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神島二郎研究 ノー ト

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研究 ノー ト

神島二郎研究 ノー ト

大 森 美紀彦

1 . はじめに一間題の所在

神 島二郎 と言 えば、アカデ ミックな研 究のみ な らず、政治 ・社会評論の世界でも活躍 し、戦 後 日本社会に広範 な影響 を与 えた政治学者であ る。 「アカデ ミックな研究業績」 としては 『近代 日本 の精神構造』 (1961年 ・岩波書店) が代表 的な著作 としてあげ られ、 この著作 を中心 とし た60年代か ら70年代 は じめにかけた研 究業績 は 政治学 ・政治思想のプロパーだけでな く、隣接 の社会科学にも大きな影響 を与えた。

一方政治 ・社会評論 の分野 では、『国家 目標 の発見』(1972年)、『常民の政治学』(1972年)、

『人心の政治学』(1977年)、『日常性の政治学』

(1982年)、『転換期 日本の底流』 (1990年)等に 集 め られた評論 に見 られ るよ うに、戦後社会 ・ 戦後政治に対 して鋭 い警告 を発 し続 けた(1)0

神 島の 日本社会の現実‑の関わ り方には二つ のベ ク トルがあった。ひ とつは、 自らの学問の 成果 を武器 に現実政治や社会の問題 に警告 を発 す るベ ク トル、 も う一つは現実か ら政治理論 を 構築 しよ うとす るベ ク トルであった。前者 のベ

ク トル をもつ政治学者 は数多い。 しか し、神 島 が政治学者 として稀有であったゆえんは後者 の ベ ク トル を持 っていた ことである。 日本 におい ては、欧米輸入の理論で現実政治が分析 され る ことはあって も、 日本の現実政治か ら逆 に理論 を形成す るとい う研究はほ とん ど行われていな いか らである。

この点、丸 山寅男の1970年 までの仕事はやは り特筆すべきものであった。それ らが面 白かっ たのは、戦前 ・戦後の 日本政治の分析 において、

現実 と理論の往復運動があったか らである。 こ の結果、良 し悪 Lは別 として、丸山研究 も1970 年代までの仕事に集 中す る(2)。

しか し、丸 山は1970年以降、『現代政治の思 想 と行動』(1956・57年)所収 の論文 にみ られ るよ うな、理論 と現実 との往復運動 とい う仕事 を急速に行 なわな くなってい く。 1970年以降の 丸 山は、 「歴史意識 の古層」(1972)や 「政事の 構造」(1988)に代表 され るよ うな 日本政治思 想 史の古典文献研究に沈潜す るよ うになるので

ある̀3)0

丸 山が1970年以降現実 と理論の往復運動 を停

(1)『国家 目標 の発 見』(1972年 ・中央公論社)・『常民 の政治学』(1972年 ・伝統 と現代社)・『人 心の政治学』(1977年 ・ 評論社 )・『日常性 の政治学』(1982年 ・筑摩 書房)・『転換期 日本 の底流』(1990年 ・中央公論社 )

(2)丸 山研 究 は引 き も切 らないが、近著 では次の よ うな ものが あ り、いずれ も1970年以前 の丸 山の著作 に焦点 をあて てい る。笹倉秀 夫 『丸 山量男論 ノー ト』(1988年 ・みすず書房 )・入谷敏 男 『丸 山最男 の世界』(1998年 ・近代文芸社)・

福 田敏 一 『丸 山異男 とその時代』 (2000年 ・岩波書店)・長谷川宏 『丸 山異男 を ど う読むか』 (2001年 ・講 談社新書)・水 谷三公 『丸 山異男‑ あ る時代 の 肖像』 (2004年 .ち くま新書)・竹 内洋 『丸 山異男 の時代一 大学 ・知識 ・ジャーナ リズ ム』 (2005年 ・中公新書)・苅部直 『丸 山寅男‑ リベ ラ リス トの 肖像』 (2006岩 波新書)

(3)歴 史意識 の 『古層」 は 『日本 の思想6歴 史思想集』(1972年 ・筑摩書房) の 「解説 」 と して発表 され 、 「政事 の 構 造」 は1977年 に国際基督教大学の シ ンポジ ウムで初 の講演発表 、つ いで1984年 に 「百草会」 シンポ ジ ウムで講演発 表 、論文 としてま とめ られ たのは1988年イ ギ リスにおいてであった(「ThestructureofMatsurigoto:thebassoostinato ofJapanesepolitlCalllfeJTHE ATHLONE PRESS 1988『ThemesandTheoriesinmodernJapanesehistory』 所収).

『丸 山嘉男集別巻』(1997年 ・岩波書店) 「年譜」参照。

神 島 二郎 研 究 ノー ト 137

(2)

止 したのに対 して、神 島はそ うしたスタンスを 生涯維持 し続 けた。それは 自らの社会的発言 と その リアクシ ョンに対す る応答 をあわせ もった ものであった。そ うした神 島のスタンスは、あ る意味で 「純粋 なアカデ ミックな研究業績」 の 蓄積 を妨 げたのか も しれ ない。象牙の塔 の高み か ら現実分析 を行い、現実の政治状況 に対す る 発言 な ど行わず、図書館的資料 に基づ く研究 を 行 っていれば、神 島の 「純粋 なアカデ ミックな 研 究業績 」 はず っ と蓄積 され ていただ ろ う。

「現実 との格 闘」の結果 、政治学者 の間で、神 島の 「アカデ ミックな研究業績」 としては 『近 代 日本の精神構造』のみが着 目され、本論文で 展開す る 「新 しい政治学」の構築 とい う研究生 活の後半生の営みには光が当て られて こなかっ た(4)0

ところで、『近代 日本 の精神構造』以降、理 論 と現実 との往復運動で神 島が 目指 していた も のは 「政治学の再構築」 とい うことであった。

そ して、そ うした研究スタンスを踏 まえて密 か に期 していたのが 「新 しい政治学」 をま とめた

『政治原理』 と題す る書 と、その 「新 しい政治 学」に基づ く現代政治分析 を企図 した 『現代 日 本の精神構造』の出版であった(5)。

しか し、神 島はその両方の課題 を果たす こ と な く 「新 しい政治学」のエ ッセ ンスだけを 「政

治元理表」 とい うきわめて抽象的な形で残 して 世 を去 った。 「政治元理表」の解析 とそれ を用 いた現実政治の分析 は、課題 として残 されたの である。それはきわめて深 く重い課題 である。

本稿 は、そ うした課題 に応 える準備 として、

主に 『近代 日本の精神構造』以降の研究で神 島 は何 を企図 し何 を達成 したかを整理す ることを 目的に してい る。本稿 が多少 な りともその深遠 なく神 島政治理論 >に分 け入 る手がか りとなれ ば幸いである。

2.

『近代 日本の精神構造』 の隣接社会科 学への影響

『近代 日本 の精神構造』及び 『日本人の結婚 観』『文明の考現学』所収 の、60年代 か ら

70

年 代 は じめの神 島の論文は、隣接 の社会科学に大 きな影響 を与 えたが、分野にわけてそれ らを見 てみ よ う。

① 「ファシズム論」‑丸 山異男の一連 のファシ ズム論‑ 「超 国家 主義 の論理 と心理」 ̀6)、 「日 本 ファシズムの思想 と運動」(7)、 「軍国支配者 の 精神形態」(8)等 が戦後 日本 の社会科学 に衝撃 を 与えた ことは事実である。 しか し1

961

年の 『近 代 日本の精神構造』 も、丸 山には見 られない庶 民意識 か らのアプ ローチに よ り、 「日本 フアシ

( 4)

大森秀夫は 『近代 日本の精神構造』以降の神島の 「日本人論」を次のよ うに評 している‑ 「後のいわゆる日本人 論 に しば しば見 られ るよ うに (民俗学的研究を補 うもの として第三部や本書の他の部分でも活用 された)文芸作品や 伝記 あるいは雑多な風俗描写 といった資料が、一貫 した方法な く引用 され、思い付き的な評論に堕す る危険がある。」

