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(西殿)の調査 21

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藤原宮第 2 1 (西殿)の調査

(1l{1平[152年 12 月 ~11{1干1153if3)] ) 

こ の 謂 査 は ラ 大 臨西方 iζ位 置 す る 西 殿 と ラ そ の 南 北 回 廊 を 台 む 約1440 の 範 囲 を 対 象 と し た も の で あ る 。 こ の は 日 本 古 文 化 研 究 所 が 昭 和 9年12月 i

ζヲ 藤 原 宮 の 調 査 を 初 め て 行 な っ た 第 l医に相当 L, トレンチおよび坪掘り調 によって 7間x4間 の 「 第 1区 殿 堂 社J (丙殿)を検出した場所である。古 文 化 研 究 所 に よ っ て 発 表 さ れ た に よ れ ば , 大 極 殿 院 と り わ4け東岳西殿とそ の のとりっき とならフヲ 納 な 点 iζつ い て は 再 調 査 の 必 要 ありと認められること,大梅殿!誌の整備に闘して正確な図面を作成する必要が ある ζとなどの理由から今回の調査を行なう乙ととなった。

検 出 遺 構 は 西 殿SB 2200ラ 西 北 問 廊SC 21 西 面 南 回 廊 SC 2140, 掘 立 建 物SB 2150, 東 西 溝 SD2160, 自 然 流 路SD2170, 井 戸SE2130,土壊S K 2129, S K 2140 などである。

西 殿SB 2200で は , 日 本 古 文 化 研 究 所 が 検 出 し た28基 の 「 根 固 め 栗 石 jのう

ちラ した。このうち西側

柱列jの 北 第 1 2.3‑4で は 礎

最も残存状況が良~0 す な わ ち 西 側 え つ け 掘 形 と 根 毘 め 石9 北 第 5では花嵩 岩礎石の嵐北剥落した部分と,すえつけ掘形および根固めノ七を検出した。 北側 柱 列 で は 西 第 2で す え つ け 掘 形 ヲ 東 .:1七@西の入側柱列では 5箇 所 に 根 固 め 石 を検出した。東側柱列および東入恒iJ で は , 古 文 化 研 究 所 が 検 出 し た と す る 11基 の う ち ヲ わ ず かIC::1基 ( 東 入 側 柱 北 第 4) を 確 認 し た に す ぎ な い 。 古 文 化 研 究 所 の 報 告 書 に 根 固 め 石 の 写 真 お よ び 個 々 の 実 測 図 が 示 さ れ て い る の は , 西 側柱デIj ,西入額~柱列,北側柱タIHζ 限られており,東半部分は当時においてもか

なり残存状態が悪かったのであろう。ところで多 20次 の 謂 査 に お け る 北 面 回 廊 ( S 

2100)で の 根 固 め 石 は 地 山 上 あ る い は 整 地 土 上 に 直 接 置 か れ , さ ら に 大 幅 に 削 平 さ れ て お り , 礎 石 を 据 え 付 け る た め の 地 業 の 構 造 に つ い て 手 が か り を 得 る こ と が で き ず9 ひ い て は 散 在 し た 小 磯 群 を 柱 位 置 と す る こ と に 疑 念 が 生 じ

(2)

てきた。しかし今回の21次の調査では根固め石の下にすえつけ掘形を 6箇所検 出し,さらに西側柱列北第5では花商岩礎石の風化剥落した部分をも検出した のであり,西殿SB 2200の西側柱列,西入側柱列l乙礎石が存在したことは確実 となった。そして,すえつけ掘形の底部にも小離が散在していることを確認し たのである。

西殿SB 2200 に伴う足場穴と考えられる SX 2199は,直経30cmの円形の掘立 柱穴から成るもので,身舎の中心に柱問1.7 m前後で南北に並ぶもの,東側柱 列の内側および外側に柱間 1.7 ‑ 2 mで並ぶものがあるが,西側柱列の内外で は検出していない。乙の

SX 

2199の桁行方向は,北でやや東に振れ,西殿

SB

2200が北でやや酉ζl振れている乙とと異なっている。西殿lと伴う足場穴とする ためには,西側柱列の西側での発掘をまって確定したい。

以上の資料によって西殿の規模を,西側柱列および北側柱列の礎石すえつけ 掘形の心々距離と,身舎部での根囲め石の位置を考膚し復原すると,柱間寸法 は桁行 7間 (28.9m) • 梁間 4 間(13m)で,桁行柱問14尺 (4.  1 m) ,梁行 柱間11尺 (3.25m) ということになる。古文化研究所の復原桁行全長95.9曲尺 (29.05m) ,渠行全長 39.2曲尺 (11.88m)にくらべると,桁行はほぼ同規 模で架行柱聞は古文化研究所の案よりやや広くなる。ただ,前述のように,東 半部分は根固め石の残りが悪く,西殿SB 2200の西側柱列および酉入側柱列を 確定できるだけであるから,西殿の規模についてはなお検討を要するのである。

