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─ ─ 行政の裁判的統制におけるコンセイユ・デタモデルの可能性

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(1)

はじめに

 行政裁判を担当する最高機関は、大きく分けて以下の 3 つのモデルから なる(1)

( 1 )行政裁判機能のみを有する最高行政裁判所(couradministrativesu- prême)モデル

( 2 )行政裁判機能に加えて、行政活動に関する諮問機能も有するコンセ 論 説

行政の裁判的統制における コンセイユ・デタモデルの可能性

─ヨーロッパ比較行政裁判制度からみたフランス─

杉 原 丈 史

はじめに

1  ヨーロッパ比較行政裁判制度におけるコンセイユ・デタモデルの位置づ

2  2008年改革後のフランスのコンセイユ・デタをめぐるヨーロッパ法の 動向:人権裁判所による公平性の判断枠組みの再整理

3  フランスにおける歴史的経験からみたコンセイユ・デタモデルの発展可 能性

おわりに

( 1 ) G.Marcou,Unecouradministrativesuprême:particularitéfrançaiseou modèleenexpansion?,Pouvoirs,no123,2007,pp.134─140.

(2)

イユ・デタ(conseild’État)モデル

( 3 )行政裁判を含む、あらゆる裁判機能を有する単一の最高裁判所

(coursuprêmeunique)モデル

 フランスのコンセイユ・デタは、( 2 )のモデルの創始とされる機関で あり、これを模範として、ヨーロッパのみならず世界的規模でこのモデル が普及していった(2)。同国の行政訴訟法の代表的教科書の 1 つによれば、コ ンセイユ・デタ制度の根底にある行政裁判の捉え方(conception)は、「行 政を裁判すること、それもまた行政を行うことである(jugerl’administration, c’estencoreadministrer)」という法諺によって表される。それは、「行政裁 判官は、行政事件を専門とする裁判官であるというだけでなく、行政官の

4 4 4 4

精神

4 4

(l’esprit de l’administrateur)を有する裁判官でなければならない」

(以下、引用文の傍点箇所は、原文におけるイタリック表記を示す)との確信 につながるものとされ、その制度上の具体化としては、裁判機能と諮問機 能の機能的二元性(dualismefonctionnel)に加えて、構成員に対する公務 員の一般身分規程(statutgénéraldelafonctionpublique)の適用や、高級 官吏と同じく国立行政学院(Écolenationaled’administration)の卒業試験

(concours)を通じた任用制度などが挙げられる(3)

 ところが、90年代以降、ヨーロッパ人権条約(以下、「条約」とする)と の関係において、コンセイユ・デタモデルを採る各加盟国との間で、その 機能的二元性をめぐり、裁判所としての公平性( 6 条 1 項)が争われてき た。そして、2008年には、フランスにおいて、公平性の確保を主な目的の 1 つとしたコンセイユ・デタ制度の大規模な改革が行われた。もっとも別 稿で明らかにしたように、この改革は、それに先立つ2006年に、ヨーロ

( 2 ) Marcou,op. cit.,p.135によれば、ヨーロッパ以外での採用国として、トルコ、

リビア、エジプト、アルジェリア、ブルキナファソ、ガボン、セネガル、中央アフ リカ共和国、コロンビアが挙げられる。なお、アジアでもタイが同モデルを採用し ていたが、1999年に( 1 )の最高行政裁判所モデルへ移行したとのことである。

( 3 ) 引用を含め、R.Chapus,Droit du contentieux administratif,13eéd.,Mon- tchrestien,2008,pp.44─51.

(3)

ッパ人権裁判所(以下、「人権裁判所」とする)がフランスのコンセイユ・

デタに関して行ったサシロル・ロルミヌ判決(4)によって、当該事案における 条約適合性こそ認められたものの、機能的二元性をめぐる公平性の判断枠 組自体が不明確となってしまったため、同国の側で、将来的に条約違反と 認定されるリスクを回避すべく、独自の解釈に基づき積極的に公平性保障 を発達させた結果であった(5)。人権裁判所が、奇しくも同じフランスを相手 取った事件に関する決定において、条約上の公平性に関する錯綜した基準 を整理するに至ったのは、この改革から 1 年以上経った後のことであっ

(6)

 そこで本稿では、2008年改革後のフランスのコンセイユ・デタをめぐる ヨーロッパ法の動向および国内におけるコンセイユ・デタ制度の歴史的経 験をふまえつつ、比較行政裁判制度というより

0 0

広い見地から、コンセイ ユ・デタモデルの可能性について改めて検討してみたい。まず、従来、ヨ ーロッパ各国の行政裁判制度の中でこのモデルがどのように位置づけられ てきたかを確認する( 1 )。次に、人権裁判所が2009年に行った前述の決 定を取り上げ、機能的二元性に関する条約上の公平性保障の正確な射程を 把握し、2008年改革との関係を明らかにする( 2 )。最後に、フランスが そこまで意を尽くして維持しようとするコンセイユ・デタモデルの将来的 な発展可能性につき、前述の法諺をめぐる変遷を辿りつつ検討する( 3 )。

( 4 ) CEDH, 9 nov.2006,SacilorLorminesc.France,Rec.2006─XIII.同判決につ いては、拙稿「コンセイユ・デタの機能的二元性をめぐる2008年の改革について」

愛学52巻 3 ・ 4 号(2011年)181〜186頁で、事案と判旨の紹介を含め、詳しく検討 した。

( 5 ) 拙稿・前掲注( 4 )論文196〜197頁。

( 6 ) この決定につき、拙稿・前掲注( 4 )論文185頁注(38)では、論文のテーマ との関係で参考のための指摘に止めていた。

(4)

1  ヨーロッパ比較行政裁判制度におけるコンセイユ・

デタモデルの位置づけ

 このテーマに関する近年の研究として、フランスのリモージュ大学

(UniversitédeLimoges)の研究グループが、EU 加盟国のコンセイユ・デ タおよび最高行政裁判所からなる協会団体と提携して行った共同研究の総 括報告書『ヨーロッパにおける行政裁判』(7)(以下、「報告書」とする;[]内 は、報告書の頁数を示す)が挙げられる。これは、加盟各国における行政 裁判の組織およびそれによる行政活動の統制の現状について包括的に比較 分析を行ったものであるが、本稿では、そのうち、行政裁判担当機関に関 する研究成果を取り上げたい。なお、研究対象とされた加盟国は、2007年 のブルガリアとルーマニアの加盟前の25か国であり[p.11](8)、それらを冒 頭で述べた最高機関の分類に当てはめて整理すると、以下の表の通りにな る(なお、( 3 )内部の分類については後述する)(9)

( 1 )最高行政裁判所モデル

( 9 か国)

( 2 )コンセイユ・デタモデル

( 5 か国)

( 3 )単一の最高裁判所モデル

(11か国)

ドイツ オーストリア ルクセンブルク スウェーデン フィンランド ポルトガル ポーランド チェコ リトアニア

フランス ベルギー オランダ イタリア ギリシャ

a)専門部あり b)専門部なし スペイン

エストニア ラトビア スロバキア ハンガリー ( 5 か国)

イギリス アイルランド デンマーク マルタ キプロス スロベニア ( 6 か国)

[pp.12─13の記述を基に作成]

( 7 ) ObservatoiredesMutationsInstitutionnellesetJuridiquesdel’Universitéde Limoges,La justice administrative en Europe,PUF,2007.

