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牧 Smith 2012) そのマーケティングと 宗 教 に 共 通 していることは 物 語 と 芸 術 である 物 語 と 芸 術 は ひとびとの 態 度 変 容 にとって 重 要 な 意 味 を 持 つことはその 領 域 においてはよく 知 られている マーケティングでしばしば 使 われる 小

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抗議活動への参加過程に関わるアートとインターネット:インタビューと

Twitter メッセージの分析を通して

Art and the Internet for Processes of Participation in the Protest Actions:

Through Interviews and Twitter Messages Analysis

Takanori Tamura, Hôsei University

1. 論題提唱

この発表では、首都圏で起きている反原発運動を中心に考察する。それは原発立地地域ではなくて、 首都圏において最も大規模な反原発運動が行われているからである。3.11 の地震によって引き起こされ た原発事故という現実は、首都圏の人々にとっても一様に重い事実である。しかし誰もがその問題に直 面しているが、すべての人が抗議活動へ参加するわけではない。彼らはなぜ反原発運動に参加するのか、 そのきっかけは何が作り、継続することは何が支えているのか。 首都近郊で行われた反原発抗議行動に関する調査では、抗議参加者は、高学歴の中高年という特徴が 指摘されたが、特定の属性によって説明できるという程ではなかった(堀江 2013:89)。基本的に物質 的に充足された環境にある先進国においては、問題は自己や世界を見つめなおすことから発見される(重 冨 2007)。増大する危険と文明の危機に直面して、科学技術の合理性がもはや機能不全となっている ので(リスク社会)、問題が何であるのかを切り出すこと事態が、発見の対象である(ベック 1998:90-92)。 つまり、態度選択である。 同じような現実の中にありながら、行動に参加する人としない人がいる。参加しない理由はさまざま に推測可能であろう。マスコミの誘導によって、原発事故に関する十分な情報が与えられていない事、 原子力村の圧力が大きくて、反原発勢力を抑圧しようという力も強い事、さらに日本の中に抗議行動へ の抵抗感や嫌悪する風潮がある事、あるいは単に忙しい事、などである。では、なぜ参加するのか? 社会運動理論家 Davis(2002)によれば「参加」は、同意以上の事柄で、参加者が参加しリスクを取り 行動するためには、「感動」することが必要なのである。参加する、巻き込まれることは、論理的で目 的遂行的なだけではなく、イマジネーションや直感、そして感情が絡んだことである(Davis ed. 2002:16-24)。感動、つまり心を動かし態度を変えることが必要である。 人々の態度変容を目的とするよく知られた 2 つの領域がある。1 つは「マーケティング」で 2 つめは「宗 教」である。社会運動と関連付けることは意外かもしれないが、参考になる可能性がある。その共通性 のゆえに、近年の社会運動論においては、宗教は社会運動の一形態として論じられる。数は少ないが、 マーケティング理論は宗教を参照し(渡辺 1978)、宗教学はマーケティングを参照する(渡辺 2006、中

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2 牧・Smith 2012)。そのマーケティングと宗教に共通していることは、「物語と芸術」である。物語と芸 術は、ひとびとの態度変容にとって、重要な意味を持つことはその領域においてはよく知られている。 マーケティングでしばしば使われる、小さなドラマや美術や音楽は我々にとって馴染み深い。マーケ ティングでは、商品の機能を紹介することから脱し、消費者の感情を動かすことに注力しており、エモ ーショナル・マーケティングと呼ばれている(村山 2005)。また近年の宗教学における「入信」に関す る研究は、新しい信者は、空の容器のように教義を受け入れるのではないと主張する。入信は、その宗 教教団の語彙を獲得し、自ら使いこなせるようになるプロセスの中で、教団の物語に自らの人生物語を 重ねていくプロセスであると論じている(芳賀・菊池裕生 2006、秋庭・川端 2004)。秋庭・川端 (2004) は、信者の信仰の境地が進むにつれて、より複雑な教団の語彙を獲得し、より複雑な教団のレトリック (物語のパターン)を使って自己物語を語るようになることを証明している(秋庭・川端 2004: 228-9) そして宗教には、常に美術と音楽が満ちている。 運動においても、同様のことが進行している。体験は物語として語られ、歌として歌われていく。参 加するものはその語彙を学び、共有される物語を受け入れ、自らの人生の物語として語り直していく。 それは突然の改心ではなくて、継続的な信念をめぐる物語の書き直しである。 ある個人はどのように反原発抗議などの社会運動に参加していくのだろうか? この発表では、ひとび とが抗議行動に参加する過程について、二人のアーティストと、@tatangarani という Twitter アカウント を持つ、ビジネスウーマンの女性の事例をもとに考察する。三人のインタビューデータと@tatangarani の ツイッターテキストを分析することによって主題を探索していきたい。また、その過程で見出される、 インターネットと芸術が果たしている役割について叙述していく。中心的に取り上げる反原発運動は、 首都圏反原発連合が主催する官邸前抗議である。

2. 3.11 以後の日本の抗議活動へのインターネットとアートの関わり

以下では、官邸前抗議を中心とする反原発抗議活動と、それへのインターネットとアートの関わりに ついて概観する。東日本大震災による福島第一原発事故は、原発に反対する大きな市民運動を引き起こ した。運動は全国的に展開され、様々な団体が脱原発の意思を表明している。その一つに「官邸前抗議」 と呼ばれるものがある。野田内閣によって決断された大飯原発再稼働に反対して、首相官邸前では毎週 金曜日に大規模かつ連続的な抗議行動が行われるようになった。「官邸前抗議」は、2012 年 3 月に始ま り(野間 2012)、2013 年 8 月 16 日で 67 回 を数えている。この「官邸前抗議」は、13 の反原発団体の 連合体である「首都圏反原発連合」(以下反原連)によって主催されている。原則的に歩道上で行われ る抗議活動であるが、2012 年 6 月~7 月には、歩道に収まりきれなくなった多数の参加者が自然発生的 に車道に溢れだし、官邸前を埋め尽くす事態となった。決壊と呼ばれている。また、反原連に参加する 団体や参加していない団体も個別に抗議活動・デモを行っており、本発表で取り上げる参加者も様々な 抗議活動に参加している。

