ハーグ管轄合意に関する条約(2005年)の作成過程に おける日本の関心事項について
著者 道垣内 正人
雑誌名 同志社法學
巻 58
号 3
ページ 243‑288
発行年 2006‑06‑30
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000010958
同志社法学 五八巻三号 二四三ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について 文部科学省法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム ﹁国際的視野と判断力をもつ法律家の養成﹂同志社大学法科大学院 第五七回国際セミナー︵二〇〇六年三月二一日︶
ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の 作成過程における日本の関心事項について
道 垣 内 正 人
︵1︶
講 演
一.はじめに
二〇〇五年六月三〇日︑ハーグ国際私法会議第二〇回外交会期は︑﹁管轄合意に関する条約︵convention on choice of court agreements︶﹂を採択した ︵
︒ 2︶
この条約は︑一九九二年のアメリカ提案に始まったグローバルな国際裁判管轄及び外国判決の承認・執行に関する条
約作成プロジェクトの最終成果である︒当初のプランでは︑普通裁判籍︑管轄合意等に加え︑支店所在地の管轄︑契約
︵一二六一︶
同志社法学 五八巻三号 二四四ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
義務履行地の管轄︑不法行為地の管轄等の特別裁判籍︑さらには︑不動産物権︑会社の機関の決定の効力︑特許の有効
性など対世効を有する事項に関する訴訟についての専属管轄などとともに︑訴訟競合の処理をも定め︑外国判決の承認・執行要件等を定めるという広範な内容を有する条約の作成が構想されていた︒もっとも︑当初から︑アメリカの管轄ル
ールと他の国々︵特に大陸法諸国︶のそれと乖離を考えれば︑両者が完全に一致する妥結点を見出すことは不可能であろうと予想された︒そこで︑その違いを乗り越えるために︑締約国すべてが管轄権を行使すべきホワイト・リストの管
轄原因︵これに基づく判決は原則として他の締約国には承認・執行義務を負う︶︑管轄権行使が禁止されるブラック・リストの管轄原因︵仮に管轄権が行使されても︑他の締約国はその判決の承認・執行が禁止される︶︑そして︑その中
間のグレー・エリアでは自国法で認められる管轄原因に基づく裁判を行うことは妨げられないこととする︵その判決は条約外とされ︑他の締約国は自国法に基づいて扱えばよい︶︑という﹁ミックス条約﹂の構想が採用され︑審議が進め
られた︒
しかし︑一九九六年に正式議題として民商事事件に関する国際裁判管轄及び外国判決承認執行に関する条約作成作業
が本格的に始まったものの︑アメリカと他の国々との考え方の隔たりは大きく︑ミックス条約の枠組みの中でも条文案作りは難航した︒二〇〇一年の外交会議の最終日には︑もはや﹁大きなミックス条約﹂の作成は困難であることが明白
となった ︵
非公式作二年一︑非公式作業グループが設置された︒二〇〇〇針変更月から二〇〇三年三月にかけて開催されたがされ 方︒・そこで︑妥協できる限られた管轄原因のみをホワイトリストにに入れる﹁小さなミックス条約﹂の作成 3︶
業グループそこでの議論の結果 ︵
ブラッうと︒ミックス条約の用語を使︑達ホワイト・リストに管轄合意だけを定め︑したにであるとの困難は作成結論 ︑した結局︑管轄合意だけに特化アメリカを条約にするほか︑含むグローバルな条約の 4︶
ク・リストには何も規定せず︑広くグレー・エリアを残すというものであると言うことができよう︒ ︵一二六二︶
同志社法学 五八巻三号 二四五ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について そして︑二〇〇三年三月に管轄合意条約案が作成され ︵
審議四年四月︑二〇〇三年一二月と二〇〇に是認開催された二回の特別委員会での正式なされがするとの作成を約方針 ︑が各国に対する意見照会︒実施されたその結果︑管轄合意条 5︶
を経て ︵
︑二〇〇五年六月の外交会議に至ったのである︒ 6︶
本稿では︑この条約の作成過程の最終段階において日本国としてどの点が問題であったのか︑それはどのように最終
条文では解決されたのかを振り返ることとする︒以下において取りあげる日本の関心事項は次の通りである︒
第一に︑管轄合意により選択された裁判所であっても︑審理の遅滞を避けること等のために他の裁判所に移送するこ
とができるようにし︑その移送先の裁判所の下した判決も条約の適用対象とすることである︒
第二に︑外国判決の承認執行拒否事由として︑当該承認執行を求められている国に所在する被告への訴状等の送達が
当該国の送達に関するルールに反する場合という事由を盛り込むことである︒
第三に︑条約の対象外とされている事項についても︑先決問題としてであれば裁判所が判断することができ︑その場
合には条約の適用が維持されるとしても︑その結果の判決については︑承認執行を求められている国において︑その除外事項を本案とする手続や判決が存在するときには︑先決問題としての判断事項を含む他の締約国の判決の承認執行を
拒否することができるようにすることである︒
第四に︑懲罰的損害賠償に限らず︑填補賠償としては過大な金額の賠償を命ずる判決は承認執行を拒否できるようにすることである︒
以下︑本稿では︑本条約の概要として︑基本構造と主要条文を紹介したうえで︑右記の四点に焦点を絞って︑この条約を検討することとする︒
︵一二六三︶
同志社法学 五八巻三号 二四六ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
二.条約の概要
a.基本構造
−三原則 条約の骨格を構成しているのは︑次の三つの原則を定める規定である︒すなわち︑①管轄合意により選択された裁判
所に裁判を行うことを義務付ける五条︑②選択されなかった裁判所に提訴された場合に︑その裁判所に︑その訴訟手続
の停止又は訴えの却下を義務付ける六条︑③すべての締約国は︑管轄合意により選択された他の締約国の裁判所の判決を承認・執行することを義務付ける八条︵及びその条件を定める九条︶︑以上である︒
b.主要な点
⑴ 適用対象となる管轄合意
本条約が基本的に対象としているのは︑﹁一つの締約国の裁判所又は一つの締約国の一つ若しくは複数の特定の裁判
所を選択し︑他のいかなる裁判所の裁判管轄権も排除する﹂専属管轄合意だけであるが︵三条⒜︶︑非専属的管轄合意の場合であっても︑選択された裁判所が下した判決を自国の裁判所は承認・執行する旨の宣言をすることができ﹂︑宣