( 8 ) ただし、25か国中、スロバキアのみ調査に対する回答がなかったとのことであ る[p.18,note1]。

( 9 ) なお、報告書の対象外とされた前述の 2 か国については、Marcou,op. cit.

(5)

 従来、行政裁判を担当する機関の組織を説明するに当たっては、単一の 裁判所系統の下で、行政活動に対しても普通法が適用される一元的法制度 と、司法裁判所系統から独立した行政裁判所系統が存在し、行政活動に対 して特別法を適用する二元的法制度とを対置してきた[p.20]。前掲の表 でいうと、( 3 )の単一の最高裁判所モデルが前者に、( 1 )の最高行政裁 判所モデルと( 2 )のコンセイユ・デタモデルが後者に該当する。

 しかし、報告書は、こうした一元論か二元論かという二項対立的な分析 は、「歪んだ像を結ぶプリズム(prismedéformant)」であって、ヨーロッ パにおける行政裁判担当機関の組織の現状を把握する上で役に立たないと 厳しく批判する。すなわち、各国の組織は、正確かつ完全な全景を描けな いほど多様な解を示しているようにみえる一方で、そうした多様性の中か ら、各国の地理的差異や文化的伝統を超えて、主に 2 つの傾向が浮かび上 がってくる。それが、専門化(spécialisation)と専任化(professionnalisa- tion)である。従来の分析方法によっては、組織的多様性はもちろん、そ こに認められるこうした傾向の一致(convergences)もまた、十分説明す ることができないというのである[pp.19─20]。

 第一の傾向である専門化とは、「必ずしも行政裁判所系統まで構成する ものではない」[p.21]と補足されていることからわかるように、行政裁 判を民刑事裁判とは別個の機関に委ねるという形式的な意味で用いられて いる。このような意味における専門化の傾向は、二元的法制度をとる国

(( 1 )・( 2 )の合計14か国)だけでなく、一元的法制度をとる国の中にも見 出される。すなわち、単一の最高裁判所モデルを採用する11か国のうち、

スペイン、エストニア、ラトビア、スロバキア、ハンガリーの 5 か国

(( 3 )の a)で、最高裁判所の内部に行政事件を専門とする部が設置され ている[pp.20─21]。よって、両者を合わせると、実に25か国中19か国に おいて行政裁判担当機関の専門化が図られていることになる。

(note1),pp.136et140によると、ブルガリアは( 1 )に、ルーマニアは( 3 )a に それぞれ分類される。

(6)

 もちろん、行政事件への専門化の程度は、裁判所内での専門部の設置か ら裁判所系統の独立まで、国によって様々であることから、前述の二項対 立的な制度類型とは異なり、あくまでも緩やかな一致にとどまる。そのこ とは、下級審レヴェルを含めると一層鮮明となる。すなわち、最高行政裁 判所モデルの中には、チェコのように、二審制の下で、一審は司法裁判所 に設置された行政事件専門の部において行う国がある一方、単一の最高裁 判所モデルの中にも、ラトビアのように、三審制の下で、最高裁判所に専 門部を設置しつつ、一審および控訴審は行政裁判所が担当する国もみられ る。さらに、最高機関に関してラトビアと同様の制度を採用するハンガリ ーに至っては、二審制の下で、一審を担当する司法裁判所にも専門部を設 置するか否かは、各裁判所に行政事件専門の裁判官として登録された者の 人数に応じて決まるのである[pp.21─22](10)

 いずれにせよ、コンセイユ・デタモデルを採り、かつ、地方行政裁判所

(tribunaladministratif)および行政控訴院(couradministratived’appel)の 設立を通じて、独立の行政裁判所系統を整備してきたフランスは、専門化 という観点からみれば、ヨーロッパにおける多数派に属するのみならず、

最高行政裁判所モデルを代表するドイツと並んで、その中心的存在をなす ものといえよう。

 第二の傾向である専任化とは、行政裁判担当機関が「裁判権(pouvoir juridictionnel)に属する」[p.29]こと、より正確に言えば、裁判権の枠内 で、裁判機能にのみ常時従事していることを示す(11)。前掲の表でいえば、

( 1 )の最高行政裁判所モデルおよび( 3 )の単一の最高裁判所モデルを 採用する合計20か国がこうした傾向を有するものとされる。

 一方、裁判機能に加えて、行政行為の決定過程における諮問機能をも果

(10) 具体的には、県レヴェルで12人以上の場合に設置される(J.Andriantsimba- zovina,Lesorganeschargésdejugerl’administration,RFDA2008,p.242)。

(11) これは、大学側の研究責任者の一人である[p.11]アンドリアンジンバゾヴィ ナが、後述のシンポジウムでの報告において行った定義を基にしたものである

(Andriantsimbazovina,op. cit.,p.243)。

(7)

たすよう義務づけられる( 2 )のコンセイユ・デタモデルを採っているの は、25か国中わずか 5 か国にすぎない。よって、フランスは、専任化とい う点では、第一の傾向とは逆に、ヨーロッパにおける例外として位置づけ られることとなる。さらに、その例外性は、諮問された法文に関して、積 極または消極のいずれかの意見を述べるだけでなく、修正提案までできる という点で際立っている[p.30]。もっとも、下級審レヴェルにまで視野 を広げれば、オーストリアのように、最高行政裁判所モデルを採りつつ、

二審制の下で、第一審は独立性を有する行政機関によって行政裁判を行う 国もみられる[p.31]。

 こうした行政との間の「近接性(proximité)」について、報告書は、一 般論としては、「裁判所としての適格性にいささかの疑念をもたらす」と しつつも[p.30]、コンセイユ・デタモデルにおける機能的二元性の当否 に関しては、慎重に態度を留保しているようにみえる。確かに、1995年に 人権裁判所においてなされたプロコラ判決(12)により、ルクセンブルクのコン セイユ・デタが条約上の公平性保障に違反すると判断されたが、報告書に よれば、これは、「機能の二元性への原理的な反対というよりもむしろ、

当該諮問が行われた具体的な態様」を理由とするものであり、その点は、

人権裁判所自身、2006年のサシロル・ロルミヌ判決において明確に認めて いるとされる。さらに、プロコラ判決を受けて、コンセイユ・デタから裁 判機能を分離し、新たに行政裁判所系統を創設したルクセンブルクの対応 についても、報告書は、コンセイユ・デタの構成員が少なく、その内部で 2 つの機能を組織的に分離することができなかったためのものと説明した 上で、「今のところ、他の関係国で、こうしたラディカルな解決策……に 追随するものはない」と述べるにとどめている[p.31]。

 以上が報告書の分析結果であるが、これに対して研究関係者を含む実務 家や学者の間からは、ヨーロッパレヴェルでの行政裁判担当機関の裁判機

(12) CEDH,28sept.1995,Procolac.Luxembourg,sérieA,no326.同判決について は拙稿・前掲注( 4 )論文178〜179頁参照。

