飛鳥井女君像の創造 : 『源氏物語』の摂取と離脱
著者 金澤 典子
出版者 法政大学国文学会
雑誌名 日本文学誌要
巻 78
ページ 12‑23
発行年 2008‑07
URL http://doi.org/10.15002/00010167
「狭衣物語』の飛鳥井女君は、「源氏物語』の夕顔と浮舟の面影をもち、物語の型を多用して造形された女君であると言われ(1)(ワニる。しかし、この女君は「型のみに堕していない魅力」をもち、その人物像や物語は『狭衣物語』を享受した人々の想像力を喚(3)起して、伝本》」とに相違の見られる女君像・物垂叩が創造されるに至った。この女君の魅力とは何だったのであろうか。平安後(4)期物塞叩は『源氏物語』の亜流という評価を受けてきたが、この女君が『源氏物語』の女君たちとはまた異なる造形になってい(5)たからこそ、人々を惹きつけてきたのではなかったか。本稿では、この女君の形成に夕顔の物語を中心とする「源氏物語」がどのように関与しているかを見ることにより、この女君像を考(6)えてみたい。
飛鳥井女君像の創造
『源氏物語」の摂取と離脱I(7)飛鳥井女君物語は「源氏物塞叩』の夕顔物語に「想を得ている」が、この二人の女君の物語には、①女君がともに貴族の出身でありながら両親を失い、そのために場末に住まう境遇にあり、②主人公と素性を明かし合わない恋をしていること、そして、③男君からみた女君が「らうたし」という言葉で形容されるといった共通点がある。夕顔物語はその背景に三輪山神婚讓をもち、そこで男君の素性を知った女が死を選択するように夕顔は変死するが、飛鳥井女君物語においても狭衣の素性が明らかになったことが女君の死の決意への引き金になるという意味で夕顔物語を踏襲する。しかし、素性隠しの詳細は、すでに諸氏により指摘されているように、夕顔が自己の内面を表出することなく恋の絶頂の中で死を迎えるのに対し、『狭衣物語』では飛 夕顔物語からの摂取
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飛鳥井女君像の創造
鳥井女君のつらい心中が克明に描かれている。飛鳥丼女君物語には、情景や文章のレベルでの夕顔物語摂取(8)も多く見られる。狭衣が威儀師から飛鳥丼女君を救いだして彼女の家の縁側で月光を浴びながら過ごす場面にも、それが指摘
摂取したとされるのは、夕顔の五条の住いでの逢瀬の描写である(傍線部)。 (9)共どれている。
白拷の衣うつ砧の音も、かすかに、こなたかなた聞きわたされ、 たるを、やがて端にもろともに見たまふ。髪などかきやれておはするざまの、ほどなき軒の月影に、当たりも輝くやうな御容貌を、女、いとはしたなし、と思ふものから、いと、など、あやしうらうたき。家の人々は、いかなることぞと、立ち騒ぎあやしがるべし。(①八四)※引用テキストには新編日本古典文学全集『狭衣物語」を用い、巻数と頁数を示す。右では「①」が巻数である。
所なりければ、遣り戸を引きあけて、もるともに見出だしたまふ。ほどなき庭に、されたる呉竹、前栽の露はなほかかる所も同じごときらめきたり。虫の声々乱りがはしく、壁の中のきりぎりすだに間遠に聞きならひたまへる御耳に、さし当てたるやうに鳴き乱るるを、なかなかざまかへて思さるるも、御心ざし 空とぶ雁の声、とり集めて忍びがたきこと多かり。端近き御座 やがてその端つ型に引き留めたまへるに、十六夜の月さし出で この場面は、暁近く「あやしき賎の男の声々」が近くに聞こえて、「ごほごほと鳴神よりもおどろおどろしく、踏みとどろかす唐臼の音も枕上とおぼゆる」(源氏①一五六)というような社会的身分の高い男にはおおよそ経験することができない場末の町中の騒々しさを描いたあとに続く。そのような場末にいても、二人の居る場所から外を見やると、その騒々しさを打ち消すかのようにしみじみと美しい秋の景物が眼前にある。聴覚と視覚を織り込み、近隣への聴覚の世界よりもさらに微細な音ときらめく露とに焦点が絞られていくその感覚の動きは、女のいる環境から女のあり様へと心のレンズを動かすことになり、身分のいやしい女のこれまで生きるために背負ってきたものをすべて包み込んで、男が女を愛おしいと思う情へとつながっていく。しかし、夕顔の物語は、このあと夕顔の死に向かって急転回する。「狭衣物語』においても、先の引用の前には、狭衣の視点から飛鳥井女君の境遇への観察が描かれている。「半蔀長々として、入門のいぶせげに暑げ」で、「蚊遣火」(①八○)がくすぶり、また応対してくれる「五十ばかりなるおもとの」「火影の姿つき」は「見しらずあやしきも疎まし」(①八二い。しかし、月光下の場面では、そのような景物や人物と対照的な輝く ひとつの浅からぬに、よるづの罪ゆるさるるなめりかし。(源氏①一五六)※『源氏物語」のテキストには新編日本古典全集「源氏物語」を用いる。「源氏」と表記した上で、巻数と頁を示す。