言をした締約国の間では︑訴訟競合状態にないこと等を条件に︑承認・執行は義務的になる旨の規定が置かれている︵二二条︶︒なお︑明文の規定はないが︑議場において︑一方の当事者が提訴する場合についてだけ特定の裁判所を専属管
轄とするような非対称的な管轄合意は条約の対象外であることが確認された︒ ︵一二六四︶
同志社法学 五八巻三号 二四七ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について ⑵ 適用対象事項 事案の国際性 完全に国内的な事案について条約で義務を負うことを避けるため︑適用対象は﹁国際的な事案﹂における専属的管轄
合意に限定されており︵一条一項︶︑既述の五条及び六条を中心とする第二章︵裁判管轄権︶の規定の適用︵すなわち︑国際裁判管轄ルール︶に関しては︑﹁当事者が同一の締約国に居住し︑かつ︑その当事者の関係及び紛争に関するその
他のすべての要素︵ただし︑選択された裁判所の所在地は問わない︒︶がその国にのみ関連している場合を除き︑﹂国際事案とすると規定している︵一条二項︶︒また︑裁判時には国内事案であって︑本条約の適用がない場合でも︑その判
決の外国における承認・執行には本条約が適用されるように︑八条・九条を中心とする第三章︵承認及び執行︶の規定の適用に関しては︑常に国際事案とすると規定している︵一条三項︶︒第二項の適用上の基準時︑すなわち︑管轄合意
の時点で国際的事案である必要があるのか︑提訴時に国際的事案であれば足りるのかについて議論されたが︑最終的にはこの点は規定せず︑解釈に委ねられることになった︒
除外事項 除外すべき最も強い理由が存する事項は︑専属管轄が定められている事項である︒二条二項に定める事項のうち︑⒧不動産に関する物権及び不動産の貸借︑⒨法人の有効性︑無効又は解散・機関の決定の有効性︑⒩著作権・著作隣接権
を除く知的財産権の有効性等︑⒪著作権及び著作隣接権を除く知的財産権の侵害︑⒫公簿への登記又は登録の有効性はこれに該当する︒もっとも︑不動産の賃貸借については︑ヨーロッパ諸国間で妥当している欧州共同体規則や条約︵ブ
ラッセル・ルガノ・ルールズ︶では所在地国の専属管轄としているものの︑そうではないとする国も少なくないことか
︵一二六五︶
同志社法学 五八巻三号 二四八ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
ら議論がされたが︑最終的には除外事項とされた⒧︒また︑特許・商標等の侵害事件についても見解の対立があったが︑
ライセンス契約における管轄合意の有用性を低下させないことに配慮しつつ︑コンセンサスを確保するため︑除外されることになった︒
消費者契約及び労働契約については︑ヨーロッパ諸国間で妥当している欧州共同体規則や条約︵ブラッセル・ルガノ・ルールズ︶では︑事後的な合意であるか︑消費者・労働者からの提訴についてのみ消費者の常居所地や労務提供地等の
弱者保護管轄に付加する管轄合意であるか︑のいずれかでなければ管轄合意を認めないこととしているのに対して︑アメリカ等にはその種の規則はない︒そこで︑これらの契約における管轄合意を適用除外としている︵二条一項︶︒
その他︑ミックス条約として構想されていた段階から︑それぞれ理由は異なるが︑二条一項⒜から⒦までの事項の多くは除外事項とされていたものであり︑若干の事項をさらに拡大して︵f・g・j・k︶︑コンセンサスを確保している︒ さらに︑コンセンサスは得られなくても︑締約国は宣言により一定の事項を適用除外とすることが認められた︵二一条︶︒草案では︑カナダの主張に基づき︑アスベスト関連事項について適用除外とする宣言をすることを認めていたが︑
これを一般化したものである︒もっとも︑除外事項宣言をするためには︑適用除外とすることにその国が﹁強い利益を有している場合﹂であって︑﹁宣言が必要以上に広範に及ぶことなく﹂︑かつ︑﹁除外されるその事項が明確かつ詳細に
定義されることを確保﹂されていることという条件が付けられているほか︑他の締約国は相互主義的な対応をとることができるとされている︒
除外事項が先決問題︵preliminary question︶となる場合
二条二項の除外事項が訴訟において少しでも問題となると本条約が全く適用されなくなるということであると︑特許 ︵一二六六︶
同志社法学 五八巻三号 二四九ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について 関係の訴訟において特許の有効性を争う等の訴訟戦術が用いられる虞があるため︑除外事項が先決問題としてのみ生ずる場合には︑その訴訟は本条約の適用範囲から除外されないこととされている︵二条三項︶︒
なお︑二条二項又は二一条による除外事項が先決問題として生じた場合︑その問題についての判断は本条約によっては承認・執行されず︵一〇条一項︶︑また︑判決がそれらの除外事項に関する判断に基づいている場合には︑その限り
において︑その判決の承認・執行を拒否することができることとされている︵一〇条二項︶︵さらに知的財産権については同条三項に特則が置かれている︶︒
⑶ 管轄合意の有効性
方式
本条約の適用を受けるためには︑合意は﹁書面﹂又は﹁後の参照の用に供しうる情報を残す他のすべての通信手段﹂
によって締結されるか又は記録されなければならない︵三条⒞︶︒すなわち︑この方式要件を満たす合意である限り本条約が適用され︑これに上乗せの要件を加えることは許されないとの意味で最大限を画するものであり︑他方︑これよ
りも緩やかな方式でされた合意を国内法に基づいて有効とすることを妨げるものではないが︑その場合には条約の対象
外となる︒
実質的有効性 合意の実質的成立要件は︑合意された締約国の国際私法により指定される法律による︵五条一項︑六条⒜︶︒外国判
決の承認・執行においても︑同じ法律により合意の有効性が判断されるが︑この場合にはすでに裁判がされているので︑
︵一二六七︶
同志社法学 五八巻三号 二五〇ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
﹁選択された裁判所が専属的管轄合意を有効であると決定した場合﹂にはそれをそのまま受け容れるべきことが規定さ
れている︵九条⒜︶︒
行為能力 五条一項・六条⒜・九条⒜の﹁その合意が無効である場合﹂には︑管轄合意をした当事者が能力を欠いていたために
無効となる場合が含まれる︒この点︑日本は︑六条⒝・九条⒝では能力の点をそれぞれ受訴国・承認執行を求められている国の国際私法に従って定まる法律によるべきことが規定されていることとの関係で︑能力の問題は合意された締約
国の国際私法により定まる法律によってもチェックされることを明確に規定することを求めた︒議論の結果︑その通りであるが︑その旨コンセンサスが存在するとして明記はされなかった経緯がある︒
