戦間期イギリスの総力戦論(一九一八〜一九三八) : The Journal of the Royal United Service
Institution を手がかりに
著者 森 靖夫
雑誌名 同志社法學
巻 69
号 3
ページ 765‑795
発行年 2017‑07‑31
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000425
( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号七三七六五
戦 間 期 イ ギ リ ス の 総 力 戦 論 ( 一 九 一 八 ~ 一 九 三 八 )
――
The Journal of the Royal United Service Institution
を手がかりに――森 靖 夫
はじめに
第一次世界大戦は、国家のあらゆる資源を動員して戦う総力戦となった。参戦諸国はそれぞれ国内に総力戦体制をしいて産業を動員し、国民を動員して戦争に臨んだ。その結果、経済や産業だけでなく、あらゆる社会生活にまで国家の統制が及んだ。﹁軍国主義﹂との対決を謳ったイギリスも、遅れて参戦したアメリカも例外ではなかった。軍国主義国家、民主的国家いかんにかかわらず、総力戦はもはやグローバルスタンダードの戦争形態となったのである。
参戦こそしたもののヨーロッパでの激戦をほとんど経験しなかった日本においても、各国の総力戦体制が主要な第一次大戦の研究対象となった。ヨーロッパの戦争を目の当たりにした駐在武官たちは、総力戦を支えたシステムを﹁国家
( )同志社法学 六九巻三号七四戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七六六
総動員﹂と呼び、参戦諸国の総動員の実態をくまなく調べ上げた。彼らの調査研究は、帝政ドイツ、帝政ロシアだけでなく、民主的国家と見なされたイギリス、フランス、アメリカにまで及んだ。そのことは、彼らが国家総動員をより普遍的な現象と捉えていたことを明瞭に物語っていた。
だが、日本陸軍が中心になって構想した総動員準備の国際性については、これまでほとんど注目されてこなかった。とりわけ日本政治史研究では、十分な史料的裏付けのないままドイツのルーデンドルフ(
E ric h F rie dr ic h W ilh elm L ud en do rff , 18 65 - 19 37
)の総力戦論との結びつきが過度に強調されてきた )1(。周知の通りルーデンドルフとは、第一次大戦後、軍部主導による総力戦を主唱した軍人である。その結果、日本の軍人らによる第一次大戦以降の総動員体制準備は、一九三〇年代に本格化する軍部による政治支配のプロローグとして位置づけられてきた。しかしながら、筆者が既に明らかにした通り、日本陸軍の総動員研究の第一人者であった永田鉄山は第一次大戦におけるドイツの敗因を参謀本部の暴走に求めた )2
(。ルーデンドルフは第一次大戦中、陸軍参謀次長(第一兵站総監)にまでなった人物で、戦争末期はドイツ軍の実質的指導者だったことから鑑みて、永田の批判はそのままルーデンドルフ批判だったとみてよい。
他方で、ある日本の国家総動員法立案者の証言によれば、一九三八年四月に制定された日本の国家総動員法はイギリスの国防法(一九一四年)がモデルの一つになっていたという )3
(。この例だけをみても、日本陸軍が総力戦体制の構築を目指していたからといって、それと軍国主義とを単純に結びつけたり、ましてや軍国主義(日独)対自由主義(英米仏)という二項対立の枠組みに日本の総動員準備を落とし込んだりすることには慎重である必要がある。日本の総力戦体制、ひいては日本が第一次大戦から受けた衝撃をグローバルな視点から再検討するためにも、まずは参戦諸国との同時代比較が不可欠といえよう。
そこで本稿は、さしあたって戦間期におけるイギリスの総力戦論を検討する。手がかりとするのは、
T he J ou rn al of
( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号七五七六七
th e R oy al U nit ed S er vic e I ns tit ut io n
(以下、RUSIジャーナルと略記)である。RUSIジャーナルはいわば戦前日本陸軍の偕行社記事のような、英国陸海空軍将校たちの研究雑誌であり、当時の軍人の関心がどこにあったのかを知る好材料といえよう )4(。もちろん戦間期における彼らの議論を明らかにすることが本稿の主な目的であるが、あくまでもそれは日本の総力戦体制を国際比較するための準備作業である。RUSIジャーナル内の総力戦に関わる議論を明らかにすることで、戦間期における日本の総力戦論が日本特有の(あるいは軍国主義的な)ものだったのか、はたまたイギリスとある程度類似したものだったのかを知る手がかりとなるだろう。
1 次期総力戦を想定するRUSIジャーナル
⑴ R U S I ジ ャ ー ナ ル の 成 立 経 緯
RUSIジャーナルとはいかなる雑誌だったのか。一九三一年にRUSI創設百周年を記念して寄稿した編集主任のE・アルサム(
E . A lth am
)大尉によると、RUSIは一八三一年六月二五日、ロンドンのセント・ジェームズ・ストリートにあるT ha tc he d H ou se
にて(一八九三年にW hit e H all
にあるB an qu et in g H ou se
へ移転)、陸海軍高級将校たちが参集するなか、産声を上げた。陸軍少将ヘンリー・ハーディング卿の提案で、当初は専門知識の研究と発展を目指す﹁陸海軍図書館兼博物館﹂(T he N av al an d M ilit ar y L ib ra ry a nd M us eu m
)と命名された。会員資格は、陸軍将校、海軍将校、海兵隊員、民兵(M ilit ia
)、東インド会社陸上部隊・海軍部隊に与えられた。勅許団体として認められ、一八六〇年にRUSIへと名称が変更されると、ジョージ四世以来歴代の国王がそのパトロンとなった。国内外問わず当代随一の軍事専門誌を自認するRUSIジャーナルが定期刊行物として発行されたのは一八五七年で
( )同志社法学 六九巻三号七六戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七六八
あった。RUSIジャーナルは、﹁専門的・科学的な内容の定期刊行物で、RUSIにとって有用かつ啓蒙的で価値の高いもの﹂であることが謳われ、ロンドンに住んでいない会員も最新の軍事知識を享受できることとなった )5
