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駒澤大學佛教學部研究紀要 37 - 004平井 俊榮「平安初期における三論・法相角逐をめぐる諸問題」

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Academic year: 2021

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全文

(1)

Komazawa University

七 二

Kom 三1z三1w三1 Umversrty 序  

武 天 皇 ( 七 八 一 − 八 〇 六 在 位 )   は 延 暦 三 年   ( 七 八 四 )

を 奈 良 か ら 長 岡 に

し 、 さ ら に 延 暦 卜 三 年 ( 七 九 四 )

営 中 の 長 岡 京 を 放 置 し て 平 安 京 に 都 を 遷 し た 。 仏 教

の 上 で は 最 澄 ( 七 六 ニ ー 八 二 二 ) 空 海 ( 七 七 四 − 八 三 五 ) の 天 台 真 言 二 宗 の 新 仏 教 に 代 表 さ れ る 平 安 仏 教 の 幕 開 け で あ る 。

武 天 皇 は

良 仏 教 の 積 年 の 宿 弊 を 打 破 し 、 仏 教 界 の 刷 新 を 図 る べ く 数                                         ( 1 ) 多 く の 寺 院 僧 侶 に 対 す る 取

り の 制 令 を 発 布 し て 、

力 な 仏 教 統 制 政 策 を 推 進 し た 。 し か し 天 皇 に よ る 仏 教 界 の

は、 仏 教 の 抑 圧 が 目 的 で は な く

僧 界 に お け る 人

見 が 目 的 で あ っ た か ら む し ろ こ の 朝 廷 の 僧 界 改 革 は

教 の 世 俗

判 的 で あ っ た

侶 の 活 動 を 助 け る こ         ( 2 ) と に な っ た 。 最 澄 や 空

の 活 躍 に よ る 新 仏 教 の 興 隆 は 、 一 に こ う し た 教 界 改 革 の

運 に よ っ て 醸 成 さ れ た も の で あ っ た 。 同 時 に そ れ は 、 当 初 粛 正 の 対 象 で あ っ た

の 旧 仏 教 に 対 し て も 新 た な

力 を 賦 与 す る も の で あ っ た 。 こ こ に 生 じ た 新

向 が 法 相 宗 を 中 心 と す る

仏 教 の 教 学 的 復 興 で あ る 。 そ こ で 今 こ れ に 、 同 じ く 「

」 と し て 、 か つ て 南 都 仏 教 を 代 表 し た 三 論 宗 が ど う 関 わ り、 ど の よ う な 盛 衰 を 示 し て 新

代 に 処 し た か を 、 法 相 宗 と の

逐 を と お し て 一

し て み よ う と い う の が 、 本 稿 の 主

で あ る 。 、 年 分 度 者 制 の 変 遷 よ り み た 両 者 の 相 克   桓 武 天 皇 の 仏 教

制 政 策 の

軸 を 端 的 に 示 す も の が 得

制 度 の 改 革 で あ る 。 当 時 準 用 さ れ て い た 得 度 制 度 は 、 天 平 六

( 七 三 四 ) に 制 定 さ れ た も の で そ の 全 文 は 次 の よ う な も の で あ る 。   仏 教 流 伝 必 在 二 僧 尼 ハ 度 二 人 才 行 一 実 二 簡 所 司 噛 比 来 出 家 不 〆 審 二 学   業 ハ 多 由 二 嘱 請 噛 甚 乖 二 法 音 禦 自 〆 今 以 後 、 不 〆 論 二 道 俗 ハ 所 レ 挙 度 人 、

(2)

NII-Electronic Library Service   唯 取 下 闇 二 誦 法 華 経 一 部、 或 最 勝 王 経 冖 部 → 兼 解 二 礼 仏 一 浄 行 三 年 以   上 者 か 其 取 二 僧 尼 兒 一 詐 作 二 男 女 ハ 得 二 出 家 一 者 、 准 7 法 科 〆 罪 、 所 司 知                                   ( 3 )   而 不 γ 正 者 与 同 罪 、 得 度 者 還 俗、 奏 二 可 之 一 こ の 天 平 六 年 の 得 度 規

に も 「 比 来 の 出 家 は 学 業 を 審 に ぜ ず 、 多 く 嘱 請 に 出 る こ と

だ 法 意 に 乖 け り 」 と あ る よ う に 奈 良 時 代 も 後 期 に い た っ て 国 家 仏 教 の 隆 盛 は そ の 頂 点 に

し 、 よ う や く 寺 院

侶 の 腐 敗 が

だ し く な っ た こ と を う か が わ せ 、 こ れ を 正 そ う と す る 意 図 の 下 に 発 せ ら れ た 制 令 で あ る こ と が 読 み と れ る が し か も な お 改 正 の 骨 子 は 「 法 華 経 一 部 或 い は 最 勝 干 経 一 部 を 闇 誦 し 兼 ね て 礼 仏 を 解 し 浄 行 三 年 以 上 の 者 を 取 っ て

度 せ し め ぽ 学 問 弥 長 じ 、 嘱 請 自 ら

ま ん 」 と い う も の で

定 の 護 国 経 典 の 暗 誦 能 力 を 最 重

す る 天 平 国 家 仏 教 の 埓 外 に 出 ず る も の で は な か っ た 。 こ れ に 対 し て 延 暦 十 七

( 七 九 八 ) 四 月 十 五 日 に 発 布 さ れ た

と い う の は 、 お よ そ 次 の よ う な も の で あ っ た 。 雙 林 西 変 隅 三 乘 東 流 、 明 譬 二 炬 灯 嚇 慈 同 二 舟 橄 → 是 以 弘 7 道 持 γ 戒 、 事 資 二 真 僭 → 濟 μ 世 化 ノ 入 、 貴 在 一 高 徳 → 而 年 分 度 者 、 例 取 二 幼 童 { 頗 習 二 二 経 之 音 → 未 レ 閲 三 二 乘 之 趣 → 荀 避 二 課 役 { 纔 忝 二 緇 徒 → 還 棄 二 戒 珠 → 頓 廃 二 学 業 → 爾 乃 形 似 二 入 道 → 行 同 二 在 家 噛 鄭 璞 成 γ 嫌、 齊 竿 相 濫 、 言 念 二 迷 途 → 寔 合 レ 改 〆 轍 、 自 今 以 後 、 年 分 度 者 宜 乙 擇 下 年 卅 五 以 上 操 履 巳 定 、 智 行 可 7 崇 、 兼 習 二 正 立 旦 堪 〆 為 ソ 曾 者 上 為 甲 ア 之 、 毎 年 卜 二 月 以 前 、 曾 綱 所 司 、 請 二 有 業 者 納 相 封 簡 試 所 レ 習 経 論 、 惣 試 二 大 義 十 條 洲 取 二 通 五 以 上 者 「 具 レ 状 申 F 官、 至 レ 期 令 7 度 、 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 )   其 受 戒 之 日 吏 加 二 審 試 → 通 八 以 上 令 〆 得 二 受 戒 「 又 沙 門 之 行、 護 二   持 戒 律 → 荀 乖 二 斯 道 → 豈 日 二 仏 子 ハ 而 今 不 γ 崇 二 勝 業 → 或 事 二 生 産 噛 周 訓   旋 聞 里 → 無 7 異 二 編 戸 凸 衆 庶 以 〆 之 輕 慢、 聖 教 由 〆 其 陵 替 、 非 三 只 黷 訓   乱 真 諦 ハ 固 亦 違 d 犯 国 典 噛 自 今 以 後 、 如 ソ 此 之 輩 不 〆 得 三 住 7 寺 井 充 二   供 養 哨 凡 厥 齊 會 勿 レ 関 二 法 筵 → ゴ

知 而 不 γ 糺 者 與 同 罪 自 餘 之 禁   宜 / 依 二 令 條 哨 若 有 二 改 〆 過 修 行 一 者、 特 聽 二 還 住 → 使 下 夫 住 〆 法 之 侶 、                                     ( 4 )   彌 篤 二 精 進 之 行 ( 厭 〆 道 之 徒 、 便 起 巾 慚 愧 之 意 上 一 読 し て 明 ら か な よ う に 、 こ の 延 暦 十 七 年 の 勅

来 の 得

規 定 を 根 本 か ら 変 革 す る も の で あ っ た 。 す な わ ち

は 、 ま ず 従 来 の 年 分 度 者 が 「 例 と し て 幼 童 を 取 り 頗 る 二 経 の

を 習 う も 、 未 だ 三

の 趣 を 閲 せ ず 」 「 形 は 入 道 に 似 て 行 は 在 家 に 同 じ 」 も の で あ る と 断 じ て そ の 形 骸 化 を 糾 弾 し 、 こ れ を 大 要 次 の よ う に 改 め た の で あ る 。 す な わ ち 、 ω 年 分 度 者 は 、 年 三 十 五 歳 以 ヒ の 「 操 履 巳 に 定 ま り 、