(神島二郎の近代 日本 『精神構造』の分析一戦後政治 と政治学⑥

」『U

p

』1 9 8 7

1 2

月 ・東京大学出版会)そこには 神島の 「日本人論」 を 「思い付 き的な評論」 とし一段低い もの とす る 「アカデ ミズム」的な発想が見て取れ るO大森 には神島の 「新 しい政治学」構築の意図な どは読み取れていない。

(5

)神 島の

1 9 81

年の年賀状には、次のよ うにある‑ 「軍備増強論や ソ連脅威論が高まるなかで、過 ぐる

1 5

年戦争の記 憶がなまなま しくよみがえ り、世の中がやがて急に雪崩れ を起 こしそ うな気配 を感 じま して、昨年初め私は、この風 潮 を止 めることは今な らばできるはずだ と、本来の仕事 を一時わきに置いて、軍備無用の現実認識 をもって正面か ら 立ちはだかる行動 を起 こそ うと決心 し、爾来一年間そのための執筆 と講演 にできるかぎ りの時間をふ りむけ遮二無二 やってまい りま したoそ して 『私の話に感ず るところがあった人はす くな くとも三人の仲間をふや して くだ さい』 と、

ねずみ講式に同志をふやす ことを訴えてきま した。その現実認識 をさらに原理的に深化 させ るために本年は、本来の 仕事に立ちかえって、 日本の経験 を中心に した政治学理論の再構築 と現代 日本の精神構造の究明に私は全力を傾注す る所存であ りますO‑後略」 (下線筆者 ・ 『回想神 島二郎』神島二郎先生追悼書刊行会

・1 9 9 9

・1 9 3

頁に掲載)

『現代 日本の精神構造』 と 『政治原理』の出版の企図を、筆者は神 島 自身か ら度々聞か された。 また 『現代 日本の 精神構造』は 「新 しい政治学」に準拠す るか ら 『政治原理』の方を先に出版 しなければな らない とも話 していた。

(6

)丸山異男 「超国家主義の論理 と心理」

( 1 9 4 6

・雑誌 『世界』) (7)丸山藁男 「日本 ファシズムの思想 と運動」

( 1 9 4 7

・東洋文化講座講演)

( 8

)丸山異男 「軍国支配者の精神形態」

( 1 9 4 9

年 ・雑誌 『潮流』)

1 3 8

国際経 営論集

No. 3 7 2 0 0 9

(3)

ズム研 究」 に大 きな影響 を与 えた。

例 えば、安部博純 『日本 ファシズム研究序説』

(1975年 ) では、神 島の研 究 は丸 山寅男 な どと 共 に 「近代政治学派」 として取 り上 げ られ分類

され てい る̀9)0

② 「日本社会論」 ‑社会学の分野では 「第二の ムラ」の理論 、近代 日本 の 「出世主義」、 「単身 者主義」の分析 な どが大 きな影響 を与 えた。

1988年刊 『社会 学事典』 (弘文 堂) の神 島二 郎の項 目には 「天皇制 ファシズムや 日本 の近代 化 を支 えた民衆の精神構造 の解 明に、多角的視 点か ら、また独 自の概念 (「第二のムラ」 「帰簡 原理」 な ど)用 いて取 り組 んでい る。」 と記述 され てい る(10)。 「第 二の ム ラ」 は 『近代 日本 の 精神構造』 で もっ とも注 目され た分析概念 のひ

とつであった。

竹 内洋 『日本 人の出世観』(1978年)(ll)では、

「日本人 の 出世観 」 を分析す るた めに、神 島が 作 りそ して用 いた多 く概念 が使 われ てい る。例 えば、 「世論民主主義 と出世民主主義」

( 1 9

頁)、

イ ギ リス社会 の とらえ方

( 25

頁)、 「神人 同格教 と神人懸隔教」に関す る加藤玄智の引用

( 32

頁)、

近代 日本 にお け る 「人格」 の考 え方

( 6 4

頁)、

「藤 吉郎主義」 (66頁)、 「対群集 的個人意識 (75 頁)」等 で あ る。神 島の先行研 究がな けれ ば、

この書 は成 立 しなかった と思われ る。

玉野井芳郎 は 『ジェンダー ・文学 ・身体』(12) で次の よ うに言 ってい る‑ 「第二に、市場産業

に囲まれ たなかでの経済的 自立 と性 の解放 を と お して、人間の<単身者 >化現象 が急速 な広 が りをみせ て きてい るのではないか。 日本 で この 単身者化 の問題 の重大性 に着 目した人 は、政治 学 の神 島二郎氏 です。」 玉野井 はイバ ン ・イ リ イチ(13)や ア ン ドレ ・ゴル ツ(14)な どの引用 の文脈 で神 島二郎 の 「単身者主義」の議論 を取 り上げ てい る。

③ 「家庭論

」 ・

・『日本人 の結婚観 』(1969年 ・ 筑摩書房 ) は 『結婚観 の変遷 』 (『日本文化研 究』第9巻・1961年 ・新潮社) を増補改定 した ものである。後 に講談社学術文庫 に も収 め られ 広 く読 まれた。 同書 は大学の講義 で様 々な形 で 用 い られ た と聞 くが、例 えば 『思想 の科学 ・

「家庭論」特集 号』(1979年) に一文 を求 め られ てい るよ うに、神 島の 「家庭拠点主義」 は良 く 知 られ ていた議論 であっ (15)

④ 「民衆 史」 ‑ 日本 の歴 史学 プ ロパ ーで、 「民 衆 史」 とい うジャンルが発展 したのは1970年代 で ある。色川 大吉 ・鹿 野政直 ・金原左 門 ・松永 昌三 ・布川清 司 ・安丸良夫等 の業績 が次々に発 表 され た。 それ らの著作の参考文献 に 『近代 日 本 の精神構造』 は必ず登場 した。例 えば 「民衆 史」 を代表す る研究者 の一人である一橋大学名 誉教授安丸良夫 の主著 『日本 の近代化 と民衆思 想』(16)の 「あ とがき」に次のよ うな記述がある一

「私 は さ しあた ってのテーマ を、維新変革 をは さむ近代化過程 にお ける民衆の意識 ない し思想

(9)安部博純 『日本 ファシズム研究序説』(1975年 ・未来社)

(10)見 田宗介 ・栗原彬 ・田中義久編 『社会学事典』(1988年 ・弘文堂) この事典 では他 に も 「群化社会」「馴成社会/

異成社会単身者 主義桃太郎主義」等 の神 島が作 り出 した概念が載せ られてい る。

(ll)竹 内洋 『日本人の出世観』(1978年 ・学文社)

(12)玉野井芳郎 「人間にお けるジェンダーの発見」(玉野井芳郎監修 『ジェンダー ・文学 ・身体』・1986年 ・新評論所収) (13)イバ ン ・イ リイチlvan lllich (1926‑2002)ウィー ンに生まれ る。 自然科学、神学、哲学、歴史学 を修 めた後、5 1年 に渡米。 さらにメキシコに移 り、67‑76年、国際文化交流セ ンター (CIDOC)を開催 し、教育 ・交通 ・医療 の分 野で、人 々の 自律性 にも とづいて専門家 による管理 を無化す る、現代産業批判 を展 開 して きた (『脱病院化社会』著 者紹介 よ り・1979年 ・晶文社 ・金子嗣郎訳)0

(14)アン ドレ ・ゴル ツAndr占Gorz(1924‑2007)オース トリア‑ スイスー→フランスO新左翼系理論家。 サル トル らの 実存主義 の影響 を受 け、高度産業社会にお ける全面的な管理 と疎外か らの人間の解放 を唱 え、周辺革命論 を否定 して 労働者階級の革命性 を力説 した。『労働者戦略 と新資本主義』(1964年)、『困難 な革命』(1967年) な ど (『社会学小辞 典』1977年 ・有斐閣)

(15)神 島二郎 「家族 を 自立の拠点 として」 (『思想 の科学一 主題 家族 は人 間解放 に とって有効か』 19793月号所 収)