(。ジャーナルは基本的に一年に四回発行され、論文、講演録、時事情報、書評などが掲載された。RUSIジャーナルは、英国軍人たちの最新かつ最先端の現状認識を示すものであったといえる。
興味深いことに、アルサム大尉によれば、英国の伝統的な慣習として軍人による政治関与の禁止は雑誌内でも維持されてはいるが、今日(一九三一年)ではそうした投稿に当局も寛容になっているという。実際、投稿論文の内容は純軍事的な問題だけでなく、政治、外交、世論など広範囲にわたっていた。もっとも、興味深いのは軍人の政治談議の自由化そのものではない。アルサム大佐の指摘が図らずも示しているのは、軍人の能力だけでなく国民の士気、産業、資源、科学技術などあらゆる要素が勝敗を決する総力戦の時代において、英国軍人も例にもれず、軍事以外のことに関心を払わざるを得なくなっていたということなのである。本稿で明らかにする通り、程度の差こそあれ、RUSIジャーナルの陸軍関連の論稿の多くは、将来に再び総動員を伴う大戦争が起こることを想定していたのである。
⑵ R U S I ジ ャ ー ナ ル は 投 稿 者 に 何 を 期 待 し た の か
RUSIジャーナルには毎年懸賞論文の募集がかけられ、金賞を受賞した論文は概ね次年に掲載された。一九一八年から一九三九年までの戦間期に設定された懸賞論文の課題は表1の通りである。どの課題も、規範的な問題というよりは、より実践的なものであることが見て取れる。なかでも、一九二三年の課題をみると、英国が﹁次のヨーロッパ戦争に参加すること﹂を前提としたうえで、科学が英国陸軍の戦略に及ぼす影響とその対処法を論じさせるものとなっている。一九二五年の課題では、英国が﹁総力戦(W ar o n a n at io na l s ca le
)﹂に際会したときの兵力の編成方法を問うてい( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号七七七六九
表1・RUSI ジャーナルに掲載された受賞論文一覧(著者作成)
年 巻号 賞 課題 著者
1919 64(455) 1918年度金賞論文(海軍) 将来の海戦における潜水艦
の影響力について。 W.S.キ ン グ
=ホール中尉 1920 65(458) 1919年度金賞論文(陸軍)
近年における機械学やその 他の科学的知見の発展を将 来の陸戦へむけた準備や訓 練に適用することについて。
J.F.C. フラー 大佐(名誉進 級)
1921 なし
1922 67(466) 1921年度金賞論文(空軍)
将来、航空機が帝国防衛に 関する諸問題に及ぼす影響 について。
C.J. マッケイ 大尉
1923 68(470) 1922年度金賞論文(陸軍)
大英帝国が関与するであろ う次の欧州大戦において、
科学的発明や科学全般が戦 略かつ戦術の両面でいかな る影響を与えるか論じよ。
あなたが帝国陸軍に関して 披瀝した見解を保証するた めに必要な組織や訓練を示 せ。
R. シ ェ ネ ヴ ィックス・ト レンチ少佐
1924 69(474)
1923年度金賞 論文(海軍)
帝国海軍にとって空軍との 分離がもたらす有利な点と 不利な点について。
A. H. ノ ー マ ン大佐 1923年度二等
金賞(海軍) 同上 N. W. ボイズ 少佐
1925 70(478) 1924年度金賞(陸軍)
平時において国内に常備軍 5個師団、国防義勇軍14個 師団が維持される場合、総 力 戦(war on a national
scale)に際して必要な増
員を満たすためにどのよう に編成するのが最良か。
L. I. カウパー 少佐
1926 71(482) 1925年度金賞(海軍)
帝国に不可欠な諸海洋間の 交通・連絡(communications)
について。それらはどのよ うに保護されるのが最良か。
C. ド ゥ ン ダ ス中佐 1927 72(488) 受賞論文 英国海兵隊の機能と将来に
ついて。 E.J. ウディン
トン大尉 1928 73(491) 1927年度二等
金賞論文(陸
軍) 機械化兵力かマンパワーか。 ケティ・エドワーズ大尉
( )同志社法学 六九巻三号七八戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七七〇 1929 74(494) 1928年度受賞論文(海軍)
海上戦に関して、次の諸原 則を適用することについて 論 じ よ。 集 中、 目 標
(object)、兵力の効率的運 用、奇襲、安全確保。海軍 の戦略や戦術例を用いてあ なたの議論を説明せよ。
J.D. プレンテ ィス少佐
1930
75(498) 1929年度金賞論文(空軍) 海岸防衛における航空機の 役割について。
C.J. マッケイ 中佐 75(499) 1929年度二等
金賞論文(空
軍) 同上
H. ロ ワ ン・
ロビンソン准 将
1931 76(502) 1930年度金賞論文(陸軍)
機械化の発展に伴い、広大 な土地における大規模兵力 の機動性は、ますます十分 な供給システムに依存する であろう。では、入念な供 給システムを動かす必要が あることから、特に半文明 国において限界を強いられ るという点に鑑み、機械化 兵力の速度や機動範囲によ って得られる利点について 論じよ。
D.W. ボ イ リ ュー大尉
1932 なし
1933 78(510) 1932年度金賞 論文(空軍)
軍事航空にとって民間航空 の育成が持つ重要性につい て論じよ。また、民間航空 が軍事航空の要件を満たし つつ自然に発展するにはど うすればよいか示せ。
J.O. アンドリ ュース中佐
1934 79(514) 1933年度金賞論文(陸軍)
十分な練度と装備を持つ、
非師団部隊を含む野戦軍を 短期間に編成するために、
部分的または全ての国防義 勇軍を戦時に海外へ展開す る必要があると想定した場 合、それらの要件を満たす ために国防義勇軍の平時組 織、訓練や装備に改革が必 要か。
F.A.S. クラー ク少佐(名誉 進級)
( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号七九七七一
1935 80(518) 1934年度金賞論文(海軍)
現代の戦争に必要な主力艦 の最小規模について、あら ゆる面から考察せよ。
G.M. ベ ネ ッ ト大尉
1936 81(522) 1935年度金賞論文(空軍)
空軍力が地中海における英 国の権益に及ぼす効果につ いて。
