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内
館
文
庫
所
蔵
資
料
の
研
究
(こ
1
内
館
文
庫
の紹
介
と 、般
若
院
英
泉
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積
ー
N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
石
川
力
山
共
同
研
究
佐
藤
俊
晃
内 館 文 庫 に つ い て1
序i
数
年 前 よ り 、 秋 円 県 北 秋 田 郡 鷹 巣 町 在 住 の 佐 藤俊
晃 氏 よ り、 同 町 内 に あ る 県 史 跡 の 綴 子 神 社 に 所 蔵 さ れ て い る典
籍 ・ 資 料 ・ 文 書 等 を 一 度 調 査 を し て み て は如
何
と い う 慫 慂 を 受 け て い た 。 内 館文
庫 に は、 近 世 旧 藩 政 期 に こ こ に 併 設 さ れ た 庶民
教 育 の 私 塾 施 設 内 館 塾 が 機能
し て い た 頃、 歴 代 の 塾 頭 や 教 授 達 に よ っ て蒐
集 書 写 さ れ た 、 神 道 や 修験
道 ・ 儒 教 ・ 仏 教 等 に 関 す る、 三 千 数 百 点 と い う 膨 大 な 量 の典
籍
が 所 蔵 さ れ て い る が、 そ の調
査 や 分 類 ・ 評価
等
に つ い て は 、 故 宮 司 武 内 正俊
氏 自 身 に よ る 分 類 目 録 の 作 成 、 及 び 国 文 学 関 係 や 宝物
・ 什 踞 調 査 等 、 個 別 に な さ れ る こ と は あ っ た が、 肝 心 の 修 験 道 や 仏教
・ 宗 教 史関
係
の 典 籍 ・ 文 書 の 内 容 に つ い て は ま だ 不充
分 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 研 究 紀 要 第 五 十 一、 → 號 卒 成 七 年 三 月 で 、 内 容 そ の も の を 踏 ま え た真
の 資 料 価 値 に つ い て は 、 本 当 は ま だ よ く 知 ら れ て い な い の が 実 状 と い う こ と で あ る 。 佐 藤 氏 は 、 本 学 大 学 院 仏教
学 専 攻 修 士 ・ 同 博 士 課 程 、 及 び 研 究 員 を 経 て 、 現 在 は 同 町 七 日 市 龍 泉 寺 の 住 持 を 勤 め る か た わ ら 、 文 化 財 審議
員 と し て 同 町 内 の 文 化 財 全 般 に 関 わ る役
を こ な す と と も に 、 地 域 史 に と ど ま ら な い 視 野 か ら 郷 土 史 を発
掘 す る 研 究会
を 主 催 し 、 学 会 活動
も 継 続 し て い る 学 究 で あ る 。 大 学 院 時 代 に は 、 か つ て筆
者
と も 一 緒 に 勉強
会 を 持 っ た こ と が あ る 因 縁 か ら 、 現 在 も さ ま ざ ま な 情 報 を提
供 し て い た だ い て い る が、 こ の 内 館 文庫
の存
在 を 知 ら さ れ 、 か な ら ず や 調 査 の 機 会 を 得 た い も の と か ね て 思 っ て い た 。 そ の 念 願 が 叶 っ て 、 一 九 九 三 年 十 二 月 二 十 一 日 〜 二 十 三 日、 一 九 九 四 年 四 月 十 六 日 〜 十 八 日 の 二 度 に わ た り 資 料 調査
一 二 七内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) を お こ な う こ と が で き た 。 そ の 結 果 は 、 一 度 や 二 度 の 調 査 で は 文 庫 所 蔵 の 全
文
献 ・ 文 書 等 を 写 真 撮 影 収 集 す る こ と な ど 到底
不 可能
な こ と が 判 明 し た が、 一 方、 こ こ に 所 蔵 さ れ て い る資
料 群 は、 文 献 学 的 に は 勿 論 、 宗 教 史 研 究 上 か ら も 極 め て 重要
な も の が 含 ま れ て い る こ と が 判 明 し た 。 す な わ ち、 そ の 資 料 の 主 な も の は、 内 館 塾 の 教 授 で あ る宮
野
尹賢
( 一 六 八 二 〜 一 七 五 八 ) が 、 京 都 に 赴 い て 儒 者 伊 藤 仁 斎 ・束
涯 の 門 の 、 所 謂 堀 川 ( 古 義 ) 学 派 に 直 接 学 ん だ機
会 な ど を 通 し て も た ら さ れ た 典 籍 類、 あ る い は 本 稿 で 佐藤
氏 に よ り 考 察 ( 1 ) さ れ る 般 若 院英
泉 ( 一 七 一 四 〜 一 七 八 二 ) が、 尹賢
と 同 様 に や は り 堀 川 学 派 の儒
者
で 太草
家 の 松 岡 玄達
の 門 に 学 ぶ と と も ( 2 ) に 、 修 験 者 と し て 自 国 の秋
田 領 内 は も と よ り、 大 和 国 大峰
や 九 州英
彦 山 等 に実
際 に 入峰
し 、 ま た 京 都 醍 醐 =. 宝 院 ・ 出 羽 山 形 等 に お い て 伝 授 相 承 し た 各 種 秘 法 や 密 法 作 法 書 な ど で あ り 、 そ の 他、 江 戸 や 伊勢
の 地 か ら 直 接 購 入 さ れ あ る い は 書 写 し て 伝 え ら れ た文
献 類 を は じ め 、 歴 代 の 塾 頭 や 教 授 の 努 力 に ょ っ て 蒐 集 伝 承 さ れ て き た 文 献 資 料 群 で あ る 。 そ れ ら の 多 く は 、 近 世 に 書 写 、 あ る い は 刊 行 さ れ た も の で あ る が、 し か し そ の ほ と ん ど が 相 伝 の 確 か な も の で 、 中 に は す で に 伝 承 の 途絶
え た 修 法 な ど も 含 ま れ て い る 。 加 え て 文献
の 中 に は、 山 崎 闇斎
が 唱 道 し た神
仏 習 合 を 否 定 す る 垂 下 神 道 系 の 典 籍 も 含 ま れ て い る が、 中 国 ・ 日 本 の 基 本 的 な 禅 宗 文献
を は じ め と し 一 二 八 て、 『 正 法 眼 蔵 』 そ の 他 の 洞門
関
係 の 語 録 ・典
籍 類、 さ ら に は 道 元相
伝 を 記 す 曹 洞 宗関
係 の 切 紙 も書
写
さ れ て お り 、 他 方、密
法 「 請 雨 法 」 の 書 写 例 も 多 く 、 漢方
薬 関 係 の も の も あ る と い う 具 合 で 、 地 域 で機
能 し た宗
教 の実
際 を 明瞭
に 物 語 っ て お り 、 興 味 の 尽 き な い も の が あ る 。 こ の よ う な わ け で 、 文 庫 所 蔵資
料 の 全 体 像 も ほ ぼ 把 握 で き た と 思 わ れ る の で 、す
で に か ね て よ り 基 礎 調 査 を 開 始 し 、 特 に 般若
院 英 泉 に つ い て 研 究 発 表 も行
っ て い る 佐 藤 氏 に 協 力 す る 形 で 、資
料 の 分 類 整 理 の 作 業 を 行 い つ つ 、 今 後 何 回 か に 渉 っ て 、 特 に 目 録 作 成 を 中 心 と し な が ら 、 内 館 文 庫 所蔵
資 料 の 全 容 の 把 握 と 研 究 を 継 続 的 に 掲 載 し て い く こ と に す る 。 綴 子 神 社 と内
館 文 庫 の 沿 革 内 館 文 庫 が 所 在 す る 八 幡 宮 綴 子 神 社 は 、 鷹 巣 町 綴 子 〔 つ づ れ こ ) 西 館 に あ る 。 所 在 地 は 町 の 北 西 部 の 米 代 川 流 域 右 岸 の高
台 、 綴 子 丘 陵 の 南 の 突 端 部 に 当 た り 、 旧 村 名 の 「 綴 子 」 は 、 『 日 本 書紀
』 斉 明 天 皇 五 年 ( 六 五 九 ) 条 の 、 阿 部 比 羅 夫 に よ る 蝦 夷討
伐 の 記 事 に 見 え る 地 名 「 肉 入籠
( し し り こ ) 」 に 由 来 し そ の 転 化 と す る 伝 承 も あ る 、 古 い 土 地 柄 で あ る ( 『 七 座 天 神 縁 起 』 ) 。 ま た 、 社 地 内 に は 「 千 年桂