(16)安丸良夫 『日本の近代化 と民衆思想』(1974年 ・青木書店)

神 島二郎研 究ノー ト 139

(4)

の変革 の問題 に求 めた。 このテーマ を選 んだ一 つの理 由に、その ころ出版 され た この方面の二 つの力作、神 島二郎 『近代 日本 の精神構造』 と

R. N.

ベ ラ‑ 『日本近代化 と宗教倫理』 か ら う けた刺激 があ り、私 は、神 島氏 ともベ ラー とも 異 なったや り方で この間題 に迫 りたい と思 った

とい うこともある。」 (293頁)

⑤ 「日本文化論」・・・明治か ら1990年代前半まで の 「日本文化論」 をま とめた好著 に南博 『日本 人請(17)があ るが、 この書では神 島の著作が三 つ あげ られ てい る。 『日本 人 の発想 』(18)と 『日 本 人 の結婚観』 (19) 『日本人 と法』 (20'で あ る。 本 書で この よ うに多 くの著作 が と りあげ られ てい る者 は、梅原猛 、河合隼雄 、志賀重昂 、津 田左 右吉、土居健郎 、 中根 千枝 、芳賀矢一、長谷川 如是閑、福沢諭 吉、ルース ・ベネデ ィク ト、イ ザヤ ・ベ ンダサ ン、丸 山英男、三宅雪嶺 、和辻 哲郎等 であ り、 これ らの人 々 と同列 に扱 われ て い るのは、神 島が 「日本文化論」 とい う分野 に も大 きな影響 を与 えてい る証 になってい る と思 う。神 島は 『新 ・日本人論』(1980年 ) とい う 共編著 を出 してい るが(21)。 ここでは、 「馴成社 会論」の提示 とい うかた ちで 日本文化 の議論 に 参入 しなが ら、 さ りげな く彼 の政治学 に基づ く 主張‑ 「非武装 主義 の現実性 」 「宗教 的寛容 の 問題」 「極東軍事裁判 の意味」、 「新 しい政治学」

の概念、 「人心の政治」等 をお りまぜ てい る。

神 島の この方面の活動 は、比較文明学会 を通 じて継続 され 、例 えば、 1986年 には雑誌 『比較

文明』 に 「日本文 明論 の認識枠組」 とい う巻頭 論文 を寄稿 してい る(22

) 。

⑥ 「柳 田国男研 究」・‑神 島が柳 田民俗学の意義 を精 力 的 に説 いた時期 は、『常 民 の政 治学』、

『柳 田 国 男 研 究 』̀23)、 『シ ン ポ ジ ウム柳 田 園 男 』(24)を出版 した70年 代 前 半 で あ る。 それ は

「足下の現実 を探 る」(25)学問 として柳 田民俗学 を 評価 し、紹介す るものであった。 日本 の政治 を 西洋 か らの輸入 の政治学で解 くのではな く、独 自の理論モデル を構築す るために、柳 田か ら学 ぼ うとしたのである。柳 田民俗学 は、神 島の言 うよ うに、戦前においては 日本の現実調査 を行っ ていた唯一 の社会科学であったか らである。

一方、神 島は 「足下の現実 を探 る」学問 とし て柳 田民俗学 を評価す る反面、その問題 点 も指 摘 してい る。 1961年 に雑誌 『文学』で、神 島は

「所与 と課題」 とい う問題 を取 り上げてい る(26'。 民俗学 に とって重要 なのは民俗事象 とい う 「所 与」ではな く 「課題 」である。 その認識 が民俗 学に欠 けてい る。 1986年 の 「戦争 と民俗」 (27)は、

戦争 と民俗 は ど う関わ るのか とい う 「課題」‑

の回答 を民俗学 に もとめる、 とい う上記 の問題 意識 にそ った論文であった。

3.

研究の時期区分

私 は神 島二郎 の生涯 の研 究活動 を以下の よ う に

4

期 に分 けてい る(28)0

①第

1

期 (1941年〜 1946年)‑ 1939年一高入学、

(17)南博 『日本人論(1994年・岩波書店) (18)神島二郎 『日本人の発想(1975年・講談社) (19)神島二郎 『日本人の結婚観(1969年・筑摩書房)

(20)神島二郎他共著 『日本人と法』(編著・1978年・ぎょうせい)

(21)神島二郎 「日本社会の特性」(『新 ・日本人論』1980年・講談社所収) (22)神島二郎 「日本文明の認識枠組」(『比較文明2』1986年・比較文明学会所収) (23)神島二郎 『柳田国男研究』(編著・1973年・筑摩書房)

(24)神島二郎 『シンポジウム柳田国男』(編著・1973年・日本放送出版協会) (25)神島二郎 『政治をみる眼(1991年・日本放送出版協会)4頁。

(26)神島二郎 「柳田学以前」 (『文学』voL29・1961年・岩波書店所収)

(27)神島二郎 「戦争と民俗」 (『日本民俗文化大系第12巻現代と民俗』1986年・小学館に所収)

(28)この時期区分は 『政治の世界』 (1977年 ・朝日新聞社)の所収論文の配列をヒントにしている。神島自身は諸論 文を、 I1958‑1963、 Ⅱ1965‑1968、Ⅲ1970‑1973,Ⅳ1974‑1976に4区分している。筆者は 『政治の世界』の時期 区分にそってオリジナルな時期区分を作成したが、1973・74年の区分については、神島自身と筆者の認識は一致して いる。そこが神島の研究人生の大きなターニングポイントであったのではないだろうか0

140 国際経営論集 No.37 2009

(5)

42

年 に東大入学。 この時期の注 目され る論文に

「古代研究」 (

41

年)がある。44年 に入隊、過酷 な戦争体験 を経て、引き上げ

。47

年 に東大に復

学 。

②第

2

( 1 947

年〜1

961

年) す る 「中間理論」の形成期。

代 日本の精神構造』 (

61

年)。

③第

3

( 1 962

年〜1

973

年) 神構造』 のモデル の追試 、 集の模索期。

④第

4

( 1 97 4

年〜1

998

年) (「政治元理表」)の形成期。

‑・近代 日本 を分析 その集大成が 『近

‑ 『近代 日本の精

「新 しい政治学」構

‑ 「新 しい政治学

遺稿 は 「柳 田国男 と丸山鼻男を超 えて」 (

98

年)。

1

( 1 9 41

〜1 9 46

年)

「古代研 究」

( 1 941

年 ) は、 一高在 学 中に

『護 国合雑誌』 に載 った ものである(29)0『政治の 世界』では 「私がまず現実につ くことか ら学問 を始めなければな らぬことに気づか されたのは、

今 か ら三十七年前の1

940

年 の夏である」(30)とあ る。 『磁場 の政治学』 (31)に よる と神 島が柳 田国 男の名前 を知 ったのは 「一高在学 中の こと」で あると言 ってい るか ら、おそ らく 「古代研究」

も柳 田園男の影響下に書かれたのではないか。

もしアジア ・太平洋戦争がなかったな ら、神 島の学問は 「古代研究」か らどの よ うに発展 し ていったであろ うか。興味深い ところである。

福 島新吾はこの論文 について次の よ うに語 っ ている‑ 「その論文は当時の狂信的皇国思想 と は無縁で、冷静 に考古学、人類学、古代学な ど の基本文献 を広 く渉猟 し、原始信仰 、儀礼、神 観 を考察 したものだ。その中で大胆にも古事記、

日本書紀の神 々や天皇の行為 を原始宗教や呪術 の例証 に した りす る。検閲にかかっていた ら不 敬罪 とされていただろ う。 こんな論文を1

941

年 に堂々 と発表 させた安倍能成校長は器量があっ

(29)「古代研究」については、現在検証中である。

(30)前掲 『政治 の世界』282頁。

(31)神 島二郎 『磁場 の政治学』(1982年 ・岩波書店)225頁。

(32)福 島新書 「神 島二郎君 の思い出」 (前掲 『回想神 島二郎』

た。そ こには君が生涯多用 した 『帰簡』概念や

『支配す る』 とい うや ま と言葉 の 『しらす』 が 早 くも表れ るo」 と(32)0 「帰簡」や 「しらす」 と い う言葉はすでにこの ころ使 われていたのであ る。神 島が戦争 に巻 き込まれず 、 日本 に関す る この よ うな研 究 を続 ける こ とがで きたな ら、