(8)

能への専任化の流れの中で、コンセイユ・デタモデルの例外性の是非をめ ぐり相反する評価が示されている。

 まず、実務側の研究協力者の中心人物の一人であったコンセイユ・デタ 評定官(conseiller)アギラ(Aguila)(13)は、報告書の公刊直前に公表した論 考において、共同研究の成果に基づき、行政裁判制度をめぐる「フランス 的例外という神話(mythedel’exceptionfrançaise)(14)」の実証的反駁を行う中 で、コンセイユ・デタモデルの機能的二元性についても、「特殊性を過大 視しないよう、その正確な範囲を見極めるべきである」(15)と主張する。それ によれば、ヨーロッパにおいて裁判機能と諮問機能との兼任は稀なことか もしれないが、その一方で、フランスにおいては、専門職同業団体

(ordreprofessionnel)や独立行政機関のように行政活動そのものを行う組 織が行政裁判機能を有する場合も多くみられる。よって、公正な裁判

(procèséquitable)の保障という観点からすれば、行政裁判担当機関の性 質よりもむしろ、この機関が裁判機能を行使するための条件の方が重要で あるとされる(16)

 また、関係者以外の学者の肯定的見解として、マルク(Marcou)は、

報告書をふまえた現状分析に加えて、近代ヨーロッパにおけるモデルとし ての確立を経て、世界的に普及するに至った歴史を丹念に辿ることで、行 政権に対するコンセイユ・デタの「独立の地位が、現代国家においてなお 諮問機能と行政裁判機能とを同一機関内で保持することを可能にする」(17)の であって、「今日では、コンセイユ・デタ内部における裁判機能の独立性 の獲得こそ、このモデルの特性であり、持続の条件でもある」(18)との帰結を

(13) 報告書において序文の共同執筆者となっている[p.13]。

(14) Y.Aguila,Lajusticeadministrative,unmodèlemajoritaireenEurope,AJDA 2007,p.290.

(15) Aguila,op. cit.,p.292.

(16) ibid.

(17) Marcou,op. cit.(note1),p.135.

(18) Marcou,op. cit.,p.148.ちなみに独立性獲得の具体的なルートは、訴訟部門の 裁判機関化(juridictionnalisation;フランス[1872年]・オランダ[1994年])、通常

(9)

導き出す。さらに、近年、人権裁判所によって取り沙汰されてきた公平性 の保障という新たな問題についても、プロコラ判決後の2003年になされた クレイン判決(19)およびサシロル・ロルミヌ判決は、当該事案の状況下におけ る公平性の有無を審査するという一層慎重な立場をとっており、「そうす ることで、人権裁判所は、コンセイユ・デタという制度モデルを原理的な 立場から改めて問題にすることを自ら禁じている」と分析する(20)。よって、

条約との関係で公平性が問題となるのは例外的な場合に限られ、コンセイ ユ・デタの内部編成上の措置(mesuresd’organisationinterne)によって対 処可能であると主張するのである(21)

 一方、研究関係者を中心に、報告書と同じタイトルで開催されたシンポ ジウム(22)において、研究責任者の一人であるアンドリアンジンバゾヴィナ

(Andriantsimbazovina)は、報告書の慎重な姿勢とは対照的に、コンセイ ユ・デタモデルへの否定的評価を鮮明にした報告を行った。すなわち、一 見したところ、クレイン判決やサシロル・ロルミヌ判決は、公平性原則違 反というリスクを避けるために、ルクセンブルクの例に倣うことまで命じ ていないようであるが、実際には、コンセイユ・デタの構成員による諮問 機能と裁判機能の行使態様をめぐる具体的審査を通じて、両機能の同時な いし連続行使に対し、非常に厳格な規律を要請しているとする。よって、

裁判所への行政裁判権の移管を経た、訴訟部門の復活(イタリア[1889年])また はコンセイユ・デタの創設(ベルギー[1946年])、さらには司法権への形式的帰属 および司法官職との同化(ギリシャ[1975年])と、これまた国ごとに多様である

(Marcou,op. cit.,pp.140─145)。

(19) CEDHG.C.,6mai2003,Kleynetautresc.Pays─Bas,Rec.2003─VI.同判決に ついては拙稿・前掲注( 4 )論文180〜181頁参照。

(20) 引用を含め、Marcou,op. cit.,pp.149─151.

(21) 引用を含め、Marcou,op. cit.,p.153.具体的には、オランダおよびフランスに おいて進行中であった、同一行為に対する構成員個人レヴェルでの両機能の兼任禁 止の法制化に着目する(Marcou,op. cit.,pp.152─153)。

(22) LajusticeadministrativeenEurope,Colloquedu16mars2007àlaMaisondu Barreau,Paris.本シンポジウムの記録は、次の法律雑誌に掲載されている;RFDA 2008,pp.225ets.

(10)

こうした判例が、フランスを始めとしたコンセイユ・デタに対し、自らの 位置づけの明確化を図るチャンスをもたらすものと受け止めた上で、「公 正な裁判に対する権利を考慮すれば、本来的に異なる 2 つの機能を分離す ることが望ましい」と結論づける(23)。さらに、その主張の根拠として、「こ の共同研究によって、広く知られている考え方とは逆に、行政活動に対し て一層しっかりとした裁判を行うためには、必ずしも行政活動をその内側 から心底理解している必要はないということが明らかになった」(24)とまで述 べるのである。

 また、関係者以外の学者からの否定的見解として、同シンポジウムの総 括報告を行ったフロモン(Fromont)は、コンセイユ・デタモデルの中で もフランスを名指しにして、次のように厳しく批判した。まず、アンドリ アンジンバゾヴィナと同様に、コンセイユ・デタの機能的二元性をめぐる フランスと人権裁判所との間の紛争はまだ終わっておらず、解決すべき問 題は残されたままであると指摘する(25)。一方で、単一の最高裁判所モデルに ついて分析した箇所では、その専門性の欠如が、時に行政に対する遠慮を 生じさせると述べており、報告全体としてみると、ドイツを筆頭とする最 高行政裁判所モデルの優位性が浮き彫りにされている(26)

 さらに、その批判の矛先は、「フランスにおいて公法の専門家の間には びこる独特の精神状況」にまで向けられる。それは、「私法の専門家は自 分たちとは全く異なる類の人々である」という考え方のことであり、コン セイユ・デタモデルを採用する他の国では、これほど顕著に公法と私法と の間の断絶は表れていないとして、「こうした知的孤立こそ、フランス公

(23) Andriantsimbazovina,op. cit.(note10),pp.243─244.

(24) Andriantsimbazovina,op. cit.,p.244,note(10).

(25) M.Fromont,LajusticeadministrativeenEurope:différencesetconvergences, RFDA2008,p.267.