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巻三には飛鳥井女君の一周忌の描写があるが、ここには『源氏物語』夕顔巻の夕顔四十九日の法要からの摂取が窺われる。 男とあやしく愛らしい女が描き出される。この視覚のみで音といえば髪をかきあげる仕草に伴う音があるかないかのスケッチは、それまでに男君が見聞きした気味の悪い場末の雰囲気を払拭して、月光の映し出す浄化された世界に飛鳥丼女君を現出させるのに成功している。またそれゆえに、狭衣は威儀師に汚された女というためらいを捨てて、女君を「思はずなりける契りのほども浅からず、あはれに思さる」(①八五)ことになる。この二つの逢瀬の場面は、場末の近隣の雰囲気から男と女だけの空間を切り取り、男君が契りの深さを感じるという類似した展開になっており、『狭衣物語』のこの場面を「源氏物語」の摂取とみたならば、夕顔物語のクライマックスへ駆け出していく場面の一コマを、「狭衣物語』は男と女のはじめての出逢いで利用したことになる。すなわち、光源氏が「よろづの罪ゆるさるるなめりかし」と感じたその場面を起点として、夕顔の死によって切断されてしまった恋人たちの時間を、「十六夜の(m)月」の光の中ではじめて出遭った狭衣と飛鳥井女君とが生きていくのである。この出会いの場面をそのように受け止めるとき、「源氏物語』を愛読してそれを享受した上で新しい物語を創造しようとした作者の、登場人物たちに願望をこめようとした意図がほのかに浮かび上がってくるように思われる。
二夕顔物語からの離脱文章を並置すると明らかなように、『狭衣物語』では、『源氏物語』の「かの人の」「忍びて」「経、仏の飾り」といくつかの語句がそのまま採択されている。また、描かれる事物も、男主人公が主催した法要であり、経や仏の飾りがなみなみではな 狭衣は入水をはかった飛鳥井女君が生きていることを偶然に知るのだが、彼女の居所をつきとめるのに時がかかってしまい、その死に間に合うことがなかった。その後悔から、飛鳥井女君の一周忌の法要は、狭衣の主催のもと、彼女の永眠の地となった常盤で盛大に催されることとなった。
一方、光源氏は変死した夕顔を密かに葬らせ、その四十九日の法要を比叡で行う。 毯却鰍且目計泓の何事も、まことに日の中に仏にもなるばかりに、恩し提てたり。その日、いたう忍びて、自らおはしぬ。講師は、山の座主なりけり。請僧六十人、七僧なども、並び居たり。(②一四○) 年の果てに、かの人の事せさせたまひけり。心ざしのしるしに
かの人の四十九日、忍びて比叡の法華堂にて、事そがず、装束より始めてさるべき物どもこまかに、調経などせさせたまふ。 は、何事をかはと、思せば、
て、二なうしけり。(源氏①一九二) 、仏の飾までおろかならず 経、仏の御飾りを、なくてならず
かに、調経などせさせたまふ。惟光が兄の阿閣梨いと尊き人に
飛鳥丼女君像の創造
人々は、法要の素晴らしさに亡き人の宿世の幸せを想像し、狭衣の嘆きの深さに「それはどのような人であったのか、寿命が尽きてしまったことが惜しい」と思う。一方、『源氏物語」は、先の引用を受けて以下のように続く。 かつたことや、最後には法要を営む講師の説明をいれるというように一致しており、違いといえば、「源氏物語」は布施の装束を書き込み、「狭衣物語』はそれを描かないで、「心ざしのしるしには、何事をかはと、思せば」と法要主催の事由を書き、「請僧六十人、七僧なども、並び居たり」と数字を出して、場面に具体性をもたせていることである。飛鳥丼女君の一周忌の場面は、次のように続いていく。