『近代 日本 の精神構造』 は生まれ なかったけれ ども、 「日本 の政治 と日本語 に固執す ること」

に よる 「新 しい理論モデル」(33)の構築は もっ と 早 く進 んでいたか もしれ ない。

しか し

、1 943

年 に神 島は出征。東大入学翌年 に入隊 した戦争体験は神島を悠長な 「古代研究」

の世界に沈潜す ることを許 さなかった。学徒 出 陣前 に入 隊 し、 「日々の戦闘の敗北 に もかかわ らず一 中略一最終的な勝利 を確信 し、ゲ リラに なってで も戦お うとした」(34)過酷な実戦体験 を 経 て敗戦、そ して捕虜 とな り、戦地 フィ リピン か らの引き上げるのが この第

1

期である。

2

( 1 947

年〜1

961

年)

1 946

年帰国復員。 戦争 が終 って、 「多 くの血 を流 して この敗戦である。天皇は 自決す るにち がいな

」(35)と信 じた神島の直感は裏切 られた。

<なぜ 日本は この よ うな戦争 を行 ったのか>そ して <天皇 の無倫理性 は どこか ら来 てい るの か >とい う分析 に神 島は心血 を注 ぎ込まざるを えなかった。そ うした思いが神 島を して 『近代 日本の精神構造』 を書か しめたのである。

『近代 日本の精神構造』 を人は難解 とい う。

しか し、 この書は本文が近代 日本の社会 と政治 を分析す る 「理論」で、その 「実証」が註で行 われていると理解すれ ば、容易に読 めるのでは ないだろ うか。① 「神人合一教 ・隔絶教」の比 較モデル② 「都都感覚」モデル③ 「桃太郎主義」

モデル④ 「郷党閥‑学校閥」モデル⑤ 「行政村 ・ 自然村 ・第二のムラ」モデル⑥ 「出世民主化」

所 収・50頁) (33)前掲 『政治 の世界』281頁o

(34)前掲 『政治 の世界』 10頁。

(35)神 島二郎 『近代 日本 の精神構造』

( 1 9 6 1

年 ・岩波書店) あ とが き

神 島 二郎 研 究 ノー ト

1 41

(6)

モデル⑦ 「家族国家観」モデル⑧ 「若者組」モ デル等々、数多の仮説が提示 されているので あ

る。

本書は 「足下の現実を探 る」 とい う柳 田民俗 学の方法論に基礎付 け られ るとともに、神 島 自 身が 「方法的に影響 を受 けた」 と述べてい るよ うに丸山異男の 「行動論的手法」の影響 を受 け てい る。 「行動論的政治学」 は、哲学的 な書斎 の学問か ら抜 け出 し現実の政治の分析 に立ち向 かった学派である。 「行動論的手法」 は 「数 量 化」 と同一視 されがちだが、その最大の特徴 は 現実分析のための 「理論‑ 実証」 とい う方法 に ある。選挙や大衆社会分析、比較政治等の分野 で幾多のモデルが作 られ、現実が分析 された。

丸山英男はこ うした行動論的手法 を見事 に輸入 し、 日本の政治 を分析す るための数々の 「モデ ル」 を立ち上 げた‑ 「自然 と作為」 「無責任 の 構造」 「天壌無窮の皇運」 「理論信仰 と実感信仰」

「た こつぼ とささら」 「であることとす ること」

等々、その 「モデル」は全 く前例のない もので あ り、人々に新鮮 な驚 きを与 えた。そ して、丸 山はその巧みな表現力を駆使 し戦後知識人のチャ ンピョンになったのである。 しか し、 日本の政 治分析 に使用 した 「モデル」 自体は、西洋の歴 史経験か ら生まれた ものだったのである。

この‑んの事情 を神 島 自身は次の よ うにま と めてい る一 「丸 山さんは、 ヨー ロッパや アメ リ カの学者の仕事 をよく勉強 しま して、 ヨー ロッ パやアメ リカの学者がモデル をつ くって、現実 を見ているとい うことを知 っている。だか ら、

彼 らが作ったモデル を、ち ょっ とここを変 えた らうま くい くん じゃなかろ うか、 とい うよ うな ことで、つ くり変 えて 日本 にあてはめてみ る。

そ うい う作業 をやれた人なんです。海 の向こ う の学説 を誤解 した りしなが らその結論 をただ受 け容れただけで、そのモデルで間に合わない と ころはお説教で片づ けてい こ うとい う、一種 の 政治家的学者 とは違 うわけです よ。丸 山さんは

そ うじゃな くて、合わない とちょっ とモデル を 変 えてみ る とい うことをや っているわけです。

そ うい うことで、私は非常に教 え られたわけで す。 ところが、それ じゃ他方では、現実を丹念 にきちっ と掘 り起 こす ことをやったか とい うと、

かな らず しもや ってはいないわけです

」 (36)

神 島はモデル構築 を丸 山か ら学んだ ことを率 直 に認 めてい る。『近代 日本 の精神構造』 はそ ういった意味で丸 山の影響 を受 けてい る。 しか し、神 島が こ うした方法論 に基づ く本書 を見直 す必要 を感 じるよ うになるのは意外 と早 くや っ て くる‑ 「私 は、 この本 (『近代 日本 の精神構 造』筆者註) を書いた ときに、前提にはもちろ ん政治理論 があった。 それ は私 に とっては、

ヨー ロッパや アメ リカか ら受 け継いだ もので、

それまでわれわれの先輩 たちが信奉 してきた既 成の政治学の理論枠組 をそのまま使 っていたの です。既成の政治学の理論枠組 は、そのままに 前提 に して、それだけでは、 日本の社会の近代 化 はわか らないか ら、中間に村モデル を持 って きて ‑ それで解いてみせたのですが、私 とし ては、それで十分 うま くいった と思 っていたの です一 中略一私は、今まで考 えていた政治学の 理論枠組 が どうもおか しいの じゃないか と考 え は じめま した。 したがって、政治学を一度解体 してば らして しまって、つ くりなお してみなけ れば、話にな らないよ うに思えは じめたのです。

だか ら、政治学 をつ くりなおそ う、 とい うこと で仕事 を始 めま した」(37)‑ つま り 『近代 日本の 精神構造』出版 の

1 0

年後

、1 970

年前後 には見直 しを開始 し

、81

年 にはこの よ うに 「回顧」 して いるのである。

3

( 1 962

年〜1

973

年)

『近代 日本 の精神構造』で高い評価 を受けな が ら、本人はその方法に抗いを強めは じめる時 期である。 この ころか ら各誌か ら寄稿、 コメン トをも とめ られ るよ うになったが、‑『日本人の 結婚観

』 ( 1 96 4

年) は、神 島の近代 日本論 を平

( 3 6 )

神島二郎編著 『天皇制の政治構造

( 1 9 7 8

年 ・三一 書房 )

2 2 9

( 3 7 )

前掲 『磁場の政治学

( 1 9 8 2

年 ・岩波書店 ・序 にか えて)

1 4 2

国際経営論集

No. 3 7 2 0 0 9

(7)

易な記述で普及 させ、神 島を戦後 日本 を代表す る知識人の一人‑ と押 し上 げた。 ただ、 「丸 山 の弟子」 と呼ばれ ることには最初か ら抗いを見 せていた。それは単なる 「プライ ド」な どといっ たものではな く、研究の方法論 とい う学問の根 源 にかかわ るものだ った と私 は思 う。 神 島は

『近代 日本 の精神構造』 で提示 した 日本 の現実 把握 を普及 させ なが らも、新 しい方法 を模索 し は じめていた。

それは当時盛んであった 日本人 ・日本文化 を め ぐる議論 に参入 しなが ら、同時並行的に行わ れたのである。 しか し、神 島はそ うした 日本人 論 ・日本文化論 に違和感 を覚 え、次第にその世 界か らも引いてい く。つま り、当時の 日本論 ・