」 と 呼 ば れ る 、 直 径 一 丈 余 も あ る 欅 を 中 心 と す る 老 巨 木 も あ っ て 、 天 然 記 念 物 に 指 定 さ れ て お り 、 や は り 由 来 の 古 さ を 物 語 っ て い る 。戦
国 期 にNII-Electronic Library Service も そ の 名 が 見 え ( 「 下 川 沿 家 佐 藤 家 文 書 」 ) 、 陸 奥 比 内 郡 浅 利 氏 領 に
属
し て い た が、後
に は 秋 田 氏 領 と な っ た 。綴
子 神 祉 の 社史
、特
に 古 代 や 中 世 の 状 況 に つ い て は、 確 実 な 史 料 的 根 拠 に 乏 し く 、 通 史 的 に た ど る こ と は 困 難 で あ る が 、 同 社 前 宮 司 の 故武
内 正 俊 氏 が 、 主 に 家 系 図 や 社 伝 を 基 礎 に 執筆
さ れ 、 明 治 百年
記 念 と し て発
刊 さ れ た 『史
跡 内 館 文庫
−
秋 田 県 文 化 財 ー 』 ( 一 九 六 七 年 三 月、 鷹 巣 町 教 育 委 員 会 ) 、 お よ び 文 庫 の 収 蔵 書 庫 が建
設 さ れ 、 開 館 の 式典
を 行 う に 際 し 編 集 発 刊 さ れ た 、 『 秋 田 県 文 化 財 / 史 跡 内 館 文 庫 沿 革 誌 ( 第 二集
) 』 ( 一 九 六 八 年 十 二 月 、 八 幡 宮 綴 子 神 社 ) 等 を頼
り に し な が ら、 そ の沿
革 を た ど っ て 見 る こ と に し た い 。 さ て 、 綴 子 神 社 は も と 「 宇 佐 八 幡 宮 」 と 言 い 、 そ の 創建
は 『 七 座 天 神 縁 起 』 や社
伝 に よ れ ば 、 阿 部 比 羅 夫 に よ る 蝦 夷 遠 征 時 の斉
明 天 皇 五年
( 六 五 九 ) の 、 戦 勝 祈 願 の た め の宇
佐 八 幡 の 勧 請 に ま で 遡 る と伝
え る 。 社家
の 武 内 氏 の 由来
に つ い て は 、初
代 の 常 覚 院 元瑞
道 亨 が 、 南 北 朝 期 頃 に 比 内 地 頭 と な っ た 浅 利 氏 に 従 い 、 甲斐
国 よ り 移 住 し 、 神 社 を 再 興 し て 郷 内 の ( 3 ) 祈 願 職 と な っ た と い う 。 内 館 文 庫 が 創 設 さ れ た の は鎌
倉 期 と 伝 え ら れ る が 、 中世
に お け る 具 体 的 な 動向
や 神官
の 事 績 に つ い て は、 ほ と ん ど 不 明 で あ る 。 近 世 幕 藩 期 に は 大 き な 勢 力 を 持 つ よ う に な っ て 村 鎮 守 の 位 置 を 確 立 し 、 七座
天神
( 現 山 本 郡 ニ ツ 井 町 、 七 座 神 社 ) の 神 宮 寺 内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) 職 と し て 、 神 官 は 代 々 別 当 を 勤 め た 。 ま た 、 米代
川 流 域 の 二 十箇
村 を 霞 と し、 八 箇 村 八 十 七 社 の 惣 社 と し て北
比 内 修 験 の 頭 襟 頭 も 勤 め た 。 内 館塾
の繁
栄 や 膨 大 な 蔵 書 の蒐
集
を 可 能 に し た 背景
は 、 尹賢
や 英泉
等 の 教 授 陣 や 歴 代 塾 主 の絶
え ざ る努
力 と と も に 、 こ の 別 当 神 宮寺
の 経 済 力 も 大 い に 関 係 し て い た 。 ま た 、 現 在 の 地 名 で い う 大 館 市 や 鷹 巣 町 付近
は、 江 戸中
期
の 開 明 的 な 思 想 家 と し て 知 ら れ る 安 藤 昌 益 ( 一 七 〇 三 〜 一 七 六 二 ) や 、旅
行
家 で 日 本 民 俗 学 の草
分 け 的 存 在 で も あ る 菅江
真
澄 ( 一 七 五 四 〜 一 八 二 九 ) な ど が 長 く 逗 留 し て関
係
を 持 っ た 地 域 で 、 も と も と ] 般 に 学 問 に 対 す る 深 い 理 解 と こ れ を 受 け ( 4 ) 入 れ る 風 潮 が 横 溢 し た 雰 囲 気 が あ っ た 。 神 社 境内
に は 、 「菅
江 真 澄 の 道 綴 子 」 の 標柱
も建
て ら れ て い る 。 明 治 に 入 っ て か ら は 、 村 社 「 八 幡 神 社 」 と 改称
さ れ 、 そ の後
付 近 の 十 五 社 を 合 祀 し て 、 社 名 を 八 幡 宮 綴 子神
社 と し 現 在 に 至 っ て い る 。 民 間 の 教育
施 設 と し て の 内 館 塾 に つ い て は、江
戸 期 に 入 り 、 十 一 代 神官
常 覚 院実
明 ( 一 六二
〜 ) の 時 の 慶 安 年 間 ( 一 六 四 八 〜 一 六 五 二 ) に 、 社 地 の 一 角 に 開 設 し た の が そ の 濫 筋 と な っ た と い う 。 ( 5 ) 十 四 代 神 宮 寺 烈 光 ( = ハ 九 七 〜 ) の 時代
が 、 神社
と し て も 、 ま た 内 館 塾 の 歴 史 に お い て も 最 も 充 実 し た 黄 金期
と さ れ 、当
山 派 本 山 醍 醐 三 宝 院 門 跡 よ り、 神 宮 寺 号 の 旧 称 が許
可 さ れ 、 一 二 九 N工 工一Eleotronlo Llbrary内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) 享 保 十 五 年 ( 一 七 三 〇 ) に は 佐
竹
藩
の 公 許 に よ り 、 綴 子 及 び 付近
の 村 民 の 有 志 に 初 等 普 通 教 育 、 及 び 向 学 心 の 旺 盛 な 者 に は高
度
の 高 等 教 育 を も 教 授 し て い た こ と が 知 ら れ る 。 近 代 社 会 に な っ て 綴 子 神 社 の内
館 塾 は、 明 治 七 年 ( 一 八 七 四 ) 新 学 校 制 の も と で 、 こ の 地 区 の綴
子 の 公 立 小 学 校 と し て発
展 的 に 解 消 し て 用 い ら れ 、 当 時 の 塾 主 武 内 益 雄 は 初 代 校 長 と な っ た が 、 さ ら に 鹿角
郡 毛 馬内
村 ( 現 鹿 角 市 ) 出 身 の 近 代 東洋
史
学 の 泰 斗 内 藤 湖 南2
八 六 六 〜 一 九 三 四 ) は 、秋
出 師 範 学校
を 卒 業後
、 十 九 歳 の 明 治 十 八年
( 一 八 八 五 ) 十 刀 か ら 同 二 十年
八 月 に か け 、 こ の 小 学 校 の 訓導
と し て 勤 務 し て い た 。 綴 子神
社
斜 向 か い の 曹 洞 宗 宝 勝 寺 門前
の 民 家 の 角 口 に は 、 「 内 藤湖
南
博 士 下 宿 跡 」 の 記念
石 碑 も あ る 。 湖 南 は 折 々 に 文 庫 の 蔵書
に よ っ て勉
学 し て い た と さ れ 、 湖 南 使 用 の文
机 等 も 残 さ れ て い る 。 ま た 、 宝 勝寺
か ら は 『碧
眼 録 』 や 『 成 唯 識 論 』 な ど の 仏 書 類 を 借 り 出 し て い た と い う が 、 現 在 も湖
南 が 借 用 し た と い う 『 成 唯 識 論 』 が保
存 さ れ て い る 。 一 九 六 〇 年 二 月 、 綴 子 神 社 の 土 地 ・ 建 物 ・ 樹 木 を は じ め 、 こ こ に 所 蔵 さ れ る 古 文 書 ・ 古 文献
・ 宝 物 ・ 什 器 、 さ ら に 旧 学 制 時 代 の 教 科 書 等 一 切 が 、秋
田県
の 文 化 財 史 跡 に 指 定 さ れ た 。 所 蔵 史 料 ・ 血 ハ籍
等 の 収 納 は、 以 前 は 社 殿 に 宝 物 殿 を 設 置 し て 保 存 ・ 展 観 さ れ て き た が 、県
の 文 化 財史
跡 に 指定
さ れ た こ 一 三 〇 と か ら 、 火 災 等 に そ な え て 万 全 を 期 す る た め に 、 県 ・ 町 ・ 地 区 ・ 農 業協
同 組 合 の 助 成 に 神 社側
の 資 金 を 加 え て 、 収 納 庫 の 建 設 計 画 が 進 め ら れ 、 一 九 六 八年