R.A. コ ク レ ーン中佐
1937 82(527)
1936年度金賞 論文(陸軍)
内燃機関の導入は現代の軍 隊における用兵や軍政に劇 的な影響を与えてきた。そ こで、現代の防衛力を圧倒 し、かつ高まりつつある空 軍の脅威に対抗する上で英 国陸軍が内燃機関を使用す る可能性について論じよ。
J.C. スレッサ ー中佐
1936年度二等 論文(陸軍) 同上
G.C. シ ョ ー 中佐(名誉進 級)
1938 なし
1939 なし
※一部が掲載されているだけで受賞者は毎年あり。尚、色かけは陸軍の受賞論文。
る。一九三四年にはナチスドイツの台頭を受けてか、より実践的な課題となっており、国防義勇軍(
Te rr ito ria l
A rm y
)を大陸に派遣することを前提とした上で、そのための準備を問う課題が出されている。後述するように、本来は国内の治安維持を担っていた国防義勇軍を第一次大戦で運用したように大陸に展開する常備軍と共に第一線に投入するか否かは、想定する戦争の規模がカギを握っていた。海軍の懸賞論文の課題が海洋戦略(制海権、経済封鎖、石油問題等)により焦点をあて、空軍のそれが空軍自体の存在価値を問うたのに対し、しばしば﹁大戦争﹂への備えを考えさせたのは、三軍の中でも陸軍に特有のものだったといえるかもしれない。ともあれ、戦間期全体を通じてRUSIジャーナル自体が、少なくとも陸軍に関しては、次期総力戦とそれへの準備に関心を払い続け、読者である将校に注意を喚起していたのである。( )同志社法学 六九巻三号八〇戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七七二
2 短期決戦論の登場
⑴ 大 戦 末 期 の 「 大 陸 軍 」 維 持 構 想
第一次大戦が最終局面を迎えようとしていた一九一八年の中頃から、徴兵制と陸軍の現状規模の維持を求める議論がRUSIジャーナルで展開された。
一九一八年五月に掲載された匿名論文﹁陸軍の再編(
A rm y R eo rg an iz at io n
)﹂では、英国が一九一六年に伝統的な志願制度を脱して新たに導入した徴兵制の意義について述べられた。著者は、徴兵制をやむを得ず導入したとしながらも、社会的に不公平な志願制度に対して、徴兵制が国民に公平である点に着目した。すなわち、自由を享受する人間は、自由を確保するために自ら努力しなければならず、他人に頼ってはならないのであった。また著者によれば、英国民は実利的(pr ac tic al
)であり、賢明な保守主義の気質を持っているため、よい取引には応じるだろうという。つまり、個人の自由と国家の安全を秤にかけたとき、後者を蔑ろにしてまで前者を追求しないだろうと著者は期待した。具体的には学校卒業後、士官候補部隊(C ad et B at ta lio n
)に入隊し、一八歳から常備軍か予備役部隊(短期訓練のみ)に入隊するものとした。そして、徴兵制を継続したとしても英国は軍国主義とは無縁であると最後に付け加えている )6(。
一九一八年八月掲載の
C le ric us
(ペンネーム)﹁大戦後の陸軍(T he A rm y aft er th e W ar
)﹂も、もはや一九一四年八月時点に逆戻りは出来ないのは明白で、徴兵制に基づいて現状の﹁大﹂陸軍を維持するか、スイスや大戦前のアメリカのように民兵組織を導入するかのどちらかが採用されるだろうことに、ほとんどの将校は同意するだろうと述べる。そのうえで、戦争防止を唱えるウィルソン米大統領や国際連盟の理想は現世代が生きている間には実現化しないだろうから、前者が採用されうる可能性が高いとした。具体的に著者は、一六から一七歳まで士官候補部隊に入隊し、一八歳か( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号八一七七三 ら常備軍一二年、もしくは国防義勇軍二年を選択させるという徴兵制度を提示している。それにより二〇の常設師団と国防義勇軍が想定され、徴兵制導入に伴い、現状一四個の義勇軍は三倍に膨らむものと想定している )7
(。
次号では、ノーラン・C・キング陸軍中佐が、先の論文﹁大戦後の陸軍﹂を受け、別の観点から持論を展開している(﹁
T he A rm y a fte r t he w ar : A no th er v ie w
﹂)。キング中佐は、C le ric us
の期待するような﹁大﹂陸軍の維持は困難だろうと予想した。というのも、国際連盟による集団安全保障体制に懐疑的だったが、帰還後の復員兵の投票で情勢が一変するかもしれないとキング中佐は考えていたのである。そこで、一九歳男子全員を国防義勇軍に入隊させ、その中の優秀者を常備軍にリクルートすることを彼は提案した。すなわち、志願制で内地防衛部隊だった国民義勇軍を徴兵軍に改編しようというのである。そうすることで常備軍は少数精鋭のエリート部隊となる。除隊後は政府関係のよいポストも得られるなら、常備軍への応募も減少することはないだろうとキング中佐はいう。もっとも、義勇軍における訓練が長期にわたることは困難であり、歩兵なら六カ月を限度とし、それ以降は二、三年に一度の一カ月訓練へと徐々に減らしていくという制度を提案した )8(。
徴兵制への期待はさらに続く。大戦終結直後の一九一九年に掲載されたF・H・ティレル将軍の論稿は、徴兵制の下でのスイスモデルに基づいた民兵(
na tio na l m ilit ia
)制度設立を唱える )9(。ティレル将軍によれば、英国が大戦中に導入した徴兵制がもたらした二つの政治的結果は、①民主主義の力を増大させたこと、②政治における軍国主義の力を弱めたこと、であった。というのも、市民軍は侵略戦争をしない。むしろ職業軍こそが軍国主義精神を育むのである。かつ、民兵はむしろあらゆる社会階級に国家的団結心や同胞愛を生む。さらに六カ月(三カ月でも良い)の軍事訓練は、若者に有益な道徳的身体的効果が得られる、という。ティレル将軍のモデルは、民兵とはいえ、常備軍維持にこだわらず、六カ月の短期兵役で徴兵制を維持するという点でキング中佐の主張に近いといえる。
( )同志社法学 六九巻三号八二戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七七四
⑵ 短 期 決 戦 論 と し て の 陸 軍 機 械 化 構 想