見たてるまつる人なども、誰ならん、いとかばかり思されたり いみじう尊きにつけても、めでたかりける人かな、この御心にかくまで思されけるよと、見る人多かり。さしもすぐれたまへる御さまに、泣く泣く読みたまへる願文の悲しさは、袖濡らさぬ人もありがたげなるを、まいて大将の御直衣の袖は絞るばかりにもなりぬくし。さるは、人目も心弱くやと、思し忍ばぬに けるは、げに口惜しかりける命のほどかなと、見おどろかぬはなし。さまざま尊き事どもは多かれど、えまねぱいは、なかなかかひなし。(②一四○) なるばWご虫輯引目留りで、「あばれにおぽゆるわざなるべし はあらねど、ただうち聞く集、物語、古歌なども、我が思ふ筋
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光源氏が自ら願文をかけば、それは文章博士の手の加えようもなく、源氏の嘆きの深さを見れば、どのように宿縁の恵まれた人だったのかと博士たちは思う。「狭衣物語』の「誰ならん」は「源氏物語」の「何人ならむ」に対応していることは明らかで、ここでも同一意味内容を、「狭衣物語」はことばを替えて語っている。「源氏物語』は光源氏自身が夕顔の願文を作成したことを語るが、『狭衣物語』には狭衣のその行為は描かれない。その代わりに、「ただうち聞く集、物語、古歌なども、我が思ふ筋なるは、}」よなう目留りて、あはれにおぼゆるわざなるべし」という、現代の読者にとっては、この場面にそぐわないように思 御文の師にて陸ましく思す文章博士召して、願文作らせたまふ。その人となくて、あはれと思ひし人の、はかなきさまになりにたるを、阿弥陀仏に譲りきこゆるよし、あはれげに書き出でたまへれば、「ただかくながら。加ふべきことはくらざめり」と申す。忍ぴたまへど、御涙もこぼれて、いみじく思したれば、りなりけん宿世の高さ」と言ひけり。忍ぴて調ぜさせたまへりける装束の袴をとり寄せさせたまひて、泣くなくも今日はわが結ふ下紐をいづれの世にかとけて見るべきこのほどまでは漂ふなるを、いづれの道に定まりて赴くらんと、思ほしやりつつ、念調をいとあはれにしたまふ。(源氏①一九二’一九一一一) 「何人ならむ。その人と聞こえもなくてかう思し嘆かすばか
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法要を営んだ明くる夜の光源氏の夢に現われた夕顔には、彼女をとり殺した女が寄り添っている。光源氏は彼女のために願文を作成し、彼女を夢にでも会いたいと願ったが、現れた夕顔は死の場面を再現するのである。ここに来世を想定する世界観を導入したならば、夕顔は光源氏のめでたい願文によっても取り付かれた霊から解放されることはなかったことになる。「狭衣物語』は、『源氏物語』に倣って、狭衣の夢の中に飛鳥丼女君を登場させた。 われる記述がある。しかし、「作る」と「鑑賞する」が広い意味での文章力という範蠕に属する能力であると考えれば、「狭衣物語」が「源氏物語』の文章をずらして利用し、光源氏が願文を作ることに対して、狭衣は文芸を享受する力が人並み以上で、それゆえに飛鳥井女君を思って涙をとどめることができないのだとも理解できるだろう。「源氏物語』に描かれる意味内容を、同じ性質に分類される別物に置換して語ることは、「狭衣物語」では珍しくない。このあとに続く場面もその一例とすることができる。そこでは男君の夢に登場する女君の様がまったく異なっている。まず、『源氏物語」の本文を挙げる。
君は夢をだに見ばやと恩しわたるに、この法事したまひてまたの夜、ほのかに、かのありし院ながら、添ひたりし女のざまも同じやうにて見えければ、荒れたりし所に棲みけん物の我に見入れけんたよりに、かくなりぬることと恩し出づるにもゆゆしくなん。(源氏①’九四) 狭衣の夢の中に、飛鳥井女君は生前のままに現われ、狭衣に歌を贈る。「仏の名を聞くことのない無明の道を坊復って、越えることができないでおりました死出の山ですが、あなたが私を弔ってくださったので、その山の先にかかる光までを見ることができました」と。法要から夢へという展開は「源氏物語』と同じであるが、飛鳥井女君は法要に感謝して、自らの極楽往生を男主人公に告げる。霊にとりつかれたままで夢に現れる夕顔と、極楽の光を見た飛鳥井女君の違いは、四十九日か一周忌であるかの違いを反映〈、)しているともいえるが、また「狭衣物壷叩』の作者が法要の力を『源氏物語』の作者よりも強力なものと考えていた可能性も否定できないと思う。