西面北回廊 SC 2120の痕跡は,西殿SB 2200の棟通りおよび西入側柱通りで 検出された。棟通りでは SB 2200の北側柱列から 33.5mの位置で,花関岩礎石 底部の風化剥落した部分を検出したが,大部分は野井戸によってこわされてい る。さらに l間北では,径1.4 mの礎石落し込み穴とその抜き穴が重複して検 出された。西入側柱通りでは,それより 2 m西へ離れて,礎石落し込み穴と径 1 m高さ 0.5m の礎石を検出した。西面北回廊SC 2120が複廊になる可能性を 考慮し,西殿SB 2200の東入側住通りまで発掘区を拡張したが,根固め石や礎 石すえつけ掘形などは認めることができなかった。発掘区が狭いので確言でき ないが,西殿より北側の回廊および北面回廊は,古文化研究所の案どうり単廊

‑ 15 

(3)

となる可能性が強い。

西面南回廊SC 2140は,古文化研究所によって複廊に復原されているが,今 回の調査では,既に国有地となっている西殿SB 2200の棟通り列以西を調査し,

西面南回廊の規模を取りっき位置を確認することとなった。調査の結果,棟通 り列では. S B 2200の南側柱列から10mの位置で根固め石とすえつけ掘形,そ の西側に接して礎石落し込み穴と径0.75m高さ 0.7mの礎石を,さらに南へ4 m離れて礎石落し込み穴を検出した。西入例柱通りでは. S B 2200の南側柱列 から 10mと14mの位置で礎石すえつけ掘形,16mの位置で落し込み穴を検出し た。

酉面南回廊S C 2140は今回が初めての発掘である。古文化研究所は東殿にと りつく南回廊の西側柱列を東殿の東側柱列にそろえて検出し,視覚的に左右対 称とするため,西殿にとりつく南回廊の東側柱列を西殿の東側柱列にあわせて 推定復原している。しかし,乙れは中軸線の問題を度外視しているのであって,

今回の調査では,西殿の西側柱通りと棟通りに南回廊SC 2140の礎石すえつけ 掘形が検出された乙とにより,南回廊は西殿と棟通りをそろえて中心位置にと りつくか,一関西にずれた西殿の西側柱列に回廊の西側柱列が並ぶかのいずれ かになる。

掘立主建物SB 2150は, 3間 (5.4m) x 2間 (3.  4 m)の南北棟で,柱聞 は桁行1.8 m,架行が1.7 mの等間であり,棟方位は方眼北l乙近い。

東西溝SD 2160は古文化トレンチ 4号によって北肩を失っているが,復原幅 0.7‑‑1 mの溝である。深さ 0.4m前後で東西16m分を検出した。 7

C

後半の 土器を含んでおり, A期l乙属する。自然流路SD 2170は幅1 mで蛇行しており,

東西15m分を検出した。 5

C

後半の土器を出土した。井戸

SE 

2130は,径1.0 mの隅丸方形の掘立を持つ井戸で,底部iと径5cm長さ70cmの丸太桟が残存して

いた。埋土から,藤原宮の瓦とともに平城宮II(神亀末年頃)の土師器,須恵 器が出土した。井戸SE 2130の東方にある 2基の土横・ SK 2129・2220も出土 遺物から乙の時期のものと考えられる。

量後l乙今回の調査成果と,北面回廊地区 (20次)の調査成果とを合せて,大

(4)

極殿院に関する中軸線の問題と,柱割りの問題について述べる。

①  先l乙古文化研究所が復原した大極殿院北門の南側柱列の根固め石およびす えつけ掘形は,今回の調査では全く検出できず,大極殿院北門を確認できなか った。そこで,中央部分を含め北面回廊という表現を用いると,北面回廊中央 9間分は桁行14尺 等 間 (1尺を 0.295m として計算する。以下同じ)に割り付 ける乙とができる。これに対し,北面回廊の東西部分は,先の古文化研究所の 調査や当研究所が整備に間して一部調査を行なった成果から,桁行11.5尺の11 関分に割り付けることができる。したがって,なお大極殿院北門が存在した可 能性は強いのであって,仮lと無いとしても,北面回廊中央9間分の桁行14尺は,