ところが、彼らの期待に反し、戦後ロイド・ジョージ内閣は軍の規模縮小と軍縮政策を推進した。一九一九年八月に採用された﹁一〇年ルール﹂といわれる政府のガイドラインは、今後一〇年間英国は次期大戦に参加しないという想定の下で軍事予算の見積もりを立てるというものであった。休戦時には三五〇万名以上にのぼった部隊は、一九二〇年末までに三七万人に縮小した )₁₀(。陸軍の支出額も一九一八年の九七万ポンドから二一万ポンド(一九二〇)にまで削減、一九二二年には四万五千ポンドまで抑制された )₁₁
(。こうして陸軍は人員も予算も大戦前の水準以下にまで縮小された。
一九二二年七月に国費委員会が提出した報告書は、委員長エリック・ゲディス卿の名前を冠して﹁ゲディスの斧(
G ed de s A xe
)﹂と称される。この報告書は、六個師団を維持するという一九一四年以前の要求すらもはや採用され得ないと結論付けた )₁₂(。こうして、RUSIジャーナルで主張されていた徴兵制の下での﹁大﹂陸軍維持構想は早くも頓挫した。一九二三年までに英陸軍は志願制に復し、単調な国内防衛と帝国領内の警備に戻った )₁₃
(。
RUSIジャーナル内でもこうした流れを受けて、有事の際は再軍拡することを前提としつつ、陸軍の規模を第一次大戦前に戻すことにしぶしぶ同意する論文が現れる。ベイリー・ハミルトン少佐は、アメリカの民兵組織のような形をとることなども現状では理想論であり、潜在的には予備役兵が数百万名生まれることが予想されるのでその訓練の必要を説いた )₁₄
(。ただハミルトン少佐も戦時の大規模軍隊を想定している点では、上述の論者たちと同じといえよう。
他方、人員整理や予算縮小が避けられないなか、徴兵制とは異なる形で兵力の維持・向上を目指す議論がRUSIジャーナル内で活発となった。すなわち陸軍の機械化である。その代表的論者は、後に世界的な戦略家として名を馳せたバジル・リデル・ハートであった。ハートの議論は、戦車部隊の増強を強く訴えたことで良く知られている )₁₅
(。ハートは一九一九年に投稿した論文の中で、次のように述べる。平和な時代から戦術システムの発展にともなう新しい発想をい
( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号八三七七五 ち早く理解し、実践する軍隊は、いかなる将来の戦争においても、物質面と士気の両面において極めて有利な状況で戦うことができる。このような考えを実践するためには、兵力の経済化という大原則に基づかなければならない。すなわち、﹁人員削減の痛手を受けるなかで、より大きな兵力を達成する方法を模索する﹂のである、と。ハートは歩兵が依然として決定的武力としての地位を保つであろうと述べる。だが、力点は次にある。﹁歩兵をこのような優位にあらしめるために、歩兵の力と効果を増大させなければならない﹂。もっとも、推進力を犠牲にして火力の増強に専念すれば、塹壕戦のようなこう着状態を必然的に招くだろう。歩兵にとって不可欠な性質とは進撃する動力なのだ。その解決策として、ハートが提起した戦術こそが歩兵と戦車の併用であった )₁₆
(。要するにハートの機械化構想は、戦力の維持向上に努めるとともに、政府の緊縮予算方針や国民の厭戦的風潮に応えるものだったといえよう。
もう一人の著名な陸軍機械化論者はJ・F・C・フラー大尉である。フラーは、後にナチスを賛美し、エドワード・モズレー率いる英国ファシスト連盟に参加したことで知られる。しかしフラーの真骨頂は戦車論であった。フラーは一九一七年一一月のカンブレーの戦いで戦車部隊の大量投入を立案し、一九二〇年代は陸軍大学校や陸軍省に勤務して機甲戦研究を行ったという経歴を持つ。ハートが最も影響を受けた戦略家でもあった )₁₇
(。フラーは一九一九年度金賞受賞論文のなかで、こう述べている。戦争に科学の進歩を反映させることで、経済的軍隊を作ることができる。すなわち、短期的かつ最小限のコストで平時のエネルギーを戦時の力に転嫁できるというのである。フラーは、徴兵制による大部隊は地上で敵の爆撃の標的になるばかりか、機動性が劣ることを指摘した。ゆえに将来戦は兵数ではなく機械の力が重要であり、英国は﹁鉄の靴をはいたアキレス﹂を理想とすべきだという )₁₈
(。フラーもハートと同様に、﹁経済的﹂軍隊を目指して厳しい軍縮時代に何とか適応しようとしていた。同時に両者は、総力戦に批判的であった。とりわけハートの場合、塹壕戦となったソンムの戦いで負傷した経験から、大規模な犠牲を払って得る勝利にきわめて批判的で、大陸関与
( )同志社法学 六九巻三号八四戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七七六
に対する否定的な提言を行った )₁₉
(。このような大陸への関与を制限する政策は、皮肉にも彼らの主唱する機甲戦を可能にする陸軍予算をも切り崩す結果となった。
もっともハートやフラーの議論は、総力戦の﹁可能性﹂を否定するものでは必ずしもなかった。しかし、短期決戦に執着するあまり、戦争が長期化した場合の具体的な対応策が十分に語られておらず、楽観的との誹りは免れなかった。それでは、RUSIジャーナル内では将来戦が総力戦となることを前提とし、長期戦にも対応しうる国民動員や経済・産業動員に関する論稿や講演は、どの程度見受けられたのだろうか。
3 総力戦論の展開
⑴ 「
国 民 動 員 」 へ の 着 目
機械や火力ではなく、マンパワーひいては国民の役割、戦意や士気(
m or ale
)の重要性を強調した論稿は少なくない。まず目を引くのは、国民の愛国心をテーマに講演が行われていることである。一九二〇年四月に開かれたその講演は、バーナード・ボーガン牧師(従軍牧師)による﹁現代の愛国心﹂と題するものであり、ボーガン牧師は広大な版図となった大英帝国を維持するためにも帝国民、なかんずく帝国の核たるイングランド人の愛国心が重要であると力説した。ボーガン牧師は愛国心の定義を、自らが属する社会集団(家族、国家、帝国)の利益と自己を同一化させようとする感情とした上で、近年の英国内の学校教育が個人主義的傾向を強めていることに警鐘を鳴らし、国民の帝国への帰属意識を涵養することを訴えた。その際、軍隊で経験する訓練、苦痛、同志意識が果たす役割を高く評価した。ボーガン牧師によれば、二つの﹁病﹂から守るために愛国的本能は統制され(
re gu la te d
)、涵養され(dis cip lin ed
)( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号八五七七七 なければならないという。病の一つは軍国主義である。ドイツがそうであったように愛国心は軍国主義に利用されやすい。今一つの病は平和主義である。平和主義も行き過ぎれば、国家の団結を損なうからである。さらにボーガン牧師は第三の病として良心的兵役拒否を挙げる。兵役拒否者がいかに良心に忠実であろうと、彼の生きる土地の法に反する行動をとる自由はないとボーガン牧師は述べる。もっとも、ドイツのように戦争遂行システム(