「源氏物語』では、玉蔓巻においても乳母の夢に夕顔が現れるが、やはり霊に寄り添われており、結局、 暁になりぬらんとおぼゆるまで居明かしたまひて、あまり苦しければ、やがて端にうち休みて、まどろみたまへるに、ただありしざまにて、かたはらにいて、かく言ふ。暗きより暗きに惑ふ死出の山とふにぞかかる光をも見ると言ふさまの、らうたげさもめづらしうて、物言はんと思すに、ふと目覚めて、見上げたまへば、澄み上りて、月のみぞ顔に映りたりける。雲の果てまで、さやかに澄みわたりたる空のけしきを、ただの寝覚めにだに、心細かりぬべき空のけしきなれば、かたはらにまだある心地して、見わたさるけど、人は皆遠く退きつつよく寝たり。(②一四一’一四二)
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飛鳥井女君像の創造
四十九日の法要と、夕顔の悲劇が切り離されていることがわかる。「源氏物語』の愛読者であったろう『狭衣物語」の作者は、男君がいくら素晴らしい願文を作成しても、それによって女君が救われないことに、そうであって欲しくはないという願いをもっていたのではないだろうか。『源氏物語」の作者やその作者の近辺にいた享受者たちがさして疑問をさしはさむことのなかった夢の中の夕顔の姿が、『狭衣物語」の作者には、そしておそらくはその享受者にとっても、意外に思えることだったのではなかったろうか。そうした願いがこめられて飛鳥井女君が創造されたとしたならば、女君を極楽に往生させるべく一周忌でのことと設定し、愛人の願文ではなく「山の座主」のものであるとしたのは、納得のできる変更である。しかし、このようにした結果としては、光源氏のもっていた超人的な能力が、狭衣からそがれてしまうことになる。狭衣には光源氏に相当する能力を持たせる必要があるだろう。そこで狭衣に添加した能力が、文芸を享受する力であったと考えてはどうだろうか。すなわち、法要という場面において、「山の座主」の尊い願文に共鳴し人を驚かせるほどに涙することができるのは、光源氏の願文を作成する能力に匹敵する、光源氏の様子に文章博士たちが亡き人の「宿世の高さ」を想像したように、そのような狭衣の姿を目にした人々は、亡き人の「口惜しかりける命のほどかな」と思うことだろう、と作者は考えた。そして、女君には、その法要によって極楽往生できたことを示すような歌を詠ませる。「山の座主」の願文と狭衣の涙は、その時代の『狭衣物語」の享受者に、女君の往生を納得ざせるものだっ たにちがいない。飛鳥井女君往生の背景には、極楽往生に対する貴族の意識に変化があったことも推測できる。『源氏物語」の作者は極楽往生が容易だとは考えていなかった。明石巻で桐壷帝の亡霊が往生できないことを光源氏に告げることがその証左になろう。それに対し、『源氏物語」以降の文学をみると、「栄花物語」に描(旧)かれる道長の往生をはじめ、「続本朝往生伝」では高僧だけでなく一条天皇をはじめ大貴族が往生者として描かれるなど、往生のための条件が貴族にとって卑近なものに変容していることがわかる。永承七年(’○五三に末法の世に突入し、それを象徴するかのような前九年の役がその前年に勃発して、京には疫病が蔓延する中、貴族たちはそれに抗するかのように浄土への強い憧れをもち、『狭衣物語」の時代には、機れ多いとされ(皿)た女性の救済の道も開かれていく。すなわち、貴族の女性の間で、法華経勧発品に守護者として説かれている普賢菩薩と、陀羅尼品に同じく守護者とされる十羅刹女への信仰が盛んになつくM)たことが知られている。このような信仰の進展がまた、夕顔の法要とは異なる、狭衣の飛鳥丼女君の一周忌の場面を創造する動機付けになったのだと考えられる。来世の幸福を強く願う時代の精神性の中で、「狭衣物語』は飛鳥丼女君に往生を与えた。狭衣の主催する一周忌の法要に往生を果たした飛鳥井女君は、時代の価値観の中では、〈幸せ〉を得たといえるのだろう。