ぶ べ ぎ

の 」 を 採 用 す る こ と 、

 

ま た 、 そ の 簡 試 の 法 に つ い て は

年 十 二 月 以 前 に

が 「 習 う

論 に っ い て

じ て 大

十 条 を

み 、 五 以 上 に 通 ず る

っ て 」 官 に 貝

す る こ と

 

の 受

の 日 に は 更 に

を 加 え 八 以 上 に 通 ず る も の を

戒 せ し む る 」 こ と な ど を 定 め た 諸 点 で あ る 。 こ の よ う な 仏 教 政 策 な い し

尼 育 成 に 関

る 基 本 方

の 一 大 転 換 に よ っ て 、 桓 武 朝 の

教 は 、 従 来 の

国 経 典 の 読

と 儀 礼 を

心 と す る 天 平 仏 教 と は

的 に 異 な っ た 、 教 学 中 心 の 仏 教 へ と 変 貌 せ ざ る を 得 な か っ た の で あ る 。 そ の 中 心 と な っ た の が 奈 良 末

か 七 三 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(3)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 ) ら 平 安 初 期 に か け て 開 花 し た 南

法 相 教 学 で あ っ た こ と は                                 ( 5 ) つ と に 学 者 に よ っ て

摘 せ ら れ て い る 。 同 時 に こ の 教 界

正 に と も な う 教 学

興 の

運 に

じ て 、 諸 寺 の 学

に も 法 相 を 学 ぶ 者 が

え 、 法 相 宗 の 勢 力 が 強 大 と な る に つ れ て 、 こ れ に

戟 さ れ た 南 都 を 代 友 す る も う 一 つ の 論 宗 で あ る 三 論 宗 と の 間 に 次 第 に

轢 を 生 ず る こ と と な っ た の で あ る 。 当 時 す で に 南 都 の 仏 教 界 は 法 相 宗 一 人 振 い 、 三

宗 は よ う や く

徴                                               ( 6 )

し か っ た こ と は 、 同 じ 延 暦 十 七

九 月 十 六 日 の 勅 に   法 相 之 義 立 F 有 而 破 γ 空 三 論 之 家 、 仮 ン 空 而 非 / 有、 並 分 γ 軫 而   齊 驚 、 試 殊 γ 途 而 帰、 慧 炬 由 7 是 逾 明 、 覚 風 以 γ 之 益 扇 と 三 輪 法 相 両

の 義 趣 を 明 ら か に し 、 さ ら に   ヘ       ヘ      ヤ         マ     ヘ                  ヘ               ヘ       ヨ            へ        も                      エ     ヘ         ヘ      コ           た     ヘ                 へ   此 来 所 γ 有 仏 子 偏 務 一 法 相 →

一 於 三 論 → 多 廃 二 其 業 ハ 世 親 之 説 雖 レ   ヘ             へ    う     ハ     ぬ     ヘ        へ   伝 、 龍 樹 之 論 將 レ 墜 良 為 二 曾 綱 無 ロ 誨 と

べ て 論 の 衰 退 を 嘆 い て い る 文 面 か ら も う か が う こ と が で き る 。 し か し こ の と き の 勅 は 、 さ ら に 語 を 次 い で   所 二 以 後 進 如 τ 此 、 宜 下 慇 懃 誘 導 、 両 家 並 習 仰 中 夫 空 有 之 論 経 二 馳   驟 一 而 不 γ 朽 、 大 小 之 乘 変 二 陵 谷 一 而 靡 占 絶 、 並 告 二 緇 侶 →、 知 = 朕 意 「   焉 と 述 べ て 、 三 論 法 相 空 有 両 論 が 、 相 並 ん で と も に 興 隆 す る こ と を 切 望 し て い る の で あ る 。 こ れ は 、 同 じ く 南 都 仏 教 を 代

す る 二 宗 の 、 一 方 の 極 度 の 不 振 は 、 教 学 の 復 興 に よ っ て 教

正 を 図 ろ う と し た 朝 廷 に と っ て 極 め て 不 本

な こ と で あ っ た に 違 い な い 。 そ こ で 朝 廷 の 強 力 な 梃 入 れ に よ っ て こ れ 七 四 が

隆 を う な が そ う と し た の が こ の 勅 の

図 す る も の で あ っ た 。 両 者 の

争 角 逐 の

後 に は こ う し た

廷 の

と い う も の も ま た 見 逃 す こ と の で き な い 要 因 で あ る 。   延 暦 十 七 年 に 抜 本 的 改 正 を み た 得 度 規 定 は 延 暦 二 十 年 ( 八 〇 「 ) 四 月 の 勅 に よ っ て そ の 一 部 が 改 正 さ れ た が 、 そ の 改 正 の 要 点 は 、 ω 自 今 以

二 十 以 上 の 者 を 取 り 、

 

試 の 日 に 二 宗 の 別 を 弁 ぜ し め 、

 

受 戒 の 日 に 審 試 を 加 え る こ と                     ( 7 ) な か ら し め た 、 点 で あ る 。 年 分 度 者 の

令 を 二 十 歳 以 上 と し 受 戒 の 日 に 審 試 を 加 え る こ と を 廃 し た の は 前 年 の 条

                            ( 8 ) 制 定 が 厳 に 過 ぎ た た め で あ ろ う が

 

の 日 に 「 二 宗 の 別 を 弁 ぜ し め 」 と あ る の は 、 勅 の 前 段 に   復 三 論 法 相、 義 宗 殊 γ 途 、 彼 此 指 揮、 理 須 二 粗 弁 と あ る よ う に 、 三 論 法 相 の 義 理 に 相 違 の 存 す る と こ ろ か ら 、 】 律 の

に よ っ て 二 宗 の 学 生 に 不 平

の 生 ず る こ と が な い よ う に 配

が な さ れ た た め で あ ろ う 。 こ の こ と は 背 後 に 得 度 制 を め ぐ る 両 老 の

轢 を 予 想 ぜ し め る も の で あ る 。 さ ら に 、 翌 延 暦 二 十 → 年 正 月 の 太 政 官

に   「 応 三 正 月 御 斉 會 及 維                     ( 9 ) 摩 等

均 請 三 ハ

学 僧 事 」 と い う の が あ る 。 こ れ は   上 件 諸 宗 、 各 有 二 所 趣 ハ 欲 7 興 二 仏 教 哨 廃 竺 不 可、 如 レ 聞 、 三 論 法   ゐ             へ      ぬ     へ    た            ヘ       ヘ      ヘ     ヘ            ヘ         ヘ         ヘ       ヘ            ヘ       ヘ     ヘ                  マ     ヘ                マ   相 彼 此 角 争、 阿 黨 朋 腐、 欲 7 専 二 己 宗 → 更 相 抑 屈 恐 有 μ 所 γ 絶、   自 7 今 以 後、 件 等 之 會、 宜 下 均 請 二 諸 宗 一 勿 〆 聽 二 偏 阿 → 周 知 二 諸 寺 一 分 ノ   業 競 学 卦

(4)

NII-Electronic Library Service と い う 内 容 の も の で あ る 。 こ れ に よ っ て

正 月 御 斉

と 十 月

摩 会 に は 、 六 宗 よ り 平 均 に 僧 侶 を 請

る こ と と な っ た の で あ る 。 そ の

緒 と な っ た も の は 、 実 に 「 三 論 法 相 彼 此

す 」 と 表 現 さ れ た 両 者 の 角 逐 抗 争 に あ っ た 。 し か も 後 段 に 「 己 宗 を 専 ら に せ ん と 欲 し て 、 更 に 相 抑

せ ぽ 、 恐 ら く は 絶 す る 所

ら ん 」 と あ る よ う に 、

相 宗 の 勢 力 が

大 と な っ て 、

宗 、 就 中 三 論

の 学 統 の

え ん こ と を 恐 れ た 朝 廷 の 配

、 な い し 、 三 論 宗 か ら の 抗 議 が

景 に あ っ た こ と が 暗 示 さ れ て い る 。 『 類 聚 国 史 』 に は 、 こ れ が         ヘ       へ       も       ヘ       ヤ       ヘ       ヤ       ヤ                                                                                                                                             へ   今 聞 、 三 論 法 相 二 宗 相 争 、 各 専 二 一 門 → 彼 此 長 短、 若 偏 被 〆 抑、 恐   、   、 ( 10 )   有 二 衰 微 一 と 若 干 表 現 に 違 い が 見 ら れ る が 、 そ の 趣 旨 は 一 層 明 瞭 で あ る 。 維 摩 会 等 の 「 三 会 」 の 講 師 を め ぐ る 両 者 の 確