一. 一 刀 に 、 収 蔵 庫 と 閲 覧 ・ 読 書 室 か ら な る 、 高 床 式 、 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 造、 四 〇 ・ 五 平 方 メ ー ト ル の 書 庫 が 完 成 し た , た だ し 現 在 の 保 存 状 況 は 、 防 湿 等 の 面 か ら 見 て 完 全 と は 言 え ず 、 早 急 な 内 部 改 造 、 保 存 設 備 の 充実
が 図 ら れ る 必要
が あ る よ う に感
じ ら れ た 。 二 内 館 文 庫 の 所 蔵 資 料 に つ い て 内 館 文 庫 に 現 在 所蔵
さ れ て い る、 宝 物 ・ 什 器 類 を 含 む 諸 種 の 資料
全 体 を 網 羅 し た 分 類 目 録 は 、 前 掲 『 史 跡内
館 文 廓 − 秋 田 県文
化 財 ー 』 に 掲 載 さ れ た 、 故 武内
氏 作 成 の 「内
館 文 庫 所 蔵 目録
」 「 般 若 院 玉 峰 英 泉著
書
目 録 」 「 古 文 書 ・ 宝物
・ 什 器 目 録 」 が 唯 一 も の で あ る が、 佐 藤 氏 に よ る 実 際 の資
料 調 査 の 結 果 、若
下 現存
し な い も の や 、古
文
書
な ど の よ う に 目 録 に は 未 掲 載 の も の も あ る よ う で あ る 。 ま た 、 目 録 を 一瞥
し て み て 、 た と え ば 『 起 信 論 講弁
』 や 『 元 亨 釈 書 王 臣 伝 論 』 『 砂 ( 沙 ) 石 集 』 な ど が 「 神道
の部
」 に 分 類掲
載
さ れ て い た り し て 、 今 日 に お い て は 分 類 基 準 な ど 、 見 直 さ な け れ ば な ら な い 部 分 も あ る が 、 資 料 の 全 体 像 を 把 握 す る 上 か ら、 こ れ を 要 約 し て 紹介
し て お く 。 ま ず 、 「 内館
文 庫 総 目録
表 」 と し て 、 次 の よ う な 一 覧表
がNII-Electronic Library Service
掲
げ ら れ る 。 蔵i
分 書 類 種 類 数 量 ( 冊 数 ) 摘 要 九 〇 八 種 英 泉 著 書 古 文 書 宝 物 什 器 そ の 他 雑 の 部 九 六 九 二 五 一 、 四 亠 ハ ニ 冊 一 〇 六 冊 一 、 五 〇 〇 点西
二 点7
西
四 点 ・ ) 一 〇 〇 点 目 録 以 外 の 物 計 一 、 〇 三 八 種 三 、 一 二 一 〇 点 ( 三 三 一 二 点 力 ) ( カ ッ コ 内 、 筆 者 記 ) こ の 表 で は 、 「 英 泉 著 書 」 と い う 一 見 奇 異 な 分 類 項 目 が 立 て ら れ て い る が 、 こ れ に つ い て は 佐 藤 氏 が後
に 詳 し く 触 れ ら れ る が、 す ぐ れ た 塾 教 授達
の 中 で も 特 に 大き
な 功 績 を 残 し て い る と し て 夙 に 紹 介 さ れ て い る 、 般 若 院英
泉
自 身 の 撰 述 に か か る 典籍
、 及 び英
泉 が 書 写 活 動 に 関 わ っ た 典籍
の 総 数 は 、 内 館 文 庫 の 所 蔵 蔵書
全 体 の お よ そ 三 分 の 一 に も な る 事 が 知 ら れ て お り、 そ の 広 範 な 学 識 と活
躍 を 特 筆 す る 意 昧 か ら 、 特 別 扱 い が さ れ た も の で あ る 。 次 に 、蔵
書 と 英 泉 著書
を 合 計 し た、 一 、00
四 種 、 一 、 五 六 八 冊 の 全 蔵 書 の 目 録 表 を 、 七 種 の 分 類項
目 に 分 け て掲
げ る 。 神 道 の部
二 〇 九 種 二 五 三 冊 内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) 修験
の 部儒
学 の 部 仏 教 の 部 詩 歌 の 部 国文
の 部雑
の 部 ( 計 ま た 、 げ る 。 二 二 七種
一 六 五 種 二 二 四 種 四 七 種 二 九 種 一〇
三 種 一 、 ○ 〇 四 種 一 、 「 古 文 書 目 録表
」 「 宝 物 目録
表 」 〔 古 文 書 目 録表
〕 二 九 五 冊 二 六 五 冊 四 二 九 冊 九 一 冊 二 九 冊 一 六 六 冊 五 六 八 冊 ) に つ い て も 同 様 に掲
神 〔 宝 物 什像
器 目録
表 二二 〕 明 明 治 〃 〃 〃 〃 〃 治 時 代燮
目1亅 点9
介 の安 計 部 部 書 写 冊 ) 令 文 書
驫
一 倉 ’ ’ 五 二 四 一 一 三室 ○ 〇 九 〇 一 八 九 一 六 四
町
○ 〇 五 〇 一 九 〇 〇 五 〇江
{
茎
点 点 点 点 点 点 点 点 点煽
琶
未 雑 古 棟 短 軸 叙 祝 古
鐘
の文
札撫
詞 文 画 ; = N工 工一Eleotronlo Llbrary内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 )
衣 器 立 文 建 神 神 金 古 服
造
騫
許
裃 物 木 書 物
額 具 鼓 鏡 八 点 二 点 六 点 一 点 三 点 五 一 点 一 点 六 八 点 二 点 一 四 四 点 ) 以 上 が 、 三 千 数 百 点 に 上 る 内 館 文 書 所 蔵 資 料 の 全 容 であ
る が 、 こ の 日 録 は あ る 意 味 で 、文
化 財 史 跡 指 定 の 内 容 把 握 の た め に 作 成 さ れ た 意 味 も あ り、古
文 書 の 点 数 に 見 ら れ る よ う に 、 概 算 で 示 さ れ た 部 分 も あ る 。 今 後 の精
査 に よ り 、 さ ら に 点 数 が 増 加 す る こ と は 間違
い な い と こ ろ で あ ろ う 。 い ず れ に し て も、 以 上 に 示 し た 一 覧表
に よ っ て、内
館
文 庫 所 蔵 資 料 の概
要 は お お よ そ 理 解 で き よ う 。 と こ ろ で、英
泉 の 自 叙 伝 『 発 願 紀 年 録 』 の 延 享 三 年 ( 一 七 四 六 ) の 項 に よ れ ぽ、 同 年 十 一 月 、 出 羽 ( 山 形 県 ) 金 剛 峰 で 俊峰
よ り 柱 源 神 法 を 伝 え、 ま た 寛 延 二 年 ( 一 ヒ 四 九 ) に は 大 衆 の請
に よ り 、 高 岩 山 で こ の 秘 法 を 公 開 授 与 し た こ と を 記 し て い る 。 さ ら に、前
記 の 旅 行 家 菅 江 真 澄 の 『真
澄 遊 覧 記 』 「 は し 一 三 二 ら も と し む ほ ふ ( 柱 源 神 法 ) 」 に は 、 日 本 の 修 験 道 の 中 心 と も い え る 大 峰 山 で そ の 伝 承 が 途絶
え て し ま っ た 「 柱 源神
法 」 が 、 英 泉 の 相 承 を 経 て 、 十 五 世 神宮
寺 龍 峰 に よ り 大 峰 山 に 伝 ( 6 ) え ら れ 復 興 し た こ と を 伝 え て い る 。 こ の 間 の 経 緯 や 事実
関
係 に つ い て は 、 第 一 次 史 料 に よ る 確認
は 未 だ な さ れ て い な い が 、 事 実、 内 館 文 庫 に は 、 延 享 三年
十 一 月 八 日 、英
泉 三 十 三 歳 で 行 蔵 院 で 授 け ら れ 書 写 し た 『 柱 源 供 養 法 』 が 所 蔵 さ れ て お り 、 他 に も 『 柱 源 護 摩 記 』 ( 延 享 四 年 二 月 七 日 書 写 ) ・ 『柱
源
柴
灯 護 摩 事 』 ( 同 年 季 秋 上 旬 ) ・ 『柱
源 護 摩 次 第 』 ( 文 化 七 年 く 一 八 一 〇V
書 写 ) 等 の 、 柱 源 神 法 関 係 の典
籍
が 伝 え ら れ て い る 。 ち な み に こ の 「 柱 源 神 法 」 に つ い て は、 も と も と は 修 験 道 の 多 数 の 修 法 の 中 で も 、 秘儀
と し て 枢 要 の 位 置 を 占 め て お り 、 儀 軌 や 大 事 ・印
信 な ど 多 く 伝 え ら れ て い る が 、 本 山 修 験宗
の 場 合 で は 、 本 山 門 主 か ら 伝 授 さ れ た 者 で な け れ ば 修 法 は 許 さ れ ず、 受 法資
格
も 、 権 律師
以 上 の 教 師 、 あ る い は 得 度 受戒