w ar m ac hin er y
)の一歯車となって自己を規制する必要はないという。聴衆の中からも社会主義、サンディカリズム、ボルシェビズムに対抗するためにも、愛国心を喚起する必要があるとの声が上がった(W・F・カボーン海軍中佐)。また、自己犠牲の精神は軍事訓練から生まれるとし、規律(dis cip lin e
)の精神によって将来の国家的団結を図らねばならないとの声も上がった(ローカー将軍)。言うまでもなく、愛国心からくる国民の自発的な戦争参加は、総力戦遂行の基礎となる。ボーガンの議論が、単なる国威発揚を唱えたものでないことは間違いない。次に同年、﹁将来戦の可能性﹂について、ルイス・C・ジャクソン少将が講演している )₂₀
(。ジャクソン少将は一八九五年~一九〇二年陸軍技術学校主任教官、一九〇七~一九一〇年沿岸防衛副長官、一九一四年からはキッチナー陸相のもと攻撃用ガスをはじめとする様々な軍事発明に従事、一九一五年には軍需省に移り、対塹壕戦軍需資材長官に就くという、いわばマンパワーと科学を総力戦に動員する責任者としてのキャリアを歩んだ。司会を担当したのがウィリアム・ピール陸軍次官であったことからも、その講演内容はいわば陸軍省のお墨付きともいえた。
その内容であるが、まず将来戦は起こり得るかという問いに対して、ジャクソンの答えは明確に﹁イエス﹂だった。興味深いことにジャクソンは、集団安全保障としての国際連盟の機能を疑問視しており、﹁多くのドイツ人は彼らが復讐を望んでいると言うのを憚らない﹂と述べ、ドイツとの戦争を想定していた。また仮に連盟が加盟国の徴兵制を禁じれば、かえって﹁適者生存﹂を促し、国力のすべてを戦争準備に傾注する時間を二つの交戦国に与えてしまい、宣戦布
( )同志社法学 六九巻三号八六戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七七八
告直後から総力戦が予想される。他方、連盟の勧告を無視して宣戦布告のない戦争となる可能性も高く、その場合は明らかに遠距離からの急襲という戦略がとられるだろう、とジャクソンは予想した。
その上でジャクソンは将来戦の特徴として、機械による輸送、科学戦(焼夷弾等)、航空機の活用、部隊間の連絡(無線等)、速戦即決に適した新型兵器への更新、多機能化した兵器に対応可能な万能型の兵士を挙げた。つまりジャクソンは塹壕戦のような戦争ではなく、電撃戦のようなものを想定していたといえよう。
講演後の質疑応答では、F・ストーン少将が連盟の影響力への懐疑、時が来れば再びイギリスは立ち上るべきだというジャクソンの主張に賛同した。議長のピール陸軍次官も講演内容を全面的に支持し、さらに国民の士気(
m or ale
)が勝敗を決することを付け加えた。つまり、宣戦布告なき戦争の可能性は過去に比べてむしろ高まっており、本土が空爆されることをピール陸軍次官は憂慮していたのである。その場合、市民が標的になる。市民に非常時の準備が出来ていなければ爆撃によって厭戦気分が広がり、第一次大戦末期のドイツで起こったような事態に陥るからである。いずれにせよジャクソンは、科学や機械を万能のものとせず、むしろ国民のメンタリティを重視しており、将来戦も第一次大戦と同様﹁国民の戦争﹂となることを予想した点は注目に値しよう。翌年に行われた講演では、﹁労働と陸軍との関係﹂が議題となった。講演者は下院議員(自由党)のジョン・ワード大佐であったが、英国参謀本部作戦部長のパーシー・ラドクリフ少将が司会を務めていることから、こちらの講演も陸軍省(参謀本部は省内に置かれていた)の意向と無縁ではなかった。ワード大佐は一八八五年に陸軍に仕官して兵役を経た後、労働運動の指導者となった異色の経歴を持つ。第一次大戦に際して再び仕官し、労働運動のコネクションを利用して労働者からなる五つの大隊をリクルートした。彼の指揮する部隊は後に﹁ダイハード﹂の異名をとり、シベリア出兵でもその名を轟かせた )₂₁
(。
( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号八七七七九 ワード大佐は、陸軍は人々の意見を抑圧するか衰えた与党の力を維持するための組織にすぎないという労働運動家に見られるような陸軍観に対して、国内外の騒擾、紛争を治める上で陸軍は政府の必要不可欠な手段であることを力説した。それは、その政府が保守党、自由党、労働党であろうと変わらない。すでに英国では一九一八年の選挙法改正で普通選挙制(二一歳以上のすべての男性、三〇歳以上の女性)が実現していた。多数の労働者が労働党に投票すれば、労働党単独政権の誕生は現実のものとなる(一九二四年一月に初の労働党政権が成立)。このような状況を受けてワード大佐は、陸軍はどのような状況でも不偏不党で任務にあたるべきことを強調した。また、ワード大佐は将校や下士官への十分な給与、昇進制度(下士官から士官へ)の改正が充分になされるという条件を付した上で、平時における徴兵制の可能性を否定し、現在の志願制度を支持した。司会にあたったラドクリフ少将も、どのような政権が来ようとも、喜んで命令に従うと述べた。また志願制が唯一の取り得る選択肢であり、英国陸軍も規模は小さいが忠実な陸軍(
no t la rg e b ut lo ya l
)を望んでいるとコメントしている )₂₂(。
ここで注目したいのは、なぜこのような議題が選ばれたのかという点である。議題が示すのは、政治的民主化が加速する状況下で、装備を機械化すべきか否かといった純軍事的・戦術的な問題にとどまらず、政治・社会的問題にまで英国陸軍の関心が寄せられていたということである。次期戦争が再び﹁国民の戦争﹂となることが予想される以上、反軍的な世論や時代状況に抗うのではなく、むしろ陸軍をそうした環境に適応させなければならなかった。ワード大佐やラドクリフ少将は志願制の下での少数精鋭を是としているが、それは総力戦準備を否定しているわけではない。むしろ、次期総力戦を労働党政権の下で戦う可能性も想定していたからこその講演であったと考えるべきだろう。労働組合が戦時動員の鍵を握ることを熟知していたのは、ワード大佐その人であり、彼を講演者として迎えた英国陸軍なのであった。 同年一二月には陸軍省動員徴募局長のバーネット・ヒッチコック少将が登壇し、﹁マンパワー﹂について講演している。