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夕顔と光源氏の恋の絶頂を始点とし書きはじめられた飛鳥丼女君の恋の物語は、ヒロインの往生で一応終結するが、『狭衣物語」は女君の心の変遷を「恋する心の昇華」として描き出した。飛鳥井女君物語を〈愛の至上〉を説くと読み解いたのは片岡〈胴)利博氏である。乳母に〈生活者の論理〉を体現させ、それにより飛鳥井女君には〈愛の至上〉を生きさせる。それを可能とするために、飛鳥井女君には夕顔とは異なる属性が与えられる必要があるが、その一つに、男君に出会ったときに飛鳥井女君はまだ少女だったことが挙げられる。夕顔は頭中将との間に女子を設けていた。そして、夕顔巻では経済の緊迫したやりくりは明記されることはなく、「生き抜くための知恵」は夕顔の中に隠蔽されていたのに対し、飛鳥井女君物語は乳母の言動にそれを描きだすことにより、女君の生活レベルでの生を乳母に委ねている。飛鳥井女君の恋が生活レベルから離れていることは、自分の恋の相手を狭衣であると悟ったとき「なほ頼むべきありさまにはあらじ、かやうに思し捨てたまはざらんほどに、雁の羽風に迷ひなんこそよからめ」(①九八)と、自分から身を引かなくてはと強く思うことに現われている。狭衣は関白の子息であり、彼女は貴族の両親を失っている。彼女が素性を明らかにしないのは、最初の逢瀬の月光の中で身分違いがはっきりと意識され 三恋する人を信じる形 ているからであろう。その一方で、彼女は狭衣の心のどこかに場所をしめていたいと願っている。このまま行く先を告げずに姿を消したならば、狭衣の心に「あさましかりける心かなとは、しばしがほどは思し出でてんかし」(①九九)という形でも残るだろうと思う。狭衣は、飛鳥井女君にひきつけられる自分を「我が心ぞかし、恩ひの外にもあるかな」と呆れながらも、飛鳥井女君のつらそうな様子に「なくてならぬ自らのありさまばかりも知る人なく、ものげなく過しければこそ、さる憂きめも見けめ、かやうに、我をも見るにつけては、頼みがたう思はんもことわりなりかし」(①一○○)と女君の立場に立った心情に至るのだが、飛鳥井女君は恋を永続させるために身をひこうという決意と、狭衣への強い愛着の中でつらさが増すのであって、狭衣のいう「頼みがたう思はん」という生活次元には立ってはいない。飛鳥丼女君の死への覚悟が変質するのは、乳母が偽りの計画のために東国行きの中止を告げるときである。そのときまで、彼女にとっては自分の身をはかなくすることも東国で生きることも等価であり、ただ懐妊したことが彼女に、その身の処置方でよいのか、という疑問を持たせていた。ところが東国に行かなくてもよいと知ると、懐妊している我が身を思いやる気持ちが目覚め、狭衣の心の中でのみ自分の永続を願うような恋とは別次元のそれへと移っていく。そこでそのあとの野分の場面に(応)は、そのように変質した後の飛鳥井女君が描かれることになる。
あひ見ねば袖濡れまさる小夜衣一夜ばかりも隔てもがな
飛鳥丼女君像の創造
この場面の描写では、女君の心の内がまったく明かされない。それまで「狭衣物語』は彼女の心中を克明に語ってきたのに、ここでは語り手も推測できないかのように「心の中やいかがあらん」と語る。さらに深川本では、飛鳥井女君の歌も対極的な二首を載せ、彼女の内面を窺わせない。「かどかどしき御答」という形容詞を選んで「源氏物語』の帯木巻の女比べの評価を思い出させ、「らうたげ」や「あやしう」など夕顔の形容に用いられたことばを配置する。そして、飛鳥井女君に会いに来た かくわりなき心焦られは、いつ習ひにけるぞとよ」などのたまへば、いつまでか袖干しわびん小夜衣隔て多かる中とみゆるをまた、ある本に、夜な夜なを隔て果てては小夜衣身さへうきにやならんとすらんと言ふ。ものはかなげなり。「よし、見たまへよ・人を忘るるものとも、まだ知らず。おほかたのこの方さまに習はざりつる筋なれば」などのたまふも、さしもあらじななど、かどかどしき御答へもなく、らうたげなるさまぞ類なきなりけるが、確かに知らせたまはぬをも、とやかうやとも、あながちに尋ね恨みず。また、我が身の行方もうちとけ言はいものから、心の中やいかがあらん、見るほどには、ただ同じ御心なるやうに、うらなくうちなびき、心地寄せたるさまも、あやしうあはれ、とのみ思されて、限りなき御事を放ちては、おろかに恩しなるくうもなき御心なり。(①一一一一’一一一二) 狭衣は「なよなよとやつれなしたまへる」(①一二一)様子。光源氏が夕顔のもとに通う姿を想起させるこの場面は、やはり夕顔巻の、光源氏と夕顔の逢瀬を想起させずにはおかないだろう。