し た 大 先 達 以 上 の 者 と い う 限 定 が あ っ た と い う 。 ま た 、 近 年 は 殆 ど 行 わ れ て い な か っ た よ う で 、 一 九 六 九年
九 月 に 本 山 修 験 宗 総 本 山 聖 護 院 で 行 わ れ た柱
源
護 摩 の伝
法 会 の 事 例 が 報 ( 7 ) 告 さ れ て い る 。 こ の よ う に 大 事 な秘
儀 が 、菅
江 真 澄 の 伝 え る よ う に 、 果 た し て 大 峰 に 途 絶 え る と い う こ と が あ り 得 る か 、 ま た 英 泉 は 寛 延 二 年 に 大 衆 の 請 に よ っ て こ の秘
法 を 公 開 授与
し た と い う が、伝
授
相 承 を 重 ん ず る 修 験 道儀
礼 を 公 開 の 場 でNII-Electronic Library Service 授 与 し た と い う の は 、 い か な る 状 況 や 事
態
が あ っ た の か等
、 多 く の 問 題 が 連 想 さ れ る が 、 こ れ ら の 諸 問 題 に つ い て は 、 い ず れ 全 体 の資
料 整 理 を 完 了 し た 上 で 、 改 め て 取 り 上 げ る つ も り な の で 、 こ こ で は 文 庫 所 蔵 の 諸 種 の 典 籍 に 付随
す る 問 題 と し て 、 そ の指
摘 に 留 め て お く 。 三資 料 調 査 の 実 施 内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 第 一 回 目 の 調 査 、 な ら び に マ イ ク ロ カ メ ラ に よ る 撮 影 は、 一 九 九 一. 一 年 十 二 月 二 十 一 日 よ り 二 十 三 日 に か け て 行 っ た 。 時 期 と し て は 、 雪 も 散 ら つ い て お り 、 文
書
資
料 を 出 し 入 れ す る に は よ い 条 件 で は な か っ た が 、 こ ち ら の 日 程 の 都 合 で 御 無 理 を お 願 い し 、 資 料 調 査 、 な ら び に 写真
撮 影 を 許 可 し て い た だ い た 。参
加 者 は、 筆 者 の外
に 、 本 学 教 授峰
岸 孝 哉 先 生 、 及 び 駿 河 台 大 学 文 化 情 報 学 部 助 教 授 門 馬幸
夫先
生 に 加 わ っ て い た だ き、 現 地 で 佐 藤 氏 も 合 流 し て 、 早 速 所蔵
書 庫 内 の保
存
状 況 を 拝 見 し 、 中 か ら仏
教 や 修 験 道 関 係 の 儀礼
相 伝 書 、切
紙
の 類 を 選 び 出 し て 、 ま ず 個 々 の 文 献 資 料 の 袋 詰 め を 行 い 、資
料 タ イ ト ル 、 書 写 年 月 日 、 筆 者 等 の 袋 書 き を し た 上 で 、 二 千 コ マ に 近 い 写 真 を づ、 イ ク ロ フ ィ ル ム に 収 め る こ と が で き た 。 こ の 時 の調
査 旅 行 は、 帰 京 の 際 の 交 通 手 段 が 乱 れ に 乱 れ 、 猛 吹 雪 に よ る 大 館 市 か ら の バ ス の 遅 れ に よ っ て 、 盛 岡 で 一泊
内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) を 余 儀 な く さ れ 、 さ ら に 翌 日 も 、 東 北 新 幹 線 は 一 ノ 関 駅 で 足 止 め を 食 い 、 十 時 間 近 く も 遅 れ て よ う や く 帰 宅 す る こ と が で き た 。 第 二 回 目 は、 翌 春 の 一 九 九 四 年 四 月 十 六 日 か ら 十 八 日 に か け て 行 っ た 。 参 加 協 力 者 は 、 大 学 院博
士 諜 程 の 飯 塚 大 展 、 同修
士 課 程 の 水 野覚
禅 ・ 飯島
恵 道 の 諸 氏 と 佐 藤 氏 で 、 前 回 と 同様
に 主 に 仏 教 と修
験道
関 係 の文
献 資 料 に 加 え て 、 神 道関
係 の も の も 併 せ 選 び 出 し、 袋 詰 め、 袋 書 き を し た 上 で、 こ の時
は 三 千 コ マ 近 い 写 真 を マ イ ク 卩 フ ィ ル ム に 収 録 す る こ と が でき
た 。 以 上 、 二 回 の 資 料 調 査 の 実 施 に よ り、 五 千 コ マ に 垂 ん と す る 資料
の 写 真 撮 影 が で き た が 、 し か し 文 庫 全 体 の 所 蔵 量 か ら 言 え ぽ、 半 分 に も 満 た な い 。 ま た 、 す で に 触 れ た よ う に 、資
料 の内
容 は 仏 教 や 修 験 道 以外
に 、 神 道 ・ 儒 教 ・ 歴 史 ・郷
土史
・ 国 文 学 ・詩
歌 ・ 農 耕 ・ 開 拓 ・ 医 術 ・ 天 文 ・ 暦 学 ・ 経済
関 係 等 、 実 学 も 含 む 当 時 の あ ら ゆ る 分 野 に 渉 る資
料
を 内 包 し て お り 、 博物
学 の 宝 庫 と も 言 え る 。 さ ら に 、 書簡
・文
書 ・書
画 や 塾 用 器 物 ・ 什物
・道
具 類 も 多 数 所 蔵 さ れ て い る 。今
後 は、 残 さ れ た資
料 の 収 集 を は か る 一 方 で 、 分 類 整 理 の 作 業 を 行 い 、 武 内 氏 が か つ て 作 成 さ れ た 『 内館
文 庫 蔵書
目録
』 を 、 文 書 等 を も含
ん だ 「 総 合 日 録 」 と し て完
成 を 期 す る と と も に 、 重 要 資 料 の 翻 刻 紹 介 と そ の 位置
づ け等
に 関 す る 研 = 三. 一 N工 工一Eleotronlo Llbrary内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( → ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) 究 を 継 続 し た い 。 今 回 は 、
内
館 文 庫 と そ の 所蔵
資
料 の 概 観 を し て こ れ を 広 く 紹 介 す る と と も に 、資
料 の 中 心部
分 を 占 め る 般 若 院 英 泉 関 係 の文
献 資 料 を め ぐ る 諸 問 題 に つ い て の 稿 を 掲載
す る事
に し た 。 特 に後
者 の 問 題 に つ い て は、 す で に 佐 藤 氏 が 、 関 係資
料 の 整 理 作業
を精
力 的 に 続 け て お り 、 そ の 学 術 的 価 値 に つ い て も 研 究 を進
め て い る の で 、 詳 細 な 検 討 は そ ち ら に委
ね た い 。末
尾 掲 載 の 「 般 若 院 英泉
発
願紀
年 録A
・B
両 本 対 校 表 」 及 び 「 内 館 文庫
所 蔵 般 若 院 英 泉 関連
文 献 日 録 」 は 、 い ず れ も 佐 藤 氏 の 調 査 ・ 編 集 ・ 作 成 に か か る も の で あ る 。 注 ( 1 ) 宮 野 尹 賢 ・ 般 若 院 英 泉 に つ い て は、 武 内 正 俊 『 秋 田 県 文 化 財 / 史 跡 内 館 文 庫 沿 革 誌 ( 第 二 集 ) 』 ( 一 九 六 八 年 十 二 月、 綴 子 神 社 刊 ) の 外 に 、 『 鷹 巣 町 史 』 第 一 巻 ( 一 九 八 八 年 三 月、 鷹 巣 町 刊 ) 二 八 九 頁 〜 、 『 鷹 巣 町 史 』 第 三 巻 ( 一 九 八 九 年 三 月、 鷹 巣 町 刊 ) 三 六 五 頁 〜、 永 井 高 道 「 内 館 塾 と 般 若 院 莫 泉 」 ( 『 真 野 直 吉 ・ 諸 戸 立 雄 両 教 授 退 官 記 念 / 中 国 史 と 西 洋 世 界 の 展 開 』 所 収、 一 九 九 一 年 二 月、 み し ま 書 房 刊 ) 、 三 宅 正 彦 「 安 藤 呂 益 の 地 域 と 時 代 21 、 第 三 章 比 内 の 学 問 と 教 育 − 昌 益 の 思 想 形 成 の 基 礎1
」 ( 『 北 鹿 新 聞 』 一 九 九 二 年 八 月 一. 冖 十 日 号 )、 佐 藤 俊 晃 「 道 元 に あ. こ が れ た 修 験 者 」 ( 『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』 四 二 巻 二 号、 ] 九 九 五 年一. 一 月 ) 等 が あ る 。 (2