(26) Fromont,op. cit.,p.268.なお、これに先立って公刊された著書では、「ドイツ モデルは、独立性と専門性を同時に保障する最も合理的なシステムとして、今日の ヨーロッパにおいて広く普及している」と明言している(M.Fromont,Droit administratif des États européens,PUF,2006,p.129)。

(11)

法の脆弱さの無視できない要因である」と断じるのである(27)

 このようにコンセイユ・デタモデルに対する評価が分かれる要因の一つ には、両者の主張からも明らかなように、人権裁判所の判例、とりわけ報 告書の刊行直前になされたサシロル・ロルミヌ判決の帰結をめぐる解釈の 相違が挙げられるが、加えて否定的見解の側には、同モデルの根幹となる

「行政官の精神

4 4 4 4 4 4

を有する裁判官」の必要性に対する深刻な懐疑が表れてい る点も見逃してはならない。後者については 3 で改めて検討するが、いず れにせよ、ヨーロッパレヴェルでの比較行政裁判制度の見地から同モデル の可能性を見定める上でも、人権裁判所による条約上の公平性をめぐる解 釈の明確化が期待されるところだったのである。

2  2008年改革後のフランスのコンセイユ・デタをめぐる ヨーロッパ法の動向:人権裁判所による公平性の判断 枠組みの再整理

 2006年のサシロル・ロルミヌ判決は、フランスのコンセイユ・デタの 機能的二元性が、当該事案において条約上の公平性を充たすと判断するに あたって、①プロコラ判決の判断基準に従い、諮問機能と裁判機能の対象 の同一性と、両機能を担当する構成員の人的同一性の双方とも否定した上 で、②クレイン判決にいう「《同一の案件》または《同一の決定》(la

«mêmeaffaire»oula«mêmedécision»)」という定式の下、両機能の対象 の実質的な同一性を検討し、結果的にそれも否定するという構造をとって いた。この①と②の関係をどう解釈するかをめぐって、学説は次のように 分かれていた。すなわち、a)両者を並列的なものと捉えた上で、①の 2 つの同一性がいずれも充たされない場合に、②にいう対象の実質的同一性 のみを基準として判断するとする見解、b)①をベースに②の趣旨を取り 入れた判断基準として、対象の実質的同一性と人的同一性の双方の充足が

(27) 引用を含め、Fromont,op. cit.(note25),p.268.

(12)

要請されるとする見解、c)②にいう対象の実質的同一性のみによる判断 に一本化されるとする見解である(28)

 これらの学説のうち、c 説はもちろん、補足的にではあるが対象の実質 的同一性のみによる判断を認める a 説においても、両機能の間に全く人的 重複のない場合でさえ、公平性を阻害する可能性が生じる点で、プロコラ 判決と比べて、判断基準がさらに厳格なものとなる。それはすなわち、

2008年改革で行われた、同一行為に対する構成員個人レヴェルでの両機 能の兼任禁止の明文化や、訴訟総会(assembléeducontentieux)を除く判 決構成体(formationdejugement)からの行政部(sectionsadministratives)

代表の排除(29)によっても、なお条約適合性の「十分な担保にはならない」可 能性があるということを意味していた。このようにサシロル・ロルミヌ判 決は、フランスにとって、「コンセイユ・デタの内的機能に対する大幅な 再検討を予告することで、真の不安を引き起こしかねない」ものだったの である(30)

 この解釈上の争いに終止符を打ち、フランスを「真の不安」から解放す ることとなったのが、人権裁判所2009年 6 月30日のコート・ドール県

「何を選ぶべきか」消費者連盟(l’UnionfédéraledesConsommateursQue ChoisirdeCôted’Or)対フランス決定(31)である。

(28) 拙稿・前掲注( 4 )論文184〜185頁。なお、①・②に対応する判決文も、同 183〜184頁に、判旨①・判旨②としてそれぞれ訳出しているので合わせて参照され たい。

(29) 拙稿・前掲注( 4 )論文191〜193頁。

(30) 引用を含め、A.Claeys,chron.sousCEDH, 9 nov.2006,LPA2007,no96, pp.18─19. もっとも、判断基準の完全な一元化を唱える c 説の側からは、サシロ ル・ロルミヌ判決による条約適合性認定の射程は、法律案および行政立法案に対す る諮問一般に対しても及ぶため、実質的同一性が問題となるのは個別的決定の場合 に限られるとして、コンセイユ・デタの機能的二元性は原則的に保護されるとの楽 観的な予想が示されていた。(J.─L.AutinetF.Sudre,notesousCEDH,9nov.

2006,RFDA2007,pp.348─349)。

(31) CEDHdéc.,30juin2009,req.no39699/03,UnionfédéraledesConsommateurs QueChoisirdeCôted’Orc.France.

(13)

【事案】

 コート・ドール県「何を選ぶべきか」消費者連盟は、消費者および納税者たる 利用者が、環境を含むあらゆる領域において自己の条件の改善を図るために、経 済活動への影響力を行使することを援助する目的で設立された非営利社団

(association)であり、環境保護団体として認可(agrément)を受け、TGV ラ イン-ローヌ線(TGVRhin─Rhône)に関する手続きに参加してきた(32)(現行の 環境法典(Codedel’environnement)L141─ 1 条・L141─ 2 条参照)。

 この路線は、1992年 4 月に承認された、高速鉄道連絡網全国基本計画(schéma directeurnationaldesliaisonsferroviairesàgrandevitesse)において定められた もので、東支線、西支線、南東支線という放射状に延びる 3 つの支線からなり、

合計で約425km もの新設路線を含む計画であった。同年 9 月に、整備開発大臣 は、第一段階として、東支線におけるミュルーズ(Mulhouse)からブルゴーニ ュ(Bourgogne)間の計画の実施のために、予備調査を行うことを決定した。そ の後、この計画は慎重に進められ、2000年 5 月には、公開意見聴取手続き

(enquêtepublique)(33)を開始するに至った。

 同連盟によれば、公開意見聴取手続きに付された計画は、全国基本計画に定め られ、先行する調査の対象とされていたものとは一致しないものであった。とい うのも、この手続きでは、すでに独立かつ別個の計画となっていた東支線しか対 象とされていなかったのである。

 と こ ろ が、2002年 1 月25日 に、 コ ン セ イ ユ・ デ タ 公 土 木 部(sectiondes travauxpublics)への諮問を経て、東支線の用地取得および建設事業に対する公 益宣言(déclarationd’utilitépublique)を行うデクレ(décret)(34)が決定された。

(32) 環境保護認可団体(associationdeprotectiondel’environnementagréée)に よる手続的参加については、久保茂樹「フランス都市計画法における公衆参加手続 の進展」青法37巻 2 号(1995年)49〜53頁参照。

(33) この手続きに関しては、久保・前掲注(32)論文25頁以下、亘理格「環境アセ スメントと公共的合意手続」法学67巻 5 号(2003年)295頁以下参照。

(34) 公用収用法典(Codedel’expropriationpourcaused’utilitépublique)L11─ 1 条以下。日本の土地収用法にいう事業認定(16条)に相当する。なお、本件の時点 では、コンセイユ・デタの議を経たデクレ(décretenConseild’État)の形式で行 うことが原則とされていたが、この直後の同年 2 月27日の法律第2002─276号によっ て、それまでは例外であった大臣アレテ(arrêtéministériel)または知事アレテ