( )同志社法学 六九巻三号八八戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七八〇
司会は陸軍元帥ヘンリー・ウィルソン帝国参謀総長が担当した。ヒッチコック少将の解説は、マンパワーをどのように適材適所に配置するべきか、という点に力点が置かれていた。マンパワーとは前線に送り出される兵士だけを意味しない。軍需品などを生産する工場要員なども含まれる。ヒッチコック少将によれば、戦車などの機械化や新技術の発明を促進すれば人員をカットできるどころか、維持・運搬のためだけでなく修理工といった新たな人員が必要となるので、経済的になるとは限らないという。それだけでなく、増大する負傷兵の医療を担当する部門も拡充させる必要がある。大規模の兵士の維持(食糧、兵営、会計)にもマンパワーが必要とされる。また、工場や医療部門では、女性もマンパワーの重要な供給源として期待される。
ヒッチコック少将は、英国陸軍の軍事的任務は総力戦(
a na tio na l w ar
)ではなく帝国中の警備であるとしながら、派遣軍が関与している中東地域の状況いかんでは軍の拡充が必要となり、その場合、訓練を受けていない国民に訓練を施さなければならないため、時間をかける必要があると述べた。すなわち、マンパワーの定義や講義の説明内容から分かる通り、ヒッチコック少将は現時点で総力戦の可能性があるかどうかは別として、総動員の準備は必要であると考えていた。ヒッチコック少将は英国民のうちマンパワーの適性を欠くものが驚くほど多いことを憂慮しており、幼児の保護、スラム街の撲滅、過度の飲酒防止、性病の根絶を課題とした。これも、総力戦を念頭に置いていたからこその提言であったといえよう。司会のウィルソンも、﹁講演者は総力戦(a na tio na l w ar
)を極めて正当に論じた。つまり、国民の成人男子、殆どの婦人、小児をも対象としているのだ﹂と評し、ヒッチコック少将に賛意を示した )₂₃(。ちょうどこの年、現職の帝国参謀総長としてウィルソンは、本国、アイルランド、インド等に兵力を集中することを望み、メソポタミアやペルシャ、パレスチナ等に兵を割くことに反対していた )₂₄
(。それでも総力戦に備えることは支持していたのである。コメントの最後に、志願制が平時戦時を問わず、いかなる軍事的問題をも解決するという長所があるわけではないと補足
( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号八九七八一 していることからも、ウィルソンが現状の志願制度を最良と考えていたわけでもなかった。
同号に掲載された﹁戦争における主導権﹂を著したR・G・チェリー少佐は、より明確に次の戦争をイメージしている。チェリー少佐いわく、﹁先の大戦から教訓を引き出すことで、我々の次の大戦の準備や整備の段階で主導権を保持することができるであろう﹂と冒頭で述べている。やはり、彼も﹁大戦﹂を想定しているのである。チェリー少佐は数多の戦史を紐解きながら、一貫して戦争の主導権は攻勢によって得られたと主張する。そのためには、あらゆる階級に攻撃精神を鼓吹し、有事の際に迅速に動員する必要があるという。チェリー少佐はビスマルクやナポレオン、大戦中のドイツをその好例とした。興味深いのは、戦争の主導権を取ることは攻勢側を圧倒的優位に立たせるだけでなく、守勢側の持つ火力の優位(
m ec ha nic al ad va nt ag es
)をも相殺するという主張である。これはハートやフラーらの機械化論へのアンチテーゼとも解釈できよう。もっとも、戦争の主導権は兵数の大小を問題としない。先の表で示した通り、一九二二年度の懸賞論文でRUSIが与えた設問は、科学の進歩が戦争に与える影響と英国が関与する﹁次のヨーロッパ大戦争﹂で必要な陸軍の組織と訓練がテーマとなっていた。金賞受賞者のシェネヴィックス・トレンチ少佐は、機動性が向上した結果、奇襲による先制攻撃が有効であると主張する(戦車どうしの戦闘は膠着状態に陥る)。しかし、最終的に勝利を獲得するのは歩兵であり、戦車や戦闘機ではないことを強調し、改めて歩兵の重要性を指摘している。この主張はチェリー少佐のものに通じる。そのうえでトレンチ少佐は、四つの配慮(
co ns id er at io ns
)が必要であるという。すなわち、①敵の攻勢に対する準備、②国民性、美徳、伝統と共存した軍事システム、③国民の日常の需要を満たし、世界規模の帝国の責務を全うする軍事システム、④海軍、空軍とのバランス、である。ここでいう英国の国民性、美徳、伝統とは、反軍的世論、生きるという﹁無上の美徳﹂、そして海主陸従の伝統を指す。これらは必ずしも陸軍にとっては有利とはならず、むしろ制約となる。しかしこれらの制限を軽視した組織を作ることは無駄( )同志社法学 六九巻三号九〇戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七八二
であるとトレンチ少佐は説く。その発想は、はじめに英国陸軍ありきというより、国民があっての陸軍というものであったといえよう。以上から、攻勢の優位を説きながら英国の国民性に鑑みて防衛的な軍隊にすべきとした。
トレンチ少佐は、徴兵制による大陸型の国民軍創設や、大規模の職業軍の維持も困難であるという現状を踏まえて、以下のような戦時組織の提案をしている。すなわち、国内警護を任務とする国防義勇軍(戦時四二個師団)の活用である。トレンチ少佐によれば、徴兵軍や大規模な職業軍だけでなく、有事の際にキッチナー陸軍のような新設軍を創りゼロから訓練をするより、この提案は低コストの編制だという。四二個師団(一個師団約一万五〇〇〇)は平時において四分の一が現役の国防義勇軍、約二分の一が予備役で当てられ、残りが募兵か徴兵によるという。トレンチ少佐は、開戦後二日で戦時一五個師団(五個兵団)を編制すると仮定した場合、一〇万人を徴兵しなければならないとする。要するに、トレンチは平時の徴兵軍を否定しているが有事の際は議会に強制権が付与され、徴兵制が敷かれることを想定しているのである。それゆえ、﹁陸軍の質は究極的には国民の質に依存するのであり、健康や教育に関するあらゆる革新的法案は軍事にとっても重要なのである﹂。そしてトレンチは、﹁防衛の最大の策は、全国民男子を健全に保つことであろう﹂と結論付ける。この論文も、徴兵制か否か、機械化か否か、という二者択一の問題ではなく、総力戦にはどのみち国民動員が伴うため、平時から国民動員の準備が必要であることを指摘しているのである。