) 英 泉 の 松 岡 玄 達 参 学 の 年 時 に つ い て は、 「 般 若 院 英 泉 年 譜 試 作 − 般 若 院 英 泉 研 究 ( 二 ) − 」 ( 『 鷹 巣 地 方 史 研 究 』 一、 一 五 号 、 一 九 九 四 年 十 月 ) 等 が あ る 。 一 三 四 (3
) 前 掲 武 内 正 俊 『 秋 田 県 文 化 財 / 史 跡 内 館 文 庫 沿 革 誌 ( 第 二 集 ) 』 。 (4
) 三 宅 正 彦 「 安 藤 昌 益 の 参 考 書 」 ( 『 秋 田 魁 新 報 』 一 九 八 九 年 十 一 月 二 十 日 夕 刊 )、 同 氏 前 掲 「 安 藤 昌 益 の 地 域 と 時 代 21 」 参 照 。 (5
) 別 当 職 の 世 代 数 に つ い て は 異 説 が あ り、 家 系 図 に よ れ ば 烈 光 は 十 一 代 と さ れ、 生 年 に つ い て も、 英 泉 の 自 伝 『 発 願 紀 年 録 』 に よ れ ば、 塾 公 許 の 享 保 十 五 年 ( 一 七 三 〇 ) の 際、 烈 光 は 「 二 十 九 歳 」 と さ れ て お り、 こ れ か ら 逆 算 す れ ば 生 年 は 元 禄 十 六 年 ( 一 七 〇 三 ) と な り、 家 系 図 も こ の 説 を 採 用 す る 。 以 下、 『 沿 革 誌 』 に よ っ て 幕 末 ま で の 綴 子 八 幡 宮 世 代、 神 宮 寺 別 当 の 一 覧 を 掲 げ る 。 十 十 十 十 十 十 十 十 十 十 九 八 七 六 五 四 三 ニ ー 代 代 代 代 代 代 代 代 代 代 養 宝 院 尊 宝 常 覚 院 実 明 ( 一 六 一 一 〜 ) # 賞 右 土 晒 阮 尊 成 皿 ( 一 六 九 五 〜 ) 常 覚 院 尊 昭 ( 一 六 七 一 〜 ) 神 宮 + 寸 列… 光 ( 一 六 九 六 〜 ) 神 宮 寺 竜 峰 ( 一 七 一. 一 二 〜 ) 神 宮 寺 尊 祐 ( 一 七 六 三 〜 ) 神 宮 寺 慈 船 ( 一 七 九 五 〜 ) 神 宮 寺 成 運 ( 一 八 二 一 〜 ) 武 内 益 雄 ( 一 八 四 八 〜 ) (6
) 前 掲 永 井 高 道 「 内 館 塾 と 般 若 院 英 泉 」 注 の 指 摘 に よ れ ば、 「 柱 源 神 法 は 神 変 菩 薩 よ り 伝 は れ る い と い と 重 ぎ 神 事 式 也 。 此 法 大 峰 に 絶 え た 事 あ り 。 行 蔵 院 俊 峰 よ り 寛 延 年 中 に 秋 田 の 綴 子 ノ 駅 な る 般 若 院 英 泉 に 伝 ふ。 同 綴 子 の 神 宮 寺 ノ 十 二 世 竜 峰 よ り 大 峰 の 前 鬼 に 寛 政 八 丙 辰 ( 一 七 九 六 ) 柱 源 神 法 を 伝 ふ と 云 へ り 。 」 と あ る 。 (7
) 宮 家 準 『 修 験 道 儀 礼 の 研 究 』 ( 一 九 七 一 年 二 月、 春 秋 社 刊 ) 六 九 七 頁 〜 「 修 験 道 柱 源 護 摩 」 、 及 び 『 修 験 道 思 想 の 研 究 』NII-Electronic Library Service ( 一 九 八 五 年 二 月、 春 秋 社 刊 ) 一 二 三 頁 〜 参 照。 ( 以 上、 文 責 石 川 力 山 ) 修 験 者 般 若 院 英 泉 に 関 す る 基 礎 的 考 察 ー 序
−
本 稿 は、 近 世 後 期 、 佐 竹 領秋
田 郡 比 内 綴 子 村 ( 秋 田 県 北 秋 田 郡 鷹 巣 町 綴 子 ) に 生 き た 一 人 の 修 験 者 を 対 象 に 、 彼 の 宗 教 者 と し て の 思 想 、活
動 を 考察
す べ く 、 そ の 基 礎 的 作 業 を 行 な う こ と を 意 図 し て い る 。 近 世 期 の 綴 子村
は 、 享 保 十 五年
( 一 七 三 〇 ) に は 戸 数 百 二 十 二軒
で、 枝 郷 に 田中
三 十 軒 、 掛 り 戸 十 九軒
、樋
口 羽 立村
、樋
口 一軒
、 知 子 内 の 五 ケ 村 を 持 っ て い た 。 羽 州街
道
沿 い に 位 置 し 、 宿 場 で 本 陣 が あ っ た 。 宝 暦 九 年 ( 一 七 五 九 ) に は 家数
百 三 へ ー ) 十 五軒
、 う ち・ 宿 は 本 陣 を 合 わ せ て 十 八 軒 を数
え た と い う 。 伝 承 に よ れ ば 村 の草
創
は、 元 亨 の 頃、 当 時 の 領 主 、 浅 利 氏 の 縁故
を も っ て 修 験常
覚
院 開 基 元 瑞 道 亨 が 端 初 を開
い た と 言 わ れ ( 2 ) て い る 。 常 覚 院 は の ち に 神 宮 寺 と そ の 呼 称 を 改 め る が 、 本稿
で対
象 と す る の は、 こ の 神 宮 寺 で 活 躍 し た 般若
院
英 泉 と い う修
験
者 で あ る 。神
宮
寺 は 藩 政期
、 歴 代 住 職 や、 そ の 関 係者
に 学 徳 豊 か な 人 々 を輩
出 し た こ と で 知 ら れ、 ま た 内 館 塾 と称
す る 学 習 塾 を 開 設 し 、 地 域 庶 民 の教
育 活 動 に 多 大 な貢
献 が あ っ た 。 明 治 に 至 り、神
仏 分 離 令 、修
験 道 廃 止 令 に よ っ て 、 神宮
寺 は 綴 子 神社
内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) 八 幡宮
と し て 神 社 化 し 、 歴 代 修 験 職 に あ っ た 社 家 武内
氏 は 神 官 と な っ て 現 在 に 至 っ て い る 。 内館
塾 当 時 の 一 五 〇 〇 巻 余 に 及 ぶ と 言 わ れ る蔵
書 は 、 現 在 も 同 神 社 境 内 に建
て ら れ た 内 館 ( 3 ) 文 庫 内 に 襲 蔵 さ れ て い る 。内
館 文 庫 所 蔵資
料 に つ い て は 、 昭 和 四 十 五年
、 当 時 の 神 官 、 武 内 正 俊 氏 に よ っ て 蔵 書 目 録 『史
跡 内 館文
庫
秋 田 県 文 ( 4 ) 化財
』 ( 以 下 、 武 内 目 録 ) が編
集 さ れ 公 け に な っ て い る 。 そ れ に よ る と文
庫 所 蔵書
日 は 総 計 一 〇 〇 四 種 、 一 冗 六 八 冊 で 、 武 内 氏 の 分 類 に よ れ ば 、 内 容 は 神 道 、 修 験、 儒学
、 仏 教、 詩 ( 5 ) 歌 、 国文
、 雑 と 多 岐 に 渉 っ て い る 。 こ の 書 目 中 、 般 若 院 英 泉 の 著書
を 武 内 氏 は 九 六 種 、 一 〇 六 冊 と 数 え て い る 。 だ が 実 際 に 筆 者 が文
庫 蔵 書 に つ い て 調 査 を 重 ね て み る と 、 武 内 目 録 に は 書 目 の分
類 撰 述 ・書
写 年 時 の 判 定 に つ い て若
干 の 疑 点 の あ る こ と が わ か っ た 。 ま た 武 内 目 録 と 文 庫 所 蔵資
料
に は 相 方 を 対 照 す る た め の 分 類番
号 が 付 さ れ て お ら ず 、資
料 検 索 に や や 不 便 を感
じ る と こ ろ が あ っ た 。 そ こ で 社 家 武内
氏
の 御 領 解 を 得 、 現 在 、 新 た な 蔵書
目 録 を 作 成 中 で あ る 。今
回 は そ の 作 業 過 程 の 成 果 の 一 つ と し て 『 内 館 文 庫 所 蔵 資 料 般若
院英
泉 関 連 文 献 目 録 』 ( 以 下 、 英 泉 目 録 ) を 報 告 し 、 合 わ せ て 目 録 編 集 作 業 を 通 じ た 、 英 泉 に 関 す る 基 礎 的 考 察 の い く つ か を 述 べ る も の で あ る 。今
回 の 調 査 に よ っ て 明 ら か に な っ た 英 泉 関連
文 献 は 次 の 通 = 二 五 N工 工一Eleotronlo Llbrary内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( } ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) り で あ る 。 撰 述 書 書 写 本
購
入 書 書状 合
