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モノ・ガタリ構造定型

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モノ・ガタリ構造定型

著者 廣川 勝美

雑誌名 同志社国文学

号 18

ページ 2‑22

発行年 1981‑03

権利 同志社大学国文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004947

(2)

モノ・ガタリ 構造定型

モノ・ ガタリ 構造定型

廣  川 勝  美

 モノ・ガタリは︑ひとつの完結した伝承世界である︒

 モノ・ガタリの奥底には︑無限に拡がる伝承の世界の重層がある︒

それらの上に︑表層としてのモノ・ガタリが︑音声言語においてで

あれ︑あるいは文守言語においてであれ存立する︒モノ・ガタリは︑

伝承と伝承とを︑複雑に織りあげた織物である︒その際︑織りこま

れる伝承は︑既存のものの織り直しである︒そのためには︑完結し

た織物であるモノ・ガタリを︑再び伝承に解体し︑新たたモノ・ガ

タリに織りこむ︒むろん︑そこには引用符はありうるはずがたい︒

それどころか︑解体された伝承は︑意図的に何ほどかの変更を加え

られることさえある︒そのように︑重層的な織物としてのモノ.ガ

タリは︑意識的にせよ無意識的にせよ︑記憶の底から浮かびあがる

先行伝承の織り直しであって︑無から生まれるものではたい︒あく

までも︑伝承それ自体を生命とLているといわたけれぱならたい︒  伝承は︑すでに伝承であることによって︑それが﹁真実﹂であることが保証されている︒そのことにおいて︑事実性あるいは現実性によって﹁真実﹂の裏打ちがされる近代散文文学とは基本的に異たる︒したがって︑モノ・ガタリの語り手は︑伝承の中からものがたるべき伝承を選りすぐって織りたしてみせるにすぎたい︒少くとも︑そのようた約束事の上において成立するのがモノ・ガタリの方法であった︒そのことを先ず確認しておきたい︒ モノ・ガタリは︑いくたびとなく織り直した伝承の織物である︑といった︒その最も表層には︑ ﹁文献1ーテクスト﹂と呼ぱれる織物が文字言語によって構成されていることは周知の事実である︒いわゆる解釈学は︑このテクストとしての織物を対象とする方法である︒したがって︑解釈学的問題は︑テクスト解釈の技術学としての個々の解釈学を︑一般理論にたかめようとする方向を有している︒われわれのモノ・ガタリの方法もそのうちに位置するが︑テクストを伝承の最後の段階に位置づけて︑その背後に伝承史を想定する︒そし

(3)

て・各段階のテクストをも︑ひとつの伝承として伝承史という視座

のうちに組みこむことをもって論を始めようとするものである︒

 伝承史の方法もまた︑侯統的た﹁文献いテクスト﹂批判研究を一

方で前提にしたがらも︑他方ではそれをさらに・越えようとしている︒

文献批判が摘出した︑テクストのうちに織りこまれた個六の伝承を

対象とするが︑それらがどのようにして生成してきたか︑どのよう

に構成されてきたかを考究するに1あたって︑いわぱ表層としてのテ

クストの﹁文献Hテクスト﹂成立史の検討のうちに︒とどまらない︒

何よりも︑文字言語においてであれ︑音声言語においてであれ︑そ

こに見出される段階的な成立史がもたらしたはずの伝承の重層的な

構造を問題とする︒

 伝承の各層の担い手は︑それに1先行する︑より古い層の伝承を素

材として活用しっつ︑その一部を改変付加したり︑位置を入れかえ

たりして︑それぞれの段階における表層としてのモノ.ガタリとし

てかたり出し︑それが負うべき意図や目的を入れこんできた︒その

ような伝承の各段階での変容を把握することによって︑モノ.ガタ

リ伝承史におげる各伝承の担い手の主張や思想をも明確になる︒こ

のことは︑次のように言い直すことができょう︒﹁文献いテクスト﹂

を表層構造とし︑伝承のより古い段階を基層構造とし︑基層構造か

ら表層構造の問に︑幾層かの中間構造が認められる︒もちろん︑各

     モノ・ガタリ 構造定型 段階におげる表層構造は︑次の段階においては中間構造のひとっとたり︑新たた表層構造と交替する︒この一連の構造の関係が伝承史の見出しうる︑意味論的な本質である︒素材に1新しく組みこまれる思想である意味論的本質が素材に働きかけて︑古い伝承から新しい伝承が織り直される︒伝承を変容し︑新しい伝承を生み出す転回軸が新しい伝承の担い手に固有の本質であり︑その転回軸に沿って素材を解釈し直す歴史的考察がここに−いう伝承史の方法である︒ 伝承史を伝承の各段階の担い手の意味論的本質たる思想解明の方法をとらえるならぱ︑まず︑伝承の各段階において︑表層構造として現出するテクストから︑何を基層構造として分離するのか︒しかも︑伝承を素材として︑個別に解明するぱかりではたく︑それを︑秩序と安定をもった一個の完結体として統合する︒その方法は何か︒確かに1︑それは単に断片伝承の総和というのとは別の次元に属する︒伝承を素材として解釈し直し︑新たな織物として組みこんでいく操作︑すたわち断片伝承を配列しったぎあわせていくためにひとっの構造を必要とする︒げれども︑それは構想の域にーとどまるのか︒構想によって主題は展開していく︒それは︑今の場合︑表層構造としての伝承のもつ機能だといわなけれぼならない︒伝承が解体され再統合されていくときに︑個次の伝承が占めるべき位置をゆるぎたいものとして指定され伝承構造の骨格を形成していく︒その枠組が問      三

(4)

     モノ・ガタリ 構造定型

題なのである︒それがさらに伝承史全体の大きた枠組に組みこまれ

ていく︒そのような枠組こそが︑伝承のひとつひとつの段階を決定

する︒それを構造定型と呼びたい︒構造定型は︑伝承の基層構造か

ら表層構造の全段階を貫くはずである︒伝承としてのモノ・ガタリ

もまたそのように構造定型を内在させることによって成り立ってい

る︒また︑それにもとづいて︑伝承史としてのモノ・ガタリ史をも

っことにたる︒

      ¢柳田国男氏は︑その﹁口承文芸史考﹂に−おいて︑﹁昔話﹂の形式

について次のように指摘している︒今日の論者の多くがこれを踏襲

しているものである︒

 我々がハナシと謂って居るもののうちで︑﹁昔々ある処に﹂

といふ類の文句を以って始まり︑話の句切り毎に必ずトサ・ゲ

ナ.サウナ・トィフなどの語を附して︑それが又聴きであるこ

とを示し︑最後に一定の今は無意識に近い言葉を以て︑話の終

りを明かにしたもの︑此形式を具備したのが目本では昔話︑西

洋の人たちは民問説話とでも訳すべき語を以て呼んで居る特殊

の文芸である︒此文芸は口と耳とを以て世に流布して居た︒僅       四かに近世に入ってその一小部分が筆録せられたのみで︑筆の達者な文人もまだ安全には之を模倣し得ない︒さうしてこの昔話には大体定まつた内容があり︑其内容が未開既開の諸民族を通じて︑可なり著しく一致して居る︒何故に︑又如何にして是が