に つ い て は 次 節 に 考 察 す る が 、 こ う し て 年 分 度 者 簡 試 の 制

三 論 法 相 両 宗 の

い を 中 心 に 、 そ れ に 対 す る 朝 廷 の 配

と い う 形 を と っ て 次 第 に 整 備 さ れ て い っ た の で あ る 。 す な わ ち 、 御

を め ぐ る 両 宗 の 抗 争 が 伝 え ら れ た 翌 二 十 二

( 八 〇 三 ) 正 月 二 十 六 日 に は 、   緇 徒 不 γ 学 二 三 論 噛 専 崇 二 法 相 → 三 論 之 学 、 殆 以 将 γ 絶 、 頃 年 有 γ 勅 、   二 宗 竝 行 、 至 二 得 度 一 者 、 未 γ 有 二 法 制 → 自 今 以 後 、 三 論 法 相 、 各 度             ( 11 )   五 人 、 立 為 二 恒 例 一 と い う 法

せ ら れ た 。 す で に 見 た よ う に 、 延 暦 二 十

に 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 ) は

試 の 日 に 二 宗 の 別 を

ぜ し め る 勅 が

布 さ れ た の で

る が 別 に 得 度 者 の 数 に

を 設 け る こ と は な さ れ な か っ た 。 「 頃 年 勅 有 り 二 宗 並 び に 行 わ る も、

に 至 る

だ 法 制 有 ら ず 」 と い う の は 、 こ の 間 の 事

を 示 す も の で

ろ う 。 そ こ で 、 こ の 勅 に よ っ て 、 三 論 法 相 の 二

に 各 平

に 五

を 度 す べ き こ と が 制 定 さ れ た の で あ る 。 次 い で 二 十 三

正 月       ( 12 ) 七 日 の

に お い て 重 ね て こ れ を 確 認 し 、 二 宗 の 学 生 を し て 法

・ 最 勝 ・ 華 厳 ・ 涅 槃 等 の 諸

ね て

ま し め る こ と と し 、 経 と 論 に

熟 す る こ と を 得 度 の 必 須 の

件 と し た の で あ る 。                                                   ( 13 )   延 暦 二 十 五 年 ( 八 〇 六 ) 正 月 新 興 の 天 台

最 澄 の 上

に よ っ て 諸 宗 度

、 並 び に 学 業 の 別 が 定 め ら れ 、 年 分 度 者 の 制 が ほ ぼ 完 備 さ れ る に い た っ た の は 、 こ う し た 経 緯 に 基 づ く も の で あ る 。 す な わ ち 、 こ の 年 最 澄 の 上 表 は

許 さ れ 天 台 宗 は 南 都 の

と な ら ん で 一 宗 と し て の 開 宗 を 見 た の で あ る 。 こ の 時 法

に よ っ て 各

の 年 分 度 者 は 次 の よ う に 定       ( 14 ) め ら れ た 。 華 厳 業 二 人 天 台 業 二 人 律 業 二 人 三 論 業 三 人 法 相 業 三 人 並 令 ン 讀 二 五 教 指 帰 綱 目 一 一 人 令 レ 読 二 大 眦 盧 舎 那 経 一 一 人 令 〆 読 二 摩 詞 止 観 一 並 令 γ 讀 二 梵 網 経 若 瑜 伽 声 聞 地 二 人 令 レ 読 三 二 論 一 人 令 ン 読 二 成 実 論 一 二 人 令 〆 読 二 唯 識 論 一 人 令 ン 読 二 倶 舎 論 一 七 五 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(5)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty     平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 )                               ( 15 )   承 和 二 年 (

一 五 ) に は 空 海 の 上 表 に よ っ て 、 さ ら に

言 宗 に 年 分 度 者 三 人 を 賜 い 、 六 宗 が そ ろ う の で あ る が 、 こ の 延 暦 二 十 五 年 の 法

は な が く 年 分 度 者 制 の 基 調 と な っ た の で あ る 。 し か し 、 朝

の 配 慮 に も か か わ ら ず 天 台 ・

言 二 宗 を

く 南 部 の 旧

教 の 中 で は 、 法

宗 一 人 栄 え る と い う 状 況 が さ ら に 続 い た の で あ る が

か ら 学

ま さ に 絶 え な ん と す と 称 さ れ た 三 論 宗 が 、

時 に も せ よ 復 興 の 兆 を 見 せ

相 宗 と 相

す る ま で に い た っ た こ と は 、 一 に 桓 武 朝 の 仏 教 統 制 策 に 基 づ く 教 学 の

励 ・

興 に よ る も の で あ っ て 年 分 度 者 制 度 の 変 遷 は そ の 間 の 事 情 を 極 め て リ ア ル に 反 映 し て い る と い え る 。 、 一 、 維 摩 会 講 師 を め ぐ る

執   三 論 法 相 相 争 う に よ っ て 、 正 月 の 「 御 斉 会 」 な ら び に 十 月 の 「 維 摩 会 」 に 六

よ り 平 等 に 僧 侶 を

ず る こ と と し た の                             ( 16 ) は 、 延 暦 二 十 一

正 月 の 勅 で あ っ た 。 こ の う ち 「 維 摩 会 」 は 、

足 の 忌 辰 に

興 福 寺 に お い て 十 七 口 間 『 維 摩 経 』 を 講

る 法 会 で

雲 三 年 ( 七 〇 六 ) 藤 原 不 比 等 が 鎌 足 の 忌 辰 に 藤 原 宮 で

し た の が は じ ま り で あ る 。 和 銅 ヒ 年 ( 七 一 四 ) 興

寺 の 落 慶 と と も に 同 寺 に お い て 修 さ れ る こ と と な り 、 の ち 一 時 中 絶 や 移

が あ っ た が 、 延 暦 二 十

( 八 〇 一 ) 再 び 興

寺 に

な が く 恒 例 と し て 同

で 修 さ れ る よ う に 七 六 な っ た も の で あ る 。 「

斉 会 」 の 方 は 毎 年 正 月 八 口 か ら 十 七 日 間

中 大 極 殿 で 『 金 光 明 最 勝 王 経 』 を 講 ず る

会 で

徳 天 皇 の

護 景 雲 二 年 ( 七 六 八 ) に は じ ま っ て い る 。 ま た

峨 天 皇 の 弘 仁 四

( 八 一 三 ) 正 月 か ら 殿 内 に お い て 『 最 勝 毛 経 』 の 論

が 始 行 せ ら れ、 爾 来 恒 例 と な っ た が 、 こ れ を 「 御                 ( 17 )

会 内 論

」 と 称 し た 。 の ち に 三 論 対 法 相 を は じ め 、 各 宗 の

に よ る

で の 論 義 が 行 わ れ た の は こ の 「 御 斉 会 」 で の こ と で あ る 。 こ う し た 論 義 ・ 法

の 場 と し て の 法 会 が し ぽ し ば 定 期 的 に 開 か れ 、 そ の 形 式 が 整

し た の も

安 初 期 の 仏 教 改

の 成 果 の 一 つ で あ る 。 の ち さ ら に 淳 和 天 皇 の 天 長 七 年                           ( 18 ) ( 八 二 〇 ) 九 月 十 四 日 の 大 政 官 符 に よ っ て 、

寺 に 「 最 勝 会 」 が 修 せ ら れ る こ と が 決 定 し 、 い わ ゆ る 「

三 会 」 が 出                                             ( 19 ) 揃 う の で あ る が 、 仁 明 天 皇 の 承 和 元 年 ( 八

西

) の 勅 に よ っ て 、 毎 年 十 月 一

会 」 の 講 師 を 勤 め た も の が 、 明 年 の 「

会 」 及 び 「 最 勝 会 」 に お い て も 必 ず 講 師 と な り 、 こ の 「 三 会 」 の 講

た 者 が そ の 巳 講 の 労 に よ っ て

綱 職 に 任 ぜ ら る べ ぎ こ と が

め ら れ て 以 来   「 二 会 」 の 中 で も と く に 「

摩 会 」 の 講 師 は 、 学 僧 の 登 竜

と し て 、 そ の

せ ら れ る こ と は →

栄 と み な さ れ る よ う に な っ た 。   今 『 僧 綱 補 任 』 ( 巻 一 ) に よ っ て 「 維 摩 会 講 師 」 と し て 登 録 さ れ た 者 を 見 て み る と 、 延 暦 元

( 七 八 二 ) か ら 天 長 十 年 ( 八 三 二 ) の 五 十 二 年 間 に は 、 わ ず か 八 人 の

前 を 見 出 す に

(6)

NII-Electronic Library Service 過 ぎ な い 。 そ の う ち 法 相 宗 が 六 人 天 台

一 人 、 不 明 一 人 で あ る 。 し か し 、 当 然 の こ と な が ら 、 「 維 摩 会

師 」 が 「 三 会 」 の 講 師 を

ね る こ と と な っ た 承 和 元 年 ( 八 三 四 ) か ら は

補 任 』 の 記

の 中 で は 、 と く に そ の

に 登 用 さ れ た 「

会 」 の 講 師 に つ い て は 、 必 ず 所 属 の 宗

・ 住

な い し 出 生 地 ま で も 明

さ れ る よ う に な っ た 。 し た が っ て 、 「

会 講 師 」 に 就

し た 学 僧 の 宗 派 や 住 寺 を 見 れ ぽ そ こ に 、 あ る

で 、 各 宗

力 の 消 長 の 一 端 を う か が う こ と が で き る の で あ る 。 そ こ で

、 平 安 初 期 の 後 半 に つ い て 、 「 三 会 一 講 師 」 の 詔 勅 が 発 布 さ れ た 仁 明 天 皇 の 承 和 元 年 ( 八 三 四 ) か ら 、 陽 成 天 皇 の 元 慶 八 年 ( 八 八 四 ) に 至 る ま で の 五 十 一 年 間 に 、 「