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インターネットの関わり

五野井(五野井 2012)は、インターネットの発展による社会運動の「クラウド化」を指摘する。そ れは「ウェブを介して容易に情報にアクセス可能になることで、小規模のコストと手間で情報を共時的 にシェアし並列化でき、象徴的なインフォメーション・センター以外に、特定の本部や拠点を必要とし ない。フォーマットはもちろんプラカードなどのツールもダウンロードできるし、ミーティングポイン ト、デモコースも把握可能」(五野井 2012:15)になることである。 これは反原連や他の運動体にも当てはまる。活動の動員宣伝にインターネットを多用し、プラカード のデザインをコンビニエンスストアのネットプリント経由で配布してもいる。そうではあるが、「社会 運動のクラウド化」だけでは説明できない観点が二つある。ひとつは、ソーシャルメディアによる情報 拡散の限界である。社会運動におけるソーシャルメディアの役割は、情報拡散による運動への動員を中 心に論じられてきた(Costanza-Chock 2011, 藤山 2012, Tufekci & Wilson 2012,Wilson & Dunn 2011)。それは 資源動員論のソーシャルメディア利用への応用ともいえるものだろう(Eltantawy & Wiest 2011)。しかし、 そこに過度の強調があったことも指摘されている(伊藤 2012:92)。官邸前抗議の主催者へのインタビュ ーなどからも、ソーシャルメディアによる情報拡散、動員には一定の限界があると実感されていること が分かる(小熊 2013:322)。そのため例えば、反原連は、抗議行動・インターネットによってもなお到 達できない大多数の国民に対して告知するため、No Nukes Magazine という小冊子を大規模に配布し始め た。 もうひとつはハブになる人材の代替不可能性である。特定の本部や拠点は必要としなくても、ハブと なる人材には、依然として責任・献身・戦略立案能力が要求される。官邸前抗議で度々車道にあふれる 程の群衆が集合した際に、無事故で抗議を終了した運営力や、6月2日の原水禁系の「さようなら原発 1000万人アクション」と原水協系の「原発をなくす全国連絡会」、反原連の3団体共同行動を実現する 政治力は、ICT 技術のみによって成立するものではないのである。さらに政治力に加えて、社会的に認知 されることも称賛されることもなく、またそれを望むこともなく、会計や発送など総務的な仕事を担う スタッフの存在が重要であることも指摘する必要がある。 以上述べたような有効性と限界がインターネットにはあるが、インターネットは情報拡散の手段であ る以外に、議論をし、自己の経験(物語)を語り、相互交流を行い、それらの言語行為によって自己を 確認する場でもある。本発表は抗議活動の参加についてインターネットのこの側面が果たす役割につい て記述する。 インターネットによる交流には、物語や経験の交換が抗議活動にポジティブに働く場合(物語による 一致)(田村 2013a)と議論することがネガテイブに働く場合(議論による不一致)(Tamura 2013b) がありうる。本発表は「物語による一致」に関する研究の一環である。田村(2013a)は、Misao Redwolf と いう反原連の中心的組織者のケースを扱ったが、本発表における分析は、物語による運動の一致に関す る分析を参加者のケースにおいて行うもので、前作と対を成すものである。

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アーティストの参加

90年代以降の日本の社会運動においては社会科学・社会思想は後景へと退いていき、かわりに芸術が 前景化した。2003 年のイラク戦争反対デモにおけるサウンドデモのように、政治としての芸術が強調さ れた。後述する ECD のインタビューにあるように、人々は抵抗することを音楽や美術から学んだのであ る(毛利 2009)。 しかし、3.11 東日本大震災以降変化が起きた。サウンドデモは、社会・マスコミからある種の「文化 現象」とみなされていた(伊藤 2012:21)が、それを「政治活動」そのものへと転換させようとする動き であった。何故ならば、反原連及び、反原発団体 TwitNoNukes のスタッフである野間易通によれば、 メッセージには賛成するが、その楽曲自体は嫌いだ という事態が起こりうるからである。「音楽はあるグループの人々を惹き付ける力があるが、同時に、 別のグループを排除する力だという認識が生まれた」のである。つまり、「サウンドデモで流されてい た音楽は、先鋭的過ぎてより多くの大衆に訴えるものではなかった。」1 先鋭的な人々はマスではない。われわれは社会のマスに訴える。 そして、野間(2012:61-64)にあるように、多くのひとびとに参加を促すために、時には RANKIN TAXI など功労者というべきレゲーシンガーの演奏を止めてでも、政治行動としての目的達成を目指すように なった。官邸前抗議には多くの芸術家が参加しているが、基本的には、自分の芸術的表現を行うのでは なく、政治的な抗議をすることが求められる。ラッパーの「ECD」や「悪霊」も継続的に官邸前抗議に 参加しているが、歌うのではなくシュプレヒコール(以下 コール)やスピーチを行う。 しかし、同時に官邸前抗議の運営には、イラストレーターの Misao Redwolf(Figure 1)をはじめとして 複数の芸術家が参加しており、芸術的感覚は埋め込まれたものとして内側から運動を支えている。前述 の TwitNoNukes や官邸前抗議の方向性自体が、再帰的セルフモニタリングと禁欲的な美意識、自己プレ ゼンテーション意識の所産である。 一方で、官邸前抗議は、現在霞ヶ関一帯に1.官邸前2.国会前 3.ファミリーエリアの3つの抗 議エリアを設置している。それぞれのエリアは、1.緊迫した抗議、2.熟議民主主義的フォーラム、 3.家族的共感と親密性、に特色づけられる。それらは参加者の求めるさまざまなアプローチに対応し ている。 同時に、キャンドルディスプレイ、忌野清志郎音楽ファングループ、コーラスグループ、ゲリラ・カ フェ(ベジタリアン・キッシュと果物紅茶等を提供)など、主催者から独立した独自な表現空間が生ま れ、政治的権力の中枢に、2時間だけ現れては消滅するアジールを形成している。ゲリラ・カフェのメ 1 反原連スタッフ 音楽ライター野間易通 トークセッション (於:赤坂カクタス) 2012 年 8 月 8 日 インタビュ ー 2012 年 8 月 28 日