⑷ 選択された裁判所の義務の例外
管轄合意により選択された裁判所であっても︑審理の遅滞を避けること等のために他の裁判所に移送することができ︵五条三項b号︶︑その移送先の裁判所の下した判決も︑その移送に適時に反対した当事者がいた場合を除き︑本条約の
承認執行対象となる︵八条五項︶︒
また︑特に宣言をした場合には︑﹁選択された裁判所が所在するという点を除き︑自国と当事者又は紛争との間に関
連性がない場合には︑専属的管轄合意が適用される紛争についての裁判を拒否することができる﹂︵一九条︶︒これはアメリカが強く主張したものである︒
そのほかには︑条約の対象となる事項についての専属的管轄合意により選択された裁判所は︑たとえば︑英米におい ︵一二六八︶
同志社法学 五八巻三号 二五一ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について て認められるフォーラム・ノン・コンヴィニエンスの法理に基づく裁量的な訴訟の停止や訴えの却下を含め︑﹁その紛争は他の国の裁判所で裁判されるべきであるとの理由によって裁判管轄権の行使を控えてはならない﹂とされている
︵五条二項︶︒
⑸ 選択されなかった裁判所の義務の例外
選択されなかった裁判所に提訴された場合に︑他の裁判所を専属とする管轄合意の存在にも関わらず裁判手続をする
ことが許されるのは︑右記⑶記載の合意が無効である場合のほか︑﹁その合意の効力を認めることが明らかな不正義をもたらすか︑又は受訴裁判所所属国の公序に明らかに反する結果となる場合﹂︵六条⒞︶︑﹁当事者が左右することがで
きない例外的な理由により︑その合意が合理的には履行できない場合﹂︵六条⒟︶︑﹁選択された裁判所が当該事件を審理しないと決定した場合﹂︵六条⒠︶である︒
なお︑六条⒠については︑日本から︑専属的合意管轄で選択された裁判所が国内管轄規定に基づいて事件を移送した場合についても︑別の締約国の裁判所は事件を停止又は却下すべき旨提案した︒しかし︑一定の支持が得られたものの︑
有力な反対意見があり︑結局︑右記⑷記載の扱いをすることと引き替えに︑六条⒠はそのような場合は含まず︑他の裁
判所は競合する訴訟をする可能性が残ることとなった︒
⑹ 外国判決の承認・執行義務の例外
専属的管轄合意で選択された締約国の裁判所の判決の承認・執行を拒否することができるのは︑右記⑶記載の合意が 無効である場合のほか︑﹁訴訟手続を開始する文書⁝⁝が︑⒤ 被告に対して十分な期間を置き︑かつ防御の準備をす
︵一二六九︶
同志社法学 五八巻三号 二五二ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
ることができる方法で通知されていない場合⁝⁝︑ 承認又は執行を求められた国にいる被告に対して︑その国の文
書の送達に関する基本原則に反する方法で通知がされた場合﹂︵九条⒞︶︑﹁判決が手続事項に関して詐取された場合﹂︵九条⒟︶︑﹁承認又は執行が︑それを求められた国の公序に明らかに反する場合︵判決に至る特定の訴訟手続がその国の手
続的公正の基本原則に反する場合を含む︒︶﹂︵九条⒠︶︑﹁判決が︑承認又は執行を求められている国において同一当事者間の紛争について下された判決と抵触する場合﹂︵九条⒡︶︑﹁判決が︑同一の当事者間で同一の訴訟原因に関して他
の国で先に下された判決と抵触する場合⁝⁝﹂︵九条⒢︶である︒
このうち︑九条⒞の送達要件について︑実際上の防御の機会が保障されていればよく︑の形式的な要件は不要であ
るとの国が少なくなかったが︑日本には送達実施国法違反の送達では民事訴訟法一一八条二号の送達要件を欠くとの判例︵最判平成一〇年四月二八日民集五二巻三号八五三頁︶もあることからこれに反対し︑の要件が規定された︒
懲罰的損害賠償判決及び填補賠償ではあるけれども高額すぎる判決の扱いも焦点の一つであった︒前者については対象外とすることで早々に決着していたが︑後者についてはアメリカが強い難色を示していた︒しかし︑最終的には︑当
事者の﹁被った現実の損失又は害悪を填補するものではない損害賠償︵見せしめとしての又は懲罰としての損害賠償を含む︒︶を与える場合には︑その限りにおいて﹂その判決の承認執行を拒否できることとなった︵一一条︶︒懲罰的損害
賠償を﹁含む︒﹂としたことにより︑懲罰的賠償以外の填補賠償や損害賠償額の予定についても︑額が過大な場合には承認執行が拒絶され得ることとなった︒現実の填補賠償か否かの審査は職権で行うべきものであるが︑“sniff test”︵承 認・執行を求められた裁判所が一見しておかしいと思うものについてのみ審査するということ︶︑すなわち︑同テストにより審査を要するとされたものについてのみ“actual loss or harm”か否かの審査を行うことでよいことが了解された︒
なお︑たとえ一一条により条約でカバーされない場合であっても︑保険会社の責任に関する判決は条約でカバーされる ︵一二七〇︶
同志社法学 五八巻三号 二五三ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について ことの確認規定が置かれた︵適用除外事項が保険契約の対象である場合も同じ︶︵一七条︶︒
⑺ 他の国際文書との関係及び地域経済統合組織の扱い
欧州共同体は︑その特殊な性格に基づく特別の規定を求め︑他方︑他の類似の文書との関係や組織の扱いとの平仄を
合わせるべしとの意見も有力にあり︑長時間の議論が行われ︑二六条︑二九条︑三〇条等の規定となった︒
三.日本の関心事項
以下では︑一の末尾で挙げた四つの日本の最終段階での関心事項︑すなわち―︑a.管轄合意により指定された裁判所から他の裁判所への移送︑
b.外国判決承認執行拒否事由としての送達の適法性︑c.条約からの除外事項について先決問題として判断した他の締約国の判決の扱い︑
d.懲罰的損害賠償判決等の扱い︑
―について︑それぞれ―︑⑴ 問題の所在︑⑵ 交渉の経緯︑⑶ 最終条文︑
―の順に取り上げる︒
︵一二七一︶
同志社法学 五八巻三号 二五四ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
⑵の交渉の経緯においては―︑ 二〇〇三年三月の作業グループ案︵二〇〇二年一〇月︑二〇〇三年一月及び三月それぞれ実質三日間程度開催された非公式作業グループ会合の結果作成されたもの︶︑
二〇〇三年一二月の特別委員会草案︵管轄合意条約作成のための第一回特別委員会の最終日である二〇〇三年一二月一〇日に作成されたもの︶︑
二〇〇四年四月の特別委員会草案︵同第二回特別委員会の最終日である二〇〇四年四月二七日に作成されたもの︶︑
―の条文案を取り上げ︑それをめぐる議論を紹介する︒
a.管轄合意により指定された裁判所から他の裁判所への移送
⑴ 問題の所在