摩 会 講 師 」 に 就 任 し た 者 の 名 前 と 所 属 の 宗 派 ・ 寺 院

を 列 記 し て み る と 次 の 如 く で あ る 。  

1

、 承 和 元

( 八 一 二 四 )

 

 

 

法 相 宗  

2

、   ”                           ”  

3

      〃   へ 4盈     〃

5

  ”   モ

6

      〃

7

  ”

8

  〃 Q ゾ       〃 二

( 八 三 五 ) 一 二

( 八 一 二 六 ) 四 年 ( 八 三 七 ) 五

( 八 三 八 ) 六 年 ( 八 三 九 ) 七 年 ( 八 四 〇 ) 八 年 ( 八 四 一 ) 九

( 八 四 二 )

i

寿 実 泰 恩 平 隆

豊 寿

敏 濱

法 恵 海 明 遠   〃   〃 三 論

法 相 宗   〃 三 論

法 相

西 大 寺 元 興

西 大 寺 興

寺 大 安 寺 興

寺 元 興 寺 西 大 寺 興 福 寺 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 )

31

 

30

 

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  、       、        、       、        、       、        、        、       、        、        、        、        、        、        、        、        、        、       、        、        、        、 〃 〃 〃 〃 〃 嘉 祥 元 年 ( 八 四 八 ) 〃   二 年 ( 八 四 九 ) 〃

 

三 年 ( 八 五 〇 ) 仁 寿 元 年 ( 八 充 一 ) 〃     二 年 ( 八 五 二 ) 〃     三 伍 − ( 八 五 三 ) 斉 衡 元 年 ( 八 五 四 ) 〃     二 年 ( 八 五 五 ) 〃

 

三 年 ( 八 五 六 ) 天 安 元 年 ( 八 五 七 ) 〃   二

( 八 五 八 ) 貞 観 元

( 八 五 九 ) 〃 〃 〃 〃 〃       十 十 十 十 六 五 四 三 二       四 三 二 ・十 年 年

年      

年 年

   A   A  A   A      A   A    A   A     八 八 八 八 八       八 八 八 八 八 六 六 六 六 六       四 四 四 四 四 四 三 ニ ー 〇       七 六 五 四 三 )   @ )    ) @   j     )          @ )    ) @   j  

   

興 賢

明 道 恵 正 真

浄 光 戒

願 実

得 智 応 照 賢 徳 哲

唱 叡 進

恵 詮

教 善 燈

詮 建 貞 暁 基 勢 三 論 宗 法 相 宗 三 論 宗

三 論 法

O

〃 論 宗

@

相 宗 華 厳 宗 法 相 宗 三 論 宗 華 厳 法 宗

O

宗   〃

厳 宗 七 七 血

興 法 興

薬   元 薬 法 興 西 興   元 興 元

元 興 大

大 興

福 隆 福 師

興 大 師

隆 福 大 福 〃

興 福

興 福

安 寺 寺 寺寺寺 寺  寺寺寺 寺 寺 寺 寺 寺寺寺寺 寺 寺 N工 工 一

(7)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 )

51

  、 〃

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〃   七 年 ( 八 六 五 )   八 年 ( 八 六 六 )   九 年 ( 八 六 七 )   十 年 ( 八 六 八 ) 十 一

( 八 六 九 ) 十 二 年 ( 八 七 〇 ) 十 三 年 ( 八 七 一 ) 十 四 年 ( 八 七 二 ) 十 五 年 ( 八 七 三 ) 十 六 年 ( 八 七 四 ) 十 七 年 ( 八 七 五 ) 十 八 年 ( 八 七 六 ) 一  

元 年 ( 八 七 七 )       ’   一 一 二     、 丶   津 一 丶 ノ       一 や 「   厂 ノ 丿 し . ノ 乂 三

( 八 七 九 ) 四 年 ( 八 八 〇 ) 五

( 八 八 一 ) 六 年 ( 八 八 二 ) 七 年 ( 八 八 → 二 ) 八

( 八 八 四 ) 延 峯

安 隆 基 義 教 安 春 隆 薬 玄 長 豊

長 法 平 平 保 基 忠 海

光 秀 叡

口 春 興 海 仁 栄 源 栄 宗 朗 勢 智 恩 三

法 相 宗 天 台

宗 三 論 宗 法 相 宗   〃 華

宗 法 相

三 論 宗 法 相 宗 西 大

薬 師

延 暦

薬 師 寺 元 興 寺 興 福

元 興

東 大 寺 薬 師 寺 元 興 寺 大 安

(   〃 兼 律 宗 ) 元 興

  〃   〃

厳 宗 法 相 宗 三 論 宗 法 相 宗   〃 〃 以 上 五 十 一 人 中

の 内 訳 は 、   法 相 宗 三 十 一 人 三 論 宗 十 三 人 華 厳 宗 六 人 興 福 寺 薬 師 寺

大 寺 薬 師

大 安 寺 興

寺 元 興

〃 天 台 宗 一 人 七 八 で あ る 。 法 相 宗 が 圧 倒 的 に 多 い こ と は 予 想 通 り で あ る が 学 統 ま さ に 絶 え な ん と す 、 と い わ れ 、 承 和 以 前 に は 殆 ん ど 「

                                    ( 20 ) 摩 会 講 師 」 に そ の 名 を 列 ね る こ と も な か っ た 三 論 宗 と し て は 、 予 期 以 上 の 選 出 が 見 ら れ る 。 こ れ は 法 相

を 除 く 旧 南

の 中 で は 、 わ ず か に 華

の 出 身 者 六 名 が そ の 名 を 留 め て い る に 過 ぎ な い の を 見 る と き 、 依 然 残 る 五 宗 の

で は 、 三 論 宗 が 法 相

と 抗 し

る 唯 一 の 宗 派 で あ っ た こ と が 知 れ る 。 天 台 宗 が 少 な い の は 、 当 時 ま だ 立 宗 後 日 が 浅 く 、 あ る 程                                       ( 21 ) 度 の

に 達 し た 学 僧 が 少 な か っ た か ら で あ る 。 と く に 三 論 の 場 合 前 後 に 比 較 的 補 任 者 が 少 な く 、 承 和 五 年 ( 八 ゴ 八 )

1

承 和 十 四

( 八 四 七 ) に か け て は 、 一

毎 に 法 相 宗 と

代 で 「 三

」 の 講 師 に

い て い る 。 こ れ は 平

最 初 期

武 大

の 教 学 興 隆

策 に 呼 応 し て 隆 盛 を 極 め た 法

宗 に 対 抗 し な が ら 、 自 ら も そ の 復 興 に

め た 成 果 が 、 こ の

代 に 集

的 に

わ れ た も の と み る こ と が で き 、 後 半 は よ う や く 教 学 尊 重 の 気 風 が ゆ る み 、 密 教 の

行 に と も な う 加 博 祈 疇 の 流 行 へ と 時 代 が 移 っ て い っ た た め に 、 次 第 に そ の

力 を 失 う に い た っ た も の で あ ろ う 。   参 考 ま で に 光 孝 天 皇 の 仁 和 元 年 ( 八 八 五 ) か ら 花 山 天

和 二 年 ( 九 八 六 ) に い た る 八 代 一 〇 二 年 間 の 平

中 期 の 場 合 を 見 て み る と 、 ( 『 僧 綱 補 任 』 巻 二 ) こ の

の 「 三 会 」 の 講 師 一 〇 二 人 中 、 法 相 宗 六 十 一 人 、 三 論 宗 十 八 人 、 天 台 宗 十

(8)

NII-Electronic Library Service 二 人 、 華 厳 宗 十 一 人 で あ る 。 前 代 と 比 較 し て 、 法 相 宗 の 隆 盛 と 三

宗 の 衰 退 が 対 照 的 で あ る 。   ま た 、 三 論 ・

二 宗 に つ い て 、 と 、 平

初 期 ( 五 十 一 年 間 ) で は 、 三 論 古 、 小 内 元 興 寺 大 安 寺 西 大 寺 法 隆 寺 十 三 人      :=   ノN 人 人 人 人 法 相 宗 内 興 福 寺 元 興 寺 薬 師 寺 大 安 寺 こ れ を 寺 院 別 に 見 て み る 三 十 → 人 十 三 人   九 人   五 人   → 人 と な っ て い る 。 こ れ が 平 安 中 期 ( 一 〇 二 年 間 ) に な る と 三 論 宗 内 東 大 寺 元 興 寺 薬 師 寺 十 八 人 _ _

