無実
第 36 号
2007 年 11 月 30 日
の死刑囚・元プロボクサー 袴田巌さんを救おう!
袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会
424-0006 静岡市清水区石川本町 16-18 電話:054-366-2468 FAX:054-366-2475 郵便振替口座:番号 00890-7-185276 名称:清水・静岡袴田巌救援会 ホームページアドレス:http://hakamada2.exblog.jp/1
月
13
日(日) 午後 1 時 30 分から
清水テルサにお集まり下さい!
日時:1 月 13 日 午後 1 時 30 分~4 時 30 分
場所:清水テルサ 6 階 研修室
講演:
「弱すぎる凶器は“無実”を語る」
(仮題)
村崎 修 弁護士
(袴田事件弁護団)
発表:1月24日(木)
袴田巌支援チャリティBOXING
~FREE HAKAMADA NOW~
獄舎の弟は ・・・ 姉・袴田秀子さん
なお、弁護団は 12 月末に特別抗告理由補充書を提出します。
可能な限りこの補充書の「ねらい」も報告したいと思います。
- 1 -「今こそ 袴田巌さんを自由に!清水集会」
日 時 : 2007 年 1 月 13 日(日曜日) 午後 1 時 30 分から 4 時 30 分まで 場 所 : 清水テルサ6階 研修室 JR清水駅 東口 徒歩5分 静鉄新清水駅 徒歩7分 専用駐車場あり(有料) 内 容 ① 袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会「第四回 総会」 集会参加当会会員並びに集会参加者に、当会のこの 1 年間の活動 報告と活動方針提起を簡単に行います ② 「弱すぎる“凶器”は無実を語る(仮題)」 袴田事件弁護団 村崎 修 弁護士 弁護団 村崎 修 弁護士から、凶器とされている“クリ小刀”に関して、発見 時の不自然さと、実物のクリ小刀の撮影映像を見ながら、被害者 4 人に 40 箇所 以上もの傷を負わせ、傷の中には骨まで切断されているものがあるにもかかわら ず、刃こぼれ一つ無い証拠の撮影映像を見ながら、弁護団 村崎弁護士に講演を して頂きます。③ 1月24日(木) ~ FREE HAKAMADA NOW ~ 詳細発表
日本プロボクシング協会ベントの “袴田巌支援チャリティBOXING ~ FREE HAKAMADA NOW ~ の詳細を発表します。 現時点で決定しているの は 劇団『砂喰社』による演劇、 現・元世界王者スパーリング、びっこボクシン グ教室、チャリティオークションなどです。 ④ 「獄舎の弟は」姉・袴田秀子さん この 1 年間、ほとんど毎月、袴田さんとの面会が実現できました。 この 1 年間の面会を通した袴田さんの様子など秀子さんに語って頂く予定です。
12 月例会は
12 月 1 日(土) 午後 7~9 時
清水辻公民館
1F 第 1 会議室で
清水辻公民館 JR 清 水テーマ:
凶器の「クリ小刀」を見る
清水テルサ「みそ漬け実験」中間報告 他
1 月集会で弁護団の村崎先生が、凶器の問題点を講演されます。 そのため、今回 の例会では、その凶器である「クリ小刀」の製造元への取材、豚肉刺突実験の映像を みたいと思います。 あわせて、先日の弁護団会議に提出したみそ漬け実験報告の内容を検討しながら、 新証拠につながる私たちの意見をまとめたいと思います。 また、来年 1 月 24 日に開催される“袴田巌支援チャリティ BOXING ~ FREE HAKAMADA NOW ~”についての報告をします。浜松 12 月例会は
12 月8日(土) 午後 7~9 時
場 所:浜松福祉交流センター 31 会議室
中区成子町140番地の8 (JR 浜松駅北口徒歩 10 分)
- 3 - 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正 その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたために いかなる差別待遇も受けない。 テーマ:特に定めていませんが、前回集まった方たちと、 今後の会の運営の進め方と課題を討論したいと思 います。 また、来年 1 月 24 日のボクシング協会の取り組 みや、1 月 13 日清水集会の予定も報告します。 なお、この日は早めに終了し、場所を変えて忘年 懇親会を開催します。 詳しくは当日お集まり下さい。 至:名古屋 浜松駅から 線路沿いに 徒歩、約 10 分 至:静岡 J R 浜 松
日本国憲法
事務局長
山崎俊樹