日本の関心事項であった第一は︑管轄合意により選択された裁判所であっても︑審理の遅滞を避けること等のために 他の裁判所に移送することができるようにし︑その移送先の裁判所の下した判決も条約の適用対象とすることであった︒これは︑日本法上は︑管轄合意により例えば東京地裁が指定されていても︑民訴法一七条 ︵
により︑﹁訴訟の著しい 7︶
遅滞を避け︑又は当事者間の衡平を図るため必要があると認めるとき﹂は︑例えば大阪地裁に事件を移送することができることとされているので︑これを条約のもとでもできる限り実現しようという政策に基づくものであった︒もっとも︑
他方では︑アメリカのような広い国土を有する国の中での移送の場合︑すなわち︑例えばニューヨークの裁判所を管轄合意において指定していたのに︑それが例えばロサンゼルスの裁判所に移送された場合に︑そのロサンゼルスでの裁判
を管轄合意された裁判所におけるものとして扱うことが当事者にとって不意打ちになることはないかどうかの検討も必 ︵一二七二︶
同志社法学 五八巻三号 二五五ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について 要であった︒
管轄合意による裁判所の指定の仕方によって問題状況は違ってくる︒例えば︑管轄合意により日本の裁判所が選択さ
れていれば︑日本国のすべての裁判所は︑事物管轄権がある限り︑管轄合意条約上の﹁選択された﹂裁判所となり︑その判決にも同条約が適用されることになる︒これに対して︑東京地裁が管轄合意で選択されている場合には︑東京地裁
だけが条約上の﹁選択された﹂裁判所となる ︵
︒その場合︑問題は三つある︒ 8︶
第一は︑東京地裁は︑民訴法一七条を適用することができるか否かである︒これは︑管轄合意が有効である限り︑﹁選
択された裁判所﹂は裁判をしなければならないという条約の三原則のひとつである二.aの①の原則に対して︑例外を設ける否かという問題である︒
第二は︑右記の問題について民訴法一七条の適用が認められるとした場合︑東京地裁が大阪地裁に移送したとして︑他の締約国の裁判所は︑管轄合意には反する提訴を受けたときに︑条約上︑大阪地裁での手続を尊重して︑訴訟手続を
行わないという義務を負うか︑それとも︑条約はもはや適用されず︑裁判を進めてよいか否かである︒これは︑二.aの②の原則との関係での問題である︒
第三は︑右記のように東京地裁から大阪地裁に移送した場合︑大阪地裁が言い渡した判決には条約が適用され︑他の
締約国は︑条約に従って承認・執行義務を負うのか︑それとも︑条約外のものとして扱われることになるのかという問題である︒これは︑二.aの③の原則との関係での問題である︒
︵一二七三︶
同志社法学 五八巻三号 二五六ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について⑵ 交渉の経緯 二〇〇三年三月の非公式作業グループ案 二〇〇三年三月に非公式作業グループが作成した案においては︑移送の点は次のように規定されていた︒
第四条選択された裁判所の裁判管轄一 当事者が特定の法律関係に関係して生じた︑又は生じるであろうあらゆる紛争について︑締約国の一つ又は複数
の裁判所が裁判管轄権を有する旨の専属的な裁判所の選択合意をしたときは︑その締約国の当該一つ又は複数の裁判所は裁判管轄権を有する︒ただし︑その裁判所が︑その合意が無効であるか︑失効しているか︑又は履行不能である
と判断した場合はこの限りではない︒二 前項の規定は︑すべての当事者が一つの締約国に常居所を有し︑かつ︑その国の一つの又は複数の裁判所が紛争
について決定をする裁判管轄権を有する旨の合意をしている場合には︑その締約国の裁判所において適用されない︒三 この条約は︑事物管轄権﹇及び締約国の国内の裁判所の間での裁判管轄権の分配﹈に影響を与えるものではない︒
第五条選択された裁判所の優先
当事者が専属的な裁判所の選択合意をしている場合には︑選択された裁判所の所属国以外の締約国の裁判所は︑次
に定める場合を除き︑管轄権を行使せず︑又は手続を停止しなければならない︒
...
⒞ 選択された裁判所が管轄権を行使しない場合 ︵一二七四︶
同志社法学 五八巻三号 二五七ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について 第七条承認及び執行一 裁判所の選択合意により指定された締約国の裁判所が下した判決は︑この章に従って他の締約国の裁判所におい
て承認され︑又は事件によっては執行されるものとする︒承認及び執行は次の場合にのみ拒否することができる︒
...
四条三項は︑アメリカからの強い要求によって盛り込まれた ︵
︑け判所の事物管轄が生ずるわでのはないことは明らかであって裁そる判が限定されてい︑裁所を当事者が指定しても 少額裁判所すなわち︑︒︑労働裁判所といった事物管轄 9︶
定めるまでもないとの意見に対して︑アメリカでは連邦裁判所の管轄は限定的であり︑事物管轄の点を明記しておくことは必要であると主張したのである︒ただ︑事物管轄には影響を与えないというだけでは不十分で︑締約国内の裁判所
の管轄配分にも影響を与えない旨付け加えるべきであるとのアメリカの主張に対しては︑アメリカの東海岸の裁判所を指定していたのに西海岸の裁判所に事件が移送されてしまうことは当事者の意思に反するとのヨーロッパ側の反論もあ
り︑コンセンサスは得られず︑括弧を付けておくこととされた︒
この段階での考え方によれば︑五条及び七条の規定から明らかなように︑四条三項により移送はできるとしても︑移
送先の裁判所での裁判は条約外のものとされるとの考え方が当然のこととされていた︒すなわち︑管轄合意において指定された裁判所での裁判だけが条約上尊重されるということである︒
二〇〇三年一二月の特別委員会草案 移送の点は︑二〇〇三年一二月に特別委員会で作成された専属的管轄合意に関する条約草案では︑次の通り修正され
︵一二七五︶
同志社法学 五八巻三号 二五八ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
た︒
第四条選択された裁判所の裁判管轄一 裁判所の専属的選択合意により指定された締約国の一つ又は複数の裁判所は︑その合意が適用される紛争につい
て裁判する裁判管轄権を有する︒ただし︑その国の法律︵抵触する内外の法令の適用関係を定めるその国の法令を含む︒以下同じ︒︶によりその合意が無効である場合はこの限りではない︒二 前項の規定により裁判管轄権を有する裁判所は︑その紛争は他の国の裁判所で裁判されるべきであるとの理由によって裁判管轄権の行使を控えてはならない︒三 前二項の規定は︑事物管轄権及び請求の価額に関する管轄権の規則︑及び締約国の国内の裁判所の間での裁判管轄権の分配に影響を与えるものではない︒﹇ただし︑当事者が特定の裁判所を指定した場合にはこの限りではない︒﹈四 ...
