博 士 ( 教 育 学 ) 柚 木 孝 敬
学 位 論 文 題 名
運動時および回復期の二酸化炭素過剰排出動態からみた pH の恒常性維持機構
学位論文内容の要旨
あ る 一 定 強 度 以 上 の 運 動 を 行 う と 、 筋 細 胞 内 に お い て 乳 酸
(HLa)生 成 が 促 進 さ れ る 。
HLaは 強 酸 で あ る の で 、
HLa生 成 の 促 進 に 伴 っ て 、 筋 細 胞 内 で は 乳 酸 イ オ ン
(La− ) と 水 素 イ オ ン
(H+)の 濃 度 が 上 昇 す る 。 こ の 筋 細 胞 内 に お け る
H+濃 度 の 上 昇
(pHの 低 下 ) は 、 身 体 運 動 の 遂 行 に 不 可 欠 な 要 因 で あ る 解 糖 系 酵 素 活 性 や 興 奮 ― 収 縮 連 関 を 阻 害 す る と さ れ る 。 ゆ え に 、 運 動 時 の
HLa増 に 対 し て 、 筋 細 胞 内
pHの 低 下 が 抑 制 さ れ る こ と 、 お よ ぴ 一 旦 低 下 し た
pHが 運 動 終 了 後 に 速 や か に 回 復 す る こ と
(pHの 恒 常 性 維 持 機 構 ) は 、 生 体 の 生 理 機 能 の 維 持 に と っ て 重 要 な 課 題 で あ る 。
生 体
pHの 恒 常 性 維 持 に 関 す る 研 究 は 、 筋 細 胞 内 で 生 じ る
H+の 緩 衝 に 関 す る 研 究 と 生 体 全 体 で 生 じ る
H+の 緩 衝 に 関 す る 研 究 の 二 領 域 に 大 別 で き た 。 前 者 は 、 バ イ オ プ シ ー に よ り 得 ら れ た 筋 標 本 の 分 析 に よ り 、 筋 細 胞 内 で 起 こ る
H+の 緩 衝 作 用 を 詳 細 に 検 討 す る も の で あ る 。 後 者 は 、 生 体 に 加 え ら れ た
H+の 非 重 炭 酸 系 と 重 炭 酸 系 に よ る 緩 衝 の う ち の 後 者 を そ の 反 応
(H+十
HC03ー
2C02十
H20)の 結 果 と し て 生 じ る
‑C02過 剰 排 出 の 分 析 か ら 評 価 す る こ と に よ り 、 緩 衝 作 用 を 全 身 的 に 捉 え よ う と す る も の で あ る 。 両 研 究 に 共 通 し て い る こ と は 、 緩 衝 作 用 の 場 を 単 一 体 液 区 画 に 限 定 し て い る こ と 、 お よ び 、
La― を 生 体 に 負 荷 さ れ た 酸 の 量 と 等 価 で あ る と 仮 定 し て い る こと であ った 。一 方、 上述 した 「緩 衝」
と ぃ う 現 象 の 基 礎 と な る 酸 一 塩 基 平 衡 に 対 し て 、 こ れ ま で と は 異 な る 概 念 と 定 量 化 の 方 法 が 提 唱 さ れ て お り 、 異 な る 体 液 区 画 間 で の 強 イ オ ン や
C02の 移 動 が
H+濃 度 の 変 化 を も た ら す と 考 え ら れ て い る 。 こ の こ と は 、
pHの 恒 常 性 維 持 機 構 を 検 討 す る 際 に は 、 体 液 区 画 の 区 分 が 有 効 で あ る こ と を 示 唆 し て い る と 考 え ら れ た 。
そ こ で 本 研 究 で は 、
pHの 恒 常 性 維 持 機 構 を 全 身 的 に 捉 え る た め に 、 主 と し て
C02過
剰 排 出 か ら 検 討 す る 際 に は 、 対 象 と す る 生 体 を 、 筋 細 胞 、 内 部 環 境 、 外 部 環 境 の 少 な く と
も 三 つ の 系 か ら 構 成 さ れ る モ デ ル と し て 捉 え る 必 要 が あ る と 考 え た 。 そ し て 、 強 イ オ ン 交