一致するか︒それを我々はとくと研究して見たいのである︒

 要するに︑導入句︑中問点︑終結句の定型性をいったにとどまる︒

﹁昔話﹂という命名とともに検討したくてはならない論である︒﹁昔

ガタリの語りだしが聞き手を独特の雰囲気のなかへ引きこむのは︑

この型にはまった約束ごと  固定的様式の力である︒そして︑ひ

とたび約束ごとにのって進行するコトバは︑不思議た世界を刻み込

んでいく︒親しい生活のコトバ︵分析的言語︶が︑独特のリズムと

約束ごとのなかで︑幻想的た虚の世界を現出させる︒もう一つのコ       トバ︵伝承的創造力を持った言語︶に1転化する﹂︒ これは︑われわ

れの結論でもある︒その限りで柳田説は正しい︒それらの定型句は︑

そのひとっひとっの彬式において︑それぞれの伝承杜会のモノ・ガ

タリを成り立たせている︒そのようた形式の役割は︑たとえぱ︑

 移式はまず︑昔話とふだんの話︑伝説︑世間話などを区別す       ける︒少し古風な言い方をすれぱそれまで嚢の話1ーふだんの話を

(5)

していても︑ ﹁たんと昔があったげな﹂とあれば︑さあここか

ら︑晴れの話一つはじまるよと︑聞き手に注意をうながすので

ある︒また終わりに︑ ﹁むかしこっぷり﹂と言えば︑これで一      @つの昔話は終了したよ︑とげじめをつげるのである︒

というふうた見解に集約されるであろう︒いずれにしろ︑それらの

彩式は︑モノ・ガタリの言語表現にあらわれた外面的形式にすぎな

いといわなげれぱならたい︒そのように︑形式論的にモノ.ガタリ

構造を観定することは︑きわめて容易な方法にはちがいないが︑そ

れを越えた構造を把握できないことも事実である︒それは︑先に1ふ

れた﹁昔話﹂なる呼称とともに問いなおさなけれぱならないであろ

う︒酉郷信綱氏の柳田説批判はこの際有効である︒

 昔話は昔ガタリまたは昔モノガタリと呼ぱれていたはずであ

る︒ ﹃おわむ物語﹄  関ヶ原の役にさいし石田三成の大垣の

城にいた一女の経験課を記したもの  は︑﹁子どもあつまり

       ︑  ︑ ︑  ︑  ︑ ︑  ︑て︑おあん様︑むかし物がたりたされませといへぱ﹂と書き出       ︑  ︑  ︑している︒ところが次の段では︑﹁又子ども︑彦根のはなし︑

ナサレ被レ成よといへぱ﹂となっている︒ これはカタリからハナシヘ

の過渡︑たらびにーヵタリとハナシの並存を示す一っの資料とい

   モノ・ガタリ 構造定型 えるだろう︒ ︵中略︶私のいいたいのは︑昔ガタリであったものが昔バナシヘと転化したのは︑文化全体のなかで︑昔話のもっ位置に大きな変化が生じたことを意味すること︑そしてそれは昔話が子ども専用のものとたった過程と結びついているので      @はたいかという点である︒

われわれの採録したところによっても︑昔ガタリと昔バナシとは明

らかに1異たる︒まして︑ ﹁昔話﹂は︑むしろ︑ ﹁過去の出来事にっ

いての話﹂︑ 老人にとっては若き目の話︑共同体にとっては︑そう

遠くない時代の記憶︑というような意味あいがある︒いわゆる﹁昔

話﹂が︑ ﹁昔ガタリ﹂を意味するようになったのは︑そのような呼

称がもちこまれてからのことに︑属する︒滋賀県朽木村︑長野県下伊         那郡など各地の調査で︑そのことを痛感させられた︒ともあれ︑昔

ガタリは︑他たらぬカタリであることによって︑特定の構造定型を

もっている︒少なくとも︑それは︑ ﹁昔﹂という語をもってはじま

り︑ ﹁あるところに﹂というような無名性ないし一般性への傾斜だ

げでは説明がつかたい︒

 ふるおきな つた      あるひと  こ こ       っく   も 古老の伝へていへらく︑昔︑或人︑此処に山田を佃りて守り      たつく    をのこくらき︒その時︑目一つの鬼来りて︑佃る人の男を食ひき︒その時︑

      五

(6)

   モノ・ガタリ 構造定型

をのこ かぞいろ       うち  かく   を男の父母︑竹原の中に隠りて居りし時に︑

        あよあよ       かれ時︑食はるる男︑﹁動動﹂といひき︒故︑    あよ竹の葉動げり︒あ よ阿欲といふ︒ その

﹁出雲国風土記﹂大原郡の条にある︒これは何故に地名起源伝承た

りえたのか︒ ﹁昔︑或人﹂が柳田説のいうように︑定型的な伝承移

式であることは容易にみてとれる︒さらに︑ ﹁山田﹂が﹁鬼﹂に出

会いうる周縁的な時空であることの意味は︑これまでの論で明らか

であろう︒しかし︑それだげでは︑一個の完結したモノ・ガタリ構

造をとらえたことにはならない︒伝承そのものの目的は︑ ﹁故︑阿

欲といふ﹂という句がそれを明示しているが︑これは︑ ﹁古老の伝

へていへらく﹂という︑ ﹁風土記﹂の地誌としての編述意図にもと

づく説明句と対応する解釈句である︒その意味でこの伝承が﹁風土

記﹂のうちに組みこまれたのであって︑モノ・ガタリ構造としては︑      あ よ最も表層に位置するといわなげれぱならない︒間題は﹁故︑呵欲と

いふ﹂と説く解釈句に到達するまでの構造定型にある︒事の展開は

こうである︒

古老の伝へていへらく︑

昔︑或人︑      A此処に山田を佃りて守りき︒ その時︑その時︑        六        A         B目一つの鬼来りて︑佃る人の男を食ひき︒男の父母︑竹原の中に隠りて居りし時に︑

げり︒    彫 その時︑食はるる男︑

故︑阿欲といふ︒

CI

﹁動動﹂といひき︒   CI竹の葉動

導入の定型句﹁昔﹂以下が︑一っの完結した伝承である︒それが昔

ガタリとされるのは︑柳田氏のいうように−︑ ﹁昔﹂から始まるから

だげではない︒そこにはカタリの恒常的な構造定型が認められるか

らこそ伝承的昔ガタリである︒その基本は鐘言葉の反復になる︒ま

ず︑ ﹁その時﹂という語句の繰りかえしが時問軸を展開させている︒

それは事件の単なる時問的経過を示すぱかりでなく︑ヵタリそのも

のを紡ぎ出していくための鍵言葉である︒さらに︑重要なのは︑A

﹁佃りて﹂←〃﹁価る﹂︑B﹁食ひき﹂←甘﹁食はるる﹂︑C﹁動げ

     あよあよ      ︑ ︑ ︑ ︑ ︑り﹂←o﹁動動﹂︑ という︑いわぱ尻取り式的な語句の反復にある︒

ここに音声言語によるモノ・ガタリの重要た構造定型の基礎がある︒

そのような反復はモノ・ガタリのみたらず︑音声言語によるウタに

も認められるところであって︑語の反復は︑一定の音律や様式の要

因にもなるが︑同時に︑即興的な表現を生み出す手だてにもなる︒

(7)