第五条選択されなかった裁判所の義務
当事者が専属的な裁判所の選択合意をしている場合には︑選択された裁判所の所属国以外の締約国の裁判所は︑次に定める場合を除き︑手続を停止するか︑又は却下しなければならない︒
...
e)
選択された裁判所が管轄権を行使しない場合︑又は︑
... ︵一二七六︶
同志社法学 五八巻三号 二五九ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について 第七条承認及び執行一 裁判所の専属的選択合意により指定された締約国の裁判所が下した判決は︑この章に従って他の締約国の裁判所 において承認され︑執行されるものとする︒承認及び執行は次の理由に基づいてのみ拒否することができる ︵
︒ 10︶
...
右記の四条二項はEUの提案によるものであり︑専属的選択合意により指定された裁判所であって︑この条約の適用されるものは︑フォーラム・ノン・コンヴィニエンスの法理により︑他の国の裁判所での裁判の方が便宜であるとして
訴訟手続の停止や訴えの却下をしてはならないことを定めている︒これに対しては︑アメリカも強くは反対せず︑採用された︒
他方︑四条三項については︑アメリカの主張が認められ︑﹁締約国の国内の裁判所の間での裁判管轄権の分配に影響を与えるものではない﹂とされ︑日本としても︑民訴法七条の適用が妨げられないという点が確保された︒もっとも︑
ヨーロッパからは︑既述の通り︑当事者の予測可能性を確保するため︑﹁当事者が特定の裁判所を指定した場合﹂には移送ができないこととすることが提案され︑括弧付きでこの考え方に基づくルールが規定された︒
なお︑五条及び七条における扱いは作業グループ案のとおりとされた︒
二〇〇四年四月の特別委員会草案 二〇〇四年四月に特別委員会で作成された専属的管轄合意に関する条約草案では︑次の通り規定された︒なお︑これ
らの条文に付された注は︑番号は異なるものの︑特別委員会草案自体に付されたものである︒
︵一二七七︶
同志社法学 五八巻三号 二六〇ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
第五条選択された裁判所の裁判管轄一 専属的管轄合意により選択された締約国の裁判所は︑その合意が適用される紛争について裁判する裁判管轄権を
有する︒ただし︑その国の法律︵抵触する内外の法令の適用関係を定めるその国の法令を含む︒以下同じ︒︶によりその合意が無効である場合はこの限りではない︒二 前項の規定により裁判管轄権を有する裁判所は︑その紛争は他の国の裁判所で裁判されるべきであるとの理由によって裁判管轄権の行使を控えてはならない︒三 前二項の規定は︑次の規則に影響を与えるものではない︒
a)
事物管轄権及び請求の価額に関する管轄権の規則︑又は︑
b)
﹇当事者が特定の裁判所を選択した場合を除 ︵
き︑﹈締約国内の裁判所の間での裁判管轄権の分配 11︶
第七条選択されなかった裁判所の義務
当事者が専属的管轄合意をしている場合には︑選択された裁判所の所属する締約国以外の締約国の裁判所は︑次に
定める場合を除き︑訴訟を停止するか︑又は訴えを却下しなければならない︒
...
裁判所裁判所が同一の締約国内の他のにその事件を移送した場合を除 ︵ e) 場権い︑いなし使行を轄に管が所判裁たれさ択選従ころ三﹇︵ただし︑第五条第項合⒝より許されているとに
く︒︶﹈ 12︶ ︵一二七八︶
同志社法学 五八巻三号 二六一ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について 第九条承認及び執行一 専属的管轄合意により選択された締約国の裁判所が下した判決は︑この章に従って他の締約国の裁判所において
承認され︑執行されるものとする︒承認及び執行は次の理由に基づいてのみ拒否することができる︒
...﹇1bis 前項の規定は︑第五条第三項⒝により許されているところに従い︑選択された裁判所からの事件の移送により同一の締約国内の他の裁判所で下された判決についても同様に適用す ︵
る︒﹈ 13︶
...