換 が 中 心 と な る 筋 細 胞 と 内 部 環 境 と の 関 連 、 お よ び 、 換 気 に よ る
C02排 出 が 中 心 と な る
内 部 環 境 と 外 部 環 境 の 関 連 を 検 討 す る 必 要 が あ る こ と ( 課 題
1) 、 さ ら に 、 内 部 環 境 の 恒
常 性 維 持 を 考 え る 場 合 に は 、
C02の 貯 蔵 と 排 出 が 重 要 な 働 き を も っ て い る の で 、 換 気 の
調節を検討する必要があること(課題2 )を指摘した。課題
1を検討するために主として 実 験
Iと
nを 行 な い 、 課 題
2を 検 討 す る た め に 主 と し て 実 験
mと
Iを 実 施 し た 。
実験I )活動筋の細胞内で生成されたHLa の一部は内部環境へと拡散し、その後、筋 と血液のLA ー濃度は均衡状態へ向かうが、この均衡化には時間を要する。そのため、運 動時間が短いほど、La 一の筋から血液への拡散は、運動時には少な〈、運動終了後の回 復期において多くなると予想される。漸増運動負荷時の運動時間は漸増率が高いほど短か くなる。そこで実験I では、漸増率の異なる三種類の漸増運動負荷テストを行ない、この
La―の不均衡の差が運動時や回復期のC02 過剰排出にいかなる影響を及ぼすかを検討し た。その結果、運動時および回復期のC02 過剰排出量は各局面における血中La 一濃度の 上昇によって全体的には影響されていた。しかし、運動時および回復期の各局面のC02 過剰排出動態は動脈血C02 分圧の低下やクレアチン燐酸の分解および再合成に伴うH+
の取り込みと放出にも部分的に影響されると考えられた。
実験n )短時間高強度運動負荷は、漸増運動負荷に比べて、細胞から内部環境への
Laー拡散を促進でき、`また、過換気によるC02 分圧の低下を顕在化できる。そこで実験
uでは、運動時間の異なる三種類の短時間高強度運動負荷を用いて、La ―の上昇および 過換気がC02 過剰排出に及ぼす影響をより詳細に検討した。その結果、短時間高強度運 動負 荷に 対す るC02 過 剰排出はHLa 生成の増加と関係していたが、その継時的変化は
HLa生 成 に 対 し て 時 間 遅 れ を 持 ち 、 かつ 、 過 換 気 に 影 響 さ れ る と 考え ら れ た 。
実験m )短距離走者と長距離走者の間で認められている換気応答特性の差異が短時間高 強度運動負荷に対する
C02過剰排出動態にいかなる影響を及ぼすかについて検討した。
その結果、短距離走者群は長距離走者群に比べて、呼気終末C02 分圧(PETC02) の低下 が大きく、また、これに関連したC02 過剰排出量も有意に大きかった。この時の
PETC02の低下は血中La ー濃度と有意な正の相関関係を示していたことから、HLa あるいはH+
の増加に対する換気の化学的感受性の差異がC02 過剰排出量の差異を生み出す可能性が あると考えられた。
実 験
W)
NaHC03摂 取
(Alkalosis)条 件と 非摂取
(Placebo)条 件下 にお いて、 内部 環境のpH の差を生じさせることができるので、この差が短時間高強度運動負荷に対する 換気 応答 およ びC02 過 剰排 出にい かな る影 響を 与える のかを検討した。その結果、
Alkalosis
条件でpH は有意に上昇したが、両条件の換気量はほぼ同じであった。これは、
誘発したpH の変化が急性であったので、呼吸性代償作用が発現の途中にあったためと考 えられた。また、両条件の血中
La一濃度の上昇に差はなかったが、血中重炭酸イオン
(HC03―)濃度の低下はPlacebo 条件よりもAlkalosis 条件において有意に大きかった。