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5 ニューになったり、スタッフに配られたりする、Ms.にぬまの「もんじゅ君お菓子」もある(Figure 2)。 彼女はお菓子を作ると同時に、鋭い議論を展開する熟練したディスカッサントであり直接行動する活動 家である。また、「シスター」と慕われる反原発運動のベテラン参加者のコールとドラム隊とのコラボ レーションは、新しい民衆芸術の誕生のようである。年に数回行われる大集会には多くのミュージシャ ンが参加するアートエリアが設けられ、ジンタらムータとリクル・マイ(レゲーシンガー)の演奏と歌 は人々を励まし癒す。これらの現象を「社会運動の脱男性性 demasculinization」と呼ぶ研究者もいる(Gonoi 2012)。 このような芸術活動が生まれるのは、あるいは生まれざるをえないのは、闘争が長期化しているから である。反原発運動は原発再稼働の抑止力になっているが、目に見える政府の政策はむしろ悪化してい る。闘争が長期化すれば誰もが疲労し動機が低減する。耐え難い時の流れの中で、その時を耐えるため に芸術が生まれるのは普遍的なことである。しかし同時に、常に禁欲主義的主張との間に緊張を孕むこ とになる。

Figure 1 Misao Redwolf と Anna Sui に提供したデザイン、並びに反原連旗

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3. ECD (ラッパー)

社会に対する感覚

日本語ラップの草分けであるECDは、2003 年の反イラク戦争デモから抗議活動に参加している。アル バム「失点 IN THE PARK」 (2003 年 8 月リリース)(Figure 3)にはイラク戦争に関する曲が入ってお り、初回プレスの売上は、関連する裁判の被告救援にカンパされた2。近年出したアルバム「The Bridge-明日に架ける橋」 (2013 年 3 月 27 日リリース)では、レイシスト団体「在特会」が新大久保で行った ヘイトスピーチデモについて歌い話題となった。時がたっても一貫して妥協なく、日常の中でぶつかっ た言葉を歌にしていく姿勢は印象的である。

Figure 3 ECD Rapper とアルバム「失点 IN THE PARK」

毛利嘉孝(2009)は、マルクス主義の失墜後左翼的な言説が著しい凋落を示すなかで、社会運動の担 い手がストリートに現れていると論じた。毛利はECDを「ストリートの思想家」と呼んだ。ECDは、2003 年のサウンドカーデモにおける抗議行動と音楽について、次のように語る3 サウンドデモの場合、DJ が曲をかけていたのでそちらに注意が向きがちだ。だが僕の実感だと、そ れまで政治運動に関わってこなかった連中が、音楽を通して育んだ「社会に対する感覚」を持って 運動に参加し始めたのが、サウンドデモだったのだと思う。本を読んで社会運動始めるんじゃない 連中が運動を始めた。そういう感覚で、僕も 2003 年の反イラク戦争デモに参加していた。その後は 大きな動きはなかったが、3·11 でまた同じメンバーが結集した。大体同じメンバーだった。 ECDはここで、自分が属する既存のネットワークと、そこにある「社会に対する感覚」に言及してい る。既存のネットワークが、果たす社会運動への役割が指摘されている。「日常生活のネットワークの なかに要求運動が組織され」「独自の文化システムの言語を使いながら社会的資源の生産と配分を求め る」のである(保坂 2011:34)。 2 アルバムジャケットにある、公園のトイレにした落書きに関する裁判 3 ECD インタビュー 2013 年 5 月 30 日

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7 テロリストの側だ 911の後ジョージ・ブッシュが「世界はアメリカ側につくのか、 テロ側につくかのいずれか」という 問いを世界に対して発したことがある。自伝(ECD 2007)によれば、思春期から対抗文化的になじみ、 反権力的だった ECD は、「そんな問いに答えなければならないと言うわけではないのだが」と前置きし ながら、「どちらかを選べと言うならば、テロリストの側だとその時思った」とのべる。 昔は一切合切、根こそぎ変わらなければだめだと思っていた。 しかし、3.11 の少し前から考え方が変わってきた。「今は、ちゃんと原発を止めたいと思っているの で、それ以外の『革命』とかそんなことはどうでもよくなった。」彼は、以前からパンクやラップが好 きな音楽ファンの数は限られていると思っていたが、2012年6月の官邸前大決壊の時にそれを実感した。 ECDは言う。 そんなこととは関係ないところでもう動き始めている プレゼンテーションのセンス しかし、デモをどのように見せるかというプレゼンテーションのセンスは、間違いなく音楽をやって きた中で育んできたものがあると語る。 官邸前でコールするときには、どれだけ一般参加者の声が帰ってくるのかということに神経をはら っている。参加者が声を出しやすいように、コールすることにしている。 官邸前抗議のある日、開始前に一人の老人が ECD にくってかかった。「スピーチの声はよく聞こえるが、 コールの声は割れて何を言っているかわからない!」通りがかった私は、激しいコールの時はしかたが ないこともあるだろうと思った。しかし、ECD は丁寧に対応していた。もともと滑舌の良い ECD のコー ルが、その後、より明瞭にわかりやすくなった気がする。 食い止めなければならないが 原発事故に関して ECD にとって衝撃だったのは、フランス政府が、在留フランス人に避難勧告を出し たことだった。ECD と家族は 3 月 16 日に広島に避難した。彼の子どもたちはまだ小さい。「もう一日早 く避難できればよかった」と ECD。また ECD は、前述のように「在特会」に対する阻止行動にも、早く から参加している。 原発はこれを食い止めなければならないと思っている、在特会のデモも、こんなものはこれまでの 人生になかった。必ず食い止めなければいけないと思っている。