そしてまた、ここは狭衣と飛鳥丼女君の最後の逢瀬でもある。狭衣と出会ったころの少女であった飛鳥丼女君には、夕顔のような、複雑な心を添えて、それでも「らうたげ」でいるという姿はあり得たろうか。漂泊や別れを決意し悩みぬいて、それでも狭衣との恋に生きることを決意しなおした飛鳥井女君だからこそ、男君に対して、そのすべてを受け入れるかのような、このような深みのある接し方が可能になったのではないか。つまり、夕顔物語では語られなかった女君の多面性の事情が、飛鳥井女君物語には描かれてきたことになる。一章で述べた月光下の出逢い場面が夕顔物語の場末の逢瀬を下敷きにするならば、この野分の場面は、夕顔の不思議な魅力を身につけた飛鳥井女君と、狭衣の逢瀬を描くものである。このようにして、飛鳥井女君と狭衣の物語は、光源氏が夕顔のすべてを包み込みたいと思った逢瀬の場面に繋がっていき、しかしそこには恋の純粋性が持たされている。恋ゆえに精神のより高い境地に至った飛鳥井女君の、乳母と道成に謀られて乗せられた筑紫行きの船中での変化は劇的である。狭衣との恋に「つつましうて」の態度を崩さなかった飛鳥井女君は、道成を受け入れず、舟に乗った時点から入水を考え、死ぬための手段を探して、五日も水さえ取らなかったりもする。飛鳥井女君は理性的でもある。状況を判断して入船直後の入水は控え、また道成と狭衣との関係を苦慮したり、道成を拒み続
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この箇所が、浮舟の入水前の心内語からの摂取であることは明らかである。浮舟は彼女の乳母を「いと醜く老いなりて、我なくは、いづくにかあらむと恩ひや」(源氏⑥一九六)る。『狭衣物語』でも死に臨む場面で乳母を思いやることは同じであるが、そこに至るまでの乳母への気持ちの推移が描かれているために、異なる効果を生みだしている。飛鳥井女君の物語では、乳母に対する絶対的な信頼から疑いに、そして、裏切られたというどうしようもない思いから、哀れみという愛情に変化する心のあり様が描き込まれているのである。その一方で、乳母には、飛鳥井女君が乳母を思いやって泣いても昔ながらに彼女が子供じみているようにしか思えないことを語って、死を決意する飛鳥井女君の精神的な高みを際立たせている。 けるのに懐妊を口実にしたりもする。狭衣の前にいた「らうたげ」な飛鳥井女君は、恋を守ろうとする女に変化している。飛鳥井女君の精神的な成長については、むしろ乳母との関係の中で語られている。道成を拒み続ける飛鳥井女君をなだめようとする乳母に対して、彼女ははじめて許せないという気持ちを抱くのだが、入水を前にしてはその乳母を哀れにも思う。
いで、あはれ、ただあるにまかせてもみで、あながちにかくもてなしてかう憂きめを見すればぞかし、いかなるありさまにて長らへんとすらん、とさすがに悲しうおぼえたまへば、いとど音をのみ泣きて、答へもしたまはねば、(乳母は)うちむつかりて立ちぬる(①一五○’一五一)
と独詠する。「私を思ってくださる気持ちは決して変わらないよとおっしゃって「椎柴」の歌を持ち出された貴方の心を、ずっと見ていたい。永遠の名をもつ常盤の森に秋がくるように、貴方が私に飽きることがあるのかを知りたいから」。この歌は、彼女がこれから行くのだと信じている西山の常盤殿を詠みこんでいて、常盤の森で待っています、の意が隠されているが、同時に、彼女の恋が「いつか忘れられることが恐いから身を隠そう」から、「あなたが心変わりをすることがあったとしても、 では、飛鳥丼女君の狭衣に対する思いはどう変化したのだろうか。飛鳥井女君は士忌で居所を移さなくてはならないことを理解したときから、自分を昔物語に出てくるような女とは思われたくない、だから狭衣に自分の状況を伝えたい、と願っている。東国行きの計画については「つつましうて」狭衣には話すことのできなかった飛鳥丼女君が、狭衣を信じようという思いから、自分の状況を伝えたいと願う。飛鳥丼女君がどのような物語を想起して「昔物語やうに」(①二一一○)と思ったのかはわからないが、『源氏物語」帯木巻で頭中将が彼の「常夏の花」であった夕顔との恋を振り返って「昔物語めきておぼえはくりし」(源氏①八二)と語っていることを想起するならば、飛鳥井女君は自ら不幸を生きようとはしていないことがわかる。また、飛鳥丼女君は
