ものになっている。区分がはっきりしないという性格はあらゆる場面で今 問われていると言っていい。ハイデガーはその直接の努力は「哲学」とは 関係がないとして,『哲学への寄与』を書いたが,サルトルはわれわれの 努力は「実践」にあると見て,それを訴え続けた。ある意味で二人とも, 「哲学」について直接語ることはない。ハイデガーが哲学史の問題に沈潜 し,サルトルが文字通りの実践に突き進んでいったのは,ある意味で当然 のことであった。ハイデガーとサルトルの二人がもはやナチや「反ユダヤ 主義」について語ることをしなくなったのは,関心がなくなったわけでは ない。むしろその逆であろう。われわれはその上でハイデガーを裁いてみ せる必要がある。われわれがこの論考で手引きとしたのは,リオタールの ユダヤ人論であったが,彼にも同じような意志が見て取ることができるの である。 (2019年12月13日) 注
ii “The life of the mind” by Hannah Arendt. One -volume Edition. A Harvest/HBJ book, 1981(邦訳『精神の生活』岩波書店)
iii 同上,p3(邦訳,p5) iv 同上,p4(邦訳,p6)
v 同上。
vi “La Fiction du politique: Heidegger, l’art et la politique” by Philippe Lacoue-Labarthe, Bourgois, 1988. (邦訳,浅利誠,大谷尚文訳『政治という虚構――ハイデ ガー,芸術そして政治』藤原書店,1992年,p69)
vii “Eichmann in Jerusalem” by Hannah Arendt.Penguin Books(Penguin Classics), 2006, p55(邦訳『イスラエルのアイヒマン』岩波書店,p43)
viii “The life of the mind” by Hannah Arendt. One -volume Edition. A Harvest/HBJ book, 1981, p4(邦訳『精神の生活』岩波書店,上 p4)
ix 同上,p4(邦訳,p7) x 同上,p4∼p5(邦訳,p7)
xii 同上. xiii 同上,p13 (邦訳,p9) xiv 同上 xv 同上,p15 (邦訳,p13) xvi 同上,p17(邦訳,p15) xvii 同上,p51 (邦訳,p67∼68) xviii 同上,p60 (邦訳,p80∼81) xix 同上,p61 (邦訳,p81) xx 同上 xxi 同上,p58(邦訳,p45) これは私たちの中にも共鳴するものが出てきて当然のこ とであるのかもしれない。この関係は大乗仏教と小乗仏教の関係に似ているからであ る。大乗非仏説は仏教史においてつとに有名だが,仏教はその説の性質から見て,歴 史的には敵対するものとしてあらわれることはなかった。しかし,その基本はここで リオタールが強調しているところと変わりはないように思われる。
xxii Jean-Paul Sartre,” Réflexions sur la questin juive”, Gallimard 1954, p67(邦訳『ユ ダヤ人』安堂信也訳,岩波新書,p65) xxiii Lyotard 前掲書,p37(邦訳,p44) xxiv 同上,p41∼42 (邦訳,p51∼52) xxv 同上,p47 (邦訳,p60∼61) xxvii 同上,p50 (邦訳,p67) xxviii 同上,p52 (邦訳,p70) xxix 同上,p63 (邦訳,p84) xxx 同上,p63∼64 (邦訳,p85) xxxi 同上,p66 (邦訳,p89) xxxii 同上,p68 (邦訳,p92) xxxiii 同上,p15∼16 (邦訳,p13) xxxiv 同上,p81 (邦訳,p114) xxxv 同上,p88 (邦訳,p124) xxxvi 同上,p88 (邦訳,p125)