一九二四年度の懸賞論文も平時の兵力を﹁国家規模での戦争﹂(
a w ar o n a na tio na l s ca le
)に際してどのように増員すべきかという課題が与えられた(表2を参照)。ここでいう国家規模での戦争とは、第一次大戦の再現を想定しており、総力戦と置き換えてよい。金賞を受賞したL・I・カウパー大尉も、軍人にとって最初の責務は﹁利用しうるヒトと資源を最大限利用すること﹂であると説く。それは戦争を軍人が主導するという意味ではない。戦争はあくまで外交政策の延長であるため、外交の責任者(政治家)が戦争指導にあたるべきという文民統制の原則に基づいている(もちろん( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号九一七八三 外交政策も逆に戦争準備の度合いに影響を受ける)。
カウパー大尉は、戦争の準備に際して、国民の動員、産業や通商の統制を管掌する内務省の役割を重視する。開戦劈頭に迅速に徴兵できるよう平時に徴兵登録(
a na tio na l r eg ist er
)を準備することが肝要という。第一次大戦の統計によれば、英国民四二〇〇万人のうち陸軍に徴用できるのは三八〇万人であるという(一個師団につき三万八〇〇〇名、一個師団を維持するのに毎年新兵を一万六八二四名補充する必要がある)。もっともカウパー大尉は、総力戦における精神的要素を重視する。すなわち、﹁厭戦的国民に強いることのできる軍事制度はない﹂のであり、戦争準備に際して、国民の精神性(ものの見方や一般的性格)を根本的に考慮しなければならない。その上で、戦闘行為が開始されれば徴兵制が実施されるという。今準備すべきことは、やはり陸軍に徴用できる男子を最大限活用しうる計画を練ることなのであるとカウパー大尉は重ねて力説する。カウパー大尉はトレンチ少佐と同様に、常備軍六個師団に加えて一四個師団(戦時四二個)の国防義勇軍を大陸に派遣することを想定している。徴兵登録が開戦と共に効力を発揮しても、すぐには兵力を供給することはできない。その時間のギャップは、国防義勇軍の予備役兵が埋めるという )₂₅
(。
表2・カウパー論文が想定する英国陸軍の戦時動員と大陸派遣 開戦後に派遣される兵力
開戦後14日 1個騎兵師団+5個歩兵師団
4カ月 12個歩兵師団
5カ月 16個歩兵師団
9カ月 14個歩兵師団
計48個師団
( )同志社法学 六九巻三号九二戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七八四
⑵ 「
産 業 動 員 」 へ の 着 目
総力戦のもう一つの重要なテーマは産業動員である。いくら兵士や兵器を戦場に投入しようとも、産業動員による能率的生産なくして戦争の継続は不可能であるという考えは、総力戦論の特徴の一つである。RUSIジャーナルにおいて、産業動員をテーマにした論文がいくつも掲載されている。
G・マクロード・ロス陸軍大尉は論文﹁産業戦略﹂(一九二六)のなかで、次なる大戦への綿密な準備の必要をとく。ロス大尉は、﹁次の戦争はより短期間により効率的に国力を最大限に発揮する組織が求められる﹂と断言する。すなわち、マンパワー(兵力と労働力)と軍需資源の総動員、そして機動性と迅速な決定が求められる。その際、国家は以下の方面での統制を行う。①ヒトと労働力の統制、②工業生産の統制、③天然資源の統制、④外国貿易の統制、⑤燃料と電力の統制、⑥輸送の統制、⑦通信の統制、⑧資本の統制、⑨価格の統制、⑩食糧の統制、がそれである。ロス大尉の議論はシンプルである。﹁共通の目標を達成すべく国力の統合を確実にするためには、妥協や議論はその価値を失い、専制が必要となる﹂。それゆえ、宣戦布告と共に徴兵制(
U niv er sa l S er vic e
)の導入が必要である。また宣戦布告後に新たな適量の軍需品が生産され戦地に届けられるのに一二カ月は最低かかるため、その時間差を埋めるだけの平時の備蓄が必要だという。ロス大尉はカウパー論文が想定した段階的戦時動員を基にして、備蓄が底をつく開戦一六カ月(六四週)後までに新たな軍需品の生産を軌道に乗せなければならないと説明する(表3)。ロス大尉によれば、産業動員による迅速な生産のためには、労働の中央統制と同時に責任の分権が必要であるという。すなわち、設計、規格、見積といった領域では中央統制が必要であるが、契約・管理・生産・支払について交渉し準備する領域では分権が求められる )₂₆
(。
W・G・リンゼル少佐も﹁大戦の行政的教訓﹂(一九二六)の中で、産業動員の重要性を喚起している。戦争の勝敗
( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号九三七八五 を決するのは、ヒトやモノの維持(
m ain te na nc e
)と移動(m ov em en t
)という二つの行政の円滑な働きであるという。第一次大戦勃発時に英国は一万二〇〇〇名と四〇〇〇の動物で戦ったが、最終的に三〇〇万名(労働など非戦闘員も含め)と五〇万の動物が戦争に従事した。次の大戦も同様の増員が予想される。そこで、平時にすべきことは情報収集である。それは自国のものだけでなく、仮想敵国の資源や供給量についての情報も必要である。次に、あらゆる資源を組織し、適切な時間と場所でそれらを利用し、決定的なポイントでヒトとモノの力を最大限に発揮させることである。そのためには経済諜報機関の設置も求められる。リンゼル少佐は、国民全体の心からの支持なくしてはいかなる規模の戦争も遂行できないと述べる。そのために、国民の情熱を暴動に向かわせてはならないと警告する。有望な将校、機械工、科学者、炭鉱・鉄鋼労働者、職人らはそれぞれの特別な能力を挙国一致の実をあげることに向けられなければならないのであ
表3・大陸派遣軍に求められる弾薬の備蓄と新たな生産との関係
300 275 250 225 200 175 150 125 100 75 50 25
48 44 40 36 32 28 24 20 16 12 8 4
派遣準備が整った師団
1週間の生産量
(千)
5 10 15 20 25 30 35 40 45 50 55 60 65 動員発動後の週数
48 個師団
18 個師団
34 個師団
6 個師団 派遣師団用に平時より 備蓄されていた 18ポンド砲の弾薬量
新たな弾薬の生産量 師団が求める1週間の弾薬量
( )同志社法学 六九巻三号九四戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七八六