日本国憲法第 16 条には請願権に関して次のように定めています。10 月末から 11 月にかけて救援運動に大きな動きがありました。 まず、10 月 28 日には、浜松で「袴田巌さんを助けよう!浜松集会」が開催されま した。 当日は 70 名以上の参加者がありました。 袴田さんの出身地である浜松には、1982 年頃から、浜北市中瀬地区の小学校の同 級生たちを中心に救援活動が始まり、袴田巌さんを救う会が結成され、1990 年頃ま で救援活動を続けていました。 当時、この救援活動に参加していた人達に呼びかけ、 再度浜松での救援運動の再開に取り組んで頂ければと思います。次号以降に詳しい集 会の報告が出来ればと思います。 10 月 31 日は狭山事件 の集会に参加しました。 実はこの集会参加の前に、 東京再審を求める会の事 務局長、鈴木さんが袴田 さんとの面会に成功しま した。新田さんに続いて 東京での 2 人目の支援者 が面会したことになりま す。 これから袴田さんへ のる獄中支援が強化され るものと思います。 さて、狭山集会では鹿 児島志布志冤罪事件の当 事者である川畑さん・・・踏み字事件でご存じ他と思います・・・と中山さん、そし て、ドイツテレビで秀子さんとともに紹介された痴漢冤罪事件の被害者である小泉さ んと同席しました。 請願を受ける、社民党、民主党の国会議員団 集会後、私は初めての経験でしたが、集会参加者と共に国会への請願行動に行きま した。 冒頭に紹介した日本国憲法は、国民の請願権を定めたものです。国民の参政 権の行使は民主国家の根幹をなすものですから保障されなければなりません。 請願内容は、警察・検察の取り調べの可視化法を、早急に実現せよというものでし た。社民党・民主党の国会議員たちに請願をしてきました。今回は可視化法でしたが、 明らかに疑いが多すぎる判断で有罪を宣告され、きわめて長期間の拘留が続いている 確定死刑囚たち・・・袴田さんや、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんなど・・・の身 柄解放を求めるような法律を制定するような請願も考えられるかもわかりません。 夜は後楽園ホールで、秀子さん、弁護団から村崎弁護士そして日本ボクシング協会 の原田会長(ファイティング原田)が後楽園ホールで、1 月 24 日のボクシング協会の袴 田巌支援チャリティボクシング開催のアピールを行いました。
そして、11 月 6 日は、熊本さんと小川弁護士の特派員協会での講演でした。そし て、14 日は弁護団 会 議 が 静 岡 で 開 催 されました。 この 弁護団会議では、弁 護 団 が 撮 影 し た 凶 器 の ク リ 小 刀 の 映 像 を 使 用 出 来 る よ う に お 願 い し て き ました。 また、あ わ せ て 現 在 連 載 中 の劇画「10 カウン トは聞こえない!」の監修を弁護団にお願いしました。 左から、ファイティング原田会長、秀子さん、村崎弁護士 弁護団は年末に特別抗告理由補充書を最高裁に提出します。 そして来年 1 月 13 日は当会発足満4 年の総会を兼ねた集会です。 多くの方のご参加をお願いします。 また、1 月 24 日は~FREE HAKAMADA NOW~ 袴田巌支援チャリティボクシン グが開催されます。 日本プロボクシング協会は以前より袴田巌さんを支援してきま したが、1994 年の静岡地裁での再審請求棄却以降その支援が一時縮小していました。 が、一昨年から東日本ボクシング協会で再び支援が強化され、昨年の最高裁要請行動 で、その行動が大きく取りあげられました。 今春からは、日本ボクシング協会を挙 げての支援として強化され、1 月 24 日のチャリティボクシングが行われるわけです。 当日は元王者たちの所有の品物などのオークションも開かれます。 是非、皆さんの 観戦をお願い致します。 最後に、急な呼びかけで申し訳ありませんが、12月1日 専修大学で“わが国の刑事 司法を直視し、冤罪の発生要因について再考してみる”という冤罪シンポが開催され ます。基本講演として、熊本典道さんが「死刑判決文を書く想い」を行います。時間 の都合がつく方は是非ご参加下さい。詳細は末ページをご覧下さい。
日 本 外 国 特 派 員 協 会 のホームページより
Kumamoto & Ogawa, "The Iwao Hakamada Case"
Time: 2007 Nov 06 12:30 - 14:30 Summary: Professional Luncheon,
Norimichi Kumamoto & Hideo Ogawa, "The Iwao Hakamada Case"
Language: The speech and Q & A will be in Japanese with English Interpretation. Description:
Until the murder trial of Iwao Hakamada in 1968, Norimichi Kumamoto was an upcoming magistrate. One of the three magistrates judging Hakamada, he became convinced that the
defendant was innocent of murdering a family of four in Fukuoka. The chief justice disagreed and sentenced Hakamada to death. Kumamoto quit the bench in protest.