五条三項は⒜と⒝に書き分けられたが︑内容は二〇〇三年一二月段階のものと同じである︒⒝の括弧に入れられてい
る当事者が特定の裁判所を指定したとき除外するか否かについては︑コンセンサスは形成されず︑ロシア︑オーストラリア︑カナダ︑日本︑ニュージーランド等が当事者の指定が事物管轄ルールに優先することに反対した︒
七条及び九条における扱いについて議論され︑五条三項⒝により移送が認められる場合︵当事者が特定の裁判所をしていた場合にも移送が認められるかどうかはこの時点ではコンセンサスなし︒︶に実際に事件が移送されたときは︑移
送先の裁判所は管轄合意により指定された裁判所として処遇することとされた︒これに対して︑五条三項⒜の場合にはそのようにはしないこととされた︒この点︑日本は︑事物管轄違いによって選択された裁判所では裁判ができず︑移送
した場合︑その移送先の裁判所の判決はこの条約の適用対象となり︑条約条の義務として承認・執行されるべきである旨主張した︒しかし︑それでは当事者の意思に反する場合があり︑危険であるとの反対意見が多く︑日本の意見は採用
されなかった︒
︵一二七九︶
同志社法学 五八巻三号 二六二ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について⑶ 最終条文 最終的に採択された条約中の条文は下記の通りである︒
第五条選択された裁判所の裁判管轄権一 専属的管轄合意により選択された締約国の裁判所は︑その合意が適用される紛争について裁判する裁判管轄権を有する︒ただし︑その国の法律︵抵触する内外の法令の適用関係を定めるその国の法令を含む︒以下同じ︒︶により
その合意が無効である場合はこの限りではない︒二 前項の規定により裁判管轄権を有する裁判所は︑その紛争は他の国の裁判所で裁判されるべきであるとの理由に
よって裁判管轄権の行使を控えてはならない︒三 前二項の規定は︑次の規則に影響を与えるものではない︒
a)
事物管轄権及び請求の価額に関する管轄権の規則
b)
締約国内の裁判所の間での裁判管轄権の分配に関する規則︒ただし︑選択された裁判所が事件の移送について裁量権を有する場合には︑当事者の選択にしかるべく配慮すべきものとする︒
第六条選択されなかった裁判所の義務
選択された裁判所の所属する締約国以外の締約国の裁判所は︑次に定める場合を除き︑専属的管轄合意が適用され
る訴訟手続を停止するか︑又は訴えを却下しなければならない︒
... ︵一二八〇︶
同志社法学 五八巻三号 二六三ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について e)
選択された裁判所が当該事件を審理しないと決定した場合
第八条承認及び執行一 専属的管轄合意により選択された締約国の裁判所が下した判決は︑この章に従って他の締約国において承認され︑執行されるものとする︒承認又は執行はこの条約が定める理由に基づいてのみ拒否することができる︒二 本章の規定の適用のために必要な審査を除き︑もとの裁判所が下した判決の本案に関する再審理をしてはならない︒承認又は執行を求められた裁判所は︑判決が被告欠席のまま下された場合を除き︑判決を下した裁判所がその裁
判管轄権の存在の根拠とした事実認定に拘束される︒三 判決は︑判決国において有効である場合にのみ承認され︑また︑判決国において執行できる場合にのみ執行され
る︒四 判決が判決国において上訴の対象となっている場合又は通常の上訴を求める期限が経過していない場合には︑承
認又は執行を延期又は拒否することができる︒その拒否は︑後にその判決の承認又は執行を申し立てることを妨げるものではない︒五 本条は︑第五条第三項により許されているところに従い︑締約国の選択された裁判所からの事件の移送により同一の締約国内の他の裁判所で下された判決についても同様に適用される︒ただし︑選択された裁判所が事件の他の裁
判所への移送について裁量権を有している場合には︑もとの国において移送に対して適時に反対をした当事者に対しては︑その判決の承認又は執行を拒否することができる︒
︵一二八一︶
同志社法学 五八巻三号 二六四ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
管轄合意により選択された裁判所であっても︑審理の遅滞を避けること等のために他の裁判所に移送することができ
︵五条三項b号︶︑その移送先の裁判所の下した判決も︑その移送に適時に反対した当事者がいた場合を除き︑この条約の承認執行対象とされた︵八条五項︶︒ただし︑他の裁判所に提起された訴えの扱いに関しては︑選択された裁判所が
事件を移送すれば︑もはや他の締約国は移送先の裁判を尊重する義務はないこととされた︵六条⒠︶︒
外交会議において︑ECは︑五条について︑専属的管轄合意により特定の裁判所が選択された場合は︑特定の裁判所
を選択した当事者の合意が尊重されるべきであり︑この場合に移送を認めると当事者の予見可能性に反するとして︑この場合には裁判所は事件を移送できないものとすべき旨主張した︒これに対しては︑正面からの反対論とともに︑義務
的移送の場合には当事者の意思を考慮する余地はないとの指摘があり︑ECは︑これらの指摘を受けて︑その後妥協案として︑裁量移送の場合には当事者の意思に考慮しなければならないという趣旨の文言を加えるべき旨の提案をした︒
この提案をもとに議論され︑その結果︑﹁ただし︑選択された裁判所が事件の移送について裁量権を有する場合には︑当事者の選択にしかるべく配慮すべきものとする︵due consideration should be given︶﹂という規定が採択されること となった︒この配慮はそうすることが望ましい︵should︶というに止まり︑条約上の義務ではない︒したがって︑日本としては︑民訴法一七条のこれまでの実務をそのまま維持することができるものと解される︒
六条についての議論は以下の通りである︒e号に関して︑日本は︑専属的合意管轄で選択された裁判所が国内管轄規定に基づいて事件を移送した場合についても︑別の締約国の裁判所は事件を停止又は却下すべき旨提案した︒しかし︑
一定の支持が得られたものの︵ロシア︑中国︑カナダ︶︑アメリカのように広い国土を有する国において︑遠距離の地に移送された場合には︑もはや︑そのアメリカの裁判所を指定する管轄合意に拘束されなくてもよいことにしたいとい
う考えに基づく有力な反対意見があり︵ニュージーランド及びEC︶︑結局︑五条三項b号及び八条五項とのセットで︑ ︵一二八二︶
同志社法学 五八巻三号 二六五ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について 六条では日本等は譲歩することとなった︒これは︑移送された場合の手当てを六条では行わず︵他の締約国の裁判所は手続を停止又は訴えを却下する義務を負わない︒︶︑承認・執行の段階のみで行うというものである︒これは妥協の産物