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8 抗議活動をやっていることが音楽活動に支障があるのではないか、という問に対して「ラップやパン クなどは基本的にアンダーグランドでやっているので問題があるということはない。メジャーなレーベ ルと契約してる人は大変だと思う。その点ではアジカンのゴッチさんが、発言し続けてることはすごい」 と答える。 ただ 2 年経っても増えてはいない。最初から声出してる人がずっと声を出しているというだけだ。 最初に始めた人は、ずっとやっているが、そうじゃない人に広がってはいない。レイシズムも、僕 があの曲(The Bridge-明日に架ける橋)を出して後から追ってくるかと思ったが、そうでもない。 ファンに対する責任 彼は、自分のファンに対する責任について、自身のブログで語っている。「自分が反原発のデモに参 加したり、そうした曲を発表する理由はなにか?」 自分の好きなアーティストが何もアクションを起こさないとしたら、それは充分な言い訳になりま す。さらにそのアーティストが沈黙していた言い訳を公表したりすれば、その言い訳が即座にそう した人達自身の言い訳になることでしょう。 僕が「デモに行こう」と言ったからって、果たして何人の人が同調してくれるのか、それはわかり ません。ひとりもいないかもしれません。しかし、それでも何もしなくてもいい言い訳を自分が供 給するようなことだけはしたくないのです4 「一切合切、根こそぎ変わらなければだめだ」という主張よりも、「何もしなくてもいい言い訳を自 分が供給するようなことだけはしたくない」という言葉のほうが、深く我々の心に刺さり感情を動かす。 ECDは、抗議行動に参加することが、選択しうる一つの態度であることを知っている。抗議行動に参 加する理由がたくさんありうるように、抗議行動に参加しない理由もたくさんありうる。その参加する 理由の一つにならないということは、一見消極的に見えるかもしれないが、人間の弱さを知りつくした 強靭な思考と責任感の所産であろう。 ECDのインタビューから、まとめとして三点をあげる。 まず、「既存のネットワーク」と「独自の文化」が社会運動へ果たす役割について理解できた。ECD は Misao Redowolfとは 3.11 以後に知り合うのだが、「Misao さんと音楽界に共通の友人がいることを知っ て驚いた」と述べている。ネットワークを共有できることは社会運動に参加する手がかりになる。同時 に、 3·11 以後の反原発運動が、それを超える広がりを見せたことも理解できた。次に、アーティストが 社会運動に参加することは、それほど容易ではないことも分かった。最後に、アーティストとして、フ

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9 ァンに対する影響と責任について、配慮する姿勢を知ることができた。官邸前抗議で参加者が声を出し やすいように配慮する姿勢は、自己観察的であり、共同で抗議行動を創りあげようとする姿勢である。

4. 小塚類子(イラストレーター)

台所発の怒り ベテランのイラストレーターである小塚類子(Figure 4)は、子供を持つ母親でもある。反原発運動の ために様々な表現活動を行い、反原連の発行した No Nuke Magazine Vol.3 にもイラストを提供している。

3・11 の後、最初のデモが 2011 年 3 月 27 日にあった5。小塚はその時 30 年来の友達と一緒に、デモに 出た(Figire5, 6,7)6。それまで政治の話や社会の話はそんなにしたことはなかったが、いろんなことに対し ておんなじ気持ちでいる友達であった。デモに行こうということになって、最初にジンを作った。「原 子力のない暮らしの手帖」(Figure 4)である。これは暮らしの手帖のパロディーで「Okan Do-Zine」と いうチーム名義で出した。サイトを作り7、「台所は、もはや放射能と戦う最前線だ The kitchen is now the front line in the war against radioactivity.」という宣言を出した。「我々の台所発の怒りを、形にしていこう と考えた」という。 ECDのインタビューについて触れたように、ここでも「既存のネットワーク」と「独自の文化」が社 会運動へ果たす役割がある。「独自の文化」とは「いろんなことに対しておんなじ気持ちでいる」こと である。 Figure 4 イラストレーター 小塚類子と原子力のない暮しの手帖 5 「反原発・銀座デモ・パレード」[主催] 再処理とめたい!首都圏市民のつどい 6 インタビュー 小塚類子 2013 年 5 月 15 日 7 http://reiricketts.com/ODZ-nonukes.html

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10 Figure 5 主婦連のコスチュームでデモに参加 Figure 6 落合恵子のコスチュームでデモに参加 Figure 7. 脱原発葉書とチラシ 制約と新しい仲間 しかし、一見自由に見えるアーティストの現実はそうではない。「仲のいい人たちとはすぐに反原発 運動を始めたけれども、イラストレーター業界の中では、『我々はクライアントあっての仕事なのだか ら、そんな反体制的なことをしない方が良い』と言われることが多く今でも悩んでいる」という。 逆に、むしろ右っぽい人もたくさんいます。美学的にはむしろ右翼的な方が馴染みやすく、左翼的 な方がダサいという感覚が今までありましたよね。 教鞭もとっている小塚に、その活動を見て自分もしようという若い世代の人々がいるか、聞いてみた。 全くいません。みんな見て見ぬふりをしています。社会運動などというものは、反社会的なことや、 過激なことだと思ってる人がまだまだ多いので、彼らはちょっと引いてるみたいです。残念なこと に。

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11 しかし、「子供も大きくなったし、自分が食べていければいいから、われわれの世代が発言しなければい けない」と考えている。 小塚は、反原発運動で知り合った新しい仲間にも言及する。 反原発運動には、様々な技術や能力がある人がたくさん集まっている。誰が何をやるのか、もめた り、誰の手柄だということを競いあったりすることが全くない。人間関係で、ほっとできる、とい うことがすごくある。何かの組織に属さないと不安だという人が多い日本社会だが、そうしたこと にこだわらずインディペンデントな生き方をしている人が多い。 既存のネットワークも重要だが、運動の中に新しいネットワークが広がることも重要である。それが 可能でないと、より多くの参加者を得ることが出来ない。 わかってがんばっている人を応援する 小塚は自分たちの活動について次のように受け止めている。自分たちがしていることは、「わからな い人に向けてよりも、わかってがんばっている人を応援するという意味合い」が強いという。 わからない人にわからせるためには、アートという手法は有効ではないと思います。 アートに日頃ふれて、ある程度その文脈を理解している人以外には不謹慎、と受け取られてしまう危険 がある。例えば Figure 8 のように、「東電への電話抗議をよびかけるテレクラ宣伝風のティッシュ」など の作品は、熱狂的に受容される場合もあれば、理解されないこともある。 Figure 8 東京電力への電話抗議を呼びかけるテレクラ宣伝風のティッシュ 自分は、アーティストとして政治的な表現をすると言うよりも、参加するなら何か自分にできる事を したいと思っている、という小塚。 みんな不安な気持ちで参加しているので、「同じ気持ちだよ」ということを伝えて少しほっとして ほしいと思っている。