日本人論の普遍的な尺度 の不在 とい う現実を見 て、 「普遍 的な社会科学 の理論構築」 の必要 を 痛感 す るよ うにな るので あ る。 そ して、 その

「普遍的な社会科学の理論」 である 「新 しい政 治学」の模索を始めるのが この第

3

期である。

この時期 のい くつかの論文 を、 「新 しい政治 学」 の構 築 とい う視 点 でみ てみ よ う。 神 島は

1 9 65

年 に 『現代 日本 思想 大系1

0

権 力 の思想』

(筑摩書房) を編み、 冒頭 で 「権力の思想 」 と い う解説 文 を書 いてい る(38)。 そ こで神 島は、

「国民の元気」 とい う側面か ら近代 日本 の政治 を分析 し、明治以降の政治家達が 「気」の動 き を受 けつつ、 「統体意志」 を発揮 して上か ら統 治 してい くダイナ ミズムを描いてい るが、 これ は 「人心」 と 「政策

の とらえ方 を示 してい て興味深い。つま り国民の 「人心」の動 きを受 けて、為政者 は具体的な政策 を立案 してい くの である。 「人心」 とい うものが 「分 った」者 が

「黒幕」 になってい くダイナ ミズム も面 白い。

(38)神 島二郎 (39)神 島二郎 (40)神 島二郎 (41)神 島二郎 (42)神 島二郎 (43)神 島二郎 (44)神 島二郎 (45)神 島二郎

西洋 と日本の 「権力観」の違いを明 らかにす る 比較論 を超 えて、神 島は 「人心」 と 「政策」の ダイナ ミズムをここで描いている。 「帰郡元理」

形成 の一里塚 となる論文ではなかったか と私は 思 う。

また、西洋 と日本 の行政の違い とい う点に焦 点 をあてた論文 もこの時期 にある。例 えば 「政 治広報 と行政広報」 (39) 「行政広報 の理念」 (40)で は、欧米 と日本の 「行政広報」の質的な違いが、

描かれている。す なわち欧米では 「立法国家」

か ら 「行政国家」‑の移行時 に、 「同意 による 統治」を確保す るために 「行政広幸勘 が誕生 し たが、 日本でのそれ は 「慈恵的官僚制」の土壌 で、 「中立」 の名 の下に、上か ら教化す る側 面 が強い とい う。 ここでは、『近代 日本 の精神構 造』 には見 られない比較モデルが提 出 されてい るが、それは基本的には 「中間理論」を超 えて い ない。 同様 に 「近代 日本 人 の教育観」 (41)

「機 構 の教育能力 の極大化」 と 「私人の教育能 力の極小化」 とい うモデルで近代 日本の教育を 分析 している。

そ して、 この時期 もっ とも注 目され る論文は

「社会認識 の構造」

( 1 968

年)(42)である。 ここで は 「現実認識 に有効なモデル」、 「操作 され るべ きモデル は一つでな く複数でなけれ ばな らず、

操作的に複数のモデル によって照明す るのでな けれ ば、事象は適切 に解析 され ない」 とい う、

「政治元理表」 の前提 になる考 え方 が提示 され てい るか らである。言わば 「政治元理表」構築 のための土台をなす論文 と言 えよ う。

同様の意味で注 目され る論文は 「組識 と世代」

( 1 9

71年)(43)、 「日本政治 の復権

」 ( 7 2

年)(44) ・

「保 守二党論」 (

7 2

年)(45)、 「理論モデルの開発」

権力の思想」(1965年 ・筑摩書房 『現代 日本思想大系10権力の思想』所収)

政治広報 と行政広報」(1966年 ・前掲 『政治の世界』所収)

行政広報の理念」(1967年 ・前掲 『政治の世界』所収)

近代 日本 における 日本人の教育観」(1967年 ・『思想』第522号所収 ・前掲 『政治の世界』所収)

社会認識 の構造」(1968年 ・小学館 『教育学全集第8巻』 ・前掲 『政治の世界』所収)

組織 と世代」 (1971年 ・『組織科学』第5巻第二号 ・前掲 『政治の世界』所収)

「日本政治の復権」 (1972年 ・『公 明』第116号 ・前掲 『政治の世界』所収)

保守二党論」 (1972年 ・『中央公論』第1025号 ・前掲 『政治の世界』所収)

神 島 二郎研 究ノー ト 143

(8)

( 73

年)(46)である。

「組識 と世代」ではこの時期の特徴 である 日 本社会 を分析す る様 々なモデルが登場す る。 そ れは①

馴成単一社会モデル」② 「マジ ック ミ ラー社会モデル」③ 「高密 度社会モデル」 ④

「高 コ ミュニケー シ ョン社会モデル」⑤ 「政治 社会の柔構造モデル」である。

「日本政治の復権」で新たに登場 したモデル は<磁場モデル >である。 <馴成社会モデル >

も 「異化

「馴化」 とい う概念 を使 い精微 な議 論になってい く。 「保守二党論」では<‑‑ ドー マイル ド (ソフ ト)モデル >が登場す るが、 こ れ らは 「政治元理表」の土台 を形成す るモデル であった。

4

( 1 974

年〜1

998

年)

1 974

年 を第

4

期 の始期 とす る理 由は、『近代 化 の精神構造』 (47)が出版 され、後 に精微化 され る 「政治元理表」の初期構想が、 この書所収 の

2

論文で提示 されたか らである。それが 「精神 構造の概念枠組」お よび 「日本 の近代化」であ る。前者 においては、まだダイアグラムが提 出 されてお らず、 「カルマ元理

「闘争元理」が抜 けている。それが登場す るのは 『政治の世界』

( 1 977

年) に再録 され た改訂論文 を待 たねばな らない。 ここでは 『政治の世界』所収の

3

論文

「精神構造の概念枠組」 と 「近代化 と政治的 <

ま とめ >の原理」 (前著では 「近代化 の概念枠 組」)及 び 「日本 の近代化一馴成 単一社会 の理 論」を検討 しよ う。

「精神構造の概念枠組」では 「政治元理表」

の基盤形成 が行 われ てい る。 ここでは、 「精神 構造」 を考 えるにあたって 「非言語 シンボル」

の重要性 に言及 してい ることに注意 を要す る。

ヨー ロッパの政治が言葉 に重 きを置 くのに対 し て、 日本 の政治が言葉以外 を重視す るとい う見 方 が反 映 され てお り、 かつ思想 と区別 して、

「精神構造」概念 を構築 した神 島の意図がそ こ にあるか らである。

「近代化 と政治的<ま とめ>の原理」は 『文 明の考現学』で提 出 した 「近代化の

3

類型」の 議論 を再掲す ることによって、西洋 と日本の文 化の違いに注意 を うながす。そ して政治的<ま とめ>の原理 を抽 出すべ く生産労働 と交信作用 のダイアグラムを提示す る。それ を前提 に後に

「政治元理表」 となる初期 のダイアグラムが初 めて提 出 され るのである。

「日本 の近代化」では従来の 日本文化論で使 用 された

馴成一異成社会モデル」、 「マジ ック ミラー社会モデル」、 「高密度社会モデル」、 「ア ニ ミズムモデル」等 が、 「政治元理」 の構築 に むけて駆使 されてい る。

これ以降、 「政治元理表」構築‑ 向けての論 文集 が次々に刊行 された。『日本人の発想』 (48)

『政治の世界』(49)、『日本人 と法』(50)、『政治 をみ る眼』 (51)、『磁場 の政治学』(52)、『現代 日本 の政 治構造』(53'、『新版政治をみる眼』 (54)などである。

そ してその最終的到達点が雑誌 『向陵』に載 っ た 「政治元理表

」 (

「柳 田国男 と丸 山最男 を超 えて」

)