であるため︑選択された裁判所が同一国内の別の裁判所に事件を移送した場合︑別の締約国との間で訴訟競合を生じる可能性があることになる︒
八条についての議論は以下の通りである︒前記のとおり︑裁量移送が行われた場合に︑移送に反対していた当事者に対しては︑承認執行が拒絶され得る旨の規定が設けられた︒条文解釈として︑当事者の異議は移送した裁判所に対する
ものであること︑移送に対する不服申立てがされた場合も︑当事者の異議があった場合に含まれることが外交会議において確認された︒また︑五条三項a号による移送とb号による移送とで扱いを異にするとの案もあったが︑その合理性
はないとの日本の主張が受け容れられ︑両者は同じ扱いをすることとなった︒
なお︑採択された条項は﹁against a party who objected to the transfer ﹂との文言が用いられており︑判決効が主観 的に分断されるかのような表現になっている︒この点︑日本から︑判決の承認又は執行は︑常に当事者双方との関係で承認執行するか︑承認執行しないかのどちらかでしかあり得ない旨指摘して︑この文言を﹁if a party objected ﹂に置
き換えること︑すなわち︑承認執行に当事者が反対すれば︑判決全体を拒否することができるように改めるべきことを
主張した︒しかし︑米国やECからの強い反対があり︑文言の変更は受け容れられなかった︒もっとも︑議長からは︑実際の解釈運用に当たっては︑日本の指摘するような方法とならざるを得ないかもしれないと発言もあり︑日本の懸念
に一定の理解が示され︑当事者の一方が反対した場合には︑どちらの当事者との関係でも判決を承認執行するとの扱いをしても条約違反とはならないことが議場で確認された︒
なお︑五条二項は︑管轄合意が不安定な扱いを受けることがないように大陸法諸国の強い要請により採用された条文
︵一二八三︶
同志社法学 五八巻三号 二六六ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
であり︑主として︑英米法系諸国のフォーラム・ノン・コンヴィニエンスの法理による裁量的な管轄権の不行使を禁止
するものであるが︑同時に︑一項の要件が具備される限り︑外国訴訟係属が先行する場合に一定の要件の下で自国での訴え却下又は訴訟の中止をする大陸法系諸国の訴訟競合の規律も排除するものである︒
b.外国判決承認執行拒否事由としての送達の適法性
⑴ 問題の所在
日本の関心事項であった第二は︑外国判決の承認執行拒否事由として︑当該承認執行を求められている国に所在する
被告への訴状等の送達が当該国の送達に関するルールに反する場合という事由を盛り込むことであった︒これは︑最高裁平成一〇年四月二八日判決︵民集五二巻三号八五三頁︶が︑傍論ながら︑﹁民訴法一一八条二号所定の被告に対する﹃訴
訟の開始に必要な呼出し若しくは命令の送達﹄は︑我が国の民事訴訟手続に関する法令の規定に従ったものであることを要しないが︑被告が現実に訴訟手続の開始を了知することができ︑かつ︑その防御権の行使に支障のないものでなけ
ればならない︒のみならず︑訴訟手続の明確と安定を図る見地からすれば︑裁判上の文書の送達につき︑判決国と我が国との間に司法共助に関する条約が締結されていて︑訴訟手続の開始に必要な文書の送達がその条約の定める方法によ
るべきものとされている場合には︑条約に定められた方法を遵守しない送達は︑同号所定の要件を満たす送達に当たるものではないと解するのが相当である︒﹂と判断しており︑その趣旨をできるだけ生かすことが適当であるとの方針に
基づくものであった︒ ︵一二八四︶
同志社法学 五八巻三号 二六七ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について ⑵ 交渉の経緯 二〇〇三年三月の非公式作業グループ案 二〇〇三年三月に非公式作業グループが作成した案においては︑送達の要件は次のように規定されていた︒
第七条承認及び執行一 裁判所の選択合意により指定された締約国の裁判所が下した判決は︑この章に従って他の締約国の裁判所におい
て承認され︑又は事件によっては執行されるものとする︒承認及び執行は次の場合にのみ拒否することができる︒
...
⒝ 手続を開始する文書又はこれに類する文書︵請求の不可欠な要素を含まなければならない︒︶が︑被告に対して十分な期間を置き︑かつ防御の準備をすることができる方法で通知されていない場合 ...
二〇〇一年条約案二八条一項⒟は︑他の締約国の判決の承認・執行要件のひとつとしての送達要件について次のように規定した︵条文中の注は︑番号は異なるものの︑条約案自体に付されたものである︶︒
﹁
d) 対に被告︑が︒︶ならないばまなけれ含を要素不可欠なの請求︵文書する類はこれに文書又する開始を手続して 十分な期間を置き︑かつ防御の準備をすることができる方法で通知されていない場合﹇︑又は﹇適用される国際条約﹈﹇通知が実施された国の国内法﹈に従って通知されていない場合 ︵
こ所う争を点の知通が律法の判裁たしを決判︑しだた︒﹈ 14︶
︵一二八五︶
同志社法学 五八巻三号 二六八ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
とを認めている場合において︑被告が判決をした裁判所において出廷し︑かつ︑通知の点を争うことなく手続を進めた
ときは︑この限りではない ︵
︒﹂ 15︶
右記の﹁﹇︑又は﹇適用される国際条約﹈﹇通知が実施された国の国内法﹈に従って通知されていない場合︒﹈﹂という条文は︑日本・オランダ提案によるものであった︒しかし︑作業グループでの議論では︑アメリカが送達の適法性を要
件にすると︑国内法で詳細な送達に関するルールを設定する国が出てくるおそれがあることを強調し︑期間と方法の点で適正なものであれば︑送達実施国のルールに従うことまでは要求しないこととされた︒また︑二〇〇一年条約案二八
条一項⒟の末尾の瑕疵の治癒に関する但書は︑日本の民訴一一八条二号にも規定されているものであるが︑多数の意見により︑この段階では削除する方向での取りまとめがされた︒
二〇〇三年一二月の特別委員会草案 二〇〇三年一二月に特別委員会で作成された専属的管轄合意に関する条約草案では︑次の通り修正された︒
第七条承認及び執行一 裁判所の専属的選択合意により指定された締約国の裁判所が下した判決は︑この章に従って他の締約国の裁判所において承認され︑執行されるものとする︒承認及び執行は次の理由に基づいてのみ拒否することができる︒
...