前の語句を繰り返している間に︑次の語句を思い浮べるゆとりを持

ちうるという彫でそれは機能する︒

 モノ・ガタリの場合も反復ということの機能をそのようにみるこ

とができるが︑それぱかりではなく︑そこに明確た均衡原理が認め

られることが注目される︒

 われわれは︑右のようた鍵言葉︑あるいは︑話根︑主題︑音韻︑

様式などの︑さまざまた成分の相称的な反復を︑均衡原理と呼ぶ︒

ここに︑モノ・ガタリ構造の恒常性を成立させる構造定型を見出し

たい︒その原初的た事例を︑この﹁風土記﹂の伝承は明示したとい

えよう︒また︑その意味において︑この伝承は﹁昔ガタリ﹂ ﹁昔

話﹂という呼称はとらない  の原型たりえたといえるのではない

か︒ 先にふれるところのあった清内路村︑桜井小菊さんの﹁花咲爺﹂

の構造は次のようである︒われわれの採録の全文を提示する︒構造

定型の中核は理解されよう︒

U むかあしむかし おじいとおぱあとすんどってねえ こどもが      白   犬 なしに︒へえからかわいいしろいいぬをいっぴきかっとったって︒     白   犬  ほいでしろいいぬをかっちゃあおじいさんがこうやってあのう  畑   連 はたげえっれっちゃあしごとにいったんだって︒

     モノ・ガタリ 構造定型       高  あるひっれてったらねえ やまのたげえとこへ︒       白     掘A こうやってしろあここほれワソワソここほれワソワソてこうや       言 って ここほれワソワソていやへんがワソワソ ワソワアーソて      教 こウやってほっとったって︒しろはこうやってここをおせえるに   何 やあなにかあるぞとおもっておじいはほってみたらえ︒こぱんが おそろしいはいっとってねえ︒ へえからおじいちゃんはびっくり してえ うちいもってきてお注あさんとふたりで こんネこぽん      使 がマァ︒いぬをかわいがってねえ︒しろのおかげだホリャただっ かってもこまったもんだなあとおもってこまっとったら〃 そのよこてでとなりのじじいはみちまって よくふかじじいは︒  ほいからそのいぬをかしてくりょ いやがるやっをねえ ここ    嫌 じゃあやがるんちゃいうがズソズソズソズソひっぱってって む   木 りにきイしぽりっげて ヵアソヵソヵソヵソこうやっとるって ここほれワソワソしとるって︒ここかってえてよしよししめたも      無 んだどソとおもってほってみたらねえ そんたものはねえ︒きた      瓦       罎 諸 ねえものばっかいごみのかわらのこわれやかんづめのかんのこわ れやねえ ごみびしゃりだったって︒このやろうめエおうちゃく         鍬         殺 たやろうだって くわでぶんたぐってころいちまってねえ︒そい      埋 からいぬをいげといったって︒      墓場B そしていぬをいけて はかぱのしるしだわねえ︒      七

(8)

     そノ・ガタリ 構造定型       死骸  マァきのどくなことをしたもんだっておじいは しがいをもら      木 ってきてこウやっていいおじいはいけてきをいれといたって︒そ

 のきはでっかくたっちゃってねえ ズソズソズソズソと︒こりゃ    記念      木 あまあきねんだでしろのとこイいれたきだがこんなでかくたった ︑餅    臼       餅 でもちをっくうすでもほるかなあってって もちをっくウうすを

 ほったって︒そうしてうすほって おじいとおぱあとでもちをつ         揚 いたら ひとうーっっきゃバァーソ いちどっきゃバソとみんな

 黄金

 こがねになっちま︒おどろいちまってねえ︒

B へえからびっくりしとると ハイまたよくふかじじいはねえ 其     うらや芒く ほのうすをげなるく衣っちまって ちょっとかしてくりょって

 しろみてえにね︒あんなことしられちゃこまるがとおじいはおも

 ったがひとのいいおじいだもんで よしよしってかしてやったっ

 て︒  ほうしてよくふかおじいとばぱあとでついたら ペタァソとつ    糞 きゃあぱぱになっちゃう︒ベタソつきゃペタァソそこら◆わだ

 らけにたっちまってえきたねえもんなっちゃって︒こんなきたね       鐵 えうすはなんだってって まさかりもってきてこうやってまっか      焚 なかおしてドソドソドソドソたっからかいちゃった ふろで︒

C へえからあのうあのうすを おぱあはこまけえでねえどこでも︒

うすとってこにゃあいけなことあるかわからんどってから うす       八をかえしてくりょっていったら よくもそんたものかえせったアいったもんだ ひとにあんたいやらしいうすをかしときゃがって   業      焼ねえ ごがわいたでこうやってやいてくらしたわアっていったって︒         灰 へえじゃあ そのはいでもいいにくれてよって︒へえからおじ 灰いははいをもらってえ︒      畑 へえからはたげへねえまかずとおもって こやしに︒さくもっ      風  吹       柿の︒せえからポォーとこうか畦のふくひにまいたらよこてにかき 木  枯       灰のきのかれたやつウあったらえ︒それへいってパアーツとそのは       花咲いがかかったら パァーツとはなさいちゃって︒ ハァおじいはふしぎでふしぎでねえ︒ ハァおかしいことがあったもんだあ あし   殿様   加賀    通         枯木たはとのさまの かがさまのおとおりだつうが これでかれきに       花  無       花ちょうどいまはなのねえじきだし はなさかしてみょうとおもっ        道上      道 上てねえ︒ほいからみちうえにだわあみちうえにおったって︒ ほしたらかがさま したにおろうしたにおろうってきたって︒       枯木  花ほえでそこでじじいはうえにおって かれきにはなをさかせるっ      無礼    枯木  花てよぱっとったって︒このぶれいものめかれきにはたをさかせる        花んて ここへきてはなをさかしてみよていったって︒へえからそ      花のおじいはポゥiポゥi したらべったりここらははただらげに

なっちまって へえからよろこんだねえとのさまあ めずらしい

(9)

じいだって︒へえからほうびをくれてえ︒ またそのほうびをもってきてよろこんどったら またそのよく        灰      灰ふかじじいはそのはいをくりょって︒マァはいまいちまってこれしかねえがねえ ちょっとしかねえで︒へえだがおれはハイいら  帰      深んでけえるってけえたって︒そしたあそのじじいは よくあふけ       灰えもんでただのはいとケェヅヶエヶエヶエまぜてこんたんなって︒       始 終へえからまたとのさま ここあしじゅうとのさまとおるでねえ       枯木  花むかしゃあ︒とのさまとおるやっまっとって かれきにはたをさ        花かせるんちゃあ はたさかじじいでございますんてよばっとったんだって︒      花 へえじゃあいっものはなさかじじいでございますんてもんで︒   花      花じやあはたをさかしょって︒へえじゃあここへきてはたさかして       灰みようってって バァーソぱらまいた︒ただのはいをいっぺえま      花     目     入ぜたっちまうもんでちょっともはなさかずし︒めえもごみへえったりなんかしちまって︒とのさまがたおおさわぎで このくそじ      尻じいめって︒しりっぺぶちきったって︒       清  内  路 そういっちゃあはなすがねえ 也いないじじゃあ︒ なんぽごんぽすいほろけ︒