±

人 人 人 法 相 宗 内 興 福 寺 東 大 寺 元 興 寺 薬 師 寺 西 大 寺 六 十 一 人 の よ う に 著 し い 変 貌 を 見 せ て い る 。

派 ( 北 寺 伝 ) が 比 較 的

い も の の 、 薬 師 寺 派 そ れ ぞ れ に 相

抗 し て い た 。 と 、 興 福 寺 派 が 圧 倒 的 に

勢 と な り、

退 著 し い も の が あ る 。 こ れ は 、 十 三 人 七 人 四 人 三 人 二 人     平 安 初 期 に は 法 相

は           元 興 寺 派 ( 南 寺 伝 ) 、       こ れ が 平 安 中 期 に な る       元 興 寺 派 、 薬 師

の   「

令 制 」 の 崩 壊 に と も な 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 ) い 経 済 的 基 盤 で あ る 寺 封 を 失 っ た 南

の 諸 大

、 と く に

興 寺 や 大

等 は 貴 族 の 保 護 も な く 、 困 窮 を 極 め た の に

一 人 興

寺 は 、 摂 関 政 治 に よ る

原 氏 の 全 盛 期 を 迎 え 、 そ の 氏

と し て 繁 栄 し た か ら で あ る 。 興 福 寺 と そ こ に 主

さ れ る 「 維 摩 会 」 を 抑 え る こ と に よ っ て 僧 綱 組

し た 法 相 宗 が 、 一 人 平 安 中 期 に も 権 勢 を

ち 得 た 所 以 で あ る 。   → 方 三 論 宗 は 、 平 安 初 期 に は 、 数 こ そ 少 な い が 、 元 興

大 安 寺 派 そ れ に

( 七 八 八 ー 八 五 六 ) に よ っ て 興 隆 さ れ た 西 大

派 の 三 論 な ど

衡 の と れ た 選 出 が

ら れ た 。 し か し 、 平 安 中 期 約 百 年 間 に 、 大 安 寺 は

論 、 西 大 寺 ・ 法 隆

か ら も 一 人 も 選 出 さ れ な か っ た 。 ま た 、 元 興 寺 の 退 潮 が 目 立 つ の も 法 相 宗 の 場 合 と 同 様 で あ る 。 代 っ て 登 場 し た の が

寺 と 薬 師 寺 で と く に 東 大

の 抬 頭 が 目 覚 ま し い 。 こ れ は 、 聖 宝 ( 八 三 ニ ー 九 〇 九 ) に よ っ て 、 元 興

派 と 大 安 寺 派 の 三

宗 が 東 大 寺 東 南 院 に 移 さ れ 、 こ こ を 中 心 に し て

教 兼

の 三 論 が 研 究 さ れ る よ う に な っ た た め で あ る 。 平 安

期 は 各 宗 と も 密 教 の

わ れ た 時 代 で あ る が と く に 東 大 寺 東 南 院 を

心 と す る 三 論 の 急 速 な

化 に よ っ て 、

が り な り に も

相 宗 と

抗 し て き た 三 論 の 独 立 性 は 著 し く

失 し て し ま っ た の で あ る 。 七 九 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(9)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 ) 三 三 論 法 相

論 の 歴

         

e

  道

と 神

の 故 事                                     ( 22 )   わ が 国 三 論 宗 の 第 三 伝 に 数 え ら れ る 道 慈 (

1

七 四 四 ) は 大 宝 元

( 七 〇 一 ) 入 唐 し て 三

の ほ か 広 く

を 学 び

老 二

( 七 一 八 ) 帰 朝 し た 。

後 大 安 寺 に

天 平 九

( 七 三 七 ) 大 極 殿 に お け る 「 最 勝 会 」 ( の ち の 「 御 斉

」 ) の 講 師 と な る な ど 、 聖 武 天 皇 の 親 任 が 厚 か っ た 。 と こ ろ で 、 『

昔 物 語 』 巻 第 十 一 に 、 こ の 道 慈 が 帰 朝 し た 折 、 法 相 宗 の   ( 23 ) 神 叡 (

1

七 三 七 ) と

廷 に お い て 論 義 百 条 を 互 い に 問 答 し た こ と が

え ら れ て い る 。 す な わ ち   今 昔 聖 武 天 皇 ノ 御 代 二 道 慈 神 叡 ト 云 フ ニ 人 ノ 僣 有 ケ リ 道 慈 ハ ( 中   略 ) 聖 武 此 ノ 朝 二 更 二 此 ノ 人 二 並 ブ 智 者 無 カ リ ケ リ 然 ル 問 法 相 宗   ノ 僭 神 叡 ト 云 フ 者 有 ケ リ ( 中 略 ) 心 二 智 有 リ ト 云 ヘ ド モ 学 ブ 所 薄   ク シ テ 道 慈 ニ ハ 不 〆 可 レ 並 ズ 而 ル ニ 神 叡 心 ・ 一 智 恵 ヲ 得 ム 事 ヲ 願 ヒ テ     ( 中 略 ) 虚 空 蔵 菩 薩 我 レ ニ ロ 智 恵 ヲ 令 γ 得 給 ヘ ト 祈 ケ ル ニ 日 來 ヲ   経 テ 神 叡 ガ 夢 二 貴 キ 人 来 テ 告 テ 云 ク 此 ノ 国 添 下 ノ 郡 二 観 世 音 寺 ト   云 フ 寺 ノ 塔 ノ 心 柱 ノ 中 一 大 乘 法 苑 林 章 ト 云 フ 七 巻 ノ 書 ヲ 納 タ リ 其   レ ヲ 取 テ 可 7 学 シ ト 夢 覚 テ 後 神 叡 彼 ノ 寺 二 行 テ 塔 ノ 心 柱 ヲ 開 テ 見   ル ニ 七 巻 ノ 書 有 リ 是 ヲ 取 テ 学 ス ル ニ 吉 ク 智 ハ 有 ル 人 ト 成 ヌ 然 レ バ   天 皇 此 ノ 由 ヲ 聞 シ 食 シ テ 忽 二 紳 叡 ヲ 召 シ テ 王 宮 ニ シ テ 彼 ノ 道 慈 ト   A ロ セ テ 被 7 試 ケ ル ニ 道 茲 心 ハ 本 ヨ リ 智 ハ 広 カ リ ケ ル ガ 上 二 震 旦 二 渡   テ 止 事 無 キ 師 二 隨 テ 十 六 年 ノ 間 学 シ タ ル 者 也 神 叡 ハ 本 ヨ リ 智 リ 廣   キ 者 ト モ 不 γ 聞 ザ リ ケ レ バ 天 皇 智 恵 出 来 タ リ ト ハ 聞 シ 食 セ ド モ 何 八 〇 許 カ バ 有 ラ ム ト 思 シ 食 ケ ル ニ 道 茲 心 論 義 ヲ 為 タ リ ヶ ル ニ 神 叡 答 ヘ ケ ル 様 実 二 昔 ノ 迦 旃 延 ノ 如 シ 然 テ 論 義 百 條 ヲ 互 二 間 ヒ 答 ケ ル ニ 紳 叡 ガ 智 恵 朗 二 勝 タ リ ケ レ バ 天 皇 是 ヲ 感 給 テ 共 二 帰 依 シ 給 テ 各 封 戸 ヲ 給 テ 道 慈 ヲ バ 大 安 寺 二 令 レ 住 メ テ 三 論 ヲ 学 シ 帥 叡 ヲ パ 元 興 寺 二 令 7 住 テ 法 相 ヲ 学 シ ケ リ 彼 ノ 道 慈 ガ 影 縁 ハ 大 安 寺 金 堂 ノ 東 登 廊 ノ 第 二 門 二 諸 羅 漢 ヲ 書 如 ヘ テ 有 リ 彼 ノ 抻 叡 ガ 見 付 タ ル 七 巻 ノ 書 ハ 今 ノ 世 マ デ 伝 ハ リ テ 宗 ノ 規 模 ノ 書 ト 有 リ 是 ヲ 思 フ ニ 虚 空 蔵 菩 薩 ノ 利 益 量 無 シ 其 レ ニ 依 テ 榊 叡 モ 智 恵 ヲ パ 得 タ ル ト ゾ 人 云 ケ ル ト ナ ム 語 リ 伝       ( 24 ) ヘ タ ル ト ヤ 神

は 唐 の 人 で 、 来 朝 し た 時

に つ い て は

か で な い 。 元 興 寺 に 住 し 唯 識 を 講 じ 、 元 興 寺

( 南 寺 伝 )