計 四 二 三 一 五 七 九 九 二 六 三 八 占 占 占 占 占 ’亀聰N ’li1、 ’辱、1 ’ tb、 ’、、、 こ の よ う に 英
泉
に 関 わ る 資 料 だ け で 内 館 文 庫資
料 全 体 の 約 三分
の 一 を 占 め て い る 。 英泉
目 録 で は 写 本 、 撰述
書
、 購 入書
の う ち 、 奥 書 等 に よ っ て そ の 年 時 の わ か る も の は 全 て 年 月 日 順 に 配 列 し た 。 こ れ に よ っ て資
料 に 現 わ れ た 英泉
の 関 心 の 動 向 を年
代 順 に 検 討 し て ゆ く こ と が 可能
に な る 。 英 泉 の 伝 記 資 料 に つ い てω
菅 江 真 澄 の 記 述 か ら 英 泉 は 正 徳 四 年 ( 一 七 一 四 ) 九 月 二 十 八 日 に 生 ま れ 、 天 明 二 年 ( 一 七 八 二 ) 二 月 四 日 、 七 十 歳 で 没 し て い る 。 墓 碑 は 現 在鷹
巣 町 綴 子 ( 旧 綴 子 村 ) 地 内 に あ り、 そ の 正 面 に 、 ( 梵 字 ) 伝 灯 阿 闍 梨 玉 峯 英 泉 法 印 金 剛 位 と 刻 ま れ て い る 。 こ こ で は 英 泉 の伝
記 資 料 に つ い て 述 べ よ う と 思 う が、 そ の初
め に 、英
泉 よ り や や 遅 れ て 生 ま れ た菅
江真
澄 ( 一 七 五 四 〜 一 一 三 六 . 八 二 九 ) が 、 綴 子 村 を訪
れ た 時 の紀
行
文 に 英泉
の 事 蹟 に ふ れ た も の が あ る の で そ れ を あげ
て お こ う 。 お が ら の た き a 『 雄 賀 良 能 多 奇 』 文 化 四 年 ( 一 八 〇 七 ) 五 月 二 十 七 日 記 廿 七 日 つ と め て 前 山 、 坊 沢 を へ て 綴 子 の 駅 に 来 る 。 こ 瓦 は い に し へ 、 天 豊 財 重 日 足 姫 の す め ら み こ と ( 斉 明 天 皇 ) の、 あ め ム ケ が し た し ろ し め す お ほ ん と き 蝦 夷 の 乱 れ を 平 て、 阿 倍 臣、 飽 田、 淳 代、 津 軽 郡 な ど の 蝦 夷 み な し た が ひ た て ま つ る 。 そ の 虜 よ た り、 胆 振 鈕 の 蝦 夷 は た ち あ ま り、 お な じ む し ろ に み あ ヘ ノ メ モ ヌ ケ ニ し、 禄 た ま は り、 船 一 隻 と 五 色 の 綵 帛 と を 賜 ふ を も て、 か の 地 ソノ ワ コ ノ ゾ コ の 神 を 祭 り 肉 入 籠 に 至 れ り と あ る。 そ の 肉 入 籠 を よ こ な ま り ン ヅ レ ヨ て、 い ま は 綴 子 の 文 字 こ そ 書 り と、 も は ら い へ り。 こ x に 栖 め る 修 験 老 般 若 院 と い ふ が、 仏 母 大 孔 雀 明 王 経 の よ き 鳫 本 を 得 て、 醍 醐 の 光 台 院 の 文 庫 な る と て ら し か ぐ な べ て、 や が て 桜 木 に ゑ り け る と な ん 〔 天 註 ー 孔 雀 明 王 経 跋 日、 予 師 英 泉 帰 于 此 尊 信 于 此 経 篤 矣 、 所 謂 緝 不 空 之 訳 墓 浄 厳 之 校 而 鏤 梓 印 施 之 遺 志 而 己 。 寛 政 八 竜 集 丙 辰 季 商 如 意 旦 。 羽 秋 田 竜 峰。 どぞ
寿 吻 け る 。 」 そ の い 瀏 お し 、 一 む な し か ら ざ る も の に こ そ あ 劇 れ 〕 。 そ の 甥 な ( 6 ) る う ぽ そ こ 神 宮 寺 と て 尚 あ. り 。 ( 傍 線 筆 者 )b
『志
の 玉 は く さ 』文
化 年 間 記 な 玉 く ら や ま モ リ 出 羽 国 秋 田 ノ 郡 阿 仁 ノ 荘 に 七 倉 山 と 菅 大 臣 ノ 社 の 杜 と 上 津 野 河NII-Electronic Library Service ヘ ダ テ 〔 期 願 嫡
噺
り霧
騨 隔 伽 て、 〕 を 中 に 隔 た り 。 此 夫 神 は 菅 神 に あ ら ず 。 ナ ナ 国 ノ 常 立、 国 狭 槌、 豊 斟 渟 、 襯 批 類 獄 所 遡 噸 畢 岬 鷲 噸 か X る 七 ロ イ ハ 代 の 御 神 た ち を 斎 ひ ま つ り 奉 る と い ふ 。 ひ ろ 前 に は、 天 神 宮 と 悦 山 和 尚 の 手 に て 額 を か け た り 。 お も ふ に 貞 享 元 禄 ( 一 六 八 四 ミ タ マ 〜 一 七 〇 四 ) の こ ろ ま で は、 菅 大 臣 ノ 霊 を 遷 し ま つ る 社 に て、 た ビ 天 満 天 神 と 唱 へ 奉 り た る よ し 。 能 代 の 湊 の 住 吉 社 ノ 別 当 里 鷽、 比 内 ノ 大 館 よ り 皈 る 目 記 あ り、 名 を 『 山 ふ と こ ろ 』 と い ふ 。 そ は 父 ノ 桂 葉 の も と へ つ と に 書 キ た れ ば 懐 橘 が 故 事 を ひ き フ こ た り。 そ の 口 記 の 中 に、 七 倉 川 を 渡 る く だ り に 、 冬 枯 の 木 々 の 中 よ り 菅 祉 か うく
と 見 え た り、 と あ り 。 ま こ と に 七 代 ノ 御 神 な ら ば、 里 鶯 い か で か 菅 社 と 書 キ 侍 ら む 。 あ る 人 ノ 云 ク、 む か し 宮 野 な に が し と い ふ 人、 こ 丶 ろ ひ ろ く 学 び、 こ と に 山 崎 家 の 神 学 者 に て 弟 子 も い とく
多. か り し 。 そ の 人 の 弟 子 な ど や、 七 革 ( 7 ) 座 天 神 ノ 縁 起 は 作 け る も の か と い へ り 。 ( 傍 線 筆 者 ) ふ で の ま に ま に c 『 布 伝 能 麻 迩 万 珥 』 文 化 〜 文 政 頃 記 は し ら も と し む ほ ふ ハ ノ ラ を ト カ ち ノ ミ ノ ン カココ ワ サ ノ ノ ノ 柱 源 神 法 は 神 変 菩 薩 よ り 伝 は れ る い と ノ \ 重 き 神 事 式 也 。 ノ リ ソ ノ ミ ノ リ 此 法 大 峯 に 絶 え た る 事 あ り。 其 秘 式 を 備 前 国 小 島 ( 児 島 ) の 吉 ノ タ ハ リ 祥 院 よ り 山 形 の 行 蔵 院 に 伝 来、 行 蔵 院 俊 峯 よ り 寛 延 年 中 ( 一 七四
八淘
− 引 ) に 秋 田 ノ 綴引
駅. バ 應 稲 果 町 ) な る 般 若 院 菊 泉 に 伝 ふ 。 同 綴 子 の 神 宮 寺 ノ 十 三 世 竜 峯 よ り 大 峯 の 前 鬼 の 家 に 寛 政 八 辰 丙 ( 一 七 九 六 ) 年、 柱 源 神 法 を 伝 ふ と い へ り 。 ま た 文 化 年、 山 内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) 本 郡 扇 田 郷 南 光 院 宥 観、 大 峯 に ふ た 弐 び 登 り 行 ひ し と き、 ( 8 ) 孔 雀 明 王 経 を 前 鬼 の 家 に 伝 ふ と い へ り 。 ( 傍 線 筆 者 ) 仏 母 菅 江 真 澄 の 記述
は 、当
時
の 事 柄 を直
接
見 聞 し 、 ま た は 地 元 の 人 々 よ り伝
聞 し た も の が多
く 、 こ こ に あ げ た 一. 一 例 も 、 英 泉 没後
の 綴 子 地 方 に 残 さ れ て い た 世 評 を伝
え る も の 、 と 考 え て よ い だ ろ う 。 ま ず a で は 、 般 若 院 英泉
が 『 仏 母 孔 雀 明 王 経 』 を 原 本 と 醍 醐 光 台 院 所蔵
本 と を 対校
し、 版 木 に お こ し た こ と が 記 さ れ て い る 。 こ れ は 「 天 註 」 と し て 引 か れ て い る よ う に、 英泉
の 弟 子、 竜峰
に よ っ て 英 泉 没 後 の寛
政 八 年 ( 一 七 九 六 ) に 『 仏 母 大 孔 雀 明 王 経 校 訂 本 』 と し て刊
行 さ れ た も の で 、 現 在、 内 館文
( 9 ) 庫 内 に、 上 中 下 三 巻 本 と し て 所 蔵 さ れ て い る 。 次 にb
は 、 七 座 天 神 に つ い て の 記 述 だ が 、 同 天 神 の 別 当 は神
宮 寺 が つ と め て い た 。 こ こ に 見 え る 「 宮 野 な に が し と い ふ 人 」 と は、 宮 野 尹賢