Uが︑定型的導入句であり︑wが定型的終結句である︒

  モノ.ガタリ 構造定型 この地方の 終結句﹁たんぽごんぽすいはろげ︑ごんぽにておきゃくしょ﹂の意味は未詳である︒A  〃︑B  甘︑C  0が︑いうところの均衝原理による構造定型である︒その前後に定型句が対置するという具体的な構造を示している︒Dは付加的な部分であることは明らかであろう︒いわゆる﹁隣の爺型﹂の話型には︑このような構造定型が多くみられるのであって︑そこに︑善・悪︑正直・欲深などの価値論的な対立的機能が見出されることは︑周知の事実である︒モノ・ガタリ構造にとっては︑そのような機能論的な主題をもって話型とするよりは︑むしろ︑その機能をもたらす構造定型こそモノ・ガタリ構造の恒常性に基本をみるべきではないか︒

 われわれは︑モノ.ガタリの構造定型としての均衡原理を基本的

に四種あげることにする︒

ABC  ABC

ABC  CBA

ABC  DEA

ABC  BAC︵CAB︶

(10)

     モノ・ガタリ 構造定型

である︒もちろん︑いまかりに︑均衡する成分を三っとしたのみで

あって︑ ABCD⁝⁝Z  ABCD⁝Z

たど︑その数に応じて相称的に均衡する成分は増加する︒これらの      @四種を︑聖書学にたらっていうたらぱ︑第一の定式は︑自然た順序

における︑ある成分の反復である︒均整並行法︵8胴巨胃肩邑−¢房昌︶

と呼ぱれるもので︑それらが同義語か対節的かはその内容で定まる︒

第二の定式は︑逆転された順序を意味している︒逆並行法︵巨き斗&

雇邑一¢豪昌︶︑交錯配列法︵O巨易昌易︶あるいは外包構成︵彗く9◎肩

8易↓昌ま旨︶などと呼ぱれているものである︒第三の定式は︑一      91連の序列の中で︑最後の都位で︑最初の成分の再帰を示す︒包摂

︵ぎO−易−昌︶︑環状構成︵ユ馬8冒O易ま旨︶あるいは持送り︵げSOぎ−

饒掃︶など︑呼ぱれるものである︒第四の定型は︑後半部が︑前半

都の全てか大都分を反復するが︑順序は一定していない︒対位法

︵O昌ま¢壱9昌︶などと呼ぱれているところである︒

 これらの均衡原理による構造定型は︑即境的・類型的な想像力の

展開を容易にすることはすでに述べた︒そして︑同時にそれは︑伝

承の管理者の記憶を助ける︒相称的反復的た構造定型は記憶11表出

という言語行為にとって有力た援助者である︒のみならず︑それは︑

聞き手の参与と理解をも助げる︒構造定型はしぱしぱ話者の伝達し       一〇ようとする意味の媒介をする︒さらに︑それは︑抽象的構造原理︑すたわち︑美的機能︑時には︑呪的宗教的ないしは哲学的思想的た説明原理としての機能を保持する︒構造定型はそれらのモノ.ガタリにおげる意味機能をもととして︑個別的伝承を再生させ︑部分と全体との相互補完を可能にして︑モノ・ガタリ構造を完結させ円環させる︒ ﹁目は単純な繰返しを忌み︑耳は逆に︑繰返しを養分にし   ¢て楽しむ﹂といわれるごとく︑反復的な均衡原理による構造定型は︑すぐれて音声言語によるモノ・ガタリのものであった︒一連の均衡原理による構造定型は︑モノ・ガタリの顕現において︑一定の音律を始動させつっ︑冒頭句から結句に至る構造の連続性と完結性を予期せしめるのである︒それは語り手と聞き手とが同時に共有する言語空間である︒ 先にみた﹁花咲爺﹂や﹁風土記﹂の事例は︑第一の構造定型が基本になっている︒モノ・ガタリの始源的た構造はこの第一の定型と第二の定型が多い︒いわゆる三輸山型伝承は第二の事例である︒構造定型として次にあげる︒

こおほたたねこい     ゆゑ かみ

此の意富多々泥古と謂ふ人を神の子と知れる所以は︑上に云へ

 いくたまよりぴめ   そ   かたちきらきらる活玉依昆売︑其の容姿端正しかりき︒

ここ をとこ        すがたよそほい   たぐひ   よなか    たちまち是に壮夫有りて︑其の形姿威儀時に比無し︒夜半の時︑衛忽に

(11)

き た到来る︒

かれ あひめ     まぐは      ほど  いま いくだ  へ故︑相感でて︑共婚ひして供に住める間に−︑未だ幾時も経ぬに︑

  をとめは ら其の美人妊身みぬ︒

ここ  ちちはは     はら      むすめ      い爾に父母︑其の妊身みし事を怪しみて︑其の女に問ひて日はく︑

 な   おのづから ばら      せ な   なに  牟ゑ    は ら﹁汝は自ら妊めり︒夫元く何の由にか妊身める﹂といへぱ︑

        うるは      かぱねな答へて目はく︑﹁麗美しき壮夫有りて︑其の姓名も知らぬが︑

よひごと  きた       ほど    おのづからはら夕毎に到来りて︑供に住める問に︑自然懐妊みぬ﹂といひき︒

  も       ほ      をし是を以ちて其の父母︑共の人を知らまく欲り︑其の女に譲へて

     は に   とこ  へ       うみを      ぬ目はく︑ ﹁赤土を床の前に散らし︑へその紡麻を針に貫きて︑

  きね  すそ其の衣の禰に刺せ﹂といひき︒

  をしへ     あした       つ   を    かぎあな   ひ故︑教の如くして旦時に見れぱ︑針著けし麻は戸の鉤穴より控

    い     ただのこ        み わ       すなはき通りて出で︑唯遺れる麻は三勾のみなりき︒爾に即ち鉤穴よ

    さま       まにま      み わ やまり出でし状を知りて︑糸の従に尋ね行げぱ︑美和山に至りて︑

  やしろ とど神の杜に留まりき︒故︑其の神の子とは知りぬ︒

       よ         ところなづ    み わ故︑其の麻の三勾遺りしに因りて︑其の地を名けて美和と謂ふ

      みわのきみかものきみおやなり︹此の意富多々泥古命は神君.鴨君の祖︺︒

これについて話根による区分をすれぼ︑次のような展開になる︒

オホタネコの由来とイクタマヨリビメの説明

  モノ・ガタリ 構造定型 をとこ壮夫の到来をとめ美人の共婚・懐妊父母の質間をとめ美人の答父母の教示をとめ美人の実行神の子の顕現ミワの地名起源

U  wは︑この伝承の最も表層的な説明句︑解釈句である︒こ

れをもって︑三輸の地名起源と始祖の伝承となって︑ ﹁古事記﹂の

企図する宮廷神話のうちに組みこまれてくることになる︒そのよう

な神話的機能を保証するのが︑ABC  OR火という基層的な構

造定型である︒Dの部分は︑この侯承を表出する際の付加部分であ

る︒必ずしも構造定型には不可欠ではない︒あくまでも︑ABCI

loR〃の都分が中心であって話根の配列が逆並行になっている︒

﹁蛇婿﹂型の異類婚伝承が同じ構造定型を存するのは当然である︒

タブーのともたうモノ・ガタリにはこの逆並行法による構造定型が

主要た機能を有する︒イザナキとイザナミにまっわる伝承もそうで

ある︒      一一

(12)