(14)

その際、公土木部は、 1 月 8 日の答申において、次のような趣旨の意見を述べた と さ れ る。 す な わ ち、 判 例 上、 大 規 模 イ ン フ ラ 整 備 計 画(grandprojet d’infrastructure)の段階的実施にあたっては、計画の一部のみを公開意見聴取手 続きに付することが認められる一方で、計画全体の環境影響評価(étude d’impact)および社会経済的評価(évaluationsocio─économique)を資料として 提出することが法令により義務づけられると解されているが、当該計画は、全国 基本計画が掲げた諸目的を充たす限りにおいて、単体として大規模インフラ整備 計画を構成するものと考えられることから、 3 つの支線全体に対する環境影響評 価および社会経済的評価を行う必要はないというものであった。

 これに対して、同連盟は、他の複数の団体とともに、東支線に関する公開意見 聴取手続きおよび環境影響調査が法令上の要請を充たしていないと主張して、こ のデクレの越権訴訟を提起した(35)

 コンセイユ・デタ訴訟部(sectionducontentieux)2003年 6 月 2 日判決は、

以下の通り判示し、この訴えを棄却した。まず、公開意見聴取手続きについて は、東支線が、全国基本計画における他の支線とは別個に建設・開発が可能であ り、それ自体として固有の目的をもった大規模インフラ整備計画を構成すること から、その場合には、複数の段階を経て実施される大規模インフラ整備計画につ き、第一段階に先立って計画全体の評価を行わなければならないとする法令上の 規定は適用されない。よって、同手続きで提出された案件書類のうち、社会経済 的評価に関する文書については、法令上義務づけられた全ての要素を含むものと 認められた。また、環境影響評価についても、将来的に 3 つの支線が実現された 際の環境に対する影響の概略的分析が含まれていたことを理由として適法とされ た。

(arrêtépréfectoral)の方が原則化されたため(同法典 L11─ 2 条)、現在では、コ ンセイユ・デタにとっての条約違反のリスクは限られている。

(35) 行政訴訟において判例により認められてきた、集団利益擁護を目的とする団体 訴訟については、拙稿「フランスにおける集団利益擁護のための団体訴訟」早法72 巻 2 号(1997年)147頁以下参照。なお、環境保護認可団体については、法律上一 定の行政決定に対する訴えの利益が認められることを確認する規定が設けられてい る(久保・前掲注(32)論文55〜56頁、拙稿・同157頁;環境法典 L142─ 1 条参 照)。

(15)

 そこで、同連盟は、自己の提起した越権訴訟において、条約 6 条 1 項の保障す る、独立かつ公平な裁判所による公正な審査を受けられなかったと主張して、人 権裁判所に対する申立てを提起した。

【決定要旨】

 「当裁判所はまた、コンセイユ・デタの諮問機能が、その裁判機能やそれに伴 う独立・公平の要請と両立するか否かという問題を抽象的に審査する権限が当裁 判所にはなく、権力分立原則は『抽象論のレヴェルでは決定的なものではない』

ということを繰り返し述べる。当裁判所が判断すべきは、各々の事件において、

当該上級裁判所によってなされた答申が、諮問機能と裁判機能とが連続して行使 されたという事実から、判決構成体の『客観的』公平性に疑いを生じさせ、その 結果、この答申が、争われた判決にとって『ある種の予断』となったかどうかと いう点のみである(サシロル・ロルミヌ判決§70〜74)。

 本事案において、この最後の点につき、両当事者の主張に鑑みると、当裁判所 は、2002年 1 月25日のデクレの取消請求を受理した判決構成体のいかなる構成員 も、それに先立って当該デクレに関する答申を行った構成体に参加していなかっ たと確かに認める。本事案の状況は、この点で、根本的に、前掲のプロコラ判決 およびクレインほか判決における事案の状況とは異なる。にもかかわらず、〔本 事案と同様の状況であった〕サシロル・ロルミヌ判決において、当裁判所は確か に、 2 つの構成体に付された問題が、『《同一の案件》または《同一の決定》に関 する』ものか否かを検証した。しかし、当裁判所がこうした手続きを行ったこと は、蛇足である(est…àtitresurabondant)。もっとも、コンセイユ・デタが裁 判機能と諮問機能とを兼務するという事実だけをもって、条約 6 条 1 項の観点か ら原理的な問題が生じると考えるならば別であるが、当裁判所にはそうした問題 を裁判する権限はない。

 よって、当裁判所は、2002年 1 月25日のデクレに関するコンセイユ・デタ公土 木部の答申と、その後、同訴訟部に対して提起された同デクレの取消しの申立て とが、『《同一の案件》または《同一の決定》に関する』ものかどうかを検討する までもなく、申立てを行った非営利社団が、自己の訴訟を裁判した構成体の独立 性および公平性に関して抱く懸念が、客観的に裏付けられたものとみなすことは できないと考える。」(〔〕は引用者による補足)

(16)

 「以上の理由から、全員一致で……当申立てを不受理と決定する。」

【分析】

 本決定の事案においては、コンセイユ・デタ行政部の 1 つである公土木 部への諮問と、訴訟部による判決の双方が、同一事業に対する公益宣言と いう個別的決定を行うデクレを対象としており、しかも、両者の具体的内 容をみても、東支線のみが公開意見聴取手続きに付された場合に、 3 つの 支線全体の環境影響評価および社会経済的評価に関する資料を提出するよ う法的に義務づけられるか否かという点が主たる論点となっていることか ら、もし仮に前述の c 説のように対象の実質的同一性のみを基準として、

条約上の公平性に関する審査が行われれば、条約違反とされる可能性が相 当高まるものと予想された。

 ところが、本決定は、サシロル・ロルミヌ判決における前述の判断構造 のうちの②の段階につき、「蛇足」、すなわち判断する必要がなかったもの と断じることで、対象の実質的同一性のみによって公平性の有無を判断す る可能性を明確に否定した。さらに、その理由づけにおいても、こうした 判断方法が、人権裁判所自ら一貫して権限外としてきた、コンセイユ・デ タの機能的二元性自体の条約適合性を判断する抽象的審査(36)につながりかね ないことを認めている。

 よって、コンセイユ・デタの機能的二元性をめぐる公平性審査において は、プロコラ判決と同様に、両機能の対象と人的構成との 2 つの観点から 同一性の有無を判断すべきこととなる(37)。もっとも、本決定は、サシロル・

(36) こうした解釈は、クレイン判決を嚆矢とし(拙稿・前掲注( 4 )論文180〜181 頁)、【決定要旨】の第 1 段落にある通り、本決定にも受け継がれている。

(37) B.Pacteau,LajusticeadministrativefrançaisedésormaisenrègleaveclaCour européennedesdroitsdel’homme?,RFDA2009,p.887;N.Sudres,La«procolisation»

duConseild’Étatévitée?,inÉtudes offertes au Professeur Jean─Louis Autin, In- dépendances,V.2,PressesdelaFacultédeDroitetSciencePolitiquedeMont- pellier,2011,p.1063.