c) な要素を含まなければらなない︒︶が︑被告に対し欠可不の手続を開始する文書又はこれに類する文書︵請求 ︵一二八六︶
同志社法学 五八巻三号 二六九ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について て十分な期間を置き︑かつ防御の準備をすることができる方法で通知されていない場合︐﹇又はその通知がされた国
の法律に従って通知されていない場合︒﹈﹇ただし︑いずれの場合にも︑判決を下した裁判所の所属国の法律が通知を争うことを認めていることを条件に︑被告が判決を下した裁判所に出廷して通知を争うことなく本案について主張を
している場合はこの限りではない︒﹈
⁝
七条一項⒞のうち︑実質的に防御できるような送達を受けたことを要件とする点については特に異論は出されなかった︒これに対し︑括弧書きになっている部分︑すなわち︑①送達が送達実施国法に従っていないことをも拒否事由とす
ること︑及び︑②実質的に防御できるような送達でなかった場合でも︑送達実施国法に従っていない送達であった場合でも︑判決国法が送達の有効性を争うことを認めていることを条件に︑被告が出廷して送達を争うことなく本案につい
て主張をした場合には瑕疵が治癒されること︑の二点は日本からの提案に基づくものであり︑この段階ではなお十分な賛成は得られず︑括弧書きとされた︒
なお︑①については︑アメリカから改めて︑送達に関する国内法上の些細な点の不遵守を理由に外国判決の承認・執行を拒否できるとすれば︑この条約案の価値は大きく損なわれるとの懸念が表明された︒しかし︑日本からは︑送達条
約一〇条の留保のように︑国家主権を守るための送達ルールもあり︵日本についてはその⒝及び⒞︶︑一概に些細な技術的なルールとは言えない旨の反論をした︒日本案に賛意を示したのは︑韓国︑中国︑ロシア等であった︒
︵一二八七︶
同志社法学 五八巻三号 二七〇ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
二〇〇四年四月の特別委員会草案 二〇〇四年四月に特別委員会で作成された専属的管轄合意に関する条約草案では︑次の通り規定された︒なお︑これらの条文に付された注は︑番号は異なるものの︑特別委員会草案自体に付されたものである︒
第九条承認及び執行一 専属的管轄合意により選択された締約国の裁判所が下した判決は︑この章に従って他の締約国の裁判所において
承認され︑執行されるものとする︒承認及び執行は次の理由に基づいてのみ拒否することができる ︵
︒ 16︶
⁝
c)
訴訟を開始する文書又はこれに類する文書︵請求の不可欠な要素を含まなければならない︒︶が︑
i)
被告に対して十分な期間を置き︑かつ防御の準備をすることができる方法で通知されていない場合︵ただし︑
判決を下した裁判所所属国の法律が通知について争うことを認めていることを条件として︑被告が判決を下した裁判所に出廷して通知について争うことなく本案について主張をしている場合は除く︒︶︑又は︑
ii)
承認又は執行を求められた国において︑その国の公序に反する方法で被告に対して通知がされた場合
⁝
︵以下︑略︶
九条⒞については︑日本から︑①送達実施国法に違反︵又は︑より一般化して主権を侵害︶するような方法で通知が行われた場合に判決の承認・執行を拒否し得ることとするとともに︑②被告がかかる通知の瑕疵を争わなかった場合に ︵一二八八︶
同志社法学 五八巻三号 二七一ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について は︑その瑕疵は治癒される旨の規定を設けるべきとの提案を行った︒このうち①の点について︑一定の支持は得られたものの︵EU︑英国︑フィンランド︑韓国︶︑通知に関して主権侵害はあり得ず︑そのような要件を課すことは認めら
れないとする強い反対意見が表明された︵アメリカ︶︒協議の結果︑結局︑九条⒞では︑通知の方法が承認・執行を求められた国の公序に反する場合には判決の承認・執行を拒否し得る旨が規定された︒
また︑被告が通知の瑕疵を争わなかったとしても︑通知の方法が公序に反するという瑕疵が治癒されるとすることは適当ではないとの意見が述べられたことから︑被告に十分な期間をおいた通知がされなかったような場合についてのみ
瑕疵が治癒される︵公序違反という瑕疵については︑被告が争わなかったとしても治癒はされない︶との規定となった︵この点は日本の民訴法一一八条二号とそのもとでの判例の立場とは異なる︶︒
なお︑判決の承認・執行拒否事由として︑被告の常居所地国が要求する言語に関する要件を満たした通知でないことや︵スイス︶︑被告に対して訴訟の日時が通知されていないこと︵ロシア︶を規定すべきとの提案も行われたが︑いず
れも︑反対意見が強かったことから採用されなかった︒
⑶ 最終条文
最終的に採択された条約中の条文は下記の通りである︒
第九条承認又は執行の拒否
承認又は執行は次に定める場合には拒否することができる︒ ...
︵一二八九︶
同志社法学 五八巻三号 二七二ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について
c)
訴訟手続を開始する文書又はこれに類する文書︵請求の不可欠な要素を含まなければならない︒︶が︑
i)
被告に対して十分な期間を置き︑かつ防御の準備をすることができる方法で通知されていない場合︵ただし︑
判決を下した裁判所所属国の法律が通知について争うことを認めていることを条件として︑被告が判決を下した裁判所に出廷して通知について争うことなく本案について主張をしている場合は除く︒︶︑若しくは︑
ii)
承認又は執行を求められた国にいる被告に対して︑その国の文書の送達に関する基本原則に反する方法で通知がされた場合 ...
外交会議での議論においても︑送達要件については︑実際上の防御の機会が保障されていればよく︑適法性は不要で
あるとの国が少なくなかった︒しかし︑日本はの必要性を主張し︑これに賛成する国も少なくなかったことから︑の要件が規定された︒二〇〇四年四月の特別委員会案においては公序違反という規定の仕方であったので︑一般的な公
序要件である九条⒠に実質的には吸収されてしまうと解されるものであったのに比べて︑﹁その国の文書の送達に関する基本原則に反する方法で通知がされた場合﹂という文言になったことから︑公序よりもより具体的なチェックが可能
なものであると解されることになろう︒
なお︑判決の承認・執行国と送達実施国とが異なる場合には︑九条⒞の要件は働かないことに注意が必要である︒ ︵一二九〇︶
同志社法学 五八巻三号 二七三ハーグ管轄合意に関する条約︵二〇〇五年︶の作成過程における日本の関心事項について c.条約からの除外事項について先決問題として判断した他の締約国の判決の扱い⑴ 問題の所在 日本の関心事項であった第三は︑条約の対象外とされている事項についても︑先決問題としてであれば裁判所が判断
することができ︑その場合には条約の適用が維持されるとしても︑その結果の判決については︑承認執行を求められている国において︑その除外事項を本案とする手続や判決が存在するときには︑先決問題としての判断事項を含む他の締
約国の判決の承認執行を拒否することができるようにすることであった︒これは︑日本では︑特許庁の審判により特許無効についての対世的な効力がある判断がされるという仕組みであり︑その判断及びそのための手続との関係で︑いか
に先決問題としてであれ︑矛盾する︵おそれのある︶判断を前提とする他の締約国の判決をそのまま承認・執行することは法秩序維持の観点から適当ではないと考えられたからである︒
⑵ 交渉の経緯
二〇〇三年三月の非公式作業グループ案 作業グループでの議論の段階では︑まだこの点についての問題は意識されていなかった︒
二〇〇三年一二月の特別委員会草案 二〇〇三年一二月に特別委員会で作成された専属的管轄合意に関する条約草案では︑前提問題として一条三項の除外
事項について判断された判決とその事項について正面から判断する訴訟又は正面から判断した判決の抵触についての規
︵一二九一︶