相 宗 の 基 礎 を

い た 人 で あ る 。 『 元

』 に 旧、 学 三 空 に

読 諦 に 周 ね し 」 と 伝 え ら れ る と こ ろ か ら 『 本

伝 』   に は 「 博 く 法 相 を 究 め 、

ね て 華 厳 と 三 論 を

く す 」 と い っ て い る 。 ま た 、 と も に [ 世 に 虚 空 蔵

薩 の 霊 感 を 得 」 と 伝 え て い る の は 、 『 今 昔

語 』 の 伝 説 に よ る も の で あ ろ う 。 『 元 亨 釈 書 』 『 本 朝 高 僧 伝 』 と も に 道 慈 と の 論

の こ と は

録 し て い な い が 、 後 者 に 「 大 安 寺 の 道 慈 と 並 び 名 あ り 。

に 天 下 桑

の 秀 と

す 」 と 伝 え て い る 。 神 叡 は

老 元 年 ( 七 一 七 ) 道 慈 の 帰 朝 の 前 年 に 律 師 に

じ 、 天 平 元

( 七 二 九 )

に 任 じ て い る が

慈 が 律 師 に 補

し て い る 。 以

天 平 九 年 ( 七 三 七 ) 神 叡 示

ま で こ の 二 人 が 三 綱 職 を 勤 め て い る と こ ろ か ら 、 三 論 法

両 宗 を 代 表 す る 好 敵 手 で あ っ た こ と は

(10)

NII-Electronic Library Service か で あ る 。 『

昔 物 語 』 の 成 立 は 出 典 の 一 つ で あ る 『 弘

伝 』 ( 大 正 蔵 五 一 ) が 日 本 に

来 し た 保 元 元 年 ( 一 一 二                                                   ( 25 ) ○ ) 以

と 推 定 さ れ る か ら 、 早 く と も 十 二 世 紀 前 半 で あ り 本 書 に 見 る 道 慈 神

論 の こ と は 、 平 安 初 期 の 三 論 法 相 の

を 基 に 作 ら れ た

の 伝 説 と も

え ら れ る が 、 い ず れ に せ よ 、

拠 は 十 分 考 え ら れ る こ と で あ る 。 興 味 の あ る の は

初 期 に 三 論 法

を 代 表 し て 論 議 を 戦 わ し た 主 要 な 学

は 、 い ず れ も こ の 両 者 の 系 統 か ら 出 て い る 点 で あ る 。 そ の

味 で 、

じ く し 、 天 平

教 の 学

と し て 両 宗 の 双 壁 を な し た 両 者 論

説 は の ち の 三 論 法 相 論

の 濫 觴 を な す も の で あ っ た 。          

O

と 慈 訓             ( 26 )                                       ( 幻 )   三 論

1

七 七 八 ) と

相 宗 の 慈 訓 (

七 七 七 ) に は 、 直 接 対

論 争 の こ と は 伝 え ら れ て い な い が 、 こ の 二 人 を

り 上 げ た 理 由 は 、

は 道 慈 の 弟 子 で は じ め て 法 相 宗 の 五 性 説 に 異

を 唱 え 一 乗 説 を 主 張 し た 人 で あ り、 こ れ に 対 す る 反 論 と

わ れ る も の が 、

良 朝 末 か ら 平 安 に か け て 作 ら れ た 『 掌 珍 量 碧 』 一 巻 ( 大 正 蔵 六 五 )   で 、 そ の 作 者 に 擬 せ ら れ て い る 仁 秀   (

1

八 〇 八 ) が

訓 の 弟 子 で あ る 。 し た が っ て こ の こ ろ か ら 具 体 的 な 著

に よ る 三 論 法 相

論 の 歴 史 が 始 ま                         ( 28 ) っ た と

え ら れ る か ら で あ る 。   こ の 両 者 も 全 く 同 時

人 と し て そ の 生 涯 を 共 に し た 。 す な 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 ) わ ち 天 平

宝 八 年 ( 七 五 六 ) 両 者 は 同 時 に

綱 職 に 就 い て い る 。 つ ま り こ の 時 慈 訓 は 少

都 に

師 に

任 し ( 29 ) た 。 天 平 宝 字 七 年 ( 七 六 三 ) 道 鏡 (

1

七 七 二 ) が

に 就 任 し た 年 慈 訓 は 職 を 辞 し 、 さ ら に 天 平

護 元 年 ( 七 六 五 )

鏡 が 太 政 大 禅 師 と な り 、 翌 年 法 王 位 を

け ら れ た と き に は 、 慶 俊 も 僧 綱

を 辞 し て い る 。 そ し て 道 鏡 が 政 治 的 に 失

し た の ち

元 年 ( 七 七 〇 ) 両 者 そ ろ っ て 少 僧 都 に 復 任 し 、 以 後 八 年 と 九

に 相 次 い で 示 寂 す る ま で 、 と も に 少 僧 都 の 職 に と ど ま っ た の で あ る 。 し て み る と 、 両

は 道

と は 政

的 に 反 対 の 立 場 に あ っ た こ と が う か が わ れ る 。 こ と に 慈 訓 は 、 道 鏡 の 反

で あ っ た 藤 原 氏 の 氏

で あ る 興

寺 の 主

( 別 当 ) に は じ め て 就 い た 人 で あ り 、 藤 原 氏 一 門 と は と

に 親 し か っ た と 予 想 さ れ の ち の 興 福

系 法 相 宗

栄 の 基

い た 人 で あ る 。                                     ( 30 )  

の 著 書 に 『 一

仏 性 究 竟 論 記 』 六 巻 ( 欠 ) が あ る 。 こ の 中 で 慶

は 、 法 相

の 定

二 乗 の 立 論 に 欠 陥 が あ る こ と を 因 明 ( 論 理 ) の 立 場 か ら 指

し た と

え ら れ て い る 。 す な わ ち 、 源 信 ( 九 四 九

1

一 〇 一 七 ) の 『 一 乗 要 決 』 に ( 究 竟

緲 作 ・ 比 量 相 違 ・ 云 )   定 性 二 乘 、 亦 応 二 唯 一 仏 乘 等 言 之 所 τ 遮 宗   三 乘 所 攝 、 非 二 仏 乘 一 故 囚 如 二 不 定 乘 喩   ( 又 作 二 法 差 別 相 違 一 云 ) 八 一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(11)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 ) 二 乘 之 果、 応 レ 無 二 定 二 乘 性 ハ 乘 二 所 被 一 故、 如 二 大 乘 老 一                       ( 大 正 蔵 七 四 ・ 六 四 九 下 ) と あ り 、 同 じ 趣 旨 の 引 用 が 、 蔵 俊 (

〇 四 ー → 一 八 〇 ) の 『 唯 量 抄 』 巻 上 ( 日 本 大 蔵 経 、 法 相 宗 章 疏 ) に も 見 え て い る 。

用 が 簡 に 過 ぎ て 詳 細 は 不 明 で あ る が 、 現

料 に よ る 限 り 三 論 宗 の = 栞 説 の 立 場 か ら 法 相 宗 の 五 性 説 に 対 す る 論 難 の 嚆 矢 で あ る 。 こ れ に 対 す る

論 が 秀 法 師 撰 『 掌 珍 量 瞽 』 一 巻   ( 大 正 蔵 六 五 ) と 考 え ら れ 、 そ の 作 者 は 慈 訓 の 弟 子 で 興 福       ( 31 )                                 ( 32 )

の 仁 秀 (

1

八 〇 八 ) と 推 定 さ れ て い る 。 『 掌 珍 量 誉 』 は 清 辨 の 『 大 乗 掌 珍 論 』 二 巻   ( 大 正 蔵 三 〇 )   の

釈 で あ る が 、 論

に 「 夫 空 有 之 論 、 其

矣 、 略 挙 二 本 教 → 彰 二

論 由 二 ( 大 正 蔵 六 五 . 二 六 六 中 ) と あ る よ う に 、 必 ず し も 『 掌 珍 論 』 の 随 文 解 釈 で は な く 、 い わ ゆ る

辨 護 法 空 有 の

論 に 対 し て 、 法 相 宗 の 立 場 か ら 解 説 批 判 を 加 え た も の で あ る 。 し た が っ て 、 『 掌 珍 論 』 の 主 題 で あ る 「 真 性

為 空 」 ( 大 正 三 〇 ・ 二 六 八 中 )

辨 の 説 を 批 判 し   『 掌 珍 論 』 で 相 応 師 ( 護 法 ) の 説 を

じ て い る の を 救 釈 す る こ と が 本 書 の 主 題 で あ る か ら、 そ の

心 問 題 が 中 道 有 空 の 論 争 に あ る こ と は い う ま で も な い が こ れ が 単 に イ ソ ド に お け る 論 争 の 客