(55)だったのである。

4. 5

つの評論集

神 島の政治評論 は前掲 『国家 目標 の発見』、

『常民の政治学』、『人心の政治学』、『日常性 の

( 4 6 )

神 島二郎 「理論モデル の開発」

( 1 9 7 3

年 ・『思想』第

5 8 8

号 ・前掲 『政治の世界』所収)

( 4 7 )

神 島二郎編著 『近代化 の精神構造』

( 1 9 7 4

年 ・評論社)

( 4 8 )

前掲 『日本人の発想』

( 1 9 7 5

講談社)

( 4 9 )

前掲 『政治の世界』

( 1 9 7 7

朝 日新 聞社)

( 5 0 )

前掲 『日本人 と法』

( 1 9 7 8

・ぎょうせい)

( 5

1)前掲 『政治 をみ る眼』

( 1 9 7 9

・日本放送出版協会)

( 5 2 )

前掲 『磁場の政治学』

( 1 9 8 2

岩波書店)

( 5 3 )

神 島二郎編著 『現代 日本の政治構造』

( 1 9 8 5

法律文化社)

( 5 4 )

神 島二郎 『新版政治 をみ る眼』

( 1 9 91

・日本放送 出版協会)

( 5 5 )

神 島二郎 「柳 田国男 と丸山異男 を超 えて」

( 1 9 9 8

年 ・一高同窓会誌 『向陵』第

4 0

号)

1 4 4

国際経 営論集

No. 3 7 2 0 0 9

(9)

政治学』、『転換期 日本の底流』 にま とめ られて いる。その共通の特徴 は新聞や雑誌掲載の社会 批判 ・政治批判 を通 じ、構築途上の理論体系を 現実の政治現象 に突 き合わせ検証 してい くとい う点である。 自身の政治理論で現実の問題 が解 けるのか どうか とい う重い課題 を課 しているの である。以下、神 島が各著書で対決 した当時の 日本社会が直面 していた問題点を明 らかに し、

神 島の孤独 な戦いをた どってみたい。

① 『国家 目標 の発見』 は1

956

年 か ら

71

年までの 評論 をま とめた ものであるが、<戦後民主主 義の確立のための戦い >が基調 をな している と筆者 は考 える。本書は5

0

年代か ら

7 0

年代 は じめにかけての政治状況 に対す る様 々な視点 か らの警鐘 とい うべ き評論集 であるが、それ を象徴す るのが 「テ ロを生む社会 ・テ ロを押 さえる社会

」 (

『朝 日ジャーナル

』 1 961

2

1 3

日所収)である。嶋中事件で引き起 こさ れた社会的恐怖 に対抗 し、テ ロに対す る特別 立法を提案す るこの論文は、神 島の現実政治 との対決姿勢 を象徴 してお り特筆すべ きもの である。言論 に対す る暴力 を絶対に許 さない とい う神 島の姿勢は、それ こそが戦争で多大 の犠牲 をは らって獲得 した戦後民主主義の重 要 な支柱 である とい う認識 に基づ く。 『近代 日本の精神構造』で提示 された 「出世民主主 義」な ど、近代 日本の社会形成の病理 を解 明 す るもろもろの枠組みが ここで も使用 されて い る。 自らの構築 した理論 を武器 として戦お

うとす る神 島の意思が示 されている。

② 『常民の政治学』 には、『国家 目標 の発 見』

とほぼ同時期の1

953

年〜7

2

年の評論が収 め ら れている。 まず 冒頭 で 「常民」の定義が提示 され るが、全体 としては大学 における学問の

あ り方、そ してそれ を通 じて 日本社会 の問題 点を論 じた評論集 と言 えよ う。本書 を通 して 神 島は、 自らが依拠す る大学 を論ず ることで 日本社会 と対峠 した。 とい うの も、本書所収 の諸論文は主に 『明治大学新聞

『東大新聞』

『立教』『法学周辺』 (立教大学法学部学生 向 け リー フ レッ ト)『チャペルニュース』 (立教 大学)『立教 ジャーナル』等 に学生 向けに掲 載 された ものだか らである。

大学 と学問を問い直 し、それ を通 じて 日本 社会 を問い直す とい う問題意識 は言 うまで も な く

60

年安保 と6

8・9

年 の大学闘争 によって 形成 された。6

0

年安保 に対 して も、 「

6 8・9

年 闘争」に対 して も、神 島は学者 として人間 と

して学生 の問いか けに真剣 に向き合 った。

「 68・9

年闘争」以後 を 「一身 に して三生 を経 る」の三生 目としてい るのが、何 よ りの証で あろ う(56

) 0 「 68・9

年闘争」は何 よ りも大学に おける研究 と教育を問い直す ものであったが、

神 島はそれに真筆に向かい合い、 自らの学問 と教育 を問い直 し、 「移動大学」 な どの大学 改革にも実践的に関わっていった(57)。神 島は

「 68・9

年闘争」 を 自らの問題 として最 も真剣 に受け止めた知識人の一人であると私は思 う。

③ 『人心の政治学』は1

97 2

年〜7

6

年 の評論 を中 心 にま とめ られ 、 「新 しい政治学」 の構築 と い う問題意識 が前面に押 し出 された評論集 で ある。そ して本書は、 日本政治の分析の柱 と なる 「帰響元理」 (この段階では 「帰響原理」

)

を駆使 した評論集 である。分析の主たるター ゲ ッ トになったのは、 田中角栄の政治手法で あった。角栄政治の分析 の例 として

『人 心一新』 とい う名 の金権政治延命策

」 (

『朝 日ジャーナル』 1

97 6

8

月25日号所収) を見

(56)福沢諭 吉は 『一身 に して二生 を経 る』 といったが、 も しそれ にな らえば、私は一身 に して三生 を経 た よ うに思 うO第一の変わ り目は 日本 の敗戦である。信 じて戦 った対英米戦 に敗れ、敗戦後戦争 にまつわる人間的腐敗 をつぶ さ に知 らされて、軍事的な敗北だけでな く精神的な敗北 を実感 し、新 しい運命 を切 り開かなけれ ばな らなかったか らで ある。 第二 にあげなけれ ばな らぬのは、68・9年の大学闘争 であ る。私 はそのなかで もまれ 、学生 につ る しあげ られ なが らある種の回心 を経験 した。人は これ を大学紛争 とよぶが、私 は この経験 によって学生たち とおな じくこれ を大 学闘争 とよぶ ことに してい る」 (前掲 『日常性 の政治学』279貢)

(57)神 島二郎 「移動大学 について」 (前掲 『常民の政治学』303頁)参照。

神 島二郎研 究ノー ト

1 4 5

(10)

てみ よ う。 ここでは、 田中首相退 陣後の 自民 党 内 の 「三木 お ろ し」 の策謀 を取 り上 げ 、

「議会政治」の本来の姿、政治の道義的責任 、

「金権 政治」批判 な ど行 ってい る。 自民党 内 で言 うところの 「人 心」 は、 「新 しい政治 理 論」 にお ける分析概念 としての 「人心」 とは 異 な る として、次の よ うに結ぶ‑ 「人心の流 れ はいまや括弧 つ きの 『人心』 (自民党 の党 内人心 ・著者註) を押 し退 けてせ きあえぬ大 河 をな しつつ ある。私 は正念場 を迎 えた 自民 党 に禅家の言葉 を贈 って この稿 の結び とした い。『我 に大力量あ り、風吹かば即ち倒 る』」‑

と。 つ ま り、神 島 の言 う 「人 心」 は 自民 党

「党 内」 の 「人心」 ではな く、政治 の浄化 を もとめる国民の間に醸成 された 「人心」なの である。本書では こ うした 「人心」概念が駆 使 され て現 実政治 が分析 され る。 「新 しい政 治理論」による分析の初期実践版 と言 えよ う。

