Britain Explained (London, 1788), pp. 4―5 ;
Case of the British Cotton Spinners, Appendix ; J. Aikin, A Description of the Country from30 to40
Miles around Manchester(London,1795). なお,当時 の 手 織 工 数 は,ウ ッ ド の 推 計 に よ れ ば1788年 で 108,000人であるが,近年の研究である S・D・チャッ プ マ ン の 推 計 に よ れ ば1795年 で75,000人 で あ る。 Wood, The History of Wages, p. 125 ; Butt & S.D. Chapman, ‘The Cotton Industry’, C.H. Feinstein and S. Pollard eds., Studies in Capital Formation in the
United Kingdom,1750―1920(Oxford,1988), p.109. 68)ベインズは,1820年から1834年にかけて,力織機
の普及にもかかわらず,手織工は減少したのではな く増大し,1833年でも少なくとも25万人の手織工が 存在したと述べている。しかし,ビゼルは,手織工 数は1820年代半ばにピークを迎えたと主張している。 Baines, History, pp. 237―8 ; Bythell, The Handloom
Weavers, pp. 54, 57 ; R. Guest, A Compendious
His-tory of the Cotton Manufacture(Mancheter, 1823), p.
33.
69)ウッドの推計値によれば,1834年に工場労働者21 万5千人,手織工20万人となり,初めて前者が後者 を上回っている。Wood, The History of Wages, p.127. 70)Bythell, The Handloom Weavers, pp.265―8. 71)Habakkuk, American and British Technology, p. 147.
Farnie, The English Cotton Industry, p. 278 ; Lyons, ‘Family Response’, pp.49―50.