的 な 批 判 に と ど ま る も の で な い こ と は 、 本 書 の 最 後 に 仁 秀 が 次 の よ う に 私 見 を 陳

し て い る こ と か ら も 明 ら か で

る 。   几 清 辨 義 、 玄 奘 所 伝 、 何 故 餘 師 輒 加 レ 言 乎、 又 廣 百 疏 十 云 、 若 隨 レ 八 二   世 説 二 唯 識 一 者 、 亦 應 三 隨 γ 世 故 説 二 唯 境 一 云 云 、 若 無 レ 境 者 、 心 遂 不 ン   生 、 又 境 常 恒 心 数 間 絶 、 故 云 二 唯 境 ( 凡 伝 二 清 辨 宗 一 巳 是 玄 奘 、 玄   奘 巳 授 二 基 師 一 令 γ 立 、 自 〆 此 以 外 誰 更 進 二 於 天 竺 ハ 受 二 清 辨 宗 哨 諸 三   論 家 皆 受 二 基 師 → 今 依 二 誰 説 一 還 誹 レ 師 乎 、 又 智 論 中 論 十 二 門 論 此 三   部 論 龍 樹 造 、 百 論 二 巻 及 広 百 論 並 提 婆 造、 除 二 玄 奘 所 訳 広 百 論 {   自 餘 三 論 、 並 後 秦 弘 始 年 中 羅 什 訳、 羅 什 不 γ 立 二 悉 有 仏 性 義 叫 今 三   論 師 受 二 誰 所 説 立 二 悉 有 仏 性 一         ( 大 正 蔵 六 五 ・ 二 六 八 下 ) こ こ で 仁 秀 は 、 「 清 辨 宗 を 伝 え た の は 玄 奘 で あ り 、

が 窺 基 に

け 、 こ の

統 以 外 の 誰 が 入 竺 し て 清 辨 宗 を 受 け た か 」 と 反 問 し 、 「

三 論 家 は 皆 窺 基 に   (

を ) 受 け て い る の に 、

、 誰 の 説 に 依 っ て 還 っ て ( 基 ) 師 を

る や 」 と 批 難 し て い る 。 明 ら か に

秀 の 当 時 三 論

の 側 か ら 具 体 的 な 論 難 が あ っ て 、 本 書 が 撰 述 さ れ た こ と を 予 測 せ し め る も の で あ る 。 さ ら に 「 三 論 は 羅

訳 で あ る が 羅 什 は 悉

性 の 義 を 立 て て い な い 。 〈 、 誰 の 所 説 を 受 け て 悉 有 仏 性 と 立 つ る や 」 と 述 べ て い る の は 、 本 書 の 主 題 が 、 中 道

空 の 論 争 と と も に 、 仏 性 を め ぐ る 三 論 の 一 乗 説 と

の 五 性 各 別 説 の 相 違 が 、 実 は 隠 れ た 主 題 で あ っ た こ と を 示 す も の で あ り 、

時 の 両 者 の 論 難 往 復 が そ の 底 流 に あ っ た と い わ ざ る を

な い の で あ る 。 仁 秀 が 意 識 し た 具 体 的 な 相 手 が

で あ っ た か 必 ず し も 断 言 は で き な い が 、 『 掌 珍 量

』 の 隠 れ た 主 題 が 仏 性

に あ っ た こ と か ら 推 し て 、 同 時 代 の 慶

を 予 想 す る こ と は 、 あ な が ち

で は な か ろ う 。 以 上 は あ く ま で 、 奈 良 朝 末

の 出 来

(12)

NII-Electronic Library Service

で 、 本 格

争 の 始 ま る 平 安 初 期 の 前 兆 に 過 ぎ な い が 、

の 論 調 の

し さ か ら 推 し て 、 当 時 す で に 両 者 の 確 執 は か な り な 程 度 に ま で 進 展 し て い た こ と が う か が え る の で あ る 。          

 

寺 派 三 論

と 元 興

派 法 相

                                    ( 33 )   三 論 宗 で は 、 入

第 三 伝 の 道

か ら

議 ( 七 二 九

i

八 「 二 ) に 伝 わ っ た 系

を 正 系 と み な し て い る 。 ( 道

慶 俊 の

統         〔 訓 ) か ら 出 た 戒 明 は 三 論 と と も に 華

を 究 め 、 華 厳

じ て い る ) こ の

議 か ら 安 澄 ( 七 六 三 − 八 一 四 ) と 勤 操   ( 七 五 四 − 八 二 七 ) の 二 人 が 出 安 澄 の

か ら 玄

( ー 八 四 〇 ) 、 さ ら に 玄

の 門 か ら 実 敏 ( 七 八 八 ー 八 五 六 ) が 出 て

の 弘 仁 世

か ら 清 和 朝 の 貞 観 世 代 に 入 る ま で の 約 五 十 年 間 、 三 論 宗 側 の 主

を 演 ず る こ と と な っ た 。 こ れ ら は い ず れ も、 す で に 見 た よ う に 、 道 慈 に よ っ て 始 め ら れ た 大

派 三 論 宗 の 人 々 で あ る 。 た だ し 、 玄 叡 は 別 に 西 大

を も 補 し 、 弟 子 の 実 敏 も ま た 西 大

に 移 っ て 西

派 三 論

を 興 し た 。           ( 35 )   ま た 、 勤 操 ( 七 五 四 − 八 二 七 ) は は じ め

に 住 し た が 、

の 親 任 厚 く 、

仏 教

の 重 鎮 と し て 東 寺 や 西 寺

立 の 別 当 と な り 、 の ち 和 州 石 淵 寺 に 住 し て い る 。 勤

は 一 代 の 名

で 、 教 界 に あ っ て も 弘 仁 四 年 ( 八 = 二 ) 律 師 に

じ 、 同 十

( 八 一 九 ) 少 僧 都 天 平 三 年 ( 八 二 六 ) 大 僧

ぜ ら れ て い る 。 空 海 の 『 性 霊 集 』 に 収 め ら れ る 「 故

大 徳   ( 舗 )

讃 」 に よ れ ば 弘 仁 四 年 律 師 に 補 任 せ ら れ た と き 仁 明 天 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 ) 皇 は 大

殿 に お い て 勤 操 に 『 最 勝 王 経 』 を 講 ぜ し め 、 講 了 の 日 に 、 さ ら に 紫 震 殿 で

宗 の 大 徳 を 集 め て 教 理 を 論 ぜ し め た 。 こ の と

、 勤 操 は

主 と な り、 次 の よ う に 論 じ た と い わ れ る 。   三 論 是 祖 君 之 宗 法 相 則 臣 子 之 教 、 何 老 、 阿 曾 釈 一 龍 猛 之 中 観 →   護 法 註 二 提 婆 之 百 論 → 竝 稱 二 帰 命 阿 闇 梨 一 故 こ の 時 の 勤

の 舌

さ は 、 「

( 法 相 宗 ) の 名 将 も

衄 み 、 旗

か す 」 と 伝 え ら れ て い る 。 こ れ に よ っ て も 、 勤 操 の 当 時 、 「 御 斉 会 」 を は じ め と す る 法 会 に お い て 、 南

の 論

が よ う や く 盛 ん と な り 、 三

と 法 相 の

争 が そ の

心 で あ っ た こ と が 知 ら れ る 。 し か し 勤 操 に は 密 教 に も 意 を 用 い た 形 跡 が 濃 厚 で 、 『 本 朝 高

伝 』 に も 、 「 又 、 石 淵

を 和 州 に

大 い に 空 宗 を 張 り 、 兼 ね て 密 法 を 授 く 。 当 時 の 学

く 席 下 に 帰 す 」 と

え て い る 。 三 論 の 密 教 と の 兼 学 は 、

で に 、 道 慈 に そ の

向 の あ っ た こ と は 、 『 元 亨 釈 書 』 の 「 道

」 に 「

に 在 り て

者 に 逢 い 虚 空 蔵 求 問 持 法 を 得 す 。

は 善 議 に

え 、

操 に 伝 え 操 は 空 海 に 伝 う 」 と

る か ら 在 唐 の 折 広 く 諸 宗 の

論 を 学 ん で 帰 朝 し た と い わ れ る

慈 に 、 す で に

教 的 な 傾

ら れ た の で あ ろ う 。 か

て 三 論 の

教 と の

学 は か な り

い 時 期 か ら あ っ た と い わ ざ る を 得 な い 。 た だ し 、 勤 操 と 空 海 の 師 弟 関 係 に つ い て は こ れ             ( 73 ) を 疑 う 学 者 が

い 。 勤 操 は そ の 経 歴 か ら し て も 、 平

の 八 三 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(13)

Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 ) 三 論 宗 を 代

す る 学

で あ っ た が 、 す で に 密 教

学 の 傾 向 が 強 く 見 ら れ 、 著 書 の

在 も 知 ら れ て い な い こ と か ら む し ろ 純 粋 に 三 論 の 立 場 を 宣 揚 し 、 法 相 宗 と 抗 し た の は 、 安 澄 の