モノ・ガタリパ構造定型

ここ     いも       の   あひみ     おも      よみの       ゆ是に其の妹伊邪那美命を相見むと欲ひて︑黄泉国に追ひ往きき︒

ここ  との  とざしど       む       の        の爾に殿の膝戸より出で向かへし時︑伊邪那岐命︑語らひ詔りた

      うつく  あ   なに も   みことわれ  いまし         いままひしく︑ ﹁愛しき我が那適妹の命︑吾と汝と作れる国︑未だ

  を       かれ      の作り寛へず︒故︑還るべし︒﹂ とのりたまひき︒爾に伊邪那美

   まを  くや  とこ  あよもつへぐひし

命答へ白ししく︑ ﹁悔しきかも︑速く来ずて︒吾は黄泉戸喫為

っ︒然れども警き緊薮の命・耀膣擬繁呪入り莚    かしこかれ おもしぱらよもつあげつらあ

せる事恐し︒故︑還らむと欲ふを︑且く黄泉神と相論はむ︒我  みをた視たまひそ︒﹂とまをしき︒かく      あひだいと      かね如此白して其の殿の内に還り入りし間︑甚久しくて待ち難たま

ひき︒蝉左の撃雷濤簿警︒駈せる彰際鮒の

をぱしらひとつ   か      ぴ とも       う じ た男柱一箇取り闘きて︑一つ火燭して入り見たまひL時︑字士多かれころろきて      かLら おほいかづちを     僚のいかづち加礼許呂呂岐己︑散榊肘紳串頭には大雷居り︑胸には火雷

を      くろ       ほと    さき      わか居り︑腹には黒雷居り︑陰には振雷居り︑左の手には若雷居り︑

     つち      なり      ふし右の手には土雷居り︑左の足には鳴雷居り︑右の足には伏雷居

  あは   や        いかづちがみなり︑併せて八はしらの雷神成り居りき︒

ここ         の   み かしこ   に   かへ         いも       の   あれ是に伊邪那岐命︑見畏みて逃げ還る時︑其の妹伊邪那美命︑﹁吾

巖見せつ︒一と言ひて︑即ち蓄聾霧護簸︒を静

して追はしめき︒

      の   くろみかづら       う      えびかづらのみ爾に伊邪那岐命︑黒御綬を取りて投げ棄っれぱ︑乃ち蒲子       二一な       こ   ひろ  は       なほ生りき︒是を撫ひ食む間に︑逃げ行くを︑猶追ひしかぱ︑亦其   み み づ ら   さ     ゆ つ つ ま ぐし      か        うの右の御美豆良に刺せる湯津津間櫛を引き閾きて投げ棄っれぱ︑  たかむなな       こ       は       またのち乃ち箏生りき︒是を抜き食む問に︑逃げ行きき︒且後には︑  や     ちい偲 よもついくさそ其の八はしらの雷神にー︑千五百の黄泉軍を副えて追はしめき︒  よか  とつか      しりへで ふきつつ爾に徽偏せる十拳剣を抜きて︑後手に布伎都都散榊畑碑地・逃げ

くよもつひらさかもと

来るを︑猶追ひて︑黄泉比良散榊虻碑串坂の坂本に到りし時︑  さかもと     もものみみつ      う      ことごと  に   かへ其の坂本に在る桃子三箇を取りて︑待ち撃てば︑悉に逃げ返         の  もものみの      なれあれりき︒爾に伊邪那岐命︑其の桃子に告りたまひしく︑ ﹁汝︑吾

を助けしが如︑鞠は麟枇つ讐郁らゆる幕蔭散鎚撃譲

ひとくさ       うれ  なや       の人草の︑苦しき瀬に落ちて患ひ惚む時︑助くべし︒﹂と告りて︑

名を賜ひて撃筆嚢命繋餐︒とポき︒

いやはて     いも       の  みづか       ちぴき  いは最後に其の妹伊邪那美命︑身自ら追ひ来りき︒爾に千引の石を  よもつひらさか    さ      いは         おのおのむか其の黄泉比良坂に引き塞へて︑其の石を中に置きて︑各対ひ立   ことど  わた      の      うっく  あ  なせちて︑事戸を度す時︑伊邪那美愈言ひしく︑﹁愛しき我が那勢 みことかくせ  いまし  ひとくさ ひとひ ち がしらくぴの命︑如此為ぱ︑汝の国の人草︑一目に千頭絞り殺さむ︒﹂と         の の       な に もいひき︒爾に伊邪那岐命詔りたまひしく︑ ﹁愛しき我が那適妹   いまししかせ    あれひとひ   ち い ほ   うぶやの命︑ 汝然為ぱ︑吾一目に千五百の産屋立てむ︒﹂ とのりた    ここ  も     ひとひ      ち たり       ち い ほ たりまひき︒是を以ちて一目に必ず千人死に︑一目に必ず千五百人       かれ       の   なづ    よ も っ おほかみ  い生まるるたり︒故︑其の伊邪那美命を号げて黄泉津大神と謂ふ︒ ︑         おひしきし       も      ち しきの    なづ亦云はく︑其の追期伎斯散榊炬碑地・を以ちて︑道敷大神と号く

(13)

 ︑      よみ       さや    いは    ちがへしのとしふ︒亦其の黄泉の坂に塞りし石は︑道反之大神と号げ︑亦さやま よみどの     かれ  ・  よもっひら塞り坐す黄泉戸大神とも謂ふ︒故︑其の謝はゆる黄泉比良坂は・

    の  い ふ や今︑出雲国の伊賦夜坂と謂ふ︒

これについての西郷信綱氏の分析がある︒

﹁視るな﹂という禁が実際そこにあったと考えにくい︒では物

語はなぜ﹁我をた視たまひそ﹂といっているのか︒それは神話

の表現彬式なのである︒ほとんどすべての神話や昔話で︑ ﹁視

るな﹂といわれると必ず見る︒そしてそれが事件の発端となっ

て話が展開していっているのに徴しても︑禁止とその犯しとが

一対の形式になっていることが判るだろう︒ここもその例外で

ない︒次にあるとおり︑果してイザナキも﹁視るな﹂といわれ

      ゆたものを視てしまうのだ︒そしてそれから⁝⁝︑

 西郷氏は︑ここに︑後につづく︑イザナキの逃亡︑イザナミの追

跡とともに・︑形態学上の問題を認める︒それは︑﹁禁止と犯し・逃

亡と追跡という一対の要素で構成されている点︑まったく同じ型に

ぞくする﹂という指摘である︒この読みは正しい︒さらに付げ加え

るならぱ︑﹁一対﹂という構成の基層にも構造定型が存在するとい

     モノ一ガタリ 構造定型 うことである︒それが実のところ︑ ﹁表現形式﹂なり﹁構成﹂を支えているのである︒骨格の話根をとりだせぱこうである︒

イザナキがイザナミを黄泉国に追う︒イザナ︑・・のイザナキヘの情愛

﹁視るな﹂の禁忌提示

﹁視るな﹂の禁忌背反

イザナ︑・・のイザナキヘの償怒

イザナ︑ミがイザナきを追いかげる︒

イザナキの逃亡

イザナミの追跡

イザナキのさらなる逃亡

イザナ︑ミのさらなる追跡

イザナキのさらなる逃亡

イザナ︑・・のさらなる追跡

オホカムヅ︑・・ノミコトの命名

イザナキの逃亡

イザナミの追跡

単なる一対ではない︒禁忌の犯しは︑ABC  ORんという均衡

一三

(14)