両条件の強陽イオン濃度の変化に差が認められなかったので、HC03 ―濃度の低下の差に は、強陰イオン全体としての細胞から内部環境への移動が関係していると考えられた。
以上の実験結果をもとに、C02 過剰排出と
pHの恒常性維持機構との関係について包
括的に考察し、以下の結論を導いた。1 )細胞と内部環境間においては、La ―を含む強イ
オンの移動が運動時に起こる。これに応じて、血液中のHC03 ―が減少する。それが、呼
気のC02 過剰排出として外部環境に対して、内部環境から生じると考えられた。この過
剰排出は、生体のpH 恒常性を維持するために起きる一連の反応の最終段階である。
2)
内部環境から外部環境へもたらされるC02 過剰排出には、La ―や強イオンの変動とは直
接関連しない過換気に由来する成分がある。この成分は、生体のpH 恒常性の維持をより
効 果 的 に す る た め の 働 き を も ち 、 そ の 影 響 は 全 身 ヘ 波 及 す ると 考 え ら れ る 。
学位論文審査の要旨 主査 教授 森谷 絮 副査 教授 平木場浩二
(九州工業大学大学院生命体工学研究科)
副査 助教授 矢野徳郎 副査 助教授 山田憲政
学 位 論 文 題 名
運 動 時 お よ び 回 復 期 の 二 酸 化 炭 素 過 剰 排 出 動 態 か ら み た pH の 恒 常 性 維 持 機 構
あ る 了 定 強 度以 上 の 運 動 を行 う と筋 細胞内 で乳酸 イオン が生 成され る。乳 酸イオ ンは 強陰イ オンで あ る ので、 筋細 胞内の 水素イ オンの 増加を もた らす。 この水 素イオ ンの 増加は 、筋収 縮の持 続に不可欠な 要 因 で あ る 解糖 系 の 酵 素 活性 や 活 動 筋 の興 奮 収 縮 連 関 の阻 害 を も た らす 。 この ため に、筋 細胞内 の 水 素 イ オ ン の上 昇 を 抑 制 する こ と、 および 一旦増 加した 水素 イオン を運動 終了後 に速 やかに 回復さ せ る ことは 、生 体の生 理機能 の維持 にとっ て必 須事項 である 。そこ で、 本研究 では運 動時お よび回復期の pHの 恒 常性 維 持 機 構 を 生体 の 酸 ‐ 塩 基平 衡 の 全 身 的指 標 で あ る 呼気C02過 剰排 出 動 態 か ら究 明 し て い る。
本 研 究 で は 最 初 に 文 献 研究 を 行 い 、C02過 剰 排 出に 関 連 す る 次の 研 究 課 題 を設 定 し た 。1) 細 胞 内 液 と 細 胞 外液( 内部 環境) との間 での強 イオン 、特 に乳酸 イオン の移動 がC02過剰 排出に 及ぼす 影響、
2) 肺 換 気 が内 部 環 境 か ら外 部 環境 (外 界)ヘ 排出す るC02過剰量 に及 ぼす影 響にっ いてで ある。 そし て 、 第1の 課 題 を 主 と し て 実 験IとIIで 、 第2の 課 題 を 主 と し て 実 験mとIVで 検 討 し て い る 。 実 験Iで は 、 負 荷 漸 増 率 の 異 な る3種 類 の 漸 増 運 動を 設 定 し て 、そ の 運 動 時 と 回復 時 のC02過 剰 排 出 動 態 を 検討し てい る。乳 酸イオ ン生成 に伴うC02過剰排 出が漸 増運動 時にあ るこ とは従 来から 良く知 ら れてい る。 しかし 、生成 された 乳酸イ オン は活動 筋中に 最初は 貯蔵 され、 その後 、細胞 外液(内部環 境 ) へ と 拡散さ れる 。この 乳酸イ オン拡 散のC02過 剰排出 に対す る影響 を回復 期に 検討し ている 。この 検 証 モ デ ル にお い て は 、 細胞 内 液と 細胞外 液の区 分を必 要と してい る。こ の区分 は、 生体を 単一区 画 と して扱 う従 来の研 究とは 異なる ところ であ る。ま た負荷 の漸増 率が 速い場 合では 、遅い 場合に比べて C02過剰 排出量 が運 動時に は少な くなる が、 運動後 には多 くなる ことを観察した。これは、漸増率を速く す ると乳 酸が 活動筋 中に貯 まり易 くなる ため に生じたと解釈している。実験IIでは、この拡散の影響をさ ら に 顕 在 化 する た め に 、 短時 間 の高 強度運 動を実 施した 。短 時間高 強度運 動時に おい ては乳 酸イオ ン ―71―