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また、「ストイックに主張するというのは理解できるが、自分自身も2時間冬の寒い時に再稼動反対だけ をコールし続けるというのは辛い」という。

No Nukes More Heartはサウンドカーが出て楽しい、音楽がないと年寄りは歩き通せない。サウンド カーの後を追っている人は、意外におじいちゃん、おばあちゃんが多い。悪霊さんの車の後は、 60 代 70 代のマダムが、「悪霊さんよー」と言ってついてくる。 小塚のインタビューから、ECD と同様に「既存のネットワーク」の意味が発見されたが、同時に社会 運動の中で形成される「新しいネットワーク」の価値も確認できた。また小塚は子供を持つ母親として 「台所発の怒り」を、日常を異化する方法で表現している。異化するのは、日常が耐え難いからである。 芸術は理解されないこともあるが、風雪に耐えて参加する弱い人々の心を支えるものでもある。

5. @tatangarani の美しい食卓と反原発運動

一般人から見れば、自由に生きているかのように見えるかもしれないアーティストたちにとっても、 反原発運動に参加することはひとつの態度を選択することであり、決断を要することであった。むしろ より大きな負荷がかかっているともいえよう。それでは会社などで働く個人は、どのようにしてその選 択を行うのだろうか。@tatangaraniというTwitterアカウントを持つ女性へのインタビューとTwitterメッセ ージの分析から考えていきたい。インタビューは、2013 年 4 月 13 日に行った。2010 年 8 月 11 日から 2013 年 8 月 4 日までの全てのTwitterメッセージ(50563 メッセージ)を譲り受けて、KH Coder8というソフト ウェアを使って分析した。

3.11 以前

@tatangaraniは、大手企業に勤める若いビジネスウーマンである。毎年バレンタインデーにはチョコレ ートを父親に贈る娘でもある。報道機関に就職しようと思ったことはあったが、3.11 前には、社会運動 に参加しようとか、デモに行こうとか考えたこともなかった。

その時の Twitter メッセージを分析して図にしたものが Figure 9 である。3.11 以前の Twitter メッセージ をテキストマイニングで分析し、共起ネットワーク図を作成した。以下< >でくくった言葉は、図中の 単語を表す。 地方から東京に出てきた感想や、友達、女子会、デザイン、初めて観たもの、ショッピング、素敵な 人や物のこと、仕事、そして美味しい食事(Figure 10)のことが書いてある。この時期は自分の食卓では なく、レストランやグロサリーストアの話が多いようである(<店>)。そしてネットワーク図の中心 (媒介中心性)にあるのは、<笑>と<思う>である。<笑>は<友達><ありがとう>ネットワーク・ <美味しい><食べる>ネットワーク・<デザイン>ネットワークをつないでいる。ここでの<思う> 8 http://khc.sourceforge.net/

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13 は<好き>なもの、<素敵>なものへの思いであり、これらの<思う>と<自分>がつながっている。 つまり社会に対して不満を感じた事が、反原発運動へ向かわせたとは思いにくい。 @tatangaraniの震災前最後の Twitter メッセージは、下記である。発せられたのは 2011 年 3 月 11 日 14 時 10 分 53 秒、地震が起こる 15 分前である。このメッセージの 15 分後に、日本社会を、あるいは世界 を変えた地震が起こる。 土手の石垣から、一斉に雑草がざぁーっと芽をふきだすのを見ると、これも春だなぁ。と思うよ。 #Twitpict

Figure 9 3.11 以前の Twitter メッセージ 頻出単語共起ネットワーク図。(From 23:01, August 11, 2010 to 14:10, March 11, 2011. 8 months. 4168 Twitter messages)媒介中心性が高い単語は、赤い線で囲ってある。下位ネットワ ークは色分けしてある。共起関係は線で結ばれ、線が太いものは共起率が高い。配置された単語の相互の距離 は、共起率とは関係がない。出現頻度が高い語は、大きな円で示してある。

Figure 10 「ル・パン・コティディアン で、オーガニック小麦の全粒粉パン購入。 併設のベーカリーレスト ランで食べたら美味しかったので、パン好きな父のために実家にも送る〜☺♡ #Twitpict」(2011 年 2 月 26 日)

3.11 の後

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14 原発事故、放射線、情報不足 ホームステイ経験もあり外国にも友人が多かった@tatangarani は、事故直後から海外在住の友人からど んどん E メールが送られてきていた。そこには BBC や CNN の画像や映像のリンクが貼られていた。 @tatangaraniは日本の報道と海外の報道を同じタイミングで見くらべた。日本は津波のことだけ報道して いたけれど、原発が爆発している映像が外国のサイトにあがっていた。父親から、「偏った思想を持つ ことはよくないので、新聞でも朝日だけ読売だけを読むのではなく、数紙あわせて読みなさい」と言わ れていた。なので、それまでは日本の報道でも複数バランスよくチェックしておけば大丈夫と考えて暮 らしていたが、しかしそうではなかった。「会社は、震災直後から自宅待機になったので、その間ネッ トを中心に必死で情報を集めた。毎日二~三時間しか眠らない日々が続いた」@tatangarani は、当時の状 況を書いた私信をくれた。 当時はフォロー数も、確か 150 前後、フォロワー数も 200 位だったと記憶しています9。日本と海外 の原発事故報道の違いや、在日外国大使館での国外避難指示やヨウ素配布状況(特にフランス大使館 の情報)をtweetした際に大量RT10されて (400~500 位?)、フォロワーさんが増大しました。この頃、 特徴的なのは、『放射能汚染や原発事故に対する危機認識が、家族や友人と異なる事で受けるショ ックや精神的ダメージ』に関するtweetをした時に、突出して大量のRTがされました。同じ状況の方 が多かったのだと思います。 抗議活動への参加 前述のとおり@tatangarani は、3.11 前には社会運動に参加しようとか、デモに行こうとか考えたことも なかった。それどころか、保守的だった父親の影響で、デモに行ったら必ず逮捕されてしまう、あるい は警官に殴られてしまうと考えていた。たまにデモや立てこもりなどの報道を見ても、警察が動いてい るということは、法に則ってやっていることなので、彼らは違法な状態で占拠したり立てこもったりし ていると思っていた。そしてそういう人たちは、機動隊に殴られているというイメージがあった。 デモに参加するというのはイリーガルなことだという印象だった。 と述べている。 転換点にある斉藤和義 @tatangaraniは 2011 年 4 月 10 日に高円寺で行われた「4.10 原発やめろデモ!!!!!!!」に参加した。 9 2013 年 8 月 18 日現在で約 6000 人 10 ReTweet。受信したツィッターメッセージを再度配信すること。