     モノ・ガタリ 構造定型

原理をもった逆並行法の構造定型によって表出される︒そして︑イ

ザナキは追うものから追われるものへと逆転する︒その展開は︑

﹁そしてそれから−⁝・﹂の論理ではたい︒それは行為が紡ぎ出す時

間である︒イザナキとイザナミはその時間軸にょって行為するよう

にみえて︑実のところ︑モノ・ガタリの基層の構造定型にょって呪

縛されている︒ABC  OR〃の逆転の構造定型の内在する論理

がイザナキを追うものから追われるものへと転換せしめる︒それは︑

イザナキの意志というよりは︑モノ・ガタリの意志である︒そこに

この伝承の始原性がある︒逃亡と追跡もまた︑もっとも始源的な構

造定型AB  火R  パ趾  パ甘という相対的た反復を示して

いる︒ そのようた︑構造定型は︑基層的始源的た伝承のうちに認められ

るところである︒すでに︑ ﹁風土記﹂におげる伝承にっいて︑均衡      的な繰り返し構造を指摘していたのは石母田正氏である︒﹁出雲風

土記﹂意宇郡の条のいわゆる﹁国引き﹂伝承についての論である︒

氏はこの伝承を次のように区分する︒

オウ ナヅ  ユ呂     マ  ヤツカ︐︑ヅオ.︑ツヌノ  ノ意宇と号くる所以は︑国引き坐しし八束水臣津野命︑詔り      ノ  サヌ ワカク呂たまひしく︑ ﹁八雲立つ出雲国は︑狭布の稚国なるかも︒

ハツクニチサ       カレ       ノ初国小く作らせり︒故︑作り縫はた﹂と詔りたまひて︑       一四

﹁協プ奪一羅の議を︑国の葡りやと見れぱ︑国の余    ノあり﹂と詔りたまひて︑

ヲト  ムナスキ         オフヲ  キ〆       ツ童女の胸鉦取らして︑大魚の支太︵鰯︶衝き別げて︑波多       ホ      ミニリ    カ   シ妻須須支︵幡薄︶穂振り別けて︑三身の綱打ち崔げて︑霜黒ヅラクルヤクルヤ         カハフネ 毛ソ日モソロ葛闇耶闇耶︵繰るや繰るや︶に︑河舟の毛曽呂毛曽呂︵も        ク昌8 クニコそろもそろ︶に︑国来国来と引き来縫へる国は︑コヅ サキタ呈     ヤホ.一キヅキ         O去豆の折絶よりして︑八穂爾支豆支︵杵築︶の御崎なり

   カタ        カ シかくて堅め立てし加志︵杭︶は︑石見国と出雲国との堺な      ソノる︑名は佐比売山︑是たり︒亦︑持ち引げる綱は︑薗の長

浜︑是たり︒ ︵中略︶︒      ヲ    ノ       オウノモリ   ツ﹁今は国引き詑へつ﹂と詔りたまひて︑意宇杜に御杖衝き    オユ       ノ        カレ オウ立てて﹁意恵︵おゑ︶﹂と詔りたまひき︒故︑意字と云ふ︒       ヨヤマ︹謂はゆる蔚郭櫛は︑鮒射の東北の辺︑田の中に在る塾︑

    カヨ      バカリ是なり︒囲み八歩許︑その上に木ありて茂れり︒︺

これは︑石母田氏自らが記すように︑この﹁国引き﹂を︑ ﹁机上の

製作﹂ ︵津田左右吉氏︶とみたり︑ ﹁目を閉ぢて之を暗んずれぱ︑

親しく古へ人の手を打ち笑ひ歌ふを聴くが如き感がある﹂ ︵柳田国

男氏︶とみたりするように︑評価の著しく異ることへの疑問から提

起された︒とりわけ︑それは︑机上の製作とする説が正しいとすれ

(15)

ぱ︑ ﹁われわれはこの物語を出雲地方の古代人の伝承とうげとるこ

とはできないという問題意識に発していた︒そして︑ ﹁以上の博士

の立論の根拠とされたものを検討すればあきらかなように︑それは

いずれもまえに引用した国引の詞章のBおよびDの部分にふくまれ

ているのである︒そのさいBとDが全体の詞章または物語のたか

で︑どのような性質をもつ詞章であるかにっいてはまったく分析さ

れず︑特定の部分部分からひきだされた個々の地名の考証にょって

全体を判断されようとしたところに︒方当上の根本的な欠陥がみられ

るのである︒﹂として︑さらに︑その欠陥は︑﹁津田博士のみならず︑

文学史家をもふくむ古代文献研究に共通するものといってよいだろ

う︒﹂と断言された︒ここに石母田氏の﹁国引き﹂詞章の分析にあ

たっての根本的た姿勢がある︒伝承を区分して︑その基層と表層と

を明らかにしょうとするのであった︒

 国引きの詞章の彩式的な特徴は︑その整った構造にある︒そ

の構造をしめすために︑全体の詞章を分類すると︑さきにしめ

したようなAからEにいたる五つに分けることができる︒その

うちAは序の詞章であって︑Eは結びの詞章である︒Aは︑こ       ナヅ    畠の物語の全体が地名説話になっているので︑ ﹁意字と号くる所

呂      カレ以は﹂ではじまり︑結びのEでは﹁故︑意宇と云ふ﹂でそれを

   モノ・ガタリ 構造定型 完結させている︒しかしこの詞章を意宇郡の地名説話にしたのは後にのべるように後代の作為であって︑その証拠にAには別箇に﹁八雲立っ出雲国は︑⁝⁝故︑作り縫はな﹂という詞章全体のモティーフが別にあきらかにされている︒AとEとを独立の部分として析出することには︑形式的にも内容的にも異論の       タクプス亨シ ラ ギないところであろう︒っぎに1Bは︑ ﹁﹃拷表志羅紀の三崎を︑  アマリ国の余ありやと見れぱ︑国の余あり﹄と詔りたまひて﹂の部分      キタド   サ キであるが︑これは地名を北門の佐伎の国︑北門の良︵?︶波の  8 シ   ツ ツ国︑高志の都都の三崎といれかえただげで︑同じ詞章が四回繰返されている︒これを順にB甘︑R︐Rとしておく︒っぎにCは ヲトメ       ク昌ヨクニコ﹁童女の胸鉦取らして︑⁝⁝国来国来と引き来縫へる国は﹂までであるが︑この部分はまったく変化することたく四回繰り返      コ ヅ   サキクェされている︒最後にDは︑ ﹁去豆の折絶よりして﹂にはじまり︑      ソノ﹁亦︑持ち引げる綱は︑薗の長浜︑是なり﹂で終る部分である︒この都分も四回繰返されているが︑それにっれて詞章に変化がみられる︒そのうち﹁去豆の折絶よりして﹂の部分は︑わずかの変化をしめすか︑または除かれるに︐すぎたいが︑それにっづく部分は四回とも大きた変化がみられる︒いまこれを順にD︑ぴ︑ぴ︑ぴとしておく︒以上のように−分類して︑これを図示すれぱ左のようになるが︑それにーよって詞章全体の彬式上の構造      一五