In November, Kumamoto broke 39 years of silence over the case to publicly declare his support for freeing the condemned man, who remains on death row in a windowless three-tatami mat room. Unsure when the guards will come unannounced to take him to the gallows, Hakamada is slowly losing his mind.
The efforts of Hakamada's sister and a group of campaigners have so far failed to win a retrial for the convict. Kumamoto, 70, and Hideo Ogawa, chief lawyer for the campaign, will come to the club on Nov. 6 to talk about how they will try and win a new hearing for Hakamada. That fight will not only decide Hakamada's fate, it also highlights the treatment meted out to death row prisoners and flaws in a judicial system based largely on written confessions obtained by police investigators in unrecorded interrogation sessions, and which convicts 99% of those who come before a judge.
Sandwich: Roast beef, tomato, pickles & olive cream cheese.
Hot Lunch: Pan fried salmon fillet on baby potatoes with a champagne, leek & mushroom sauce. Dining Room Special: Boneless tandoori spiced quail on flatbread, cucumber raita and chili jam.
Mr. Norimichi Kumamoto Mr. Hideo Ogawa, lawyer
特派員協会の HP に掲載された、11 月 6 日の熊本典道さん、小川秀世弁護士の講演案内 試訳:山崎 ( )内は山崎が追加しました
要旨:当事者との昼食会
概要
1968 年、袴田巌の殺人容疑の裁判で、熊本典道はそれを裁く判事であった。袴田 を裁く3 人の判事の一人として彼は 被告人の袴田は 4 人家族の殺人は無罪であると 確信を抱いていたが、裁判長は(彼に)同意せず、袴田に死刑判決を下してしまったこ とを、福岡で語った。 その後、熊本は抗議して裁判官を辞職した。 この 11 月(実際は 1 月)、死刑の判決を受け、三畳ほどの窓もない独房に閉じこめ- 7 - られ続けている袴田の解放を求めている支援者に、熊本は39 年を超える沈黙を破り、 この事件の評議内容を明らかにした。この間(42 年もの間勾留されている)袴田には、 (死刑確定後)いつ彼が絞首刑にされるのか刑務官は公表していない。(そのため)彼は 徐々に精神的に病んでいった。 袴田の姉や運動家グループの目的である有罪(死刑)判決の裁判をやり直させ、無罪 を得ることが未だ実現していない。 70 歳の熊本と、この運動の主任弁護士である小 川秀世が 11 月 6 日に当クラブに来て、彼らの再審に開始に向けての取り組みや袴田 に関する新たな公聴内容に関して話をして頂くつもりである。 