(17)

ロルミヌ判決がクレイン判決に依拠して行った②の判断を蛇足としたので あって、クレイン判決自体の判例としての価値まで否定したわけではない ため、対象の同一性を判断するに当たっては、同判決の示した通り、実質 的観点に基づく審査が求められよう。そのことは、【決定要旨】の第 3 段 落において、答申を行った公土木部の構成体と、判決構成体としての訴訟 部(sectionducontentieuxenformationdejugement)(38)との間に人的同一性 が存在しない点を理由として、対象の同一性を検討する必要がないことを 説明するくだりで、「《同一の案件》または《同一の決定》」というクレイ ン判決の定式が用いられている点からも明らかである。

 こうして、本決定により、b 説と同様に、対象の実質的同一性と人的同 一性の双方を基準とする公平性の判断枠組みが確立されたのであるが、さ らに学説は、その帰結として判断過程における後者の基準の優先性をも導 き出そうとする。すなわち、決定文の叙述の順序通り、人的同一性が充た されて初めて、対象の同一性に関する実質的審査の段階に進むことができ るというのである(39)。確かに、当該事案の具体的状況の精査が必要とされる 対象の実質的同一性よりも、人的同一性の方が判定しやすい点をふまえれ ば、法的にはともかく、訴訟経済の観点に基づき、事実上の優先性を認め ることはできよう。

 以上の点から、本決定は、「過去の判例の説明という外観の下で」、「ひ そかな判例変更と言わないまでも、まさにサシロル・ロルミヌ判決の読み 直しを行う」ものと評される(40)。この読み直しにより、2008年改革において 人的同一性のリスクがほぼ解消されたフランスのコンセイユ・デタにとっ ては、前述した条約違反への懸念が払拭されることとなった。それに加え て、人権裁判所にとっても、サシロル・ロルミヌ判決の登場でかえって錯

(38) 2008年改革前は、行政部所属の評定官 2 名を加えた人的構成となっていた

(拙稿・前掲注( 4 )論文177頁)。

(39) Sudres,loc. cit.Pacteau,loc. cit. も、本決定における対象の同一性を「補充的 問題」と位置づける。

(40) Sudres,op. cit.,p.1060.

(18)

綜していたプロコラ判決とクレイン判決との関係につき、後者を前者の延 長線上に発達したものと捉え直すことにより、自らに認められた具体的審 査権の枠内で、両者の整合性を確保することが可能となったのである(41)。  ただし、その判断形式に対しては学説からの批判もある。すなわち、コ ンセイユ・デタの機能的二元性をめぐる条約適合性のように、判例が、曖 昧な点を残しながらも少しずつ発達している領域において、予め断りもな く蛇足という取扱いをするのは、本決定の実際上の射程を見定めることを 困難にする点で、極めて不適切とされる(42)。こうした指摘は、これまで判例 上争われてきたのが、公平性という、まさに外観が重視されるべき問題で ある点(43)からしても正当なものといえよう。よって、本件については、正面 から判例変更を認めるのが、より適切な解決方法であったと考えられる(44)

3  フランスにおける歴史的経験からみたコンセイユ・

デタモデルの発展可能性

 それではなぜフランスは、結果論であるが、ヨーロッパ法においてさえ 要請されないレヴェルの公平性の外観を追及してまで、コンセイユ・デタ モデルを維持しようとするのだろうか。

(41) なお、学説の中には、本決定について、2008年改革におけるフランスの努力 が、「人権裁判所側の好意的なアプローチ」につながったものと評する見解がみら れ る が(D.Costa,LajuridictionadministrativefrançaisevuedelaCoureu- ropéennedesdroitsdel’homme,inLa modernisation de la justice administrative en France,larcier,2010,p.202)、内容をきちんと理解した上での評価とは到底思わ れない(事実、本決定がサシロル・ロルミヌ判決の一部を蛇足と判断した点につい て全く触れられていない)。

(42) Sudres,op. cit.,p.1062.

(43) この領域における人権裁判所の判例が、外観理論(théoriedesapparences)

に基づいて発達してきた点につき、拙稿・前掲注( 4 )論文179〜180頁参照。

(44) その場合、大法廷(GrandeChambre)への回付を行うこととなる(条約30 条)。小畑郁「概説Ⅱヨーロッパ人権裁判所の組織と手続」戸波江二ほか編『ヨー ロッパ人権裁判所の判例』(信山社、2008年)14〜15頁参照。

(19)

 冒頭で引用した同モデルの根幹を表す、「行政を裁判すること、それも また行政を行うことである」という法諺の趣旨をふまえれば、この問い は、コンセイユ・デタ制度の歴史的な成立経緯としてはともかく、今日の フランスにおいてなお、「行政官の精神

4 4 4 4 4 4

を有する裁判官」に行政裁判を担 当させることにいかなる意義があるのか、と言い換えられよう。こうした 難題を解く手掛かりを得るために、この法諺をめぐる歴史的変遷について 正面から取り組んだ数少ない研究として、前掲の代表的教科書の著者シャ ピュ(Chapus)と並ぶ、フランス行政訴訟法の碩学たるパクト(Pacteau)

の論文「『行政を裁判すること、それもまた行政を行うことである』とい う法諺の変遷(および検証……?)(45)」を取り上げたい(以下、[]内は、同論 文の頁数を示す)。

 それによれば、この法諺は、19世紀前半の復古王政期におけるアンリオ ン・ド・パンセ(HenriondePansey)の著述を凝縮した表現であって、

元々は、行政訴訟を司法裁判所の管轄から除外するだけでなく、裁判所の 独立の例外として、国家元首すなわち行政の長の従属の下に置く留保裁判

(justiceretenue)の 正 当 化 を 目 的 と し た「独 断

4 4

的 主 張(argument d’autorité)」であった。しかし、こうした行政訴訟の捉え方は、当時の自 由主義的潮流から激しい批判を受けることとなり(46)、最終的には1872年に、

コンセイユ・デタに行政裁判権を完全に委ねる委任裁判(justicedéléguée)

が確立されるに至った[pp.318─321]。

 20世紀初頭に入ると、コンセイユ・デタ1903年 2 月 6 日判決(テリエ事 件)に関するオーリウ(Hauriou)の評釈(47)によって、コンセイユ・デタモ

(45) B.Pacteau,Vicissitudes(etvérification...?)del’adage«jugerl’administration, c’estencoreadministrer»inMélanges en lhonneur de Franck Moderne, Mouve- ment du droit public,Dalloz,2004,pp.317ets.