変らじと言ひし椎柴待ち見ばや常盤の森にあきや見ゆると(①一三○)
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そうであっても貴方に逢いたいのだ」と変じていることを示している。舟に乗せられてからの飛鳥丼女君は、狭衣の扇を見て泣く自分を省みて、「物のおぼゆるにや、我ながら心憂く、悲しきこと、限りなし」(①一四二という客観性をもち、狭衣に懐妊を告げなかったことを後悔し、懐妊のことを知っていてくれたならば、「いま少しあはれとは恩し出でてまし」(①一四一)と考え、また、道成に盗み出されるという自分の置かれてしまった立場に「もし、命、心に叶はで長らへば、行く末に聞き合わせたまひて、ざてこそあんなれ、と聞こえたてまつらんも、いま少し心憂かりなんかし」(①一四二と死を願う。ここでの彼女の死の決意は、相手の心の中での自分の永続を希求するがためではなく、二人の恋の永続のためである。そして、虫明の瀬戸につき、人のいなくなった隙に入水しようとした女君は、二度と逢うことがない狭衣に思いを寄せる。
ここでの飛鳥井女君には、狭衣に対する懐疑は一切ない。忘れられたくなくて身を隠そうとした彼女は、いま、狭衣が寝覚(Ⅳ)めたときには彼の心の中にいつでも自分がいる、と信じている。二人の恋が永遠のものであることを彼女は信じて、死に挑むの この世にはまた、見たてまつるまじきぞかし。只今、かくなりとも、知りたまはで、いづくに、いかにしておはすらん、寝やしたまひぬらん、さりとも寝覚めには、おのづから思し出づらん(①’五一)
丁注
、--
である。ここで見てきたような女君の一途な恋や、それゆえの精神の深みに至る在り様は、そのヒロインや場面の設計のために摂取した夕顔の物語や浮舟の内面とは異なり、どの先行物語にも描かれていなかった。『狭衣物語』は『源氏物語」から人物像の設定や発話を摂取しながら、別のコンテキストにあてはめ、心中を丁寧に描くことで「源氏物語」には描かれなかった人物を作り出すことに成功した。飛鳥丼女君は物語社会のルールの中で生活レベルでの幸せを得ることはできなかったが、心の中での自由を獲得し、また恋する人に最高の一周忌を取り計らってもらえる幸福を得て往生した。時代的な制約の中で平安朝文学が対象にし続けてきた物語のテーマに狭衣物語はこのような語りと結末を与えたが、そこに至るためにはさまざまな人間の心模様を描いた『源氏物語』があり、それを深く享受し自らの願いと対比させてそれを表現することのできた「狭衣物語」の作者がいたのである。
『狭衣物語』の飛鳥丼女君像については数多くの研究があるが、多くは「型」という側面から分析されてきた。飛鳥丼女君を。型」を駆使して造形された女君」とするのは、井上真弓ヨ狭衣物語」における「飛鳥丼」「常磐」についてl飛鳥井女君造型とその方法l」(『物語研究』巻二、’九八○年。後に『狭衣物語の語りと引用」(笠間書院、二○○五年)収録)である。井上氏が問題としたことばの象徴性に関係しては、鈴木泰恵「飛鳥井物語の形象と〈ことば〉l〈ことば〉
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のイメージ連鎖をめぐってl」(『中古文学論孜』二九八九年十一一月)後に「狭衣物語/批評」(翰林書房、二○○七年)収録)がある。土井達子「飛鳥井女君〈巫女〉〈遊女〉考l「狭衣物語」巻一・飛鳥井物語をめぐって」(「愛文」三五号(二○○○年三月))は、女君と水との係わりから、飛鳥井女君の巫女性、遊女性を考察した。室伏信助監修『人物で読む源氏物語」(勉誠出版)には、本稿と同じく『源氏物語」との関係で論じた論文が収録されている。(2)(1)の井上真弓氏の論文。(3)井上新子。飛鳥井の君物語」の悲劇の諸相I「狭衣物語」巻一の諸本をめぐって」(『論叢狭衣物語』巻一(新典社、二○○○年)収録)。氏の解析によると、深川本では「恋に生き恋に悩む女君」、古活字本では「思惟する女君」が形成され、それらよりも後世の改作が認められる伝為家本では「悲劇を織りなす論理の形成」が見られるという。(4)藤岡作太郎『国文学全史』(岩波書店、一九二三年)。