( 一 六 八 二 〜 一 七 五 八 ) を さ し て い る 。 尹賢
は 神 宮 寺 に開
設 さ れ た 内館
塾 の 講 師 と 目 さ れ る 人 で 、 記述
に み る 通 り 「 山 崎 家 の 神 学 者 」 、 つ ま り 山 崎 闇 斎 の 流 れ を く ( 10 ) む 垂 加 神 道系
の 学 者 と 言 わ れ て い る 。 英泉
は そ の弟
子 の 一 人 と さ れ、 こ こ に は 「 七 座 天 神 ノ 縁 起 」 を 撰 述 し た こ と が 記 さ れ て い る 。 同 書 は 現 在 内 館 文 庫 に 所 蔵 さ れ て い る 。 明和
三年
( 11 ) ( 一 七 六 六 ) 四 月 十 八 日 の奥
書 を も つ 『 七 座 山 天 神宮
縁起
』 = 二 七 N工 工一Eleotronlo Llbrary内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) に よ っ て こ の 事 が た し か め ら れ る 。 ま た c は 、 柱 源 神
法
と い う 「 い とく
重 き神
事 式 」 を、 英 泉 が 寛 延 年 中 に 山 形 行蔵
院俊
峰 よ り 伝 受 し 、 の ち、 神 宮 寺 十 三 世 竜 峰 に よ っ て 、 一時
大峰
で 同 法 が 途 絶 え て い た も の を、 大峰
前 鬼 へ 伝 え た 。 と い う の で あ る 。 大峰
へ の 伝 授 に つ い て は後
続 の検
討 課 題 と し て お く が 、 後 節 に ふ れ る よ う に 、 英 泉 が 山 形 当 山 派 修 験 、 行蔵
院 俊 峰 に 参 じ た の は 史 実 で あ り、英
( 12 ) 泉 の 相 伝 し た 。 柱 源 神 法 に 関 わ る 秘 記 類 も 、 現 存 し て い る 。 こ の 記 事 に 続 い て 、 c は 文 化 年 間 に 山 本 郡 扇 田 郷 南光
院宥
( 13 ) 観 が、 『 仏 母 孔 雀 明 王 経 』 を 大 峰 前 鬼 へ 伝 え た と あ る が 、 同 経 は 文 章 の 前 後 関 係 か ら 、 a で も ふ れ て い た 英 泉 の 手 に よ る 『仏
母 大 孔 雀 明 王 経 校 訂 本 』 と 考 え ら れ る 。 以 上 、 英 泉 没 後 数 十 年 を 経 た 時 期 の 伝 聞 資 料 で は あ る が 、 般 若 院 英 泉 と い う 修 験 者 の 活 動 が 、 た ん に 一 地 方 に 限定
さ れ た も の で は な く 、 大 峰 へ も 影 響 を 与 え た と 言 わ れ 、 ま た 学 問 上 も 修 験 ば か り で な く 垂 加 神 道 の 系 譜 に も 連 な り、 孔 雀 経 の 校 訂 開 版、 在 地 天 神 社 の 縁 起 撰 述、 柱 源 神 法 の 相 伝 等 、複
数 の 分 野 に お い て 注 目 す べ き 足 跡 を 残 し て い た こ と が 知 ら れ る 。 a 〜 c の 記 事 に つ い て は 再 度 詳 細 な検
討
を 加 え る こ と に し 、 こ こ で は 英 泉 の 伝 記 に 関 わ る 一 次 資 料 を 中 心 に 、 そ の 生 涯 を 概 観 し て お き た い 。 二 二 八『 発 願 紀 年 録 』 に つ い て
英
泉
の 伝 記 に関
わ る資
料 の 中 で 、 最 も 重 要 か つ そ の 生 涯 を よ く知
る こ と の で き る も の と し て 『 発 願 紀 年 録 』 が あ げ ら れ る 。 同 書 は 編 年体
に よ る年
譜 様 の 記 載 と な っ て い る が、表
( 14 ) 題 、 撰 者 名 を 明 記 し た 一 本 ( 以 下A
太 ) と、 そ の 両 方 を 欠 い て ( 15 ) い る 一 本 ( 以 下B
本 ) の 二 種 類 が あ る 。筆
者 は こ れ を 両 方 共 英 泉 の自
筆 本 で あ り 、 各 々 別 の 意 図 の も と に 編 集 さ れ た も の と考
え て い る 。 以 下 、 両 本 の 書 誌 的 検 討 に 加 え 、若
干 の 私見
を ( 16 ) 述 べ て み た い 。A
本外
題内
題撰
者 撰述
年 時A
本 は そ の 表 紙 に 題 名、 斎 と は 英 泉 の 別 号 で 、 派 に お い て 重 要視
さ れ た る 。内
容 は 享 保 十 二 年 ( 一 七 二 七 ) 、 両 祖 二 嗣 テ 興 宗 之 発 願 有 リ L と 、 以 下 編 年 体 で 各 年 代 の 事 蹟 を 記述
し 、 七 一. 一 ) 六 十 歳 の 記 事 で 終 わ っ て い る 。 「 英泉
」 、 「 泉 」 と 自 称 の 用 例 の見
え る こ と 、 十 丁発
願 紀 年 録発
願 紀 年 録守
敬斎
( 英 泉 )安
永 三 年 ( 推 定 ) 撰 者 名 を 明 ら か に し て い る 。守
敬
お そ ら く は 山 崎 闇 斎 が 表章
し 、 崎 門 学 「 敬 斎 箴 」 に 由 来 す る も の と 思 わ れ 英 泉 十 四 歳 に し て 「 始 テ 初 発 願 時 の 記 録 に 始 ま り 、 最 後 は安
永 二 年 ( 一 七文
中 、 教度
に わ た っ て 他 の 英 泉 自筆
本NII-Electronic Library Service と 較 べ て 筆
跡
が 同 じ と 思 わ れ る こ と 、 撰者
「守
敬 斎 」 と あ る こ と 、 等 に よ っ て 英泉
自 筆 本 と 考 え る も の で あ る 。 撰述
の年
記 は 欠 い て い る の だ が、 擱筆
の 年 時 を 撰述
年 と 推 定 し て い る 。B
本 外 題 内 題 撰 老 撰 述 年 時B
本 に は 題 名、ま た 最 後 の 丁 に は
次
の よ う な 奥 書 が 付 さ れ て い る 。 英 泉 大 人 正 徳 四 年 生 レ ニ テ 明 治 三 十 九 年 マ テ 百 九 十 三 年 ナ リ 天 明 二 寅 年 二 月 四 日 卒 ス 行 年 七 十 一 歳 こ の奥
書 を も っ て す れ ばB
本 は 明 治 三 十 九年
の 写 本 と も 思 わ れ る の だ が、 し か し こ の 奥 書 部 分 は 前 丁 ま で の筆
跡 と 異 な る も の で あ り 、 明 治 三 十 九年
に 、 文 庫 襲 蔵 本 へ新
た に 追 記 し た も の 、 と み る の が 妥 当 の よ う に 思 う 。 ま た 内 容 は 正徳
四年
( 一 七 一 四 ) の 英 泉 誕 生 に 始 ま り、奥
書 部 分 を除
け ぽ、A
本 と 同 じ 安 永 二 年 ま で の 記 載 で あ る 。 そ の 伝 記 部 分 をA
本 と 比較
す る 時 、 筆 跡 に つ い て は や や 粗 雑 な 印 象 を 受 け る も の の 、 他 の 英 泉 自 筆 本 と も近
似
性 が 認 め ら れ る 。 ま た 内 容 に つ い て は 別 に 掲 げ た 対校
表 に み る 通 り 、 記 述 の 粗 細、AB
ど ち ら か 一 十 二 丁 な し な し な し ( 英泉
と 推 定 ) な し 内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) 方 に し か 記 さ れ て い な い 事蹟
等
、 そ の 違 い は 多 い の だ が、 両 本 の 記 述 内 容 が く い 違 い 、 相 矛 盾 す る と い う こ と は な い 。 以 上 に よ っ て み れ ばB
本 も ま た英
泉 自 撰 の 自 伝 と み な し う る の で あ っ て 、 そ の仮
称
を 発 願紀
年
録B
本 と す る の は 、 編 年 体 と い う 編 集 と、A
本 の 内 容 と の 大筋
に お け る 共 通 性 と に よ る も ( 17 ) の で あ る 。 ま た 撰述
年 時 の 推 定 はA
本 の 場 合 と 同 じ く 伝 記 部 分 の 擱筆
年 時 に よ っ て い る 。 こ こ でAB
両 本 が 編 年 体 と い う 同 一 の 編 集 体 裁 を と っ て い る こ と か ら、 両 本 の 記 載 を 年時