④ 『日常性 の政治学』 は1

9

72年 か ら

81

年 にか け ての評論をま とめたものである。軍備増強論 ・

ソ連 脅威 論 の台頭 に代 表 され る 日本社 会 の

「右傾 化 」 に対 して、神 島は註 の (

5

)に引用 した よ うに、敢然 と立 ち向か ったが、本書 は その闘いの記録 ともい うべ き意義 を持っ。神 島は 自らの政治学 に基づ き 「非武装主義 こそ が現実的である」 とい う認識 の普及 に全力 を 尽 くした。 それ は主に本書の後半部 「Ⅳ政治 の流れ のなかで」 に収録 されてい る。 そ こで は、戦後の国際紛争が生 じる三つの条件 が提 示 され 、その条件 に照 らして 日本 が他 国か ら 侵略 され る危険性 が皆無 であることが主張 さ れ 、そ うした客観 的条件 下にある 日本 の進 路 が提示 され てい る。

日本 国憲法第

9

条 の現実性 についての神 島 の立論 は現在 において も有効 である と私 は思 う。我 々は神 島の立論 を繰 り返 し検証す るな かで、政治学の立場か ら憲法

9

条の現実性 ・ 有効性 を弁証 していかなけれ ばな らない と思

う。

本書では、そ うした議論 とともに 「新 しい 政治学」の構築過程 もみ るこ とがで きる。巻

1 4 6

国際経営論集

No . 3 7 2 0 0 9

頭論文 の 「日本 的共 同社会 の政治原理」 (初 出は 『伝統 と現代』1

9

77年

・1

月号)では、

「帰簡原 理」 の分析 可能性 が全 面的 に展 開 さ れ 、 「天皇政治」や 「田中角栄 の政治 」 が こ の視点 で分析 され るのである。 さらにこの時 期すでに構築 されていた

6

つの 「政治原理」‑

「支配」 「自治」 「同化」 「カルマ」 「闘争」 「帰 簡 」‑ の現実政7台を分析す る枠組み としての

可能性 が様 々に示唆 され てい るのである。

1 980

年代 はま さに激動 の時代 であった。『転 換期 日本 の底流』 には1

980

年 か ら

1 990

年 の評 論 が収 め られ たが、 この激動 の時代 の底流 に 何 があ り、 ど う激流 に対応す るか とい う処方 葦 を示 したのが本書である。 ソ連 にお けるゴ ルバチ ョフの改革 と米 ソ緊張緩和 で終 った8

0

年代 は、東西 ドイ ツの統一、 ソ連 の崩壊、湾 岸戦争 の勃発 とい う

90

年代 の大変動 が胎動す るま さに激動 の時代 であった。 日本 において は竹 下政権下の消費税導入 とリクルー ト疑惑 で 自民党政治が大 き く揺 らぎ、1

993

年 の 自民 党政権崩壊 ・細川 内閣誕生‑ と繋がってい く。

そ して1

9 89

年 には、戦前は 「大元帥」 として、

戦後 は 「象徴」 として昭和 の歴史 を形成 した 昭和天皇が逝去 した。

神 島はそ うした状況 の中で、 自ら開発 した 政治理論 で現状 を分析 しその動 向を示 しなが ら、 日本や 国際社会の進路 についての処方等 を提 出す る。 そ こでは国内的には 「単身者主 義」 「会社 主義 」 をあ らた め るこ と、国際的 には 「憲法第

9

条」に基づ く武力 によ らない 国際政治の秩序形成 とい う従来か らの主張が 繰 り返 された。

現在 の 日本及び国際政治 の現状 を翻 って見 れ ば、神 島の問題提起 と処方等 はます ます有 効 であるよ うに思 われ る。 非正規社員増大及 び不景気 を理 由に した <派遣切 り社会 >の状 態 はま さに神 島の言 う 「単身者 主義」 「会社 主義」の極 限形態 であ り、イ ラク戦争 の失敗 以降、国際政治秩序 は非武力的方法で形成 し ていかなけれ ばな らない とい うことが、現実 に よって一層 明 白になったか らである。神 島

(11)

の立論は現在で こそます ます意義 を持つ と言 えよ う。

<派遣切 り社会 >について、若干説 明 して お こ う。近代 日本 においては、労働者や国民 はそもそも企業や国家の 「消耗品」であった。

神 島の分析 を一言で言 えばそ うい うことにな る。戦争はその 「消耗 品」を使 い捨てに した が、戦後 「会社」が 「国家」の肩代わ りを し て一時期国民の生活 を支 えた。そ こで生まれ たのが 「会社主義」である。 この 「会社主義」

は 「日本株式会社」 と諸外国に榔捻 され るほ ど力 を発揮 し、高度成長 を可能 に したが、や がて 「会社」は戦前の国家 と同 じよ うに労働 者 を 「消耗品」 と考えるよ うになっていった。

こ うして進行 した 「労働者 ‑消耗 品」視の極 限状況が 「派遣労働」である。立派になるの は 「会社」の建物ばか りであった。そ して、

こ うした 「会社主義」 を支 えていたのが、明 治以来の国民 自身の 「単身者主義」的な生 き 方‑ つ ま り生活 と人生の拠 り所 (「家庭」や

「地域 コ ミュニテ ィ」)をもたず に、 「会社」

の提供す るさま ざまな商品 (衣 ・食 ・住 《ウ サギ小屋だが》 ・娯楽な ど)を購入 させ られ、

それ による一時の快楽 を享受 させ られ る生 き 方‑ であった。 この 「会社主義」 と 「単身者 主義」 を克服 しなければ、いかに経済体制 を 改革 した ところで、根本的な解決 にな らない と私は思 う。そ して、 この克服 は 日本 の国際 貢献の方 向性 とも関わる。 つま り、 「会社 主 義」 と 「単身者主義」は戦争‑の道 と親和す るか らである(58)。

さて、 「原理 的に深化 させ るために本年 は、

本来の仕事 に立ちかえって、 日本の経験 を中心 に した政治学理論 の再構築 と現代 日本の精神構 造の究明に私は全力を傾注する所存であ ります。」

(註

5)

とい う言葉通 り、神 島は1

980

年以降政 治理論 の構築に入 る。 1

985

年か ら自宅で限 られ た弟子たちを集 めて始 め られた研究会 (「日本 研究の会」か ら 「比較 日本研究会」‑)はそ う

した神 島の研究活動の一環であった。

90

年代の政治評論の中で単行本にはならなかっ たが、忘れてはな らない もの として、① 「イ ラ ク問題 と日本」 (59)② 「転換期 を読む」 (60)③ 「社 会 党 は幻 だ った」 (61) ④ 「日本政府 は幻 だ った

」(62)をあげてお こ う。いずれ も90年代 に 日本の かかえた重要な問題一湾岸戦争 と日本の国際貢 献、社会党の消滅 と自民党政権の崩壊 、官僚政 治の弊害な ど一 に対 して 自ら形成 しつつあった 政治理論で現実を分析 した ものであった。

5.

むすびにかえて

‑1 973

年 ・福田歓‑

との対話

神 島は

1 970

年代 に、 「政治元理表」 の構築‑

向けての作業 を本格的に開始す るが、その出発 点で、西洋政治思想史の泰斗福 田歓‑ と対話 し てい る。二人で編んだ1

973

年のNHK大学講座 のテキス ト(63)で行われた福 田との対話 を紹介 し 本小論 を閉 じたい と思 う。

このテキス トでは、神 島は福 田の展開す る西 洋史お よび西洋政治思想史 と自ら研究 したイ ン ド ・中国 ・日本 の研 究 をつ きあわせ 、 「新 しい

( 5 8 )

赤木智弘の 「『丸山最男』 をひっぱたきたい

‑31

歳 フ リー ター。希望は、戦争」 (論座

』2 0 0 7

1

月号)では、

格差社会 を リセ ッ トすべ く戦争 とい う手段があげ られてい る。赤木 には歴史や社会 と戦 うための 「家族や地域 の連帯」

とい う発想 がみ られ ない。 「単身者 主義」的な生 き方 は戦争 に親和す る。戦争 が悲劇 しか生まない ことは、過去の 日 本人の 自ら歩んだ歴 史が明 白に物語 っているのだが‑・O

( 5 9 )