この(再審開始を求め る)取り組みは、単に袴田の運命を左右するだけではなく、同時に確定死刑囚に対す る処遇のあり方や、取り調べ期間の記録すら無い警察の取り調べによって得られた大 量の自白調書に基づき、判決以前にそれらの99%が有罪と宣告される、日本の(刑事) 裁判のシステムの欠陥が最重要問題点であろう。 昼食会メニュー ・・・省略します 11 月 6 日の講演内容 ( )内は山崎が加筆した。 また、表現をわかりやすく手直ししてい ます。よく聞き取れなかったところ、あるいは勝手な解釈をしているところもあると思います。
熊本
さん、
小川
弁護士、
外国メディアに講演
司会者
41 年前 静岡県で発生した一家四人家族の殺人事件で、元プロボクサーの被告人袴 田巌に、当時裁判官であった熊本典道氏は死刑判決下しました。 その後、熊本さん か 1969 年、裁判官をやめました。沈黙を破って今年、袴田は無罪だと公に発表しま した。 熊本典道さんです。熊本さんの講演要旨
初めてこのような席に出て、まさかこんな席で出てくることが出来るとは、袴田君 の救済が出来るのか、せっかくのチャンスだから 彼の救済の為に出てきました。 私 は今年になって、この裁判には明らかな批判があると発言しました。私は判決以前か ら今日まで・・・実は判決言い渡しの当時、10 名の司法修習生は私と(無罪判決とい う結論で)一緒だった。 彼らは私が判決書に署名した次の年になってから、その代表 者が次のように言ってくれた。「(当時の修習生たちが) 熊本さんが あの判決書にサインするかどうかかけ をした。 判決書に署名しないで、サイ ンなしで判事を辞めると言うのが5 名、 一応サインして後で何かをやらかすと 言うのが5 名」 彼らが裁判官であるのなら圧倒的多 数であの事件は(無罪判決で)解決して いると思います。 私と同期の裁判官がたくさんいまし たが、この私の結論を当時から今日まで 知っている人が何人かいる。 いまでも 3 名があの判決を支持して生きていま す。 私が何故あの事件をおかしいと思っ たのか。 20 日間身柄を拘束して、当時 県警のエースと言われる刑事 2 名が、1 日平均 12 時間、弁護人の立ち合いもなく得 た自白、何故こんなに長時間調べなくては解決しないのか、 どうしてもそれが納得 出来ませんでした。 他に証拠が無いから 20 日間めいっぱい調べて自白させたのだと 思いました。 当時多く起きた冤罪は、同じような方法で自白させています。他の警察官は何を捜 査していたのか。 私が裁判官になったと当時、松川、八海、菅生事件(注)・・・これは本州ではほと んど知られていないが、公安事件のフレームアップ゚です ※注 菅生(スゴウ)事件・・・共産党に潜入した公安のスパイが、大分県の交番 を自ら爆破して、それを共産党員の犯行だとでっち上げた事件。 1952(昭 27).6.2 大分県菅生で交番が爆破され,共産党員逮捕。 1957(昭 32).3.13 '52.6.2 以来行方不明の警官戸高公徳の所在を共同通信が 確認し報道,菅生事件の全貌が明るみに. 1960(昭 35).12.16 最高裁判所,菅生事件につき上告棄却,駐在所爆破は全 員無罪。 私が東京地裁で刑事裁判官になった年に狭山事件、その年地裁で勾留請求を認める かどうかという部の担当を6 ヶ月間ほど行いました。 その時の令状却下率が 30%、 それで周囲から問題とされました。 でもその時、検察・警察と密接な関係になって、 どうやって誤魔化して令状を取るかという話をしていたことを知っています。 当時 は検察や警察やの言うことは間違いないだろうという雰囲気がありました。 その後 裁判官を止めようと思う時期もあったが、そのはけ口を米国最高裁ウォーレンコート の判例を読むことに求めていました。そして、たまたま静岡地裁で袴田君と出会う事 になりました。 当時の裁判官としては変わっていたと思います。