(5)中世王朝物語のヒロイン造形に、『源氏物語』の夕顔、浮舟と並んで、飛鳥井女君が影響を与えていることが知られている。.(6)テキストにはできるだけオリジナルに近いものを利用したいところであるが、「狭衣物語」の伝本間の関係は未だ明らかにされていない。井上新子氏は(3)の論文で、「深川本のかたちが『狭衣物語」の原典の姿をよく伝えているか否かという点に関してはおぼつかない」「深川本に代表される第一系統、及び古活字本の第四系統(巻二以降は第三系統)は、 現存しない共通の本文からそれぞれ独自の方向に改作された結果出てきた本文ではないかという印象」とする。本稿は、紙面の制約から、第一系統の深川本に絞って検討をする。新編日本古典文学全集「狭衣物語」(小町谷照彦後藤祥子校注)は深川本を底本にしている。(7)土岐武治『狭衣物語の研究」(風間書房、一九八二年)など。(8)倉田実氏は二狭衣物語」の若宮をめぐってl『源氏物語』引用からの創造」(「論叢狭衣物語」(新典社、二○○二年)収録)で、そのようなレベルでの引用を検討されているが、「従来、模倣という陀辞を恐れるあまりに、享受・引用の実際を、詳細に点検することがややなおざりであったと思われる」と、これまでの研究方法に疑問を投げかけておられる。(9)新編日本古典文学全集「狭衣物語②」の頭注。(、)十六夜の月はやはり夕顔物語を意識した設定であることが指摘されている。「源氏物語」では、光源氏が夕顔を「なにがしの院」へ誘い、「いぎ」よふ月にゆくりなくあくがれんことを」「恩ひやすら」った夕顔は、その廃屋となった「なにがしの院」で怪死することになる。(、)日本では四十九日までが「中有」とされ、中有とは死者の次の人生が定まるまでの期間である。「徒然草」三十段を見ても四十九日が重要な日であると考えられる。それに対して、一周忌は服喪礼による。けれども、『源氏物語」では光源氏に紫上の追悼を一年の月日を与えており、『狭衣物語』はそれに従っていると考えられる。また、『飛鳥井女君」の一周忌までに、狭衣によって、彼女の娘である飛鳥井姫君が見っ
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飛鳥井女君像の創造
(Ⅲ)奈良国立博物館一一○○三年度特別展『女性と仏教いのりとほほえみ』の梶谷亮治氏による解説による。(脂)片岡利博「飛鳥井女君入水のヴァリアント」S物語文学の本文と構造」(和泉書院、一九九七年)収録)(ご『源氏物語」において「野分」が物語の転回点の象徴であることが指摘されている(伊藤博『野分」の後l源氏物語第二部への始動」(『文学』一九六七年八月)など)が、『狭衣物語」においても同様の用法で「野分」が用いられていることが指摘されている(井上真弓「飛鳥井女君における発話の言説」(『狭衣物語の語りと引用』(笠間書院、二○○五年) (Ⅲ) (、)
の都〉をめぐ年)、のち「狭.では、狭衣物奉指摘している。 け出されており、このことが彼女の往生と深い関係があるだろうことが指摘されている(田村良平「狭衣物語の内なる法華経l飛鳥井母子の物語の基底」二中古文学論孜」一六号(一九九五年十二月)など)。『続本朝往生伝」の成立は康和一一一年(一一○一)から天永二年(一一一一)とされ、『狭衣物語』に一一十年から三十年下るが、ここでは時代の精神性の変遷の方向性を議論している。木村朗子「来迎を象るI『狭衣物語」における天稚御子を想うかたち」(「国文学」四八巻一号、二○○三年)は、『狭衣物語』とその時代、とくに仏教との関係について論じている。鈴木泰恵三狭衣物語」と「法華経」l〈かぐや姫〉の〈月の都〉をめぐって」(『解釈と鑑賞」六一巻一二号、一九九六年)、のち「狭衣物語/批評」(翰林書房、二○○七年)収録)では、狭衣物語の本文に当時の信仰が反映されていることを 収録)など)。(Ⅳ)第三系統に分類される春夏秋冬四冊本、古活字本では、飛鳥井女君が狭衣の心中を思い計る場面で三度繰り返して「さりとも」の語が使われ、狭衣への信頼を深めてゆく様が克明に描き出されている。
(本論文は、二○○七年度修士論文の一部を修正したものです。ご指導いただきました天野紀代子教授にこの場を借りてお礼申し上げます。)
(かなざわのりこ・研究生)
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