神 島二郎 「イ ラク問題 と日本」 (東京新聞

・ 1 9 9 0

1 0

3

日)

( 6 0 )

神 島二郎 「転換期 を読む」

( 1 9 9 4

年 ・東京新聞に

6

回連載)

( 61 )

神 島二郎 「社会党は幻だった」

( 1 9 9 6

年 ・東京新聞に

3

回連載)

( 6 2 )

神 島二郎 「日本政府 は幻だった」

( 1 9 9 6

年 ・東京新聞に

7

回連載)

( 6 3 )

この神 島二郎 と福 田歓 ‑ を講師 とす るNHK大学講座 には以下の二冊のテ キス トが準備 され たa『政治学

1

‑政 治文化 の類型 と問題』

( 1 9 7 3

4月

1

日・日本放送 出版協会) と 『政治学2‑ 政治文化 の類型 と問題』

( 1 9 7 3

7

1

日・日本放送出版協会)であるC

神 島二郎研 究ノー ト

1 4 7

(12)

政治学」構築の準備作業一政治文化の類型化‑

を行 っている。

福 田との対話 を通 じ、神 島は ヨー ロッパの政 治史か ら 「支配元理」 「闘争元理」 を、アメ リ カの現実か ら 「自治元理」、イ ン ドの現実 か ら

「カルマ元理」、 中国の現実か ら 「同化元理」、

日本の現実か ら 「帰簡元理」 を導 き出そ うとし ている (この段階で抽 出 したのは この

6

元理 で あった。 「エ ロス」 「互換」 「法」 「知 己」が加 わ るのは1

998

年 の遺稿 「柳 田国男 と丸 山異男 を超 えて」である)0

「支配元理」に基づ く政治学に対峠す ること になった福 田との対話 は、随所 に緊張感 を感 じ させ るもの となった。テキス ト冒頭 には 「政治 のイメージ」についての議論が行われている。

神 島が 「政治のイメージ」を 「支配元理」か ら 脱却 させ よ うとしてい るのに対 して、福 田はあ くまで も 「支配元理」に基づ き議論 しよ うとし てお り、緊張感 が手張っている。

‑神 島 その間題 をこの次に問題 に しておかな けれ ばな らないね。それは どうだろ う。や は り共存関係 が成 り立つ とい うこと、そ して共 存関係 を成 り立たせ るとい うことは、結局、

われわれの行動 を意味あるものにす ること、

それぞれの行動 に意味を付与す ることによっ て成 り立っわけです よ。その場合 に、共存 関 係が成立す るとい うことは、われわれが行 な う行動 に意味を付与 し、その意味をなん らか の形で共有 してい くとい うことと絡まるので はないかね。

‑福 田 この問題 を考 える うえでは、前提 とし て、人間の間で実現 している共存は、それ 自 体非常な逆説 を含んでいることに気 をつ けな ければいけない と思いますね。つま り、ただ 平和 に、お互いに仲 よく暮 らしているとい う

ものではないので、その反面にはいつ も闘争 の契機 があるのだ とい うことですね。複数 の 人間の共存 は、ち ょっ とみ ると秩序のある と

ころどこにでも成立 しているわけだけれ ども、

それ を可能 に してい る秩序 は、いつ も闘争の 契機 を処理 して成 り立っているわけで、 もち ろんいろいろな政治文化 によってそれぞれの 方式はあるに して も、そ こに支配関係 が成 り 立っている。つま り人間の人間による搾取 も あれば、人間の人間に対す る支配 もあって、

逆説的にもそれが共存 を保障 していることは 否定できない ところです。それはいつだって 共存の裏 にひそむいわばネガの面だ といって

よいで しょう

」 (下線筆者

6 4 )

ここでは神 島が人間の共存関係志向の強 さと 共存の意味付 けの複数性 を示唆 しているのに対 して、福 田はあ くまで もその背後にある支配関 係 を示唆 しているよ うに思われ る。

丸山量男は 『政治の世界』で次のよ うに言 っ ている一 「ただ紛争が純粋 な理性的討議か ら暴 力的対立の方 向に近づ くに従 って、政治的な臭 がす るのは何故か とい うと紛争の政治的解決が なによ り相手に対す るなん らかの制裁力 を背景 として、その行使 または威嚇 によってな され る 解決であるか らです。制裁力 とは相手の所有す るなん らかの価値 を相手の抵抗 を排 して剥奪す る力です。一 中略‑ ですか ら権力現象 は物理的 暴力 を行使 しうる人間ない し人間集団だけに特 有のものではないわけです。ただ物理的暴力は こ うした制裁力の最 も極端 な場合 ですか ら、墜 治的紛争 は他 の解決手段がすべて効 を奏 さない 場合には、究極 には暴力の行使 に立ち至 ります。

その意味で暴力 とい う物理的強制手段 を最後の 切札

( u l t 血ar a t i o)

として持たない集団は、そ れだけ社会的価値の争奪をめ ぐる政治的紛争に お いて後れ を とるこ とにな ります

」 (下線筆

% 65)

「政治的紛争 は他の解決手段がすべて効 を奏 さない場合 には、究極 には暴力の行使 に立ち至 ります。」 とい う丸 山の政治のイ メー ジ (最後 の切札

u l t 血ar a t i o

‑物理的強制手段 とい う政

( 6 4 )

前掲 『政治学

1

‑ 政治文化 の類型 と問題』ll‑12頁。

(65)丸 山長男 『政治 の世界』(1952年 ・御茶 ノ水書房 ・引用 は岩波書店刊 『丸 LLJ最男集』第

5

・ 1 3 8

頁)

1 4 8

国際経営論集

No . 3 7

2009

(13)

治イメージ) を福 田も共有 していたのではない だろ うか。そ して、それ こそが神 島の越 えよ う としていた政治のイ メージであったのである。

最後にこのテキス トか ら福 田歓‑ と共 に した ためた 「開講の ことば」 を引用 してお きたい。

‑ 「政治学は古 くして新 しい学問である。今 日 われわれが大学で講 じ学生が学んできた政治学 は、欧米の政治学の流れ を くむ もので、 これ は ギ リシャのプラ トン、ア リス トテ レス以来の伝 統 をもつ ものであるが、それ も、行動科学、サ イバネティックス、コンピューターの開発以来、

いち じる しく変わってきた。 ところが、それ ば か りではな く、世界政治のなかに第三世界が登 場 し、西欧世界にも若い世代が政治のファクター として登場 し、従来の権力観 では処理 しがたい 問題が政治の槍舞台をおか しつつある。 こ うし た状況のなかで、西欧のそれ とは異質な政治文 化の存在 が、西欧のそれ と肩 を並べて政治学的 考察 を、い うなれば、強要 しつつ ある。われわ れ政治学徒 は、 もはや西欧政治文化の伝統の枠 に止 まることな く、それ を超 えて政治学的考察 をすす め、政治学の新 しい展望を開かなければ な らない ところに立た されている。われわれは、

日本政治の考察 と達成 とを基軸 に、ひ ろく比較 考察 を試み、それによって政治学の今 日的課題 に取 り組むべ く、鋭意努力 してきた。 とい うの は、 日本政治についてな ら、もし努力す るな ら、

現実のデータをもって検証 しやすいか らである。

しか しなが ら、われわれの望みは遠 く、われわ れの歩みは遅々 として、いまだ腰だめの恨み を まぬがれない。そのよ うな事情 にかんがみ、今 回、政治学の講義 を放送す るにあたって、対談 形式によ り、問題 の掘 り下げに便 し、それ をテ キス トに し、われわれ二人で分担 して講義 をす ることに した。 もしこの講義が、い ささかな り と現代政治‑の開眼に役立っ ことができれば、

幸いである。

神 島二郎 福 田歓

」 ̀66)

こ うした神 島 と福 田の問題提起を、それ に続 く政治学者 は果た して受 け止 めてきたであろ う か。

(66)前掲 『政治学 1‑政治文化 の類型 と問題』及び 『政治学 2‑ 政治文化の類型 と問題開講の ことば」

神 島二郎研 究ノート 149

参照

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