- 9 - 袴田君の審理の中で自白以外の証拠は被告人に結びつかない、遠いものばかりでし た。 (裁判官)3 人の合議は 6 ヶ月から 1 年ぐらい続いたと思います。 最後の最後は 2 対 1 で負けました。(私の無罪主張が通らなかった) ウォーレンコート判例の中で、私はとても参考になる意見を学びました。ウォーレ ン長官は長官になるまで保守的でした。 しかし、長官になった後、被疑者の人権を 守ることに力を注ぎました。私はそれに学び、私の職業に強い影響を受けました。 私が 2 対 1 の結果で判決を書くのか、それとも職を辞めるのか、私の生き方にとて も参考になったと思います。一人でも無罪の主張をした裁判官がいたのかと思う人が、 後の時代に現れれば何とかなると思い、(静岡地裁で)あの判決を書いて、“(自分が)言 いたいことは本当はこうだ”と言うことが判るように、いわばインチキの判決を書く ようになったのです。 この判決は、私が尊敬する学友の、現在はとある大学の教授に「いい詐欺師になれ るよ」と言われたこともあります。 40 年たっても(袴田君は)無罪になっていません。私は 10 月 30 日に満 70 歳になり ました。最高裁の判事なら退官の年です。何とかしなくてはという思いです。
司会者
続いて、この事件の弁護人の小川秀世さんです。小川弁護士の講演内容
他の裁判官との合議の内容を明らかにすることは法律違反です。 その方の席に同 席している自分は、現在複雑な気持ちです。 でも、熊本さんがこうして話をされ、 この事件が皆さん方を含めて知られ、“問題があるのではないか”ということで支援 が増えることは良いことだと思います。 この事件の現状をということですが、日本の刑事裁判は野蛮な制度で、その一つが この袴田事件の例です。袴田さんは1980 年に死刑判決が確定しました。 再審請求が 1981 年、1994 年 8 月静岡地裁で再審請求棄却、2004 年 8 月東京高裁で棄却、現在 最高裁で3 年以上係属されています。 3 年以上というのは最高裁では長い方に入り ます。 弁護団として年内に最終意見書を提出し、最高裁に決定を迫るつもりです。従って 早ければ来年にも判断が下されることになるだろうと思います。 先ほど日本の刑事裁判が野蛮だと言ったのは無実の人が自白で有罪にされると言 うことです。袴田事件はその典型です。 先ほど司会者(通訳者)のエミリアさんが言わ れた、免田事件をはじめとして過去4 人の死刑囚が再審で無罪になりました。最近で は富山の強姦冤罪事件で服役後の再審で無罪になった例もあります。 日本の取り調べの問題を簡単に述べます。 警察・検察で 23 日間出来る取り調べは、 取り調べを始める時刻、あるいは終わる時刻も決まりが無く、袴田さんは深夜まで取り調べが行われました。そして一日に何時間という時間の制限もありません。 黙秘 権を行使しても、弁護人を呼んでくれと言っても取り調べは続きます。 そして弁護 人は取調室に入ることも出来ない、もちろん立ち合いも出来ません。また、弁護人は 自由に面会も出来ません。 袴田さんの場合、23 日間の取り調べ期間中、弁護人が面 会したのは3 回、合計 37 分だけでした。 また、取り調べの録音・録画もありません。 驚くことにこの取り調べ方法は 41 年 を過ぎた今でもなされている、ということです。 今でも、無実の人が取り調べを受 けている、ということについて何も解決されていないのです。 この袴田事件について熊本さんから、最初に無罪判決を書いてその後有罪判決に書 き換えたと聞きました。 自白調書が 45 通そのうち 44 通が採用されませんでした。 これは熊本さんが最初に書いた無罪判決の内容がそのまま残ったものと考えていま す。そしてその自白調書を強制的で威圧的だという事を、この判決では述べています。 これは優れた判決だと思います。しかし、この論理では全て違法な取り調べで下され た判決ということになります。 (そのためなのか)この例は最高裁が出す判例集とか判 例タイムスなど、公的な判決集には掲載されませんでした。 再審請求を棄却した東京高裁の問題点を述べます。 