る。リンゼル少佐の論文は以下の文章で閉じられている。﹁大戦の行政的教訓は軍人より政治家たちに向けられるべきものなのかもしれない。しかし、政治家に忠告し、国民を教育し、戦争を忘れさせないようにするのは軍人の役目である。平時に備えが出来ていなければ、次の戦争で最初に苦しむのは軍人なのである。﹂
産業動員の重要性については、一九二七年度二等受賞論文の中でも指摘されている。著者のJ・キース・エドワーズ大尉は、国際連盟規約、ヴェルサイユ条約、そしてロカルノ条約の規定により、英国が大陸における戦争へ介入する可能性は、第一次大戦よりも高まっているとした上で、その場合﹁地上軍の迅速な攻撃が必要﹂だと主張する。軍の機械化も重要だが、膠着戦を避けるために緒戦で﹁大規模な軍と物量を投じるのが世界の共通作戦﹂となっており、動員が勝敗のカギを握っていると指摘する。エドワーズ大尉は軍事よりも政策が優先されれば、逐次投入となり、その結果敗北する可能性があると警告する )₂₇
(。
。あんでお必要がくる指摘していると 人でなく軍民も自国間だけ必家治政、りあで至織が員動組の、の一に重慎ていつに性要必学衛の防的市民般士、本土気 敵るか、活の生や継確戦すちを員動く早い、は将准ル志意立をる破は戦来将。たし張主と総がが壊ることす勝利につな 争徴特な著顕が動業産もた戦の次、めれのそ。たきてなと員る言だェヴ。るあでのるす﹂ワ予ヴ﹁うろワとェル准将は ぼほてしそ、関機道く報、場工、なでけだて全動の員海ら練が画計るすを国関機るす関に活生民軍陸時戦開、れさ究に 素要てきたワであると展しも発もとっル後戦、はとこるヴェ准ゆ研にか細事、ていに国るおらた将あ見ていは。実際に 述りと、るすとのもなか確力よを利勝が方の業産もりるべり。の国す備準るす員動にめたを争あ戦のあと家らゆる力を ゆのあの争戦が力業産ら国てべすの家くなでけだ局民る戦面な全よ数力兵るな単、ばれとに期長てしそ。るれさ入投市 ﹁。〇・P・Aたし稿投を)三ヴ九一﹂(ちた者言預と軍ワェる素げ挙を員動総につ一の要ル諸の戦大次一第、は将准陸
( )戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)同志社法学 六九巻三号九五七八七 また、外国の産業動員にも関心が払われていることは注目に値する。一つは、一九二九年にC・B・ロビンス米国陸軍次官の論文﹁産業動員の決定的役割﹂が転載されている )₂₈
(。第一次大戦で準備不足を露呈したアメリカは、軍需生産の非能率や混乱を改善すべく資産家のバーナード・バルークを長とする戦時産業局(
W ar In du st ry B oa rd
)を設立し、産業動員を中央管轄とした。戦後は陸軍次官が責任者となり、あらゆる軍需物資の調達を管理することとなった。しかしながら同時に、既存の産業組織の活動を許可し、政府の制限を最小限に止め、産業組織に軍需物資を供給させることが重要な政策である。明白な必要がない限り、電力や輸送、その他の産業は政府に統制されない。このようにロビンスは、民間産業の活力を統制するのではなく、自律性を尊重することを重視した。現代の戦争は軍事的問題であると同時に複雑なビジネスの問題であることは自明であるため、ビジネスのやり方で研究され、計画されなくてはならないと述べる。他方で、米陸軍の物資調達の当局者は民間産業の指導者と定期的に接触しており、協力体制を整えている。ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコでは地区担当の将校と民間人が毎月会議を開いているという。また、軍人が産業に精通するため、ハーバード・ビジネス・カレッジや陸軍産業大学で学ぶ制度作りもなされている。このように強大な産業力を持つアメリカですら、次の戦争にむけてかなり具体的な計画準備を行っており、民間産業が主体的に総動員計画に参加しているという内容は、RUSIを購読する英国陸軍軍人にはおおいに刺激となったであろう。
一九三四年には後に仏大統領となる国家防衛事務総局のシャルル・ド・ゴール陸軍中佐の論文﹁諸外国の産業動員﹂も抄訳されている )₂₉
(。ド・ゴール中佐は、産業動員の必要が世界の軍事常識となった状況をふまえ、アメリカ・イタリア・ベルギーの産業動員計画の実態を紹介している。アメリカについては産業界と行政の協力体制に注目し、産業家に﹁儲かる﹂というインセンティブを与えていることを指摘した。一九三〇年以来二〇〇〇社の工業会社が戦時服務に関する講習を受けていることも紹介されている。資源貧困国のイタリアでは、世界恐慌克服を名目として厳格な産業統制を法
( )同志社法学 六九巻三号九六戦間期イギリスの総力戦論(一九一八~一九三八)七八八
制化していることにド・ゴール中佐は着目している。工場監査に関する法律(一九二三)、一四歳以上の男女を対象とする国民動員を含む総動員に関する法律(一九二五)、資源調査機関を設置する法律(一九二九)、などがそれである。強国に隣接するベルギーは、戦争への努力(
w ar e ffo rt
)が無駄に終わる可能性が高いという感情からそれほど法整備は進んでいなかったが、中欧における汎ドイツ運動の高まりを受けて、産業動員の準備を進めつつあるという。ド・ゴール中佐は従来戦車を用いた電撃戦の主唱者として知られているが、産業動員にも相当の関心を払っていたことはイギリスからも注目されていたといえる。4 第二次大戦前夜のRUSIジャーナル RUSIジャーナルを通してみる限り、英国陸軍には次期戦争が再び総力戦となる可能性を視野に入れ、その準備の必要を訴える声が少なからず見られた。しかしながらこのような陸軍の声は、反戦世論と財政的問題に掻き消され、政府や国民のみならず、陸軍においてすら重視されなかった。国民の反戦的感情を配慮した陸軍機械化でさえ、一九三八年に至ってもほとんど実現しなかった。一〇年ルールが続いたせいで国内軍事産業はほとんど姿を消した )₃₀
(。将来の動員のための行政施設や産業施設も維持する努力はなされなかった )₃₁
(。
総力戦は国民主体の戦争であり、国民の総力戦への理解と戦う意志なくしては成り立たない。陸軍内の焦りは、RUSIジャーナルからもひしひしと伝わってくる。K・P・スミス大尉は﹁国民の戦争への意志(
T he n at io na l w ill to w ar
)﹂(一九三八)の中で、英国民の準備不足に対する諦めと焦りを以下のように綴っている )₃₂(。ドイツの再軍備(一九三五)とラインラント進駐(一九三六)により、ヨーロッパに危機が迫りつつあったが、一般的英国民はこうした戦争