(46) アンリオン・ド・パンセ自身、村上順『近代行政裁判制度の研究』(成文堂、

1985年)278〜289頁で夙に明らかにされているように、その死の直前には「行政国 家」論の立場から「行政裁判国家」論者へと転向していた。

(47) M.Hauriou,notesousCE6fev.1903,Terrier,S1903,Ⅲ,25.なお、判決内容 も含め、以下の記述に当たっては、1929年に編纂されたオーリウの判例評釈集のリ

(20)

デルの下での行政裁判制度を正当化する根拠として受け止め直されること となった[p.322]。

 この判決は、毒ヘビ駆除について報奨金を認めた県会(conseilgénéral)

の議決に基づく支払請求訴訟につき、コンセイユ・デタの管轄を認めたも のであり、当該事件の論告担当官(commissairedugouvernement)であっ たロミュ(Romieu)の論告(conclusions)により、行政裁判管轄を基礎づ ける公役務(servicepublic)理論の形成過程において、公管理(gestion publique)と私管理(gestionprivée)との区別を導入した判例として知ら れるが(48)、オーリウは、こうした行政活動に対して行政裁判所の管轄を認め る実質的意義に関して、次のように述べたのである。

 「行政裁判所は、行政の面前でも、民事裁判官ほど弱腰ではない。もし 民事裁判所であったら、原告の毒ヘビ駆除者たちはおそらく勝訴できなか ったであろう。まず、民事裁判所は、権力分立原則によって自らが遮られ ていると感じているため、県会の議決および予算決定について解釈を行う と、行政体の作用

4 4 4 4 4 4

(opérations d’un corps administratif )(49)に干渉することに

4 4 4 4 4 4 4 4

なる

4 4

と考えたであろう。次に、権力分立原則が廃止されたとしても、原告 に勝訴判決を与えた場合、同じ判決により納税者全体に対してその支払い を言い渡すことになる訴訟において、民事裁判所は必ず躊躇するであろ う。行政訴訟について判決を行うこと、それもなお行政である。法を述べ るという抽象的行為しか見ないのであれば、そのことには気がつかない。

一市民に対する、あるいはまた、納税者および市民全体に対する、この判 決の具体的な実態および現実的な影響を見れば、それは一目瞭然である。」

プリント版に依拠した(Notes darrêts sur décisions du Conseil dÉtat et du Tribu- nal des conflits,T.2,LaMémoiredeDroit,2000,pp.447ets.)。

(48) 神谷昭『フランス行政法の研究』(有斐閣、1965年)130〜134頁。

(49) ここでオーリウが、opérationsadministratives という用語の下で、議決や予算 決定のような内部的決定も含む行政決定とその執行措置からなる「複合的行政作用

=過程」として、行政活動を捉えてきた点(亘理格『行政行為と司法的統制』(有 斐閣、2018年)104〜119頁)を想起すべきであろう。

(21)

(下線は引用者による)(50)

 パクトは、オーリウによる再評価のうちに、行政活動について司法裁判 所による行為や審査を禁じた革命期の立法にまで遡る、「怖れと同時に重 要な直観(intuitionmajeure)」を見出す。さらに、この法諺が、「詭弁の様 相さえ呈して」おり、「行政を裁判すること

4 4 4 4 4 4 4 4 4

、・

それもまた

4 4 4 4 4

裁判するこ

4 4 4 4 4

とである

4 4 4 4

(juger l’administration, c’est encore... juger)、と言うことも同様に 可能であった」と認めながらも、そうした詭弁を逆手にとって、行政裁判 の実質的内容に基づく司法裁判との区別を次のように擁護する。「確かに、

それもまた……裁判することであるとしても、別の事柄を、別の利益に従 い、別の効果を伴って裁判するという点は否定できない」。「公的活動に関 する裁判機能は、行政監督(tutelle)のようなものであって、行政の義務 と権限を解釈すること、すなわちそれらを明確化し、限定し、定義するこ とを通じて、まさしく行政権を分担するのである」[pp.322─323]。

 むしろこの法諺をめぐる真の矛盾は、パクトによれば、こうして行政の 外部にあるものとされた司法裁判所のみならず、特別に設置された行政裁 判所に対しても、行政活動を保護してきたところにあるとされる。それ は、「まるで行政訴訟については、司法裁判所とは別個で、それとは異な り、そして行政と近い関係にある裁判所というだけでは足りず、より小さ な裁判所(unjugemoindre)でもなければならないかのようである」。こ うして、行政裁判所もまた、「行政官としての行為を行うこと(faireacte d’administrateur)」を禁じられた。そして、コンセイユ・デタ自ら、判例 を通じて、一連の「実体的排斥(proscriptionsdefond)」を入念に形成して きた。それが、命令(injonction)、罰金強制(astreinte)および行為の代 置(substitution)(51)の禁止であり、さらには行政機関の裁量権限に対する尊

(50) Hauriou,op. cit.,p.462.パクトの論文では、以上引用したうち、下線部しか取 り上げられていないが[p.322]、その趣旨がより明確になるよう、前後の記述も合 わせて紹介しておく。

(51) これは、行政裁判所が、「法的には行政官によって行われるべき措置を代わり に行う」ことを指し、例えば、行政機関の不許可決定を取り消して、許可の交付を

(22)

重義務も含まれる。とりわけ後者の義務は、「行政機関がその権限を行使 し、自らに対して定められた法的

4 4

枠組み(cadrelégal)を適用するに先立 ち、行政裁判所が過度に審査を行うことを自発的に…放棄しているにすぎ ないにもかかわらず、合目的性

4 4 4 4

(opportunité)という神聖不可侵な名の下 に、裁判所の審査にとって本来的であるがゆえに不可欠な限界として、ほ ぼ客観的な実在とみなされてきた」[pp.323─324]。

 しかし今日では、以上のような行政訴訟に対する障壁は、固有の裁判系 統への帰属以外、全く残っていない。反対に、行政裁判所の権限および手 段は、一方で罰金強制および命令が、他方で「緊急的介入措置(interven- tionsd’urgence)」が、相補いながら発達してきたことにより、増大してい るという[p.324]。具体的には、前者につき、1980年 7 月16日の法律第539

(52)

および1995年 2 月 8 日の法律第125号(53)(以下、「1995年法」とする)によ り、公法人による判決不履行に対する罰金強制が整備され(行政裁判法典

(Codedejusticeadministrative)L911─ 4 条・L911─ 5 条参照)、さらに1995年 法は、判決の必然的帰結とされる履行措置または再決定を公法人などに対 して命令する権限をも認めた(同 L911─ 1 条・L911─ 2 条参照)。また、後者 の「緊急的介入措置」としては、2000年 6 月30日の法律第597号(54)により、

従来の執行停止(sursisàexécution)に替えて執行停止急速審理(référé─

suspension;同 L521─ 1 条参照)が導入されるとともに、新たに基本的自由 保護急速審理(référé─libertéfondamentale;同 L521─ 2 条参照)が設けられ、

いずれも仮の命令権限を含むものとなっている(55)

行うことが挙げられる(J.Chevallier,L’interdictionpourlejugeadministratifde faireacted’administrateur,AJDA1972,pp.70─71)。

(52) Loino80─539du16juillet1980relativeauxastreintesprononcéesenmatière administrativeetàl’exécutiondesjugementsparlespersonnesmoralesdedroit public,JO17juillet1980,p.1797.

(53) Loino95─125du8février1995relativeàl’organisationdesjuridictionsetàla procédurecivile,pénaleetadministrative,JO9février1995,p.2175.

(54) Loino2000─597du30juin2000relativeauréférédevantlesjuridictionsad- ministratives,JO1erjuillet2000p.9948.