袴田さんが無罪・無実であると 考えるのは ① 自白が変遷しているし、内容がおかしいこと。 ② 5 点の衣類が出てきたこと。 5 点の衣類というのは、事件後 1 年 2 ヶ月を経て事件現場近くの味噌工場味噌タン クから発見された衣類のことです。 5 点の衣類は犯行に使われ、かつ、袴田さんの ものであると認められています。 5 点の衣類には血液が付いているズボンとステテコが含まれます。ところが下には くステテコには広範囲に血液が付いていますがズボンにはほとんど血が付いていま せん。血液は上に着用するものから下着に染み込んでいくものですから、この事実は おかしいわけです。 ところが、東京高裁の棄却内容では、「犯行の途中でズボンを脱 ぐことだって考えられる」と言って、不合理ではないと判断しました。私たちはこう した(非常識な)判断をする裁判所と戦わなければならないのです。 このような場所に呼んで頂き発言の機会を与えて頂いてありがとうございました。
以下 参加外国メディアの記者からの質問に答える形で
① 記者A:熊本さんに対しての質問(主旨) (記者の所属・氏名は・・聞き取れず) 日本の取り調べのシステムはすごく時代に遅れていることや、講演で述べられたよ うな問題の取り調べをする警察官を認める日本人の人権に関することについてどの ように考えているのか。- 11 -
熊本さんの意見
静岡地裁の時に関わった 2 人の警察官(講演時に言っていた県警のエースの意味か) に対しては、彼らはまじめに仕事をしたと思っているし、あるテレビ局の取材でもそ う答えています。日本の刑事手続きは石器時代と言われたが、サバを読んでも江戸時 代ではないかと思います。 先ほど、小川弁護士が話をされたとおり、日本の取り調べは弁護人の立ち合いが出 来ません。被疑者を人間と見ていないのです。 今年の春ロサンゼルスタイムスのフォレス記者から“司法文化の違いを語れ”と問 われたことがあります。日本人の国民性につながるが、日本人は権利を個人的なもの、 個人的な権利ととらえてしまう。フランス人やアメリカ人は権利と言えば人権のこと。 もう少し詳しく話をすると、日本語で人権は「人のこと」の一言だと思う。 だから 袴田君の事件は40 年かかっても解決しない。「何ぃ?袴田君?俺には関係ないよ」と 言うことではないでしょうか。 ② 記者B:小川弁護士に対しての質問(主旨) (記者の所属・氏名は・・聞き取れず) 40 年前と現在では警察の捜査方法は変わっていないのか、他の方法や新しい技術な どの変化などは?小川弁護士の意見
日本においても DNA 鑑定を取り入れそれを警察も使っています。 ただ犯罪の種 類や犯罪内容によって自白に頼っているのが現実です。ですから現在、“自白の過程 を録画・録音せよ”という声が強くなっています。これに対して警察は強く抵抗して います。これは、弁護人もいない密室の取り調べが現在も捜査の中心であることを示 していると思います。 ③ 司会者:小川弁護士への質問(要旨) 自白だけで証拠と言えるのかどうか、自白以外の証拠は?小川弁護士の意見
法的に言えば自白以外の客観的な証拠が必要です。例えば殺人事件では他殺体があ れば有罪に出来ると言うのが法の仕組みです。 ④ 記者 C:小川弁護士に対しての質問(主旨) (記者の所属・氏名は・・聞き取れず) この事件では DNA 鑑定など科学的な請求はしたのか。小川弁護士の意見
再審になって DNA 鑑定が行われていますが、この鑑定では DNA が検出されず出 来ませんでした。新たなDNA 鑑定が出来るかどうか、現在弁護団として調査中です。 ただ、日本の裁判制度では証拠物は裁判所にあります。従って、裁判所が新たに証拠の鑑定をやることを決定しなくては、新たな鑑定は出来ません。
熊本さんの意見