毎 に 対 校 し た 「 般 若 院 英 泉発
願紀
年 録A
・B
両 本 対 校 表 」 ( 以 下、 紀 年 録 対 校 表 ) を 作 成 し た 。 同 表 に は さ ら に、 英 泉 目 録 よ り 撰 述 、書
写 、 購 入 等 、年
時 の 明 ら か な書
目 を、 年 代 毎 に 対 照 で き る よ う 掲 載 し た 。 以 下 、英
泉 目 録 と 紀 年 録 対 校 表 は 英泉
に 関 す る 考察
の 基 礎資
料
と し て 使 用 し て ゆ く 。 英泉
の 生 涯 を概
観
し よ う と す る と き 、 少 な く と も 六 十 歳 ま で の 事蹟
に つ い て は 、 紀 年 録 対 校表
に あ げ た発
願紀
年 録 両本
の 記 載 に よ っ て 足 り る だ ろ う 。 いず
れ 個 別 の 行状
に つ い て は 、 関 連 資 料 と の照
応 を も と に 詳 細 に 検 討 し て ゆ く 予 定 であ
る 。 こ こ で は 英泉
の 俗 系 と、 補 任 状 に よ っ て 確認
さ れ る 修験
職 と し て の 僧 位 、 ま た 紀 年 録 対 校 作 業 上 生 じ た 若 干 の 問 題 に つ い て ふ れ て お く こ と に し た い 。 一 三 九 N工 工一Eleotronlo Llbrary内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) ω 英 泉 の 父 に つ い て 英 泉 の 出 自 に つ い て 、 綴 子
神
社
前 宮 司 で あ り 、 血 縁 上 も英
泉
に つ な が る 武 内 正 俊 氏 は 英 泉 は 正 徳 四 年 ( 一 七 一 四 ) 神 宮 寺 十 四 代 の 祖 烈 光 の 弟 と し て 九 月 二 十 八 日 に 産 声 を 挙 げ た。 父 は 十 三 代 尊 昭 の 弟 源 重 院 の 開 ( 18 ) 基 智 頼 法 印 で そ の 三 男 で あ る。 と 述 べ て い る 。 し か し 同 説 に つ い て 史 料 上 の 典 拠 は 明 ら か に さ れ て お ら ず、内
館
文 庫 中 の 諸資
料 、紀
年 録 対 校 表 に よ っ て も 、 そ の 生 年 月 日 を 除 い て は 、今
の と こ ろ こ れ を 傍 証 す る も の を 見 出 し て い な い 。 武 内 氏 は お そ ら く 家 系 図 、 過 去 帳 な ど に よ っ て こ の 記述
を な し た も の か と 思 わ れ る が 、 本稿
で は し ば ら く 仮 定 的 に こ の 説 に し た が っ て 論 を す す め た い 。 神 宮 寺 世 代 に つ い て は 、 も と つ く 資 料 に よ っ て 世 代 数 の違
( 19 ) い が あ る 。 こ こ で は 武 内 氏 の 所 説 と 、 明 和 三 年 『 秋 田 郡 村 修 ( 20 )験
世 代 由 緒 帳 』 を も と に し た と い う 佐 藤 久 治 氏 の 所 説 の 二 説 よ り、 英 泉 に 関 わ る 歴 代 法 印 の 名 を あげ
て お こ う 。 世 代 武 佐 法 印 備 考12
9
1314
1011
養 宝 院 尊 盛 正 保 二 ( 一 六 四 五 ) 生 常 覚 院 尊 昭 神 宮 寺 烈 光 寛 文 十 一 ( 一 六 七 一 ) 生 元 禄 十 ( エ ハ 九 七 ) 生15
12
神 宮 寺 竜 峰 享 保 十 七 ( 一 七 三 二 ) 生 一 四 〇 ※ 世 欄 代 の 「 武 」 は 武 内 説、 「 佐 」 は 佐 藤 久 治 説 を 示 す。 英泉
の 父 と 言 わ れ る 智 頼 に つ い て、 そ の 血 縁 関係
を 示 す も の は ま だ 見 え な い が 、 内館
文 庫 所 蔵 の 『 秋 田 郡 北 比内
修 験 世 代 由 緒 書 上 帳 』 ( 明 和 三 年 + 月、 大 館 頭 襟 頭 頂 礼 寺 編 ) に 、 秋 田 郡 綴 子 村 当 住峯
積
院開
基 源 重 院 智 頼 と あ り 、 智 頼 が 源 重 院 の開
基 で あ る こ と が 確 認 で き る 。 ま た 紀 年 録 対 校 表 に よ れ ば 、 享 保 一 九 十 一 月 七 日 師 父 寂 (B
) 寛 延 三 綴 子 二 於 テ 法 華 六 百 部 師 父 塔 前 二 供 養 セ リ (B
) 明 和 三 十 月 七 日 師 父 三 十 三 回 忌 法 会 ス 本 月 十 一 冖 月 ナ レ ト モ 平 沢 自 特 和 尚 願 二 依 リ テ ナ リ (B
) 以 上 、 三 件 の 英 泉 の 「師
父 」 に つ い て の 記 録 が あ る 。 ま た 英 泉 目 録 に よ っ て、 次 の 二 書 が 智頼
よ り 英泉
に 伝授
さ れ て い る こ と が わ か る 。 ( 21 ) 『 不 動 三 咒 之 大 事 』 享 保 十 六 年 四 月 吉 辰 ( 22 ) 『 叱 枳 尼 天 海 竜 渡 天 法 』 享 保 十 八 年 今 月 大 吉 祥 日 こ こ に あ げ た 五 つ の 例 は 、 お 互 い に 年 代 的 な 矛 盾 を 持 つ も の で は な い 。 前 の 仮定
に 従 っ て 智頼
と 英 泉 の 関 係 を 伝 え る 資 料 と考
え て お く 。 ま た 英泉
の兄
と さ れ る 烈 光 に つ い て は稿
を 改 め て 述 べ たNII-Electronic Library Service い 。 ω 英 泉 の 補 任 状 に つ い て 英
泉
が 初 め て 入 峰 す る の は 紀 年 録 対校
表 に み る よ う に 、 元 文 五 年 ( 一 七 四 〇 ) の こ と で あ る 。 こ の 時 の英
泉 の 実 二 秋 田 修 験、 学 文 ノ 為 上 京 ノ 最 初 力 (A
) と い う 言 葉 の 真 偽 を 検 証 す る こ と は、 い ま の と こ ろ 難 し い 。 た だ 佐 藤 久 治 氏 が 文 政年
間 を中
心 に 秋 田 藩 内 修 験 者 の 入峰
状
( 23 ) 況 を 調 査 報 告 し た も の に よ る と 、 文 政 三 、 四 年 の頃
で 一年
に 二件
、 こ れ 以 前 は も っ と 少 な か っ た こ と が 類 推 さ れ る の で 、 英泉
の 言 葉 も あ な が ち 誇 張 と も 思 わ れ な い 。 先 達 寺 別入峰状 況 計 永 久 寺 世 義 寺 岩 本 院\
先達 寺 名 年 \ \ \ 、\ 202 文政3
辰10
25
4
巳 1317
114
120
1
0
296
5 午 6 未7
申10
49091
8 酉 20 272 計 当 山派, 修 験宗派 本 同御改帳よ り こ の 時 の英
泉 入峰
を証
す る も の が 、 さ れ て い る 次 の 四 通 の補
任 状 で あ る 。 ( 24 ) 補 任 一 僧 祗 職 之 口 同 年 七 月 十 六 日 に 発行
内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) 右 被 職 所 令 補 任 仍 状 如 件 元 文 五 年 七 月 十 六 日 ( 花 押 ) ( 花 押 ) ( 花 押 ) 「 裏 書 」 ( 印 ) の 当 山 正 先 達 世 義 寺 正 大 先 達口
度 孵 ( ( 25 ) 補 任 院 号 職 之 事 右 被 職 所 令 補 任 仍 状 如 件 元 文 五 年 七 月 十 六 日 ( 花 押 ) ( 花 押 ) ( 花 押 ) 「 裏 書 」 ( 印 )D
当 山 正 先 達 世 義 寺 正 大 先 達 法 印 玄 慶 聴 ( ( 26 ) 補 任 錦 地 職 之 事 右 被 職 所 令 補 任 仍 状 如 件 元 文 五 年 七 月 十 六 日 一 四 】 般 若 口 法 印 実 玄 法 印 集 恵 法 印 玄 慶 般 若 院 法 印 実 玄 法 印 集 恵 法 印 玄 慶 般 若 院 N工 工一Eleotronlo Llbrary内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 一 ) ( 石 川 ・ 佐 藤 ) ( 花 押 ) ( 花 押 ) ( 花 押 ) 「 裏 書 」 ( 印 )