(23)

 こうした現状において、パクトによれば、「行政を裁判すること、それ もまた行政を行うことである」という法諺は、以下の通り、「その奥底に ある二重の本質を明らかにする」[ibid.]。

 「行政を裁判すること」、それは第一に、「行政活動をめぐる仕組み、要 請および懸念に立ち入ること(s’immencer)」を意味する。よって、行政 訴 訟 に お い て は、 行 政 に 対 す る「独 自 の、 行 き 届 い た 見 方(vision originale,attentive)」が必要となるが、それは、フランス行政法の歴史が 十分示してきたように、行政に寛大であるわけでも、加担するわけでもな い。つまり、行政裁判所は、その裁判機能を通じて、「良き行政(bonne administration)へと気を配る」のである。こうした役割は、長い間、行政 裁量の温床とみなされてきたが、今日ではむしろ、コンセイユ・デタ訴訟 総会1971年 2 月 8 日判決[東部ニュータウン事件](56)を典型とした、「多様 で実用的な媒介要素(paramètres)を擁する緻密な裁量統制手法を生み出 す原動力」となっている。ゆえに、コンセイユ・デタの機能的二元性にと って、行政活動との必然的な近接性は、依然として「最も強力な正当化事 由」なのである[pp.324─325](57)

 第二に、行政活動について「審査し、補償するだけでなく、行為し

4 4 4

(faire)なければならないこと、少なくともいかなる行為をすべきか

4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

(55) とりわけ後者の急速審理を通じた実効的救済の発達につき、未完であるが、拙 稿「フランスにおける行政裁判による実効的救済の観点からみた基本的自由保護急 速審理の位置づけ( 1 )〜( 3 )」愛学56巻 1 ・ 2 号(2015年)131頁以下、58巻

1 ・ 2 号(2017年)105頁以下、59巻 3 ・ 4 号(2018年) 1 頁以下。

(56) CEAss.,28mai1971,Fédération de défénse des personnes concernées par le projet actuellement dénommé « Ville nouvelle Est »,Rec.Lebon,409.この判決によ り、行政判例上、初めて費用便益較量理論(théoriedubilan“coût─avantages”)

が定式化された(事案と判決内容を含め、亘理格『公益と行政裁量』(弘文堂、

2002年)113〜117頁参照)。

(57) なお、興津征雄「越権訴訟の起源をめぐって」日仏25号(2009年)97〜98頁 は、革命期の立法において、直接税の賦課が裁量的要素を含むことから、同税をめ ぐる訴訟の裁判が行政機関に委ねられていた点をふまえて、こうした立法に、この

「法諺の淵源を…求めることも、可能であろう」との注目すべき指摘を行っている。

(24)

(quoi faire)を明確に述べなければならないこと」を意味する。命令権限 の付与によって、行政裁判所は、「壊した後で再構築する」ようになった。

その際、判決主文の解釈が大きな意味をもってくる。今日では行政裁判所 は、1995年法を超えて、ためらうことなく自己の判決のあらゆる帰結を定 義し、詳細に説明する(58)。その結果、「行為を直接行うことができない

(l’impossibleédictiondirected’actes)」という原則は、公的活動に実効的か つ積極的に介入する行政裁判所の権限にとって、「二義的でこじつけの限 界」となってしまったのである。それゆえパクトは、行政をまさに行おう としている行政裁判所に対しては、「これからも制度的、人的および機能 的な担保という課題が提起され続けるであろう」との観測を提示して、こ の論文を締めくくっている[pp.325─326]。

 以上、パクトの論文を概観してきたが、そこから明らかな通り、この論 者は、20世紀初頭にコンセイユ・デタモデルの正当化根拠として再評価さ れた、「行政を裁判すること、それもまた行政を行うことである」という 法諺が、長い自己抑制の時代を経て、近年ようやく開花させるに至った、

良き行政への配慮と行政のなすべき行為の明確化という「二重の本質」

に、このモデルの発展可能性を見出しているのである。

 しかし、こうした見解に対しては、各々の本質の具体的現れとされる判 例の展開を詳細に分析した日本の論者から、異なる見方が示されている。

 第一に、フランスの行政判例における裁量統制手法の発達の要因を、コ ンセイユ・デタの機能的二元性に基づく良き行政への配慮に求める点に関 しては、パクトがその典型例とした費用便益衡量理論に対する評価をめぐ って、次のように反論されている。すなわち、費用便益衡量審査とは、

(58) 具体的には、興津征雄『違法是正と判決効』(弘文堂、2010年)155頁以下で明 らかにされた通り、1995年法により認められた命令権限が当事者の申立てを要件と するにもかかわらず、コンセイユ・デタ訴訟部2001年 6 月25日判決(トゥルーズ・

フットボール・クラブ事件;CESect.,25juin2001,Société à objet sportif « Toulouse Football Club », Rec.Lebon,281)を嚆矢として、判決の帰結をめぐり、裁判所の 職権のみに基づく「法定外行為命令」が判例上発達してきたことを指している。

(25)

「合目的性の審査」とは異なり、「法令上の不確定概念の具体的事実への適 用過程が審査の対象とされ、『立法者の意思と法体系の精神』から導き出 された媒介的規準を介して当該規定適用の適法性が審査される」という点 で、あくまで「事実の法的性格認定(qualificationjuridiquedesfaits)の一 種」であり、「能動行政と行政裁判との機能的差異を当然の前提として踏 まえた適法性原理(principedelégalité)の枠内」に位置する。よって、コ ンセイユ・デタモデルとの関係ではむしろ、「行政裁判制度の制度的

0 0 0

・組

0

織的特殊性にもかかわらず

0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

、フランス裁量審査論における法治主義的性格 は維持されてきた」(この傍点は引用者による)というべきものとされる(59)。  もっとも、この論者は、「フランスの裁量審査論は、何よりもまず、個 別具体的事実に対する行政法規適用へ至る精神過程の分析を通して得られ た類型論であり」、その 1 つである費用便益衡量理論には、「個々の行政法 規の規範内容を、当該法規の解釈及び個別具体的事実へのその適用の過程 に即して具体化・明確化する」という「実体法的規範論理」が内在してい ることをふまえて、コンセイユ・デタの「制度的・組織的特殊性が、専ら 実体法的な視点から基礎づけられた法治主義的統制の論理の貫徹を、背後 で支えている」とも述べている(60)。よって、少なくとも、フランスの判例・

学説の双方が、行政機関と裁判所の能力の差異を重視した「組織論的な見 地ないし手続法的な思考方法」によらず、あくまで「実体法的な思考方 法」の下で裁量統制を充実させてきた点(61)からすれば、行政立法や個別的行 政決定に対する諮問機能を通じ、行政官と同じように、行政法規の適用を めぐって知識と経験を積み重ねた者に行政裁判を委ねるコンセイユ・デタ モデルの採用が一定の貢献を果たしてきたと主張することは、なお許され るのではないだろうか。

 さらに、この論者は、フランスにおける費用便益較量審査の実効的な運

0

(59) 引用を含め、亘理・前掲注(56)書258〜261頁。

(60) 引用を含め、亘理・前掲注(56)書261頁。

(61) 引用を含め、亘理・前掲注(56)書232頁。

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