(16)

   モノ・ガタリ

が明瞭にたろう︒

Al 1BI

1C1 lDl 構造定型

1R11C1 1皿1

ICI IDl 1

lCI lDlE

 全体として均整のとれた彩式と構造をもっていることが︑こ

の国引きの詞章の一つの重要な特徴であるが︑このことは後に

この詞章全体の成立を問題にするとき立ちかえることとしたい︒

右の分類からあきらかたことは︑A︐Eのように二回しかのべ

られないものと︑Cのように四回繰返されても詞章に変化のた

いものとが一方にあり︑他方にはB︐Dのように一回ごとに詞

章が変化するものとがある︒つまり詞章に変化のないA︐C︐

Eと︑変化するB︐Dとの相違がみられるのである︒前記の津

田博士の説の根拠とされたものが︑BとD︑すなわち変化する

部分からのみとられたということは︑見のがしてはならない事

実である︒

﹁国引き﹂詞章の内容に関する歴史学的た石母田氏の考察にっいて

は今は省略せざるをえない︒ただ︑ ﹁この国引きの詞章は一つの物

語であり︑文学である︵この規定が厳密でたいことは︑あとでのべ

るが︑ここでは一応広い意味でこういっておくだげである︶︒ いい       ニハかえれぱ︑それ自身として完結した全体をなし︑独自の構造をもち︑それによって個々の部分11詞章のもっ性質も観定され︑またその変化の仕方にも特殊な法則があるという特徴をもっているものである︒﹂という見解の妥当性を表明するにとどめたい︒ この﹁国引き﹂の詞章にっいては︑文学研究の立場よりする立論が数多くたされているのも周知のことである︒そのうちで︑石母田氏の見解と相接して提出された益田勝実氏の所論を引げぱ次のごとくである︒

        ︑  ︑  ︑  ︑  ︑       ︑  ︑ こういう神々のかたりごとには︑うたが割り込んで来る隙き

間がない︒全体が韻律をもった語られる文章であるげれども︑

四︑六とか︑あるいは︑五︑七とか七︑七というようた音数律

で組み立てられていたい︒この﹁国引き﹂の詞章のようた種類

のものは︑独特のレトリヅクが全体を貫いている︒げのことぱ︑

すなわち日常生活での用語たらぱ新羅という地名は︑ ﹁たくぶ

すま新羅﹂とたり︑ ﹁杵築﹂たら﹁やにほ杵築﹂と修飾語が付   をとめく︒ ﹁童女の胸鉦﹂もそうだ︒こういう名詞に対する修辞法と

同時に︑もうひとつの修辞法を併用している︒胸鉦を新羅の大

地に衡き立てて︑グサグサゆすって裂いてとり︑ということを︑

﹁︵大魚のきだ︶衡き別げて︑ ︵はたすすき穂︶振り別けて︑三

(17)

つ身の綱うちかげて︑ ︵霜黒葛︶くるやくるやに︑ ︵河船の︶

もそろもそろに︑﹃国来︑国来﹄と引き来・⁝・・﹂のように︑表現

するのである︒最初︑地面に鉦を突き立てたイメージと大きな

魚のえらにゃすを突き立てたイメージをダブらせ︑次の︑鉦を

グサグサやって大地が揺れて裂けるところは︑広い野を強風が

吹き抜げる時︑一面のすすきの穂を振り分げる姿と二重写しで      ○想像している  イメーシの二重構造︒

﹁イメージの二重構造﹂︑それはまさに文学の領域に属するにちが

いない︒それを承認したうえで︑石母田氏の構造的た分析をどうみ

るか︒ここでは︑益田氏はそのことにはふれない︒論点は﹁神々の

︑  ︑  ︑  ︑  ︑かたりごと﹂とは何かということである︒機能論的意味論的な発間

ではたい︒まさにそれが﹁かたりごと﹂であることを保証する構造

は何かという間いである︒そこに石母田氏の立論が有効性を示しは

したいか︒ただし︑その際︑詞章の区分は︑さらに精級になされな

げれぱならない︒たとえぱこうである︒

おう   なづ   ゆゑ意宇と号くる所以は︑

      や つかみづおみつ ののみこと国引きましし八束水臣津野命︑

モノ・ガタリ 構造定型 詔りたまひしく︑ や くもた八雲立つ 出雲の国ははつくに初国 小さく作らせり 狭布の 稚国なるかもかれ故作り縫はな と詔りたまひて

たくぷすま し ら ぎ   み さき拷奏 志羅紀の三崎を

  あまり国の余ありやと見れぱ 国の余あり と詔りたまひて

をとめ    むなすき         おふを        つ   わ童女の 胸鐙取らして 大魚の きだ衝き別げて はたす

   は ふ    わ        みつみ    つな       か        しもつづらすき 穂振り別げて 三身の綱 うち崔げて 霜黒葛 く

       かはふね       くにこ くにこるやくるやに 河船の もそろもそろに 国来国来

    き ぬと 引き来縫へる 国は

こづ をりたえ   や僚にきづき  みさき去豆の折絶より 八穂爾支豆支の 御崎なり

か      かた       か し此くて 堅め立てし加志は

いはみ       さかひ       さひ め    これ石見の国と 出雲の国との 堺たる 名は佐比売山 是た

また       つな亦 持ち引げる 綱は

その  ながはま  これ薗の長浜 是なり

また  きたど     さき

亦北門の佐伎の国を

  あまり国の余ありやと見れぱ 国の余あり と詔りたまひて

童女の 胸鉦取らして 大魚の きだ衡き別げて はたす

すき 穂振り別げて 三身の綱 うち崔げて 霜黒葛 く

      一七

(18)

 モノ・ガタリ 構造定型るやくるやに 河船の もそろもそろにと 引き来縫へる 国はた<  をりたえ   さだ    こつ多久の折絶より 狭田の国 是たり 国来国来

      ぬ なみ

亦北門の農波の国を

国の余 ありやと見れぱ 国の余あり と詔りたまひて

童女の 胸鉦取らして 大魚の きだ衝き別げてはたすす

き 穂振り別げて 三身の綱 うち珪げて霜黒葛 くるや

くるやに 河船の もそろもそろに 国来国来

と 引き来縫へる 国は

たく をりたえ   さだ   こつ多久の折絶より 狭田の国是たり 〃1

      一八  こ し     つ つ

亦高志の都都の三崎を

国の余ありやとみれぽ国の余ありと詔りたまひて童女の 胸鉦取らして 大魚の きだ衡き別げて はたすすき穂振り別げて 三身の 綱うち珪けて 霜黒葛 くるやくるやに 河船の もそろもそろに 国来国来と引き来縫へる 国はみ ほ三穂の崎たり持ち引げる綱よ み夜見の嶋たり      カ し堅め立てし 加志はははき      ひのかみだけ伯者の国なる 火神岳 是なり