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15 4月にデモがあることは、ネットで見て知っていたが、行くかどうか悩んでいた。行くと警察に殴られ るというイメージがあった。そして反社会的行為と思っていたので、警察のブラックリストに載るので はないか、などと考えた。 行こうとふっ切れたきっかけは、歌手・斉藤和義が「ずっとウソだった」という原発・東電批判の替 え歌を YouTube にアップロードしたことにある。アップロードされた動画はすぐに消されてしまうが、 消されても、消されても、皆がバックアップを取って、次々動画をアップしていた。 朝から晩まで、消されてはアップされ消されてはアップされ…が、ずっと続いていた。皆が、そう してでも伝えようとしているのがすごく伝わってきた。それを見たときに涙が止まらなくなった。 自分の職業についても考えた。また、デモに行って逮捕されたら周囲や親にも迷惑がかかる、親は泣 いてしまうのかなとも考えていた。アーティストやミュージシャンと仕事をする機会もあったので、彼 らが反原発運動に関わったら抹殺されてしまうという危険があることもわかっていた。そんな状況の中 で、斉藤和義という、地位も家族もある人間が発言している。 それに対して答えるべきなのではないか、答えない自分は何なのかと考えた。 しかしまわりの友達に聞いても、「そんなことはやめたほうがいいよ」と言う人ばかりだった。「残念 ながら。」この時彼女は、「既存のネットワーク」を手がかりにすることができず苦悩する。 デモへの参加 彼女は高円寺で行われたデモに参加したが 、とても緊張したという。ツイッターで知り合った人と四、 五人でデモに行った。「既存のネットワーク」を手がかりにすることができなかった@tatangarani は、イ ンターネットを通して仲間を探したのである。この日の高円寺デモ参加者は、1万5千人(主催者発表)。 それまでの団体動員でない反原発デモとしては、かなりの規模である。しかし、自分の周囲にデモ参加 希望者がいなかった事もあり、全体でそんなに人数が集まると思っていなかった。また「いざとなった らお腹に入れて体を守ろうと思って、ぶ厚い漫画雑誌を買って行った」と話す。 行ってみたら全然違っていて、赤ちゃんを連れたお父さんお母さんから色んな人がいっぱいいた。 それは素人の乱が企画したデモだったのだが、原発には反対だがデモ参加を断った知り合いはそのこ とが嫌だったようだ。素人の乱は、3・11 の前から「家賃をタダにしろ」とか「自転車置き場がどうの」 とか重要とは思えないようなことでデモしていた、と理解されていた。サブカルのお祭りという感じだ と受け止められていた。「TwitNoNukes やその後の複合体となった反原連は、外からの見え方にとても 気を遣っていると思う」と話す。彼女は、仕事で情報を一般の人々に向け発信する職分なので、彼女自 身「どう見えるか」にはとても気を遣っているという。「TwitNoNukes のデモに出るときは、『OL さん 然』とした格好をあえてしていく。」

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16 311以前のデモで多く見られた様な、“○○団体”だったり“固定思想の人”や“アーティスト”だけでは なく、沿道の人と同じ普通のお勤め人も参加しているデモなんだなということを理解して欲しいと 思った。当時、私自身が「デモに参加すること」に対して周囲の人に理解を得られなからったこと からも、その点は今でも強く意識している 彼女によると TwitNoNukes や反原連の組織者は、自分たちがどう外側から見られるのか、仲間を増や すにはどういう風にすればいいのか意識している。そして彼らは、それを阻害するような行動をする人 を、一人一人説得していった。 TwitNoNukesは、それまでの政治的なデモにありがちな政治団体の旗やのぼりを持参しないように 呼びかけ、今までデモに参加したことのない人たちが参加しやすい空気を作り出していた。反原連 は、官邸前で警察と衝突しそうになる人がいると「ここで逮捕者が出たら今後の活動ができなくな る」と説得し、人がふくれあがり「官邸に突入しろ!」とあおる人が出た時も、「ここで突入して、 原発が止まるのか」と言って説得、制止した。その過程を見て感動した。 戸惑いの中でデモに参加しはじめた@tatangarani は、やがて組織者の行動に心を動かし、その後、自分も そのように行動し始める。冒頭に述べた、態度変容のプロセスがここにもある。 デモグッズ 彼女は、今まで参加したデモのグッズを捨てずに整理してとってある(Figure 11)。「女子学生が宝箱 を開けるようですが」と笑いながら見せてくれた。「何で集めているか自分でもわからないのですが」 といいながら「フライヤーを見ていたら、 2 年間やってきたことがいろいろと思い出されて。」とも語 る。フライヤーは団体ごとに整理されている。「そういう記憶の刻み方なのでしょうか?」という問に 対して、 そうなのかなぁ、あんまりそんなふうに考えたことはなかった。増えてきたので缶に入れてしまっ ておこうと思って。被災地支援で買ったアイテムも、一緒に入れてある。私はそれは表裏一体だと 思っている。 という。@tatangarani は、「団体ごとに整理」し「缶にしまう」。「反原発」と「被災地支援」は表裏一 体としてカテゴライズする。経験の選択と整序である。アーティストが無償で作ったデザインは、抗議 活動における表現であるだけでなく、参加者の記憶の手がかりでもあり、時を刻む時計の目盛である。 自己物語は、自己の経験の中からある基準に従って事実を選びとり、現在に対して整合的であるように、 時間にそって並べたものである。自己物語は、その人の自己観、信念である(浅野 2001: 62)。このよう な手がかりによって人はその信念を深めていく。