北面回廊東西各々11尺分の桁行11.5尺よりは広いという乙とができる。

②  東面南回廊は古文化研究所の発掘によって,桁行14間分が検出され,東殿 に接続している。千分のーの地図に載る現在の畦畔と古文化研究所の図面を比 較すれば,この柱聞を桁行14尺とするのが最も妥当である。ところが今回の調 査で検出した西面南側回廊 SC 2140の礎石すえつけ掘形は,西殿SB 2200の南 側柱列から14尺等間では割れずに,むしろ11尺等間で割りつけられる位置にあ る。東面と西面で桁行の柱割りが違ったとも考えられず,また今回の調査の範 囲も狭く断定はできないので,乙の点についてはなお今後の問題として残して おきたい。

一方,西面北回廊は,今回の発掘により13尺で17聞に割り付けられる乙とが 明らかとなり,古文化研究所による東面北田廊の成果とも一致している。

③  大極殿地区では宮北面中門の心と宮南面中門の心を結ぶ宮中軸線と朱雀大 路計画線SF 1920の心とがずれている。宮北面中門の心は18次調査により SF 1920を検出してはいないが, 17次の調査により宮南面中門より南 140‑220m  の位置で検出した朱雀大路SF 1950の路面心は南門の心に比較的近い数値を示 すことから,北門の心と同様に南門の心も SF 1920の心ζl一致する可能性が強 い。ところが朱雀大路計画線SF 1920は北門から大極殿院までは方眼に対しほ ぼ南北に走っているが,宮南面中門の南では,南に対し東ζl振れて走っている。

かくして大極殿院では宮中軸線と朱雀六路計画線SF 1920の心とがずれる結果

‑ 17 

(5)

となる。

④  次 に 大 極 殿 院 地 区 の 軸 線 が 前 二 者 の い ず れ の 軸 線 に 一 致 す る か と い う 問 題 が あ る 。 北 面 中 門 と 南 面 中 門 の 心 を む す ぷ 線 を 中 軸 線 と し た 場 合 , 西 殿 ・ 東 殿 は ほ ぼ 対 称 と な る が , 大 極 殿 は 柱 位 置 が 中 軸 線iと一致することになって,左右 対 称ζl復 原 す る と , 桁 行 8間 と い う こ と に な る 。 諸 宮 の 大 極 殿 が い ず れ も 9聞 に 復 原 さ れ て い る こ と を 考 慮 す る と 問 題 が 多 く , ま た , 北 面 回 廊 の 柱 割 り に つ い て も 困 難 な 点 が 多 い 。 一 方 , 朱 雀 大 路 計 画 線SF 1920の 心 を 中 軸 線 と し た 場 合 に は , 軸 線 が 大 極 殿 の 柱 位 置 の ち ょ う ど 中 間 を 通 る こ と に な り , こ の 軸 線 で 対 称ζl復 原 す る と , 大 極 殿 は 桁 行9間の建物となり,東西北面回廊中央部分(古 文 化 北 殿 ) も 桁 行9間 と な り , 東 西 国 廊 も 左 右 対 称 に 復 原 す る こ と が 可 能 と な

る。しかしこの場合,東・西殿は左右対称の位置にないことになる。

⑤  乙の東・西殿をSF 1920の軸線i乙左右対称にするためには,東・西殿を総 柱 の 建 物 に し な け れ ば な ら な い 。 古 文 化 研 究 所 は 東 殿 の 西 側 柱 列 と 西 入 側 柱 列 を 検 出 し , 当 研 究 所 も 東 殿 整 備 に 際 し て 東 殿 の 南 第3列 の 根 固 め 石 の 位 置 を 確 認 し た 。 古 文 化 研 究 所 が 復 原 し た 東 殿 の 西 側 柱 列 を SF1920の 軸 線 で 折 り 返 す と , 西 殿 の 棟 通 り に な る 。 す な わ ち 東 殿 を さ ら に 2間分西へずらすことによっ て , は じ め て 東 ・ 酉 殿 はSF 1920の 心 と 左 右 対 称 に な り , 棟 通 り を 柱 が 南 北ζl 並 び , 総 柱 の 東 @ 西 殿 と な る の で あ る 。 し か し , 乙 の 場 合 , 西 殿SB 2200の足 場 穴 SX 21.99は 棟 通 り の 柱 と 重 複 す る こ と に な り , ま た 東 ・ 西 殿 を 総 柱 と す る 積極的な根拠も何ら見い出し得ないのである。

⑥  以 上 に よ っ て , 大 極 殿 地 区 で は 東 ・ 西 殿 を の ぞ き , 大 極 殿 ・ 北 面 回 廊 中 央 間9間 分 , 東 ・ 西 殿 の 北 回 廊 が 朱 雀 大 路 計 画 線SF 1920を 中 軸 線 と し て い る 可 能性がきわめて強くなった。以下において,古文化研究所の成果を考慮して,