が運動開始直後から生成さ れるが、C02過剰排出は運動終了直前から回復期の約10分時にかけて生 じることを観察した。この乳酸イオン生成に対するC02過剰排出の遅れは、実験Iで指摘した乳酸イオ ンの細胞外液への拡散の影響ばかりではなく、運動時の顕著なC02分圧の上昇に伴う重炭酸イオンの 増加が関係しているとしている。っまり、運動時には乳酸を緩衝した結果重炭酸イオンが減少するが、
同時にC02分圧が上昇するので、重炭酸イオンが増加する。この両者の変化が相殺して運動時にC02 過剰排出が生じない。しかし、運動後にはC02分圧が低下するために、重炭酸イオンが低下する。その 結果がC02過剰排出として表れると考察している。また、この回復期のC02分圧の低下は安静値以下 になることを観察した。このことは、血中乳酸イオン増から予測される以上のC02過剰排出が生じること を示している。また、この過換気に伴うC02分圧の低下が運動によって生じた代謝性アシドーシスを速 やかに回復させる働きを持っている日隹察している。そこで、次に換気の調節とC02過剰排出との関係 にっいて検討している。
実験mで は、 短時 間高 強度 運 動に 関わ るC02過 剰排 出動 態 を短 距離 選手と 長距離選手の間で比 較検討している。短時間高 強度運動の回復期におけるC02分圧の安静値以下の低下量およびこの低 下に関連したC02過剰排出量は短距離走者の方が長距離走者より大きかった。このことは、肺換気の 調節に関わる化学受容器のpHに対する感受性が両群間で相違していたために生じるとしている。実験 IVでは重炭酸ナトリウム経口投与の影響を検討している。その結果、投与時に代謝性のアルカローシス は認めたが、肺換気量に対する影響は認めなかった。これは、代謝性アルカローシスに対する呼吸性 代償作用が遅延するために起きたのであろうと考察している。
以上の実験結果を総括して、以下の結論を導いている。1)細胞と内部環境間で、乳酸イオンを含む 強イオンの移動が運動時に起きる。これに応じて、内部環境の重炭酸イオンが減少する。それが、呼気 のC02過剰排出として外部環境に排出されると考えている。このC02過剰排出は、生体のpH恒常性を 維持するために起こる一連の反応の最終段階であるとしている。2)内部環境から外部環境へもたらされ るC02過剰排出には、乳酸イオンや強イオンの変動とは直接、関係しなぃ過換気の成分がある。この成 分は、生体のpH恒常性維持をより効果的にするための働きを持ち、その影響は全身に波及すると考え ている。
以上、本論文では系を細胞、内部環境および外部環境の3っに分け、前者の2つの区画問では主と して乳酸イオンの移動に、後者の2つの区画間ではC02の移動に着目している。そして、これらの移動 が生体のpH恒常性維持機構に関連するという観点で研究の全体像を作っている。この点に独自性が あ る 。 ま た こ の 全 体 像 の 中 でC02過 剰 排 出 機 構 の 一 端 を解 明し たこ とは 高 く評 価で きる 。 よ っ て 、 柚 木 孝 敬 を 博 士 ( 教 育 学 ) の 学 位 を 授 与 さ れ る 資 格 が あ る も の と 認 め る 。
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