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17 Figure 11 デモグッズ 架け橋 前述のように、彼女の古くからの友人は、反原発には関心がない。「三、四日前もそんなに一生懸命 やってるけど原発止まらないじゃん、無駄なんだよ」と言われたとのことである。「そういう言い方を されるのが凄く辛い。」という。「ツイッターも、原発の話をし始めてから、それまでのフォロワーの 内 3 分の 1 位が離れていった。」しかし、政治的思想を持っていなくても、アーティストでなくとも、 普通の格好をしている普通の人が、デモに行くこともするんだ、ということを分かってもらえるといい、 という。最近は「ぽつぽつとデモ、行ってみようかなという人が出てきている」のだが、関心がない人 に対し、デモの話は切り出し方が難しい。 できれば、口幅ったい言い方だけど、関心ない人との架け橋になって、普段のツイートも続けなが ら、原発話をしていきたい。 彼女の Tweet の中にある美しい食卓の写真も、@tatangarani の自己プレゼンテーションなのである (Figure 12)。

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18 Figure 12 E 朝タグに投稿された食卓の写真

共起ネットワーク分析

3·11 の後、彼女の Twitter メッセージ内容が一変する(Figure 13)。媒介中心性が最も高いのは<デモ >である。この単語はすべての下位ネットワークを結んでいる。ネットワーク図を時計回りに見ていく と、<デモ>の左側に、自分や人、仲間に関する観察、次に日本や世界に対する考察、抗議情報の拡散、 仕事と食事、新大久保のレイシストデモ反対、福島の汚染、仲間への感謝、などの下位ネットワークが 並んでいる。働きながら社会運動をする女性の Twitter メッセージである。 久々、しげくに屋 55 ベーカリーのベーコン チーズベーグル。サラダ(北海道の有機トマ トが甘い!)。かぼちゃのポタージュ。果物 は、オレンジとぶどう。オレンジジュース。 ペリエ。今日から 9 月の出勤!いってきま ーす。 #E 朝 (2013 年 9 月 2 日) 起きぬけ桃スムージーでお腹が落ち着き数 時間後の朝ごはん。牛乳きれててプレーンケ フィア、冷凍ベリーで代用のアサイーボウ ル。オレンジジュース。ショートブレッド。 木のスプーンはフェアトレードのアフリカ 産。素朴でいい #E 朝 (2013 年 8 月 31 日)

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Figure 13 3.11 以後の Twitter メッセージ 頻出単語共起ネットワーク図。(From 16:53, March 11, 2011 to 16:16, August 4, 2013. 30 months. 46,395 Twitter messages)媒介中心性が高い単語は、赤い線で囲ってある。下位ネット ワークは色分けしてある。共起関係は線で結ばれ、線が太いものは共起率が高い。配置された単語の相互の距 離は、共起率とは関係がない。出現頻度が高い語は、大きな円で示してある。

カテゴリーによる時系列分析

インタビューでは、@tatangarani の変化を聞くことが出来た。恐る恐る参加したデモから、積極的参加 者に変わり、そして勧誘する参加者へと変わっていく。この態度変化がどのように Twitter メッセージに 反映されているのか、カテゴリー時系列分析によって見ていこう。Figure 13 は、3.11 以後の Twitter メッ セージにどのカテゴリーが出現したかの割合(%)を時系列推移で表したものである。 作成手順の概略を述べる。上記ネットワークで出現する頻度高い言葉や、反原発運動一般でよく使わ れる言葉を中心に、ツイッターメッセージを分類するカテゴリー規則を作った(Table 1)。それぞれの カテゴリーに含まれる単語があるメッセージは、それぞれのカテゴリーに属するものだと分類される。1 つの Twitter メッセージは複数のカテゴリーに分類できる。iTunes におけるタグ分類のようなに 1 つのメ ッセージを複数の方法で分類することが可能である。カテゴリーには相互に関連性が高い単語を配置し てあるが、文脈を完全に判断することはできないので、ある程度の誤差があり、概観するための便宜で ある(Figure 14)。 これを見ると、 2011 年 3 月から 7 月にかけて被ばくに関する Twitter メッセージが一斉に増える。こ の時期は関心の中心が被ばくにあった。原発事故による放射性物質の影響について学んだ時期である。 その後、反原発運動関連の発言が多くなる。そして 2012 年 6 月、官邸前抗議で大決壊が起きた月にピー クを迎える(41.4%)。2013 年 1 月以降は、反差別に関する Twitter メッセージが急増する。

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20 この時系列グラフは、彼女の焦点の推移と、取り組んでいる課題を表現したものだと言えるだろう。 前述したように、態度変容は語彙の学習から始まる。2011 年 3 月から 7 月までの間が、おそらく彼女が 新しい語彙と「社会に対する感覚」を獲得していく時期だったのだろう。当時連投されたメッセージの 一部を参照する。 ⑤子供の頃から思ってることなんだけど・・・“知らない”事は罪だと思ってる。 “知らない”から、 判断ができない。“知らない”から、意見が言えない。“知らない”から、行動できない。“知らない” から、無関心。。。今回の原発の問題、私も正直世の中のほとんどの人同様、何にも知らなかった。 ⑥原発反対!なんて言ってる人の方を「こわいなぁ」なんて思ってた。何も知らないくせに。事故 が起こり、知らない専門用語がバンバン飛び交い、素人目に見ても 原発施設からの爆発映像めい たものが流され、白煙があがるのを目にして、異常事態だと思った。それからは、(自宅待機で仕 事しながら) ⑦朝から夜まで、分からない用語はネットで専門機関のサイトで調べたり、更新されるニュースを 参考にしたり、時にはツイッター上で指摘して教えてもらったりしながら追っかけた。(略) ⑧素人ながら、色々調べていくと少しづつ、今何がおこっているのか?何が問題なのか?分かって きた気がして、自分の意見や意思も固まってきた。。。(略) 私もこれまでなら「でも仕方ないしなー」と思ってたかも、ですが。今回ばかりは、変わってく、 いや変えてく時期なんじゃないかなぁと、思いました。(2011 年 4 月 12 日) 無知を自覚した彼女は必死で学習し、知識を身に着け問題を発見し、考えを固め、自分が変化すべき 時であることを知った。時間がたつにつれて、その語彙を、自分の言葉として語ることが可能になって いく。 あまりにテンションの異なる日常 tweet と原発事故の福島関連 tweet、アカウントを分ける提案もも らったけど、どちらも真実、等身大の私なのでこのまま分けずに1アカウントのままでいく。だか ら、なんか怒りつつ原発の話をしてても、その前のくだらない話にリプ頂いて大丈夫です気になさ らず。(2011 年 4 月 28 日) 3.11のあと、日本人の生活は一変し、ある人々はそのことを自分の問題として深く受け止めるに至った。 @tatangaraniは、自らの無知に気付き、学び、反原発運動に参加するようになる。そしてそのことが自分 の「真実」であると受け止めるようになった。Twitter によって学び、Twitter に書き込むことで新たな自 己を再帰的に形成していったのである。 グラフにあるように、@tatangarani は、2013 年1月から反レイシズム運動に参加していく。新しく形成 されたネットワークと、学習した「社会に対する感覚」に支えられて、ためらうこと無く次の運動に参 入したのである。