      ぬなみ

亦北門の農決の国を

国の余ありやと見れば 国の余あり と詔りたまひて童女の 胸鉦取らして 大魚の きだ衝き別げてはたすすき 穂振り別けて 三身の綱 うち珪げて霜黒葛 くるやくるやに河船の もそろもそろに 国来国平と引き来縫へる 国はたしみ      くらみ宇波の折絶より 闇見の国 是たり ぴ        を今は 国は引き詑へつ と詔りたまひてお う   もり  み つゑつ意宇の杜に御杖衝き立てて︑ ﹁おゑ﹂と詔りたまひき︒故︑意宇といふ︒

﹁風土記﹂の有する地誌的たUの冒頭句﹁意宇と号くる所以は﹂皿

の結句﹁故︑意宇といふ﹂と相称的た呼応を持っている︒そして︑

いうまでもたく︑この詞章は﹁国引きましし八束水臣津野命﹂と

﹁八雲立つ出雲の国﹂という固有名詞を含む二つの説明句に︒よって︑

(19)

﹁出雲風土記﹂に位置を占めることになる︒さらにー︑U﹁初国小さ

く作らせり︒故︑作り縫はな と詔りたまひて﹂と甘﹁今は︑国は

引き詑へっ と詔りたまひて﹂とは︑ ﹁国引き﹂のモノ.ガタリそ

れ自体の冒頭句を結句として呼応する︒これらは石母田氏がA

Eとみたところであるが︑構造としてはむしろ︑相称的なU  U

の均衡というべきであった︒

 そのようた︑U  uという均衡原理に−よる構造定型をもって語

り出され︑語りおさめられた﹁国引き﹂の詞章の中心部分は律文的︑

旧辞的な部分にあることは衆目の一致するところである︒しかし︑

この都分といえども石母田氏に1よれぼ︑すでに民間伝承とは質的な

ちがいがある︒それ自身すでに音声言語にょる古伝承そのものでな

いことはたしかであろう︒かといって︑﹁古詞を中心として全体の

均衡が保たれて︑安定した構文となってゐる︒この均整のとれた構

文の美しさ︑殊に1古詞の部分に見る韻文の美しさが︑国引の詞の文

学的価値を高めているのである︒﹂というように・︑﹁出雲人の詠嘆と       ◎して謡ひ出され﹂たとする︑いわぱ拝情主義的た理解はとれない︒

これは一定の音律をもった呪的な唱えごとを見出すべきであろう︒

いずれに1しても石母田氏もまた認めているように︑国引きという物

語のモテイーフが︑﹁民衆的な伝承と共通の基盤をもち︑そこから発    @      一︑生してきた﹂ことが是認されよう︒そして︑この﹁国引き﹂カ民間

     モノ・ガタリ 構造定型 伝承のなかに深い根をもっていたことは︑物語のモティーフにおいてのみならず︑むしろ︑この伝承全体の構造に1こそ求められるのではたいか︒すなわち︑ABCDEFGHI  BCD甘  BCDE  ABCDE  ABCDEHIFGという相称的な反復を示す構造定型である︒明らかにここには明確た均衡原理が働いている︒そのことは︑FGHI  HIFGという意図的た交錯配列法に︑よる変化の付げかたにもいえることである︒中問の二度め三度めの繰り返し部分にFGHIの成分が欠落しているのも弛緩を避げるためという意図をみるべきであろう︒沈黙のうちにかえって繰り返しを想像させるともいえる︒ このように︒︑ ﹁国引き﹂の伝承は︑強固な対称と均衡の構造定型を有することにおいて︑ ﹁かたりごと﹂たりえたとしたげれぱならない︒さらに︑ABCDEFGHIの反復は一定の音律的な機能すら示すことになる︒しかも︑詞章の各部分は︑5音7音を中心とする短音長音の反復組み合せということにおいて明らかに音律性が意識されている︒それを歌謡という類型のうちに直ちに入れることは許されないが︑ ﹁かたりごと﹂としてのある種の音律性は認められ       ︑︑︑︑   @るべきであろう︒益田氏が︑ ﹁全体が韻律をもった語られる文章﹂ということの意味もそのようなこととして認められよう︒語られる際の韻律は必ずしも外在的な曲節が付加するものではなく︑伝承そ      一九

(20)

     モノ・ガタリ 構造定型

れ自体が内在させている構造に基盤を置くべき性質のものである︒

したがって︑次のような見解はあらためて考察されなけれぱたらた

い余地を残していよう︒        二〇がある︒三浦氏の批判は︑ ﹁益田氏の見解は︑ウタとカタリとを対立的な別個の彬態をもったものとする前提から出ている﹂というこ

とに端を発する︒

︑  ︑  ︑  ︑  ︑かたりごとの本来的な姿を︑ ﹃出雲国風土記﹄の国引きの詞章

によって想定してみたが︑それはプかの部分のないかわいひ小

であった︒それに対して︑語部のそれは︑ ﹁歌声に渉る﹂部分

をふくんでいる点で︑それよりも︑︿プかだげのかわいさピV︑

     ︑ ︑ ︑ ︑ ︑      ︑ ︑たいしはくかたりごとと呼ぱれるうたVである神語に一歩近い︑    @といえる︒

﹁うた﹂と﹁かたりごと﹂の対比的な区分げという︑いわぱ外部表

徴的な機能論のみで事の本質が解明できるかという問いである︒文

        ︑  ︑学類型としての﹁歌謡﹂は一定の音律と形態をもって︑われわれの

前に提示されている︒それは確かである︒それを﹁うた﹂と同義と

みるならぱ︑ ﹁かたりごと﹂とは何か︒それもまた一定の音律を内

在させていることはみてきたところである︒ ﹁散文﹂という近代的

視座のうちに解消しえないものを︑ ﹁かたりごと﹂の基層たるモノ

.カタリの構造定型は示した︒ ﹁かたりこと﹂−﹁散文﹂論を今

はとれない︒そこに︑たとえば︑三浦佑之氏の批判の介在する所以  次のように考えれぱよい︒カタリとは︑カタリゴトとか﹁語り継ぐ﹂とかいうことぽに顕著なように︑ある筋をもったまと   ︑ ︑      ︑ ︑まった内容をさすことぱで︑本来的には︑彩態をさし示すものではない︵中世の﹁語り物﹂たどでは特定の形態をもさし示す概念だが︶︒ だから︑カタリゴトは八千矛の神謡のようにウタという形態をとる場合もあってよいし︑出雲風土記国引ぎ詞章の如き形態であってもよいのである︒国引き詞章にっいていえぱ︑玩在みるそれは︑その原型︑っまり口謂の段階の表現そのままではないはずだが︑      つ  童女の 胸鉦取らして 大魚の キダ衡き別げて       ハタススキ 穂振り別げて      しもつ づら  三身の 綱打ち掛げて 霜黒葛 クルヤクルヤニ      河船の モソロモソロニ  国来国来と引き縫へる国は⁝⁝という繰り返し部分などは︑口謂の姿を残存させているものと

みられ︑この表現は対句をもったど一定の音楽的ともいえるリ

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