『土地と自由』再刊1号(1946年2月15日)の所蔵確認 によせて
著者 横関 至
出版者 法政大学大原社会問題研究所
雑誌名 大原社会問題研究所雑誌
巻 641
ページ 88‑89
発行年 2012‑03‑25
URL http://doi.org/10.15002/00008883
精力的に果されねばならないであらう」と説い ている。2頁には,大西俊夫「農民運動の諸組 織について」と「日本農民組合綱領・宣言」が あり,3頁には「雑繊維 戦時中農業会は何を したか」,「小作料の適正は自力で獲得せよ」,
4頁には「裏面に軍閥的意図 開拓政策を暴露 する」,5頁には「供米管理と飢餓克服」,6−
7面には「解説 農地制度改革法」がのせられ ており,7−8面には「声」欄が設置されてい る。8面には,「『土地と自由』と『日本農民新 聞』」と題して,「2つの定期刊行物」の役割分 担について説明している。同面の「編輯後記」
では「12月創刊の予定が今日にまで延引され た」ことについて,「1日が百年にも匹敵する 現情勢下において,この2ケ月を見送りにして しまった罪は決してそれら悪条件にのみ責任を おはせるべきではない」と記している。
この『土地と自由』は再刊1号で終了し,日 本農民組合の機関紙は『日本農民新聞』のみと なった。日本農民組合「1947年度全国大会報 告並決議案」(1947年2月,大原社研所蔵・下 坂正英氏旧蔵資料,「下坂資料 3」所収)の 8頁には次のように記されている。「37 機関 紙其他 機関紙日本農民新聞は,第1号及号外 を発行したほか印刷所,紙のために停滞したる も,6月10日,25日号より発行日は遅れたが 月2回発行を人手不足の折から異常の努力によ このたび未整理資料を整理する過程で,『土
地と自由』再刊1号の現物が見つかった。合わ せて,法政大学大原社会問題研究所(以下,
「大原社研」と略記)の所蔵資料では欠落して いた日本農民組合機関紙『日本農民新聞』第2 号(1946年6月10日)も出てきた。これで,
1946年2月に再建された日本農民組合の1946 年時点での機関紙は総て大原社研に所蔵されて いることが確認されたこととなる。
1999年に刊行された全農機関紙『土地と自 由』復刻版の解題において,解題を担当した横 関は『土地と自由』再刊1号について,「その 現物は,法政大学大原社会問題研究所には保管 されていない」(大原社研編『日本社会運動史 料 機関紙誌篇 全国農民組合機関紙 土地と 自由(4)』法政大学出版局,1999年,145頁)
と記していた。しかし,今回の資料現出により,
この部分は訂正されねばならないこととなっ た。
『土地と自由』再刊1号は200ミリ×406ミリ のサイズの全8頁より成り,次のような記事で 構成されている。まず1頁には,「『農地改革』
批判 下からの真正な具現へ」と題された「主 張」が掲載されている。それは,「さあれ半封 建的土地所有者層は徹底的に打破されねばなら ぬ。それはあくまで上からの妥協的改革を排し つつ,農民自身下からの真正な姿の具現として
『土地と自由』再刊1号 (1946年2月15日)
の所蔵確認によせて
横関 至
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■資料紹介
の動静を把握することが必要不可欠であるから である。その所以は,以下の諸点にある。まず,
占領軍の占領政策の根幹をなす農地改革の成否 を左右するものとして,農民組合の動静の分析 は欠かせないものである。次に,社会運動の一 翼を担っていた農民運動の実態分析は,敗戦後 の政治動向をみる際には看過できない事柄であ る。3つめとして,社会党・共産党・労働者農 民党の人的供給源の1つが日本農民組合であっ たことから,政党史研究においても重要な分野 である。とりわけ,政権党となった社会党分析 においては,不可欠である。4番めに,日本農 民組合の結成自体が社会党と共産党の政治的対 立の争点の1つとなっており,社会党と共産党 の関係を考察する作業においても枢要な位置を 占めていた。
なお,戦後直後の農民組合結成の動き,農民 組合への社会党・共産党の対応については,拙 稿「戦後農民運動の出発と分裂―日本共産党の 農民組合否定方針の波紋」(大原社研・五十嵐 仁編『「戦後革新勢力」の源流』大月書店,
2007年)および拙稿「日本農民組合の分裂と 社会党・共産党−日農民主化運動と『社共合同 運動』」(大原社研・五十嵐仁編『「戦後革新勢 力」の奔流』大月書店,2011年)を参照され たい。
[補]私,横関は,『土地と自由』の復刻と解題 を完成させるという仕事のために大原社会問 題研究所の兼任研究員に採用されました。二 十数年来の懸案であった資料を兼任研究員最 後の年に見出すことができ,感無量でありま す。
(よこぜき・いたる 法政大学大原社会問題研究所 兼任研究員)
って継続発行。尚,日本農民新聞は報導を主と し,外に土地と自由を資料掲載発行計画にて土 地と自由第1号を刊行せるも,常任委員会にお いて当分日本農民新聞一本の発行すべしの意見 あり土地と自由は中止した」(前掲「解題」参 照)。
戦後再建された日本農民組合の機関紙担当責 任者は,中央常任委員で組織部長兼統制部長で あった大西俊夫であった。大西は,『日本農民 新聞』の編輯発行人でもあった。大西は戦前の 全国農民組合の中心的幹部の一員として活動 し,1935年には全国農民組合中央常任委員・
機関紙部長であった。後に,人民戦線事件で検 挙された。そうした経歴をもつ大西が,1947 年の戦後第2回大会では書記長に選出され,同 年4月の参議院選挙で当選した。しかし,胃ガ ンの手術のために東大病院に入院し同年7月に 病死した。入院当日の6月12日に書き上げた 原稿が,遺稿となった。それは,「農業復興会 議の性格とその組織」(『日本農民新聞』24号,
1947年8月25日)と題されたものであった。
『日本農民新聞』23号(1947年7月25日)の
「論説 大西書記長急逝す」には,「大西書記長 の努力の1つは農民組合機関紙の編輯発行であ った。古くからこの機関紙の発行のために異常 な努力を傾けてきた人である」と記されている。
なお,戦後日本農民組合の幹部構成および大西 俊夫の戦中・戦後の動静については,拙著『農 民運動指導者の戦中・戦後』(御茶の水書房,
2011年)を参照されたい。
1946年2月に再建された日本農民組合の 1946年の時点での機関紙が総て大原社研に所 蔵されていることがわかったことは,研究の進 展にとって重要な意義をもつ。なぜならば,戦 後直後の時期を分析する場合には日本農民組合
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