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Figure 14 3.11 以後の Twitter メッセージでの各カテゴリーの割合(%)時系列推移。単位は各月ごとに出現し たカテゴリーの%である。(From 16:53, March 11, 2011 to 16:16, August 4, 2013. 30 months. 46,395 Twitter messages)

Table 1 カテゴリーに含まれる単語 *反原発運 動 (Aniti Nuke Acts) 首相官邸 / 大飯原発 / 規模 / 拡散 / 再稼働 / 官邸前 / 停止 / 金曜 / 撤回 / ツイートボタ ン / 国会 / 参加 / MCANjp / 関電 / 自民党 / 原発 / 反原発 / 官邸前抗議 / 再稼働反対 / 本店 / 稼動 / 緊急 / 協力 / 反対 / 抗議行動 / 原子力規制委員会 / 議事堂 / エリア / 金 曜日 / 首都圏反原発連合 / 反原連 / 国会 / 占拠 / 包囲 / 本部 / 永田町 / 抗議 / 霞が関 / TwitNoNukes / 反原発デモ / twitnonukes / nonukes

*被曝 (Radiation Exposure) 汚染 / 福島 / 測定 / セシウム / チェルノブイリ / 検査 / 被害 / 避難 / 検出 / 安全 / 調査 / 食品 / 食物 / 放射線 / 瓦礫 / 放射性物質 / 線量 / ベクレル / 被ばく / 被曝 *子供 (Children) 子供 / 守る / 大人 / 親 / お母さん / 避難 / 学校 / 妊婦 / 母親 / 健康 / 安全 / 未来 / 白血病 / 子供たち / 鼻血 / 育てる *日本 (Japan) 日本 / 世界 / 国 / 政府 / 日本人 / 海外 / アメリカ / 国民 / ドイツ / 事故 / 社会 / チェ ルノブイリ / 米国 / 中国 *反差別 運動 (Anti Racism)

Twitter アカウント A / Twitter アカウント B / Twitter アカウント C / Twitter アカウント D /Twitter アカウント E / カウンター / コリア /ネトウヨ / ライブハウス A / プラカード隊 / プ ラカ隊 / ヘイトスピーチ / マイノリティ / レイシスト /レイシズム / 作家 A / 界隈 / 外国人 / 韓国 / 嫌がらせ / 差別デモ / 差別主義者 / 差別発言 / 在特会 / 在日韓国人 / 在特会会長 氏名 / 新大久保 / 朝鮮 / 朝鮮人 / 特権 / 排外 / 反韓デモ / 部落

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6. 結論

本発表では、二人のアーティストと、 一人のビジネスウーマンのインタビュー及び Twitter メッセー ジの分析によって、人々が社会運動に参加する過程における、アートとインターネットの役割について 叙述しようとした。分析を通して次のことが理解できた。 二人のアーティストにとって、アートは、ネットワークと独自の「社会に対する感覚」を培う土壌で あった。毛利(2009)の言う「ストリートの思想家」が生み出される背景である。一方社会運動におい てアーティストは、芸術的な表現を時には抑制することも自らに求める。しかし、同時にアーティスト が社会運動に参加することによって、参加者、一般市民に様々な影響を与えている。事例で見たように、 ビジネスウーマンの@tatangarani は、斉藤和義の行動によって決定的に背中を押され、デザイナーの作る グッズによって、自分の経験と記憶を形作っている。さらに、芸術は埋め込まれているものとして今の 社会運動を内側からささえ、自己表現の方法の洗練や、表現を媒介とする共同体の作り方等に影響を与 えている。 他方でインターネットは、これらの社会運動の基本的なインフラストラクチャーとして、情報の交換 の場所であると同時に、新しい人間関係を形成する手段となっている。社会関係資本論で言うところの 「橋渡し機能」を担っている(宮田 2005)。さらに、参加者はインターネットに書き込むことによって、 参加者自身の発言を対象化し、再帰的に自己のあり方を形成していく。 継続的な課題を挙げておく。本発表で作成し使用したカテゴリー規則(Table 1)を使って、社会運動 における共同の物語の構造と、組織者の物語の構造、個人の物語の構造比較を行う事を計画している。 官邸前抗議のスピーチ集をデジタル化したもの、Misao Redowolf の全 Twitter テキスト、@tatangarani の 全 Twitter テキストを対象としては分析し、別稿にて発表予定である。

Acknowledgments

This presentation is an output based on the Internet History in Australia and the Asia-Pacific, 2010 – 2013, ARC Discovery Project ID: DP1092878.

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Figure 1 Misao Redwolf  と Anna Sui に提供したデザイン、並びに反原連旗
Figure 3  ECD  Rapper  とアルバム「失点  IN THE PARK」
Figure 10  「ル・パン・コティディアン  で、オーガニック小麦の全粒粉パン購入。  併設のベーカリーレスト ランで食べたら美味しかったので、パン好きな父のために実家にも送る〜 ☺♡  #Twitpict」(2011 年 2 月 26 日)  3.11 の後
Figure 13 3.11 以後の Twitter メッセージ  頻出単語共起ネットワーク図。 (From 16:53, March 11, 2011 to 16:16,  August 4, 2013
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参照

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