東 殿 の 位 置 と , 東 ・ 西 殿 の 南 北 回 廊 部 分 の 規 模 と 取 り っ き 位 置 を 検 討 し て み た

し 、 。

東 殿 は , 古 文 化 研 究 所 に よ っ て 西 側 柱 列 , 西 入 側 柱 列 が 検 出 さ れ , 当 研 究 所 も1976年3月IC, 整 備 に 際 し て 南 第 3列 の 根 固 め 石 を 確 認 し た 。 古 文 化 研 究 所 に よ る 六 百 分 の ー の 図 面 と 千 分 の ー の 地 図 に 載 る 畦 畔 と を 対 比 す る と , 東 面 南

(6)

宮高門 北門軸線 SF1920軸糠

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大極殿院復原図(1/1000)

~ 19 ~

(7)

回 廊 の 西 側 柱 列 の 位 置 は , 東 殿 の 西 側 柱 列 に ほ ぼ 一 致 す る 。 従 っ て9 現資料に よ る 限 り , 東 殿 と 東 面 南 関 廊 の と り っ き は 古 文 化 案 ど う り と な る 。 そ し てSF  1920の 心 を 軸 線 と し て こ の 南 回 廊 を 折 り 返 す と , 西 面 北 田 廊 SC 2140の西側柱 列は9 西 殿 の 西 側 柱 列iこ 並 ぶ こ と と な る 。 一 方 北 回 廊 は , 西 面 で は 西 殿 の 棟 通

りが匝i廊の東側柱初!と並び9 東 面 で は 東 殿 の 西 側 柱 列 と 回 廊 の 西 側 柱 列 と が ぶこととなるの

こ の よ う に 復 原 し た と き ヲ 東 殿 の 位 置 と 東 @ 西 殿 の 南 回 廊 の と り っ き と に 関 して9 大きな疑問が生じてくるのである。 しかし9 現資料では, ζう箆原せざ る を 得 な い の で あ っ て9 今 後 東 殿 と そ の 南 北 回 廊 部 分 を も 含 め た 発 掘 調 査 の 必 要 性 が 痛 感 お れ る の で £ る 。 た だ 将 来 の 発 掘 に よ っ て も 東 " 西 殿 がSF 1920の 軸 線 に 対 し て 左 右 対 称 に な ら な い と す れ ば ラ 宮 の 造 営 iζ先 ん じ て 条 坊 地 割 (S

F 1920他 ) が 行 な わ れ , 大 極 殿 な ど 宮 造 営 当 初 の も の は こ れ ら の 道 路 の 心 lζ合 わ せ て つ く ら れ ヲ そ れ ら の 造 営 に 伴 っ て 宮 内 の 道 路 が 埋 め ら れ て 以 後 の 造 営 に つ い て は 新 た に 軸 線 を 設 定 し た と い う こ と も 一 応 は 考 え て み る 必 要 が あ ろ う 。 た だ 多 こ う し た ζとを論ずるため lζは , 道 路 の 地 割 と 宮 内 の 計 画 線 と の 関 連 性

@宮の造営尺と個々の建造物の柱害JIり と の 関 係 , 随 行 誤 差 や 精 度 の 問 題9 さら に は 施 行 時 期 の 違 い な ど 多 く の 問 題 が あ り ヲ 今 後 こ れ ら の 点 を 総 合 的 に 検 討 す

る必要があろう。

なお, 大 極 殿1涜復原lと際しての軸線としては, 路 計 画 線SF 1920の振 れが概数(約N59W) と し て し か 出 な い た め , 掘 立 柱 塀SA 2060と直角に交わ る線N 加を採用した。造営尺については, S F 1920の 心 か ら 西 殿 の 西 人 側 柱 列 ま で592 mで , こ れ を 200尺 と し て , 東 西 方 向 に つ い て は 1尺= 0 296m  の 数 値 を 得 る 乙 と が で き る 。 南 北 方 向 に つ い て は , 北 面 回 廓 北 側 柱 か ら 西 殿 南 側 柱 ま で 96.9mで , こ れ を 330尺 と し , 北 面 回 廊 北 側 柱 か ら 掘 立 柱 塀

SA 

2060 

まで57.7mで , こ れ を 180尺としてヲ 1尺=二 0.293'‑'O. 294 mの数値を得るこ とができる。

(8)

20m 

霧翠罰 W17.46

W17.460 

円 院

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10 

5166.520 

﹃ ・

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1...‑‑

21次調査遺構配置図(/400  (網目は古文化研究所トレンチ)

‑ 22‑

古文化研究所による第I区 殿 堂 社 (4()0 ) 

‑21‑

参照

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