統 で あ っ た と 思 わ れ る 。 そ こ で 以 下 三 論 に つ い て は 、 安 澄

の 大 安 寺 派 三

を 中 心 に 論 を す す め て 行 き た い 。   一 方 法 相 宗 の

で 、 教 学 理

の 面 で こ の 三

大 安 寺 派 の 人 々 と 相

し た の は 、 元 興

法 相 宗 の 人 々 で あ る 。 前 に 道

と 神 叡 論

説 を あ げ 、 平 安 初 期 に お 互 い に 対 峙

論 し た の は 、 こ の 両 者 の

統 か ら 出 た 者 が 多 い と

べ た が こ の 神

の 系 統 が 元 興

派 法 相

( 南 寺 伝 ) で あ る 。 元 興 寺 に は も と も と 三 論 宗 元 興

派 が あ り 、 三 論 と は 確 執 す る 点 が 多 か っ た た め で あ ろ う 。 ま た 、

原 氏 に よ れ ば 、 興

寺 の 法 相 宗 ( 北 寺 伝 ) は 、 藤 原 氏 と の 関 係 も あ っ て 教 線 の

大 が 容 易 で あ り 、 比

早 く 大 成 時 代 に 入 っ た の に 対 し 、 元 興

統 は 、 そ の 不 利 な 立 場 上 さ ら に 遅 れ て 大 成 期 に 入 っ た と さ れ     ( 38 ) て い る 。 そ こ で 、 桓 武 朝 の

教 政 策 に 呼 応 し て 逸 早 く 興

し た 法 相 宗 に

立 し 、 追 随 す る 形 で よ う や く

興 し て き た 三

に と っ て は 興 福 寺 派 よ り 元 興 寺 派 法 相 宗 の 方 が 時 期

に 見 て 競 合 す る 場 合 が 多 か っ た と 考 え ら れ 、 両 者 の 間 に

を 繰 り 広 げ る こ と と な っ た の で あ る 。 今 、 本 稿 の 主 題 に 関

あ る 学 僧 に つ い て の み 、 こ れ を 系 統 図 に

わ し て み る と 次 の よ う な 対

が 見 ら れ る 。 三 論 宗 大 安 寺 派 ( 大 安 寺 ) 道   慈 八 四 ( 1 七 四 四 ) 法 相 宗 元 興 寺 派           ( 歓

          ( 七 六 三 ー   (

1

八 四 〇 ) ( 七 八 八 ー             八 一 四 )         八 五 六 )                           ( 元 興 寺 ) 褪 ・

( 尊 応 ) −

? 七

) ( 薬 師 寺 元 興 寺 ) ( 元 興 寺 ) 仲

 

明   詮 (

i

八 四 三 × 七 八 九 −           八 六 六 )

ω

 

安 澄 と 泰 演

 

朝 の 延 暦 年

分 度 者 制 度 を め ぐ っ て 確 執 を 続 け た 両

争 は

朝 廷 に よ る 積 極 的 な 教 学 興

を 背 景 に こ れ も 近 年 よ う や く 盛 ん と な っ た 宮

の 「 法 会 」 と い う 公 開 の 場 に お い て

論 の 対 決 と い う 形

を と っ て 展 開 す る こ と と な っ た 。

峨 天 皇 の 弘 仁 の 初 め し ば し             ( 33 )                         ( 32 ) ば 行 わ れ た 安 澄 ( 七 六 三 − 八 一 四 ) と 泰 演 の 論 争 は そ の 代 表 的 な も の で あ る 。

 

こ れ を 安 澄 の 側 か ら 見 る と 、 『 日 本

』 の 安 澄

の 条 に

(14)

NII-Electronic Library Service   法 師 為 レ 人 敏 給 、 西 大 寺 律 師 泰 演 特 為 二 仇 敵 → 奉 二 対 龍 顔 一 共 争 二 折                   ( 34 )   角 → 彌 勒 出 世 勝 負 定 矣 と

え ら れ て い る 。 『 本 朝 高 僧 伝 』 は こ れ を さ ら に 潤 色 し て   敏 捷 天 邊 、 無 下 出 二 其 右 一 者 か 唯 西 大 寺 泰 演 法 師、 堪 γ 為 二 匹 敵 噛 宮   中 講 會 、 屡 論 二 空 有 哨 問 難 往 復 関 責 互 起 、 聾 二 乎 不 じ 決 二 其 輸 贏 →                           ( 35 )   猶 如 三 護 法 清 辨 相 二 待 彌 勒 之 出 世 一 と

べ て い る 。 安 澄 の 論 議 が い か に 卓 抜 で あ り 、 西

寺 の 泰

と は 、 好 敵 手 と し て 、 宮 中 講 会 に お け る 論

の こ と が 一 世 に

伝 さ れ た か う か が え る の で あ る 。 こ の こ と は 泰 演 の 側 か ら も 記 録 さ れ て い る 。 談 論 摧 レ 邪 如 レ 倒 三 二 峡 噴 天 下 義 学 無 二 敢 敵 p 之 、                       ( 39 ) 顧 購 ( 毎 γ 値 二 宮 講 ハ 抗 到 論 空 有 一 唯 有 二 安 澄 ハ 独 當 二 し か し 安 澄 も

演 も 伝 記 は 必 ず し も 詳 し く な い 。 安 澄 は 僧 綱 職 に は 一 度 も 就 任 し て い な い 。 こ れ は 安 澄 が 五 十 二 歳 で 亡 く な っ た た め で 、 当 時 は 同 門 で

澄 よ り 五 歳 年 長 の 勤 操 が 僧 綱 職 に 在 り 勤 操 は 安 澄 亡 き あ と も 十 三 年 間 生 存 し、 当 時 の 三 論

を 代 表 す る 存 在 で あ っ た た め 、 い き お い 安 澄 に 関 し て は 多 く 伝 え ら れ る こ と が な か っ た た め で あ る 。 し か し 、 周 知 の よ う に 、 古

の 『 中 論 疏 』 の 唯 一 の 現

註 釈

で あ る 『

記 』 ( 八 巻 本 末 ) ( 大 正 蔵 六 五 ) の 大 著 を 残 し

ま で の 三 論 学 の

華 を 集 大 成 し た 。

澄 の 『 中 論

記 』 は、 後 に 述 べ る 玄

の 『 大 乗 三 論 大 義 鈔 』 四 巻 と な ら ん で 、 平 安 初 期 の 平 安 初 期 に お け る 三 論 ・ 法 相 角 逐 を め ぐ る 諸 問 題 ( 平   井 ) 南 都 旧 仏 教 の 教 学 復 興 の 成 果 と し て 、 と も に わ が 国 古 三 論

の 代 表 的 述

で あ る 。   泰 演 に つ い て は さ ら に 詳 で な い 。 先 に あ げ た 『 日 本 紀 略 』 に は 「 西 大

師 泰 演 」 と あ り 、 か つ て 律 師 に 任 じ た こ と を う か が わ せ る が 、 『 僧 綱 補 任 』 に そ の 記 録 は な い 。 た だ 、

仁 十 年 ( 八   九 ) の 条 に 「 律 師 泰 濱 灘 碑 擲 肅 冩 」 ( 巻 一 ) と

り、 ま た 承

七 年 ( 八 四 〇 ) の 「 維 摩 会 講

」 の 条 に 「 講

泰 濱 祓 飾 綜 」 ( 同 ) と い う 記

が あ る 。 こ の 両 者 は 同 一 人 で 、 ヘ             へ 濱 は 演 の 誤

と も 考 え ら れ る が 、 承 和 元 年 ( 八 ゴ 四 ) 以 来 、 「 維 摩 会 講 師 」 が 「 三 会 」 の 講 師 を 兼 ね 、 そ の 巳 講 の 労 に よ っ て 三 綱

せ ら れ る こ と が 定 ま っ て 以 来 、 い わ ば 「

会 講 師 」 と い う の は 登 竜 門 で あ っ た 。 す で に 弘 仁 十 年

師 に 就

し た

が 、 二 十 年 以 上 も

た 後 に 講 師 に

す る こ と                             マ     へ は 考 え ら れ な い 。 ( し か も 講 師 泰 澄 は 元 興 寺 の 所

に な っ て                                   ( 37 ) い る ) し た が っ て こ の 両 者 は 別 人 で あ り む し ろ 弘 仁 十

の     ヤ     ヘ                                                         へ     ゐ 律 師 泰 澄 が

澄 と 論 争 し た 泰 演 で は な か っ た か と 思 わ れ る 。 『 本 朝

』 の 「 玄

伝 」 に 天 長 四 年 ( 八 二 七 ) 九 月

中 で 薬 師 仏

讃 し て 各 宗 教

の 講 演 が 行 わ れ た と き 玄                                                   ( 38 )

と と も に

演 も 講 主 と な っ た こ と が 記 録 さ れ て い る の で 、 こ の 頃 ま で 活 躍 し た 人 で あ る こ と が

れ る 。

 

  玄 叡 と

・ 仲 継   先 の

図 に よ っ て み て も 、 年 代 的                   ( 39 ) に み る と 元 興 寺 の

( 七 五 〇

i

八 三 四 ) の 活 躍 し た 時 期 に 相 八 五 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

参照

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