なぜ日本の刑事裁判はもめるのか、基本的な認識から違うと思います。 真犯人か 犯人ではないのか、 裁判で白黒をはっきりさせろ、と求めてしまう。 しょせん人が 人を裁くのはムリ、本当に犯人と言えるのか。合理的な疑いをもたれない、それを超 える証明が出来るかどうか。 日本の裁判官に負担をかけすぎていると思います。合理的な疑いを超える疑いがあ るかどうかで有罪と言えるかどうかを判断すれば良いのではないかと思います。(裁 判官は無罪を下すとき)やっていない、ということに力を入れすぎているので余分な 力がいるのではないでしょうか。 司会者:裁判官は有罪か無罪かを決めるのではなくて、予め有罪と決めて、裁判が勧めら れているのではないかと遠藤誠弁護士から聞いたことがあるが。熊本さんの意見
良心的な裁判官は何人も知っています。裁判官が自白に影響を受けるかどうか、日 本の裁判官は証拠として取ってはいけない自白を取ってしまうこと、取ったら有罪に 心証が傾く。それは人間として当然のことだと思います。 何を証拠として取るのか、 そのことがいちばん難しい。 司会者: どうもありがとうございました。 ここでお二人に、1 年間有効の当協会の名誉協 会員証をお渡しします。(終わり)2007 年 11 月 8 日 JAPAN TIMES 元裁判官、1968 年に彼が有罪判決に加担した死刑囚の解放をめざし支援! Kazuaki Nagata 記者 熊本典道が静岡地裁の裁判官であった約 40 年前、彼は 1966 年静岡県で 4 人の家族を殺し た容疑で起訴された袴田巌が無実であると考えていた。 熊本は、検察官によって起訴されたこの事件で、十分に納得させられるものを見つけては いなかった。しかし、1968 年、彼は結果的に二人の他の裁判官に従い、有罪に同意し、元プ ロボクサーの袴田に死刑の判決を下した。 今年、熊本はこの事件に関して告白を始め、40 年間も死刑にさらされている袴田を解放す る望みを公然と打ち明けた。 (11 月 6 日) 火曜日、外国人特派員協会での講演で、元裁判官である彼は警察の取り調べ方 法を非難した。 つまり、袴田は弁護士の立ち会いも無く 20 日間連続して、1日平均 12 時 間も、二人の警察官によって取り調べを受けたと言うのだ。 そのため、裁判が始まったとき、 - 13 -
何か不正なことがあるのではないかと・・・警察は袴田からの自白を聞き出すために 20 日 間も必要であった・・・と、直感的に私は感じたと、熊本は述べた。 袴田の弁護人の一人である小川秀世は、 日本の法律の仕組みの問題のひとつとして、検察 官(警察官)は、 有罪を立証するために、被疑者に法的な助言も示さず、 密室の中の取り調 べで得られた自白に、非常に重大に頼っていることである、と述べた。 また、連日の取り調べは、時間の制限が無く、記録されることもないのだ、と小川は語っ た。 袴田はこの(自白偏重の)法の仕組みの犠牲者であり、これらの方法での取り調べは 40 年以上過ぎた現在も、基本的には変わっていないとも、彼は述べている。 熊本は、この(評議の内容)告白が、(評議の秘密を明らかにしたと言う意味で)強い批判や重 大な違反としての結果を招くかも知れないと承知している。が、「私は何年間もよく考え、心 配したうえで、あえて私は言うのだ」「もっと前に、(この事件の)判決は最終的には無罪を与 えられたのだ」と彼は言っている。 袴田の死刑宣告は 1980 年、東京高裁(実際は最高裁)で最終的に確定した。しかし彼の弁護 団は再審を請求した。静岡地裁は1994 年、東京高裁は 2004 年その請求を棄却した。弁護団 は2004 年 9 月最高裁に特別抗告をした。弁護団は、最高裁に対して 12 月にも最終意見書を 提出する予定である。そして、来年早々にも良い決定が下されることを期待している。 袴田巌、71歳。 現在、東京拘置所に捕らわれている。 静岡県の清水で袴田巌の支援団 体の事務局長である山崎俊樹は今年になって何度も彼と会っている。 袴田は一般的な問題や ボクシングについては会話が出来るが、事件については触れることを避けている、と山崎は 言っている。 今後、支援団体は最高裁に対して、この事件の再審開始のために幅広く支援を 集め、要請を続けていくつもりだと語った。(おわり) 試訳:山崎